かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

中森明菜

TANGO NOIR / 中森明菜

1987_02_TANGO NOIR_中森明菜







今回の1曲セレクトは、「TANGO NOIR」中森明菜です。

 まずはデータです。

・タイトル    TANGO NOIR
・アーティスト  中森明菜
・作詞      冬杜花代子
・作曲      都志見隆
・編曲      中村哲
・リリース日   1987年2月4日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   34.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1987年2月16日〜4月6日付

 この間から書こう、書こう・・・と心に決めておきながら、なかなか筆を上げられなかった曲をひとつ・・・。
 
 中森明菜 「TANGO NOIR」

 中森明菜の曲でも、それほど「死角」に入っている曲でもないし、まあ、あの当時、ヒット曲聴いてれば、誰でも知ってる曲だろうし。 だから、本当だったら、「知ってるヒトしか知らない」ような曲に比べると、随分書きやすい・・・ハズなんだけどねぇ、どうも、この曲っていうと、個人的には筆が重くなってしまう。

 どうしてなんだろうねぇ・・・。

 うーん、やっぱし、この曲が「重たい」からだろうなぁ。
いやいや、この曲の中森明菜の衣装ぢゃないよ。。 うん、たしか、この曲の衣装って10kgくらいあるって言ってなかったっけ!? なんか当時話題になってたよね。

 うん、そうじゃなくってさ、この曲のイメージからして重くてさあ、なんかね。 さらっと書けないような感じがするんだよなぁ。
 まあ、だから、オリコンで「87年の年間2位」なんて曲を今まで、ずっと「ほーち」してたわけなんだけどさあ。

 たしかに、この曲を最初聴いたときは、「やる気」は感じた。この曲の前の「Fin」って言う曲が、どうも好きになれなくてさあ、個人的に。なんか、やる気感じないんだよね、中途ハンパな感じで。
 それに比べたら、この曲、インパクトも申し分ないし、曲としての焦点もはっきりしてる。そういう意味で「やる気」は感じてた。

 でも、重いんだよね、曲としての存在・・・というか、イメージというか。
 まるで、鉛で武装している曲を聴いているような・・・。

 だからさあ、なんか、さらっと聴けないのよ、曲として。

 どうして、まあ、こう、肩に力入りまくりの曲なんだろうなぁ・・っちゅうかねぇ。
 うん、個人的には、この曲のイメージは「鉛色」ですよ。実際的にところ、「TANGO NOIR」っていうタイトルからすると、極彩色って言うところなんだろうけど、そういうイメージは到底思えないのよねぇ。

 結局さ、やっぱ、85年、86年と、2年連続「レコード大賞」受賞っていうのが、このヒトにとっては、かなりの重荷になっているんだろうなぁ・・・なんて、思ったりしてね。
 根がマジメなヒトだから、その辺はまっすぐ受け取っていただろうし。なんかさ、その「重圧」ってのが、そのまま、この曲にズッシリと現れてきていたような気がするよなぁ。

 今から考えると、その辺が、このヒトにとってはウイークポイントになってしまったのかもなぁ。
 いや、たしかに、レコードセールス的には、その後、暫くは全く文句のつけようがなかったんだけどさあ、どうも、曲のイメージが偏ったよね。
 なんつうのかなぁ・・・、全体的に重いのよ。どうして、もっと「からっ」とした曲が来ないんだろう・・ってずっと思ってましたよ、あの頃は。84年の「サザンウインド」みたいなさぁ。

 その辺も、やっぱ、2年連続レコ大の重圧っていうのがあったんじゃないのかなぁ・・・と思えたりするんだよね。


 もしよ、あの時点で、レコード大賞を取ってなかったら、まあ、セールス的には、下がっていたかもしれないけど、もっと、幅広い曲をやっていたような気もする。メジャー系の軽い曲もやってたかもしれない。
それによって、第一線・・・とは言わないまでも、もうちょっとヒット戦線に残ってたようなきもするんだけどねぇ。

 まあ、これも歴史っていうことだよなぁ。



・・・ということで、ズッシリ重たい、この曲を聴いてみますか



恐らく、動画はすぐ削除されると思われます。
ご了承くださいね。


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DESIRE / 中森明菜

1986_02_DESIRE_中森明菜






今回の1曲セレクトは、「DESIRE」中森明菜です。

 まずはデータです。

・タイトル      DESIRE
・アーティスト    中森明菜
・作詞        阿木耀子
・作曲        鈴木キサブロー
・編曲        椎名和夫
・リリース日     1986年2月3日
・発売元       ワーナーパイオニア
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     51.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1986年2月17日〜5月5日付

 前回は、同じ「DESIRE」ということで、ちょっと遊んじゃいましてスミマセン。
 今回は、「本命」の中森明菜「DESIRE」どす。

 今週のワタシメのランキングで、20年ぶりで明菜の新曲「Rojo-Tierra-」がベストテン入りしたから・・というわけではないけど、今の季節、中森明菜の「DESIRE」は外せないよな・・・って訳で。。。

・・・っちゅうことで、中森明菜「DESIRE」っす。

 はい、

♪げらっ げらっ げらっ げらっ ばーにんぐはぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁ ♪ 

・・で、今でも有名な曲ですね。

 この部分だけでも充分インパクトがある曲なんだけど、全体的にそれまでの中森明菜とは、全く違う世界を見せた1曲であることは間違いないよね。

 ニュー明菜 ってキュッチフレーズ・・・たしか、他の曲のときにつけられたと思うんだけど、個人的には、この曲こそ、ニュー明菜じゃなかったかなぁ・・と、いまとなっては思いますね。

 85年の中森明菜・・・。うーん、多分ね過渡期だったと思うんだよね。

 確かに、「ミ アモーレ」でレコード大賞受賞したことは大きかったわけだけども、この「DESIRE」の1曲前の「SOLITUDE」なんかは、ちょっとハッキリしないモヤモヤした曲調で(たしかゴダイゴのタケカワユキヒデ氏の作曲だったよな)、どうも、迷ってるなぁ・・っていう印象しかないんだよね。

 でも、この「DESIRE」で一気に吹っ切ったでしょ。そのモヤモヤを。

 このスピード感、硬質感、適度なロックさ・・・って言うのは、それまでの中森明菜にはなかったですよ。

 作詞の阿木耀子女史は、一気に中森明菜を山口百恵の領域まで引き上げたって言って良いんじゃないですかねぇ。

 ま、逆に山口百恵を目標にしていた中森明菜にとっては、またとないチャンスもあったわけだし。

 作曲が鈴木キサブロー氏っていうのも、一皮向けるには丁度よかったのかもしれない。 このヒトは、純アイドルっていう雰囲気であるよりも、一段大人向けのメロディラインが真情でしたからね。

 ただ、残念なのは、この折角一皮向けた勢いは、この曲1曲だけだったんじゃないかなぁ・・・と今になると思うのよね。

 この次の「ジプシークイーン」以降は、兎に角、曲想が難しいんですよ。 また、歌い手として極限の域といえば、いいのかもしれないけど、ちょっと肩に力入りすぎっていう感じがして、ワタシは片手では喜べませんでしたね。うーん、曲的にも「土色」っていうイメージの曲が多くなっていったし。

 まあ、それも2年連続「レコ−ド大賞」受賞なんていう呪縛もあったんだろうけどね。
 うん、まだ、あのころは多少なりともレコード大賞は重みがあったし。。

 まあ、そういう意味も込めて、この曲が「気軽」な気持ちで聴ける中森明菜の最後の1曲だったかもしれないなぁ。
(だから、最初に書いたように、ちょっとおちょくって書けるわけなんだけどさ)

1990年の「Dear Friend」も明るい曲だったけど、あの曲の場合は、べつの意味で痛々しくてさ・・・・。手放しでは喜べなかったんだよなぁ。

いずれにしても、この辺りから、少なくとも「歌い方」は、それ以前とは変わってきちゃいましたよね。




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北ウイング / 中森明菜

1984_01_北ウイング_中森明菜






今回の1曲セレクトは、「北ウイング」中森明菜です。

まずはデータです。

・作詞      康珍化
・作曲      林哲司
・編曲      林哲司 
・リリース日   1984年1月1日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数   61.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年1月9日〜3月19日付
  
前回書いたとおり、本日は「1月1日リリース」曲スペシャル・・・ということで、今回は1984年の1月1日リリース曲を持ってきました。

 北ウイング / 中森明菜

これまた、大ヒットを記録した、中森明菜の代表曲の1曲といっても過言じゃないですよね〜。

 正直言うと、「1月1日発売」っていうのを、はじめて意識した曲がこの曲だったなぁ。
 それまでは、発売日っていうのは、全然意識してなかったんだよね。ワタシ。
 でも、この曲、1984年1月1日リリースで、オリコンでは、早くも1月9日付チャートに2位で初登場ってことでさ、結構、波紋呼んだよね。たしか。
 オリコンの当時の集計期間で考えるなら、通常なら、1983年12月26日〜1984年1月8日集計分は1/16付(2週間集計)になるはずで、したがって、1月1日発売のこの曲は、初登場は、早くても1/16付になるはず・・・だったのに、なぜか、1週早くランクインしたものだから。
 
 まあ、それが、1月1日リリースっていうのは、実際は1月1日よりも前にレコードは発売されているってことがはじめて分かったっていうかね、変なところで勉強できたって言えたんだよね。
 まあ、それまでは、「元日」リリースで、初登場で、ベストテンに絡んでくる曲なんて、早々なかったからねぇ。
 みなさん、全然意識してなかったってところなんだけどね。

 まあ、そのおかけで、「元日」リリース曲は、実際は1週間前、12/25くらい前には、お店に並んでるってことが分かったんだけども・・。

ただし、そのおかげで、この「北ウイング」は、初登場1位を逃すんだけども。。。

そう、この時は、前月の12/21に、わらべの「もしも明日が・・・」がリリースになっており、当時、この曲の旋風はすごかったからね。
 なので、当時1位を目標にしていたアーティストは、出来るだけこの曲とのバッティングは避けたかったんところなんだけど、明菜陣営は、強気だったんだよね。

いや、明菜陣営は、前の年にも、「トワイライト」を薬師丸ひろ子の「探偵物語」とリリースをバッティングさせて、オリコン1位を逃している。 他の某J'Sなどは、薬師丸とのバッティングを悉くさせてたのにさ。

まあ、オリコン1位獲得のためのリリース日設定問題は、今も続いているわけだけども、今じゃ、こんな強気なリリース日設定してくるアーティストは、皆無だろうな。

いや、だからこそ尊敬できるんだけどさぁ、当時の明菜陣営は。 オリコン1位なんてものは、あくまで「結果」だからね。狙って獲得するものじゃない。今はもっと加熱してるとげさ、1位とる競争は。


 しかし、この曲はよかったね。明菜も、この曲で、完全にイメチェンが完了したって言うか、もう、どんな曲でもこなせるって言う感じだったもんなぁ。
 実際、「NEW 明菜」っていうキャッチフレーズまで出てきましたしね。
 1984年の明菜は、曲も当時の明菜にピッタリ嵌まってて曲にも恵まれてましたよね。何より当の明菜も、一番楽しそうに歌ってたよなぁ。 この曲は、その先頭を飾った曲でしたね。

 歌い方もね、このころは、まだストレートだったんですよね。まだ「ドス」がきいていない頃で。 特にロングトーンの伸びは天下一品だったな。

 そんなわけで、陽の聖子、陰の明菜・・・つまり、明菜は松田聖子の後人を期しているなんてイメージがあったけど、この年は、完全に松田聖子よりも中森明菜・・・って感じだったよなぁ。
 実際、売り上げも、4枚のシングルともすべて50万枚以上を記録。しかも、「サザンウインド」以外は、すべて60万枚突破・・・と一番安定していた年だったしなぁ。




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飾りじゃないのよ涙は / 中森明菜

1985_01_飾りじゃないのよ涙は_中森明菜






今日の1曲セレクトは、「飾りじゃないのよ涙は」中森明菜です。

まずは、データでーす。

・タイトル     飾りじゃないのよ涙は
・アーティスト   中森明菜
・作詞       井上陽水
・作曲       井上陽水
・リリース日    1984年11月14日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    62.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年11月26日〜1985年2月11日付

 NEW明菜。1984年の中森明菜って、それまでのイメージから脱却した感じの年でしたよね。
 まあ、大きなところで変わったわけではないけど、83年までのバラード or ツッパリ 系というお決まりのパターンを脱却して、1ランクグレードアップした、新しい明菜を見せた年・・そんな感じに感じますねぇ。

 まあ、確かに83年ラストシングル「禁区」から、それまでのシングルには見られなかったメロディライン、詞も、表面的なところから、より深い心理まで踏み込んで、曲に幅が出てきていたことは確かなんだけど、シンガーとして、また、1歩踏み出したのが、84年ではないんかなぁ。

 ますもって、それまでのような「パターン」化された曲調の脱却。 さらに曲が自由度がましたっていうかね。いろいろ試しましたよねぇ。この年は。
 1月の「北ウイング」から始まって、「サザンウインド」「十戒(1984)」、で、この「飾りじゃないのよ涙は」・・と、全て、作家が違い、曲調も違うっていう、全くパターン化されていないリリースが、この年はあったんですよね。

 しかも、明菜自身、一番楽しそうに歌ってたのもこの年で、セールスの方も、常に60万枚以上で安定・・って感じで、ファンにとっても、ファンと明菜本人、双方で、一番パワーが充実してたし、「納得できた」1年ではないかなぁ。
 
 なにより、自由でしたよね。まだ、チャレンジャーの立場だったしね。

 で、その1984年の最後にリリースしたのが、この「飾りじゃないのよ涙は」なんですよね。

 この曲は、井上陽水がプロデュースと、明菜にとっては、それまで、前例のない独特のクセのあるメロディラインだったけど、このころは、なんか、見てても自身がみなぎってたし、ホンとのオーラっていのが、見えてきたように感じてたなぁ。私としては。。。

 聴いてるほうも、兎に角「新鮮さ」が常にあったんですよね。上で書いたように、この年は、シングルすべて、作詞、作曲者がちがうんで、つねに「新曲」がほんとに「新曲」に聴こえたんですよね。うん「新鮮」という意味での「新曲」って言う感じ? 
 そんな風に感じてたし、新曲出るのが楽しみだったなぁ。次は、どう来るのかっていうのがね。

 それは、アレンジもそんな感じだったなぁ。この曲のアレンジは、萩田光雄氏が担当しているんですけど、初めて、全面的にウチコミっぽいサウンドだなぁって感じたのね。
 たしかに、前年の「禁区」は、YMOの細野氏が作曲だったんで、サウンド的にもウチコミっぽい感じだし、実際、そうだと思うんだけど、全体的な印象としては、あんまり打ちこみっぽくないのね。ギターと、サンプリングっぽいストリングスが絡んできてるからかもしれないけど。。
 
 でも、この曲はサウンド全体が打ちこみ独特の緊張感が漂っているっていうかね。
 もちろん、ギターは、手弾きなんだけど、それでも、そのほかのシンセとうまく融合して、打ちこみっぽい緊張感を保ってるしね。
 で、バックには、スティービーワンダーの「パートタイムラバー」のような「チキカチキカチキカチキカ・・・」と速い3連が永遠に続くハイハットのドラムが否がおうにも、打ちこみっぽい雰囲気をかもし出してるしね。。。

 。。。。って、つい最近まで思ってたのね。

 BUTですよ、この曲のドラムは、実際に手で叩いてるんだってねぇ。。
 叩いているのは、村上”ポンタ”秀一氏。 氏の自伝「自暴自棄」を読んでたら、そう書かれてますね。
 あのハイハットは、どう聴いても打ちこみだと思ってたんだけど、で、よく聞かれるそうなんですよね。

 まあ、上で、打ち込みのようなって書いちゃったけど、実際は全てのパートとも、手弾きのようなんですけどね。

 でも、それだけ、好きのない「職人技」が光るこの1曲なんでないかなぁ、と思うわけです。

 この曲に関しては、時代のイメージ的な曲というよりも、曲そのものを聴き入ってしまう・・って言うような、曲自体を楽しみたい1曲なんですよね。 それは、いまでも変わりないなぁ。

 まあ、確かに、ハイハット以外のスネア、タムなんかは、手で叩いているようなに、どう聴いても思えますけどね。



※2006年1月に書いたものを再掲載しました。

少女A / 中森明菜

1982_09_少女A







今日の1曲セレクトは、「少女A」中森明菜です。

まずは、データから

・タイトル     少女A
・アーティスト   中森明菜
・作詞       売野雅勇
・作曲       芹澤廣明
・編曲       芹澤廣明
・リリース日    1982年7月28日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位  5位
・売上げ枚数    39.6万枚
・THE HITCHART HOT30 最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1982年9月27日〜11月27日付

 このところ、セレクト曲、アイドル寄りになってるかな・・・というキライはあったんだけど、やっぱり「この時期」って言ったら、この曲は避けて通れないよなぁ。
 それだけ、80年代アイドル界にはインパクトがあった曲ですよね。

 だけど、最初聴いた時は、ほとんど、印象に残んなかっただよね。生理的に合わなかったっていうかね。
 面白いもので、新曲を聴く場合、初見ですんなり自分の中に受け入れられる曲と、逆に、最初は「ウザイ」と思う曲ってあるじゃん。
 近田春夫氏も言ってるように、曲を聴く環境、シチュエーションの違いで、曲のイメージって変わってワケで。
 最近、新曲で「きになる曲」のレビューを自分で書いたりしてるけど、仮に当時も書いてたら、恐らく、ボロクソ書いてたと思う。それだけ印象に薄い・・・というか、逆にあんまり印象よくなかったんだよね。
 その前に、「中森明菜」っていうヒト自体よくわかんなかった・・っていうのが、正確なところかなぁ。
 はじめは、印象がうすかったんだよね。B級というかね。A級のアイドルのあのキラキラ感がなかったんだよね。先行してた、松本伊代、小泉今日子、堀ちえみ・・のほうがよっぽとキラキラしてたし。

 でも、なんども耳にしていくうちに、だんだんと「味」が出てくるんだよね。・・とともに曲のインパクトも感じるようになって来たわけです。
 この曲は、1回じゃわかんないのかもしれんね。 でも、そういう曲って一度耳に付いちゃうと、意外と飽きが来ないんだよね。逆に、何回も聴きたくなっちゃう。
 そうこうしているうちに、最初、あんなに印象に薄かった中森明菜がキラキラしてきたんだよなぁ。
 これってタレントさん自身、自信が付いてきたってことなんですかね。 これは不思議・・。 でも、70年代の山口百恵もそうだったけど、「物になる」アイドルってやっぱりいるんだよねぇ。

 今だから言えるけど、この曲、イントロのつかみからして、インパクトの塊ですよね。 最初のエレクトーンのグリッサンドからエレキとの絡みからして緊張感充分で、聴いてる方は、得々の世界に引き釣り込まれるって感じなんだよね。
 音自体は、どちらかといえば、ダサめだよね。っというか、この時代をもってしても古臭い。70年代だよね。このテの音は。
 同じ明菜のツッパリ路線で、このあとの「1/2の神話」なんかは、「少女A」に比べれば、スッキリとしてるんだよね。おなじエレキメインでも。 
こちらの方が音の面では80年代っぽい。
 ただ、「少女A」の場合は、軽めとはいえ、ブラスロックっぽい、ダサめの音にしたほうが掴みはよかったのかもしれないな。題材からして、ダサめのほうが「いかにも」って感じがするしね、
 このあたりは、アレンジの萩田光雄氏の見事な計算なんだろうなぁ。

 しかし、中森明菜のスタッフは、先見の明がある・・というか、思い切りが良いと言うかね。 普通、第1弾でバラードのソフト路線(「スローモーション」)を行けば、暫くはそのままの路線を行きますぜ。第2弾で路線変更というのは、かなりの冒険だもんね。でも、あえて、冒険のほうを選んだ。
 この辺は、計算ではないと思うんだよね。半分は「ばくち」だからさ。 でも、明菜本人ともども良いほうに転がったよね。
 このあとも、83年に「トワイライト」で、スロー路線で売れなくなってきたら、さっと、路線変更したでしょ。
「禁区」でミディアム路線に変更と、これもかなりの冒険だと思うのよ。 まず、ここが第2のターニングポイントっていうかね。
 でも、明菜ってターニングポイントを超えるたびに大きくなっていったよね。 やっぱり、のびるアーティストは、冒険をして伸びるのかなぁ・・・。
 82年、83年、84年と、どんどん大きくなっていったもんね。
 個人的にはピークは、84年だと思うんだよね。レコードセールス的にもそうだけど、この年の明菜が一番楽しそうに歌ってる気がするな。 もちろん、楽曲にも恵まれた。 変わってくるのは85年、86年でレコード大賞をとっちゃってからだよね。歌い方がガラっと変わっちゃったし・・・。表情まで変わっ
ちゃたもんね。
 やっぱり、若干20歳でのレコード大賞ってのは、相当な重石だったんじゃないかなぁ・・と今では思いますね。
 まあ、その辺に関しては、追々、他の曲を紹介しながら、書いていきたいと思います。

いずれにしても、この頃の明菜って、今見るとホント、かわいかったんだよね。




※2005年9月に書いたものを、若干、加筆しました。
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