今回の1曲セレクトは、「シルクロードのテーマ」喜多郎です。
まずはデータです。
・タイトル シルクロードのテーマ(絲綢之路)
・作曲 喜多郎
・編曲 喜多郎
・リリース日 1980年5月21日
・発売元 キャニオン
・オリコン最高位 33位
・売上げ枚数 25.1万枚
・タイアップ:NHK特集「シルクロード」主題歌
※売上げ枚数はアルバム売り上げ(LP、カセット合算)データです。
1980年っていう年は、今考えると、音楽界的にはいろんなことがあった年だったな。
大きなところで言うと、ニューミュージックの「分化」と、代わって台頭してきたアイドルが音楽界の「政権」をとる基盤になった年といえるんだけど、もう一つ、今のオンガクに通じる、大事な要素の一つとして、シンセサイザーの台頭だろうな。
そんなシンセな音楽では、どうしてもY.M.Oが、まず挙げられる。まあ、売上げ的に言っても、世界的な知名度から言っても、どうしてもY.M.Oは切り離せないんだけど、もう一つの流れとして、喜多郎がいるんだよね。
喜多郎・・・といえば、この年1980年〜1981年にかけて月1回ペースで放送された、NHK特集「シルクロード」のオープニングのあの絵が浮かんでくる方も多いことでしょう。
うん、シンセサイザー=テクノ とは100%言い切れないぞ・・・と認識させたことが、もう一つの流れとなって、時代に出てきた・・・ってことで、重要なファクターなんだよね。
あのころのシンセサイザーを使ったオンガクにいえたことは、それまでの「等身大」に近かった音楽ってものの広さ・・・うーん、この辺は、どう表現したらいいのか、よくわかんないんだけど・・・なんていうのかな、音楽から感じる、空間の広さ・・・っていうのかなぁ・・・が、一気に広がったような感覚があったな。
それでも、Y.M.Oの曲には、まだ「有限」的な広がりだった。でも、この喜多郎の音楽は、それが「無限大」まで広がったような感覚があったなぁ。
無限の宇宙の壮大さ・・・・まず、これを感じるんだよね。うん、なんか、使い古したようなコトバだけど、どうしてもねそれを感じずにはいられないんですよ。
プラスそれが、ゆりかごのような感覚に襲われるんだよね。それを感じるとき、「有限」な地球と、無限の宇宙は、やはり繋がっているだな・・っていう感覚になる。
そこがとても心地よいのです。。。
・・・なんて、分かったような分かんないような文章を書いてしまったけど、要するに、「心地よい」のです。
最近の使い倒されたコトバでいえば「癒し」なんだろうけど、そういう言葉では括れないような、もっと壮大で、儚い気分にされられるんだよね。ニンゲンなんて、本当にチッポケなもんなんだわ・・・っていう、気分。
なに? 文章がどこかの「宗教」っぽい? ワタシは、無宗教派ですよ。 でもさ、こういう、無限大な音楽を聴いてると、そういう「無」の境地に心が洗われるんだよね。
ところで、最近のオンガクには、どうして、こういった、「無限大」な壮大さを持つような曲が出てこないんだろう。
最近の曲の、特に歌詞を聴いてると、メッチャ、ミクロな世界なんだよね。第三者からしてみれば、どうでもええやん・・・っていう、重箱の隅をつついたような内容の曲が多い。
そういう意味からして、演歌の世界なんですよ。
・・・って書くと、また、反論が来るかは目に見えてるんだけど、もともと、そういう、ヒトの心の片隅の〜・・・なんていう、ミクロな世界を歌っているのが演歌なのよ。
でしょ・・・ ♪ 大空よ〜 大地よ〜 宇宙よ〜 ♪ なんて演歌は無いじゃん。
そういう、なんか、みみっちい世界の音楽が大半を占めている、昨今のオンガクに辟易しているんだろうな、ワタシ。
なんで、こういうオンガクが多くなってきたか・・・。多分、そんな重箱の隅に生きているようなスケールなヒトが多くなったからじゃない?
で、そういう曲が売れているのは、そういうちっちゃなスケールに生きてるヒトが多いからだろうね、きっと。
単純に、なんか、そんな感じがするな。。。
もっと、スケールが広い、おおらかな世界に生きているヒトが増えれば、こういう、スケールの大きなオンガクも出てくるようになると思うな。
そういう意味では、1980年代初頭・・・・今から35年位前は、今に比べたら、もっとおおらかで、スケールの大きな生き方をみんなしてたって事になるんだろうな。。。
言い方を変えれば、もっと人間らしい生き方をしてたって言えるかもしれないな。
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