かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

三木たかし

みずいろの手紙 / あべ静江

1973_11_みずいろの手紙



今回の1曲セレクトは、「みずいろの手紙」あべ静江です。

まずはデータでする。

・タイトル   みずいろの手紙
・アーティスト あべ静江
・作詞     阿久悠
・作曲     三木たかし
・編曲     三木たかし
・リリース日  1973年9月25日
・発売元    キャニオン
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  26.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年10月22日〜11月5日付

清純。
世の中何かと「がさがさ」している現在では、完全に「死語」になったコトバだよなぁ。
でも、確かに、ワタシが子供の頃には、まだ、こんなコトバが似合う「お姉さん」たちはいた。
今回は、こんな「清純」というコトバそのままの曲を持ってきましょうか。

あべ静江さんの「みずいろの手紙」

この曲の冒頭の

「お元気ですか? そして今でも愛していると、言って下さいますか?」

というセリフからして、清純を思わせるよなぁ。

「〜言って下さいますか」 なんてのは、今じゃ、とんと聞かなくなった言い回しなんじゃないですかねぇ。

いや、超富裕層では、まだこういう言い回しもしているのかもしれない。

でも、ワタシみたいなごく平凡な「庶民」の世界では、まず聞かなくなりましたよね。

それじゃ、この曲の世界も「超富裕層」の世界なのか・・といえば、そうじゃない。
1970年代は、まだこういう純粋なお姉さんたちは庶民の中にもいたんだよね。

少なくとも、ワタシの周りにはいたような記憶があるなぁ。

モーレツからビューティフルヘ という文化の変革期の時代。庶民の暮らしもあの当時から見ての一昔前よりは確実に豊かになった時代の流れの中で、1億総中流層時代と言われたのがこの頃ですよね。

生活が豊かになれば、言葉の様式も変わってくる。 1970年代ってそんな時代だったような気もするな。

あ、もちろん、あの頃も「がらっぱち」なお姉さんも多かったですけどね

むしろ、ワタシの周りには、そちらのお姉さんの方が・・・やっぱ多かったかなぁ。。。


そんな清純そのものなセリフに続いて、リバーブをいっぱいに利かせたAメロ。

今では、こういう効果の曲は、まず見かけなくなった。 これも1970年代前半という時代特有な効果ですよね。

どうなんだろ? こういうリバーブをいっぱいに利かせた曲想っていうのは、「清純」を連想させる曲の特徴だったんでしょうかね。

例えば、この曲の前年の麻丘めぐみさんの「めばえ」なんてのも、めちゃくちゃリバーブがかかってましたよね。今聴くと、ほとんどお風呂の中で聴いているんじゃないかという感覚になってしまうくらい。

故筒美京平氏は、こういうリバーブをいっぱいに利かせた曲は。色彩イメージとして「淡いみずいろ」とおっしゃっていたようだけども、まさにそんな水の中を漂っているような感覚なんですよね。

今回の曲タイトル 「みずいろの手紙」 なんて、そんなイメージそのものですわ。

そこからなぜ、清純を感じるのか?・・・・「みずいろ」っていう色彩のイメージからして清らか⇒清純 っていうイメージを思い起こさせるからなんでしょうね、きっと。


最近は、時代からして極彩色、いや、はっきりとしたカラーな世の中だと思うし、まず、こういう「淡色系」なカラーの曲に出会うことは少ない。

つまりさ、ヒット曲にしても多くの人々は、色味がはっきりとした曲を求めているんだろうな・・ってのがわかりますね。

例えば、まさに今だったら、Adoの「唱」だったり、YOASOBIの「アイドル」だったり、今のヒット曲って、みんな色彩イメージがはっきりしてるじゃない? Adoの「唱」にいたっては極彩色の極みのような印象が強いし。。。
手書きではなく、PC上で機械的に作った曲の特徴といえば、そうなんだけども必然的にはっきりとした色彩になってしまう。淡い単色系の曲は機械的に苦手なところではないか・・とも思えてしまう。

いや、出来るんだけども、スカスカな音の曲になってしまい、「今の時代」には合わない・・っていうのもあるんですかね?

でも、昔・・少なくとも70年代前半って、そういう、はっきりとした色味を求めてはいない時代だったんでしょうね。

・・・だったんでしょうね? って無責任な・・ってところだけども、ワタシゃ、この時4歳。
まだまだ物心がつかない頃だったわけで、あくまで私の記憶の中での印象では・・・ってことで、あいまいに書いちゃったんだけども。。。

・・・ってか、↑で「1970年代は、まだこういう純粋なお姉さんたちは庶民の中にもいましたよね。」とか、すでに物心ついていたかのように書いてんじゃん。。。

いやー、物心はついてなかったけども、意外と人間観察はしてたような気がするんだよね。
そう、そんな嫌なガキだったのよ、ワタシゃ。


たださ、今、昭和歌謡に回帰する人が、若者を含め増えてきているのは、実はこういう「淡色系」の曲を求めている人たちなんじゃないのかな? 極彩色な曲には疲れているという人たち。

これは、実際の世の中にしてもそうで、昭和時代に回帰しているのは、今の世の中疲れている・・という中で昭和という「淡色系」(⇒平和に見える)な時代に癒しを求めている人が増えているんなんじゃないのかな?  なんて思えたりしてね。

もっとも、昭和という時代も、ずっと淡色系な時代ではなかったですし、リフルタイムで感じた実際の世の中は今よりももっと激動だったんですけど。。。
ただ、表面的に70年代前半から中盤くらいって、不思議なことに、淡い色の時代⇒一番平和な時代 のように見えるんだよね。今の時代から振り返ると。


なんか、当初の「清純」ってところから、大分変な方向に行ってしまったけども、ワタシの中では、清純というコトバで、真っ先に浮かぶのは、この曲だったりするんですよね。





↑で、この曲は「清純」だと言い切るほど、個人的にはあべ静江さんにはぴったりな曲だと思ったんだけど、wikipediaiによると当のあべ静江さんは、

「男性に媚びたような、私が嫌いなタイプの女性の思いを綴った詞だと思ってしまって・・・」

と、当時、とにかくこの曲がキライだったようで、歌うのを封印した時期もあったとのこと。

今、当時のVTRを見ても、この曲のレコード音源を聴いても、そういうところは感じなかったんですけどね。

当の本人は、男に媚びる、80年代風に言えば言えば、ぶりっ子、カマトトぶるタイプではなかったようですね。

でも、この曲が生まれた、1973年ころと言ったら、まだまだ女性は男に尽くすものであり、当時のヒット曲も男性にとって都合がいいような解釈の曲がまだまだ多かった時代。

それは、演歌の世界を見れば一目瞭然なわけでさ。ポップスといえども歌謡曲路線寄りのこの曲なんかにも、まだ、そういう匂いが残されていたわけですね。

ウーマンリブが叫ばれ、女性解放運動が日本で本格的になったのはこの2年後。1975年になってからですわ。



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コーヒーショップで / あべ静江

  1973_09_コーヒーショップで_あべ静江


今回の1曲セレクトは、「コーヒーショップで」あべ静江さんです。

まずはデータです。

・タイトル     コーヒーショップで
・アーティスト  あべ静江
・作詞       阿久悠
・作曲      三木たかし
・編曲      馬飼野俊一
・リリース日   1973年5月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数 28.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年9月10日付


 今でこそCDデビューの「形態」って千差万別ですよねぇ。 ま、ほとんどの方は最初から「歌い手」を目指してその末にCDデビューって形だけど、最近だったら「声優」からCDデビューっていうヒトも多いし、お笑い芸人からCDデビューって言う人も多い。
そんな感じで、CDをリリースしているヒトでも、必ずしも「歌い手」を目指していた訳じゃなかった・・ってヒトも珍しくなくなったって訳ですな。

今回の1曲セレクトは、そんなもともとは「別の職業」からレコードデヒューした方のあの曲を一つ。

あべ静江「コーヒーショップで」。

うーん、あべ静江さんといっても、少なくともワタシの年代より下の方は、あんまりピンと来ない方が多いのかなぁ。
昔、エバラの「浅漬けの素」のCMをやってたヒト・・・とかさ そのくらいの認知しかないかもしれない。

でも、今の50代、60代の方にとってはアイドルでしたよね・・・とか言いきってみる

なんて「あいまい」に書いちゃったのは、ワタシにとっても「浅漬けの素」のCMのヒトって側の世代だからなんですけど・・・。 そそそ、70年代前半の「アイドル」時代はリアルタイムじゃなかったからさあ、実際にどの位人気があったのか・・・ってのは肌で感じてなかったからなぁ。

で、初めの主旨である「別の職業」からレコードデビューって事なんだけど、元々、あべ静江さんってラジオの女子アナだったんですよね。

ま、当時の事をご存じの方には有名だと思うけど、元々はFM愛知でDJをやられてた訳ですわ。
DJっっても、クラブでお皿回す訳ぢゃないですよ。ラジオの「ディスクジョッキー」ね。ま、最近で言えばラジオのパーソナリティですね。

当時これらの番組を聴いてた方にとっては、「当たり前」の事なんでしょうけど、個人的には初めはなんか信じられなかったなぁ。やっぱり、「浅漬けの素」のCMのイメージが強いもので。。。

でもね・・・。今手元に1973年1月号の月刊・明星の歌本「Young Song」がある。この号の巻末特集として、「全国DJガイド」っていう、この当時の全国ラジオ局のプライムタイム〜深夜放送の番組タイトルとパーソナリティの表が載ってたりする。

このFM愛知に載ってますねぇ、「あべしずえ」さん月曜〜土曜0:00 〜0:15 YOU AND ME TOSHIBA パーソナリティって紹介が・・・。

東海地区「かわいこちゃんNO.1 DJ」(うわっ、時代だわぁ。この表現) なんて紹介されてたり。。。

・・・となるとやっぱり、正真正銘だったんですねぇ・・・。

蛇足だけど・・・このリストを見てて今も放送しているFM東京の「ジェットストリーム」って73年のこの時代から深夜枠であったんだよなぁ・・・。長い番組だよなぁ・・・。 なんて先日放送開始から50周年っちゅうことで、当時からあったことは当然なんだけど、やっぱ活字で見ちゃうと歴史を感じるよな・・・。

・・・蛇足でした。。。

でね、さすがに当時としてはラジオの女子アナからレコードデビューっていうのは異色の経歴だったんじゃないかなぁ。 いや、今も異色かもしれない。 まあ、フジテレビとか日テレの女子アナがCDだしたりしたこともあったけどさ。

ま、あべ静江さんの場合は、当時、まだ「短大生」ということもあり、「局アナ」ではなかった訳ですけど。。。

80年代初頭に文化放送で、ミスDJって事で、女子大生がパーソナリティをしていた番組があったけどさ、そう言う意味ではその魁だった訳なんですよね。



あーーー、長い前振りになっちまった。。。曲について書いてなかったなぁ。

とりあえず、いろんなメディアで言われてるし、当時「かわいこちゃんDJ」ってことでデビューしたわけなんで、当時の扱いとしても「アイドル」だったと思えるんで、ここでもアイドルとして紹介したいんですが。。

でも、実際曲を聴いてみると、アイドル曲っていうイメージではないですよね。なんて言うのかなぁ、アイドルの曲って言うと、もっと「ポップ」なもんじゃん。 でも、この曲は落ち着いてるしさ。より歌謡曲なんだよね。

ま、そもそもが作曲の三木たかし氏が、より歌謡曲路線のヒトだったりしたし、なによりあべ静江さん、当時22歳だったからなぁ。当時のまわりの70年代アイドルのヒトたちと比べると、絶対的に年上でしたからねぇ。  

今は22才でアイドルやってるヒトも、全く珍しくなかった訳だけど、当時は20歳を過ぎると「大人のオンナ」でしたからねぇ。アイドルというよりは一人の「ナオン」って言うイメージなんだよね。

詞のイメージも「大人」をイメージしてるな。 そもそも「コーヒーショップ」っていう喫茶店を題材にしてるところって、前年に大ヒットしたガロの「学生街の喫茶店」ですよねぇ。

 まあ、この曲の場合は、「学生街」っていうより具体的な部分は無く、単に「コーヒーショップ」っていう大衆性にとどめているところが、より歌謡曲的と言う部分が強いんだけども。 でも、他の方のブログを見たりすると、作詞の阿久悠氏は、明治大学出身であり、「学生街の喫茶店」もお茶の水っていう明治大学周辺をモチーフにしていることは間違いないことから、この曲に触発され明大周辺の喫茶店イメージしていることは間違いないようなんだよね。

いずれにしても、この時代で喫茶店っていうのは、やっぱある種文化の発信基地だったんだろうなぁ・・・っていうのが分かるなぁ。ま、リアルタイムじゃないんで、なんとなくなんだけど。。

いや、でも、なんとなくは分かるんだよね。リアルタイムじゃなかったけど、コーヒーの香りが染み付いているような喫茶店って言うイメージから、浮かぶ風景って、個人的にもこの時代だからさあ。



ところで、あべ静江さんって言えば、この動画のような変わったマイクの持ち方がトレードマークになっていたみたいだけど、本人いわく、マイクにすがって歌っていたってことで、マイクにすがったいたら、こういう一見変わったマイクの持ち方になったようですね。

ちなみに、当時の愛称は「しーちゃん」でしたね。そーいえば、小学校の時の同級生にも「静江」って名前の子がいて、そのコも「しーちゃん」って呼ばれてたな。

最初「しーちゃん」ってのがあべ静江さんの愛称って分かんなくて、小学校のときの同級生の事だと思ってたもの。。。


では、改めて曲を



イントロ頭のドラムのフィルイン。如何にもアレンジが馬飼野俊一氏って感じだよなぁ。
ややチューニングが外れたような音のタムのフィルがさ。
これ聴くと如何にも70年代だなぁ・・・なんて思ったりしてね。チェリッシュの「てんとう虫のサンバ」でも同じように思ったりして。。



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きみ可愛いね / 伊藤咲子

  1976_05_きみ可愛いね_伊藤咲子


今回の1曲セレクトは、「きみ可愛いね」伊藤咲子です。

まずはデータですよん。

・タイトル    きみ可愛いね
・アーティスト  伊藤咲子
・作詞      阿久悠
・作曲      三木たかし
・編曲      三木たかし
・リリース日   1976年3月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  21.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1976年4月19日〜5月10日付

曲のパクリ・・・・というと、どうもマイナスなイメージが付きまとう訳だけどさ。それは、やっぱり、ヒトのフンドシをチョロまかすズルさって言うのを感じるからなんでしょうかねぇ。
 その前に少し事務的な方には「著作権ドロボー」云々っていうのも思い浮かぶ方もいらっしゃるでしょう。
いずれにしてもオリジナル性が感じられないわけでマイナスなイメージが出てきちゃうんでしょうかねぇ。

まあ、そんな「パクリ」⇒マイナスなイメージが付きまとっていたのも今となっては「過去」の話になりつつあるのかなぁ。最近では「サンプリング」って言う手法も「普通」になり、昔の曲からバンバン、パクって、うんにゃサンプリングしてる曲も珍しくないもんね。

・・・・なんていつものごとく突如、訳分かんない「マクラ」を書いてたりするワタシなんですが・・・

なんで、今回セレクトしてきた、伊藤咲子さんの「きみ可愛いね」と曲のパクリが関係するねん・・・とお思いの方もいらっしゃるかなぁ。

でも、「ハハン」とピンと来た方は、結構ネット上の「噂」話を読んでますよね。

そそそ、伊藤咲子「きみ可愛いね」ってググると、ZIGGY「GLORIA」に結構引っかかるんだよね。

なぜに? 

答えは簡単、ZIGGY「GLORIA」のパクリ疑惑がネット上で結構な噂になってたからで

まあ、これについては、以前、当のZIGGY「GROLIA」を書いた時にも言及した・・・・ぷぷぷしてなかったwwww

うむ、仕切り直し。。。。

えーとね、そそそ、ZIGGYの「GLORIA」のAメロと、今回セレクトした伊藤咲子さんの「きみ可愛いね」のAメロが瓜二つ・・・・っつか「全く同じ」なんだよね。

それでパクリだ・・・・と密かに騒がれていた訳でさ。

ちなみにZIGGY「GLORIA」 ↓ コレ




まあ、意図してこうなった訳・・なんて無いと思うけどね。。。 それとも作詞作曲者の森重氏は、その昔、伊藤咲子さんのファンだったのかしら。。。 とか思ったりもして。。。。

ちなみに、最近だと、これに加えて、NMB48の「らしくもない」のAメロが「GLORIA」のAメロと似てるっつうことでパクリ疑惑がネットで騒がれてたりして。。。
「GLORIA」のAメロに似てるってことは、伊藤咲子さんの「きみ可愛いね」にも似てる・・・っつうことですわな。。

↓ コレ



ウ〜ン、似てるかコレ? ビミョウ。。。。


・・・・ということで、前置きが超長くなった。。。本題。

正直言うとね、個人的には最近までこの曲、知らなかったのよ、ワタシ。
何分、自分でランキングを作っている訳で、1976年のチャートも作ったんで、当然、曲タイトル自体は知ってたし、気にはなってたんだけど、曲自体は長年聴いたこと無かったんだよな。。。

当時、ワタシは6才〜7才。 1976年(昭和51年)と言えば小学校に入学した頃ですわ。
まだ、ヒット曲の世界には足を踏み入れてなかったからなぁ。。。

なんでね、今回、これ書くんで改めて曲を聴いてみた。

今はググるとようつべの動画が出てくるんで便利な世の中になったわな。

なるほど・・・確かに、AメロはZIGGY「GLORIA」と全く同じだわ。。。   と、いうか、この曲の方が「GLORIA」より13年も前になるわけだから、こっちがオリジナルって訳になるのだが。。。。

ちなみに、この曲、この年1976年の暮れにリリースされた、マイナーチューニングバンドっちゅう「覆面」ソウルバンドの「ソウルこれっきりですか」に取り上げられているんでね。

そそそ、キメのコトバの ♪ きみかわいいね〜 ♪ って部分。

マイナーチューニングバンドの「ソウルこれっきりですか」は音源持ってるんでさ、だから、ここの部分だけは知ってたのよ、ワタシ。

で、その部分だけを聴いて、膨らませていた曲想とはちょっと違っていたな。 もうちょっとね、アイドルアイドルしているのかと思ってた。

・・けど、思ったよりもソフトな曲調なんだよな、全体的に。 

それ以前に、メロディライン、サウンドともに古いんだよね。 アイドルポップスというよりは、正統派な歌謡曲に近い・・・というかさ。

70年代って、日本の音楽の「高度成長期」だったわけよ。 うん、経済に10年遅れて・・・って感じの高度成長期。
サウンド、メロディライン・・・などなど日進月歩変わって行くって感じでさ。 だから、70年代初頭と末では、全く違う音楽に感じるんだよな。

そのもっとも大きな分岐点だったのが、75〜76年あたりで、この2年取ってみてもサウンドがだいぶ変わるのが分かるんだよね。この頃の曲を「通し」で聴いてみるとさ。

まあ、きっちりと線を引いたように変わる訳ではなく、曲によって、新しさを感じる曲、古さが残っている曲・・・とバラバラに変化して行っている訳だけど。。。

そういう時代の変化の中にあっては、この曲はどちらかと言えば、70年代でも「前半型」・・ということは、「古いほう」の70年代的な曲って感じなんだなあ。

例えば、♪ シャラランラン〜 ♪ っていうコーラスではじまるイントロにしたって、天地真理的だしさ。 それにつづくストリングス主体のサウンド、フルートのガイドメロディ・・・と全体的に古いんだよね、曲想が。

アイドルにしては「正当派」、ウタの上手さでは定評があった、伊藤咲子さんのボーカル自体が、当時としてもアナクロさを感じるようなところはあったのかもしれないけど。。。

そんじゃ、全体的に古さを感じる曲でした・・・で括ってしまっていいのかというと、完全には言いきれないんだよな。

うん、古さの中に新しさも感じる。 例えば、↑で書いた、 イントロのコーラスの部分のコード進行。Cで始まるのに、途中で転調したような動きを見せたり。 Aメロに入る前の ♪ Fu Fu Fu〜♪ っていうコーラスの響きがソウルっぽかったり、70年代前半にはなかった新しさも感じたりする。

それ以前に、ビート感だよね。16ビートなビートを刻み続けているベースライン、ギターカッティッング。 これは、70年代中盤〜後半っぽいよなあ。

・・ということは、いろんな要素を含んでいるんだよな、この曲。 この曲だけで、70年代前半から中盤までのサウンドを一気に聴けてしまう・・・というか。。。

なにより、このスピード感、温度感は、いかにも「春」から「初夏」を感じさせるんだよね。 今頃の季節にはピッタリの曲だと思うわ。




ところで、伊藤咲子さんといえば、70年代中盤のトップアイドルの一人・・・って言う認識で個人的には居たんだけどさ。
ヒットチャート的に見ると、意外と伸びてないんだよな。 今回セレクトしてきた「きみ可愛いね」が、オリコンでは2曲目のベストテン入り。
この曲の前にベストテン入りしたのが、1年ちょっと前にリリースされた「木枯らしの二人」。 この2曲だけなんですよ、ベストテンヒットっていうのは。

これはちょっと意外な結果なんだよな。 当時の状況をリアルタイムで経験してきた訳じゃないんで、何とも言い難いんだけどもトップアイドルというよりかは、どちらかと言えば「B級」に近かったような実績なんだよね、オリコンだけを見るとさ。


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君よ抱かれて熱くなれ / 西城秀樹

1976_03_君よ抱かれて熱くなれ_西城秀樹








今回の1曲セレクトは、「君よ抱かれて熱くなれ」西城秀樹です。

まずはデータでする。

・タイトル     君よ抱かれて熱くなれ
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       阿久悠
・作曲       三木たかし
・編曲       三木たかし
・リリース日    1976年2月25日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   33.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1976年3月8日〜5月3日付

70年代の曲の面白さの一つは歌詞だろうね。現実のものとは到底思えないような、超デフォルメした大げさな内容の歌詞とかさ。
 最近は、そんなデフォルメした内容の歌詞ってほとんど見かけないからなぁ。大体が等身大な内容じゃないですか。あとは英語で逃げるとかさ。

 まあ、その要因の一つは、自分たちで詞を書いてる曲がかなりの割合になったからだろうな。いわいるシンガーソングライターってやつでさ。シンガーソングライターの方たちは、どうしても自分が経験してきた事、考えてき来た事っていう、割と狭い範疇の話を縦に深く掘り進めていく詞がほとんどで、「架空」の話をクリエイトするって言う作業は、あんまり見られないですからね。

でも、昔、70年代は、まだ「職業作家」が大活躍していた時代だったしさ。 職業作家の方々は、あくまで「プロ」だからさ、物事をいろんな角度からこねくり回したり、それこそデフォルメした世界で「詞」を書くってていう作業が多かったですからね。

・・・とは言っても基本は、「惚れた腫れた」の色恋ものが、そのほとんどなわけだけど。。。

今回の1曲セレクトは、そんな70年代の「デフォルメ」した色恋世界を歌った曲を持って来ましょうか。

西城秀樹「君よ抱かれて熱くなれ」。

うーむ、いまでもこの曲を覚えている方がどのくらいいるのか? っていうのは、ちょっと不安ではあるんだけどね。
なにせ、ヒットしたのが、今から丁度「40年前」の今頃。 1976年の「春」だったからなぁ。

だったからなぁ・・・なんて、如何にもリアルタイムで聴いてきたような書き方しちゃったけど、当時ワタクシは6才。
あ〜、ちょうど幼稚園を卒園して、小学校へ入学する頃だ。

・・・なんで、当然、リアルタイムじゃ聴いてないんだけどさ。。。

うん、この頃聴いてた曲って言ったら ♪1年生になったら〜 友達100人できるかな? ♪ っていうあれ・・・。
そそそ「1年生になったら」・・・は聴いてたけどな


あ〜、話がずれた。。。。

まあ、そんな時期のヒット曲なんだけど、ともかく歌詞が凄いんだよね。

しょっぱなから  

♪ 君は今 僕の胸で 蝶に変わるよ〜 
  蒼ざめたその羽をバラ色に染め
  これが幸せと泣きながら飛んでいける 〜 ♪ 

だもんね。 

いきなり凄い世界・・・っちゅうか、結局はリアルな話、「アレの最中」のストーリーな訳ですね。 
でも、ストレートに「あれ」やってまっせ・・・とは流石に、当時、トップアイドルであったヒデキは歌えない訳で。。
でも、流石は阿久悠氏。ウマくかわしたコトバで、恰も架空の世界の話のようにデフォルメさせる訳なんですよね。
しかも、そうすることで、めちゃくちゃファンタジックな世界に変わる訳だから、流石はコトバの魔術師の阿久悠氏だな・・・なんて感心したりしてね。

ただ、この曲に関しては、全てが飛躍しているかというと、そうではなく、それに続くBメロでは比較的、現実的なコトバが並んでいたりする。

でも、そうすることで、よりファンタジックな世界に引きずり込まれるような錯覚を感じるんだよなぁ。うん、ファンタジックな「エロ」な世界。

いや、あの時代、歌詞の世界だけじゃなく、例えば小説にしても、マンガにしても、かなり飛躍した内容のモノって多かったですよね。
 今は、情報多過なこともあり世間一般擦れたヒトが多くなっちゃったんで、そんな架空の世界はみんな「ケッ」と思うようになっちゃたけど、40年前は擦れてないヒトの方が多かったんだよね。純真のヒトが多かった・・というか。
 だから、こういうめちゃくちゃ大げさに飛躍したような歌詞でも、多くのヒトは受け入れていたんだろうな。


この曲は、歌詞だけじゃなく、メロディを初めてサウンド全般的にデォルメしたような、かなり大げさな展開だったよな。
 全般的には、ヨーロッパ系。 イントロはスパニッシュな展開で、そのまま進むのかななんて思いきや、実はカンツォーネに近いんだよね。
Aメロ、Bメロは、マイナー系なやや大人しめなメロディ展開、なんだけど、サビで、いきなり転調してヒデキお得意の「歌いあげ」系のメロディに変わる。

まあ、こういう「大げさ」な展開なメロディを歌える・・・というか、歌って「サマ」になるのは、ヒデキぐらいしかいなかったからなぁ。だから、ヒデキにピッタリな曲ではあったと思う。

ま、その辺は、聴いてる側にも伝わるもので、この曲は、前年の「恋の暴走」以来、1年ぶりで30万枚を突破。
その間、暫く、やや低迷気味だったヒデキだったけど、この曲で息を吹き返した・・・そんな1曲でもあったんだよね。

それにしても、やっぱヨーロッパ系のメロディは、聴いててグッと来るよなぁ。
まあ、ワタシだけかもしれないけど、やっぱりアメリカ的な乾いたメロディよりかは、このテのメロディの方が好きなんだよなぁ。
三木たかし氏は、その後の「歌謡曲」路線の方が一般的になっちゃったけど、70年代のポップスがいいんだよな。それこそヨーロッパ系なメロディが哀愁をそそる・・・というかさ。


動画、いきなり削除されちゃったじゃんか〜  むぅ



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時計をとめて / わらべ

1985_01_時計を止めて_わらべ






今回の1曲セレクトは、「時計をとめて」わらべです。

 まずはデータです。

・タイトル    時計をとめて
・アーティスト  わらべ
・作詞      荒木とよひさ
・作曲      三木たかし
・編曲      松武秀樹
・リリース日   1984年12月12日
・発売元     フォーライフ
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   15.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1985年1月14日付
・タイアップ:テレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの」より

 えー、今回もマクラ無しでいきなり本題。
今回引っ張ってきた、わらべの「時計をとめて」。これかなり自分でも記憶の外にあった曲なんですよね。たまたま昔の「今頃」のランキングょ見てたら目に飛び込んできてしまったんで、引っ張って来ました。

・・・といいつつ、実は、ワタシこの曲、よく知らなかったりしますあせあせ 何分、音源も持ってなかったりするもので・・・ふらふら

 サビの部分だけかな、覚えてるの。

 ♪時計をとめて このままそっと 夜空の星も見つめてるから〜 ♪

で、「掛け合い」コーラスになるのだけ覚えてたりするんだよね。


 うーん、内容、サウンド的には、「クリスマスソング」なのかなぁ。 でも、実際ヒットのピークは、年明けの今頃だったんだよね。

 何分、「わらべ」の曲としては、あっという間にいなくなっちゃったからねぇ、細かいところまで記憶に残ってないんだよなぁ。

 そんな無責任な・・・なんて声が聴こえてきそうだけどあせあせ・・・、選曲屋は無責任なものなのですexclamation 書いてしまえばこっちのもの・・・なんてね。

 ところで、「わらべ」の曲って今まで、書いてなかったんだな。いや、書いてなかったんでなくて、書かなかったってのが、正解ですね。これまた、どう書いたらいいのか、ちょっと悩むんだよね。超正統派、文部省唱歌とも言えそうだし・・・。 

ちなみに、このころのアイドル系の曲は、結構メルヘンチックな曲が多かったんだよなぁ。超正統派なメルヘンチックな曲では、この曲の他では、富田靖子の「さびしんぼう」かなぁ。まあ、こちらはショパンの「別れの曲」のカバーでしたけどね。
 

そう言えば、この曲、松武秀樹氏がアレンジなんだ。これ知らなかった、今まで。松武秀樹氏といえば、その昔、Y.M.Oのコンピュータープラグラミングとマニュピレーターで活躍された方ですね。


 実は、昔、松武氏とは、仕事で直接やり取りしてた時期があるんですよ。
 昔、着メロにかかわり始めた直後ですね。松武氏にmidi音源を作ってもらってたことがあるんですわ。

 某大手着メロサイトのピンクレディーとかX-JAPANの一部は松武氏に作ってもらったものです。
 何分、7年前だから未だに、その音源使ってるかどうか知らんけど・・・。

 でも、やりとり楽しかったな。ワタシも着メロって全然知らない頃で、ワタシが曲の取り位置を指定して、松武さんに制作依頼するんだけど、「これループしないよ」「45秒超えちゃうけど大丈夫?」とか、いろんなやり取りしたな。すべて「いいです、それで作っちゃって下さい」で流しちゃったから、あとあと、45秒越えで問題になっちゃうんだけどさ・・・。知らないからこそ出来た、大胆技ですね。
 今では、怖くてできましぇん。

 その中でも一番の出来だったのは、Xの「紅」の間奏ギターソロバージョンだろうな。
 これは、取りどころ指定したワタシも、我ながらいいとこ取ったなって納得(自画自賛 あせあせ)  
 松武氏のmidiの出来も抜群で、暫く人気あったもんなぁ。今は、midiファイル壊しちゃったから、別のに挿し変わってるけど・・・。


・・・なんて、思わず、松武氏で話が思い切り脱線してしまいました。。。バッド(下向き矢印)


 ちなみに、わらべって、「めだかの兄妹」「もしも明日が・・・」両曲共に「12月21日」リリースなんだよね。で、この曲が12月12日リリース。と3年連続して年に1枚。12月リリースだったんだよね。
 でも、この曲以降は、レコードリリースしてません。割りきりが良いと言うか・・・、欽ちゃんファミリーって、そういうパターンが多いんだよね。
 風見慎吾も「泣き虫チャチャの物語」が最高15位まで行きながら、それ以降、一切レコード出してなかったりするもんね。

 だから・・というわけでもないけど、わらべにしても風見慎吾にしても、ベスト20を外さないアーティストとして、未だに続いております。




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哀愁のシンフォニー / キャンディーズ

1976_12_哀愁のシンフォニー_キャンディーズs






今回の1曲セレクトは、「哀愁のシンフォニー」キャンディーズです。

 まずはデータです。

・タイトル    哀愁のシンフォニー
・アーティスト  キャンディーズ
・作詞      なかにし礼
・作曲      三木たかし
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1976年11月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 12位
・売上げ枚数   22.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 12位

 ひっさしぶりにキャンディーズをセレクトしてきました。うーん、いつ以来だろう?
もう主要な曲は大分書いたような気もするんだけど、まだ、書いてなかった曲もあったんだよね。

今回は、その中の1曲。

「哀愁のシンフォニー」

でもさ、この曲が、オリコンでベストテン入りしてなかったんて、ちょっとショックだわぁ。
時々、今でも有名な曲が、思ったより意外と売れてないことってあるんだけど、この曲もそんな曲の1曲かなぁ。

 この曲は76年リリース、・・・ということは、私は小学1年だったわけだけど、この曲、当時から知ってたんもんねぇ。

 まだ、まともにヒット曲に接してなかった頃、知ってたぐらいだから、ベストテン入りしててもしかり・・・と思ってたんだけどねぇ。


あ、逆に、この曲の前々曲の「夏が来た!」なんてぇ、当時、知らなかったぞよ。でも、オリコンでは5位まで行ってたりして。。。あせあせ

 なかなか、当時の記憶と実際とでは、ギャップがあったりするんだよねぇ。

 ちなみに、この曲のTOP100入りは18週。なぜか、「春一番」の16週よりも長かったりして。。。あせあせ 
 うん、爆発的には売れなかったけど、地道に売れた曲の典型ですね。

 で、もって、キャンディーズで一番、長くTOP100入りしてたのは「わな」の23週。あの「微笑がえし」が22週で、それより1週長かったりするんだよね。
 その辺のチャートの「アヤ」っていうのも、面白いわなぁ。。


 この曲、記憶にあったのは、やっぱ、曲のインパクトのせいじゃなかったかなぁ。
 キャンディーズが大人っぽさをイメージした最初の曲じゃないかしら?
 それまでの穂口雄右氏のポップなイメージから、詞 なかにし礼、曲 三木たかし っていう、歌謡曲の王道路線を持ってきたってところからも、大人っぽさを演出したかったんじゃないかなぁ・・・って言うのが分りますよね。

 特にサビの

 ♪ こっちをむいて 涙をふいて あなたのこと 愛せるかしら 何となく、コ・ワ・イ〜 ♪

 って、あの一文のところは、一度聴いたら耳から離れないインパクトがあるよねぇ。

 それと、ユニゾンが、あっても、2音のコーラスが多かったキャンディーズで、三人バラバラのフレーズが出てくるのも印象的

 ♪ ワタシの 胸の奥の 湖に あなたは〜 ♪

 からのBメロの部分ね。

 あ、いやいや、イントロの ♪ ダバダー 〜 ♪の部分から3音のコーラスになってたか。。。

 これらに絡まってくる、馬飼野康二氏らしい、大げさなオーケストレーションが、また、曲を印象的に盛り上げてくれるんだよね。
 ま、タイトルに「シンフォニー」って付いてるくらいだからね、この位の大げさなオーケストレーションで丁度いいかなとも思うんだけど。

 なんつぅのかな、この季節、木枯らしが舞っている様な印象的なオーケストレーションで・・・。
 これが、また、一度聴いたら、なかなか耳から離れないような見事さで。。。

 いや、まてよぉ・・・今、聴くと、あの頃のキャンディーズって都会っぽい曲が少ないんだ。

 どっちかと言うと、田舎の風景の中の・・・って曲が多いんだよね。「春一番」なんて、もろそうじゃん。

 この「哀愁のシンフォニー」もどっちかというと、都会の喧騒の・・というより、郊外の木枯らしで枯葉が舞っている風景・・・が似合うような曲想だもんね。

 そういう意味では、当時、福島の田舎に居た、ワタシにとっては、身近に感じる印象が強かったのかもしれないなぁ・・・。

 その辺が、都会的な「ピンクレディー」との差だったのかもしれないわ。


 それにしても、「全キャン連」なんて、全国組織のファンクラブを持ってたのって、キャンディーズが最初なんだよね。
 今でこそ、ファンクラブって言ったら全国規模が当たり前だけどさ。

 でも、結束は非常に硬くて、「ザ・ベストテン」で、解散後、一度2位に落ちた「微笑がえし」を、我々の手でもう一度「ベストテン」の1位を取らせようってことで一致団結、次の週、再度1位を獲得させたっていうのは、有名な話だよね。

 まあ、こういう組織が、その後の「親衛隊」に繋がっていくんだけど、キャンディーズの場合、ファン層に「大学生」が多かったので、後の80年代アイドルの親衛隊のような「ヤンキー」な兄ちゃんが少なかったのも、印象的かな。
 だから、何か、キャンディーズっていうと、クリーンなイメージがあるんだよなぁ。個人的には。

 だから、個人的にも好きだったのかも。。。

思秋期 / 岩崎宏美

1977_10_思秋期_岩崎宏美






今回の1曲セレクトは、「思秋期」岩崎宏美です。

 ますはデータです。

・タイトル     思秋期
・アーティスト   岩崎宏美
・作詞       阿久悠
・作曲       三木たかし
・編曲       三木たかし
・リリース日    1977年9月5日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位  6位
・売上げ枚数    40.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 
・ベストテンランクイン期間:1977年9月26日〜11月14日 11月28日〜12月12日付

 この間から「秋」っていうイメージの曲をちょくちょく書いてきてるけど、  「秋」が付く曲って、悲しい歌が多いですね。楽しい「秋」の歌ってないもんですね・・・

 アリス「秋止符」、ハイファセット「燃える秋」、山口百恵「秋桜」・・・etc そういえば、そうだな。

 「ふたりの愛ランド」にかこつけて

♪秋 秋 秋・・・♪

なんて曲は、ないね・・・。どうしてかいな? 

天高く馬こゆる秋 なんて故事があるように、秋の空は気持ちいいし、食べ物もおいしい、「実り」の季節なのにねぇ。

・・・ということで、今回は1977年の「秋」の曲を持ってきました。

 岩崎宏美「思秋期」

 この曲は、岩崎宏美の曲としても、初期の名曲中の名曲ですよ。
 岩崎宏美って、それまでは、阿久悠−筒美京平 コンビでどちらかというと、アイドルでもソウル的な味をいれたポップス系の曲が多かったんだよね。
 最もヒットしたのは、お馴染みの、デビュー2曲目の「ロマンス」の88.7万枚。
 そして、デビュー2曲目で大ヒットを飛ばした「アイドル」は、大成するっていう、ゲーノー界のジンクスどおりになったわけですね。

 ただ、そのあとは、次の「センチメンタル」など名曲があったのにもかかわらず、尻つぼみになってしまう。


・・・で、新たに、三木たかしっていう、当時の「歌謡曲」路線の第一人者に白羽の矢を立てて、勝負をかけてきたのが、この「思秋期」なわけですね。
 詞は、それまで、ずっと担当してきた阿久悠氏を引き続き起用。

 まあ、あのころの阿久氏は、それこそ、飛ぶ取り落とす勢いだったかんねぇ、ここに岩崎宏美の「歌謡曲路線」っていう、新たなステップを開拓する。

・・・・なんて、かたーく書いちゃたけど、ホントにニュー岩崎宏美が誕生した瞬間でしたよね、この曲によって。

 もし、あそこで、一ポイント置かないで、そのままポップス路線を進んでたら、それこそ、尻つぼみで終わってたかもしれない。

 やっぱり、長く一線で活躍するアーティストっていうのは、それぞれの時期にターニングポイントがあって、そこをうまく見極めて、新境地を開くっていうのがポイントなんだよね。

 まあ、それには、アーティスト側にも、それだけの対応能力っていうか、「何でも来い」の実力がないとダメなんだけど・・・。

 あとは、そのターニングポイントを見極められる、プロデューサーの存在ね。

 CBSソニーの酒井政利氏に対して、ビクターには飯田久彦氏がいたからなぁ。

 もちろん、岩崎宏美もピンクレディーも飯田氏が担当していたわけで・・・。

 裏側をみると、丁度、この時期、このお二人でのガチンコバトルを転回してたような気がするなぁ。まあ、リリース時期が重なってたってこともあるだろうけど・・。


 ともかく、この思秋期の岩崎宏美は凄かったよね。当時18歳とは、思えないような、感情の入れ方、歌いっぷり。
 もちろん、それをフォローするだけの曲展開や、アレンジのオーケストレーション、詞の世界も凄かったんだけど・・・。

 まさに「歌謡曲」のゴールデンエイジのような曲だよね。

 歌う度に、つい思い入れすぎて、泣いてしまう岩崎宏美の心情もわかるってもんですよ。
 それだけの「力作」だとおもいますよ。

 だから、この曲で、売上げ40万枚強・・・と、それまでの数曲が10万枚台で固定化してた売上げが、完全に「浮動票」を巻き込んだヒットになったってことは、よくわかるんだよね。

 いい曲は、だれでも聴けばわかるんだよね。たとえ、そのアーティストのファンでなくても、思わず買ってしまいたくなるような曲・・・っていうのは、大事なんですよ。

 そういう曲(業界的にいう「勝負曲」)っていうのは、絶対に必要だと思うんだよね。
 アーティストを育てる・・・っていう意味でも。

 もちろん、勝負だから、ある意味実験性があるわけで、出して見ないと売れるかどうか、わからない・・・っていう「賭け」な部分も多い訳だけど・・・。


 最近の曲で物足りないのは、そういう「勝負曲」をもつアーティストが少ないこと。だから、いつも「固定ファン」ためのだけの曲・・・って書くじゃん。

 それじゃダメなんですよ。たしかにビジネスとしては、採算のメドが立てやすいっていうところもあるけど、なにより、それではアーティストが育たない。

 いつぞや谷村新司氏が苦言を呈したのは、そこなんだよね。



18才で、この色気はマズいでしょう 大人っぽいですよねぇ。
これに比べたら、最近のアイドルの18才は「くそがき」みたいなもんだよね。

それにしてもいつも思うんだけど、「夜ヒット」のバックバンドって、なしてこうもヘタだったんだろう。
ミストーンの多い事。 こういう「ピシッ」した曲では、もっとピシッとした演奏をしてくれないと。。。



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若き獅子たち / 西城秀樹

1976_10_若き獅子たち_西城秀樹






今回の1曲セレクトは、「若き獅子たち」西城秀樹です。

 まずはデータです。

・タイトル   若き獅子たち
・アーティスト 西城秀樹
・作詞     阿久悠
・作曲     三木たかし
・編曲     三木たかし
・リリース日  1976年9月5日
・発売元    RVC
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  23.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1976年9月20日〜10月25日付

 昨日の河合奈保子さんぢゃないけど、10月って言う月はヒデキにとってもヒット曲が多い月なんだよね。
なので、今月は、他にもヒデキの曲を持ってくることになりそうなんで、早々、1曲セレクトしてきましたわ。

1976年の「若き獅子たち」

 ・・・・つか、これ、レギュラーで読んでくれているヒトたちでも、この辺くらいになると、マジで知ってるヒト少ないよねぇ〜。
 39年前の、しかも、大ヒット曲ならいざ知らず、「中ヒット」止まりだったこの曲を。

 いや、知ってるヒト、意外と多いかなぁ。。。

 うん、この曲は、1976年の「賞レース」で、西城秀樹がレギュラー的に歌ってた曲なんだよね。
 ・・なんで、タイトルは知らなくても、曲を聴けば、ああ、あの曲かっていうひとも多いと思うわ。
 うむ、1976年の「レコード大賞」しかり、「歌謡大賞」しかり、いやいや、この年の「紅白歌合戦」もこの曲を歌ったわけだから、未だにナツカシ系番組では、よく流れたりするのが、この曲だったりする。
 当時は、それほど、大ヒットしたわけではないけど、それだけVTRが未だに残ってたりするからなんだろうね。


 たださ、これが、これぞ「ソングフェスティバル」のための曲って感じのスケールのでかい曲なんだよねぇ。

 カンツォーネを下敷きにしたような、ラストでグワァーと盛り上がって終わるような、いかにも、音楽聴いたぞ・・・って思わせるような、爽快感を残すような。

 やっぱさ、日本人って、この手のヨーロッパ系の曲が好きだからねぇ。
いつだか、テレビで、日本人がショパンの曲が好きなのは、ショパンの旋律にどこか郷愁を感じるから・・・っていってたけど、まさにその通りで、カンツォーネを含め、ヨーロッパ系の曲には、どこからノスタルジアを感じるんだよね。
 それが、ソングフェスティバルっていう、一種のフォーマルな場と相まったりして、フェスティバルの「格」も一段高く感じたりして。
 
 そういうこともあってか、昔は9月ごろリリースされる曲には、グレードが高い・・・というか、そういうフォーマルな匂いのする曲が多かったんだよね。


 こと、西城秀樹っていうヒトは、その傾向が強かったよなぁ。

 1974年 傷だらけのローラ  (1974年8月25日リリース)
 1976年 若き獅子たち    (1976年9月5日リリース)
 1978年 ブルースカイブルー  (1978年8月25日リリース)
1979年 勇気があれば     (1979年9月5日リリース)
1980年 サンンタマリアの祈り (1980年10月5日リリース)


・・・・ってな感じでさ。

 プラス、このテのスケール感のデカイ、ヨーロッパ系の曲って、「日本の秋」によくマッチするんだよ。
 
 空高く・・・・っていう季節感にピッタリなんだよね。

 まさに、空高く、青く、どこまでも広い、秋の空・・・って感じじゃん、イメージとしては。

 そういう季節感にあわせて、このテの曲を、この時期にリリースしてたんだろうけどねぇ、ヒデキは。

 まあ、こういうスケールのでかい歌を歌えたヒトってあの頃でも少なかったからねぇ。他には布施明と松崎しげるくらいか。
 そういうアドバンテージを存分に生かしていたのが、西城秀樹だったんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりするんだよね。


 個人的にもこのテの曲は大好きだったりするんだけどね。
この頃は、ワタクシは、「ポールモーリア」一辺倒だったわけで。でも、結局、ヨーロッパ系の曲に傾倒してたんだよね。そういう意味では、共通するところがあるからさあ。
 実際、この曲を聴いたのは、ずっと後だけど、曲を聴いて浮かんでくる絵は、やっぱ1976年っていう時代なんだよね。あの頃は聴いてなかったのに、不思議と、そうなのよ。
 それは、やっぱし、あの頃傾倒してたポールモーリアの曲を聴いたときに浮かんでくる絵と、どっか共通したものがあったからなんだろうねぇ。



うむ、フルコーラスなんで、ついリンクしちゃったけど、すぐに削除対象になりそうな動画だな。
なるべく早めに見てください。


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めだかの兄妹 / わらべ

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今回の1曲セレクトは、「めだかの兄妹」わらべです。

 まずはデータです。

・タイトル     めだかの兄妹
・アーティスト   わらべ
・作詞       荒木とよひさ
・作曲       三木たかし
・編曲       坂本龍一
・リリース日    1982年12月21日
・発売元      フォーライフ
・オリコン最高位  3位
・売上げ枚数    88.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1983年1月31日〜5月2日付
・タイアップ:テレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの」より

 さてさて、今回セレクトしてきた曲は、わらべの「めだかの兄妹」ですわ。
昨日は、イモ欽トリオをセレクトしたんで、2日続けて「欽ちゃん」ファミリーからのセレクトって訳ですが、80年代前半は、欽ちゃんは強かったですからね。視聴率100%男とか言われて、各キー局で冠番組をもってたけど、いずれも軒並み、視聴率20%以上、時には30%以上も稼いていたわけですから。

うーん、でも、時期的にちょっと、引っ張ってくるのが遅くなっちゃったですかねぇ。
 本来は2〜3月が、この曲のヒットのピークだったんだよね。

 でも、ベストテン内に4ヶ月もいすわったっていう、ロングランヒットな曲だったから、4月の中旬でも、まだ、ベストテン内に居たんだよね。

 この曲は、いわずとしれた「欽どこ」の挿入曲として、番組で歌われていたんだけど、当初はここまでヒットするとはなぁ。

 「童謡」だもんね。 でも、まあ、わらべ3人のキャラクターをかんがえると、ピッタリだったのかもなぁ。。

 あ、高部知子は例外として・・・って書いたら怒られちゃうかしら・・・。

 いやいや、ちょうど、この曲と平行して「積木くずし」やってたじゃん。ギャップが激しいんだよね。。。

 まあ、そのあとの「例の事件」もあったし。。。

 それでも、あとの2人には、ピッタリだったと思いますよ。

 童謡系って時として、大ヒットすることがあるじゃん。「だんご3兄弟」とかさ。
 それが、たまたま、あの時代は、この曲だったって訳だよね。

 まあ、4ヶ月ベストテン入りしてたって言うのも、「童謡」っていうところも大きかったんだろうな。

 なにせ、いろんなヒトが聴くもんね。このテの曲は。
わらべファン(なんていたのか?)のみならず、ガキンチョにしても、おじいさん おばあさんにしても・・・。

 まあ、幅広い人たちから支持を受けたことは間違いないですわ。

 加えて、この曲、坂本龍一がアレンジを担当した・・・っていう話題性もあったからなぁ。

 坂本氏は、このすぐ後に「君に胸キュン」で大ヒットを飛ばし、くしくも わらべと共演することになるんだけどさ。

 そういう話題性もあったよね。そんなことが、より、この曲をロングヒットさせたんぢゃないですかねぇ。



えー、毎度毎度の「ザ・ベストテン」。
わらべとは関係ないけど、サザンの桑田氏がメダカ掬いやってる図は、いまぢゃ1000%見られないよなぁ。
ベストテンならではの光景ですわね。



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