かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

ピンク・レディー

カメレオン・アーミー / ピンク・レディー

1979_01_カメレオンアーミー_ピンク・レディー


今回の1曲セレクトは、「カメレオン・アーミー」ピンク・レディーです。

まずはデータです。

・タイトル    カメレオン・アーミー
・アーティスト    ピンク・レディー 
・作詞     阿久悠
・作曲     都倉俊一
・編曲     都倉俊一
・リリース日  1978年12月5日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  70.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年12月18日〜1979年2月19日付

昨日、このブログのタイトル表記修正を行いまして。。
現在の表記は、例えばこの「1曲セレクト」の場合、タイトル表記は「作品タイトル / アーティスト名」で統一しているんですね。
これまでのアクセス解析をすると、どうも検索いただく方々もこの方が検索しやすいような動きが見えたので。
でも、初期の頃は「作品タイトル」のみだったんですよ、表記が。

ちょっと乱暴な表記だったのね。・・というのも、同名異曲っていうのがあるわけでさ。
例えば「卒業」なんてタイトルはいっぱいあるわけじゃないですか。 なので、まあ、書いた当時はだれの「卒業」なのかという事を覚えていても、時間が経っちゃうと、書いた本人でさえわかんなくなっちゃったりしてね

それは、そのまま、検索していただく方も感じる事と思いまして、現在の表記に統一すべく、タイトル表記を統一しました。

おかげで、昨日から今日にかけて、これまであんまり検索されてこなかった曲まで検索されてきているようで成功でした。  
これならもっと早くやっておくんだったな。。。


ただね、逆に、すでに書いていても全然おかしくない曲をまだ書いてない・・・なんてのも判明しちゃったりして。。。。

その中の1曲が、幸か不幸か、ちょうど、「今頃」のヒットだったもんで、引っ張ってきちゃいました

ピンク・レディー「カメレオン・アーミー」

じゃじ〜ん

60年代以降のヒット曲、これまで1600曲ほど書いたっちゅうのに、ピンク・レディーなんて、スーパースターの大ヒット曲をまだ書いてなかったとは。。。。。ぷぷぷぷ


この曲のリリースは、1978年12月。
ワタシが、ヒット曲の世界に足を踏み入れたのが1978年11月なんで、ヒット曲の世界に足を踏み入れた直後、まともに接した、最初のピンクレディーの曲がこの曲になる。

ま、もっともそれ以前の曲も、もちろん知ってましたよ。

さすがにピンク・レディーくらいのモンスター級スーパーアイドルともなると、いくら当時小学3年生でも、曲知らない方が「もぐり」だったわけじゃないですか。

ただ、知ってたとはいえ、学校でクラスの仲間外れにされないくらいに知っていただけで、きちんと聴いてたわけじゃない。

いつかもここで書いたように、ワタシゃ、ピンク・レディー派ではなく、キャンディーズ派だったんでさぁ。

あの当時、みーんなピンク・レディー踊ってたじゃないですか。 でも、ワタシは、興味無いから、外で見てた類なんだよね。 まあ、それ以前に運動音痴だったワタシにゃ、ピンク・レディーは踊れなかったんだけども。。。

あ、だから、キャンディーズ派だったっていうのが、もしかすると正解だったかもしれない

ま、いずれにしろ、ヒット曲としてキチンと聴いた、ピンク・レディーの最初の曲が、ワタシにとってはこの曲だったわけです。


イントロが「およげたいやきくん」のパクリだとか、いろいろいわれたこの曲ですが、ピンクレディーとして、まさか最後のオリコン1位獲得曲になるとはねぇ。。。
「ザ・ベストテン」でこの曲を聴いてた頃は、全くそんなことも考えては居なかったわけで。。。

ただ、いま、ヒット曲マニアとしてオリコンの売り上げ枚数を見るようになると人気下降は予想される動きではあったんだよね。
この曲の累積セールスは70.8万枚。 それでも当時のアイドルからすると高水準な売上げ枚数ではある。

でも、2曲前の「モンスター」が110万枚、3曲前の「サウスポー」が146万枚、4曲前の「UFO」が155万枚。。。

・・と当時の売り上げ枚数からするとそれこそモンスター級売り上げを立て続けに出していたところから見ると、この曲では急激に売り上げが下がってきていたわけでさ。

丁度1年前にリリースされた「UFO」から見ると半分以下ですからね。

まあ、今から考えると、ピンク・レディーのブームって、一種のバブルだったんでしょうね。
でなきゃ、あんな、気違いじみたブームはなかなか起こりませんよ。
そんなバブルが破裂する瞬間の曲・・・。それがこの「カメレオン・アーミー」だったんじゃないかな。
 
なにせ、この次の「ジパング」の売り上げが70万から27万枚に急落。オリコン1位獲得も途絶えるといった、バブル崩壊が起こったわけなんでね。

まあ、他にも、例えば、1978年の「レコード大賞」を受賞したことで、ピンク・レディーは昇華したとか、紅白に出演拒否したことで干されたとか、いろいろ言われたりしましたけどね。

でも、一番の要因は、曲の題材だったんじゃなかいんですかねぇ。 
いわいるネタ切れってやつですわ。

「カメレオンアーミー」ね〜。。。随分苦しんでんなぁ・・と。
今では、そんな風に感じたりするんだよね。
兎も角、
曲の題材としてはちょっと頭をひねりたくなる内容だったんだよなぁ。直感的にわかんないんですよ。そもそも、当時9歳の私には「アーミー」っていう意味が分かんなかったし。。。

 たしかに、ピンクレディーの場合、作詞者の阿久悠氏曰く、近くにありそうで、じつは「影」になっている言葉や風景を題材に、とにかく走れるところまで走ろう・・と言うところから始まったプロジェクトだったわけだけど、さすがに「カメレオン」っていうのはどうなの? って感じだったしなぁ。 それまでの「UFO」とか「サウスポー」に比べるとインパクトに欠けるというか。。
まあ、1曲前の「透明人間」なんてのは、いい題材だったと思うけどね。直感的にわかったじゃん。

それと、あまりにも子供相手という風になってしまったのも、どうなんだろう? ってところがあったしね。。
当初は、あの当時の他のアイドル同様、高校生や大学生をターゲットにしていたわけじゃん、ピンク・レディーも。 だから、適度なお色気があった。

でも想定外に「コドモ」に受けてしまったというのがピンク・レディーだったわけで・・・。
それとともに、急激に子供相手のようなプロモーションになっていくんだよね。
例えば、「ザ・ベストテン」とかでも、「モンスター」とか、この「カメレオン・アーミー」では、後ろで着ぐるみが踊ってたりさ。

当時は、まさにピンク・レディーの世代真っ只中の「おこちゃま」だったワタシは、あの着ぐるみを見て、かわいいなんて思ったことなくて、逆に「あ、ナメられてる」なんて思ったもんですよ。もっと大人扱いしてくれよ・・・と。

大人になると忘れちゃうけど、子供の感性って、大人以上に鋭いものなんだよね。
それとともに興味が移るのが速い。
79年になると、コドモの興味はピンク・レディーから、「銀河鉄道999」に急激にシフトしていく。

ピンク・レディーのパブル崩壊→失速の一番の要因はこれらにあったんじゃないのかなぁ・・・なんて今になって思うわけですわ。

ちなみに、ベストテンでは、この「カメレオン・アーミー」は最高4位止まり。 ピンク・レディー、ベストテンでは全然ダメだったんですよね。

調べてみると有線とハガキリクエストが弱わかったのね。

まあ、有線が弱いというは、アイドル特有の現象でそれほど珍しい事ではなかったけど、ハガキが弱い、そんなバカな。あんなに人気あったじゃん・・・って感じですよね。
でも、これは、ベストテンの当時の視聴者層を完全に物語っているんだよね。

 当時は高校、大学生がベストテン視聴者の中心だったんですよね。なんせ木曜21時〜っていう時間設定は、当時の小学生にはちょっと遅い時間帯だったわけです。
当時、小学3年、9歳だったワタシも、木曜以外は21時なんて言ったら寝る時間だったしね。
そそそ、ベストテンは親にねだりこんで特別に見させてもらっていたんだよね。
それが、普通だった当時としては、小学生、中学生のアイドルだったピンクレディーは、ベストテンでは全くだったわけですわ。

ベストテンでのチャートアクションと、実際のレコード売り上げの乖離。これがピンク・レディーの本来の姿であり、実はネックだったんだよね。
出し手側は、そこをちゃんと見るべきだったんですよ、本来は。

まあ、今となっては何とでもいえることだけど。。。






しっかし、「激務」がたたって、2人ともこのころが一番「ヤセテ」たらしいですよー。
 たしかに、たまーにVTRをみると、このころ、2人とも骨と皮だけって感じで、今見るとイタイタしいっす。。。
 それとは逆に、踊りの方は、この曲がもしかしたら、一番動いてたんではないかと思うほど、かなり激しかったですよね。

サビの部分 ♪見えつ隠れつ変幻自在 スパンコールのカメレオンアミー ♪ の部分とかさ。。

蛇足だけど、この曲と言うと、90年代に活動していた「オリコンチャート研究会」と言う自主サークルのリーダーだった松永さんを思い出す。
超ピンク・レディーフリークだった彼は、ピンク・レディーの他の曲はいつも完璧に踊っていたのに、この曲だけやりたがらなかったんだよね。
曰く「あんまり覚えてないから」と言ってたけど、本音は、この曲の踊りがきつくてあまり踊りたくなかったみたいだったなぁ。

ちなみに、この曲の踊りという部分では ↓の動画の方がよくわかるかな。
最近の動画だけど。。。






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S.O.S / ピンク・レディー

S_ピンクレディー






今回の1曲セレクトは、「S.O.S」ピンクレディーです。

 まずはデータです。

・タイトル    S.O.S
・アーティスト  ピンクレディー
・作詞      阿久悠
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1976年11月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   65.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年1月17日〜3月28日付

ネットニュースを見てたら、「「放送禁止用語」の厳しすぎる自主規制」なんてのがあった。

http://www.oricon.co.jp/news/2066437/full/

最近は、ほんの些細なことで放送自粛、あるいは放送禁止に陥る番組、あるいは音楽の類が増えてきている。言論、表現の自由はどこに?  と憂れいている記事ですわ。

 もちろんそこには、放送禁止曲も含まれているわけで。。。

 一時期、「放送禁止」曲は無いに等しくなった時期があった。 大昔は、民放連が発足させた「要注意歌謡曲指定制度」なるいわいるブラックリストが存在してしており、このリストに載った曲は、放送できない、あるいは放送自粛・・といういわいる「放送禁止」曲だったんだよね。
 リストに載せる基準としては、表向きは、体制批判、被差別部落、天皇批判、風紀凌辱・などなど、まあ、「ニッポン国民」として清く正しく生きている、清廉潔白なお方たちから、すぐクレームが来そうな内容が含まれている曲・・・と言う事ではあったんだけどね。

 たしか、その基準が1983年に改正になり、だから、それ以後リリースされた曲で「放送禁止」になった曲はないはずだし、以前、「放送禁止」扱いになっていた曲でも、1983年以降、現在でも放送しても、特におとがめは無い筈なんだけどね。

例えば、最近は、紅白でも堂々と歌われ、それこそ時の曲となった、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」も、昔は放送禁止扱いだったわけだから。。。40年前のNHK会長が昨今の紅白を見たらひっくり返るだろうね。
 歌詞に出てくる「土方」っていうコトバや、タイトルにもなっているヨイトマケが差別用語、あるいは部落差別に当たるってことで放送禁止ですよ。

 昔はさ、それこそ、放送禁止、発売禁止の嵐ですよ。なにせ、「放送禁止曲」なんて、本もあるくらいだからさ。ふらふら
 詳しくはさ、この本に詳細な事情は載ってるから、興味がある方は読んでみてくだされ。

でも、そんなブラックリストが存在しているっていうのは、当時のアーティストだったら誰でも知っていたことだし、それでも、「放送禁止」曲を量産していたアーティストが存在していたわけだから、昔はもっと体制に対して大らかだったんだよね。いつからだろうね、こんな些細なことにギスギスした空気が流れるようになったのは。。。。

だから、最近の曲は、当たり障りのない内容の曲しか出てこないんですよね。


 で、もって、今回の1曲セレクトは、ピンクレディーの「S.O.S」。


え? 放送禁止曲とピンクレディーの「S.O.S」ってどんな関係があるの? 一見、放送禁止曲とは、全く関係なさそうな曲なんですけどねぇ・・・。なんて言われちゃいますかねぇ。


・・・・つか、当時 頻繁にかかってましたよ。今でも、地方局にいけば、たまにかかるんぢゃないですか。

 そんぢゃ、放送禁止ぢゃないじゃん・・・・。

・・・ってことなんだけど、これがですねぇ、オリジナルに入ってる、イントロ最初の「モールス信号」音の部分「のみ」が放送禁止なんですねぇ。

 まあ、ちょっと歌謡曲に詳しい方だったら、これは、「常識、常識」ってレベルかな?

 うん、たしかに、レコードは、イントロは、モールス信号音で始まるんですよ。
 でも、放送局用に配布した、サンプル盤は、このモールス信号音を抜いたバージョンなの。

 だから、有線放送やラジオでは、このモールス信号の部分はかからない。

まあ、本物のモールス信号と紛らわしい・・・ってことで「放送禁止」なんだよね。


 でも、これは、作り手側が「わざと」モールス信号を入れたんだよね。
 
 モールス信号音を入れれば、そこは「放送禁止」になるだろう・・・ってのは、前々から分っていたの。

 だから、それを売り出す戦略にしよう・・・っていう逆転の発想からなんだよね。

 この曲はピンクレディーの第2弾シングルなんだけど、この曲をリリースする段階・・・というか、制作する段階では、まだ、ピンクレディーってマイナーな存在だったんですよ。

 そそそ、デビュー曲の「ペッパー警部」もベスト100の下のほうでくすぶっている状況で・・・。

 だから、第2弾を制作する段階では、何か、話題づくりが必要だったんだよね。ま、そういうこともあって、ワザと放送禁止にするように仕組んだ・・・って訳ですわ。
(ちなみに、今は規制は無し・・・というか、当時も「問題なし」だったらしいんだけど、レコード会社側が自主的に放送禁止にしたらしい)

 でも、それも、杞憂だったんだよね。なぜならさ、この曲は1976年11月25日リリースなんだけど、その頃になって、急にフィーバーし始めたわけなんですわ、ピンクレディーが。。。

 まさに「ブレイクスルー」な時期が、このころ。

 だから、こんな工作も、結果的には全くの無駄足だったの。。。

 でも、モールス信号音を入れたことで、「S.O.S」っていうタイトルがそれらしくなったのは確かだよね。

 何分、曲自体は、デビュー曲の「ペッパー警部」に比べたら、全然大人しかったからねぇ。
 
・・・・というか、「ペッパー警部」がハイパー過ぎたんだよね、当時としては。

 だから、当時のアイドルのレベルに落ち着いた・・・って言えるのが、「S.O.S」なんじゃないかなぁ。

 で、まあ、この曲を挟んで、次の「カルメン'77」から怒涛のピンクレディー旋風が始まるわけなんだけどさ。

 その間の、つかの間の「息抜き」だったのが、この曲なんぢゃないかな?


 あ、個人的には、当時は、この曲のほうが「ペッパー警部」より好きだったんだ。なんか、等身大っぽかったじゃん。アニメの主題歌っぽいというか・・・。子供向けというか。
 「ペッパー警部」が当時7歳のコドモだったワタシにとっちゃ、オトナっぽ過ぎたんだよね。。。




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ペッパー警部 / ピンク・レディー

1976_12_ペッパー警部_ピンク・レディー






今回の1曲セレクトは「ペッパー警部」ピンク・レディーです。

まずはデータです。

・タイトル    ペッパー警部
・アーティスト  ピンク・レディー
・作詞      阿久悠
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1976年8月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   60.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1976年11月29日〜1977年1月31日付


えー、唐突ですがピンク・レディーでっす。
なぜに、このタイミングでデビュー曲の「ペッパー警部」なのか・・と言うと、ピンク・レディーが「初」のベストテン入りを果たしてから、丁度、39年なんですねぇ。
そそそ、オリコンで、初めて「ベストテン」入りしたのが、1976年11月29日付チャートなんだよね。 

あれから39年。ここから、ピンク・レディー伝説の始まったといっても過言ではないですな、

いや、逆に言うと、この「ペッパー警部」ってリリースは8月25日だから、リリース後3ヶ月も経ってからのベストテン入りのわけですよね。

 そう、後々、モンスター現象をおこすピンク・レディーも、最初は意外と泣かず飛ばずだったのですヨ。
ま、そもそもリリースしたビクターも最初は、売れるとは全く思っていなかったらしく、イニシャルは3千枚。当時としては最低ラインでのリリースだったようですね。

そんな訳なので、プロモーション費も潤沢に出る訳もなく、火が付くまで3ヵ月もかかったという訳なんだよね。

ま、逆に言えば、そんな状態で、よく火が付いたな・・・って感じもするんだけどさ。

 当初、ターゲットはあくまで「大人」だったんですよね。踊って歌えるっていうコンセプトはあったけど、最初から「子ども」向けに狙ったわけではないんだよね、ピンク・レディーって。

 この「ペッパー警部」だって、曲調からして、子どもを狙ったって言う感じではないもんね。

 でも、意外にも「火」をつけたのは、当時の子供だったんだよなぁ。そそそ、今のアラフィフ世代ですね。丁度ワタシ達の世代ですわ。 これは飯田久彦氏を初め、仕掛け側は、全くの意外だったようですけどね。

 ただ、言えることは、この当時のほかのアイドルからすると、曲の発想は斬新だった気はするなぁ。
 今からすると、そんな感じはあまりしないけど、まず、曲のスピード感があるんだよね。16ビートで流れるサビなんて、めっちゃスピード感を感じるもんね。 この当時のほかのアイドルの曲と比べるとさ。
 大体、16ビートを持ってきてたアイドルなんて、他にいなかったし・・・・。

 でもまあ、このスピード感とビジュアル感っていうのが、大人というより、新しい感覚をもった当時の「子ども」に受けたのは間違いないよねぇ。 仕掛けた側は、全く意外だったようなんだけどさ。

 でも、子どもに受けると、あっという間にブームになる。 うん、まあ、子どもというよりもティーンエイジャーに受けるとっていうことなんだけど、これは、昔も今も変わんない傾向ではあるよなぁ。兎に角アクティブ性は高いからさぁ。

 いやいや、子どもに受けるってことはアクティブ性が高いっていうのが見えたのは、このピンク・レディーからではないかなぁ。

 まあ、このあとのヒット曲界にいろいろな意味で影響を与えたのは周知のごとくだけど、その伝説は、39年前のオリコン11月29日付けランキングから始まったといってもいいんではないかなぁ。

 そして、イニシャル3千枚だった、この曲は、最終的には60万枚の売り上げに化けることになったわけで。。。これも伝説だろうな。


 ちなみに、当時、ワタクシはというと、ヒット曲には全く「無縁」な生活でしたねぇ。もちろんピンク・レディーなんぞ、まったく興味を示さない、「ポールモーリア命」のませガキ、というか、いやなガキでしたわ。 いま思うと。。。
 



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透明人間 / ピンク・レディー

1978_10_透明人間_ピンク・レディ






今回の1曲セレクトは、「透明人間」ピンク・レディーです。

まずはデータでーす。

・タイトル     透明人間
・アーティスト   ピンク・レディー
・作詞       阿久悠
・作曲       都倉俊一
・編曲       都倉俊一
・リリース日    1978年9月9日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位  1位
・売り上げ枚数   88.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1978年9月25日〜12月4日付

 この間、「ウォンテッド」を書いたばっか・・・って感じなんだけど、またまたピンク・レディーどえす。
ま、丁度、ヒット時期が被ってる・・・・ってことで。。。

ピンク・レディーの曲も、大分書き進んできたからねぇ。そろそろ残りも少なくなってきたかな?


 この曲がヒットしたのは、1978年9月から11月かけて・・ちょうど、ワタシがヒット曲界に足を踏み入れた時にヒットしていた曲ですヨ。
 その割りに、あんまり強烈な記憶がないんですよねぇ。。

 ♪消えますよ〜 消えますよ〜 ♪ で本当にピンク・レディーの2人が消えちゃう演出がベストテンでは話題を呼びましたけどねぇ。

 たしかに、それまでの何作に比べると、軽いポップなロックンロール(なんか意味わかんない。。)で、強烈なインパクトっていうものが薄れた曲だったもんね。

 いやね、上で「軽いポップなロックンロール」なんて、わけのわかんない表現をしたのは、今になってピンクレディーを聴くと、1曲の中でもいろんなジャンルの要素が使われているんだよね。リズムもころころ変わるんだよねぇ。
 だから、リズムを取るのは、結構大変なんだよねぇ。
 ピンクレディの2人もリズムをキープするのは、さぞかし大変だったんではないかなぁ。
 この曲あたりになると、踊りもさらにハデになってきましたからねぇ。

 個人的には、この曲で気になるのはリリース日なんですよねぇ。1978年9月9日リリース。

 ま、今だったら、水曜日だろ? で片付く場合があるんだけど、残念ながら1978年9月9日は土曜日になっている。

 そんじゃ。オリコンチャート対策? 要するに集計期間をにらんで、少しでもランキングを高い位置に来るようにわざわざこの日を選んだ?

 というのもちょっと違いそう。上に書いたようにこの日は土曜日だったかにねぇ。 たしか、このころの集計期間は月曜日〜翌日曜日だったとおもうから、土曜発売のメリットがない。


 ということで、なぜに9月9日リリースなのかっいうのは、謎なんだよね。
 ま、当時のリリースパターンからすると普通は9月5日とか9月10日ならしっくりと来るんだけどね。

 単純に週末にいっぱい売ろうっていう読みだったのですかねぇ。

 同じように「ジパング」でも1979年3月9日リリースと変則リリースになっている。 この時も金曜リリースと、チャート対策とはいいがたい。

 まあ、当時から「チャート対策」でリリース日を設定するのかどうかっていう考えがあったかどうかは良くわかんないんだけども。
 
 ちなみに、チャート対策での、今と同じようなリリース日設定が目に見えて行われるようになってきたのは1981年ごろですわ。 それに関しては、またいずれ。

 ま、いずれにしても、当時としてはかなり珍しい日程でのリリース日設定になっていますね。

 それと、5作連続で達成したミリオンセラーがこの曲でついに途切れた・・っていうのも印象的。
 曲の中身より、なんか、そういう「記録」の方が話題になってしまった感があるよね、この曲の場合。
 

 個人的には、この曲よりもC/W曲の「スーパーモンキー孫悟空」の方がよく覚えてたりしてね。
 そう、こちらは、毎週火曜日にTBS系19時〜19時30分で放送していた「飛べ!孫悟空」の主題歌でしたよね。

 ♪ スーパーモンキー あっ 孫悟空 ♪
 ♪ 冒険 冒険 また 冒険・・・・♪

 ってやつ。要は「西遊記」ですよね。 これは、毎週見てたからなぁ。。

↓ コレ


はっきりいって、タイトル曲の「透明人間」と、瓜二つな感じなんだよなぁ。こっちも軽いロックンロールタッチでさ。


動画・・・タイミングが悪いのか、You Tubeに適当な動画がおちてない。。。しょうがないんで、他のサイトにリンク

http://www.dailymotion.com/video/x2of2a6_%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC-%E9%80%8F%E6%98%8E%E4%BA%BA%E9%96%93_music

やっぱ、ベストテンで♪消えますよ〜 消えますよ〜♪で、2人が消える時の動画は落ちてないのね。
もし、おちてたら、絶対リンクしたかったんだけど。。。

 まあ、この曲をきっかけに、この先、一気に人気が崩れてくることになる、「前夜」という感じの雰囲気の中でリリースでしたもんね。
 実際に、崩れるのは、かなーりスピードが早かったったわけで。。。。 まさかまさかって感じだったよなぁ。


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ウォンテッド / ピンク・レディー

1977_09_ウォンテッド_ピンク・レディー






今回の1曲セレクトは、「ウォンテッド」ピンク・レディーです。

 まずはデータです。

・タイトル     ウォンテッド
・アーティスト   ピンク・レディー
・作詞       阿久悠
・作曲       都倉俊一
・編曲       都倉俊一
・リリース日    1977年9月5日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    120.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年9月19日〜1977年12月26日付

 さてさて、1ヶ月ぶりのピンク・レディーですが、今回は、ピンク・レディー旋風真っ只中の1曲です。

 「ウォンテッド」。

 毎度毎度、ピンク・レディーの曲を書くときはこんなこと書いてるけど、この当時は、ホント、ピンク・レディー旋風はものすごかったですよね。

 手前味噌だけど、ワタシのランキング(THE HITCHART HOT30)では、1977年8月15日〜9月12日付で「渚のシンドバッド」、9月19日〜12月5日付まで、この「ウォンテッド」が1位を獲得。
 つまーり、この年の8月15日から17週間連続で、ピンク・レディーが1位独占だったわけ。

 こんな現象は、あれから38年経ちましたが、同一アーティストで17週連続、1位獲得を抜かした記録なんてのは、現在までない。恐らく、もう、今後も出てこないでしょうね。


 いやいや、そのくらい、38年前の、丁度今ごろのピンク・レディー旋風って凄かったんですよね。

 ちなみに、1977年12月12日付の中島みゆき「わかれうた」を挟んで、翌12月19日付〜1978年2月27日付まで、またもやピンクレディーの「U.F.O」が9週連続で1位獲得してるから、もし、1977年12月12日付で「ウォンテッド」か「U.F.O」が1位だったら、27週連続1位独占・・・ってこともあったかもしれない。。。。

 そのくらい、凄かったんです、あのころのピンク・レディー旋風は。


で、まあ、売上げ的には、「U.F.O」が155万枚で、ピンク・レディーとしては最高売上げを記録したんだけど、上り調子の「パワー」っちゅうのかなぁ・・・。「勢い」は、この「ウォンテッド」の方が上だったんじゃないかなぁ。
 うん、オリコン含めて、12週連続1位獲得・・・ってわけで、連続1位週数は、この曲が、ピンク・レディーの中では最長なんだよね。 ふむふむ、売り上げがトップの「U.F.O」でさえ、オリコンでは10週でしたから1位は。

 いやいや、ワタシと同世代の方々は、みーんな、踊ってたもんねぇ。
 レコードとか、月刊「明星」なんかの雑誌には、新曲が出るたび、踊りの分解図とか、載せちゃったりしてさ。

 あのころの小中学生は、ほとんど、みーんな踊ってた。

 いやいや、だから、これだけの社会現象にまで昇華しちゃったんだと思うんだけどさ。
 
 うん、あの頃の人口分布図ではさ、レコード購入メイン層である、10代後半〜20代前半の人口よりも、10代前半の方が人口多かったんだよね。

 うん、第2次ベビーブーム世代。それがワタシたちの世代。

 だから、ワタシたちの世代に火が付きゃ、異常なブームが起きる・・・ってこともある程度は予測付くんじゃないかなぁ。

 それが現実に起きたのが、ピンク・レディー旋風だったわけですよね。


 余談だけど・・・、これと同じ事が、実は1990年代前半にも起きているんですワ。

・・・・・メガヒットブーム。あれって、丁度、ワタシら第2次ベビーブーム世代が、10代後半〜20代前半のCD購入メイン層に入ってた時期なんだよね。

・・・・ということは、カラオケの影響とか、いろいろ言われてるけど、実は、起きるべくして起こった現象なんではないかな・・・とも考えられるんだよね。

 だからさー、今の音楽業界ってバカだよなーって思うんだよね。なんで、いつまでも10代後半〜20代前半ばっかり、狙ってないで、ウチらの第2次ベビーブームの世代を本気で狙ってこないのかなぁ・・・・ってさ。

 なんか、10代後半〜20代前半を狙わなきゃいけないなんていう、昔からの暗黙のルールのようなもんがあるんですかね〜。

 それでなくても今の20代以下は、年々人口が減ってってんのにさ。。。ミスミス、お客さん逃がしてるようなもんじゃん。



 さてさて、この「ウォンテッド」では、ワタシは苦い想い出がありまして・・・。

 ワタシ、このころは、まだ、「歌謡曲」に興味がなかったんだよねぇ。なんせ「ませガキ」だったから・・・。
 ポールモーリアばっかし聴いてたのですわ。

 もちろん、ヒンク・レディーくらいはしってたけど、ろくに曲は知らなかったし、もちろん、踊りなんても踊れなかった。

 たぶん、当時の小中学生の中では、かなり珍しい人間だったと思う。

 でさ、そのころ、幼稚園から一緒で友だちだった、ワタシより1つ上のワタル君ってのがいてさ。
 親同士が仲良かったから、ほんとガキの頃からしょっちゅう、遊んでた。

 そのワタル君が、大のピンク・レディーファンでさ。親とかと集まったときに、得意げにやるわけですよ。振りいりで歌を
 うん、忘れもしない、この「ウォンテッド」だった。

 で、ワタシが知らない・・っていうと、バカにされてさ〜。
よく子ども同士だと言うでしょ、「え〜知らないのぉ〜」とかさ。

 で、強制的に振りを教えてくるわけですよ。でも、ワタシ、極度の運動音痴でさ、ぜんぜん覚えられなくてねー。

 そうすると、また、コバカにしてくるわけですよ。

 そのうちに、「ピンク・レディー、なんか キライだもんexclamation ×2」なんて、すねちゃったりして。。。

 はい、ワタシのダンス系ギライは、この時から始まったわけなのです。うん、一種の軽いトラウマだね。

 そういうこともあって、誰がなんと言おうと、あの時から、ワタシャ、キャンディーズ派になったのですexclamation ×2


 まあ、それでも、あのころって言ったら、同年代では「ピンク・レディー派」が大多数だったけどさぁ。



 蛇足だけど、90年代、ワタシらが結成していた自主サークル「オリコンチャート研究会」のリーダーだった、松永さんって方が、これまた、「超」が付くほどのピンク・レディーフリークでさ。
 よく、カラオケ屋で踊ってたよなぁ。十八番がこの「ウォンテッド」だったりして・・・。

 ちなみに、彼はオリコンでは、当時、邦楽、洋楽に混じって「ヒンク・レディー」っていうジャンルがあるって言うだけで、六本木のオリコン本社まで、「オリコン年鑑」買いに行ったなんて、ヒトでしたからねぇ。かなり気合が入ったファンだったな。
 ワタシより3つ上だったから、当時、中学1年かな。
どれだけ、ピンク・レディーが好きだったか・・・って訳ですね。


 ちなみに、そのオリコン年鑑1979年版の「レコード購買層調査」っていうデータを見ると、邦楽ポップス、邦楽ロック、洋楽ポップス、洋楽ロックっていうジャンルに混じって、ほんとにヒンク・レディーっていうジャンルがあるんだよね。

 それによると、1978年のデータでは、レコード売上げ全体に占めるピンク・レディーの売上げの割合は17.7%になってたりする。。。
 いかに、この時期のピンク・レディーのレコード売上げが凄かったか・・・ってことですよね。

 で、そのうち、小学生の購入比率が42.0%、中学生が25.0%。 つまり6割強は、小中学生で占められてた・・・・ハイ、私たちの世代に占められてた・・・ってことだよねぇ。 やっぱ第2次ベビーブーム前後世代の購買力はでかいわけです。




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波乗りパイレーツ / ピンク・レディー

1979_08_波乗りパイレーツ_ピンクレディー






今回の1曲セレクトは、「波乗りパイレーツ」ピンク・レディーです。

 まずはデータです。

・タイトル   波乗りパイレーツ
・アーティスト ピンク・レディー
・作詞     阿久悠
・作曲     都倉俊一
・編曲     都倉俊一
・リリース日  1979年7月5日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  24.2万枚
・ザ・ベストテン最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1979年7月26日、8月16日〜9月13日放送分


 蒸し暑い日が続いてますな。休みの日は1日中扇風機を回しっぱなしや。
 でも、さすがにこの暑さにはまいってクーラーを交換することにしましたわ。設置工事までは半月ほどかかるけど。。。
 それにしても、毎年のこととはいえ、このベタベタな蒸し暑さはたまりませんのぉ。

 やっぱ、この時期は、「ナッツ〜」な曲をもって来たくなるもんです。いや、少なくとも気分だけでも涼しくなりたいからねぇ。

 っつうことで、ピンク・レディーの「波乗りパイレーツ」なぞ、ひとつ。


 え? この曲、まだ、書いてなかったんだ。。。。 と、自分でもちょこっと驚いてみたりして。。
 ピンク・レディーの曲は、少なくとも「ベストテン入り」してた曲は、すでに全部書いたもんだと思ってたんだけど・・・。ま、こらとしては、都合が良いんだけど〜。。。

 うん、この曲が、ピンク・レディーにとっては、「最後」のベストテン入りした曲でございますよ〜。
 絶頂期から1年。まっさかねぇ、この前の年の78年には、1年後に最後のベストテン入りになるとは、まーったく予想もしなかったけどねぇ。
でも、これもヒット曲の歴史が辿ってきた、事実なんだよねぇ。


 ま、いろいろ原因はあったと思うんだけどさあ、いちばんのネックだったのは、やっぱ、「ネタ切れ」だろうなぁ。
 とっぴ押しもないことで押し切ろう・・・っていうコンセプトのもとで、兎に角突っ走ってきた、ピンク・レディーだけど、「とっぴおし」もないことなんて、そうそうネタがゴロゴロ転がっているわけでもないしねぇ。
 まあ、とっぴ押しもないことって、それこそ、当たればデカイんだよね。それまで誰もやってないことだからさあ、それだけ食いつきもデカイ分けだし。
 その反面、飽きられるのも早いわけで・・・。食いつきが良いほど、飽きられやすい・・・っちゅうのは、これはマーケティング上の鉄則ですな。人間の心理を考えても。
 まあ、その前にピンク・レディーの場合は、ネタ切れ・・・って言うこともあって、二重のマイナス要因が重なったわけなんだよね。
 だから、絶頂期を好きで、一気に落っこちたわけだ、人気が。


 この曲のころなんて、正直、なんか「あわれ」の様な印象も、個人的にはあったんだけどねぇ・・・当時は。ま、なんとなくだけどさ。
 世はニューミュージック全盛期。当時10歳だった、ガキの目からみても、なーんかね、ピンク・レディーの曲が時代遅れだよなぁ・・・っていう感じに見えた・・・様な気がする。 いや、口を酸っぱくしてもさあ。
あ、子どもだから、逆に、そういうところって敏感なところってあるじゃん。

 少なくとも、前の年にあれだけ、ピンク・レディーの振り付けのマネしてたのが、この曲の「振りまね」してたコなんて、いなかったよなぁ・・・。
 いや、考えてみると、子どもって残酷だよな〜。。。たった1年しかたってないのにねぇ・・・。

・・・・っつか、その中心にいた張本人たちが、ワタシら、今の「アラフィフ」世代なんだけども。。。。ふらふらふらふらふらふら


然るに、そんじゃ、曲としてもダメダメだったのか・・・っちゅうと、うーん、まあ、確かに当時としては、なんとなく、「二線級」っていうか、ジミーーーに感じてた、この曲だけど、36年たった今聴くと、これが、なかなか良い。

 ま、下敷きは、ビーチボーイズの「サーフィンU.S.A」だってことは、見え見えなんだけども、それでも「サーフィンU.S.A」のスカスカのノリから比べると、また違った「絵」が浮かんできたりして。
 まあ、歌謡曲的なテイストを織り込んだ・・・って感じなんだけど。。
 やっぱ、カレーに醤油かけて食ったりする国民ですから〜、やっぱ、曲のどっかに「和」のテイストが織り込んでいたりすると、なんとなく落ち着くって訳ですな。

 この曲の場合は、やっぱ、バックの安っぽいストリングスとかブラスなんか、そんな感じに感じたりするんだろうな。
 今だったら、完全にシンセで処理しちゃったりするだろうから、こういう味付けはでない・・・っちゅうか、完全に「洋楽」になっちゃったりするんだろうけど、当時は、それが出来なかったらからさ。
 でも、その安っぽさが良かったりするのよ、考えてみたら。


えー、You Tubeに適当な動画がなかったんで、別のサイトにリンク

http://www.dailymotion.com/video/xm17lz_%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AF-%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3-%E6%B3%A2%E4%B9%97%E3%82%8A%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%84_music


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モンスター / ピンク・レディー

1978_07_モンスター_ピンクレディ






今日の1曲セレクトは、「モンスター」ピンク・レディーです。

 まずはデータです。

・タイトル    モンスター
・アーティスト  ピンク・レディー
・作詞      阿久悠
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1978年6月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   110.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年7月3日〜9月11日付

 あ〜 暑ぃよ、暑ぃよ、夜になったのにムシムシとしてて寝らんねぇよ・・・って言いたくなるような夜だなや。

 ぢゃ、クーラーつければいいじゃん・・・と言われそうだけど、夏はやっは、こうでなくては・・・。
 ジトーっと、汗をかく中で、ウチワで扇ぎながら、PCに向かうあせあせ
 これがオツってもんです・・(どこが?)   

・・・と強がりを書いてますが、正直、クーラーのガスが抜けてて、クーラーが使えないのです。。。。

 まあ、こんなムシムシとした夜は、それ相応の曲を持ってきましょうかねぇ・・・。


 ピンクレディー「モンスター」


 この曲って、今夜みたいな、こんな、ムシムシッとしたイメージがないっすか?

 え? ない?  ワタシはあるんだなぁ・・・。

 イメージ的に暑苦しいじゃん、この曲。とりあえず、おどおどろしくて。

 あ、それと、この曲がリリースされた、1978年の夏の「猛暑」っていうのも、やっぱし、脳裏にこびり付いてるんだと思う。。

 この年の夏の曲を聴くと、往々にして、「あちぃ〜」っていうイメージがあるんだよなぁ、ワタクシは。

 1978年の夏か。。ワタシは小学3年。・・・ちなみに、この年の夏は、まっくろけっけに日焼けしてた・・・って記憶してるな。

 ムシ採りと魚採りと海水浴に明け暮れた夏休み・・・自然児だったのよ。。
 勉強ですか? ワタシャ、小学生の頃、勉強した記憶がないのですわ。へぇ、強制的な勉強がキライなコドモだったので。。ふらふら

 最近、モンスターペアレントなんて、問題になってるけど、考えて見れば、あのころ、ワタシもモンスターチルドレンだったかもふらふらふらふらふらふら



・・・・おっとっと、話がズレた。。。

 まあ、このころっていったら、ピンクレディーの絶頂期っていうのは、いわずとしれず・・・ところなんだけど、「数字的」なところからみると、既に「絶頂期」は、過ぎてたんだよね。
 レコード売上げとしても、とりあえず、この曲もミリオンセラーを突破して、これで5作連続のミリオンセラーを達成してるんだけど、前曲の「サウスポー」の146万枚に比べると、30万枚のマイナスとなってたりする。
 さらにさらに、この曲が、ピンクレディーとしての最後のミリオンセラーだったんだよね。

 さすがのピンクレディーにも翳りが忍び寄ってたわけなんだけど・・・。


 でも、まあ、そういえるのは、その後の「事実」を知っている今だから言えることなんだろうけどね。

 当時は、まさか、ピンクレディーが失速するなんて、信じられなかったもの。このまま永遠にフィーバーが続くもの・・・なんて錯覚もあったりして。。。

 あの当時は、まだマーケティング的なことは、確立されてなかったし、何分「どんぶり勘定」な業界だったから、「いけいけドンドン」な売り方をしてたんだろうけどねぇ。

 今考えると、そのマヌケな・・・と言っちゃ失礼か・・・、いやいや、素朴な売り方がよかったんだろうね、まだ、人間的で・・・。

 今だったら、過去の事例がたくさん集積してるから、こういう売り方は、まずしないだろうし、こういう売れ方もしないんだろうな。

 古い人間にとっては、どうも、そこに人間的なマヌケさを見出せないわけで、だから、イラッとするんだよなぁ。。。

 まあ、客観的に見れば、やっぱりこの頃になると、「子供相手」になりすぎてたところがあったなんだろうな。
この曲から、バックに今で言うキャラクター人形が登場したじゃん。 いくらなんでもあれはちょっとタサかったんじやないかなぁ・・・なんて思うんだよな。

・・・なんて、ピンクレディーっていうと、どうも、曲の内容より、その売れ方に、ついつい、目が行っちゃうワタシだったりします。。


という事で動画なんだけど、どうもYOU TUBEには適当なのが落ちてないんで、他のサイトにリンク

http://www.dailymotion.com/video/x2oesss

音がポコポコで、画像も鮮明じゃないけど、お許しあれ。
でも、1978年当時の画像と音ってこんなもんだったんだよね。



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カルメン'77 / ピンク・レディー

1977_04_カルメン'77_ピンクレディー






今回の1曲セレクトは、「カルメン'77」ピンクレディーです。

 まずはデータでっす。

・タイトル     カルメン'77
・アーティスト   ピンク・レディー
・作詞       阿久悠
・作曲       都倉俊一
・編曲       都倉俊一
・リリース日    1977年3月10日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    66.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年3月21日〜6月6日付

 ここんところ、知ってるヒトしか知らないような曲が続いたんで、今回は、思いっきり「メジャー」な曲を持ってきましたわ。

 ピンク・レディーの「カルメン'77」

 ハイ、ワタシ同世代以上の方、知らないとは言わせませんぞ〜ふらふら

  この曲がヒットしてる頃、ワタシもヒット曲の世界にゃ、まだ、縁がなかったワタシでさえ、知ってましたからねぇ〜。

 まあ、あの頃のガキンチョだったら、みんな知ってましたよねぇ。

 ピンク・レディーとしては、この曲がデビュー第3弾。例の「大旋風」も、丁度、この曲がリリースされる頃から、「本格的」に火がついてきましたからねぇ。

 兎に角、あっという間でしたわね、火がついたのは。

 「ピンク・レディー、一夜明けたら、大スター」

 っていうのは、全くもって過言ではなくて。


 でもさぁ、当時は、兎に角、売れてた勢いもあって、歌詞の中身までは、ちゃんと考えないで、マネとかしてたけど、この曲、冷静になって詞をみると、結構笑えたりして・・・。

 いやいや、作詞の阿久悠氏の「悪」戦苦闘振りが忍ばれたりしてさ〜。

 1番の歌詞はいいのよ。 まあ、テレビで歌うって事もあって、やはり、考えたんでしょうねぇ。

 でも、デレビサイズでは、まず、歌われることのない2番の歌詞がさぁ・・・あせあせ

 ♪ そうです私は カルメンです
   ああ、お色気ありそでなさそうです
   女って突然に変わるものよ  ♪

 さらーっとみると、なんかさ「?」・・・な歌詞だと思いませんあせあせ

 しかも「女って〜」つまるところが、メロディとシンクロしてなかったりして・・・あせあせ


 しかも、続きかあったりして

 ♪ 近ごろうわさは カルメンです
   ああ 危険な女といわれてます
   世の中も だんだんにわかる人が
   増えてきたように 思えます  ♪

 ますます「?」な歌詞だったりして・・・あせあせ

 「危険な女と言われてます」と「世の中もだんだんにわかる人が〜」の文章が繋がってないように思うんだけどなぁ〜、この繋がりが不明なのが、余計「?」な感じにさせてたりしてね。

・・・とか、天下の阿久悠氏の歌詞に「チャチャ」を入れてみたりしてふらふら

 
いや、絶対に、この曲、歌詞書くの苦労したんだと思うわ。

 たしかに、曲自体は、カッコいいんだよね。あの時代で「カルメン」とか持ってきたりして。。。

 ラテンが歌謡曲で流行るのは、実はこの年の暮れから78年にかけてなんだけど(郷ひろみの「禁猟区」、中原理恵の「東京ららばい」なんかは、そうだわな)、さしづめ、その先鞭をつけたような曲でもあるし・・。

 だけんど、この「詰まってる」メロディラインに歌詞をつけるって言うのは、困ったんだろうねぇ・・・。
 ・・とか思ったりして。。

 そういうことからも、この曲は、ほぼまちがいなく、曲先だったんじゃないですかねぇ。


 まあ、それにもめげず、次の「渚のシンドバッド」から、阿久悠氏の詞の世界を見せ付けたのは、さすがですけどね〜。
 
ちなみに、阿久悠氏自身の証言では、この曲までは、特に「チビッコ」を意識して詞を書いていたわけではない・・とのこと。ただ、あまりにチビッコ人気が凄まじくなってしまったので、次の「渚のシンドバッド」からは、ある程度、「チビッコ」が聴くことを前提に曲を作っていたようですね。
 
 まあ、それがさらにピンク・レディー旋風に拍車をかけることになった訳なんだけどね。
この曲の売り上げは66万枚程度なんだけど、次の「渚のシンドバッド」で一気にミリオンセラーとなり、5作連続ミリオンセラーへの道を突き進むことになるわけですわ。

77年、78年はピンク・レディーだけで、全レコード売り上げの5%をシェアしており、当時のオリコン年鑑を見ると、邦楽、洋楽の他に「ピンク・レディー」っていう「ジャンル」があるんだよね これには驚きだぁ。





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ジパング / ピンク・レディー

1979_04_ジパング_ピンク・レディー






今回の1曲セレクトは、「ジパング」ピンク・レディーです。

まずはデータでーす。

・タイトル      ジパング
・アーティスト    ピンク・レディー
・作詞        阿久悠
・作曲        都倉俊一
・編曲        都倉俊一
・リリース日    1979年3月9日
・発売元       ビクター
・オリコン最高位  4位
・売上げ枚数    26.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1979年3月26日〜4月16日付

 これ始めて、早4ヶ月になろうとしているのに、考えてみれば、ピンクレディーってほとんど書いてなかった。。。
 まぁ、ピンクレディーの場合、スーパーヒットの曲が多いからねぇ、逆に言うと、そういう曲こそ書くのはなかなか難しいんだよね。なんせ、みんな知ってるからさぁ。

 ということで、ちょっと敬遠気味だったんだけど、もちろん、ピンクレディーも「大ヒット」曲ばかりではないわけで、今回は、そんな曲の一曲でもある「ジパング」を引っ張ってきてみました。

 正直言って、どのくらいの方が、この曲、ご存知か・・というと自信ありませぬ。
 もちろん、当時、タイムリーで聴いてた方はご存知でしょうが、いまとなっては、ピンクレディーというと、一連の「大ヒット」ばかりクローズアップされて、セールスが落ちた後の曲って、死角に入ってるもんね。

 でも、なぜか、個人的には、このころのピンクレディーの曲の方が、あのスーパーヒットを飛ばしてたころの曲より思い入れがあったりするんだよなぁ。

 やっぱり、ベストテンを見るようになって、ちゃんと「曲」として聴くようになったから・・・って言うのが結構大きいかもなぁ。

 正直言って、この曲から暫くは、ピンク・レディー独特の「緊張感」っていうのが感じられないんだよね。
 この辺が、急激にセールスが落ちた原因でもあるんぢゃないか・・・・とか、個人的には勝手に思っているんだけど。
 まあ、本当のところは、既に前の曲の「カメレオンアーミー」でいっぱいいっぱいだったんだよね。
 あの曲が70万枚。 そのまえの「透明人間」が88万枚と、この時点ですでに「人気の糸」は切れ掛かっていたわけだ。
 
 で、ここで、曲の緊張感と共に、人気の糸もプツーンと大きな音を立ててきれちゃったって訳ですね。
 セールス枚数は、前曲の1/3の27万枚。。。。

 だいたい、タイトルの「ジパング」って言葉からして、ちょっと引っ掛かりが弱いっていうかね。。。。ちょっと普段では想像がつかないよね。
 阿久悠氏の言葉を借りるとピンク・レディーの場合、日常の中で割りと近くにありながら死角になっている言葉をタイトルにというところだったんだけどね。
 さすがに「ジハング」って言葉は普段使わないよなぁ・・。

 この曲の衣装もねー・・・・。ミーはいつもの・・・って感じだったんだけど、ケイが頭に「ターバン」巻いてたの覚えてますかねぇ。
 なんか、異様な感じだったよね。 というか、笑えるというか。。。。
 ジャケ写は、いつものピンク・レディーなんですけどね。


 ケイは、この曲、歌いたかったんでしょうかねぇ、なんかつまんなそうな顔して歌ってたっていう印象が、ワタシ的にはあったりするんだよね。。

 そんなこんなで、この曲から、ピンク・レディー、いばらの道の79年が始まったわけです。


・・・・で、いつもだったら、最後に動画のリンクを張るところなんだけど、YOU TUBEでこの曲のオリジナルの動画がなーい。
 まあね、↑で書いたように、ピンク・レディーの中でもマイナーな曲だもんね。
でも、諦めませんよー。 と、探してみたら、別の動画サイトにあった。

http://www.dailymotion.com/video/x7ghh3_%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AF-%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC-%E3%82%B8%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%B0_music

もしかしたら、「動く」この曲を見るのって、当時以来かもしれない。。。。


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