かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

ミリオンセラー

おもいで酒 / 小林幸子

1979_08_おもいで酒_小林幸子


今回の1曲セレクトは、「おもいで酒」小林幸子です。

まずはデータですら。

・タイトル      おもいで酒
・アーティスト    小林幸子
・作詞        高田直和
・作曲        梅谷忠洋
・編曲        薗広昭
・リリース日     1979年1月25日
・発売元       ワーナーパイオニア
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     138.3万枚
・ベストテンランクイン期間:1979年6月18日〜1980年1月21日付

久々の「演歌」です。 どうもね、ここを読んでくださる方には演歌を敬遠される方が多いようで、演歌系を書くと、今一つアクセス数が伸びないんだよね。 だから140万枚近いセールスをたたき出し、ミリオンセラーの大ヒットだったこの曲も、ずっと保留のままにしてたんですけどね。

まだ書いていない曲を考えると、そろそろ贅沢も言ってられない・・ということで、「満を持して」()引っ張ってきました。

アクセス数は、年代にとらわれずアクティブな方が多いアイドルポップス系ファンには、どうしてもかなわない。なので、アクセス数を稼ぎたいときはどうしてもアイドル系の曲に頼りがちになっちゃうんだけどね。

でも、こと、レコード売り上げ枚数となると、全くパターンが逆になる。

まあ、演歌系の場合は、一度火が付くと、なかなか火が消えない超ロングヒットになる傾向が強いですからね。
昨今では「新曲」の演歌系と言うと、すっかり「下火」になってしまっているわけで、、昔は超ロングセラーになる傾向が「強かった」と言った方がいいんですかね。


・・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんな超ロングヒットとなった、

小林幸子さんの「おもいで酒」なぞを一つ。

小林幸子さんにとって、この曲はデビュー以来28枚目のシングル。 苦節15年にしてようやっとつかみ取った大ヒット曲となる。

演歌系には「苦節何十年」という浪花節がよく合う・・・なんてね。

28枚目のシングルとはいえ、オリコンでのベスト100入りは、ワーナーパイオニアに移籍して以来、この曲が3枚目。
今から思うと、ワーナーへ移籍したことが一つの転機になったとも言えますね。


それにつけても、この「おもいで酒」は、ご多分に漏れず超ロングヒットだったもんなぁ。

1979年1月の冬の日にリリースされたこの曲。オリコンでは半年かけて6月18日付でベストテン内に到達。
ここから、翌1980年1月21日付まで32週間、ベストテン内をキープすることになる。(うち1週は年末年始の2週間集計)

連続ベストテンキープではないけど、SMAPの「世界で一つだけの花」は32週以上オリコンでベストテン入りをしている。
いや、考えてみれば、これ以前にも連続ではなく、ベストテン入り記録では都はるみさんの「北の宿から」が35週入りしているので、 単純にベストテン入りという意味ではオリコン記録ではない。

でも、30年前の1991年に刊行された「オリコンデータ私書箱」によると、1991年当時では、最長「連続」ベストテン入り記録は、この曲だったんですよね。

いや、「シングルチャート」に限定したうえで言えば、「連続ベストテン入り」という記録では、未だに破られていないかも。。。

まあ、最近のオリコンチャートには疎いんで、もし違ってたらメンゴ。

ちなみに、「ザ・ベストテン」では、オリコンに遅れること1か月後の 1979年7月19日にベストテン初登場。 9月20日まで10週間ベストテン内をキープしたけど、9月27日に息切れダウン。ここで終わりかと思いきや、翌10月4日に、ベストテン返り咲き。再び4週ベストテンをキープしたのち、再度ベストテン圏外。 ここで終わりかと思いきや、11月8日に再度返り咲き・・・と計15週ベストテン内をキープしている。

レコード売り上げと、演歌系の得意要素である有線では強かったけど、ラジオ総合とハガキリクエストでは伸びを欠いた、総合ランクであったベストテンではやや苦戦だったわけなんだよね。

しかしさ、ニューミュージック系全盛に加え、ジュディ・オング「魅せられて」旋風の真っ只中にあった1979年夏のヒットチャートシーン。
そのなかで、週間売り上げ4万2千枚で首位と言う比較的低レベルの、ランキングの「谷間」週であったとはいえ、あの時代、演歌系でオリコン1位獲得というのは、立派だったと思いますよ。


ところでさ、最初に書いたように、ここのブログでもそうだけど、どうも演歌系と言うと敬遠される方が多いんだけど、なんでなんでしょうね。

やっぱ、演歌と言うと、ジジくさい、ババくさいっていうイメージなんでしょうかねぇ。
・・・と言うワタシも、最近の演歌は、全く触手が伸びませんが。。。。

でもさ、この曲がヒットしていた79年頃って、演歌だろうが、ムード歌謡だろうが、ヒット曲はヒット曲として、ポップス、ニューミュージック系と同一線上に感じたし、抵抗感もなく普通に聴いてたんだよね。

だから、この「おもいで酒」も「ザ・ベストテン」でも、まったく違和感も抵抗感もなく、普通に聴いてたよなぁ。

この曲のすぐ後に、「ザ・ベストテン」にベストテン入りした、森進一の「新宿みなと町」にしたって、この年の年末に大ヒットした敏いとうとパッピー&ブルーの「よせばいいのに」にしたって、全く抵抗感がなかった。

なんでなんだろうねぇ。 

まあ、それだけなんのキライも、しがらみもなく、素直にヒット曲を聴いていたっていうのが、一番の理由なんだろうけどね。

ただ、本当にそれだけなのかなぁ・・とも思ったりして。。

考えてみれば、あの頃、特に1979年頃のヒット曲って「テレビの歌番組」で歌うことを前提にした曲作りだったような気がするんだよね。

アイドルポップス系や演歌系は言うに及ばず、逆にニューミュージック系でもそういう傾向が強かったと思う。

いつだったか、ゴダイゴの「銀河鉄道999」を書いた時、テレビバージョンのアレンジがめっちゃかっちょよかったと書いたと思う。この曲だけでなく、ツイストの「燃えろいい女」だって、テレビバージョンの方がめちやくちゃかっこよかったし。 サザンの「気分しだいで責めないで」もそうだったな。

兎も角、あの当時、ニューミュージック系の人たちも「テレビ」で歌うことに抵抗感どころか、むしろかなり力を入れていたような印象が強いんだよね。

そういう意味では、ニューミュージック系も、アイドルポップスも、演歌も テレビの歌番組では、ヒット曲という所で、完全に同一線上に感じたんだろうなぁ 特に「ザ・ベストテン」ではそうだったなぁ。
最近はさ、何かというと曲のジャンルで区別する傾向があるじゃん。 あの時代、そういう傾向は少なかったと思うんだよね。

まあ、ベストテン入りしている曲は、ほとんどの曲はクオリティが高かったんだよね。曲がよかった上、テレビで歌うことに力を入れていたわけだから、そりゃ、見てるほうとしては、ジャンル別に区別する必要もなかったわけでさ。

ワタシャ、当時10才のガキだったけど、子供でもそういう所って感じ取れるもんなんだよなぁ。 
いや、ガキだったからこそ、大人よりも敏感に感じ取れたのかもしれないな。





1979年8月6日放送分の「夜ヒット」みたいですね。
毎度毎度のことだけさあ、夜ヒットってバックの演奏が、どうもお粗末なんだよなぁ。。。
なので、本当は「ベストテン」の方が良かったんだけども、どうもなさそうなのでしょうがなく。

あ、そうそう、当時の小林幸子さんって、マイクの持ち方が人差し指を立てて独特なんだよね。
これ、当時も、変わった持ち方だなぁ・・なんて子供ながらに思ったなぁ。

ところで、この曲を作曲した、梅谷忠洋氏って本業はクラシック畑の人で、フルート奏者らしいですね。当時27歳でこの曲を書いたようです。
そんな若い方がこの曲かいてたんだ・・・。というのはちょっとビックリ。もっと大御所のセンセイが書いてたんだと思ってましたわ。 
でも、考えてみれば、若い方が書いてたからこそ、曲の感覚が、より若者に向けたところがあったのかもしれない。だから演歌と言っても、我々でも抵抗感がなく、素直に聴けたのかもしれないし、大ヒットしたのかもな。

上で書いたように、ニューミュージック全盛の中、オリコン1位獲得は立派なことだけど、1位を取るためには、より幅広い世代に支持される必要があったわけでさ。そのためには、より若者世代の支持というのが必要になってきますからね。

これを考えると、今、演歌の復権するには、このことを踏まえて、大御所の先生ではなく、若い方が演歌を書くっていうのもいいのかも。
同じ曲調でも若者世代と、大御所先生とでは、微妙にニュアンスが違ってくると思うし。

いずれにしても、クラシックの人が演歌を書くのはかなり珍しいということで、当時は、話題になったようですが・・・。 ワタシゃ、今知りましたわ 


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とんぼ / 長渕剛

1988_10_とんぼ_長渕剛


今回の1曲セレクトは、「とんぼ」長渕剛です。

まずはデータです。

・タイトル     とんぼ
・アーティスト   長渕剛
・作詞       長渕剛
・作曲       長渕剛
・編曲       瀬尾一三 長渕剛
・リリース日    1988年10月26日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  103.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1988年11月7日〜1989年2月20日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「とんぼ」主題歌

うーむ、最近ちょこっと年代が偏ってるかなぁ・・・と思いつつ、またまた1988年の曲を持ってまいりました。
本来、年代関係なく幅広く書いていきたい・・・とは思っているものの、結局は自分が「一番」真剣に音楽を聴いていた80年代が一番多くなってしまっるんだけどさ。

ただ、その中でも80年代終盤って、実は、意外とまだ書いてない曲があるんだよね。

ま、個人的な環境もあって、80年代終盤は、音楽を聴くペースが、それまでよりは下がっていたっていうのが大きいかもしれない。だから振り返ってみても「いの一番」には浮かんでこないんだよね。

だから、こんな大ヒット曲も残っていたりする。

長渕剛「とんぼ」。

アナログレコードからCDへの移行に伴って、レコード売り上げが低迷していた80年代終盤にあって、83年の細川たかし「矢切りの渡し」以来、5年ぶりでミリオンセラーを記録したこの曲なのにねぇ。

個人的には、「オリコン」を買い始めて以来、「初めて」のミリオンがこの曲だったんだよな。
オリコンのチャート表で、累積売り上げ枚数が「6桁」になった時は感激したもんなぁ。

え? 100万枚だった7桁だろ? ・・・なんて言う方は、流石にいませんよね。

そそそ、今でこそ、オリコンも売り上げ枚数が「1枚」単位で表記してあるけど、当時は「10枚」単位だったんだよね。だから、10万枚で5桁、100万枚で6桁表記だったんですわ。

それまで、ミリオン確実といわれた、わらべの「もしも明日が」も、小林明子の「恋におちて」も、100万目前にしてランクダウンしてたからなぁ。 まあ、ぬか喜びが続いたんだよね。

だから、ワタシにとってはオリコンを買い始めてから「3度目の正直」だったわけですわ。


そんな想い出がある曲なら、当然、既に1曲セレクトを書いててもおかしくない・・・んだけど、どうも、この曲、レビューを書くって言うのが難しいんだよな。
上記のように5年ぶりで「100万枚」突破しました・・・・で、筆が止まってしまう。

だからかなぁ、今まで書いてこなかったのは。

曲としてキライだった訳じゃないんだよね。 まあ、容姿は、「ヤクザ」な長渕になって引いてたところはあったけど。

そそそ、その証拠に、この曲が収録されている、アルバム「昭和」も、レンタルじゃなくてレコード屋で買ったもんな、当時。

で、カセットに落として毎日のように聴いてたし。

うん、ヤクザだとか、なんだかんだ言っても、音楽屋としての長渕は好きだったんだよな当時。


当時、大学受験浪人で、予備校と家の往復だった毎日の、うるおいのひと時だったような気がする。

だからねえ、この曲を聴くと、未だに、あの暗くて重い浪人生活の日々が甦って来るんだよな。 

あ、今まで書かなかったのは、そのイメージが強いって言うのもあるのかもしれないな。

そんな最中に起こった、昭和天皇の崩御。

そうだ、昭和の「最晩」っていうイメージが、この曲にはあるんだよな。 
なんかさ、いろんなイメージ・・というか絵が浮かんでくるんだよな、この曲を聴くと。おろらく、それは、昭和の歴史の流れの絵かもしれない。そんなイメージがあるんだよね。

そんなところが、少なくとも「平成」の御世とのギャップを感じるんだよな。 うん、今の時代にはどうしてもしっくりこないんだよね。そんなところも今まで書いてなかった理由だったかもしれない。

あー、やっぱり、何書いてんだか分かんなくなってきた。

こういう時は、曲に行こ。


 

あ、ちなみに、この曲が主題歌だったドラマ「とんぼ」は、見てたな。全部ではなかったけど、なんか怖いもの見たさで、つい見ちゃってたような感じだったな。
最終回、長渕が殺されるシーンは壮絶だったよな。


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関白宣言 / さだまさし

1979_09_関白宣言_さだまさし






今回の1曲セレクトは、「関白宣言」さだまさしです。

 まずはデータです。

・タイトル    関白宣言
・アーティスト  さだまさし
・作詞      さだまさし
・作曲      さだまさし
・編曲      福田郁次郎 さだまさし
・リリース日   1979年7月10日
・発売元     フリーフライト
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   122.7万枚
・ザ・ベストテン最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1979年8月2日〜11月8日放送分

 毎度のごとく、今回の1曲セレクトは何にするべ? ・・・と思案すること数時間。。。 時代を上ろうか、下ろうか・・なんて考えた挙句、上ることにしちゃいました。。そんなら1979年にタイムスリップexclamation

 今まで、ずっと1曲セレクトを読んでくださった方には、「1979年好きだねぇ・・・」と言われそうなんですが、はい、好きなんですexclamation

 なんせ、ワタシにとって、ヒット曲と本気で向かい合った最初の年だもんね。

・・ということで、丁度、36年前の「今ごろ」大ヒットしてた、さだまさしの「関白宣言」を一つ。


 この曲、最初に聴いたのが、「ザ・ベストテン」だったな。あのころ、さだまさし ってテレビにあんまり出てなかったんだよね。最近はちょくちょくテレビに出てるけどさ。
 あのころは、フォーク・ニューミュージック系のアーティストはテレビに出ないヒトも多かった。

 やっぱし、まだ、「あっち側、こっち側」っていうのが明確に分けられて時代でしたからね。
 それでも、だんだんとニューミュージック系のアーティストもテレビの歌番組に出るようになって来ていた。その先鞭をつけたっていう意味でも「ザ・ベストテン」の功績は大きかったよな。

 それでも、さだまさし は、まだまだ出演辞退する回数の方が多かったんだよね。
 1曲ランクインに付き、1回か2回の出演っていうパターンがずっと続いてた。

 この曲もそうだったんだよね。たしか、最初に出演したときは、ランクインして数週たった、第3位の時だったと思う。(詳しい放送日時は忘れてしまったけど・・・)

 一言、笑ったねぇexclamation ×2

 いや、こんなコミカルな詩の曲だとは思わなかったの。

 1曲前にランクインした「天までとどけ」が さだ本来の独特な「暗さ」があった曲だったでしょ。

 全く不意を付かれたって感じexclamation & question

 実は、そのとき録音したカセットテープが未だにウチに残ってるんだけど、後ろでクスクス笑ってる声まで入っちゃってたりするのあせあせ

 そそそ、昔は、ライン録音なんて知らなかったから、テレビの前にテープレコーダー置いて、直接録音してたじゃん。
 で、時々電話がなったり、とつぜんオヤジがしゃべりだしたりして、その声まで録音されちゃってるってやつ・・・まさにあの状態。

 だって、兎に角面白かったんだもん。

 なんつうのかな。それまで歌って、「マジメ」な歌詞が歌だと思ってたの。
 この曲は、それまで聴いてきてた曲と、切り口が全く違ったんだもんね。


 長年、「オリコンウイークリー」を読んできた方は覚えてるかもしれないんだけど、89年〜90年ごろのオリコンウイークリーで「NO.1物語」っていうコーナーがあったじゃん。
 オリコンで1位を獲得した曲のコラムみたいなコーナー。

 それによると、たしか、この曲って、当時、京都の行きつけの飲み屋での会話から生まれたんだよね。

 今もそうだけど、当時、だんだんと女性の地位が高くなっきてて(ウーマンリブって言うのもありましたしね)、最近の男はだらしねぇな・・・なんていう会話から、その飲み屋のオカミから、「それ、歌にしなはったら、面白いとちがいますか」って言われたのが、ヒントになっていたんだよね。

 で、その時の会話を逆手にとって、当時、すでになくなってきていた「亭主関白」を題材に、この曲を作ったわけ。

 最初に出来たタイトルは、たしか「王手」っていってたらしいんだよね。

 で、出来立ての曲を、たまたま宮崎でのコンサートでやってみたら「大盛況」
 そのほかの会場でも大盛況だったんだよね。

 これはこれはexclamation ×2 ってなってツアーの合間に急遽レコーディングし、タイトルも「関白宣言」に直してリリースしたのが、この曲ってわけ。

 ちなみに、リリースする直前から、かなりの反響になっていたらしく、リリース日は1979年7月10日だったけど、7月16日付のオリコンランキングでは、83位に早くも初登場。翌週7月23日付では、いきなり3位にランクアップしている。

 つまり、7月16日付は、集計期間の関係上、リリース当日1日しか集計期間に引っかからなかったため、初登場83位に留まったって事ですね。
 これは、78年のピンクレディーの「カメレオンアーミー」が初登場88位で、翌週いきなり1位にジャンプアップしたときと全く同じ現象。

 つまり、それだけ、この曲の反響が凄かったってわけ。

 なら、1日リリース日ずらせば、初登場で上位だったじゃん。 って思う方もいらっしゃると思いますが、そこが当時と今との意識の違いね。
 当時はまだ、オリコンチャートを利用したリリース日を考えようなんていう事はなかったの。あくまで、レコード会社の定期リリースに合わせたリリース日設定だっただよね。
 だから、時として、こういうチャートアクションも生まれてきてた。


 で、オリコンでは早くも7月30日付で1位を獲得。以後10週連続で1位獲得なんていう、ミリオンセラーとなる。

 それでも「ザ・ベストテン」では最高2位止まりだったんだよね。
 これは如何に?  ・・・と思って調べてみたら、「ザ・ベストテン」でランクインしていた、1979年8月2日〜11月8日放送分までの間、1度も「ハガキ」チャートで10位までに入ってきてない。。。。
 つまり、この曲、リクエストハガキだけが極端に弱かったんだよね。

 まあ、当時のベストテン視聴者層とさだまさしファンの間との乖離ってことかなぁ。。。

 当時、「ベストテン」はハガキリクエストの比重(配点)の割合が一番大きかったからねぇ。だから、1位取れなかったんだよね。




 蛇足だけど、この曲のリリースから15年後の1994年に、この曲の「続き」の曲として、「関白失脚」っていう曲をリリースしてたりするあせあせ

結婚前は男上位。。。。でも、いざ結婚してみれば、奥さんが強い。。。なんて、現代社会を反映してたりして。。。

「関白宣言」で「俺について来いexclamation」って見え切って結婚したものの、15年経つと、やっぱり「かかあでんか」になったっていうパロディね。

 関白宣言が「メジャーキー」だったのに対して、「関白失脚」は、きちんと「マイナーキー」になってたのが、笑えた。
しっかりパロッてたんだよね。


↓ コレ





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待つわ / あみん

1982_09_待つわ_あみん






今回の1曲セレクトは、「待つわ」あみんです。

まずはデータでーす。

・タイトル   待つわ
・アーティスト    あみん
・作詞        岡村孝子
・作曲        岡村孝子
・編曲        萩田光雄
・リリース日     1982年7月21日
・発売元       フィリップス
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     109.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1982年8月16日〜11月15日付

 この時期になると、忘れられない曲があったりします。
その中でも、あみん「待つわ」は、一番忘れられないかなぁ。

 「あみん」ってそろそろ知らない人もいるのかなぁ。
後年ソロで大活躍した岡村孝子さんと、すでに引退してしまった加藤晴子さんのデュオですね。

 この「待つわ」は、82年5月に行われた、第23回「ポプコン」のグランプリ曲なんだよね。

 しかしさ、考えてみたらこの当時ポプコンってやたらと「中部地区」選出の人達が強かったんだよなぁ。
 一つ前第22回グランプリのアラジン「完全無欠のロックンローラー」、そのまた一つ前第21回伊藤敏博「サヨナラ模様」と3回連続でグランプリは中部地区から出てる。

 ちなみに、第23回では、あみんの他に明日香「花ぬすびと」も最優秀曲賞に中部地区から選出されてたりする。
 しかし、そう考えたら、この頃はヒットは名古屋から・・・っていうことも多かったんんですよねぇ。
 それ以前は、西の福岡、東の仙台って言う感じのヒットが多かったんですけどね。
 
 
 話は変わって・・・この「待つわ」は、ワタシが福島から千葉に出てきた頃、出て来たんですよね。
 もちろん、そのころは、まだ、周りの誰も知らないから、ラジオばっか聴いてまして、この曲、発売前から、やたらかかってたんだよねぇ。 まあ、いまになって思えば、それだけ「期待」をかけてたんだろうけどね。

そして、ワタシもすぐ、気になったなぁ。当時まだ中1だったけど、この曲は売れる、売れて欲しい・・・とおもって、リリース日当日にレコード買った第1号なんですよね、実は。

なにが、気になったのか? っていうのは、今になってはすっかり忘れちゃったんだけど、兎に角新鮮だったのかなぁ。
 もちろん、萩田氏独特のインパクトがあるイントロ・・・例のアコギによる3連譜・・・もそうだったんだけど、今までに感じたことない透明な肌触り(?)っていうのかなぁ。

それと、結構、絶妙なハーモニーってのにも耳が行ったな。

 それよりも、この年の天候不順にぴったりな、「静寂感」・・うんにゃ「静かな不気味さ」がついつい、聞き耳を立てたのかもしれん。
 ・・っていうか、単純に、引っ越してきたばかりからの精神的な「寂しさ」が表に立ってたんだろうね、当時のワタシとしては。


 たださ、まだ発売前に聴いて「あ、これは売れる」と思った曲が、実際に「大ヒット」になってうれしかったなぁ。

 それまでは、ベストテンに入ってきて初めて「あ、いいなあ」っていう感じで曲を聴いてたから。

 この時の、この感覚、手ごたえっていうのがたまらなく快感でさ、もしかするといまの仕事に繋がっている・・っていうのは、正直過言ではなく、リアルなところなんですよね。
 だから、この曲あってこその「いまのワタシ」って言えるかもなぁ。

 
 BUT、当時は↑で書いたように「透明な新鮮さ」を感じたこの曲だけど、いまになって考え見れば「不気味」なウタだよね。

TVでの二人の「ぜんまい仕掛け」みたいなぎこちない動きと無表情な歌い方もそうなんだけど、内容がさ。


♪待つわ いつまでも 待つわ たとえ あなたがふりむいてくれなくても 待つわ 〜 ♪

なんともストーカーな曲だよね。いまの感覚だと・・。よく、マスコミでも書かれたりしてるけどさ、その通りだと思うわ。

でも、今と33年前と感覚の差っていのうももちろんあったしね。だから、当時は「新鮮さ」の方が勝って、ミリオンセラーなんかになったんだろうけどね。

 ちなみに1982年のミリオンセラーは、この曲1枚のみ。当時は、昨今のCD不況と同じように、レコードのセールスが全体的に落ち込んできた時期なんだよね。
 この主な要因は「レンタル」の普及によるものっていうのが、一般通説なんだけど、まあ、曲事態が変わってきたって言うのも確かにありますよね。
 それと、主流が「アイドル」になったってのも大きいし・・。やっぱり、アイドルでは続けざまヒットはしても、なかなかミリオンセラーまで届くっていうのは、難しいですからねぇ。

 もちろん、アルバムはニューミュージック系の天下だったけど、当時はアルバムでミリオンセラーっていうのは、夢のまた夢って言う時代・・・シングル主流な時代だったし・・。

 ま、それを考えても今とは、随分、趨勢が異なる時代だったんだけど、それらを考えても、この曲の支持はでかかったんだよねぇ。


だけど、最初に出てきたヒトは後が続かない・・・っていう当時のジンクスもあったわけで、この人たちも結果的にはそんな感じになってしまいましたよね。

 やっぱ、どうしても、この曲のインパクトにはかなわないもんなぁ。普通。
 
 逆に考えるとそれだけ、まだ、ちゃんと曲を聴いてた人も多かった・・・楽曲の時代・・・ともいえるんですけどね。




そうそう、思いだした。 この曲、1982年の7月21日リリースだけど、ヒット最高潮時、9月のレコード週間売り上げは凄まじかったんだよね。
 いま、当時のオリコンをひも解くと、1982年9月各週のこの曲の週間セールスは

1982/9/6付   66,560枚
1982/9/13付  127,340枚
1982/9/20付  173,910枚
1982/9/27付  137,470枚

・・・と9月、1カ月だけで50万枚上のセールスを記録してたりする。
1週間でミリオンセラーなんていう、某アイドルグループな今の時代からしてみれば、なんてことない・・なんて思えるかもしれないけど、週間セールスで平均7万枚も売れば1位が取れた時代。週間17万枚なんて言うセールスはとんでもない数字だったのよ。
 ちなみに、88年3月21日付で光GENJI「パラダイス銀河」が、週間338,690枚って言う記録を出すまで、この「待つわ」の173,910枚っていう週間セールスが、80年代では最高の週間セールスだったんだよね。

それだけ、多くの人に刺さったんだろうな、この曲。

リリース1か月前に、この曲は売れる・・・って直感的に感じた、ワタシ目は、「してやったり」って言う気分だったけどねぇ。 でも、まさかここまで売れるとは思わなかったんだけどね。


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CRAZY GONNA CRAZY / trf

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今回の1曲セレクトは、「CRAZY GONNA CRAZY」trfです。

 まずはデータです。

・タイトル    CRAZY GONNA CRAZY
・アーティスト  trf
・作詞      小室哲哉
・作曲      小室哲哉
・編曲      小室哲哉
・リリース日   1995年1月1日
・発売元     エイベックストラックス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   158.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1995年1月16日〜2月27日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「我慢できない」主題歌

昨日、昼間1995年のヒットを聴いてたんだけど、で、聴いてるうちに、なぜか、trfの「CRAZY GONNA CRAZY」を引っ張ってきたくなって、引っ張ってきちゃいました。。。(これも大人気ないねあせあせ

 ここのところ、1月1日リリース曲を何曲か引っ張ってきてたでしょ。
でも、なにも1月1日リリース曲は、80年代までではないわけで、90年代、いや、今でも続いているわけだからね。

 そういう、trfの「CRAZY GONNA CRAZY」も95年の1月1日リリースだったわけだ。

 このころのtrfの「勢い」はすごかったからなぁ。もしかすると、同じエイベックスでも、そのあとの安室、globe、浜崎・・・よりも、一時的な勢いはあったかもしれないな、今考えると。

 そのピークは、ちょうど、この曲リリースの頃かな。前日の12月31日、第36回日本レコード大賞優秀賞受賞、同日、第45回紅白歌合戦初出場・・・で、盛り上がってたところに、新曲リリースだったかんねぇ。

 このころ、ウチラ「オリコンチャート研究会」のメンバーは、大晦日にワタシのうちに来て、レコード大賞〜紅白を見ながら、一晩中ワイワイやるのが恒例になっていて、もちろん、この年もやってたな。

 で、朝方、ちょっと仮眠して、元日の昼頃から、ボーリング⇒カラオケという、ちょっと強行スケジュールが恒例になってまして・・・。

 そういえば、1995年元日ボーリング場で、もうこの曲がかかってたんだ。

 だからか、どうも、個人的には、この曲⇒1995年元日のボーリング場っていうイメージがこびり付いて離れないなふらふら


 さてさて、曲は・・・というと、正直言って、trfの中でも一番「歌謡曲」に近いと思う。一言で言えば、一番分りやすい。

 うーん、なんていうのかな、尖ってないんだよね。まるいというかマイルドというか、小室哲哉の曲の中でも、聴きやすい部類の曲だとおもう。

 ただ、そんな分りやすい曲でも、音色は輝いている。うーん、なんていうのかな、寒空の中で輝いている白色&青色LED電飾のような、クールな輝きっていうのかな、そうそう、ちょうどクリスマスのLED電飾のような輝きを感じさせるような曲なんだ。

 白熱電球ではなく、あくまでLED電球。つまり「眩しい輝き」は感じるんだけど「暖かみ」は感じない輝きを放っているような曲っていうのかな。

 個人的には、そんな感じを受けるな。


 まあ、曲はどうであれ、この曲がtrfの中では、一番「売れた」曲っていうのも、やっぱり、このころのtrf人気を象徴していますわね。


 ただ、その伝説もこの曲をもって早くも崩れる。この曲から3ヶ月連続リリースをかけたんだけど、あっという間に売上げが落ちてったもんねぇ。

 結局は、連続して「出しすぎ」が原因でしょう。人気が最高潮、熱狂的な人気のときに短時間で矢継ぎばやにリリースすると、あっという間に「飽きられる」っていう典型的なパターン。

 結局さ、旨いもんを連続して食うと、すぐ飽きるのと同じなんだよね、生理的に言って。

 旨いもんはたまに食うから、旨いんであってさ。そりゃ、毎日食ってたら飽きるでしょ。

 それと同じ原理だと思うのよ。





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大都会 / クリスタルキング

1980_01_大都会_クリスタルキング






今回の1曲セレクトは、「大都会」クリスタルキングです。

 まずはデータです。

・タイトル    大都会
・アーティスト  クリスタルキング
・作詞      田中昌之 山下三智夫 友永ゆかり
・作曲      山下三智夫
・編曲      船山基紀
・リリース日   1979年11月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   118.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位:1位
・ベストテンランクイン期間:1980年1月7日〜4月7日付

 いやいや、ポプコン発の大ヒット曲で、まだ書いてなかった曲が残ってたんだねぇ。これは、かなり迂闊だったな。

 大都会 /クリスタルキング

 この曲は、1979年10月に行われた、第18回ヤマハポピュラーミュージックコンテスト、うんポプコンね・・・のグランプリ、さらに第10回世界歌謡祭、グランプリ獲得で、鳴り物入りで、翌11月21日にデビューした曲だ。

 まあ、ポプコングランプリから、世界歌謡祭グランプリっていう流れは、まあ、アーティストの「格付け」みたいなもんで、それまでも中島みゆき、ツイスト、円広志・・・と同じ流れで来てたからね。

 で、みなさん、同じ「キャニオン」からデビューしてたりする。

 うん、ポプコングランプリ⇒世界歌謡祭グランプリ⇒キャニオンからデビュー っていう流れは、一つのブランド的な流れになってたんだよね。このころ。

 ただ、デビューしたものの、1曲目は、「ポプコンブランド」で大ヒットする確率は高かったものの、なかなか2曲目以降ヒット定着っていう確率は低かったんだけどさ。

 だから、自ずから1発屋になる確率も高かったわけで・・・。「世界」をとりながら一発屋とは、いったいどういうこと?
 ・・・っていうのは、一時期笑い話だったこともあったりしてね。


 幸い、クリスタルキングの場合は、「一発屋」で終わることなかったんだけど・・・。

 さすがに、このヒトたちのボーカルの迫力を一度聴けば、あまりのインパクトの強さにびっくりするよなぁ。

 なにより、田中昌之のチリチリ頭に頭のてっぺんから出ているようなハイトーンボイス。
 プラスして、アイパーにグラサンっちゅういかにも「やっちゃん」のような、低音ボイスのムッシュ吉崎っていう、このコンピは、声質的にも、ビジュアル的にも、衝撃的なインパクトがあったもんですよ。

 わたしゃ、初めて、ベストテンの「スポットライト」に出演したとき、予想だにもしなかったボーカルにびっくりこいたもんなぁ。

 あ、ついでに言うと、うちのオフクロもびっくりこいてたのを思い出す。

 絶対に大ヒットすると思ったもの、この曲は。

 まあ、曲的には、今から考えると、客観的にクサイんだけどさ、あのころは、このクサさがカッコよかったんですよ。

 兎に角、ニューミュージック界の成熟期をガキながら感じ取っていたのは事実。

 もうずっと、このままニューミュージック全盛期が続くと思ってたもの、このころは。で、そうであってほしいとも思ってたのもこのころかなぁ。一番、「音楽」に対して多感だったかもしれない、個人的には。
 ヒットしてくる曲が、どれも「スゴイ」と思ってたのもこのころですね。事実、一番楽曲がいい、実験的で面白かったのも、このころの曲かもしれない。30年ヒット曲を聴いてきて。
 楽曲の「成熟期」だったのもかも知れないなぁ

 まさか、このあと4ヵ月後に「80年代アイドル」の芽がでてくるとは、全く考えもしてなかったな、このころは。
 

まあ、それもヒット曲クロニクル上の事実なんだけどもさ。


結局さ、日本のヒット曲の構成上、ロック・ニューミュージックがヒットの「長期主導権」は取れないような構造になっているんだよね。

 ロック・ニューミュージックが強い時期の後には、かならずポップスが主導権をとるようになっているんですよ。

 まあ、業界用語的に書くと、音制連<音事協 っていう力学的な構造ですね。

 これは、戦後日本の音楽業界的クロニクルから言っても、歴史上の事実なんだよね。

 個人的には、どっちかといえば「音制連」支持的なところがあると、自分では思っているんだけどさ。





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異邦人 / 久保田早紀

1979_12_異邦人_久保田早紀






今日の1曲セレクトは、「異邦人」久保田早紀です。

まずは、データです。

・タイトル    異邦人
・アーティスト  久保田早紀
・作詞      久保田早紀
・作曲      久保田早紀
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1979年10月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   144.5万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1979年11月26日〜1980年3月3日付
・タイアップ   三洋電気カラーテレビ「くっきりタテ型」CM曲

 いよいよ、久保田早紀の「異邦人」の登場です!
 インパクトって言う言葉、この曲のためにあるのよね。って言いたくなるくらい、ほんとに、この曲のインパクトは強かったなぁ。

 なんていっても、イントロだよね。プロからみても、この曲のイントロは、すごい! と言わしめるような柔軟なつ、大胆なイントロ。
 もう、最初の1小説だけで、エスニックな世界へ誘われてしまうような感じだよね。
 いわんや、シロートの私らが最初聴いた時にはビックらひいたよぉ! これ、「日本の曲かい?」って言う感じ。

 かと思うと5小節目からは、ストングスによる、しなやかなオーケストレションから、ピアノへと、イントロだけでも、めまぐるしい変化する曲構成。

 ほんと、これは、たんなる「歌謡曲」の枠を完全に越えてるよね。
 作詞、作曲はもちろん、久保田早紀本人なんだけど、この曲の場合、なんといっても、萩田光雄氏のアレンジにどうしても耳が言っちゃうんだよね。

 もち、メロディラインがすばらしいから、大体にアレンジしても崩れないっていう、まさに見本のような曲ですよね。
 
 口をすっぱくして言っても、ほんとに、この時期の曲の完成度の高さには、未だに舌を巻きますね。
 ほんとに、「単なる」歌謡曲とはいえない世界がそこにあったっていうかね。
 一番すばらしいのは、全部「生楽器」による演奏ってことですね。いまだったら、完全にシンセに逃げるだろうけど、シンセ類は一切使っていない。
 それでいて、これだけの迫力を出しているオーケストレーションのすばらしさっていうのかなぁ。
 これは、今では、もう不可能なのかもしれないけど。。。

だからといってはなんだけど、いや、この時代をタイムリーに聴けたっていうのは、ラッキーだったと思いますわ。(お若い方にはもうしわけないですが・・・)

 プラス、時代がよかったんだよね。折りしも、エスニックブーム、シルクロードブームが到来しようとしていた矢先にこの曲が出現したわけで、この曲がきっかけになって、翌年80年のシルクロードブームに一気に火がついたって感じでしたもんね。

 兎に角、この曲の存在は、でかいなぁ。ワタシ個人にとってもですが。 いまでは、宝物のような存在だな。

 でも、悲しいかな、この曲があんまりにも良過ぎたため、久保田早紀は、1発屋になっちゃったんだよね。
 あんまりにも、この曲はでかすぎたっていうかね。ユーザーなんてもんは贅沢なもんで、第2弾はこれ以上のものを欲するからねぇ。
 でも、正直、これ以上の曲なんて、よっぽどのことがないと作れないよね。 それだけ、「異邦人」のインパクトが強すぎたってことなんだけど・・・・。

 いい曲を贈るのも使命なら、アーティストを長持ちさせるのも使命。これがレコード会社なのかもしれないけど、この場合は、やっぱし曲をとったってことでしょうね。

 とうの本人も、もともと、「ザ・芸能界」ってものには、興味がなかったようで、だから、逆に言うと、それでよかったのかもしれないな。

 いまは、久米明氏の子息の久米大作氏の奥さんになられて、教会で歌っているそうですね。
 それが一番、あっているんだよね。 




※2005年12月に書いたものの再掲載です。
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