1979_01_天までとどけ_さだまさし






今回の1曲セレクトは、「天までとどけ」さだまさしです。

 まずはデータです。

・タイトル    天までとどけ
・アーティスト  さだまさし
・作詞      さだまさし
・作曲      さだまさし
・編曲      渡辺俊幸
・リリース日   1979年1月1日
・発売元     フリーフライト
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数   30.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1979年2月26日〜3月19日付

 前回に続いて1月1日リリースの曲をもって来ました。

 天までとどけ / さだまさし

 いや、これは、ちょっと盲点だった。まさか、この曲が1月1日リリースだったとは。。。
 ヒット時期から考えて、もう少し後のリリースかと思ってたんだよね。
 でも、実際は、1979年1月1日リリース。

 それまでワーナーパイオニアからリリースしていた、さだまさしが自レーベルのフリーフライトを立ち上げた、最初の作品になりますね、この曲が。
 うーん、だから、縁起を担いで1月1日リリースにしたんでしょうかね? その辺は、ちょっとよく分らないんだけども。


 しかし、この間の紅白を見てて、この曲の頃の「さだまさし」とは、随分変わったなぁ・・・と思いましたねぇ。

 何が一番変わったか・・・まずもって、普通にテレビに出ていることからして変わったわな。

 なにせ、あのころ、殆どテレビには出なかったんですぞ、さだまさしって。

 中島みゆき、松山千春、南こうせつ 矢沢永吉に並んでテレビに出ないアーティストだったんだよね。

 まあ、松山千春ほど、徹底してテレビを拒絶していたわけではないけど、この曲の頃、ほとんどテレビのウタ番組にでていなかったと思う。

 当然のことながら「ザ・ベストテン」でも、この曲はランクインしてたんだけど、なぜかベストテンにランクされる前の「スポットライト」には、出演したんだけど、ベストテン内にランクされたときは、一度も出演しなかったような記憶がある。

 出演拒否の理由も、さだまさし氏の所在が不明とか、一時、行方不明扱いになっていたような記憶があるんだけど、これは、ワタシの記憶違いですかねぇ・・・。

 その後も「関白宣言」「道化師のソネット」「防人の詩」でベストテン入りしたときも、すべて1回のみの出演だったような・・・。
 「親父の一番長い日」は長すぎて(?)、出演拒否? (というか、さだまさし の曲って全般的に長い曲が多かったよなぁ)


 で、ワタシの記憶の中では、この曲で唯一出演した1979年2月1日放送の「スポットライト」の時があるんだけど、この時、アコギ1本で、この曲歌ったんだけど、矢鱈と「暗い曲」っていうイメージがあったんだよね。

 まあ、だから、さだまさし=暗い っていうイメージがこびり付いちゃったんだけど・・・。

 でも、これがレコードで聴くと、全然違うんだよね、この曲。

 これが全然暗くない。渡辺俊幸氏のアレンジが卓越してるんだろうな。
 もともと渡辺氏ってクラシック出身のヒトだから、フォーキーな曲をうまくオーケストレーションにアレンジするのがうまいんだよね。

 この曲も、恐らく、原曲は「ベストテン」で聴いた時のように、暗ーい曲だったんだろうな。

 そこを、いかにも「さわやな」なイメージに鞍替えさせたのは、やっぱりこの曲のアレンジの力だとおもいますね。

 だからさ、後年、この曲の「レコード」を聴いて、イメージがガラッと180度変わったもんなぁ。

 いまでは、全く暗い曲だって言うイメージは全くないねぇ。

 最後がいいんだよね。

 ♪ ようこそ 僕の街へ ようこそ この愛へ〜 ♪ で一気に駆け上がっていくところ。 ここがこの曲の一番の聴きどころでしょう。

 それまで、さだまさし=暗い っていうイメージがあるヒトもここを聴けばイメージが変わるってもんですよ。



 だけど、あのころ、ひたすらテレビへの出演拒否していた、さだまさし、松山千春や南こうせつが、しょっちゅうテレビに出てたり、永ちゃんがCMやってたりする昨今では、あのころと本当に隔世な気がするなぁ。

 まあ、それだけ時間が経っているってことなんだろうね。あれから、36年だもんなぁ。。。
 人間、そりゃ丸くなるわな。







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