かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

レコード大賞

天使の誘惑 / 黛ジュン

1968_07_天使の誘惑_黛ジュン


今回の1曲セレクトは、「天使の誘惑」黛ジュンです。

まずはデータです。

・タイトル    天使の誘惑
・アーティスト  黛ジュン
・作詞      なかにし礼
・作曲      鈴木邦彦
・編曲      鈴木邦彦
・リリース日      1968年5月1日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 46.8万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年5月27日〜8月12日付

えー、只今部屋の室温計は32.0℃を指しておりまする。。。うヴぇ〜暑ちぃよー。 これでまだ梅雨明け前だって言うんだから。。。。梅雨が明けたらどうなってしまうんでしょ・・・。って連休を過ごして居たりして。。。。

今年は「老体」にムチうって 2年ぶりに「ROCK IN JAPAN」と、超地元の「氣志團万博」 2つの夏フェスに参戦する予定なんで、今から「暑さ」に慣れておきたい・・・と、出来るだけクーラーを使わないで2日過ごしてたんだけどね。。。

ちなみに、件の痛風の痛みは今日になって、大分引けまして・・・おかげ様で通常の生活に戻れましたわ。
あとは、ぶり返さないように留意しないと・・・。高い金を払った夏フェス参戦が・・・・。。。

で、流石にこの暑さの中では「1曲セレクト」書けないよ〜・・・とクーラーを入れて書いてまする。

さて、今回の1曲セレクトは、どうするベか・・・。 ここんところヒット当時、「好きぢゃなかった」80年代アイドルの曲が続いたからなぁ。。。

今回は時代を一気に飛び越えて「60年代アイドル」の「夏」の曲と行きますか。。。

黛ジュン「天使の誘惑」なぞどうだ!


なんか勢い誤って「60年代アイドル」なぞと表現してしまいましたが・・・。 うむ、60年代には、まだ「アイドル」などと言う表現のコトバは、少なくとも「音楽界」では使われていなかった訳で・・・。

いや、idol⇒偶像という単語は昔からある訳で、厳密に言えば使わけていたかもしれないけど、現在の音楽ジャンルとしての「アイドル」と言うカテゴリーは、まだ無かったって事なんですけどね、60年代には。

でも60年代にも10代の「歌手」は居た訳でね、弘田三枝子さんにしろ、伊東ゆかりさんにしろ、そうそう忘れてはいけない、吉永小百合さんにしろ・・・みんな最初は、今でいえばアイドルだったわけじゃん。

まあ、今のように「アイドル」と言うカテゴリーが当時あったならの話なんだけど・・・。


で、黛ジュンさんは今回セレクトしてきた「天使の誘惑」の前年1967年にデビュー・・・。

・・・・なんて書くとクレームが来るよな、きっと。。。 そそそ、実は16才だった64年に一度本名の「渡辺順子」でデビューしてるんだよな。でも、その時は全く売れず・・・、19年になった前年67年に再デビュー・・・という経歴を持ったアーティストなんだよね。 
ちなみに、亡くなった作曲家の三木たかし氏は実兄・・・ってことは有名? うむ、でもそうなんだよね。


どーでもいいことだけど、この曲、作詞がなかにし礼氏で、作曲が鈴木邦彦氏だけど、ワタシが通ってた千葉の某私立S高校の校歌も、作詞、なかにし礼氏、作曲 鈴木邦彦氏・・・ そそそこの曲の組み合わせと全く同じなんだよなぁ。。だれがいつ依頼したのか分かんないけどさあ。
 だからという訳じゃないけど、この曲を聴くと、どうも高校の校歌を思いだしちゃったりして・・・因果なもんだわぁ・・・。
あ、曲想は全く違うけど。。。。


で、この「天使の誘惑」は、この年1968年のレコード大賞、大賞受賞曲。 

・・・ということはデビュー2年目、若干20歳の時に、既にレコード大賞を受賞してるんですねぇ。

そう、60年代も終盤に差し掛かった当時は押しも押されぬ「トップアイドル」だったわけですわ。

当時、ライバルとされていた「アイドル」には、伊東ゆかりさん、弘田三枝子さん、いしだあゆみさん、奥村チヨさん・・・等々のトップアイドルがひしめいていた中でも、特にレコード売り上げに於いてはトップクラスだったんだよね。・・というか安定していたと言うかね。

やっぱ曲調なのかなぁ。特に今回セレクトしてきた「天使の誘惑」って曲。今聴いても「ポップ」でしたからねぇ。

当時の曲といえば、どこかジャズの影を引きずっていたり、歌謡曲のを引きずっていたり・・・って兎角「夜に向かった」と言う匂い・・・つまりはティーンエイジャーが歌っても「大人」向けの曲が圧倒的に多い中、この曲は、あくまで「昼間の」・・・って言うイメージなんでね。そこに安心感があるって言うのかなぁ。

アイドルと言うジャンルが確立された70年代以降、アイドルソングといえば、夜の匂いから、遅くとも「門限」は夕方までと言われるように「昼」に向かった曲が基本、つまりさ「健全さ」がアイドルソングの基本・・・ということであれば、この曲なんてのは、その「元」と言ってもいいんじゃないかな。

まあ、その辺が、その後、70年代、80年代、90年代、それ以後も、この曲が多くの「アイドル」たちによってカバーされているところなんだろうね。

ちなみに個人的には、やっぱ、牧瀬理穂がCMで歌ってた、あのバージョンかなぁ

↓ コレ (後半の30秒のバージョンのやつ)


そそそ、タケダの「HI-C」のCMね。 最後に自らスカート、 ばひょーんとめくるやつ。

とは言うものの、これより前にオリジナルの黛ジュンさんバージョンの方を知ってたんだけどね。





これ、1968年当時の画像ですよね?
それにしては、画質も音もめちゃくちゃ良いんですけど。。。 とても49年前・・・約半世紀前の画像とは思えないわぁ。 
もちろん当時はステレオ放送もしてるはずが無く・・・。でも、ちゃんとハイファイになってるじゃないですか。。。
どうもBS-TBSで放送されたやつのようだけど・・・。

・・・・とおもったら、リンク弾かれちゃってる。 申し訳ないですが、みたい方はYou Tubeのサイトに飛んでくだされ。。。。

ちょっと調べてみたら、当時TBSは、他の局のように2インチのビデオテープを使って無かったんで、かさばらずに済み、その後も当時のビデオテープを上書きせずに保管出来たようですね。
でもって、最近TBSは、当時の画像のデジタルリマスターを行っていますから。。。
ベストテンもデジタルリマスターを行っているらしいですね。
なんで、こんなに画像も音もきれいに残っているようなんですよね。

しかしさあ、20歳にしては大人っぽいよね。10才位サバよんでんじゃね? なんて言われてもおかしくないような・・・。
でも、当時はみんな大人っぽかったんだよな、今から比べると・・・。いや、逆に言えば今がコドモっぽくなっちったんじゃないのかねぇ。

まあ、実際曲を限り、ジャケットにもクレジットがあるように、「ハワイアン・ロック」ですねぇ、この曲。
バックのバンドにスチールギターの人もいたりして。
ってか、ハワイアン・ロックってなんじゃらほい? ・・・って感じなんだけどワタシら世代からすると・・・。
根がハワイアンだけど、リズム体はロックってことでしょうか。 ま、ロックというよりも完全なポップスなんですけどね。今からすると。
当時としては、「エレキ」を使われるとロックってというイメージだったんだろうなぁ。 

でもさ、パーカッションを多用しているところから、ハワイアンというよりはラテンだよね・・・なんても思ったりしてね、個人的には。


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この愛のときめき / 西城秀樹

1975_03_この愛のときめき_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「この愛のときめき」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    この愛のときめき
・アーティスト 西城秀樹
・作詞      安井かずみ
・作曲      あかのたちお
・編曲      あかのたちお
・リリース日  1975年2月25日
・発売元    RVC
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 27.7万枚
・ベストテンランクイン期間:1975年3月10日〜4月14日付

久しぶりの1日2曲書き。いわいる「ダブルヘッダー」ってやつですわな。
ま、明日書いてもいいんだけども、最近、平日は腰が重くなって筆を上げたくなくなるんでねぇ、今日のうち書いてしまおうか・・・とPCに向かってたりします。。。。

ここでも何回も書いたような気がするけど、ワタシがヒット曲の世界に足を踏み入れたのは1978年11月。
だから、それ以前の曲は基本、リアルタイムでは聴いてない事になるわけだけど。。。

無論、全てではないけどね。 ピンク・レディーもキャンディーズもそれ以前からテレビでは見てたし、初めてカラオケで歌ったのは、77年の年末ごろに石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」だったしね。
ま、どこで曲を覚えたのかは、記憶にないんだけども。。。。。

ただ、大多数のヒット曲は「後付」で聴いた曲って言う事になる訳ね。
中には生理的に合わないなぁ・・・なんて思う曲もあったりするけど、逆に、「あ、これは掘り出し物だ」なんて自分でナットクしちゃう曲もあったりしますね。

今回は、そんなヒット当時は聴いてなかった(ハズ)だけど、後年、聴いて「これは!」って思えた、個人的"当たり"曲をひとつ。

西城秀樹「この愛のときめき」。

うーむ、秀樹の曲って、曲調が似たようなものも結構あるけど、タイトルも似たようなのがあるんだよな。
78年の丁度今頃のヒットで、「あなたと愛のために」ってあるけど、この曲は、それより3年前。75年の今頃のヒットですわ。

当時、ワタシはと言えば5才。

当然、ヒット曲なぞ、また聴いてませんでした。。。 ってか、能動的には・・・っていう注釈が入ってしまうけど。。。
もちろん、テレビで流れてた曲のの中には、進んで聴いてた記憶は無いけど、体のどこかで覚えてる曲もあるんだけどさ。

このヒデキの12枚目のシングル、「この愛のときめき」も、当然、当時は「能動的」には聴いてなかった訳でね。
初めて聴いたのは、大人になってからですね。90年代にリリースされた秀樹のベスト盤でだったと思う。

イントロを聴いただけで、これは「ビンゴ!」で閃いたなぁ。

それ以前の秀樹と言ったら、「情熱の嵐」や「激しい恋」などのプラスロック調のアッパーチューンか、はたまた「傷だらけのローラ」のような、超大げさな激情型バラードか・・・って言うイメージが強かったんだけどさ。

この曲は、そう言う激しさがない。ミディアムバラードチューン。

すこしゴスペル調のコーラス。その後の流れも、ゴスペルのようなコーラスを生かした曲調でね。 それまでのヒデキの曲ではなかったような曲調が新鮮なんだよな。

まあ、全体的に「歌謡曲」というよりも、洋楽にコミットしたような曲調が多かったけども、この曲もそんな流れを汲んではいる。
 けども、コーラスを多用した曲の切り口は、それまでの曲には無かったような切り口なんだよね。

特にサピノメロディラインとコード進行が印象的。

♪ どんなふうに 愛したら わかってくれるだろう〜 ♪ の♪ わかってくれるだろう〜♪ でメジャーからマイナー調に転調するコードの響きがねぇ、個人的にグッときたりしてね。

曲を聴いてると、結構難しいコード進行のようにも感じるんだけども、今、ネットでこの曲のコード進行を調べてみると、意外にもかなりシンプルなコード進行なんだよな。

ゴスペル風に聴こえるところから、テンション系のコードも多いか・・・と思いきや、メジャーコードが多いな。
ちょっと意外。
音源聴いてると、結構複雑な響きに聴こえたりするんだけどもね。

でもね、上で書いたようにベスト盤で初めて聴いた・・・・はずなんだけどねぇ、なんか、懐かしい気分にさせてくれるんだよな、この曲。
もうね、何回も書いてるけど、ヒット曲って、そういうノスタルジーな気分にさせてくれるから不思議。

初めて聴いた時は、75年の今頃の曲・・・なんて分かんなかった筈なのに、浮かんでくる絵面は、ちゃんと75年頃の風景なんだよな。
当然、まだ福島の「いわき」に居た頃だ。まだ幼稚園だったころ。送り迎えのスクールバスから見えた風景。
この曲を聴くと、そんな風景が見えてきたりする。

上でも書いたように曲調が、優し目なミディアムチューンなんでね、見えてくる風景も穏やかの風景なんだよな。

もしかしたら、知らず知らずのうちに、当時、この曲耳にしてたのかなぁ・・・なんて疑いたくなるほど、鮮明な風景が脳裏に浮かぶ。

やっぱ、そう言う曲ってどうしても引っかかるんだよね。 曲聴いて情景が浮かばない曲は引っかからないんだよね。

ちなみに、当時、ワタシ、幼稚園の送迎バスの中から、電柱についてる「番号」を数えたり、家でも電話帳読んだり、ロードマップが好きだったり、ヘンなガキだったんだよな。
 なんかね、ロードマップ見てると、絵が浮かんできたり、電話帳の数字の羅列とか、住所から絵が上んできたり・・・ちょっと危ないところがあったガキだったのよ。
よく言えば、「空想好き」だったんだよな。

ま、今でもヒトがやらないような事をやるっていう「変」なところは、当時から変わってないんだけども。。。


・・・・動画、流石に42年も前の曲の動画はそうそうないかなぁ。少なくともYou Tubeには適当な動画がなさそう。。。
・・・と思ったら、他のサイトにあった

http://www.dailymotion.com/video/x1yvjse_%E8%A5%BF%E5%9F%8E%E7%A7%80%E6%A8%B9-%E3%81%93%E3%81%AE%E6%84%9B%E3%81%AE%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%82%81%E3%81%8D-1975_music

75年のレコード大賞の時のもんだけどね。
一番気になったのは、曲の前に挟まった、秀樹の「セリフ」なんだけどさぁ。 なんじゃこりゃ、この気持ち悪いセリフは。 これ、いつも言ってたのかな? 当時の他の歌番組の動画が無いんでよく分かんないんだけど。。。

小川哲哉氏の歌紹介のアナウンスは流石にうまいっすね。イントロ部分できっちり収まってる。


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北の宿から / 都はるみ

1976_12_北の宿から_都はるみ


今回の1曲セレクトは、「北の宿から」都はるみです。

まずはデータですね。

・タイトル    北の宿から
・アーティスト  都はるみ
・作詞      阿久悠
・作曲      小林亜星
・編曲      竹村次郎
・リリース日   1975年12月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 143.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1976年5月3日、5月24日〜1977年2月7日付

今年のレコード大賞も決定しましたね。西野カナさんということで。
まあ、顔ぶれからすると宇多田ヒカルかな・・・っていう線が一番強かったと思うんだけども、宇多田がアルバム大賞に選ばれてしまったんで、これは変化球で来るかな・・・と思ったらビンゴでしたね。

・・というか、今回の大賞候補のエントリーを見る限りではこれが妥当な線なんだろうな。

その前に、5日開かれていた有線大賞も西野カナだったんだよね。この事を知って、これはレコード大賞も西野カナかな・・・とは思ってたんだけどさ。
・・というのも、有線大賞を主催しているキャンシステムと、レコード大賞を放映しているTBSは「懇意」の仲ですからねぇ。 だから、ここんところずっとレコード大賞の「新人賞」って、キャンシステムのリクエストランキングで上位に来ているヒトたちばかりだし(今年も含めて)。 

 うん、新人賞ばかりでなく、大賞候補の10曲も大体がキャンシステムで強いヒト達ばっかなんだよね。
だからねぇ、レコード大賞なのか、有線大賞なのか、よく分かんない状態なのよ。

そこからすると、有線大賞をとった、西野カナが、レコード大賞も取るんじゃないか・・・とは思った訳なんだけどさ。


ところで、レコード大賞も今年で58回目ということで歴史が長くなりましたわな。
過去を振り返ると、やっぱり「栄光」と「権威」があったのは、70年代から80年代前半までって感じなのかなぁ。

まあ、変化球のレコード大賞っていうのは、何も今に始まった事ではなく、昔からそうなんだけどさ。
つまりは、レコード大賞と銘打ちながら、その年で「一番売れた」曲が、必ずしも大賞を取ると言う訳ではない事。

それでも、昔は大賞受賞曲は、それはそれで納得行ってたんだよな。 ・・・というのも、その年で一番売れた曲ではなくても、一番「ヒット」した曲であった事、または、それに準ずる曲であった事が多かったからなんだよね。

特に、「ザ・ベストテン」が幅を聴かせていた、1981年〜1984年までは、ザ・ベストテンの「年間1位」だった曲が、いずれもレコード大賞を受賞してたりするし。

つまりは、レコード大賞といいながら、実際は、「ヒット曲大賞」っていう意味合いが強かった時期があったんだよね。だから、見てたこちら側も、大賞曲に異論は感じなかったし。。。
(それ以前に、オリコンチャートは、まだ業界人向けの代物で、一般人が、どの曲が何枚売れてるかなんて、知ってるヒトの方が非常に少なかったのだが。。。)

そんな「権威」があった頃のレコード大賞だけど、その当時を含めて、今もそうだけど、大賞を取った時期と、ヒットのピークが重なった事・・・ つまり、レコード大賞を取った時期、まさに、ヒットの頂点だった曲って、少ないんだよなぁ。

今回は、そんな曲をピックアップ。 (あー、前置きが超長かった。。。。

都はるみ「北の宿から」。

なんだ演歌じゃん・・・・なんて言わないでね。

いや、書いてるこっちもそうだったんだけども、当時・・というか、ワタシが子供の頃は、演歌もまだ十分求心力があったし、ヒットチャートでも普通に上位にランクインしてたし、だから、普通にラジオでかかってたし・・・。
そう言う意味では、全然、違和感がなかったんだよな。

だから、演歌だから毛嫌いしてた事は無かったんだよな。 うん、この曲にしたって、普通に大ヒット曲っていう感覚で見てたし。。。 その辺は、もしかしたら、ワタシらよりも下の世代では、理解できない感覚かもしれないな。

なにせ80年代後半以降、演歌ってポップスから切り離されて、求心力を急速に失われて行ったからさ。

いずれにしても、この曲、1976年、第18回のレコード大賞、大賞受賞曲なんだけどもさ。この受賞か決まった頃、ヒットの「ピーク」だったんだよな。
ワタシのチャートでは、2位までしか行かなかったけど、オリコンでは、丁度1位を獲得してた頃だ。

リリースされたのは、前年の1975年12月だから、丁度1年越しで、ヒットのピークを迎えたことになる・・なんていう超ロングヒットだったんだよね。

Wikipediaにも書いてあるけどランクインしてから、44週かかって1位までたどり着いた・・・という。
ちょっと考えられないようなチャートアクションを展開した曲なんだよね。

リリースしたのが「冬」でしょ。 まあ、曲の内容とは完全にシンクロした時期のリリースではあったんだけども、何分、ただでさえ演歌ってチャートアクションが遅いからさ。 
 チャートアップしてきたころには、既に夏に差し掛かってきた頃なんだよね。

そんな夏場に「冬」の曲を聴かされてもなぁ、ピンとこないのは当然な訳で、そこで暫く足踏みしてしまう。 

ただ、この曲が凄いのは、そんな足踏みした状態でも、決してランクダウンの傾向を見せなかった事。
これはね、脅威的なことなんだよね。

なぜ、曲内容と季節感が相反していた、ぱっと見、厳しい時期に、ランクダウンしなかったのか? ・・・というのは、正直、当時、まだヒット曲の世界に足を踏み入れておらず、リアルタイムにヒット現象を感じていた訳ではないんで、よく分かんないんだけどね。それだけ、この曲が一般性を持った曲だったんだろうな。

で、秋が過ぎ、冬の足音が近づく頃、一気にチャートの頂点に駆け上がる。 うん、まだ再び、曲内容と季節がシンクロした訳なんだよね。

そこに、レコード大賞受賞が重なった・・・って訳なんだよね。 まさにドラマティックな展開での受賞・・・・そんな印象が、この曲では強いんだよな。

この1976年っていうのは、ヒットチャート史上特異な年で・・・。というのも、「およげ!たいやきくん」が450万枚なんて空前絶後な売り上げを記録したり、洋楽のダニエル・ブーン「ビューティ・フルサンデー」が15週連続で1位とったりね。

だから、そう言う意味では、本来の「売り上げベース」で考えると、この曲がレコード大賞をとるのはまずあり得ない状態だった訳なんだけども。。。

それでも、大賞を取ったということは、大賞を取るまでのヒットの過程が認められたって事なんだよね。
うん、派手に売れなくとも、地道にチャートの上位で粘りに粘っていれば、それだけ曲が一般に浸透していく、つまりは「ヒット」して行くって事なんだよね。 その典型的な例がこの曲だったってわけなのよ。

「売れた曲」と「ヒットした曲」は違うと言われるのは、ココの部分なんだよね。その曲がどれだけ一般的に「浸透」
していっているのか否か。

ワタシのチャートで、連続してベストテン内にランクインしてた期間は1976年5月24日〜翌年1977年2月7日までの37週間。
 これは、あれから40年経ったいまでも破られていない、1曲での連続ベストテン入り記録なんだけどさ。

でも、大部分は5位以下なんだよね。つまりは、チャート上位で派手に売れてた期間は少ないって事。 地道に売れてた曲なんですよ。 その間に、幅広く「大衆」の浸透して行って支持されてた曲って訳なんだよな。


ちなみに、レコード大賞受賞した時期が、その曲のヒットのピークと重なった曲って、この曲だけかと思ったけど、よくよく考えてみると、もう1曲あったんだよね。

第14回大賞受賞の、ちあきなおみ「喝采」。これが、大賞受賞と、ヒットのピークが重なってたんですよ。
無論、以前「喝采」をココで書いた時にも言及したんだけども、丁度、宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」が16週連続1位なんてとんでもない記録を作ってた時期とパッティングして、11週連続2位なんて記録をひた走っていた途中の時期ですわ。

この2曲だけなんじゃないかなぁ。 大賞受賞とヒットのピークが重なった曲って。

無論、オリコンがスタートする前、1967年以前はよく分かんないですが。。。。


いずれにしても、記録にも記憶にも残る1曲であることは、間違いないんですよね。





それにしても、この曲と言ったら、ウチの死んだオフクロがよく歌ったんだよなぁ。
オフクロ、ずっとPTAの役員なんかやってたんで、家がPTAの溜まり場になってたりして、よく宴会やってたんだよ。
で、宴会が始まると、やっぱ、ウタでしょ。 当時はまだ、家庭用のカラオケもそれほど一般的じゃなかったんで、アカペラだよね。 よく、みんなでこの曲歌ってたんだよな。
 だから、この曲というと、あの頃、家で開いてた宴会を思い出すんだよな。

それと、また、手前味噌になっちゃうけど、ワタシのチャートで40年間君臨してた、オールタイムランキングの1位の座を、今年まさかSMAPの「世界に一つだけの花」に更新されるとはねぇ。。。
上で書いたように、ベストテン連続ランクイン記録を考えると、もう永遠に抜かれることは無いかも・・・と思ってたんだけどねぇ。
それだけSMAPの「世界に一つだけの花」って曲も凄いってことなんだよな。「記録にも記憶にも残る」ような曲と言う意味で。



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シクラメンのかほり / 布施明

  1975_06_シクラメンのかほり_布施明


今回の1曲セレクトは、「シクラメンのかほり」布施明です。

まずはデータです。

・タイトル     シクラメンのかほり
・アーティスト   布施明
・作詞       小椋佳
・作曲       小椋佳
・編曲       萩田光雄
・リリース日    1975年4月10日
・発売元      キング
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 105.2万枚
・ベストテンランクイン期間:1975年4月21日〜9月1日付

仕事が繁忙期に入りつつあり、ここ暫く疲れがたまってきてるんだよねぇ〜。そんなこともあり、ここ数日は1曲セレクトを書かずに寝てしまっておりまして。。。
 今日も、直前まで気分が乗らなかったんだけども、書かないのもどうも気分が悪くてねぇ、ついついPCの前に座ってしまったワタシが居たりして。。。

うむ、書こうと思っている曲は自分の頭の中に何曲かストック出来ているんでね、今回はその中の1曲をセレクトしますか。

布施明「シクラメンのかほり」。

1960年代からスターの座を駆け抜けてきた布施明氏にとっても、突然の超大ヒットと言いますかねぇ。まあ、前年の1974年に「積木の部屋」っていう大ヒットは出していたものの、この曲は、その2倍の売り上げでしたからねぇ。
 一体何があったんでしょうか・・・っていう感じの大ヒットでしたよね、この曲は。
1975年にリリースされた曲の中では、唯一のミリオンセラーだったしさあ。もちろん、布施氏にとっても、初のミリオンセラーであり、唯一のミリオンセラーでしたからねぇ。

時代はフォークからニューミュージックへと言う流れの中で、75年あたりは、まだフォーク寄りの曲が強かったですからね、そんな流れにうまく乗っかった・・・って言う感じだったのかなぁ。
 
 作詞、作曲の小椋佳氏が最高潮の時代でしたね、この頃は。72年にリリースされた、アルバム「彷徨」が井上陽水の「氷の世界」に次いで90万枚セールスに達したのもこの頃ですわ。
 
うん、アイドル全盛で子供な曲が多い今の時代感覚じゃ、なかなか理解しにくいところがあるんだけども、結局のところ、当時は、みんな大人だったんだろうねぇ。 単体の音楽というよりかは、文学の匂いがする音楽がもてはやさせていた時代・・・っていうのかなぁ。
 歌詞にしても、表面的なコトバというよりは、行間を楽しむって言うかねぇ、そんなところが大人の世界だったのかもしれないな。

今でこそシクラメンは「普通」の花って言うイメージだけど、当時は比較的高価だったんじゃないかなぁ。まあ、個人的に田舎にいたからかもしれないど、シクラメンなんぞ、子供の頃はあんまり見たことなかった気がする。
 それだけ高貴な花って言うイメージもあったのかもな。ただ、シクラメン自体、「かほり」はほとんどないんだけどね。
 それと、シクラメンは冬の花なんだけどさ、この曲自体は、今頃から夏にかけてがヒットのピークだったじゃない
 今考えると、ちょっとイメージとはギャップを感じるよなぁ。 それでも、これだけ大ヒットしたのは、やっぱり曲の良さなんだろうなぁ。
 後は、当時はあんまりシクラメンを知られてなかったんで、冬の花っていうギャップをあんまり感じなかったからかもしれない。


 ちなみに、正直言うと、個人的には、この曲は、よく分かんなかった。
当時、私は5才から6才になる頃だったなぁ。まあ、6歳児がこの世界を分かった方がコワイんですけどね

でもねぇ、ウチの母親がこの曲好きでねぇ、よくテレビを見ては歌ってたんだよなぁ、うん、それは良く覚えてる。
子供ながら、生意気にも「ジミな曲だなぁ」・・・とか思ったりしてね

そんなこともあり、ワタシも自然と曲は覚えちゃったんだろうなぁ。まだ、このヒット曲の世界に足を突っ込む全然前だけど、この曲は、よく覚えていたんだよな。

ただね、この曲が、この年のレコード大賞を取った事、布施明氏がギターを弾きながら、この曲を歌ってた事・・・っていうのは、当時は知らなかったな。

ま、そもそもレコード大賞っていうイベントを知ったのが、これより2年後、うん、ジュリーが「勝手にしやがれ」で大賞を取った時でしたからねぇ。

ちなみに、今、当時のオリコンでのチャートアクションを見ながら書いてるんだけど、この曲ベストテン内に20週連続でランクインしてたんだねぇ。超ロングヒットでしたね。まあ、ミリオンセラーになった曲だから当たり前と言えば当たり前なんだけども。

ただ、ちょっとチャートアクションで目が行ったのは、この年の年末年始にかけて、ランクを再浮上させて、1976年1月第1週(1月5日付)で、再度ベストテン内に再浮上させていたんだよね。

レコ大効果、紅白効果・・・って言う事で、レコ大受賞曲や紅白出場曲が、年末から年明けにかけてチャートを再浮上させるって言う傾向は80年代に入ってからはちょくちょくあった現象だけど、70年代には、まだ、そう言う傾向は少なかったんだよね。
 こんなに顕著に効果を見せたチャートアクションをみせたのは、もしかするとこの曲が最初かもしれないな。




ところで、以前、前年の「積木の部屋」を書いた時、当時のナベプロ総帥の渡辺晋氏が、「積木の部屋」を聴いて、「バカ野郎 なんで業界のプリンスが四畳半に住んでなきゃいけねーんだよ」って烈火のごとく怒ったとのことだったんだけども、この曲の時はどうだったんでしょうねぇ。
歌詞は別として、曲そのものは、やっぱり「貧乏くさい」イメージでしたけどねぇ。 
まあ、売れれば良し・・・というのが業界の慣習でもありますが。。。。


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魅せられて / ジュディ・オング

1979_05_魅せられて_ジュディオング






今回の1曲セレクトは、「魅せられて」ジュディ・オングです。

 まずはデータです。

・タイトル      魅せられて
・アーティスト    ジュディ・オング
・作詞        阿木耀子
・作曲        筒美京平
・編曲        筒美京平
・リリース日     1979年2月25日
・発売元       CBSソニー
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     123.5万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1979年4月9日〜7月9日付

 大衆芸能(大衆音楽)とエンターテインメント。これって同意味語だけど、なんとなく「大衆音楽」っていうと、かなりダサイイメージってありません?
 現に、70年代の中盤頃までは、ヒット曲⇒「大衆音楽」っていうイメージが強かったわけで、ある意味「ダサい音楽」の象徴でもあったわけなんだよね。ヒット曲って。
 それがだんだん、音楽的にも素敵なサウンドになりつつ、ちょっと音楽を知っている一般層を広く、ヒット曲の世界に取り込ませたのが70年代終盤だったですよね。

 まあ、そのなかでも「ザ・ベストテン」の役割はかなり大きかったわけで・・・。だから78年を境に、日本のヒット曲分布図はかなり変化したっていう印象は強いんだよね。

 それが、より進化したってのが79年だよなぁ。このころになると、すっかり「大衆音楽」から「エンターテインメント」と呼ぶに相応しい音楽がヒットチャートの上位を占めるようになったんだよね。(その反面として<大衆音楽の極みである「演歌」も強かったんだけど)


 はいはい、何がいいたいかと申しますと、この曲の前フリですよ〜。

 魅せられて / ジュディオング

 何で、前フリで大衆音楽云々と「演歌・歌謡曲」臭い言い方をしたかといいますと、このころ、ジュディオングって、ほとんど「時代劇」専門でデレビに出てたんですよ。
 ある意味、時代劇⇒大衆芸能の極みですよね。

 それが、この曲では、その欠片も見られない洗練した音楽だったわけで、このギャップっていうのは、すごかったんだよね。
 ただ、そのギャップをまったく感じさせず、逆にあの時代の先端を行くような、一般の人たちをタイトルどおり「魅せる」ってところは、「大衆音楽」というよりは「エンターテイメント」というほうがピッタリの曲でしたよねぇ。

ほんと、タイトル通りでしたよ。
 この曲の場合は、ビジュアル的に「魅せる」のと、音楽的、サウンド的に「魅せる」っていう、曲全体が「魅せる」要素のかたまりだったんですよねぇ。

 まず、ビジュアル的には、はい、アレですよ〜。腕を広げると孔雀の羽のように広がる純白の衣装。あれ「ドレフ」って言うらしいですね。実際は、腕を広げてさらに先にパトンがついていたので、かなり広がってましたよね。
 
 あのころ、みんなやりましたよね、ハイ。あれのマネですよ。歌詞にもあるように

 ♪ レースのカーテン引きちぎり体に巻きつけ踊って見たくなる〜 ♪

 って、実際、自分ちには、レースのカーテンなんぞなかったし、仮にあっても、歌詞のようなことしたら怒られるわけで、いらなくなったシーツの真ん中に頭が入るくらいの穴あけて、それを被って

 ♪ フニョタリロリエージョー 女は海〜 ♪

 とかまねしませんでした? ワタシはやった記憶があるなぁ。

 上の♪フニョタリロリエージョー ♪ って実際は、

 ♪Wind is blowing from the Agean ♪ つまりは、「風はエーゲ海から(吹いている)」って言ってるんだけど、何分、当時、小学4年の頭ではそんなのわかんなかったからさぁ

つまりは主題は「地中海、エーゲ海」というわけですな。

 これは、詞にも現れているけど、一番象徴的なのは、やっぱりサウンドでしょう。

 筒美氏による、ポールモーリアサウンドの集大成。まあ、ポールモーリアのどの曲をモチーフにというと、これという曲は1曲ではないような気がするけど、「エーゲ海」という主題から考えると、やっぱり「エーゲ海の真珠」がメインになるんだろうな。

 兎に角、ショッキングともいえる幻想的なオーケストラリングのイントロから始まるこの曲は、インパクトはこれ以上にないくらい充分でしたよね。

 逆に、聴き始めの最初の頃は怖かったもんね、この曲。あんまりインパクトがありすぎてさ。

 まあ、たしかに79年ころは、まだ、ポールモーリアブームの最中でしたし、そのサウンドをヒット曲にいち早く取り込んで、昇華させて行ったのは筒美氏が最初だったわけだけどね。
 その時代時代で日本人がどういう音楽を欲しているかという見極めという意味では、このヒトの右にでるヒトは、今もっていないもんなぁ
 
 だからというわけでもないだろうけど、、このころ自分ではアレンジする機会が減っていた筒美氏だけど、この曲ばかりは・・・と自らサウンドプロデュースもしてますもんね。
 それだけ、タイトル、主題からみても「ポールモーリア歌謡」の集大成としては、またとないテーマだったろうし、気合入ってたんだろうなぁ・・とは、このイントロがらも想い浮かびますね。


 この年は、イントロで「がばっ」と捕まえられるような衝撃的な曲といったら、もう1曲、久保田早紀の「異邦人」があるけど、この曲のアレンジは萩田光雄氏。いうなれば筒美氏の門下生ですわね。
 この「異邦人」のアレンジをみてると、もとは師匠の「魅せられて」を意識してるんぢゃないかって思えてくるもんね。
 まあ、それだけインパクトが強い曲だったんですよ。この曲は。

 で、「魅せられて」と「異邦人」ってどちらも酒井政利氏のプロデュースっていうところは、またミソなんだけどもね。

 
 まあ、このように、ビジュアル面、詞、曲、アレンジと、トータルで、ひとつの色に統一されているっていう意味でも完成度の高い曲でしたよね。

 この年の第21回レコード大賞を受賞するのも頷けるところだよなぁ。

 あのころは、レコード大賞もまともだったと思いますわ。
だから、「権威」があったんだけども。。

パラダイス銀河 / 光GENJI

1988_03_パラダイス銀河_光GENJI







今回の1曲セレクトは、「パラダイス銀河」光GENJIです。

 まずはデータでーす。

・タイトル    パラダイス銀河
・アーティスト  光GENJI
・作詞      飛鳥涼
・作曲      飛鳥涼
・編曲      佐藤準
・リリース日   1988年3月9日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   88.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1988年3月21日〜6月20日付

 えー、ヒットチャートを40年近くも見てくると、ちょっとやそっとじゃ、ランクの「記録」には驚かなくなるよねぇ。
 これが、この世界に入った頃は、いちいち、記録に驚いてたりしたもんだけどさぁ。
 やっぱし、いつになってあの頃の新鮮な気持ちは忘れちゃいけない・・・って言うもんだよなぁ。


 なーんて、まくらを持ってきた・・・っちゅうことは、今日引っ張ってきた曲では、そのランキング記録にビックリこいた! ・・・っちゅう訳ですよ〜。

 ハイハイハイ、光GENJI /パラダイス銀河

・・・って書いたら、あの頃からのヒットチャートファンにはすぐ、ピント来ますよね。

 忘れもしない、1988年3月21日付チャート

パラダイス銀河 /光GENJI 週間売上げ枚数 338,690枚!!

 この衝撃は、丁度27年経った、という今でも忘れられないなぁ。

 うん、まあ、たしかに90年代以降、ヒットチャートの世界に入ってこられた方には、この衝撃は理解できないかもしれないですけどねぇ。
 90年代以降では、週間売上げ枚数34万枚なんていう世界は、普通に起こりうるレベルなわけで・・・。CD売れなくなった今でも、「強力曲」では、起こりうるレベルだからねぇ。

 BUT、80年代までは、週間売上げ枚数30万枚なんていうのは、「夢」の世界だったんですわ。
 30万枚どころか20万枚も夢の世界。それどころか10万枚以上で高レベルって言われていた時代。

 しかも時代は、レコードからCDへの移行時期。88年3月に「シングルCD」というシロモノが発売されたばかりという時期だから、まだ、この「パラダイス銀河」のリリース時は、ほぼ100%が「レコード」でリリースされた時代の週間売上げ34万枚ですわ。

 今で言ったら週間売上げ150万枚位の衝撃があったんじゃないかなぁ・・・。
(まあ、これもアルバムでは夢の数字ではないけど・・・)

 ちなみに、これ以前、80年代では週間売上げ30万枚越えた曲は1枚もない。それどころか20万枚越えた曲も1曲もない・・。

 次点は、1982年9月20日付の あみん「待つわ」の173,910枚。

 いや、これでさえ、当時は驚異的な週間売上げ枚数・・・って言われてたんだからねぇ。

 この時の「パラダイス銀河」がいかに凄まじかったかお分かりでしょうかねぇ・・・。


ちなみに、この時の2位は、

 GOOD MORNING-CALL /小泉今日子 で 50,270枚・・・。

 「パラダイス銀河」の1/6以下・・・って言う具合だったわけですね。


 まあ、それだけ当時の光GENJI人気の凄まじさ・・・っていうのもあったんだけどさ、曲自体の完成度としても、やっぱり、この曲が頂点だったんじゃないか・・・って思いますね。

 光GENJIの原点って、前年に行われた「スターライトエクスプレス」じゃん。
 でも、コンセプトは、プラス、ディズニーランドって言うところもあったと思うんだよね。
 ディズニーランドのアトラクションのような、華やかでワクワクする世界。

 そういうコンセプトにピッタリ嵌った曲・・・って言うと、やっぱり、この曲なんだとおもうな。

 チャゲアスの飛鳥の作詞、作曲もこれで3曲目ってことで、最初は戸惑いが感じられた曲調だったけど、最ものびのび、全く迷いのない! っていう作品に仕上がっていますもんね。

 この曲以降、いろいろ曲をリリースした光GENJIだけど、曲のコンセプト、楽曲パワー、それと、アーティストパワーが三位一体になった曲は、これ以降出てこなかったと思うなぁ。

 だからさ、まあ、確かにアーティストパワーの賜物ではあるんだけど、この曲以上に売れた曲がでてこなかったんだよね。

 そう、デビュー3曲目にして光GENJIってパワーの頂点だったんですよ。

 この当時は、このままどこまでも行くんじゃないか・・・って思えた光GENJIも早くも次の「Diamondハリケーン」からレコード売上げは下降線を辿るんだもんね。

 時代を振り返ると、長いようであっという間だったんだよね。光GENJIのブームも。

 「熱しやすく冷めやすい」・・・っていうジャニーズファン心理をまともに受けたグループと言えるんじゃないかなぁ。
 あれから30年近くたって見るとさ。。。



忘れてたけど、そういえば、この曲も「レコード大賞」取ってたんだよね。
先ほどの、森進一「襟裳岬」とつながってたな。
相変わらず、落差は凄いけど。。。。



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襟裳岬 / 森進一

1974_03_襟裳岬_森進一







今回の1曲セレクトは、「襟裳岬」森進一です。

 まずはデータです。

・タイトル    襟裳岬
・アーティスト  森進一
・作詞      岡本おさみ
・作曲      吉田拓郎
・編曲      馬飼野俊一
・リリース日   1974年1月15日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   46.2万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1974年2月18日〜4月15日付

 さきほど書いた、大黒摩季の「ららら」から、森進一に飛びます。。。
なに?、この落差・・・・。 でも、みなさん、ついてきてくださいよ〜。

 まあ、歌っている森進一の「演歌」は、あくまで「昭和」の遺産的な保守的な匂いが強いものだけどね。
 スナックとタバコの匂いと、テナーサックスがむせぶムード歌謡の世界。
 上で「演歌」って書いたけど、根っこの部分は「ムード歌謡」なんだよね、これも。

 個人的にはなかなか立ち入ることが出来なかった世界。だけど、なぜか遠い記憶には残っている世界。

 でもさ、森進一の場合、それだけではないんだよね。実際。
「冬のリヴィエラ」・・・・。ちょっと時期的に書きそびれちゃったけど、これなんか、大滝詠一ぢゃん。ムード歌謡とは、全くかけ離れた世界とのコラボレーション。

 こんな異業種コラボにも挑戦して、ちゃんと結果を残しているヒトでもあるんだよね。
 
 それにしても、このヒトが挑戦した作曲者は多岐に渡るな・・・。その他、細野晴臣、松山千春、谷村新司、井上陽水・・・。
長渕剛に はたけ(元シャ乱Q)なんてのもいるぞ。。。

 こういう挑戦は評価しなくちゃ、なんか、今回の「騒動」では、森進一をワルモノ扱いにしているヒトが多いけどさ。


・・で、こういう「異業種」とのコラボり一番最初、取っ掛かりを行ったのが、今日引っ張ってきた、「襟裳岬」ってわけだ。

 演歌(ムード歌謡)の帝王とフォークの貴公子であった吉田拓郎とのコラボレーション。

 これは、当時として見れば、絶対ありえない取り合わせだったわけだ。
 なにせ、この曲以前には、こんな取り合わせのヒット曲は存在しないわけで・・・。

 要は「ゲーノー(歌謡)界」と、「フォークニューミック界」の間には、相反する高い壁があったわけだよね。それまでは。

 つまりさ、よく使う、あっち側こっち側・・・っていう垣根。

 その前に、それぞれのファン層にも、合間見えないような壁があったわけで・・・。

 ムード歌謡(演歌)を聴くようなヒトはフォークなんか聴かない
 フォークを聴くようなヒトはムード歌謡(演歌)なんか聴かない

・・・っていう垣根ですよ。

 まあ、これは、この時代から30年たった今でもまだ残っている「垣根」なんだけどさ。


 だけど、この垣根を無視して、森進一に吉田拓郎の曲を歌わせたヒトがいるんだよね。

 高橋隆氏。 当時のビクターのディレクターだった方ですね。
 ついでに書くと、これ以前、ソルティシュガーっていうフォークグループで「走れコータロー」って曲を大ヒットさせたグループに居られた方。その後、ビクターのディレクターさんになられていたんですよね。

 この方が、プロデュースした曲が、この「襟裳岬」って訳ですわ。

 しかしすごいよね。発想の転換・・・っていうかさ、それまでの常識を破って、新しい物をプロデュースするって言うのは、ホントすごいと思いますよ。

 まあ、結果的に成功だったから、そんなこと言えるのかも知れないけどさ。

 この曲、そんなこと言われなかったら、完全に森進一の曲になってるもんなぁ。

 もともとは、「焚き火」って言う曲で吉田拓郎氏が直々に歌っていたのに手を入れて出来た曲らしいですよね。

 うん、その原曲の方を聴いたことあるんだけどさ、これがとってもつまらない曲なんですわ(^^;;;;; 正直言って。

 うーん、ワタシだったら、絶対に「ツマンナイ」で終わっちゃうだろうなぁ。


 それが、この「襟裳岬」になっちゃうわけだから、これは、アレンジの馬飼野氏のワザなんだろうなぁ・・・。

 ここでもよく書く馬飼野康二氏は、ポップスの作曲、アレンジャーとして大活躍だったわけですが、氏の実兄、馬飼野俊一氏は、どちらかといえば「演歌系」のアレンジャーでしたからねぇ。

馬飼野俊一氏アレンジである、北原ミレイの「石狩挽歌」は、最高傑作だと思うんだけど、一番のキモはイントロでのトランペットの使い方なんだよね。
 兎に角印象的な旋律が「北の海」をよく表現していると思うんですよ。

「襟裳岬」もそれに並ぶ傑作だと思うなぁ。

 この曲もイントロ入りからのトランペットの旋律が印象的でしょ。・・というか、これがあるから曲にノメリこまさせられる・・・というかさ。

 で、一番のキモがやっぱし、サビの

 ♪ 襟裳の春は 何もない春です ♪

の一文なんでしょうかね。

 この一文に、「いやいや、襟裳の春はなんでもあるよ」って反論してみせた、っていう地元の方の声もあったそうで。

 うん、まあ、そういうのどかな時代だったということも言えるかもしれないけど、それだけ説得力があった曲ということもいえるでしょうね。

 オリコン最高は6位止まり。ベストテン入りも9週と当時としては、短期間のベストテンヒットだったにしては、これだけ印象深い曲、加えて、第5回日本歌謡大賞、第16回日本レコード大賞を受賞してしまった・・・てことは、それだけジワリと根強い人気を保ったって事なんだよね・・・。

 ちなみに・・・当時は、日本歌謡大賞、レコード大賞共に「権威」の程は今の比では全然無かったわけですよ。

 テレビの視聴率も40%以上あったわけだし・・・。





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DESIRE(中森明菜)

1986_02_DESIRE_中森明菜






今回の1曲セレクトは、「DESIRE」中森明菜です。

 まずはデータです。

・タイトル      DESIRE
・アーティスト    中森明菜
・作詞        阿木耀子
・作曲        鈴木キサブロー
・編曲        椎名和夫
・リリース日     1986年2月3日
・発売元       ワーナーパイオニア
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     51.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1986年2月17日〜5月5日付

 前回は、同じ「DESIRE」ということで、ちょっと遊んじゃいましてスミマセン。
 今回は、「本命」の中森明菜「DESIRE」どす。

 今週のワタシメのランキングで、20年ぶりで明菜の新曲「Rojo-Tierra-」がベストテン入りしたから・・というわけではないけど、今の季節、中森明菜の「DESIRE」は外せないよな・・・って訳で。。。

・・・っちゅうことで、中森明菜「DESIRE」っす。

 はい、

♪げらっ げらっ げらっ げらっ ばーにんぐはぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁ ♪ 

・・で、今でも有名な曲ですね。

 この部分だけでも充分インパクトがある曲なんだけど、全体的にそれまでの中森明菜とは、全く違う世界を見せた1曲であることは間違いないよね。

 ニュー明菜 ってキュッチフレーズ・・・たしか、他の曲のときにつけられたと思うんだけど、個人的には、この曲こそ、ニュー明菜じゃなかったかなぁ・・と、いまとなっては思いますね。

 85年の中森明菜・・・。うーん、多分ね過渡期だったと思うんだよね。

 確かに、「ミ アモーレ」でレコード大賞受賞したことは大きかったわけだけども、この「DESIRE」の1曲前の「SOLITUDE」なんかは、ちょっとハッキリしないモヤモヤした曲調で(たしかゴダイゴのタケカワユキヒデ氏の作曲だったよな)、どうも、迷ってるなぁ・・っていう印象しかないんだよね。

 でも、この「DESIRE」で一気に吹っ切ったでしょ。そのモヤモヤを。

 このスピード感、硬質感、適度なロックさ・・・って言うのは、それまでの中森明菜にはなかったですよ。

 作詞の阿木耀子女史は、一気に中森明菜を山口百恵の領域まで引き上げたって言って良いんじゃないですかねぇ。

 ま、逆に山口百恵を目標にしていた中森明菜にとっては、またとないチャンスもあったわけだし。

 作曲が鈴木キサブロー氏っていうのも、一皮向けるには丁度よかったのかもしれない。 このヒトは、純アイドルっていう雰囲気であるよりも、一段大人向けのメロディラインが真情でしたからね。

 ただ、残念なのは、この折角一皮向けた勢いは、この曲1曲だけだったんじゃないかなぁ・・・と今になると思うのよね。

 この次の「ジプシークイーン」以降は、兎に角、曲想が難しいんですよ。 また、歌い手として極限の域といえば、いいのかもしれないけど、ちょっと肩に力入りすぎっていう感じがして、ワタシは片手では喜べませんでしたね。うーん、曲的にも「土色」っていうイメージの曲が多くなっていったし。

 まあ、それも2年連続「レコ−ド大賞」受賞なんていう呪縛もあったんだろうけどね。
 うん、まだ、あのころは多少なりともレコード大賞は重みがあったし。。

 まあ、そういう意味も込めて、この曲が「気軽」な気持ちで聴ける中森明菜の最後の1曲だったかもしれないなぁ。
(だから、最初に書いたように、ちょっとおちょくって書けるわけなんだけどさ)

1990年の「Dear Friend」も明るい曲だったけど、あの曲の場合は、べつの意味で痛々しくてさ・・・・。手放しでは喜べなかったんだよなぁ。

いずれにしても、この辺りから、少なくとも「歌い方」は、それ以前とは変わってきちゃいましたよね。




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UFO

1978_02_UFO_ピンクレディ






今回の1曲セレクトは、「UFO」ピンクレディーです。

まずはデータなのだ。

・タイトル     UFO
・アーティスト   ピンクレディー
・作詞       阿久悠
・作曲       都倉俊一
・編曲       都倉俊一
・リリース日    1977年12月5日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    155.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年12月12日〜1978年3月27日付


 ゴメン、今回の1曲セレクトは、かなり安易な選曲だな・・と思われてもしょうがないかな。
 
 「UFO」。ピンクレディーで一番売れた曲なわけで、売上げ枚数は155万枚。
 もうね、この曲「知らない」っていうヒトはほとんどいないでしょうしね。わざわざここで書くこともないか・・・とも思えるわけで・・・。

 ただね、今回はこの曲しか浮かんでこなかったの。。。
思考回路停止かしら。。。 

でも、意外なことに、ピンクレディーの曲は、今回が初めてじゃないかなぁ

 はい「UFO」ですね。この曲のおもしろさ・・っていったら、うーん、全部かなぁ。兎に角、曲調、踊り・・・ビジュアル全体的な仕掛けがすごいよね。もちろん、全体的なインパクトも。

 一番インパクトがあったのは、「UFOの音」をシンセサイザーで作っちゃったことでしょう。

 正直、UFOの音なんて誰も聴いた事ないのよ。それでも、あたかもそれらしく作っちゃっているじゃん。
 今では、UFOの音っていったら、この音しかないもんね。

 あの当時はこれ以上ない、斬新な曲の作りに思えたけど、さすがにいまとなってはね・・。ただ、意図としては、もっと人工的な「音」にしたかったんだろうね。いまだったら、すべてシンセで作っちゃったんだろうけど・・・。
 おそらく都倉氏の頭の中では、「テクノ」的な発想があったんだろうな・・と言うところは、この曲を聴いてるとよく分かりますね。
 うーん、さしずめ、ストリングスで作るアナログなテクノとも申しましょうか。たぶん、そのあたりは当時は、発想として斬新だったんだろうね。

 まあね、細かいところは、みなさんよくご存知の曲田と思うから詳しいところまでは割愛しても問題ないと思いますけどね。


 それから、この曲は、ご多分に漏れず、「ザ・ベストテン」第1回ランキング発表時(1978年1月19日放送)での1位獲得でした。
 はい、「ザ・ベストテン」での第1号の1位獲得曲でっす。

 まあ、その辺も、ここに見に来ていただいている方には、すでに周知の事だと思いますけどね。。。

 まあ、それだけ、昭和歌謡史に残る、偉大な1曲・・っちゅう訳ですわ。



まあ、恐らく、すぐに削除されると思いますが、気休めに動画をリンクしてみました。



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愚か者

今回の1曲セレクトは「愚か者」近藤真彦です。


まずは、データでーす。


・タイトル      愚か者
・アーティスト    近藤真彦
・作詞        伊達歩
・作曲        井上尭之
・編曲        戸塚修
・リリース日     1987年1月1日
・発売元       CBSソニー
・オリコン最高位   2位
・売上げ枚数     18.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1987年1月19日〜3月2日付
※第29回日本レコード大賞 大賞受賞


 久々に1月1日リリース曲を。 
えー、この曲 「愚か者」も、しっかり1987年1月1日リリースだったのですよね。。。

 しかも、この曲は、この年の暮れ、12月31日の「日本レコード大賞」では、みごと「大賞」の栄冠に輝いたわけで、お正月と、大晦日っていう、1年をまたいでの曲っていうイメージが付いてますね。

 まあ、レコード大賞の権威云々については、とりあえず、おいとしてさ。。。


 しかし、この曲は、このころの「まっち」としては、久々にテーマ、曲ともはっきりしていたなって言う印象が、いまでもあるし、あのころもあったんだよね。
 85年にCBSソニーに移籍してからの「まっち」は、どうも、曲自体「ハッキリ」していない曲が多くて、そろそろ「歌」は、引退なのかなとも、単純に「落ち目なのか」とも、どちらとも取れたし、ワタシ自身も、そういう風には思ってたんだよね。
 あ、これは、マッチだけでなく、トシにしてもそう。

 でも、「愚か者」をはじめて聴いた時、ホッとしたんだよねぇ。 「うん、まだ、やる気はあるな」って単純に思ったのよね。
 そのくらい、初めて聴いた時からショッキングだったし、インパクトがあった。

 いい意味で、汚れているっていうかね、ふっきれたオトナの匂いがしたな。
 それまで、何作か、大人になりきれない中途ハンパさが匂う曲が多かったからね。
 そこから、脱却したなっていう印象はあったね。それまでのマッチにはなかった、新鮮さっていうのかな。

 これは、やっさぱり、はじめて組んだ、井上尭之氏の作品が斬新だったし、だから、新鮮映ったんだろうなぁ。

 でも、やっと、マッチにも、自身も構成歌い続けられる曲ができたなっても思ったな。

 マッチの曲って、それまではストレートな曲が多くて、その当時のマッチにしか「似合わない」曲ばっかりだったからねぇ。
 その点、この「愚か者」は、いつの年代でも歌いこなすことが出来ると思うし、それこそ、いつでも「マッチ」すると思うんですよ。


 しかし、なんで、また、このタイミングで「愚か者」なのか?

 うん、まあ、時期的なものっていうのが、一番強いんだけどね。丁度、今頃ヒットしてたし。。。

 ・・え? それって本音?

 スルドイヒトは、すでに感づいていることと思いますが、どうも、最近、世の中「愚か者」が多いんでねー

 
今日も、他のトピをたてちゃったけど、「愚か者」がいたかんねー。

 だから、その方たちにも、ささげたいと思いまして・・・

♪ 愚か者よ 愚か者よ 今夜は 眠れよ〜 ♪

 ホント、タイムリーでしょ。。。


 100%自画自賛の世界?   いやいや、ヒニクも含めてですよー。。。。



音でかっ  見る時は音量に注意してください。


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