かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

林哲司

Say Yes! / 菊池桃子

1986_10_Say yes!_菊池桃子






今回の1曲セレクトは、「Say Yes!」菊池桃子です。

 まずはデータです。

・タイトル    Say Yes!
・アーティスト  菊池桃子
・作詞      売野雅勇
・作曲      林哲司
・編曲      林哲司
・リリース日   1986年9月3日
・発売元     バップ
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   20.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1986年9月15日〜10月27日付

 今、ちょうど仕事が繁忙期なんだよね。はっきり言って疲れてますっ! 昨日は1日更新もしないで寝ちゃったしね。今日も体はきついんだけど、前向きにをいきますよ。

 というわけで、この時期で「前向き」な曲って言うと、ワタシなんて、どうしても菊池桃子の「Say Yes!」がでてきちゃったりする。

 え? チャゲアスの「SAY YES」ぢゃないよ。タイトルは同じでも待ったく別の曲。

 いやいや、こっちのほうが先だからねぇ、年代的に。。。チャゲアスの方は後追いなのよ、実際は。
 ただ、チャゲアスの方がめっちゃ売れちゃったからなぁ。「Say Yes!」といって菊池桃子の方を思い浮かべるヒトは、まあ、ひとかけらでしょう、今となっては。。

 でも、この曲は菊池桃子にとっては、めずらしくボジティブな「元気ソング」なのよね。それまではどっちかというと、マイナー系な曲が多かったけど、この曲はもろメジャー系だし、スタンドマイクでふりがはいる(例の「Say Yes」ってところでねぇ・・・。まあ、あんまり振りともいえないが。。。)曲は、めずらしかったのよ、このヒトにとっては。

 でも、なぜか、この時期の晴れた日になると、どこからともなく、この曲が聴こえてきちゃうワタシですねぇ。

 まあ、めっちゃ好き・・・というわけでもないけど、なんか聴いてて気持ちいいのですよ、この時期の温度感とマッチするところが。。


 ただ、細かく見ていくと、林哲司氏なんですねぇ・・・・全体の曲調は。うーん、林哲司氏、お墨付きの菊池桃子の曲っていうかねぇ。。。
 コード進行なんかはいつも通りなんだよなぁ。

 Aメロの、♪ 愛にはぐれたりー 〜 ♪ からのくだりのコード進行とかさぁ。。。
 だから、どことなく、「あ、またか」・・・と思う節もないでもない。

 ただ、そう思う人も多かったのかねぇ。当時、売上げ20万枚を突破したのは、この曲で最後となったわけで。。
 逆に、「ザ・ベストテン」では、この曲が唯一の1位獲得曲なんだよね、菊池桃子にとっては。その辺の対比は、ちょっと面白いけどね。

 もっとも、この当時、レコード売上げと、有線、ラジオ、ハがキ・・・のほかの要素で、折り合いがつかなくて、全体的に得点が低かったんでねぇ、1位獲得といっても、それほどびっくりするほどのレベルではなかったんだけどさ。
 
 ちなみに、1位を獲得した1986年9月18日放送分の得点7929点は、ベストテン史上、3位のワースト記録。
 ま、それだけ、当時も今と同じように、オリコンチャートが「猫の目」チャートで変動してたからなぁ。。。





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September / 竹内まりや

1979_10_September_ 竹内まりや






今回の1曲セレクトは、「September」竹内まりやです。

 まずはデータです。

・タイトル    September
・アーティスト  竹内まりや
・作詞      松本隆
・作曲      林哲司
・編曲      林哲司
・リリース日   1979年8月21日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 39位
・売上げ枚数   10.4万枚

 いや、まいった。。実は、今日の1曲セレクトは、最初別の曲だったの・・・。もう完全にその曲を書く頭になってたのに、今、調べてみたら、11月1日リリースだった。。。うわ、まだ、先じゃん・・・。

 うーん、意外と覚えていないもんだね。30年以上も前の曲だと・・。リリース日を。イメージ的には、今ごろヒットしてたような気がしてたんだけどなぁ。。。。

 こういう時、困るんだよね。

・・・で、ない頭、ひねって、搾り出してきました。。。

 竹内まりや「September」

未だに9月になると、ラジオからは、必ずこの曲がかかるよなぁ。今年も先月、何回も聴いたもの。

じゃ、なんで、今頃セレクトしてきたの? って感じなんだけど、タイトルは「September」だけど、実際ヒットのピークは「10月」だったんだよね。
10月なのに、「September」とは、これ如何に。。。 なんだけど、September=9月 がつくタイトル曲って、実際は10月にヒットしてたパターンって多かったりするんだよね。
 同じパターンで、一風堂の「すみれSeptember Love」があるんだけど、この曲は、また近々書くことになると思います。


 この「September」は、竹内まりやにとって、実質、デビュー3曲目の曲。この前の曲「ドリーム オブ ユー」がキリンレモンのCMに使われて、一躍、竹内まりやの名前が、広まってきてた時期ですね。

 うん、♪レモンライムの青い風、伝えて愛のドリーム オブ ユー♪ってやつですね。


・・・まあ、そういうタイミングでリリースされたんだけど、当時の扱いとしては、「アイドル」的な扱いだったんだよね。

 今の「シンガーソングライター」竹内まりやとしては、考えられないけどさ。
 「当時は、聖子ちゃんに近い扱いだった」と、後日、本人からの証言もあったように、実際、そんな存在だったんだよね。

 1979年は、ニューミュージック全盛期で、逆にアイドルが「不作」の年。 すでに、70年代型アイドルは陳腐化してたわけで、新しいアイドルの形を業界では、模索してた時期。
 
 そういう、タイミングの悪さも災いしてたんだろうね。慶応のライトミュージックソサエティで、後のシンガーソングライター杉真理と活動を共にしてたっていうのに、まんまとゲーノー界の「落とし穴」に捕まってしまう。

 でも、この曲の作曲者、林哲司は、見抜いていたようですね。このヒトが「アイドル?」っていう疑問符なところを・・・。

 絶対、このヒトの低音の魅力はアイドルではなく、もっとアメリカナイズされたポップスで勝負すべきだ・・・。

 ってことで、試行錯誤して書かれたのが、この「September」ですね。

 それでも扱いは「アイドル」。 うん、ジャケ写みれば、大体わかるわな、このころの扱いが・・。

そんでもって、この曲で日本歌謡大賞、日本レコード大賞の「新人賞」を獲得してたりする。

 いまおもうと、違和感たっぷりですわなぁ。 レコード大賞も歌謡大賞も、ザッツゲーノー界的な存在なわけで、ロック、ニューミュージック系にはそれほど縁がある場じゃないもんね。

 たださ、このころ既に、歌謡大賞もレコード大賞も、見てたんだけど、竹内まりや ・・・って一番印象にないんだよね。新人賞のなかでも。

 79年っていったら、新人賞では桑江知子の「私のハートはストップモーション」がダントツに強くて、そのイメージしか残ってなかったりするんだよね。

 でも、まちがいなく、この曲で新人賞に「出演」して歌ってたりする。

 結局、「アイドル」竹内まりや は、81年に本人の「出奔」により頓挫。82年に山下達郎と結婚して、3年間も活動休止となるわけだけど・・・。

 で、84年にアルバム「ヴァラエティ」で「シンガー」竹内まりやとして再出発するわけなんだよね。


 そんな「September」だけど、個人的にちゃんと「意識」して聴いたのは、ずっと後のことですわ。

 いつだろう? 多分、大人になってからだね。

 やけにイントロから引っかかる曲が流れてきたのが、この曲。どっかで聴いたことあるんだけど、思い出せなかったりして・・・。
この曲、なんかのCMで使われてなかったかな?

 しかも、竹内まりやだったりして・・・。 で、調べたら、79年リリースのこの曲「September」だったんだよね。

 多分、林哲司氏も、低音の魅力からカーペンターズのカレンをある程度意識した曲作りになってたんじゃないかなぁ。
 どことなく、カーペンターズの香りがするんだよね、この曲。

 ただ、79年っていう、ニューミュージック全盛のころの空気にはあってたよ。

 そういうこともあり、ワタシは、この曲、ニューミュージックとして見てるもの。

 林哲司氏は、この曲と平行して、松原みきの「真夜中のドア」も、同時期ヒットさせてるんだけど、こっちの方が、よりアメリカナイズされてる・・・っていう本人の弁。

 でも、個人的には、どっちかというと、竹内まりやの「September」の方がアメリカナイズされているような気がするけどなぁ。

 うん、やっぱし歌い方の差だよね。松原みきは、独特の声質してるじゃん。どこか日本的に聴こえるんだよね、声質が。
 対して、竹内まりやって本場仕込みの「English」でしょ。

 その差がダイレクトで出てるような気がするなぁ。


 あ、この辺は、「今」ならカバーするにもいいかもね。未だに、あんまり手垢付いてないし。。。今、どっちかといえばAOR的な曲が「イマイ」くなってる方向だとおもうしさ。

それにしても、未だに、よくかかるこの曲だけど、リリース当時は、オリコンで最高39位までしか行ってなかったっていうのは、今にして思えば意外かもなぁ。もっとヒットしてた感じもするしね。





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マイ・ラグジュアリー・ナイト / しばたはつみ

1977_09_マイ・ラグジュアリー・ナイト_しばたはつみ






今回の1曲セレクトは、「マイ・ラグジュアリー・ナイト」しばたはつみです。

 まずはデータです。

・タイトル    マイ・ラグジュアリー・ナイト
・アーティスト  しばたはつみ
・作詞      来生えつこ
・作曲      来生たかお
・編曲      林哲司
・リリース日   1977年7月10日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 17位
・売上げ枚数   20.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 26位
・タイアップ:マツダ「コスモ」CM曲

 子どもの頃、早くオトナになりたかった時期があったのね。まあ、だれでもあることなのかぁ。
 早く酒飲みたかったし・・。あー、「たばこ」はダメよ。いや、ウチの母親が、うまそうにタバコ吸ってたんで、「吸いたい」っていったら、吸わせてくれまして。。。あせあせ
 
 ・・・・こんなもん、死んでも二度と吸うもんか・・・と思ったもんよ。 むせてマジで死ぬかと思ったもの・・・ふらふら

 そんな、早く大人になりたい願望があったころの曲を、今回は引っ張って来たよん。

 しばたはつみの「マイ・ラグジュアリー・ナイト」


 うん、上で書いたように、大人になって早く酒飲みたい・・・っていうのは、もちろんあったんだけど、大人の曲が、早くできたらな〜ってのも、あったなぁ。

 っていっても、この曲がヒットしてた、77年当時は、すでに、ポールモーリアのイージーリスニングの世界を聴いてた、ワタシは、りっぱに「ませガキ」だったんだけど、こう、オトナ向けの「うたもの」な曲は、まだ、理解できなかったんだよなぁ。

 なんか、そこには、コドモが立ち入れないような、見えない壁のようなもんを、無意識のうちに感じてたのかもしれないけど・・・。


 で、当時は、まだ、この曲のように、充分、オトナが堪能出来るような曲が、ヒット曲にはあった。
 
 いやだからさ、そういう、オトナしか理解できないような世界のウタも、早く理解できたらな・・・とも思ってたんだよね、どこかで。


 でもさあ、実際、自分がオトナになったら、こういう、オトナの世界を歌った曲が、ほとんどなくなってしまったのは、残念でねぇ。

 なんでまあ、こう、世間は、「コドモ」相手の曲、至上主義・・・っちゅうか、子供っぽいエンターテイメントな世界になっちゃったんでしょうかねぇ。日本のエンターテイメント業界は。
 否、最近、精神的に成長しないヒトが増えたんだろうね日本人は。

 いやいや、ほんと、返す返す残念なのですよ。 うーん、今からでもいいから、こういうオトナの世界を再構築したい・・・っていう願望が、ちょっとあったりしてるワタシなんですけどねぇ。
まあ、どのくらい賛同をいただけるのかは、疑問なんだけど。。

 エンターテイメントって、やっぱり、たくさんの方に賛同いただいてナンボのもんでさ、自分だけで納得してるのは、結局は、ひとりよがりな「オマス」の世界と同じわけで。。。ふらふら


・・・とうことで、この曲「マイ・ラグジュアリー・ナイト」ですよ。

 もうね、一言で言って、オトナしか踏み入れられないような、ゴージャスな世界ですね。

 もしかして、当時、この曲聴いていたのかもしれないけど、少なくとも、当時の記憶はない。

 でもさ、ずっと、曲のタイトルだけは、頭のどっかに残ってたんですよ。
 この曲は、あの来生えつこ、来生たかお、姉弟の、言ってみれば、初めてヒットした曲だよね。
 で、後年、「夢の途中」が大ヒットしたときに、この曲のタイトルが出てきて、それから、ずっと頭に引っかかっていたのかもしれない。

 いや、当時、聴いてたのかも・・・。でも、記憶にないってことは、当時、まだコドモだったワタシには、全く引っかからなかったんだろうな。。。

 でもさ、今聴くと、いいのよ、これが。

 これですよ、このオトナのゴージャス感。こういう曲が、もっと欲しいのよ、いまの音楽界にも。。

 オトナのイメージといっても、演歌じゃないよ。 やだなぁ、オトナっていうと演歌の世界に行っちゃうのは・・・。
 うん、ガサツな世界じゃなくて、文字通り、ラグジュアリーな世界感がある曲ってのが、もっとあればねぇ・・・って思うんだよね。

 少なくとも、日本の音楽界ももっと、豊かになると思うんだけどねぇ。 あ、これは、儲かるとかとかじゃなくて、イメージ的にさ。

 しかし、小さいときから、本格的にジャズをやってきた、しばたはつみだけあって、ウタは、うまいわな。

 さすがに、サウンド面では、とにかくウルサカッタと言われる、当時の音楽番組、TBS系「サウンド インS」にレギュラー的に出演していただけのことはあるわ。




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サマーサスピション / 杉山清貴&オメガトライブ

1983_09_サマーサスピション_杉山清貴&オメガトライブ






今回の1曲セレクトは、「サマーサスピション」杉山清貴&オメガトライブです。

まずはデータでーす。

・タイトル    サマーサスピション
・アーティスト  杉山清貴&オメガトライブ
・作詞      康珍化
・作曲      林哲司
・編曲      林哲司
・リリース日   1983年4月21日
・発売元     バップ
・オリコン最高位 9位
・THE HITCHART HOT30最高位 11位

 サウンドの変化が目に見えて分かる時ってあるよね。まあ、それが時代の境目⇒変化っていうもんなんだと思うんだけど、個人的には1983年って、そんな変化の時代だったんぢゃないかなぁって思いますね。
 今、あの時代の曲を順を追って聴いていくと、明らかに1982年と1983年のサウンドには変化があることに気がつくんですよね。
 ま、それは、ヒット曲での変化っていうことで、もしかすると、水面下ではすでに進んでいたのかもしれないけど・・・。

 1982年のサウンドに比べると、1983年のサウンドは格段に垢抜けている気がするんだよね。

 杉山清貴&オメガトライブ っていうグループは、まさにそんな中デビューしたんだけど、明らかにそれ以前のグループとは違っていたよなぁ。
 何が違うかといえば、そのサウンドですよね。音がダサくない。
 ホントに垢抜けたっていうか、洋楽風というか、まるでクリスタルガラスでてきているかのような透明感溢れるサウンドは個人的には最初から好きだったなぁ。

 多分、リリース直後の「アップルシティ500」(TBS系)で聴いたんだと思う。
 あ、新しい人たちが出てきた・・っていう感じがとっても新鮮だったんだよねぇ。

 よくさニューミュージックに対抗して、シティポップスっていう言い方をされたけど、このヒト達はその旗手って言う感じでしたもんね。
  それまでのニューミュージックは、たしかに当初は、同じように都会的な輝きと匂いを漂わせていたけど、80年代に入るとどちらかといえば、ダサイ音楽になりつつあったりしてね。
 それを打ち破ったのが、このヒトたちぢゃないかなぁ。
80年代中盤に向けて、新たなジャンルを確立したっていうことはすごいことだと思いますよ。

ちなみに、データにこの曲のリリース日は、1983年4月21日と書いといて、なんで、今頃書くねん? ・・・と思いの方もいらっしゃるかもしれないけど、この曲、めちゃくちゃ、ゆっくりとランクアップしてきたんですよね。

オリコンチャートを参考にチャートアクションを追いかけていくと、リリースからベスト100にランクインするまで、約2カ月、 1983年5月23日付 100位初登場。 初登場100位で、その後、ベストテンまで地道にランクアップしてきた曲って、意外と少ないんだけどね。
 その後、ジワジワジワジワ、ランクアップを繰り返し、初登場から13週後の1983年8月22日付でベストテン入り10位にたどり着いている。

 いや、でもね、1983年って意外と、同じようにジワジワジワ、ランクアップ型の曲って多かったんですよ。
それも、ミューミュージック系に。
 例えば、H2Oの「想い出がいっぱい」は、リリース日が1983年3月25日。 4月18日付に100位初登場。
(奇しくも、この曲もベスト100初登場時は、100位ギリギリだったんだよね)。そこから17週かかって、1983年8月15日付で、やっとベストテンまでたどり着いている。
 
 上田正樹の「悲しい色やね」なんては、リリース日が1982年10月21日。そこからベスト100にランクインするまで半年。1983年4月4日付 99位初登場。そこから12週後の1983年6月27日付にベストテンまでたどり着いてたりする。

 こんな感じで、ジワリ苦労した末、ベストテン入りさせた曲が多いのも、1983年の特徴なんだよね。

ただ、逆に言えば、それだけ「新しい」サムシングがあったからなんだろうね。人間、基本は保守的だからさあ、新しい物を認めるまでっていうのは、時間がかかるからなぁ。
 でも、最初にも書いたように、その結果、前年の1982年と比べて、新しいサウンドが広まったっていうのは明らかですから。



 
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熱風 / 石川秀美

1984_09_熱風_石川秀美






今回の1曲セレクトは、「熱風」石川秀美です。

 まずはデータです。

・タイトル    熱風
・アーティスト  石川秀美
・作詞      鈴木博文
・作曲      林哲司
・編曲      大谷和夫
・リリース日   1984年7月25日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   11.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1984年8月20日付

 あぢぃ〜、あぢぃ〜・・・・・。 只今も無風。。。。まじであぢぃよ〜・・・。なにがって言えば風がないのが一番堪えるわ。折角、涼しくなったのに、昨日今日とまた、暑さがぶり返してきたよなぁ。

 しかも、扇風機を回すと「熱風」が・・・。

 おもわず ♪ かぜ・・・  かぜを抱きしめて〜 ♪ って歌っちゃうぞ。。。



・・・ということで、今回の1曲セレクトは、石川秀美の「熱風」で決まり!   至極、安易。。。ふらふらふらふらふらふら

 いーの、いーの、ワタシの人生、至極、安易に生きてるからさ〜。

 この曲、本当は、ヒット時期が若干だけど、もう少し早かったんだけど、このまま来年まで眠らせておくのももったいないんで、一応、セレクト。

 しかし、この曲を聴くと、今年のような「熱風」な酷暑の日を思い出す。きっと、それは、この曲がヒットした1984年が、この曲のタイトルどおり、「熱風」な猛暑な夏だったからだろうねぇ。刷り込みと条件反射ってやつでさ、猛暑な日・・・っていうと、どうも、この曲が思い浮かんでくる。

 この曲、タイトルだけでなく、内容的にも「熱」かったからなぁ。この暑い最中、なんで、こんなに熱い歌うたってるの・・・と言いたくなるくらい、石川秀美にとっても、マジな曲だったろう。

 ま、それでなくても、石川秀美って、力んで歌ってたからなぁ、どうしても、聴いてるほうも熱くなってきたりする。
 それが、この暑い最中、それまで以上にもまして、熱くなっちゃってた歌だったからなぁ。

 ただ、出してとしては、これは成功だったろう。ましてや、この曲のタイトル通り、「暑い」夏になったわけだから。
 これが、冷夏だったら、そこまでインパクト〜印象〜に残った曲になったかどうか・・・。毎回書くけど、その辺は「賭け」なんだよね、出してとしても。さすがに天候ばっかりは都合のいいようにはならないからねえ。


 しかし、サウンド的には、いかにも84年、85年っぽいよなぁ。。ま、確かに曲が林哲司氏だったりするから、この当時のサウンドっぽいというのは納得なんだけど、どうも、このころの曲って言うのは、特徴的な「くせ」があってさあ、知らない歌でも大体、「あ、このころだよね」ってわかっちゃうんだよね。
 まず、音が硬い。あ、コレって言うのは時代性かなぁ。硬いというか、直線的、直角的なイメージが、このころの時代性なイメージなんだよね。きっと、そんなところに近未来てきなイメージがあったからかもしれないけど。だから、車のデザインも「カクカク」した感じのが多かったしさあ、AV機器にしてもそうだったな。
 いずれにしても「硬い音」もにも、そういった近未来的なスマートな感じがあったんだろうなぁ。

 それと、なんていうのかなぁ・・・。どうなんだろ? 「フットルース」とか「ストリート・オブ・ファイヤー」が流行ったからかなぁ。あのへんの映画に使われてた感じのイメージの曲がやたらと流行ったんだよね、このころ。
 ちょこっとマイナー調で、スピード感があって、それでいてインパクトもあるって。。。 あ〜、うまく言葉では表現できないや。 ま、とにかくあんな感じ。

 この曲なんかも、もろそんな感じだな。うん、仮に作曲者を知らなくてもさ、どう聴いても、「84、85年くらいの曲だよね」って言えちゃうような感じなのですよ。

 とかく、出だしの ♪ かぜ〜 ♪ とやおら、インパクトがありーの、このフレーズが絶賛されるけど、全体的に見ても、この時代だよね、ってわかるところはエライ曲だなとは思う。


 ただ、石川秀美って、この曲以後は、あんまし曲に恵まれなかったんだよなぁ・・・なんて個人的には思ったりする。
 ま、今は「ヤックン」妻となっているから、結局は良かったんだろうけどねぇ。。



うわっ、めっちゃくちゃ遅いな、この「熱風」は。 レコード音源は、この動画の1.5倍くらい速いですぞ。。。

SUMMER EYES / 菊池桃子

1984_08_SUMMER EYES_菊池桃子







今回の1曲セレクトは、「SUMMER EYES」菊池桃子です。

 まずはデータです。

・タイトル   SUMMER EYES
・アーティスト 菊池桃子
・作詞     秋元康
・作曲     林哲司
・編曲     林哲司
・リリース日  1984年7月10日
・発売元    バップ
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  19.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位13位

 しかしさ、今考えると80年代の中盤くらいまでは、音楽番組が多かったよなぁ。

あ、これは、生放送、録画は別にして、アーティストが生で歌う番組が多かったってこと。
それを考えると、昔のアーティストは大変だったねぇ〜。今はPVがあるから楽だねぇ・・・・。

 やっぱさ、口パクにしろ、生にしろ、そのアーティスト本人が歌うってことに意義があるんじゃないかなぁ。
 その日の体調によって歌い方も、声も変わるし、番組よって曲の速さもちがったりする。。。(これは番組のタイムキーパーの関係が大きい)

 それだから、よかったって言う部分も大きいんじゃないかなぁ。PVだと、いつも同じ映像になっちゃう。それってやっぱし味気ないんじゃないかなぁ。。。


・・・・と、本題と随分ずれちゃったけど・・・・

 この曲は、菊池桃子のデビュー第2弾シングルね。で、同時にオリコンで初めてベストテン入りした曲でもある。

 2曲目でベストテン入りしたアイドルは大きくなる・・・っていうジンクスがこのころはあったんだけど、たしかにそうなったよね。
 ちなみに、松田聖子、中森明菜、中山美穂・・・それぞれデビュー2曲目でオリコンベストテン入りをさせてきていたりする。

 まあ、違うパターンのヒトの方が圧倒的に多いけどね。。。

 曲調的には、デビュー曲の「青春のいじわる」と基本的に大きく変わってない。
 
 最初聴いた時、どこが違うねん・・・・? ってあの時代でも思ったぐらいだから。。。

 でも、なぜか、この曲は、グサッときちゃったんだよね。
「青春のいじわる」の時はなんにも感じなかったのに。このヒトに対して。

 やっぱりサビの部分なのかなぁ

♪ 君のせいじゃない、そんなに自分を責めたら悲しくなるわ
 悪いのは私 困らせばかり ごめんね 好きだったこと ♪

って部分。

 いまから見ると、「青い」よなぁ〜・・・・なんて思っちゃうけど、やっぱり、純粋だったんだよね。あのころってまだ。


 音楽を届ける側としては、本当は、こういう「純粋」な気持ちはいつまでも持ち続けなきゃいけないんだろうけど、実際のところはなかなか難しいよねぇ〜。。。

 それでも、あのころの気持ちを忘れないためにも、このころの曲は時々、いまでも聴くのよ。

 そうすると、気持ちは「15才のあの夏」に戻れる。音楽の力って不思議なんだよね。


 それと、サビの

♪ きみのせいじゃない そんなに自分を 責めたら悲しくなるわ〜 ♪ の部分

 後年、1991年にNHKで放映した、大林宣彦監督の「ふたり」の主題歌に似てない?

 え? しらない? ・・・・そ、そうだよね。。。マイナーな作品だったから。。。あせあせ

 いずれにしても、キュンとしてしまう作品です。この曲から本格的に菊池桃子が受け入れられるようになったな。





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デビュー〜Fly me to love〜 / 河合奈保子

1985_06_デビュー_河合奈保子






今回の1曲セレクトは「デビュー〜Fly me to love〜」河合奈保子です。

 まずはデータです。

・タイトル    デビュー〜Fly me to love〜
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      売野雅勇
・作曲      林哲司
・編曲      鷺巣詩郎
・リリース日   1985年6月12日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   16.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1985年6月24日〜7月15日付

 えー、今回も、マクラ無しで、のっけから本題・・・。

 河合奈保子の「デビュー」ね。

 この曲っていったら、やっぱし、オリコン初登場1位かなぁ。まあ、この当時になると、「初登場1位」なんて、ぜんぜん珍しい現象ではなくなっていたけど、「河合奈保子」として、シングルでは、後にも先にも、この曲での「初登場1位」が最初で最後でございます。

 その前に、河合奈保子って1位取ってたのか? って思われる御仁、あなたは、必ずしも間違っていない。

 そそそ、河合奈保子って、「陰に隠れた」存在って、いつだって感じがしたもんね。
 トップアイドルであって、トップアイドルでない(なんのこっちゃ・・・)存在だったりして。
 そんな、「不安定」な立ち位置にいたのが、このヒトだったりするからねぇ。


 だからね、この曲が1位を取った時は、ワタシもまーったく、信じられなかったですよ。

 
 うーん、でも、今だから、なるほど・・と思うけど、単にリリースの谷間に運良くはまった・・・ってところもあるんだよな。


 この曲が初登場した、1985年6月24日付ランキングのベスト3

・1位 デビュー/マンハッタンジョーク  /河合奈保子 51,650枚
・2位 今だから /松任谷由実・小田和正・財津和夫 48,320枚
・3位 夢絆 /近藤真彦  42,350枚


うーん、この時の週間売上げ枚数「51,650枚」って言うのがビミョウで、1週前のリリースだったら、松任谷由実・小田和正・財津和夫の強力タッグの「今だから」と、まっちの「夢絆」に阻まれて、1位取れなかったし、1週後だったら、中森明菜の「SAND BEIGE」に阻まれて、1位取れなかったし・・・・っていう、ビミョウな狭間週に、運良く「紛れ込んだ」って感じだったんだよな。

 もちろん、幸運なリリース週ばかりが1位とれた理由じゃないけどね。
またまた、この時の週間売上げ枚数「51,650枚」っていう数字。
 これ、河合奈保子のシングルの週間売り上げ枚数の最高の数字なんだよね。

 ま、1位なんだから、それまでの最高の数字・・・っていうのも、おかしくは無い話だけど、売上げレベルが高い週だと、それでも1位取れないこともあるからねぇ、一概にも言えないわけで。。。

 たださ、いきなり、この売上げ枚数になったのも、一見すると不自然な感じもしたよなぁ。
 何分、その前の「ジェラストレイン」、そのまた前の「北駅のソリチュード」の週間売上げ枚数の最高が3万枚も行かなかったんだから・・・。

 それが、いきなり5万枚強?  これは如何に・・・・exclamation & question


 当時、1位獲得が信じられなかったのは、このことがあったからなんだけどさ。


 まあ、これは、多分に、C/Wの「マンハッタンジョーク」があったから・・・って見方が、大きかったんだろうね、恐らく。

「マンハッタンジョーク」・・・映画「ルパン三世。バビロンの黄金伝説」の主題歌だわな。

 アニメ系に詳しい方は、こっちは知ってるかも知れんなぁ・・・

・・・って具合に、通常の河合奈保子ファン以外にも、レコード買ったってヒトがいたから・・・なんだろうね、この時の数字は・・・。



 もちろん、それだけじゃなく、「デビュー」自体の曲もよかったからなぁ・・・っていうのは、個人的な感想かな・・・。

 いや、正直言うと、当時、この曲、あんまり聴いた印象がないんだよなぁ・・・。ふらふら

 この曲、聴いても当時の「映像」が脳裏に浮かんでこないぞよ。。。

 よく、聴くようになったのは、最近だねぇ。。ふらふら

 個人的に、この曲でいいのは、単純に、清清しくて生理的に気持ちいい曲だからなぁ。
 ジメジメした、この季節、こういう、カラッと清清しい曲って、一服の清涼感があっていいよね。

 それと、途中で挟まってくる、ブラスの合の手かな。

 ♪ あなたなしじゃ いられないと〜 ♪ から始まるBメロのバックのブラスは、聴き様によっては、ウザくも聴こえるんだけど、個人的には、この「ウザさ」がいいね。曲にスピード感を持たせていて。

それよりなにより、素直なんだよね、この曲。
 河合奈保子って、この曲以前、少なくとも1984年3月の「微風のメロディ」以降、素直な曲が少なかったからなぁ。まあ、挑戦というべき時代だったんだろうけど、大人っぽい曲が続いてたからね。
 ここで、一度原点に立ち返っ見よう・・・ってことで、タイトルも「デビュー」。そして素直な曲に戻ったってところなんだろうな。



なんか最近アップされた動画ばっかだなぁ。。。 もしかするとすぐに消されるかも知れん。。。



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悲しい色やね / 上田正樹

1983_06_悲しい色やね_上田正樹






今回の1曲セレクトは、「悲しい色やね」上田正樹です。

 まずはデータでっす。

・タイトル     悲しい色やね
・アーティスト   上田正樹
・作詞       康珍化
・作曲       林哲司
・編曲       星勝
・リリース日    1982年10月25日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  5位
・売上げ枚数    34.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1983年6月27日〜8月15日付

 少し前に、村下孝蔵の「初恋」を紹介した時、1983年は、作ったヒトとは裏腹に、ヒットしたが為に、あとあと苦しむことになったヒトがまだいるんだよね・・・って感じで書いたんだけど、実はこの曲なんだよね。

 まあ、その辺の事情、分かるヒトには分かるんだけど、中にはヒット曲云々とは別の次元でアーティストを続けているヒトもいっぱいいるってわけでね。

 この曲の場合は、歌い手の上田正樹もそうだけど、作り手の林哲司氏にとっても、実際の想いとはかなり違うところでヒットしてしまった・・・というところもあり、二重の「うらはら」な思いの上に「ヒットしてしまった」曲なんですよ。

 そもそも歌い手の上田正樹は、ブルースシンガー。かなり土臭い、クセのある曲を、上田「らしさ」で歌い続けてきたシンガーなわけで・・・。

 それは自他共に認めていたわけだけど、作り手の林氏としては、それを一度崩して、ソフィケートされた壮大なバラードを上田に歌わせてみようという心積もりで、この曲を作ったようなんだよね。
 そう、まったく、「土臭いブルース」を作るつもりはなく、しかもアルバムの中の1曲に収録されれば・・という軽い気持ちでこの曲を作ったというんですよ。

 で、いざ、出来上がってきた作品を聴いて、ガクゼン。。
♪泣いたらアカン 泣いたら〜。。。♪ などなど、わけの分からない「大阪弁」の詞が乗っかってる。
 しかも、自分の気持ちとは裏腹に、バラードではなく、完全なブルースになってしまってる。。。。

 どうやら、これは、レコーディングディレクターの案でそうなったようなんだけど、聴いたとたん、「この曲は捨てた」という気持ちになったらしいね。

なにせ、自分で描いてた世界とは全然違う世界・・・いや、絶対これだけはやりたくないっていう世界だったからという思いが強かったからなんですよね。

 その後、アルバムの1曲に収まれば・・という思いで作ったこの曲が「シングル」に「格上げ」され、1982年10月25日リリース。

 BUT、最初は全く反応がなかったんですよ。これは、ワタシもはっきり覚えてるけど、当時、まだ、リリースされたばかりの頃、ラジオでかかってたのを覚えてる。
 
 あー、売れないだろうな〜〜。とは、当時13歳のワタシも正直思いましたもんね。
 まずもって、なんか「へんなうた」っていう印象になかったんですよね〜。

だから、林氏は「それ見たことか」・・・と腹のそこでは思っていたらしい。

 で、ワタシも暫く、この曲、すっかり忘れてたんだけど、年が明けた1983年の初夏のある日、、突然、風向きが変わったんだよね〜。この曲に対しての。

 大阪を中心に有線で爆発的な支持が集まりだしたんですよ。まあ、♪ホーミタイト 大阪ベイブルース〜 ♪ってあるように、内容はもろ「大阪」だからね。
 ご当地ソングではないけど大阪の唄には間違いないですからね。 それと、ま、いまでもそうなんだけど、昔から大阪の有線から火がついた曲はヒットするっていうジンクスがあるからねぇ、この曲なんかはもろそのパターンに当てはまるんですわ。

 その結果、リリースから8ヵ月後の1983年6月にベストテン入り。 なんとも息が長い曲になっもんだわ。

 しかし、その瞬間に、リリース時の林氏の「それみたことか」という神話は崩れたわけですわね。

 まあ、メジャーの世界ではこういうことはおおにしてあるって事かなぁ。
 作曲家にとって、まず、自分のイメージと全く同じでリリースされる曲ってどのくらいあるんだろうねぇ。

 でも、まあ、林氏の場合は、自分のイメージとは違うといっても、結果的には売れたんだから、結果オーライというところだけど、逆に苦しんだのは、上田正樹の方だったようだね。

 このヒトも村下孝蔵と同様に、別にヒットというものに特段興味があったわけではない。現に、アーティストとしてのキャリアは、この時点で10年以上あったにもかかわらず、オリコンにランクされたのは、この曲が初めてなんですよ。
 それが全てを物語っているところもあるんだけど、この曲が売れたことで、その後、「悲しい色やね」の上田正樹 という「レッテル」を張られるのがいやでたまらなかったらしい。

 兎に角、ひとつのカラーで見られるのがいやなんだよね

 アーティストにとって、ヒットを出すことが幸せなのか、不幸なのかっていうのは、ほんとに難しいところなんだよね。

 本気でヒットを狙っているヒトもいれば、ほどほどでいいと思っているヒトもいるわけで・・・・。

 まあ、その辺はレコード会社側としては難しいところだとは思うんだけどさ。
 少なくとも、みんなおんなじ考えでウタ歌いをしているんではないってことなんだよね。





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BOYのテーマ / 菊池桃子

1985_05_BOYのテーマ_菊池桃子






今回の1曲セレクトは、「BOYのテーマ」菊池桃子です。

 まずはデータです。

・タイトル    BOYのテーマ
・アーティスト  菊池桃子
・作詞      秋元康
・作曲      林哲司
・編曲      林哲司
・リリース日   1985年5月15日
・発売元     バップ
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   34.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1985年5月27日〜7月22日付
・タイアップ:映画「テラ戦士BOY」テーマ曲

 昨日書いた、チェッカーズの「Blue Moon Stone」は、昨日が気持ちいい日だったから・・・ってことで、急遽、変更して持ってきたんだけど、実は、もともと、今回、持ってきた、菊池桃子の「BOYのテーマ」を用意してたんだよね。

 まあ、スライド・・・ってことで、今回、改めて持ってきますわ。 

 あ、いや、この曲自体、「天気悪い」内容を歌っているわけではなく、なんとなく、ジメッと曇り空のような、ちょっと暗いイメージがありません?
 
 うーん、個人的には、そんなイメージがあるんだけどね。まあ、ヒットが丁度、今ごろの季節ってことで、「梅雨空」のイメージがあるんだよね。

 いや、85年の今頃の曲って、なぜか、こう、ちょっと「淋しい」イメージがあるのは、どうしてかねぇ・・・。

 恐らく、このころ流行ってた、音色のせいもあるんだろうな。ヤマハのDX7の音ですよ。

 いや、プリセットの音色自体は、必ずしも「淋しい」イメージはないんだけどね、特に林哲司氏が多用した、ややAORのエレピに近い音色は、どうも淋しく聴こえるんだよねぇ。

菊池桃子の「今頃」、4月〜5月にリリースした曲って、どうも、この曲とダブるきょくが多いんだよなぁ。86年の「夏色片思い」しかり、87年の「アイドルを探せ」しかり。
 どうも、今一つスコーンと抜けるようなイメージが少ないんだよね。折角の初夏だったいうのにねぇ。

 それと、この曲の、入りのサビ〜Aメロに挟まってる、8小説の、インストの部分にかぶさってくる、16分音符でクルクル動く、シンセの部分が、印象的だな。

 あそこ、ザ・ベストテンでは「手弾き」してたから、よーく、つまづいてたねぇ〜、いわいるミストーンってやつ。

 なんか、そんな印象ばっかが強いな。


 メロディラインのインパクトは、やっぱ、どうしても、「卒業」にはかなわないよね。「大ヒット」を受けての曲だから、どうしても霞んでしまう。

 売上げ的には、映画主題歌っつうことと、やっぱり「卒業」を受けての「アーティストパワー」って言うのもあって、この曲も30万枚突破となってるんだけどさ。 結局、これが最後の30万枚突破だったしな。

 ただ、この後、この曲がモチーフのようなメロディラインの曲が続いたんで、ちょっと「飽きた」ってのもある、個人的には。

 いま思うと、その辺がちょっと残念だったけど、結局、このヒトには、この展開しかなかったんだろうな。

 それにしても、このヒトは、昔から変わんないね。ワタシより、ひとつ年上の同世代だけど、未だに若いっ。

 今、この曲歌っても、通用するかも・・・よ。

だからして〜、「ヘアカラー」のCMにでている桃子様に涙してしまう訳です




どうでもいいけど、この「BOYのテーマ」と、松田聖子の「BOYの季節」が同時期にヒットしてたじゃん。同じ「BOY〜」って言うタイトルなんで、たまに、どっちがどっちだか、ごっちゃになるんだよね〜・・・未だに


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稲妻パラダイス / 堀ちえみ

1984_05_稲妻パラダイス_堀ちえみ








今回の1曲セレクトは、「稲妻パラダイス」堀ちえみです。


まずはデータです。


・タイトル   稲妻パラダイス
・アーティスト 堀ちえみ
・作詞     康珍化
・作曲     林哲司
・編曲     萩田光雄
・リリース日  1984年4月21日
・発売元    キャニオン
・オリコン最高位 5位
・売り上げ枚数 13.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1984年5月7日

 ここ数年、季節感が変だよねぇ。5月だっていうのに真夏日が続出したりさぁ。
個人的な感覚からすると、5月は、暑くもなく寒くもなく「さわやか」な季節なんだけどなぁ。やっぱり、地球規模で季節感がおかしくなってきているよね。


 さてさて、季節感がおかしくなってきていたのは、ヒット曲の世界でもそうで、こちらは、既に80年代から、すでに始まっていたんだよね。

先月あたりから、80年代中盤、丁度83、84年ごろのアイドルの曲は季節先取りでのリリース、とりわけ4月早々に「真夏」を題材とした曲が多かったことを書いて来たんだけど、今回セレクトした曲もそんな1曲だよなぁ。

 
堀ちえみ「稲妻パラダイス」。


 堀ちえみの場合、前年、83年4月にリリースした「夏色のダイアリー」も同じように季節先取りの「夏向け」の曲だったけど、この曲は夏向け・・・というより、気分はすっかり「真夏」でしたわね。


 現に 歌詞に ♪ 真夏の恋は〜 ♪ なんてあるしねぇ。

ただ、この曲のリリースされた84年って、ゴールデンウイークあたりから気温が上がって、初夏の雰囲気があったんですよ。

 で、そのまま異常高温の夏に突入していったんだけどさ。そそそ、84年の夏も熱波の夏だったんだよね。

 それは、ラッキーだったかもなぁ、この曲にとっては。

なんせ、楽曲の温度感が、実際の季節にピッタリマッチしてたからねぇ。


次の85年の5月は逆に天候不順で、肌寒い日が続いたんだよね。もし、そんな時にこの曲がリリースされても、ピンとこなかったろうしなぁ。

 そそそ、こと季節季節で勝負をかけるアイドルにとっては、実際の天候状況によってもヒットの運命が変わってくるわけなんだよね。
 
 ま、最近は、あんまり季節毎にリリースするアイドルなんてのは少なくって来てるんで、関係はなくなってきているんだけどさ、当時は3カ月ローテーションでの新曲リリースを重ねていく中で、どうしても季節感は重要なファクターになって来てましたからねぇ。


ただ、この曲は、そんな季節感とは関係なく、それまでの堀ちえみとは「違うよね」って感じさせたよなぁ。

 いや、この曲の前までの堀ちえみの曲って、古臭い曲調が多かったんだよね。まあ、アイドルとしてオーソドックスっちゃ、そうなんだけど何処か垢ぬけなかったんだよなぁ。 あの時代、83〜84年時点での「5年前の・・・」っていう感じ・・・そそそ、80年代っていうよりは、70年代アイドルの影が曲にあったんですよ。


 この曲はねそんなどこか垢ぬけなかったところが払拭されていたよなぁ。

まずね、イントロからしてカラッと疾走感があったりしてね。ドライ感っていうのかなぁ。「あ、変わった」っていう印象だったなぁ。
 
 それまでの堀ちえみの曲が「温暖湿潤気候」だったとしたら、この曲は「地中海性気候」っって感じで。。


・・・ってか、そんな風に書いて、みんな分かるんか? ・・・って感じだけど、兎に角ジメッとしたところが感じられなくて、カラッとした風が吹き抜けるような・・・そんな印象があったなぁ。


まあ、堀ちかみのキャラクター自体、「ドジで間抜けな亀さん」を経験してから変わりましたからね。
 そんなキャラクターと、この曲の曲調の変化ってのが、上手くマッチしたような気がするなぁ。

 
売り上げ的には、この曲では、それまでとそれほど変化はなかったものの、「瞬間的」な売り上げは着実に伸びたもんね。
オリコン最高5位はこの時点での、堀ちえみの最高記録。
で、このあど、さらに最高順位を伸ばしていくことになるんだけどさ。
そういう意味でも、人気全盛期って感じだったんだけどさ84年は。その扉を開けた1曲だったな、この曲は。




この曲といったら、「ザ・トップテン」での、「ハイヒール」事件だけど、流石にその時の映像はYOU TUBEに上がってないんだな。
 そそそ、歌の途中、足を上げるところで履いてたハイヒールが脱げて、そのまま客席に向かって飛んでった・・・って、ドジでまぬけな亀さんらしいハプニングでしたよね。
「ザ・ベストテン」でそうだったけど、生放送は色んなハプニングがあったよなぁ。



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