かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

ポプコン

巡恋歌 / 長渕剛

1978_11_巡恋歌_長渕剛


今回の1曲セレクトは、「巡恋歌」長渕剛です。

まずはデータでする。

・タイトル    巡恋歌
・アーティスト  長渕剛
・作詞      長渕剛
・作曲      長渕剛
・編曲      鈴木茂
・リリース日   1978年10月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 100位以内ランクインせず
・売り上枚数   −枚

えー、今回はマクラなしで直接行きますか。
久々に、「変則」曲と行きますか。変則曲っていうのもちょっとおかしいけど、後年大ヒットした曲の中で、オリジナルは全くかすりもしなかった・・って曲ですね。

長渕剛 「巡恋歌」 

どうもね、「筋肉マッチョマン」になったしまった後の長渕の印象が強いだけに、ヒトによって好ききらいが激しいアーティストでしょ、長渕って。

だから・・・って言うこともありーの、ここでもあんまり書いて来なかったアーティストの一人かもしれない。

でもね、個人的には、キライじゃないんだよなぁ、長渕って。
昔、某着メロサイトで配信曲のセレクターやってるとき、ゴーインに当時のニューアルバムの全曲特集なんてやっちゃったくらいなんで。。。
まあ、プロデューサーっていう権限で半ばゴーインにやっちゃった・・・ってのもあるけど。。。
(でもそこそこのダウンロード数を稼げて、一応面目躍如だったんだよな。。。)

・・・・ってくらいだからさ。

とは言っても、個人的にも、まだ「筋肉マッチョマン」や「ヤクザ」になる前、「やさ男」だったころの長渕が好きだったんだけどね。

今回、持ってきた「巡恋歌」はデビュー曲。 まだ、もろ「やさ男」だったころの曲ですわ。

うん、そもそも↑の「ジャケ写」の写真からして、今の長渕しか知らない方には「別人」にしか思えないかもしれないもんな。
 もしかしたら、誰かの「カバーか?」なんて思われるかもしれないけど、正真正銘、今から39年前の長渕本人なのよ。

線が細くてナイーヴで、それでいて、当時から少しひねくれていて・・というか、ヒトを信用していないようなところがありましたよね。

それでも、当時の長渕が好きだったんだよな。 なぜって言われると困るけど、古いようでなんか新しい匂いがしたっていうかね。

この「巡恋歌」。 初めて聴いたのも恐らくは、リリースされてそんなに月日が経っていない頃だと思う。
うん、いつ、どこで聴いたかっていうのは、全く覚えていないんだけど、少なくとも80年代の最初の頃だったと思う。
「順子」で大ブレイクしたのと同じくらいの頃かなぁ。 「乾杯」(と言っても80年にリリースされた「オリジナル」の方ね)と同時に聴いたのかなぁ。

どっちもね、いい曲や〜・・・って思ったのだけは覚えてるんだよな。

なんちゅうのかねぇ、簡単に言えばキャッチーの一言なんだけど、でも体に染みてくるんだよな。

ほら、ウイスキーをチビチビ飲ってるとき、体に染みてくる感じっていうかなぁ・・・。いい意味でトリハダが立つっていうか震えが来るんだよね。 

まあ、吉田拓郎氏に憧れ、拓郎フォロワーだっただけに楽曲の形式も拓郎氏そのものだし、曲自体はそれまでいくらでもあったフォークにちょいと音を厚くしたような、いわいるフォークロックやつで。
音的には全く目新しいところは無いんだけども、でも耳に入って来ると新鮮。

これが印象的だったんだよな、デビューの頃の長渕って。

まあ、デビュー曲といっても、「2回目」のデビューなんだけどね。

・・・って書くと、「なんじゃらほい?」って感じなんだけど。。。 

うん、知ってるヒトは知ってる事だけど、実際、長渕って、この曲の前に、一度、ビクターからデビューしているんだよね。 そそそ「雨の嵐山」って曲で、アーティスト名も「長渕剛(ごう)」っちゅう、本来の読みとはも少し変えられて・・・。

本人としては、アーティストとして地道にライブハウス周りをしたかったようだけど、実際は本人の思惑とは全く違い、事務所としては「芸能人」として売り出したかったらしく、デパート屋上でのキャンペーン周りの日々。

しかも、これが全く売れなかった訳で。。。。 挫折。

そんな日々に嫌気がさして、博多に戻ってしまう。 

でも1年後、「再起」をかけ、再度、1978年第15回ヤマハ「ポプコン」に応募し、本選入賞したのが、この「巡恋歌」。

そのときの画像が ↓ コレ




今聴くと、めちゃくちゃシンプル。だけど、ギターの弾き方は、後年と変わんないんだよな。当時から長渕スタイル。

それにしても甘いんだよね、声が。当時から言えば、引っかかったのはここなのかもしれないし、拓郎フォロワーを自認してたけど、一番違ったのもそこかもしれない。

そして、今と一番変わってのも、体型だけじゃなく、そこかもしれないな。

今聴くと、ホントいい曲だと思うけど・・・・でも、それでも売れなかった。 

オリコンでは100位にも入らなかった。 今でこそオリコンは101位以下も売り上げ枚数をだしているけど、昔は101位以下は売り上げを公表していなかったわけで。。。
だから、この曲の売り上げは、オリコン的に言えば「0枚」と言う訳なんだよな。

やっぱり時代と折り合いがつかなかったんだろうな。 たしかに時代はニューミュージック全盛の時代にはなっていた。
でも、時代が求めていたのは、新しい形の音楽。 

一時代の前のスタイルの長渕は、見た目上、アナクロな存在だったんだろうな。


ところで、2度目のデビューなんて今では、ほとんど聞かないけど、昔は結構いたんだよね。 再起をかけた再デビュー、再再デビューなんてさ。

五木ひろし氏なんて有名だし、フォーク・ニューミュージック系では「アルフィー」も再デビュー組として有名だよね。

その後「大御所」となって、未だに現役を続けて来ているアーティストには、こんな風に「苦節何年」なんて浪花節ぢやないけど、苦労してきているヒトたちは多い。

そして、長渕も、そんな挫折を経験したなかで、アーティストとして大きくなってきたんだよね。

でも、そんな苦節を味わってきた中での経験からなのか、「愚痴」っぽい歌詞の曲も、この頃は多かったんだよな。

まあ、この「巡恋歌」からして、愚痴っぽい曲ではあるんだけどさ。

2番の歌詞にある 

♪タバコを吸うなとか 酒を飲みなとか ワタシの勝手じゃないの〜 ♪ とかさ。

これ捉え方によっては、再デビュー前に味わった、自分の思惑とは違い、事務所に言われるがままの「営業」の日々に対する愚痴にも聴こえたりするんだよね。

いや、この曲だけに限らず、他にもあるんだよな。

例えば、80年のアルバム「乾杯」に収録されている 「暗闇の中の言葉」なんかはまさに、そんな苦い時代を吐露しているような曲だしね。

でも、そんな苦い時代を糧に長渕はビッグになって行く。 

この「巡恋歌」は、その出発点になった曲なんだよね。



つづく



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あんたのバラード / 世良公則&ツイスト

1978_03_あんたのバラード_ツイスト








今回の1曲セレクトは、「あんたのバラード」世良公則&ツイストです。

まずはデータです。

・タイトル    あんたのバラード
・アーティスト  世良公則&ツイスト
・作詞      世良公則
・作曲      世良公則
・編曲      ツイスト
・リリース日   1977年11月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  43.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1978年1月23日〜2月13日付

ポプコングランプリ受賞曲。 大ヒットした曲は、すでに大分書いてきたんだけど、過去のアーカイブをみていたら、意外な曲をまだ書いてなかったんだよな。
 今回、ちょうどいい機会なんで、そんな曲を引っ張って来ますわ。

世良公則&ツイスト「あんたのバラード」。

いやぁ、超盲点だったな。 まさか、この曲をまだ書いてなかったとは。。。。

世良公則&ツイスト、ワタシにとってはリアルタイムで聴いて、ヒット曲っていう世界にどっぷりと嵌まってしまった頃の「原点」なヒト達ですわ。
うん、このヒト達と、サザンとゴダイゴ。 あの頃「ロックBIG3」って言われていたグループの方々。

もし、このヒトたちが居なかったら、ワタシ確実にここに居ない・・・・というかヒット曲の世界にはどっぷり嵌まった人生は送ってない・・・と100%と言えるヒト達ですわ。その位、私にとってはインパクトがでかかった人たちだよなぁ。

 特に世良さんのワイルドな歌い方に憧れてさあ、髪型まで似せちゃったもん、あの頃。 
うん、当時9歳だったんだけどね。。  当時の写真見ると、髪が肩まであったりするんだよな
まるで女の子みたいでしたわ。。。 で、世良氏をまねて、ホウキもって歌ってましたねぇ。

なんつうのかなぁ、ワイルドで野性味のある男の色気に惚れちゃったのかなぁ。同性(男)から見ても、セクシーだったもんなぁ。
・・・・なんて、9才のクソガキが思う事じゃないけど、でも、やっぱり引き込まれちゃったのは間違いない訳で。。。

たださ、個人的に最初にツイストに接したのは、3枚目のシングルだった「銃爪」だっんだよね。
だから、この「あんバラ」の時は、厳密で言えば、まだリアルタイムではない。
けど、「銃爪」から、すぐに遡って聴いてたりしたから、当時からこの曲は良く聴いてましたけどね。

最初ら書いたように、この曲は、ポフコンのグランプリ曲。 うん、1977年10月に開催された、第14回YAMAHAポピュラーミュージックコンテンストでグランプリを獲得。
 で、その翌月に行われた、第8回「世界歌謡祭」でもグランプリ獲得と華々しい経歴を持ってデビューとなった曲な訳ですわね。

まあ、「世界歌謡祭」とは銘打ってはいるものの、大体は「泊付」のためのような音楽祭ではあった訳だけども。。。
 
 ちなみに、その2年前の1975年にも中島みゆきが「時代」で、そのまた2年前の1973年には小坂明子が「あなた」が、全く同じ経歴でデビューしていたわけで、ポプコングランプリ受賞者では、それほど珍しい経歴ではなかったんだけど。。。

だけども、この曲は、ショッキングだったよなぁ。上記のような世良氏の、野性味あふれる線の太いボーカルもそうだし、曲もね、めちゃくちゃラフなんだけども線太いサウンド。めちゃくちゃ泥臭いロックでしたね。

当時、日本のロックといえば、80年代のシティポップスではないけど、ニューミュージックっていうカテゴリーの出現のお陰で、どちらかと言えば都会的で洗練されたサウンドの方向に向かってたからさ。
少なくとも、ここまで泥臭いロックは、逆に言えば「空席」だったかもしれない、当時は。
そこに突然、このヒトたちが出てきたからさ。そう言う意味ではショッキングだったんだよな。

それと、惜しげもなくテレビの歌番組に出演するっていうのも、ロックアーティストとしては珍しかったからなぁ。当時は。
 
 当時はテレビは「ゲ―ノー的」のモノ。ロックは自分たちの世界を最優先にするってのが、当たり前にあって、だから、「滅私」的なテレビには出ないっていうが常識だったからねぇ。まあ、反商業主義というかね。
数少なかった「ロック」中心の番組を覗いては。

でも、このヒトたちあたりから、歌番組に出演拒否しないロックアーティストがちょびちょび出てくるようになったんだよなぁ。その魁的なヒト達だよね。

そのおかけで、ロックもお茶の間でも聴けるようになった訳で、日本のロックの間口が格段と広がってくるんだよね。
ま、そういうロック系アーティストを出演させた、「ザ・ベストテン」とか「夜ヒット」なんかは、功績は、やっぱりでかかった訳なんだけどもさ。

でも、そう言うおかげで、ワタシとか、当時8才、9才のガキんちょでも、このテの曲をお茶の間で聴けたわけだからさあ。いい時代だったのかもな。
その前に、そんなクソガキなワタシにこのテの唄を聴かせてくれた、ウチの親たちにも感謝。 



これは、恐らく上記の「ポプコン」か「世界歌謡祭」の時の「音」だと思うんだけどさ。
実は、この時のメンバーと、デビュー後、テレビに出演するようになってからのツイストって、実はメンバーが違うんだよね。

あれ? これって有名な話かなぁ?

当時、大学生だったメンバーは、あくまで大学時代の思い出としてポプコンに出演した訳で、グランプリを取ったら解散、そして大学は卒業という事になっていたんだよね。で、ポプコン⇒世界歌謡祭で見事グランプリ獲得。
ここで、実際、一度、ツイストは「解散」してるんですよ。
でも、当時の慣例として、世界歌謡祭でグランプリを獲得したアーティストは、「夜ヒット」に出演させるっていう不文律が存在していたために、急遽、メンバーを集めて「再結成」されたのが、ワレワレが良く知ってる「ツイスト」なんですよね。

 だから、ドラムのふとがね金太氏も、ベースの鮫島秀樹氏も、ポプコンの頃は、まだメンバーじゃないんだよね。(キーボードの神本宗幸氏だけはそのまえからのメンバー)

だからさ、今、世界歌謡祭の時のVTRを見ると、バックのメンバーが違うんだよね。 
以前、まだ、この事を知らない頃、この時のVTRを見て、「あれ?」とは思ってたんだけどさ。 ドラムがふとがね金太氏の独特の叩き方じゃないしさ。

ネットが一般的になりWikipediaが見られるようになって、「なるほどね」なんて思ったんだよな。


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白いページの中に / 柴田まゆみ

1978_10_白いページの中に_柴田まゆみ






今回の1曲セレクトは、「白いページの中に」柴田まゆみです。

まずはデータです。

・タイトル     白いページの中に
・アーティスト   柴田まゆみ
・作詞       柴田まゆみ
・作曲       柴田まゆみ
・編曲       古川健次
・リリース日    1978年8月25日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位  23位
・売上げ枚数    10.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 25位

 先月、門あさみさんの「ファッシネイション」を書いた時も同じような事を書いたんだけど、仕事として曲セレクトをするときに、いままでもちょびちょびとは考えつつやってきたことがあるんだよね。
昔、ちょっと流行った曲で、「今」でも充分使えそうな曲の「掘り起こし作業」っていうのを考えることがあるんですよ。

 いや、正直言うと、「新しい」音楽っていうのも、そろそろ限界なんぢゃないかなぁ・・・って最近思ってたりもしてるところもあってさ。
 「過去の曲」というと、ちょっとダサイんだけど、タイムレスっていうのかなぁ、時代を感じさせないような曲なんだけども、今じゃ、眠ってしまっているような曲を、もう一度、掘り起こすっていうのも、この先、重要になってくるんぢゃないかなぁ・・・なんて、思ってたりもするのね。


今回セレクトしてきた「白いページの中に」なんてのは、いいんじゃないかなぁ・・・って思ってるんだよなぁ。

 うん、個人的には、この曲は「掘り起こし」候補の上位的な曲なんだよね。

 まずもって、今聴いても、全然古くないんだもん。知らないヒトが聴いたら、今の曲っていっても、遜色ないですよ。はっきり言って。

 この独特のアンニュイ感がたまらないのね。サビの

♪ よみがえる午後のやすらぎも 白いページの中に〜 ♪

なんで、ぞくぞくしちゃいますよ。

 まあ、この柴田まゆみって言うヒトの、やや鼻にかかったような抜ける声質も性的なところに感じるってところもあるけどね。

今って、インパクトっていうよりも、洋楽的な均一さっていうか平坦なメロディラインな曲が多いし、ロングヒットっていったら、ミディアムスローな落ち着いた曲ってなんなく相場が決まっているじゃん。 この曲、ぴったりなんじゃないかなぁ。

ま、そう書きつつ、ここ何年か、この曲カバーする人もボチボチ出てきたりして嬉しい事ではありますね。

ただ、まだ、オリジナルの、このけだるい、アンニュイさを超える様なカバーは出てきてないなぁ。
やっぱ、この曲を歌いこなせるのは、性的な女性ですよね。それが「いい女」の条件でもあるんだけどなぁ。


 この曲、もともとは、第15回ポプコンの入賞曲。やっぱり、ポプコン出身なんだよね。このヒトも。
 ちなみに、同じく第15回ポプコン入賞者に、あの長渕剛「巡恋歌」、ロブバード「目を閉じて」がいたりもします。
 ちなみにちなみに、優秀賞は佐野元春だったりします。この時の関東地区大会の激戦はいまでも語り草ですよね。佐野元春と競り合ったのが杉真理で、後年、ナイアガラトライアングルvol.2で二人が一緒になったのも時の悪戯だよね。

時代を感じるよなぁ。



この曲、本人が生で歌っているところは、初めて見ましたわ。
もともと、あまりテレビに登場しない方だし、ヒットらしいヒットはこの曲だけでしたからねぇ。
アップロードいただいた方に感謝!


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待つわ / あみん

1982_09_待つわ_あみん






今回の1曲セレクトは、「待つわ」あみんです。

まずはデータでーす。

・タイトル   待つわ
・アーティスト    あみん
・作詞        岡村孝子
・作曲        岡村孝子
・編曲        萩田光雄
・リリース日     1982年7月21日
・発売元       フィリップス
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     109.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1982年8月16日〜11月15日付

 この時期になると、忘れられない曲があったりします。
その中でも、あみん「待つわ」は、一番忘れられないかなぁ。

 「あみん」ってそろそろ知らない人もいるのかなぁ。
後年ソロで大活躍した岡村孝子さんと、すでに引退してしまった加藤晴子さんのデュオですね。

 この「待つわ」は、82年5月に行われた、第23回「ポプコン」のグランプリ曲なんだよね。

 しかしさ、考えてみたらこの当時ポプコンってやたらと「中部地区」選出の人達が強かったんだよなぁ。
 一つ前第22回グランプリのアラジン「完全無欠のロックンローラー」、そのまた一つ前第21回伊藤敏博「サヨナラ模様」と3回連続でグランプリは中部地区から出てる。

 ちなみに、第23回では、あみんの他に明日香「花ぬすびと」も最優秀曲賞に中部地区から選出されてたりする。
 しかし、そう考えたら、この頃はヒットは名古屋から・・・っていうことも多かったんんですよねぇ。
 それ以前は、西の福岡、東の仙台って言う感じのヒットが多かったんですけどね。
 
 
 話は変わって・・・この「待つわ」は、ワタシが福島から千葉に出てきた頃、出て来たんですよね。
 もちろん、そのころは、まだ、周りの誰も知らないから、ラジオばっか聴いてまして、この曲、発売前から、やたらかかってたんだよねぇ。 まあ、いまになって思えば、それだけ「期待」をかけてたんだろうけどね。

そして、ワタシもすぐ、気になったなぁ。当時まだ中1だったけど、この曲は売れる、売れて欲しい・・・とおもって、リリース日当日にレコード買った第1号なんですよね、実は。

なにが、気になったのか? っていうのは、今になってはすっかり忘れちゃったんだけど、兎に角新鮮だったのかなぁ。
 もちろん、萩田氏独特のインパクトがあるイントロ・・・例のアコギによる3連譜・・・もそうだったんだけど、今までに感じたことない透明な肌触り(?)っていうのかなぁ。

それと、結構、絶妙なハーモニーってのにも耳が行ったな。

 それよりも、この年の天候不順にぴったりな、「静寂感」・・うんにゃ「静かな不気味さ」がついつい、聞き耳を立てたのかもしれん。
 ・・っていうか、単純に、引っ越してきたばかりからの精神的な「寂しさ」が表に立ってたんだろうね、当時のワタシとしては。


 たださ、まだ発売前に聴いて「あ、これは売れる」と思った曲が、実際に「大ヒット」になってうれしかったなぁ。

 それまでは、ベストテンに入ってきて初めて「あ、いいなあ」っていう感じで曲を聴いてたから。

 この時の、この感覚、手ごたえっていうのがたまらなく快感でさ、もしかするといまの仕事に繋がっている・・っていうのは、正直過言ではなく、リアルなところなんですよね。
 だから、この曲あってこその「いまのワタシ」って言えるかもなぁ。

 
 BUT、当時は↑で書いたように「透明な新鮮さ」を感じたこの曲だけど、いまになって考え見れば「不気味」なウタだよね。

TVでの二人の「ぜんまい仕掛け」みたいなぎこちない動きと無表情な歌い方もそうなんだけど、内容がさ。


♪待つわ いつまでも 待つわ たとえ あなたがふりむいてくれなくても 待つわ 〜 ♪

なんともストーカーな曲だよね。いまの感覚だと・・。よく、マスコミでも書かれたりしてるけどさ、その通りだと思うわ。

でも、今と33年前と感覚の差っていのうももちろんあったしね。だから、当時は「新鮮さ」の方が勝って、ミリオンセラーなんかになったんだろうけどね。

 ちなみに1982年のミリオンセラーは、この曲1枚のみ。当時は、昨今のCD不況と同じように、レコードのセールスが全体的に落ち込んできた時期なんだよね。
 この主な要因は「レンタル」の普及によるものっていうのが、一般通説なんだけど、まあ、曲事態が変わってきたって言うのも確かにありますよね。
 それと、主流が「アイドル」になったってのも大きいし・・。やっぱり、アイドルでは続けざまヒットはしても、なかなかミリオンセラーまで届くっていうのは、難しいですからねぇ。

 もちろん、アルバムはニューミュージック系の天下だったけど、当時はアルバムでミリオンセラーっていうのは、夢のまた夢って言う時代・・・シングル主流な時代だったし・・。

 ま、それを考えても今とは、随分、趨勢が異なる時代だったんだけど、それらを考えても、この曲の支持はでかかったんだよねぇ。


だけど、最初に出てきたヒトは後が続かない・・・っていう当時のジンクスもあったわけで、この人たちも結果的にはそんな感じになってしまいましたよね。

 やっぱ、どうしても、この曲のインパクトにはかなわないもんなぁ。普通。
 
 逆に考えるとそれだけ、まだ、ちゃんと曲を聴いてた人も多かった・・・楽曲の時代・・・ともいえるんですけどね。




そうそう、思いだした。 この曲、1982年の7月21日リリースだけど、ヒット最高潮時、9月のレコード週間売り上げは凄まじかったんだよね。
 いま、当時のオリコンをひも解くと、1982年9月各週のこの曲の週間セールスは

1982/9/6付   66,560枚
1982/9/13付  127,340枚
1982/9/20付  173,910枚
1982/9/27付  137,470枚

・・・と9月、1カ月だけで50万枚上のセールスを記録してたりする。
1週間でミリオンセラーなんていう、某アイドルグループな今の時代からしてみれば、なんてことない・・なんて思えるかもしれないけど、週間セールスで平均7万枚も売れば1位が取れた時代。週間17万枚なんて言うセールスはとんでもない数字だったのよ。
 ちなみに、88年3月21日付で光GENJI「パラダイス銀河」が、週間338,690枚って言う記録を出すまで、この「待つわ」の173,910枚っていう週間セールスが、80年代では最高の週間セールスだったんだよね。

それだけ、多くの人に刺さったんだろうな、この曲。

リリース1か月前に、この曲は売れる・・・って直感的に感じた、ワタシ目は、「してやったり」って言う気分だったけどねぇ。 でも、まさかここまで売れるとは思わなかったんだけどね。


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想い出まくら / 小坂恭子

1975_08_想いでまくら_小坂恭子







今回の1曲セレクトは、「想い出まくら」小坂恭子です。

まずはデータです。

・タイトル     想い出まくら
・アーティスト   小坂恭子
・作詞       小坂恭子
・作曲       小坂恭子
・編曲       福井峻
・リリース日    1975年5月25日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    85.3万枚
・ベストテンランクイン期間:1975年8月4日〜11月3日付

 昨日は、先週までの猛暑がウソのように涼しい1日だったよなぁ。 こんな夏の終わり、涼しい風が吹いてくると、シンミリとした曲が効きたくなる。 今回は、そんな曲を一つ。

 小坂恭子 「想いでまくら」

自分にとっては、遠い記憶を紐解いても、聴いた記憶がないなあと思える曲でも、実際聴いてみると、「あれ? この曲聴いた事ある」って思う曲って意外とだれでもあるんぢゃないかなぁ?

 うん、ワタシにとって、そういう曲なのが、まさにこの「想い出まくら」なんだよね。
 
 この曲の「存在」を知ったのは、多分、1984年(昭和59年)年末号のオリコンウイークリーの「昭和50年代」特集の「昭和50年代ベスト100」ランキングだったとおもうな。

 あのころは、まだ、今に比べると古い曲・・・1978年以前の曲・・・・はほとんど知らなかったんだけど、それでも上位曲は、ランクを見ただけで、「あ、あの曲」っていうのは浮かんできたんだよね。

 そのなかで唯一全く、浮かんでも来なかったのが、この「想い出まくら」って曲。
 何分85.3万枚も売れてたからねぇ、昭和50年代全体を通してもランキングはかなり上だったんだよね。

 しかもアーティストの「小坂恭子」っていうヒトも全然浮かんでこなかったわけで・・・。小坂明子なら知ってたんだけどね

 いや、結構そういう方、多いんじゃないかなぁ。 小坂恭子さんと、小坂明子さん、名前も似てれば、ピアノを弾きながらのシンガーソングライターっていうスタイルも似てたりするもんね。
 ついでに言えば、両者とも、ヤマハのポプコンをきっかけにデビューっていう経歴も似てる。
これは、ごっちゃになっちゃいますよね。


 で、そのあと暫くは忘れてたんだけど、たまたまラジオでこの曲が流れてきて、「ハッ」としたんだよね。

 「この曲、知ってるじゃん」・・・って。

 曲タイトルは分からなかったんだけど、ずーーーーーっと長い間記憶の片隅に残っていた曲って言うのかな。

 ただ、どこでどんなシチュエーションで聴いたのかは、全く覚えてない。この曲のヒットが1975年8月〜11月にかけてでしょ、私は6才。幼稚園の年長組のころやわ。

 もちろん、ヒット曲なんぞ、まだまだ聴いているわけもなし。

 でも、聴いてるんだよね。。。  どこかで。。

ただ、この曲を聴くと、雨がしとしと降ってる情景がなぜか浮かんでくるんだよね。もしかすると、はじめて聴いた時も雨が降ってたのかもしれない。。
 ただ、とおーーーい記憶がボーーーーッとフラッシュバックされてくるんだよね。
 これはこれでなせか至福のときだったりしてね。。

 あやや、危ないヒトみたいだけど。。。


 小坂恭子っていうヒトは、上記のように、もともとはポプコン出身のヤマハ系のアーティストなんですよね。
1974年、第7回ポプコンでグランプリ受賞。そのままレコードデビュー。
 だからというわけでもないけど、ピアノの弾き語り系が得意で、もちろん、この曲もピアノ中心な楽曲なんだけど、まだ、八神純子のような「垢抜けた」ニューミュージック系というよりは、どちらかというと、今だったら「演歌」の分類に入れてしまれそうな「歌謡曲」チックなサウンドだったんですよね。

 この「想い出まくら」なんかはもろそんな感じなんだけどね。

出だしAメロの

♪ こんな日はあの人のマネをして、煙たそうな顔してタバコを吸うわ〜 ♪

からして、メロディライン、詞の内容からして、なんとなく、お水系っぽかったりするしね。

それでも、サビの

♪ネェ あなたここにきて 楽しかったことなんか話してよ はなしてーよー ♪

のところは、思わずグッと来ちゃうながれなんですよね。


 だけどさ、当時6歳のワタシがなんで、こんな「大人」っぽい「お水系」っぽい曲にグッと来てるんだ?
 なんか、自分で自分の性格がよくわからんワ・・・・。

ま、なんどもかいてるように「マセガキ」だったのは確かななんだけどさ

 だから、当時の桜田淳子、山口百恵よっかはねこっち系統の曲のほうが好きだったのは確かなんだなぁ。

 多分、オヤジがこっち系統の大人っぽい曲しか聴かなかったからかもしれんけど・・・。

まあ、それでも、いまの仕事に役立っているところを考えるとあれも、一利だったかなぁ。

だから、いまでも大人っぽい曲の方が実はシックリ来たりするんだよね。
アイドルポップスとは別な次元でなんだけどさ。


 ちなみに、この曲を聴くと、なぜか、ジクソーの「スカイハイ」も一緒に聴きたくなるワタシ。。。


 もしかしたら、昔、この曲のあとに「スカイハイ」を聴いてたのかなぁ?

 そんな記憶も全くないんだけど。。。。。




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あなた /小坂明子

1974_03_あなた_小坂明子






今回の1曲セレクトは、「あなた」小坂明子です。

 まずはデータです。

・タイトル     あなた
・アーティスト   小坂明子
・作詞       小坂明子
・作曲       小坂明子
・編曲       宮田泰
・リリース日    1973年12月21日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    164.9万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1974年1月14日〜4月22日付

 天才少女って時として現れるもんだよね。昨日書いた、「マイ・ピュア・レディ」の尾崎亜美さんも、若干18歳でシンガーソングライターとしてデビューしたわけだから、そういう部類に入るかもしれない。

 ウチらの世代・・・というか、一番直近だと、やっぱし宇多田ヒカルかなぁ。宇多田の「Automatic」を初めて聴いた時は衝撃的だったもの。15歳で「完成された」アーティストだったわけで。。。やっぱ、世の中には「天才」っていうヒトは居るんだな・・・と感じた瞬間だったね。

 同じように、今日、引っ張ってきた、小坂明子さんも、当時はそういう感じで受け止められた一人ぢゃないかなぁ。

 この「あなた」で、第6回ヤマハポプコン入賞、同年グランプリ大会でグランプリ受賞の時は、若干16歳。

 16歳にして、完全に完成された楽曲作り。。。これは、当時の音楽業界では衝撃的だったろうね。

 まあ、確かに、内容的・・・

♪ もしもワタシが家を建てたなら、ちいさな家を建てたでしょう〜 ♪

で、始まる曲は、16歳ならではのメルヘンの世界ではあるんだけど・・。

 でも、曲、メロディラインの完成度は、16歳が作った曲にしては、完成されてるよなぁ。コード進行も、当時としてはけっこう複雑な進行だし。。。

 ・・・と言っても、このヒトもポッと出の全くの新人ではないんですよね。父親は指揮者の小坂務氏。自身も大阪音楽大学付属高校のピアノ科を出てたりする。
 
 まあ、音楽に関してはバリバリの「サラブレッド」なわけですわ。

 ・・・だよなぁ。結局、天才は家庭環境から生まれるものなんだよなぁ。ヒッキーだってそうだもんね。

 これが、ノダメみたいに、全くのフツーの家庭から出てきたら凄いんだけどねぇ。。。今のところ、そういう家庭から出てきた、ぽっと出の「天才少女」ってのは、少なくともポピュラーミュージック界には出て来てない。

 居ても何かしらには影響受けて来てるでしょ?


 ところで、この曲は1974年の今ごろ、ヒットのピークだったんだけども、個人的にも当時から知ってたな、この曲は。
 レコード欲しくてねぇ・・・。今、手元にシングルレコードはないんだけど、もしかしたら、持ってたかもしれん。
 千葉に引越ししてくる時に、田舎の「納屋」に随分荷物、放り込んできたからな。そこに紛れてるかもな。
 うん、この間、復刻された「およげ!たいやきくん」のレコードは、その荷物の中に確実に紛れ込んでるはずなんだけど・・。
 そのほか、結構いろいろレコードも置いてきたからなぁ。。。ただ、記憶は定かじゃない。

 前も書いたかもしれないけど、当時、日本テレビ系で「おはよう子供
ショー」って番組が放送されてて、確か、土曜日か日曜日に、「おはようのどじまん」ってコーナーがあってさ。読んで字のごとく、とうじのシロートのちびっこが出てきて、のどじまん大会なの。
 この曲、よく歌われてたよなぁ。この曲と、伊藤咲子の「ひまわり娘」。この2曲だけは、はっきりと覚えてるんだよなぁ。

 しかし、それだけ当時は、子供の数が多かったってことかねぇ。今だったら、子ども少ないから、企画立てても通らないだろうな、まず。

 蛇足だけど、今調べたら、この番組のADをテリー伊藤氏がやってたらしい。。。あせあせ 時代を感じたりして。。。


 ところで! この「あなた」ってオリコンの記録上、とっても怪しい売上げ枚数を記録してたりする。
 オリコン最高位1位 1位獲得週数7週連続・・・っていうのは、動かないところなんだけどさ、売上げ枚数がねぇ。。。

 今、手元にオリコンウイークリー1982年9月3日号があるんだけど。。
うん、まだ、紙面が新聞紙のようで、業界では「おりこん新聞」って呼ばれてた頃の奴。(ちなみに表紙「中森明菜」初登場のとき)
 これ、見ると、「あなた」の累積枚数は「1,849,250枚」となってたりする。。。
 しかーし、今、現在の、公式売上げ枚数は、「1,649,250枚」。

 ピッタリ20万枚余分なんですけど。。。。うんにゃ、これ、「誤植」だよねぇ、オリコンさん。。。あせあせ

 ・・・なんて、34年前の誤植を引っ張り出してきて、どうするんだ? 俺。。。あせあせあせあせ


 でも、それを抜きにしても、7週目の1位の時の累積枚数が92万枚だったんですけど・・・。そっから70万枚どーやって売ったのだろうか・・・。未だにナゾだ。。。。あせあせ
 ちなみに、ベスト100登場回数は26週で、7週目の1位のときは、登場9週目。残り17週で、しかも売上げピークが過ぎてるのに、どーやっても70万枚も売れないんですけど・・・。
 オリコンさーん。

 ・・・なんて、古い記録、引っ張り出してきて文句言って、どーすんだ? 俺。。。あせあせあせあせあせあせ



蛇足だけど、最近CMで、ニャンコが風呂入って、この曲歌ってるソフトバンクのCMがあるじゃん。
あのCM好きなんだよな。
ふてぶてしい顔のニャンコの表情がいい。


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時代 / 中島みゆき

1976_02_時代_中島みゆき






今回の1曲セレクトは、「時代」中島みゆきです。

 まずはデータです。

・タイトル    時代
・アーティスト  中島みゆき
・作詞      中島みゆき
・作曲      中島みゆき
・編曲      船山基紀
・リリース日   1975年12月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数   16.4万枚

 さてさて、今回の1曲セレクトは何にしよう? ・・・と悩む。

 しょうがないから、またまた、昔のオリコンチャートをペラペラペラと捲ってたら・・あー、いい曲があった・・・ということで、引っ張ってきました。


 中島みゆき 「時代」

 いや、そーいえば、この曲は、いつ書くか、いつ書くか・・って仕舞っておいたんだよね。この曲というと、どうしても、今の「世知辛い」世の中を想像してしまう。

 ♪ 今はこんなに悲しくて なみだも枯れ果てて もう 二度と笑顔にはなれそうもないけど〜 ♪

 本当に、あっちみても不況、こっち向いても不況・・・な、今の世の中に生きてるワレワレの心情を代弁してくれているような歌詞じゃないですか。

 でも、

♪ そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ  あんな時代あったねと きっと笑って話せるわ〜 
 だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう 〜 ♪

 だから、がんばって生きましょうよ。

 って、まさに今の時代に訴えてくれてる曲でもあったりします。うん、だから、ヒットした時期になったら書こうって仕舞ってたんだよね。

 たしから、いつの時代にも、この曲の歌詞のような状況はあるわけだけど、富に「今の時代」に聴くと、リアリティを感じてしまうんだよね。それだけ、未曾有の不況だっていうことなんでしょう、今は。

 ときに、この曲がリリースされた「1975年」っていう時代も「不況」だったのですよね。ま、今ほどではないにしろ、オイルショック後の景気亜透明な時代。プラス、高度成長期が終わり、世の中が「シラケ」てた時代。

 そんな時代にリリースされたのが、この曲だったりする。

 やっぱり、「歌は時代を映す鏡」っていうかなぁ、昔の歌ってさ、曲を聴けば、どんな時代だったかわかる・・・とかいうけど、まさに、こんな感じだったんだよねぇ。
 だからこそ、今でも残っている・・・というか、エバーグリーンな曲なんだろうね。

 だからこそ、いままであらゆるヒトにカバーされてたりするんだけどさ、この曲。
 研ナオコ、桜田淳子、岩崎宏美、薬師丸ひろ子、徳永英明・・・えーと、あとだれ? ってくらい、いろんなヒトが歌ってるもんなぁ。

 でも、やっぱ、なんだかんだいっても、オリジナルの中島みゆきが、もっとも味があるのですよ。それは、やっぱ時代背景が一番浮き彫りで、最も時代背景を浮き彫りにしてるから・・・なんだろうなぁ。


 ところで、この曲は、1975年10月の、「第10回 ヤマハポピュラーソングコンテント」いわいる「ポプコン」のグランプリ、兼 「第6回 世界歌謡祭」グランプリ曲獲得で、12月にキャニオンから鳴り物入りでリリースされた曲っていう、当時の「ポプコン」から音楽界へっていう、王道のコースでリリースされた曲だよね。
 その後も同じコースで音楽界へ進んだアーティストは、数知れず(おおげさ・・・)だけど、結局、いまだに「アーティスト」として、第一線に残っているのは、中島みゆきだけなんですねぇ。それだけ存在感、アイデンティティが強いヒトだったんですわね。

 ただ、実は「時代」をリリースした時点で、中島みゆきって、すでに「アザミ嬢のララバイ」でデビューしてたんだよね。なので、厳密に言うと、すでにプロであったにもかかわらず、ポプコンでグランプリをとってしまったわけなんだけどさ。
 まだ、当時のポプコンは、そういうパターンも多かったわけで、純粋にアマチュアからプロへの登竜門っていうコンテストではなかったんだよね。



本当は、1975年当時の動画があればベストだったんだけど、流石にあれから40年経ってますからねぇ。
公式チャンネルにあった、5年前の動画をリンク。


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万里の河

今回の1曲セレクトは、「万里の河」チャゲ&飛鳥です。
 

まずは、データです。
 

・タイトル    万里の河
・アーティスト  チャゲ&飛鳥
・作詞      飛鳥涼
・作曲      飛鳥涼
・編曲      瀬尾一三
・リリース日   1980年9月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   53.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1980年12月22日〜1981年3月2日付



 先ほどは、雅夢の「愛はかげろう」をセレクトしましたが、、この曲を紹介するなら、この曲も忘れられない・・ってことで、今日は、チャゲ&飛鳥の「万里の河」の登場です。

 この曲も忘れられないって言うことなんだけど、「愛はかげろう」と「万里の河」って、同じ頃リリースされて、同じようなチャートアクションでランクアップしてきて、同じ時期にベストテンにランクインしたと、ほとんど、「姉妹曲」のような感じだったのよね。 どうしても切り離せないんだよなぁ。
 
 まあ、実際は、「愛はかげろう」の方がベストテンに入ってきたのは1ヶ月ほど早いんだけどさ。

 でも、同じようなフォークロック調、しかも、同じくディオで、年齢も同じくらいで、どちらのグループもまだ、大学生だったしね。

 雅夢の2人は、先ほども書いたように中京大学、チャゲ&飛鳥の2人は、福岡の第一経済大学に在学中だったんだよね。
 「チャゲ」だけは、このころは既に「中退」してたけど。。

 しかも、両者共にポプコン出身だし、ほんとうによく似た二組だったよね。
 当時は、区別つかないヒトもいたんぢゃなかなぁ。


 ちがうのは、チャゲ&飛鳥は、ポフコンでグランプリを取れなかったんだよね。
 1979年の第17回ポプコン、このとき、チャゲ&飛鳥は、グランプリまちがいなしという下馬評で「ひとり咲き」で登場。

 BUT、やってしまったんだよね。演奏ミス。
ボーカルの飛鳥が曲進行まちがえて、1小節早く歌に入っちゃった。。。

 これで、一気にグランプリは吹っ飛んだんですよ。入賞止まり。
 結果的には、この年の8月25日に「ひとり咲き」でデビューにこぎついたんですけどね。

 この「万里の河」は3枚目のシングル。

 でも、2枚目の「流恋情歌」が売れなかったんで、本人たちは結構、焦ってたみたいですね。
 この「万里の河」は、かなり背水の陣で作ったらしい。
 ただ、売れるまで、わりと時間かかったからねぇ。焦ってはいたようですね。

 
でも、いい曲だったよね。

 ワタシは、この曲一発で気に入ってしまいまして、当時、家に「ステレオ」が来たんですねぇ、で、真っ先にこのレコード買ったもんなぁ。

 今でも、レコードコレクションの中にありますが、これが、「自発的」に買った、一番最初のレコードですね。
 当時600円。そのあと、すぐにシングルレコードは1枚700円に値上がったんだけど、それでも、小学5年生だったワタシにとっては、かなり高く感じたなぁ。

 この曲、メロディラインの美しさもさることながら、チャゲ&飛鳥、それぞれの歌い方が好感が持てたんだよね。
 一生懸命歌ってたじゃん。持ち時間いっぱい、全て出し尽くすって感じだったもんね。

特にフェイクしたあとのサビの

♪どれだけ待てばいいですか〜 ♪

からなんて、チャゲなんて、なにもそこまで、力入れなくてもって感じだったもんなぁ。
 でも、その一生懸命さも伝わってくるんだよね。


 やっぱり、歌は「こころ」ですよ。演歌っぽい言い回しだけど。。。

 いや、このころは、まだ、そういうシンガーが多かったんだよね。
 特に、シンガーソングライターは、自分の曲だけに、思い入れ強く歌っているヒトが多かったなぁ。

 
 前、「北風物語」の時も書いたけど、このころは、チャゲ&飛鳥って、フォークシンガーでさ、だから、「SAY YES」歌ってた頃のイメージとは随分違うんだよね。
 まだ、博多の「あんちゃん」ってかんじで、垢抜けなくてさ。 それも良かったんだよね。

 もちろん、そのあと、キャニオンに移籍して、再ブレイクした後のチャゲアスもよかったけどさ。91年を頂点として、一時代を築いたもんね。

 それでも、個人的には、この曲を歌ってた頃の「素朴さ」がのこる、チャゲアスの方が好きだなぁ。




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愛はかげろう

1981_01_愛はかげろう_雅夢






今回の1曲セレクトは、「愛はかげろう」雅夢です。


ますは、データです。
 

・タイトル     愛はかげろう
・アーティスト   雅夢
・作詞       三浦和人
・作曲       三浦和人
・編曲       青木望
・リリース日    1980年9月5日
・発売元      テイチク
・オリコン最高位  3位
・売上げ枚数    69.1万枚
・THE HIT CHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1980年11月17日〜1981年2月9日付



 この時期って言うと、どうしても忘れられない曲ってあるよねぇ。
 ・・・って唐突に書き出しですが、えー、またまた、すっかり、頭の外だったんですが、今月の1月8日って、ワタシにとって結構重要な日だったんだっけ・・・。

 1981年1月8日(木)この日放送の「ザ・ベストテン」から、ランキングの「記録」を始めたんだよね。
 たしかに、「ベストテン」は、その2年ちょっと前から見てたわけだけど、そこまでは、あーんまり「ランキング」って言うのは真剣に・・ったらおかしいけど、それほど気にはしてなかったんだよね。
 その場で楽しむっていうか・・まあ、普通の視聴者と変わりはなかったんですよ。
 むろん、カセットに録音はしてたけど・・。

 BUT、この日からランクを記録をはじめたんだよね。きっかけは、なんか、番組を単に見てるのがつまんなくなってきてねー。 せっかくランキング発表してるんだから、ランキングの折れ線グラフ作ったら面白いかなぁ・・と思ったんですよ。
 それが、1月7日で・・・
 早速、次の日からはじめたんだよね。

 でっかい模造紙買ってきて、タテにランク、横に日付のグラフ作って、自分の部屋の壁一面に張ってさ。

 ・・で、ノートに記録したランクを番組終了後にグラフに書き込むんだよね。
 これが、結構おもしろくてねー。ヒットの傾向が一目で分かるんですよ。特に1981年って、チャートアクション的に面白かったからねぇ。「ルビーの指環」の12週連続1位もあったし。

・・まあ、これが、ワタシにとってのチャートマニアの入り口かなぁ。。 あれから34年ですね。
 

 で、これを始めた頃、ヒットしてたのが、この雅夢の「愛はかげろう」だったわけっす。


 はてはて、しかし、今になって、この曲、覚えてるかなぁ。

 いま、考えるとちょっと「地味」目な曲だったからねぇ。

ジャンルとしては・・・。これまた、ちょっと分類しづらいんだよね。
 典型的なニューミュージックって感じかなぁ。フォークロックというには、ちょっとソフトすぎるし・・・

 あ、そのまえに「雅夢」っていうヒトたちから説明しなきゃいけないかなぁ。

 三浦和人 中川敏一 という2人のフォークディオっていうのかなぁ。いまは、ほとんど、こういう形式のアーティストって少なくなっちゃったけど、当時は、結構いたんだよね。
 当時は中京大学に在学中の学生アーティストだったんだよね。


 で、この「愛はかげろう」は、第19回ヤマハポピュラーソングコンテスト、いわいるポプコンで、優秀曲賞を受賞。これが1980年5月で、9月にデビューという経歴だったんだよね。

 まあ、このころは、ポプコンっていうのが、ひとつのヒットの代名詞でもあったわけで、丁度同時期にチャゲ&飛鳥の「万里の河」もチャートを上がってきたんだよね。

 ちなみに、チャゲアスもポプコン出身だし、同じように、当時はフォークディオっていう形だったから、ライバル同士って感じだったよね。 この当時は。
 結局、「万里の河」は、53万枚ヒット。 この「愛はかげろう」は69万枚と、セールス的には、こちらに軍配が上がったんだけどね。

 でも、その後のアーティスト人生を考えると一目瞭然なわけで・・・。

 まあ、この、「愛はかげろう」は、曲調からして、より女の子には支持されそうな曲だったからねぇ。

 ワタシは、どっちも好きだったな。でも、「万里の河」は、レコードかったけど、「愛はかげろう」は当時はレコード買わなかったところを見ると、どっちかというと、「万里の河」派だったんだよね。
 たしかに、若干、ナンパに聴こえたんだよね。この「愛はかげろう」は。

 しかし、両者とも1981年1月8日のベストテンにはしっかりランクインしてますゾ。

 茶色に変色してしまった、当時の「ベストテンノート」を紐解くと、この週のランキングは、

 1位 恋人よ        五輪真弓 
 2位 スニーカーぶる〜す  近藤真彦
 3位 愛はかげろう     雅夢
 4位 万里の河       チャゲ&飛鳥
 5位 帰ってこいよ      松村和子
 6位 Mr.ブルー〜私の地球〜 八神純子
 7位 大阪しぐれ  都はるみ
 8位 風は秋色   松田聖子
 9位 ひとり上手  中島みゆき
10位 若さのカタルシス    郷ひろみ

となっております。 この週が、雅夢とチャゲアスが一番デットヒートしたんだよねぇ。

 ちなみに、さきほどの第19回ポプコンですが、グランプリは、伊丹哲也&Side by Sideの「街が泣いてた」
 この曲も同時期にヒットしてたんだよね。
But ベストテン入りはできず。。。優秀曲賞どまりがオリコン3位で、「クランプリ」がベストテン入りならずとは、これいかに。。。
 やっぱし、曲のよさと人気って必ずしも一致しないんだよねー。
 
 さらに、この時のポプコンの「入賞」に、「きゅうてぃぱんちょす」がおります。
 これ、だれだかしってます?? なんと、「杉山清貴&オメガトライブ」の前身のバンドなんだよね。
 「杉山清貴&オメガトライブ」として、デビュー、ヒットをとばすのは、これから、2年半後になるわけだねー。

 いろいろ興味深い、ポプコンですわ。


 あー、今日は、ほとんど、曲の説明なかったねー




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大都会

1980_01_大都会_クリスタルキング






今回の1曲セレクトは、「大都会」クリスタルキングです。

 まずはデータです。

・タイトル    大都会
・アーティスト  クリスタルキング
・作詞      田中昌之 山下三智夫 友永ゆかり
・作曲      山下三智夫
・編曲      船山基紀
・リリース日   1979年11月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   118.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位:1位
・ベストテンランクイン期間:1980年1月7日〜4月7日付

 いやいや、ポプコン発の大ヒット曲で、まだ書いてなかった曲が残ってたんだねぇ。これは、かなり迂闊だったな。

 大都会 /クリスタルキング

 この曲は、1979年10月に行われた、第18回ヤマハポピュラーミュージックコンテスト、うんポプコンね・・・のグランプリ、さらに第10回世界歌謡祭、グランプリ獲得で、鳴り物入りで、翌11月21日にデビューした曲だ。

 まあ、ポプコングランプリから、世界歌謡祭グランプリっていう流れは、まあ、アーティストの「格付け」みたいなもんで、それまでも中島みゆき、ツイスト、円広志・・・と同じ流れで来てたからね。

 で、みなさん、同じ「キャニオン」からデビューしてたりする。

 うん、ポプコングランプリ⇒世界歌謡祭グランプリ⇒キャニオンからデビュー っていう流れは、一つのブランド的な流れになってたんだよね。このころ。

 ただ、デビューしたものの、1曲目は、「ポプコンブランド」で大ヒットする確率は高かったものの、なかなか2曲目以降ヒット定着っていう確率は低かったんだけどさ。

 だから、自ずから1発屋になる確率も高かったわけで・・・。「世界」をとりながら一発屋とは、いったいどういうこと?
 ・・・っていうのは、一時期笑い話だったこともあったりしてね。


 幸い、クリスタルキングの場合は、「一発屋」で終わることなかったんだけど・・・。

 さすがに、このヒトたちのボーカルの迫力を一度聴けば、あまりのインパクトの強さにびっくりするよなぁ。

 なにより、田中昌之のチリチリ頭に頭のてっぺんから出ているようなハイトーンボイス。
 プラスして、アイパーにグラサンっちゅういかにも「やっちゃん」のような、低音ボイスのムッシュ吉崎っていう、このコンピは、声質的にも、ビジュアル的にも、衝撃的なインパクトがあったもんですよ。

 わたしゃ、初めて、ベストテンの「スポットライト」に出演したとき、予想だにもしなかったボーカルにびっくりこいたもんなぁ。

 あ、ついでに言うと、うちのオフクロもびっくりこいてたのを思い出す。

 絶対に大ヒットすると思ったもの、この曲は。

 まあ、曲的には、今から考えると、客観的にクサイんだけどさ、あのころは、このクサさがカッコよかったんですよ。

 兎に角、ニューミュージック界の成熟期をガキながら感じ取っていたのは事実。

 もうずっと、このままニューミュージック全盛期が続くと思ってたもの、このころは。で、そうであってほしいとも思ってたのもこのころかなぁ。一番、「音楽」に対して多感だったかもしれない、個人的には。
 ヒットしてくる曲が、どれも「スゴイ」と思ってたのもこのころですね。事実、一番楽曲がいい、実験的で面白かったのも、このころの曲かもしれない。30年ヒット曲を聴いてきて。
 楽曲の「成熟期」だったのもかも知れないなぁ

 まさか、このあと4ヵ月後に「80年代アイドル」の芽がでてくるとは、全く考えもしてなかったな、このころは。
 

まあ、それもヒット曲クロニクル上の事実なんだけどもさ。


結局さ、日本のヒット曲の構成上、ロック・ニューミュージックがヒットの「長期主導権」は取れないような構造になっているんだよね。

 ロック・ニューミュージックが強い時期の後には、かならずポップスが主導権をとるようになっているんですよ。

 まあ、業界用語的に書くと、音制連<音事協 っていう力学的な構造ですね。

 これは、戦後日本の音楽業界的クロニクルから言っても、歴史上の事実なんだよね。

 個人的には、どっちかといえば「音制連」支持的なところがあると、自分では思っているんだけどさ。





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