かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

ザ・ベストテン

林檎殺人事件 / 郷ひろみ 樹木希林

1978_08_林檎殺人事件_郷ひろみ 樹木希林






今回の1曲セレクトは、「林檎殺人事件」郷ひろみ 樹木希林です。

まずはデータですぅ

・タイトル     林檎殺人事件
・アーティスト   郷ひろみ 樹木希林
・作詞       阿久悠
・作曲       穂口雄右
・編曲       穂口雄右
・リリース日    1978年6月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  6位
・売上げ枚数    30.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1978年7月17日〜9月11日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「ムー一族」挿入曲

いつの時代も聴いてて楽しい曲って言うのはあるよねぇ。あ、いや、決して何かの曲のパロディとか、コミックソングという括りではなくて、単純に「楽しい曲」っていうの?

 それもお笑い系のヒトが余力でやるんではなくて、普通のアーティストがそういう曲をやるというね。

 はいはい、今回引っ張ってきた曲の前ふりですねぇ。

 林檎殺人事件  郷ひろみ 樹木希林

 楽しい曲だったよね。まずね、それまで新御三家では「二の線」であったはずの、郷ひろみが、一気に肩の力を抜いて、こういう、コミックソング的な曲に挑戦したっていうのも画期的だったんだけどね。

 やっぱり、TBS系ドラマ「ムー」で樹木希林と競演したのは、郷ひろみにとってはでかかったんだよね。「芸の幅」を広げるという点では。
 それ以前だったら、まず、こんな「軽い」曲は歌ったりしなかったろうしね。


 でも、まあ、実際は、この曲の前の年に「お化けのロック」っていう、同じく、樹木希林と歌った、コミックソングがあるから、この曲は、その第2弾ということになるんだけどね。

 でも、いまとなっては、「林檎殺人事件」の方が、一般的には知られているんだよねぇ。

 なぜか?

っていったら、やっぱし「ザ・ベストテン」のちからの大きさなんだろうなぁ。
この番組のおかけで、この曲は一気に認知度が上がったしね。なにせ、ベストテンでは4週連続1位だからねぇ。
 レコードセールスがオリコンの最高位をみてもそれほど高くなかったのを見るとハガキが強かったんだよね。

それまで、郷ひろみの場合、ハガキは西城秀樹に押され気味だったところを見ると、この曲に限っては、郷ひろみのファン以外のヒトも支持してたってことなんだろうね。

 それだけ、親しみやすかったし、聴いてて楽しかったし、エンターテイメントというよりは「娯楽」的に楽しかったね・・・・って意味おんなじじゃん(爆!)

 ちなみに、前の年、1977年の「お化けのロック」の方がレコード売上げは上だったりする(40.0万枚)。
 この時はまだ、「ザ・ベストテン」は存在してなかったからねぇ。

やっぱり、ベストテンの存在感なんではないかなぁ・・・と思ってしまうわけですわ。

 で、圧巻は1978年8月24日放送でしたっけ? 樹木希林が黒柳さんの衣装とまったく同じ衣装で、髪型も玉ねぎに結って登場したの。

 擬似、黒柳徹子と郷ひろみも久米さんのタキシードとおなじ衣装ででてきたりして、擬似司会コンビで歌ったのが一番有名にしたよねぇ、この曲。

 で、まあ、こんな、たのしい企画でも、ぴったり合ってしまうのが、この曲のよさだったんぢゃないですかねぇ。

 ♪ ふに ふに ふに ふに ふに ふに〜♪といつもながら「擬音」が多い、ちょっとふざけたところが多い阿久悠氏の歌詞と、キャンディーズという後ろ盾を失ってやや、失速ぎみだった穂口氏のメロディがうまい具合に「融合」した、傑作なんじゃないかなぁ・・・。口を酸っぱくしていってもさ。

 といまとなっては思っちゃうわけです。

 だけどさ、郷ひろみもこういう三の線の曲も折角、覚えんだから、このあとも時折、こういう、肩の力抜いた曲やればよかったのにねぇ・・・。

これ以後は「二の線」だけに「集中」して「孤高のヒト」となってしまったわけだもんね。



えーと、音だけだったら、↓の方がはるかに良いです。

http://www.dailymotion.com/video/x28vlfj_%E6%9E%97%E6%AA%8E%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6-%E9%83%B7%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%BF-%E6%A8%B9%E6%9C%A8%E5%B8%8C%E6%9E%97_music


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すみれ色の涙 / 岩崎宏美

1981_08_すみれ色の涙_岩崎宏美






今回の1曲セレクトは、「すみれ色の涙」岩崎宏美です。

 まずはデータです。

・タイトル    すみれ色の涙
・アーティスト  岩崎宏美
・作詞      万理村ゆき子
・作曲      小田啓義
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1981年6月5日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   31.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1981年7月13日〜8月10日付

 昨日は70回目の広島での原爆記念日でしたね。
終戦から70回目の節目にあたる今年は、ま、いろんな意味で今後の日本の在り方を問われる記念日になったような気がしますが、いかがでしょうかね。

 ところで、広島の原爆記念日といえば、こんな曲と印象に残ってる曲があるんですよね。

・・・ということで、本日はそんな曲を一つ。

 岩崎宏美の「すみれ色の涙」

なぜ、この曲と広島の原爆記念日? と思われる方も多いと思うけど、1981年8月6日は木曜日で、「ザ・ベストテン」の日だったんですが、広島の原爆の日と重なっていることもあり、この曲は、広島からの生中継で歌ってもらったっていう事がありましたね。
 そう言う特別に日だから・・ということで、極力余分なMCはカットして、曲自身から、広島を忍ぶという演出が印象的だったよなぁ。

当時は、ベストテンは社会的事象にもリンクした演出もしていたし、それに応えるだけの曲もあったってことなんだよね。

 まあ、この曲というば、「夏」にヒットした曲なんだけどね。それでも雰囲気的には、それっぽくないのもありますね。
 寂しいですねぇ、悲しいですねぇ・・・っていうのが頭に浮かんできたりして。曲もマイナーテンポだし、スローだし。

 なにより、

 ♪ 寂しかったからあなたを愛して 寂しかったからあなたを憎んだ 寂しかったからあなたにさよならを〜 ♪

 ・・・・と、歌詞だけ読むと、よもや「晩秋」の曲じゃねーか・・って思うほど、重たい雰囲気があったりして。。。

 それでも、そんな「マイナー」調の曲でも、アレンジがね、わりとすっきりとしているんで、この時期でも「重たい、暑い」っていうイメージは全く無い。そうねぇ、水羊羹を食べるときくらいの清涼感はありますな(ってなんのこっちゃexclamation & questionあせあせ

 ただね、この曲、当時、個人的にはあんまり好きじゃ無かったんだよな。かなしいねぇ、さみしいねぇ・・・、時期的に幽霊でそうだねぇ・・・って感じがしてさぁ。
 蛇足だけど、「ジャケ写」からして、そんな感じに思えません?

 当時、ワタシャ、ガキだったからさ、やっぱ、夏場は、はじけるような曲がよかったのよ、単純に。


 ただ、そうは言っても、随分聴いたよなぁ、この曲。で、もって、なぜか、あの当時「好きだ〜」って思ってた曲よりも、印象には残ってたりする。なぜなんだろうねぇ、ふしぎなもんだよね。

 まず一つが、Aメロのコード進行だろうな。

 出だしの ♪ すみれって すみれって〜 ♪ のコード進行。

 Bm → Bmmaj7 → Bm7 → Bmmaj7

っていう動き。 
 まあ、何の変哲もなさそうな動きなんだけど、「お化けでそう」っていうイメージにさせる、元凶ですなふらふら 

 ベース音に対して対抗軸になる音が B→A♯→A→A♯ って動いているところが・・。
なんて、文字で書くとイメージわかないけど、実際の音にすると、ああいう感じになるわけです。。。

 それと、サビの ♪ 寂しかったから あなたにさよならを〜 ♪ のメロディ進行ですかねぇ。特に♪さよならを〜♪の件の部分とか。
まあ、西洋的であり日本的であり・・・っていう感じ。まず、アメリカでは、こんなメロディはでてこないだろっていう、メローな感じですな。
 結局さ、キライキライ・・・と表面では思っても、日本人なんだよね、ワタシャ。 やっぱ、日本的な部分にどっか惹かれているんだよな・・・なんて思わせる1曲だったりして・・

 ところでさ、この曲、カバー曲だったことは、意外と知られない?
うん、もともとオリジナルは、「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」の曲だったのよ。そそそ、井上大輔氏や三原綱木氏が在籍した、G.Sの代表的なグループだわな。

 で、1968年1月にリリースしたシングル「こころの虹」って曲の「B面」だったのがオリジナル。

まあ、作曲の小田啓義氏は、ブルーコメッツのキーボーディストですからねぇ、この当たりからも推測は出来ちゃったりするんだけど。。。
 ちなみに、81年は、意外と小田啓義氏のあたり年で、前、書いた、コスミックインベンションの曲も書いてたりしてさ。っていうのは蛇足です。。

 ちなみに、ブルコメの方の売り上げデータは、おりこん最高位5位 売上げ枚数27.5万枚。
 ・・・・といっても、所詮はB面の曲だったわけだからねぇ、知ってるヒトは極端に少ないでしょうな。




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長い夜 / 松山千春

1981_06_長い夜_松山千春






今回の1曲セレクトは「長い夜」松山千春です。

 まずはデータでーす!

・タイトル     長い夜
・アーティスト   松山千春
・作詞       松山千春
・作曲       松山千春
・編曲       大塚茂人
・リリース日    1981年4月21日
・発売元      NEWS
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    86.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1981年5月18日〜9月7日付

 「長い夜」と聞いて、シカゴの「長い夜」を思い浮かべる方、70年代フリーク、きっとワタシよりは年上の方が多いかなぁ 
 反対にYUKIの「長い夢」と間違えた方(んなヒトはいねぇだろうけど。。。)、きっとお若いに違いない

 松山千春の「長い夜」を思い浮かべる方、きっと同年代でしょう

 ・・・・・となんという「ふり」で入ったんでしょうねぇ。いやいや、毎日書いてるとだんだん書き始めのネタが尽きてきてしまいまして。。。


・・・・ということで、本日は、松山千春「長い夜」です。


 この曲って言ったら、どうしても「ザ・ベストテン」を思い浮かべずにはいられないですよね。
 いや、つい、「ベストテン」を思い浮かべてしまうアナタ、世代を超えて「同類項」ですっ

 まずもって、あの寺尾聰「ルビーの指環」の13週連続1位を「阻止」した曲ですね。 1981年7月2日放送の出来事。今から34年前ですわ。

 個人的には、当時は「ルビーの指環」派でして、だから、この曲に1位の座を奪われた時はショックだったなぁ。だから、ということでもないんだけど、当時、この曲「大っキライ」だったんですわ
ま、ガキの単純な理由からなんだけどね。

 それと、この曲と「ザ・ベストテン」で忘れていけないのは、当時、TVに出ない、出ない・・・と言われてた松山千春が、この曲で「ベストテン」に出た・・・っツウことですね。
 それも、1981年7月2日放送。。。。例の有名な日比谷野音からのライブ映像ですね。

 まあ、だから、厳密に言うと出演したわけではないけどね。。。(1978年11月16日「季節の中で」は厳密な出演だけど)

 でね、ここまでは、結構有名な話なんだけど、いまネットを調べてたら、7月2日以前にもベストテンに出てたことが判明。
1981年6月11日放送(第4位)のときも、富山市公会堂でのライヴ映像を放送とでてきた。

 いや、これは、ワタシも覚えてないなぁ。。。。ネットっちゅうもんは便利なもんですわ〜。


 上で書いたように、あの時代、「大っキライ」だったこの曲だけど、もちろん年を経るごとに考えは変わってきたわけで、20歳過ぎて、カラオケブームの頃には、もうね、この曲はなくてはならない曲になってましたねぇ。

 これ歌うと、うけるんだこれが。。。

例のサビの部分をめっちゃ大げさに歌うのね。 これ、当時から千春自身もそう歌ってたんだけどさ、


♪な〜〜がーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいーー夜を〜 ♪


♪お〜〜まーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーえーーだけに〜 

この愛を 誓ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


え〜デフォルメしてかくとこんな感じにホントに歌うのよ。
そうすると、みなさん笑ってくれますよ。きっと。

えーさいごの「う」は申し訳程度に歌うのがポイントね。

 いやいや、大げさでなくて、ほんとに千春もライブではこう歌ってんだから〜。


 あ、そうだ、結婚式で新郎さん、こんな感じで歌ってみ。絶対うけるから



 でも、レコードでは、意外とツマンナイのよね。この大事なサビの部分。さらっと、

♪この愛を誓うーーーーーーーーーーーーーーーーーー♪

で終わっちゃってて。 やっぱり、これではいけません!

 いつか書いたことがあるんだけど、当時はレコードでの歌唱って、ライヴにくらべて、随分、さらっと歌ってたり、演奏してたりしたものがあったりして、意外とつまんないことがあるんですよ。
 それより、ライヴでの演奏では熱を込めていたんだけどね。だから、テレビの方が全然面白い演奏してたヒトもたくさんいたしね。

 この曲なんかは、その典型的な例ですね。 


 それにしても、この曲の前後は、「抒情派」フォークの松山千春にあって、アッパーな曲が続いてましたね。
 この曲の前の「人生の空から」なんて、イントロだけ聴いたら、松山千春の曲とは、到底想像が付かないし。

 あ、「人生の空から」のイントロは「クイズ ドレミファドン」の必須曲ですよ。 ↑のような理由で、意外と間違えるんだよね。



・・・というわけで、伝説の「ザ・ベストテン」1981年7月2日放送分で、「ルビーの指環」をぬいて1位を取った時、日比谷野音からの中継。
 千春、若っけえなぁ。細いし髪の毛ふさふさですわ。今は、海坊主見たいだもんね。
客席から投げ入れられたテニスボールをかかとで蹴り上げるポーズがかっちょいいんだよな。
今は禁止になってしまった、紙テープ投げ入れも、当時は良かったから、ステージ上紙テープが凄いね。
大人になってコンサート行けるようになったら、紙テープ投げ入れやりたかったんだよな、当時。
そしたら、禁止になっちゃったんだもんなぁ。



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初恋 / 村下孝蔵

1983_05_初恋_村下孝蔵






今回の1曲セレクトは、「初恋」村下孝蔵です。

まずはデータです。

・タイトル      初恋
・アーティスト    村下孝蔵
・作詞        村下孝蔵
・作曲        村下孝蔵
・編曲        水谷公生
・リリース日     1983年2月25日
・発売元       CBSソニー
・オリコン最高位   3位
・売上げ枚数     52.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1983年5月30日〜8月29日付

 昨日は、ちょっと書きたいように書いてしまった感があるので、今日は、口直しといったら変だけど、ちょっと落ちついた曲を持ってきましょう。

 初恋 /村下孝蔵

うーん、ちょっと胸がキュンとなってしまいそうなこの曲だけど、すでに32年前の曲、知らないヒトも多いかなぁ。

 ♪ 五月雨はみどり色〜 ♪ で始まるこの曲。この五月が舞台になっていると思うんだよね。でも、リリースは、2月25日。
 リリース時の「季節」と、実際の曲の「舞台」に「ずれ」があったからか、リリース当時の売れ行きはそれほどでも無かったんだよね。
 有線を中心にジワジワと広がって行き、歌詞のとおり「五月雨」の季節、5月に入りようやくベストテンにたどり着いたって曲ですね。

 誰でも一度くらい経験あるよね・・・というのがまず第一の印象。

♪ 好きだよと言えずに初恋は 振り子細工の心
 放課後の校庭を走る君がいた 遠くで僕はいつでも君を探し てた 浅い夢だから胸を離れない  ♪

 サビの一文だけど、この曲の「核」はこの部分だよね。だれでも一度は経験のある「初恋」ってやつさ。

 うーん、「今」だったら、もっとあっさりしているのかも知れないけど、遠い昔は、この歌詞にあるように「好きだよと言えずに初恋は」だったヒトがおおんぢゃないかなぁ。
 
 まさに青春の一ページってやつですね。曲を聴くたび、自分の「過去」がプレイバックしてくる・・・ってところが、この曲が支持された一番の「核」なんぢゃないかなぁ。

 かくいうワタシは、当時は中学2年。この歌詞に出てくる主人公(⇒村下氏本人なんだけど)と同じ年頃だったわけさ。
 もうねダイレクトでしたね。完全にこの主人公になりきってましたわ、ワタシ。
 もちろん、好きなコとかいましたよ。でも、♪好きだよと言えずに初恋は〜♪なんだよね。
 
 でもまあ、そういう「季節」だったんだよなぁ、きっと。。
でも、今だったらどうなんだろ? 最近、そういう経験がないんで、どうにも言えないんだけどね。

 でも、青春の一ページを振り返るとき、必ずなくてはならない1曲ではあるよね。

 おそらく、村下孝蔵氏も同じような心境でこの曲を書いたんだろうね。
 たぶん、ヒットを前提に書いたのではないと思うな。そういう「欲」っていう部分がこの曲には見られないんですよ。
 ほんとに「まっさら」な気持ちで書かれてるんだよね。
 いや、だから「売れた」のかもしれないけど。。

 逆に売れて戸惑ったのは本人なんぢゃないかなぁ。だから、「ベストテン」などにも出演拒否を示したし・・。TVがキライで出たくないのではなくて、出ることに戸惑っていたんぢゃないかと、今になったら思いますねぇ。
 あの当時は、どうしてまた・・・と思ったものだけど。

結局のところ、ベストテン入りを果たしたのは、この曲だけだっけど、やはり、昨日の米米と同じように戸惑いはあったでしょうね。

 その後の活動にどれだけ影響があったかは分からないけど、やっぱり、この「看板」は、そうとうな重荷だったようですね。
 このヒット後、この曲は暫く「封印」していたそうです。 

 そんな村下氏も、もうこの世にいないんだよね。あれから32年だけど、若くして亡くなられてしまいましたよね。

 1曲ヒットを「だそう」と思ってしゃにむに活動しているヒトがいると思えば、1曲ヒット出したことが重荷になっているヒトもいる。アーティストって言うのは、ほんとにいろいろだよね。

 1983年って言うのは、後者タイプのアーティストがヒットを飛ばしたパターンがなぜか多くて、まだ、何人かかいるんだよね。

 その辺に関しては、また、後日紹介して行きますよ。



 うーん、↑で、TVに出ることに戸惑っていた・・・と書いた手前、なんだけど、晩年は、TVにも出てたことあったんですね。


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YOUNG MAN(Y.M.C.A) / 西城秀樹

1979_04_YOUNG MAN_西城秀樹






今回の1曲セレクトは、「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」西城秀樹です。

 まずはデータです。

・タイトル     YOUNG MAN(Y.M.C.A)
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       JACQUES MORALI JACQUES
・作曲       HENRI BELOLO 
・日本語詞    あまがいりゅうじ
・編曲       大谷和夫
・リリース日    1979年2月21日
・発売元      RVC
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    80.8万枚
・ザ・ベストテン最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1979年3月8日〜6月7日放送分

 さてさて、今日の1曲セレクトは何すべーな・・・と思いつつ、おもむろにカレンダーを見る。。。

(静寂 2秒あまり)

4月12日、4月12日、4月12日、4月12日・・・・・

(考えること 2秒あまり)

ぬお〜〜〜〜〜〜


あるじゃん! 歴史的な日ぢゃん!


 そう、忘れもしない・・・

YOUNGMAN(Y.M.C.A) /西城秀樹



ザ・ベストテン



9999点(満点)



1位を取った日じゃん!!

 うんー、いや、実はね、9999点(満点)の1位を取ったのは、実際は、1979年4月5日と4月12日放送分の2週にわたってなんだけど、ついつい、4月5日は忘れてたのねん・・ということで、2週目の本日で勘弁ね。

 あ、蛇足だけど、28年前の1979年4月も、今年と同じく、4月5日、12日が「木曜日」だったんだね〜。。


 今さらながら、ベストテンの得点のつけ方・・というか集計方法・・・・レコード売上げ、有線放送リクエスト、ラジオ総合、ハガキリクエストの4要素からなっているわけですが、更に詳細を見てみると


レコード売上げは、当時存在してた、商用レコード売上げチャート⇒オリコン、ミュージックリサーチ、ミュージックラボ
の3社

有線放送リクエスト⇒CAN SYSTEMリクエストチャート

ラジオ総合 ⇒JNN系列ラジオ局、各局のリクエストチャート総合

ハガキリクエスト⇒番組へのハガキリクエスト

これら、すべてで1位を獲得しないと、はじき出されない得点な訳で・・・、当時のこの曲のパワーを改めて思い知らされますねぇ。

 36年前の今ごろってさあ、ほんと完全にこの曲一色に染まってたもんなぁ・・・ってそんな気がしません?

 ・・・なんて、当時を知らない方も数多くいらっしゃるので、「気がしません?」なんて問いかける書き方もおかしいんだけど、兎に角、毎日、テレビから流れてた・・・って言うようなイメージが未だにあるんだよねぇ。

 チャンネルひねれば西城秀樹が星条旗柄の服着て、この曲歌ってたような・・。

 まあ、そのくらい、当時のフィーバーぶりはすごかったよなぁ。
 もちろん、ワタシもやってましたよ。

 ♪ Y M C A〜 ♪ は

 これ知らなかったら、モグリ(→死語!)だったもんねぇ当時は・・・。

 いや、知らないヒトなんていなかったんぢゃねーの?

 ほんと2歳くらいのガキンチョから、おじいさん、おばあさんまで、みんな♪ Y M C A〜 ♪ やってたもんね。

 まあ、好みが細分化された今では、まず、こういう光景は不可能だろうな・・。
 っていうのが、一番先に頭に浮かんだりして・・・。


 兎に角、元気の出る曲だったわな。今考えると、ことに79年の春頃の曲って、春らしい希望的な元気が出る曲が多かったよなぁ・・・っいうのがイメージにありますね。

 当時主流だったニューミュージックにしても、アイドルにしても・・・。

 さすがに演歌は「希望的な演歌」っちゅうのはなかなかないけど・・・。

 曲のイメージもそうだったけど、曲に重みがあったんだよね。上で書いたようにヒット曲は、みんなの共有財産・・・みたいなところが一番確立されていた頃だと思うし・・・。

 うん、個人的には理想な年代なんだなぁ、これが。

 そんな時代の、大ヒットだったわけだから、まあ、どれだけフィーバー(→死語!)してたか、当時を知らないヒトにもわかってもらえるかなぁ?

 この曲は、もともと向こうの曲な訳だけど、オリジナルはヴィレッジピープルが歌い、ビルボード最高2位っていう大ヒット曲のカバーですわね。

 オリジナルのヴィレッジピープルの方は、いわいるゲイのあっちの方の歌って言われてるけど、正体はレイザーラモンHGのような存在だったらしいですね。

 まあ、それを知ってか、知らずか・・・、日本での西城秀樹バージョンの方は、「青春ポップス」として、「超さわやか」な曲として大ヒットしちゃったって訳ですわね。

 まあ、当時は、そんな事情は知らなかったわけなんだけどさ、改めて当時の外国事情の情報の遅さに感謝!

 ・・・って感じですかねぇ。もし、オリジナルは「ゲイ」の歌よ・・・なんて、知られてたら、ここまで大ヒットしたかねぇ・・。

 ちなみに、この年は日本ではヴィレッジピープルの当たり年で、「イン ザ ネイビー」もピンクレディーが「ピンクタイフーン」でカバーして大ヒットだったもんね。


 なんて、散々持ち上げた割には・・・・

正直言って、個人的には、この曲あんまり好きぢゃなかったりして・・

 いやいや、手垢がいっぱいついてるからさぁ・・・。
個人的には、この次の「ホップステップジャンプ」の方が・・・マル





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UFO / ピンク・レディー

1978_02_UFO_ピンクレディ






今回の1曲セレクトは、「UFO」ピンク・レディーです。

まずはデータなのだ。

・タイトル     UFO
・アーティスト   ピンク・レディー
・作詞       阿久悠
・作曲       都倉俊一
・編曲       都倉俊一
・リリース日    1977年12月5日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    155.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年12月12日〜1978年3月27日付


 ゴメン、今回の1曲セレクトは、かなり安易な選曲だな・・と思われてもしょうがないかな。
 
 「UFO」。ピンク・レディーで一番売れた曲なわけで、売上げ枚数は155万枚。
 もうね、この曲「知らない」っていうヒトはほとんどいないでしょうしね。わざわざここで書くこともないか・・・とも思えるわけで・・・。

 ただね、今回はこの曲しか浮かんでこなかったの。。。
思考回路停止かしら。。。 

でも、意外なことに、ピンク・レディーの曲は、今回が初めてじゃないかなぁ

 はい「UFO」ですね。この曲のおもしろさ・・っていったら、うーん、全部かなぁ。兎に角、曲調、踊り・・・ビジュアル全体的な仕掛けがすごいよね。もちろん、全体的なインパクトも。

 一番インパクトがあったのは、「UFOの音」をシンセサイザーで作っちゃったことでしょう。

 正直、UFOの音なんて誰も聴いた事ないのよ。それでも、あたかもそれらしく作っちゃっているじゃん。
 今では、UFOの音っていったら、この音しかないもんね。

 あの当時はこれ以上ない、斬新な曲の作りに思えたけど、さすがにいまとなってはね・・。ただ、意図としては、もっと人工的な「音」にしたかったんだろうね。いまだったら、すべてシンセで作っちゃったんだろうけど・・・。
 おそらく都倉氏の頭の中では、「テクノ」的な発想があったんだろうな・・と言うところは、この曲を聴いてるとよく分かりますね。
 うーん、さしずめ、ストリングスで作るアナログなテクノとも申しましょうか。たぶん、そのあたりは当時は、発想として斬新だったんだろうね。

 まあね、細かいところは、みなさんよくご存知の曲田と思うから詳しいところまでは割愛しても問題ないと思いますけどね。


 それから、この曲は、ご多分に漏れず、「ザ・ベストテン」第1回ランキング発表時(1978年1月19日放送)での1位獲得でした。
 はい、「ザ・ベストテン」での第1号の1位獲得曲でっす。

 まあ、その辺も、ここに見に来ていただいている方には、すでに周知の事だと思いますけどね。。。

 まあ、それだけ、昭和歌謡史に残る、偉大な1曲・・っちゅう訳ですわ。



まあ、恐らく、すぐに削除されると思いますが、気休めに動画をリンクしてみました。



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シャドー・ボクサー / 原田真二

1978_01_シャドー・ボクサー_原田真二






今回の1曲セレクトは、「シャドー・ボクサー」原田真二です。

まずはデータです。

・タイトル      シャドー・ボクサー
・アーティスト    原田真二
・作詞         松本隆
・作曲        原田真二
・編曲        後藤次利
・リリース日     1977年12月25日
・発売元       フォーライフ
・オリコン最高位  14位
・売り上げ枚数   22.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月6日付

えー、またまた、原田真二さんなんですが、「てぃーんずぶるーす」 「キャンディ」と来たら、この曲は外せないでしょう・・・ということで、デビュー3部作の最後のリリースとなった、「シャドー・ボクサー」です。

・・・・と、いつものように書き始めているんですが、実は、昨夜、一度書きあげたんです、「シャドー・ボクサー」
BUT、書き上がって、さあ、公開しようとした矢先・・・・、一瞬変なキー操作をしてしまい、我に返った時はもう遅い。。。ぜーんぶ削除しちゃったんですねぇ〜。 そんで、不貞寝をしてしまったわけで、今、またリベンジで書いております。。。
 
まあ、どーでもいいことなんですが。。。。

デビュー曲の「てぃーんずぶるーす」のリリースが1977年10月25日、第2弾の「キャンディ」が11月25日と、きっちり1カ月おきにリリースを繰り返したわけで、この第3弾の「シャドー・ボクサー」をリリースしたのが、1977年の暮れも押し迫った、12月25日。

 もうその頃には、原田真二の人気も上昇して来ており、明けて1978年早々に始まった「ザ・ベストテン」では、ニューミュージック系最初のベストテン入りということで、番組出演。
 これによって、一気にお茶の間に原田真二って言うヒトが広がったんじゃないかなぁ。

 ちなみに、「ザ・ベストテン」の2月16日〜3月2日までの3週間は、「キャンディ」と「シャドー・ボクサー」が2曲同時にベストテン入り。 
今ではヒットチャートを重視している人なんて、ほとんど居なくなったけど、当時は。ランキングに重みがありましたからねぇ、2曲同時ベストテン入りは、大変なことだったんですよね。

 まあ、そのくらい、熱狂的な人気があったって事ですね、当時は。
 ちなみに、「シャドー・ボクサー」、オリコンでは最高14位までしかいなかったけど、「ザ・ベストテン」の最高位は5位。
 うん? 随分開きがあるじゃん・・・っと思われるかもしれないけど、当時「ベストテン」は、「はがきリクエスト」の比重を最も重視してたからなぁ。そんなところから、熱狂的なファンが多かったってことなんだろうな。今でいえば「コア」なファンという感じの。

 その影響もあってか、ちょうどベストテンで2曲同時にランクインしてた頃、リリースされたデビューアルバム「FEEL HAPPY」(1978年2月25日リリース)は、オリコンアルバムチャートで初登場1位を記録。
 
↓ これ
1978_02_FEEL HAPPY_原田真二_







ある雑誌に書いてたけど、及川ミッチーも真っ青な「王子様」ぶりなジャケ写ですねぇ

男性ソロアーティストのデビューアルバムで、いきなりの初登場1位獲得っていうのは、オリコン史上初の快挙。
たしか、今でもこの記録は破られてなかったんじゃなかったっけな? たしか
 記録男と言われた、さしもの近藤真彦もデビューアルバムは、初登場1位じゃなかったからなぁ。

そんなところからも当時の熱狂的な人気が分かります。


おっとっと、「シャドー・ボクサー」の話からはちょっとズレましたね。
印象からすると、デビュー3部作の中で、唯一、この曲だけは、イメージがちょっと違うな・・・って思ったなぁ。
ちょっと違う・・っていうのは、別段悪い印象があったわけじゃなく、この曲だけは、「ヘビー」な曲じゃないですか。
そのヘビーさから「硬派」な印象なんですよね。 前の2曲「てぃーんずぶるーす」と「キャンディ」は軟派なイメージだったじゃないですか。
 そう言う意味では、少し異質な感じがしたかなぁ。

まあ、アレンジの影響もありますけどね。「てぃーんずぶるーす」は、フォークロック系の瀬尾一三に対して、「シャドー・ボクサー」は、元サディクティックスの後藤次利氏ですから。
 アレンジャーを確認して、あ、なるほどな・・・と納得って感じかなぁ。
後藤次利氏は、80年代に入ってこそ、シブがきとか、一連のおニャン子の曲で、超軟派なイメージが定着しちゃいましたが、それまでは、シブい硬派なベーシストっていうイメージでしたからね。
この曲の、この硬派なイメージは、よくわかります。

ただ、3部作の中で、この曲だけが、硬派っていうイメージで、ちょっとイメージずれだったのか、アルバム「FEEL HAPPY」には、この曲だけ収録されてないんですよね。

昨日、個人的には、3部作の中では「キャンディ」が一番好き・・・と書いちゃいましたが、実は、最近は、この「シャドー・ボクサー」が一番いいなぁ。
 まあ、最近は、「超」を10個つけても足りないくらいの「軟派」な曲が多くなったからなぁ。
男の匂いがする「硬派」な曲に、魅かれてしまうわけです。

あー、「男くさい」って言っても「汗臭い」ぢゃないっスからね。 さわやかな都会的な男臭さってやつです。



 この「シャドー・ボクサー」の頃になると、ニューミュージックっていうジャンルの「定番の音」が大分固まってきましたよね。
 同じバンド形式でも、「今」のコアメロ系とは全然違う。
カビ臭い・・・と思われるかもしれないけど、この硬質な感じがするアンサンブルが、ワタシにとっても、「ザ・ニューミュージック」なんだよなぁ。 あ、自分の時代の「音」って思いますよ。


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愛してます / 河合奈保子

1981_01_愛してます_河合奈保子






今回の1曲セレクトは、「愛してます」河合奈保子です。

 まずはデータです。

・タイトル    愛してます
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      伊藤アキラ
・作曲      川口真
・編曲      船山基紀
・リリース日   1980年12月10日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数   18.0万枚 
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

 今回の1曲セレクトは、

 愛してます /河合奈保子  デス。

 そういえば1週間くらい「アイドル系」を書いてなかったな・・・と思いまして、「今ごろ」を考えてでてきたのが、この曲だったりしたんだよね、ハイ。

 河合奈保子、デビュー第3弾シングルのこの曲だけど、どうなのかな?

 やっぱ、ジミだよね。今になってみると。「ザ・ベストテン」でも、この前の「ヤングボーイ」は、1週だけだけどもベストテン入りしたのに対して、この曲は11位止まりだったもんなぁ。
 しかも、結構長い間11位に止まってたんだよね・・・と、いうイメージがあったんだけども、実際は、1981年1月22日〜29日と、1週置いて2月12日放送の3週間だけだったわ。

 うーん、4週くらい11位に留まっていたようなイメージがあったのだが・・・。何分、34年前の話、記憶はあてにならないな。

 でも、なぜか、個人的には、このジミな曲が好きだったりする。一つ前の「ヤングボーイ」は、意外とメジャーだし手垢が付いてそうだからかなぁあせあせ

 まあ、冗談はさておき、第3弾の曲にしては、結構、大人っぽい曲だなっていうのが一つ。 なにせ、デビュー曲が「大きな森の小さなお家」だかんねぇ。うん、音源持ってるんだけど、今となってはちょっと、聴くのが勇気がいるぞよ、さすがにワタシも。

 それから比べたら、全然大人っぽい。当時17歳の河合奈保子としても「等身大」かそれよりちょっと大人っぽい曲調ではないかなぁ。
 なんにしても、絵が浮かぶよね、曲の。場所は「ヨコハマ」。しっかり詞の内容で言ってるかんね。


♪あなたは黙る 私も黙る ヨコハマ 
 冬の港の風は 街の風より甘い 大きな肩にもたれて歩く 黄昏〜 ♪


 まあ、ヨコハマの山下公園か赤レンガ倉庫か大桟橋か、あの辺だろう。彼の大きな肩にもたれて歩く黄昏時・・・。絵になるじゃん。あせあせ

 ちなみに、この当時(1980年)は、まだ、現みなとみらい地区は存在しない。三菱重工業や貨物基地があったということ(wikipediaによる)

 だから、ヨコハマといえば、山下公園周辺がメジャーだった頃だね。

 ワタシは、まだ、福島の田舎に居た頃だけど、それでもそんな絵は浮かんだですよ。
 今でも、冬の黄昏時にあの辺に行くと、どことなく、この曲の「匂い」がしてくるな。


 それとももう一つ、この曲で気になっているのは、ベースラインだね。以前、由紀さおりの「手紙」を書いた時、川口真氏作曲の曲は、ベースラインに注目って書いた事があるんだけど、この曲もそんな曲の一つだね。

 いわいる16ビートのベースライン。兎に角、ベースが動くんだよね、くねくねと。うん、チョッパーとはまた違うんだけど、コードの「ベース」の音をリズムにのっかって刻んでいるだけじゃないんですわ。

 これが面白くてねぇ、個人的には。

 なんで、最近は、こういう曲がないんだろう? って思うんだよなぁ。あるのかな? ワタシが気がついてないだけ?

 でも、まあ、一つはDTMで曲を作っちゃうようになったこともあるだろうし、リズム的に、ストレートな8ビートや16ビートの曲が少なくなったって言うのもあるだろうね。

 もともと、このくねくねゆれるベースラインは、16ビートがでるちょっと前の「シェイク」っていうリズムでよく使っていた技法なんだよね。まあシェイクがでてきて、日本のポップスは、飛躍的に変わったんだけどさ。1971年くらいが全盛だったのかな、日本では。そのあとは、基本的な8ビートが主流になったからね、ポップスも。

 まあ、そういう意味では、この「愛してます」って1980年の曲だけど、曲想自体は、「古い」モノだったりするんだけどさ。

 ただ、この曲自体は、リズム体は「シェイク」ではないんだよね。あくまで8ビート。そのなかで、ベースラインがくねくね動いてるの。

 
 でも、当時、松田聖子は、絶対にこの手の曲は歌わなかったしなぁ。

 それが、松田聖子と河合奈保子の差別化だったりもするんだけど。。



 あ、シェイクなリズムも今、曲に取り入れたら、意外と「ナウイ」(←死語!死語!死語!)かもよ。
 いま、こんなリズムの曲は皆無だから。だから良いと思うんだけどなぁ、誰もやってない事をやるっちゅう意味で。ポップスがより華やかに「ポップ」になるんだよね。


 蛇足だけど、このジャケ写の河合奈保子は結構好きなんですわ。表情がいい。



一応、動画を引っ張ってきましたが、どうも、すぐに削除されそうなんで、もし、削除されていたらごめんなさい。



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赤いスイートピー / 松田聖子

1982_01_赤いスイートピー_松田聖子







今回の1曲セレクトは「赤いスイートピー」松田聖子です。

まずはデータです。

・タイトル     赤いスイートピー
・アーティスト   松田聖子
・作詞       松本隆
・作曲       呉田軽穂
・編曲       松任谷正隆
・リリース日    1982年1月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    50.0万枚
・THE HITCHARTHOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1982年2月1日〜4月19日付

 松田聖子ファンにとっては、やっと「出た」って曲かなぁ。「赤いスイートピー」。

 いやね、書かなかったわけではなく、初期の頃の松田聖子って1月、2月ごろにいい曲が多いんだよね。
 まあ、そういうこともあって去年は、この曲まで手が伸びなかった訳ですね。

 それと、もう一つの理由として、当時、ワタシこの曲、あんまり好きぢゃなかったの

 ほら、81年までの松田聖子っていかにもハツラツとした「アイドル〜」って感じの曲が多かったじゃん。
 やっぱりね、当時は、そういう「ハツラツ」とした曲が個人的には好きだったんだよね。そういうところからして「夏の扉」が一番好みだったかな。個人的には。

 だからさ、この曲、最初に聴いた時は、「あ、終わった」・・・っていうのが、率直なところでさ。

 あ、この曲、最初に聴いたのはよく覚えてるんですよ。確か1982年1月3日放送の文化放送「全日本歌謡選抜」。
 いや、実はね、そのあとずーーっと長きに渡って聴いてた「全日本歌謡選抜」なんだけど、こんとき初めて聴いたんですよ。だからよーく、覚えてるんだよなぁ。

 蛇足だけど、そん時の2位が河合奈保子「ラブレター」で、1位が薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」だったはず・・・。
 河合奈保子がそんなに上なの〜〜!? ってので、よく覚えてるんだよねぇ。

 はは、ちょっと話ズレたな・・・。

 でね、兎に角、初めて聴いた時の印象がジミではっきりしなかったのですよ。

 でさ、一番、驚いたのは、この曲がでる直前に、例の「聖子ちゃんカット」をバッサリ切っちゃったでしょ。それがまた、どうも違和感が大きくてさ。

 あの時は、ほんとに、このままこのヒト終わっちゃうんぢゃないか・・・って思ったもんですよ。小学6年生のガキながら。

 でも、それが、いとも見事に裏切ってくれましたね〜。やっぱり、それがスーパースターの所以なんだろうけど、この曲に関しても、何回も聴いてるうちにシックリとしてきて、逆に、「あ、いいねー」って思えるようになってきたんだよね。
 まさに「スルメソング」。要するに聴けば聴くほど「味が出る」って奴ね。

 最終的には、レコードの売上げは50万枚っていう、正直、当時の松田聖子としては、必ずしも「売れた」部類の曲ではないんだけど、未だに歌い継がれてる、このヒトの「代表曲」の1曲になっていますねぇ。

 それは、やっぱり、この曲の持つ「普遍的」な魅力なんだろうね。
 初聴での「インパクト」って言うのではなく、「スルメソング」としての普遍性っちゅうの?
 それがすばらしいんだと思う。
 それと、女の子にとっては、♪I Will Follow You〜♪からのサビの部分の(歌詞の)内容は、いつの時代でも理想なんだろうしなぁ。
 その辺の心理は、さすがに松本印のブランド物の歌詞って言うところでしょうかね。
 やはり、そんじよそこいらのアイドル曲の歌詞とは一味も二味も深いのです。

 一流のアーティストには、一流の作家陣のブランド物の歌詞が一番似合う・・・っていうところでしょうか。

 ちなみに、作曲の呉田軽穂は、松任谷由実のペンネームです・・・・・ってわざわざ書くこともないんだが・・・・。


 あ、なんだなかんだ書いても、一番、印象に残っているのは、この曲、小学校の謝恩会のときにバックに流してたんだよね。それが一番の印象かなぁ。個人的には。
 もちろん、ワタクシの選曲で・・・。当時、放送委員長だったワタクシは、そんなこともやってたんだよね、ハハ。
 
 今のワタクシの原点は小学生の時代にあり・・・。なんちって




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いい日旅立ち / 山口百恵

1979_01_いい日旅立ち_山口百恵






今日の1曲セレクトは、「いい日旅立ち」山口百恵です。

まずは、データでーす。

・タイトル    いい日旅立ち
・アーティスト  山口百恵
・作詞      谷村新司
・作曲      谷村新司
・編曲      青木望
・リリース日   1978年11月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   53.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1978年12月4日〜1979年3月5日付
・タイアップ  国鉄「ディスカバージャパン」キャンペーンソング


 今日の1曲セレクトは、若干、時代を遡り、山口百恵の登場です。
 ずっと書こう、書こうと思いながら、なかなか、「これだ」という曲に時期的にめぐり合わなかったんだけど、この時期って言ったら、この「いい日旅立ち」は、避けて通れないものね。 まあ、日にち的にも、今頃が一番、この曲がヒットしていた時期でもあり丁度良いんではないのかな・・と思い、引っ張って来た次第ですわ。

 この曲は、一番最初、どこで聴いたんだろ? 何分27年前っていう、いまとなっては遠い昔になっちゃったので、よく覚えていないな。
 多分、当時まだ「国鉄」だった頃の「ディスカバージャパン」のCM曲でだったとは思うな。
 すこく新鮮だったな。・・とはいえ、あのころは、丁度、「ヒット曲」に入りたての頃で、どの曲も新鮮に映ったんだよね。

 それと、当時、鉄道ファンでさぁ。ブルートレインが好きだったのよね。 
 いや、あのころは、丁度、ブルートレインブーム絶頂期で、同じくらいの年代の、当時の「ガキ」には多かったんだよなぁ。
 しかも、「国鉄」のCFの図柄が、山口百恵が「ブルートレイン」にのっている図柄で、バックにこの曲が流れていたから、余計だったかもしれないな。

 その後、程なくして「ザ・ベストテン」にも登場してきたんだよね。
 この頃には、すでに毎週、ベストテンを見るようになってたから、当然、毎週この曲を聴いてたわけだけど、山口百恵っていうヒトは、天才的に歌い方が変わんないヒトだったんだよねぇ。 毎週、同じように淡々と歌う。
 まあ、この曲がそういう曲だったからかもしれないけどね。

 いや、それまで、山口百恵が、これだけまともな「ミディアムバラード」をうたうってことも、あんまりなかったんだよね。とくに1978年って、「プレイバックPART2」とか「絶体絶命」などのロック調の曲が続いていたんで、余計新鮮だったんだよね。

 一番印象に残っているのは、やっぱり、山口百恵の誕生日だった、1979年1月11日放送での、初めて1位とったときのセットだろうなぁ。
 何十本ものロウソクが灯ったなかで歌う図柄のセットの時の回。

 あのとき、初めてベストテンのセットで感動したって言うかね。。。
 うん、たしかに、ベストテンの目玉の一つに、豪華なセットっていうのが、後々の定番になってたわけだけど、番組が始まって1年くらいは、そうでもないんですよ。
 セットなしっていう方が多かったかだよね。もちろん、ピンクレディーの「透明人間」のように、♪消えますよー 消えます 消えます・・・♪でホントに、ピンクレディーが消えたなんていう、当時の最新技術を見せたことはあっても、セット的には、そうでもなかったのね。
 この頃からだと思うな、セットが豪華になってきたのは。

 それくらい、この曲っていったら、セット・・っていうイメージが強いなぁ。 セットなしってことあったのかしら?

 だけど、当時は山口百恵の存在感って絶対だったよね。それだけ、ビックスターだったってことでしょう。

 しかし、いつになっても、ホリプロも、第2、第3の山口百恵をつくろうとするねぇ。
 
 綾瀬はるか

 いま、一番、ノリニノッテル、ホリプロのホープだけど、3月24日にCDリリースなんだよね。
 まあ、プロデューサーが小林武史氏ということで、山口百恵そっくりってことにはならないだろうけど、歌に、ドラマに・・と、形態はどうしても山口百恵にさせたいのかねぇ・・と思っちゃうなぁ。

 たしかに、ちょっと影がある顔立ちといい、似てないこともないんだけどね。はたして、どこまで、期待にこたえられますかね。

 冬から夏にかけては、山口百恵は、結構、面白い曲が多いんだよね。
 なので、この後は、ちょくちょく、曲を紹介することになると思いますゾ。お楽しみに!




※2006年1月に書いたものを再掲載しました。


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