かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

加瀬邦彦

青春の誓い / 中井貴一

1984_04_青春の誓い_中井貴一








今回の1曲セレクトは、「青春の誓い」中井貴一です。

まずはデータです。

・タイトル    青春の誓い
・アーティスト  中井貴一
・作詞      岩谷時子
・作曲      加瀬邦彦
・編曲      飛澤宏元
・リリース日   1984年3月21日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 22位
・売上げ枚数  7.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 26位
・タイアップ:TBS系ドラマ「青春泥棒 徹と由紀子」主題歌

えー、たまに変な曲をセレクトしたくなったりするんだけど、今回は「変な曲」です。。
・・・・・なんてね

いやいや、ヘンな曲じゃないですよ。 ちゃんとしたまっとうな曲です
でも、中井貴一・・・なんて書くと、「え?」なんて思うヒトも多いんじゃないかなぁ・・・とね。

そそそ、あの俳優の中井貴一氏なんですけどねぇ。その昔、今から32年前、「ウタ」を出していたんですねぇ。

まあ、俳優がウタを出す・・・っていうのは、珍しい事じゃない訳で、ほとんどは俳優業の余技って感じも多く、だからほとんどヒットしないことも多いんですけどね。

 ただ、時々なんかの間違い・・・いやいや、曲が良くて大ヒットすることもありますけどね。
まあ、中村雅俊氏とか、余技の範疇を越えて、完全に演技とウタを両立させていたりする方も中には居らっしゃいますけどね。

じゃ、この曲はどうなのか・・・というと、これは、完全に「余技」な感じでしたよね。

でもね、曲は良かった・・と思う。まあ、個人的な好みの問題でもあるとは思うんだけど、もろ60年代後半の青春歌謡ポップスって感じでさあ。

 うーん、歌謡ポップスっていうのは語弊があるかなぁ。そう書くと橋幸夫、西郷輝彦、舟木一夫・・な御三家みたいなイメージだもんね。
まあ、中井貴一氏のルックスから言うと、そんな感じがしないでもないけど・・・。

でも、曲的には「歌謡曲」というよりはポップスでしたね。そそそ、加山雄三とか、ワイルドワンズあたりのエレキサウンズ。
 と言っても、G.S的なもろガレージっぽくはなく、あくまでも良家の子息って言うイメージの・・・って感じですね。

まあ、作曲がワイルドワンズの加瀬邦彦氏だし、作詞が、加山雄三氏一連の曲を書いていた、岩谷時子女史ですからね、まあモロなんですけどね・・・。

なので、60年代後半の時代をリアルタイムで経験した方には懐かしい響きだったろうし、逆に当時はまだ生まれてなかったワタシなんかは、新鮮に感じたなぁ。

うん、この曲の当時は、まだネオG.Sブームも起こってなかったし、個人的にも時代を遡って音楽を聴くって事もしてなかったからなぁ。単純に、その当時の曲として新鮮に感じてたんだよね。

ま、結果的には、オリコンで最高22位まで行った訳で、そこそこ「スマッシュヒット」の部類にはなりましたよね。

ちょうど、32年前の今頃、「オリコンウイークリー」を定期的に買うようになった頃でさ、この曲のチャートアクションに一喜一憂してたったけな。この曲が最高位22位を取った前後、当時は週間売り上げが1万枚前後で、20位台って事が多かった頃でね、週間1万枚を超えては喜んでたりしたな。

まあ、単純にこの曲好きだったんだよね。 シングル盤ももちろん買ったしさ。


しっかし、この曲の動画、無いんだなぁ・・・・。 まあ、32年前のしかも「スマッシュヒット」だもんね。そんなにある訳ない・・・んだけどさ。。。
 ↑でこの曲好きだった・・・言いながら今まで書いて書いてなかったのは、動画が落ちてなかったからなんだよなぁ。

でも、めげませんよーだ。 ネットを探して、見っけてきましたわ

http://v.youku.com/v_show/id_XMTQ4MjUyNjUy.html

中国のサーバーなんで、もしかしたら繋がらないかもしれないけど、その時はスミマセン。
(こちらで繋げた時は、一応繋がりました)



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不思議TOKYOシンデレラ / セイントフォー

1984_11_不思議TOKYOシンデレラ_セイントフォー






今回の1曲セレクトは、「不思議TOKYOシンデレラ」セイントフォーです。

 まずはデータです。

・タイトル   不思議TOKYOシンデレラ
・アーティスト セイントフォー
・作詞     森雪之丞
・作曲     加瀬邦彦
・編曲     船山基紀
・リリース日  1984年11月5日
・発売元    リバスター
・オリコン最高位 35位
・売上げ枚数  5.3万枚
・タイアップ:映画「ザ・オーディション」主題歌

基本的にアイドルの形って、80年代中盤以降って、基本的には、まったく変わってないんだよね。
 まあ、ここでも今まで散々書いてきたけど、そのいずれも、一般性は
ほぼ失われて、いまや「オタク」化しちゃったけどさ。

 ただ、あの当時と、ちょっと違うのは、すでに「廃れて」しまったアイドルの形ってのもあるわけよ。

 それが、今回、引っ張って来た、セイントフォーなんじゃないですかねぇ。

 唄って踊れる、究極の女の子アイドルグループっていうシチュエーション。
 うーん、大げさに言えば、アイドルサイボーグのようなふらふら

 ま、たしかに、ピンクレディーの進化系とも言えるだろうけどさ、さすがにピンクレディーは、バック宙まではしなかったぞよ。ふらふら

 いや、当時としては、かなりハイパーの事をやってたよな、今、動画とか見るとさ。スピード感あるし。


 でも、当時は、なぜか、あんまり好きになれなかったのですよ。このヒトたち。
 うーん、ちょっと、ハイパーーすぎて現実離れしたところがあるように感じてさあ。
 かと思うと、なんか、スターボーっぽくも感じて、そこはアナクロっぽかったともいえるしさあ。

 いまひとつ、シチュエーションが弱いというか、統一感がないというか・・・。


 ところで、このヒトの後には、このテの、本格的に唄って踊れる「女の子」アイドルって出てこなかったのはなんででしょうねぇ。

 まぁ、いろいろと憶測はあるんだけどね。たとえば、バック宙は、ジャニーズの専売特許で、ジャニーズから待ったがかかったとか。ふらふら

 ま、そもそも、このヒトたちが、いろいろなトラブルに巻き込まれて、フェイドアウトしちゃった・・・っていう、ゲーノー界特有のところが大きかったんでしょう。

 だいだい、これ以上、女の子アイドルに何やらせて、歌って踊れって言うの・・・っていう世界になっちゃうしなぁ。
 この辺が限界っていうのもあったんだろうしな。 まあ、商売にならないっていう意味も込めて。

 この後、アイドルは、どんどん「シロウト化」して行ったってのは、既に誰でも知ってる事実で・・・。 


 ただ、今改めて見ると、「アイドルサイボーク」っていうところから見ると、最近、この手のアイドルが増えてるような気もするしな。そう言う点では、意外と、今のアイドルに通じるフォーマットの原点がここから始まってる・・・とも言えなくもないんだよね。

・・・といっても、さすがに、最近はバック転までさせるアイドルは、見かけないけどさ




それにしても、なぜか、いま、この曲が、なぜか良いのよ。このスピード感ですかねぇ。
 
 ちなみに、一番左の板谷祐三子さんは、「ネガネっ子」アイドルの元祖exclamation & question だよねぇ。

 いや、今だから、「めがねっこ」って人気あるけど、当時は、なんか、ヘンだったもんな。。。ふらふら 


 そういう、セイントフォーの4人もすでに、全員ワタシと同じアラフィフ世代。 仮に再結成・・・なんてなっても、もう、ずぇったいに、動画のように唄って踊れないないわなふらふらふらふら  バック転なんかしたら死んじゃうんじゃうんじゃない?



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追憶 / 沢田研二

1974_09_追憶_沢田研二






今回の1曲セレクトは、「追憶」沢田研二です。

 まずはデータです。

・タイトル     追憶
・アーティスト   沢田研二
・作詞       安井かずみ
・作曲       加瀬邦彦
・編曲       東海林修
・リリース日    1974年7月10日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    57.9万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年7月22日〜10月7日付


 今回の1曲セレクトは、ちょっと困ってたんだよねぇ。。
 最初書こうと思ってた曲、8月21日リリースだと思ってたら、1ヶ月リリース間違ってた。。。9月21日リリースだったんだよね。
 うーん、書くにはちょっと早いわな

・・・と言うことで、急遽、別の曲に。。。 その曲は、その頃になったら改めて書きますわ。

 で、まあ、折角、「空き」の日になったので、たまには、今まであんまり書いてこなかった時代の曲を一つ・・・と思い、

 追憶  /沢田研二

を引っ張ってきてみました。

これ読んでくださっている方のどのくらいが、この曲知っているのかなぁ・・・と思いながらも、まあ、たまには、あんまり書いてない時代の曲もいいよね。

 フレンチポップス風、あるいはカンツォーネ風のいわいるヨーロッパ系のヒット曲っていうのも、すでに「絶滅」した感がありますよね。
 ヨーロッパったら、UKしかないでしょ最近は。

 最近のヒット曲で、フレンチポップス系風の曲なんて聴いたことがない。

 一番近いって言ったら、多分、シブヤ系がそれに近いのかもしれない。
 それでも、いまやシブヤ系っていうのもすっかり過去の産物になってしまったし、考えて見れば、フレンチポップス、カンツォーネなどのヨーロッパ系な曲は、70年代歌謡曲の産物だったんだよね。

 その真っ只中だったのが、73年〜74年頃だったんではないかなぁ。

 方や4畳半フォークが流行る、一方で、ヨーロッパ系が流行り、そのまた一方では演歌も強かった・・・っちゅう、かなりのごった煮状態のヒット曲界だった。

 だから、面白かったともいえるんだけど、今考えて見れば、4畳半フォークって、とってもミクロな世界な歌だったじゃん。重箱の隅をつついたような世界があって。 そういう意味では、演歌の世界に近かったのかもしれない。

 方や、フレンチポップスは、無限大の広がり感があったんだよね。
 少なくともワタシは、そう感じたなぁ。

 ワタシらの世代だと、ジュリーといえば、77年の「勝手にしやがれ」以降のいわいる「気障」路線からしか、タイムリーには知らないんだけど、それより前の73〜74年ごろは、フレンチポップス路線で勝負してたんだよね。
実際73年11月にリリースした、「魅せられた夜」は、向こうの曲だし、75年5月の「巴里にひとり」は、フランスでもリリースされて、フランスのヒットチャートにもランクされていたりする。

最近では、きゃりーぱみゅぱみゅとかアニメソングがフランスでも人気というけど、ヒットチャート上位に上がるほどではないですよね。 

そういう意味でも、フレンチポップスには気合を入れていたんだよね、このころのジュリーって。

 その中でも最もヒットしたのが、今日引っ張ってきた、「追憶」ですね。

 なにせ、オリコンで1位獲得してるしね・・・って、きっと、知らない方も多いと思うんだけど・・・。
 ジュリーの代表曲・・・ってなっても、なぜか、この曲は外されちゃうんだよなぁ。
 ジュリーの初期の代表曲は「危険なふたり」っていつもなっちゃうんだよね。

 でもでも、こういう「名曲」もあったって事を忘れちゃねぇ。
 一応、74年のレコード大賞の歌唱賞部門では、この曲がノミネートされていたんだよねぇ。


 この曲は、フレンチポップスって言っても、作品は、作詞は、このころのジュリーをずっと担当していた安井かずみ女史、作曲は同じく加瀬邦彦、アレンジは東海林修っていう、フレンチ路線のころは、この方がずっとアレンジを担当してたんだよね。

 でも、正直、どこから聴いても、この曲はフレンチポップスだぞよ。
 まず、あのころの日本の歌謡曲臭さが見られない。

 まあ、確かに、歌詞の内容はクサイし、兎に角「大げさ」な曲展開なんだけどさ、この「大げさ」さがたまらないわけです。

 いや、この臭さ、大げさ感がキライっていう人には、ちょっとツライだろうけどなぁ。

 最近、この手のヨーロッパ系が流行らないのは、この「クサさ」「大げさ」さが、どうも・・・っていうヒトも多いからんんだろうなぁ。
・・・というより、やっぱし、UKかアメリカンが強いから傾向的にそうなんだろうね。

 個人的には、フレンチポップスもカンフォーネもいわいる「邦楽」との相性はいいと思うし、だから、もっと出てきてもいいとは思うんだけどなぁ。
 まあ、カンツォーネを歌いこなせるだけの歌唱力をもったアーティストも、今の時代、なかなかいないけど。。。

 まあ、今の時代、作り手がほとんどUK&アメリカンで育った年代だから、フレンチポップスの時代を知らないからかもしれないんだけどさ。


 大げさといえば、最近では、アニメ系でも大げさな曲がちょくちょく見かけるな。
それでも違和感は感じなかったし・・・。ぜひ、フレンチポップスを取り入れてみてくだされ。


 そういえば、この曲のタイトルは「追憶」だけど、海の向こうでも映画「追憶」のテーマ曲、バーブラ・ストライサンドの「追憶(The Way We Were)」が大ヒットしたのも、この年、1974年だ。




 もちろん、同名異曲なんだけど、ちょっと紛らわしいかもな。
 あ〜、だから、今になって、ジュリーは、あんまり表に出さないのか? この曲。
 ちなみに、個人的には、バーブラ・ストライサンドの「追憶」も大好きです。



音、悪いけど、フルコーラスの動画がこれしかなかったんで、一応リンク
途中「知事選」のテロップが入るけど気にしないでください




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恋のバッドチューニング / 沢田研二

1980_07_恋のバッドチューニング







今回の1曲セレクトは、「恋のバッドチューニング」沢田研二です。

 まずはデータです。

・タイトル    恋のバッドチューニング
・アーティスト  沢田研二
・作詞      糸井重里
・作曲      加瀬邦彦
・編曲      後藤次利
・リリース日   1980年4月21日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数   17.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1980年6月2日〜6月9日付

 一昨日、「勝手にしやがれ」を持ってきたばっかなんだけども、またまたジュリーです。
このヒトって意外と夏場に大ヒット曲って多いんだよね。 だから、ここ暫くは、ジュリーからの選曲が多きなるかもしれないですわ。まずは、初めに書いときますね。

 さてさて、そのうち今日は、80年の「恋のバッドチューニング」を引っ張ってきてみましたわ。

 うーん、まあ、厳密に言えば、6月がヒットのピークだったから、すでに今の時期は下降線に入ってたんだけとね、まあ、許してくだされ。

 それにプラスして、あーんまりヒットしなかったからねぇ、曲自体は知らなーい、もしくは、忘れた〜・・・っていう方が多いかなぁ。

 でも、あの「カラーコンタクト」って言うのは、覚えてるでしょ?

 ジュリーの瞳がブルーだったり、グリーンだったりしたカラーコンタクトが、この曲の売りだったよねぇ。

 まあ、いまでは、カラーコンタクトなんて言っても全く驚きもしないけど、あのころはビックリしたよなぁ。いったい、目に何入れてんだ? って思ったもの。

 正直、気持ち悪かったですわ。・・気持ち悪くなかったですか? なんか、不気味に光ってたじゃん。

 そーいえば、光の具合で七色に変化するコンタクトなんかもしてたときあったよな。

 まー、あの当時のジュリーっていったら、いつもなにかしら「新しいこと」をやって驚かせてたからなぁ。
 この一つ前が「TOKIO」で落下傘背負ってたでしょ。で、この曲・・・と。

 ただ、あの落下傘に比べると、このカラーコンタクトはちょっとインパクトが弱かったっていうところもあったんだよね。

 実際、この曲から3曲続けてオリコンではベストテンをのがしてたりする。さすがのジュリーもやや苦戦してた時期にさしかかってきてたんだよね。


うーん、個人的には、この曲好きだったりするんだけどね。

サビからの

♪ちょっとずれてる周波数〜 ♪

っていうところ、ほんとに「ずれてる周波数」のようにとっちらかっているところがいい。

 ただ、ややとっちらかり過ぎてるかもしれないなぁ。全体的に分りづらいメロディラインかもしれない。

 ただ、TOKIO以来、アレンジに後藤次利を迎えてからは、音色がカラフルになったよね。

 もともと「ポリドール」っていうレコード会社のカラーからか、ヨーロッパ的な音色がメインのジュリーの曲だったけど、くわえてカラフル色な音色が増えたのはこのころからですね。

 まあ、簡単に言えば、シンセ色が強くなってきたって事だけど・・・。
 この曲はその使い方が、ややサイケっぽいふんいきを出しているんだよね。それが、カラーコンタクトとあいまって、余計気持ち悪い雰囲気があったりするんだけど。。。




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危険なふたり / 沢田研二

1973_04_危険なふたり_沢田研二








今回の1曲セレクトは、「危険なふたり」沢田研二です。


まずはデータです。


・タイトル   危険なふたり
・アーティスト 沢田研二
・作詞     安井かずみ
・作曲     加瀬邦彦
・編曲     東海林修
・リリース日  1973年4月21日
・発売元    フィリップス
・オリコン最高位 1位
・売り上げ枚数 65.1万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1973年5月7日〜8月6日付

 ワイドショーやネットニュースで連日話題になっていましたが、作曲家で元ワイルド・ワンズのリーダーだった加瀬邦彦氏が自らの命を絶ったそうで。。
 74歳。昔だったらいざ知らず。今、70代と言ったら、特にアーティストの世界では、まだまだ現役バリバリという方も多いわけで、また一人、日本のポップス史を作ってこられた作曲家が居なくなってしまったことは、本当に残念なことですよね。

 15年前、井上大輔氏がやはり自ら命を絶った時も、それなりのショックだったけど、今回の突然の訃報は、個人的にもそれなりのショックだったなぁ。
 
 それにしても、井上大輔氏にしても、加瀬邦彦氏にしても、G.Sで一時代を築き、その後、作曲家としてJ-POPの「基礎」を築いてこられた方が、自ら命を絶ってしまうケースが最近は多いよな。
 G.Sとは、やや方向性は違うけども、「アングラ」の騎手だった加藤和彦氏も若くして自ら命を絶ってしまったし。。。
 どうして、こうも続くんでしょうねぇ。ワタシのような鈍感力の方が勝っている凡人には分からない「苦悩」がやはりあったんでしょうかね。

 いずれにしろ、ご冥福をお祈りいたします。



・・・ということで、今回の1曲セレクトし、加瀬邦彦氏の代名詞ともいえる、ワイルドワンズの「想い出の渚」を・・・・

・・・と行きたいのはやまやまなんですが、「想い出の渚」のリリースは、1966年の「11月」。ヒット時期がずれちゃっているんですよね。
あくまで、これ書いてる時季とリンクしているっていうのをコンセプトにやっているもんで、今回は、ちょこっと保留。まあ、いずれ書こうと思います。


・・ということで、今回は、沢田研二の「危険なふたり」をセレクト。


この曲は、1973年4月21日リリース。ジャスト、「今頃」のヒットなんだよね。
そして、加瀬邦彦氏にしても数あるヒット曲の中でも、代表曲といえるでしょうね。


 沢田研二氏の曲は、今まで何曲も書いてきたけど、この曲書いてなかったんだよなぁ。こんな大ヒットをねぇ〜・・・。こうして見ると、当然書いてて然るべきって曲がまだまだ抜けているよなぁ。


10年以上という長期、ヒット戦線の第一線で活躍してきたジュリーだけど、ヒット傾向をみると、第1期全盛期、第2期全盛期、第3期全盛期の3つのグループに分けられるんだよね。

 第2期の全盛期は、言うまでもなく、77年の「勝手にしやがれ」から79年の「OH!ギャル」までの阿久悠−大野克夫コンビで一世を風靡した時代。
第3期は80年の「TOKIO」から82年の「6番目のユウウツ」あたりまでの、いわいるニューウェイブ系の時代。

で、今回セレクトしてきた、「危険なふたり」は、第1期ジュリー全盛期の代表と言えるべき曲ですねぇ。
 
 第1期全盛期のジュリーは、72年の「許されない恋」から75年の「巴里にひとり」あたりまでの、「ヨーロッパ系」の独特の濡れた匂いがする時代ですね。この時代、コンポーザーとしてジュリーの一連のヒット曲を書いていたのが、加瀬邦彦氏。
 第2期以降のジュリーがリアルタイムなワタシの世代としては、今一つ実感はないんだけど、今聴くと、第2期のジュリーとは別人のようなしっとり感がある曲が多いんだよね。

ただ、その中で、今回の「危険なふたり」は、唯一、メジャー展開のアップテンポな「ポップス」に仕上がってますねぇ。
 こんなポップなジュリーは、この時点では無かったような曲であったことと、めちゃくちゃ親しみやすいメロディライン、当時としても派手なアクションだったことが幸いしてか、第1期全盛期のジュリーの中で、一番「売れた」曲になりましたね。


 オリコン的に見ると、73年4月30日付38位初登場から、翌週、一気に4位に急上昇。
こんなチャートアクション。初登場1位が珍しくも何とも無くなった今では、「へーそうなの?」で終わってしまうけど、曲に負けないくらい、当時としてはかなり派手なチャートアクションだったんだよね。
 当時、こんなチャートアクションをしていたのは、ジュリーか天地真理くらいなもんでしたよ。(・・・とか、あたかも実際に経験したかのような書き方だけど。。

 その後、登場3週目で2位までランクアップ後、5週間2位をキープ。
・・・っか、5週も2位をキープっていのうも、今からしてみれば、どんな動きなんだよ・・って感じだけど、当時としてはさほど珍しい現象では無かったんですよ。そして、登場8週目で1位獲得というチャートアクション。
 ベストテン内14週。うちベスト3内9週、1位3週。という文字通り73年を代表するような大ヒット曲と相成ったわけです。
 
 この年1973年の第4回日本歌謡大賞を受賞したこの曲ですが、チャートアクションから見ても、それに全く恥じない、1973年の代表曲と言っても過言では無かったですよねぇ。




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許されない愛 / 沢田研二

1972_03_許されない愛_沢田研二







今回の1曲セレクトは「許されない愛」沢田研二です。

 まずはデータです。

・タイトル     許されない愛
・アーティスト   沢田研二
・作詞       山上路夫
・作曲       加瀬邦彦
・編曲       東海林修
・リリース日    1972年3月10日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位  4位
・売上げ枚数    35.3万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1972年4月10日〜6月5日付

 前回はフレンチポップスということで、岩崎良美の「愛してモナムール」をセレクトしてきたんだけど、今日はブラスロックです。

 沢田研二 /許されない愛

 ジュリーは、この間「カサブランカダンディ」を書いたばっかりなんだけど、ちょっとメンゴね。

  この当時のブラスロック歌謡は、まあ、この曲に限らず、例えば、西城秀樹の初期の一連のヒットだって、ブラスロックと呼べる曲は何曲もあるんで、取り立ててこの曲ぢゃなくてもいいともいえるんだけど、インパクトと言う点では個人的には、この曲だと思っているのね。

 ブラスロック独特の重量感、音の太さって言うのかなぁ。兎角、「歌謡曲」の世界ではブラスセクションを多用する曲ってそれこそたくさんあるけど、ほとんどがいわいる「合の手」で終わっているんだよね。
 それがメインである曲って言うのは、ほとんどない。

 その中にあって、この曲は完全にブラスが曲の中心にあるんだよね。

 まあ、当時は向こうでもブラスロックって言うのがひとつのムーブメントになっていたしね。
 シカゴ「長い夜」、チェイス「黒い炎」。この2曲は推しも推されぬブラスロックの2大曲だとは思うんだけど、この「許されない愛」は、どっちかというと「長い夜」に近いですね。

 うん、楽器の使い方、重量感、曲のイメージ(色)っていうのかなぁ。

 まず、「許されない愛」、メインはトロンボーンとトランペットの掛け合い。
 うん、トロンボーンがメインっていうのは、かなり珍しいとおもう。
 だけども、そのおかけで、全体的な音に太さがあるし、そのおかけで重量感が何倍もあるんだよね。

 トランペットがメインだとどうしてもサウンドに軽さが出てしまう。まあ、これは楽器の特質上仕方ないんだけどさ。ただ、その分、激しい動きは出来るんだよね。これは「黒い炎」を聴いて貰えればよく分かるかな。

 しかし、この曲は、トロンボーンによる音の重さに加えて、「黒い炎」のようなトランペットの動きも加わり、ブラスロックとしては、かなり豪華な創りになっていると思うな。

 プラス、間奏部分のフェイズシフターによるエフェクトが効果的・・・というより、この部分はかなり実験的だと思うな。日本のヒット曲でこのエフェクトかけている曲って当時ではそうそうないと思うし・・・・。

 兎に角、日本のブラスロックの先駆けというかね、実験要素たっぷりのこの曲。

 まあ、かなり古い曲なんで、聴いたことない人の方が多いと思うけど、機会があったら是非聴いてほしいと思うなぁ。
 後々の「気障」とか娯楽色いっぱいのジュリーしか、知らない方にはちょっと驚きの曲ですよ。
 うん、色合いがちょっと違うんだよね、後々とは。


 ただ、この曲、当時は作曲の加瀬邦彦と当のジュリー以外はだれもリリースに賛成しなかったようですね。
 それほど、当時のウレセンとはかけ離れてたって言うことですよ。
 日本の歌謡曲でブラスロックが受けるわけがないと思われていたんだよね。

 でも、いい曲はいい。72年当時はそういう風潮もあったんですよ。いい曲は素直に認めるっていう文化がさ。

 ただ、ジュリーにとっては、一種の賭けだったようですけどね。
 この曲は、ソロデビューの第2弾シングルなんだけど、ソロデビューの「君をのせて」が、(ジュリー的な価値観で)売れなかったんで、この曲で勝負というところは強かったようですわ。

 その結果の大ヒット。だから、この曲が後の「ジュリー旋風」につながったといっても過言ではないと思いますよ。

 それとともにデビュー第2弾が当たったアーティストは大成するっていう完全なる見本でもあるかなぁ。 


 蛇足だけど、ソロデビュー曲の「君をつれて」が評価されたのは、ほんと、ずーーーっと後になってからなんですよね。


ジャケ写・・・・かなり迫力あるよね。ジュリーの顔。。。




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おまえがパラダイス / 沢田研二

1981_01_おまえがパラダイス_沢田研二






今回の1曲セレクトは、「おまえがパラダイス」沢田研二です。

 まずはデータです。

・タイトル   おまえがパラダイス
・アーティスト 沢田研二
・作詞     三浦徳子
・作曲     加瀬邦彦
・編曲     伊藤銀次
・リリース日  1980年12月23日
・発売元    ポリドール
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数  13.9万枚

 1年の計は元旦にあり・・・なぞとよく言ったもんですけど、年初めに、なんか引っかかった曲に出会えた年は、その1年間、ずっとヒット曲に引っかかった・・・というか、未だに思い出深い年になってる・・・ってことが多いなぁ。まあ、個人的なことかもしれないけどさ。

 そういう意味では、今日ひっぱってきた、ジュリーの「おまえがパラダイス」って曲が引き金になったか、1981年って言う年は、個人的には、未だに思い出深い年になってますよ。ヒット曲でも、個人的な生活でも。

 この曲はねぇ、↑で書いたように、初めて聴いたのは、1981年の正月か、正月明けすぐか・・・って頃だったと思う。たしか、クイズ「ドレミファドン」だったかなぁ・・。
 何でそんなことまで覚えてるんだろ? ・・・って感じなんだけどさあ、この曲と、榊原郁恵の「あなたは「おもしろマガジン」」だっけ? この2曲セットで聴いた記憶があるんだよなぁ。

 でさあ、どうにも、この「おまえがパラダイス」の印象が強くてさあ。

 おそらくね、3連のロッカーバラードっていう曲調の性なんだろうな。それまで、ロッカーバラード的な曲って、「ヒット曲」っていう範疇ではあんまり聴いてなかったんだと思う。その独特な哀愁感に引き込まれたのかなぁ。
 ・・・といっても、それまでロッカーバラードな曲を、全く聴いたことがなかったのか・・・というと、そうじゃない。
 まだ物心が付かない頃、どっかでは聴いてた・・・様な気はするんだよね。知らないはずなのに、どっからかセピア色的な懐かしい感じもしたりしてさ、その辺は不思議なんだけど。。。

 この曲からすると、完全なロッカーバラードというよりも、サウンド的にはロカビリー的に、ラフではあるけど、もろ、50年代〜60年代初頭の「古きよき〜」なイメージはあった。

 この辺は、この年のジュリーのコンセプトでもあった、「I LOVE G.S」・・・つまりさ、「G.S」への回帰っていうところもあったんだろうね。まあ、今から考えれば・・・っていう話だけどさ。

 当時は、まだガキだったし、そういうところまでは考えもしなかったわけで、純粋にリリースされた曲を楽しんでたわけなんだけとでさ。
 
 ってなわけで、この年は、この曲を皮切りに、次の「渚のラブレター」、「ストリッパー」と、50〜60年代っぽい曲が続いたわけなのよね。ま、そこで終わりではなく、そこから「タイガース」再結成って風に続いていくんだけどさ、だからさ、今考えれば、おそらく、この曲の頃にはタイガースの再結成は決まってたんだろうな・・・なんても思えたりするんだよね。その布石として、この曲のこの雰囲気なんだろうなぁ・・・なんてね。




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