今回の1曲セレクトは「薔薇の鎖」西城秀樹です。
まずはデータです。
・タイトル 薔薇の鎖
・アーティスト 西城秀樹
・作詞 たかたかし (原案 斎藤優子)
・作曲 鈴木邦彦
・編曲 馬飼野康二
・リリース日 1974年2月25日
・発売元 ビクター
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 33.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年3月11日~4月29日付
春と言うのに昨日は一時雪が舞ったりして季節が逆戻りした感じですわな。 一転今日は快晴ではあったけど風が冷たい1日でしたわ。
でも、陽の光は完全に「春」ですね。ついこの間までは陽の光も「冬模様」だったけど、季節は確実に進んでいる訳ですね。
そうだよな、3月も今週いっぱいなわけで、来週から4月だもんな。
でもさ、やっぱり、こういう時期になると、いくら「寒の戻り」ちゅうても、「春っぽい」きょくが聴きたくなるもんですわ。
・・・・ということで、今回の1曲は「春っぽい」曲を1曲。
西城秀樹「薔薇の鎖」。
うーむ、この曲は「春」っていうか、個人的には「初夏」っぽい匂いを感じたりするんだけど・・・。
でも、実際リリースは、2月の終わり・・・春を感じる時期だったし、Bメロの
♪空には明るい春の光が~ ♪
ってあるように、間違いなく「春」の曲ではあるんだけどさ。
それでも「初夏」を感じるのは、全体的なサウンドからなんでしょうかねぇ。
ミニコミ誌「よいこの歌謡曲」編集長の梶本学氏が絶賛している、ぶりぶりなサックスで始まるイントロからして、春っていうよりも初夏の温度感を感じたりするしな。
なんちゅうのかな、湿度感を感じるんだよな。
春っていうと、もっとすっきりとしたストレートに「ポップ」を感じる曲調って言う頭があるんだけども、この曲は、ポップスというよりもロックだからさ。匂いは。
ニッポン放送ののサイト内にある「大人のミュージックカレンダー」によると、シンプルなオールデイズスタイルのロックンロールとある。
確かにこの表現に異存はない・・んだけど、でも、やっぱり、個人的にはちょっとイメージが違うんだよな。
え? 何が引っかかるか・・・っちゅうと、シンプルなロックンロールとウタっている点。
どうも、ロックンロールっちゅうと、個人的にはどうしても、横浜銀蝿的なスタイルを想像してしまう。
けど、この曲は横浜銀蝿っぽくないよなぁ。
ロックンロールというよりは、イタリアンツイストってイメージがあるんだよね。
まあ、ベースラインがそんな感じだから・・・って言うところからなんだけど。
80年代で言うと、三原順子の「セクシー・ナイト」とか、あの感じのベースライン。
でも、「セクトーナイト」ほど濡れた感じがしないのは、この曲がメジャー系だからか。 その点から言えば、同じ秀樹81年のヒットの「セクシーガール」に近いのか。。。
いや、まてよ「セクシーガール」は横浜銀蝿が作ってるんだよな・・・。
・・・とすると、やっぱ↑の「大人のミュージックカレンダー」でロックンロールと言及しているのは間違いないのか・・・。
なんか、堂堂巡り。。。。。。
この曲といったら、ヒデキのマイクスタンドのパフォーマンスって言われてたりする。
マイクスタンドを蹴りあげて歌うっちゅう、派手なアクションがキモっていう。
まあ、そんな風に文章で書くと、さぞド派手なアクションがあるんだろうな・・・・なんて、想像しちゃったりするんだけど。
いや、この曲をリアルタイムでは聴いて無かったワタシも、昔、そう聴いて、めっちゃ派手なアクションを想像した上で、実際の映像を見たら、思ったりも派手さがなくて、ちょっと調子抜けしたような記憶がある。
たしかに、マイクスタンドを蹴りあげるシーンはあったりするんだけど、そんな「伝説的」に言われるほどの事なのかいな ってな感じで。 もっと派手なマイクアクションって他にもあったよなぁ、世良公則氏がツイストでみせてたマイクアクションとか
でもさ、これでも74年当時としては画期的だったんだろうね。
それまでは、マイクスタンドを蹴りあげて歌う・・なんてアクションは、少なくとも日本のヒット曲ではなかった訳だから。。
・・・というか、蹴りあげたくても蹴りあげられなかったんだよね、重くて。
それまでのマイクスタンドって「鉄製」だったんだよね。
ワタシ、小学生の時、放送委員で、学校にも鉄製のマイクスタンドがあったんで覚えてるけど、足の部分がスタンドが倒れないように丸い重しのようになってて、これがめちゃくちゃ重いのよ。とても、蹴りあげアクションなんでできない。 蹴りあげた途端、捻挫ですよ確実に。
ぢゃ、なんでヒデキは、こんなパフォーマンスが出来たのか・・・
っちゅうと、「大人のミュージックカレンダー」出来言及しているように、直前に見たロッド・スチュワートのショーからヒントを得て、アルミ製の軽ーいマイクスタンドを特注したからなんだよね。
・・・っつか、上に書いた事って ↓ で言及してたりするんで、今さらココで書くことでもないんだけど・・・
(ココでは再生が無効になってるんで、「この動画はYou tubeでご覧ください」。リングをクリックしてみてね)
いずれにしても、この曲の前後が、派手なアクションを魅せてたヒデキの「第1次」全盛期だったんだよね。
前年の「ちぎれた愛」から、5作連続で30万枚以上の売り上げを記録。
当時の水準では、特にアイドルでは30万枚が大ヒットの境界線って言われてた時代、5作連続で30万枚っていうのは、文字通りのスターだった訳ですわ。
ただ、個人的に言えば、ヒデキと言ったら、馬飼野康二氏の曲って言うイメージなんだよなぁ。
まあ、この曲もアレンジは馬飼野氏ではあるけど、作曲は鈴木邦彦氏なわけでさ。
鈴木邦彦氏時代の曲は、メロディライン今一つしっくり来ないんだよなぁ。 どうも前時代というか古さを隠せないと言うか・・・。 洋楽的なサウンドの中に、どこか「日本人気質」を感じちゃったりね。
これは、同じ70年代前半に一世を風靡していた森田公一氏もそう。
だからなのか、ヒデキの曲でもこの辺りは、一つ前の時代の・・・って言うイメージなんだよね、個人的には。
ちなみに、↑のデータで作詞に「原案」っていれたのは、この曲、もともと「平凡」読者から公募で募集され選考された歌詞を参考に、作詞家のたかたかしさんが詞を付けた曲なんですよね。
当時は、こんな「平凡」とか「明星」から歌詞の公募選考されたヒット曲ってあったんだよね。 タイガースの「花の首飾り」もそうだったしね。
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たかたかし
今回の1曲セレクトは、「情熱の嵐」西城秀樹です。
まずはデータです。
・タイトル 情熱の嵐
・アーティスト 西城秀樹
・作詞 たかたかし
・作曲 鈴木邦彦
・編曲 馬飼野康二
・リリース日 1973年5月25日
・発売元 RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 24.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年6月25日〜7月23日付
秀樹逝去報道から1カ月近く過ぎて、ようやく落ち着いてきたという感じがしますね。一時は、この「1曲セレクト」もアクセスは秀樹一色って感じでしたから。
まあ、そう言う状況だったんでこういう時にこそ、秀樹の曲を持ってくるべきなんじゃないか・・・なんて、一瞬考えたんだけど。。。
ただ、あの時のタイミングで、同じ時期にヒットしていて、かつ、まだ書いてなかった曲が無かった・・ということで、あえて、書かなかったんだけどね。
でも、あれから若干時間が過ぎ、ようやく、この時期にヒットしていた、まだ書いてない曲が出てきたんで、今回は、改めて引っ張って来たわけですね。
「情熱の嵐」。
1973年の今頃、デビュー5作目のシングルとして、リリースされ、初めてオリコンでベストテン入りした曲ですわ。
今回の秀樹の逝去によってこの曲もテレビから、大分流れて来てましたよね。
ただね、今回この曲を書くにあたって、改めてオリコンの資料を調べ直したんだけど、ちょっと誤って覚えてたなぁ・・・っていう印象が強かったりして・・・。
そもそも、この曲オリコン最高6位っちゅうところから、誤って覚えてたし・・・。
ま、確かにね、初めてベストテン入りした曲って言うのは間違ってなかったんだけども、順位は、もうちょっと上まで行ってたよな・・・っていうイメージだったしなぁ・・・。
それより何より売り上げ枚数ですよ、 24.6万枚 少なっ 。
いや〜、この曲の売り上げは、長年35万枚って覚えていた・・・っちゅうか、そのくらいのイメージだったんだよな、ワタシ。。。
いわいる「大ヒット」って言うイメージですよ。 うん、昔は大ヒットラインって、30万枚ラインって言われてたしね、それは、上回っていた・・・って覚えてたの。
それよりも、10万枚も少なかったか・・・・。 しかも、ベストテン入りしてたのは1カ月あまりだったんだよね。
そんなチャートアクションから見ても、お世辞にも大ヒット・・・とは、なかなか言いにくい・・・まあ、そんな感じなんだよね。
売り上げだけ見ると、秀樹的には「並」・・・って言う感じなんだよね。
それでも、 「大ヒット」してたって言うイメージが、この曲にあるのは、やっぱ、初めて「ベストテン入り」した曲って言うところが大きいのかなぁ。 やっぱり、「上り調子」って言う時の曲は、ことさらヒットしたって言うイメージが強いからな。
それとなんと言っても、この曲の曲調だろうな。 インパクトが強いブラス・ロック。 ワイルドな秀樹って言うイメージが定着したのも、この曲からといっても過言じゃないからなぁ。
兎に角、ブラス・ロックなこの曲はかっこいいんだよね、あれから45年も経った今聴いても、アクの強さは感じるもの。 ・・というか、下敷きはチェイスの「黒い炎」だよね、っていうのはミエミエなんだけどさ。 でも、これがいいのよ。 当時、日本のポップスで、ここまでブラス・ロックがキマってた曲って、少なくとも当時のヒット曲には、無かったしねぇ。
いや、確かにブラスを使ってた曲は、それ以前にもあった。 でも、ダサい使われの曲が多かったんだよね。
いわいる4,7抜きの演歌、歌謡曲の流れを汲んだようなチープなフレーズが多かったりして。
でも、この曲は、当時、流行ってたブラス・ロックをより意識したフレーズが、より洋楽的だったしな。
今でこそ、より洋楽的って言う曲は、逆に当たり前過ぎてツマンなく思うワタシだったりするけど、当時は、全くの逆で、より洋楽的な曲の方が断然かっこいいんだよね。 70年代くらいまでの曲で4,7抜きのチープな歌謡曲的フレーズの曲って言うのは、やっぱ、耳に障るんだよなぁ。 まあ、昔ほどの生理的拒絶感っ中のは無いんだけど、やっぱ気にはなんだよね、未だに。
ただ、欲を言えば、もっとエゲツさかあっても良かったかな・・・とも思う。 本家のチェイスの「黒い炎」って、もっともっとエゲツだし、スピード感もあったじゃん。 それがより強いインパクトとなって帰ってきてたし。
それを考えると、もっともっと踏み込んでも良かったんじゃないかなぁ・・・とは個人的には思う。
まあ、70年代の歌謡ポップスのレベル・・・これは、作り手というよりは、リスナーレベルを考えると、この曲のように、実際は、まだ、ちょっと余力があるくらいの抑えめ感があって良かったのもかもしれないけど。。。
それは、秀樹の、この先の伸びしろを考えた上でも、最初からマックスであるよりも良かったのかもしれないけど・・・。
ぷぷぷぷ、この動画も直リンが無効にされてる。。。最近多いなぁ。
お手数なのですが、動画が見たい方は「この動画はYou Tubeでご覧下さい」リンクをクリックしてね。。。
うーむ、曲を聴くと、やっぱり秀樹は、アッパーなロックチューンがカッコイイよなぁ。
馬飼野康二氏の功績がでかいよね。 うん、初期の曲は馬飼野氏があってこその秀樹だもんね。
昔、明星のインタビューで馬飼野氏が、自らのメロディは絶叫型が得意って語っていたけど、これには秀樹が最も嵌まってたもんね。
まあ、後年の松崎しげる氏の大ヒットナンバー「愛のメモリー」も馬飼野氏。うん、絶叫型ですねぇ。まあ、あれはあれで、初期の秀樹の一連のヒット曲とは別の意味でスゴミがあるんだけどさ。
それと、再三書いたようにブラス・ロックですねぇ。これ、また流行んないかなぁ・・・なんて、個人的には思ってたりするんだけどなぁ。 まあ、ワタシがブラスやってたからって言うのが大きいんだけど、カッチョ良いんだもん。
兎角、ロックっいうとエレキ中心のバンドサウンドなわけだけど、ブラスが入って来ると、エレキサウンドとは、また違って華やかだしさ。
まあ、これだけシンセが広がっちゃうと、今後はほぼ不可能な形態なんだろうけどさ。ブラス・ロックは兎角、人数が居るし、人数が居るって事はそれだけ人件費がかかる訳だし。。。
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