かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

いずみたく

恋の季節 / ピンキーとキラーズ

1968_10_恋の季節_ピンキーとキラーズ


今回の1曲セレクトは、「恋の季節」ピンキーとキラーズです。

まずはデータなのだ。

・タイトル    恋の季節
・アーティスト  ピンキーとキラーズ
・作詞      岩谷時子
・作曲      いずみたく
・編曲      いずみたく
・リリース日   1968年7月20日
・発売元     キング
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 207.7万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年9月16日〜1969年2月24日付

昨日の中村雅俊の「ふれあい」で、オリコン史上、初のデビュー曲ミリオンセラー・・・とか書いたんだけど、よくよく考えてみると、それ以前にも居たんだよな。デビュー曲ミリオンセラーを達成したヒトって。
 その辺の事情を知ってる方だったら、もしかしたら、クレームが来るかと思ったんだけども、とりあえず来ませんでしたねぇ・・・と胸をなでおろしているところだったりします

ネットの住人は、厳しいからねぇ・・・。ちょこっと間違えたりでもしたら、鬼の首を取ったようにクレーム入れてくる「輩」も多い訳で。。。
 普段から「誤植」が多い、ワタシとしては、そんなクレーム攻撃に耐えて、はや20年近く・・・。。。なんて感じだったりするんだけどさ。
 それでも、未だに誤植が治らないのは、これは性格ですね〜 ケケケケケ と、自分の間違いを、全く反省しないワタシだったりします。。。

ウム、オリコン最初のデビュー曲ミリオンセラー達成は、ザ・フォーククルセダースの「帰ってきたヨッパライ」ですわな。 ちなみに、これがオリコン最初のミリオンセラー達成曲でもある訳で。。。

次にデビュー曲で、ミリオンセラーを達成したのが、今回引っ張ってきた、ピンキーとキラーズの「恋の季節」と言う訳なんだけど。。

・・・と書いておいて、ここで、「ははんまた誤植してやがる」・・とピンと来た方は、かなりの歌謡曲通ですな。

ふむ、ピンキーこと今陽子さんは、ピンキーとキラーズ、結成前に「ピン」(ソロ)で既にレコードデビューしてたんですよね。だから、厳密に言えばデビュー曲ではないんだけど、「ピンキーとキラーズ」としては、この曲がデビュー曲というわけで、一応「デビュー曲ミリオンセラー」っていう記録には含むんだろうな、恐らく。

ただね、この曲の場合は、そう言う記録の他にも「オリコン記録」を持ってるからなぁ。
まずは、オリコン史上初の「ダブルミリオン」達成曲。そそそ200万枚を突破したのはこの曲がオリコンでは初めてなのですわ。

ま、とは言っても、オリコンがチャート発表を開始してから、1年も経っていない頃の出来事なんでね。それ以前にもダブルミリオンはあったはずですけどね。

それとなんと言っても、シングル1位獲得週記録ですわな。1位獲得週が17週。 これは48年経った今でも破られていない空前絶後な記録になっていますね。
 ま、もっとも17週連続ではなく、1968年9月23日付から、12週連続1位を獲得したのち、1週、12月16日付で2位に後退。 ただ、その次の12月23日付に返り咲き、再度5週連続で1位を獲得というチャートアクション。計17週1位獲得した訳ですわ。

ちなみに、「連続」1位は、72年〜73年にかけての宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」の16週連続・・っちゅう記録が、こりも未だに破られずに君臨してますな。

さらに、ちなみに、アルバムを含めた、全作品でのオリコン1位獲得週記録は、井上陽水のアルバム「氷の世界」の35週。なんせ1位返り咲きが5回なんて「アホ」としか思えないチャートアクションを展開した訳で。。。


チャートまにあとしては、どうしても、そういう「記録」の面でこの曲を見てしまいがちなんですが。。。

ま、個人的には、この曲がヒットしていた頃は、まだ生まれていないんで、もちろん「後付」で聴いた曲になってしまうんだけど、でも、この曲を聴くと、どうしても60年代後半の混沌としたような世相を感じるなぁ。

なんて言うのかな、サイケデリックな気分になるんだよな。
・・・てか、サイケデリックってどういう気分? って言われてもコトバではウマく説明できなんだけど、うーむ、兎に角、あの60年代終盤の空気感ですよ。
なんて言うのかなぁ、あの時代って、良い意味でも悪い意味でも、どこかグツグツと煮えたぎったような空気感がありましたよね。猥雑というか、ベトナム反戦、安保反対っていう世相の中で、すくなくともクリアな空気感ではなかったと思う。

そんな雑然とした猥雑とした匂いを感じるんだよな。この曲からは。

特にサビの ♪ 恋は ワタシの恋は〜 ♪ からは特にサイケデリックを感じるなぁ。

まあ、悪い意味で書いている訳ではなく、ある意味憧れなんだよね、この時代の空気を吸えなかったモノにとってはさ。

作曲は、いずみたく氏。 奇しくも昨日書いた中村雅俊の「ふれあい」も同じ、いずみたく氏の作品だったけど、このヒトは、この時代・・・60年代後半から70年代にかけて、ヒット曲の顔でしたよね。象徴って言うのかなぁ。

で、この曲もそうだけど、次年の由紀さおりの「夜明けのスキャット」も、やっぱりサイケデリック感満載でしたよね。

なんかね、この方の作品を聴くと、不思議な・・奇妙な気分になる曲が結構あるんだよなぁ。

そうだ、サイケデリック感って、ウマくコトバでは表せない・・・ってかいたけど、敢えてコトバで書くと、「奇妙で不思議な感覚」なんだ。空調に浮遊しているような・・・。
 なんでいうのかなぁ、ちょっとワルいクスリを飲んでハイになった気分・・って言うかね。

そそ、個人的に60年代終盤というと、こんな感覚なんだよな。 そう言う意味でも、いずみたく氏っていうのは60年代終盤の象徴的な存在だったような感じが強いなぁ。




ピンキーとキラーズって、コーラスグループっていう印象が強いかもしれないけど、れっきとした「バンド」なんだよね。ま、それは、この動画でも分かると思うけど。
そそそ、三枚目キャラだった「パンチョ(加賀美)」さんがドラム叩いてたのよ。
 ソロ時代の今陽子さんは、全く売れなかった訳だけども、「ヒンキーとキラーズ」になった途端、大ブレイク・・・って言う流れは、後年のLINDBERGの渡瀬マキさんと同じ・・と見てもらえれば分かりやすいかな。

 ちなみに、今陽子さん、当時17才。 うーむ、高校生には見えないよなぁ。
どう見ても20歳は超えてるような・・・・ってくらい大人っぽい・・というか色気があるよな。

 
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ふれあい / 中村雅俊

1974_10_ふれあい_中村雅俊


今回の1曲セレクトは、「ふれあい」中村雅俊です。

まずはデータでする。

・タイトル    中村雅俊
・作詞      山川啓介
・作曲      いずみたく
・編曲      大柿隆
・リリース日   1974年7月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 126.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年7月29日〜11月25日付
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「われら青春」劇中歌

前も書いたかもしれないけど、長年ヒットチャートを見てくると、ちょっと信じられない現象に遭遇かる事がある。
・・・まあ、「遭遇」なんで大げさかもしれないけど。。
 それでも、自分がリアルタイムでヒットチャートを見始めた以前のチャート・・・そうね、ワタシだったら、1977年以前かなぁ・・・となるとさ、結局後付けで、チャートを見たわけじゃん。

だからね、実際の曲としては、曲の内容からこの位売れたのかなぁ・・・なんて想像でしかないんだよね。
その想像と、実際に売れた枚数が、大体近い時もあれば、全く「当て外れ」の時もある。

今回は、そんな想像とは全く「当て外れ」だった曲を持って来ましょうかねぇ。

中村雅俊「ふれあい」

当時、「青春真っただ中」だった方々・・・、そうだなぁ、今、還暦前後の方には懐かしい曲ですよね。 みんな知ってるよなぁ、流石に。
 そそそ、当時、1974年4月から、日テレの「青春ドラマ枠」だった、日曜20時〜21時で放送されていた、「われら青春」の劇中で流れて、超大ヒットしてた曲ですよね。
 以前、青い三角定規の「太陽がくれた季節」でも書いたように、70年代から80年代初めにかけて、日テレの日曜20時は「青春ドラマ」枠だったんですよね。NHK大河ドラマの真ウラなんていう一見「不毛」とも思える枠で、そこそこ頑張っていたんだから、やっぱ、当時は青春ドラマ、人気があったんだよね。

そして、ここは当時の若手男性俳優の登竜門・・・ということで、今回の「ふれあい」を歌った中村雅俊氏が主役だったわけですね。
 当時23歳。青春ドラマということで、まあ「高校」の先生役だった訳だけど、当時の年齢からして、ほんとうに兄貴のような年齢だったわけだわね。まさに「青春」だったわけですわ。

ただね、当時5才だったワタシは、もちろん、このドラマ見てたわけじゃなんで、ちょっとその辺の事情にはうといんだよな。

だからね、この曲にしてもこんな超大ヒットしてたっていのうが、ちょっとピンとこなかったんだよなぁ。

なんせ、中村雅俊氏のレコードデビュー曲にして、いきなりのミリオンセラー。126.5万枚も売れたわけでさ。
しかも、オリコンでは、74年8月19日〜10月21日付まで、「10週連続」の1位獲得・・・なんて大偉業だったわけなんだよね。

もちろん、デビュー曲でのミリオンセラーっていうのは、オリコン史上、当時としては、これが初めての快挙だったんじゃなかったっけなぁ。

この辺のチャート事情、個人的には信じられなかったんだよなぁ。

オリコン10週連続1位で、売り上げ130万枚弱といえば、寺尾聰の「ルビーの指環」と、ほぼ同じ規模のヒットと言う事になるんだよね。

どう割り引いても、「ルビーの指環」と同じ程度のヒットには感じないんだけどな。。。

この曲、個人的にも昔から知ってはいたけど、ミリオンセラーになるような曲には、どうも思えなくてさあ。


当時、ミリオンセラーと言ったら、ヒット曲でも特別なそん存在だった訳でさ、それだけに特別なオーラを感じたわけなんだけどなぁ、この曲は、そう言うオーラは感じなかったしさ。
 
 その前に、この曲、ワタシ、中学生の時、ワタシが変わってた中学校の「全校合唱曲」だったんだよな
その印象がどうも強くてねぇ。。
 当時は、なぜにこんなに暗い曲を歌わにゃいけんのだ・・・なんて思ってたもんだよなぁ。今から30年数年前の中学生にとっては、刺激が少なかったんだよなぁ、この曲は。

でも、それより丁度10年前では、この曲、ミリオンセラーになってたわけだから、10年の間でヒット曲も大分刺激が強くなった訳なんだよなぁ。
・・・なんて感じたりもしたよなぁ。 そのくらい、よく分かんなかったんだよね、この曲がミリオンセラーって言う現実は。まあ、あくまで個人的な感想だけどさ。

やっぱ、70年代前半は、フォークブームだったですからねぇ。そう言うブームの真っただ中にリアルタイムに居ないと分かんない事って多いですからねぇ。
 

ちなみに、1974年って言う年は、比較的ロングセラーが多い年で、年間に4作もミリオンセラーが出たんだよな。
1980年前半まで、長らく、シングルのミリオンセラーは、年に1作か2作っていうのが通常だったから、それからしてみれば、年間4作っていうのはミリオンセラーの豊作年って言えるだよね。
 まあ、この年は、演歌と、この曲と同様にフォークが強い年でしたからねぇ。 演歌がロングセラー傾向が強いのは、昔はも今も変わらない・・・って訳なんだけども、フォークっていうのも意外とロングセラーの傾向が強いんだよな。
 ジミーにジワーリと売れるんだよね。まあ、曲調からしてジミーにジワーリっていう傾向が強いからなぁ。だからね、意外とこれら両ジャンルともに似たところがあるんだよなぁ。




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太陽がくれた季節 / 青い三角定規

  1972_05_太陽がくれた季節_青い三角定規


今回の1曲セレクトは、「太陽がくれた季節」青い三角定規です。

まずはデータ です。

・タイトル    太陽がくれた季節
・アーティスト  青い三角定規
・作詞      山川啓介
・作曲      いずみたく
・編曲      松岡直也
・リリース日   1972年2月25日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 50.2万枚
・ベストテンランクイン期間:1972年4月10日〜6月26日付
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「飛び出せ!青春」主題歌

最近はあまり効果も無くなってきたけど、一時期は「ドラマ主題歌」と言えば無条件で大ヒットしていた時期がありましたよねぇ。
特に80年代後半から90年代にかけては「ドラマの時代」と言えるほど、各ドラマから大ヒット曲が誕生したもんなぁ。
 今回は、そんなドラマの主題歌から誕生した大ヒット曲をひとつ。

青い三角定規「太陽がくれた季節」。

はいはいはいはい、今の50代以上の方には懐っかしい曲じゃないですかねぇ

そうです、「Let's Begin!」の村野武範氏主演の「飛び出せ!青春」の主題歌ですね。 このドラマは、この「太陽がくれた季節」がリリースされた1972年2月から1年間放送されたドラマですが、日本テレビお得意の「青春ドラマ」ですわ。
日曜20時〜21時・・・ていうNHK大河ドラマの「裏」っていう不利な条件ながら、大人気を博していた一連の青春物の1つですね。
 ちなみに、この一連の青春物・・・・というか日曜20時〜のドラマは、この後、脈々と10年にわたって続くことになるんだよね。その中には「西遊記」もあったりしたけどね。

ところで、この「太陽にくれた季節」はドラマ主題歌というタイアップがついた作品だけど、ドラマ主題歌でオリコン1位を獲得した最初の曲なんだよね。

 この曲を発端として、この後何十年にわたって続く、ドラマ主題歌オリコン1位獲得曲の先駆けとなった、歴史的1曲と言っても過言ではないんじゃないかなぁ。

まあ、だからこそ、未だに小学校・中学校の音楽の教科書にも取り上げられ、幅広いヒトに知られている1曲になっているとも言えるんだろうけどなぁ。

ちなみに当時は、ドラマ主題歌としては日テレのドラマが強くて、この曲のすぐ後に、ドラマ「2丁目3番地」の主題歌だったビリーバンバンの「さよならをするために」もオリコン1位を獲得している。
 
ドラマと言うと、昔はTBSって言うイメージが強いけど、ドラマといえど音楽については日テレが強かったんだよね昔は。流石は在京局の中で音楽班が一番強かった日テレだけのことはあるか。

ところで、72年と言うと、ワタクシは2才〜3才だったわけで、まだ物心もろくについていない頃だけど、この曲は、その後、物心ついたあとに改めて聴いた時も、覚えてましたねぇ。
 物心はついてなかったけど、どっかでちゃんと聴いてたんだろうね。その辺の詳細は全然覚えてないんだけどさ。

作曲は、いずみたく氏。
いずみたく氏のメロディって独特なんだよなぁ。独特の引っ掛かりって言うのかなぁ、カラーがあるんだよね。
例えば、この曲だったAメロの

♪ 君は何を今 見つめているの〜 ♪ の♪見つめているの♪ ってフラットがかかったメロディ展開になる部分とかさ。
 コトバでは、ウマく説明できないんだけど、少なくとも「あれっ?」って思わせるフックになる部分があるんですよね。 
 それは、例えば筒美京平氏だったらバタ臭さがきわだってる匂いがしたりするんだけど、いずみたく氏はバタ臭さの中に日本的な匂いもミックスされているっていかさあ、なんか独特の匂いがするんだよな。
例えば、パスタに明太子ソースを絡ませてたっていう和洋折衷っていう独特のセンスっていうのかなぁ。
それは、この曲でも、生かさせているよね。 まあ、オリコン1位を取るくらいだから、プラス大衆性っていうのも充分にあるんだけど。

それと、この曲のアレンジャーって、松岡直也氏だったんだってねぇ。
実は、これは私も今知った  うん、これ書くにあたって、ちょこっとネットで資料を探してたら出てきたんだよね。
 松岡直也氏といったら、中森明菜の「ミ・アモーレ」の作曲・編曲者って事は有名だけど、まさかこの曲も手掛けていたとはねぇ。てっきり、ずっとラテン系なジャズピアニストだと思ってたですわ。
 でも、もともとは、いずみたく氏直系のヒトだったんだらしいですね。

まあ、たしかに言われてみれば、イントロのプラスの使い方とか、「ミ・アモーレ」のイントロのプラスの使い方に似てるかな・・・・って感じはするけどさ。
でも、曲本編からは、全然、想像がっ無かったな。

いやいや、いまでも知らない事っていろいろあるわなぁ。1曲セレクト書いてると改めて勉強になることも多いわぁ。

件の青い三角定規は、ボーカルの西口久美子さん、ギターの高田真理氏、岩下茂氏の今で言えば3人ユニット。そそそ、今の「いきものがかり」と全く同じ編成ですわね。
松岡直也氏と同じく、いずみたく氏人脈のヒト達だったんだけど、いわいるヒットチャート系の大ヒット曲は、この曲、1曲のみ。
いわいる「ワンヒットアーティスト」⇒「一発屋」ってわけで、この曲で各音楽祭の新人賞を受賞するも、僅か3年で解散してるんですよね。





それにしても今の曲に比べると短い曲だよね。フルサイズで2分30秒ほどしかない。
当時、ウタは3分間の旅って言った人がいたけど、まさにそうだったよなぁ。
ちなみに1曲3分っていうのは、昔々、レコードが78回転のSP盤が主流だった頃、片面3分程度しか録音できなかったんでそうなったらしいですね。
でも、尺は2分30秒でもメロディも歌詞も余分な贅肉が無く、焦点がはっきりしてるんでがちっと引っかかるんだよね。
最近の曲は余分な部分が多いし、歌詞も説明的。だから曲の焦点がはっきりしないんだよね。
その辺りを見直した方がいい様な気がするな、今の曲は。


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夜明けのスキャット / 由紀さおり

1969_06_夜明けのスキャット_由紀さおり






今回の1曲セレクトは、「夜明けのスキャット」由紀さおりです。

 まずはデータです。

・タイトル    夜明けのスキャット
・アーティスト  由紀さおり
・作詞      山上路夫
・作曲      いずみたく
・編曲      渋谷毅
・リリース日   1969年3月10日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   109.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1969年3月31日〜7月7日付


 えー、今回の1曲セレクトは、前置き無し!
 かなり久しぶりに、1960年代のヒット曲を持ってきましょうか。 

 由紀さおり「夜明けのスキャット」

 この曲、今ごろのヒットだったんだねぇ。てっきり、ワタシが生まれた、「夏ごろ」のヒットだと思ってた。

・・・というのも、ワタシとしては、もちろん、知らないはずなんですよ、この曲。まだ、生まれてなかったから。。あせあせ

 えーと、おかんのおなかの中にいましたね。ふらふら 

 8月生まれだから、仮にベストテンギリギリ、ランクインの頃は、妊娠9ヶ月目か・・・。

・・・なので、知らないはずなのに、なぜか、知ってたりして。ふらふら


 いや、初めて聴いた・・・ハズ・・・・の時に、既に、この曲知ってたんだよね。
 どっかで、聴いたことあるぞ・・・・と。

 この辺って、生命の神秘なのですかねぇふらふら


 しかし、この曲は実験的な曲ですよ。何分、1コーラス、全部スキャットで通す・・とは。。。

 そそそ、例の ♪ ルールールルルー ♪ ですね〜。


 それと、この独特のサイケデリックさでしょ。 なんて言うのかなぁ、原色が入り混じった猥雑さとエロティズムっていうのかなぁ。 ちょっとクスリをやってたかのような幻影さ。
これが60年代終盤の独特の、猥雑的な時代背景を物語っていたりして。

 自分が生まれた年ってこともあるけど、このころの時代背景は、個人的には好きなんですわ。
  まだ、みんな貧しかったけど、毎日「何かあるぞ」・・・みたいな前向きな期待感とエネルギーを感じ取れたり・・・。

 まあ、今から思うと 現実の世界というよりは、夢の世界にいるような感覚に囚われるんだけどね。
それは、ワタシがまだ、おかんのおなかの中にいたからですかねぇ。 そういう感覚を感じるんだよね。この曲には。


 でも、時代性を感じる曲だから、100万枚なんてミリオンセラーになったんだろうな。
 当時も、ミリオンセラーなんて、年に1枚か、2枚しか出なかったからねぇ。
 もちろん、固定ファンなんて無きに等しい時代だったから、全浮動票な時代だったわけで、それこそ、一般性(大衆性)がなきゃ、売れない時代でしたからねぇ。


 だけど、 東芝さんって、昔は、実験的なレコード会社だったよなぁ。 レコード会社としては、後発の「強み」で、伝統に縛られない、自由さが当時はあったからだろうな。

 60年代〜70年代にかけては、一番「垢抜けた」レコード会社だったものなぁ。
近年の没落、そして、ユニバーサルへの吸収・・と昔の栄光を考えると信じられないですよね。




最近は、ピンクマティーニとの共演ですっかり時のヒトとなった由紀さおりさんですが、この曲の頃は21才。
ただ、この曲がリリースされるまでは、全くヒット曲が無く、そろそろ歌手として完全引退か? ・・と言う時にこの曲に出会う。人生どこでどうなるかなんて分かんないもんだよねぇ。

 ちなみに、この曲は、元々、ラジオの深夜番組のオープニングBGM用に書かれた曲で、だから、もともとスキャットしかなかったんだよね。なにせBGMなので。。。
 でも、その時のこの曲に対する反響が凄くて、急遽、歌詞をつけてレコード化したという経緯も残ってたりするんだよね。

この当時は、深夜ラジオ放送の黄金期。深夜放送の聴取率が5〜6%もあった時代なわけで、今とは比べ物にならないほど影響力があった時代。 当時の「若者の解放区」と言われたラジオの深夜放送から、たくさんのヒット曲が生まれたわけなんだけども、この曲もそう言うヒット曲の1曲なんですよね。


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