かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

カバー

魅せられた夜 / 沢田研二

1973_12_魅せられた夜_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「魅せられた夜」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル    魅せられた夜
・アーティスト  沢田研二
・作詞      JEAN RENARD  
・作曲      JEAN RENARD 
・編曲      東海林修
・日本語詞   安井かずみ
・リリース日   1973年11月21日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  34.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年12月9日〜1974年1月28日付

前回は少年隊の「バラードのように眠れ」ということで、ユーロビートを取り上げたんだけど、これは80年代の「ブーム」だったわけなんだよね。
じゃ、日本に於いて、それ以前にヨーロッパ系は流行らなかったのか? というとさにあらず。 60年代、70年代を通してもヨーロッパ系の曲って、日本のヒットチャートを賑わしていましたからねぇ。

逆に言えば、アメリカンな曲よりも、ヨーロッパ系の曲の方が、日本で於いてのヒット曲と言う意味では歴史は古いかもしれない。イタリア、フランスの曲なんかはそうだよね。

特に、フランスのフレンチポップスね。これは、その後の日本のヒット曲の「基礎」ともなっている部分が強いのよ。 フレンチポップスってメロディが濡れてるし、抒情的な曲って多いからさ、日本人の感情とフィットする部分が強いんだよね。

よく生命体の起源として「母なる海」って感じで、海の匂いを嗅ぐとどこか懐かしさを感じるって事があるけど、音楽で例えれば、フレンチポップスがまさにそんな感じなんだよな、知らない曲でもどこか懐かしさを感じる。

そこが日本人にフィットする所以なのかもしれない。まあ最近フランスで、日本のアニソンが流行っているって言うのは、その裏返しって言う部分もあるんじゃないかなぁ。 つまりは、日本のヒット曲の根っこの部分にはフレンチポップスがある訳でさ、フランス人に受け入れられるっていうのも、ある意味必然的な事なのかもしれないんだよね。言ってみればフレンチポップスの「逆輸入」って言う感じで。 もちろん、日本独自の感性って言うフィルターをかけてるんで、元のフレンチポップスと見た目上は変わってるけど・・・。


あー、またまた、「マクラ」が長くなっちまった。。。。

今回は、70年代前半にヒットしたフレンチポップスな1曲を持って来ましたわ。

沢田研二「魅せられた夜」。

うーむ、ジュリーは何曲か前に書いたばっかなんだけど、まあ、お許しあれね。

ま、兎も角も、古くからのジュリーファンにはお馴染みの曲とおもうけど、ワタシと同年代の方には、ちょっと馴染みが薄いかもしれない。

どうしてもさ、ワタシらの年代のジュリー像っていうと「勝手にしやがれ」であり、「TOKIO」ってあり・・・ビジュアル的なジュリーって言うイメージが強いからなぁ。

70年代前半のジュリーって必ずしもビジュアル重視って言う訳ではなかったでさ。件の阿久悠、大野克夫コンビになる前はヨーロッパ系な傾向は強かったんだよね。
例えば72年の2ndシングルである「許されない愛」なんかは、ロック系ではあるけど、音的にはアメリカンロックのように乾いた音ではなく濡れてたしね。で、その後フレンチポップスに傾倒するようになる訳ですわ。

その走りともなった曲が、今回引っ張って来た「魅せられた夜」じゃないかなぁ。

ま、この曲は、フレンチポップスのような・・・というか、本物のフレンチポップスなんですけどね。

つまりさ、フレンチポップスのカバーなんだよね

↓ コレ



・・・っつか、コレ書いてるワタシも今知ったんだけどさ  

なるほどぉ〜、そうだったのかなぁ。。。どおりでめちゃくちゃ「おフランス」的な曲だと思ったわぁ・・・

・・・なんて感心してるばやいか。。。

個人的に、この曲を初めて聴いたのは、忘れもしない1983年。ワタシが中一の終わりの春休みだったなぁ。

いつかも書いたような気がするんだけど、福島から千葉に越して初めて、船橋の「ららぽーと」に行ってさあ。そこのレコード屋さんで、ジュリーの「全曲集」のカセットを買ったんだよな。それに、この曲が収録されていたですよ。

めちゃくちゃ新鮮だった。 ↑で書いたように、ワタシらの世代というと、キザ路線からのジュリーからしか知らなかったからさあ。 こういう曲を歌っていたって言うのは全然知らなかったからなぁ。

新鮮だったとともに、どこか懐かしかったんだよね。それまで全く聴いた事が無かったのに不思議なんだけどね。

たしかに「ヒット」としての70年代のフレンチポップスって、能動的には聴いてなかった訳だけど、知らず知らずのうちに耳にしてたからさ。 言ってみれば、個人的な音楽の原点に近いんだよね。このテのフレンチポップスって。

 しかも、ワタシ、ヒット曲に足を踏み入れる前は、ポールモーリア・フリークだったからさあ。 まさにフレンチ・イージーリスニング界の大御所だったわけじゃん、ポール・モーリアって。だからね、知らず知らずのうちにフランス系の音って、刷り込まれていたんだよね。

A-B-A って言うメロディーの流れは、決して複雑な曲形式ぢゃないんだけど、メロディが染みるんだよね。
ちょっと前にもかいたげと、70年代前半の歌謡ポップスって、それまでの4-7抜きのメロディラインが抜けきっていない頃で、どこか垢抜けないものが多かったんだよね。なんて言うのかなぁ、ちょっとのっぺらぼうのような感じがして。

その点この曲は、もともと向こうの、本場もんのフレンチポップスだしさ、メロディラインの起伏もある。けっしてのっぺらぼうなメロディラインぢゃない。 まあサビで、転調してグワッと盛り上がるのは、ちょっと大げさかなとも思うけど、当時としてはこんな風に大げさに盛り上げる曲調がイマイかったんだよね。 そそそいわいるショービス系な曲としてさ。

この「魅せられた夜」の場合は、それに加えて、プラスのオブリガードも新鮮だったんだよなぁ。
それまでヒット曲のブラスのフレーズってダサいもんだと思ってたんだよね。なんか邪魔なところも感じたしさ。
でも、この曲のブラスがカッコ良かったんだよなぁ。

まあ、それは、当時実際ブラスをやってたって事もあるかもしれない。 丁度ブラスを始めて1年が経って、周りが見れるようになって来た頃だったからさ、ヒット曲でも意識的にブラスのフレーズが耳に入るようになってきてたんだよね。だからさ、あの時ブラスをやって無かったら、それ以前同様にダサく感じたかもしれない。 

でも、この曲と、次の年の「追憶」の哀愁漂うプラスのフレーズがさぁ、何とも良かったんだよね。

その後、高校終わりまでブラスを続ける訳だけど、本気でプラスを続けようとおもっさたのは、もしかするとこの曲のプラスのオブリガードに触発されて・・・って言うところは多分にあるかもしれないな。
うん、間違いなくきっかけにはなったと思うんだよね。

いずれにしても、この曲が35万枚近くの大ヒットになった事で、フレンチポップスへの手ごたえも感じでしょうね。次の1974年は本格的にフレンチポップスへ傾倒していくことになるんだよね、ジュリーも。





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哀しみの黒い瞳 / 郷ひろみ

1983_01_悲しみの黒い瞳_郷ひろみ


今回の1曲セレクトは、「哀しみの黒い瞳」郷ひろみです。

まずはデータです。

・タイトル    哀しみの黒い瞳
・アーティスト  郷ひろみ
・作詞      RAMON ARCUSA , JULIO IGLESIAS
・作曲      RAMON ARCUSA , JULIO IGLESIAS
・訳詞      岩谷時子
・編曲      川口真
・リリース日   1982年11月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数 18.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1983年1月10日付

この間も書いたように「リアル仕事」が、只今繁忙期真っ最中でして。昨日、一つの山場だったんですけどね。
もう一つの山場が1週間後に来るんだけども、それまでは気が抜けない毎日ですワ。
 いやいや、お陰で精神的にクタクタよ。今日は若干、悪寒が。。。カゼ引くのかなぁ。 ヤバイ・と思って、ドリンクタイプのベンザエースをゴクリ。

精神的にクタクタよ・・・と言えば、以前もここでグチった事があるんだけども、中1の今時分、クラス中から総スカンをくってた事があるんだよな。 簡単に言えばイジメってやつですわ。
 そもそものイジメの理由って言うのはくだらない事なんだよ、今考えてみれば。
ワタシ、中1の途中から、福島から千葉に越してきた訳で、いってみれば転校生だったんだよな。ココだけだったと思う。結局、転校生ってことで、元から居た奴にとってみれば「異星人」なわけよ。そんなことがきっかけだったんだよ。
 でもねぇ、味方が誰もいないっていうのは、マジでつらいんだわ。 幸いあの時以来、そう言う目は合っていないけど、未だにトラウマですね、人間関係には。信じられるのは自分だけ、周りは全部敵・・・って思う事、よくあるもん。

あー、湿った話が続いた。 今回は、そんなイジメられていた日の中で、未だに「トラウマ」になっている曲をひとつ。

郷ひろみ 「哀しみの黒い瞳」。

そう、この曲がヒットしていた渦中の頃、もっともイジメがエスカレートしていた頃だ。だから・・・って事が往々にしてあるんだけども、この曲聴くと、これから35年も経っているっていうのに、未だにあの時代の光景がフラッシュバックしてくるんだよな。

まあ、そんなこともあってか、この曲、結構長い間、耳にするのもヤだったんだよな。

なんとか、普通に聴けるようになったのは、大人になってからですねぇ。20年くらい前かな。
良いこともヤなこともひっくるめて、昔を回顧できるようになってからですねぇ。

この曲がトラウマになったは、確かに上記のように精神的に追い込まれるような「事件」があった・・っていうのは、個人的には一番大きなことではあったんだけども、 この曲の曲調自体重い感じだったからなぁ。

重く切ないメロディをうろうろと歌い上げるようなカンツォーネと言おうか。

そそそ、まあ、これ読んで下っている方の多くはすでにご存じだと思うけど、この曲はスペインが生んだスーパースター、フリオ・イグレシアスのカバーなんだよね。

オリジナルはコレ↓


まあ、曲を聴いてみれば、大概の方は「ハイハイハイ」ですよね
切ないイントロから、♪ンナタリ〜 ♪と歌い上げる、ヨーロッパ特有の甘く濡れたメロディ。
これにやられた方も多いんじゃないかなぁ。

そそそ、前年の1982年の「ビギン・ザ・ビギン」の大ヒットを受けて、この1983年にかけて、ヨーロッパだけではなく、日本でも一大ブームでしたもんね、フリオ・イグレシアス。
最近では、このテの正統派なカンツォーネを歌いあげるような向こうのアーティスト、少なくとも日本では絶滅ってかんじだけど、やっぱり時代だったんでしょうかねぇ。

それにしても、ヨーロッパ系の「刹那系」のメロディってこうも、心にグサッと刺さって来るんでしょうかねぇ。
系統としては、例えば、ニノ・ロータの「ゴットファーサー〜愛のテーマ〜」とかさ、あの感じに近いですよね。
でも同じように心にグサッと刺さるんだよな、痛いくらいに。

個人的にアメリカンな曲よりもヨーロッパ系の曲が好きなのは、その辺なんだろうな、きっと。
コーヒーも薄味のアメリカンよりも、濃厚なエスプレッソが好きなようにさ。


まあ、そんな一大ブームだったわけで、同じソニー所属だった、郷ひろみ氏がカバーに動いたっていうのも至極自然な流れだったんだろうね。

おりしも、当時、日本のヒット曲界そのものが、一大カバーブーム期でもあったしね。

アイドル中心に、70年代回顧って感じのカバーが多かったけど、その点では郷ひろみ氏は、ちょっと違ってましたよね。うん、当時ヒットしていた曲のカバーでしたからね。
 この曲の前が、あの「哀愁のカサブランカ」だったわけだけど、当時のヒット曲、バーティ・ヒギンズのカバーだったしね。

でも、カバーといえどいい味だしてるんだよな、カバーというよりも自分のオリジナルっていう感じだったもの。

まあ、個人的には、当時は、郷ひろみ氏の事は好きじゃなかったんで、ちょっと煙たい存在ではあったんだけどさ、でも、今になって改めてじっくり聴くと、いいんだよね。
 ・・というか、この頃の郷氏の曲って、あの頃の時代背景を感じるんだよな。 

NHKで、夜中によくやってるじゃん。その当時のヒット曲のバックに当時の事件とか世相のフィルムを流してる番組。
 郷ひろみ氏のこの当時の曲を聴くと、そんな絵面が浮かんでくるんだよね。 そそそ、曲のバックに当時の世相が浮かんでくるんだよな。

ま、それもこれも、最初に書いたように、このころ個人的にいろいろあったからなんだろうな、
よく、楽しい記憶、嬉しい記憶はすぐに忘れるけど、つらい記憶、苦しい記憶はいつまでも残るっていわれるけど、その通りだと思いますね。



この曲、訳詞は、岩谷時子女史だったんだね。
いや、これ書いてて、マジで今知った。 
やっぱり、フレンチポップスを中心にヨーロッパ系の濡れた感じの曲には岩谷女史の訳詞が一番響くんだよね。
そういえば、この年の夏にリリースされた、トシちやんの「さらば・・夏」も岩谷さんの詞だったよね。
まあ、あの曲はポール・アンカだったわけで、ヨーロッパ系ではなかったけど、曲想的には濡れてたからなぁ。
そう言う曲が合うんだよね。


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今はもうだれも / アリス

1975_10_今はもうだれも_アリス






今回の1曲セレクトは、「今はもうだれも」アリスです。

 まずはデータです。

・タイトル    今はもうだれも
・アーティスト  アリス
・作詞      佐竹俊郎
・作曲      佐竹俊郎
・編曲      矢沢透
・リリース日   1975年9月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数   26.9万枚

えー、これまでアリスの曲も大分書いてきたんだけど、今回は、アリスのブレイクのきっかけとなった曲をもってきましょうか。

「今はもうだれも」

えーーーー、しらねーよ、そんな曲。。。 なんていわれるかなぁ。。


 ふむ、まだ、「アリス」っていうバンドがそれほど、全国区になっていなかった頃の「最初」のヒットらしいヒット曲がこの曲だったのよね。
 オリコンでは、最高位11位と、残念ながらベストテン入りにはもう一歩足りなかったけど、それでも売上げは30万枚近い、スマッシュヒットを記録している。

 
 曲が、いいのよ、また。アリスっていうと、どうしても「冬の稲妻」「チャンピオン」・・・のような、ちょっとすかした、あの頃で言えば「キザ」っぽい曲を連想しちゃいがちだけど、この曲はモロ、ストレート。 正統派なポップスではないけど、ポップス。フォークじゃないけど、フォーク・・・・と曲のジャンルとしては、難しいけど、まあ、そんなことはどうでもいいや。。

 兎に角、今の季節の秋空の下で聴いたら気持ちいいだろうな。曲のさわやかさといい、温度感といい。。

 そういう曲です。

 アリスには珍しく、ストレート、かつポップな曲というわけだけど、実際、詩、曲共に、谷村氏、ベーヤンぢゃないんだよね。
 まあ、それまでのシングル曲でも、なかにし礼氏や、曲では都倉俊一氏が作った曲を歌ってたこともあるけど、この曲の佐竹俊郎ってヒトしらないよなぁ。。。

・・・・って調べてみたら、関西カレッジフォーク「ウッディーウー」っていうグループの方ですね。。当初のリリースは1969年。  ・・・ってか、ワタシが生まれた年じゃん。

↓ コレ
 

オリジナル初めて聴いたけど、ちょっとカントリーっぽいな。まあ、1969年だもんね。まだ、ニューミュージックっていうジャンルの曲は、日本では、生まれていないわけで。。。まあ、そういうわけで、69年当時では売れなかったんだよねぇ。正直、ちょっと時代の先読みをしすぎてたかもしれない。
 69年当時の大衆は、ここまではついてこれるレベルぢゃなかったですよ。
 

 それから6年後、まあ、なるほど、チンペイさんもベーヤンももともと、関西だからね、昔の「知り合い」の曲をカバーしてみたら、あたっちゃった・・・って奴ですわね。

 いずれにしても、その後のアリスの快進撃の始まりとなった、重要な曲ではありますな、この曲。



1976年のニューミュージックスペシャルからだけど、やっぱり若いですよね。
堀内孝雄氏なんて、いまと全然違うもんなぁ。この頃はまだ、長髪だったんですよね。

ところで、この曲、ワタシ、いつ、どこで「仕入れた」んだろ?

 それがよく覚えていない。。。 ちなみに、↑の動画は89年に放送された「ぼくらの青春のメロディ」で、オリジナルは、フジテレビの「ニューミュージックスペシャル」なんだけど、これが放送された89年時点では、この曲、既に知ってたんだよね。
 と、いうことば、それ以前に聴いてたんだろうけど。。。

 ただ、なんとなく、ヒット当時も、どっかで聴いてたような・・・・気もする。
 この曲聴くと、なんか懐かしいんだよね。75年っていうと、ワタシャ、6歳なんだけど、そのころの匂いが、どこからともなくしてくるのよ、この曲聴くと。



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ヴィーナス

1987_01_ヴィーナス_長山洋子






今回の1曲セレクトは、「ヴィーナス」長山洋子です。

 まずはデータです。

・タイトル     ヴィーナス
・アーティスト  長山洋子
・作詞      Robert Leeuwen
・作曲      Robert Leeuwen
・日本語詞   篠原仁志
・編曲      鷺巣詩郎
・リリース日   1986年10月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数   16.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1986年12月29日付

以前も同じようなこと書いた気がするんだけど、ユーロビートと歌謡曲って、なぜか相性がいいんだよね。

 いや、相性がいいっつうより、もともとこのテのリズムが日本人は好きってことがあるからかなぁ。
 まあ、ユーロビートっちゅうくらいだから、もともとは英国から来たビートっちゅうわけなんだけど、やっぱ、日本人は、昔からヨーロッパ文化が好きだから。。。あせあせ

 なんちゅうかねぇ、やっぱね気候が似てるところがあるからかねぇ、この「温暖湿潤」的な「濡れた」感じが、日本人の肌にフィットするんですかねぇ。

 ・・・ということで、今日は、長山洋子の「ヴィーナス」を引っ張ってきたんだけど、これも売れましたな。

 うん、85年の荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」に始まった、アイドルのユーロービートカバーの1曲よ。
 ここからWinkにいたるまでの、80年代終盤のメジャーなアイドルポップスのフォーマットよ。乱暴に書けば、ユーロビートにすりゃ、大体が売れた・・・って感じだったもんね。

 まあ、この「ヴィーナス」については、ちょうど、バナナラマがヒットしてたしなぁ、それを「おすそわけ」って感じで、ほとんど、そのまま引っ張ってきて、カバーしましたって感じですわ。

 それでも、ちゃんとヒットするんだから、やっぱり、あの時代の流行だったんだよね。

 だいたい、それまでの長山洋子の曲からしたら、ほとんど180度変わっちゃったじゃん、この曲で。
 それまでは、マジメな「歌謡曲」寄りのアイドルポップスを歌ってたのにねぇ、このヒトって。

 この変化には、ちょっとびっくりしたな。 まあ、上記のようなマジメ路線で売れてたか・・・といえば、必ずしも成功はしてなかったからねぇ、同じビクターの荻野目洋子が成功したのを見て、では、同じ路線を・・・ってことになったんだろうな。

 ま、もともとこの曲は、オランダのグループ、「ザ・ショッキングブルー」の1970年の大ヒット曲なんだけど、もちろん、オリジナルは、ユーロビートではないぞよ。うむ、まだ、ユーロビードなる音楽はなかったからのう。
オリジナルは ↓   サイケ色が残るフォークロックですよね。




 でも、それが、約20年後、うまくユーロビートにのっかって「再生」しちゃうんだから・・・。
 ・・・つうか、やっぱ、もともと「オランダ」のグループの曲っていうこともあって、もともと「ユーロビート」には相性がよかったのかもな。

まあ、ユーロビートでカバーしたのは、長山洋子さんより、バナナラマの方が先だけど・・・。

↓ これ



だから、長山洋子さんのカバーは、オリジナルのショッキング・ブルーのカバーというよりかは、バナナラマのカバーですわな。

 ちなみに、「ヴィーナス」っていうと、「女神」ってイメージがあるけど、「隠語」として、「女性自身」(→あそこ→タモリマーク(死語))っちゅう意味もあるんだよねふらふらふらふらふらふら

 この曲の場合、前者というよりも、どっちかというと「後者」を指してるんだけど、それをお分かりで、長山洋子さんにカバーさせたんでしょうかねぇ。

 もし、重々承知で・・・っていうんだったら、さすがはBプロ。なりふりかまわずですな。。あせあせあせあせ


・・・というか、現在、すっかり「演歌」になってしまった、長山洋子さんが、昔、「アイドル」だったってことを、すでに知らない人の方が多かったりして・・・ふらふら

・・・ってのは、いまやお約束exclamation & questionあせあせ




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まちぶせ / 石川ひとみ

1981_08_まちぶせ_石川ひとみ






今日のオススメの1曲は、「まちぶせ」(石川ひとみ)です。

 まずはデータから

・タイトル    まちぶせ
・アーティスト  石川ひとみ
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1981年4月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   39.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1981年8月10日〜9月28日付

 いやいや、8月ももう終わりですねえ・・。こう振り返ってて8月中に紹介しなくちゃいけない曲ってなかったっけ?
・・・と思い巡らせておりましたら、ありましたよ。この曲、石川ひとみの「まちぶせ」。
 たしかに81年夏のヒットではあるんだけど、9月ってイメージでもないもんなぁ・・、ということで、今日のうちに紹介しとこうと思い、引っ張ってきたわけです。

 カバーブーム。いまだに結構周期的にカバーブームって来るようだけど、このころからなのかなぁ、いわいるムコウの曲のカバーではなくて、日本の過去のヒット曲をカバーし始めたのって。
 もちろん、それまでも点々とはあったけどね。例えば、安西マリアの「涙の太陽」とか・・。これは、原曲は「エミージャクソン」なんだけどね。・・・え? ガイジンじゃんかって?
 いえいえ、これはねー、昔はレコード会社の専属作家しか邦楽レーベルからはレコードリリースが出来なかったんで、苦肉の策として、日本人を無理やりガイジンにしたてて、洋楽レーベルからリリースした曲なの。
 だから、作詞、作曲は日本人だし・・。ちなみに作詞は湯川れい子女史ですわ。

 いやいや、話が脱線した・・・。で、この「まちぶせ」は、76年に三木聖子っていうヒトがオリジナルで歌った曲のカバーなんですよね。
 まあ、カラクリとしては、三木聖子も石川ひとみも同じ、キャニオン所属で、おなじナベプロだったからってことで・・、
当時、石川ひとみって売れなくて苦しんでたからねぇ。
これも、やけくその苦肉の策に近かったんじゃないかなぁ。

 なんせ、78年にデビュー以来、曲はだせど、売れなかったアイドルだったからなぁ。石川ひとみって。
 唄は抜群にうまかったんだけどね。声もチャーミングだったし・・。だから、「アイドル」としての素質は持っていたんだけど、時代はニューミュージックブームだったんだよね。
 すでに70年代「アイドル」は時代遅れだったからなぁ。不運なヒトだったともいえますね。

 そういう、「日陰」なところが逆に「どうにかしたい」っていうファン心理を呼んだんですかねぇ、とうじオリコンウイークリー紙上では、「石川ひとみ」をなんとかしたい論争がおきてましたね。 まあ、次元がひくっちゃひくいんだけどさ。

 当時、私は、最初、どこでこの曲聴いたんだろ? 記憶をたどっていくと、多分リリース直後、ゴールデンウイークくらいの「クイズ ドレミファドン」だったと思う。当時、石川ひとみって「ドレミファドン」のアシスタントだったんだよね。
 それで、番組で歌ってたのをよく見た記憶がある。
 でねー、この曲、ヒットするだろうな・・っていう確信というよりも、ヒットしないかなぁっていう願望の方が大きかったんだよね。最初は・・。
 ヒットするとは、ワシも思ってなかったんだけど、曲の印象は良かっなぁ。最初、ひっかかりは少なかったんだけど、イントロだけは印象に残った記憶があるなぁ。
 それと、サビまでのAメロの部分かなぁ。この2箇所は印象に残った。 

 ともあれ、何回か聴いてるうちに全体的に気に入った記憶があるなぁ。
 でも、最初はなかずとばずでさぁ。ヒットする気配も無かったな。
 それが、7月ごろ急に空気が変わったんだよね。これ、原因はなんだったんだろ? 急に来たよね。
 
 でも、ともあれ、「ザ ベストテン」にランクインも果たし、念願だった暮れの紅白歌合戦にも出場を果たす・・。

でも、ファン心理としては、これですべて願望が叶っちゃったようなんだよね。魔法が解けたっていうのかなぁ。
 シンデレラを地で行くようだけど、82年1月1日、除夜の鐘とともに元の「石川ひとみ」に戻っちゃったんだよね。。。
 ・・つまり、もとのなかずとばずの・・ってやつですね。
いらい、全くヒットにも恵まれず、その後の人生も波乱万丈ですもんね。

 しかし、ほんと、今思うと、あの半年間の出来事はなんだったんだろ?
この曲を聴くたび、不思議な気持ちになるよなぁ。
 さすがにユーミンの曲。ただでは転ばない仕掛けになっているんのかなぁ。

 だけど、96年に自分でカバーしちゃったときは気持ち悪かったねぇ(^^;;;;;;;;


 ともあれ、これが起爆剤になって、81年〜82年にかけて、アイドル界ではカバーブームが引きおこったわけね。
 代表的なのは柏原よしえ「ハローグッパイ」(オリジナル讃岐裕子)かな。そのほかにもいろいろでたよね。
 それらにかんしては、また、いずれ・・。




※2005年8月に書いたものの再掲載です。

宇多田ヒカルのトリビュートアルバムに思う

ちょっと前から各メディアでも話題になってきていたけど、宇多田ヒカルのトリビュートアルバム「宇多田のうた」が今日、12月9日にリリースされた。

 通常、CDは水曜日発売・・・・というのが、ここ20年ばかしの通例になっているけど、火曜日発売というのも珍しい。
 それとも、「店着」・・・・いわいる「フラゲ(フライングゲット)」も考慮しての火曜日発売っていうわけか?

いやいや、今日12月9日が、「Autimatic」でデビューして「丸15年」ってことで、特別に火曜発売になったようだ。


それにしても、あれから15年かぁ。早いもんだな。
あん時、まだ、ギリギリ20代だったワタシも、はや、アラフィフっすよwwwww

そう言えば、マイミクの「オリ25」さんと知り合ったのも、ちょうどこの曲がヒットしている頃だった気がするなぁ。。


以前、「1曲セレクト」で「Automatic」を書いたときにも記載した事なんだけど、私が初めて「Automatic」を聴いたのは、リリースされる2週間くらい前、新卒で入った会社で外回りをしていた時のカーラジオだ。
 たしか、曲がかかる前に、藤圭子さんの娘で、若干15歳っていう紹介があったと思う。その瞬間、藤圭子⇒「夢は夜ひらく」⇒15歳⇒アナクロな70年代アイドル を連想したのは言うまでもない・・・
 
BUT、まるで予想もしてなかった、R&B調のイントロに不意を打たれてしまった。しかも、15歳にして完璧な歌唱、しかもしかも、自分で作詞作曲もしてる・・・と、あの時点では、おおよそ考えもつなかった、コノヒトの出現の衝撃は、めちゃくちゃでかかったな。 ヒット曲を聴き続けて、今年で36年。その間で、いくつかのエポックメイキング的な衝撃に出会ってきたけど、このヒトの出現ほど衝撃が大きかったのは、他に無かったかもしれない。

このヒトが出てきた1998年ってさ、CDセールスが史上最高に達した年だ。ただ、その半面、時代を強力にけん引するような「キー」になるようなアーティストが不在の年でもあった。それまで時代を引っ張ってきた、安室奈美恵もTKサウンドも「飽きられ」が見え始めた頃。
 そんな頃のこのヒトの出現は、完全に時代の牽引車が変わったような印象があったな。



あー、回想が長くなった。。。


それはさておき、このトリビュートアルバム、各参加アーティストの出来・・・・宇多田の唄の解釈・・・が、どれも、結構いいんですよ。

トリビュートアルバムって、昨今ではそんなに珍しくなくなったけど、だからか、正直、あんまり面白くないものも多い。なんかねぇ、各アーティストがカラオケやってるみたいな・・・っていうレベルのも珍しくないし。。。。

だけんど、今回の宇多田のトリビュートは、珍しく、レベルが高いんだよな。各曲とも。


今日、昼間、某FMで、このアルバムの各曲紹介をやってまして、聴いてたんだけど、どの曲も面白いね。

その中でも、注目されるのは、浜崎あゆみが、トリビュートに参加していることだろうなぁ。

まあ、スポーツ誌を含め各マスコミで、あの「世紀の歌姫対決から13年。ついにコラボ実現」とかの見出しが踊ってるけどさ。

世紀の歌姫対決とは、まあ、別段ここで書かなくてもいいかもしけないけど、2001年3月28日、同時リリースとなった、宇多田の2ndアルバム「Distance」と、浜崎のベストアルバム「A BEST」、どっちがアルバム1位をとるか!? ・・・・、マスコミを巻き込んで大騒ぎとなった、あのチャート対決の事ですわ。

結果、初動で、宇多田「Distance」 300.3万枚、 浜崎「A BEST」 287.5万枚で、宇多田が制したんだけどさ。

 たしか、あのころから、アンチ浜崎だったワタシは、あの頃自分のサイトに設置していたBBSで、「勝利」に沸いていたような気がするなぁふらふら


あれから、幾年月、両者、CDの初動売り上げ、300万枚を挟んだ攻防など、今となっては「夢のまた夢」のような出来事ではあるけど、あの時、後人を期した形になった、浜崎が「ライバル」宇多田のトリビュートに快く参加しているっていのうは、なんか清々しいなぁ。

ちなみに、浜崎は、「Movin'on Without You」をカバーしてるけど、これもなかなかよい。



なにより、本当に真剣に歌っているところがいい。
 最近の自分の曲より、声が前に出てきている。15年前の宇多田のオリジナルに決して負けてないように感じるな。

 正直、未だに、浜崎は、心から好きにはなってないけど(の割には結構音源を保有しているが・・・・)、そういう意味でも、今回のこの参加は認めたいですねぇ。

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