かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

欽ちゃん

もしも明日が・・・。/ わらべ

1984_01_もしも明日が・・・_わらべ






今回の1曲セレクトは、「もしも明日が・・・。」わらべです。

 まずはデータです。

・タイトル    もしも明日が・・・。
・アーティスト わらべ
・作詞      荒木とよひさ
・作曲      三木たかし
・編曲      佐藤準
・リリース日  1983年12月21日
・発売元     フォーライフ
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  97.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年1月16日〜4月2日付
・タイアップ:テレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの」より

いままで、いろいろ書いてきたのに、なんで、この曲はこんなに遅くなっちゃったかなぁ。。。

 わらべ「もしも明日が・・・。」 

1984年の年間1位の曲ですぞ。

 まあ、どうも、この曲、とっつき難くてねぇ、しばらく「放置プレイ」だったわけです。でも、そろそろ書かなきゃなぁ、ストックしてる曲も少なくなってきたしぃ・・・。と言うわけで、ようやく、重い腰を上げて、引っ張ってきましたわ。

・・・いや、といっても、必ずしも個人的にキライな曲じゃなかったのよ、当時は。むしろ、最初は良かったんだよね。

 初めて聴いたのは、車のFMだったな。うん、よく覚えてる。たしか、NHK-FMの夕方のリクエスト番組だ。
1983年の12月始めだったと思う。
 初めて聴いたとき、鳥肌がたったの覚えてるな。 あ、いや、悪いほうでなく、いい方で。「あ、これは売れるぞ」・・・と直感的に。

  この当時は、すでに、直感的に「売れる売れない」っていうのが、わかって来てたんだよね。
理屈じゃなく直感的に。 聴いた途端、「あ、これ!」って閃く曲ってあるんですよ。そう言う曲は意外と売れる。 この曲の前の年の、あみん「待つわ」なんてのは、最たるものだったですね。

 で、この曲も、ピーンと来たんだよね。

 まあ、どこがよかった? って言われると、これが困っちゃうんだけどさ。あくまで直感的に・・・ってところで。理屈じゃなくさ。

 で、ほどなく、雑誌には、150万枚は確定的・・・なんて、記事が出ちゃうしさ。 ふらふら

 リリースの1月ほど前から、「欽どこ」ではすでに歌ってて。反響がすごかったらしく、予約がかなりすごいことになってたらしいんだよね。 ま、それで、150万枚は硬い・・・なんて、出ちゃってたわけさ。

 まあ、当時は、ワタシもそんなマスコミ報道は「鵜呑み」にしてたからさあ、ほんとに、それだけ売れたら、どういうチャートアクションするんだろ? なんてワクワクしてたりして。。ふらふら

 ま、たしかに、出足は予想通りのすんごい売れ方してたよなぁ。ベストテン内に3ヶ月半っていうロングヒットもしたし。。


 BUT、100万枚を目前にして、息切れして、チャートアクションが「おじぎ」 しちゃったんだよなぁ。。。これは、とんだ「ぬか喜び」だったよなぁ。。結局、150万枚どころか、ミリオンセラーにも届かないで終わっちゃったんだもの。。。

 それと同時に、最初は、「あ、いい」と思ってたこの曲が、突然、色あせて聴こえたりして。。。ふらふら

 現金なものですわ、ホントにふらふら

まあ、兎に角、この曲は聴きましたからねぇ。ヒットしてた当時は。これでもか・・・ってくらい聴いてたなぁ。
  いや、単純、好きだったんだよね、この曲。どこが好きだったか・・・と言われると困っちゃうんだけど、これまた、理屈ぢゃなく、直感的に・・・。
  なんとなく、しんみりするでしょ、この曲。季節的にあったんだろうなぁ・・・。
最後の延々と続くインスト部分聴くと、ウルウルしちゃいますよ、未だに。

別のコラムでは随分書いたけど、この年は、関東地方の平野部でも雪が多い年でさ。千葉でも40cmの積雪になったことがあるんですよ。
 大雪の日、どんよりとした天気の下、この曲が、妙にマッチしたんだよなぁ。 その時の印象が強いんだよな。
だから、この曲を聴くと、あの31年前の大雪の日を思い出してしまう、因果なワタシです。。

まあ、でも、いずれにしても、84年の年間1位であったことには変わりないですけどねぇ。
 うん、ミリオンセラーなしの84年のヒットチャート界だったんだよね。で、この年から89年の「とんぼ」(長渕剛)まで、丸5年。ミリオンセラーというものは出なくなっちゃったわけよ。

 おりしも、丁度、ワタクシがオリコンウイークリーを毎週買うようになったころでさ、それと同時にミリオンセラーが出なくなっちゃったわけで・・・。ワタシも丸5年、ミリオンの表示を見ることなかったわけですねぇ。。。
 まかり間違っても、この曲はミリオン行くと思ってたのにねぇ。。。




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涙のtake a chance / 風見慎吾

1985_01_涙のtake a chance_風見慎吾






今日の1曲セレクトは、「涙のtake a chance」風見慎吾です。

まずはデータでーす

・タイトル    涙のtake a chance
・アーティスト  風見慎吾
・作詞      荒木とよひさ
・作曲      福島邦子
・編曲      小泉まさみ
・リリース日   1984年12月21日
・発売元     フォーライフ
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数   22.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1985年1月28日〜3月11日付

 さてさて、今日の1曲セレクトは、「風見慎吾」氏の登場でーす。
 風見慎吾氏なんて、改まって書いちゃいましたけど、最近では、そんな感じだよねー。すっかりレポーターとなってしまって、30年前、「ダンスパフォーマー」としてのアイドルだったとは、思えないもんね。

 へへへへ、わざわざ、ダンスパフォーマーとか、「ふり」を入れちゃいましたが、この曲っていったら、どうしても、アレですよね。アレ。。。えーと・・・「ブレイクダンス」

 これ、流行ったよねぇ・・・当時。あの、頭でクルクルまわるやつですよ・・・。
 え? もうしらないヒトの方が多い? うーん?

 でもまあ、84年〜85年にかけて大ブレイクだったもんなぁ。みんな、よく、マネしてたよねぇ。マネして、首おかしくしちゃったりして。。。
 ワタシは、生まれつきの「運動ウンチ」なんで、やんなかったですけどねぇ。。

 ダンスパフォーマーって、あの当時の一種の流行だったわけだけど、けっこう、いろんな形態があったよねぇ。
 まずは、ジャイケルマクソン・・・うんにゃ、マイケルジャクソンでしょ。当時は「スリラー」が超大ヒットだったもんね。
 日本では、一世風靡セピアとか。 で、まあ、あとは、ブレイクダンスだわね。
 なんか、いろんなヒトがやってた気がするけど、曲の中にタイレクトに取り込んじゃったってことで、どうしても風見慎吾のこの曲っていうイメージが強いよね。
 あれ? ワタシだけかなぁ??

 しかしね、そう書くと、どうしても、この曲って言ったら、パフォーマンスの部分だけかと思われがちだけど、サウンドの部分でも、この当時としては、新しかったな。
 少なくとも1984年っていうイメージは全くなかったな。その時点では、未経験の音っていうかね、新たに「1985年」っていうイメージを植えつけた曲だったな。まあ、私にとってはですけどね。

 サウンド的に軽いんだよね。これは、悪い意味ではなくて、身軽っていうかね、いかにもダンスパフォーマンスするぞっていういきこみが感じる曲っつうの? 
 なんか、変な表現だけど・・・。

 で、サウンドは、そういう感じなんだけど、風見慎吾が歌うと急に「歌謡曲」になるっていうかね〜。
 この辺の、バランスの按配が、なんか変なんだけど、心地いいんだよね。 うーん、うまく表現できんね。。

 まあ、もともと、アイドルといっても、歌うと「歌謡曲」になっちゃうタイプのヒトだったからね。

 それと、作詞の荒木とよひさ氏って言ったら、どうしても「歌謡曲」っていうイメージのヒトだったからかもしれん。
 こういうアップテンポの曲書くのなんて、そんなになかったもんね。

 サビの部分

♪ 涙のtake a chance take a chance〜 ♪

なんて、「横文字」つかった、詞なんて、まーったくイメージなかったもんなぁ。

 そういう部分もあったかもしれないなぁ。

 件の風見慎吾氏。この頃は、例のTBS系「週刊欽曜日」にレギュラーだったわけだけども、この曲も毎週、歌ってたなぁ。
週刊欽曜日」で。ワタシは、そのイメージがどうしても強い。

 で、そのあと、もう一発、「BEAT ON PANIC」っつう、さらにダンサブルな曲を出した後、「泣き虫チャチャの物語」って曲を出したんだよね。
 これが、ダンサブルとは、かなり「無縁」なダサダサ青春歌謡で、ワタシは、どっちかといえば、「BEAT ON PANIC」よりは好きだったんだけども、この曲をもって、以後、まーったく曲を出さなくなっちゃったんだよね。

 ちなみに、この「泣き虫チャチャ〜」も最高位は15位。だから、オチメってわけでもなかったんですよ。
 そのあと曲出しても、ある程度はまだ、行けたとは思うんだけどね。

 これは如何に?? 実は、これが謎でねぇ、「オリコンチャート研究会」からの「課題」の一つですねぇ。

 いずれにしろ、風見慎吾って、レコードに関しては、「オチメ」を知らず、今日までやってきたっていう、珍しいパターンのタレントさんですね。
 普通は、レコードで落ち目になったんで、タレントに移行するってのが、圧倒的なんだけど・・・。




※2006年1月に書いたものを再掲載しました。
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