かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

横浜銀蠅

男の勲章 / 嶋大輔

1982_05_男の勲章_嶋大輔






今回の1曲セレクトは、「男の勲章」嶋大輔です。

 まずはデータです。

・タイトル    男の勲章
・アーティスト  嶋大輔
・作詞      Johnny
・作曲      Johnny
・編曲      Johnny
・リリース日   1982年4月28日
・発売元     キング
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   37.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1982年5月31日〜7月12日付
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「天まであがれ」主題歌


 またもや1982年の曲になっちゃったな。。わざと・・て言うわけではないんだけど、まあ、それだけ書きたい曲がある年っていうことで、ご理解願えるとありがたいかなぁ。

 1982年って言ったら、銀蝿一家な年だったよなぁ。まあ、そういうことで横浜銀蝿の曲はいままで何曲か書いてきてたんだけど、今回は嶋大輔に行きますか。

 ・・というか、この曲まだ書いてなかったんだな。

 当然、すでに書いたと思って今まで書いたアーカイブを見てたんだけど、どうも、書いてないようなので、引っ張ってきてしまいました


 いや〜、正直言ってさ、当時、この曲大っキライでした(爆)

 っていうかさ、当時、単純にツッパリってキライだったの。頭悪そうだったから・・・。 (原爆)

 なんて、書いたら、袋叩きにあっちゃうかなぁ

 いや、今は全然そんなこと思っていないですよ。

 実際、千葉に越して来てから、ガッコのツッパリのお兄さんたちには懇意にしてもらってたしねぇ。
ウチの街はブルーカラー族が多くて、ガラが悪いからなぁ。当然、そちら系のツッパリ兄ちゃんもいっぱいいるわけよ。 
 うん、見た目は怖いし、勉強もちょっとね・・・という連中が多いけど、実際接してみると、実に人間味があるヒトたちが多いんだよなぁ。あの時もすでにアナクロな言葉だったけど、「義理人情」的なところがあってさ、人間的にストレートじゃん。そういうところが、なぜか安心できたんだよね。

 何考えてるんのかわかんない「勉強が出来て、理屈っぽくて、オリコウ」なヒトたちよりもよっぽど心許せますよ。

 まあ、そういうところもあったんだけど、この曲がヒットしてたころは、まだ、実際のツッパリのお兄さんたちともコミットした部分がなかったんで、どうしても「頭わるそー」なイメージしかなくて、どうも生理的に受け付けなかった部分があったんだよなぁ。


 大体において、

 ♪ツッパることが男のたった一つの勲章だって、この胸に信じて生きてきた ♪

なんて、全く理解できなかったもん。

うーん、なんていうのかなぁリアリティがなかったんだよね。右翼的っていうか、がんばってりゃいつかは報われるさ・・なんてのもリアリティ感じなかったしさ。

 銀蝿の世界って、ブルーカラーな世界じゃん。まったくハイソな世界ではない、言ってみれば労働階級な世界。

 周りがそういう環境だったら、理解できたのかもしれないけど、あのころはまだ、田舎にいたし、まわりがのどかだったこともあったんで、理解したくても出来ない環境だったんだよね。

 でもさ、今住んでる所は、かなり労働階級な町なんだよね。まわりは石油化学コンビナートな街だから。

 で、まあ、そういう環境に放り込まれたっていうところが、この曲の聴きかたを変えたっていうところがあったんだと思うなぁ。


 うん、だからね、今は好きなの、この曲。

 まあ、確かにマジメに聴くと、バカ正直な世界で笑えるんだけど・・・・

 ♪ガキのころ 路地裏で見た 夜空にきらめいた 流れる星を見て 誓った思いを忘れちゃいないぜ♪

 なんて、マジメに考えて歌ったら笑っちゃいますよ〜 演歌の世界だよね。。。若いのに何マジメに世の中みてんの? って感じで。。

だからさ、余計なこと考えないで、単純にスカッとしたいなぁ・・ぐらいな軽い気分で聴く分にはいいんだよね。気持ちいいじゃん。とにかく、中身は単純なロックンロールな訳なんだしさ。


 それにしてもさ、この曲38万枚近くも売れてたんだねぇ。まあ、確かに昔から売上げ枚数は、見てきてたんだけど、印象的に30万枚くらいっていうイメージがあったんだよね。

 これ書くのに、改めて目に止まって、あれれれ、こんなに売れてたんだ!? ・・・とたった今、改めて驚いてたところですわ

 キングレコードもこの当時は、演歌とツッパリ路線で・・・・っていう色が強かったけど、今はアニメとアイドルになっちゃたもんね。レコード会社のカラーも変われば変わるもんだよなぁ。。。

 それにもまして、嶋大輔の体型が変わってしまったのは、もっと驚きだったりして。。。



本当は、当時の画像が欲しかったんだけど、落ちてなかったんで、「復活」した時のやつで・・・


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ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校篇)

1981_02_ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)






今回の1曲セレクトは、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校篇)」横浜銀蝿です。

 まずはデータです。

・タイトル    ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校篇)
・アーティスト  横浜銀蝿
・作詞      タミヤヨシユキ
・作曲      タミヤヨシユキ
・編曲      タミヤヨシユキ
・リリース日   1981年1月12日
・発売元     キング
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   56.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1981年2月23日〜5月18日付 

 最近は、男はすっかり「草食化」してしまって、「昭和」の時代には普通に居た肉食系男子なんて、ほとんど絶滅しちゃいましたね。
 ましてや「ツッパリ」 「(暴走)族」なんてのは、ほとんど死語だよなぁ。

 うーん、そうだよなぁ、「族」なんていうのは、70年代がピークだったわけで、たしかにうちらがガキ〜10代の80年代も多かったもんね。これ読んでくださっている同年代の方(アラフィフです)、関わってた方多いんでないかな?    若気の至りってやつで。。

 ワタシ? ワタシは気が小さいから、全く縁がなかった世界です、ハイ。


 だけど、今日ひっぱってきた、横浜銀蝿がヒットしてたころってさ、一時期、族=横浜銀蝿 っていう図式になってた頃が合ったよなぁ。

 あのころは、横浜銀蝿のロックンロールって単純に、族で入っているようで気持ちいいって感じだったんだよね。
 いえもそういう図式になってたきがするなぁ。

 ま、確かに、なんのクセも飾りもないめっちゃくっちゃ単純なスリーコードのロックンロールなのよ。

 うん、なーんもかんがえないで聴いてると、今でも気持ち良いよ、確かに。


 でもさ、あのとうじは「ツッパリ」の代名詞だったこのヒトたちも、25年経った今にして思えば笑えるよなぁ。

 今のコからしてみればさ、男なら頭ギンギンのリーゼントにして、特攻服かボンタン&長ラン、女なら蜂の巣パーマに長いスカート引きずってる図 なんてみたら、どんなもんでしょうね?

 単純に笑えたりして・・・。

 だからさ、あの当時は、時代の先端だったものも、25年経てばアナクロすぎて笑いの対象になっちゃうことってあるよねぇ。


 でさ、この「ツッパリHigh School Rock'n Roll」歌詞の意味、もしかして、今となっては、よくわかんないっていうヒト、きっと居るんでない?



♪ 今日も元気にドカンを決めたら ヨーラン背負ってリーゼント ♪


・・・・・・・なんのこっちゃ?・・・・・

と思いません?  日本語じゃねぇよなぁ・・・今となっては


♪ 今日も元気に土管を決めたら 洋蘭背負ってリーゼント ♪ ・・・・なんのこっちゃ??

おもわず直に変換してしまった・・・・。(爆)


ははは、全然ちがうかんね〜

ドカン ⇒ ニッカポッカみたいなダボダボのズホンね。当時のツッパリルックの定番よ。

ヨーラン ⇒マア、長ランのことね・・・って、最近じゃ長ランもわかんないか。。 要するに長ーい学ランよ。裏地に竜とか虎の刺繍が入ってたりするやつ・・・。


 だからして・・・直訳すると「今日も元気にドカンに長ランちゅうツッパリルックにリーゼントでバリバリよ」ってところですか?

 うーみゅ、34年も経てば日本語も日本語でなくなるのねぇ。

 今の流行ってる言葉も30年経てば「翻訳」が必要よ・・きっと。「今」の時代を知っているヒトの。。

 この曲聴いてたら、おもわず、そんなこと感じたりして・・。



「ザ・ベストテン」より。
翔さん、歌詞間違えないでぇ〜。  それにしても随分ゆっくりな「ツッパリ〜」だな。


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ジェームスディーンのように / Johnny

1981_11_ジェームスディーンのように_Johnny







今日の1曲セレクトは、「ジェームスディーンのように」Johnnyです。

まずは、データでーす。

・タイトル    ジェームスディーンのように
・アーティスト  Johnny
・作詞      Johnny
・作曲      Johnny
・編曲      T.C.R.横浜銀蠅.R.S
・リリース日   1981年11月18日
・発売元     キング
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   50.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1981年12月7日〜1982年2月8日付
・タイアップ   TBS系ドラマ「茜さんのお弁当」主題歌


 さて、久しぶりに1981年の曲を引っ張って来ました。
 これまで、あんまり、引っ張っては来なかったけど、81年っていったら、「ツッパリ」ブームだったんですよねぇ。
 前、夏に「なめんなよ」を紹介した時も書いたけど、「ツッパリ」って言うのは、「ブーム」を通り越して、「ファンシー」にもなってたんだよね。
 それだけ、既に一般にも入り込んでいたって言うかね。
時に、全国的な校内暴力が荒れてたわけで、まあ、みんな欲求不満が溜まってたんでしょうねぇ。
 同世代・・・正確には、若干、ワタシらよりは、年上の世代なんだけど、まあ、ヒトの事は言えない世代ですわね。ワタシらも。

 その中心グループだったのが、横浜銀蝿ですわね。この年の1月にリリースした、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)が大ヒット。一躍、ツッパリブームが広まったわけですわ。
 曲は、今聴くと、どうってことない、3コードの単純なロックンロールなんですよね。
 でも、たしかに、シンプルでスピード感はあるんですよ。バイクで飛ばしているあの感覚っていうのかな?
 車でも同じですね。この曲聴きながら、車運転してると、ついつい飛ばしたくなっちゃうもんねぇ。

で、その横浜銀蝿のリードギターが、このJohnnyだったんですよね。
 グラサンしてるから、よくはわからないけど、甘いようなマスクは女性人気が高かったですよねぇ。
 で、どういう経緯で、ソロに踏み切ったのは、よく分からないけど、この「ジェームスディーンのように」のリリースとなったわけです。
 
 この曲、銀蝿関係としては珍しく、ドラマの主題歌なんだよね。TBS系の「茜さんのお弁当」。
 ワタシも実際、あんまり見たことないんだけど、たしか、このドラマで銀蝿一家の嶋大輔とか、杉本哲太がデビューしたんだよね。
 まあ、両者とも地のままのツッパリ役だったけどさ。
 でも、後年っていうか、今、嶋大輔がリバイバルになったり、杉本哲太なんて、大河ドラマにも出演するくらいの大物役者だもえねぇ。 
 変われば変わるもんだよなぁ。あの時分、こんなになるとは思ってもなかったし・・。ウタだめになったら、ただのチンピラにしかなれないと思ってましたよ。

・・・と前置きはこのくらいにして、「ジェームスディーンのように」ですが、確かに、基本はロックンロールの流れを汲んでるんだけど、もっとロックというか、大衆性に富んでるんですよね。
 銀蝿は、いかなる場合でも3コードのロックンロールを貫いていたけど、この曲は、そのようなこだわりは一切なし。
 シンプルなんだけど、キャッチーなメロディラインが印象的だったんだよね。

しかも、サビから始まる構成も、結構斬新だったしね。

♪ おいで     Come On Come On Come On
暗い目をして  Come On Come On Come On
  すねていないで Come On Come On Come On
  走り出そうぜ  Come On Come On Come On  ♪

ってところが核でしたよね。
 最後の ♪Come On  Come On  Come On ♪のところのハーモニーが個人的には一番、好きなところだな。
 こう、文字でかいても、構成的には、すごくシンプルなんですよね。
言って見れば、子供でもかけそうな詞なんだけど、でも、実際やるところが銀蝿らしいんだけどね。  

 こう書くと、いかにもシンプルなロックンロールしか書いていないかっていうと、そうでもないんだよね。
 例えば、この年1981年の7月にリリースされた、西城秀樹の「セクシーガール」なんてのは、横浜銀蝿の作詞、作曲だしね。ああいう、歌謡曲っぽいメロディも書けるんだよね。
 このヒトたち。

 うーん、どちらかというと、この「ジェームスディーンのように」もあのメロディラインにちかいかもなぁ。
 それだけ、ロックでありながら、歌謡曲よりのキャッチー路線だったって言うわけです。


 ああ、そうそう、個人的に、この曲で思い出すことが一つあるんだよねぇ。
 丁度、同じ時期に、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」がバーッと大ヒットしてきたんですよ。
 例の「ザ・ベストテン」では、この曲と、「セーラー服と機関銃」の1位争いだったんだよね。

 今でも覚えてる1982年1月14日放送。
1位 セーラー服と機関銃     9156点
2位 ジェームスディーンのように 9019点

その差がわずかだったんですよ。。
 で、当時の友だちと「賭け」をしたんですねぇ。次の週、どっちが1位取るか、当たったほうが500円出す・・ってねえ。
 当時、私ゃ小学6年で、500円っていうのは、結構な大金だったのよ。まあ、時代が時代で、今だったら、1000円以上だよね。

 ワタシは、粘りの様相を見せてた「ジェームズディーンのように」を推したんだよね。
 だから、友だちは、「セーラー服と機関銃」だよね。

 結果は・・・・

1982年1月21日放送

1位 セーラー服と機関銃     8876点
2位 ジェームスディーンのように 8649点

にゃんと、逆に、「セーラー服と機関銃」が粘っちゃったのよ。。

 もちろん、私ゃ500円払いましたよ。。。

 でも、これが、親にバレてこっぴどく怒られたなぁ。 子供のくせして「賭け事」なんて・・ってねぇ。

 でも、私ゃ、そんなことより、自分の予想が外れたことがショックだったなぁ。
 あれ以来、ヒットチャートの動きをもっとよく見るようになったんだよね。
 今の、仕事は、あの時のショックの延長線上にあるような気がするんだよねぇ。

 まあ、何の因果か・・という感じもするけど、ガキの頃のちょっとした出来事が、いまに繋がっているような気がするなぁ

なんかね、「ジェームスディーンのように」を聴くと、いつもあの時のことを思い出すんだよねぇ。

 反面、だからといってはなんですが、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」は未だにキライです。。。。
 
 ウソのようでホントの話。





※2005年11月に書いたものの再掲載です。
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