かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

デビュー曲

長崎は今日も雨だった / 内山田洋とクールファイブ

1969_05_長崎は今日も雨だった_内山田洋とクールファイブ


今回の1曲セレクトは、「長崎は今日も雨だった」内山田洋とクールファイブです。

まずはデータです。

・タイトル     長崎は今日も雨だった
・アーティスト   内山田洋とクールファイブ
・作詞       永田貴子
・作曲       彩木雅夫
・編曲       森岡賢一郎
・リリース日    1969年2月1日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  72.8万枚
・ベストテンランクイン期間:1969年5月19日〜5月26日 6月9日〜9月8日付

なんか久々の1曲セレクトだなぁ・・・と思うのもその通りで、ゴールデンウィーク「初日」に書いて以来なんだよな。
本当は、先週の土日も書こうと思ってたんだけども、どうも疲れちゃってねぇ。。。このゴールデンウイークは年がいもなく、連日、長距離ドライブなんてしちゃったもんで。。。

おかげで今週1週間は仕事にも全く身が入らず。。。。  正直言って未だに疲れが残ってるんだけど、さっすがにねぇ、そろそろ1曲書かなきゃな。。。

・・・・と思いーの、これ書こう・・・って昨日から決めてた曲のヒット時期をさっき調べ直したら、今の時期はまだヒット前・・・というかリリース前だった。。。

うーむ、こういう時困るんだよな。。。  


・・・と思いーの、、、数分。

外は雨ですよ。 うん、関東地方・・・っちゅうかワタシの自宅周辺では、結構なザンザンぶり。 さっきテレビで広島vs巨人戦みてたら、広島はいい天気のようでしたけどねぇ。。

これは、雨の曲でも書きますか。。。

・・・と思ったらいい曲がありましたわ。


内山田洋とクールファイブ「長崎は今日も雨だった」

ざざん 思いっきりのムード歌謡ですっ

いやいやっ、アイドルポップス、ロック・ニューミュージックだけじゃないですよん、「1曲セレクト」は。
こういう、モロ歌謡曲も書きますよん。

っつうか、以前、mixiに書いてた頃は書かなかったんだけどね
ワタシ周辺で、この手の曲に興味がある人が少なかったんで。

でも、今は「ワタシ周辺」と言う垣根をはずして書いてるんでね、この手の曲も個人的に書ける曲は書きたいのね。
まあ、どれだけ読んでいただけるかは分かんないけど。。。


この曲は、今も(一応)「現役」のクールファイブのレコードデビュー曲ですわ。

レコードデビューってことは、結成、活動開始はもっと古く、wikipediaによると67年に長崎のキャバレー「銀馬車」の専属バンドとして結成とありますね。

なんかさあ、キャバレーっていうと、めちゃくちゃ時代を感じる響きだけど、まあ、今でいえば「クラブ」だよね。
クラブで演奏するために結成するバンドなんて今でもいるし、それの先駆けと思ってもらっていいんじゃないかな。

リリースは2月だけども、それから3ヵ月過ぎた、丁度今頃ベストテン入り・・・ってわけだから、ヒットまでに結構時間がかかったよな・・・なんていう印象が強いんだけどさ、今の感覚で言えば。。。

ただ、リリースから、いわいるベストテン入りまで数カ月かかるのは、当時は「ザラ」だったわけでさ。 ましてや、それまでヒット実績もない新人の「デビュー」曲だからさ、この程度は当たり前だった訳ですわ。
それ以前に、デビュー曲にしてベストテン入りするっていうのが快挙な訳でさ。

まあ、それだけ当時は、「ムード歌謡」っていうのが、ヒット曲界では全盛期であり需要があったんだろうね。

「〜だろうね」っちゅうのは、完全に個人的には分からない世界なんでさ。 なんせ、この曲がベストテン入りしている最中の「69年8月」に生まれたもんでさ、ワタシゃ

観月ありさの「伝説の少女」の歌詞じゃないけど、♪ママの時代の〜♪ って曲なわけなんだよね、ワタシにとっちゃ。

でも、最初に書いたように「キャバレー」とか「ムード歌謡」っていう、如何にも昭和な「響き」は、ワタシにとっても音楽の原点の一つって感じなのは確かなんだよな。

この曲のイントロにも挟まっている、むせび泣くテナーサックスの響きとかさあ、あれが聴こえてくると「昔昔」の記憶が甦って来るのよ。

いつかも書いたかもしれないけど、オヤジ、オフクロの共通の友人が、当時スナックをやっててさ、まだワタシが物心着くかつかないかの頃、そこのスナックにしょっちゅう出入りしてたからさ。
この手の、むせび泣くテナーサックスを聴くと、当時、そのスナックの「有線」から流れてたムード歌謡と、コーヒーでいぶされたようなスナックの匂い、そして、隅っこで飲んでたソーダ水の「緑色」が鮮やかによみがえってたりしてね。

個人的に、そんな空間がキライじゃなかった・・・と思う。 だってさ、この手のムード曲を聴いて、いやな感情はしないし、第一、後年この世界・・・ヒット曲の世界・・・にのめりこんで行けたのは、そん時の記憶・・というか下地があったからだと思うしね。


たださ、この曲・・・というか、クールファイブはちょっと違うな・・・なんて子供の頃は思ってたなぁ。
正当なムード歌謡というよりは、ちょっと演歌よりに感じたんだよね。 
まあ、後年の「東京砂漠」なんかは、完全に歌謡曲だけど。 うーん、なんだろうね、この曲の「ソリッド」さなのかなぁ。それとも、演歌特有の「4、7抜き」のメロディラインのせいなのか・・ちょっと違うな・・・なんて子供心に思ったのもかもしれない。 ま、メロディラインに古さがあったってもあるけどね。 件の「ママの時代の〜」ぢゃないけど、これは、完全にワタシが生まれる以前のメロディだよなぁ・・・っちゅうのが生理的に分かってたような気がするんだよね。

個人的にクールファイブの曲をきちんと注目したのは、以前書いた「そして神戸」だったんだよね。
たってさ、あれはファンキーな曲だもん。ソウルでありファンクですよ、日本の。
その上さ、サザンの桑田氏の音楽のルーツのひとつが「クールファイブ」だった・・・なんてカミングアウトを読んじゃうとさ、なんか急に親近感がわいてきたりしてさ。。。  現金なもんですよ。

しかも、曲にしてもムード歌謡にとどまらず、ジャパニーズ・ブルース、これぞ日本の「ブラックミュージック」みたいなさ、そんな感じを受けちゃったりね

でもさ、逆に言えば、後年、本場の向こうのブルースとかR&B、ゴスペルなんかのブラックミュージックを聴いて、なんか懐かしい気分になれて、すんなり受けいけられたのは、物心つくかつかないかの頃、この手の曲を聴いた記憶が、自分の奥底にあったからなんだろうな。

そう言う思いが、もしかしたらワタシよりちょっと年上のミュージシャン連中の多くにもあるのか、クールファイブの曲をカバーしてるヒトって意外と多いんだよね。それは、YOU TUBE見ても分かるんだけどさ。

その中でも一番ドギモ抜かれるのは、自らファンだったって公言してるサザンの桑田氏が歌ってるバージョンだろうねぇ

↓ コレ


これ86年のクリスマスに放送された「Merry X'mas Show」に放送された奴だけどさ。
ファンクというかビーチボーイズ風にアレンジされた「長崎は今日も雨だった」。 桑田氏がマジに前川清風に歌っているのが笑える
でも、それを抜いても、今に繋がるサザンの一部に受け継がれているよな、このメロディライン。






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また逢える・・・ / KIX・S

1992_10_また逢える_KIX・S


今回の1曲セレクトは、「また逢える・・・」KIX・Sです。

まずはデータどぇす。

・タイトル     また逢える・・・
・アーティスト   KIX・S
・作詞       浜口司
・作曲       安宅美春
・編曲       葉山たけし
・リリース日    1992年7月21日
・発売元      アポロン
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   61.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1992年8月24日〜10月12日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「君のためにできること」挿入曲


唐突なのですが、六星占術によると、ワタクシの星回りでは10月〜12月が「殺界」・・つまりは「凶」の星回りということでして
どおりで、毎年この時期になると、ろくな事が起きない・・・んですが。。。

たった今も、自分のサイトを置いているレンタルサーバーの更新料と独自ドメイン管理更新料の支払い期限が過ぎていたのを見落としたのが判明し、さっきからネット上、サイトにアクセスできなくなってたりして
 急遽、サーバーの更新料は支払ったものの、独自ドメインを復活できるかどうか・・・今のところ不明。暫くはサイトにアクセスできない状態が続きそう。。。

まあ、このブログはサーバーとは別のところを使っているので問題はないのですが。。。。

あー、また散財の秋・・・な予感。


さてと本題。。。。

勤務先近くの昼は鮮魚系ランチをやってる居酒屋に、よく昼飯を食いん行くんですがね。
そこでは、四六時中90年代のヒット曲がBGM゛てかかっておりまして。。。

まあ、大抵は知ってる曲ばっかかるんで、どうしても耳がBGMに向いてしまうんですが、「居酒屋」っていう独特の空間でかかるだけに、いつも聴いているイメージとはどこか違うなぁ・・・とか思ってしまったり。
でもね、なぜか、そんな異空間で、改めて、「あれ? いいじゃん」と思えた曲があったんだよね。

今回はそんな曲を引っ張ってきたりしましたわい。

KIX・S「また逢える・・・」

うーむ、覚えてますかねぇ。 いや、ここにいらっしゃってる方は覚えてますよね。
今から24年前の今頃。例のビーイング系からデビューした、「綺麗どころ」な女子2人によるユニット。

そそそ、この曲がデビュー曲なんだよね。
で、もっていきなりの大ヒット。オリコン4位、売上げ61万枚まで行きましたからねぇ。

ビーイング系って、根はロック系集団なんでアップチューンも良いんだけど、スローバラードも聴かせる、ロック畑の集団としてはちょっと異色なところがあったんだよな。例えば、T-BOLANの「離したくはない」とかね。
この曲も、そんな流れをくんだ「スローバラード」な曲だったな。

まあ、ビーイングの事なんで、そんなスローバラードが自然な流れで出てきた・・・というよりは、バラードは、アップチューンよりも、一層キャッチーだし、一般的に受け入れられやすく、しかも長持ちする・・・なんていう読みもあったのもかもしれないけどさ。
 なにせT-BOLANの「離したくはない」なんて、チャート的には上位には行かなかったものの、有線から火が付いた超ロングヒットだったしな。
そんな流れをくんでか、この曲もデビュー曲にしては、結構なロングヒットだったよな。

曲調的には特段目新しいところがあった訳ではないんだけどね。 まあ、ビーイング系自体、目新しい音楽をやるというよりは、一貫して「キャッチー」な音楽をやるような集団だったからな。

この曲も、ご多分にもれず、めちゃくちゃキャッチーだったよなぁ。

デビュー曲であるにもかかわらず、どことなく懐かしい様な。。。 いや、絶対それまでに何処かで聴いたような曲なんだよね。それだけに安心して聴ける・・と言うところはあったけどね。

まあ、目新しいと言えば、所々、変拍子気味になるメロディラインと、葉山氏による、アクの強いインパクトあるアレンジかなぁ。
 テンポが、4/4拍子ではなく、6/8拍子っていうところもちょっと変わっていたかもしれない。 まあ、6/8拍子の曲自体は、それ以前にもあったんだけどもね。 日本の曲って、3/4を基調とした、いわいるワルツ系のヒット曲って意外と少なかったからなぁ。

 まあ、ワルツのテンポには、日本語が乗りづらいところがあったのかもしれないけど。 だからか、この曲のアレンジも通常のJ-POP的なところよりも、若干、クラシック的なニュアンスが含まれていたりね。

例えば、間奏部とか、CODA前、リズム無しサビの部分でのシンセのリフとか、クラシックっぽいんだよな。

まあ、J-POPとクラシックの融合的なサウンドって、この時期・・・90年代初頭・・・では、意外とあったりしてたんだけどさ。 
例えば、91年のチャゲアスの「SAY YES」なかはまさにそんな感じだったしね。だから、聴いてるこちらがも受け入れやすかったしな。

そんな所が時代性といえば、時代性なんだけども、そんな時代性な部分を惜しげも無く取り入れるのがビーイング系だった訳で、だから、どの曲もキャッチーになる訳なんだよな。


たださ、KIX・Sってヒト達が不運だったのは、すぐ後にMANISHって似たような、「綺麗どころ」2人組のユニットが出てきちゃったことだろうな。 しかも、同じビーイングから。
形態が超似てたじゃん。 だから、どっちがとっちっていう区別がつかなくなっちゃったわけで・・・・。

MANISHがメジャーに、このヒトたちは尻つぼみに・・・となってしまい、結局は、この曲1曲だけの「一発屋」のような印象になってしまったんだよね。
ただ、そんなMANISHも、「この曲」より売れた曲はなかった訳だけどね。

まあ、この曲がフジの「月9」で使われていたって言うのが、でかかったんだけどね。。。。






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大きな森の小さなお家 / 河合奈保子

1980_06_大きな森の小さなお家_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「大きな森の小さなお家」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル     大きな森の小さなお家
・アーティスト   河合奈保子
・作詞       三浦徳子
・作曲       馬飼野康二
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1980年6月1日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 36位
・売上げ枚数 7.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 41位

あー、今週は仕事がきつかったわい。 普段使わない「脳みそ」を使った1週間だったんで、仕事終わりゲソッと疲れたわ。。。今はそんなキツかった1週間の余韻に浸っている時間だったりして。。。

などと、「1曲セレクト」とは全く関係ない「マクラ」になってしもたな。


さて、今回のセレクトしてきた曲は、河合奈保子さんのデビュー曲、「大きな森の小さなお家」。

うーむ河合奈保子さんの曲は大分書いてきたけど、まだ残ってた曲があったんだな。しかも「デビュー曲」を書いてなかったか。。。

この曲はねぇ、当時、なんか、こっぱずかしかったんだよな、聴いてて。

詞の内容が子供っぽかったでしょ。 タイトルからして「大きな森の小さなお家」でもんね。まるでメルヘン童話な世界って感じだったじゃん。
 当時、オリコンウイークリーで「1980年デビュー組」の比較対決っていう企画がありまして、河合奈保子評としては、「アイドルらしいアイドル」なんてなってたりしたんだけどさ。
 たしかに、今の感覚からすると、如何にも「アイドル」 っていう曲だったりするんだけど、当時、同じ1980年組の他のアイドルの曲って、得てしてもっと大人っぽかったんだよね。
岩崎良美にしかり、鹿取洋子にとかり・・・  松田聖子だって、当初は、子供っぽいなぁ・・・っていう印象があったけど、それでも、もう少し上の年齢・・・そうね、高校生とか大学生向きって感じだったじゃん。
 それに対して、河合奈保子さんのこの曲は、どう聴いても「小学生」向きだよな・・・っていうイメーシが強くてねぇ・・・。

・・・・なんて、当時小学5年だったワタシが言うのもおかしな話だけど。。。

この曲は、作詞は三浦徳子さん。 うーむ、奇しくも松田聖子さんのデビュー曲「裸足の季節」と一緒だったんですねぇ。
でも・・・やっぱり、比較しちゃうんだよね「裸足の季節」の詞の内容と。。。なんか、大人と子供・・・って言うくらいの違いを感じちゃったりね。
 曲は、馬飼野康二氏。 この間、西城秀樹氏の「激しい恋」を書いた時、「絶叫系」な曲こそ馬飼野氏らしい・・・なんて書いたんだけども、この曲では、そう言う世界は全く感じられないもんね。
 硬派、軟派・・っていえば、思いっきりナンパな訳じゃないですか。まあ、そんなレンジの広さも馬飼野氏ならではといえば、そうなんだけどさ。
でも、その後の河合奈保子さんのヒット曲を考えると、馬飼野氏との相性が一番良かったような気がするな。
まあ、後年の筒美京平氏の起用により、河合奈保子さんの新たな一面を引き出せたのは別として。

兎も角も、人前で堂々と聴くのは、今一つ気が引ける曲だな・・・っていう感覚があったのは確かだよなぁ。

ただね、アイドル嫌いだった、ウチのオヤジが、当時、河合奈保子さんだけは認めてたのは、印象的だったんだけどなぁ。松田聖子さんに対してはボロカスだったもんね。
 やっぱね、ぽっちゃりとした童顔なルックスに対して、揺れる「ちち」っていう、アンバランスな容姿が、男心くすぐった訳だったんだろうな・・・・なんて今になって思うけどさ。

もちろん、ワタシも、当時は松田聖子さんよりは、断然、河合奈保子派だったんだけどさ。

曲は別として、やっぱり、上で書いたように、名前の通りの可愛さだったしさあ、まあも今もそうだけど、スレンダーなコよりも、ぽっちゃりしたコの方が好きだからさあ。

それに性格も良さそうだったじゃん。裏表がなさそう・・・っていうかさ。 それまでのアイドルには無かったというか・・・、より親近感は感じたよね。

ま、その「親近感」っていうキーワードが、その後、80年代アイドルの最大の特徴になってくるんだけどさ、そう言う意味では、80年代なアイドルのフォーマットは、河合奈保子さんが元祖と言ってもいいかもしれないな。



いやいや、初々しい奈保子さんですね。デビュー直後高々1コーラスしか歌わせてもらえないのに、一生懸命歌っているのが印象的。
でもさ、36年前は、聴くのが恥ずかしかったこの曲だけど、今聴くと、普通に聴けるんだよなぁ。
それだけワタシも年をとったのか、それとも、最近の曲が全体的に子供っぽくなって、何とも感じ無くなったのか・・・・どっちかだろうなぁ。
 


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スローモーション / 中森明菜

1982_06_スローモーション_中森明菜


今回の1曲セレクトは、「スローモーション」中森明菜です。

まずはデータです。

・タイトル    スローモーション
・アーティスト  中森明菜
・作詞      来生えつこ
・作曲      来生たかお
・編曲      船山基紀
・リリース日   1982年5月1日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 30位
・売上げ枚数 17.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 28位

どうなんだろう? 今回セレクトしてきた曲も「なんで今まで書いてなかったんだろう?」っていう部類に入るのかなぁ。。。。

はい、今回セレクトしてきた曲は、中森明菜のデビュー曲、「スローモーション」ですわ。

そうだよなぁ、この位の曲になるとすでに書いていても全然おかしくなかったんだけどね。
いや、実は、昨年の今頃も、一瞬、書こうと思い立ったんだけども、昨年は、mixi時代に書いたものの「焼き直し」がメインで、中森明菜の他の曲も頻繁に出してたんでさあ、1年間待ってた・・・って言うのもあるんだよね。
で、いつ書くか、いつ書くか・・・なんて最近ジリジリしてたんだけど、そろそろ書いても良いよね・・・ってことで
ま、その前にmixi時代に書いとけよ・・・って感じもするんだけど。。。

今となっては、有名・・というか、当時を知る方は、ほとんどの方は知ってらっしゃるだろう、この曲だけど、そうは言ってもオリコン最高30位でしたらねぇ、やっぱり、次の「少女A」に比べると、やや格が落ちるかな・・・っていう気もしちゃうんだよね。
 
 ・・というか、オリコン最高30位っていうのも、今となっては信じられないんだけどさ。なんせ、30位までしか行かなくても売り上げは17.5万枚も行ってますからねぇ。
 それだけ、チャートに長くランクインしてたったて訳なんだけども、オリコンベスト100には、39週ランクイン。もちろん、これは、明菜の楽曲の中では最長ランクインとなる訳なんだけどね。

 「花の82年組」と言われた、昭和57年デビューの明菜だけど、なにせデビュー日が「5月1日」と他の82年組に比べると「後発」でしたからねぇ。
 どうしても「出遅れ」っという感じが当初は否めなかった訳で、チャートアクション的に言えば、最初はそれほどパッとしなかったんだよね。
初登場は、82年5月10日付で58位。 そこから「12週」もかかって、最高ランクの30位まで到達している。

通常アイドルのチャートアクションって、デビュー曲でも比較的早い段階で最高ランクを記録するもんなんだけどさ、12週もかけて最高ランクに到達するチャートアクションは、当時としても異例ともいえる動きだったよなぁ。

まあ、曲がね、アイドルらしからぬ・・・って言っちゃ失礼かもしれないけど、少なくとも他の82年組に比べると、全然大人っぽかったじゃん。だからね、、初めはアイドルと言うよりは、ニューミュージック的なアイドルなのかなぁ・・・なんていう印象もあったよなぁ。

 当時は、今では完全にニューミュージック系にカテゴリされるけど、アイドルっぽいヒトって割といたじゃん。杏里、竹内まりや、石川優子・・・とかさ。
 そんな部類のヒトなのかな・・・なんて言う印象が若干あってさ。 だって、曲が完全にニューミュージックって感じだったじゃん。 他のアイドルのコの曲に比べると大人だったよね。 
大体アイドルのデビュー曲というと、きゃぴきゃぴ感があったもんだけど、この曲は、そういうところが全然なかったしね。
それが、返って印象が地味に映ったのかもしれない。

正直、テレビに出ても、本当に最初の頃は印象に薄かったんだよね、明菜って。インパクトに薄いって言うかさ。

ちなみに、この頃、月刊「明星」で、82年デビュー組の各人が、事務所の先輩をおんぶするって言う企画があったんだけども、確か明菜は、当時同じ研音だった浅野ゆう子さんをおぶっていたのかな?
でもね、堀ちえみとか小泉今日子とかに比べると、確実に印象が薄かったもの。

だからね、ややもするとB級アイドルで終わるんじゃなかろうか・・・っていう感じもしたんだよね。

でも、分からないもんなんだよね、まさか第2弾が「少女A」で、あそこまでブレイクするとは、全く思えなかったしなぁ、最初は。

でも、ブレイクすると、あんなに地味に感じてた明菜がキラキラ「後光」が差したような印象を受けたし、と、共に途端に曲も良く聴こえてくるから不思議なもんでさ。 
うん、個人的に、この曲を改めてちゃんと聴く様になったは、「少女A」がブレイクした後だったんだよね。

だからか、個人的にはこの曲は、不思議と82年の今頃の匂いは感じ無い。むしろ、明菜を遡って聴いてた83年の頭頃の匂いを感じるんだよなぁ。



コレは83年頃の動画だけど、この頃は明菜ってホントに可愛かったよなぁ。ぽちゃぽちゃしててさ。
この後の「ホネカワ」だけの容姿になっちゃったのとは違って。やっぱし、人間痩せすぎるのも考えもんだよねぇ。
「スローモーション」だけじゃなく、「少女A」もついてるけど、おまけって事で。。。


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ギザギザハートの子守唄 / チェッカーズ

1984_05_ギザギザハートの子守唄_チェッカーズ








今回の1曲セレクトは、「ギザギザハートの子守唄」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル    ギザギザハートの子守唄
・アーティスト  チェッカーズ
・作詞      康珍化
・作曲      芹澤廣明
・編曲      芹澤廣明
・リリース日   1983年9月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数  39.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1984年5月7日〜5月28日、6月11日付

のっけから・・・・・眠いっス!  昨夜は自分のサイトのトップページに「アクセスカウンター」を設置するのに、久々にCGIと格闘しつつ、気がついてみたら「あさ〜っ」ってのをやってしまいまして。。。。
いや、昔、レンタルサーバーを借りてた時も付けてたんだけど、一時、お金が無くてやむなく無料のレンタルサーバーに引っ越しした時に外しちゃったんだよね。
 でも、昨年、再度、「有料」のレンタルサーバーを借りて独自ドメインを復活させたんで、ちょっと遅くなっちゃったけど、アクセスカウンターを復活させようと思ったんたけど。。。。

 うーむ、久々にCGIのプログラムや、ファイルのパーミッション設定なんかと格闘したんだけどねぇ。 最終的には表示できるようになったんだけど、どうも、数字がランダムになっちゃってウマく表示できなかったんだよね。

・・・なんで、結局、徹夜までしたのに破棄。 ネットに落ちてた無料カウンターをつけたら、ものの5分でついた。。

むー、最初からそうすりゃよかった。。。。 眠いっス。頭が回らなっス。。。。

なんで、早く書いちゃいますね。


さて今回セレクトしてきた曲は、チェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」。

うむ、栄えあるチェッカーズのデビュー曲ですわな。
・・・・ってことは、ここ読んでる方はみなさんご存知ですよね  まさか「涙のリクエスト」がデビュー曲って思ってる方は、よもやいらっしゃいませんよね 

うーむ、まあ、今となっては「栄えある〜」なんて書けちゃいますけど、リリースから暫くの間は、まったくヒットしなくて、泣かず飛ばずの状態が続いた・・・っていうのは、当時、リアルタイムでこの曲聴いてた方なら、良くご存知ですよね。

ちなみに、この曲のオリコン初登場って何位だったかご存知でしょうか。 

168位だったんですねぇ。(1983年10月3日付)。。。

168位ですわ〜。っつか、詳細はワタシも今、知ったんですけどね。。。
当時のオリコン(ウイークリー)ってシングルは200位まで掲載してあったんで、当時のオリコンをひっくり返してみましたわ〜
 そそそ、当時のオリコンを所有しておられる方ならご存知だと思うけど、今でこそYOU大樹では200位まで売り上げ枚数は記録されているものの、当時は、101位以下は集計「誤差」が大きいという理由から、あくまで「参考」ランクであり、売り上げ枚数も出してなかったんだよね。

当時からすると、オリコン100位以下の曲は、そのアーティストの余程のファンで無い限り、一般的にはほとんど誰も知らない曲であり、ほとんど注目もされなかったんで売り上げ枚数があろうが無かろうが、影響はなかったんだけどさ。

だから、つまりは、当初は、この曲は、ほとんど見向きもされなかった曲だった訳無なんですよね。
 そんな状況下の中、当時、デビューキャンペーンで各地を回った際は、観客もほとんどおらず、「リンゴ箱」の上で歌ったこともあったとか。。。 

まあ、当の本人も、もともと「こんな演歌歌えるか」って言う気持ちだったようなので、仕掛けた側には「それみたことか」っと言う気持ちだったようなんですが。。。


 そそそ、もともとチェッカーズって、件のアイドルバンドなんかじゃなくて、ヤマハのライトミュージックコンテストのジュニア部門、後の「YAMAHA TEENS' MUSIC FESTIVAL」に相当するコンテストで優秀賞を受賞した実績のあるバンドだったんだよね。
 なので、当然、バリバリのバンド系、とくに当初はシャネルズのようなドゥアップなど黒人系音楽をやっていたので、そちらの方向でデビューすると思っていたところ、いきなり「アイドルバンド」にさせられ、しかも「演歌・歌謡曲」みたいな曲でデビュー・・・ということで、少し「ふてて」たところもあったようだ。

だから、当初、売れなかったときは「それ見た事か」・・・と思ったようなんだよね。


BUT、年が明け第2弾の「涙のリクエスト」がラジオでヘヴィーローテション的にかかるようになって、状況が変わる。
 オリコン初登場168位なこの曲もジワジワジワとランクを上げ、100位内に初登場したのが、1983年12月19日付(81位初登場)。その後も、ノラリクラリと、業界用語でいうところの「右ページ」(51位〜100位)を少しずつランクアップしていたところ、「涙のリクエスト」リリースと同時に、「左ページ」に躍進。
以後も、ジワリジワリとランクアップし続け、1984年5月14日付でついにベストテン内に到達。。。とまさにシンデレラストーリーを字で行くようなチャートアクションを展開しましたよね。

うん、その間に、第2弾の「涙のリクエスト」、第3弾の「哀しくてジェラシー」の大ヒットもあり、一躍「時の人」な存在になってしまった訳なんだけども、チャートマニアからすれば、この曲のようなジワリ型ヒットっていうのが、一番見応えがあったわけなんだよね。
ま、確かに3曲中では、一番ジミーな存在であることは確かなんだけどさ。

ちなみに、この曲がベストテン内に到達した、1984年5月14日付チャートは、チェッカーズが、それまで前人未到の3曲同時にベストテン入りさせた・・・なんていう歴史的なチャートなんだけどさ。

1位 哀しくてシェラシー
5位 涙のリクエスト
9位 ギザギザハートの子守唄

いや、まさにチェッカーズ旋風が吹きまくっていたころですね。

でも、これよりホンの半年前のことを考えると、上で書いたようにほとんど客もいない前でデビューキャンペーンを行っていたなんて、まったく信じられない状況だったよな。
 っか、逆に、1983年の大晦日の時点で、次の年にチェッカーズ旋風が来るなんて、全然予想もしてなかったことだったもんな。

たださ、そんな予感がしてたのかどうかは分かんないんだけども、当時、月刊明星付録の「YOUNG SONG」の1984年2月号(年末特大号)。楳図かずおと近田春夫の「年末対談」って言う企画の中で、「来年はハデハデグループが出てきて欲しいな」なんていう件があるんだよね。
 あとからすると、いや、まさにその対談内容が「図星」で当たっちゃったわけなんだけども、すでに業界内では、チェッカーズが爆発する・・・っていう噂はあったんでしょうかねぇ。 まあ、今となっては全く分からないことなんですが。。。。



うわうわ、チェッカーズヘアのフミヤや。
当時、この髪型にしようとすると、ガッコの頭髪検査で、絶対引っかかった・・・という。
ちなみに、オートバイを生産していたYAMAHAにおいて、YAMAHA所属のチェッカーズが、♪ 仲間がバイクで死んだのさ〜♪ とは何事だ〜・・・って言う事もあったようですね。
 それでもリリースしちゃったんだから、いい時代だったよね。 いまだったらコンプライアンスがなんじゃらかんじゃらで、もっと問題になったろうけどね。
 だいたい、こういうエンターテイメントに「まともな意見」が絡んでくるとツマンナクなるのよ。

サザンのアルバム「NUDE MAN」の1曲目の「D.Jコービーの伝説」にあるように 「オリコウなやつぁGET OUT、アーパーならC'MON」って行く方がいいのよね、エンタテイメントは。



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Automatic / 宇多田ヒカル

1998_12_Automatic_宇多田ヒカル





今回の1曲セレクトは、「Automatic」宇多田ヒカルです。

まずはデータです。

・タイトル    Automatic
・アーティスト  宇多田ヒカル
・作詞      宇多田ヒカル
・作曲      宇多田ヒカル
・編曲      西平彰 河野圭 Taka&Speedy
・リリース日   1998年12月9日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 2位 (12cm盤)
              4位 (通常盤)
・売上げ枚数  206.3万枚
          129.1万枚(12cm盤)
          77.2万枚 (通常盤)
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1998年12月28日〜1999年3月21日付

 昨日は仕事納めでしたわ。年をとるごとに年々1年が早くなりますわ。
ちなみに、この「ヒット曲&チャートレビュー」も、今のブログに書くようになってから、丁度1年なんだよね。
初めは、閲覧いただける方も1日に、ほんの数人だったけど、今ではかなりの方が閲覧してくださるようになりました。 皆様に感謝!

さてさて、今回はこの時期に聴いて「サプライズ!」と思った曲がいいわと思いまして、

 Automatic /宇多田ヒカル

を引っ張ってきたりして。

 えー、さっすがにこの辺になってくると、感覚的には「昨日」なんだけど、客観的に考えると、あれから17年も経ってんだよねぇ〜。 え〜、やんなっちゃうねぇ。 この曲の頃はワタシまだ20代だったんだよな・・・・。

 この曲はねぇ、初めて聴いた時は、今でもよく覚えてる。
まだ、今の業界に入る前、環境管理会社で技術営業とコンサルやってる頃だ。たしか98年12月30日。丁度17年前だ。

 なぜ、日にちまで覚えているか・・というと、会社的には前日仕事納めだったって言うのに仕事だったから

 外回りの仕事が終わって車の中で報告書を書いてる時にFMから流れてきたんだよな、この曲。

ワタシね、報告書書いてた手が止まりましたよ、この曲聴いて。

 なんじゃこりゃぁ!!・・・と。まあ、ふつう、なんじゃこりゃ、となると「酷」くて、なんじゃこりゃなんだけど、この曲の場合は、「凄過ぎ」てなんじゃこりゃでしたよねぇ。

 不意に「ガーン」とアッパーパンチを食らったような衝撃が脳天を走ったって言うかさあ。

 曲流れる前に15歳って紹介があったんで、「なんでぇ、また新手のアイドルかぁ」なんてタカをくくってたんだよな
 そしたら、余りにも完成しているサウンドが流れてきてビックリ。なにより、自分で作詞、作曲しているってからオドロキだ〜。

 確かに15歳で作詞、作曲しているヒトは、それまでもいたよね。でも、内容はあくまで15歳が作ったような「素直」な内容だったわけで・・・。
 この曲はあまりにも「完成」しすぎてて「なんじゃこりゃ」だったんだよねぇ。
 ウタも15歳にしてはちょっとシッカリしすぎていたし・・。

 一瞬にして、こりゃ、とんでもない奴が出てきたな・・って思ったよなぁ。

 大体さ、新人っていう文句を聴くと、聴いてる方もその目線で、唄を期待しているもんだけど、この曲は、その目線を遥かに越えたところにあったんでねぇ。。。

 今だったらそうは思わないかもしけないけど、当時はまだまだ、新人のレベルは、低い位置にあったからね。ましてや15歳なんて聴いたら、どうしても「アイドル」っぽいところを予想するじゃない。

 当時は翌年1999年を迎えようとしていて「世紀末」っていう雰囲気が漂っていた時期だけど、これは本当のモンスターが出てきたかもしれない・・・これぞ「世紀末」だぁ・・・・と瞬時に思いましたね。
 その予感通り、すぐに時代の寵児に躍り出たヒッキーだったけどさ。やっぱり、それまでの常識を一変させる様な時代を替える逸材って、絶対に居るもんなんだよね。
 まあ、それこそ10年に1人くらいしか出てこないんだけど。。。こう、長くヒット曲を追いかけてくると、時としてそう言うヒト達にあっ来た訳だけど、このヒトほど衝撃的な出逢いをした人もいなかったよなぁ。


 CDの売上データ・・・この曲はいまでいうマキシシングルの12cm盤と昔の8cmのCDシングル盤の通常盤と2種類出てたわけだけど、このころはまだ、これらは、それぞれ別々に集計してオリコンチャートに出してたんだよね。
 だから、データも2種類出てくるわけだ。今だったら、最高位1位、売上げ枚数206.3万枚ってなる訳なんだよね。だからなんだけどこの曲、立派なダブルミリオンなんだよね。
 でも、意外と騒がれていないのは、当時のオリコンの集計方法の為なんだよな。 

 そりにしても、オリコンチャートも集計方法がコロコロ変わるのは何とかしてほしいよな。
 
 ともかく、年末のこの時期と「衝撃」っていったら、真っ先にこの曲が浮かんでくるワタシだなぁ。

 最近は、こんな「ガツーン」と頭を殴られるような衝撃を受ける曲ってなかなか出てこないのが残念なんだけど、果たして、来年はそんな、新手のアーティストや曲に出会えますかねぇ。これは毎年、この時期になると楽しみにしている事でもあるんだけどね。 



このPVは何回見たか・・・ってくらい見たよな、当時は。



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オリビアを聴きながら / 杏里

1978_12_オリビアを聴きながら_杏里






今回の1曲セレクトは、「オリビアを聴きながら」杏里です。

 まずはデータです。

・タイトル    オリビアを聴きながら
・作詞      尾崎亜美
・作曲      尾崎亜美
・編曲      瀬尾一三
・リリース日   1978年11月5日
・発売元     フォーライフ
・オリコン最高位 65位
・売上げ枚数   5.6万枚

前回の太田裕美「さらばシベリア鉄道」も、ランキング的にも売り上げ的にも「大ヒット」とは言えない曲だったけど、今回もそんな曲ですね。

 オリビアを聴きながら /杏里

うーん、でもまあ、タイトルを聞けば、今となっては大抵の方が御存じでしょうかねぇ。大ヒットはしなかったけど、誰でも知ってる曲って言うのかなぁ。

 はい、杏里のデビュー曲でございます。1978年11月5日リリース。

 何回か、書いてはいると思うんだけど、あのころは「ニューミュージック」全盛になりかけてた時代で、逆にアイドル不在の時代。

・・・ということで、「本音」は、「ミュージシャン」志望なんだけど、無理やりアイドルにさせられてた・・・っていうヒトも結構いたんですよね。
 以前書いた、竹内まりやなんかは、その典型で、本人曰く、「あのころは、聖子ちゃんにちかい活動をしてた」って自ら告白してるぐらいだからね。

 で、それを考えると、杏里も、どちらといえば、そちら系統出身の歌い手(当時は)さんだったんぢゃないか・・・と思えますよね。

 ある程度、歌もちゃんと歌えて、顔立ちもハッキリしてて・・・。うーん、どっちかと言うと、「正統派」なアイドルというよりも、ニューミュージック系から飛び出したアイドル・・というか。

 大学のキャンパスのミスコンから出てきた・・・って感じのヒトが多かったような気がする。

 時代は、「女子大生」になってきてたんだよね。それを考えたら、竹内まりやは、当時、慶応の学生だったわけで、そのイメージのままなんだよね。

 それが発展して、文化放送「ミスDJ」から火が付いた女子大生ブームが勃発するのは、1981年だ。
 ちょうど、「nonno」とか「cancam」とかが流行りだした頃とリンクしたりして・・・。


 杏里は大学出ではないけど、そういった系統のヒトリ・・・っていう匂いがしたな。

 まあ、冷静に考えれば、大体において、フォーライフから「アイドル」路線っていうのも、今考えたら、ちょっとムリな感じはするんだけど・・・。でも、当時は世間がそんな感じだったから・・・。


 で、もって、「オリビアを聴きながら」なんだけど、後に、いろんなヒトがカバーした、今となっては「名曲」なんだけど、それでも、やっぱし「ジミ」だよねぇ。
 ・・・というか、この曲、「杏里」が歌っていた・・というより、他のヒトのカバーのほうが有名だったりして? 尾崎亜美本人が歌ったものとか・・・(後にセルフカバーアルバム「POINT」で歌ってるし・・・)

  でも、いずれにしても、少なくとも、「太陽がサンサン」に降り注ぐ・・・っていう曲ではないじゃん。

 秋の夜長に、ひとりしっとりと聴く・・・というか。

 あのころの杏里の同年代とか、少し下の世代では、彼氏にふられたとき、ひとり、そっと聴きたい曲・・・のNo.1なんじゃないのかな? この曲。

 まあ、そんな感じの曲ですわね。

♪ジャスミンティーは、眠りさそう薬〜 ♪ のところから「涙」したヒトが随分いたことでしょう。。。がまん顔



 サウンドは、イントロからして、エレピがピロピロなってるような、完全AOR風。あの時代(70年代後半)を象徴しているようなサウンドってところかなぁ。

 アレンジはヤマハの瀬尾一三氏によるものだけど、ほとんど、尾崎亜美自身のオリジナルから、大きく弄くってないんぢゃないかな?

 ほとんど尾崎亜美自身がセルフカバーしているものと変わらないものね。声は今からすると、杏里もずっと若いけどね。

 たださ、あのころの尾崎亜美の曲って、若干、いまでいう「ボッサ」がかったリズムなんだよね、おなじバラードでも。

 77年に、自ら歌った、「マイ・ピュア・レディ」なんて、もろ、ソフトボッサな曲やん。

 まあ、この「オリビアを聴きながら」は、他人の手の垢が随分と付いちゃってるから、あんまりカバーする効果は少ないんだけどさ。

 ちなみに、「オリビアを聴きながら」の「オリビア」って、オリビアニュートンジョンだよね・・・って分りきってるか。。。

 まだ、時代がそういう時代だったからヨカッタよね。これ、あと、数年ずれてたら、♪フィジカル フィジカル〜 ♪ だもんねぇ。

 こういう、シットリした曲にはならなかったはず。。。ふらふら

 なんて、くだらない事を書いて見たりする。。ふらふら


 でも、あのころは、向こうのアーティストをタイトルとか歌詞にちりばめた曲って意外と合ったよね。同時代ではジャニス・イアンとか・・・。

 うん、まだまだ、大滝詠一大先生が唱えた、「分母分子論」⇒〔外国曲〕/〔邦楽〕 が充分成り立ってた時代ですなぁ。


 ジャケ写・・・これ見ると、随分、時間経ってるような感じがするでしょ? 杏里、まだ、ぽっちゃりしてて若いもんねぇ・・・(って書いたら怒られるかexclamation & questionふらふら) 当時17才の杏里どぇす。。




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スニーカーぶる〜す / 近藤真彦

1980_12_スニーカーぶる〜す_近藤真彦






今回の1曲セレクトは、「スニーカーぶる〜す」近藤真彦です。

 まずはデータです。

・タイトル   スニーカーぶる〜す
・アーティスト 近藤真彦
・作詞     松本隆
・作曲     筒美京平
・編曲     馬飼野康二
・リリース日  1980年12月12日
・発売元    RVC
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  104.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1980年12月29日〜1981年3月16日付
・タイアップ:映画「スニーカーぶる〜す」 主題歌


 最近は過去にどの曲書いたか、分かんなくなってきちゃったからさあ、書く前に必ず、過去の日記を検索してみるのね。
 で、過去に書いたか書いてないか、一応はチェックしてみるんだけど、時どき、この曲は、既に書いただろう・・・っていうか、書いてて当然・・・のように思ってた曲が、実はまだ書いてなかったりして。。
ふらふら 
 なんかねぇ、それを見つけたときが至福の時だったりして。。ふらふら

 今回引っ張ってきたのは、まっちのデビュー曲「スニーカーぶる〜す」よ。

 いや、この曲は、ずっと書いたと思ってたの。っつうか、ミリオンセラーの曲だもんねぇ、既に書いてて当然・・と思ってたんだけどねぇ。。
 さっき、過去に書いたアーカイブを調べたら、これが、まだ、書いてなかったんだよねぇあせあせあせあせ

 いや、でも、グッドタイミングよ。なんせ、今日12月12日が、この「スニーカーぶる〜す」のリリース日だったんだから。
35年前ですよ〜。  まっちもレコードデヒュー35年経つんだよねぇ
なんかねぇ、昨日のように覚えてるんだけどねぇ。 生意気でやんちゃ坊主だったころのマッチをさ〜。
 

 いまでこそ、ジャニーズ批判派のワタシだけど、あのころは「たのきん」って好きだったよなぁ。

 やっぱ、ワタシャ、当時は、まっち派だったよなぁ、どっちかといえば。。。
まっちのね、破天荒・・っちゅうか、おちゃめな悪ガキなところが良かったねぇ。

 ヨッちゃんは別としてふらふら、あの頃って言えば、ナンパのトシちゃんに、硬派なマッチみたいな、「色分け」されてたじゃん。月刊「明星」とかの雑誌ではさ。

 もちろん、硬派な「まっち」の方がワタシゃよかったのよねぇ。具体的にって言われると困っちゃうけどさあ、土臭そうなところだったりしてね。
まあ、当時は、まだ、福島の田舎の小僧でしたから、ワタシも。 そんなまっちの方が親近感があったんだよね、きっと。

 だからね〜、行きましたよ、同名映画の「スニーカーぶる〜す」。田舎の映画館にさあ。2回くらい行ったような気がする。
 ・・・といっても、すでに内容なんて覚えてないけどさあ。

 だけど人気あったよな、当時は。

 考えて見れば、「ピン」でデビューして、いきなりデビュー曲がミリオンセラーになったのなんてマッチぐらいじゃん。
 今の嵐とか関ジャニ∞がいくら人気あるって言っても、あくまでグループでの人気であって、「ピン」の人気じゃないからさぁ。
 その辺で、当時の人気のすごさが分かるんじゃないかなぁ。


 たしかに曲も良かったんだと思う。今にして思えば、かなりクサいんだけとさ、当時は、これはこれでよかったんだよね。
 まあ、あくまで「青春歌謡」っていう路線だったからさあ、まっちの場合は。

 いや、当時は良い悪いなんてものを超えてたような気がする。気がついてみれば、みんなで歌ってたような・・・。
 だってさあ、お楽しみ会で、仲のいい3人で「たのきん」だぁ・・・とか言って、この曲とか、トシちゃんの「哀愁でいと」とか歌ってたもんねぇ。

 そーそーそー、そん時の「おたのしみ会」のために、「歌本」っちゅう存在を知って、月刊「明星」買うようになったんだよね。
 考えて見れば、あん時の「おたのしみ会」が今に繋がってたりするんだよなぁ、ワタシ。

 ・・・・っつうことは、「スニーカーぶる〜す」は、今に直でつながる「原点」の曲の1曲・・・って言えるかもしれんなぁ。


ちなみに、デビュー曲で、いきなり初登場1位なんて、いうヒトは、今では珍しくもなんともないけど、この曲が初の快挙どえす。

1980年12月22日付ですね。 

 ちなみに、この時のベスト3は

・1位 スニーカーぶる〜す /近藤真彦  101,360枚
・2位 恋人よ   /五輪真弓  70,830枚
・3位 大阪しぐれ /都はるみ  69,960枚

 いかにも重みがあるランキングですねぇ。
もちろん、デビュー曲が初登場で10万枚オーバーなんてのも、この曲がはじめてですわ。

 そんな現象にも、度肝を抜かれたところはありますね。 
っていうか、当時は純粋だったんだよなぁ。




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ペッパー警部 / ピンク・レディー

1976_12_ペッパー警部_ピンク・レディー






今回の1曲セレクトは「ペッパー警部」ピンク・レディーです。

まずはデータです。

・タイトル    ペッパー警部
・アーティスト  ピンク・レディー
・作詞      阿久悠
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1976年8月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   60.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1976年11月29日〜1977年1月31日付


えー、唐突ですがピンク・レディーでっす。
なぜに、このタイミングでデビュー曲の「ペッパー警部」なのか・・と言うと、ピンク・レディーが「初」のベストテン入りを果たしてから、丁度、39年なんですねぇ。
そそそ、オリコンで、初めて「ベストテン」入りしたのが、1976年11月29日付チャートなんだよね。 

あれから39年。ここから、ピンク・レディー伝説の始まったといっても過言ではないですな、

いや、逆に言うと、この「ペッパー警部」ってリリースは8月25日だから、リリース後3ヶ月も経ってからのベストテン入りのわけですよね。

 そう、後々、モンスター現象をおこすピンク・レディーも、最初は意外と泣かず飛ばずだったのですヨ。
ま、そもそもリリースしたビクターも最初は、売れるとは全く思っていなかったらしく、イニシャルは3千枚。当時としては最低ラインでのリリースだったようですね。

そんな訳なので、プロモーション費も潤沢に出る訳もなく、火が付くまで3ヵ月もかかったという訳なんだよね。

ま、逆に言えば、そんな状態で、よく火が付いたな・・・って感じもするんだけどさ。

 当初、ターゲットはあくまで「大人」だったんですよね。踊って歌えるっていうコンセプトはあったけど、最初から「子ども」向けに狙ったわけではないんだよね、ピンク・レディーって。

 この「ペッパー警部」だって、曲調からして、子どもを狙ったって言う感じではないもんね。

 でも、意外にも「火」をつけたのは、当時の子供だったんだよなぁ。そそそ、今のアラフィフ世代ですね。丁度ワタシ達の世代ですわ。 これは飯田久彦氏を初め、仕掛け側は、全くの意外だったようですけどね。

 ただ、言えることは、この当時のほかのアイドルからすると、曲の発想は斬新だった気はするなぁ。
 今からすると、そんな感じはあまりしないけど、まず、曲のスピード感があるんだよね。16ビートで流れるサビなんて、めっちゃスピード感を感じるもんね。 この当時のほかのアイドルの曲と比べるとさ。
 大体、16ビートを持ってきてたアイドルなんて、他にいなかったし・・・・。

 でもまあ、このスピード感とビジュアル感っていうのが、大人というより、新しい感覚をもった当時の「子ども」に受けたのは間違いないよねぇ。 仕掛けた側は、全く意外だったようなんだけどさ。

 でも、子どもに受けると、あっという間にブームになる。 うん、まあ、子どもというよりもティーンエイジャーに受けるとっていうことなんだけど、これは、昔も今も変わんない傾向ではあるよなぁ。兎に角アクティブ性は高いからさぁ。

 いやいや、子どもに受けるってことはアクティブ性が高いっていうのが見えたのは、このピンク・レディーからではないかなぁ。

 まあ、このあとのヒット曲界にいろいろな意味で影響を与えたのは周知のごとくだけど、その伝説は、39年前のオリコン11月29日付けランキングから始まったといってもいいんではないかなぁ。

 そして、イニシャル3千枚だった、この曲は、最終的には60万枚の売り上げに化けることになったわけで。。。これも伝説だろうな。


 ちなみに、当時、ワタクシはというと、ヒット曲には全く「無縁」な生活でしたねぇ。もちろんピンク・レディーなんぞ、まったく興味を示さない、「ポールモーリア命」のませガキ、というか、いやなガキでしたわ。 いま思うと。。。
 



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涙の茉莉花LOVE / 河合その子

1985_10_涙のジャスミンLOVE_河合その子






今回の1曲セレクトは、「涙の茉莉花LOVE」河合その子です。

 まずはデータです。

・タイトル     涙の茉莉花LOVE
・アーティスト   河合その子
・作詞       T2
・作曲       後藤次利
・編曲       後藤次利
・リリース日    1985年9月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    19.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1985年9月23日〜10月7日付

えー、今回も昨日の河合奈保子さんに続いて、「河合さん」なんですけど、河合は河合でも、河合その子さんのソロデビュー曲。

 涙の茉莉花LOVE

まあ、言わずと知れた、おニャン子クラブから初のソロデビューだけど、おニャン子は、あくまで「シロウト集団」をいかに、「マス」で売ることを前提にした「アイドル」 。
 あとの時代でもアイドル「最終兵器」といわれるくらいだから。。。

 たださ、シロウト・・・と一口に言っても、実は、シウロトではないヒトも中には居たりして・・・。

 つまりさ、すでにプロとして事務所に所属してたものの、売り出すための「手段」として、一旦「おニャン子クラブ」っていう、集団に入れておいて、顔を覚えさせて、売り出す・・・っていうやり方。

 河合その子の場合、典型的にそのパターンですよね。

 そのほかに国生さゆりもそうだし・・・(CBSソニーからソロデビューしたヒトたちはみんなそうじゃないかな)
 工藤静香に至っては、おニャン子に入る前に、実は一度デビューしてレコードを出してたりするもんね(セブンティーンクラブっていう3人組アイドルの一人だったのです)

 だからさ、一口にシロウト集団・・・と言っても、実際は完全なシロート集団ではなかったんだよね、おニャン子って。

 どうして、ソロデビューするのにキャニオン組とCBSソニー組(そのほか、ワーナーとかエピックとかフォーライフなんていう例もあったけど・・)に分かれていたんだろ・・・って昔、不思議だったんだけど、恐らく、CBSソニーとは、前もって密約があったんだろうね、きっと。

 いちおう、後発組は、「アイドルを探せ」コーナーで合格した子をおニャン子グラブに入会って言う流れにはなってたけどさ、あれも、一種の「やらせ」って言うこともあったと。。。

 たださ、この「もくろみ」は、おニャン子クラブガ成功した事で、大きく弾みがつく。

 河合その子は、途中からおニャン子に加わったのにも関わらず、おニャン子加入から、70日あまりでソロデビューにこぎつく。

 挙句の果てには、オリコン1位まで獲得してしまったり・・・。
(・・というか、この曲1位獲得してたのすっかり忘れていた。。。)

 これ、完全にゼロから一人のアイドルとして売り出すのは大変ですよ。ましてやオリコン1位獲得となると、限りなく不可能に近いわけで・・。

 なにせ、アイドルのソロデビューでオリコン1位なんていうのは、この自時点では、マッチぐらいしか居なかったわけでさ。

 そのまっちだって、ソロで出す前に金八先生に出たり、「たのきん」として顔を売り出してたから、デビュー曲で1位だったわけだよね。

 おそらくさ、今考えると、おニャン子って、「たのきん」とか「ジャニーズ」のやり方を女の子で出来ないか・・・ってことで始まった企画なんぢゃないかなぁ・・・。 今書いてて、なんか、そんな感じがしてきた。



・・・・ということで、「涙の茉莉花LOVE」なんだけど、単純にいい曲だとおもう。素直で素朴で、アイドルのソロデビュー曲としては、申し分ない内容だと思う。

 雰囲気が大人びているのは、当時、すでに河合その子が20歳だったからか!?

 ちょっと、フレンチポップスに、ラー油を加えて中華風味をつけたら、あーらふしぎ、新しい味になりました。。。

 っていう、いかにも日本人的な発想の実験的な曲でありましたね。そういうところも、面白かったな、この曲。

 うん、この後の曲のどの曲にも、随所にフレンチっぽいイメージを持たせているんだよね、河合その子って。
 まあ、その最たる曲が゜「青いスタスィオン」だけど。。。

 でも、個人的には「JESSY」が一番好きだな。あの大げさ感、フレンチというよりも、カンツォーネに近そうな大げさ感。

 それをいかにも非力そうな河合その子が歌うっていう構図がいいですね。河合その子も歌に負けてなかったし。。。


 本当は本格的シンガー路線で行きたかったんだろうね。でも、このヒトのルックスと声質が邪魔して・・・・、ってところがあったんだろうな。

 でも、そういうところは、この「涙の茉莉花LOVE」を聴いてた頃は、感じなかったな。
 完全なアイドル路線なんだろう・・・って思ってたですわ。


 その前に、このヒトが、その後の曲も作ることになる、後藤次利氏と結婚することになるとは・・・・。全く考えてもみなかったですわ。

ま、秋元康氏と高井麻巳子が結婚することになるなんて事も全く予想してなかったわけで、その点、同じなんだけど。。


動画・・・、どうもこの動画上げてきてるヒトが、他のサイトからのリンクを蹴る設定にしてあるようなので、You Tubeへ直リン。

https://www.youtube.com/watch?v=u0x5gBXlpvU



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