かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

ザ・ベストテン

夢芝居 / 梅沢富美男

1984_02_夢芝居_梅沢冨美男



今回の1曲セレクトは、「夢芝居」梅沢富美男です。

まずはデータです。

・タイトル    夢芝居
・アーティスト  梅沢富美男
・作詞      小椋佳
・作曲      小椋佳
・編曲      桜庭伸幸
・リリース日   1982年11月21日
・発売元     キング
・オリコン最高位 8位  
・売上げ枚数   48.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 15位
・オリコンベストテンランクイン期間:1984年1月16日〜1月23日付

少し前までヒットチャートは初登場週が最高位になり、あっという間にチャートから消えるという、いわいる「猫の目」的なチャートアクションが主流な時代が久しく続いた。
けど、ここ数年は、そんなチャートアクションはすっかり影を潜め、ロングヒット主流の時代が続いている。
CDからネット配信へ音楽マーケットの主流が交代し、それがロングヒットを生み出す一番の要因になっていたりするんだけどね。

不肖ながら、昨年、ワタシのランキングで年間1位になった優里の「ドライフラワー」は、1年以上もベストテン内にとどまっていたり、未だにロングヒット傾向は続いているわけで。

もっとも、ロングヒットの時代は昔もあった。ただ、違うのはヒットのスパンが、昔とは比べ物にならないくらい長くなっているんだよね。
昔は1年以上もベストテン内にとどまっていた曲なんてなかったわけで。。。そのロングヒット期間には本当に舌を巻くわけよ。

楽曲ジャンルとしても、今はロックやJ-POPでも超ロングヒットになる事が珍しくない。これも昔にはなかった傾向ですわ。

昔は、ロングヒットといったら、演歌・歌謡曲の専売特許のところがあったから。

・・・って、昨年、小林幸子さんの「おもいで酒」の時も、全く同じことを書いたような気がするけど。。。。

はい、今回もロングヒットな1曲です。

梅沢富美男「夢芝居」。

この曲リリースは1982年11月なんだけども、オリコンで最高位8位まで上がったのが1984年1月。 その長いスパンの間、、じわじわ じわじわ売れ続けた訳で、 果たして、いつ書こうか・・・というのを、ずっと迷ってたんだよね。

でも、まずは、最高位を記録したころに書こうか・・と待ってたんだけどさ。

だから、本当は1月頃書けばよかったんだけども、先月は頭回るくらいの忙しさだったんで、少し遅れちゃったんだけども。。。。


梅沢富美男氏、いまや、口やかましいコメントをかますオッサン。 レモンサワーのCMではレモンになりきってる、バラエティの大御所の一人ですわ。

最近のバラエティぶりを考えると、昔、下町の「玉三郎」、大衆演劇界のプリンスとして、おばちゃんたちをブイブイ言わせ、おひねりが乱れ飛んでたなんて、全く信じられないですけどね。

なにせ、女形をやらせたら、このヒトの右に出るヒトは居ませんでしたからねぇ。

そんな大衆演劇、下町の玉三郎に脚光を浴びたのが1982年頃だったと思う。

1982年6月から放送された、西田敏行氏主演、TBSの金曜ドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」。
このドラマに梅沢氏も旅芸人役で出演し、大衆演劇の女形「下町の玉三郎」に一躍脚光を浴びたと記憶してますね。

そんな余波をかってこの年の11月にリリースされたのが、今回引っ張ってきた「夢芝居」ですわな。

ただ、一躍脚光を浴びたといっても、まだまだホンモノの全国区という所までは人気が浸透していたわけではなく、リリース当初は、レコードの売り上げは芳しくなかったわけよ。

当時ラジオ小僧だったワタシは、リリース時から、よく聴いてけどなぁ、この曲。

まあ、AM局ではよくかかってたからさあ。 この曲とか、同時期にリリースされた金沢明子さんの「イエローサブマリン音頭」とかさ 

あの頃、「夢芝居」を含め、どこか企画色の強い「演歌・歌謡曲」って結構あったんだよね。

大ブレイクしたヒロシ&キーボーの「3年目の浮気」なんかも、似たような匂いを感じてたし、森進一氏の「冬のリビエラ」なんかも、毛色は違うけど、企画的だったような気がする。

あの頃、主流は聖子さんやたのきんなんかのアイドルだったけど、一方で演歌・歌謡曲も奮闘していた時期で、ヒットチャートは、結構いろんなジャンルの曲が群雄割拠してたんだよね。


当時、中1だったワタシだけど、そんな状況の中、演歌、歌謡曲も含め、普通に聴いてたなぁ。

なんせ好奇心旺盛な時期だったからさ。ラジオから流れてきた曲は、ヒットしてるしてない、関係なしに何でもかんでも吸収してた頃だからさあ。

そんな中、この「夢芝居」。レコード売り上げは芳しくなかったけど、ラジオを中心に少しずつ支持され、ラジオからまず飛び火したのが、有線だったような気がする。

その証拠にワタシのランキングでは、1983年1月に一度ランクインしてるんだよね。 私のランキングの各要素別のランキング表が残っていないんで推定なんだけど、まずは有線で30位以内まで上昇。

その後もジワリと支持が広がり、1983年5月5日放送分のザ・ベストテンの「スポットライト」に登場する。

ただ、「ベストテン」に出演した時にはオリコンでは100位以内に入っていない。 オリコンで100位圏外だったのに、ベストテンのスポットライトに出演したわけだから、このころメディア的には注目されていたっていうのは分かりますね。

で、ベストテンのスポットライト出演後、1983年5月23日付オリコンで76位初登場。
うーん、これを見る限り、当時はやっぱ「ベストテン」の影響力って大きかったんですかね〜。
いずれにしても、この時点で、リリースから半年が過ぎてたりする。それでも76位よ。

ここからが、また長いのよね。 83年の間、ジワジワジワと少しずつオリコンの順位を上げ続けたにもかかわらず、なかなかベストテンまで到達できず。

やっとオリコンのベストテンに到達したのが1984年1月16日付。 オリコン初登場から35週目。(年末年始2週集計含む)
1983年紅白出場っていう、「紅白効果」なところも大きかったんだろうけど、レコードリリース から1年2か月でのベストテン到達は、かなり苦労の末のベストテン到達でしたわね。

まあ、当時としてもオリコン記録という所までではなかったですけどね。初登場から35週目でのベストテン到達というのは。。。。
当時のオリコン記録としては、千昌夫氏の「北国の春」の初登場以来77週目でベストテン入りというのがありましたからねぇ。

ただ、あの頃は、佳山明夫氏の「氷雨」がリリースから5年かけてベストテン入り、同じく欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」が初めてのレコード化から4年でオリコン 首位とか、いろいろな形でロングヒット、時間をかけてのヒットっていう曲が相次いで出ていた時代だからさ。

この「夢芝居」なんかも、ロングヒット・・・ならぬ時間をかけてのヒットの1曲っていう認識が強いんだよね。

まあ、今となってはリリースから1年2か月かけてのベストテン入りといっても、そんなに時間を要しているようには感じないんだけども、リリース当時、中学1年だったのに、ベストテン入りしたころは、中学3年の目前だった、あの頃は、とてつもなく長い時間に感じたのもあるんだろうなぁ。





この綺麗なお姉さんが、今や全身黄色に塗りたくって「レモン」のかぶりもんしてるオッサンと同一人物とは到底思えないですよね。 

まあ、当時もこの綺麗なお女形と、「夢芝居」のシブい声の持ち主が同一人物とは、思えなかったけど。。。。


梅沢氏今のCMは、「レモンサワー」だけど、この「夢芝居」を聴くと、「たこハイ」が飲みたくなる私だったりします。
 いつかも書いたけど、1983〜84年当時は、チューハイブームやったやん。 田中裕子さんの「たこはい」のCMが流行ってた頃。

そんなこともあるのか、この曲と「たこはい」がリンクするるんだよなぁ、ワタシ。

当時、ワタシもたしなんでいたのよ、「たこはい」。 中2だったけど。。。。

37年前・・・・時効ということで。。。 

でも、あのころから酒なんか飲んでるから、30才くらいで痛風なんかになるのよ。。。。自業自得ですわ。。。。



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自主チャート開始30年!

書こう書こうと思ってたのに忙しさにかまけて書けないでいたんだけども、今年は自分のランキングを作り始めて、丁度30年なんですよね。作り始めたのが1991年1月なんで。

ごくごく一部の方には「かじやんチャート」と言われているアレなんですが。。。

このサイトのプロフィールにもちょろっと書いてあるんだけども、「ザ・ベストテン」が終了して1年。 その間、大学入学など環境の変化もあり、一時ヒットチャート熱が下がっていた。
でも、1990年9月に自主サークル「オリコンチャート研究会」結成をきっかけに、再度ヒットチャート熱が復活。
自主的にランキング作るのも面白いというところから、「もし、今もザ・ベストテンが続いていたら」という仮定でシミュレーション的に初めて作ったのが、今でも自分のランクに残る1991年1月14日付ですね。

「ザ・ベストテン」のランクの算出方法。
まあ、今ではネットを調べればいくらでも出てくるんだけども、あの頃はまだネットもなかったわけで。。
ただ、1986年のオリコンウイークリーの読者投稿ページに「ベストテンの得点の出し方」を投稿している人がいたのを覚えていたんで、それを参考に作ったんだよな。

いわいる、レコード・有線・ラジオチャート・はがきリクエストの4要素なんだけども、あの頃はオリコンウイークリーに有線チャートも、ラジオリクエストチャートも掲載されていたんで、オリコンウイークリー1冊と、「ベストテンの得点の出し方」さえ知ってれば、誰でも「仮想 ザ・ベストテン」を作れたんですよ。
もちろん、ハガキリクエストは出せないんで、この分の要素配点を、レコード売り上げ、有線、ラジオに均等割りで振り分けて3要素で作ったんだけども。。。
後は自主的にチャートを作る気があるかないかの違いなだけで。。

最初はあくまでシミュレーションで作ったんだけども、これがサークルの仲間内では評判が良くて、それから毎週作り始めることになったわけですわ。

1991年の今頃って、小田和正「ラブストーリーは突然に」や、夏にチャゲアスの「SAY YES」などのビックヒットが相次ぎ、特に「SAY YES」はオリコンで13週連続1位だったじゃん。 
もし「ザ・ベストテン」が今でも続いていたら、「ルビーの指環」の12週連続1位を更新できたか・・・というのが一時的に話題になったりもしたんだよね。そんな折にベストテン方式でつくっていた自分のランクは参考になったし、ちょうどそういう時流でもあっただよな。

この春番組が終了となるTBSの「CDTVサタデー」の前身番組「
COUNT DOWN100」がスタートしたのが1992年秋。
「ザ・ベストテン」終了以後、復活したランキング番組でもあったわけだけども、そんな当時の時流に乗ったからこそ出てきた番組なんだよね。

 
あー、話がずれた。
で、程なくして、国会図書館に1976年以降の「コンフィデンス」があるのを思い出して、これまた「シミュレーション」として本家・ベストテンが始まる以前の「ザ・ベストテン」を作ってみたら・・ということで、国会図書館通いが始まったりね。。

当初はあくまで「ベストテンが始まる以前の・・・」ということで始めたんだけども、自分のランクは「本家・ベストテン」とは要素と得点配分が異なるんで、これでは後々単純比較ができないな・・ということで、1978年以降も自分の要素で作り続けることにして、現在の形が出来たわけです。
(1990年以前の「過去」チャートと「現在」のチャートが繋がったのが1997年末だったと思う。大学卒業後も仕事の合間をみつけて国会図書館に通ってたんだよね。大分頻度は落ちたけど。。。 あの頃はまだPCもなかったんで集計はひたすら手作業というアナログ的作業だったんで、結局1976年以降のランクを作るのに足掛け7年かかりました)

以降、それまで自主サークル内だけで公開していたランクを2000年に件のサイトを作って一般公開を開始し、現在に至るまで毎週、ジミーにコツコツ作り続けてきたわけですわ。。。

まあ、当時は大学生で時間がいくらでもあっんたんで出来たことでしょうね。 
もし、1990年に「オリコンチャート研究会」なる自主サークルを結成しなかったら、併せて当時大学生で無かったら、恐らくこういう発想はしなかったんじゃないかなと思う。
いや、発想はしたかもしれないけど行動しないだろうな。めんどくさくて。
まだ、行動力があったあの頃だったから出来たことで。併せてサークルメンバーとの出会いが大きかった。
人生一期一会、これは、自分のチャートを通じて痛感したことですね。

P.S
昔、某C社にいたころ、当時のボスから、「なんでこんな膨大なデータコンテンツ持ってるのにビジネスにしないの? 俺だったらビジネスにするけどな」と言われたことがある。あの時は返答に窮して答えなかったんだけども、今考えてみると事業化に明るい意気投合できるパートナーと出会わなかったから・・と言うだけだったかもしれないな。私はそちら方面にはトンと疎いので、一人で事業化することはできない。
もし、経営化とか、事業化に明るい人に出会っていたら、もしかすると事業化に動いていたかもしれないけど。。。
でも、事業化せずに好き勝手にやってきたので30年も続けて来れたとも言えるんですけどね。。

ザ・ベストテン再放送

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001019.000003065.html

これ、読んて下さっている方にもすでにご存じの方も多いかと思いますが、6月からCS TBSで、あの「ザ・ベストテン」が再放送される模様。
以前、秀樹の「9999点」の回など単発で放送はしたことがあったけど、今回は、何年何日放送分という記載がないことから、連続で放送されるのかも。

「ベストテン」は全回分のVTRのデジタル化は済んでいるってことは聞いてたけど、ついにTBSも動いてきたってところでしょうか。。。

 ただね、もし連続回で再放送されるなら、各アーティストの肖像権はクリアになったんだろうか・・・楽曲的な権利関係はクリアになったんだろうか・・・というのは気になる。特にジャニーズはどうなるんだろう?
以前、やっぱり再放送された「トップテン」とか「夜ヒット」のようにジャニーズが出る回は「飛ばし」になるんですかね。
そうなると80年代はほとんど、「飛ばし」になるんだけど。。。 

ジャニーズだけでなく、肖像権がクリアにならないアーティストに「ぼかし」が入ったり、権利関係がクリアにならない曲が飛んだりする可能性も出てくる。
それと、ベストテン名物の「中継」の部分だよね。場合によってはアーティスト以外は、すべて「ぼかし」が入る可能性もあるな。

「トップテン」の再放送もそうだったけど、そうなるとかなり興味がそがれることになるんだけど。。。。

たかが昔の自分の顔が、今の時代にまた放送されるだけじゃん・・と、なんで「ぼかし」なんて入れるの? なんて思われるかもしれないですが、そのあたりの考えは人によって全く違ってくるんでね。
ジュリーみたいに過去を振り返られない人もいるだろうし、現在のイメージを守りたいっていう人もいるだろうし。

それよりなにより、番組が再放送するにあたっての出演契約がどうなっているかっていう問題も考えれる。
果たして再放送するにあたっての契約はされているのかっていう問題。 簡単に言えば再放送でのギャラの再分配だよね。
まあ、そもそもは「生放送」として成立していた番組でしたからね。
再放送としての2次利用はあの頃は想定していなかっただろうし。。。

昔はゲーノー界っていったらドンぶり勘定なところも大々にしてあったろうけど、最近は一般業界同様「契約」社会だからさ。そのあたり突いてくるプロダクションも出てくるだろうしな。

とにかく権利関係をクリアにすることが、昔の歌番組の再放送を複雑に難しくしているわけで。

もし、私がプロデューサーだったら匙投げちゃうなぁ。めんどくせーって。 これら一つ一つの問題をコツコツ解決できないと放送できないですからね。

いずれにしても、もし、「ぼかしも」曲の飛ばしもないんであれば、個人的にも見てみたいという希望はあるんだけどさ。

まあ、それ以前にウチ、CS TBS見れないんだよな。。。。

ドール / 太田裕美

1978_09_ドール_太田裕美


今回の1曲セレクトは、「ドール / 太田裕美」です。

まずはデータです。

・タイトル     ドール
・アーティスト   太田裕美
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1978年7月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 22位
・売上げ枚数   9.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

大々的にと言う訳ではないですが、太田裕美さんが「乳がん」告白と言うニュースが、先日からネットに流れてますね。
7月に手術、8月から抗がん剤治療を開始しているとのこと。
年齢的にと言う事もあるのかもしれないけど、太田裕美さんあなたもか・・って言う思いもあるなぁ。
来年春までのスケジュールが決まっているので、休養はせず歌いながら治療していくとのことで、現在のところ重度な症状ではないと思われますが、無理せずに治療して行って欲しいですね。

・・・ということで、今回の1曲セレクトも、太田裕美さんの曲で行きたい

・・と思ったものの、毎度毎度のことながら、今頃の太田さんのヒットでまだ、書いて無い曲が、あんまりないんだよな。。。。

9月なんで「九月の雨」・・・と行きたいところでもあるんだけども、何分、太田さんの代表曲の一つ。まだ書いて無いわけが無く・・・・。

うーん、 と考えた・・すえに、この曲でいいかな・・と引っ張ってきたのが、「ドール」


この曲、厳密に言えば、9月の今頃はは既にヒットのピークは過ぎてたんだよね。

リリースは1978年7月1日。 78年「夏」のヒット曲と言う事になる。 9月の今頃はヒットチャート上でも既にヒットのピークは過ぎ、オリコンでも「右ページ」(51位以下)まで下がって来ていたのが、丁度今頃の時期だ。

個人的には、既にピークは過ぎていたものの、まだオリコン30位くらいには残ってた頃かな・・・と思ってたんだけど、意外とタンパクなヒットチャートの動きだったんですよね。

まあ、最もオリコンでは最高22位 10万枚も売れなかったんでねぇ。


唐突だけど、太田さんと「ザ・ベストテン」というと、どうしても「不運」と言うコトバが付きまとってしまう。

ベストテンが後3カ月早く始まっていたら、当然、太田裕美も「ザ・ベストテン」ランクイン歌手の仲間入りだったのに。
いや、当初はそれが濃厚だったんだよね。 ・・というのも、もともと「ベストテン」は1977年10月スタートの予定だったんですよ。
でも、Wikipediaによると、ベストテンのランキング方式の意見の対立によりスタート時期がずれ込んだとある。
また、キャンディーズ解散にも密接に関係しているともある。
まあ、キャンディーズの解散コンサートの放送権はTBSが持っていた事もあり、いろいろ「大人の事情」が絡んでいたものとは思うが。。。

いずれにしろ、その事が、太田裕美には不運の一つだったんだよな。

1977年9月リリースの、件の「九月の雨」が36万枚の大ヒットとなったものの、次の「恋人たちの100の偽り」から、いきなり10万枚以下という大幅売り上げダウン。 もちろんオリコンでもベストテン入りはせず、以後、ベストテン入りには縁が無くなってしまう。

その中でも、今回引っ張ってきた「ドール」って曲は、その曲調からして、恐らくは売り上げ巻き返しの1曲だったのかもしれない。

作詞 松本隆  作曲 筒美京平

っちゅう、超ゴールデンコンビは変わりないものの、 それまでの太田さんのシングルでは見らなかったようなちょっと、とっぽい感じのアップチューンからも、起死回生を狙ったよな・・って言う意気込みは感じ取れるんだけどね。

でも・・・・、思ったほど売れなかったんだよなぁ。

賞味期限・・・と言っちゃ失礼だけど、以前も書いたように、一度売り上げが右肩下がり傾向に入ったアーティストを巻き返すっていうのは、並大抵のパワーじゃダメなんだよね。 その辺にアーティストマネイジメントの難しさがあるわけで。。

今、改めて曲を聴いても曲自体は悪くはない・・・。 というか、松本隆-筒美京平っちゅう、ヒット曲請負人の超ゴールデンコンビ、駄作な筈もない。

ただ、ひとつ、この曲の中国音階的、かつ、日本的情緒・・という、いわいる4-7抜き的なアジアンテイストな曲の味付けはどうだったんだろう? っていう疑問は残るんだよ。

個人的に、太田裕美さんと言えば、田舎の(←失礼)の素朴で、アジアンテイストというよりもヨーロッパ系が似あう、ちょっと綺麗なお姉さんって言うイメージ強い。

まあ、デビュー曲の゜雨だれ」、「最後の一葉」、「九月の雨」のようなヨーロッパ系、「木綿のハンカチーフ」「赤いハンカチーフ」のような素朴系 ・・・このイメージなんですよ。
「しあわせ未満」はカントリーががってちょっと毛色が違うけど、それでも素朴ではあった。

それら、それ以前のヒット曲からみても、この曲はちょっとテイストが違うんだよね。

そもそも、ヨコハマっていう土地柄や、中国音階っぽい味付けが太田裕美さんのキャラクターにあっていたんだろうか・・・っていうと、個人的にはちょっとしっくりこないところがあるんだよね。

この曲のすぐ後に、ゴダイゴの「ガンターラ」を初めとした、「西遊記」による一連のヒットから、アジアンテイストを持ってきた方向性が間違ってたとは思わないんだけど、あくまで太田さんにその方向性の曲があっていたかと言うところだよね。

まあ、これも後の結果から感じ事かもしれない訳で、それなりにベストテン入りほどのヒットらなっていたら、そうは感じなかったのかもしれないけどさ。

ちょっと肩に力が入り過ぎたのかな・・・っていうキライはあるな。 オーバープロデュースっていうかさ。 今は、そんな風に感じられるんだよね、この曲からは。




ちなみに、個人的に、この後、太田裕美さんの曲でしっくりきた・・というか、引っかかったのは80年の「南風」でしたね。
↑で書いたようにヨーロッパ系テイストの他、ウエストコースト風な「からっ」とした空気もあってるんだ・・っていうの発見だったな。



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ザ・ベストテン・ルポ〜月刊・明星78年5月号より〜

えー、この間もTwitterでつぶやいたんですが、只今、「むかーし・むかし」の月刊・明星付録「Young Song」を随時、ヤフオクで購入してまして。。。

先日の75年、76年分に引き続き、 今週は78年分をまとめて10冊ほど落札。

さっき、届きまして、只今、内容購読中。


その中で78年5月号(78年3月発売)に、「ザ・ベストテン」が、テレビ番組ルポってことで紹介されていますねぇ。

78年1月放送開始で、3月に既に「明星」で取り上げられているってことは、やっぱ、当初から注目されていたんですねぇ。


まあ、イラスト・レポということで、ちょっと見ずらいし、字も細かいんで、オヤジのワタシとしては、読むのもちょっと辛いんだけども。。。

スタジオ配置図内。
それによるとランクボードとソファーを中心に、スタジオの両側にそれぞれ、オーケストラボックスと、セットボックスが配置されていたことも判明。

テレビで見ていたよりもかなり狭いスペースで放送してた訳ですわな。


それ以上に、この時点で、すでに「ランク」の各要素の配点割合を公開していたことにちょっとビックリ。

それによると

・ハガキ  40%
・ラジオ   30%
・レコード売り上げ 20%
・有線   10%
(当時のプロデューサー 今里氏 談)

となっておりました。

それと、本番当日のスケジュール表も公開。 

本番後 22時〜 ストックVTR撮り

となっております。
11位〜20位で流れる「本人」が歌っているVTRって、やっぱ本番後に撮ってたんですね。
ナットク。


やっぱねぇ、昔の「資料」には、今となっては「お宝」と思える内容が、いろいろ埋まってますね

性(さが) / ツイスト

1979_02_性(さが)_ツイスト


今回の1曲セレクトは、「性(さが)」ツイストです。

まずはデータです。


・タイトル     性(さが)
・アーティスト   ツイスト
・作詞       世良公則
・作曲       世良公則
・編曲       ツイスト
・リリース日        1978年12月21日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   31.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1979年1月15日〜2月26日付

えー、今回もマクラ無しで、いきなり本題に行っちゃいますぞ。

今回セレクトしてきた曲は、ツイストの「性(さが)」どぇす

えー、長い事この「1曲セレクト」を読んでくださってる方は気がついてると思うんだけど、今回ひっぱってきた、「性(さが)」、 過去に一度書いちゃってるんですねぇ

↓ コレ 
http://livedoor.blogcms.jp/blog/kajiyan0777/article/edit?id=52012973

今はブログの底〜にひっそりと眠っちゃってるんで、気がつかない方も多いかもしれないけど。。。


でもねどうも、頭ん中がここのところ1979年になっちゃってさ。。 しょうがないんで、79年の今頃ヒットしていた、この曲を、再度持ってきちゃいました。

あ、でも一度書いた・・・と言っても、前回書いたのは、今から10年前なんだよな。。そそ、上のリンク先のトピックスは元々は、10年前にmixiに「友達向け」に書いたもんなんだよね。
でも、友達向けって限定にしておくのは勿体ないんで、一昨年から、このブログにmixiから移植してきて公開したもんなんだけどさ。
 流石に文章、若いな。 いまねぇ、こういう新鮮な文章書けないのよ、ワタシ。。。 まだ30代でしたからねぇ、書いた時は。
まあ、よろしかったら併せて読んでいただけるとありがたいかなぁ


・・・・と取りとめもない事を書いてもしょうがないんだけど。。。

↑で、この頃頭が79年になってる・・・っちゅうのは、ついこの間、ヤフオクで79年〜80年の「月刊・明星」の付録の歌本・・通称「Youn Song」を大量に落札しまして。。。
今ねぇ、毎晩寝る前に1冊ずつ読んでるんですわ〜

わあ、悪趣味〜  ・・・って言われてもしょうがないんだけどさあ、でもね、やっぱ気分はあの時代に戻りますね。

当時、ワタシは9才。小学3年生。

流石に月刊明星を買うには、ほんの少しガキだったからねぇ。 うん、実際に買い始めたのは小学5年だった1981年3月号からだからさ。 そこからは、当時買ったものを「後生大事」に取ってあるんだけどね。

ワタシが買い始めた頃は、既に80年代アイドルの時代に入ってた訳で、ヤンソンもトシちゃん、まっち先生、聖子ちゃん、奈保子ちゃん・・といった、80年デビュー組が中心、うん、アイドルが中心だったんだけども、今回購入した79年〜80年頃は、ニューミュージックが中心。

うん、時代はニューミュージックブームでしたからねぇ。 で、そのブームの頂点だったのが79年ってわけでね。

何せ、ヤンソン恒例のハガキリクエスト「あなたが選ぶ今月のベスト20」も、ツイストとゴダイゴで、1位、2位を争っている時代。ちょっと前までは郷ひろみだったんだけどね。このハガキリクエストコーナーも。

ニューミュージックがアイドルだった・・・そんな時代なんだよね、79年は。

ちなみに、当時ロックBIG3と言われた、ツイスト、ゴダイゴ、サザンオールスターズの中で、リクエスト票数が一番低かったのが、サザン。

これ、今からしてみれば意外かもなぁ。

結局さ、ルックスのツイスト、演奏(技術)力のゴダイゴ、に対して、「お笑い」のサザンだったからさ、当時は。。  アイドルというよりも「イロモノ」だっんだよねぇ。 
そこが、リクエスト票数が伸びなかった所以だよね。 なにせ「明星」は、今も昔も変わらず、小中高生向けのバイブルだからさあ。


ま、そんなことで、昨今、頭ん中が79年になっているワタシな訳だけど、今回、この「性(さが)」を引っ張ってきたのは、それだけじゃないかもなぁ。
 うん、さっき気がついたんだけども、今年のカレンダー、79年と同じ並びなんだよね。 2月9日が木曜日になってる。。。

え? なんで、それで79年とカレンダー並びが同じって分かるの?  って事なんだけど・・・。

実は、初めて「ベストテン」をカセットテープに録音したのが、1979年2月9日なんですねぇ。。。

・・・っつうことは、1979年2月9日は「木曜日」だったはずで、今年と一緒なわけなんだよね。

あの時、「ベストテン」のベスト3は、1位アリス「チャンピオン」、2位ゴダイゴ「ガンダーラ」、3位が、今回のツイスト「性(さが)」って言うランナップ。
 当時、欠席がちだったアリスも、この時初めての1位獲得と言う事もあって出演して大熱演したのを覚えてるワ。

でもね、それよりなにより、個人的に一番すきだったが、このツイスト「性(さが)」だったんだよなぁ。
アリスも大熱演だったけど、この「性(さが)」もそれに負けないくらいの大熱演でさあ、 めちゃくちゃカッコ良かったんですよ。

ツイストっていえば、ベストテンで10週連続1位をとった「銃爪」であり、「燃えろいい女」であり、「宿無し」であり・・・他にも数々の大ヒットがあるんだけども、個人的にはこの「性(さが)」なんだよなぁ、誰がなんと言おうともさ。

兎に角、当時の大熱演の印象が、頭にこびりついちゃってるからさ。

あれから40年近く経っちゃったわけだけど、未だに、テレビの歌番組であそこまで熱く、大熱唱した歌唱って、ほとんど聴いた事がない。

 高々、3分程度の歌唱時間、考えようによっては単なる曲のプロモーションとも捉えられるわけだし、だから、昨今ではテレビの歌番組で「本気」で歌うアーティストも少なくなったしな。ましてや口パクだったもするしさ。

でも、当時は、テレビの歌番組でも、「マジ(本気)」で歌うアーティストもいたんだよね。 
聴いてるこっち側も、こういうところって敏感に分かるじゃん。 ましてや、当時、小学3年だったクソガキでさえ、「マジ」さを感じて、感動しちゃう訳だからさ。

まあ、すべての歌番組で「本気」を出しているかどうかは別なんだけどさ、 事、ベストテンの「スタジオ」で歌う時には、本気で歌唱していたヒトが多かったよなぁ、当時は。
ま、それほど、ベストテンって言う番組のスタジオの雰囲気が、それぞれのアーティストにとって、「本気」を出したくなるような熱気に包まれていたんだろうけどね。

だからなんだろうね、あの時代の歌が「いい」って感じるのは。 それにリンクして「ベストテン」ガ面白かったのは。

行きつきところは、「情熱」なんだろうなぁ。 いかに「ユーザー」に本気で伝える情熱を燃やせられるか。この1点に尽きるんだよね。


あー、また説教じみた事を熱く書いてしまったワイ。。。  最近、年取ったせいか説教臭くなってしまって如何ねぇ。
うーん、79年の曲になると、こうなっちゃうんだよなぁ、それだけあの頃の曲が好きなんだけどさぁ




これは、87年に「再結成」した時のベストテンのスポットライトなんだけどさ、この時も相変わらず「大熱唱」でしたねぇ。他のアーティストたちとの温度差が凄ごかったの、よく覚えてるわ。。。
87年と言ったら、すでにアイドル全盛期だったわけで、この手の曲はベストテンでは聴きたくても聴けなくなっちゃてましたからね。

世良氏の大熱唱のボーカルもそうだけども、世良氏のボーカルに絡んでくる、神本氏のエレピと、エレクトーンの音色が大好物なんだよな、ワタシ。
このグルーヴ感、泥臭さこそ、70年代ジャパニーズロックだったと思う。 

あの時代のグルーヴ感をもう一度っていうアーティストが、もう一度出てくれば、個人的には手放しで応援するんだけども、もう出てこないんだろうねぇ。 時代が違うもんな。。。 

これは、やっぱり今年5月の「僕らのポプコンエイジ」で味わってくるしかないか。。。

↓ コレ
http://entameclip.com/news/44692


こんな感じで、今回は1曲書いた曲を、再セレクトしてきたけども、この先は、時々こんな感じで「再セレクト」しようかなぁ。
以前書いた時とは、ちょっと違う視点から書けそうだしね。。(単純に「キラー」コンテンツとなりそうな大ヒット曲が枯渇してきた・・・ってのもあるけど)

ちなみに、以前書いた時と、今回書いたものでは、「データ」に書いた、「ベストテンランクイン」の期間が違っていたりするけど、前回のベストテン入りデータは「ザ・ベストテン」でのベストテン入り期間。今回のは、僭越ながら、ワタクシのチャートでのベストテンいり期間どえす。




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風の駅 / 野口五郎

1977_11_風の駅_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「風の駅」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル     風の駅
・アーティスト   野口五郎
・作詞       喜多条忠
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1977年10月25日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  25.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1977年11月14日〜12月26日付

ここのところ90年代中心に書いてきた1曲セレクトだけど、ちょこっと偏り気味なんで、今回は70年代へ遡ってみますか。。。

野口五郎 「風の駅」なんてどうでしょうかねぇ。

この曲と言って、真っ先に「ピン」と来た方は、「ザ・ベストテン」フリークですよねぇ。
そそそ、「ザ・ベストテン」が放送開始後、第1回目のチャート発表で、一番最初に登場したのが、この曲だったんですねぇ。
 つまりは、第1回ランク発表の時の、第10位がこの曲だったって事ですわね。 それが1978年1月19日放送分の事。

うむ、「ベストテン」フリークだったら、常識中の常識なんだけどね。

でもね、実際78年の1月第3週で、オリコンではどうだったのか・・・・というと、この曲、すでに40位にランクダウンしてたんですねぇ。
まあ、、ベストテンの場合、実際はランク発表の前週分のチャートを使用・・・ということは、1月19日放送分については、1月第2週のランクを使用していた訳だから、40位までは下がっていないまでも、オリコンでは1月第2週は、30位だったんだけどね。。。。

・・・となると、「え? なにこのランキングの差は・・・」って事になるだろうけどねぇ。

うむ、ベストテンの順位はレコード売り上げだけで決まるのではなく、その他、有線、ラジオ、ハガキリクエストの4要素の順位の総合ランクだったんでね。
 だから、レコード売り上げは如何に下がっていても、他の要素で補てん出来れば、おのずからランクは上になる仕組みだったんだよね。

ちなみに、この時の各要素の順位は、レコードの他、有線もラジオもベストテン外だったんだけども、ハガキリクエストだけは「4位」・・・とハガキリクエストが圧倒的に強かった事が分かるんだよね。

加えて、ベストテンって、放送開始当時は、4要素の中で、ハガキリクエストの得点比率が一番高かったからさ、だから、他の3要素でベストテン入りしていなくても、ハガキが強かったらベストテン入りも十分可能だったんだよね。

そんな恩恵もあって、レコード売り上げは既に下降線を辿っていたこの曲が、「ザ・ベストテン」ではベストテン入り出来たって訳なのよね。

五郎だけではなく、当時は秀樹もハガキが強かったからねぇ。 この「風の駅」がダウンしてすぐ後、秀樹の「ブーツを脱いで朝食を」がベストテンでは1位になってるんだけど、これは完璧にハガキリクエストの効果だったもんな。 なんせ、オリコンでは、この曲最高8位だったわけで。。。

まあ、この当時だけでなく、ベストテンが終わるまで、アイドル系は得てしてハガキリクエストが良かったんだけどもね。 ただ、これもだんだんエスカレートしてきて、ファンクラブぐるみでリクエスト・・・いわいる「組織票」の割合が酷くなって行ったんで、ハガキの得点比率は、年ごとに下がって行ったんだけどさ、「ベストテン」も。



ところで、肝心の曲の方だけど、正直言って、当時はよく分かんなかったんだよな、この曲。
まあ、この曲の頃は、個人的には、まだ「ベストテン」は見てなかったし、・・・・というか、まだヒット曲の世界に足を踏み入れてなかったし、だからリアルタイムでは聴いてなかったからねぇ。

後年、ベストテンとかで、第1回放送での最初のお客様・・・ってことで、この曲が流れているのを聴いてたくらいだからさ、よく分かんなかったのも当然なんだけど。。。

きちんと聴いたのは、「筒美京平BOX」に収録されていたのを聴いてからだから、かなり後になってからですねぇ。

あー、この曲が、ベストテンで最初にランクインされた曲か・・・なんて、ちょっと感激したような気がする。

ただ、それでもパッと聴きは、よく分かんなかったんだけどさ。

当時の野口五郎氏の曲って、言ってみれば、当時の「歌謡ポップス」の王道みたいなもんだったじゃん。「THAT'S 70'S」って感じでさ。
まあ、この曲の頃が、歌謡ポップスの完成度が一番高かった・・・と思うんだけどね。 この曲の頃、ヒットしてた曲は、どの曲も完成度が高いと思うわ。

その中で筒美京平氏の曲って、当時、個人的に最初に引っかかった曲は、もっと洋楽・・・というかバタ臭かったんだけどね。例えば、庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」とか、大橋純子さんの「たそがれマイラブ」とか。

でも、こと、野口五郎氏の筒美作品ってあんまり、そういうバタ臭さを感じなかったんだよな。
まあ、野口五郎氏の、いわいるビブラート唱法が、どうしても歌謡曲っぽさを感じさせちゃったしてたってのも大きいんだけどさ。

この曲もパッと聴き、まさにそんな感じだったからねぇ。 「あ、70年代」っていう引っかかりはあっても、でも、「あ、これは自分の時代の曲じゃない」っていうところも感じちゃったりしてね。

うん、「自分の時代」っていうのは、自分でリアルタイムで聴いた以降の音楽ってことですね。

でもね、それでも、パッと聴き、この曲がヒットしていた当時・・・だから、1977年の今頃ですね・・・の風景、匂いが、一瞬のうちに甦って来るんだから、ヒット曲って不思議なんだよな。うん、当時、まだ、ヒット曲なんて聴いてなかったっちゅうのにさ。


ただね、パッと聴き、あんまり引っかからなかったこの曲ではあるけども、聴きこんでくると、だんだん味が出てきたんだよなぁ。
 そもそも、イントロのストリングスの動きからして、「風の駅」っていうタイトルにピッタリしてるじゃん。
16分音符で動く、ストリングスのフレーズが、いかにも「風の中」の風景を現してるしさ。

でね、個人的に一番、「らしさ」を感じるのが、サビの部分のストリングスのハーモニーなんだよな。

うん、サビの♪ ただ 君の 髪の毛の香り〜 この指が覚えてるだけさ〜 ♪ でバックで流れているストリングスのハーモニー。

ま、単純に、「シロタマ」(全音符)で、ハーモニーを奏でてるだけなんだけど、このハーモニーが切ないんですよ。

そう、♪ 遠い風の音〜 ♪って歌詞にあるように、本当に遠くで鳴ってる風の音のように感じたりして。

この曲、歌詞の内容としては「過去」を振り返っている内容じゃん。そんな切なさが、このストリングスのハーモニーと重なるんだよね。

そんな仕掛けに、なるほど流石は筒美氏だな・・・なんて思わず納得しちゃうワタシだったりするんだよね。





ちなみに、この曲が、野口五郎氏としては、最後の売り上げ25万枚オーバーの曲だったんだよね。
↑は、「夜ヒット」だけど、こと、ベストテンは、売り上げが全体的に下降線に入った時にスタートだから、野口五郎氏としては、ちょっとタイミングが悪かったんですよね。
その辺、新御三家の他の人、郷ひろみ氏、西城秀樹氏と比べると、ちょっと可哀想だったかな。


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季節の中で / 松山千春

1978_12_季節の中で_松山千春








今回の1曲セレクトは、「季節の中で」松山千春です。

まずはデータです。

・タイトル     季節の中で
・アーティスト   松山千春
・作詞       松山千春
・作曲       松山千春
・編曲       清須邦義
・リリース日    1978年8月21日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    85.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年10月16日〜1979年1月29日付
・タイアップ:グリコ「アーモンドチョコレート」CM曲

 いや〜、最近は毎回そうなんたけど、今回の1曲セレクトも何にしようか・・・。結構まよった。
浮かんできた曲、1発で決まれば後は書くだけなんで楽なんだけどさ、浮かんできた曲、頭の中で一度否定しちゃうと、なかなか定まんなくてさ、結構、苦しんじゃうんだよね。
好きで書いてるのに、なんか変な話なんだけどさ

・・・ちょっと煮詰まっているところもあるんで、1回休もうかなぁ・・・と思いつつも、まあ、簡単に書けばいいか・・と引っ張ってきました。

 松山千春   季節の中で

 この曲リリース日は、1978年8月21日・・・ということは、リリースされたのは「真夏」なわけですわ。
 
・・・とかくと、今の感覚だと、え? なんかのまちがい?

と思われちゃうかもしれないけど、しっかり「今ごろ」のヒットなのですヨ。

松山千春って、たしかにこの曲の頃はすでに北海道ではスターだったわけだけど、、まだまだ全国区ではなかったんだよね。 だから、ヒットの火がつくまで、結構時間がかかったんだよね。

で、この曲がグリコのCMに起用されて、大ブレイクしたわけですわ。

 まあ、得てして、ブレイクの時はロングヒットになるもんだけど、この曲なんかはその典型ですね。

 それと、なんと言っても「ザ・ベストテン」の効果が「大」だったんだよなぁ。
 なにせ、テレビには「出ない」と公言はばからなかった、松山千春が「テレビに出て歌う」っていうのは、これは、一つの事件でしたよね。
 時は1978年11月16日放送の初の1位獲得の際でしたね。
ワタシがベストテンを見始めて3週目のことですわ。でもさ、この時の記憶がほとんどないんだよね。ワタシ・・・。

これについては、この間、「さんまのまんま」に千春と黒柳徹子さんがゲストに出たときも話題に上がってましたねぇ。
 千春のトークが長すぎて、千春の後に歌う予定だった山口百恵さん(この日は別の番組出演で遅れて到着し、千春の後に歌う予定だった)の歌が飛んだって事を蒸し返されていたり。。。


まだね、個人的には「テレビ」に出ないアーティストがいるっていうこともよく理解できていなかったからかもしれないなぁ。
歌手っていうのは、テレビに出るのが当たり前だと思ってたからさぁ。
でまあ、あとになってから、これはすごいことだったんだ・・・って事を理解したわけなんだけどさ。

 でも、ほんと、この番組では随分、勉強しましたね、ゲーノー界の事情のことを。
 その最初だったなぁ、テレビに出ないアーティストがいるって事を知ったのが・・・。(実際に意識したのは、このすぐあとの南こうせつ「夢一夜」のときですね)

 曲のほうですが・・・、うーん、これは、もう、ほんと有名な曲だからなぁ。みんな知っているだろうとしなぁ、いまさら、こうでした・・・っていうことを書くこともないんだけどね。

 とにかく、キャッチーでしたよね。サビが強烈に印象に残る曲ですもんね。

 ♪ めーーーぐるーーー めぐる季節の中で 
   あーーーなたはーー 何をみつけるのだろう ♪

 この簡単なサビでも、数多くのものが浮かんでくるっていうかね。

 もちろん、この部分がCMにも使われていたわけで、数秒でお客さんをガッチリ掴まなきゃいけないCMの曲ならではの曲ともいえますよね。
 まあ、当時、グリコのCMに、当時人気絶頂の三浦友和氏が出てたってのもインパクトがでかかったんだけども。。

 ちなみにこの曲、フルコーラスでも3分そこそこなんですよね。たしかに今の曲よりは当時の曲はフルコーラスが短かったといっても、その中でもかなりシンプルな作りな曲だったなぁ。

 やっぱり、曲っていうのは、ただ、長ければいいってもんでもないんだよねぇ。シンプル イズ ベスト。
 要は「掴み」って訳だよね。


動画、どうも、ここからリンクを貼ると蹴られちゃうんで、ようつべに直接リンク。 みたい方はどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=5sFdLKlr0Xw


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黄砂に吹かれて / 工藤静香

1989_10_黄砂に吹かれて_工藤静香






今回の1曲セレクトは、「黄砂に吹かれて」工藤静香です。

 まずはデータです。

・タイトル    黄砂に吹かれて
・アーティスト  工藤静香
・作詞      中島みゆき
・作曲      後藤次利
・編曲      後藤次利
・リリース日   1989年9月6日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   58.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1989年9月18日〜11月27日付 

 先月も書いたんだけど、個人的にどうも、工藤静香ってヒトが鬼門でね。決してキライなヒトじゃないんだけど、こと、歌ってる曲については、なかなかレビューが書けないんだよな。
 だから、あれだけ大ヒットを持っていながら、今までレビュー書いた曲って少ないんだよね。

でもねぇ、それじやイカン・・・と思いーの、1曲セレクトしてきました。

「黄砂に吹かれて」

 そうだ、あれから26年経つんだなぁ。 それを考えると、やっぱし早ーよなー、月日が経つのって。
 ワタシャ、あのとき20才だったんだよなぁ。 なんか、いまじゃ信じられないんだけどさぁ、自分にも20歳の頃があったなんて。。

まあ、あのときのことは、はっきり覚えてるしさぁ、感覚からすると、昨日の出来事って感じよ、ワタシの感覚からすれば。。。 でも、すでに平成だったもんね、昭和じゃなくて。。。

 ただ、「あ、やっぱり、平成元年だよね」っていう感覚はしてくる。
そーいえば、フジテレビの深夜に放送してた「マーケティング天国」でよく聴いたよな・・・・とかあせあせ

 そうだ、この曲っていうと、フジテレビの「マーケティング天国」を連想するんだ。
 「マーケティング天国」は当時、毎週、「録画」してたからなぁ、今でもちょくちょく見てるし。。。

 だから、この曲、聴いてて全然懐かしくないんだ。。。


 なに? マーケティング天国をしらない? チャートマニアのヒトとしては、もぐりですぞ。
まあ、当時のフジテレビ、月曜日24時30分〜放送してた番組なんだけど、音楽(オリコン)、映画興行成績、テレビ視聴率、ベストセラー、etc、いろいろなメディアやエンターテイメントの毎週のランキングを紹介する番組ですわ。

 うん、今のワタシを形成した番組のひとつだったなぁ。各チャート評が、自局のフジテレビの番組を含めて、いちいち「辛口」でよかったのよね、 本当は、ワタシ、これやりたかったのよネット上で。
 
・・・ってか、これ関東ローカルだったんですかねぇ? もしかすると地方の方は知らないかもしれないなぁ。


 それにしても、工藤静香って人気あったよね、当時。ってか、いまでもそこそこ人気あるわけか。。。
 
 ワタシより1つ年下だから、当時19歳だったはずた。それにしては、今見ると大人っぽかったよなぁ。。

 ワンレン、ボディコンで。。ふらふらふらふら  

 あー、完全に「死語」な世界だよなぁ。今の20代のヒトにゃ、なんじゃそれ? な世界でしょう。。

 まあ、「おみず」な世界のお姉さんっぽかったというか。。。

 ま、だから人気あったんだろうね、逆に言えば。 やっぱ、ゲーノー人たるもの、「お水」の匂いがなくちゃいけません。昔から、そう相場が決まってるじゃん。
 そう考えると、このヒトって、当時としてもかなりアナクロなゲーノー人の匂いのするヒトだったんだよね。

 兎角、アイドルといえば、門限は夕方までで、健全健康な雰囲気なヒトがほとんどなわけじゃん。

 このヒトの場合は、もっと夜に向かった匂いをさせるヒトだったのよね。そういう意味では、70年代の「飲み屋」のおねーサン達の匂いのするゲーノー人に近かったわけで、ゆえに当時としても、アナクロのにおいがしてたわけよ。
 そこに人気があった・・・・と。


 この曲、正直、どこが、どういう風にいい・・・っていうのは、よく分かんない。
 ただ、完全に工藤静香っていうヒトのうたになっているところがいいんだろうな。
 作詞の中島みゆき女史もセルフカバーで歌っているけど、やっぱし、この曲は工藤静香の方に軍配があがっちゃうもの。
 それだけ、完全に工藤静香のウタになっているんだよね。

 いいとすれば、そこがいいんだろうな。 それ以上でも以下でもないんじゃないかなぁ。

 うーん、少なくとも個人的にはそう見てるんだけどねぇ。曲を分析的に見て、ここがいいんです・・ってはいえないんだよね、この曲の場合。 曲全体をトータルに見て、そういう感覚がする・・・っていう曲だな。


動画、You Tubeにもあるんだけど、画像飛びと音ずれが酷いんで、別のサイトにリンク

http://www.dailymotion.com/video/x2r1y97_%E9%BB%84%E7%A0%82%E3%81%AB%E5%90%B9%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%81%A6-%E5%B7%A5%E8%97%A4%E9%9D%99%E9%A6%99_music

あ、いまさら書くことでもないんだけど、この曲が「ザ・ベストテン」で最後に1位になった曲ですね。



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哀愁のカサブランカ / 郷ひろみ

1982_09_哀愁のカサブランカ_郷ひろみ






今回の1曲セレクトは、「哀愁のカサブランカ」郷ひろみです。

 まずはデータです。

・タイトル    哀愁のカサブランカ
・アーティスト  郷ひろみ
・作詞      B.HIGGUNS S.LIMBO J.HEALY   
・作曲      B.HIGGUNS S.LIMBO J.HEALY
・日本語詩   山川啓介
・編曲      若草恵
・リリース日   1982年7月17日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   50.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1982年8月2日〜10月11日付

 えー、長年ヒット曲を聴いてくると、ヒット当時はキライだったけど、今は・・・って言う曲が結構あるもんなんですよね。
 まあ、自分の置かれる立場とか、周りの環境、年齢によって、同じ「曲」でも違って聴こえるから、これが不思議なもんなんだよね、音楽の力って。

 そういうことで、今回は、ヒット当時、「大っきらい」だった曲を引っ張ってきました。

 郷ひろみの「哀愁のカサブランカ」。

 今になって考えると、なんで、キライだったのか? って感じなんだけど、生理的に合わなかった・・・としか言いようがないんだよなぁ。当時は、なんだか、郷ひろみってヒトの曲と生理的に合わない曲が多かったんだよね。

・・・ってこれ、前にも書いたけど・・・。

 それと、当時の自分の置かれた立場、環境もあって、この寂しい、濡れた感じがとてつもなく嫌だった・・・って所もあるかな、今思えば。

 決して、この曲から「ザ・ベストテン」や「トップテン」などのベストテン番組の出演を拒否したからぢゃないな。

まあ、それが一番手っ取り早かったから、当時は、そのせいにしてたところもあったけど・・・。


 ただねぇ、「キライキライも好きのうち」って言うのかなぁ・・・。なんか、いつも心のどこかに引っかかっていたものはあったな。なんかの折に、つい、頭の中にこの曲が浮かんできちゃったりして・・・。

 あ、これは、次の「黒い瞳のナタリー」の時もそう。表面上はキライだったの。あまりに悲しすぎるじゃん。曲が。
 当時の精神状態から言って、その手の曲はダメだったのね。でも、頭の中のどっかに常に、メロディが残っているような感覚があってさ。

 今思うと、本当は好きだったんじゃないか・・・なんて思うんだよね。

 まあ、今でもそうだけど、典型的な天邪鬼な性格なんだなぁ。自分に素直になれない部分があるっていうかさ。

 うん、この曲、聴くと、そういうところをいつも感じますよ。

 もちろん、今は、全然平気なんだけどね、この曲聴くことに関しては。逆に大人になったからは、いいもんね、この曲。
 カラオケでも歌っちゃいますよ。

 まあ、当時13才。まだまだ 大人向けの「渋さ」を理解できなかったところも確かにある。


 ところで、なんで、突然、この曲をカバーすることになったのか・・っていうところ・・・。
 それまであんまりカバーしてこなかったヒトだったからさ(75年の「バイバイベイビー」(by ベイシティローラーズ)くらい?)

 当時は、当然レコード会社からの持込みだと思ってたの、ずっと。
 オリジナルのバーティヒギンズの「カサブランカ」もCBSソニーからリリースされていたからさ。

 でも、実際は、ニッポン放送の はた金さんがバーティヒギンズの「カラブランカ」の大ファンで、放送で使いたいから、試しにレコーディングしてよ・・・って依頼されて録音したところ、「お、いいね!」ってなって、急遽、リリースされたようなんだよね。

 もちろん、ここまでの大ヒットになるとは、誰も思ってなかったらしい。
 だから、本人も、周りの人も 「棚からボタもち」状態だったようなんだよね。

 ま、ヒットが生まれる時って往々にして、そういうことがあるけどさ。

 ただ、これをきっかけにして、カバー付いちゃった郷ひろみ にもなっちゃったんだけどさ。

 まあ、今となっては、カバーでくらいしかヒットが出なくなっちゃったから、それもいいのかもね。




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