1983_03_脱・プラトニック_桑田靖子






今日の1曲セレクトは、「脱・プラトニック」桑田靖子です。

まずは、データですー。

・タイトル     脱・プラトニック
・アーティスト   桑田靖子
・作詞       売野雅勇
・作曲       芹澤廣明
・編曲       萩田光雄
・リリース日    1983年3月21日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位  50位
・売上げ枚数    4.0万枚

 昨日のカキコでは、暫く「82年3月21日」デビューの方を引っ張ってきます。。。。
 とか、書いたんだけど、どうも今日になって気が変わりまして・・・(^^;;;;;;;;
考えてみれば他の年にも「3月21日」リリースの曲はいっぱいあるし、それに、この時期って他にも紹介したい曲は結構あるんですよね。
 ・・・ということで、予定変更!

 今日は次の年の83年3月21日リリースの桑田靖子「脱・プラトニック」を引っ張ってまいりましたわ。

 ハハ・・・・またまた、「売れなかった」曲を
知らない方はスイマセン。

 いや、実はさっき帰宅の時に電車の中で聴いてたんですわ、この曲。(爆爆)

 で、丁度「3月21日」リリースなので、「安直」にも引っ張ってきたわけです! (爆爆爆)


 とりあえず、桑田靖子ってさ、歌はうまかったよね。だけど、その歌のウマさがかえって、「アイドル」としてはジャマしてたんぢゃないかなぁ・・と思うわけです。
 たしか、この時15歳だったよなぁ。俺より2つ上だから。

それにしては、歌の安定さ、歌唱力・・ともに、これがデビュー曲のアイドルとは思えなかったもんね。
 あの時代、逆だったんだよね。歌唱力は「不安定」の方が母性本能(?)をくすぐるっていのうかなぁ、「母性本能」をくすぐるところがあったんだけど、どうも、あんまりウタがうますぎてもね・・・・って感じだったし・・・・。
 かといって、ルックスも、めちゃめちゃいいって訳でもなかったしね(失礼)。

 ウタがうまいことで、結局、かえって「中途半端」っていう烙印を押されちゃった感じだよね。
 まあ、これが、あと5年も早ければ、高田みづえのように「歌謡曲」の世界ドップリに進めたかもしれないけど、時代が時代だったしな。

 それと、この「脱・プラトニック」という曲、完璧な「ネライ」だよね。
 だってさ、中森明菜「少女A」と全く同じ作家陣だもん。
狙ったんでしょうなぁ、「第2の少女A」を・・・・。

 ただ、めちゃくちゃ狙いすぎだよね。狙いすぎて中途半端になつちゃった・・・・っていう見本のような曲だなんだよねぇ。

 まあ、デビュー直後のコにはいえないだろうけど、本人はキツかったろうねぇ。

 果たして、出し手はどこまで、本気で考えていたのかはよくわかんないけど、大体において、第2、第3のだれそれ・・で売れた試しはないんだけどなぁ・・・・・。

 まあ、そういうことで、売り出し戦略で失敗した一例ですな、この曲の場合。。
 まあ、それでも、左ページの50位に入っただけでもよしとするべきか・・・。

 ・・ということで、結局、ぱっとしなかった、桑田靖子さんですが、その後は「たけしの元気が出るテレビ」などにも出てましたよね。バラエティに進出するも、されでもパッとせず・・。バラドルにもなれなかった・・・ってかんじですか。
 うーん、性格も真っ直ぐだったんだろうなぁ・・。

 ともまあ、随分書いちゃったけど、個人的には、そのあとの「マイジョイフルハート」なんかは好きでしたね。
 それでも違和感は、少しあったけど・・。



うーん、やっぱり、「ウタ」は達者だったんだよね。
 いずれにしても、82年デビュー組が、あまりにも華々しかったんで、その反動で83年デビュー組は地味なんだよねぇ。



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