かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

後藤次利

-3℃ / ゆうゆ

1987_08_-3℃_ゆうゆ


今回の1曲セレクトは、「-3℃」ゆうゆです。

まずはデータです。

・タイトル     -3℃
・アーティスト  ゆうゆ
・作詞       及川眠子
・作曲       後藤次利
・編曲       佐藤準
・リリース日   1987年7月22日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  9.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1987年8月10日〜8月17日付

ここ何日か、80年代「女性アイドル」から離れたところで曲を書いてきたけど、結局戻って来るところはここなのね・・・とばかり、またまた80年代アイドルどぇす。。。

・・・と言っても、今回は、ほんの少し変化球で行きますか。

ゆうゆ「-3℃」。

もしかして、「ゆうゆ」なんて書いても、「誰?」なんて言う方もいらっしゃりますかねぇ
まあ、ワタシと同年代で、おニャン子「どストライク」な世代な方は、やもやそう言う方は居ないと思うけど、少し年代が下の方は、知らない方もおおいよね、きっと。

その昔、おニャン子クラブの一員、会員番号19番の岩井由紀子さんのニックネームが、そのままアーティスト名になっちまった・・・って訳ですわね。

で、ソロデビューの前は、現秋元康夫人の高井麻巳子様と、2人ユニット「うしろゆびさされ組」を組んでいたのは、まあ有名すぎるくらい有名な訳で、87年3月にソロデビュー。
今回セレクトしてきた「-3℃」は、そのソロ第2弾と言う訳ですわね。

個人的には、ソロデビュー曲だった、「天使のホディーガード」なんてのは好きだったんだよな。なんかホンワカした曲で。。
 まあ、このヒトのいわいるベビーボイスがホンワカした気分になっちまうんだけどさ。「うしろゆび」での実績もあったし、人気もそこそこあったんで、当然オリコン1位だよな・・と思っていたところ、最高位は2位止まり。
(その時の1位は、菊池桃子「アイドルを探せ」)

それに続く、今回ひっぱってきた「-3℃」もオリコンでは最高位2位止まり。(その時の1位はBOOWY「マリオネット」。アイドルではなくロック系に1位を阻止されたと言うところが時代の流れを感じる。時代はアイドルからロックに移ってきてたんだよね)

そんなわけで、結局、このヒトは、ソロとしてはオリコン1位は獲れなかったんだよね。

まあ、おニャン子としては「最後期」だったし、特に、この「「-3℃」は、夕やけニャンニャンが終了する1か月前ということもあり、「おニャン子」という「印籠」も効果がだいぶ薄くなってた時期だったしな。
 逆に言えば、そう時期に、オリコンではベストテンに「3週」入ったって方が不思議・・・というか、「頑張った」方なんだけどさ。

うん、この頃になると、初登場で1位をとっても、翌週はベストテンから消えていた・・・なんていう、まるで今と同じような「落下傘」チャートアクションのおニャン子の曲も多かったからな。
 つまりは、もう、おニャン子関連の曲も、コアなおニャン子オタクシカレコードを買わなくなっていた訳よ、この頃は。
 そう言う時期に2週ベストテン入りさせた・・・ってことは、少なくともまだ一般のお客さんが付いていたって事でしたからねぇ。


で、肝心の曲の方なんですが・・・。正直言って、タイトルの「-3℃」ってどういう意味ですか? って聴きたくなるくらい、内容が良く分かんないんだよね、個人的に。
まず、もって歌詞カードがないと、歌詞の内容が良く聴き取れなかったんだよな。
だからね、一体何の事を歌ってんだろう・・・っていうのが、よく分かんないまま、ずっと聴いていた・・・って感じなんだよなぁ。
ちなみに、この曲の作詞は、秋元康氏ぢゃなく、及川眠子さん。  

メロディの方も、良くも成し悪くも無し・・・って感じかなぁ。ここって言うポイントのメロディも・・・どうも見当たらないしなぁ。
 とりあえずは、60年代のアメリカンポップス・・・例えば、1910フルーツガムカンパニーの「サイモンセッズ」とか、そのあたりの、当時から言っても「懐かしめ」のサウンドが、逆に新鮮に聴こえたっていうところが、この曲の「肝」の部分なのかなぁ。



ネットの書き込みにも多く書かれてる事だけど、このVTRを見る限りでは、例えば、29年の時を越えて、あの時の、ゆうゆが今現れても、アイドルとして充分やっていけるんじゃないですかねぇ。
今は、「声優系」のお陰で、「ふつう」の声質よりもベビーボイスの方が、業界的な受けもいいからなぁ。
逆に言えば、あの頃から29年も、アイドルって言う本質の部分は、なんにも変ってないって事なんだけどさ。。。


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瞳に約束 / 渡辺美奈代

1986_07_瞳に約束_渡辺美奈代


今回の1曲セレクトは、「瞳に約束」渡辺美奈代です。

まずはデータでする。

・タイトル    瞳に約束
・アーティスト  渡辺美奈代
・作詞      秋元康
・作曲      後藤次利
・編曲      後藤次利
・リリース日   1986年7月16日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 20.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1986年7月28日〜8月11日付

 本来なら、昨夜のうちに書きたかった1曲セレクトだけど、前回も書いたように疲労がピークでして、昨夜はとてもPCに向かう気にもなれず。。。。 早々に寝てしまったワタシですが、逆に早く目が覚めちまったんで、こんな時間に書いてたりします。。(現在午前6時前。。。。)   うーむ、やっぱ年取ったんだよな。以前だったら、休みの日は昼近くまで寝てた訳で、朝早く目が覚める・・・なんてさあ、考えられなかったもんなぁ。

・・・ということで、1曲セレクト。
 ここのところ、ちょこっとジャニーズ関係に偏っちゃったんで、今回は少し目先を変えて、おニャン子どえす。。。
なんか、あんまり目先のベクトルが変わんないけど。。。

渡辺美奈代「瞳に約束」

個人的には、渡辺美奈代の曲って、おニャン子時代よりも、作詞が秋元康氏ぢゃなくなってからの方が好きで、
例えば、ムーンライダースの鈴木慶一氏がプロデュースしてた頃の曲とかさ、そちらのめぼしい曲はこれまでも書いては来てたんだけどね。
今回は正攻法、まだ、おニャン子時代の、ソロデビュー曲ですわ。

おニャン子の頃の曲のこのヒトの曲をあんまり書いてこなかったのは、以前も書いたように86年4月以降、一転して「アンチ」おニャン子となった身としては、意識的におニャン子関係の曲を聴いてなかった・・・ってのもある。
けど、まあ、これはタテマエかなぁ。
 本音を言うと、この曲の少しあと、例のTBS vs フジテレビ って言うのがあっておニャン子関係がベストテンに出演しなくなったっていうのが大きんだよな。

中学生時代は、週末ラジオのベストテン番組をむさぼり聴いてたワタシだけど、高校に入ると、そんなラジオ熱もぱったりおさまってしまい、ウタの情報源は「ベストテン」頼りになっちゃってたからさあ。
 だから、ベストテンに出演しなかった、おニャン子関連の曲は、正直86年の夏を境に、ベストテン出演解禁となった87年の春まで、若干の曲以外はほとんど知らないんだわ

無論、平日部活をやってたんで、「夕ニャン」なぞ見る訳もなく。。。。

だからね、この曲くらいまでかなぁ。まともに聴いてたのは。 

悪い曲ではないと思った。逆に言えば、特段良い曲とも思わなかったんだけど。。。。

当時の基準から言えば、「最新」というサウンドではなくアナクロなんだよね。
イントロは60年代のベンチャーズ and G.S風エレキサウンドだし、メロディにしたって70年代フォークっぽかったしな。例えば「岬めぐり」とか・・・あの当たりのイメージ。

ただ、毒は無かったよね。 これまでも何回か書いてきたように、この頃になると、おニャン子から派生したソロとか、グループの曲って「毒気」がある曲があったからなぁ。

おニャン子関連としては、まともなくらいまともな「80年代アイドル」の曲だったよな。
簡単でキャッチーなメロディにフリフリ衣装、全くの正攻法。

ま、だからよかったんだけどさ。安心感があったじゃん。 また、イロモノかよ・・・なんて構える必要もなかったわけで。
曲を聴くときって結構いろいろ考えながて聴く事って多いんだよね。少なくとも生理的にツマンねぇとか、フィットするとか・・・は感じるじゃん。 それに加えて面白いメロディだなとか、これは新鮮だよなとか、直感で感じるわけじゃん。そこから政治的な事とか、世論的な事とか、これはどのくらい売れそう・・・とかいろいろ考えちゃったりするんだけどさ。

 この曲は、聴いててなーんも考えなかった。 ・・・というか考えられなかった・・・というか。 そう言う安心感はあったんだよな。

とりあえず、耳に入ってくる「歌詞」から浮かんでくる情景をそのまま追っていくだけで良し・・・というかね。

例えば ♪ 夏の終わりの草原 今 あなたと二人きり〜 ♪ とか♪ 淡いブルーのサマーセーター〜 ♪ とか、そのまま浮かんでくるシチュエーションを追っていけば間違いないわけじゃん。
聴いてて楽なんですよね。

反面、政治的な事とか、世論の事とか、男女の深い人間関係とか、歌詞の行間から感じることはあんまりなかった訳で、その分曲に深みはなかったよね。表面的なお気楽さ・・・ということが第一で。

おニャン子関連の曲の功罪っていろいろあると思うんだけど、一番の「罪」は、こんな感じで「深み」のある曲を、少なくともヒットチャート上から無くした事だろうな。
それは、おニャン子だけでなく、特に80年代後半以降のアイドル曲全般に言える事なんだけどさ。
まあ、アイドルの曲にそこまで求めるってのも酷な話かもしれないけど。。。。



スミマセン、音がめちゃくちゃ悪いデス。。。。
でも、ウタよりも美奈代さん自身が映ってればいいんだよね、アイドルの曲は。
ハイ、ポニーテールな美奈代さんでした。  くっそ〜かわいいやんけ。
丁度30年前。 このヒト、1969生まれでワタシと同い年なんだよな。
当時17才になる直前ですね。

で、もってあれから30年。



未だにこの曲を歌ってる 46才の美奈代女史でした。。。
・・・つか、これは、先日のデビュー30周年ライブの映像ですな。
きっと、手前で「美奈代コール」を送ってる輩は、ワタシと同年代・・・のはず。。。

うーむ、あんまり変わってない・・・なんて思ってたけど、こう比較してみると、やっぱり30年の月日の流れは大きいかなぁ。
まあ、同い年でももっと「おばちゃん」になっちゃったヒトはいっぱいいるけど。。。。(爆)

それよりも30年もよくやってきたよなぁ。その間出て来ては消えてったアイドルは数知れず。
少なくとも↑の17才の時点で、この後30年もゲーノー界に残っているなんて全く考えても無かったよな。


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FU-JI-TSU / 工藤静香

1988_07_FU-JI-TSU_工藤静香


今回の1曲セレクトは、「FU-JI-TSU」工藤静香です。

まずはデータです。

・タイトル     FU-JI-TSU
・アーティスト   工藤静香
・作詞       中島みゆき
・作曲       後藤次利
・編曲       後藤次利
・リリース日    1988年6月1日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  25.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1988年6月13日〜8月15日付

えー、いつ以来なんだ ・・・ってくらい久々に1曲セレクトを書いていまする。
日曜日、あの猛暑でグロッキーになっちゃいまして。。。 どうもね、熱中症っぽかったんですよね。 体の熱がなかなか取れなくなっちゃいまして。 それで夜もクーラー廻したまま寝たら、余計体調がおかしくなっちゃいまして。。。
 今、仕事が繁忙期で休めないんで体に鞭打って仕事行って、それで余計疲労がたまって・・・っていう悪循環もあって、どうにも1曲セレクトを書ける状態じゃなかったんだよね。
月曜からこの方、家に帰ってもPCにも向かわず、すぐに寝ちゃってたんで。。。 

で、その分いつもより睡眠もとってたんで、どうにか、今日あたりから体調も回復して、こうして1曲セレクトを書いておりまする。

まあ、30代の頃の体力があればね、それでもケツ振っても頑張っちゃうんだけども、もう若くないからねぇ、この先も疲れたら、書くのお休みいただきますわ。(文章書くのも意外と体力いるのですヨ)


・・・ということで、関係ない話をダラダラしてもしょうがないんで本題に行きますか。。

前々から、書こうと思った曲は何曲か描いていたんだけども、今回はその中の1曲をば。。。

工藤静香「FU-JI-TSU」

うむ、前回書いた生稲晃子「麦わらでダンス」と同じく、88年の今頃のヒットとなってしまうけどご勘弁。

まあ、元おニャン子&うしろ髪ひかれ隊同士・・・ということで

ところで、この曲、最初にタイトルを見た時、「FU-JI-TSU」⇒「富士通」にしか見えなくてねぇ

・・・ってかお決まりのギャグですよね。。。 なんて言いたくもなるけど、これ結構マジでそう思ってたんだよね、ワタシ。
真面目に、なんで、工藤静香が「富士通」の歌わにゃいけんのだろ ・・・とかさ。

とういかねぇ、「FU-JI- TSU」⇒「不実」 っていうのが、全然浮かんでくなかったのよ。真相を知った時はなるほどね。。。って感じだったかなぁ。

ま、そんなことはどうでもいいとして、この曲と言えば、やっぱり、今をときめく中島みゆき嬢と、工藤静香がタッグを組んだ最初の曲と言う事でしょうかね。
 ホント、これは、全く予想もつかなかった。この曲の前の「抱いてくれたらいいのに」の作詞は松井五郎氏だけど、まだ、こちらの方が予想できたって感じはしたけどね、当時の売れっ子というところから見ると。

でも、流石に中島みゆき嬢とはね。しかも曲は相変わらず、後藤次利氏で、詞だけだったじゃん、中島みゆき嬢は。こういう事もあるんだ・・・と思うとともに、果たして後藤氏とのメロディに合うんだろうか・・・なんてことも最初は思ったんだけどね。
これが結構、ウマく嵌まってたんだよね。

正直、その前の3曲は、ソロとは言っても、おニャン子の残像を引きずっているような印象があったんだよね。

でも、この曲からは、そんな残像も、おニャン子臭も感じ無くなった。 完全に「工藤静香」っていう一人のソロアーティストの色に変わったよね。

そう言う意味でも、ここで、中島みゆき嬢を持ってきたのは大正解だったよなぁ。 例えば、ここで、また秋元康氏に戻ってたら、おニャン子の臭いを、まだ引きずっていたかもしれないし、少なくとも、その後のアーティスト・工藤静香は無かっただろうしね。

じゃ、具体的にどこがどう変わったのか・・・・と言われると、正直言うと答えに困っちゃうんだけどさ

兎に角、一人のアーティストとしての脱皮は感じたよなぁ。 だからね、シングルとしては第4弾のこの曲だけど、本当の意味での工藤静香は、ここがスタートラインだったよね、っていうのは間違いないと思うんだよね。

ちなみに、それを表すかのように、この曲では、ここまでの最高売り上げを記録。 さらに、ここから売り上げを伸ばしていくことになるんだよね。
 当時、浅香唯、中山美穂 南野陽子と並んで、アイドル四天王と呼ばれていた工藤静香だけど、そう呼ばれるようになったのも、この曲の後辺りからだったもんなぁ。
 この曲の売り上げは、25万枚と、この次の「MUGO・ん・・・色っぽい」に比べると、半分にも満たないけど、それでも、ベストテン内に2カ月ランクインしてたからねぇ。 薄く長く売れてたって印象が強いな。
それとともに、存在感はこの曲がヒットした頃から俄然大きくなったもんね。

そうだ、この曲をこのタイミングで書こうと思ったのは、丁度、この曲がヒットしてた頃・・・だから28年前の今頃、やっぱり体調崩してたんだよな、ワタシ。
熱中症ではなかったんだけども、全身に「蕁麻疹」が出ちゃって大変だったんだよな。この曲を聴くと、なんかね妙にその時のことを思い出すんですよ。 そんなことが、今週の体調の悪いことで余計想い出されちゃったんだよな。



以前も書いたかもしれないけど、工藤静香って、ウタ、めちゃくちゃヘタだったんだよな、最初。
間違ってるとしか思えないくらい。
でも、この辺りになると、それなりに聴けるようになってましたね。まあ、まだ、後年の堂々とした歌いっぷりには程遠いけど。
でも、かなり頑張ってたんだろうね。じゃなきゃ、半年程度でここまで歌えるようにはならないよな。



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麦わらでダンス / 生稲晃子

1988_07_麦わらでダンス_生稲晃子


今回の1曲セレクトは、「麦わらでダンス」生稲晃子です。

まずはデータです。

・タイトル     麦わらでダンス
・アーティスト   生稲晃子
・作詞       秋元康
・作曲       後藤次利
・編曲       後藤次利
・リリース日    1988年5月21日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数 7.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位
・タイアップ:フジテレビ系アニメ「ついでにとんちんかん」主題歌

まあ、なんて暑い1日だったんでしょうねぇ。特に行くところも無かった日曜日だったんで、今日は1日クーラー三昧でしたわ。
去年までは電気代がかかるのが嫌で、極力クーラーかけないでいたんだけど、去年の秋口にクーラーを交換して、昨年までよりは機種が新しくなった分電気代かかんないだろう・・・なんてことで、今年は早くもクーラー頼みになっちまいましたわ。 電気代の請求が怖い。。。

さてさて、1曲セレクトも、ここ暫く70年代を多く書いてきたんで、今回は80年代「アイドル」でも持って来ましょうかね。

生稲晃子「麦わらでダンス」。

タイトルからして、ナッツ〜 って感じでいかにも、この暑い季節の曲だよなぁ〜・・・・なんてイメージがあるんだけども、この曲実際は、リリースが5月だったんだねぇ。

いや、確か、今頃だったよな・・・なんて、ワタシ自身思いこんでたんだけどさ。 で、今回書くに当たって、確認してみたら、リリースは5月21日だったわ。。 なんで、実際、今頃はすでにヒットのピークは過ぎていたんだよね。

でも、まあ、セレクトしちゃったんで、一応、書きますかねぇ。

いや、ワタシも勘違いしてたのは、この曲、オリコンでは、一応ベストテン入りした(最高8位)けど、「ザ・ベストテン」では、ベストテン入りしなかったんだよね。
 でも、この年88年限り行ってた「月間ベストテン」では、6月にベストテン入りしてたんだよなぁ。 で、月間ベストテンは、毎月、月末木曜にやってたんで、どうも、今頃のヒットだったっていうイメージが付いちゃってたみたいだなぁ。

まあ、以前も何回か書いたように、この年88年は、記録的な冷夏でずっと涼しかったから、「夏っぽい」タイトルのこの曲も、どうもタイトル負けしてた様なイメージもあったんだけどさ。

曲調は、タイトル通り、夏っぽいイメージのメジャー系アッパーチューンだったじゃん。匂いからして「夏」の匂いがしてたけどさ、実際は、気候的にそうじゃなかったからさあ、どうも浮いちゃってた様な感じがしたりしたな。

これが、この2年後の1990年のような猛暑な年だったら、またイメージも違ってたんだろうけどな。

曲的には悪い曲ではないとは思った。元おニャン子からのソロ曲としては佳曲な部類に入ったんじゃないのかな。 おニャン子の曲って、曲によっては退屈な曲もあったからな。
でも、このヒトのキャラクターにもあってたと思うし、退屈さは感じ無かった1曲ではあった。

だけども、個人的には、この曲の音源ずっと持ってなかったんだよな。いつかは音源手に入れようとは思ってはいたんだけど、反面、おニャン子関係はもういい・・・っていう気持ちも半分あったからな当時。
でも、今は、なぜか手元に音源がある・・・。ただ、どころから手に入れたのかは全然覚えてないんだよな。

おニャン子関係はもういい・・って書いたけど、本音のところではおニャン子だけではなく、80年代アイドルは全般的にもう良い・・・っていう気分にもなっていたってのもあるな、当時は。

ま、80年代アイドルの中でも、「A級」と呼ばれていたヒト達は、この88年頃になると確実に変化を見せていたし、だから、厳密に言えば、通常いわれる80年代アイドルから脱皮しつつあったけどさ。
でも、依然として、それまでの「80年代型アイドル」からの変化を感じられ無かった人たちの方が多かった訳で、そう言うヒト達はもういい・・・っていう気分だった・・・って言うのが正解なんだけどね。

88年時点で、それまでの「80年代型アイドル」から変化を見せなかった人たちって、ほとんどが当時のアイドルオタク様ご用達のような存在だった訳でさ。
いわいる当時急速に進んだアイドルオタク様ご用達・・のような曲は、もういいわ・・・って言う気分だったんだよね。

この曲も正直言えば、そういう対象な感じの曲ではあったんですよ、ワタシの中では。
だから、当時音源を揃えるのには待ったをかけていたんだけと思う。

曲を聴く・・というよりは、アイドルのキャラクターを楽しむ・・・って感じになりつつあったでしょ、当時のアイドルオタクご用達な曲は。 そこからは切り離れたいと思うようになってたんだよね。
オリコンもアイドルお宅様に占領され、ランキング情報誌と言うよりは、アイドル誌になっちゃったことにも憤っていたこともあるし。
あくまでワタシが追いかけたいのは、ある一部分のオタク様ご用達な曲じゃなくて、「大衆」音楽だからさあ。
それは、あれから28年経った今でも変わらないな。

ただね、キャラクターとして生稲晃子ってヒトはキライではなかったんだけどさ。
このヒト、当時ワタシが好きだったコに似てるんだよなぁ。髪の毛をアップにしたり、ポニーテールにするとホント良く似ててさぁ。 雑誌の表紙とか、グラビアにこのヒトが出てくると、ドキッとしたもんだよなぁ。
 ちなみに、生稲さん自身は、私より1つ年上なんだけどね。




ダンスは、まずまずよかったけど、ウタ(歌唱力)は、やっぱね。。。。。。
だけど、この時の生稲さん、横顔が所々、中村由真っぽいなぁ。
もうちょっとポチャッとしてたイメージがあったんだけど。。。。


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麗人 / 沢田研二

1982_01_麗人_沢田研二








今回の1曲セレクトは、「麗人」沢田研二です。

まずはデータでする。

・タイトル    麗人
・アーティスト  沢田研二
・作詞      阿久悠
・作曲      沢田研二
・編曲      後藤次利
・リリース日   1982年1月10日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  22.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1982年2月1日〜3月15日付

 えー、1曲セレクトを長く書いていると、どーしても書きやすい曲とか、大ヒットでみんな知ってる曲から書いていくんで、後々には、取っつきにくい曲が残ってしまったりするんだよね。

 今回もそんな曲の1曲だっりして。。。

沢田研二 「麗人」

ジュリーの曲も、これまで随分書いてきた・・・つもりなんだけとさ、この曲はどうしても書けなかったんだよな。
年代的には、一番「ヒット曲」を聴いてた頃の曲なんだけどな。

 そそそ、ここでも以前言及した事があったけど、ちょうどこの頃、82年の年明けから、当時TBSラジオの夜9時から毎日放送してた、「ザ・ヒットパレード毎日がベストテン」を聴き始めた頃ですわ。
 ちなみに、今回セレクトした「麗人」も、初めて聴いたのは「ザ・ヒットパレード」だった・・・と思う。

 あれ? 文化放送の「全日本歌謡選抜」だったかな?   ま、どっちかですね。

最初の印象・・・・なんかよく分かんない曲・・・だったなぁ。 これまで文章として書きにくかったってところに結びつくんだけど、兎に角取っつきにくかったんだよなぁ、当時は。

この曲の前の「ス・ト・リ・ッ・パー」がああいう、バリバリの「インパクト」の塊のような曲だったんじゃん。それに比べると、なんか今一つ、引っかかるところも少ない様な感じだったし。。。

・・・っていうのは言い訳かなぁ。 今聴くと、かなりインパクトは強い曲なんだけどね。

そもそも「麗人」っていう意味も、当時はよく分かんなかったしさ。

ただ、ひとつ、♪ 恋は もともとそういうもの〜 ♪ っていうサビのメロディは、引っかかったな。 それまでのジュリーにはなかったサムシングを感じたんだよね。

「ス・ト・リ・ッ・パー」がストレイキッツばりの、ロカビリーロック(っていういい方があるかは不明)だったのに対して、この曲あたりから俄然、ニューウェイヴ色が強くなったわけで、その変化について行けなかったのかもなぁ、当時は。
 個人的に、当時は、どうもニューウェイブ系の曲が今一つ取っつきにくかったんだよね。 なんせ、ダサイ曲が好きなもんださ。 結局、この曲が取っつきにくかったのは、そこのところが一番大きかったのかもなぁ。 


ジャケ写。なんか凄いよね。っつか、さっき初めて見たんだけど、この曲のジャケ写って。
当時、レコード屋に通ってたんだけど、どうもこの曲のジャケ写って記憶に無かったんだよなぁ。
まさに大正ロマンそのものっつうか、初期の横尾忠則っつうか。曲のイメージとはまるで違いますよね。


動画・・・あ、これいいな・・・と思った動画が、直リンクじゃなきゃ、弾かれちゃう設定になってたんで、
ようつべに直リンク

https://www.youtube.com/watch?v=tImje11mSMA

ま、なんだかんだ言うても、今聴くと、いいんだな、これが。  最近、こういうアクの強い曲って少ないからさ。
いやいや、その前にかっこいいよね、ジュリー。
この動画は94年のものだけど、雰囲気は、82年のヒット当時、そのままだな。
バックでドラム叩いてるのは、村上ポンタ氏で、ベースは、確か後藤次利氏。
やっぱり、一流ミュージシャンが脇を固めると、曲が締まりますね。



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恋一夜 / 工藤静香

1989_01_恋一夜






今回の1曲セレクトは、「恋一夜」工藤静香です。

 まずはデータです。

・タイトル     恋一夜
・アーティスト   工藤静香
・作詞       松井五郎
・作曲       後藤次利
・編曲       後藤次利
・リリース日    1988年12月28日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    60.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1989年1月16日〜4月3日付

 新年もようやく本格的に始動って所でしょうかねぇ。ということで、1曲セレクトも、そろそろ本格始動を始めようと思うんですが、この時期って意外とツライ時期なんですねぇ・・。
 ・・・というのも、昔からのことだけど、この時期リリースの曲が少ない・・・ってこと。

 いま、チラッと過去のヒット曲のリリース時期を調べてたら、大体、毎年、12月20日前後が最後のリリースってパターンが多いですね。遅くとも12月25日・・・と。

 まあ、それが業界的常識だったんだね。長い間にわたって。。

 でも、そんな常識を打ち破るかのように、変な時期にリリースした曲もある。

 それが、今回引っ張ってきた、「恋一夜」だったりして。。。あせあせ

 1988年12月28日リリース。

むー、何故にこの日リリース設定なんだろう? 普通、ここまで年も押迫って来ると、「1月1日」リリースでお茶を濁すんだけど・・・。

 ちなみに、この年は、男闘呼組「秋」も、前日の12月27日にリリースしてたりして、今考えると、結構「異例」な年だったんだよね。

うーん、はっきりとした理由は分らないけど、昭和天皇の体調不良と、なんかしらの関係があったのかしら? あのころって、昭和天皇の「ご容態」のニュースがいつもトップだったじゃない? いつ、昭和って言う時代が終焉を迎えるのか? そんな時代だったわけで、レコードリリースっていうのも、なんかしらの規制がかかってた?

 それともバブル期の象徴?

 ・・・なんて、うがった考え方だけど、でも、今考えると、年末も押迫った頃に来て、2枚の強力曲リリースだったからねぇ。

 あのころは、リリース日については、特に気にしてなかったから、今まで、特段どうも思わなかったんだけど、今になってみると気になるな、その辺の事情。


 さてさて、「恋一夜」だけど、暗いねぇ、重いねぇ。どうしてなのかしらん?、この曲聴いてると、ほんとに心が重くなりますねぇ。切なくなりますねぇ。

 冬に聴くにはピッタリかもしれない。だけど、どうも、この曲は重過ぎるな。うーん、曲自体は、悪くないんですよ。サウンドが重いんだよな。その影響で曲のイメージが重ーく感じちゃう。なんつぅうの胸の上にズシリと重石を置かれたような・・・。

 うーん、これが1988年末〜1989年初頭にかけての、一種のトレンドだったんだよね。

 この間書いた、レベッカの「ome more kiss」にしたってそうだし、長渕剛の「とんぼ」にしてもそうだし・・・・。

Winkの「愛が止まらない」にしたって、決して明るい曲ぢゃないでしょ? 全体的にマイナー調の曲が流行ってたんだよね。


 それは、「冬」っていう季節のせいでもあるでしょ? とも言われそうだけど、年によっては、同じ冬でも、こういう重〜い曲は、それほどヒットしない年もあるからね。

 これは、その時代時代のトレンドなんだよね。

 そして、工藤静香は、前曲「MUGON・ん・・・色っぽい」でトップアイドルの地位を獲得し、この曲で、その地位を「不動」のものに完全に地固めしたと・・・。そんな曲ですね。

 それにしても、このヒト、デビューから、1年でウタ、うまくなったよね。その急成長ぶりには、目を見張るものがあったな。
 
 うんにゃ、最初が酷すぎたんだよね、ウタ。ふらふら




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ホレたぜ!乾杯 / 近藤真彦

1982_10_ホレたぜ!乾杯_近藤真彦






今回の1曲セレクトは、「ホレたぜ!乾杯」近藤真彦です。

 まずはデータです。

・タイトル    ホレたぜ!乾杯
・アーティスト  近藤真彦
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      後藤次利
・リリース日   1982年9月30日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   50.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1982年10月11日〜12月20日付

 さて、まっちです。
 いままで、まっちの曲って何曲書いたかいな? だけども、まだ曲が残ってる・・・っつうことは、やっぱし、ヒット曲たくさん持ってる「スター」ですわなぁ。

 でも、どうも、まっちの曲って、今となっては「受け」がイマイチ良くないんだよなぁ。
 書くたび思うんだけど、アクセス数が、いつもイマイチなの。

 この辺、難しいんだよねぇ見極めが。。。

 いや、当時のあの驚異的な人気を直に見てきた世代だからさあ、・・となれば、未だに書けば、ヒトが集まってくると思うじゃん。。 でも、実際はそうじゃないんだよねぇ。

 うーん、やっぱ、一時的に人気が出ちゃうと、その時に人気が「昇華」しちゃって、あとあと残らないんだろうねぇ。。
 いや、これって、今、ネットを使った実際的な「マーケティングの検証」になると思うんだよね。

 まあ、その辺のプロモーションの仕方は、実際のマネージメントする方の考えしだいなんだけどさ。
 要は、後々まで「残る」曲を作るのか・・、その場限りの曲をつくるのか・・。

 個人的には、いままで書いてきても分かるように、断然、前者支持な考えが強いんだけどさ。
 でも、これまた、難しくてさ、「後々まで残る」曲って、往々にして、その当時は、あんまり売れがよくない曲が多いんだよね。
 要はジワリ型な曲が多いからさ。 逆に、「その場限り」っていう曲は、そのときはバカみたいに売れるのよ。まあ、その辺は「文字通り」なんだけどさ。

 どっちがよいか・・・、まあ、それは、一概には言えない部分もあるっちゃあるけど。。 各々のマネージメントサイドの考え次第だから。

 個人的に「断然、前者」っいいうのは、あくまで、「ヒット曲も文化」って考えだからさあ。
 それが、ヒット曲は、あくまで「商業音楽」となると、後者的な考えに傾くのよ。



・・・なんて、マジメな話に行きかけちゃったけど、えー、気は御気楽に。。あせあせ


 何分、「まっち」の曲ですから。。あせあせ

 うん、でも、まっちの曲が今になって、あんまり、「うけ」がよくない・・っていうのも、実際、曲を聴いてみれば、わかるっちゃ、わかるきがするんだよねぇ。

 つまーり、「変化」が少ないのよ。

 うん、今、聴くと、特に82年のまっちの曲って変化がすくないんだよなぁ。

 考えによっちゃ、この「ホレたぜ!乾杯」と2曲前の「ふられてBANZAI」と、どう違うんだ?  ってことになっちゃうとも取れるし。

 いや、もし仮に、当時のワタシが、今ぐらいの年齢だったら、絶対、そうなってたと思うわ。
 そして、バカ怒りしてるんだろうね、きっと。

 結局、そういうことなんだよね。この曲も、いつものマッチの通り、松本隆−筒美京平っちゅう「黄金コンビ」の作品だし、だからして、ワタシごときが批評するなんて、おこがましいんだけどさぁ、でも、いま聴くと、ちょっと、いくらなんでも「飽きるよなぁ」っていう、印象が強いんだよね。

 ・・・っちゅう事は、一般の人はもっと飽きるわけで、だから、いま、あんまり「まっち」の曲のウケがイマイチ・・・っていうのも、ナットクなんだよなぁ。


 結局さ、なんで、そういう路線を当時とったか・・・っちゅうと、やっぱ、当時のマッチの人気がそうしたんだろうねぇ。あれだけの人気があればさあ。
 特に82年ごろまでのマッチの人気は凄まじかったもんなぁ。ベストテンに37週連続ランクインは並みじゃなかったよ。

 だから、「力おし」っていう路線を取ったんだろうね、マッチのマネージメントサイドは。
 つまりさ、曲も「変化球」を投げないで、「ストレート」1本で勝負っていう路線よ。

 ま、結局、当時を考えると、それがうまく行ったんだろうけどね。売上げが、との曲も50万枚以上で「安定」してたって事はさあ。

 でも、「力押し」っていうのは、得てして、落ちるのも早いのよ。。
ふらふら

 この曲まで50万枚以上で安定してた、売上げが、この次の「ミッドナイトステーション」でいきなり39万枚にダウンするんだから。。

 いや、曲のデキからすると、この曲の時点から、いつ、売上げが下がってもおかしくなかったんだよな。
 正直、そんな感じの曲のデキじゃなかったかなぁ。 でも、1曲前の「ハイティーンブギ」の余波もあって、この曲までは、50万枚を「確保」したって訳でね。
ただ「力技」で押してこられたのもこの辺までで、次の年、売り上げは一気に下がる・・・って事になるんだよね。 




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黄砂に吹かれて / 工藤静香

1989_10_黄砂に吹かれて_工藤静香






今回の1曲セレクトは、「黄砂に吹かれて」工藤静香です。

 まずはデータです。

・タイトル    黄砂に吹かれて
・アーティスト  工藤静香
・作詞      中島みゆき
・作曲      後藤次利
・編曲      後藤次利
・リリース日   1989年9月6日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   58.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1989年9月18日〜11月27日付 

 先月も書いたんだけど、個人的にどうも、工藤静香ってヒトが鬼門でね。決してキライなヒトじゃないんだけど、こと、歌ってる曲については、なかなかレビューが書けないんだよな。
 だから、あれだけ大ヒットを持っていながら、今までレビュー書いた曲って少ないんだよね。

でもねぇ、それじやイカン・・・と思いーの、1曲セレクトしてきました。

「黄砂に吹かれて」

 そうだ、あれから26年経つんだなぁ。 それを考えると、やっぱし早ーよなー、月日が経つのって。
 ワタシャ、あのとき20才だったんだよなぁ。 なんか、いまじゃ信じられないんだけどさぁ、自分にも20歳の頃があったなんて。。

まあ、あのときのことは、はっきり覚えてるしさぁ、感覚からすると、昨日の出来事って感じよ、ワタシの感覚からすれば。。。 でも、すでに平成だったもんね、昭和じゃなくて。。。

 ただ、「あ、やっぱり、平成元年だよね」っていう感覚はしてくる。
そーいえば、フジテレビの深夜に放送してた「マーケティング天国」でよく聴いたよな・・・・とかあせあせ

 そうだ、この曲っていうと、フジテレビの「マーケティング天国」を連想するんだ。
 「マーケティング天国」は当時、毎週、「録画」してたからなぁ、今でもちょくちょく見てるし。。。

 だから、この曲、聴いてて全然懐かしくないんだ。。。


 なに? マーケティング天国をしらない? チャートマニアのヒトとしては、もぐりですぞ。
まあ、当時のフジテレビ、月曜日24時30分〜放送してた番組なんだけど、音楽(オリコン)、映画興行成績、テレビ視聴率、ベストセラー、etc、いろいろなメディアやエンターテイメントの毎週のランキングを紹介する番組ですわ。

 うん、今のワタシを形成した番組のひとつだったなぁ。各チャート評が、自局のフジテレビの番組を含めて、いちいち「辛口」でよかったのよね、 本当は、ワタシ、これやりたかったのよネット上で。
 
・・・ってか、これ関東ローカルだったんですかねぇ? もしかすると地方の方は知らないかもしれないなぁ。


 それにしても、工藤静香って人気あったよね、当時。ってか、いまでもそこそこ人気あるわけか。。。
 
 ワタシより1つ年下だから、当時19歳だったはずた。それにしては、今見ると大人っぽかったよなぁ。。

 ワンレン、ボディコンで。。ふらふらふらふら  

 あー、完全に「死語」な世界だよなぁ。今の20代のヒトにゃ、なんじゃそれ? な世界でしょう。。

 まあ、「おみず」な世界のお姉さんっぽかったというか。。。

 ま、だから人気あったんだろうね、逆に言えば。 やっぱ、ゲーノー人たるもの、「お水」の匂いがなくちゃいけません。昔から、そう相場が決まってるじゃん。
 そう考えると、このヒトって、当時としてもかなりアナクロなゲーノー人の匂いのするヒトだったんだよね。

 兎角、アイドルといえば、門限は夕方までで、健全健康な雰囲気なヒトがほとんどなわけじゃん。

 このヒトの場合は、もっと夜に向かった匂いをさせるヒトだったのよね。そういう意味では、70年代の「飲み屋」のおねーサン達の匂いのするゲーノー人に近かったわけで、ゆえに当時としても、アナクロのにおいがしてたわけよ。
 そこに人気があった・・・・と。


 この曲、正直、どこが、どういう風にいい・・・っていうのは、よく分かんない。
 ただ、完全に工藤静香っていうヒトのうたになっているところがいいんだろうな。
 作詞の中島みゆき女史もセルフカバーで歌っているけど、やっぱし、この曲は工藤静香の方に軍配があがっちゃうもの。
 それだけ、完全に工藤静香のウタになっているんだよね。

 いいとすれば、そこがいいんだろうな。 それ以上でも以下でもないんじゃないかなぁ。

 うーん、少なくとも個人的にはそう見てるんだけどねぇ。曲を分析的に見て、ここがいいんです・・ってはいえないんだよね、この曲の場合。 曲全体をトータルに見て、そういう感覚がする・・・っていう曲だな。


動画、You Tubeにもあるんだけど、画像飛びと音ずれが酷いんで、別のサイトにリンク

http://www.dailymotion.com/video/x2r1y97_%E9%BB%84%E7%A0%82%E3%81%AB%E5%90%B9%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%81%A6-%E5%B7%A5%E8%97%A4%E9%9D%99%E9%A6%99_music

あ、いまさら書くことでもないんだけど、この曲が「ザ・ベストテン」で最後に1位になった曲ですね。



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涙の茉莉花LOVE / 河合その子

1985_10_涙のジャスミンLOVE_河合その子






今回の1曲セレクトは、「涙の茉莉花LOVE」河合その子です。

 まずはデータです。

・タイトル     涙の茉莉花LOVE
・アーティスト   河合その子
・作詞       T2
・作曲       後藤次利
・編曲       後藤次利
・リリース日    1985年9月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    19.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1985年9月23日〜10月7日付

えー、今回も昨日の河合奈保子さんに続いて、「河合さん」なんですけど、河合は河合でも、河合その子さんのソロデビュー曲。

 涙の茉莉花LOVE

まあ、言わずと知れた、おニャン子クラブから初のソロデビューだけど、おニャン子は、あくまで「シロウト集団」をいかに、「マス」で売ることを前提にした「アイドル」 。
 あとの時代でもアイドル「最終兵器」といわれるくらいだから。。。

 たださ、シロウト・・・と一口に言っても、実は、シウロトではないヒトも中には居たりして・・・。

 つまりさ、すでにプロとして事務所に所属してたものの、売り出すための「手段」として、一旦「おニャン子クラブ」っていう、集団に入れておいて、顔を覚えさせて、売り出す・・・っていうやり方。

 河合その子の場合、典型的にそのパターンですよね。

 そのほかに国生さゆりもそうだし・・・(CBSソニーからソロデビューしたヒトたちはみんなそうじゃないかな)
 工藤静香に至っては、おニャン子に入る前に、実は一度デビューしてレコードを出してたりするもんね(セブンティーンクラブっていう3人組アイドルの一人だったのです)

 だからさ、一口にシロウト集団・・・と言っても、実際は完全なシロート集団ではなかったんだよね、おニャン子って。

 どうして、ソロデビューするのにキャニオン組とCBSソニー組(そのほか、ワーナーとかエピックとかフォーライフなんていう例もあったけど・・)に分かれていたんだろ・・・って昔、不思議だったんだけど、恐らく、CBSソニーとは、前もって密約があったんだろうね、きっと。

 いちおう、後発組は、「アイドルを探せ」コーナーで合格した子をおニャン子グラブに入会って言う流れにはなってたけどさ、あれも、一種の「やらせ」って言うこともあったと。。。

 たださ、この「もくろみ」は、おニャン子クラブガ成功した事で、大きく弾みがつく。

 河合その子は、途中からおニャン子に加わったのにも関わらず、おニャン子加入から、70日あまりでソロデビューにこぎつく。

 挙句の果てには、オリコン1位まで獲得してしまったり・・・。
(・・というか、この曲1位獲得してたのすっかり忘れていた。。。)

 これ、完全にゼロから一人のアイドルとして売り出すのは大変ですよ。ましてやオリコン1位獲得となると、限りなく不可能に近いわけで・・。

 なにせ、アイドルのソロデビューでオリコン1位なんていうのは、この自時点では、マッチぐらいしか居なかったわけでさ。

 そのまっちだって、ソロで出す前に金八先生に出たり、「たのきん」として顔を売り出してたから、デビュー曲で1位だったわけだよね。

 おそらくさ、今考えると、おニャン子って、「たのきん」とか「ジャニーズ」のやり方を女の子で出来ないか・・・ってことで始まった企画なんぢゃないかなぁ・・・。 今書いてて、なんか、そんな感じがしてきた。



・・・・ということで、「涙の茉莉花LOVE」なんだけど、単純にいい曲だとおもう。素直で素朴で、アイドルのソロデビュー曲としては、申し分ない内容だと思う。

 雰囲気が大人びているのは、当時、すでに河合その子が20歳だったからか!?

 ちょっと、フレンチポップスに、ラー油を加えて中華風味をつけたら、あーらふしぎ、新しい味になりました。。。

 っていう、いかにも日本人的な発想の実験的な曲でありましたね。そういうところも、面白かったな、この曲。

 うん、この後の曲のどの曲にも、随所にフレンチっぽいイメージを持たせているんだよね、河合その子って。
 まあ、その最たる曲が゜「青いスタスィオン」だけど。。。

 でも、個人的には「JESSY」が一番好きだな。あの大げさ感、フレンチというよりも、カンツォーネに近そうな大げさ感。

 それをいかにも非力そうな河合その子が歌うっていう構図がいいですね。河合その子も歌に負けてなかったし。。。


 本当は本格的シンガー路線で行きたかったんだろうね。でも、このヒトのルックスと声質が邪魔して・・・・、ってところがあったんだろうな。

 でも、そういうところは、この「涙の茉莉花LOVE」を聴いてた頃は、感じなかったな。
 完全なアイドル路線なんだろう・・・って思ってたですわ。


 その前に、このヒトが、その後の曲も作ることになる、後藤次利氏と結婚することになるとは・・・・。全く考えてもみなかったですわ。

ま、秋元康氏と高井麻巳子が結婚することになるなんて事も全く予想してなかったわけで、その点、同じなんだけど。。


動画・・・、どうもこの動画上げてきてるヒトが、他のサイトからのリンクを蹴る設定にしてあるようなので、You Tubeへ直リン。

https://www.youtube.com/watch?v=u0x5gBXlpvU



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前略、道の上より / 一世風靡セピア

1984_09_前略道の上より_一世風靡セピア






今回の1曲セレクトは、「前略、道の上より」一世風靡セピアです。

 まずはデータでーす。

・タイトル     前略、道の上より
・アーティスト   一世風靡セピア
・作詞       セピア
・作曲       GOTO
・編曲       GOTO
・リリース日    1984年6月25日
・発売元      徳間ジャパン
・オリコン最高位  5位
・売上げ枚数    28.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1984年8月27日〜10月8日付

 渋谷公会堂が閉館になっちゃうんだってねぇ。
個人的には、それほど頻繁に利用したことはないんだけど、それでも、ライブを見に何度か足を運んだし、やっぱり長年親しんできた名所が消えるの寂しいよなぁ・・・。

 渋谷公会堂っつたら、「8時だヨ全員集合」とか「ザ・トップテン」なんかの公開会場だったわけだけども、代々木体育館、代々木公園も隣接しているわけで・・。
 やっぱ、ストリートパフォーマンスの原点地でもあるよね、あの周辺は。
 ストリートパフォーマンスっちゅうたら、竹の子族?・・・うんにゃ、そこまでさかのぼらんとも・・・

 ・・ということで、今回は、一世風靡セピアの「前略、道の上より」を持ってきてみました。。

うーん、でも、これ、意外と書くの難しいね。

 ・・というのも、この曲コードが1つしかないのですよ。コード進行っつう物がない。。。
 しかも、メロディもあってなきの如しで、男7人がユニゾンで歌う・・・という、とっても、オゾマシイ・・・・いやいやいや、バンカラな世界でしょ。。

厳密に言うと、「音楽」っていうものではないかもしれないんですよね。

 作曲者の後藤次利氏によれば、ワンコード、Aメロのみの曲というのは、最初から決めてたそうで、あの当時の「圭子の夢は夜ひらく」を目指したんだそうな。
 「圭子の夢は夜ひらく」がワンコードかどうかはちょっと自信ないけど、たしかにメロディ展開は1つだけだもんね。

 ただ、メロディラインは、今考えてみれば、早稲田の応援歌「紺碧の空」のパクリっぽい気もするなぁ。。。
(あれれ、後藤次利は、たしか青学だったはずだが・・)
 
 まあ、これも、バンカラっていう雰囲気を出したかったんだとおもいますけど・・

 バンカラという、あの時代にもすでに「死語」となっていた、雰囲気は、まだ、そういう雰囲気が残ってた当時のメロディののせるのが一番シックリ来る・・っていうことだったんでしょうかねぇ。

 でも、結果的には、かなり異端だけど、面白い曲になったよね。まず、このヒト達でなきゃ・・っていうオリジナリティもあるし・・。
 最初の「ソイヤ!」っていう掛け声からして耳新しいかったし、演歌でもないポップスでもない音楽的な「無ジャンル的雰囲気」は単純にかっこよかったんだよねぇ。


 丁度ヒットしてたころが、運動会シーズンだったじゃん。丁度さ、この曲がヒットした年は、ワタシたち、体育祭で組体操やってさ、たしか、「ソイヤ」の掛け声かけてたきがするなぁ。
 だから、この曲聴くと、あんときの組体操を思わず思い出してしまう・・因果なもんですわ。

 それにしても、一世風靡セピアっていう集団も、単なるパフォーマンス集団に留まらなかったですわね。
 柳葉敏郎、哀川翔、小木茂光っちゅう、個性派の俳優も輩出してるし、今でも続く「路上パフォーマー」の元祖ですよね。

 ちなみに、一世風靡の前身は「零心会」とかいう、まるで宗教団体みたいな名称のパフォーマー集団で、ここには風見慎吾、芳賀研二、野々村真、中野英雄なんかも、いたんですよね。
 
 今はあの周辺のホコ天はなくなっちゃったけど、、特にこの時代から90年代にかけては、ブームはホコ天からだったんだよねぇ。。。
 
 それを考えると、ホコ天つぶしたゃったのは、いろいろ行政的な問題はあるとしても、文化的な面から考えると、やっぱしもったいなかったよねぇ。。。




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