かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

三田寛子

夏の雫 / 三田寛子

1982_07_夏の雫_三田寛子


今回の1曲セレクトは、「夏の雫」三田寛子です。

まずはデータです。

・タイトル     夏の雫
・アーティスト   三田寛子
・作詞       阿木耀子
・作曲       井上陽水
・編曲       坂本龍一
・リリース日    1982年7月7日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 28位
・売上げ枚数   6.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 25位

 昨日に引き続き、またまた変な時間に書いてる1曲セレクトどぇす。。。 なんかこの先 土日はこんな感じで「早朝」に書くのが日課になりそうな予感がするけど。。。。
 通常は夜、眠い頭の中書くんだけども、時間的な余裕があれば朝書いた方が頭もシャキッとしてるんで書きやすいって事もありますけどね。

さてさて、ここんところ、全体的にアイドルに偏ってるよなっていうのは否めないんだけども、そう言っておいて、今回も「アイドル」です。

三田寛子「夏の雫」

1曲セレクトもたまにヘンな曲を持ってきたくなるんだけど、この曲もそんな「ヘン」な曲に入るような曲ですかねぇ。
 リリースは、1982年7月。 この年の3月に以前書いた「駆けてきた処女」でデビューした三田寛子さんのデビュー第2弾シングル。
つまりは「花の82年組」というわけなんですが、この曲が今一つパッとしなかったんだよなぁ。

以前も書いたように、このヒト、デヒュー時は、数多くいた82年デビュー組の中でも、期待度も実績も、松本伊代に続く二番手だったんだよね。まあ、今考えると「意外」かもしれないけど・・・。
 そそそ同じ日にデビューしたキョンキョンよりも堀ちえみよりも「上」だったんですよ。

でも・・・・。 この曲で早くも躓いちゃいましたね。。。

デビュー時、三田寛子よりも「下」と見られていた、キョンキョンも堀ちえみも、夏にリリースした第2弾シングルは、軒並みデビュー曲を上回り、「人気」と言う点でもこの時点では完全に、三田寛子さんを抜いちゃってましたもんね。
 
なぜ、伸び悩んだかと言えば・・・・うーん、やっぱり、このヒトが本来持ってたキャラクターとのギャップがあったんじゃないのかなぁ・・・なんて思ったりして。
 このヒト、パッと見のルックスが今一つ「華やか」じゃなかったぢゃない どちらかと言えば陰がある顔立ちだったし・・・。そのあたりからなのか、この曲のジャケ写のように。少し大人っぽい「妖艶」なイメージに持って行ってしまった・・・というのが、ギャップの始まりだったかもしれないな。

少し陰がある・・・って言うイメージから山口百恵アゲイン・・・な雰囲気になってしまった感もあるし。
まあ、その辺は、当時三田寛子のディレクターだった酒井政利氏のイメージだったのかもしれないけど・・・。
デビュー曲に続き、この曲でも、作詞が阿木耀子女史を起用したのもその表れかもしれないけどね。

だからね、後年、「笑っていいとも」で見せてたような、おとぼけ「天然キャラ」っていうのを、この当時から作り手が見抜けていていれば、もう少し違った展開になっていたかもしれないな。

ところでさ、この曲で、まず目が行ってしまうのが作家陣だよなぁ。

・作詞 阿木耀子
・作曲 井上陽水
・編曲 坂本龍一

超豪華・・・というまえに、うわっ、めちやくちゃ濃いメンバーやん・・・・ って言うのが先に立ってしまったりして 
 作詞 阿木耀子、作曲 井上陽水っていうのは、前曲「駆けてきた乙女」がそこそこ成功したんで引き続き・・・って言うのはわかるんだけども、なぜにアレンジが坂本教授やねん ・・・って感じで。
超濃いメンバーでしたよね。 

でもね、実際に濃い曲なんですわこれが。  

デビュー曲「駆けてきた処女」は、作詞、阿木耀子、作曲 井上陽水・・・にしては、わりかし「まとも」なイメージで、このヒトたちの個性が、今一つ感じられなかったんだけども、この曲では、それぞれの個性が弾けちゃってる・・・というか・・・。 ま、良く言えば・・・・と言うところなんだけども。

特に、井上陽水氏のメロディね。当時としては、まあ、難解なメロディなんだよな。

出だしは、まともなありがちなサビ。 ・・・かと思ったら、いきなりぶっ飛んだようなコミカルなAメロ。 かと、おもったら、サビの続きか・・・と思わせるまともなBメロ。 ・・・かと思ったら、少しトーンダウンしたようなCメロ。

一体、どんだけ展開が変わるのよ・・・。くらい目まぐるしく変わる展開。
うん、この曲のレビューを書いてる他のブログを読むと、この展開の変化を「転調」って書いてるヒトがいたけど、転調ではないんだよね、キーは、ずっとCmのままなんで。あくまで展開が目まぐるしく変化してるって事なんですわ。

井上陽水氏は、この曲とほぼ同時に、自身のシングル「リバーサイドホテル」をリリースしてるけど、この曲も精神分裂気味な難解な曲だったじゃん。 なんかね、そんな精神分裂気味な難解なメロディをそのまま、この曲にも持ちこんじゃってた・・・ような感じも受けてさ。。。

それに輪をかけてアレンジがね。 デビュー曲の「駆けてきた処女」はアレンジが萩田光雄氏っていうプロのアレンジャーだったこともあり、井上陽水氏のクセあるメロディを上手く調和していたところあったんだけども、この曲は坂本教授でしたからねぇ。
 調和どころか、井上氏のクセのあるメロディに負けてたまるか・・とばかり、これまたクセのあるアレンジに仕上げてたりして。。。
 ま、通常、これだけ展開が激しいメロディの場合、イメージがとっちらかり気味になるんだけど、シングルとしてそれなりにまとめてあるのは、流石は教授・・・なんても思う。

・・・・かと思えば、阿木女史の歌詞。Aメロ、Bメロは直接的な関連がなさそうでいて、共に自分と彼との事・・・ってのは分かるんだけども、Cメロで、それまで全く出てこなかったKumi and Rumi なんて「謎」の女性がいきなり登場したりして ぶっ飛んでるよなぁ・・・。
(いずれもイニシャルを外すと 「umi」⇒「海」となって、次の歌詞にある「海の少女」に掛ってるんだよね。って最近知ったんだけど。。。

・・・ってな具合で、三者三様、持ち味を存分に発揮した曲ではあるけど、「歌謡曲完全攻略ガイド」でもレビューされているように、濃すぎる牛乳は、逆に飲みづらい・・・ということで、売り上げも伸び悩んだんじゃないのかなぁ・・・なんて思う訳ですわね。

ただね、それは当時思ったことであり、そういうシガラミは一切なんにも考えずに、今、この曲を聴くと、 それはそれで面白い曲ではあったかも・・・なんて再認識されてくるような曲ではありますけどね。


そういえば、この曲もデビュー曲に引き続きいて「カルピスソーダ」のCM曲・・・だったような気がするんだけどな。。
そう思って、ネットで調べてみたけど、今一つ確証が出てこないんだよね。なんで割愛しました。


・・・ということで、実際の曲を紹介したかったんだけども。。。
うーん、この曲の動画はようつべに落ちてないなぁ。。。。

・・・かと思ったら、一応ニコ動にあった。。。。
↓コレ


ちなみに、この曲の次の曲は、「色づく街」っていう南沙織さんのカバーだったんだけども、個人的には、この曲、好きだったんだよね。
今は、オリジナルの南沙織さんバージョンを知ってしまったんで、ヘタだな・・・なんて思っちゃうけど、当時は知らなかったんでね。
筒美京平氏の色っぽいメロディがセクシーなんだよね。



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色づく街 / 南沙織

1973_10_色づく街_南沙織






今回の1曲セレクトは、「色づく街」南沙織です。

 まずはデータです。

・タイトル     色づく街
・アーティスト   南沙織
・作詞       有馬三恵子
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1973年8月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  4位
・売上げ枚数    29.6万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1973年9月17日〜10月29日付

 最近は、秋だというのに「秋っぽい」曲がめっきり少なくなりましたねぇ。
 ・・・・というか、もう10月も、もうすぐ半ばだというのに、今日も上着なしで外出したりしてるものふらふら
やっぱり、なんだーかんだーいうて、「温暖化」は確実に進んでいるんだろうね。
ウチらが子供だった頃から考えても、1ヶ月は季節のめぐりが遅くなっているような気がするな。

 今回引っ張って来た、曲は、南沙織の「色づく街」ですわ。
 これ、今ごろ丁度、ヒットのピークだったんだけど、それでもって「色づく街」ですよ、タイトルが。

 うーん、なんとなく、今、そう言われても、いまひとつ「ピン」と来ないかもしれないよなぁ。。。なんて思ったりして。。。

 最近、♪ 街は色づくのに〜 ♪ なんて言ったら、11月終わりから、下手したら12月に入ってから・・・なんて、感じだもんなぁ。

 この曲、今から42年前(exclamation ふらふら)の曲なんだけど、42年も経つと、大分、気候も変わったもんだよね。

 だってさ、この曲、リリースが、「8月21日」よexclamation ×2 

 たしかに、当時は、今に比べたら、ヒットのピークに乗っかるまで時間がかかったんで、季節先取りでリリースするのが、通常だったとは言え、8月に「色づく街」って言われてもなぁ・・・って感じだよね。今の感覚だと。。
今年だったら、まだまだ真夏日だったもんね。

 でも、考えてみたら、ワタシが子供の頃っていったら、10月中旬ってね、下手したら、もう寒かったもんね。
 まあ、田舎に居たからかもしれないけど・・・。体育の日あたりに、「いもに会」とか、山の川原でやったり。。そーいえば、そのころって言ったら、すでに紅葉も始まってたし・・・うん、すでに、秋まっさかりの頃・・・なんだよね、昔なら。。



 まあ、そーいうことで、42年前は、既に秋真っ盛りの今ごろに、ピッタリの曲だったんだよね。

 もちろん、42年前っつうたら、ワタシャ4歳・・・ってことで、リアルタイムでは、この曲聴いてませんけど。。。

 うん、この曲の存在を知ったのは、実は、82年の「三田寛子」のカバーバージョンだったりするんだよね。。ふらふら

 ↓ これこれ
フォト 

ついでに音源



 三田寛子の3枚目のシングル。
 もちろん、カバーなんて知らなかったから・・・あせあせ、最初は、三田寛子のオリジナルだと思ってたんだよなぁ。
 
 こちらは、もう、何年も聴いてないから、すでに忘れちゃったけど、兎に角、独特のメロディラインが魅力的だったんだよね。

 うん、「筒美京平」って、意識したのは、多分、この曲からだとおもう。実を言うとさ。

 ま、一言でいえば、ポップス歌謡なんだけど、「歌謡曲」って一言で、済ましてはいけないような、独特のフィーリングがあるのよ。
 まあ、言ってみれば、「バタ臭い」っていうか、「日本的」な匂いだけではない、何か・・・。
 歌謡界の「文明開化」っていうか、和洋のいいところをミックスした、そそそ「和洋折衷」なメロディラインなのよ。

 なんか、そこにゾクゾク感じるもんがあったんだよね、ワタシは。


 で、そのあと、オリジナルの、この南沙織バージョンを聴いて、音源も手に入れたんだけど、一言で言って、堂々としてるんだよね。
 南沙織のボーカルって。三田寛子のは、こんなにボーカルが太くなかったよな。もっと「か細い」感じがしたな。
 だから、最初は、ちょっと違和感があったのを覚えてる。 まあ、こっちがオリジナルだから、本当は、三田寛子の方が違和感を感じるんだろうけどさ、本来なら。

 でも、今考えたら、82年のあの時期のカバーブームで、70年代アイドルの主要曲を覚えたようなもんだったなぁ。
 あれから、時代をさらに遡って、曲を掘り下げていくきっかけになってたんだよね、ワタシの場合。
 だから、本来は、そーいう、感じで、底辺を広げるためにも、カバーっていうは、必要だとは思うんだけど、何分、最近のカバーは、あまりにも安易なデキなもので、昨日の「ヒットチャートフラッシュ!」で書いたようになっちゃうんだよなぁ・・・気分的には。。




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駈けてきた処女 / 三田寛子

1982_04_駆けてきた処女_三田寛子






今回の1曲セレクトは、「駈けてきた処女」三田寛子です。

まずはデータです。

・タイトル    駈けてきた処女
・アーティスト  三田寛子
・作詞      阿木耀子
・作曲      井上陽水
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1982年3月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 21位
・売上げ枚数   8.6万枚
・タイアップ:カルピス「カルピスソーダ」CM曲

 先月から散発的に書いてきてる3月21日リリース曲って、まだまだあるんだよね。
 今日は、何ひっぱってこようか、ちょっと迷ったんで、またまた3月21日リリース曲から、この曲をひっぱってきましたわ。

 駈けてきた処女 /三田寛子 です。  

 うーん、なんて、刺激的なタイトルなんでしょ? と思ったりするんだけど、これ、決して「かけてきたしょじょ」とは呼ばないでくだされ。「かけてきたおとめ」だかんね。

80年代アイドルのゴールデンエイジといわれる、いわいる「82年デビュー組」だけど、当初・・・そうねえ、82年の今頃は、堀ちえみでもなく、小泉今日子でもなく、このヒトが一番期待されていたんだよね。 意外かもしれないけど。。
 中森明菜、シブがき隊は、まだデビューしてなかったしさ。 

あ、まあ、松本伊代って言うヒトも居たけどね 純然たる82年デビュー組の中では・・・ってところで言うとね。


 とろこで、知ってるヒトにとっては常識なんだけどさ、さすがに作詞の阿木耀子女史。その辺の目の引かせ方は上手ですよね。

 まあ、これがアイドルのコの曲って最初からわかってるからひういう感じでタイトルつけられるんだけどさ。最初っからそっち系の曲だったら着けても面白くないもんね。

 曲は、井上陽水氏。しかし、作詞 阿木耀子、作曲 井上陽水 なんて、また、誰も考えないような、うん、悪く言うと分裂したような作家の人選をしたもんだよね。

 一体、誰なんでしょう? こういう組み合わせを考えたヒトは。 うーん、プロデューサーの酒井政利氏なんでしょうね、きっと。

 なにかく、ある意味すごい曲ですよ。うん、作家のお金のかけ方からして、アイドルのデビュー曲としてはすごいんだけど、曲自体もかなりすごいよなぁ。

 兎に角、メロディラインが難しくありません? うん、メロディラインとしては、井上陽水としては、かなり素直で易しいとおもう。でもさ、そうは言ってもかの井上陽水氏だもんね。

 おもっいきりクセがあるメロディラインでもあるとも思う。

出だしの

 ♪紺色の制服に包んだ体は 真っ白な雪割草です〜 ♪

からして、フラットだよね。

 これまともに歌ったら、メロディ負けしちゃうと思う。

 でも、そこをなーんにも考えないで歌ってる三田寛子のある意味「勝ち」な曲なんぢゃないかなぁ。

 うん、うまく、三田寛子の曲になっていると思いますよ。


 あー、三田寛子ですが、今は、中村橋之助夫人ですわね。すっかり梨園の妻となられてしまいましたが、もともとは「2年B組仙八先生」ですからねぇ。
 うん、アイドルの登竜門、「金八先生」シリーズですよね。ここからは、そのほかシブがき隊とか本田恭章が出てるんだけど、女性陣の代表は、このヒトだったんだよね。

 まあ、だから、かなり期待されてデビューされたわけでさ。事実、この曲では、一瞬、なみいる82年デビューアイドルのトップにたったか・・・のように見えたんだけどね。
 でも、ホンとに一瞬だったな。トップに立ったように見えたのは。

 うん、この曲は、「カルピスソーダ」のCMでもよく流れてたしさ。

 ♪ はにかみやさん 出ておいで 怖がりやさん 手のなる方へ ♪

の部分ですね。
 当時を覚えてる方は、この曲の全体像は知らなくても、コノ部分は聴いたことあるんじゃないかなぁ。

 
 でもさ、結局、アイドルとしては伸び切れなかったなぁ。うーん、アクの強さがイマイチだったんだろうね。


 ちなみに、これから7年後に、中山忍って中山美穂の妹が、この曲カバーしたけど、どうも、やっぱしパッとしなかったもんなぁ。



うわ、音も悪いし、画面もひどい・・・・。申し訳ないです。。。


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