かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

橋本淳

長い髪の少女 / ザ・ゴールデン・カップス

1968_06_長い髪の少女_ザ・ゴールデンカップス


今回の1曲セレクトは、「長い髪の少女」ザ・ゴールデンカップスです。

まずはデータです。

・タイトル     長い髪の少女
・アーティスト   ザ・ゴールデンカップス
・作詞       橋本淳
・作曲       鈴木邦彦
・編曲       鈴木邦彦
・リリース日        1968年4月1日
・発売元      東芝音工
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  19.2万枚

本来やりたいと音楽と、売れるための音楽のせめぎ合い。
プロのバンドマンにとっては、ここが一番頭が痛いところだろうね。本当はもっとマニアックな音楽をやりたいのに、「食うため」には、「大衆音楽」もやらなくちゃいけない・・・と。
 ま、最初から売れなくていいから自分たちのやりたい音楽を・・・と腹くくって、ずっとインディーズでやれる人たちはいいけど、こと、メジャーレーベルの「売れっ子」になればなるほど、その辺りがネックになってくるんじゃないかなぁ。
それは、今だけの話じゃなく、昔からある事なんだよね。 

今回は、そんな本当はやりたくなかったんだけど・・・・っていう、G.Sの曲をひとつ

ザ・ゴールデンカップス「長い髪の少女」。

G.Sでもっとも「硬派」なポジションに君臨し、こと、音楽についても「ホンモノ」を追求してきたカップスの、3枚目のシングルであり、一番売れたこの曲。。。

・・・だけど、本人たちは当初、かなり渋ったらしいですね。この曲をリリースするの。

なぜか・・・というと、最初に書いたように、本来自分たちがやりたかった音楽とのギャップが大きいから。

メンバーのほとんどがハーフであり、向こうの特にR&Bを得意とし、演奏テクニックも他のG.Sに比べ抜きんでてた「本物志向」の彼らにとっては、「歌謡曲」イズムなこの曲は、どうしても陳腐に映ったんだろうねぇ。

 当時、東芝音工の意向もあったのか、オリジナルのシングル曲は、基本、歌詞は日本語だったけど、どうも、それも陳腐に映る一つだったのかもね。

当時は、まだ、ロックに日本語は乗らない・・・って言うのが通説で、本物志向を目指すミュージシャンにとっては日本語ってたけで「ニセモノ」っぽん感じられたんだよね。
 だから、当のゴールデンカップスも、ステージではほとんどオリジナルのヒット曲はウタをなかったっていうんだからさ。

そそそ、シングルはあくまでTVなどのプロモーション用。本当の自分たちの音楽は別にあるって感じだったんだよね。


まあ、確かに聴いてみるとギャップを感じるんだよな。本来、このヒトたちのテクニックって、当時のレベルからすれば、超絶的だったんたけど、そんなテクニックも必要ない平坦な曲だし、なんと言っても歌謡曲テイストっていうのがね。。。バックにストリングが絡んでくる・・・っていうのは、R&Bをやってる彼らを聴いてると、ちょっと違うよなぁ・・・って思わずには居られないんだよね。
 
 どうも、当時のキャバレーとか、大衆酒場的な下世話な感じがしちゃってさあ。

でも、これが当時のウレセンだったからさあ、ウレセンを狙うとしたら、この路線に行くしかなかったんだろうなぁ。
だから当たった・・・って言うのもあるんだよね。

それでも、本来はメインボーカルだったはずのデイブ平尾氏は、どうしようもなく抵抗があったのか、この曲、メインボーカルじゃないんだよな。
 サビの部分で、 ♪ どうぞ〜 ♪ とか ♪ つらい〜 ♪とか掛け声的なコーラスを歌ってるだけ。
メインボーカルは、ドラムスのマモル・マヌー氏でしたね。

まあ、当たったと言っても、オリコンでベストテン内に入った訳じゃない訳で、超がつく程の大ヒットではなかったのは数字が表しているかな。
 
後の80年代アイドルと同じで、A級、B級、C級といった相対的な格付けがあるG.Sだけど、もちろんゴールデンカップスは、A級なG.Sな訳だよね。
 それでも、実際の売り上げ的には、こんなもんだったんだよね。 この曲がリリースされた1968年はG.Sブームの頂点の年だった訳だけども、相対的なレコード売り上げとしては、「歌謡曲」路線が絶対的だったけでさ、G.Sは、ほとんどが売り上げ枚数的には意外に少ないんだよね。

もっともアイドル的な人気だった、タイガースやテンプターズは別として。

ただ、カップスの場合、あくまで音楽的な本格志向として、こののち本格的にニューロック路線に移行。その後の日本のロック路線の礎となっている訳だよね。 


本当はヒット当時の映像があれば、リンクしたかったんだけど、なんせ50年近く前の曲だからなぁ、ある方が奇跡か。。。後年の再結成後の「オヤジ」になったころのは結構あるんだけどな。
でも、なんか違う・・・んで、レコード音源にリンク

http://www.dailymotion.com/video/x82qss_%E3%82%B6-%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3-%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9-%E9%95%B7%E3%81%84%E9%AB%AA%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%A5%B3_music

やっぱりバックにストリングが絡んでくるアレンジは、彼らの曲としてはちょっと違うよなぁ・・・っていう感じがしますね。
まあ、だからこそ聴きやすいって言うのもあるし、60年代っていう時代背景的な匂いがするんだけど。。。


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カナダからの手紙 / 平尾昌晃 畑中葉子

1978_03_カナダからの手紙_平尾昌晃畑中葉子








今回の1曲セレクトは、「カナダからの手紙」平尾昌晃 畑中葉子です。

まずはデータでする。

・タイトル    カナダからの手紙
・アーティスト 平尾昌晃 畑中葉子
・作詞      橋本淳
・作曲      平尾昌晃
・編曲      森岡賢一郎
・リリース日  1978年1月10日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 70.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1978年2月13日〜5月1日付

カラオケも今や、完全に日本の「文化」に溶け込んでしまいましたね。 
「しまいましたね」っていうのは、大げさかもしれないけど、今や、余程、自分で歌う事に自信が無い方以外は、ボックスや、スナックなんかの飲み会で、1回はマイク握ってるるんじゃないですかねぇ。
まあ、「ここ」みたいな音楽系のブログを覗きに来られるくらいの方でしたら余計ですよね。

今は、カラオケボックスとか、ゲーム機、はたまた着うたサイトにまでカラオケが入ってくるらいだから、めちゃくちゃ手軽に楽しめるようになったけど、昔、まだまだカラオケの黎明期は、飲み屋に行かなきゃ、専用機がなかったんだよね。
 最初は、酒のお供だったんだよね。 それから「8トラ」(8トラック)の家庭用カラオケ専用機が出てきて・・・って感じだったよなぁ。

 かくいうワタシもね、初めて「カラオケ」と言うモノをやったのは、この8トラの家庭用カラオケ機でしたねぇ。うん、友達の家にあったんだよね、これが。
たしか、1977年か、1978年の頭だったと思う、うん。まだ小学2年生だったことは覚えてるから。

でもね、当時は、まだカラオケというと、「宴会」とか飲み会の余興って感じだったから、オジさん、オバさん用の曲がほとんどでさ、若者向けのポップスのカセットはほとんどなかったんだよなぁ。


 今回の1曲セレクトは、そんな「ワタクシ」がはじめてカラオケをやった頃のヒット曲をセレクト。

平尾昌晃 畑中葉子「カナダからの手紙」

いやあ、この曲もカラオケでは、長年すっかり「お馴染み」の曲だよなぁ。「デュエット」曲としては超定番だよね。

そんな感じの曲だから、今となっては、「演歌・歌謡曲」っていうイメージが強くなってしまった、この曲だけど、リリース当時は、全然そんな感じじゃなかったよなぁ。
 サウンド的にも78年当時の他のポップスと変わりなかったし、歌謡曲特有の古臭さを感じなかったんだよな。
だから、完全にポップスっていうイメージでしたよね。

まあ、確かにあれから38年経っている訳で、今聴くと、流石に古いよなぁ・・・って感じだけどさ。

サウンド以外に古臭さを感じなかったっていうのは、この曲のシチュエーションだよね。
「カナダからの手紙」ということだから、今でいう長距離恋愛ですわな。そのシチュエーションが当時としては、一歩進んているように思えたんだよね。まあ、当時も長距離恋愛」してた方いっぱい居ただろうけど、まだエンターテメント的にクローズアップされていなかった時代だし。

ちなみに、遠距離恋愛っていうシチュエーションもあってか、平尾氏と畑中さんがバラバラな場所で歌うってこともあったよなぁ。
 その一番のハイライトは、「ザ・ベストテン」で、平尾氏がGスタ、畑中さんが「甲子園球場」っていう初の2元中継での歌唱っていうのが話題になりましたよね。
 今でこそ、特段な技術ではないけど、当時は、別々な場所で歌って音を合わせるっていうのは大変な事でしたから。


あ、話がずれた。。。
 それと、「カナダ」って地名だよね。この曲がリリースされる2年前に、カナダのモントリオールでオリンピックがあったんだけど、まだ当時は、大多数の方にはカナダってよく知られてなかったような気がするなぁ。
ただ、時折テレビで放映される、カナディアンロッキーの大自然って言うイメージが強かったのは確かだけど。。。だからね、カナダって言うと「きれいな大自然」っていうイメージだったよな。

そんな大自然のカナダと、せせこましい大都会東京どの恋愛って言うシチュエーションからこれまた途方もなく遠距離に感じちゃったりして、この曲をより一層ドラマチックに感じされちゃったんじゃないですかねぇ。

・・・ってか、そんな風に受け止めた方が、多かったんじゃないかなぁ。
・・じゃなきゃ、オリコンで1位取るほどの大ヒット曲にはならなかったんじゃないかな。

うん、当時のオリコン1位の重みは、現在の比じゃなかったですからね。それじゃなくても「ピンクレディー」っていうモンスターが人気絶頂の時代ですから。。
 その時代に、オリコン1位をもぎ取るっていうのは、それこそ大変な時代だった訳ですからねぇ。

ちなみに、この曲の大ヒットお陰で、このすぐ後、カナダブームが来た・・・って覚えてるんですが・・・。
まあ、個人的な記憶の中なので、定かじゃないけど。。。。


ところで、畑中葉子さんは、この曲がデビュー曲となる訳だけど、もともとは平尾昌晃ミュージックスクールの生徒だったヒト。
 そそそ、デュエット相手の平尾昌晃氏のお「弟子」さんですわね。 
wikipediaで調べてみると、1959年生まれとあるから、ワタシと丁度10才違いですわね。・・・ということは、ヒット当時は18才〜19才・・・と高校卒業の頃だわなぁ。
 それにしては、オトナっぽいよなぁ。ウタもしっかりしてるし。やっぱり、当時の歌い手さんは早熟な方が多かったんだよね。
  まあ、だからして、その後20才そこそこで脱いじゃったりしても全く違和感が無かったのかも・・・な



 
どーでもいいけど、やっぱ「夜ヒット」の演奏は、「お粗末」なんだよなぁwwww。
エレキギター、どうにかならなかったんでしょうか。。。
ダン池田氏も「芸能界本日モ反省ノ色ナシ」なんて暴露本書いてる場合じゃなかったんじゃなかったんじゃないですかねぇ。そんなことしてる間にバンドの練習して欲しかったよね。。。。。。


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真夏の出来事 / 平山三紀

1971_09_真夏の出来事_平山三紀






今回の1曲セレクトは、「真夏の出来事」平山三紀です。

 まずはデータです。

・タイトル     真夏の出来事
・アーティスト   平山三紀
・作詞       橋本淳
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1971年5月21日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位  5位
・売上げ枚数    27.9万枚
・ベストテンランクイン期間:1971年9月6日〜10月11日付

 昨日書いたサザンの「真夏の果実」もそうだったけど、音楽の世界では、9月に入ったら、「秋の歌」がヒットして・・・って、事は意外と言い切れないんですよね。

 例えば、今日引っ張ってきた、平山三紀さんの「真夏の出来事」。

 タイトルのとおり、内容は「真夏」の出来事について・・なんだよね。

 ♪ 彼の車に乗って 真夏の夜を走り続けた
   彼の車に乗って さいはての町 私は着いた 〜 ♪

って感じでさ。

 全く秋の様相は感じない曲なんですよね。なにしろタイトルからして「真夏の出来事」ですから。


 でも、ヒットのピークは、その年の9月〜10月だったりする。

 う〜ん、ちょっと季節はずれ。。。

 そんなわけで、必ずしも曲内容とヒット時期は重ならないこともあるわけなんですよね。

 しかしさ、詞の内容もそうだけど、この曲の場合、メロディラインとアレンジも凄いんだよね。

 この曲、今から44年前の曲だけど、全くそれまでの「歌謡曲」らしくない味付けなんですよ。

 大体においてメロディラインが、かなり複雑ですよね。あの当時としては。ただ、平坦なメロディを追いかけて行けばいい・・・っていう、当時の歌謡曲のメロディラインに対して、この曲は、バックのリズムにのって、メロディラインを追いかけていかなきゃいけない。

 しかも、そのリズムも、単純な8ビートではないんだよね。
これ、なんていうリズムっていうのかなぁ。。。。

 うーーん、この頃流行ってたシェークって感じなのかな。 8分音符とのシンコペーションが延々と続く・・と言った。今で言う、「ハネ」系の走り的なリズムなんだけど、いずれにしても、この曲以前には、こういうバタ臭い、モダンなリズムの曲って言うのは、そうそうなかったよね。 少なくとも、カバーではなく、邦楽オリジナル曲としては。

 同じ年のレコード大賞を受賞した尾崎紀世彦の「また逢う日まで」も、リズム体にシェークを使ってましたしね。

 作曲は、同じ筒美京平氏なんだけど、あのころは、筒美氏って、作曲と同時にアレンジもやられてましたからね。 だから、曲の手法としては、ほとんど同じなんですよね。

 ただ、この「真夏の出来事」の方がより、リズム強調型で、メロディラインも複雑だったんですけどね。

 今は、言葉を詰め込めるだけ詰め込んだメロディラインなんで、必然的に譜割が複雑になった曲が多いけど、あの時代、1971年っていう時代においては、これだけ複雑な譜割の曲はなかったんじゃないかなぁ。

 確かに、前年の1970年にオリコン1位を記録した、森山加代子さんの「 白い蝶のサンバ」なんかは、16分音符に歌詞を詰め込んだ・・・なんて斬新な作りになってたけど、この曲のメロディはもっと複雑なリズムだったしなぁ。

 ただ、その複雑なメロディラインにのっかった、このヒトの「鼻から抜ける」独特の声質が、めっちゃマッチしてるんだよね。
 なんていうのかな、独特の世界観って言うかさ、絵が浮かんでくるんだよなぁ。

 まあ、ジャンルとしては「歌謡曲」だけど、よりバタくさいっていうのかなぁ、それまでの日本の歌謡曲にはなかったようなポップさを感じるんだよね。


 だけど、筒美京平っていうヒトは、ホントに「鼻から抜ける」声質の方の曲をつくるのはうまいですね。
 うまく、魅力を引き出すのに長けているって言うのかなぁ。

 この曲を応用した曲が、松本伊代の「センチメンタルジャーニー」ですよ。
 この曲も、意外と譜割は複雑でしょ。で、独特のあの鼻声だし。。。

 まあ、まちがいなく、筒美氏は、松本伊代を第2の平山三紀にしようと思ってたんだろうなぁ。

 ただ、「センチメンタルジャーニー」の頃はすでに自分でアレンジはやられてないので、ぱっと聴き、似てないんだけどさ。曲全体のイメージは。
 でもね、「センチメンタルジャーニー」のB面の「マイブラザー」って曲は、あのころとしては珍しく、筒美氏自身がアレンジも担当してて、これが、ホントに「真夏の出来事」っぽいの。ピアノでのリズムを強調主体にしているアレンジとかさ。

 だから、この曲を聴けば、ああ、なるほどなぁ・・・ってなりますね。

 ちなみに、1971年、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」でレコード大賞を受賞した、筒美京平氏ですが、この「真夏の出来事」では作曲賞を受賞しているんですよね。

 まさに、筒美京平、第一次黄金期な年だったんですよね。




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半分少女 / 小泉今日子

1983_07_半分少女_小泉今日子






今回の1曲セレクトは、「半分少女」小泉今日子です。

まずはデータでーす。

・タイトル      半分少女
・アーティスト    小泉今日子
・作詞        橋本淳
・作曲        筒美京平
・編曲        川村栄二
・リリース日     1983年7月21日
・発売元       ビクター
・オリコン最高位   4位
・売上げ枚数     21.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1983年8月1日、8月15日〜9月19日付

うーん、アイドル系はあんまり・・・・っていう方には申し訳ないんだけど、夏場っていうと、アイドル系ポップスが「元気」っていうイメージが個人的にはあって、どうしても「こっち」方向に頭が行きがちなんだよね。。。

アイドル⇒水着 っていうところもあるからかなぁ


 まあ、あんまり興味が沸かない方もお付き合いくだされ。

 さてさて、この曲自体は、ジャケ写のやや、気ダルそうな表情とはウラハラに、とっても、胸キュン(⇒83年やね)なナンバーどえす。

 いつかもちょっと書いたけど、当時の大人気シンセ、YAMAHA DX7のプリセット音をそのまま使用した、イントロのメロディからして、いかにも夏の午後の日差しをイメージさせるカラッとした温度感。
 それに、キョンキョンの甘いボーカルが絡んでくると、いやがおうにも「胸キュン」となってしまいそうなんだよね。

 いや、見事だよね。

 キョンキョンって、デビュー当初・・・っていうかデビューの年こそ、そこいらのアイドルと全く変わらない・・というか目立った個性がみえてこなかったんだけど、この曲の前の「まっ赤な女の子」を境に、弾けたんだよね。

 本人曰く、理由無き反抗期だったそうだけど・・・

 いわいる、作られたアイドルから、そのままの自分をさらけだすアイドルに「変身」を諮っていたんだよね、この時期。

 それが、曲にもダイレクトに出始めて来てたんだけどね。
ま、こっから先は、どんどん奔放さがエスカレートしていくわけで、結果的に「本音」型のアイドルとして成功していくわけだけどね。

 この曲は、その最初の頃の作品ってかんじかな。
だから、そのごの結構過激な内容ではないけど、やっぱり、橋本淳−筒美京平っていう日本ポップス史上最高のコンビが手がけている作品だけあって、曲の色気っていうのは、この辺のキョンキョンの曲の中でもピカ一な作品なんじゃないかなぁ。

♪悲しくしく〜 ♪ とか ♪うれしくしく〜 ♪っていう言葉の使い方が、メロディに乗ると適度な色気がでたりして、その辺の曲作りの計算っていうのは、やっぱり、このコンビならではなんぢゃないかなぁ。

 とかく、橋本淳氏の歌詞は行間を読めって言われるわけで、単に曲を聴いてるだけでは本当のよさがわかんない・・っていうところにも60年代末期〜70年代前半にかけての往年の歌謡ポップスのよさがにじみ出てて、その辺は、ちょっと他のキョンキョンの曲とは趣が違うかな・・とも思うけど、ワタシなんかは溜まんないわけです。

 キョンキョンって毎年夏ごろの作品には、「いいね」と思う曲が多いんだけど、こと、この曲は、その中でも1,2を争う作品だと思うな。


ときに・・・この曲には、シングルバージョンとは別のバージョンが存在してて、そちらは、シングルの川村栄二氏のアレンジではなく、萩田光雄氏がアレンジをてがけたんだけど、当初は、こちらがシングルになる予定だったようなんですよね。
 
 現に「明星」の付録のヤンソンの83年9月号の新曲紹介では、この萩田光雄氏バージョンの方で譜面付きで掲載されてたりする。

 でも、どうして、これ変わったんでしょうね? 昔、理由を聴いたような気がするんだけど、どうも忘れちゃったんだよなぁ。。。
 しかも、萩田光雄氏バージョンも聴いた記憶がない。。。

 どんな感じなんでしょうねぇ。ちょっと・・・というか結構興味あったりする。


 ただ、そうはいっても、個人的には、シングルのこのバージョンがやっぱり、好きなんだけど。。。。




これ、当時のテレ朝で、超短期間放送してた歌番組「ザ・ベストヒット'83」なんだけど、覚えてる方いらっしゃりますかねぇ。



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亜麻色の髪の乙女 / ヴィレッジシンガーズ

1968_03_亜麻色の髪の乙女_ザ・ヴィレッジ・シンガーズ

 




今回の1曲セレクトは、「亜麻色の髪の乙女」ヴィレッジシンガーズです。

 まずはデータです。

・タイトル      亜麻色の髪の乙女
・アーティスト  ヴィレッジシンガーズ
・作詞      橋本淳
・作曲      すぎやまこういち
・編曲      すぎやまこういち
・リリース日   1968年2月25日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  18.6万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1968年3月18日〜4月22日付

 今回の1曲セレクトは、一挙に時代を遡りますぞ。今から47年前へタイムスリップ!
 
 ハイ、時は1968年3月。オリコンもまだ、創刊して間もない頃ですね。
 時はGS全盛期。なに? ガソリンスタンド? ・・・なんて、思うヒトは、よもや、ここに来ている方にはいないでしょ。。あせあせ
 グループサウンズね。

 まあ、グループサウンズといっても、そのジャンルは幅広うございまして、ひとことでは、なかなか言い表せないんだよね。まあ、今でいう「バンド」ですよ。
 その中には、ゲーノー系なのもいれば、反対に、もろ音楽系もいる。
かつ、歌謡曲系もいれば、ロック系もいる。 不良系もいれば、おぼっちゃま系もいる。。。

・・・・と、なかなか、これだ〜exclamation ×2 といえないのも、GSっていう「ジャンル」の面白さの一つなんだよね。


 そういうことで、今日は、上の書き方で言えば、おぼっちゃま系のグループの一つであるねヴィレッジシンガーズ最大のヒット、「亜麻色の髪の乙女」を引っ張ってきたりしましたぞ。

 まあ、日本のポップス史を振り返ると、1960年代までは、「おぼっちゃま系」は、欠かせない存在だったのですよ。
 ハイ、慶応、青学、立教、学習院あたりの、いいとこの「ご子息」です。

 なんせ、バンドやるには「金がいる」っちゅうことは、今も昔も変わらないわけで・・・。
 ましてや、楽器が今ほど、ぜんぜん普及していない60年代。まだまだ、一般家庭はビンボーだった時代に、音楽なぞに「ウツツ」を抜かせるのは、いいとこの「おぼっちゃま」ぐらいなもんだったわけですよ。

 ・・・と言う事もあり、当時は「おぼっちゃま」が流行の先端をいけたわけですね。

 もちろん、ヴィレッジシンガーズも「成城大」出身の「おぼっちゃま」グループ。

 育ちのよさは、やってる音楽には、もろ反映されたりするわな。

 だってさ、曲のタイトルからして、品のよさを感じるぢゃないの。
「亜麻色の髪の乙女」だものね。「乙女」なんて、一般庶民は、なかなか使わない単語ですぞ。

 曲は・・・・、みなさん、ご存知でしょう。 ハイ、あの曲ですね〜。

島谷ひとみが、2002年にカバーして、大ヒットしたアレ・・・です。

フォト 


・・・と、書くと、「え〜、あんなハイパーな曲、47年前にあったの?」なんて、いわれそうだけど、島谷バージョンは、かなーり、今風にアレンジさせてるわけですよ。

 オリジナルは、あんなにbpmも早くないし、ビートもきつくないですよ。
 グループサウンズだもんね、もともとは。
 オリジナルは、もっと、今で言えばガレージっぽいアレンジなんですわ。

 ボーカルの清水氏も、今で言えば歌謡曲っぽい歌い方だしね。そんなところも、おぼっちゃまの片鱗なんですかねぇ。

・・・・書くと、ヴィレッジシンガーズが、この曲のオリジナルって思われがちだけど、それが違うんですねぇ。
ヴィレッジシンガーズも、実はカバーなんですよ。

オリジナルは、ヴィレッジシンガーズからさらに遡ること2年前。青山ミチさんって方が1966年11月にリリースしたシングル。
 もっと、こちらは「風吹く丘で」というタイトルらしいですけどね。
しかも、すぐに発売中止になって、回収されちゃった(本人が覚せい剤で捕まった)らしいので、一般には広まらないうちにお蔵入りになったようです。


 ところで、この曲は、林哲司氏著の「歌謡曲」っていう本にも、取り上げられているんだけど、どうも、ボーカルメロディが、作曲した、すぎやまこういち氏のイメージと違う部分があるらしい。

Aメロの部分の出だし

♪ 亜麻色の 長い髪を 風がやさしく包む〜 ♪

の部分の ♪ やさしく包む ♪ の部分。

 この「やさしく」の部分、島谷ひとみさんの場合は、完全に「同じ音」で歌ってるけど、じっさい、すぎやまこういち氏は、「〜しく」の部分を半音上げて・・・っていうイメージだったらしい。

 まあ、オリジナルのヴィレッジシンガーズの清水氏のボーカルもやや、怪しいんだけど・・・。

 それでも、作曲のすぎやまこういち氏は、あれから47年経った今でも、ここの「音」の違いにこだわっているそうですね。

 うーん、作曲者の感性っていうのかなぁ、コダワリだよね。単純に聴いてる方からすると、言われて見ないとわかんないんだけどさ。

 それでも、すぎやま氏らしい、こだわりかな・・・とも思えるね。

 なんせ、ファイナルファンタジーの着メロの音を、全社分、丹念に確認して「ダメだし」したりしてる方だったりするから。。。ふらふら

 でも、作者の「こだわり」っていうのは、いくら「商業音楽」でも必要だと思うのよ。だからして、面白いわけで。。。

 これ、画一になっちゃったら、面白くもなんともなくなっちゃいますよ。硬ーくいえば、「著作人格権」ね。

 まあ、2次使用する側とすれば、これがあるから、厄介なんだよな。。。って部分もあるんだけどさ〜。。。 





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ブルーライトヨコハマ / いしだあゆみ

1969_03_ブルーライトヨコハマ_いしだあゆみ






今回の1曲セレクトは、「ブルー・ライト・ヨコハマ」いしだあゆみです。

 まずはデータです。

・タイトル     ブルー・ライト・ヨコハマ
・アーティスト  いしだあゆみ
・作詞       橋本淳
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日   1968年12月25日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   100.3万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1969年2月3日〜5月19日付


 イントロの最初のコードの音で、強烈にインパクトを感じる曲ってあるよね。
 例えば、ビートルズの「A HARD DAY'S NIGHT」の最初の1音⇒Dmsus4-7
のコード一発「ジャーン」

 コレだけで、もう、この曲の世界に引き込まれないでいられなくなっちゃうじゃん。

 そういう意味でも、出だしの1発目の音って大切なのよ。

 もちろん、邦楽にだってありますよ、そういう曲。
 例えば、トワ・エ・モアの「或る日突然」なんか、そうだよね。イントロの出だし、A7のコード一発からイントロに入る。
 この曲も印象的だな。 個人的には、この手の出だしは生理的にすき見たいね。

 なに? トワ・エ・モアの「ある日突然」なんて曲、知らない?


 ぢゃ、これはどうだ! って感じで、引っ張ってきたのが、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」ですわ。

 さすがに、この曲しらなーい、っていう方は、これ読んでくれてる方の中には、あんまり居ないでしょexclamation & questionふらふら

 うん、いしだあゆみさんの超大ヒット曲でもあり、橋本淳−筒美京平っていう、歌謡史に残る、名コンビが放った、ミリオンセラーでもあるわけで。

 うん、この曲も、出だし1発目は、A7のコードの響き「ジャーン」で始まるんだよね。

 まあ、恐らく筒美氏のことだから、ビートルズの「A HARD DAY'S NIGHT」の出だしを意識してないことはなかろうて・・・。
 でも、意外とシンプルなコードで収めてあるな。完全にビートルズを意識してたら、A7-5とかでも良かったわけで。。。ふらふら

 でも、この曲でA7のコードは、意外と重要なファクターを占めてるんだよね。


Aメロの部分
  Dm     Gm         Dm     A7
♪ 街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ  ブルーライトヨコハマ〜♪

 そう、この曲キーはDmなんだよね。だけど、一番インパクトにのこるメロディラインはやっぱし、

 ♪ ブルーライトヨコハマ〜 ♪ の所でしょ。

 ここで、いきなり「C♯」からのメロディで入ってくるのが、とっても意外なんだよね。っていうか、「ブルーライト」の「C♯」の音の響きが一番インパクトに残り、かつ曲全体を引き締めてたりする。

 このフレーズがあるから、その先のサビの

 ♪歩いても 歩いても 〜 ♪ の部分が引き立つんだよね。


 こんな感じで、全体的に見るとメッチャ、シンプルなんだけども、聴いてる方をグイッと引き込ませてくれる「ツボ」なフレーズが筒美京平氏の真骨頂だよね。

 ところで、この曲から筒美氏が、バート・バカラック好きだってことが分かる・・・ってことなんだけど、個人的には、それは、よくわからないんだなぁ。

 たしかに、イントロのトランペットの使い方が、後年のカーペンターズの「遥かなる影(Close To You)」を彷彿されるものもあるけど、どっちかと言うと、この当時の「歌謡曲」の延長にも聴こえるしなぁ。


 ところで、当時、いしだあゆみさんは21歳。 今で言えばアイドル的な年齢だったわけだけども、それにしても大人っぽいよなぁ。
 よく、南沙織が出てくるまでは、歌謡曲は「夜に向かって」歌われていたって言われるけど、この曲を見ると、よく分かるわな。
 明るい太陽の下で〜 って感じの曲はあんまりない。当時では黛ジュンの「天使の誘惑」くらいか。

 それだけ、歌謡曲に「お水」を印象させるのが常だったってことかいな。

 なんて、書いてるワタシは、当時、まだ生まれてましぇーん。母親の腹の中に居りました。妊娠5ヶ月ごろ・・かふらふら

 観月ありさの「伝説の少女」の一節じゃないけど、「ママの時代のラブソング」ですわふらふら




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誘われてフラメンコ / 郷ひろみ

1975_10_誘われてフラメンコ_郷ひろみ






今日の1曲セレクトは、「誘われてフラメンコ」郷ひろみでーす。

まずは、データから。。

・タイトル    誘われてフラメンコ
・アーティスト 郷ひろみ
・作詞      橋本淳
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1975年7月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   24.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1975年8月4日〜9月1日付


郷ひろみの「誘われてフラメンコ」・・厳密に言うとちょっと、ヒットした時期とはずれるんだけど、どうにも気になってたんで、引っ張ってきちゃいました。

CM見てるとさ、あれ? あの曲って、これのパクリじゃないかなぁ?・・・って思うことがたまにあるんだよね。もちろん、たまにだけどさ。
 最近、大塚製薬の「アミノバリュー」ってドリンクのCM見てると、どうしても、郷ひろみの「誘われてフラメンコ」を思い出しちゃうんだよね。

 ♪アー アアー アーアアーアーアー〜♪ って、↓ これですね。





 最初、ワタシ、なんで、今時のCMに、昔の郷ひろみの曲使われてんだろう? ってマジで思ったもん。

まあ、あの曲は、メッセンジャーズの「気になる女の子」って曲で、郷ひろみとは全然因果関係もなんもないんだけどね。 
 でも、声質は、「当時」の郷ひろみに似てるよなぁ。 いまよりちょっと甘ったるくて、近田春夫氏のいうところの「プラスチックボイス」だし。

 いや、それより、この「誘われてフラメンコ」の出だしの

♪アーアーアアア アーアアーアー〜♪

のところが「気になる女の子」に似てるんだよ〜。


あ、こんなふうに感じるの、ワタシだけかと思ってたら、他にも同じこと考えてたヒトがいた。


http://yamakazu.at.webry.info/200505/article_25.html


 これは、筒美氏の得意とするところの「パクリ」戦法だと踏んでるんですが、どうなんでしょうね?
メッセーンジャーズの「気になる女の子」は、1971年の曲らしいし、日本では、ほとんどヒットしなかったと思われるけど、筒美氏くらいなら、ちゃんとチェックはしてるだろうしね。
(・・・とおもってたら、日本ではヒットしてたらしいです。。71年に。。)

 しかし、すごいタイトルだ。「誘われてフラメコ」。。。。直接的ではないよねぇ。さすがに詞の行間を読ませることをモットーにしてる橋本淳氏ですね。
 ちなみに、「フラメンコ」って付いてるけど、曲は全然フラメンコぢゃないのよ。

 筒美氏が作曲と、アレンジもやられているから、ベースライン、1拍3拍強リズム重視の独特の筒美調(?)な作風で、音質も典型的かつ良質な70年代ポップスなんですけどね。
 ただ、3分そこそこの曲の中で、転調が2回も入ってるから、展開はめまぐるしく変わっているし、多分、当時としては、かなりのスピード感があったんぢゃないかな。 まあ、今でこそ、BPMが速い曲になれてるから、そういったスピード感は感じないけど。


 ちなみに、当時は郷ひろみは まだ、ジャニーズ事務所に居たと思うんだけど・・・あれ? 違ったかな?
いやいや、もともとはジャニーズ所属だったのは、間違いないんだけど、いつバーニングプロに移ったかってのは、詳しくはちょっとさだかぢゃない。75年〜76年ということは間違いないんだけどね。
 ただ、75年、76年の郷の顔つきを今、見ると、全く変わってるんだよね。 ジャニーズの頃は、ホンとに「アイドル」って感じだったけど、バーニングに移ってからは、男っぽさって言うのが全面に出てきたてたし・・・。
 曲も、76年には全然変わったって感じだな。
76年9月の「あなたがいたから僕がいた」。これは76年の郷の代表作だけど、この曲をとっても、「誘われてフラメンコ」とはまるで違う。大人っぽいというか男っぽい。作曲は同じく筒美京平氏なんだけどね。
 だから、76年時点ではバーニングに移籍していたことは間違いない。

 そういう点をみても、まだ、この「誘われてフランコ」の頃は、逆にまだジャニーズに所属してたんじゃないかな・・・と思いますね。

 まあ、なんで、郷ひろみがジャニーズからバーニングに移籍したのか・・・っていうのも真相は藪の中って部分もありますしね。
 ただ、バーニングに移ったからこそ、ここまで、アーティスト人生が続いているってことは、確実に言えるだろうけど。。。 あのままジャニーズだったら、20歳すぎたら、サヨナラだったろうしなぁ。


 さらに、この曲のチャートアクションがすごい。
1975年7月21日リリースで、同7月28日付ランク、17位初登場⇒2位⇒4位⇒3位⇒5位⇒9位⇒13位⇒・・・・
と、登場2週目で早くも最高位を記録している。

 最近のチャートに慣れてる人だったら、だからなに? なんだろうけど、これは、当時のランキングとしたら超ハイペースでのヒットな訳です。初登場17位っていうのも、当時としたらものすごいことなんだけど、リリース2週間でピークに持っていくという瞬発力ってのがね。

 まあ、CBSソニーは、当時からそういう瞬発力でピークに持っていく戦略は得意で、他に天地真理なんかもそうでしたもんね。
 
 逆に言うと、この傾向がやがての「初動のみ」の曲に繋がる「元凶」だったのかもしれないけど・・・。
ただ、当時は、スーパーアイドルしか出来ない、「勲章」みたいなものだったんだけどね。こういうチャートアクションは。
 

 ちなみに、コノ同時の時点では、「初登場1位」っていうのは、日本においては「存在してなかった」のです。
初めての「初登場1位」は1976年1月5日付の「およげ!たいやきくん」なんですからね。
 ただ、その3ヶ月前の1975年9月1日付で沢田研二「時の過ぎゆくままに」が初登場3位という記録を打ち立てまして、その当時は、それが「初登場順位」のオリコン記録だったわけです。
 なので、このころから、ヒット曲は時間をかけてつくられるもの・・・っていう常識が一気に変化してきたころともいえますけどね。
 
  ただ、それでも、現在のような壊れた状況にはならなったわけで・・・。音楽界が音楽をやる場という常識が残っていたからこそかもしれませんが・・・。


http://www.dailymotion.com/video/x1ytdb1_%E9%83%B7%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%BF-%E8%AA%98%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B3-1975_music

例のごとく、YOUTUBEには動画が落ちてなかったんで、別のサイトにリンク。

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