かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

売野雅勇

DJ in My Life / シブがき隊

1985_04_DJ in My Life_シブがき隊


今回の1曲セレクトは、「DJ in My Life」シブがき隊です。

まずはデータです。

・タイトル    DJ in My Life
・アーティスト  シブがき隊
・作詞      JOEY CARBONE
・作曲      JOEY CARBONE
・日本語詞   売野雅勇
・編曲      後藤次利
・リリース日   1985年4月3日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  17.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1985年4月22日〜5月27日付
・タイアップ:映画「バローギャングB.C」主題歌

自分が思ってたヒット時期と、実際のヒット時期がずれて覚えている事ってあるんだよなぁ。
こんな事、最近随分多くなってきたような気がする。 昔はこんなこと無かったんだけどなぁ。 地頭は偉そうに言えるほど良かないけど、記憶力だけは自信あったんだよな、昔は。。。。
ジジイだね、ワタシも。

今回の1曲セレクトは、そんなヒット時期を間違えて記憶していた曲をひとつ。

シブがき隊「DJ in My Life」

この曲さあ、85年にリリースされたって事は覚えているんだけども、リリースは2月だとばっか思ってたのね。
だからさ、2月にこの「1曲セレクト」で書こう・・と思って用意してたんだけど・・・。
実際書き初めて、リリース日調べたら4月だったのよ。。。

あれ〜 そうだったけなぁ・・・。 85年の春と言ったら、中学校を卒業し、高校に入学した頃だ。
なんで、だいぶ環境が変わった訳でさ、それに引っかけて当時のヒット曲も覚えているからさ、間違い様がない・・・筈だったんだけどね。。。。

たしか、この曲を初めて聴いたのは、まだ高校受験が終わりきって無かった頃・・・・だったような。。。

う〜ん・・・・。 やっぱしあれから32年経つと記憶も曖昧になっちゃうんですかねぇ。。。

そうか、ヒットしてたのは、高校に入学してからだったか。。。。

それにしては、この曲を聴くと、まだ、寒かったよな・・・っていう印象を強く受けるんだよな。。。
そそそ、昔のヒット曲って、聴くと、当時の匂いがしてくるじゃん。それと温度感とかさあ。 それからすると、まだコートを着てたような温度感を感じるんですよ、この曲からは。


・・・・いや、まてよ。。。。

思い出した。。。    

そうだ、この曲、85年のゴールデンウイークに会津と裏磐梯へうちの家族と、オヤジの会社の同僚家族とドライブ旅行に行ったときに、頻繁にラジオから流れてたんだ。。。

・・・とすると、やっぱり、今の時期のヒットだったんだよな。。。

まあ、考えてみりゃ、この曲の前の曲「男意ッ気」のリリースが1月だったんだよな。 うん、これはよく覚えてる。
明星の付録の歌本「Young Song」の85年2月号の新曲に出てたのをはっきり覚えてるんで。。。

だとしたら、当時新曲リリースは3ヵ月ローテーションだったから、次の新曲は4月になるはずだからさ、計算が合う訳よ。


あー、前置きが長くなった。。。

この曲、シブがきには珍しく、カバー曲だったんだよね。 もともとは、向こうの「アニー」っていう女の子が歌った曲でさ。 あの頃ホンダのCMに使われてたんだよな。

・・・・とネット上に書いてあることをそのままコピペしたりしてさ。。。

・・・っつか、完全に忘れてるワタシが居たりして。。。 CM曲ねぇ・・・そうだったっけ。。。 そうだったような気もする。。   

曲を聴いてみた

↓ コレ


あー、そうそう、あったよね、コレ。。。

でもさ、 個人的には、この曲というと、シブがきなんだよなぁ、完全に。

ま、確かに、それまでのシブがきのような、イロモノに近いヘンチクリンな曲ではなく、至極まともな曲だった・・・っていう印象は強い。
 そういう影響なのか、暫く売り上げが減少傾向で、流石に人気のピークは過ぎたよな・・・なんて思われたシブがきだったけど、この曲では、久しぶりに売り上げが伸びたんだよね。

とは言っても、前曲より数万枚程度だったけど・・・。

で、シブがきのこの曲と言ったら、映画「バローギャングB.C」の主題歌だったってことだよな。
そそそ、シブがきの3人が主演の。。。

なんて言ってもねワタシャ見てないけど・・・。 確か、ヒロイン役として、このすぐ後にレコードデビューした、松本典子さんと網浜直子さんが出てたんだよな・・・ってくらいしか知らないんだけどねぇ。

シブがきの先輩格だった、たのきんは、例の「たのきん映画」を既に止めていたのに、シブがきはまだ続けていたんだな・・・っつうことで印象に残ってたんだよな。

まあ、それだけって言えばそれだけなんだけど。。。

ところでさ、映画タイトルの「バローギャングB.C」の「B.C」って一体何なのか・・・。当時は全然分かんなかったんだよな。「紀元前」のことか・・・とか
今、調べてみたら、ボニー&クライドのことらしいわね。「俺たちに明日は無い」の。。。

なんじゃいそりゃ・・・って言う感じもするけど、そんな感じだったんだよね、30数年前の日本映画のレベルって。。。





うーん、オリジナルの「アニー」バージョンと並列で並べると、やっぱシブがきバージョンの方は、ダッタダサだよねぇ。
今だったら、かなりオリジナルと変わらないくらいのクオリティになるけどさ、カバー曲も。 
例えば、今のディズニー映画の「モアナと伝説の海」だっけ  それの主題歌「どこまでも〜How Far I'll Go」なんてさ、オリジナルもカバーも両者遜色がないじゃん。

でもさ、32年前はと言うと、向こうと、日本と・・じゃ、まだまだ大きな隔たりがあったんだよな、音楽のクオリティって言う面でさ。

それでも、個人的にはダッサダサの方が好きだったんだけどね。



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Woman / 中西圭三

1992_04_Woman_中西圭三


今回の1曲セレクトは、「Woman」中西圭三です。

まずはデータです。

・タイトル     Woman
・アーティスト   中西圭三
・作詞       売野雅勇
・作曲       中西圭三
・編曲       中西貴雄 遠山淳
・リリース日    1992年1月22日
・発売元      パイオニアLDC
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   43.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1992年3月9日〜5月11日付
・タイアップ:三貴「カメリアダイアモンド」CM曲

雨ですなぁ。 結局今週末は土日とも雨。。。2日とも雨なんて久しぶりだわな。
おかげで洗濯物が乾かず、久しぶりに「コインランドリー」に乾燥機かけに行ってきましたわ。。。

こういう雨の日は、やっぱ「雨」に似合う曲を持って来たい・・・・と思いーの、引っ張ってきた曲はこれ。


中西圭三「Woman」。

久っしぶりに「アイドル」から離れましたぞ   うん、ちょっとアイドルの曲が長く続いたからね。

でも、その前に、「え? なんでこの曲が「雨の日」の曲なの?」 ・・・なんて突っ込まれそうだけど。。。

えー、完全に個人的なイメージですね、ハイ。 別に歌詞に「雨がどうたらこうたら」とは入ってないし。。。

この曲一番初めに聴いたのが、やっぱり今日のような1日雨が降っていたグズグズしていた天気だったんだよね。
なんで、この曲を聴くたびに、今日のような雲が低く垂れさがり、1日薄暗い雨の日を思い出してしまうワタシだったりするんだよね。

逆にこの曲を書くために、今日のようなぐずついた天気の日を待っていたところもある。 やっぱさ、この曲はピー感な天気の日って言うイメージじゃないからさ。

歌詞に「雨」のフレーズは無いけど、全体にしっとり濡れた手触りだし、もともと雲が低く垂れこめた〜って言うイメージの曲でもあった・・・と言う事もあるし。

いやいや、その前に、やっぱ「カメリアダイヤモンド」のCM曲として、夜中によく聴いてたよなぁ・・・って言うイメージの方が強いかなぁ。
なんせ、あの当時、夜中テレビ見てると、ヘビロテだったもんね「カメリアダイアモンド」のCMって。 いやでも耳に残っちゃう・・・と。TVの業界もまだまだバブルな時代だったんだよな。


でも、この曲を初めて聴いたのは、確か、Bayfmの「パワカン」(パワーカウントダウンJAPAN)だったと思う。

92年に入って大分、ヒット曲の曲調が変わってきたな・・・って言うイメージが大きかった頃。

前年91年って、言わずと知れた超ロングセラーが続いた年。 でもその実態はと言えば、小田和正氏、CHAGE&ASKA、それと、丁度この曲がリリースされた頃に1位ロングランしていた浜省の「悲しみは雪のように」と・・・ベテラン勢が頑張っていた頃なんだよね。

ベテランが頑張っていたって事は、少なくともワタシらの世代としては、それまでにも聴きなれたような曲調が多かった訳でもあり、90年代に入っていたとは言えど、それほど目新しいところは感じていなかったのも事実。

ま、その分、ヒット曲に安心感はあったけどね。

でも、この「Woman」を聴いた時は、「あ、新しい音楽が出てきたな」っていう印象は強かった。

たしかに「R&B」を根っこにしたクセのあるファンキーなノリのリズムの音楽は、それ以前にも久保田利伸氏がいたけどさ。その手触りとは、また違うんだよね。

もっとザラザラとしたというか、凹凸があるような手触り。 この曲を聴いた時の印象はそんな感じだったかなぁ。

でも、そこに新たしい音楽を感じたし。。。 80年代以降のいい方言えばニューウェイヴだよね。

この曲とか、同時期にヒットしていた、氷室の「Urban dance」、V2(小室哲哉&YOSHIKI)の「背徳の瞳」を聴いてると、同じような感覚を受けるんだよな。

そう言うところを考えると、「90年代の音楽」の「真」の幕開けは、もしかするとこの頃の曲からなんじゃないのかな・・・。 そんな思いが強いんですよ。

つまりさ、ここまでの90年代の音楽は80年代からの延長であって、ここから本当の90年代が始まったんじゃないか・・・と。

だからね、ま、個人的な事ではあるんだけども、今自分で管理している音源も、92年以降と、それ以前で別のカテゴライズで分けてたりするんだよね。

その時代的なターニングポイントの1曲がこの曲・・・っていう意識が強いなぁ、この曲は。


ま、曲調自体が個人的な趣味と合ってるかどうか・・・って言うのは別にして置いてさ。
ってか、正直言うと、あんまり個人的に「絶賛」するほど「引っかかった」曲ではないんだけどさ

うん、ここでは再三書いてるように、ニューウェーヴ系には、あんまり引きを感じないからさあ、ワタシ。

ただね、同じ中西圭三氏でも、この「Woman」のほんのちょっと前に大ブレイクしたZOOの「Choo Choo TRAIN」は大好きだったけどさ。 ってか、この曲キライってヒトはあんまり居ないか。。。

キャッチーさ言う点では、同じニューウェイヴでも別物を感じるし。 まあ、おそらくキャッチーってことは、同時にダサさも同居しているのかもしれないけど。。




そういえば、パワカンでは、当時DJだった、バッキー木場氏に大分弄られてましたよね。
中西圭三氏、
その板前風の「風貌」から「ヘイ、ラッシャイ!」とか、曲紹介の時に言われてたもんなぁ。。。

チャート的に見るとこの曲も、意外とロングヒットだったんだよね。
手前味噌だけどワタシのチャートでは2カ月間ベストテン入りしてる。 週単位で見ると派手に売れた訳じゃないんでそんなにロングヒットだったかなぁ・・・っていう感覚も今振り返るとあるけど、実際は、ジミ〜にロングヒットしてたんだよね。


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一番野郎 / 近藤真彦

1984_04_一番野郎_近藤真彦

今回の1曲セレクトは、「一番野郎」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル    一番野郎
・アーティスト  近藤真彦
・作詞      売野雅勇
・作曲      筒美京平
・編曲      松下誠
・リリース日   1984年3月1日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 29.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1984年3月12日〜4月23日付

この前も書いたけど、やおら、1週間ぶりのご無沙汰でした・・・っとていう挨拶から始まってしまった「1曲セレクト」です。
土曜日と言えど「4月1日」。新年度の始まりですわな。ウチの会社は「零細」企業で支店もなにもないんで、転勤や部署移動何ぞは無いんで、いままでの業務を引き続き淡々とこなす生活が続く訳ですわ。
ただ、某"みんなから嫌われてる"著作権管理団体から「出向」って言う形で、何人か来ていて、その方たちはこの春も異動がありーの、なんで、ここ何日は送別会やら何やらでバタバタ。
そうでなくても4月早々「繁忙期」がやってくると言うのに。。。。
暫くは、このバタバタが続きそう。 なんで、1曲セレクトも暫くは「週末のみ」更新になりそうな予感ですね。

・・・・ということで、今回は、そんなバタバタしていた4月初めの頃ヒットしていたこの曲をセレクト。

まっち先生の「一番野郎」。

この曲は1984年(昭和59年)の今頃ヒットのピークを迎えていた曲だけど、昭和59年って言ったらワタシャ中学3年になった年ですわ。
なので、正直、そんなにバタバタしていた訳じゃないんだけどね、個人的には。
いや、それでも高校受験に向けてカウントダウンは始まっていた頃かなぁ。受験対策で地元の進学塾、某K学院に入ったのもこの頃でしたわ。

あ、個人的には「オリコンウイークリー」を毎週買い始めたのもこの頃。なんで、ヒット曲の「付き合い」方としては、今に続く「革新」的な出来事が始まった頃なんだけどさ。

そんな頃ヒットしていた。この曲。

いや、正直、それほどヒットしていた・・・って言う実感を感じなかった・・・って言った方が正解なのかなぁ、この曲の場合。

確かにこの曲もオリコンでは1位を獲得し、81年の「ブルージーンズメモリー」以来続けてきた、連続1位獲得記録も更新出来た訳なんだけども、手ごたえからすると1位を獲得⇒ヒットしたっていう印象を感じないんだよね。

1位獲得が初登場の週1週だけだったっていうのもあるんだろうけど、決定的な印象は、やっぱ「ザ・ベストテン」で、ベスト3に入れなかったって事が大きかったよな。
 そそそ、この曲は、ザ・ベストテンでは最高4位でしたからねぇ。ついで言えば、僭越ながらワタシのチャートでは最高5位。 ま、ベストテンでも4位は1週だけで、5位に居座っていた事が多かったですからね。

たしかにこの曲がヒットしていた当時のベストテンの得点は、4位、5位、6位あたりが概していつも以上に高く、いつもなら7500〜7900点程度が4位であったのが、8700点で4位と言う週もあった。
通常で言えば8700点ってのは、2位か3位、状況によっては1位が取れてもおかしくない得点でしたから。
そう考えれば、充分「大ヒット」に値したのかもしれない。

だけども、今一つヒットした印象が薄い・・・っていうのは、「時代の流れ」っていうのもあったんだろうな。
1984年の今頃と言えば、吉川晃司が「モニカ」でヒット戦線に踊りだし、チェッカーズが「涙のリクエスト」で本格ブレイク。また、安全地帯が「ワインレッドの心」がヒットのピークを迎えたりしていて、ベストテン内の上位を見ると、1年前と比較してかなりメンバーが入れ替わっていた頃ですわ。

時代は常に動いている。 っていうのを実感できた・・・って言うかさ、ヒット曲の傾向も大きく変わってきていた時期なんだよな。
やっぱ、吉川の「モニカ」、チェッカーズの「涙のリクエスト」、安全地帯「ワインレッドの心」なんかからは、勢いも感じたし、なにより新鮮さを感じたからなぁ。 それまでのヒットチャートの曲になかったような新しい息吹って言う感覚ですよね。

逆に言えば、それまでヒットチャートを牽引して来ていた、まっち先生、トシちゃんなどのジャニーズ勢、その他の、いわいる80年デビュー組アイドルにヒット戦線での「陰り」の色が顕著になったのもこの時期ってわけでさ。

だから、この「一番野郎」だけじゃないんだよね。ヒットの印象が薄かったのは。 トシちゃんの「チャールストンにはまだ早い」(84年2月リリース)だって、「ザ・ベストテン」では最高4位と、ベスト3入り出来なかったし、だから「一番野郎」と同じような印象もあったしな。


いや、それ以前にこの「一番野郎」っていう曲自体に新鮮味を感じなかったんだよなぁ。
当時、トシちゃんよりまっち先生派だったワタシは、毎回新曲が楽しみだった。
ま、十中八九、文化放送「全日本歌謡選抜」で、一番最初に新曲は聴いてたんだけどね。 

でもねぇ、この曲は初めて聴いて、なんかガッカリしたんだよな。 まずもって新鮮味を全く感じなかった。
新曲って感じがしなかったんだよな。 去年か一昨年あたりの「お蔵入りしてた曲?」って感じがしてさ。

当時は、いつも斬新かつ新鮮な切り口な新曲を聴かせてくれていた、筒美京平氏らしからぬ曲って言うのがまずもって感想だったし、それは、今でも変わらないな、この曲に関しては。

確かにそれまでの「やんちゃ」な所も継承しているけども、加えて、この曲から「硬派」「男臭さ」っていうところも見え始めて居たじゃん。
どうもね、その部分がピンとこなかったんだよな。 まっち先生には、もっと「やんちゃ」だけを続けて欲しかったんだろうな。

だから、この曲の次にの「ケジメなさい」ってぶっ飛びなまっち先生を見せた時は、逆に嬉しかった部分はあるんだよね。 以前書いたように確かに「頭がおかしくなったのか」とも思ったところもあったけど。

いずれにしても、この「硬派」「男臭さ」って言う路線は、この曲から、後年の「大将」「愚か者」と続く事になる訳で。。。 その点から傍から見れば、ここから後の「歌謡大賞」そして、「レコード大賞」に繋がる訳で、結局はよかったんじゃないか・・・とも思えるけど、でも、やっぱり個人的には、その曲以前のような「やんちゃ」路線をもう少し続けて欲しかった・・・っていうのは大きいな。



ベストテンですね。 得点にご注目。本文でも書いたようにこの頃得点高いんだよね。
7位で7900点ですから。。。
えー、ただ、この動画はおそらく、「速攻」で消されると思うんで、もし消されてたら ↓を見てみてください

http://www.dailymotion.com/video/x20ugan_%E4%B8%80%E7%95%AA%E9%87%8E%E9%83%8E-%E8%BF%91%E8%97%A4%E7%9C%9F%E5%BD%A6_music

まあ、こっちもいつまで上がってるか分かんないですけど。。。
なんせ天下のジャニーズですから。。。


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北駅のソリチュード / 河合奈保子

1984_12_北駅のソリチュード_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「北駅のソリチュード」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    北駅のソリチュード
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      売野雅勇
・作曲      筒美京平
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1984年12月5日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 11.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1984年12月17日〜12月24日付



今年の仕事も今日まで。先ほど納会が終わって帰宅したんですが、ここまで長かったですわ。
時間の経過は、年を取るごとに早くなるんだけど、こと、仕事となると長いですねぇ。やっと年末年始休暇だぁ・・って感じですよ。
 ここんところ、この1曲セレクトも、仕事の忙しさにかまけて、間が空いてますからねぇ、この休み中は出来るだけ更新するようにしたいですわね。

ところで、ワム! のマイケル・ジョージが亡くなってしまいましたね。 
今年は、ミュージシャンの訃報が本当に多い。まさか、この暮れになって、ビックアーティストの訃報が届くとは。。。

まあ、個人的には聴く音楽といえば、圧倒的に 「洋楽 ≪ 邦楽」 なんで、それほど接点があった訳ぢゃない。
そんなワタシでも、ワム!くらいは、耳にしてたからなぁ。84年〜85年にかけて。
時代はアメリカンロックよりも、UKシーンが元気だった頃だ。

「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」「フリーダム」そして「ラスト・クリスマス」。 

この位は、いくら圧倒的に邦楽よりなワタシでも、聴いてましたからねぇ。 特に「ケアレス・ウィスパー」だよね。

日本では84年の丁度今頃ヒットのピークだったよなぁ。 本家「ワム!」だけぢゃなく、西城秀樹氏も郷ひろみ氏もこぞってカバーしてたしさぁ。

やっぱ、あのイントロのブリブリのサックスが堪らんのよね。 あのブリブリ、せくすうぃーなサックスからエロチックとも思える世界が広がって行く。これが堪らなかったのですよ。年齢的に「性」の目ざめま頃だったしね。

ま、そんなこともあり、やっぱジョージ逝去のニュースには驚きだったんだよな。 まだ53歳でしょ、若すぎるよな。


とろこで、↑で、84年の今頃、日本では「ケアレスウィスパー」付いていたって書いたんだけども、なにも、「本家」のカバー曲ばかりだった訳じゃない。
「疑似的」ケアレス・ウィスパーな曲もあったんだよね。 こんな回はそんな曲をセレクト。

河合奈保子「北駅のソリチュード」。

まあ、この曲に関しては、以前から「ケアレス・ウィスパー」に似てると言われている訳で、恐らく他のヒトのブログでも同じような事が書かれているかもしれない。けど、まあいいよね。。。って前回も同じような事書いたよな

この曲が、「疑似」ケアレス・ウィスパーって言われているのは、やっぱ、イントロだよね。

「本家」と同じような、ブリブリな泣きのサックスが際立った。 しかも、フレーズが「ケアレス・ウィスパー」そっくりなんだよね。

これ、パクリだよね・・・。ってだれでも気がついてしまうような。 

まあ、全く同じフレーズではなく、「似たような」なので、完全な「パクリ」とは言えないんだけども。

だけど、当時、これを聴いて、「筒美氏、仇といなぁ」と思ったよなぁ。
どう聴いても「ケアレス・ウィスパー」だしさ。 

で、一方では、この曲と同時期、松本伊代の「ビリーヴ」では、ボニータイラーの「ヒーロー」だったわけじゃん。
うん、84年のアイドルに大人気だった「ヒーロー」

こうみると、この時期って、同時期にヒットしていた洋楽のパクリ的曲が人気だったんだよな。
ま、パクリだけでなく、小林麻美の「雨音はショパンの調べ」、MIEの「NEVER」、 麻倉未稀の「ヒーロー」と実際の向こうのカバーも大人気だったしさ。

そう見ると、84年って洋楽にコミットした年だったんだよね、邦楽ヒットも。

だけど、ヒットさせるにはどうすればいいか・・・ということで、向こうのヒット曲のいいとこどりが、すなわち歌謡曲・・・という概念から見ると、正攻法だし、如何にも筒美氏らしい切り口だったんだろうな。
 それだけ、「ケアレス・ウィスパー」のイントロが、セクシーさを際立たせると言うところで、印象的だったって事なんだろうな。

ま、確かに、アレンジャーは萩田光雄氏だけど、これは、作曲の筒美氏からの指示っていうのは手に取りように分かるしなぁ。

そんな、「ケアレス・ウィスパー」なイントロに比べると、本編のメロディは、正直あんまし面白くないんだよな。
ま、あ、個人的な印象ではってところだけどさ。

以前も、河合奈保子さんの他の曲でも書いたんだけど、この頃、「ポップス」さっていうのが感じ無くなってきてたんだよね。 この曲なんてのは、ほとんど「歌謡曲」っていう印象だったしなぁ。

当時から筒美フリークだったワタシなんだけど、この曲はちょっと違うんじゃないかなぁ・・・って思ってたんだよね。
河合奈保子さんは、歌謡曲路線じゃない、このヒトは絶対にポップスって思ってたからさあ。

確かに、デビュー5年目ということで、「コドモ」なアイドルからアダルト路線への脱皮っていうところは分かる。
けども、その脱皮の仕方があまりにも急だったし、個人的に合わないと思っていた「歌謡曲」路線な感じが強かったし。
なんかね、奈保子さんが、急に高田みづえ見たいに思えてきちゃったりしたんだよな。 

それは違うだろう・・・ってさ。

だから、この曲は、当時からほとんど聴いて来なかった。
丁度、高校受験の切羽詰まった時期でもあったんで、気分的にヒット曲って言うどころぢゃなかった所もあるけど。。
無論、音源も持ってなかった(最近、リリースから32年にしてやって手に入れたけど。。。)

でも、今聴くと、32年前、当時15才だったワタシが聴いた感じとは、ちょっと違うんだよな、印象が。

うむ、これはこれでありなのかも。。。と。 うーむ、やっぱそれだけ年取ったって事なのかなぁ、歌謡曲路線に寛容になったところはあるわな、ワタシも。

それよか、今聴くと、80年代中盤頃のオーソドックスとも言える、メロディラインなんだよな。 イメージ的に85年の秋〜冬って言う感じなのかなぁ。しっとりとこぬか雨に濡れたような・・・。
このイメージ、84年のこの曲がヒットしてた頃には、無かったイメージなんだよな。
84年は、確かに秋から冬にかけてはダークで暗いイメージになって来てはいたけども、こういうしっとりと濡れたイメージは無かったんだよな。

もしかしたら、この曲がヒットしてた頃は、まだ違和感を感じてたのかもしれない。その違和感が「ちょっと違う」って感じたのかもしれないなぁ。

 例えば、この曲が1年後の85年の同じ頃にリリースされていたら、それほど違和感は感じなかったのもかもしれないな。
 
まあ、1年後、中森明菜が、この間ここで書いたように「Solitude」って同じようなタイトルをリリースしちゃってたけどさ。



まあ、ごちゃごちゃ書いて来ちゃったけどさ、実際にVTRみてみると、この当時の河合奈保子さんの圧倒的な歌唱力が、やっぱり目に付いちゃうよね、結局のところ。
 いろんなウタ番組に出てたけど、個人的には、やっぱ、このVTRの「ベストテン」のオーケストラとの相性が一番しっくり来るな。


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大将 / 近藤真彦

1985_11_大将_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「大将」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル    大将
・アーティスト  近藤真彦
・作詞      売野雅勇
・作曲      鈴木キサブロー
・編曲      松下誠
・リリース日   1985年10月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 12.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1985年11月4日〜11月18日付

この前に書いた、山下久美子さんの「DRIVE ME CRAZY」は、ちょっとアクセスが少なかったなぁ。
やっぱ「引き」が弱かったかなぁ。まあ、ベストテンに入らなかったし、今から22年も前の曲だしな。覚えていないヒトの方が多いのも自然な事だったかもな。

・・・と言う事もあったから・・・と言う訳でもないんだけども、今回は「まっち」先生の曲をひとつ。

ま、まっち先生の曲。ちょっと前に84年の「永遠に秘密さ」を書いてるんで、少し間が狭くなってるけどまあ良いよね。
まっち先生の曲も初期の「大ヒット」曲群は、既にほぼ書いちゃったんだけども、こと、CBSソニーに移籍した85年以降の曲は、まだ、あんまり書いてないんだよね。

ま、理由は一つで、ソニーに移籍してから大ヒット曲が少なくなったから・・・なんだけどさ。

今回セレクトしてきた「大将」は、この年の2月にCBSソニーに移籍後、第3弾のシングルになる訳だけど・・・・。
オリコン最高6位だもんね。 あの絶好時の初登場1位常連、「ザ・ベストテン」では「9時半の男」と言われる位、ベストテン上位常連だった、まっち先生も見る影もなかったもんなぁ。
 売り上げ枚数も、ようやっと10万枚越えの12万枚強だもんね。82年までは50万枚が当たり前だったわけだし、それから見ると、寂しさだけが漂っている訳ですわ、ヒット実績を見ると。

じゃ、なんでこうなっちゃったの?

・・・といえば、ま、一つはデビューから5年が過ぎ、「アイドル」としての旬が過ぎた事。 それと、なんと言っても曲だよね。

どうもCBSソニーに移籍してから掴みどころがない曲が続いたからなぁ。
悪ガキまっちを地のままで行っていたRVCの頃のマッチはどこへ行った・・・って感じでさ。

強いて言えば、この「大将」はまっち先生らしい・・と言えば、そうだったかもしれない。 軟派のトシちゃん、硬派なマッチ・・・という時代からすれば、タイトルからして硬派なイメージがあったしな。

ただ、すこし時代錯誤な所はあったかもな。 あの頃、時代はもっとポップになって来ていたからなぁ。

軽薄短小っちゅうかねぇ、すでにおニャン子がデヒューしていたわけだし、ジャニーズでは、ちょうど少年隊がレコードデビュー間際だった頃だ。

そこに来て、「大将」と言われてもね・・・って感じだったんだよな。 ポップな時代背景を逆行するかのように、時代を遡っちゃったような印象だったよな。

うん、この曲のイメージは、「70年代」以前なんだよな。 そもそも ♪男は誰も大将 嵐のように生きる〜♪っていう時代ではなかった訳だしさ。 その辺が、今一つピントがずれてしまったような気はする。

ま、楽曲そのものは、まずまずだったんだけどね。

・・・というか、この曲聴くと、個人的には当時の情景が浮かぶんだよな。RCサクセションの「トランジスタラジオ」じゃないけど、授業をサボって学校の屋上でダベってた高校1年の頃の情景とかさ。そう言えば、よく晴れた午後の景色がきれいだったな・・・とかさ

そそそ、情景だけじゃなく、あの時の匂いまでくすぶってきたりする。 

そう、あの時、頭の中でヘビーローテーションしてた曲がこの曲だったんだよな。

ま、なんだかんだ言っても、個人的にはキニナル曲ではあったんだよな、当時。



夜ヒットだわな。丁度、85年の「歌謡大賞」を取ったすぐ後、ファンをスタジオに入れて・・・ってやつですね。
 しかし、この夜ヒットもそうだけど、まっちって、ファンをスタジオに入れて・・・って事が割と多かったよなぁ。
「ベストテン」でも同じようにファンの前で・・・ってことが何回かあったもんね。
それにしても、ファンコールが、「80年代」丸出しデス。。。。
MCの古館氏。報道ステーションから解放されて、最近復活してきたけど、この当時の軽薄なノリが復活してきたよな。

それよか、85年は、まっちだったんだよな。「歌謡大賞」。
賞レースっていうのも陳腐化が本格的になってきた頃ですね、この頃。
まあ、今は無くなっちゃったけどさ、「歌謡大賞」も。


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唇のプライバシー / 河合奈保子

1984_09_唇のプライバシー_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「唇のプライバシー」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    唇のプライバシー
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      売野雅勇
・作曲      筒美京平
・編曲      鷺巣詩郎
・リリース日   1984年8月28日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数 12.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1984年9月10日〜9月24日付


えー、ずっと1曲セレクトを見ていただいている方はすでにお分かりだと思いますが、この1曲セレクトは、書いてる時点とほぼ同じ時期にヒットしていた「過去」の曲をセレクトしているんだよね。
 まあ、セレクトする曲は、ワタクシの独断と偏見で決めている訳で。過去の同じ時期にヒットしていた曲っていうのも、ま、自分でもヒットチャート作ってるし、オリコンの過去のランキングも持ってるんで、その辺はぬかりない・・・・はずなんだけどねぇ

意外と、事前にちゃんと調べないで、自分の記憶だけで、曲を決めちゃったりする事があるんだよね。
まあ、いざ「書く」と言う時点で、過去のチャートを引っぱり出して「確認」はしてるんだけどさ。

ところがね、いざ書こうと思って、過去のチャートを確認したときに、実際にヒットしてたのと時期が「ズレ」てる事ってあるんだよなぁ。
まあ、ヒットしてからだいぶ時間が過ぎてる曲もあったりするんでねぇ・・・、っていうのは言い訳になっちゃうけど、自分の記憶も当てらならないんだよな。

今回の1曲セレクトは、そんな自分の記憶と、実際のヒット時期がズレていた曲をひとつ。

河合奈保子「唇のプライバシー」。

この曲は、河合奈保子さんにとっては、1984年の「勝負曲」だったわけで、秋にかけて各音楽祭で、頻繁に歌ってた曲ですわ。

ただね、個人的には、この曲「夏」の曲だった・・・っていう印象が強いんだよね。

ま、確かに、リリースは8月29日なわけで、夏の曲に違いはないんだけど、実際にベストテン入りしてたのは9月だったんだよなぁ。。。

うーむ、でも、そういう印象はなくて、この曲と言うと、1984年の夏休み・・・って言う印象が強いんだけどなぁ。

だからね、最初は8月に書こうと思ってたんだよね、この曲。

でも、オリコンの過去チャートで、実際は9月だったことを改めて確認して、今まで待ってたんだけどね。


だけど、この1カ月のズレはなんで何なんだろう・・なんて思ったんだけどさ。

まあ、結局は、当時聴いてたラジオの影響・・・というか印象が強く残ってるんだろうな。
特に、以前も書いたように、文化放送の「決定!全日本歌謡選抜」。 あの番組は兎に角、新曲情報が早くて、リリース1カ月以上前からバンバンかけてましたからねぇ。
早い時は、白盤(プロモーション用のレコード盤)が出来る前、マスターテープの段階で流しちゃってた事もあったからなぁ。

リスナーのこちらとしては、情報が早いって言う事は非常にありがたかったんだけどさ、反面、いざ、リリースされる時期には、すでに聴き飽きてたりしてね

今振り返ってみると、この曲もそんな曲の一つだったんだよなぁ。 うん、確か8月中に、この曲良く聴いてたんだよ、ラジオで。でも、実際のリリース時には、すっかり飽きてたんですよ。。。。

その記憶がそっくり今に残っちゃってるんだよなぁ。 だから、この曲というと、8月のイメージが強いんだよな、未だに。

まあ、それだけ、ラジオでもこの曲、推してたんだろうなぁ、今考えると。 まあ、この年の「勝負曲」でしたからねぇ。

個人的にも、この曲はシングルっぽくて良いと思った。

この曲の河合奈保子さんというと、3月に尾崎亜美さんの「微風のメロディー」、6月に八神純子さんの「コントロール」と立て続けにニューミュージック系アーティストの曲を歌ってきていたけど、今一つ盛り上がらなかったんだよね。
それは、やっぱり、シングルとしてのインパクトが今一つ足りなかったんじゃないんかなぁ。

でも、この曲はシングルっぽかったですよね。 シンプルかつキャッチー、それでいてインパクトがあるメロディライン。
さすがは筒美京平氏としか言えなかったんだけどさ、当時も。

ま、全体的なイメージとしては、前年の「UNバランス」の続編のような曲調ではあったけどね。

そそそ、下敷きとしてドナ・サマーの「情熱物語」があって・・・って感じのメロディライン。。特にラッパの使い方がねぇ。
・・・というか、個人的には、この年流行りだった、ボニータイラーの「ヒーロー」の匂いがしたんだけどね、この曲には。とくにラッパの使い方が。

まあ、兎に角、この年の夏から秋にかけてのアイドルポップス・・・特に女性アイドルは、「ヒーロー」一色だったからなぁ。

この曲も、そんな「ヒーロー」な曲の一つ・・・だと思ってたんだけど、モノの本によると、どうも、それよりも、やっぱり「情熱物語」の延長戦・・・って言う見方が強いようですね。つまりは、前年「UNバランス」の延長ですね。

まあ、「UNバランス」よりも、スピード感があり、しかもヘヴィーな所がありますけどね。 
そそ、このヘヴィーってところが、この頃の河合奈保子さんの一つの要素になって来るんですよね。
ヘヴィーな部分でも地声で乗り切るっていう力強さが、この頃の奈保子さんには身についてたんだよなぁ。
デビュー5年目にして、本格的な歌唱力開眼っていうかさあ。

でも、反面、個人的には、そんな本格的な女性シンガーになりつつあった奈保子さんにちょっと寂しさも感じてたんだけどね。
 このヒトには、例えばこの年だったら春の「微風のメロディー」のような、ソフトで永遠の少女って感じの曲を歌ってて欲しい・・・なんて願望があったからなぁ。

まあ、そんなこと永遠には無理な訳で、この曲曲のような曲こそ、シンガーとして成長するには必要って、片方では分かってはいたんだけどさ。




「ベストテン」かあ。それにしては音も映像もきれいだなぁ。32年前とは思えないですわ。
こりは、すぐに消されてしまうかも。。。
みたい方は、早めにどうぞ。


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水の星へ愛をこめて / 森口博子

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今回の1曲セレクトは、「水の星へ愛をこめて」森口博子です。

まずはデータです。

・タイトル    水の星へ愛をこめて
・アーティスト  森口博子
・作詞      NEIL SEDAKA
・作曲      NEIL SEDAKA
・日本語詞   売野雅勇
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1985年8月5日
・発売元     キング
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数  7.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 21位
・タイアップ:テレビ朝日系アニメ「機動戦士Zガンダム」主題歌

 前回のスターダスト・レビュー「夢伝説」に引き続き、今回もちょこっと変化球な曲かなぁ。
まあ、前回に比べれば、まだマシかな 

ハイ今回の1曲セレクトは、森口博子さんの「デビュー」シングル、「水の星へ愛をこめて 」ですわ。

まあ、この曲の場合、機動戦士「Z」ガンダムのオープニングテーマと言った方がしっくりくるヒトの方が多いかもなぁ。
かくゆう、ワタシも当初は、森口さんのデビュー曲というよりも、ガンダムの主題歌っていう認識が強かったような気がするなぁ、この曲に関しては。

アニメはあんまり見ないワタシだけど、当時「ガンダム」は見てたからねぇ。この「Z」は、ファーストガンダム「1年戦争編」の続編と言う位置づけだったじゃん。「ファーストガンダム」は、再放送や劇場版でセリフまでそらんじるほど見てたからなぁ、もちろん、続編となる「Z」も見なきゃなぁ・・・と意気込んでたからなぁ、当初は。

ただね、放送時間が確か、土曜日の17時30分〜だったんだよね。
当時、高校で部活をやってた身からして、土曜日と言えど、夕方はまだ帰ってなかった事が多かったからねぇ。最初の10話くらいまでは、毎週見てたんだけど、だんだんと見れなくなってきて、この「水の星へ愛をこめて 」で主題歌になったくらいはほとんど見れなくなっちゃってたんだよな、そう言えば。

この曲が主題歌になる前は、鮎川麻弥の「Z・刻をこえて」って曲が主題歌だったじゃん。たがら、ある日、久しぶりに「Zガンダム」を見たら、この曲が主題歌に代わってて、ちょっと違和感を感じたのを覚えてるなぁ。

違和感・・・ってのも変だけど、それまでの主題歌がスピード感があって、戦隊モノ的なイメージが強かったからさあ、この曲は、戦隊モノの主題歌にしては、大人しい感じがするからさあ、その辺に当初は違和感を感じてたんだよね。

ただ、アニメの主題歌・・・というところを離れて、いちアイドルとしての曲というと、やっぱり、なんか今一つ寂しかったのを覚えてるなぁ。
 やっぱり、当時のアイドルの曲は、もっと尖がった曲が多かったからさあ、メロディラインももっとキャッチーだったし、華やかさがあったからね。

そこから比べると、この曲は、アイドルの曲にしては「大人」っぽさがあったからなぁ。
メロディラインも他のアイドルの曲に比べると難易度があったしな。まあ、作曲者が、あの有名なニール・セダカ氏でしたからねぇ。
 日本のアイドルのことなど、考えてはいらっしゃらなかっただろうし、だから、難易度があったのは当然だったろうけどね。
ただ、そういう難しい曲を、いともさらりと歌う、森口さんもまたアイドルらしさから無かったんだけどさ。

・・・でも、ルックスはアイドルそのものだったんだよね。聖子ちゃんカットだったしさ

そそそ、まだ「バラドル」に行く前、正統派アイドルとして売り出したんですよ、当初は。

この曲こそ、そこそこ売れたんでね、85年デビュー組のアイドルとして出足は良かったんだけど、後が続かなかったからねぇ。

まあ、アイドル的なルックスではあったものの、今一つ華やかさがなかったからなぁ。ウタが達者だったっていうのも、当時のアイドルとしては、マイナスだったかもしれない。まあ、ヘンな話ではあるんだけども。。。
 例えば、やっぱりウタがウマかった、本田美奈子さんよりも「パンチ」は無かったからなぁ。そそそ、達者ではあるけどもインパクトは薄い・・・って言うかね。
それらの面でアイドルとしては、インパクトが弱かったんだろうなぁ。

うん、その後、やっぱり85年デビュー組の井森美幸とともに「バラドル」っていう新たなフロンティアを開拓して、成功するんだけどさ。
ま、当初の「既存」のアイドルとして成功できなかったからこそ、新たな道に行けたんだと思うし、それはそれでよかったんだよね。

・・・・ということで、「聖子ちゃん」カットの頃の森口さんのウタを。。



うーん、やっぱり、当時のアイドルの水準からするとウタ、達者だったんだよなぁ。
高音部の声の伸びがきれいだったしね。
ただ、やっぱりバラドルとして成功した後に比べると、今一つ線が細いよね。
個人的にも、この曲の後は、消えるだろうなぁ・・・とは思ってたよなぁ、当時。

ちなみに、今回のデータには、作詞・作曲者ともに「ニール・セダカ」氏とし、日本語詞を売野雅勇氏と記載しました。
ネット上見ると、作詞者は、売野氏になっているところが多いんだけども、JASRACの作品データベースを見ると、作詞・作曲者共にニール・セダカ氏になっているので、それに合わせました。

ちなみにちなみに、この曲のオリジナルタイトルは、「FOR US TO DECIDE」って言うんだよね。それは、知られていないかな?


アッパレ!フジヤマ / シブがき隊

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今回の1曲セレクトは、「アッパレ!フジヤマ」シブがき隊です。

まずはデータです。

・タイトル    アッパレ!フジヤマ
・アーティスト  シブがき隊
・作詞      売野雅勇
・作曲      井上大輔
・編曲      佐藤準
・リリース日   1984年7月7日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 17.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1984年7月16日〜7月30日付

ボヤッキー・・・・もとい、グロッキー
本日は仕事がキツカッタわい・・・・。なので、本当は1曲セレクト書かないで寝ちゃおうかなぁ・・・なんて所なんですが、ここ2日書いてなかったからなぁ。
 今までの傾向を見ても3日あけるとね、ちょっとアクセス数にも変化が出来るんで、ここは一つ体に鞭打って、PCに向かってたりします。。

でもね、いろいろ調べたりするのはちょっとご勘弁・・って感じなんで、「直感」的にかける80年代の曲を持って来ちゃいました。
 本当は、70年代の曲とか持って来たかったんだけどねぇ、70年代とか60年代は、それほどヒット曲に深入りしてなかった分、書く前にいろいろと調べなきゃいけないんでさあ。。その点、80年代は、ほとんど「惰性」で書けるからなぁ。 

・・・とブツブツ言いながら引っ張ってきた曲。

シブがき隊 「アッパレ!フジヤマ」

うーむ、最近、ジャニーズ付いてる1曲セレクトですが、今回もジャニーズで行かせてくだされ。
・・・というか、シブがき隊なんて、なんか久しぶりに書き様な気がするなぁ。 まあ、「代表曲」と言える曲は、すでに大体書いちゃってましたからね。

今回ひっぱってきた「アッパレ!フジヤマ」は、1984年の今頃のヒット。

そうそう、ちょうど、「ロスアンゼルス五輪」開催されてた頃だ・・・。あ、いや、今ちょこっとネットで調べたら、開幕が1984年7月28日になってるから、丁度32年前だ。
あの、インパクトのあるオリンピックファンファーレが鳴り響いた日から32年かぁ〜。
 今年もオリンピックイヤーだからね。なんか相性がいいかな・・・と思って引っ張ってきたってのもある(←こじ付け)

とろこで、毎回、これでもか・・ってぐらいインパクトの強い曲をリリースし続けたシブがき隊だけど、その中でも、今回の「アッパレ!フジヤマ」が最強だったんじゃないかなぁ。
 インパクトというか、アクが強いっつうか、音の密度が濃い・・・というか・・・。 当時、中学3年で、どんな音楽でもいらっし〜い・・・ってくらい音に強かったワタシでさえ、この曲は「ヘヴィ」だったんだよな。
よく「ヘヴィメタ歌謡」とか、言われてたシブがきだけど、これは、ヘヴィメタ・・・というよりは、超濃厚牛乳・・・というかねぇ、単に音の密度が高すぎ・・・って感じだったんだよな。

流石にこれはやり過ぎだよな・・・・なんてぇのは、新曲の段階で初めて、この曲を聴いた時感じたことだたよなぁ。

案の定、オリコンでの初動順位3位っていのうは、まずまずだったけど続かなかったよね。僅か3週でベストテンからダウン。
売り上げも17万枚止まりと、この曲から20万枚に届かなくなったんだよな。
ヘヴィメタぶりもエスカレートし過ぎるとただの「重い音」って感じだったんだよな。 

ただね。流石にこの先、この路線に行き場はない・・・とおもったのか、次の「べらんめぇ伊達男」から、少し方向転換したシブがきだけど、正直、この路線変更も成功だったとは言えなかったしな・・・。
ネタぎれ気味のシブがきでしたよね、この頃から。

ただ、薬丸氏は、この売り上げダウンを、チェッカーズに人気を取られた・・・と感じたらしく、チェッカーズには対抗意識を持っていたらしいですけどね。



ネタぎれっていうのは、メロディにも出てきてたりするんだよね。
サウンドは重くなったけど、メロディラインは、それまでの「シブがき」だよね。って感じだったりしてね。
それほど新しいところってないんだよな。
サビの ♪ アッパレ アッパレ〜♪ って変拍子になる所くらいかなぁ。ちょっと変わってたなって言うところは。


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夢絆 / 近藤真彦

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今回の1曲セレクトは、「夢絆」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル     夢絆
・アーティスト   近藤真彦
・作詞       売野雅勇
・作曲       鈴木キサブロー
・編曲       チト河内
・リリース日    1985年6月5日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  16.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1985年6月17日〜7月8日付

あー、あちいよあちいよ〜・・・・なんて、何日続けて書いてますかね〜。
気温は猛暑日にはならないんだけども湿度がねぇ・・・・、ジトジトジト・・・・と纏わりつく様ですこぶる気持ちが悪いですわ。そんな中、今日はクーラーを付けずに扇風機一つで書いておりまする

さて、今回の1曲セレクトは、久々に「まっち」先生を持ってまいりましたわ。
・・・と言っても、初期のRVC時代の曲は、大分書いちゃったからなぁ、今回はCBSソニーに移籍後の曲ですね。
RVC時代とは対象的に、CBSソニーに移籍後の曲は、まだあんまり書いてないんだよね。
今回は、そんな1曲。

「夢絆」。

夢絆・・・とかいて「きずな」と読む。 まあ、ここ読んで下さってる方には、こんな注釈は無用だと思いますが

CBSソニーに移籍してからの曲はあんまり書いてない・・・っていうのは、ま、はっきり言うと「まっち」先生らしくない曲が続いたからだよなぁ。
 まっち先生といったら、やっぱり、ハチャメチャで押しの一手の硬派な曲・・・って言うのが定番だったと思うけど、移籍してからは、その辺の「ハチャメチャ」さが陰を潜めたからなぁ。
 
 大人っぽさら前面に出した・・・といえば聞こえがいいけど、ただ、実際には今一つ中途半端さが表に出ちゃったような曲が多いんだよね。まあ、レコード大賞をとった「愚か者」とかは別としてさ。

今回引っ張ってきた「夢絆」。これなんかは中途半端な感じを受けたなぁ。
なぜに、まっちガこの曲のようなミディアムテンポを歌わなゃいけないのか・・・というのが、理解出来なかったんだよなぁ。
その前にまっちらしくないんだよね、この曲。 その辺に戸惑いを感じるような曲だったんだよなぁ。

やっぱり聴く方としては、↑のようにハチャメチャまっち期待していた訳で・・・そしたら思いっきり期待してた曲と違う曲が来たんでさあ・・・。

その辺の戸惑いは、チャートにも如実に出まして・・・。 まあ、売り上げが16.5万枚なんて、、それまでのまっち先生からは、想像も出来ないような「低レベル」だったのもそうだけど、 なによりオリコン連続1位記録が、この曲で途切れた・・・ってのは、やっぱ大きかったよね。
 前曲「ヨイショ!」も変な曲だったけど、それでも1位は確保した。 だから、この曲でも1位は行けるんじゃないか・・・と思っていたのに、これまた予想外な最高2位。
 81年の「ブルージーンズメモリー」から続いていた連続1位は14曲で途切れた訳ですわ。
ちなみに1位を阻止したのは、松任谷由実・小田和正・財津和夫の「今だから」っていうのも正直言って意外だったんだけどさ。

まあ、そのくらい、戸惑った曲だったんだよな、この曲は。

ただ、今となっては、それも遠い昔で、これはこれでよかったのかも・・・なんて思えるようになったりしてるんだけどね。
少なくとも、1985年の今頃を感じる1曲ではあるんだよね、個人的には。


あ、いや、正直言うと、ワタシねぇ、この曲もヒット時期を間違っていたんだよね。今頃ぢゃなくて、5月の終わりから6月頃・・・って記憶してたんだよなぁ・・・。
 まあ、細かく言えば、7月の第3週目はすでにヒットのピークは過ぎ、ベストテンからは墜ちちゃってたんだけどさ

でも、この曲聴いてた時期って、もっと肌寒かったような記憶があったんだよなぁ・・・。だから、5月の終わりごろだったかな・・って思ってたんだけども。。。。

ま、たしかに85年も、以前書いたような88年程ではなかったけど、涼しい夏だったんだよね。どん曇りの日が続いて・・・。 だから、あの年は「ギンギンギラギラ」っていう太陽の下で・・・っていう印象は薄いいんですよね。
この曲がリリースされた6月の初めっていうのもまだ涼しかった・・・ような気がする。
その辺の季節感が、今とはまるで違う・・ってことで、ちょっと誤って記憶してたのかもな。


ちなみに、レコードジャケット、今回、これを書くにあたって初めて見ましたわ
うーむ、なんかインパクト弱いなぁ・・・。コレの辺からも売れそうな感じがしないよなぁ・・・・。


動画・・・・うーむ、やっぱね、この位ジミな曲ともなると、You Tubeにも適当な動画がないなぁ・・・
・・・ってかジャニさんの動画対策なんだろうとげさぁ・・・
 しょうがないんで、「海外」のサーバーにリンク

http://v.youku.com/v_show/id_XMjYzNzQ3ODY0.html

一応、こちらからは繋がりましたが、繋がらなかったらスミマセン。



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Song for U.S.A / チェッカーズ

A_チェッカーズ


今回の1曲セレクトは、「Song for U.S.A」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル    Song for U.S.A
・アーティスト  チェッカーズ
・作詞      売野雅勇
・作曲      芹澤廣明
・編曲      芹澤廣明
・リリース日   1986年6月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 32.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1986年6月16日〜8月4日、8月18日付
・タイアップ:映画「Song for U.S.A」主題歌

個人的な事だけど、G.S(グループサウンズ)の勉強がしたくてねぇ、少し前にG.S研究の第一人者であった、故黒沢進氏が書いた「日本の60年代ロックのすべて」(シンコーミュージック刊)っちゅう本を買って読んでたんだよね。
 G.Sについては、いわいる「A級」って言われた、超有名ところなバンドについては以前から聴いては居るんだけども、G.Sは「B級」「C級」が面白い・・・なんて、まるで80年代アイドルのような事を言う人もいてさ、流石にそう言うマイナーとバンドは知らないんで、この本を買ってちょっと勉強してたわけなんだよね。
 この本、G.S研究の第一人者である黒沢氏が書いただけあって、マイナーなバンドまで、かなり詳しい解説があるからさ。

で、その中の「ザ・バロン」っていうグループの解説と、リーダーであった若子内悦郎氏のインタービューを読んでて、思わず「なに?」と思ってしまったのよね。

うん、このバンドで、サイドギターをやってたのが、何を隠そう、80年代にヒットメーカーとなる芹澤廣明氏だったんですよね。

うーむ、なるほどそうだったのか。。。と思わず唸ってしまったですわ。

芹澤氏といえば、確かに中森明菜の「少女A」が有名だけど、やっぱしチェッカーズ初期の一連のヒット曲ですわな。

・・・うーみゅ、前置きが超長くなってしまったけど、そんな事で、今回の1曲セレクトは、チェッカーズの「Song for U.S.A」をば。。。

↑でも書いたように、チェッカーズの初期の作品・・・。そう、デビュー曲の「ギザギザハートの子守唄」から、全てのシングルのタイトル曲は芹澤氏が作曲、プロデュースを行ってきた訳だけども、その蜜月の最後となった曲が、この「Song for U.S.A」・・・と言う訳ですわ。
そそそ、この曲の次が「NANA」になる訳だけど、「NANA」から後はメンバーの自作曲と言う事になるわけで。。

デビューから3年余り、ずっと続いてきた芹澤氏との蜜月が、突然切れた訳なんだけども、なぜ、このタイミングで切れたのか・・・っていうのは、まあ、30年経った今でも公式に公にはなっていないだけど・・・。
以前、有名になった高杢氏の暴露本「チェッカーズ」によると、藤井兄弟と芹澤氏との確執って事が書かれてはいたけど、どこまでが事実なのかは、よく分かんないしさ。

ま、確かに、この頃のチェッカーズの曲って、少し迷走して来て感があったのも事実だったけどね。
この曲の前の「OH!! POPSTAR」では、60年代のマージービートっぽい曲だったじゃん。正直ね、なぜに、このタイミングでこの曲なんだろう? ・・・とは当時から感じてたりしてね。チェッカーズもそろそろ、曲のネタが尽きてきたのかなぁ・・・っていう印象が強くてさ。

・・・それとともに、シングルの売り上げもジリ貧になってきてたしね。
「OH!! POPSTAR」が、おニャン子に負けて、オリコン1位獲れなかった・・・っていうのも、ちょっとインパクトあったしなぁ。

この「Song for U.S.A」でも売り上げのジリ貧は続き、売上げは32.6万枚。 この時点でのチェッカーズのシングルで「一番売れなかった」シングルになっちゃったわけだけどさ。


まあ、曲的な問題もあったのかもれしないけどね。
最初に書いたように芹澤氏って、G.Sのバロンっいうグループに居た訳だけども、このグループ、R&B志向が強かったようですから。まあ、チェッカーズ自体、R&B臭が強いかと言えば、そうではないけど、少なくとも50年代〜60年代の香りは、それまでのどの曲でも感じる訳だよね。
 でも、そういうオールディーズな傾向から、脱却したかったのかもな。そういう「縛り」がなく、もっと自由に音楽を作りたいって言う気持ちの方が強かったんだろう。

芹澤氏との蜜月の解消・・・っていうのは、その部分が強かったのかもしれないな。


たださ、個人的には、この「Song for U.S.A」っていう曲は、キライじゃなかったんだよな。
まあ、個人的に「3連」の曲が好きだってこともあるけど、曲自体切ないんだよね。
こういう切ない曲をチェッカーズがやってくれるんだったら、それはそれで歓迎だな・・・と。

ま、それよりも、前年の「神様ヘルプ」から、公然的に口にしてた「ゲ―ノー界」にたいしての反抗期っていう感じが、曲を聴く限りでは感じ無かったんだよね、この曲では。

音の荒みとか感じ無かったしさ、なにより曲を聴いて切なく感じるってことは、それだけ精神的に安定していたとも言えるしね。

でも、実際は、芹澤氏との蜜月解消が進んでいたって言う訳だからねぇ。
いや、逆言えば、そういう腹積もりを決心していたからこそ、音にも出て来ていたのかもな。




ちなみ、「Song for U.S.A 」とは、関係ない話だけど、芹澤氏との関係が解消し、50年代〜60年代縛りが無くなった頃、ネオG.Sって言う形で、G.Sにまたスポットが当たったのは、チェッカーズにとってはなんか皮肉だったよな。
 それと、芹澤氏の他にも、G.S・・・特にB級、C級のG.Sの元メンバーだった方が、この頃80年代の(音楽)業界にはホント多かったんだよね。売れる音楽とは何なのか・・・ってことを自分たちで体感し、分かっていたからこそ、80年代くらいの音楽は面白かったのかもしれないな。 その辺については、追々と言及して行きたいですね。


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