かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

オリコン

定額制配信リクエストランキングが総合チャートの要素に使えない訳

オリコンも「総合チャート」設立へ

https://www.asahi.com/articles/ASL1T7HQJL1TUCVL02L.html

1か月前の記事なんで、今さら・・・って言う感じなんだけども。。

それにしても、ネット中にコメントが溢れてるけど、オリコンが「総合チャート」なんて今さらだよなぁ・・・っていうのは当然だよね。対応が遅すぎる。
こちとら3,4年前から言ってるじゃん。

 記事には総合チャート設立の理由が云々書かれてるけど、結局は「ビルボード」チャートのここんところの躍進が気になってるだけだよな。もし、ビルボードの躍進が無かったら、今回の総合チャートもやんなかったんじゃないか



それにしても総合チャートについて気になる点がいくつか。最大の懸念点はappleやSpotifyなどの「定額制」音楽配信の再生回数を加味すると言う点。

これはダメよ。

 理由は、現在、特に日本の曲では定額制に配信許諾を与えていない・・・つまり配信していない曲が多過ぎ。現状では正当にヒットを比較する要素になり得ない・・と言う点。

もうひとつの懸念点は、定額制のリクエスト回数は、CD以上に「組織票の温床」になりやすい事。っていうか、表では見えないけどウラでは、かなりの無法地帯になってるんよ、定額制音楽配信のリクエストは。

例えばさ、1日中同じ曲を何度も再生すればするだけ、再生回数は上がる訳さ。1日24時間中、同じ曲を繰り返し再生するとする。
1曲5分として1日に280回は再生できる訳さ、一人で。 これが組織的にやられてみてごらんよ・・・大変な再生回数になりーの、当然再生ランキングもあがるってもんよ。

・・・んな、1日中曲聴いてられる訳無いじゃんって思われるかもしれないけど、べつに聴いて無くてもいいのよ。再生するようにリクエストを送れば。

つまりさ、曲が終わると同時に再度、再生するように曲に「機械的」にリクエストを送り続けさえすればいい訳なんで。

実は、業界的に定額制の各配信サイトで密かに頭悩ませているのが、この現象なんだよね。

最近シロートに毛が生えたような人向けに、「あなたの曲が世界中に配信されます」みたいなサービスがあるじゃん。
有名な某「t」って言うサービスとか、超メジャーな某「a」っていうレコード会社が運営している「b」っていうサービスとか

そそそ、登録すれば、あなたの曲がメジャーな定額制音楽配信サイトに自動的に配信されますみたいな謳い文句でさ。

これらのサービスでタチが悪いのは、リクエスト回数が増えれば増えるほど、還元される使用料が増えるってこと。これはサービス会社にも、実際に音楽(コンテンツ)を上げてるユーザーにも。

まあ、ちゃんと「音楽」を健全に広めたいっていうユーザーばっかりならいいんだけど、世の中「良いヒト」ばっかじゃないんでね。
「金さえ儲かりゃ何でもいい」って言う輩もいる訳でさ。

そう言う人たちがどうしてるか・・・

簡単。 こういうサービス利用して、自分の楽曲にエンドレスで機械的に再生リクエストを送り続けているってこと。↑で書いたようにリクエスト回数が増えれば増えるほど還元される金額が増える訳だからさ。
酷いのになると、一つのサイトに機械的にリクエストを送り続けて1カ月で20万回以上も再生いる輩もいるんよ。
まあ、それだけアクセスして使用料がいくらくらいになるのかはよく分かんないけど。。。

そう言う輩がやる作戦。。1曲の尺を短くするんよ。尺が短いほど、再リクエスト回数が増えるじゃん。
1曲30秒とかさ・・・。 こんなもん曲じゃないじゃん・・・って感じなのよ。
酷いのになると、庭に録音機置いて、適当に周辺の「音」を録音したものとか、ベースを30秒、ひたすらベンベン・・・と音を鳴らしたものだけとか・・・。

なんで、こんな「雑音」にこんなにリクエストがあるんじゃ ってもんばっかなんだよ。はっきり言って音楽じゃなくてゴミですよ、ゴミ・・・。

業界的には「CHEAT楽曲」って呼ばれてて最近問題になってるんだよ、これが。
「不正アクセス」でリクエストされた楽曲ってわけでさ。

最近、主要な定額制音楽配信サイトのリクエスト上位では、こんな曲ばっかだもん。
もうね、こんなゴミコンテンツにお金を払っているようじゃ、日本の音楽業界の未来は無いね・・・って思えるようなもんばっかなのよ。

定額制の配信リクエスト回数も加味するということは、そんないい加減な態度で配信されている音楽までヒットの対象にするって事なんだよね。

オリコンさん、これはどうするんですか って逆にこっちから聞きたい気分だよなぁ。



 個人的には、オリコンさんには「水戸黄門」のままでいて欲しい。 つまりさ、新たに総合チャートを作るんではなく、これまで通りCD売り上げや、配信ダウンロードランキングなど、「個別」のランキングからヒットを俯瞰して行って欲しいということ。

特に、個人的には配信ダウンロードランキングは、もっと充実させてほしい。
今まで、各配信サイトを横断して、ダウンロード実数を一般に公表しているサービスって無かった訳だからさ。
今は「YOU大樹」で30位までしか出ていないでしょ。せめて100位まで載せて欲しいわ。

オリコンさんには、ランキング調査会社の老舗として、こういう、どこもやって無かったランキングの公表に回って欲しいんだよな。

結局、総合チャートは「ビルボード」の2番煎じって見られる訳でさ。2番煎じは成功しないっていうのは業界の常識なわけじゃん。
(厳密に言えば、「総合チャート」って概念でチャートを作ってるのは、ビルポートよりも「ワタシ」のランキングの方が先だ・・・って自負してるんだけど。。。)
 これまで半世紀にわたるヒットチャートの集計とチャートアクション分析から、その辺は痛いほど知っているとおもうんだけどね。。。。


 

我が良き友よ / かまやつひろし

1975_03_我が良き友よ_かまやつひろし


今回の1曲セレクトは、「我が良き友よ」かまやつひろしです。

まずはデータです。

・タイトル     我が良き友よ
・アーティスト   かまやつひろし
・作詞       吉田拓郎
・作曲       吉田拓郎
・編曲       瀬尾一三
・リリース日    1975年2月5日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   70.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1975年3月3日〜6月2日付

昭和の音楽人がまた一人旅立ってしまいましたね。
かまやつひろし氏。享年78歳

ここしばらく体調が悪いというニュースは聞いていましたが、まさか、こんなに早く逝ってしまうとは思っていませんでした。人生80年といわれ、80歳以上のかたも珍しくない昨今では、78歳で逝ってしまうとはやはり若かったと思いますね。

ワタシ的には、グループサウンズの世代ではないし、70年代からヒット曲を見続けているとは言っても、フォーク世代ど真ん中と言う訳でもない。
少し上の世代の大御所・・・そんな存在に感じていました。

ここのところ一時代を築いた音楽人が、次々に旅立ってしまっていますね。
時代は移り変わっている・・・昭和は遠くなりにけり・・・・と最近よく言われている訳で、それでも、実際に「昭和」というあの頃、時代を作った音楽人が逝かれてしまうのは、どんなに頭では分かっていると言っても淋しいものです。


・・・・ということで、今回の1曲セレクトは、やはりこの曲しかないですよね。

かまやつひろし「我が良き友よ」

かまやつ氏が亡くなってから、ここ数日、テレビ、ラジオでも頻繁に流れている、かまやつ氏の代表曲・

・・・・と言っていいのかな。

ともかく一番「売れた」曲。 

そんな曲でいいの? あんたセレクターでしょ? もっとテレビ、ラジオで流れない気が利いた曲は無いの?

とか言われそうだけど、良いんです、この曲で。

ここは、あくまで当時の「今」の時期ヒットした曲をターゲットにセレクトするっていうのを大前提としているわけで。。。

・・・・そうです、この「我が良き友よ」は「今の時期」のヒットしていた曲なのですね。

リリースは1975年2月5日。当時のオリコンチャートをひも解くと、それから約1か月後の1975年3月3日付でベストテン入りを果たしています。 しかも前週16位から3位と、いきなりのベスト3入り。

つまりは、42年前のまさに「今」の時期からヒット街道まっしぐらとなった訳ですね。 
最終的には3月最終週から4週連続で1位獲得。以後6月2日付まで、丸3ヵ月間、計14週間ベストテン内キープ。70万枚という大ヒット。
名実ともに、かまやつ氏の「代名詞」的な曲になった・・・・と巷では思われている訳ですが。。。

ただ、かまやつ氏本人側からとしてみれば、果たしてそうなのか・・・とも思えたりもして。

確かに「ソロ」としては、この曲は、かまつや氏にとっては、唯一のオリコン1位獲得曲であり、ゆえに「代表曲」というのは事実な訳だけども、なにより、ソロ以前に、ザ・スパイダースのギタリストであり、コンポーザーという確固たる経歴がある訳でね。
その後も40年にもわたるミュージシャン人生を見ると、この曲の大ヒットというのも、そんなミュージシャン人生の中の1ページだったのかもしれない。

そんな肩に力が入っていない飄々とした生き方。 個人的にはそう言うイメージがあるんですよね、かまやつ氏には。

「吉田拓郎氏がいいなぁと思った。自由で、自分が言いたい事を表現してる。これが本当の音楽ぢゃないか」

というかまやつ氏が語った趣旨の一節が田家秀樹氏の「読むJ-POP」にある。

スパイダース時代、G.Sの第一人者のグループということで、ヒット至上、スケジュールも管理され・・・という、管理管理の中で音楽をやっていたかまやつ氏にとっては、当時の吉田拓郎氏の自由奔放な音楽への関わり方が羨ましくもあったんでしょうね。

そんな羨望の中から、吉田拓郎氏との関わりが生まれ、自身もエレキからアコギに持ちかえ、フォークを歌っていく。 もともとジャズ一族の生まれであり、ジャズからポップス、ロックと流れて行っただけに、それまでのかまやつ氏には無かったフォークという歌への傾倒が始まる。

そんな中で、生まれたこの曲。 

だから・・・と言う訳でもないんだろうけど、作詞、作曲は、かまやつ氏本人ぢゃなく、吉田拓郎氏なんですよね。
本来、コンポーザーでもあるかまやつ氏が吉田拓郎氏の曲を歌う。
 コンポーザーであるヒトからみれば、他人の曲の歌うっていうのは勇気が居る事だろうし、場合によっては屈辱的な事でもあると思う。
本当に信頼したヒトの曲ぢゃないと出来ない。 そう言う意味では、かまやつ氏は、吉田拓郎ってヒトに心酔していたんでしょうね。

その始まりが、この曲の半年前にリリースされた「シンシア」。 当時のトップアイドル南沙織さんの事を歌った曲だけど、かまやつしが吉田拓郎と曲を歌いたくて、拓郎氏とコンタクトを取った曲と言われている。

その続きと言う位置づけであるこの曲でも、だから、コンポーザーとしてではなく、あくまで一人の「シンガー」として参加する事が出来たんじゃないかな。

そもそも、この曲自体「バンカラ」学生の歌であり、かまやつ氏のキャラではない訳でね。
自分に無いものをウタにする・・・コンポーザーにとっては難しい事ですよね。しかも、自分に無い部分が自分のベクトルがずれてればいるだけ難しさが増すわけで。。。

正直、この曲は、それまでの私生活を含め、音楽人生の中では体験した事が無いような内容だと思う、かまやつしにとって。
実際、この曲は吉田拓郎氏の大学生時代の私体験から書かれたものなんだけども。

そんなある種の異文化交流的なところ・・・というのが、大ヒットに繋がったのかもしれない。
それまでの経歴からしてみれば、限りなく洋楽的な立ち位置に居た、かまやつ氏が、日本の泥臭い文化な歌を歌っている訳だからさ。第三者からしてみれば「意外」性充分だもんね。



2006年の「吉田拓郎 in つま恋」での、かまやつ氏との共演。
そそそ1975年伝説の「つま恋」オールナイトライブから30年。ということもあり開催されたライブ。
「つま恋」が閉鎖された今日にあっては、これまた伝説的なライブですね。
うん、ワタシもこれ見に行ったんだよな。
野外ライブも数々見てきたワタシですが、自分よりも年上の、「お兄様」「お姉様」方が大半の野外ライブは、これが初めてでしたねぇ。そう意味でかなりのアウェー感を感じましたねぇ

もちろん、この場面も「生」で見てたんですが、個人的に「生」でライブを見たかまやつ氏は、結局はこの時が最初で最後になってしまいました。

改めてご冥福をお祈り申し上げます。 合掌。



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恋の季節 / ピンキーとキラーズ

1968_10_恋の季節_ピンキーとキラーズ


今回の1曲セレクトは、「恋の季節」ピンキーとキラーズです。

まずはデータなのだ。

・タイトル    恋の季節
・アーティスト  ピンキーとキラーズ
・作詞      岩谷時子
・作曲      いずみたく
・編曲      いずみたく
・リリース日   1968年7月20日
・発売元     キング
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 207.7万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年9月16日〜1969年2月24日付

昨日の中村雅俊の「ふれあい」で、オリコン史上、初のデビュー曲ミリオンセラー・・・とか書いたんだけど、よくよく考えてみると、それ以前にも居たんだよな。デビュー曲ミリオンセラーを達成したヒトって。
 その辺の事情を知ってる方だったら、もしかしたら、クレームが来るかと思ったんだけども、とりあえず来ませんでしたねぇ・・・と胸をなでおろしているところだったりします

ネットの住人は、厳しいからねぇ・・・。ちょこっと間違えたりでもしたら、鬼の首を取ったようにクレーム入れてくる「輩」も多い訳で。。。
 普段から「誤植」が多い、ワタシとしては、そんなクレーム攻撃に耐えて、はや20年近く・・・。。。なんて感じだったりするんだけどさ。
 それでも、未だに誤植が治らないのは、これは性格ですね〜 ケケケケケ と、自分の間違いを、全く反省しないワタシだったりします。。。

ウム、オリコン最初のデビュー曲ミリオンセラー達成は、ザ・フォーククルセダースの「帰ってきたヨッパライ」ですわな。 ちなみに、これがオリコン最初のミリオンセラー達成曲でもある訳で。。。

次にデビュー曲で、ミリオンセラーを達成したのが、今回引っ張ってきた、ピンキーとキラーズの「恋の季節」と言う訳なんだけど。。

・・・と書いておいて、ここで、「ははんまた誤植してやがる」・・とピンと来た方は、かなりの歌謡曲通ですな。

ふむ、ピンキーこと今陽子さんは、ピンキーとキラーズ、結成前に「ピン」(ソロ)で既にレコードデビューしてたんですよね。だから、厳密に言えばデビュー曲ではないんだけど、「ピンキーとキラーズ」としては、この曲がデビュー曲というわけで、一応「デビュー曲ミリオンセラー」っていう記録には含むんだろうな、恐らく。

ただね、この曲の場合は、そう言う記録の他にも「オリコン記録」を持ってるからなぁ。
まずは、オリコン史上初の「ダブルミリオン」達成曲。そそそ200万枚を突破したのはこの曲がオリコンでは初めてなのですわ。

ま、とは言っても、オリコンがチャート発表を開始してから、1年も経っていない頃の出来事なんでね。それ以前にもダブルミリオンはあったはずですけどね。

それとなんと言っても、シングル1位獲得週記録ですわな。1位獲得週が17週。 これは48年経った今でも破られていない空前絶後な記録になっていますね。
 ま、もっとも17週連続ではなく、1968年9月23日付から、12週連続1位を獲得したのち、1週、12月16日付で2位に後退。 ただ、その次の12月23日付に返り咲き、再度5週連続で1位を獲得というチャートアクション。計17週1位獲得した訳ですわ。

ちなみに、「連続」1位は、72年〜73年にかけての宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」の16週連続・・っちゅう記録が、こりも未だに破られずに君臨してますな。

さらに、ちなみに、アルバムを含めた、全作品でのオリコン1位獲得週記録は、井上陽水のアルバム「氷の世界」の35週。なんせ1位返り咲きが5回なんて「アホ」としか思えないチャートアクションを展開した訳で。。。


チャートまにあとしては、どうしても、そういう「記録」の面でこの曲を見てしまいがちなんですが。。。

ま、個人的には、この曲がヒットしていた頃は、まだ生まれていないんで、もちろん「後付」で聴いた曲になってしまうんだけど、でも、この曲を聴くと、どうしても60年代後半の混沌としたような世相を感じるなぁ。

なんて言うのかな、サイケデリックな気分になるんだよな。
・・・てか、サイケデリックってどういう気分? って言われてもコトバではウマく説明できなんだけど、うーむ、兎に角、あの60年代終盤の空気感ですよ。
なんて言うのかなぁ、あの時代って、良い意味でも悪い意味でも、どこかグツグツと煮えたぎったような空気感がありましたよね。猥雑というか、ベトナム反戦、安保反対っていう世相の中で、すくなくともクリアな空気感ではなかったと思う。

そんな雑然とした猥雑とした匂いを感じるんだよな。この曲からは。

特にサビの ♪ 恋は ワタシの恋は〜 ♪ からは特にサイケデリックを感じるなぁ。

まあ、悪い意味で書いている訳ではなく、ある意味憧れなんだよね、この時代の空気を吸えなかったモノにとってはさ。

作曲は、いずみたく氏。 奇しくも昨日書いた中村雅俊の「ふれあい」も同じ、いずみたく氏の作品だったけど、このヒトは、この時代・・・60年代後半から70年代にかけて、ヒット曲の顔でしたよね。象徴って言うのかなぁ。

で、この曲もそうだけど、次年の由紀さおりの「夜明けのスキャット」も、やっぱりサイケデリック感満載でしたよね。

なんかね、この方の作品を聴くと、不思議な・・奇妙な気分になる曲が結構あるんだよなぁ。

そうだ、サイケデリック感って、ウマくコトバでは表せない・・・ってかいたけど、敢えてコトバで書くと、「奇妙で不思議な感覚」なんだ。空調に浮遊しているような・・・。
 なんでいうのかなぁ、ちょっとワルいクスリを飲んでハイになった気分・・って言うかね。

そそ、個人的に60年代終盤というと、こんな感覚なんだよな。 そう言う意味でも、いずみたく氏っていうのは60年代終盤の象徴的な存在だったような感じが強いなぁ。




ピンキーとキラーズって、コーラスグループっていう印象が強いかもしれないけど、れっきとした「バンド」なんだよね。ま、それは、この動画でも分かると思うけど。
そそそ、三枚目キャラだった「パンチョ(加賀美)」さんがドラム叩いてたのよ。
 ソロ時代の今陽子さんは、全く売れなかった訳だけども、「ヒンキーとキラーズ」になった途端、大ブレイク・・・って言う流れは、後年のLINDBERGの渡瀬マキさんと同じ・・と見てもらえれば分かりやすいかな。

 ちなみに、今陽子さん、当時17才。 うーむ、高校生には見えないよなぁ。
どう見ても20歳は超えてるような・・・・ってくらい大人っぽい・・というか色気があるよな。

 
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涙の茉莉花LOVE / 河合その子

1985_10_涙のジャスミンLOVE_河合その子






今回の1曲セレクトは、「涙の茉莉花LOVE」河合その子です。

 まずはデータです。

・タイトル     涙の茉莉花LOVE
・アーティスト   河合その子
・作詞       T2
・作曲       後藤次利
・編曲       後藤次利
・リリース日    1985年9月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    19.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1985年9月23日〜10月7日付

えー、今回も昨日の河合奈保子さんに続いて、「河合さん」なんですけど、河合は河合でも、河合その子さんのソロデビュー曲。

 涙の茉莉花LOVE

まあ、言わずと知れた、おニャン子クラブから初のソロデビューだけど、おニャン子は、あくまで「シロウト集団」をいかに、「マス」で売ることを前提にした「アイドル」 。
 あとの時代でもアイドル「最終兵器」といわれるくらいだから。。。

 たださ、シロウト・・・と一口に言っても、実は、シウロトではないヒトも中には居たりして・・・。

 つまりさ、すでにプロとして事務所に所属してたものの、売り出すための「手段」として、一旦「おニャン子クラブ」っていう、集団に入れておいて、顔を覚えさせて、売り出す・・・っていうやり方。

 河合その子の場合、典型的にそのパターンですよね。

 そのほかに国生さゆりもそうだし・・・(CBSソニーからソロデビューしたヒトたちはみんなそうじゃないかな)
 工藤静香に至っては、おニャン子に入る前に、実は一度デビューしてレコードを出してたりするもんね(セブンティーンクラブっていう3人組アイドルの一人だったのです)

 だからさ、一口にシロウト集団・・・と言っても、実際は完全なシロート集団ではなかったんだよね、おニャン子って。

 どうして、ソロデビューするのにキャニオン組とCBSソニー組(そのほか、ワーナーとかエピックとかフォーライフなんていう例もあったけど・・)に分かれていたんだろ・・・って昔、不思議だったんだけど、恐らく、CBSソニーとは、前もって密約があったんだろうね、きっと。

 いちおう、後発組は、「アイドルを探せ」コーナーで合格した子をおニャン子グラブに入会って言う流れにはなってたけどさ、あれも、一種の「やらせ」って言うこともあったと。。。

 たださ、この「もくろみ」は、おニャン子クラブガ成功した事で、大きく弾みがつく。

 河合その子は、途中からおニャン子に加わったのにも関わらず、おニャン子加入から、70日あまりでソロデビューにこぎつく。

 挙句の果てには、オリコン1位まで獲得してしまったり・・・。
(・・というか、この曲1位獲得してたのすっかり忘れていた。。。)

 これ、完全にゼロから一人のアイドルとして売り出すのは大変ですよ。ましてやオリコン1位獲得となると、限りなく不可能に近いわけで・・。

 なにせ、アイドルのソロデビューでオリコン1位なんていうのは、この自時点では、マッチぐらいしか居なかったわけでさ。

 そのまっちだって、ソロで出す前に金八先生に出たり、「たのきん」として顔を売り出してたから、デビュー曲で1位だったわけだよね。

 おそらくさ、今考えると、おニャン子って、「たのきん」とか「ジャニーズ」のやり方を女の子で出来ないか・・・ってことで始まった企画なんぢゃないかなぁ・・・。 今書いてて、なんか、そんな感じがしてきた。



・・・・ということで、「涙の茉莉花LOVE」なんだけど、単純にいい曲だとおもう。素直で素朴で、アイドルのソロデビュー曲としては、申し分ない内容だと思う。

 雰囲気が大人びているのは、当時、すでに河合その子が20歳だったからか!?

 ちょっと、フレンチポップスに、ラー油を加えて中華風味をつけたら、あーらふしぎ、新しい味になりました。。。

 っていう、いかにも日本人的な発想の実験的な曲でありましたね。そういうところも、面白かったな、この曲。

 うん、この後の曲のどの曲にも、随所にフレンチっぽいイメージを持たせているんだよね、河合その子って。
 まあ、その最たる曲が゜「青いスタスィオン」だけど。。。

 でも、個人的には「JESSY」が一番好きだな。あの大げさ感、フレンチというよりも、カンツォーネに近そうな大げさ感。

 それをいかにも非力そうな河合その子が歌うっていう構図がいいですね。河合その子も歌に負けてなかったし。。。


 本当は本格的シンガー路線で行きたかったんだろうね。でも、このヒトのルックスと声質が邪魔して・・・・、ってところがあったんだろうな。

 でも、そういうところは、この「涙の茉莉花LOVE」を聴いてた頃は、感じなかったな。
 完全なアイドル路線なんだろう・・・って思ってたですわ。


 その前に、このヒトが、その後の曲も作ることになる、後藤次利氏と結婚することになるとは・・・・。全く考えてもみなかったですわ。

ま、秋元康氏と高井麻巳子が結婚することになるなんて事も全く予想してなかったわけで、その点、同じなんだけど。。


動画・・・、どうもこの動画上げてきてるヒトが、他のサイトからのリンクを蹴る設定にしてあるようなので、You Tubeへ直リン。

https://www.youtube.com/watch?v=u0x5gBXlpvU



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哀しくてジェラシー / チェッカーズ

1984_05_哀しくてジェラシー_チェッカーズ






今回の1曲セレクトは、「哀しくてジェラシー」チェッカーズです。

 まずはデータです。

・タイトル    哀しくてジェラシー
・アーティスト  チェッカーズ
・作詞      売野雅勇
・作曲      芹沢廣明
・編曲      芹沢廣明
・リリース日   1984年5月1日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   66.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年5月14日〜8月6日付

 昨日、寺尾聰の「シャドーシティ」書いたじゃん。おそらく、あの曲書いたのに、なんで、3曲同時ベストテン入りについて書かなかったんだろう・・・なんて思った方っているかなぁ。

 いや、最初は言及しようか・・・と思ったの。でも、その前に念のため・・・と思って、過去のアーカイブス調べたら、なわんと、この曲をまだ、書いてなかったんでさぁ、まずは、こっちの3曲同時ベストテン入りを書いたほうがいいのかなぁ・・・とか思ったんだよね。

 ま、その曲がチェッカーズの「哀しくてジェラシー」だったりするんだけどさ。

 うん、3曲同時ベストテン入り・・・って言っても、寺尾聰の場合は、「ザ・ベストテン」で3曲同時ベストテン入り・・・ってことで、厳密に言うとオリコンでは、3曲同時ベストテン入りはしてないんだよね。

 うん、一番、それらしき週だったのは1981年6月8日付で

・2位  ルビーの指環  
・1O位  シャドー・シティ
・11位  出航

って時でさ。ま、このとき、「ザ・ベストテン」では、3曲同時にベストテン入りさせたんだけど。。。


BUT、チェッカーズの場合は、正真正銘「3曲同時」ベストテン入りさせたからねぇ。「ザ・ベストテン」だけでなく、「オリコン」でも。

で、実際に3曲同時ベストテン入りさせていたのが、1984年5月14日と21日付けの2週間。
 ちょうど、今から31年前だ。

 えー、31年前〜・・・exclamation & questionふらふら 自分で書いててビックリなんだけど。。。自分じゃ、そんなつもりぜーんぜんないのにねぇ。
 だって、すでに、オリコン読んでたし〜・・・。ほとんど、いまと変わらぬ生活をしてたっていうのに。。。

 変わったのは、パソコンという便利な代物が加わったのと、当時より30Kg太ったワタシの体くらいでしょうふらふら

 いや、あのころは、ホントやせてたから、ワタシ。。。たしか50Kgなかったんだから。。逆にやせ過ぎてたかも。。。 (この後、「モスバーガー」という魔物に出会って一気に太った)


 なんて、そんなこたぁ、どーでもいいんだけど。。。

 あのころのチェッカーズ旋風はすごかったよね。ほんと、ほんの僅かのうちに、どっからこんなに人気が出てきたんだ? ・・・ってくらいあっという間だったもんなぁ、火がつくのが。。。

 だいたい、この時点から、ほんの3ヶ月前までは、ほとんど知られてなかった存在だったのにねぇ。。。

 やっぱ、女性ファンっていうのは飛びつくと早いよなぁ。。。

この間、寺尾聰のとくも書いたけど、ほんと、予期せぬ出来事だったですよ、こんときのチェッカーズ旋風は。

 で、この「哀しくてジェラシー」だけど、曲的には、前の2曲の「ギザギザハート〜」とか「涙のリクエスト」と方向性はそれほど変わらない。 ま、この3曲が同時に作られたっていうのもあるけどさ。

 うん、その3曲の候補曲から、一番、キバツな「ギザギザハート〜」をデビュー曲に持ってきた・・・っていうのは、有名な話ですわな。

 うん、だから、「涙のリクエスト」でも、この「哀しくてジェラシー」でも良かったわけですよ、デビュー曲としては。

 ま、たしかに、キバツさという点では、この曲「哀しくて〜」が一番乏しかったかな。うん、悪い曲ではなかったけど、まともだったんだよね。全体的に。

 そう考えると、売れた後の3曲目に持ってきたのは正解だったよなぁ、今考えると。
 前2曲と方向性が同じだったんで、ファンを裏切らない・・・っていう安心感もあったろうし。。

 そんないろいろなファクターがうまく絡み合って、結局3曲同時ベストテン入り・・・って言うことになったんだろうね。


 ちなみに、当時、ワタシ、ドラムを始めててさぁ、チェッカーズとか簡単そうだったんで、練習してたんだけど、この曲、バスドラが大変なんだよねぇ。
 イントロの頭から8分音符のバスドラきざんでたりするから、腰が痛くなったりしてさ。。。足は突っ張るし・・・。

 なんか、そんな想い出が強いな、この曲には。





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別れの朝

1972_01_別れの朝_ペドロ&カプリシャス






今回の1曲セレクトは、「別れの朝」ペドロ&カプリシャスです。

 まずはデータです。

・タイトル    別れの朝
・アーティスト  ペドロ&カプリシャス
・作詞      Udo Jurgens
・作曲      Udo Jurgens
・日本語詞   なかにし礼
・編曲      前田憲男
・リリース日   1971年10月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売り上げ枚数  55.7万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1972年1月24日〜4月10日付

 今回は、思いっきり「重たい」曲を一つ。
 ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」

このどん曇りの「寒い朝」にこの曲のような重たい曲を聴いちゃったりしたら、1日気分も重たくなるかなぁ。。。


 この曲のヒットは、1972年・・・っつうことは、今から43年も前の曲だから、たとえ、オリコンで1位を取ってる曲でも、ま、今や知ってるヒトしか、知らないって曲になるのかなぁ。

 しかし、今では、「絶滅」したと思われるような、このずっしりと重い曲が、1位を取っているって言うことは、完全に「時代」を反映していると思いますねぇ。
 もちろん、ワタシもこの時代の空気ってよく知らないけどさ。厳密に言うと、すでに生まれていたけど、2歳半だもんなぁ・・・。さすがに、時代の空気までは、記憶にございません・・・ですわ。

 もちろん、そう書けるには、後年、フジテレビで放送してた「19×× 僕らの思い出のメロディ」に拠って、「知った」部分がかなり大きいんだけどさあ。

 この曲って言うと、バックに流れる映像が、連合赤軍の「あさま山荘」事件だったりすることが多いんだけど、これが、実に、この曲とマッチするんですよ。
 ・・・というか、「あさま山荘事件」が起きたのは、この曲がちょうど、オリコンで1位に立っていた、1972年2月のこと。
 いや、だから、時間軸的にも、リアリティそのものなんだよね。もちろん、歌われている内容的には、全く関連性はないんだけど。

 でも、時代背景的な匂いって言うところには、近いところがあるのかなぁ。

 曲の内容は、タイトルの通り、男と女の「別れ」の曲だけど、喧嘩別れ・・・というわけではなく、何か「訳あり」的な別れなんだよね。
 その「何かの訳あり」って言うのが、「時代」っていう背景があるような気がするんだよね。

 まあ、今の時代とは、かなり違う部分もあるし、今の時代しかリアルに知らない人にとっては、「クサッ」で終わっちゃうかもしれないし、理解しがたい部分もあるかもしれないけどさあ、でも、みんな、一生懸命生きてるような息遣いは感じるんだよね。

 だからねぇ、この曲を聴くと、単に「重てぇな、この曲」だけでは、済まされない、何かを感じてしまう、ワタシなんですねぇ。


 ところで、この曲は、ペドロ&カプリシャスにとって、最初のヒット曲になるんだけど、ボーカルは、初代ボーカルの前野曜子さん。
 で、73年に、現在でも活躍してる高橋真梨子さんに交代するわけなんだけど、前野さんの交代については、いろいろとあったみたいだね。
 
 ただ、まあ、この曲についても、その後、高橋真梨子さんとか、その他、いろいろな人が歌ったりしてるんだけど、個人的には、やはり、この曲は、オリジナルの前野さんのボーカルがもっとも似合ってると思うねぇ。

 うん、確かにボーカル力としては、高橋真梨子さんの方が、全然上だと思うんだけど、どことなく、たよりげな「泣き」のボーカルが、この曲には合ってるんだよね。
 
 もともとは、この曲、オーストリアのヒット曲が原曲なんだけど、日本語詞は「なかにし礼」氏が書き下ろし。
 そんななかにし氏が書く、繊細なか細い感じの女のヒト像の表現者としては、「泣き」のボーカルの前野さんのほうが、一つ上のような気がするんだよね。
 逆に、その後の「ジョニーへの伝言」のような、阿久悠氏が書いた、線がはっきりした詞については、ボーカルの線の太い、高橋真梨子さんの方があってると思うしね。

 そんな、前野さんも、すでにこの世の人ではない。うん、ワタシも知らなかったんだけど、どうもアルコール依存症で奇行が多かったヒトのようで、最後は肝臓病に罹り、1988年になくなっていたりする。

 つまり、この曲は、すでに、「オリジナル」のボーカルでは、「生」では聴けなくなっているってこと。

 歌唱力には定評があったけど、結局のところは、実物像も「繊細」なヒトだったようですね。まあ、その辺・・・普通のヒトとは違う繊細さ・・・があったからこそ、この曲のような繊細な曲が合ってたんでしょうな。


・・・どうでもいいけど、この曲のレビューを今回リメイクしようと思って、Wikipedia開いたら、この曲の参考資料が「かじやんのヒット曲&チャートレビュー」になってるwwwww

このブログじゃんか・・・・・ 

おそらく、wikipediaに書いた人は、6年前に書いた「オリジナル」のレビューを参考にしたんだろうね、きっと。。。。
 ちなみに、Wikipediaに書いたのはワタシじゃありませんwwww



めちゃくちゃ、音悪いなこの動画。。でも、オリジナルはこの動画しか落ちてなかったんで、しょうがなく。。。


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CRAZY GONNA CRAZY

1995_01_CRAZY GONNA CRAZY_trf



今回の1曲セレクトは、「CRAZY GONNA CRAZY」trfです。

 まずはデータです。

・タイトル    CRAZY GONNA CRAZY
・アーティスト  trf
・作詞      小室哲哉
・作曲      小室哲哉
・編曲      小室哲哉
・リリース日   1995年1月1日
・発売元     エイベックストラックス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   158.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1995年1月16日〜2月27日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「我慢できない」主題歌

昨日、昼間1995年のヒットを聴いてたんだけど、で、聴いてるうちに、なぜか、trfの「CRAZY GONNA CRAZY」を引っ張ってきたくなって、引っ張ってきちゃいました。。。(これも大人気ないねあせあせ

 ここのところ、1月1日リリース曲を何曲か引っ張ってきてたでしょ。
でも、なにも1月1日リリース曲は、80年代までではないわけで、90年代、いや、今でも続いているわけだからね。

 そういう、trfの「CRAZY GONNA CRAZY」も95年の1月1日リリースだったわけだ。

 このころのtrfの「勢い」はすごかったからなぁ。もしかすると、同じエイベックスでも、そのあとの安室、globe、浜崎・・・よりも、一時的な勢いはあったかもしれないな、今考えると。

 そのピークは、ちょうど、この曲リリースの頃かな。前日の12月31日、第36回日本レコード大賞優秀賞受賞、同日、第45回紅白歌合戦初出場・・・で、盛り上がってたところに、新曲リリースだったかんねぇ。

 このころ、ウチラ「オリコンチャート研究会」のメンバーは、大晦日にワタシのうちに来て、レコード大賞〜紅白を見ながら、一晩中ワイワイやるのが恒例になっていて、もちろん、この年もやってたな。

 で、朝方、ちょっと仮眠して、元日の昼頃から、ボーリング⇒カラオケという、ちょっと強行スケジュールが恒例になってまして・・・。

 そういえば、1995年元日ボーリング場で、もうこの曲がかかってたんだ。

 だからか、どうも、個人的には、この曲⇒1995年元日のボーリング場っていうイメージがこびり付いて離れないなふらふら


 さてさて、曲は・・・というと、正直言って、trfの中でも一番「歌謡曲」に近いと思う。一言で言えば、一番分りやすい。

 うーん、なんていうのかな、尖ってないんだよね。まるいというかマイルドというか、小室哲哉の曲の中でも、聴きやすい部類の曲だとおもう。

 ただ、そんな分りやすい曲でも、音色は輝いている。うーん、なんていうのかな、寒空の中で輝いている白色&青色LED電飾のような、クールな輝きっていうのかな、そうそう、ちょうどクリスマスのLED電飾のような輝きを感じさせるような曲なんだ。

 白熱電球ではなく、あくまでLED電球。つまり「眩しい輝き」は感じるんだけど「暖かみ」は感じない輝きを放っているような曲っていうのかな。

 個人的には、そんな感じを受けるな。


 まあ、曲はどうであれ、この曲がtrfの中では、一番「売れた」曲っていうのも、やっぱり、このころのtrf人気を象徴していますわね。


 ただ、その伝説もこの曲をもって早くも崩れる。この曲から3ヶ月連続リリースをかけたんだけど、あっという間に売上げが落ちてったもんねぇ。

 結局は、連続して「出しすぎ」が原因でしょう。人気が最高潮、熱狂的な人気のときに短時間で矢継ぎばやにリリースすると、あっという間に「飽きられる」っていう典型的なパターン。

 結局さ、旨いもんを連続して食うと、すぐ飽きるのと同じなんだよね、生理的に言って。

 旨いもんはたまに食うから、旨いんであってさ。そりゃ、毎日食ってたら飽きるでしょ。

 それと同じ原理だと思うのよ。





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大都会

1980_01_大都会_クリスタルキング






今回の1曲セレクトは、「大都会」クリスタルキングです。

 まずはデータです。

・タイトル    大都会
・アーティスト  クリスタルキング
・作詞      田中昌之 山下三智夫 友永ゆかり
・作曲      山下三智夫
・編曲      船山基紀
・リリース日   1979年11月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   118.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位:1位
・ベストテンランクイン期間:1980年1月7日〜4月7日付

 いやいや、ポプコン発の大ヒット曲で、まだ書いてなかった曲が残ってたんだねぇ。これは、かなり迂闊だったな。

 大都会 /クリスタルキング

 この曲は、1979年10月に行われた、第18回ヤマハポピュラーミュージックコンテスト、うんポプコンね・・・のグランプリ、さらに第10回世界歌謡祭、グランプリ獲得で、鳴り物入りで、翌11月21日にデビューした曲だ。

 まあ、ポプコングランプリから、世界歌謡祭グランプリっていう流れは、まあ、アーティストの「格付け」みたいなもんで、それまでも中島みゆき、ツイスト、円広志・・・と同じ流れで来てたからね。

 で、みなさん、同じ「キャニオン」からデビューしてたりする。

 うん、ポプコングランプリ⇒世界歌謡祭グランプリ⇒キャニオンからデビュー っていう流れは、一つのブランド的な流れになってたんだよね。このころ。

 ただ、デビューしたものの、1曲目は、「ポプコンブランド」で大ヒットする確率は高かったものの、なかなか2曲目以降ヒット定着っていう確率は低かったんだけどさ。

 だから、自ずから1発屋になる確率も高かったわけで・・・。「世界」をとりながら一発屋とは、いったいどういうこと?
 ・・・っていうのは、一時期笑い話だったこともあったりしてね。


 幸い、クリスタルキングの場合は、「一発屋」で終わることなかったんだけど・・・。

 さすがに、このヒトたちのボーカルの迫力を一度聴けば、あまりのインパクトの強さにびっくりするよなぁ。

 なにより、田中昌之のチリチリ頭に頭のてっぺんから出ているようなハイトーンボイス。
 プラスして、アイパーにグラサンっちゅういかにも「やっちゃん」のような、低音ボイスのムッシュ吉崎っていう、このコンピは、声質的にも、ビジュアル的にも、衝撃的なインパクトがあったもんですよ。

 わたしゃ、初めて、ベストテンの「スポットライト」に出演したとき、予想だにもしなかったボーカルにびっくりこいたもんなぁ。

 あ、ついでに言うと、うちのオフクロもびっくりこいてたのを思い出す。

 絶対に大ヒットすると思ったもの、この曲は。

 まあ、曲的には、今から考えると、客観的にクサイんだけどさ、あのころは、このクサさがカッコよかったんですよ。

 兎に角、ニューミュージック界の成熟期をガキながら感じ取っていたのは事実。

 もうずっと、このままニューミュージック全盛期が続くと思ってたもの、このころは。で、そうであってほしいとも思ってたのもこのころかなぁ。一番、「音楽」に対して多感だったかもしれない、個人的には。
 ヒットしてくる曲が、どれも「スゴイ」と思ってたのもこのころですね。事実、一番楽曲がいい、実験的で面白かったのも、このころの曲かもしれない。30年ヒット曲を聴いてきて。
 楽曲の「成熟期」だったのもかも知れないなぁ

 まさか、このあと4ヵ月後に「80年代アイドル」の芽がでてくるとは、全く考えもしてなかったな、このころは。
 

まあ、それもヒット曲クロニクル上の事実なんだけどもさ。


結局さ、日本のヒット曲の構成上、ロック・ニューミュージックがヒットの「長期主導権」は取れないような構造になっているんだよね。

 ロック・ニューミュージックが強い時期の後には、かならずポップスが主導権をとるようになっているんですよ。

 まあ、業界用語的に書くと、音制連<音事協 っていう力学的な構造ですね。

 これは、戦後日本の音楽業界的クロニクルから言っても、歴史上の事実なんだよね。

 個人的には、どっちかといえば「音制連」支持的なところがあると、自分では思っているんだけどさ。





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冬の色

1974_01_冬の色_山口百恵






今回の1曲セレクトは、「冬の色」山口百恵です。
 
 まずはデータです。

・タイトル    冬の色
・アーティスト  山口百恵
・作詞      千家和也
・作曲      都倉俊一
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1974年12月10日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   52.9万枚
・オリコンベストテン期間:1974年12月23日〜1975年2月24日付

 今、元CBSソニープロデューサーの酒井政利氏の著書「プロデューサー」っていう本を読んでいるのね。
 これが結構、参考になるんですわ。一応、業界人の「端くれ」を自負しているものにとっては。

 曲の創り方、プロデュースの仕方は、それぞれのプロデューサーやアーティストによって考え方がいろいろあるわけで、必ずしも答えは一つではないんだけども、ワタシ的には、やっぱりリリースするんなら、「売れる」ことが一番だと思うわけなんだよね。

 「おしりかじり虫」の歌詞の文句ぢゃないけど、「売れてナンボの商売」だと思うわけなんですよ。

 もちろん、売れなくてもいい曲はいっぱいあるし、CD売れなくてもいいライヴができればそれでいい、っていう考え方もあるんだけども、個人的には、基本、やっぱりCDをリリースする限りは、売れなきゃダメっていう考え方なんだよね。

 売れることで、聴き手も幸せになるし、出しても幸せになるわけで、それこそwin to winの関係になると思うんですよ。


 その点、酒井政利氏は、これまで、南沙織を始め、郷ひろみ、山口百恵、キャンディーズ・・・等々、70年代〜80年代のレコード売上げシェアの5%を一人で売上げてきたスゴイヒトだから、「売れる曲」のノウハウって人一倍持っている方なんだよね。

 だから、読んでいて売れる曲のプロデュースの仕方、考え方っていうノウハウは勉強になるんだよねぇ。。。

 もちろん、最近よくある「強引」な売り方は「×」ですよ。A氏率いる某グループとは言わないけどさ
あくまでも、楽曲のよさ、実験性、アーティストの特性を充分考えた上での売り方のノウハウですね。


 ・・・ということで、前置きが無くなっちゃったけど、その酒井政利氏がプロデュースした、山口百恵の「冬の色」を持ってきました。

・・・っていうのはいいんだけど、この曲、山口百恵としては、かなり初期の曲なんだよね。果たして、これ読んでくれている方のどのくらいの方が、曲を知っておられるか、ちょっと不安なんだけど・・・。

 でも、この曲で、山口百恵ってオリコンで初めて1位を獲得してるんですよ。
 初期で有名な曲っていったら、74年の「ひと夏の経験」だと思うんだけど、(♪あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ〜♪っていうあれね)、でもオリコンで1位は取ってない。最高3位だからね。

 で、1曲挟んで、この曲で初めて1位を獲得するわけです。

 ちなみに、昭和40年代最後の1位獲得、昭和50年代最初の1位獲得曲でもあるんだけど、最近は、平成10年代とか、言わなくなったよなぁ。
 今年は平成20年だから、そろそろ平成20年代最初の1位〜とか、いってもいいような気もするんだけど・・・あせあせ

 なんて、話がずれだけど、この曲のどこが、そんなに良かったんだろ?

 っていっても、正直、ワタシもよく分らないんだよね。インパクトの点からすると、どうしても「ひと夏の経験」の方が上だし・・・。

 何分 ♪ あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ〜♪

 だものね。
 前回のバービーボーイズの「目を閉じておいでよ」ではないけど、やっぱし「きわどい」ところがインパクトになっているわけです。

 うん歌謡曲の基本ですなこれは。。。

 そこからみると、この「冬の色」は歌詞の点でのインパクトは、いまひとつはっきりしないし。。。

 そう考えると、メロディライン、サウンドなのかなぁ。

 確かに、出だしの

 ♪あなたから許された口紅の色は からたちの花よりも薄い匂いです〜♪

 のAメロの部分は、どことなく、ラテン色があるような「ムード歌謡」っぽい流れが独特だしね。
 これは、ちょっと、固定ファン以外も狙ってるぞ・・・っていう匂いはする出だしの流れですわね。

 ただ、サビの

♪恋する気持ちに疑いなんて入れる隙間はありません〜 ♪

のメロディラインは、いかにも「70年代歌謡」っていう王道を行くような、ちょっと大げさな流れで、今からすると、ちょっとダサイんだけどさ。

 でも、当時からすると、これが定番っちゃ定番な流れだったんだろうね。

 うん、いかにも馬飼野康二氏が好んでアレンジするような・・・。

 そういういみでは、Aメロは、それまでにない山口百恵 プラス、定番のサビっていう流れで、一見新しそうに見えて、実は定番なんですよ〜っちゅう、斬新性と定番性を組み合わせた曲って感じが、一見新しく見える(←この表現、ヘンだね)、そういう曲なんだよね。

 ちなみに、この曲はオリコンで初登場18位。登場2週目で1位獲得・・・なんちゅう、当時としては、かなーり、すごいチャートアクションを展開しております。(1位は5週連続)

 うん、この時点では、オリコン史上では「初登場1位」という曲は、まだ存在してませんでしたから・・・。

 売上げ52.9万枚っていうのも、「横須賀ストーリー」の66万枚、「いい日旅立ち」の53.5万枚に次ぐヒットであったりします。

 山口百恵の場合は、大体、年に1曲が「勝負曲」となっていたわけだけども、次の勝負曲は、76年の「横須賀ストーリー」になるわけです。その間の1年半は、そこそこって感じで、あんまり有名な曲がない、ちょっと空白の時期だったんだよね。
 

 山口百恵とて、全ての曲が「勝負曲」ではなかったわけです。

 個人的には、リアルタイムで経験した78年以降は、すべて「勝負曲」のようにも思えるんだけども、必ずしもそうではないんだよね。




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恋=DO!

1981_01_恋はDo!_田原俊彦







今回の1曲セレクトは、「恋=DO!」田原俊彦です。

まずはデータです。

・タイトル    恋=DO!
・アーティスト  田原俊彦
・作詞      小林和子
・作曲      小田裕一郎
・編曲      大谷和夫
・リリース日   1981年1月12日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   59.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1981年1月26日〜3月16日付

 いつぞや、ネット上にジャケ写が落ちてなくて書くのを断念した・・・って書いたことがあったんですけど、実は、この曲だったんですよね。
 先ほど、探しに探してようやく見つけてまいりました。 まあ、34年前の曲だからなぁ。。いや、その前に「J's」って言うのもあるか

 いや、そのくらい、この曲は書いておきたかったの。

 ま、もう何曲もトシちゃんの曲は書いてきたんで、ずっとここを読んでいる方はお気づきの方もしらっしゃると思うんだけど、今にして思うとトシちゃんの曲って実にバラエティーに、そしてエンターテイメントに富んでるんだよね。ある意味実験的でありもでさ。

 かたや、ライバルのマッチの曲って、そういう意味での振幅が少ない。まあ、その分、主張性には長けていたわけだけど・・・。

 でさ、当時・・・というか、タイムリーな時間のなかにいるときって、主張性に富んでたマッチの曲のほうが硬派に感じ、トシちゃんのそれはどうしても軟派に感じてたんだよね。

 あと何年後には、こういう見方の違いが分かる日がきっと来る・・・って当時、どのくらいのヒトが感じてたかなぁ。

 やっぱし、どうしても、人間、その場の表面的なところばかりに目が行くからさあ。

 あ、何がいいたいかというと、当時、トシちゃんの曲って、今からしてみれば、過小評価だったんじゃないかなぁ・・・って今になって思えば感じるんですよね。

 この曲なんかもそうじゃないかなぁ。今から思えば、完全なミュージカル仕立てのすごい曲ですよ。

 1曲前の「ハッとして!Good」ではタップダンス、そしてこの曲ではミュージカル・・・と、徹底的にエンターテイメント路線だったんだよね。

 それを当時は、単純に「軟派」って感じてたんだよなぁ。

 まあ、これも時代の流れなんだろうね。

 しかし、この曲は難しいよ。譜割が細かくてさ。当時、売れまくってた小田裕一郎氏、渾身の作ぢゃないかなぁ。
 よく、こんな曲が歌えたよね、いや、この曲の1年後の「君に薔薇薔薇・・・という感じ」もそうだけど、細かい譜割の曲がトシちゃんの場合、意外と多いのよね。ほんとリズムが取りにくい。

 今でも、難しい曲だと思ってますよ、この曲は。譜割が細かいだけでなく、メロディの上下動も激しくてさ、まあ、振られる振られる。目が廻っちゃいそうですよ。

いや、今の曲と比べても、この曲のレベルは高いと思ってますよ。

 そんな曲に完璧な踊りをつけて魅せていたわけだから、本来なら、マッチよりも評価は高くてよかったはずなんだよねぇ。

 まあ、如何せん、当時の「歌唱力」がねぇ・・・・どうしてもネックになっちゃうんだろうなぁ。


 あ、そうそう、この曲では、当時バックで踊ってたジャパニーズのノオチン(乃生佳之)が、ワンピース着てお面被って踊ってましたよね。チャチャ人形っちゅうの。

 そそそ、歌詞にでてくる

♪ 星空にチャチャ、浮かんでチャチャ ♪

ってところに引っ掛けたんだろうね。最初は、なんでお面被ってるのかよくわかんなかったんだけどさ。

 ほんと、楽しい1曲でしたよ。

 あ、この辺は昨日書いた「楽園のDoor」と対象的かなぁ。


 それと、この曲の累積セールスは「597,970枚」。

 実を言うと、この枚数は、この年の6月12日にリリースされた近藤真彦の「ブルージーンズメモリー」と全く同じ累積枚数なんだよね。

 ・・・ということで、1981年年間チャートでは、同じジャニーズ事務所同士、11位同順位分けというかなり珍しい現象が起こりましたよね。



奇跡的に動画が落ちてましたが、何分「J's」管理曲なんで、いつ削除されてもおかしくないと思います。。
見れた方、ラッキー・・・・かもね


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