かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

三浦徳子

大きな森の小さなお家 / 河合奈保子

1980_06_大きな森の小さなお家_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「大きな森の小さなお家」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル     大きな森の小さなお家
・アーティスト   河合奈保子
・作詞       三浦徳子
・作曲       馬飼野康二
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1980年6月1日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 36位
・売上げ枚数 7.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 41位

あー、今週は仕事がきつかったわい。 普段使わない「脳みそ」を使った1週間だったんで、仕事終わりゲソッと疲れたわ。。。今はそんなキツかった1週間の余韻に浸っている時間だったりして。。。

などと、「1曲セレクト」とは全く関係ない「マクラ」になってしもたな。


さて、今回のセレクトしてきた曲は、河合奈保子さんのデビュー曲、「大きな森の小さなお家」。

うーむ河合奈保子さんの曲は大分書いてきたけど、まだ残ってた曲があったんだな。しかも「デビュー曲」を書いてなかったか。。。

この曲はねぇ、当時、なんか、こっぱずかしかったんだよな、聴いてて。

詞の内容が子供っぽかったでしょ。 タイトルからして「大きな森の小さなお家」でもんね。まるでメルヘン童話な世界って感じだったじゃん。
 当時、オリコンウイークリーで「1980年デビュー組」の比較対決っていう企画がありまして、河合奈保子評としては、「アイドルらしいアイドル」なんてなってたりしたんだけどさ。
 たしかに、今の感覚からすると、如何にも「アイドル」 っていう曲だったりするんだけど、当時、同じ1980年組の他のアイドルの曲って、得てしてもっと大人っぽかったんだよね。
岩崎良美にしかり、鹿取洋子にとかり・・・  松田聖子だって、当初は、子供っぽいなぁ・・・っていう印象があったけど、それでも、もう少し上の年齢・・・そうね、高校生とか大学生向きって感じだったじゃん。
 それに対して、河合奈保子さんのこの曲は、どう聴いても「小学生」向きだよな・・・っていうイメーシが強くてねぇ・・・。

・・・・なんて、当時小学5年だったワタシが言うのもおかしな話だけど。。。

この曲は、作詞は三浦徳子さん。 うーむ、奇しくも松田聖子さんのデビュー曲「裸足の季節」と一緒だったんですねぇ。
でも・・・やっぱり、比較しちゃうんだよね「裸足の季節」の詞の内容と。。。なんか、大人と子供・・・って言うくらいの違いを感じちゃったりね。
 曲は、馬飼野康二氏。 この間、西城秀樹氏の「激しい恋」を書いた時、「絶叫系」な曲こそ馬飼野氏らしい・・・なんて書いたんだけども、この曲では、そう言う世界は全く感じられないもんね。
 硬派、軟派・・っていえば、思いっきりナンパな訳じゃないですか。まあ、そんなレンジの広さも馬飼野氏ならではといえば、そうなんだけどさ。
でも、その後の河合奈保子さんのヒット曲を考えると、馬飼野氏との相性が一番良かったような気がするな。
まあ、後年の筒美京平氏の起用により、河合奈保子さんの新たな一面を引き出せたのは別として。

兎も角も、人前で堂々と聴くのは、今一つ気が引ける曲だな・・・っていう感覚があったのは確かだよなぁ。

ただね、アイドル嫌いだった、ウチのオヤジが、当時、河合奈保子さんだけは認めてたのは、印象的だったんだけどなぁ。松田聖子さんに対してはボロカスだったもんね。
 やっぱね、ぽっちゃりとした童顔なルックスに対して、揺れる「ちち」っていう、アンバランスな容姿が、男心くすぐった訳だったんだろうな・・・・なんて今になって思うけどさ。

もちろん、ワタシも、当時は松田聖子さんよりは、断然、河合奈保子派だったんだけどさ。

曲は別として、やっぱり、上で書いたように、名前の通りの可愛さだったしさあ、まあも今もそうだけど、スレンダーなコよりも、ぽっちゃりしたコの方が好きだからさあ。

それに性格も良さそうだったじゃん。裏表がなさそう・・・っていうかさ。 それまでのアイドルには無かったというか・・・、より親近感は感じたよね。

ま、その「親近感」っていうキーワードが、その後、80年代アイドルの最大の特徴になってくるんだけどさ、そう言う意味では、80年代なアイドルのフォーマットは、河合奈保子さんが元祖と言ってもいいかもしれないな。



いやいや、初々しい奈保子さんですね。デビュー直後高々1コーラスしか歌わせてもらえないのに、一生懸命歌っているのが印象的。
でもさ、36年前は、聴くのが恥ずかしかったこの曲だけど、今聴くと、普通に聴けるんだよなぁ。
それだけワタシも年をとったのか、それとも、最近の曲が全体的に子供っぽくなって、何とも感じ無くなったのか・・・・どっちかだろうなぁ。
 


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想い出のスクリーン / 八神純子

1979_04_想い出のスクリーン_八神純子








今回の1曲セレクトは、「想い出のスクリーン」八神純子です。

まずはデータでする。

・タイトル    想い出のスクリーン
・アーティスト  八神純子
・作詞      三浦徳子
・作曲      八神純子
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1979年2月5日
・発売元     ディスコメイト
・オリコン最高位 12位
・売上げ枚数  24.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1979年3月26日〜4月2日付

ここんところ「アイドル」系が続いたんで、今回は「ニューミュージック系」で行きますよん。

八神純子さんの「想い出のスクリーン」。

うーん、この曲、覚えておられる方、どのくらい居るかなぁ・・・っていうのはちょっと心配。
あの大ヒット曲、「みずいろの雨」の次のシングルなんだけど、「みずいろの雨」の売り上げ枚数からすると、約半分しか売れなかったりしたし、オリコンでは10位にも入れなかったりしたんで、ちょこっと地味な存在ではあるんだよね。

実を言えば、ワタシ、長い事、この曲の存在をずっかり忘れてたりしたんだよね

この次の曲の「ポーラースター」は、売り上げこそ、この「想い出のスクリーン」と大差はなかったのに、個人的に大好きだったこともあって、良く覚えてたりするんだけどさ。
 この曲の存在を思い出したのは、実は、ネットを初めて、チャートマニアの方々と繋がりをを持つようになってからだったするんだよね、実は。

うん、その時初めて聴いた・・・と言う訳ではないんだけどさ。 「みずいろの雨」でファンになったからさ、八神純子さんは。 当然、次のこの曲も当時、聴いてはいたんだけどね。うん、「ザ・ベストテン」ではランクインしてたしさ。
 でも、それからずっと忘れていたっていうのは、この曲、当時、カセットに録音してなかったから・・・なんじゃないかなぁ・・と思う。

うん、この曲がランクインするちょっと前から、ベストテンにランクインしてくる曲で、好きな曲を録音するようになってたんだよね。
 まあ、録音って言っても、ライン録音なんて知らないからさ、テレビの前に「ラジカセ」置いて録音したってアレですね。私と同年代か、少し上の方は、みなさんやってましたよねぇ。
途中で、電話がなったり、オヤジがしゃべりだしたりすると、それらも入っちゃった・・・ってアレですわ。

ちなみに、サザンの「いとしのエリー」を録音した時は、最後にワタシのオヤジが「ヘタクソ」って叫んでるヤジが入っちゃってたりします、ワタシのカセット。。。

でね、なぜか、この曲は、当時録音しなかったんだよなぁ・・・。 なぜだったかは、全然覚えてないんだけど。。。

当時、あんまり好みじゃなかったのかなぁ。。。

もしかすると、一度録音したんだけど、誤って上から被せちゃったのかもなぁ・・・。 当時よく、やっちゃってたからさぁ。カセット自体、まだ高かったからなぁ・・・。まあ、当時小学3年〜4年だったワタシから見ると・・・なんだけどね。そんなにそんなに新しいカセット買ってもらえなかったから、よく、上から被せちゃってたんだよね。

いずれにしろ、今に残る、ベストテンから録音したカセットが、ワタシのヒット曲ライブラリーの「起源」なんですよね。 これを下敷きに、中学〜高校〜大学の頃、中古レコードを漁って、レコード音源のライブラリーを作って行ったんで。。。

だからね、ベストテンから録音したカセットに曲がが入ってなかった事で、ずっと忘れてたってのはあるかもな。

で、後年、ネットでチャートマニア同士の会話の中で、この曲の話題が出てずっと記憶の彼方にあったこの曲を思い出して掘り返したってわけなんですわ。

まあ、曲自体、今聴いても「大人」っぽい曲だったからなぁ。 ミディアムテンポで曲の解釈も難しい感じだしさ。到底、小学3〜4年生が聴く曲じゃなかったってのはある。
 いや、多分、当時のワタシ的にも、この曲は難しいかったのかもしれないなぁ。 例えば、前曲の「みずいろの雨」なんかは、分かりやすい曲だったじゃない? 16ビートかつサンバ的ノリのリズムといい、めちゃくちゃキャッチーなサビといい。

 でも、この曲はメロディ的にも、リズム的にも、分かりやすいっていう「掴み」は無いんだよね。

サビの ♪ すこし〜 すなおな わたしを〜 ♪ ってところなんかは艶っぽかったけどさ、八神さん。 それでも、小学生が聴いて理解するには、ちょっと難しかったからなぁ。
だから、理解できないまま、忘れちゃってたってのもあるかもしれないな。

もちろんきちんと聴きこなせば、発見はいろいろあるんだけど、そこまで解釈するには、まだまだ幼すぎたんだよな、当時は。



やっぱり八神さんのウタを聴くと、いかにも「ウタ」を聴いてるぞ・・・っていう気分にさせてくれるんだよなぁ。
やっぱお金を取るなら、この位の歌唱力は無いと。。。。
 ちなみに、この曲の聴きどころの一つとして、うねるようなベースラインがあるけど、これ後藤次利氏なんだよね。
 ゴッキーというと、ワタシらの年代としては、後年のおニャン子クラブのおちゃらけた曲を作った・・・っていうのが一番印象にあったりするんだけど、ベーシストとして腕前は超一流だったりするんだよね。



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ZIGZAGセブンティーン / シブがき隊

1982_11_ZIGZAGセブンティーン_シブがき隊






今回の1曲セレクトは、「ZIGZAGセブンティーン」シブがき隊です。

 まずはデータです。

・タイトル    ZIGZAGセブンティーン
・アーティスト  シブがき隊
・作詞      三浦徳子
・作曲      井上大輔
・編曲      井上大輔
・リリース日   1982年10月28日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   33.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1982年11月15日〜12月20日付

 のっけから・・・またもや、ヘンな曲をもってきてしもうたかな。。。

 シブがき隊の「ZIGZAGセブンティーン」ですぜ、ダンナ。

 もうね、かーんぜんに「知ってる人しか知らない」曲でしょう、コレは。

BUT BUT BUT・・・、実は、シブがき隊で一番「売れたシングル」って、コレだって知ってました? 

そそそ、唯一オリコンで1位取った「喝!」じゃないんですよん。

 これ意外な盲点かもしれないよなぁ。オリコンみてると、意外な曲が意外に売れてた・・・ってことがままあるけど、この場合も、意外や意外だろうな。
 なにせ、曲ときたら、いまや「知ってる人しか知らない曲」ですから・・。


 まあ、これには「伏線」がありーの、そそそ、C/Wの「Gジャンブルース」も人気でたから・・・・っていうのがでかかったろうな。
 もしかしたら、「表題曲」であった、この曲より、今となっては知ってる人が多いかもしれない。

↓ コレ


なにせ、表題曲ではなく、C/Wなのに「ザ・ベストテン」のベストテン内にはいっちゃった曲ですから・・・。
 (つまーりね、「レコード売上げ」要素なしでランクインしちゃったってことで・・・)
 
 ま、その後のシブがき隊の、「基本路線」となったような1曲ですな。

そそそ、C/Wが人気が出て、売り上げが伸びた・・・という点では、次の年の松田聖子の「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」と似てるな。しかも同じCBSソニーだし。
 当時は表題曲だけじゃなく、C/Wにも力を入れてんだよね。単なる「B面」という枠を超えて。だから、意外とB面でいい曲が多いんですよ、80年代前半のアイドルって。

個人的にも、「ZIGZAG〜」よりは「Gジャン〜」の方が好きだったな。
この曲聴くと33年前、82年〜83年の冬を思い出す。 そう言えば、丁度今頃「E.T」が大ブームだったな・・・とか、この冬は風ひいてヘロヘロになってたな・・とか



・・・・ということで、「ZIGZAGセブンティーン」ですわ。

 うーん、正直言ってつかみ所が難しい・・・・んだよね、これが。。

 とりあえずは、意味不明な「ロシア民謡」調な感じが目新しい(?)というか、耳を引くよな。。。。思わず「コサックダンス」でも踊りたくなるような・・・。

 ただ、それだけ・・・・って感じもしないでもないけど。

 なんて、そっけなく書いている割には、個人的には割りと好きだったりする、この曲。

 ま、今となってはだけどさ。 当時は、どう聴いても「ヘンな曲」だよな・・・で終わっちゃってたような気がするわ。
 やっぱ一番の原因はつかみ所のなさだよなぁ。その前の「NAI-NAI16」「100%SO・・・かもね」と、比較的アクの強いメロディラインの曲が続いてきたから余計かもしれない。

 でも、まあ、C/Wのおかげで、次への展開のヒントにもなったわけだし、肝心のタイトル曲のこの曲については「つなぎ」だったのかもしれない。
 うん、あの時点では「Gジャンブルース」は実験だっんだよね。どっちに転ぶか・・・っていう。
 で、結局は、そっち路線へシフトしていった・・・と、83年のシブがき隊は。

 ま、いずれにしても、まだジャニーズはまともでしたよ、この頃は。




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真夜中のドア / 松原みき

1979_11_真夜中のドア_松原みき






今回の1曲セレクトは、「真夜中のドア」松原みきです。

 まずはデータです。

・タイトル    真夜中のドア
・アーティスト  松原みき
・作詞      三浦徳子
・作曲      林哲司
・編曲      林哲司
・リリース日   1979年11月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 28位
・売上げ枚数   10.4万枚

 今日から12月。東京は昼間はまだ過ごしやすいけど、朝晩はすっかりひんやりとした空気が入るようになってきましたね。
こう、ひんやりした空気が入ってくると、なぜか、シティポップスが恋しくなる・・・・ってことはないかふらふら

 でも、シティポップスのあの冷たい肌触りは、やっぱし、こう、キーンと寒い空気のイメージなんだよね。

 ところで、シティポップスなんて書いたけど、これは正式なジャンルではないのよね。
 ま、あくまでAORなアーバンな雰囲気を醸し出している、「硬質」な音系の音楽よ。

 さて、日本ではいつ頃から出てきたんだろ? っていうと、これは定かじゃないんだけどさ。ま、80年代の前半〜中盤あたりが全盛だったよね。

 林哲司氏の作る音楽が、その雰囲気なんだよねぇ。 で、まあ、考えてみたら、多分、この曲くらいからじゃないかなあ・・・と思った曲を、引っ張ってきましたわ。

 松原みき 「真夜中のドア」

松原みきさんのデビューシングルですね。

 林哲司氏によれば、この曲は完全に意識的に洋楽風な「邦楽」(なんじゃそれ・・・)を作った曲ということで、たしかに、それまでの邦楽には、あんまりなかったような曲調ではある。

 ま、一言で言ってしまえば、完全なAORですわ。あの当時でいえば、完全なニューミュージック系なんだけど、そういう意味では、それまでの日本の音楽界にはなかったような雰囲気の曲ではある・・・という意味でも、「ニューミュージック」だったのかもしれない。

 考えて見れば、そんな新しい音楽が、次から次へとでてきたのが、ちょうど、この時期なんだよね。まさに「ニューミュージック」全盛期っていうのに相応しい時期だったよな。

 やっぱ、なんだかんだいっても、この時期の音楽が一番、音楽らしい音楽だと思うわけで。。。そんな時期の1曲だね。


 ただ、そういう割には、売上げ的には、それほど爆発的に売れたわけではないのよ。
 ま、このテの音楽は、それほど「商業的」じゃなかったからねぇ。テレビに頻繁に出演するわけでもなかったし、まあ、聴くヒトを選ぶ曲・・・っていう感じで、オリコン最高28位ってところだったかねぇ。

詞は、またまた三浦徳子さん。いやぁ、こまっちゃいますね。あ、この詞面白いと思うと、三浦徳子さん。
三浦徳子さんの詞は分かりやすいんですよね。分かりやすいんだけども時には強烈にインパクトがあるでしょ。
女性なのに男よりも強烈な言葉が並んでたりして。
70年代後半〜80年代にかけては、松本隆氏とは双璧でしたね。作詞家のヒットメーカーとしては。
 この曲は、そんな三浦徳子さんの詞の中でもソフトタッチな部類でしたね。



それにしても、松原みきさんも若くして逝ってしまいましたね。 
艶っぽい声質を持った方だったんですよね。 ワタシとは丁度10才違いなので、この曲の時、20歳。
え? 20才ですよ。 最近の20歳のアイドルのクソガキみたいな声質とは全然違うやんけ。
享年44歳。あまりにも若すぎた。 これからますます円熟味がでてくるという時期だったのにね。
日本の音楽界、惜しいヒトがどんどん居なくなっていますよね。


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ス・ト・リ・ッ・パ・− / 沢田研二

1981_11_ストリッパー_沢田研二






今回の1曲セレクトは、「ストリッパー」沢田研二です。

 まずはデータです。

・タイトル    ス・ト・リ・ッ・パ・−
・アーティスト  沢田研二
・作詞      三浦徳子
・作曲      沢田研二
・編曲      伊藤銀二
・リリース日   1981年9月21日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   36.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1981年11月2日〜1982年1月11日付

 ここでも何回か書いてるんだけど、最近「エロエロ」な歌って少ないよなぁ。なんでなんだろうねぇ。やっぱりPTAがウルサイんでしょうかねぇ。いわいるモンスターペアレントって言うヒト達。でもさあ、自分たちだってエロエロやってたから子供が生まれたわけじゃんか・・・なんて思うんだけどねぇ
 まあ、その反動か、ここでもエロエロな曲を書くと意外とアクセス数が良いんだよね。

 いやいや、そんなに「エロエロ」ソングが人気あるんなら、「エロエロ」ソングを持って来ようじゃん・・・・っつうことで、沢田研二の「ストリッパー」を持ってきました。

 あ、正確には表記は「ス・ト・リ・ッ・パ・−」のようですね。間に「・」が入る・・・と。

 まあ、それはどうでもいいんだけど、↑で書いたほど、実際は「エロエロ」ソングではないです。

 たしかにタイトルを見ると、衝撃的ですけどね。作詞は、三浦徳子さん。

 しかし、前、シブがき隊の「処女的衝撃」の時も書いたけど、女の作詞家としては、野太いよねぇ。「ストリッパー」ですよ。
 普通、女の作詞家では、こんな衝撃的なタイトルの曲、書かないですよねぇ。

 まあ、タイトルはもともと決まってたのかもしれないけど、タイトルに負けないほど、内容的にも野太いものねぇ。

 ♪ ヒールを脱ぎ捨て ルージュを脱ぎ捨て 全てを脱ぎ捨てたらおいで 裸にならなきゃ 始まらないショーの始まりさ〜 ♪

だもの。

 これなんですよ〜、ヤバさって。詞を読んだだけでもドキッとするヤバさを感じるじゃん。

 これが「歌謡曲」の醍醐味なんじゃないかと思うわけです。

 きっと、最初から「オトナ」のマーケットを意識した作りに徹してるから、この位ヤバい曲でも大丈夫っていう読みもあるから、作れるんだろうね。

 この曲、今から34年前の曲だけど、まだ、あの頃は、聴き手(ユーザー)にもオトナが居たんだよね。


 ・・・かと思えば、松田聖子の「青い珊瑚礁」のような、ソフトな詞も書くし、早見優の「夏色のナンシー」のような、キラキラした詞も書くし、このヒト一体、何者? って思うくらい、変幻自在な幅広いイメージの詞を書くヒトだったよなぁ。


 この曲に関しては、曲も詞に負けないくらいスリリングだし、久々に「勝負」をかけてきたジュリーだったよなぁ。ジュリーは、こうじゃなくちゃ!

 まずもって、イントロ最初のドラムのスタタタタタタタタタタタタっていう力強いスネアからして、インパクト大だったもんなぁ。

 サウンドはギンギンギターの悪夢路線。エロくていいんだよね、さすがにストリッパーというだけあって。。。

 この前の年の「TOKIO」から、バックバンドは、長年連れ添った井上尭之バンドから、オールウェイズを経て、この年81年から、吉田健氏率いるエキゾティクスに変わったけど、恐らくこのバンドの魅力が、あのころでは一番引き立った曲なんぢゃないかな。

 曲はジュリー自身。このころは、前曲の「渚のラブレター」、この曲、次の「麗人」と3曲連続で自身作曲でいってたけど、ソングライターとしても、かなりいけるよねジュリーって。

 本人の言葉を借りると、たまたま自分で書いた曲が選ばれたっていう話だけど。

 まあ、今となっては、最期の力を「振り絞って」に入ってた時期でもあるんだけどね。
 この曲が現在まで、最期の30万枚突破曲となってしまったわけで・・・。

 でも、コノヒトが年末のレコード大賞に居ると、それだけでステージが華やいでた時期ですよね。

 改めて「スター」だと思いますわ。最近は「スター」っていうほど存在感があるヒトも少なくなっちゃいましたからねぇ。


 ちなみに、エロエロ・・・だったら「時には娼婦のように」の方が、もっとスリリングだったかな?
 だけど、残念ながら、時期が合わないんだよね。。。




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クレイジーラブ / 堀ちえみ

1984_11_クレイジーラブ_堀ちえみ






今回の1曲セレクトは「クレイジーラブ」堀ちえみです。

まずはデータでする。

・タイトル    クレイジーラブ
・アーティスト  堀ちえみ
・作詞      三浦徳子
・作曲      芹澤廣明
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1984年10月17日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   16.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1984年11月5日〜11月12日

 このあいだ、友達と話してて、そういえば、堀ちえみの代表曲って何? っていう話になったんだけど、はて? と困っちゃったんだよね。

 うーん、まあ、前々から同じようなこと書いてきたんだけど、一般に「82年組」アイドルって、たしかにそこそこに売れてるヒトが多くて、アイドル大豊作の年って言われてるけど、そんじゃ、それぞれのヒトの代表曲は? って言われると、はて? なんじゃらほい? ・・・・とこまっちゃうヒトも多いんだよね。

 中森明菜のように、アイドルの頂点に上り詰めちゃったヒトとか、松本伊代の「センチメンタルジャーニー」のように1曲ずば抜けた売上げの曲を持っているヒトなら別だけど、こと、この堀ちえみとか石川秀美っていうのは、困っちゃうんだよね。

 まあ、だいたいの曲がそこそこの売り上げだったじゃん。でも飛びぬけて売れた曲がないし。。。。
 うん、今で言ったら、それこそレコード買ってたのは固定ファンだけって感じなわけで、まあ、だからゲーノー系的な売れ方っていうのは、今に始まったことではなくて、このころから始まっていたんだよね。

 だってさあ、この曲、オリコンで2位まで行ってるんだよねー。
 あのころのチャートみてたヒトなら「そーそー」と言うことになるかもしれないけど、今からしてみれば、そんな印象ってまるでないじゃん。
 それは、あくまで初動偏重な売れ方だったからだよね。

 そう、兎角、チャートが壊れたのはおニャン子以降っていうのが、通常な見方に今では見られているキライもあるけど、実際は、このころから、初動型な曲がジワジワと増えていってたんですよ。
 それに伴って、印象にのこる曲も減っていったわけだよね。
 それを考えると、あと20年もしたら、「今」の曲なんて、ほとんど印象に残んないんだろうなぁ。


 さてさて、曲の方は、この曲から、いわいる「挑戦物」が始まったんですかねぇ、堀ちえみの。
 それまで、このヒトにはほとんど見られなかった、マイナーでアッパーなハードナンバーっていうんですかね。最近の言い方だと。
 この曲からだよね、単純に軽いアイドルポップスから徐々に脱皮を始めてきたのは。

 うん、この曲に関しては、売上げから言って、それも成功だったんだろうね。
 やはり、耳新しかったからね、このヒトのこのテの曲は。

 たとえ、それが、あのころ流行のボニータイラーの「ヒーロー」っぽくてもさ。
っつうかさ、この頃の曲って、ボニータイラーの「ヒーロー」を下敷きにした曲って多いんだよね。大体マイナー系の曲だと、「ヒーロー」ってぽいイメージだったりしてさ。

 耳新しかったというよりは、そのミスマッチ感が耳新しかったといった方がいいかなぁ。

 たださ、このヒトの場合は、このあとの展開がねぇ、ちょっとやりすぎたよね。次の「リボン」まではよかったんだけどねぇ、そのあとが・・・。
 まあ、「ちえみの挑戦シリーズ」がエスカレートして、羽目をはずしすぎたってところかなぁ。そのあたりは、後日追々とね。

 それにしても、たしかに、この曲、メロディラインは別として、曲として焦点がハッキリしていると思ったら、アレンジャーは萩田光雄氏だったんですね。
 これ、今知った   あれから31年も経つというのにね

・・・・っつか、31年も経ったって方が不思議。ワタシの中ではつい最近・・・っていうイメージなんだけどねぇ、未だに。

でも、さすがは萩田氏というていうところなのかなぁ。ただ、このヒトならではの「技」は見られなかったですよね。
 あくまで「シングル」としての焦点合わせに終始していたアレンジというかねぇ。

 そのへんが、アッパーでハードな曲なのにちょっとこじんまりと地味目な印象になっちゃったんですかねぇ。
 



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風は秋色 / 松田聖子

1980_11_風は秋色_松田聖子






今回の1曲セレクトは、「風は秋色」松田聖子です。

 まずはデータです。

・タイトル    風は秋色
・アーティスト  松田聖子
・作詞      三浦徳子
・作曲      小田裕一郎
・編曲      信田かずお
・リリース日   1980年10月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   79.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1980年10月13日〜12月29日付
・タイアップ:資生堂「エクボ ミルキィフレッシュ」CM曲

 最近、やたらと松田聖子書いてるな・・・・。とお思いの方、お許しくだされ。
 いやいや、この時期って、松田聖子って毎年のようにリリースしてきてるんだよね。
・・・で、今まで、書いてなかったもんで、曲が溜まっちゃってまして。。。あせあせ


・・・ということで、今回は、デビューした1980年の「秋」の曲です。

 「風は秋色」

 正直言って、この曲、「青い珊瑚礁」の焼き直しだよねあせあせ

・・・って思いませんでした?

 いや、あのころ、周りの大人の人は、みんなそんなこと言ってたような気がする。
 当時、ガキだった私でさえ、あざといな・・・と思ったもの。どう、聴いても、「青い珊瑚礁」の続編としか、思えなかったの。

 なんか、そういうやり方に、ガキなりにちょっと嫌悪感を感じたりしてさ。
 まあ、と、いっても、ガキの頃だからね。何回も聴いてるうちに好きになってたりして。。。まだ、移り気が早かったのよ。 よく言えば、柔軟性があったっていうかな。

 でもさ、いま、客観的に考えれば、これは、完全に戦略だよね。
 前も書いたけど、当時は「大ヒットしたら3曲目までは、同じ路線で行く」っていう、暗黙の不文律のようなもんが、業界にはあったんだよね。

 それを忠実に守ったのが、松田聖子・・・っちゅうわけですわ。
 ただ、これほど「型」にはまったのも、恐らく、今に至るまで、松田聖子だけじゃないかなぁ。

 つまりさ、1曲ごとに売上げを上げたってこと。

・裸足の季節  28.2万枚  最高12位
・青い珊瑚礁  60.2万枚  最高 2位
・風は秋色   79.6万枚  最高 1位

・・・・と、まさに右肩あがり〜・・・の売れ方を見せてきていて、売り上げとしては、この曲が「第1期」目の頂点だったんだよね。

 これも、松田聖子の人気、実力の賜物って言うんですかねぇ・・・。
当時、河合奈保子派だったワタシも、こればかりは認めなきゃなんないところだったもんなぁ。

 オリコンでは、この曲は、初登場1位を飾ったわけだけど、これ以後24作連続1位獲得・・・という、80年代としては空前絶後の偉業を成し遂げることになる。その先駆けとなった曲でもありますね。

 ただ、この曲を最後に、作曲の小田裕一郎氏をスッパリ切って、数あるニューミュージックシンガーからの曲提供を受けるようになる・・・っていうのは、このヒトのスタッフのしたたかな所だよね。

 それまで、考え付かなかったと思うもの。アイドルにニューミュージックのアーティストからの曲提供を長期にわたって受けるって言う発想は。

 うん、単発ではあったんですよ。例えば、吉田拓郎氏から曲提供を受けてたキャンディーズや石野真子、さだまさしや谷村新司から曲提供をうけた山口百恵・・・など。

 でも、長期にわたって連続して、ニューミュージックの大物たちから曲提供を受けてたのは松田聖子ぐらいなもんでしたからね。

 ちなみに、松田聖子側からのオファーを断り続けたアーティストは、小田和正ぐらいなものと言われてますね。いまだったら、書いちゃうんだろうな。。。なんせKAT-TUNに書いちゃうくらいだから。。。


 まえ、菊池桃子が、戦略的に「大学生が小脇に抱えてても恥ずかしくないアルバム作り」って書いたけど、それを先んじて実践したのは、実は松田聖子なんですよね。

 コンセプトとして、大学生がカーステレオでかけても恥ずかしくない楽曲作り・・・っていう大前提が、この「風は秋色」を含んだ、2ndアルバム「North Wind」から始まってましたからね。

 うん、まあ、本人は、次の「チェリーブラッサム」(財津和夫 作曲)は、最初の頃、歌うのもいやだったくらいキライだったらしいけど。

 それでも、本人の「好き嫌い」を押し切っても、アーティストコンセプトを押し切ったスタッフは、シタタカだと思うねぇ。

 考えて見れば、この辺から、楽曲の時代から、アーティストそのものの人気を大事にする、「アーティストの時代」が始まったような気もする。

 ただ、まだ、このころは、ヒット曲は世代を越えた「共有物」であり、チャート自体に「重み」があった時代だったから、その辺には気がついてなかったんだよね。
 
 まだ、主導権は「作り手」側のほうが一歩進んでた・・・っていう時代だったのかなぁ。今考えると。



それにしても、すげぇ斬り方だな、いきなり1番から2番に歌詞が飛んでるぞ〜。


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ひとり街角 / 小泉今日子

1982_11_ひとり街角_小泉今日子






今回の1曲セレクトは、「ひとり街角」小泉今日子です。

まずはデータです。

・タイトル       ひとり街角
・アーティスト     小泉今日子
・作詞         三浦徳子
・作曲         馬飼野康二
・編曲         竜崎孝路
・リリース日      1982年9月21日
・発売元        ビクター
・オリコン最高位   15位
・売上げ枚数     15.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 12位

・・・・ということで、久しぶりのキョンキョン。

「ひとり街角」です。

 ただねぇ、この曲、しらないヒトも多いかなぁ。デビュー3枚目のシングルなんだけど、この頃の小泉今日子の曲ってジミなんですよね。

 たしかに、オリコンでは、最高ランクは少しずつ上がってきていたし、売上げ枚数も少しずつ上がってきていたわけで、当時の人気も少しずつあがってはきていたんだけど、何分、曲がジミなんだよね。

 詞は、当時売れっ子の三浦徳子女史。曲は馬飼野康二氏。とヒットメーカーとしては申し分ないんだけど、うーん、この曲に関してはどうも、馬飼野氏の曲がどうも、いまいちなんじゃないかなぁ。どうも、イマイチいつもの、大げさな抑揚がないんだよね。

 それにもまして、ちょっと・・・なのは、やっぱり、竜崎氏のアレンジじゃないかねぇ。
 どーも、古臭いんだよね。この当時にしても・・・。80年代というよりは70年代の・・・っていうイメージなんだよなぁ。
 どうしても、ストリングスとラッパがヒョロヒョロなってると、そういうイメージになりますな。

 ましてや、当時、音が古臭かったビクターだからか、余計なんだよね。

ちなみに、デビュー曲と、第2弾と、続けて「カバー」曲だったけど、この曲で初めてオリジナル曲となったわけなんだけどね。
 でも、この曲、次の「春風の誘惑」と、はっきりしない曲が続いているところを見ると、どうも、キョンキョンの路線を測りかねていたんじゃないですかねぇ。・・・というか、個性が見えてなかったというか。。。
 そんなこともあって、この曲の頃は、まだ人気という点では、同じ82年組の堀ちえみ、石川秀美とそれほど大きく抜きんでてなかったもんね。

 その間を縫って、中森明菜が頭角を現していたんだけどさ。


 だけど、このヒトのスタッフは、エライよね。ちゃんと、これではイカン・・・と次の年、きっちりとイメージチェンジしてきたもんね。
 本来のキョンキョンのイメージを全面にだした、トッポイ作りの「真っ赤な女の子」。これで、このヒトの運命は決まったんぢゃないかしら。。。
 まあ、半分は、キョンキョン自らの「反乱」のお陰で、イメージチェンジせざるを得なくなったんだけども。

 でも、この「ひとり街角」路線が続いたら、このヒトの「今」はなかったろうなぁ。

・・・とまあ、そんなことを思い起こさせるような1曲ですね。

ただ、ジャケ写に関しては、個人的には「○」ですね。



 このころは遠目に見ると、キョンキョンって分かんないよなぁ。石川秀美とか堀ちえみにそっくりなんだもの。
あのころ、みんな同じ「聖子ちゃんカット」(レイヤードカット)だったからねぇ。没個性だったんだよね。


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パープルタウン / 八神純子

1980_10_パープルタウン_八神純子






今回の1曲セレクトは、「パープルタウン」八神純子です。

 まずはデータでーす。

・タイトル     パープルタウン〜You Oughta Know By Now〜
・アーティスト   八神純子
・作詞       三浦徳子、JACK CONRAD、DAVID FOSTER、RAY KENNEDY
・作曲       八神純子、JACK CONRAD、DAVID FOSTER、RAY KENNEDY
・編曲       大村雅朗
・リリース日    1980年7月21日
・発売元      ディスコメイト
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    56.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1980年9月15日〜11月24日付

 さてさて、久しぶりの八神純子です。
50万枚オーバーの大ヒットということでは、あの「みずいろの雨」以来という事になるわけですが、
1980年の大ヒット、「パープルタウン」。

 まあ、80年当時を知ってるヒトなら、まず知らないヒトはいないだろうって言うくらいの大ヒット曲なんだけど、
いまいちはっきりしないのが、向こうの曲の「パクリ」なのか、そうじゃないのか? って言うところなんだよね。

 ・・・・ま、現在は、一応は、「パーフルタウン」という単独曲として、作詞、三浦徳子、作曲、八神純子とは認められているんだけど、管理側のヤマハさんがパクリを認めちゃったんで、著作権管理上は「You Oughta Know By Now」と「パープルタウン」の2曲使用扱いになってたりするんだよね。
 その上で、この楽曲を表記する上では、正式には副題として「You Oughta Know By Now」を併記することになってたりする。

でもさ、この曲がパクリだとしたら、南沙織の「17才」、ザ・ぼんちの「恋のぼんちシート」・・その他、昔の「ドロボー歌謡曲」なんかに上がってた、いわいる「パクリ疑惑」がある曲は一体どうなのよ・・・って事になっちゃうわけなんだけどねぇ。。。。。

まあ、著作権法、とりわけ音楽に対しての著作権は「親告罪」なんでね、権利者側が訴えない限りは、罪にはならないんだけどさ。

 個人的にはパクリを認めちゃって「バカ」だな・・・なんては思うんだけどさ。だって、南沙織の「17才」とかさ確信的に、リン・アンダーソンの「ローズガーデン」だよねって似ているところから比べたら、ぱっと聴き、それほど大きくは似てないんだよね。

↓コレ 


たしかに、バックのギターのリフは同じっちゃ同じなんで似てると言われれば似てるよなって感じはするけど。。。
ギターのリフなんか、同じだよな・・・なんて曲は、いくらでもあるんだけどね。。。。って書くと噛みついてくる方が居らっしゃるんだろうね、きっと。

それと、致命的だったのは、両曲がリリースされた時期がほぼ同じだったってことだろうな。 やっぱ、リリースが同じ時期だと、それなりに神経質になってるだろうしな

まあ、この曲を管理してる、ヤマハさんとしても、ゴタゴタにしたくなかったんだろうね。大人の事情ってやつで。


 まあ、そんな結末があったからというわけでもないけど、この曲は、あのいかにも「八神純子」っていう、しなやかで、のびやか(←なんちゅう表現!?)なハイトーンがあまり聴けないんだよね。

 個人的には、最初はあんまり触手が伸びなかったな、この曲は。

 それよか、前にも書いたと思うんだけど、この曲がリリースされた頃、NHK特集で放送していた「パノラマ太陽系」のテーマ曲だった「Mr.ブルー〜私の地球〜」の方が、断然、八神純子らしくて、個人的に絶賛もので気に入っていて、だから新曲がその曲でなくてガッカリしたのを覚えてるなぁ。
 
 でもさ、何度もなんども聴いてるうちに、最終的には、この曲も好きになっていたわけだから、なんだ〜かんだ〜言っても現金なもんだよね。

 たしかに、インパクトは、いつもの八神とは違うんだけど、骨太さっていう点では、この曲は魅せたんではないですかねぇ。八神純子のワイルドな面・・なんて書いたら怒られそうだけど、いつもの八神純子とは、また、違った一面が見られたとも言えますしね。


 もうひとつ、この曲で忘れられないのは、いつぞやの「ザ・ベストテン」での黒柳さんと久米さんの会話

黒柳 「まあ、今日はお衣装もパープルで・・・」

久米 「いや、見方によっては「魚河岸」の帰りのようにも見えますよ・・・」


・・・・久米さんは、八神純子さんはタイプではなかったようで、(爆)  いつも言いたい放題だったよなぁ。





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ラッキィ・リップス / 早見優

1983_10_ラッキイ・リップス_早見優






今回の1曲セレクトは、「ラッキィ・リップス」早見優です。

 まずはデータです。

・タイトル    ラッキィ・リップス
・アーティスト  早見優
・作詞      三浦徳子
・作曲      筒美京平
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1983年9月21日
・発売元     トーラス
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数   16.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1983年10月24日〜10月31日付
・タイアップ:資生堂「バスボン ヘアコロンシャンプー」CM曲

 えー、今回はマクラなしで、いきなり本題。
 毎度毎度、セレクトする曲に困っているワタシなんですけど。。。。。

 こまったー・・・といいながら、最終的には「搾り出して」来るところが、ワタシのいいところexclamation & questionふらふら

 ふむ、早見優の「ラッキィ・リップス」なぞ、いかが?

 早見優と筒美京平氏・・・っていう組み合わせって、とかく、南沙織を彷彿してしまうんだけど。。
 いや、バイリンギャルっていうところでさ。 まあ、筒美京平氏も、それは意識してたよね。

 ただ、そうは言っても、この曲の前の2曲⇒「夏色のナンシー」「渚のライオン」は、NEW「早見優」を形成することに専念したのか、南沙織の香りは曲からはイメージされなかったな。

 だけども、筒美氏作曲の第3弾のこの「ラッキィ・リップス」で、いよいよ持ってきましたねぇ。

 この曲の最初のスローの部分は、やっぱし「哀愁のページ」なんだろうな、イメージとしては。
 いや、兎に角、この時点より10年前の南沙織では、出来なかったサウンドを早見優で試した・・・って感じがしてならないんだよね。、この曲を聴くとさ。

 決して、派手さがある曲ぢゃないんだけど、サウンドにしても、この時点では、結構、それまでなかったような音色、ミキシングを施したりして、新しい事を取りいれてんだよね。
 いや、それは、今、この辺の曲を続けて聴くと分かるの。 あ、変わった・・・って思うもの。

 83年って、アイドルポップスにとっては、変革の年でしたよ。 あ、これは、サウンドの面でさ。
 その前の年の82年の曲って、今聴くと、どうしても一つ古さが隠せないんだよね。
 でも、逆に、次の年の84年の音は、ほとんど出来上がってる感じがするし。。
 キモは、その間の83年にあったと思うのよ。で、曲単位で考えると、この曲なんかは、そのいい例じゃないかなぁ。

 まあ、いま聴くと、この曲の延長線・・・っちゅうか、もっと発展させたところに、次の年の「誘惑光線クラッ!」があったりするわけで、まあ、その実験的な曲でもあるんだけどさ。

 ちなみに、さらに発展させたのが、86年の中山美穂の「ツィてるね ノッテてるね」っていうのが、通例な考えですわね。

 まあ、そんな感じで、80年代中期以降の筒美京平氏の曲パターンの1つの形になった曲でもあるんだよね。





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