かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

坂本龍一

ライディーン /イエロー・マジック・オーケストラ

O


今回の1曲セレクトは、「ライディーン」イエロー・マジック・オーケストラです。

まずはデータです。

・タイトル    ライディーン
・アーティスト  イエロー・マジック・オーケストラ
・作詞      なし
・作曲      高橋ユキヒロ
・編曲      イエロー・マジック・オーケストラ
・リリース日   1980年6月21日
・発売元     アルファ
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数  22.5万枚

そりが合わないヒトって居るよね。ワタシさあ、子供の頃から協調性ゼロって言われるくらい「個人主義」なんで、そりが合う、合わない・・・っていうのが、人一倍あるんだよなぁ。
それは、大人になった今でもある訳で・・・。仕事上、本当はそれじゃ行けないんだけどね。・・・と理性としては分かっているんだけども、本能がそれが許さない・・・とかね。だから、「あーやだやだ」ってすぐに顔に出ちゃう訳ですわ。
 うーむ、本来なら「勤め人」としては一番向いていないタイプなんだよな。でも、働かないとメシ食えないから、向いてないな・・・と思いながらも半ば仕様が無く勤め人やってる訳ですわ。 宝くじでも当たれば即日、辞めると思うけどさ。

・・・・と、なんでいきなりそんな事を書くか・・・というと、今回セレクトしてきた曲の「前振り」なんですねぇ。

イエロー・マジック・オーケストラ「ライディーン」。

でも、みなさん、「ライディーン」と「そりが合わないヒト」と何の関係があるの・・・なんて思いますよねぇ。
それがあるんですわ、私の中では。

Y.M.O が話題になって、この曲がシングルチャートの上位にランクアップしてきたのが、1980年の今頃。ワタシは小学5年の時。その頃、学校では放送委員をやってワタシなんだけど。・・・というか、小4〜卒業するまでずっと放送委員だったんだけどさ。
放送委員は、曜日別に放送当番が決まってて、小4〜小6まで各1人ずつのチームを作らされていたのね。

で、さあ、この曲がヒットしてた1980年前期の時に組んでた、当時の小6の奴(まあ先輩なんだけど。。。)とそりが全く合わなくてね。すぐ、ヒトを小馬鹿にするイヤミな奴でさあ。 

そいつがある日、「ライディーン」ってしってる? なんて言って来た訳さ。

当時、ワタシ、Y.M.O知らなくてねぇ。 だから「ライディーン」なんて知らなかったんだけどさ。
でも、そこで知らないなんていったら、またヒトを小馬鹿にしてくるのが分かってたんで、知ったかぶりで「知ってるよ」なんて言っちゃったわけよ。

実はね ワタシ ↓コレ だと思ったのよ



「勇者ライディーン」  (爆)

バカにされたなぁ。小馬鹿じゃなくて、大馬鹿扱いされたもの。
でもさあ、あながち間違いじゃないじゃん
・・・とか、あんときは、心の中では思ったワタシだったんだけどね。。。
結局そいつとは、1980年度前期が終了する9月まで、チームを組まされたな。、
後期は、そいつ放送委員に落選したんでさ、顔合わせなくなって、まあせいせいした事。


でもね、それがきっかけとなって、逆にキニナッた、Y.M.Oの「ライディーン」なんだよな。
だから、そんな出来事があったあとですよ、この曲を実際に聴いたのは。

これが悔しいかな、良い曲なんだわ。うーん、良い曲っていうのは、ちょっと語弊があるかな。面白い曲でしたね。
 正直、それまで思いに聴いてた「ヒット」曲は全く感じなかった硬質感。無機質って言った方がいいのかなぁ。

 実際は、これ聴く前に「テクノポリス」は知ってた訳だから、Y.M.Oサウンド自体全く知らなかった訳じゃないんだけど、「テクノポリス」よりもさらに無機質感を感じたんだよな、こちらの曲には。
それでいて、メロディはよりキャッチーだったしな。 だから、すっと曲に入っていけた。
 まあ、当時はまだガキだったから、吸収力が凄かったからね。音楽に対してのキャパシティがでかかったから、聴くモノはなんでも吸収して行ってたようなところもあったからな。
 SE的に、当時ゲーセンに置いてあったようなテレビゲームのシューティングゲームのようなSEもあったでしょ。あれも刺激的だったしな。
今となってはちゃっちい8ビット的な音なんだけど、当時は、これでも充分刺激的だった訳なんだよね。



1980年12月27日
Yellow Magic Orchestra World Tour '80  最終日
武道館でのライブの時の「ライディーン」ですね。

それにしても、この時のツアーメンバーが、Y.M.Oのツアーの中でも最強だったんじゃなのかなぁ。

Y.M.Oの3人
細野晴臣
坂本龍一
高橋ユキヒロ

に加え、サポートメンバーとして
ギター 大村憲司
キーボード 矢野顕子
コンピューターマニピュレーター 松武秀樹

松武氏、若いですね。 矢野顕子さんも若いなぁ。 この時25才だって。
飛び跳ねながらキーボード弾いてる矢野顕子さんも珍しいわな。 このライブの1か月後には、あの大ヒット曲「春咲小紅」がリリースされることになる。

でも、レコードでは無機的に聴こえるこの曲も、実際にライブで、「手弾き」でやると、たちまち有機的に聴こえるのは不思議ですわな。
いくら、機械的に発達したと言っても、やっぱり、ヒトが実際に弾いてる音楽には叶わないんだよね。

 ちなみに、この時は、キーボード3人に、松武氏のマニピュレーターって言う存在も必要だったけど、あれから36年。いまでは、これらキーボードとマニピュレーター、4人分を1人でも十分賄えるようになったよな。
 だから、この時6人で廻ってたツアーも今じゃ、ギター、ドラム、キーボードの3人で充分・・・いや、ドラムもいまはコンピューターで充分だから、2人いればカバー出来るようになったわな。 機材技術の進歩だよなぁ。
 逆に、実際に演奏しているヒトのテクニックは、逆に衰退しているように感じるけど。。。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

夏の雫 / 三田寛子

1982_07_夏の雫_三田寛子


今回の1曲セレクトは、「夏の雫」三田寛子です。

まずはデータです。

・タイトル     夏の雫
・アーティスト   三田寛子
・作詞       阿木耀子
・作曲       井上陽水
・編曲       坂本龍一
・リリース日    1982年7月7日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 28位
・売上げ枚数   6.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 25位

 昨日に引き続き、またまた変な時間に書いてる1曲セレクトどぇす。。。 なんかこの先 土日はこんな感じで「早朝」に書くのが日課になりそうな予感がするけど。。。。
 通常は夜、眠い頭の中書くんだけども、時間的な余裕があれば朝書いた方が頭もシャキッとしてるんで書きやすいって事もありますけどね。

さてさて、ここんところ、全体的にアイドルに偏ってるよなっていうのは否めないんだけども、そう言っておいて、今回も「アイドル」です。

三田寛子「夏の雫」

1曲セレクトもたまにヘンな曲を持ってきたくなるんだけど、この曲もそんな「ヘン」な曲に入るような曲ですかねぇ。
 リリースは、1982年7月。 この年の3月に以前書いた「駆けてきた処女」でデビューした三田寛子さんのデビュー第2弾シングル。
つまりは「花の82年組」というわけなんですが、この曲が今一つパッとしなかったんだよなぁ。

以前も書いたように、このヒト、デヒュー時は、数多くいた82年デビュー組の中でも、期待度も実績も、松本伊代に続く二番手だったんだよね。まあ、今考えると「意外」かもしれないけど・・・。
 そそそ同じ日にデビューしたキョンキョンよりも堀ちえみよりも「上」だったんですよ。

でも・・・・。 この曲で早くも躓いちゃいましたね。。。

デビュー時、三田寛子よりも「下」と見られていた、キョンキョンも堀ちえみも、夏にリリースした第2弾シングルは、軒並みデビュー曲を上回り、「人気」と言う点でもこの時点では完全に、三田寛子さんを抜いちゃってましたもんね。
 
なぜ、伸び悩んだかと言えば・・・・うーん、やっぱり、このヒトが本来持ってたキャラクターとのギャップがあったんじゃないのかなぁ・・・なんて思ったりして。
 このヒト、パッと見のルックスが今一つ「華やか」じゃなかったぢゃない どちらかと言えば陰がある顔立ちだったし・・・。そのあたりからなのか、この曲のジャケ写のように。少し大人っぽい「妖艶」なイメージに持って行ってしまった・・・というのが、ギャップの始まりだったかもしれないな。

少し陰がある・・・って言うイメージから山口百恵アゲイン・・・な雰囲気になってしまった感もあるし。
まあ、その辺は、当時三田寛子のディレクターだった酒井政利氏のイメージだったのかもしれないけど・・・。
デビュー曲に続き、この曲でも、作詞が阿木耀子女史を起用したのもその表れかもしれないけどね。

だからね、後年、「笑っていいとも」で見せてたような、おとぼけ「天然キャラ」っていうのを、この当時から作り手が見抜けていていれば、もう少し違った展開になっていたかもしれないな。

ところでさ、この曲で、まず目が行ってしまうのが作家陣だよなぁ。

・作詞 阿木耀子
・作曲 井上陽水
・編曲 坂本龍一

超豪華・・・というまえに、うわっ、めちやくちゃ濃いメンバーやん・・・・ って言うのが先に立ってしまったりして 
 作詞 阿木耀子、作曲 井上陽水っていうのは、前曲「駆けてきた乙女」がそこそこ成功したんで引き続き・・・って言うのはわかるんだけども、なぜにアレンジが坂本教授やねん ・・・って感じで。
超濃いメンバーでしたよね。 

でもね、実際に濃い曲なんですわこれが。  

デビュー曲「駆けてきた処女」は、作詞、阿木耀子、作曲 井上陽水・・・にしては、わりかし「まとも」なイメージで、このヒトたちの個性が、今一つ感じられなかったんだけども、この曲では、それぞれの個性が弾けちゃってる・・・というか・・・。 ま、良く言えば・・・・と言うところなんだけども。

特に、井上陽水氏のメロディね。当時としては、まあ、難解なメロディなんだよな。

出だしは、まともなありがちなサビ。 ・・・かと思ったら、いきなりぶっ飛んだようなコミカルなAメロ。 かと、おもったら、サビの続きか・・・と思わせるまともなBメロ。 ・・・かと思ったら、少しトーンダウンしたようなCメロ。

一体、どんだけ展開が変わるのよ・・・。くらい目まぐるしく変わる展開。
うん、この曲のレビューを書いてる他のブログを読むと、この展開の変化を「転調」って書いてるヒトがいたけど、転調ではないんだよね、キーは、ずっとCmのままなんで。あくまで展開が目まぐるしく変化してるって事なんですわ。

井上陽水氏は、この曲とほぼ同時に、自身のシングル「リバーサイドホテル」をリリースしてるけど、この曲も精神分裂気味な難解な曲だったじゃん。 なんかね、そんな精神分裂気味な難解なメロディをそのまま、この曲にも持ちこんじゃってた・・・ような感じも受けてさ。。。

それに輪をかけてアレンジがね。 デビュー曲の「駆けてきた処女」はアレンジが萩田光雄氏っていうプロのアレンジャーだったこともあり、井上陽水氏のクセあるメロディを上手く調和していたところあったんだけども、この曲は坂本教授でしたからねぇ。
 調和どころか、井上氏のクセのあるメロディに負けてたまるか・・とばかり、これまたクセのあるアレンジに仕上げてたりして。。。
 ま、通常、これだけ展開が激しいメロディの場合、イメージがとっちらかり気味になるんだけど、シングルとしてそれなりにまとめてあるのは、流石は教授・・・なんても思う。

・・・・かと思えば、阿木女史の歌詞。Aメロ、Bメロは直接的な関連がなさそうでいて、共に自分と彼との事・・・ってのは分かるんだけども、Cメロで、それまで全く出てこなかったKumi and Rumi なんて「謎」の女性がいきなり登場したりして ぶっ飛んでるよなぁ・・・。
(いずれもイニシャルを外すと 「umi」⇒「海」となって、次の歌詞にある「海の少女」に掛ってるんだよね。って最近知ったんだけど。。。

・・・ってな具合で、三者三様、持ち味を存分に発揮した曲ではあるけど、「歌謡曲完全攻略ガイド」でもレビューされているように、濃すぎる牛乳は、逆に飲みづらい・・・ということで、売り上げも伸び悩んだんじゃないのかなぁ・・・なんて思う訳ですわね。

ただね、それは当時思ったことであり、そういうシガラミは一切なんにも考えずに、今、この曲を聴くと、 それはそれで面白い曲ではあったかも・・・なんて再認識されてくるような曲ではありますけどね。


そういえば、この曲もデビュー曲に引き続きいて「カルピスソーダ」のCM曲・・・だったような気がするんだけどな。。
そう思って、ネットで調べてみたけど、今一つ確証が出てこないんだよね。なんで割愛しました。


・・・ということで、実際の曲を紹介したかったんだけども。。。
うーん、この曲の動画はようつべに落ちてないなぁ。。。。

・・・かと思ったら、一応ニコ動にあった。。。。
↓コレ


ちなみに、この曲の次の曲は、「色づく街」っていう南沙織さんのカバーだったんだけども、個人的には、この曲、好きだったんだよね。
今は、オリジナルの南沙織さんバージョンを知ってしまったんで、ヘタだな・・・なんて思っちゃうけど、当時は知らなかったんでね。
筒美京平氏の色っぽいメロディがセクシーなんだよね。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

アメリカン・フィーリング / サーカス

1979_08_アメリカン・フィーリング_サーカス






今回の1曲セレクトは、「アメリカン・フィーリング」サーカスです。

 まずはデータです。

・タイトル     アメリカン・フィーリング
・アーティスト   サーカス
・作詞       竜真知子
・作曲       小田裕一郎
・編曲       坂本龍一
・リリース日    1979年5月25日
・発売元      アルファ
・オリコン最高位  5位
・売上げ枚数    47.6万枚
・ザ・ベストテン最高位 5位
・ザ・ベストテンランクイン期間:1979年8月23日〜10月4日放送分
・タイアップ:日本航空「COME TO AMERICA'79」キャンペーン曲

 夏の終わり、秋風が吹いてくると、聴きたくなる曲ってまだ、あるんだよね。今回もそんな曲を持ってきました。

 サーカス「アメリカン・フィーリング」

 やっぱ、この曲自体のすがすがしさっていうのが、これからの季節に良いんだよね。 まだ、秋空のって言う感じじゃないけど、もう少し気温が下がってきて空が高くなってくるといいんだよな、この曲。
 
 時に、今は、このサーカスのような、ポップス系のコーラスグループっていなくなっちゃいましたね。

 近いのがゴスペラーズって感じなのかなぁ・・・・。でも、ゴスペラーズはあくまでも、R&B系っ感じじゃん。ポップスコーラスではないよね。

 そういう意味では、絶滅しちゃったような気もするなぁ。このころは、ハイファイセットとか、ポップスコーラス系のアーティストって他にもいたし、実際ヒットも飛ばしてたんだけどねぇ。

 逆に、新しいかもしれないんだけどね。今だったら。

 まあ、それだけ4〜5人が、肉声できれいにハモれるようなヒトが少なくなっちゃったんだろうね。
 だから、もし、今、そういうひとたちが出てきたら、逆に新鮮な気がするんだけどなぁ。。。


 この曲は、あえて、書かなかったんだけど、たしか、JALのアメリカキャンペーンソングでしたよね。

 ちょうど、作曲した小田裕一郎氏が、初めてのアメリカ旅行の帰路になんとか、この体験を曲にまとめようと思って、機内で書いた・・・っていう曲ですよね。

 だからなのかなぁ・・・、そのときの情感がよく伝わってくるよね。
 丁度、時期的に海外への一人旅っていうのも流行りだした時期だったから、時期的にもピッタリだったんだよね。

 ちょっと話がうますぎるような気もするけど、うまく時期が当てはまったという感じだよね。


 それと、アレンジが坂本龍一っていうのも、ちょっと驚きなんだよね。
 いや、正直言ってかなり驚きました、初めて知った時。

 あの頃の坂本龍一=イエローマジックオーケストラっていうイメージが強いから、まさか、ストリングスやブラスをふんだんに使ったオーケストラのアレンジがこのヒトだとは想像付かなかったですからねぇ。

 ただ、ところどころ、ポリフォニックシンセを絡ませて来ているあたりは、さすがに教授らしいなっというところを見せてますけどね。

 たぶん、ポリフォニックシンセを使って、ヒットチャートの上位に来た曲って、この曲からなんじゃないかなぁ。

 この時期は、まだ、Y.M.Oはメジャーな存在ではなかったし、ゴダイゴが使ってたのは、モノフォニックシンセ(単音しか出ないシンセ)だったですからねぇ。

 意外と気付かれにくいところなんだけど、この時期、確実に音楽は進歩してたんですよね。

 なお、全てがポリフォニックシンセだけでアレンジされてヒットした曲は、西城秀樹の「愛の園」ぢゃないかしら。
 もちろん、アレンジは坂本教授どぇす。

 この曲は、あの曲に比べると、かなりシンセの比率は低いわけで、大半が生のオーケストラだったわけだけど、だからこそ、ダイナミック感があったんじゃないかな・・・ということはいえるよね。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

今だから /松任谷由実 小田和正 財津和夫

1985_06_今だから_松任谷由実 財津和夫 小田和正






今回の1曲セレクトは、「今だから」松任谷由実 小田和正 財津和夫です。

 まずはデータです。

・タイトル   今だから
・アーティスト 松任谷由実 小田和正 財津和夫
・作詞     松任谷由実 小田和正 財津和夫
・作曲     松任谷由実 小田和正 財津和夫
・編曲     坂本龍一
・リリース日  1985年6月1日
・発売元  東芝EMI ファンハウス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  36.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1985年6月17日〜8月5日付
・タイアップ:ALL TOGETHER NOWテーマソング

 今でこそライブに頻繁に行くようになったワタシだけど、でも、ライブに行くようになったのって、意外と最近なんだよね。
 某C社に入って、野外フェスに誘われてからかなぁ。まあ、C社では仕事柄、付き合いでライブに行くっていうのも結構あったからねぇ。
 だから、30過ぎてからなんだよね、ライブに行くようになったのは。これが。。

 うーん、意外だったかなぁ。

 でも、もちろん、高校の頃から、ずっと行きたい行きたい・・とは思ってたのよ、ライブにはさあ。 まあ、そこは、腰が重たいワタシの事だから、行きたい行きたい・・とは思ってても、なかなか、行動に移せなかったのもあるな。
 いや、あの頃にインターネットっていう便利なものがあったら、行動できたかもしれない。あの当時は、わざわざ「ぴあ」の店頭までいってチケット買わなゃいけんかったからなぁ。

 そんな、腰の重いワタシが一度だけ、行動に移したことがある。

 それが、1985年6月に行われた、「ALL TOGETHER NOW」っていう当時のビッグイベント。

 うん、詳しく書くと、1985年6月15日・・・っていうから、あれから、ちょうど30年経つんだよなぁ。国立競技場で行われた、当時のニューミュージック、ロックの超ビッグネームが一同に介して行ったライブイベントだよね。

 吉田拓郎氏が総合司会って形で仕切り、南こうせつ、さだまさし、オフコース、チューリップ、武田鉄矢、アン・ルイス、イルカ、後藤次利、高中正義、高橋幸宏、加藤和彦っていうサディスティックミカバンドの面々、もちろん、松任谷由実、坂本龍一、細野晴臣といえば、Y.M.O・・・・といった70年代組。
 佐野元春、サザンオールスターズ、山下久美子、白井貴子、ラッツ&スターといった80年代組
 前座が、チェッカーズ、バックコーラスに渡辺美里

 一番の目玉が、大滝詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂・・といったら、はっぴいえんど 

・・・・なんていう、空前絶後の超豪華メンバーを一同に介したライブでしたわ。

 いや、これが見たくてねぇ。。

 でも、このイベントを知るのが遅くてさぁ、すでにチケットは完売だったよな、たしか。

 で、しょうがなく、オリコンウイークリーの「掲示板」コーナーにあった、チケット売りますに応募したんだっけ。

 で、あえなく撃沈したわけさwww

これ学校サボッてでも絶対行きたいと思ってたのに、これが悔しくてねぇ・・・。いや、いまでも悔しいよなぁ、思い出すと。 日本のロック&ニューミュージック界にとっての歴史的現場に居られなかったっていうのはさあ。

この間も「東京ららばい」の時に書いたんだけども、松本隆作詞生活45周年記念コンサートのチケット取得にゃ撃沈してしまったワタシですが、昔、同じように、超巨匠たちが一堂に冠した記念ライブのチケット取得に失敗のと同じですわ。

 どうも、日本の音楽シーンの「歴史的現場」には悉く縁がないワタシですわ。。。。


 で、今日引っ張ってきたのが、その「ALL TOGETHER NOW」のテーマソングだった、「今だから」。

 歌は、もちろん、このイベントに出演していた、松任谷由実、小田和正、財津和夫の3人。 アレンジが坂本龍一氏っていう、これまた、超豪華な布陣だったよなぁ。

 でもさ、「ALL TOGETHER NOW」に参加できなかった悔しさからか、正直、当時から、この曲ってほとんど聴いてなかったんだよなぁ。
 うん、音源すら持っていない。 当時、オリコンで2週連続の1位、売上げ36万枚もあった、この曲なのにさあ。

 まあ、イベントに参加できなかった悔しさだけでなく、どうも、この曲がイマイチわかんなかったからもある。わかんなかった・・というより、刺さらなかった・・って言うほうがいいかなぁ。

 どうもねぇ、この曲スマート過ぎるんだよね。曲調からしてもサウンドからしても。
 今聴けば、ああ、いかにも85年だよね・・・っていうスマートさなんだけどさ。 ひと言で言えば「都会的」なスマートさっていうのかなぁ、機能的っていうのかなぁ・・。

 まあ、ともかく、「ダサダサ」でイモな曲が好きだったワタシには、まったく刺さらなかったっていうのが、本音なんだよなぁ。
 ちょうど、当時、逆に時代を遡って聴き始めてた頃でさあ、当時のワタシとしては70年代初頭〜中盤の音が「ナウ」なったんだよね。




よろしかったら、ポチッとしてね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

モンローウォーク / 南佳孝

1979_06_モンローウォーク_南佳孝






今回の1曲セレクトは、「モンローウォーク」南佳孝です。

 まずはデータです。

・タイトル    モンローウォーク
・アーティスト  南佳孝
・作詞      来生えつこ
・作曲      南佳孝
・編曲      坂本龍一
・リリース日   1979年4月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 38位
・売上げ枚数   12.2万枚

 すっかり夏だね。今日のような天気だと。梅雨とは思えないような日差しだったものねぇ。
 今年も「猛暑」なんですかねぇ。今日のの天気は、まだまだその序の口って感じなのかなぁ? 6月でこれだからねぇ、8月になったらどうなるか分らんですゾ。

 でも、こういう日差しの日には、やっぱり、それらしい曲が聴きたくなるもんだよねぇ。やっぱり、海で聴きたくなるような曲。うーん、サザンとかチューブもいいけど、もうちょっとオシャレな曲がいいな・・・。

・・・ということで、南佳孝の「モンローウォーク」なぞをひとつ。

 なに? こんな曲知らないですと?

うーん、まあ、リリースが今から36年前、しかもオリコンで38位までしかいなかったからなぁ・・。

 でも、郷ひろみの「セクシーユー」って曲なら知ってるヒト、多いんじゃない?  

そそそ 2月に「セクシーユー」の方は書いたんだけどね。

 ♪ つまさき立てて海へ モンローウォークしてゆーくー♪

っていうノリノリな曲っすよ。

 はい、この曲は、その「オリジナル」です。

・・・・っていうか、郷ひろみが後から「カバー」したんだよね。

 で、まあ、タイトルもオリジナルの南佳孝が「モンローウォーク」に対して、郷ひろみは「セクシーユー」・・・・と。

 タイトルが違うっちゅうことは、中身も違う?  っていのうは半分当たってる・・・うん、歌詞が若干違うんだよね。

 たとえば、一番の歌詞の最後

郷ひろみが ♪ 口説き落としたい君 素知らぬ素振りもセクシー ♪

に対して

南佳孝 ♪ 口説き落としたいのに スキもないね君は ♪

だったりしてね。

 全編にわたって、最後の1行だけが異なってるんだよね。

 これは、81年の薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」と来生たかお「夢の途中」の違いと全く同じっ訳ね。

 まあ、作詞が同じ、来生えつこ っていうところがミソなんだけどさ。

 サウンドは全く違うんだけどね。郷ひろみと南佳孝では。

 郷ひろみはカリブっぽいノリがありながらも、もっとポップスよりな味付けだけど、南佳孝は、音が重くて分厚んだよね。ただ、16ビートの強烈なビートは、郷ひろみよりも全然利いてる。なんていったら言いのかなぁ・・南佳孝氏らしい、独特なクセのあるノリが存在するんだよね。

 うーん、このクセのあるノリのアレンジってだれやってたんだ? と思って調べてみたら、なんと、坂本龍一氏ぢゃないの!!

 うーん、これは、今の今まで全く気が付かなかったですぞ!

・・・というか、この曲全てが生楽器でシンセが全く入ってないんだけどね。だから、坂本氏とは全く想像もしてなかったんだよなぁ。

 坂本氏が16ビートですか? ってところも想像が行かないしさ。 でも、実際はそうなんだよね。

 確かに、ストリングス、ブラスの使い方なんかは、この年(79年)に大ヒットした、サーカスの「アメリカンフィーリング」にも似たところがあるかなぁ。言われて見れば。

 でもさ、この曲リリースは、1979年の4月なんだけど、実際ヒットしたのは、郷ひろみの「セクシーユー」の後・・。
 1980年の3月〜4月にかけてなんだよね。だから、実際はちょっと「夏の・・・・」っていうイメージはなかったんだけどさ。
・・・っていうか、郷ひろみの「セクシーユー」が1980年の2月だもんなぁ。真冬に♪つま先立てて海へ〜 ♪って言う方がちょっと季節外れだったんだよね。

 だから、本来は79年の「夏」のイメージなんだろうけどさ、個人的には1980年の夏っていうイメージが強いな。

 ただ、残念ながら1980年の夏は「天候不順」で記録的な冷夏だったのよ・・・ この曲、いまひとつ盛り上がらなかったのは、そういうこともあったんでないかなぁ。。。




よろしかったらポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

テクノポリス / イエローマジックオーケストラ

1980_06_テクノポリス_イエローマジックオーケストラ







今回の1曲セレクトは、「テクノポリス」イエローマジックオーケストラです。

 まずはデータです。

・タイトル      テクノポリス
・アーティスト    イエローマジックオーケストラ
・作曲        坂本龍一
・編曲        イエローマジックオーケストラ
・リリース日     1979年10月25日
・発売元       アルファ
・オリコン最高位   9位
・売上げ枚数     29.3万枚
・オリコンベストテンランクイン:1980年6月23日〜6月30日付

 シンセサイザーの登場って(個人的に)思っているよりも早くて、向こうでは1960年代の末から使われていたんですよね。
 日本の「ポップス」に使われだしたのが、1970年代の初めごろですか。
 ムーグの「モノフィック」シンセ。つまり「単音」しか出ないやつですな。これがぼちぼち使われだしていたりするんだよね。
 「歌謡曲完全攻略ガイド」からの受け売りになっちゃうけど、例えばキャンディーズの「あなたに夢中」とかね。
 ただ、単音しかでないかんね。メロディラインをなぞるとか、バックで効果音的に使われるに過ぎなかったわけで、本来のシンセの威力を発揮するまでには至っていないんですよね。
(もちろん予算的に高かくついたってのもあるでしょうけど)

 個人的にリアルにシンセサイザーを聴いたのは、やっぱりゴダイゴだとおもうな。「モンキーマジック」ではビュンビュンいわせてしたし、「ベストテン」なんかでは、ひとつ前の「ガンダーラ」で、すでにシンセを使ってましたしね。
 ただ、ゴダイゴにしても、悲しいかな、このころはまだ「モノフィック」だったような気がするな。効果音的な使われ方だったもんね。

 それに対を成して、このころ主流になりつつあったポリフィックシンセ(複数音の表現が可能)を前面に押し出して、完全な「電脳サウンド」に挑戦してきたのが、イエローマジックオーケストラってわけですね。

 いまさら、ここに書くことでもないけど、

(Bass) 細野晴臣
(TOP) 坂本龍一
(Drum) 高橋ユキヒロ

 という、60年代末期のエイプリルフールから続く、細野人脈による「セッション集団」なグループですね。

 このお三方が、ポリフィックシンセを駆使して、「ほぼ」全面的にシンセだけで、いわいる「テクノ」っていうサウンドを確立していくわけだけども、ま、その、魁になったのがこの「テクノポリス」ではなかんべかね。

 もちろん、イエローマジックオーケストラとしては、1978年の段階ですでに「イエローマジックオーケストラ」というアルバムを出しているんで、実際は、それよりは早いんだけど、「テクノ」っちゅうサウンドが、一般にも認識されだしたのが、この「テクノポリス」からっていう意味ですけどね。

 ただ、それでも、流行に敏感な層ではいざ知らず、本当の「一般層」まで認識されるのは、この曲がリリースされて、半年以上もたった頃だったわけで、急激に浸透して言ったわけじゃないんですよね。

 だから、この曲のピークは、1980年、今から35年前の「まさに今ごろ」だったわけですわ。

 これだけ時間がかかったっていうのは、やっぱし、保守的地盤が強い、日本人ならではの特質なんですかねぇ。
 まあ、たしかに、情報手段がいまとは比べ物にならないほど限られていたって言うのもでかいだろうし、例えば、当時のメインメディアだった、「AMラジオ」では、この曲・・・というか、Y.M.Oの面白さが充分伝わらなかったっていうのもあるだろうしね。

 ・・と言うことは、クチコミによって「レコード」が売れるってことが広く認知されるのには必要だったってこともあるでしょうしね。

 ただ、もちろん、伏線もあったわけで・・・。

 例えば前年の夏にヒットした、サーカスの「アメリカンフィーリング」なんてのは、坂本龍一氏がポリフィックシンセを駆使したアレンジを見せてたりするんだよね。
 ま、この曲はそれ以上にストリングスも絡んでくるんで、ぱっと聴き、ちょっと見過ごされちゃうところもあるんだけど。。。

 で、極めつけは1980年3月にリリースされた西城秀樹の「愛の園」でしょ。
 この曲は、どっからきっても、ポリフィックシンセだけでサウンドを織り成している、今から考えると結構斬新な切り口な曲ですよね。とにかくボーカル以外、全てシンセだけでしょ。バックの小鳥のさえずりさえもシンセだったりして。
 この曲は、作曲がスティービーワンダーってことで、有名なんだけど、アレンジは坂本龍一氏なんですよね。

 個人的には、この曲をきっかけにして、イエローマジックオーケストラとしての認知も一気に広がって行ったような感覚があるんですよね。

 でもさ、この「愛の園」のアレンジに比べると、この「テクノポリス」っていう曲は、今、聴くと、まだ、「人間的」な温もりがあるような感じるなぁ。

 まずもって、ユキヒロ氏のドラムは、リズムマシーンのように聴こえるけど、実際は生で叩いてるでしょ。
 ま、このヒトの叩き方がもともとリズムマシーンのような無機的な叩き方だから、生弾きに聴こえないんだけど。

 それと、時折でてくるベースのチョッパーは、これ生弾きですよね? あれ? 違うのかな。 しかし、当時、「チョッパー」もシンセで表現出きたんだろか? 生弾きのような自然さがあるんだけどな。。。

 とにかく、とかく「無機的」といわれる「テクノ」だけど、この曲、・・・というかこの曲の頃のサウンドはまだ、人の温もりが感じられるんだよね。

 もちろん、当時は、それでも、それまで、全く聴いたこともない「無機的」さを感じていたんだけどさ。

 それと、当時、話題になったのは、今聴くと、シロートがパソコン1台あれば充分表現できるような「音」だけど、スタジオいっぱいに機材をならべた上での演奏。。。というのをテレビなんかで、やってましたね。
 同じことは、これから7年後、「ザ・ベストテン」でTM NETWORKがやるんだけども。。。
 
 ともあれ、ここから、今に続く、いい意味「オーバーグラウンド」でのシンセサウンドの水脈が流れて出てきた源と言ってもいいでしょうね。

 そういう意味でも1980年っていうのは、70年代とは、一線を画したようなレポリューション的な年だったんじゃないかなぁ。




ちなみに、この曲、当時、テレ朝で朝早くやってた「みどりの窓口」って、今じゃ知ってる人しか知らないような15分番組のBGMに使われてたの覚えてるヒトいるかなぁ。
 「みどりの窓口」は、文字通り、当時「国鉄」だったころ東京、上野発の特急列車の指定席空席情報を流して番組なんだけど、個人的には、これが好きでね。当然、この番組で、この「テクノポリス」を覚えた記憶があるなぁ。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

君に胸キュン / Y.M.O

O






今回の1曲セレクトは、「君に胸キュン」Y.M.Oです。

 まずはデータです。

・タイトル    君に胸キュン
・アーティスト イエロー・マジック・オーケストラ
・作詞      松本隆
・作曲      イエロー・マジック・オーケストラ
・編曲      イエロー・マジック・オーケストラ
・リリース日   1983年3月25日
・発売元     アルファ
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   34.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1983年4月25日〜6月6日付
・タイアップ:カネボウ83年夏のキャンペーンソング

 さてさて、「君に胸キュン」でございます。
「胸きゅん」ですぞぉ、完璧に「死語」だよね、今となっては。リアルタイムで使ってたってヒトは、すでにアラフィフ世代だよなぁ、きっと。
えー、でもでも、32年前は「ナウ」(←これも死語!)かったんですっ 

 だけど、例の近田春夫氏にいわせれば、それでも、当時から「アナクロ」って言ってたよなぁ。「胸キュン」ってコトバ。その前の年が「赤道小町・ドキッ」だったじゃん。カネボウの夏のキャンペーンって。それと同じじゃん・・・ってわけですな。

 今は、もっと言葉の流行り廃りのスピードは速いけど、当時でも、さすがに1年も時間があれば、完全に流行り言葉なんて変わってたからねぇ。まあ、言われてみれば、たしかに、ちょこっと「アナクロ」だったかねぇ・・・っていう気もする。

 大体にして、Y.M.Oがいまさら「唄入り」の歌謡曲? ってことで、随分、批評してたのを思い出す。

 当時は、随分、キツイなぁ・・・なんて思ってたけどね。 うん、それでも最初は、なんとなく新鮮だったのよ、この曲。近田氏が言うほど、アナクロって感じもしてなかったし。なにより、曲の独特の温度感、湿気感っていうのが、ちょうど、「初夏」のこれからの季節にちょうどマッチしてた・・・って感じてたんだけどさ。

 BUT、BUT、今になってみれば、あの時、近田氏が言おうとしてたことがなんとなく理解できるようになったけどねぇ。
 ・・・っていうか、この曲、今まで聴きすぎて、完璧に飽きちゃってるってこともあるんだけど、たしかに、なんで「いまさら?」っていう感じもするんだよねぇ。

 「胸キュン」っていうコトバも、考えてみれば、それまで糸井重里氏が使い古していたようなコトバの使いまわしのような気もするし、なんで、いまさらそれを松本隆氏が持ってくるの? ・・・みたいな気もしたりするし。。

 まあ、化粧品のキャンペーンのキャッチコピーだからして、タイトルは、もともと決まってたんだろうけどさ、広告代理店のヒトが考えて。
 そうか、そう考えると、広告代理店の方でネタぎれしてたんだな、きっと。


まあ、そうは言っても、ヒットしちゃいましたけどねぇ、当時。

ちなみに、このときの目標が「シブがき隊」だったのよね。
ジャケ写もそれを意識してたとか。(ぜんぜん見えないけど。。。)



これ、当時のPVなんだけど、このPVは見た事あるな。地元の新星堂で結構頻繁に流れてたなぁ。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

めだかの兄妹 / わらべ

1983_04_めだかの兄妹_わらべ






今回の1曲セレクトは、「めだかの兄妹」わらべです。

 まずはデータです。

・タイトル     めだかの兄妹
・アーティスト   わらべ
・作詞       荒木とよひさ
・作曲       三木たかし
・編曲       坂本龍一
・リリース日    1982年12月21日
・発売元      フォーライフ
・オリコン最高位  3位
・売上げ枚数    88.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1983年1月31日〜5月2日付
・タイアップ:テレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの」より

 さてさて、今回セレクトしてきた曲は、わらべの「めだかの兄妹」ですわ。
昨日は、イモ欽トリオをセレクトしたんで、2日続けて「欽ちゃん」ファミリーからのセレクトって訳ですが、80年代前半は、欽ちゃんは強かったですからね。視聴率100%男とか言われて、各キー局で冠番組をもってたけど、いずれも軒並み、視聴率20%以上、時には30%以上も稼いていたわけですから。

うーん、でも、時期的にちょっと、引っ張ってくるのが遅くなっちゃったですかねぇ。
 本来は2〜3月が、この曲のヒットのピークだったんだよね。

 でも、ベストテン内に4ヶ月もいすわったっていう、ロングランヒットな曲だったから、4月の中旬でも、まだ、ベストテン内に居たんだよね。

 この曲は、いわずとしれた「欽どこ」の挿入曲として、番組で歌われていたんだけど、当初はここまでヒットするとはなぁ。

 「童謡」だもんね。 でも、まあ、わらべ3人のキャラクターをかんがえると、ピッタリだったのかもなぁ。。

 あ、高部知子は例外として・・・って書いたら怒られちゃうかしら・・・。

 いやいや、ちょうど、この曲と平行して「積木くずし」やってたじゃん。ギャップが激しいんだよね。。。

 まあ、そのあとの「例の事件」もあったし。。。

 それでも、あとの2人には、ピッタリだったと思いますよ。

 童謡系って時として、大ヒットすることがあるじゃん。「だんご3兄弟」とかさ。
 それが、たまたま、あの時代は、この曲だったって訳だよね。

 まあ、4ヶ月ベストテン入りしてたって言うのも、「童謡」っていうところも大きかったんだろうな。

 なにせ、いろんなヒトが聴くもんね。このテの曲は。
わらべファン(なんていたのか?)のみならず、ガキンチョにしても、おじいさん おばあさんにしても・・・。

 まあ、幅広い人たちから支持を受けたことは間違いないですわ。

 加えて、この曲、坂本龍一がアレンジを担当した・・・っていう話題性もあったからなぁ。

 坂本氏は、このすぐ後に「君に胸キュン」で大ヒットを飛ばし、くしくも わらべと共演することになるんだけどさ。

 そういう話題性もあったよね。そんなことが、より、この曲をロングヒットさせたんぢゃないですかねぇ。



えー、毎度毎度の「ザ・ベストテン」。
わらべとは関係ないけど、サザンの桑田氏がメダカ掬いやってる図は、いまぢゃ1000%見られないよなぁ。
ベストテンならではの光景ですわね。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

くちびるNetwork / 岡田有希子

1986_04_くちびるNetwork_岡田有希子






今回の1曲セレクトは、「くちびるNetwork」岡田有希子です。

まずはデータです。

・タイトル       くちびるNetwork
・アーティスト     岡田有希子
・作詞         SEIKO
・作曲         坂本龍一
・編曲         かしぶち哲郎
・リリース日      1986年1月29日
・発売元        キャニオン
・オリコン最高位    1位
・売上げ枚数      23.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1986年2月17日〜3月3日付
・タイアップ:カネボウ86年春のキャンペーンソング

1986年4月8日(火)、みなさんは、あの日あの時、どこで何をしていましたか?

 と、大上段な書き方をしてしまいましたが。。。そうです、29年前のこの日、岡田有希子さんが急逝した日ですね。
年回忌でいえば、30回忌っていうのは無いものなんだけど、今年は、ちょうど30回忌に当たるんですよね。

 この曲、本当は、昨日4月8日に出そうと思ってストックしてたんですが、昨日は忙しさにかまけて更新しなかったので1日遅れとなってしまいました。

 
 1986年4月8日、ワタシはたしか、高校2年の始業日だったと思うな。帰りの電車の中で、目の前のオヤジが読んでた夕刊の記事で知ったんだよね、たしか。。
 一言、衝撃的でしたね。・・・そのまえに、信じられなかったよね。トップアイドルの死っていうのは。
つい数日前まで、いつもと変わらずテレビに出てたのに・・・。

 だけど、あの時の各界の衝撃は大変なもんだったよね。後追いするファンは次々に出るわ。。。 それだけ、すでに一アイドルって枠を超えた存在だったんだろうね。

 岡田有希子さんを初めて知ったきっかけの曲・・・は、まあ、デビュー曲の「ファーストデイト」だったわけですが、この曲については、また後日、改めて書きます。

 今日は、「ラストシングル」となってしまった、「くちびるNetwork」についてですね。

 この曲は、カネボウ86年春のキャンペーンソング。くしくも、ライバル資生堂は、中山美穂の「色・ホワイト・ブレンド」を立ててきて、アイドル同士のライバル対決という色がありましたね。
 しかも、作家陣も中山美穂の「竹内まりや」に対して、こちらは、松田聖子と坂本龍一という、とんでもなく豪華な組み合わせとなったわけです。
 たしか、松田聖子としても、他のヒトに詞を提供するの、これが初めてでしたよね。
 サンミュージックの後輩のために、ということもあったんでしょう。

 曲の方も、坂本龍一氏らしからぬ(?)、分かりやすい明るいポップスで、春の雰囲気が充分ありましたよね。
 岡田有希子さんの場合、初期の竹内まりや作品は別として、この曲の前2,3曲って、今ひとつ分かりにくい、中途半端な曲が続いてましたからね。余計、この曲がストレートに聴こえたんだよね。
 その結果の、初めてのオリコン1位獲得。セールスも初めて20万枚を突破! ・・・と、さあ、これからだ! ・・・・という時の突然の訃報だったので余計信じられなかったんだよね。

 次のシングル、「花のイマージュ」も、本来なら、1986年5月1日リリースで決まってたんだよね。
 この曲、リリースしてたら、連続1位は取れたんだろうか。
 あの時から、ずっとそれが気になっていたりします。


 しかし、あれから丸29年か。。。 この間「ルビーの指環」でも書いたけど、時代の流れってほんとに速いよね。
 特に、こういう節目がやってくると、感じますわ。

 
 今回は、ちょっと湿っぽい内容になってしまいまして。。。また、こういうことを書くのも不謹慎と思われる方もいるかもしれないですが、ひとつの節目としてあえて書きました。



愛の園 / 西城秀樹

1980_03_愛の園_坂本龍一







今回の1曲セレクトは、「愛の園」西城秀樹です。

 まずはデータです。

・タイトル     愛の園
・アーティスト  西城秀樹
・作詞       Stevie Wonder
・作曲       Stevie Wonder
・日本語詞    山川啓介
・編曲       坂本龍一
・リリース日   1980年3月21日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   23.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1980年4月14日〜5月19日付

 今、趣味と実益を兼ねて、旧テクノ系な曲をいろいろ聴いているのね。「旧」って入れたのは、一言でテクノ系って言っても、今ではいろいろ「分家」してるじゃん。音楽ジャンルも。
 まあ、一言で言えば、シンセがピコピコなっている曲ですよ。

 ま、ちょっと訳ありでね。・・・ん? その「訳」は追々と書いていきますよ。今はまだ、ヒ・ミ・ツ・・・ということで。

 ところで、「歌謡曲」でシンセをいれた曲って、いつ頃からあるのねぇ・・・って思ったんだけど、これが意外と古いんだよね。

 単音のいわいる「モノフォリック」シンセなんかは、1973年のキャンディーズの「あなたに夢中」なんかに使われてるしさ。
 まあ、この曲の場合、単純に間奏部でAメロをなぞっているだけなんだけど、これでも当時としては、破格な予算使ってたんだろうな・・・。
 その他だと、ピンクレディーの「U.F.O」かなぁ。まあ、これは、効果音で使ってるだけだけど・・・。大体、U.F.Oの音ってってあるのかいな? ヒトが勝手に想像しただけなんだけど、まあ、それっぽいわな。
 
 で、もうちょっと時代を下りてくると、ゴダイゴの「モンキーマジック」ですかね。これでシンセがブイブイ鳴っているサウンドは当時としては斬新でしたわ。

 でも、まだ、ここまでは、いわいる「モノフォリック」シンセなわけで、これが複数音の「ポリフォリック」になると、サーカスの「アメリカンフィーリング」まで、こなきゃいけなくなる。

 おっとぉ・・・いや、そのまえに、イエローマジックオーケストラっていう存在が居た。。。

 もちろん、サーカスの「アメリカンフィーリング」のアレンジは、Y.M.Oの坂本教授が担当しているんだけど、この曲の場合は、ポリフォリックシンセは、あくまで補助的に、効果音的に使っているまでで、大部分は、生オーケストレーションによる演奏でしたからね。

 で、全編、ポリフォリックシンセだけで構成された曲となると、今日、ひっぱってきた、西城秀樹の「愛の園」まで時代を下りてこなきゃいけないんじゃないかしら?

 この曲は、いろいろな意味で衝撃的な曲だわね。まず、作詞作曲がスティービーワンダーでしょ。。 あれ? スティービーもこの曲うたってたよね?
 でも、あくまでも、西城秀樹バージョンがオリジナルで、スティービーはセルフカバーっていうかんじぢゃなかったっけ?

 それと、坂本教授による、オールシンセによるアレンジ。この神秘的な響きこそシンセだ〜・・・と思わせた曲。

 ・・・というか、このころのシンセの曲って、なんか、神秘的な響きに聴こえるんだよね。
 まあ、この曲も然り、もう少し後の、NHK特集「シルクロード」の喜多郎による「テーマ曲」もそうだったから・・・ってところが大きいんだろうね。プラス、Y.M.Oか。

 だから、個人的には、シンセ=神秘的な音楽 っていう印象が強いな。

 まさか、当時、今のように何でもかんでもシンセになるとは思わなかったもの。

 ちなみに、当時のシンセは、まだメモリ容量が少なく、自動演奏は、限られていたとのこと。
 だから、Y.M.Oも当時は、自動演奏しているようで、実は、「手弾き」だったものね。

 でも、さすがに、この「愛の園」は、いくらポリフォリックとはいえ、全部、手弾きとは行かなかっただろうねぇ。メロディラインは、手弾きでも、バックは、さすがに自動演奏だったんだろうな・・・・

・・・って、この曲、そういえば、レコードはシンセだったけど、歌番組では、生オーケストラだったような・・・。

・・・あれ? 違ったかなぁ・・・。 レコードを聴いて、ちょっとテレビとは違ったアレンジに違和感を感じたような記憶もあるんだけど・・・。
 うーん、その辺、ちょっとハッキリしないなぁ。
この曲、「ザ・ベストテン」からも録音してあったんだけど、そのテープ、紛失しちゃったんだよね。だから、このころの期間だけ、今、家にテープ記録が残ってないんですよ。。。

 たださ、西城秀樹といっしょに、子供達が歌ってたでしょ。これは、よく覚えてますよ。
 この子供達、いまじゃ、大きくなっただろうね・・・ってあたりめぇかふらふら
 おそらく、ワタシと同じ位の年齢になっている筈なんだけどね。。。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村
記事検索
livedoor プロフィール

かじやん

読者登録
LINE読者登録QRコード
QRコード
QRコード