かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

チェッカーズ

売野雅勇&芹澤廣明トークライブ「渋谷でおとなのレイディオショウVol.1.1」

ココのところ、ライブトピックスばっかりで恐縮なんだけど、昨日、作詞家・売野雅勇氏と作曲家・芹澤廣明氏のトークライブ「渋谷でおとなのレイディオショウVol.1.1」参加させていただきました。

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いや〜楽しかった 本当にあっという間の2時間でした。

売野氏、芹澤氏ご両人の作家人生のターニングポイントになった、中森明菜「少女A」の制作秘話から、チェッカーズの初期楽曲について、そして岩崎良美氏の「タッチ」について・・・etc

恐らくそう言う話題中心のトークライブになるんだろう・・と分かってはいても、やはり、両人から直接話を聴けると真実味が違いますね。リアリティを感じる。

例えば、「少女A」については、当初はあれほどの大ヒットになるとは全く思っても見ていなかった事。 ワーナーパイオニアのトイレで、「売れてもせいぜい数万枚」って言う話をしたっていうのは、昔、月刊明星のヤンソン84年11月号の人気作家インタビュー記事にも記されているけど、実際にそうだったこと。

チェッカーズのフミヤ氏、デビュー当時は大人しく芹澤氏の車を洗車したりしてたけど、売れて1年も経たないうちに「生意気」になった事、さらに3年もしないうちに「芹澤氏の曲なんか歌いたくねー」と言いだした事なん「赤裸々」に話していただけましたねぇ。

昔、高杢氏の著書「チェッカーズ」に書かれてた事って、あながち嘘じゃ無かったんだ・・って言うのが分かったりして。。

ただ、芹澤氏曰く、生意気な奴ほど、第三者には歌ごころが伝わるとのこと。2枚目で、性格が良くて真面目な奴は、いくら歌がうまくても、第三者には伝わらない。 この辺がエンターテイメントビジネスの不思議なところでもあり、かつ面白いところ・・・まあ要するに遠巻きに、フミヤの事を擁護してる訳ですね。
30数年前、ああいわれたけど、今じゃなんとも思っていない・・・と。

と言いながら、芹澤氏曰く、俺から離れて自分たちで作った曲は、ツマンねー曲だったと、会場を沸かせておりました。 (⇒多分「NANA」の事だとおもうけど・・・)


その他、これまで知識として知らなかった事
.船Д奪ーズの「ギザギサハートの子守唄」のイントロは、その昔、沖田浩之氏に書いて売れなかった曲の「焼き直し」だったこと。
⇒コレ、ウチに戻ってから確認してみたところ、82年リリースの「気絶するほど悩ましい」のB面の「ヒカル」の事と思われます。ようつべにあったんで聴いてみたら、たしかに似てる。。。

https://www.youtube.com/watch?v=svEzvb1WJg0


岩崎良美さんの「タッチ」は、なかにし礼氏作詞の「ホテル六本木」っって曲の焼き直しだったこと。
これは流石に本人から言われなきゃ知らないよなぁ。。。
でも、演歌じゃさすがに似あわないんで、疾走感が出るようポップス調にアレンジしたとのこと。
高校の時、野球応援で「いや」と言うほど吹いた「タッチ」の元曲は「演歌」だったとは。。。。
だけど「ホテル六本木」って曲も「タッチ」と同じ85年リリースだったんですね。ってことは、すぐ焼き直したって事になりますね。

ちなみに「ホテル六本木」って誰の曲? ・・・って思って調べてみたら、桂木佐和さんっていう、元ペドロ&カプリシャスの「4代目」ボーカリストだった方・・・とのこと。
うーむ、さすがに、これは知らんぞ〜。 ってか、「ホテル六本木」って聴いてみたいんだけども、ようつべにも載ってないなぁ・・・。一体どんな曲なんだろう
でも、ヤフオクには出品されてた・・・。なんかちょっと聴いてみたい。落札してみようか・・・・。

etc etc まだ書きたい事がいっぱいあるんだけども長文になりそうなんで・・・。

ちなみに、売野氏のトークライブ「おとなのレイディオショウ」。今回は第1回目・・ということで、年内に2回目、3回目を開く予定があるとのこと。
2回目は「あのアイドル」の参加もあるかも・・・とのことでしたが・・。

うーん、一体誰の事なんだろう  
荻野目洋子さんですかね〜

いずれにしても、第2回目が開催されるなら、また参加したいと思うワタシです。

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Room / チェッカーズ

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今回の1曲セレクトは、「Room」チェッカーズです。

まずはデータデス。

・タイトル     Room
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       藤井郁弥
・作曲       鶴久政治
・編曲       THE CHECKERS FAM.
・リリース日    1989年3月21日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   22.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1989年4月3日〜5月8日付

どんばんわ。またまた1週間ぶりの1曲セレクトです。前回、ここのところマクラで「久しぶり」って言うのが常套句になっている・・・って書いちゃったんで、今回は、ちょっとガムバッて連週で筆を上げてみましたわ。
まあ、これが「本来」なところなんですけどね・・・。 以前は「1日1曲セレクト」って感じで平日も書いてた訳だから。。。

さて、今回引っ張ってきた曲は、チェッカーズ「Room」。

ウーム、チェッカーズなんて書くのいつ以来だ 目ぼしい曲は、すでにほぼ書いたんで、ここのところ書いてなかったんだけど、まだ、「ザ・ベストテン」時代の曲で残ってたのがあったんだな。

いや実際のところ、今回引っ張ってきた「Room」って曲、今まで何回か書こうとして書けなかったんだよな。

この曲、重いんだよね。

実際の曲調として重い。ヘヴィーなロックバラードだったじゃん。春先リリースの曲としては珍しいくらい。 

少なくとも80年代くらいまでは、ヒット曲に季節感があったからな。 春先には「春らしい」ポップな曲が主流だった。この曲がリリースされた89年もご多分にもれなかったしね。 だから、この曲の重さっていうのが、際立ったんだよな。

実際の曲調としても重いんだけども、個人的な気分的にも、この頃ヘヴィーだったんだよな。

まあ、ここでは、いままでも何度となくチラチラと書いてきたんだけども、前年88年に大学受験を失敗したワタシゃ、89年は「2度目」の大学受験だった訳ですわ。

But、それも、また失敗。

いや、実際は1校受かったんだよね。 滑り止めの、そのまた滑り止めに受けた某地方大学のKT大学に。

いや、上では「滑り止め」って書いたんだけども、本心からするとあくまで本命に向けて試験慣れするために受けたようなもので、受かっても行く気は無かった。

でも、そこしか受かんなかったんで・・・。 

都落ちしてその大学へ行くか、はたまた、もう1年浪人して本命大学をもう一度チャレンジするか。親はその受かった大学に行くものだと思っていた様だし、親の負担を考えると行った方が良いんだろうなと思いつつも・・・。
やっぱり納得できない自分が居たりして。そんな2択を迫られていた、1989年3月。

そんな時に、聴いたのが、このチェッカーズの「Room」だったんだよな。 

そんな人生の選択を迫られていた自分にとっては、この重いヘヴィーな曲調が一層堪えたんだよ。一度聴いたら、ずっと頭の中にこびりついて離れなかったんですよ。

でも考えに考えて、出した結論は、受かった大学を蹴って、もう一度本命の大学にチャレンジする事。つまりは2浪する覚悟にしたんだよ。 当然、親にはもう1年浪人させてほしいと土下座しました。

その時、頭の中でぐるぐるとなっていたのも、この「Room」だったな。

だからねぇ、ワタシにとってはこの曲は、あれから29年経っても あの重い日々を甦られせる曲なんだよな。
おそらく、これからもずっとそうなんだろうなぁ。

まあ、基はと言えば自分でまいたタネであり、現役で受験に失敗した時覚悟を持ってちゃんと勉強してれば良かったんけど。。。。どこか慢心してたんだよな、うん、ナメてた部分はある。
ちょうど、1浪し始めた頃に家にビデオデッキが来た事を幸いに、一時はビデオばっか見てたこともあったしな。

 でも、当時は第2次ベビーブームで大学の競争率は今よりもずっと高かったんだよ。
特にワタシは「生物」なんてただでさえ学部設置大学が少ない「学問」を選んじゃったんで。。。しかも折からのバイオテクノロジーブームのときで、それまでもよりも輪をかけて競争率が高かった。 20〜30倍は当たり前だったもの。 ま、実競争率は、それよりは低かったけど、それでも次の年、元からの第1志望だったT大学に受かった時は、820人受けて合格がちょうど80人。実競争率でも10倍強だった。。。
だからね、本来は甘く見ちゃいけなかったんだよ。 まあ、そんな世の中の厳しさを身に持って体験できた、良いけ経験だったけださ、今となって思えば・・・・。





うーむ、この曲、PVなんてあったんだな。 初めてPVの存在を知ったわ。
まあ80年代末になって、PV自体珍しい存在ではなくなっていた訳で、この曲にPVがあっても、全く不思議ではないんだけどね。
あ、そうそう、この当時、フジテレビの月曜深夜から放送していた「マーケティング天国」ではオリコンチャートの時にPV流してたもんね。

しかし、個人的に↑のような事があった、この曲だけども、最近は、ようやっと落ち着いて曲を聴けるようにはなってきたんだよね。

この曲へヴィーではあるけども、チェッカーズの曲としては、結構異例な曲調なんだよな。それまでのイメージとしてチェッカーズってオールディーズ的な曲が多かったわけじゃん。それは自分たちで曲を作るようになってからもそうで。
でも、この曲はジャジーなんだよな。 
だから、最初はビックリもしたし、なんとなく違和感も感じた。 でもやっぱかっこいいんだよな。4ビート気味のベースなんて、それまでのチェッカーズでは馴染みが無かったし。
 曲は鶴久氏だけど、当時のチェッカーズの一連の作品を見ると、鶴久氏のメロディセンスっていうのもなかなかのもんだったと思うんだよね。なんつうのかな、切なさというか泣きのエッセンスがあるってうかさ。いわいるキャッチーなんですよ。 マネージメントがしっかりしていれば後々ヒット曲としてのメロディーメーカーとして、もうちょっと活躍できたかもなぁ。

ただ、バンドとしてのチェッカーズは、この時期かなりメンバー間に亀裂が生じ始めてたみたいなんだよね。 そんなバンド内の確執が、この曲にも表れ始めて来ていた・・・、それがこの曲のようなヘヴィーな曲調に現れたのかも・・・とも勘ぐりたくなっちゃうんだよな。


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俺たちのロカビリーナイト / チェッカーズ

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今回の1曲セレクトは、「俺たちのロカビリーナイト」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル     俺たちのロカビリーナイト
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       売野雅勇
・作曲       芹澤廣明
・編曲       芹澤廣明
・リリース日   1985年7月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  44.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1985年7月15日〜9月16日付

果たしていつ以来の1曲セレクトだろうか・・・なんて、この前書いたのが忘れてしまった位、間が空いてしまいましたわ。。暫くは「土日」に書いてたけど、その間隔も崩れちゃっいましたねぇ。。。
うーむ。書く曲が無くなってしまった訳ではないんだけど、7月は「生業」が繁忙期ということもありーの、それが終わった・・・と思ったら、持病の「痛風発作」が再発。。。。
 今度は「膝」に来ちゃいましてねぇ。。。 これが辛いんですわ。膝関節に激痛が走り、パンパンに腫れちゃったんで膝は曲がらないし。。。。 まあ、こりゃアカン・・・っつうことで、いざという時にしか飲まないように隠しておいた、最後の切り札「ボルタレン」が効いたのか、今日になって、腫れはまだあるものの、ようやっと痛みが引いてきた。

・・・・つうことで久々に筆を進ませてたりしまする。。。

ところで、今日は8月12日。 ニュースでも頻繁に流れているけど8月12日というと、「日航機墜落事故」の日なんだよな。
まあ、これについては、以前にも85年8月12日、あの日はこうだった、ああだったって書いてるんだけども、個人的にはどうしても1985年のあの日を思い出してしまう。

なので、今回の1曲セレクトも1985年8月12日にヒットしていた曲を持って来たい・・・・と真っ先に思い浮かんだ訳なんだけども。

でもねぇ、流石に85年の今頃のヒットって大分書いちゃったんだよな・・・。 

さてどうするベか・・・とおもってたら、まだ書いて無い曲があった。

チェッカーズ「俺たちのロカビリーナイト」

コレは不覚だったなあ。 こんな大ヒット曲をまだ書いたなかったんだ。。。。。

いい機会だから、今回はこの曲に決定!


だけど、今までチェッカーズの曲は随分書いてきたのに、なんでこの曲はずっと書いてこかなかったんだろう

うーん、タイミングのずれだったのかなぁ。 ヒット当時も決してこの曲がキライだった訳じゃない。


ただ、チェッカーズのリーダーの武内氏もコメントしているように「印象に薄い」曲だったっていえば、確かにそうだったかもなぁ。

84年に「涙のリクエスト」で大ブレイクしてから1年半。 この曲の半年前の「ジュリアで傷心」でブームの頂点を迎えたチェッカーズだけども、その後は・・と言えば、徐々にではあるけど一時のブームも「沈静化」に向かっていたんだよね。ちょうど、そんな頃のヒットだったわけだ、この曲は。

その証拠に、「涙のリクエスト」以来、「大ヒット」の目安である50万枚を切った事が無かったチェッカーズだけど、この曲ではオリコンで1位は取ったものの、50万枚割れ。

そんなチャートアクションに、個人的にも「あー、落ちてきたなぁ」って言う印象が強かったな。 丁度さ、安全地帯の人気が最高潮の頃だったからさ。余計時代の流れを感じちゃったりしてね。

まあ、元々バンド系の人気は「水もの」であり、「絶頂期」は1年、長くて2年っていうのが、それまでの「ルーティーン」だったからねぇ、さしものチェッカーズもそんな時代の流れには逆らえないよな・・・っていう思いもあったな。

ただね、個人的に言うと、この頃のチェッカーズ曲って意外と好きなんだよな。やっぱさあ「涙のリクエスト」とか前年の「チェッカーズブーム」の頃の曲に比べると、なんとなしに手垢が少ないからかなぁ。。

曲調はモロ50年代だよね。それまでもオールディーズっぽいところを前面に出していたチェッカーズだけど、この曲あたりから「50's」って言う部分をより強調してきたように思えるんだよな。

まあ、音自体ダークなんだけども。 うん暗いよね。 まあ、フミヤも以前からカミングアウトしているように、この頃はチェッカーズ自体精神的に追い込まれていた頃で、ゲ―ノー界に対して「反感」を抱いていた頃なんだよな。

それがストレートに「音」にも出ていたような気がする。 この曲にしても、次の「神様ヘルプ!」にしても。

音がさあ、粗いんだよな、この頃のチェッカーズって。 まあ、その辺が当時の個人的の気分とシンクロしてたのかもしれない。

うん、今思うと、当時、どこかいつもモヤモヤしてたんだよな精神的に。 個人的には16才になるかならないかの頃で、まあ大人への階段を上り出していた頃なんだろう。なんて勝ってに書いたりして・・・。 でも、そうだったんだよな。いつもモヤモヤ、気分がすっきりしない日が続いていた・・・ような気がする、この曲の当時は。

少なくとも、前年・・、まだ中学3年生だった頃・・・の夏休みの「純」な気分ではなかったんだよな、この年の夏休みは。

そんな当時の気分と、この粗くダークな「音」とシンクロしたんだろうな、きっと。

たださ、当時のチェッカーズのメンバーの心情を、いま考えれば同情も出来たりね。 
もともと「アイドル」として出てきた訳じゃないわけじゃん。ヤマハのライトミュージックコンテストから出てきたヒトたちだったけだからさ。

それがアイドルバンドとして「頂点」を極めてしまったばっかりに、本来自分たちがやりたかった音楽が出来ない。 それが2年近く続いた訳なんだから精神的ストレスも溜まるよな。

・・・なんてことは、あれから32年経ちーの、個人的にも色々と人生経験を積んできたからこそ理解出来る事なんだけどさ。






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Song for U.S.A / チェッカーズ

A_チェッカーズ


今回の1曲セレクトは、「Song for U.S.A」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル    Song for U.S.A
・アーティスト  チェッカーズ
・作詞      売野雅勇
・作曲      芹澤廣明
・編曲      芹澤廣明
・リリース日   1986年6月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 32.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1986年6月16日〜8月4日、8月18日付
・タイアップ:映画「Song for U.S.A」主題歌

個人的な事だけど、G.S(グループサウンズ)の勉強がしたくてねぇ、少し前にG.S研究の第一人者であった、故黒沢進氏が書いた「日本の60年代ロックのすべて」(シンコーミュージック刊)っちゅう本を買って読んでたんだよね。
 G.Sについては、いわいる「A級」って言われた、超有名ところなバンドについては以前から聴いては居るんだけども、G.Sは「B級」「C級」が面白い・・・なんて、まるで80年代アイドルのような事を言う人もいてさ、流石にそう言うマイナーとバンドは知らないんで、この本を買ってちょっと勉強してたわけなんだよね。
 この本、G.S研究の第一人者である黒沢氏が書いただけあって、マイナーなバンドまで、かなり詳しい解説があるからさ。

で、その中の「ザ・バロン」っていうグループの解説と、リーダーであった若子内悦郎氏のインタービューを読んでて、思わず「なに?」と思ってしまったのよね。

うん、このバンドで、サイドギターをやってたのが、何を隠そう、80年代にヒットメーカーとなる芹澤廣明氏だったんですよね。

うーむ、なるほどそうだったのか。。。と思わず唸ってしまったですわ。

芹澤氏といえば、確かに中森明菜の「少女A」が有名だけど、やっぱしチェッカーズ初期の一連のヒット曲ですわな。

・・・うーみゅ、前置きが超長くなってしまったけど、そんな事で、今回の1曲セレクトは、チェッカーズの「Song for U.S.A」をば。。。

↑でも書いたように、チェッカーズの初期の作品・・・。そう、デビュー曲の「ギザギザハートの子守唄」から、全てのシングルのタイトル曲は芹澤氏が作曲、プロデュースを行ってきた訳だけども、その蜜月の最後となった曲が、この「Song for U.S.A」・・・と言う訳ですわ。
そそそ、この曲の次が「NANA」になる訳だけど、「NANA」から後はメンバーの自作曲と言う事になるわけで。。

デビューから3年余り、ずっと続いてきた芹澤氏との蜜月が、突然切れた訳なんだけども、なぜ、このタイミングで切れたのか・・・っていうのは、まあ、30年経った今でも公式に公にはなっていないだけど・・・。
以前、有名になった高杢氏の暴露本「チェッカーズ」によると、藤井兄弟と芹澤氏との確執って事が書かれてはいたけど、どこまでが事実なのかは、よく分かんないしさ。

ま、確かに、この頃のチェッカーズの曲って、少し迷走して来て感があったのも事実だったけどね。
この曲の前の「OH!! POPSTAR」では、60年代のマージービートっぽい曲だったじゃん。正直ね、なぜに、このタイミングでこの曲なんだろう? ・・・とは当時から感じてたりしてね。チェッカーズもそろそろ、曲のネタが尽きてきたのかなぁ・・・っていう印象が強くてさ。

・・・それとともに、シングルの売り上げもジリ貧になってきてたしね。
「OH!! POPSTAR」が、おニャン子に負けて、オリコン1位獲れなかった・・・っていうのも、ちょっとインパクトあったしなぁ。

この「Song for U.S.A」でも売り上げのジリ貧は続き、売上げは32.6万枚。 この時点でのチェッカーズのシングルで「一番売れなかった」シングルになっちゃったわけだけどさ。


まあ、曲的な問題もあったのかもれしないけどね。
最初に書いたように芹澤氏って、G.Sのバロンっいうグループに居た訳だけども、このグループ、R&B志向が強かったようですから。まあ、チェッカーズ自体、R&B臭が強いかと言えば、そうではないけど、少なくとも50年代〜60年代の香りは、それまでのどの曲でも感じる訳だよね。
 でも、そういうオールディーズな傾向から、脱却したかったのかもな。そういう「縛り」がなく、もっと自由に音楽を作りたいって言う気持ちの方が強かったんだろう。

芹澤氏との蜜月の解消・・・っていうのは、その部分が強かったのかもしれないな。


たださ、個人的には、この「Song for U.S.A」っていう曲は、キライじゃなかったんだよな。
まあ、個人的に「3連」の曲が好きだってこともあるけど、曲自体切ないんだよね。
こういう切ない曲をチェッカーズがやってくれるんだったら、それはそれで歓迎だな・・・と。

ま、それよりも、前年の「神様ヘルプ」から、公然的に口にしてた「ゲ―ノー界」にたいしての反抗期っていう感じが、曲を聴く限りでは感じ無かったんだよね、この曲では。

音の荒みとか感じ無かったしさ、なにより曲を聴いて切なく感じるってことは、それだけ精神的に安定していたとも言えるしね。

でも、実際は、芹澤氏との蜜月解消が進んでいたって言う訳だからねぇ。
いや、逆言えば、そういう腹積もりを決心していたからこそ、音にも出て来ていたのかもな。




ちなみ、「Song for U.S.A 」とは、関係ない話だけど、芹澤氏との関係が解消し、50年代〜60年代縛りが無くなった頃、ネオG.Sって言う形で、G.Sにまたスポットが当たったのは、チェッカーズにとってはなんか皮肉だったよな。
 それと、芹澤氏の他にも、G.S・・・特にB級、C級のG.Sの元メンバーだった方が、この頃80年代の(音楽)業界にはホント多かったんだよね。売れる音楽とは何なのか・・・ってことを自分たちで体感し、分かっていたからこそ、80年代くらいの音楽は面白かったのかもしれないな。 その辺については、追々と言及して行きたいですね。


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ギザギザハートの子守唄 / チェッカーズ

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今回の1曲セレクトは、「ギザギザハートの子守唄」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル    ギザギザハートの子守唄
・アーティスト  チェッカーズ
・作詞      康珍化
・作曲      芹澤廣明
・編曲      芹澤廣明
・リリース日   1983年9月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数  39.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1984年5月7日〜5月28日、6月11日付

のっけから・・・・・眠いっス!  昨夜は自分のサイトのトップページに「アクセスカウンター」を設置するのに、久々にCGIと格闘しつつ、気がついてみたら「あさ〜っ」ってのをやってしまいまして。。。。
いや、昔、レンタルサーバーを借りてた時も付けてたんだけど、一時、お金が無くてやむなく無料のレンタルサーバーに引っ越しした時に外しちゃったんだよね。
 でも、昨年、再度、「有料」のレンタルサーバーを借りて独自ドメインを復活させたんで、ちょっと遅くなっちゃったけど、アクセスカウンターを復活させようと思ったんたけど。。。。

 うーむ、久々にCGIのプログラムや、ファイルのパーミッション設定なんかと格闘したんだけどねぇ。 最終的には表示できるようになったんだけど、どうも、数字がランダムになっちゃってウマく表示できなかったんだよね。

・・・なんで、結局、徹夜までしたのに破棄。 ネットに落ちてた無料カウンターをつけたら、ものの5分でついた。。

むー、最初からそうすりゃよかった。。。。 眠いっス。頭が回らなっス。。。。

なんで、早く書いちゃいますね。


さて今回セレクトしてきた曲は、チェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」。

うむ、栄えあるチェッカーズのデビュー曲ですわな。
・・・・ってことは、ここ読んでる方はみなさんご存知ですよね  まさか「涙のリクエスト」がデビュー曲って思ってる方は、よもやいらっしゃいませんよね 

うーむ、まあ、今となっては「栄えある〜」なんて書けちゃいますけど、リリースから暫くの間は、まったくヒットしなくて、泣かず飛ばずの状態が続いた・・・っていうのは、当時、リアルタイムでこの曲聴いてた方なら、良くご存知ですよね。

ちなみに、この曲のオリコン初登場って何位だったかご存知でしょうか。 

168位だったんですねぇ。(1983年10月3日付)。。。

168位ですわ〜。っつか、詳細はワタシも今、知ったんですけどね。。。
当時のオリコン(ウイークリー)ってシングルは200位まで掲載してあったんで、当時のオリコンをひっくり返してみましたわ〜
 そそそ、当時のオリコンを所有しておられる方ならご存知だと思うけど、今でこそYOU大樹では200位まで売り上げ枚数は記録されているものの、当時は、101位以下は集計「誤差」が大きいという理由から、あくまで「参考」ランクであり、売り上げ枚数も出してなかったんだよね。

当時からすると、オリコン100位以下の曲は、そのアーティストの余程のファンで無い限り、一般的にはほとんど誰も知らない曲であり、ほとんど注目もされなかったんで売り上げ枚数があろうが無かろうが、影響はなかったんだけどさ。

だから、つまりは、当初は、この曲は、ほとんど見向きもされなかった曲だった訳無なんですよね。
 そんな状況下の中、当時、デビューキャンペーンで各地を回った際は、観客もほとんどおらず、「リンゴ箱」の上で歌ったこともあったとか。。。 

まあ、当の本人も、もともと「こんな演歌歌えるか」って言う気持ちだったようなので、仕掛けた側には「それみたことか」っと言う気持ちだったようなんですが。。。


 そそそ、もともとチェッカーズって、件のアイドルバンドなんかじゃなくて、ヤマハのライトミュージックコンテストのジュニア部門、後の「YAMAHA TEENS' MUSIC FESTIVAL」に相当するコンテストで優秀賞を受賞した実績のあるバンドだったんだよね。
 なので、当然、バリバリのバンド系、とくに当初はシャネルズのようなドゥアップなど黒人系音楽をやっていたので、そちらの方向でデビューすると思っていたところ、いきなり「アイドルバンド」にさせられ、しかも「演歌・歌謡曲」みたいな曲でデビュー・・・ということで、少し「ふてて」たところもあったようだ。

だから、当初、売れなかったときは「それ見た事か」・・・と思ったようなんだよね。


BUT、年が明け第2弾の「涙のリクエスト」がラジオでヘヴィーローテション的にかかるようになって、状況が変わる。
 オリコン初登場168位なこの曲もジワジワジワとランクを上げ、100位内に初登場したのが、1983年12月19日付(81位初登場)。その後も、ノラリクラリと、業界用語でいうところの「右ページ」(51位〜100位)を少しずつランクアップしていたところ、「涙のリクエスト」リリースと同時に、「左ページ」に躍進。
以後も、ジワリジワリとランクアップし続け、1984年5月14日付でついにベストテン内に到達。。。とまさにシンデレラストーリーを字で行くようなチャートアクションを展開しましたよね。

うん、その間に、第2弾の「涙のリクエスト」、第3弾の「哀しくてジェラシー」の大ヒットもあり、一躍「時の人」な存在になってしまった訳なんだけども、チャートマニアからすれば、この曲のようなジワリ型ヒットっていうのが、一番見応えがあったわけなんだよね。
ま、確かに3曲中では、一番ジミーな存在であることは確かなんだけどさ。

ちなみに、この曲がベストテン内に到達した、1984年5月14日付チャートは、チェッカーズが、それまで前人未到の3曲同時にベストテン入りさせた・・・なんていう歴史的なチャートなんだけどさ。

1位 哀しくてシェラシー
5位 涙のリクエスト
9位 ギザギザハートの子守唄

いや、まさにチェッカーズ旋風が吹きまくっていたころですね。

でも、これよりホンの半年前のことを考えると、上で書いたようにほとんど客もいない前でデビューキャンペーンを行っていたなんて、まったく信じられない状況だったよな。
 っか、逆に、1983年の大晦日の時点で、次の年にチェッカーズ旋風が来るなんて、全然予想もしてなかったことだったもんな。

たださ、そんな予感がしてたのかどうかは分かんないんだけども、当時、月刊明星付録の「YOUNG SONG」の1984年2月号(年末特大号)。楳図かずおと近田春夫の「年末対談」って言う企画の中で、「来年はハデハデグループが出てきて欲しいな」なんていう件があるんだよね。
 あとからすると、いや、まさにその対談内容が「図星」で当たっちゃったわけなんだけども、すでに業界内では、チェッカーズが爆発する・・・っていう噂はあったんでしょうかねぇ。 まあ、今となっては全く分からないことなんですが。。。。



うわうわ、チェッカーズヘアのフミヤや。
当時、この髪型にしようとすると、ガッコの頭髪検査で、絶対引っかかった・・・という。
ちなみに、オートバイを生産していたYAMAHAにおいて、YAMAHA所属のチェッカーズが、♪ 仲間がバイクで死んだのさ〜♪ とは何事だ〜・・・って言う事もあったようですね。
 それでもリリースしちゃったんだから、いい時代だったよね。 いまだったらコンプライアンスがなんじゃらかんじゃらで、もっと問題になったろうけどね。
 だいたい、こういうエンターテイメントに「まともな意見」が絡んでくるとツマンナクなるのよ。

サザンのアルバム「NUDE MAN」の1曲目の「D.Jコービーの伝説」にあるように 「オリコウなやつぁGET OUT、アーパーならC'MON」って行く方がいいのよね、エンタテイメントは。



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OH!! POPSTAR / チェッカーズ

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今回の1曲セレクトは、「OH!! POP STAR」チェッカーズです。

まずはデータどぇす!

・タイトル    OH!! POP STAR
・アーティスト  チェッカーズ
・作詞      売野雅勇
・作曲      芹澤廣明
・編曲      芹澤廣明
・リリース日   1986年2月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  35.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1986年3月3日〜4月28日付

えー、今回は久々にチェッカーズを持ってこようかな。
チェッカーズも、大分書いたようなつもりでいたんだけど、意外とまだ書いてない曲が多いんだよな。なので、この先もチョクチョク書くことになるか・・・と思いまする。

そんななかで、今回は1986年の今頃のヒット。 

「OH!! POP STAR」

でもさ、この曲、今となっては結構存在感薄いんだよな。 当時、チェッカーズファンだった方ならいざ知らず、そうじゃない方は、忘れてる方も多いんじゃないかなぁ。

まあ、曲自体、前曲の「神様ヘルプ!」の♪神様ヘルプ! ヘルプ!・・・・♪と絶叫してたのに比べたら、ミディアムテンポで大人しいし、インパクトも少ないからなぁ。当時から存在感が薄かった気がする。

そもそも、ワタシからして、この曲が35万枚も売れてた・・・ってことを忘れてたくらいだから。。。

なんかね、印象としては、この曲で30万枚割ってた様な気がしてたんだよな。 
たださ、売り上げ的には前曲「神様ヘルプ!」と同じくらいは確保したものの、オリコンでは、ここまで7作続けてて来ていた連続1位も、この曲で途切れてしまいましたね。

まあ、初登場の時の相手が、おニャン子クラブの「じゃあね」で、これに1位を阻止されちゃったわけだけども、

1位 じゃあね        12万9610枚
2位 OH!! POP STAR   12万8370枚

・・・と僅か1240枚差で、涙を飲んだ訳なんだけどさ。。。。


しかしねぇ、デビュー以来、一貫して、芹澤廣明氏プロデュースで、芹澤氏の曲を歌ってきたチェッカーズだったけど、曲的にはそろそろネタが尽きてきたんじゃないか・・・っていうイメージは拭えなかったんだよな。

曲自体は、マージービートというか、50年代、60年代を彷彿させる様なガレージっぽいロックだったけど、それもなんか「今更」っていう感じもしたんだよなぁ。
 チェッカーズ自体、もともと50年代、60年代のオールディーズナンバーをもともとやってたグループだったわけだけど、メジャーデビュー以降は、そこをあえて封印しているような動きをして居たわけじゃん。

 でも、なんで、今さらオールディーズなんだろ? っていうのもどこか不可解だったんだよね。 あたかも、芹澤氏が、メンバーのご機嫌を取っているような感じにも思えたし。。

第一、本人たち・・・というか、特に藤井兄弟は・・・これまでの路線に、不満がたまって来ていたらしく、フミヤ曰く、この時期はゲーノー界に対しての反抗期だった・・・って後年か語ってたりするもんね。

そういうところって、見てる方も意外と感じたりするんだよね。だから、「ゲ―ノー界への反抗期」って言った時は、「ああ、やっぱりな」なんて思ったもんですわ。

まあ、それらの不満が、この年、芹澤氏と決別し、自分たちでの作詞作曲に移行する事になるんだけどさ。





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ジュリアに傷心 / チェッカーズ

1985_01_ジュリアに傷心_チェッカーズ

 





今回の1曲セレクトは、「ジュリアに傷心」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル    ジュリアに傷心
・アーティスト チェッカーズ
・作詞      売野雅勇
・作曲      芹澤廣明
・編曲      芹澤廣明
・リリース日  1984年11月21日
・発売元    キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  70.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年12月3日〜1985年2月18日付

 前も何回か書いたことなんだけど、昨年までこの1曲セレクトに出していた楽曲って言うのは、ほとんど6年前までmixiで書いていた内容の「再録」でして、それが1000曲あまりだったんですよね。
 なので、80年代を中心に「めぼしい」ヒット曲については、大体書いてきたりしたんだけど、よくよく確認してみると、その時書いてなかった「大ヒット」曲も、まだあったりするんだよね。

いや〜、「大ヒット」と呼ばれる曲は大体書いたぞい・・・・なんて6年前は思ってたんだけどさ。

じつは、今回セレクトしてきた曲も、そんな曲だったりして。。。。

チェッカーズ「ジュリアに傷心」

わあ、大チョンボだよね。 なにせ、1985年のオリコン年間1位の曲ですよ。。。。数あるチェッカーズのヒット曲の中でも「涙のリクエスト」に並ぶ代表曲なのにねぇ。。。

なぜに書いてなかったか・・・・今となっては良く覚えてないんだけど、C/Wの「チャッカーズのX'mas Song」き書いてたんだよね。 おそらく、それで、この曲も書いた・・・なんて勘違いしてたんじゃないかなぁ・・・とか思ったりして。。。 でも、いい機会なんでね。

 チェッカーズと中森明菜の年・・・といっても過言じゃな買った1984年だけど、その最後にリリースしたのが、この曲でしたね。
 まあ、この曲の頃のチェッカーズ人気はめちゃくちゃ凄かったもんなぁ。うん、ピークでしたよね。

この曲、リリースは1984年11月21日だったけど、オリコン初登場した12月3日付では初登場1位は勿論の事、週間売り上げ枚数が、13万6千枚。
・・・って書くと、今の感覚だと、「なんでぇ、大したことないじゃん」なんだけど、当時、週間売り上げが10万枚以上なんてのは、年に何回あるか・・・ってくらいの「珍事」でしたからねぇ。
しかも、チェッカーズは、「哀しくてジェラシー」「星屑のステージ」に続いて3作連続して、週間10万枚以上を記録し、しかも、リリース事に売り上げを伸ばしてたりしたんだよね。
いやぁ、飛ぶ鳥を落とす勢いってのは、この事なんだなぁ・・・なんて思ったりしてましたねぇ当時は。

 しかもですよ、得てして週間売り上げが高い作品は、「初動のみ」で勢いが落ちるのも早い・・・っていうのが、当時も今も「常」の傾向なんだけど、この曲は違ったんだよね。
 なんせザ・ベストテンでは8週連続、ワタシのランクでも7週連続1位・・・とロングラン1位も記録したりしてたからなぁ。 兎に角、向かうところ敵なしのチェッカーズだった訳ですよ。

 個人的には、曲も好きだったんだよな、この曲。
「傷心」って言うくらいだから、「失恋ソング」なわけだと、マイナーな曲調の中にもスピード感があったじゃん。前曲の「星屑のステージ」がスローバラードだったのけど、それに対比した感じだったし。
 なにより分かりやすかった。でも、この曲までのチェッカーズのシングルなは無かったような新鮮もあったしなぁ。なんだろ、スピード感なのかなぁ。
 まあ、サウンド的には、それまでのチェッカーズを彷彿させる50's〜60'sって言う路線は変わって無かっただけどさ、でも、新鮮さがあったんだよな当時は。

 だから、最初に聴いた時から当然のように売れると思ったし、まあ、実際そうなったんだけどね。

 でも、結局は、この曲が「ピーク」でしたね。 ま、そんなにそんなに人気が続くもんじゃない・・・っていうのは、ヒット曲史の常なんだけどさ、やっぱし、84年から85年へ・・・っつう年またぎの瞬間、なんか変ったんだろうねぇ、雰囲気が。 
 いや、これが不思議なんだよね、長年ヒット曲を追いかけてると、前年、あんなに飛ぶ鳥を落とす勢いだったのが、年をまたいだ瞬間、前年の勢いが感じられなくなるってことがあるんですよ。

やっぱ、その年、その年のカラー・・・・雰囲気・・・ってのが、あるんですかねぇ。
 
ちなみに、↑で書いたように、この曲が、オリコンでは85年の年間1位だったけど、売り上げ70万枚で1位だったのは過去最低だったんだよね。
 本格的に「レコード」が売れなくなってきた頃ですね。 まあ、ヒット曲界も変革期だったことは間違いないんだけど、レコードが売れない時期にゃ、アイドル勢が元気っていうのは、あの時も、今も同じなんだよな。
 で、しかも、そのアイドルも「壊れ」てたってのも同じ。なんせ85年は、例の「おニャン子クラブ」が出てきた年ですから。地盤沈下した年だよなぁ。

・・・ということは、今のCD売り上げ不況を脱出するには、あの時、売り上げ不況を脱出したのはどうやったんだっけ・・・って言うのを思い出せはいいんじゃないですかねぇ。・・・なんて思ったりして。





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チェッカーズのXmasソング / チェッカーズ

1984_12_チェッカーズのX'masソング_チェッカーズ






今回の1曲セレクトは、「チェッカーズのXmasソング」チェッカーズです。

 まずはデータです。

・タイトル    チェッカーズのXmasソング
・アーティスト  チェッカーズ
・作詞      藤井郁弥
・作曲      武内亨
・編曲      チェッカーズ 芹澤廣明
・リリース日   1984年11月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   70.3万枚
※「ジュリアに傷心(ハートブレイク)」c/w曲

 前回のヤマタツ「クリスマス・イブ」でも書いたように、今日くらいはクリスマスソングを書いてもいいかな・・・なんて思いーの、今回もクリスマスソングをセレクトして来ました。

 チェッカーズのX'masソング / チェッカーズ 

 のっけから、かなり、はずれた曲を持ってきちゃったかなぁ・・・・。 でも、個人的には、この曲こそ、邦楽のなかでのクリスマスソング! って思ってるのね。

 まあ、今となっては、知らないヒトの方が多いと思うし、昨今のクリスマスソング特集でもほとんど取り上げられることが無い曲なんだけどさあ。
 でも、一人でも盛り上がっててもしょうがないので、、ちょっとご紹介しますが、この曲は、1984年11月21日にリリースされた、「ジュリアに傷心」ってタイトル曲のカップリングとして収録された曲ですね。当時で言えば「B面」ですわ。
 
 B面ってのが、いかにも当時を物語っているんですが、当然、当時は、CDシングルなんてなかったんで、アナログレコードですよ。

 曲は、作詞、藤井郁弥、作曲、武内亨ってあるように、メンバーだけで作ったオリジナルの曲なんですよね。

 当時、チェッカーズは、シングルは、プロの作家が作っていたわけで、自分たちで作った曲がシングルに採用されたのは、珍しいんだよね。 もちろん、すでにアルバムには、自分たちで作った曲も収録されていたけど。。。。
(シングルのタイトル曲も自分たちで作詞、作曲するようになったのは、86年11月の「NANA」以降)

 いわば、シングルの処女作って感じなんだよね。

 だからというわけでもないだろうけど、ものすごく、優しく、易しい(なんていう言い回し?)、曲なんだよね。

 鈴の音のシャンシャンシャンシャン・・・という、いかにもクリスマスを連想させるような入り方のイントロ、ここから、しばらくアコギだけの弾き語りスタイル。。。。リズムは3連。

 そうだねぇ、いまだからいえるけど、雰囲気的には、ジョンレノンの「Happy Xmas」に似てるかも。。。

 まあ、もっと、シンプルで簡単なつくりの曲なんだけどね。

曲の中身は、なんていうかねぇ。。。うーん、中高生的なメルヘンチックな世界かなぁ。
当時、中高校生に圧倒的な人気があったチェッカーズだけに、だから、ファンの間では人気がありましたよね、この曲。

 この曲、ワタシが初めて聴いたのは、いつだったか? 間違いなく、リリースされた当時だったと思うんだけど、いい意味で「トリハダ」がたったなぁ。
 
 なんでなんだろ?

意味はよくわかんなかったんだけど、感動しちゃったんだよね。まあ、ちょうどターゲット層にとっぷりな年齢でもあったしね。
 チェッカーズってどっちかと言うと、下世話な曲が多かったからね。当時は。
 随分、タイトル曲の「ジュリアに傷心」とイメージが違ったのも事実。


 それと、当時は、そこそこ人気あったんだよね。この曲も。
今、当時の月刊・明星の付録の歌本「ヤンソン」を見ながら書いてるんだけど、1985年2月号には、譜面付で、この曲載ってるくらいだから、人気はあったんだよ。

 でも、長続きしなかったなぁ。この曲こそ、日本のスタンダードなクリスマスソングって言いたいんだけどねぇ。
 
 あ、この場合は、好きなヒトと過ごす、二人だけのクリスマスって意味での、初めてのスタンダードなクリスマスソングってことね。
 それまでは、クリスマスっていうと、パーティなど、みんなで過ごすのが普通だった気がするんだよね。

 このころからだよね、クリスマスは、好きなヒトと二人で過ごすっていうのが一般的になってきたのは。。。
(俺の思い過ごしかもしれないけど)

 まあ、この曲、のっけから

♪ ふたりだけのクリスマス きらめくtreeの下で〜♪

と、完全に好きなヒトと2人のクリスマスをイメージした曲なんだけどね。

 ほんと、一度、聴いてほしいなぁ。絶対に目からウロコだから。
 



そういえば、このシングルのタイトル曲「ジュリアに傷心」もまだ書いたなかったな。 近々書きますね。


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Blue Rain / チェッカーズ

1987_12_Blue Rain_チェッカーズ






今回の1曲セレクトは、「Blue Rain」チェッカーズです。

 まずはデータです。

・タイトル   Blue Rain
・アーティスト チェッカーズ
・作詞     藤井郁弥
・作曲     藤井尚之
・編曲     THE CHECKERS FAM.
・リリース日  1987年11月6日
・発売元    ポニーキャニオン
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  14.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1987年11月23日〜12月7日付

 ここのところ、頻繁に1曲セレクトを書かなくなったのは、確かに、まだ、書いていない曲のストックが少なくなってきたこともあるんだけど、残っている曲が、これまた、書くのが難しいんだよね。
 やっぱ、引っ掛かりがでかい曲から、今まで書いてきたからさあ。
残っている曲は、たしかに、当時、聴いてはいたんだけど、個人的にはあんまり引っ掛かりが少ないって曲が多いんだよなぁ。
 だから、なかなか筆が進まないんだよね。。


 まあ、言い訳っちゃ、いい訳だけど・・・あせあせ

ただ、来年以降の1曲セレクトについては、ちょっと考えてる事があるんでね。それについては、また年末あたりに書こうかと思っています。


・・・ということで、今回引っ張ってきたのは、チェッカーズの「Blue Rain」って曲。

 あー、これまた難しいなぁ・・・。

 いや、たしかに当時は、それなりには聴いてた。 ただ、あんまり触手が伸びなかったのは確かでさあ。 チェッカーズのレコード音源は、シングルはそこそこ揃ってたりするんだけど、この曲は、今の今まで持ってなかったのよ。
 唯一、「ザ・ベストテン」で録音したテープだけかなぁ、持ってたのは・。

 でも、さっき、録音したのよ、この曲のレコード音源ふらふらふらふら。 
28年っていう時空を超えてふらふらふらふらふらふら

 ま、レコード音源といっても、例のStardigioからの「エアチェック」録音だけど・・・・。 でも、ここからPCでデジタル録音して、カンタンにマスタリングすれば、ほぼCDから、mp3に落としたくらいの音質音源はできるんで、エアチェックといっても、実質はCDから録音したのと変わんないんだけどね。

 で、さっき、エアチェックをしながら、この曲聴いてたら、「この曲書いてなかったよな」なんて、思いーの、引っ張ってきちゃいました。

 ま、試練のつもりで。。。。ふらふらふらふら


 この曲はさあ、重いんだよね、なにせ。
 ここまで、重い曲は、チェッカーズのシングルとしては、初めてだったよな。 たしかに同じような曲調な曲として、84年の「星屑のステージ」があった。でも、ここまでヘビーじゃなかったしな。

 まあ、これも、作られた曲であった「星屑のステージ」と、自分たちで作った、この曲との違いというわけなんだろう。

 ただ、それまでのチェッカーズにはなかった印象が強かったのと、それが、一般受けしなかった・・・っていうことで、前曲の「WANDERER」まで、守っていた、売上げ20万枚っていうラインを、この曲では大きく割り込んだのも事実で。。。

 まあ、それをどう見るかなんだけどさ。 ウレセン路線を捨てて独自路線に入ったと見るか、単に、一般受けしなかった・・・と見るか。

 ワタシは後者と取った。 たしかに自分たちで作詞作曲をするようになって、それまでのウレセン路線とは一線を引いたところはあるだろうけど、かといって、この時点で完全にヒット路線をはずして、自分たちの本当にやりたい方向に向かっていたか・・・というと、この時点では、まだ、なんとも言えないんだよね。

 この曲にしたって、確かにヘビーという点では、「星屑のステージ」以上ではあるけど、かといって、全く違う路線であるか・・・というと、そうとも言い切れない。 リズム体だけ聴いてると、それほど大きな違いもないわけで。。。

 そういう意味では、まだまだ、中途半端な印象は拭い去れない。 そこなんじゃないかなぁ、この曲で売上げが一気に下がったのは。

 ちなみに、この曲の曲調ってチェッカーズ、好きなんだよねぇ。この曲から1年半後の「Room」も全く同じような曲調だし。 なんにも言わなかったら、両者の区別はどうなの? なんて感じだしさ。ただ、作曲は、この曲はナオユキだったのが、「Room」では鶴久氏っていう違いはあるんだけど。。。


 まあ、個人的に、この「Blue Rain」って曲の印象・・・っていうと、やっぱ、ぱっと聴きの通り、暗くて重い印象しかなかったんだよなぁ、当時は。
 
 やっぱ、この曲がヒットしてたころ、大学の「推薦入試」に落ちたっていう苦い思いがあってさあ。 そそそ、あの時、頭の中でヘビーローテーションしてたのが、この曲だったんだよ。
 たしかドン曇りの日だったな。この曲のヘビーなイメージとシンクロして、重い気持ちがさらに重くなったのを覚えてる。

 いままで、あんまりこの曲聴いてこなかったのは、あの「試練」・・・というか、苦い思い出があったからかもしれないな。

 まあ、あれから28年たった今となっては、人生の中の1ページに過ぎない出来事よ。たかだか大学受験の失敗なんてさぁ。。
 
 ・・・・なんて思えるようになったのも、時代の流れ・・・というか、年の功ってやつですかねぇ。。。
 




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神様ヘルプ! / チェッカーズ

1985_11_神様ヘルプ!_チェッカーズ






今回の1曲セレクトは、「神様ヘルプ!」チェッカーズです。

 まずはデータです。

・タイトル     神様ヘルプ!
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       康珍化
・作曲       芹澤廣明
・編曲       芹澤廣明
・リリース日    1985年11月1日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    35.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1985年11月11日〜12月23日付

 音楽ってさ、そもそも「音を楽しむ」ものなんだよね。なんて、わけのわからない出だしで始めちゃったんだけどさ、音楽って、音を楽しむと同時に、その時その時の感情を写し出す、鏡でもあるんだよね。

 うん、これが不思議なもんで、気持ちが心から楽しいときは、音も「楽しげ」になり、逆に、気持ちが荒んだ時は、音も「荒んで」しまう。

 プロのアーティストは、ライヴやステージでは大概は、ニコニコ、爽やかにしてるもんでしょ。

 これは、「ブスッ」としてると、音まで「ブスッ」としてしまうのが、アーティストは生理的に分っているからなんだよね。

 音が荒むと、それは聴いてる人・・・特にファンにはダイレクトに伝わり、やがてファンは離れていってしまう。
 ってことになるんだよね。誰も荒んだ音楽なんて聴きたいと思う人は居ないだろうから。
 どんなに大音響な音でも、心地いいからそのヒトの音楽を聴くわけでしょ? プロの評論家とかライターでもない限りは。


 あ、いや、これは、プロに限らないんですよ。アマチュアだって、同じことが言えるんだよね。音の「表情」にはプロもアマも関係ないんですよ。

 昔さ、中学校で、ブラスバンドを始めた時の顧問の先生、千葉では有名な先生だったんだけど、そのかわり、練習は厳しい人でさ。
 特に生活態度まで、厳しく言われたよ。
 「惰性で生きるな」って。惰性な生活してると、音楽も「惰性になるから」ってさ。最初は、意味がわかんなかったんだけど、2年もやってると自然と意味がわかってくるもんなんだよね。
 要は、中学生らしい「みずみずしい音」を出したかったら、普段の生活態度から、みずみずしくなきゃダメってことなんですよね。




 さてさて、今回ひっぱってきた、チェッカーズの「神様ヘルプ!」っていう曲。

 後日のチェッカーズのフミヤの談では、このころは、一番グループが荒んでたっていう時期だったらしいね。

 ゲーノー界全体、音楽に対しても、反抗してた時期だって。


・・・あ、やっぱそうなんだ!・・・・

って、すぐ思ったな。 だってさ、このころのチェッカーズの音って、荒んでるもの。荒い、っていうか、雑っていうかさ。
 フミヤのボーカルにしても怒ってるよね。それまでのグループとしての田舎育ち特有の明るさとか朗らかさ、・・・って言うのが、消えかかってたんじやないかな・・・って、すぐ感じましたよ。この曲聴いた時。

 いや、この曲の前の「俺たちのロカビリーナイト」あたりから、そういう兆しは見えたかな。

 うん、グループとしても、一時的に「ヤバイ」時期だったらしい。

 その辺は、ベースボーカルだった高杢氏の「チェッカーズ」っていう著書に詳しくでてるから、興味がある方は読んでみてくだされ。

 まあ、全然性格が違う、人格が違う大の大人、7人集まるわけだからねぇ、初めの1年、2年は楽しくやれても、3年、4年と続くと、だんだんと、メンバー間に溝が出来てくる、派閥も出来てくる・・・っていうことは自然なことなんだろうけどね。

 グループが長期間続かないって言うのは、まず、これが原因なのは、致し方ない所だろうし、必然なんだろうけどね。


 なんかさ、この曲の

♪ 神様ヘルプ! ヘルプ! ヘルプ! ヘルプ! ヘルプ! ヘルプ! ヘルプ! ♪

って叫んでる様は、歌詞の男の子の叫び・・・というよりも、彼ら自身の叫びに聴こえてきちったりするんだよね。

 もし、あのころ、明星ヤンソンの近田氏の新曲激評コーナーが続いてたら、どんな評になってただろう?

 きっと、「辞めたいんでしょ? じゃ辞めれば・・・」ってなってたような気がするなぁ。

 なんとなく、そこまでグループとして行っちゃってた気がする。特に高杢氏の「チェッカーズ」っていう著書を読んで、改めて曲を聴くとさ。

 その辺の心情は、チェッカーズの師匠である、作曲家の芹澤廣明氏にも重々伝わってたんだろうしね。
 だから、この時期に、まさに「神様ヘルプ!」なんて曲を書いたんだろうけど・・・。

結局さ、藤井兄弟が、芹澤氏に対抗するようになっていたらしいんだよね。このころから。

 つまりは、自作で曲を作りたくなってきてたってこと。

 もちろん、アルバムでは、それまでも、自作の曲を収録されていたけど、シングルのA面になった曲はない。

 全て、芹澤氏プロデュースの曲なわけで・・・。それに反感を覚えてきてた時期らしいんだよね、このころ。

結局さ、この1年後に、藤井兄弟の意見で、一方的に芹澤氏との縁を切って、自作の「NANA」って曲を出すことになるんだけどさ。

 でも、「NANA」を境に、一気に売上げが下がったのも、また事実。

 その辺の不満、焦り、奢り・・・・etc etcもあり、最終的には収集が着かないところまでになって、今に至る・・・ってことらしいね。

 もちろん、ドラムのクロベェ氏の若くしての夭折・・・っていうこともあり、オリジナルメンバーでの再結成は永遠に不可能になってしまったわけなんだけど、あまりにもメンバー間の亀裂が大きいだけに、これは、今後ともありえないだろうね。

 あるとしたら、まずは、高杢氏と藤井兄弟との「和解」からだろうけど、今となっては、それも不可能だろうな。

 そんな、不協和音が聴こえ始めてきたのが、今回ひっぱってきた、「神様ヘルプ!」ってわけですわ。




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