1977_01_青春時代_森田公一とトップギャラン


今回の1曲セレクトは、「青春時代」森田公一とトップギャランです。

まずはデータから

・タイトル     青春時代
・アーティスト   森田公一とトップギャラン
・作詞       阿久悠
・作曲       森田公一
・編曲       森田公一
・リリース日    1976年8月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  101.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1976年11月15日〜1977年3月21日付

ジャンル付に困っちゃう曲ってあるんだよな。
・・・なんて、また「主語」無しで唐突に話が始まってしまいましたが。。。

でもね、例えば楽曲検索で「ジャンル検索」なんて項目がある場合ってあるじゃん。そう言う時に、「はて、この曲はどこに分類すればいいんだろう・・・・」なんて困っちゃう事っておうおうにしてあるんだよね。

まあ、そもそも音楽をジャンル分けするって事自体ナンセンスな事ではある訳で、そんな事を考えるのも無駄って言えば無駄なんだけどもさ。。。

今回は、そんな個人的にどのジャンルに分類すればいいんだろう・・・っ曲をひとつ。


森田公一とトップギャラン 「青春時代」

ね? 困ってしまいませんか、この曲。 
この曲は一体何なんだろう? ってね。  歌謡曲? ポップス? ニューミュージック? フォーク?

っていうのを、いつから悩んでるんだろう? ・・・って感じなんだよなぁ、個人的に。

昨夜BSジャパンで放送してた「フォーク・ニューミュージックベスト30」では、ニューミュージックってなってたんだよな。
とりあえず、ワタシも家で保管している音源はニューミュージックとしてまとめてたりする。 

それ以前に、よく通販で販売してる「ニューミュージック全集」なんかにも、ニューミュージックとして収録されている。

まあ、だから、ニューミュージックとして見ていいんだろうな・・・きっと。


でも・・・ですよ。実際に曲を聴く上では、どこが、お「ニュー」な音楽なんだろう・・・なんて思っちゃうんだよな。

そもそも「ニューミュージック」ってジャンルって、それまでの音楽ではカテゴライズ出来ないような「垢ぬけた」音楽を指していた・・・と思うんだけど。

いつかも書いたような気がするんだけども、例えばチューリップですよね。それまでのフォークとも、G.Sともくくれない、洋楽の匂いが強い垢ぬけた音楽。 これをカテゴライズするジャンル用語は、最初なかったんだよね。
 だから、初めは「ネオG,S」なんて呼ばれた(らしい)。
 まあ、チューリップの場合は、「グループ」だったんで、そう呼ばれてざるを得なかったところもあったのかもしれない。

だけど、ユーミンが出現するとそうも行かなくなった。なんせユーミンは、グループぢゃなく、ソロだったから。

そんな、それまでの日本の音楽にはなかった、より洋楽傾向の強い色彩的に垢ぬけた音楽を、まとめてニューミュージックと言うジャンルにカテゴライズした・・・っていうのが、ニューミュージックの始まり・・・だったはずなんだけども。。。

うん、この「色彩的」っていうのが重要なところで、G.S時代の、いわいるサイケデリック的な「原色」のどぎつさではなく、もっと淡い色・・・昨日の、フォーク・ニューミュージックベスト30では、「パステル・カラー」と表現してたけど、そういう色合いの音楽を総称して、ニューミュージックとしたわけなんだよね。

そう言う意味合いからすると、果たして、この「青春時代」って言う曲は、ニューミュージックなんだろうか・・・なんて思っちゃったりするんだよね。
色彩的に「パステルカラー」じゃねーよなぁ、この曲。 もっと古臭いというかカビ臭いというか。。。


ま、その前に、森田公一氏というと、どうしても70年代前半の、アイドル、ポップス系の作曲家って言うイメージが強い訳でさ。 
 そんな70年代前半のトップ作家の中でも、例えばバタ臭い洋楽傾向が強かった筒美京平氏よりは、バタ臭さは感じなかったし、かといって、和テイスト傾向の歌謡ポップス的な平尾昌晃氏ほど「和テイスト」は強くなかったし、当時のポップス系作家の中では、洋楽ージャパニーズの中間的なポップスを作ってたヒトって言うイメージが強いんだよな。

うん、つまりは、当時で言う「ニューミュージック」らしさは、それほど感じなかったんだよ。
メロディラインにしても、サウンドにしても。


だからね、この曲をニューミュージックっていわれると、違和感を感じぢゃうんだよな。

結局のところ、この曲が、当時の「若者」に支持されていた・・・ってところが、ニューミュージックにカテゴライズされる一番の要因になってるのかもなぁ。

・・・なんて書くと、正直、ワタシ的には、これまた違和感なんだけどさ。。

っていうのも、どうも、この曲が当時の「若者」に支持されていた・・・って言うのがどうしても結びつかなくてねぇ。

この曲っていうと、ワタシの母親たちが歌ってた・・・って言うイメージが強いんだよなぁ。
この曲がヒットしてた76年〜77年の今頃っちゅうと、ワタシゃ7才。 小学校1年生でしたわ。

少し前にも書いたかもしれないけど、当時、 母親が学校の「PTA」をやってた関係で、家がPTAの溜まり場になってて、よく宴会やってたんだよな。 その宴会で、よく歌われてたんだよ、この曲。

だからね、この曲というと、あの頃の家での宴会が浮かんできちゃうワタシだったりするし、だからか、若者に支持されてた・・・っていうよりも、オジさん、オバさんたちに支持されていた・・・っていう印象が強いんだよな。
(といっても、今のワタシの年齢よりは若かったはずだが。。。。)


でも、チャートアクション的に見ると、ワタシのランキングでもそうだけども、オリコンでも4カ月近く、ベストテン内に居座り続け、77年の今頃をピークに、5週間も1位を獲得したこの曲。
そんなチャートアクションの末、最終的にはミリオンセラーまで到達したわけでさ。

そんなロングヒット、かつミリオンセラーに達するようなヒットなんてさ、当時でもオジさん、オバさんだけの支持だけでは無理な訳でさ。 当時の若者を含めた、幅広い年齢に受けなきゃね、こういうチャートアクションは生まれなかったですからね。

でもね、考えてみれば、最初に書いたような、この曲が、どの楽曲ジャンルの曲なのか、はっきりとカテゴライズ出来なかった事が、結果的には幅広い年齢から受けたのかもしれないな。
汎用的な楽曲っていうんですかねぇ。これって、ヒットを生み出す上でも意外に大事な事なんだよなね。
・・・ってことをこの曲は教えてくれているのかもな。

 うん、これから幅広い年齢層に支持されるような楽曲を生み出す上の「参考曲」として、意外と大事な曲なのかもなぁ。



これ、「トップスターショー〜歌ある限り〜」っていう、当時TBSの木曜21時枠で放送してた歌番組ですね。
二谷英明氏と、久米さんが司会だった。
久米さん若っかい
この番組の後番組が、「ザ・ベストテン」になるわけですわ。


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