1968_09_海は恋してる_ザ・リガニーズ


今回の1曲セレクトは、「海は恋してる」ザ・リガニーズです。

まずはデータです。

・タイトル     海は恋してる
・アーティスト   ザ・リガニーズ
・作詞       垣見源一郎
・作曲       新田和長
・編曲       ありたあきら
・リリース日    1968年7月1日
・発売元      東芝音工
・オリコン最高位 37位
・売上げ枚数   5.7万枚

昨日、車を飛ばしつついつものように、FM東京「山下達郎・サンデーソングブック」を聴いてたら、The Amarriesの「From A Distance 」がかかった。

「From A Distance 」、邦題では、「孤独の世界」。 P.Fスローンが歌って、日本でもヒットした曲ですね。

でも、何? 「The Amarries」って。。。 またまた、ヤマタツお得意の、超マニアックバンドですか?

なんて思われがちだけど・・・。実は日本人なんだよね。 

「ジ・アマリーズ」。 68年当時、早稲田の学生だった3ピースフォークグループ。彼らがP.Fスローンの「孤独の世界を」日本語でカバーしてた曲だ。

・・・ってサンソンで邦楽がかかるのもあまりないんで、思わず聴き入ってしまったんだけども、正直「ジ・アマリーズ」なんてグループ知らなかったぞ。

調べたら、早稲田から出てきた「ザ・リガニーズ」の弟分のグループだったんですね。

ああ、「ザ・リガニーズ」なら知ってるぞ・・


・・・っちゅうことで、今回はザ・リガニーズのこの曲を持って来ましたわ。

「海は恋してる」

いや、ザ・リガニーズっつったらこの曲でしょ。。っちゅう、代表曲ですね。

まあ、今から51年も前の曲なんでねぇ、タイトルだけ見たら、「え? 知らなーい」って思う方もいらっしゃるかと思うけど、

♪ 君はきれいな 海の恋人 やさしく抱かれて 夢をごらんよ〜 ♪ 

って言うお馴染みのサビのフレーズ。
曲を聴いたら、「あー、この曲ね」って思うんじゃないかな。 

リリースは1968年 昭和43年7月。 

当然、ワタシゃ、まだ、この世に居ない。「-1才」 だったからねぇ。。

そんなワタシなんだけど、この曲は、結構早くから知ってたんだよな。 恐らく小学生の頃から知ってたと思う。

たしか、何かのコマーシャルのCMで使われてたのかなぁ。 何のコマーシャルだったのかは忘れたけど。。
当時、まだ福島のいわきに住んでたんで、もしかしたら福島のローカルCMだったかもしれない。

あ゛、でも、完全に覚えてるのは、小学6年の夏ですね。

1981年夏、かつてのG.Sでの人気グループ、ワイルド・ワンズとザ・ジャガーズが相次いで再活動を始めてたんですよね。
ジャガーズの「君に会いたい」は、たしか「サントリー・生ビール」のCMに使われたんじゃなかったっけな。

それぞれのグループとも、60年代〜70年代初頭のG.Sブームの終息から丁度10年ってことで、再活動の動きが活発になったんだけどさ。

ま、この時の再活動開始は、それほど大きな「波」にはならなかったんだけども、でも、これが呼び水となって、この年の年末の「ザ・タイガース」の再結成に繋がったのは、間違いないところだよね。

で、そんなG.Sグループ再結成の動きに併せて、この「海は恋してる」も再発されたんだよね。

いや正確に言えば、再発ではなく、当時人気俳優だった、広岡瞬が、この曲のカバーをリリースしたんだよね。
個人的には、その印象が色濃いんだよなぁ。

オリジナルの「ザ・リガニーズ」の音源を手に入れたのは、確か高校生の頃だった。
まあ、それでも年齢的に早かったかな・・とは思うけど、高校の頃、時代を遡ってヒット曲を追いかけてたんでね、このころ60年代、70年代の音源も大分取得してたんだよね。

それで、音源を整理する上で、ヒット順に曲に整理番号(ID)を振って並びかえるって言う現在に続く音源整理を始めたんだけど、ヒット順に曲を聴いて来ると、この「海は恋してる」って言う曲は、G.Sとはちょっと違うな・・って思えるようになったんだよね。

逆に言えば、それまでは当時のグループの曲って、全部G.Sなんだろうって言う認識でいたんだけども。

ちょっと毛色が違う。 そもそも、サイケ、ガレージ感が無いし、健全なイメージ。 少なくとも夜に向かった音楽ではない。

そそそ。当時は、慶応、早稲田、青学、成城・・・と大学のサークルから出てきたグループが多かったんだけども、それら大学から出てきたグループのうち、東芝からリリースしたグループは「カレッジフォーク」と呼ばれるようになった訳なのよ。

 これは、当時の東芝音工の名物ディレクターだった、高嶋弘之氏(高嶋ちさ子のお父さん、故・高島忠夫の実弟)が名付けた・・というかシリーズの呼称なんですよね。

まあ、当時の大学生は知的エリートだし、そもそも音楽なんぞやってるのは、そのなかでもいいとこのおぼっちゃまだった訳で、いわいるG.Sのサウンドとは違ったんだよねぇ

やっぱり、育ちが音が出る・・・っていうかねぇ、 上で書いたようなガレージ感、というか不良性が無い訳よ。

だから、サウンド的にG.Sとは異なるんだよね。 その辺を高嶋氏は見抜き、G.Sとは一線画した「カレッジフォーク」というシリーズを立ち上げんだろう。

でも、それは正解だったんじゃないかなぁ。 

後年、ニューミュージックと呼ばれるようになった音楽は、70年代初頭に突然出てきたかのように、ものの本には書かれる事があるけど、実際は、このカレッジフォーク路線が基盤になって発展した音楽なんだよね。

はっぴいえんどだって、ティンパンアレイだって、それ以前に、ユーミンを発掘した村井邦彦氏だって、早稲田・慶応閥な訳じゃないですか。 結局はカレッジフォークからの流れなんですよね。

それを考えると、今のJ-POP、特に今をときめく、米津玄師や、あいみよん、髭ダンなどのシンガーソングライター系アーティストの流れを辿って行くと、源流の一つはココにたどり着くと思う。そういう意味ではJ-POPの「祖」と言うべき音楽だったんじゃないかなぁ。

もちろん、G.Sからの流れも、亜流となってではあるけど、今のJ-POPに繋がっているんだけどね。




この曲のキモは、サビのメロディラインもさることながら、Interludeでのセリフだよね。

「海も失恋するのかな? 涙をいっぱいためるかな? でも、溢れだしたら困っちゃうな 
だって俺 泳げないんだもん 」

なんて、間抜けなセリフなんでしょ 。今だったら、バカヤロッ って思わず張倒したくなっちゃうような

でも、結局こういうところがG.Sとは異なるんだよな。いいとこのおぼっちゃまって言う感じじゃん。


ちなみに、件の「ザ・リガニーズ」、メンバーは

・新田和長(VO. G)
・武藤敏史(G)
・内山修(B)
・吉田光夫(G)
・常富喜雄(G)

・・・すげぇメンバーだって思う方は、「業界」通ですね。

そそそ、新田和長氏は、グループ解散後、東芝EMIに入社し、チューリップ、甲斐バンド、長渕剛、稲垣潤一らを育てた名ディレクターとして活躍後、ファンハウス社長
武藤敏史氏も東芝EMIに入社後、オフコースを育て上げ、寺尾聰の件の「Refrections」をプロデュースした名ディレクター。 

いや、「ザ・リガニーズ」に限らず、この当時のカレッジフォーク、G.Sには、後にレコード会社の名ディレクターになられた方が実に多い。
カレッジフォークからは、その他に、「ザ・ランチャーズ」の渡辺有三氏(元キャニオン名ディレクター)が有名ですよね。

結局さ、そういう流れから見ても、この頃のカレッジフォークから、今のJ-POPに繋がってる部分って言うのも大きいんだよね。

ちなみに、ベースの内山氏とギターの常富氏、最初に書いた「ジ・アマリーズ」の田口氏は、後に「猫」と言うグループを結成し、「雪」「地下鉄にのって」「各駅停車」などのヒットをとばしましたよね。

ついでに、後にワイドショーのリポーターになった所太郎氏もグループに在籍。でも、本人はあまり語らなかった見たいですが。。。



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