今回の1曲セレクトは、「タイムマシンにおねがい」サディスティック・ミカ・バンドです。
まずはデータです。
・タイトル タイムマシンにおねがい
・アーティスト サディスティック・ミカ・バンド
・作詞 松山猛
・作曲 加藤和彦
・編曲 サディスティック・ミカ・バンド
・リリース日 1974年11月5日
・発売元 東芝EMI
・オリコン最高位 38位
・売り上げ枚数 3.3万枚
※売上げデータは、この曲が収録されているアルバム「黒船」のもの
今年も何人もの著名人が逝かれてしまいましたが、今年だけでなく、ここ10年ばかりを振り返ると、特に日本音楽界において「巨匠」と呼ばれるようなアーティストが次々に亡くなられてしまったような気がしますね。
特に2009年は、アーティストのヒトたちの逝去が多かったよなぁ。向こうではマイケル・ジャクソン。日本では忌野清志郎と、70年代、80年代以降の音楽界を引っ張ってきた人たちが次々と亡く これも、時の流れ・・・っていえば、それまでだけど、それにしてもやっぱ、一時代が終わったよなぁ・・・っていうのは否めない1年だったよなぁ。
で、もう一人、加藤和彦氏の突然の自殺というのもねぇ、予想外の出来事だったよねぇ。
ということで、今回は加藤和彦氏の曲を持ってきますわ。
あの自殺以来、あちこちで流れていたけど、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」。
うむ、いまや加藤氏の「代表曲」になってしまった感が強いね。
60年代末、件のフォーク・クルセダーズを解散以来、ソロを続けてきた加藤氏が、70年代の初頭に結成したグループ、それがサディスティック・ミカ・バンドなわけだけど、今考えると、めっちゃ前衛的なバンドだったわけで。。
何が前衛的かというと、日本のマーケットというよりも、海外を見据えたバンドだったってことですわな。
ま、それは、あくまで結果的なことなんだけど、事実、日本では一部の音楽にクロートな人たちにしか受けなかったのよ。
でも、向こうでは絶賛されたソトたちですらねぇ。イギリスでは、UKチャートにランクされ、ヨーロッパ全域的に受けた、日本で最初のバンドぢゃないかなぁ。
では、なぜに日本では受けなかったのか・・・。
答えは簡単で、このヒトたち、ハイパー過ぎたのよね。日本の聴衆は、当時、ついていけない次元の音楽だったのですよ。
実際、この「タイムマシンにおねがい」。
これ、正直言って、今聴いても、「1974年」の曲に全然思えない。めっちゃハイパーなロックだよなぁ。
今聴いても、その音質、楽曲形態、演奏技術、どれをとっても、1974年当時の水準をはるかに上回っているんだよね。 特に音質は「今年」の曲と言っても、全然遜色ないと思う。
まあ、マスタリング技術が、いまは進んだという事もあるけど。。。
1974年当時の日本の音楽っていったら、あれよ、歌謡曲全盛期。
何せ年間上位は、殿さまキングスの「なみだの操」に、中条きよしの「うそ」な時代よ。
商業的なロックは、まだまだ不遇の時代だったわけで・・・。ただ、ロックではキャロルなんかは、受けてたし、ダウンタウンブギウギバンドも「スモーキンブギ」でブレイクし始めてたころだ。
でも、キャロルにダウンタウンブギウギバンドっていうところを見てもわかるように、このころの日本のロックって泥臭いんだよね。
泥臭いというか、オイル臭いというか、いわいる「ブルーカラー」・・・肉体労働者的な匂いが強かったのよ。
そこにきて、このサディスティック・ミカ・バンドは、そういう「ブルーカラー」的な匂いがまったくしない、ロック。少し後にユーミンが使った言葉で「中産階級」ってあるけど、そういう「中産階級」でも支持してくれるようなロック。
まったく泥臭くないのよ、「スカッ」としたロック。
これは、この時代では、まったく異物なものだったんだね、日本の音楽界では。
まあ、だから、当時は、ほとんど注目されもなく解散に至ったっていうのが、事実だろう。
ワタシも最初聴いたときは、どう聴いても80年前後の曲だろうっていう感じをしてたんだよなぁ、この曲。
サウンド的なところから感じても、後年のシーナ&ロケットに近いような感じも受けたし・・・。
だからさあ、初めてこの曲が74年の曲だったてわかったときは衝撃的だったよなぁ。
74年当時に、こんなハイパーなロックをやってたヒトたちが居たんだってことが。
10年くらい前に木村カエラをボーカルに迎えて、再結成して、例のキリンラガービールのCMでこの曲やってたけど、あれから40年以上経っているっていうのに、全然、色あせてない、むしろ「今の曲」って言っても遜色ないし。。。
裏がえせば、41年前では、どれだけハイパーだったか・・・ってのが、わかるわけさ。
ただ、だからこそ、商業的には、なかなかうまく行かなかったってことなんだよね。
うん、曲が悪いんではなく、そこまで、当時の日本の聴衆が、ついてこれなかったレベルだったことなんですわ。
1974年8月、いまや伝説的なロックフェス、郡山開成山競技場で行われた「ワン・ステップ・フェスティバル」より。
当時のサディスティック・ミカ・バンドのメンバーは、
ボーカル ミカ
ギター ボーカル 加藤和彦
ギター 高中正義
ベース 小原礼
キーボード 今井裕
ドラムス 高橋幸宏
メンバーがいれかわりたちかわりしているサディスティック・ミカ・バンドにあって「最強」メンバーだった頃だ。
後々の超一流スタジオミュージシャン勢ぞろいって感じやね。 いまだったらギャラはどんだけになるんだろう?・・・ってくらいですわね。
Y.M.Oで機械的で無機質な感じのドラムをたたいてた高橋幸宏氏が、意外と「人間」的なドラムをたたいてたのも印象的。
ちなみにちなみに当時、ワタシは5歳。。。。福島にいたのよぉ。郡山から車で2時間のところに。
あと15年早く生まれてたら、間違いなく行っただろうな。。。
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