かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

尾崎豊

15の夜 / 尾崎豊

1992_04_15の夜_尾崎豊






今回の1曲セレクトは、「15の夜」尾崎豊です。

 まずはデータです。

・タイトル    15の夜
・アーティスト  尾崎豊
・作詞      尾崎豊
・作曲      尾崎豊
・編曲      町支寛二
・リリース日   1993年4月25日
・発売元     ソニー
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数   12.5万枚
※データは、93年にリリースされた「ライブ」のもの

 先週、尾崎の「I LOVE YOU」を書いた時も少しふれたんだけど、 毎年、4月25日というと、いやがおうにも頭に浮かんでくるのが、尾崎豊の命日だったりして。
 
 23年前の今日・・・雨だったよなぁ。そういえば、くしくも23年前の今日も「土曜日」だったはずだ。

 ここでは、何回か書いてきたけど、92年のあの日までは、個人的には、尾崎豊の曲は好きじゃなかったですよ。

 なぜか・・・っちゅうと、ザッツ「人生的」てきなところが、どーも、鼻について。
 
 そもそも、ウタっちゅうもんは、もっと楽しいもんだと思ってたから。


 だけど、あの日以来、ちゃんと聴いてみると、とっても心にしみてくる。うん、年をとればとるほど、言いたかったことが理解できてきたんだよね。
 それを考えると、23年前のあの日の時点では、ワタシャ、まだまだ甘ちゃんだったんだよな・・・ってことがよくわかったりして。

 
 しかし考えるに、つくづくおしいヒトを亡くしたもんだと思う。
今、あんなに、純粋に「音楽」に向かっているアーティストがどのくらいいる? ストレートに人生を考える人がどのくらいいる? あれだけ骨太なアーティストがどのくらいいる?

 考えてみたら、あれ以来、日本の音楽→ヒット曲の方向性はどんどん、悪くなっているように思う。
 いまの、あまチャンすぎる、音楽→ヒット曲の状況を尾崎がみたら、どう感じるだろうよ。

 今考えたら、アレがターニングポイントだったんだと思う。あのころは全く考えもしてなかったけど、23年経った今になると、つくづく感じるな。
 ああいう、骨太で、純粋な音楽が絶滅してしまった、今っていう時代にいるとさ。

 と、ともに、ああいう時代をリアルタイムにすごせたってことは、ラッキーな世代だったよな、ワタシらは。いまの若い子たちはかわいそうよ、ホントに。




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I LOVE YOU / 尾崎豊

1991_04_I LOVE YOU_尾崎豊






今回の1曲セレクトは、「I LOVE YOU」尾崎豊です。

まずはデータです。

・タイトル    I LOVE YOU
・アーティスト  尾崎豊
・作詞      尾崎豊
・作曲      尾崎豊
・編曲      西本明
・リリース日   1991年3月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   48.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1991年4月15日〜5月6日

 先日も岡田有希子さんが亡くなったのは4月と書いたけど、今回セレクトしてきた、尾崎豊氏が亡くなったのも4月。 どうも、4月と言うのはビックアーティストの命日が多いですね。

 尾崎の命日は4月25日。今年は没後23年ですか。早いよなぁ。 
尾崎が死んだ・・・という、突然の訃報がながれたのが、つい昨日のように思い出されますよ。
享年26歳。

 あれから23年。すでに尾崎の存在を知らない世代もかなり増えてきたし、やはり時代が経つにつれてあの時の強烈なカリスマ性をもった存在感は風化していくのかなぁ。

 あの時22歳だったワタシも、すでに45だもんなぁ。尾崎が死んだ年齢もとうに過ぎた。時代は流れているんだよね。

 そういうことで、今回の1曲セレクトは、尾崎豊の不朽の名作「I LOVE YOU」です。

 うん、でもまあ、この曲については、今さら、どうのこうの書く必要もないのかな・・・とも思うけどね。


 前も書いたかもしれないけど、個人的には、もともと尾崎の曲は好きじゃなかったんですよ。

 いや、キライというより食わず嫌いだったんだけど・・・。どうしても、生きてる世界が違うような気がして・・。

 でも、そんな尾崎に近づけてくれたのが、やはり今は亡き、「オリコンヒットチャート研究会」のリーダーだったな。

 この方は、超が付く、尾崎フリークで、家に遊びに行くと尾崎を聴かされ、カラオケに行くと尾崎を聴かされ・・というくらいだったな。

 当然、尾崎が死んだ、あの日はたいへんだった記憶があるなぁ。

 でも、そのおかけで、食わず嫌いだった尾崎に、私自身近づくことが出来たのも事実。

 よく聴くといいんだよ尾崎は。特に辛い思いを背負わされてきた社会人になってからが染みるんだよね。

 当然、あのころ、リーダーが良く歌ってた、この「I LOVE YOU」は、今ではワタシのレパートリーになっていますよ。

 うん、なんか、今回はシンミリとしてきたな。でも、そういうイメージなんですよね。この「I LOVE YOU」は。。。

 どうしても、明るい日差しの下で・・・っていうシチュエーションで聴く気にはならない。
 薄暗い部屋の中でポツンとひとりで聴きたい曲ですわ。

 いろいろかなことが走馬灯のように甦ってくる・・・そんな力を持った曲ですよね、


 コノ曲 ↑のデータでは、1991年、シングル化されたときのものだけど、もともとは、1983年11月リリースの1stアルバム「十七歳の地図」に収録されていた曲ですね。

 この時、尾崎17歳。17歳でこんな名曲が書ける。。。やっぱり尾崎は天才だったんだよね。

 ちなみに、このアルバム。発売当初のLPの売上げは7.0万枚。最高位28位。

 カリスマと呼ばれるまでの人気には、まだまだ及ばないころ、ひっそりとリリースされたアルバムにひっそりと収録されていた1曲に過ぎなかったんですよね。



尾崎については、命日が近くなったら、改めてセレクトしようと思いまする。



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OH MY LITTLE GIRL / 尾崎豊

1994_02_OH MY LITTLE GIRL_尾崎豊



今回の1曲セレクトは、「OH MY LITTLE GIRL」尾崎豊です。

 まずはデータです。

・タイトル   OH MY LITTLE GIRL
・アーティスト 尾崎豊
・作詞     尾崎豊
・作曲     尾崎豊
・編曲     西本明
・リリース日  1994年1月21日
・発売元    ソニーレコード
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  107.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1994年1月31日〜4月18日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「この世の果て」主題歌


今年は、雪が降る・・・と言われていながら、まだ、それほどの大雪にはなっていないですね。
去年は大変だったもんなぁ。最大一晩で35cm積もったり。。。こんな降ったのは1984年以来30年ぶりだったもの。

 その30年前、1984年の大雪。こんときもパンパぢゃなかった。積雪40cm。
 雪の多い地方の方は笑っちゃうかもしれないけど、こんなの経験したことなかったもの。学校が1週間休校になったな。

 次が1994年の大雪。この時は、今日ぐらい降ったのかなぁ。このとき覚えているのは、大学の卒論提出期限の3日前だったのに、まだ上がってなかったことかなぁ。
 結局、ひぇんひぇん、泣きながら、前日徹夜して、当日、締め切り「1分前」に提出したっけ。。。ふらふら

 その1994年に大雪が降った頃、頭の中で「ヘビーローテーション」でぐるぐる回ってたのが、今回引っ張ってきた、尾崎豊の「OH MY LITTLE GIRL」だったな。

 その記憶が鮮明だからか、この曲聴くと、あの時の「大雪」の情景と、提出期限まで、間に合うかどうか、切羽詰まって、ひぇんひぇん泣きながら書いた「卒論」のこと想いだすんだよなぁ。

 もう、21年も前の事なんだけどねぇ。多分、それだけぢゃなくて、その2ヵ月後に迫ってた、就職の事でも不安がいっぱいだったってこともあるんだろう。

 この曲聴くと、あの時の清らかな「雪」と、不安いっぱいだった、自分の気持ちが甦るんだよね。


 プラス、ナイスタイミングなことに、先ほども書いたNHK BS2の「昭和日めくりカレンダー 1983年篇」で、「尾崎豊」を大々的に取り上げていたから・・・ってのもあるな。今回、この曲、引っ張ってきたの。

 
 尾崎豊のデビューは、1983年12月1日。シングル「15の夜」と、アルバム「17歳の地図」の同時リリース。

 ただし、最初の1年は、うんともすんとも言われなかった現状。これは、「売り手」の方からして、こんなの売れるわけがない・・・っていう烙印を押されてたから・・・っていうのが多分にあるんだろうね。

 確か、「17歳の地図」のイニシャル(初回出荷枚数)は、リリース最低ラインギリギリの2500枚って聞いたことがある。

 そのくらいの低評価だったわけだ。 折りしも、まだ、時代は「アイドル全盛期」。

 尾崎を筆頭に、渡辺美里、中村あゆみなどの「ロック第三世代(輪後世代)」が全国区にブレイクするまでは、もう1年待たなければならなかったわけで・・・。

 もちろん、当時、ワタシも、全く知らなかったな。尾崎を知ったのは、多分85年の「卒業」の頃だったな。同時に、次の2ndアルバム「回帰線」が大ブレイクしてきてたからなぁ。

 ぢゃ、今日引っ張ってきた「OH MY LITTLE GIRL」も収録されている1stアルバム「17歳の地図」をいつ知ったか・・・。

 これが定かぢゃない。たしか、尾崎がなくなった直後だとおもう。

 正直言って、生前は、まだ、尾崎の音楽が、よく理解できなかったんだよね。
 覚せい剤で何回か捕まって、イメージ的にもよく思ってなかったってのもあったし。。。

 もちろん、85年の「卒業」もあまり、ちゃんと聴いてなかったな。菊池桃子と斉藤由貴の「卒業」はよく聴いてたけど。。。。

 ただ、あの時、オリコンウイークリーに大々的に特集が組まれたことはよく覚えてる。何月何日号だったかは、よく覚えてないんだけど、たしか85年の春先だったと思う。

 どこか、カリスマ的教祖の感じがして、ちょっとソラ恐ろしい感じがしたのは覚えてるな。


 でもさ、なんで、あの時尾崎の音楽に馴染めなかったか・・・。今になってみると、よく分かるんだよね。
 それは、当時、ワタシが体制側の考えだったから・・・。

 学校の規則はちゃんと守るもの、ちゃんと大学までは卒業するもの、いい成績を取るもの・・・・

ってマジで思ってたから・・・。だから、尾崎の音楽ってウザかったんだと思う。


 でもさ、大学卒業して、実際に社会に出てから分かったんだよね。
いい成績とって、いい大学でて、いい会社に入っても、結局は会社っていう「支配体制」に取りこまれることなんだ・・・ってさ。

 ワタシャ、いい成績とって、いい大学でれば、その先には「自由」が待ってる・・・と勘違いしてた。
 そう言われて、育って来てたところもあるし・・・。

 たぶん、大卒者が珍しかった大昔はそうだったんだろう。結局、前々時代の価値観で育ってきてたんだよね。ワタシって。

 でも、当時から、それに気付いてたヒトがいたんだ。そういうヒトが、当時からの尾崎フリークだったんだ・・・って、今になってみると、よく分かるな。

 そんなことが、なんとなく、気がついてきてたのが、この「OH MY LITTLE GIRL」の頃のあの「不安感」だったのかもしれないな。


 もちろん、今は、尾崎の曲は大好きよ。「卒業」の歌詞じゃないけど、

 ♪ あと何回 卒業すれば 本当の自分に たどり着けるだろう ♪

って、今になって、本気で思うもの。

 ワタシは、まだ、本当の自分に辿りつけてない。今年46になるってのにさ。
 それにたどり着いたヒトは、今、大きく飛躍してるんだろうな。大阪府知事に当選した、橋下っちゃんとか・・・。

 でも、今は焦ってない。逆に、46にして、すでに本当の自分にたどり着いちゃったら、この先の人生、ツマンナイとも思うし・・・。

 あ゛、じつは、これは、昔、某D社を辞めた理由の一つでもあるんだよな。




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