かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

佐藤準

-3℃ / ゆうゆ

1987_08_-3℃_ゆうゆ


今回の1曲セレクトは、「-3℃」ゆうゆです。

まずはデータです。

・タイトル     -3℃
・アーティスト  ゆうゆ
・作詞       及川眠子
・作曲       後藤次利
・編曲       佐藤準
・リリース日   1987年7月22日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  9.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1987年8月10日〜8月17日付

ここ何日か、80年代「女性アイドル」から離れたところで曲を書いてきたけど、結局戻って来るところはここなのね・・・とばかり、またまた80年代アイドルどぇす。。。

・・・と言っても、今回は、ほんの少し変化球で行きますか。

ゆうゆ「-3℃」。

もしかして、「ゆうゆ」なんて書いても、「誰?」なんて言う方もいらっしゃりますかねぇ
まあ、ワタシと同年代で、おニャン子「どストライク」な世代な方は、やもやそう言う方は居ないと思うけど、少し年代が下の方は、知らない方もおおいよね、きっと。

その昔、おニャン子クラブの一員、会員番号19番の岩井由紀子さんのニックネームが、そのままアーティスト名になっちまった・・・って訳ですわね。

で、ソロデビューの前は、現秋元康夫人の高井麻巳子様と、2人ユニット「うしろゆびさされ組」を組んでいたのは、まあ有名すぎるくらい有名な訳で、87年3月にソロデビュー。
今回セレクトしてきた「-3℃」は、そのソロ第2弾と言う訳ですわね。

個人的には、ソロデビュー曲だった、「天使のホディーガード」なんてのは好きだったんだよな。なんかホンワカした曲で。。
 まあ、このヒトのいわいるベビーボイスがホンワカした気分になっちまうんだけどさ。「うしろゆび」での実績もあったし、人気もそこそこあったんで、当然オリコン1位だよな・・と思っていたところ、最高位は2位止まり。
(その時の1位は、菊池桃子「アイドルを探せ」)

それに続く、今回ひっぱってきた「-3℃」もオリコンでは最高位2位止まり。(その時の1位はBOOWY「マリオネット」。アイドルではなくロック系に1位を阻止されたと言うところが時代の流れを感じる。時代はアイドルからロックに移ってきてたんだよね)

そんなわけで、結局、このヒトは、ソロとしてはオリコン1位は獲れなかったんだよね。

まあ、おニャン子としては「最後期」だったし、特に、この「「-3℃」は、夕やけニャンニャンが終了する1か月前ということもあり、「おニャン子」という「印籠」も効果がだいぶ薄くなってた時期だったしな。
 逆に言えば、そう時期に、オリコンではベストテンに「3週」入ったって方が不思議・・・というか、「頑張った」方なんだけどさ。

うん、この頃になると、初登場で1位をとっても、翌週はベストテンから消えていた・・・なんていう、まるで今と同じような「落下傘」チャートアクションのおニャン子の曲も多かったからな。
 つまりは、もう、おニャン子関連の曲も、コアなおニャン子オタクシカレコードを買わなくなっていた訳よ、この頃は。
 そう言う時期に2週ベストテン入りさせた・・・ってことは、少なくともまだ一般のお客さんが付いていたって事でしたからねぇ。


で、肝心の曲の方なんですが・・・。正直言って、タイトルの「-3℃」ってどういう意味ですか? って聴きたくなるくらい、内容が良く分かんないんだよね、個人的に。
まず、もって歌詞カードがないと、歌詞の内容が良く聴き取れなかったんだよな。
だからね、一体何の事を歌ってんだろう・・・っていうのが、よく分かんないまま、ずっと聴いていた・・・って感じなんだよなぁ。
ちなみに、この曲の作詞は、秋元康氏ぢゃなく、及川眠子さん。  

メロディの方も、良くも成し悪くも無し・・・って感じかなぁ。ここって言うポイントのメロディも・・・どうも見当たらないしなぁ。
 とりあえずは、60年代のアメリカンポップス・・・例えば、1910フルーツガムカンパニーの「サイモンセッズ」とか、そのあたりの、当時から言っても「懐かしめ」のサウンドが、逆に新鮮に聴こえたっていうところが、この曲の「肝」の部分なのかなぁ。



ネットの書き込みにも多く書かれてる事だけど、このVTRを見る限りでは、例えば、29年の時を越えて、あの時の、ゆうゆが今現れても、アイドルとして充分やっていけるんじゃないですかねぇ。
今は、「声優系」のお陰で、「ふつう」の声質よりもベビーボイスの方が、業界的な受けもいいからなぁ。
逆に言えば、あの頃から29年も、アイドルって言う本質の部分は、なんにも変ってないって事なんだけどさ。。。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

アッパレ!フジヤマ / シブがき隊

1984_07_アッパレ!フジヤマ_シブがき隊


今回の1曲セレクトは、「アッパレ!フジヤマ」シブがき隊です。

まずはデータです。

・タイトル    アッパレ!フジヤマ
・アーティスト  シブがき隊
・作詞      売野雅勇
・作曲      井上大輔
・編曲      佐藤準
・リリース日   1984年7月7日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 17.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1984年7月16日〜7月30日付

ボヤッキー・・・・もとい、グロッキー
本日は仕事がキツカッタわい・・・・。なので、本当は1曲セレクト書かないで寝ちゃおうかなぁ・・・なんて所なんですが、ここ2日書いてなかったからなぁ。
 今までの傾向を見ても3日あけるとね、ちょっとアクセス数にも変化が出来るんで、ここは一つ体に鞭打って、PCに向かってたりします。。

でもね、いろいろ調べたりするのはちょっとご勘弁・・って感じなんで、「直感」的にかける80年代の曲を持って来ちゃいました。
 本当は、70年代の曲とか持って来たかったんだけどねぇ、70年代とか60年代は、それほどヒット曲に深入りしてなかった分、書く前にいろいろと調べなきゃいけないんでさあ。。その点、80年代は、ほとんど「惰性」で書けるからなぁ。 

・・・とブツブツ言いながら引っ張ってきた曲。

シブがき隊 「アッパレ!フジヤマ」

うーむ、最近、ジャニーズ付いてる1曲セレクトですが、今回もジャニーズで行かせてくだされ。
・・・というか、シブがき隊なんて、なんか久しぶりに書き様な気がするなぁ。 まあ、「代表曲」と言える曲は、すでに大体書いちゃってましたからね。

今回ひっぱってきた「アッパレ!フジヤマ」は、1984年の今頃のヒット。

そうそう、ちょうど、「ロスアンゼルス五輪」開催されてた頃だ・・・。あ、いや、今ちょこっとネットで調べたら、開幕が1984年7月28日になってるから、丁度32年前だ。
あの、インパクトのあるオリンピックファンファーレが鳴り響いた日から32年かぁ〜。
 今年もオリンピックイヤーだからね。なんか相性がいいかな・・・と思って引っ張ってきたってのもある(←こじ付け)

とろこで、毎回、これでもか・・ってぐらいインパクトの強い曲をリリースし続けたシブがき隊だけど、その中でも、今回の「アッパレ!フジヤマ」が最強だったんじゃないかなぁ。
 インパクトというか、アクが強いっつうか、音の密度が濃い・・・というか・・・。 当時、中学3年で、どんな音楽でもいらっし〜い・・・ってくらい音に強かったワタシでさえ、この曲は「ヘヴィ」だったんだよな。
よく「ヘヴィメタ歌謡」とか、言われてたシブがきだけど、これは、ヘヴィメタ・・・というよりは、超濃厚牛乳・・・というかねぇ、単に音の密度が高すぎ・・・って感じだったんだよな。

流石にこれはやり過ぎだよな・・・・なんてぇのは、新曲の段階で初めて、この曲を聴いた時感じたことだたよなぁ。

案の定、オリコンでの初動順位3位っていのうは、まずまずだったけど続かなかったよね。僅か3週でベストテンからダウン。
売り上げも17万枚止まりと、この曲から20万枚に届かなくなったんだよな。
ヘヴィメタぶりもエスカレートし過ぎるとただの「重い音」って感じだったんだよな。 

ただね。流石にこの先、この路線に行き場はない・・・とおもったのか、次の「べらんめぇ伊達男」から、少し方向転換したシブがきだけど、正直、この路線変更も成功だったとは言えなかったしな・・・。
ネタぎれ気味のシブがきでしたよね、この頃から。

ただ、薬丸氏は、この売り上げダウンを、チェッカーズに人気を取られた・・・と感じたらしく、チェッカーズには対抗意識を持っていたらしいですけどね。



ネタぎれっていうのは、メロディにも出てきてたりするんだよね。
サウンドは重くなったけど、メロディラインは、それまでの「シブがき」だよね。って感じだったりしてね。
それほど新しいところってないんだよな。
サビの ♪ アッパレ アッパレ〜♪ って変拍子になる所くらいかなぁ。ちょっと変わってたなって言うところは。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

さよならのオーシャン / 杉山清貴

1986_06_さよならのオーシャン_杉山清貴


今回の1曲セレクトは、「さよならのオーシャン」杉山清貴です。

まずはデータです。

・タイトル     さよならのオーシャン
・アーティスト   杉山清貴
・作詞       大津あきら
・作曲       杉山清貴
・編曲       佐藤準
・リリース日    1986年5月28日
・発売元      バップ
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  20.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1986年6月16日〜7月14日付
・タイアップ:ダイドードリンコ「ダイドージョニアンコーヒー」CM曲

少し前に、市川文化会館で行われた「ポプコン」同窓会コンサートについて書きまして。
その中でも、杉山清貴氏についてチラリと書いたんだけども、まさかね、今回セレクトしてきた、この曲をやるとは思わなかったんでね、不意を打たれてしまいましたね。

はい、今回の1曲セレクトは、杉山清貴氏のソロデビュー曲であった、「さよならのオーシャン」です。

でもさあ、気がついてみたら、この曲がヒットしてから30年が経つんだよな。 なんかビックリだよなぁ。マジでついこの間っていう感覚なんだけどなぁ。
1986年6月〜7月にかけてでしょ。 ワタシは高校2年。毎日放課後部活終了後、先輩たちとツルンで、フラフラしてた頃だよなぁ。
もう時効だから書いちゃうけど、部活の顧問の先生(当時独身)の部屋に、高校生なのに酒を持ちこんで飲んだくれててたりさあ。 やりたい放題だったもの。
お陰で、あの頃からの蓄積が今頃になって、「痛風」というしっぺ返しにあってますよ

この曲を聴くと、あのやりたい放題だった頃のワタシを思い出しますね。

でもね、正直言うと、当時はこの曲はあんまり好きじゃなかったんだよな。
まだ、杉山清貴&オメガトライブの残像が残ってた頃だったじゃん。 オメガトライブは好きだったんですよ、個人的にも。でも、この曲はなんかしっくりこなかったんだよなぁ。

パッと聴き、オメガトライブの頃とそんな大きく変わったところは感じ無かった・・・というばそうかもしれないけど、でも、なんか違うんだよね。
やっぱり、オメガトライブの頃の林哲司氏の作品と、杉山氏本人が作ったという曲調の差なのかなぁ。
サウンド的に大きく変わったところも無かったしね。 
なんていうのかなぁ、杉山氏のメロディって、ダサいんだよな。・・・・なんて書くとクレームが来そうだけど、うん、そうそう大衆的なんですよ。
 林哲司もメロディも大衆的だけど、若干、洋楽っぽい硬質感があるんだよな。 それが、オメガトライブっていう「シティポップス」のイメージにマッチしてたと思うんですよ。
でも、この曲は、そういう硬質感っていうところがあんまり感じられなかったからなぁ。

そこにギャップを感じたんだと思うな。

ちなみに、この少し前に、1986オメガトライブと言う形で、新生オメガトライブもデビューしてたけど、正直言えば、そちらもあんまりピンと来なかったんだよね、個人的には。

やっぱり、オメガトライブといえば、杉山清貴氏だと思うしね。

発展的解消と言う形で、1986オメガトライブと杉山清貴氏のソロデビューとそれぞれ分かれたはずだと思うんだけど、正直言えば、マイナス点の方が目だったような感じがしたな、当時は。
 サザンの桑田氏ど同じように、オメガトライブをやりながら、杉山氏のソロ活動っていう感じには出来なかったのかなぁ・・・・なんてね、今にしてみれば、そんなことも思ったりするんだけどね。

ただね、先日のポプコンコンサートで、久しぶりにこの曲を聴いたけど、当時のような違和感は感じ無くなってたんだよね。素直に聴けた・・・というかね。

やっぱ30年と言う時間が、当時の違和感を解消してくれましたかねぇ。
なんだかんだと言っても、あの青春の日々を思い出させてくれる1曲だからねぇ。
 



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

南十字星 / 西城秀樹

1982_04_南十字星_西城秀樹








今回の1曲セレクトは、「南十字星」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    南十字星
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      竜真知子
・作曲      水谷公生
・編曲      佐藤準
・リリース日   1982年3月25日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  22.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1982年4月19日〜5月10日付
・タイアップ:映画「南十字星」主題歌


新年度が始まって半月ほどが経ちましたねぇ。 今年新入学、新社会人になられた方々は、新しい環境に慣れましたでしょうかねぇ。
 ヒトによっては、新しい環境に順応するのが早い方もいらっしゃったりしますが、ワタシはどうも、その辺が苦手でねぇ、新しい環境に慣れるには、時間がかかるヒトなんだよね。

なんて考えてたら、そう言えば、新たな環境に慣れてなかった頃の曲を、今回は持ってこようか・・・と思の、今回はこの曲をセレクト。

西城秀樹「南十字星」

この曲は、1982年のちょうど「今頃」ヒットしてたんだけど、ワタシ的には、この時中学1年だったな。
中学生っていう新しい環境に慣れなくてねぇ、かなり戸惑ってた頃の曲ですわ。

この曲を聴くと、あの時の「戸惑い」っていうのかなぁ、かんな地に足がついてなかったような頃を思い出んだよな。
 そういえば、新しく友達になったばかりのやつと、山の上の公園に遊びに行った帰り、その友達が下り急斜面で自転車のハンドルを取られて転倒、頭に数針縫うけがをしたっけ・・・とかさ。
なんか、そんなマイナスな事が、この曲を聴くと思いだされたりするんだよなぁ。

まあ、それも、この曲自体、淋しい曲だから・・・って事もあるのかなぁ。

この曲、映画「南十字星」っていう、戦争モノの映画の主題歌だったんだってねぇ。。。うーん、それは覚えてないなぁ。 たしかに、なんかのタイアップがついていたような気はしてたけど。。。
 
淋しい曲調ななのは、戦争映画っていうところから来ているようですね。

 ただ、かといって、ガチガチの戦争系の曲・・・と言う事もない。

 「ガチガチの戦争系」・・・なんてかいてもよく分かんないですよね。。

いや、あの頃はさあ、毎年終戦記念日近くなると、戦争モノの映画って毎年のように作られていたんだよね。
1980年は「二百三高地」、前年の1981年は「連合艦隊」、この年1982年は「大日本帝国」・・・なんて具合にさ。

で・・それぞれの主題歌が、さだまさし「防人の詩」、谷村新司「群青」、五木ひろし「契り」だったするんだけど、それぞれの曲をごぞんじなら、どんな感じかわかりますよね、「ガチガチの戦争系」の曲調って。
 文部省のお役人が泣いて喜ぶような・・・感じ・・・といったらいいでしょうか。

ま、そういう、ガチガチに真面目な曲調・・・と言う訳ではなく、程良くポップス系な味付けは残っているって感じですね。

それでも、前曲の「ジプシー」っていう激しい曲からすると、かなり落差があった訳で、最初は、ちょっと戸惑ったような気がするな。

あ、そうそう、その時の戸惑いが、中学生になったばかりの戸惑いとリンクしてたんだ、ワタシの場合。

ただ、それでも、この曲、売り上げは20万枚オーバーと、当時の秀樹としては80年12月の「眠れぬ夜」以来、1年数か月ぶりの20万枚越えだったりしたんだよなぁ。
 うむ、結構、支持はあったんだよね、この曲。 ただ、それ以来30数年、今の今まで20万枚オーバーの曲は出てないんで、実質これが最後の20万枚オーバー の曲って事になるのかな。

 ちなみに、この曲の途中で、デビュー以来の累積売り上げが、1000万枚を突破したんだよね。

今でこそ、オリコンも50年近くの歴史をかさねたんで、累積売り上げ1000万枚のアーティストも数多く出ているけど、当時はまだ、数少なくてね、 ピンク・レディー、森進一、山口百恵、沢田研二に続いて、オリコン史上5組目の1000万枚突破アーティストでしたね。

そんな記念の曲でもあったんだよな、この曲は。



この曲というと、なぜかバックが「カラオケ」って事が多かったんだけど、珍しく「生演奏」だったんで、
この動画をセレクト。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

地球をさがして / 光GENJI

1989_04_地球をさがして_光GENJI








今回の1曲セレクトは、「地球をさがして」光GENJIです。

まずはデータです。

・タイトル     地球をさがして
・アーティスト  光GENJI
・作詞       吉澤久美子
・作曲       都志見隆
・編曲       佐藤準
・リリース日   1989年3月6日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   47.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1989年3月20日〜5月1日付

ここんところアイドルに傾いてるなぁ・・・・と思いつつも、今回もアイドルです。。。
しかも、この間中山美穂さんの「ROSE COLOR」を書いたばっかなのに、またまた1989年です。。。

うーむ偏ってるなぁ・・・・っていうのは重々承知の上で、引っ張ってきちゃいました。。。

光GENJI「地球をさがして」

ジャニーズですが、この辺になると曲の好きキライもあると思うんで、興味がある方だけ読んでくだされ。

まあ、そう書いてるワタシも、光GENJIくらいになると、好んで聴いてたわけでもないんだけどね。
ただ、当時、ベストテン番組を見てると嫌でも聴いてましたからねぇ。 と・・・なると、どうしても曲も覚えちゃう訳で、そのうち、「時代」を語る上でのパーツの一つになっちゃったりするんだよね。

この曲も、正直、好きキライって言うのは別にして、なんか聴いてるうちら覚えちゃってたりした曲だな。

当然、長年、音源も持って無かったし。。。 当時、19才のワタシでしたが、流石に19才になってジャニーズじゃねえだろ・・・って感じだったしなぁ。 

 まあ、恥じらいの季節といいますか、ちょっと大人っぽく見られたい時期じゃん、この位の年代って。 だからね、一時アイドル・・・特に男性アイドルからは距離を置いてたんだよね。

大人になってたらよ、この曲の音源を購入したのは。年を取って来るとだんだんそんな「恥じらい」も無くなってくるしさ、なにより、チャートマニアの方たちと交流を持つようになると、意外と、みんないい年してアイドル聴いてたりするんで、ワタシもなんか心を許したっていうか。。。。

この曲は、マーチというか、行進曲っぽい曲調だったよな。間奏部分には、手旗信号の振りもあったし。

そうそう、その手旗信号の振りの時、バックにジャニーズジュニアが大勢出てきて、全員で手旗信号の振りをやったこともあったよな。

 後年、その中にSMAPのメンバーが居たかどうか・・・なんて、聞かれた事があったっけ。
うん、2002年のベストテン特番の時だわ。 実は前年の2001年のベストテン特番の時も、番組制作からいくつも質問が来て回答してやったんだよな。で、そんときの視聴率が良かったからかなんかしらないけど、次の年にも質問が来たのよ、しかも、前年に比べてかなりエスカレートした質問が。。。

で、上の質問も中にあったんだけど、分かる訳ねーよなぁ。 個人的に録画してたベストテンのVHSビデオも全部処分しちゃってた後だし。。。。(あ、でも今、ネットで探してみると実際に居たらしいね。。。)

この曲って言うと、なんか、そんなことがまずは頭に浮かんできたりして。。。。

ところで、ジャニーズと「地球〜」ってくると、なぜかフォーリーブスの「地球はひとつ」が頭に浮かんできちゃったりするワタシなんだけども、この曲はそのフォロワーって感じなんでしょうかねぇ。
 曲調は、フォーリーブスというよりかは、西城秀樹の「ホップ・ステップ・ジャンプ」の焼き直しって言うイメージなんだけども。。。

それと、前曲の「剣の舞」に引き続きいて、この曲もテレビバージョンと、レコードバージョンじゃ、曲の構成が違うんだよねぇ。
 
 ワタシは、テレビでこの曲を覚えた後、レコード音源を聴いたんで、この曲も最初戸惑うんだよな。なんか全然聴いたこともない歌詞で始まるぞ・・・とかさ。。。

「剣の舞」の時も書いたことなんだけど、やっぱし、この頃になると、レコードというよりもテレビ優先だったんでしょうかねぇ。 だからか、この曲あたりからレコード売り上げも下がってきた訳でね。流石に光GENJIもピークを過ぎたか・・・っていうイメージを感じたな、この曲では。
 ただ、ジャケ写を1週間ごとに替えて発売なんていう、今のAKBに通じるような「商法」でレコード売り上げを稼いだのは、この曲の次の「太陽がいっぱい」だったりするんだけどさ。。。
 


この時は、完全にバックがSMAPだったな。。。
・・・っつうか、ウタの前に「SMAP」紹介されてるし。。。
中居も木村も、ただのガキじゃんか。。。
いまじゃ、「ずぇったい」、見られない光景ですわな。。。。
(注、こんな事書いてたら、すぐに消されるかもしれないけど・・・この動画)


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

バレンタイン・キッス / 国生さゆり

1986_02_バレンタイン・キッス_国生さゆり







今回の1曲セレクトは「バレンタイン・キッス」国生さゆりです。

 
まずは、データから〜


・タイトル     バレンタイン・キッス
・アーティスト      国生さゆり
・作詞       秋元康
・作曲       瀬井広明
・編曲       佐藤準 
・リリース日    1986年2月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    31.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1986年2月10日〜3月10日付



 明日は〜、バルタンデー、・・・・もとい、バレンタインデー。。。
・・・なんて書いてもう何年になりますかね。。。

どうも、今年はいまいち盛り上がらないバレンタインデーですが、またまたやって来ますね、明日。

まあ、今年は日曜と言う事で、会社での「ギリチョコ」が無い分、盛り上がらないんでしょうけどね。

でも、この日になると、未だに流れますね〜。国生さゆりの「バレインタイン・キッス」

さっきもラジオ聴いてたら、何回この曲が流れたか。。。。

・・ということで、やっぱ、今回は、この曲を、またまたブログの奥ーのほうから、またまた引っ張りだすしかないか。。。 

ということで。。
 
 うーーーん、それにしても、あまりにもオーソドックスというか、シロートっぽいというか・・・・。
ほんまにワタシゃ「選曲屋さん」なんでしょうか。。。? 

なんて思ったりもするけど。。。。 

 超ど真ん中ストレートなセレクトやね。 せめて、柏原よしえの「毎日がバレンタイン」とかセレクトすべきぢゃねーの・・とか、声が聞こえてきそうだけど、まあ、ええやん、今年もこの曲で行きます。。

 

・・・といってもね、あまりにも「つば」が付きすぎてて、どう書こうかなぁ・・・、逆に難しい。。

・・・あ、そうそう、考えてみれば、この曲リリースされてから今年で「30年」なんだよね。

え? 30年ですよ、皆様。 信じられないですよね。 もうね、個人的な感覚から言えば、「昨日」のような感じもするんだけどねぇ。。。。
 でも、未だにバレンタインっていうと、この曲なんだもんね。あの当時からすると、30年も先に、この曲が流れているなんて全く考えもしてなかったですけどねぇ。

 おニャン子の曲って、とかく、「初動勝負」、初登場で全累積セールスの半分以上売っちゃう・・・、いまにも通じるような売れ方っていう、印象が強いけど、このころは、まだ、そんなことなかったんだよね。

 チャートアクションも比較的粘ってたりして。この曲は、1986年2月10付けで初登場で2位だったけど、その時の週間セールスは、9.5万枚。累積セールスは、31.7万枚も行ってるから、初動セールスは、全体の3割。 まだまだ、普通のヒット曲の部類だったんですよ。

 そうね、ちゃんと「ヒット曲」って認識できたんだよね。


 このころ、例の「夕焼けニャンニャン」は、最高潮の時期で、視聴率も軒並み20%前後まで行ってたんだよね。
午後5時からの放送で、視聴率20%近くもあったんだからねぇ。
 
 つまりさ、「コア」なおニャン子ファン以外の一普通の興味がありそうなコたちも見てたってわけなんだよね。

 だから、売れ方も、「普通」のヒット曲のように、いわいる「浮動票」とよばれる、コアファン以外にも受け入れられていたんだよね。


 曲の方は、まあ、ご存知の通り、うーん、あんな感じね・・(ってどんな感じだ?)。

 ♪甘い甘い恋のチョコレート〜♪ってあるように、ほんと、甘ったるーい曲ですよね。

 ただ、個人的には、めっちゃけなすほど、悪い出来でもなかったような気はするな。
 いやいや、まだ、このころのおニャン子関係の曲は、壊れてはなかったんだよね。他のアイドルの曲と共存ができたんですよ。
 TBSとフジテレビの間もまだ、亀裂はなかったし、だから、ベストテンにも、おニャン子関係のコ達は出演してたしね。

 短かったけど、おニャン子の一番輝いてた時期って感じかな。


 んじゃ、いつから、「コア」なファンのものになって行ったか?・・・。

 やっぱし、「じゃあね」と、河合その子の「青いスタスィオン」・・・・86年3月ぢゃないかなぁ。。。


 この時期、「なかじ」がおニャン子卒業。フロントボーカルが総とっかえ・・・・。 これがひとつの転機になったんではないですかね。

 これ以後、急速に「コアふぁん」=「オタッキー」な方たちのものになっていくわけだね。
 それと共に、夕ニャンの視聴率が低下⇒一般層のおニャン子離れが進むんだよね。

 まあ、なかじの卒業とともに、一般にちょっと興味があった人たちも一斉に、おニャン子を卒業したんだろうね。
 しまいにゃ「おニャン子? オタクー」と、一般のヒトからは気持ち悪がられるようになったわけですぅ。。


 まあ、おニャン子だけではないけどね。アイドル全般的に、これを境に、「おたく化」が進むんだよね。

 80年代型アイドルも85年までのような「みんなで共有する」という形のアイドルは、ごく一部のトップアイドルだけになっていくわけですわ。



当時19才の麗しきアイドルだった、国生さゆりも、今年50の「五十路」ですわ。
この曲から30年・・・信じられない・・・なんて書いたけど、時の流れは、やっぱ怖いもんですわねぇ・・・。
・・・っつうか、30年もこのヒトがゲ―ノー界に残っているなんて、やっぱ信じられなかったもんな、当時を考えると。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

ガラスの十代 / 光GENJI

1987_12_ガラスの十代_光GENJI






今回の1曲セレクトは、「ガラスの十代」光GENJIです。

 まずはデータです。

・タイトル     ガラスの十代
・アーティスト   光GENJI
・作詞       飛鳥涼
・作曲       飛鳥涼
・編曲       佐藤準
・リリース日    1987年11月26日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    68.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1987年12月7日〜1988年3月14日付

今回は、久しぶりにジャニーズを持ってきますか。
そそそ、ジャニーズと言っても、マッチ、トシちゃん以外のジャニーズ。久しぶりに光GENJIなぞ。

「ガラスの十代」なんてどぉ?

しかしねぇ、あの頃の栄光と超人気ぶりを考えると、ここ数年の元光GENJIのメンバーのダメダメぶりはないよな。大沢は離婚騒ぎ。山本の借金騒動。赤坂に至ってはクスリでゲーノー界追放・・・と。まあ酷いもんですわね。
 ついでに、この曲書いてる、ASKA氏までクスリで逮捕・・・と。 まあどこまでスキャンダルが付きまとうかね・・・ってくらいクダクダになってしまいましたな。スーパーアイドルグループの辿った末路ってところですかねぇ。

まあ、得てして若くして、栄光の絶頂に立つと後々こういう事になる・・・ってことはゲーノー界ではよくある話で。結局、社会を知らないで頂点に立ってしまうと・・・ってやつなんだろうね。

で、一番問題を起こしそうだった、諸星がじつは一番しっかりしてた・・・と。
ジャニーズを出奔してから、完全に「干されて」わけだけど、「地力」で復活してきたのは、凄いことだけどね。

 ワタシ、彼は絶対ジャニーズは辞めないと思ってた・・・。けど、本当にやりたいこと、一番持ってたんだな。

 ウタも当時、一番ヘタクソでクチパク、バレバレのやんちゃ坊主だったけど、芯はしっかりしてたんだな。 N.Yで本場のエンターテイメントを学んできて、ウタも本格派に変身しちゃったしね。


・・・・と関係ない話に行ってしまいそうなんで、「ガラスの十代」ね。

だけど、今、改めて考えてみると、この曲がもっとも、光GENJIの中では、「まとも」な・・と書くと変だけど、内容的にもしっかりした曲ではなかったですかね。

 なんかさ、光GENJIって、歌うディズニーランドっていうイメージだったじゃん。
 1曲1曲がエレクトリカルパレードとかテーマパークであってさ。まあ、もともと「スターライトエクスプレス」っていうミュージカルの企画から誕生したグループだから、どの曲も、そんなテーマパークのような華やかな曲であったのも頷けるんだけどさ、この「ガラスの十代」だけは、ハイティーン時代特有の、「壊れやすい繊細な心」な内容の曲だったわけじゃん。

 担当は、デビュー曲の「STAR LIGHT」に続いて、チャゲアスの飛鳥涼氏だったわけだけども、「テーマパーク」のような曲もいいけど、それよりも、彼ら自身の等身大の気持ちも歌って欲しい・・・ってことで書かれた曲なんだよね。

 その部分はストレートに表れた曲だとは思う。そのぶん、同年代に刺さった大きさは、「STAR LIGHT」の比じゃなかったもんね。

 この証拠に、ベストテン内にランクインした期間は、この曲がもっとも長い。オリコンで15週連続ベストテン内ランクイン。(正月分2週集計も含む)

 初期の光GENJIって、それまでの並居るジャニーズ系にもまして、長期間ベストテン入りしてた傾向が強いんだけども、この曲が88年〜89年にベストテン入りしてた「剣の舞」と同じく、15週連続でベストテン入りの最長ベストテン入り曲なんだよね。

 最近のジャニーズ系と比べると、チョット考えられないようなチャートアクションを見せてたんだけどさ。 まあ、それだけ「スーパー」な人気だったわけだわな。

・・・と書いてるワタクシも、「ガラス」(?)の十代でしたよ、この頃は。。 大沢と同い年だからさ。




バックで踊ってる中に、今も活躍しているだけかがいるか・・・探してみる。
いつだったか、光GENJIのバックで踊ってるSMAPのメンバーを探してください・・・なんて依頼が来た事があったな。分かるわけないじゃんか〜。後ろはチラチラしん映らないし。。。。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

およしになってねティーチャー / おニャン子クラブ

1985_11_およしになってねティーチャー_おニャン子クラブ






今回の1曲セレクトは、「およしになってねティーチャー」おニャン子クラブです。

 まずはデータです。

・タイトル    およしになってねティーチャー
・アーティスト  おニャン子クラプ
・作詞      秋元康
・作曲      佐藤準
・編曲      佐藤準
・リリース日   1985年10月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   18.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位
・タイアップ:フジテレビ系「夕焼けニャンニャン」より

 えー、今回の1曲セレクトは、久しぶりに「おニャン子」でも持ってきますか。

 レコードデビュー第2弾シングルの「およしになってねティーチャー」。


 とっても、今さらなんだけど、この間、AKB48を聴いてて、改めて思ったこと・・・・「おニャン子」とどこが違うんじゃ?

 いや、ユニゾン部分の声質がさあ・・・、もちろん曲的にもそうなんだけど。。。。

 仮にさ、今回ひっぱってきた、「およしになってねティーチャー」をバックトラックをそのままに、ボーカルトラックだけ、AKB48に変えても、まんま、同じになるんじゃねぇの?

 それって、このテの人たちって、30年間まっーたく、進化してねぇんだよな・・・ってことでもあるわけで・・、なんか、キモチわりぃ・・・とか思っちゃったわけなんだけどね。

 そけだけふらふら  ちゃんちゃん。


 いや、でも、どうしてなんだろうねぇ。 確かに、仕掛け人が秋元氏って、同じだから・・ってのもある。
でもさあ、30年の差があるんだから、どっかは進化しててもおかしくないんと思うんだけどねぇ。

あ、強いて言えば、最近の秋元氏は、今回の「およしになってねティーチャー」みたいなキワドイ、よく言えばSEXアピール的、普通に書けば「イロモノ」的な歌詞を書かなくなったよな・・・ってのは感じる。まあ、それが進化なのか、単純に秋元氏が、あの頃から30歳年をとったからなのかは分かんないけど。なんか、「人生訓」みたいな歌詞は多くなったけどな。

ところで、この曲の頃は、まだ、一般的なところもあったよなぁ、おニャン子って。
ま、大体において、なんだかんだ言われながら、この曲だって18万枚売ってるわけだからさ。

 それでも、一般的だったのも、次の「じゃあね」まででしたね。その後、急速に「オタク化」が進んだわけなんだけども。

 ちなみに、オタク化の進行とともに、「夕ニャン」の視聴率が急降下していったっていうのも、象徴的だったりして。。。

 プラス、毎週のようにリリースされてた、おニャン子関係のレコードも、曲は二の次で、レコード集めることに意義がある・・・っちゅう、レコードも「一アイテム」に成り下がった・・・っちゅうのも、印象的。

 
 とりあえずさ、この曲の頃までは、なんだかんだ、言われながらも、いちおう、曲も話題になってたよね。

 でも、「オタク化」が進行してからは、曲については話題にも出てこなくなったもの。


 これってさあ、今のヒット曲を取り巻く環境と、まるで一緒じゃん。。

 考えて見れば、おニャン子世代のワレワレが、今、業界で丁度、ディレクターとかプロデューサーやってるんだよな。
 CD=音楽 ぢゃなくて、たんなるアーティストの「一アイテム」っていう見方が普通になっているのも、このころの「弊害」かもしれんわ。考えてみたら・・・・・。


 まあ、なんちゃらいろいろ書きましたが、なんだかんだ言っても、この曲の頃のおニャン子の人気は、まずまず凄かったんだよね。
 ここでも、何回か書いたんだけど、当時、「オリコンウイークリー」(現「オリスタ」)なる雑誌を毎週買ってたんだけど、この曲の頃から、毎週「おニャン子」のコーナーが始まったんですよ。
 その途端に、「おりこん」を購入してた本屋から、「オリコンウイークリー」が消えたんですよ。 売るのをやめたわけじゃなくて、いつも早々に売り切れちゃってたんだよね。まあ、それだけおニャン子も人気あったって事なんだろうな。
 当時、千葉・木更津の高校に通ってて、駅前にあった何軒かの本屋、どこ行ってもオリコンが売り切れてて、困っちゃったのを覚えてるなぁ。
 当時のオリコンのバックナンバーは、今でも家に全て保管してあるけど、だから85年秋のバックナンバーは、今でも「欠け」が多いんだよなぁ。 たまーに、売れ残りがあって、そん時は一目散に買ったもんよ。
 それに懲りたんで、1986年の頭からオリコン社から直接、定期購入始めたんだよね。だから、1986年からは「欠け」が無いんですよ。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

気絶するほど悩ましい / Char

1977_11_気絶するほど悩ましい_Char






今回の1曲セレクトは、「気絶するほど悩ましい」Charです。

 まずはデータです。

・タイトル    気絶するほど悩ましい
・アーティスト  Char
・作詞      阿久悠
・作曲      梅垣達志
・編曲      佐藤準
・リリース日   1977年6月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 12位
・売上げ枚数   21.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1977年12月5日付

 カバーブームって、未だに何年か一度起こるな。最近はカバーというよりも、コンピ盤の方が盛んだけどさ。
 まあ、最近のカバーって、大体が、ショボイBGM的なカラオケなノリの曲が多くて、ほとんど興ざめなんだけどねぇ。。。

 ところで、カバーブームって日本ではいつ頃からあるんだろう? 

あ、やべぇ、これは、愚問だな。 だいたい、日本の戦後ポップスはカバーから始まったといっても過言じゃないんだ。。。

 うん、日本の曲をカバーするっていうカバーブームに限定してみましょう。

 どーなんだろ? まあ、昔から、ちょぼちょぼはあったんだろうね。

 個人的に、タイムリーで経験してきた、最初のカバーブームは、81〜82年にかけてのカバーブームだな。

 そそそ、石川ひとみの「まちぶせ」に端を発したカバーブームよ。特に82年はいっぱいあったもんなぁ。
 70年代アイドルの代表的な曲は、大体カバーされたんじゃない?


 で、今回引っ張って来た、「気絶するほど悩ましい」ですよ。

 うん、この曲は、いまやギターの神様的存在になった、Charが77年に放った大ヒット曲ですわ。

 でも、ワタシャ、最初に、この曲を知ったのは、82年にカバーされた、沖田浩之バージョンだったなぁ。


 ↓ これこれこれ 



 今聴くと、沖田のボーカルが完全にCharを意識してるっていうのが、よく分かるんだけど、当時、聴いた時は、なんかすごくドラマティックに聴こえたな。
 サビで転調するところがドラマティックなんだよね。そこまで、マイナー調で通して、サビでメジャーに転調するって、ま、よく使うワザなんだけどさ。

 もちろん、あの時点では、Charっていうヒト自体知らなかったのよ、ワタシャ。


 存在知ったの、いつだったろ?  よく覚えてないな。

 でも、気がついたら、ワタシの手元にゃ、沖田浩之バージョンではなく、オリジナルのCharバージョンの音源があったりする。

 沖田浩之バージョンは、完全に歌謡曲と化している、この曲だけど、オリジナルは、もっとドライブががってるんだよね。歌謡ロックになってる。

 Charのギターテクニックもそこそこ、抑え目になっているし。。。

 ま、完全にヒット狙いだよな、Charとしては・・・。っていうのが、ミエミエ・・・・いやいや、よく分かる曲調よ。

 うん、やっぱ、ヒットを狙うには、「歌謡曲」の要素は不可欠ってわけなんだろうね。

 っつうか、Char本人としたら、この曲で本気にヒットを狙っていたか・・・っていう、これは、完全にマネージメントサイドの話でさ。最初は、歌いたがらなかったんだよね、たしか。

 まあ、その辺は、よく分かりますよ〜。 別に本気でヒット狙いじゃない、ギター小僧のCharからしてみれば、これは、いかにもヒット狙いの歌謡曲に映るよな。

 でも、まあ、逆に、ヒット曲を聴いてる、こちらサイドしてみれば、カッコいいわけなんだけどね。


 ・・・あー、何書いてるんだか、よくわかんなくなってきた。ふらふら

 端的にいうと、ワタシャ、この曲好きです。77年っていう時代性が見えてきたりして。うん、日本のロックは、まだ、コノくらいだったのですよ〜。
 でも、この曲以前は、ロックは商売にならないっていうのが、日本の音楽界の定説だったわけだけど、そのジンクスを破った1曲としても価値があるんだよね。 この曲をきっかけにして、ロックも急速にお茶の間に浸透してくるんだよね。



1977年の「NHKロックフェスティバル」だって。 NHKでこんな番組放送してたんだ。。。ちょっと驚き。。。
 「不良」の音楽ですぞ、NHKにしてみれば。。あせあせ



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

Fin / 中森明菜

1986_10_Fin_中森明菜






今回の1曲セレクトは、「Fin」中森明菜です。

 まずはデータです。

・タイトル     Fin
・アーティスト   中森明菜
・作詞       松本一起
・作曲       佐藤健
・編曲       佐藤準
・リリース日    1986年9月25日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    31.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1986年10月6日〜11月24日付

 以前、mixiに書いてた頃から読んでくださってる方はご存じだと思うんだけど、個人的には、この曲、キライだっんただよな。
だってさあ、ゴニョゴニョとはっきりしない曲なんだもん。メロディラインも、「ココ」っていうフックになる部分もないしさあ。 なんで、こんなはっきりしない曲をシングルに持ってきたんだろう?

 なんて、当時から疑問だったなぁ。 

 それでも30万枚オーバーなんていう、レコードからCDへの移行期で、レコード売上げが低迷していた当時としては、「大ヒット」の部類になっちゃうんだから、不思議なもんだったけどね。
 まあ、それだけね、当時の中森明菜人気のでかさっていうのが、その数字に出てきてるんだろうけどさぁ。


 今でこそ、「陰」の中森明菜・・・っていうイメージが完全に定着してるけど、考えてみれば、この曲あたりからなんだよね。完全に「陰」の世界に入ったのは。

 なんていうのかなぁ、曲にカラーがないんですよ。モノクロの世界っていうんですかねぇ。曲に色彩感がまるで見られない。
 まあ、だから、この曲のジャケ写がモノクロ写真なのは、曲の的を得てる・・・なんては思いますね。

 結局さ、メロディに引っ掛かりがないっていうのは、この色彩感を感じないからなんだよね。
抑揚がない、引っ掛かりがない・・・と散々書いたけど、取り様によっては、洋楽にインスパイアされているのかもしれないな。

 ただ、それは、今だからこそ言えることであってさ、当時としては、どうしても引っ掛かりがない曲に感じたんだよなぁ。


 個人的には、もう一度、「サザンウインド」のような色彩感あるポップスを歌ってほしかったんだけどねぇ、実際は、まるで反対のマイナーなモノクロの世界に突入していったわけで・・・。そういう意味で、この曲以降は、どんどん詰まんなくなって行った様な気がするな、中森明菜って。

 ま、それでもここから数年は年に1枚は、ドキリとさせる極彩色の曲持ってきたりして、そのときはよかったんだけどねぇ。




ちなみに、mixiに書いてた時は、この曲が最後だったんだよな。
「Fin」だから、終わり・・・・って感じで。 でも、ここは、まだ続きますよ〜。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村
記事検索
livedoor プロフィール

かじやん

QRコード
QRコード