かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1960年代ヒット曲

人形の家 / 弘田三枝子

1969_10_人形の家_弘田三枝子


今回の1曲セレクトは、「人形の家」弘田三枝子です。

まずはデータです。

・タイトル     人形の家
・アーティスト   弘田三枝子
・作詞       なかにし礼
・作曲       川口真
・編曲       川口真
・リリース日        1969年7月1日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   57.1万枚
・ベストテンランクイン期間:1969年9月22日〜12月8日付


ここのところ、ラジオを聴くてると、ふと古い曲がかかってきたりして、ついつい耳が行っちゃっうことが何回かあったりしてね。
昨日もFM東京のChayの番組で、はしだのりひことクライマックスの「花嫁」がかかったりして、仕事してた手が止まっちゃったり。。。
もちろん、個人的に音源は持ってるし、未だに頻繁に聴いてはいるんだけど、メディアで流れるとなんか新鮮。
やっぱ音質なのかなぁ。 例えば、今はRadikoとかAMでもFMでステレオで聴けたりするけど、AMのあのちゃっちいモノラルで聴くヒット曲っていうのは、なんか独特の「味」があるんですよね。 哀愁感というか・・・少なくともステレオの高音質で聴くのと、また、ちがった趣があるんですよ。

特に70年代以前のヒット曲は、場合によってはステレオで聴くよりも「いい」と思える曲もあるんだよね。

今回は、そんな曲を一つ。

弘田三枝子「人形の家」。

この曲も、昨日のChayの番組で流れていた「花嫁」同様、ついこの間、ニッポン放送の「オールナイトニッポンMUSIC10」で流れてたんだよね。 
帰宅の時、最寄りの駅に止めてある車のエンジンをかけたら、丁度この曲が流れて来てさ・・・。
夜聴く、この曲ってなんで、こんなにも切ないんだろ? ・・・って思えてきちゃいまして。。。ホントは今回の1曲セレクトは、違う曲を予定してたんだけど、急遽変更しちゃいました。

都合がいいのかどうか分からないけど、丁度、10月の今頃がヒットのピークだったっていうのも大きかったんだけども。。。そう、今から49年前、1969年、昭和44年の今頃、まさにヒットのピークだったんだよね。 

恐らく、業界でもまだ知ってるヒトの方が少なかったであろう、 創刊2年目のオリコン、1969年10月20日〜11月3日付ランキングで、3週連続の1位を獲得している。

そんな風に書くと新鮮かなぁ。 ワタシは初めこの事を知ったときには新鮮だったなぁ。そうか、自分が生まれた頃、丁度、この曲がオリコンで1位だったんだ・・なんて思ったら不思議な感覚だったりしてね。

そう、ワタシがちょうど、この世に生まれた頃のヒットなのです、この曲は。
リリースは1969年7月。 ワタシは8月生まれなんでね。

なので、当然、リアルタイムで聴いてはいない。 オリコンで1位とったころは、まだ生後2カ月とかだったりなんで・・・

だから、本当は知らない筈なんだけど・・・、でも、妙に懐かしい感覚だったなぁ、初めて聴いた時。
もちろんメロディは知らないわけだけども、雰囲気だよね、空気感。 生後2カ月といえども肌でじかに感じた空気感っていうのは、無意識のうちに脳の深層に記憶されているんでしょうかね。


 50年代からのジャパニーズポップスファンの方なら当然の事だけど、弘田三枝子さんといえば、1961年11月ヘレン・シャピロの「子供じゃないの」っていうカバー曲でデビュー。 当時14歳のローティーン。ニックネームはミコ。
以後、持ち味のパンチの効いたダイナマイトボイスで、60年代ポップスを次々にカバーしてはヒットさせたカバークリーン。今でいえばトップアイドルの一人。

ただ60年代後半、東芝からコロムビアに移籍してからは人気に陰りが見え、暫くお茶の間の前から消えた後に、久々にリリースしたのが、この「人形の家」ですわね。

ベタに言えば、もろ歌謡ポップスな曲。 ただ最近、指す歌謡ポップスとはちょっと趣が異なるかなぁ。 最近の歌謡ポップスは、どちらかと言えば演歌方向に向いた「和物」の匂いが強いポップス。でも、この曲は洋楽の方向を向いてるよね。

 そもそもイントロ〜Aメロにかけては、フレンチや北欧系ポップスの匂いが強いヨーロッパ系。いや、その後のサビの盛り上がり方にしても、そんなイメージだよね。

その辺りは、さすがシャンソンの訳詞家あがりの、なかにし礼氏であるし、作曲の川口真氏。それぞれの氏の特徴が出てるんじゃないかな。

でもさ、純粋なヨーロッパ系ポップスとかいえば、そうじゃない。 そもそもロッカバラードっぽい3連のヨーロッパ系、特にフレンチポップスってあんまり記憶にない。

その辺は、日本人に合った曲調に・・・。 いや、どうも、そこはムード歌謡っぽいんだよな。

サビの部分

♪ 埃に〜まみれーたー (ワワワ〜) 人形〜見たい〜 (ワワワ〜) ♪    

なんて、クールファイブ調に(ワワワ〜) なんていれるとピッタリ嵌まっちゃったするしさ

そう、この曲は、ヨーロッパ系とムード歌謡の「ミクスチャー」なんですよね。

90年代後半以降、特に2000年代に入って、「ミクスチャー」ってコトバがメジャーになったりするけど、これって最近はじまった流行りではなく、50〜60年代から既にある音楽の概念なんですよ。

いや、歌謡曲っていうのはもともとがミクスチャー音楽なんだよね。 よく向こうの音楽のキャッチーな所、官能的なところをサンプリングし、凝縮した音楽が歌謡曲・・・って言われるけど、 それだけじゃ一般的な日本人受けは難しいんで、そこに少々、醤油のような日本人独特のテイスト(感性)をブレンドした音楽、これが歌謡曲、そそそ歌謡ポップスなんだよね。

この「人形の家」って曲は、そんなミクスチャー歌謡の最たる曲なんじゃないかなぁ。


ただね、この曲はそれ以上に「絶望感、倦怠感」っていう、当時の時代性も感じるんだよなぁ。

時は1969年。世界的に若者による反体制運動がぼっ発していた時代ですわ。 アメリカではベトナム反戦、フランスではパリ5月革命、日本では新左翼による70年安保改定反対の学生運動。そんな反体制的な空気が支配していた1969年って言う時代。

ただ、日本では1969年夏に、最後まで新左翼による大学占拠をしていた広島大の時計台占拠も陥落し、それまで燃えあがっていた学生運動の波にも、絶望感を感じられて来た時代の波。
そんな世の中の空気の中ヒットしていたのが、この曲と言う訳なんだよね。

この曲では、そんな時代の空気をも感じるんだよね。

そんなところが、今のヒット曲と当時のヒット曲と決定的に違うところなんだろうな。 それだけ、ヒット曲と時代との世相が密に繋がっていた時代、それが60年代だったんじゃないのかなぁ。 それは、70年代の前半ごろまでは続くわけだけど、70年代後半あたりから時代性はだんだんと薄まって行くんだよね。

・・・なんて、リアルタイムで世相を体験してきた訳じゃ無いのに、恰も見てきたように書くのも、直にこの時代を体験されてきた方には、僭越なんだけど。。
個人的には当時の世相、学生による新左翼運動には興味あったりする。 あと10年早く生まれて、もっと1969年って言う空気を直に感じたかったって思ったり。



1969年の紅白より。
司会の伊東ゆかりさんの膝上何センチ? ってぐらいのミニスカート、凄いっすねぇ。時代を感じるなぁ。

ミコさん、この時22才。 ちょっと驚いたのは22才にして、この時既に6回目の紅白だったんですね。
これには、ちょっとビックリ。 初出場は1962年の「ヴァケーション」。この時15才っていうんだから驚きだぁ。

それと、マイクの持ち方が独特だよなぁ。 これ、どう持ってるんだろ? 
こんな不安定なマイクの持ち方で、この圧倒的な歌唱力。 これは凄いわ。
歌っている曲調自体は、大分変わったけど、この歌唱力は、ローティーンの頃のダイナマイトボイス健在ですね。

というか、この歌詞力、煎じられるもんなら煎じで、いまのアイドルの子たちに飲ませてやりたいですねぇ。
これが、「お金を取れるウタ」ってもんなのよね。 プロの歌い手ってもんですよ。

それにしても、大人っぽいよね。 どう見ても22才にゃ見えないっしょ。
・・・っては、昔から思ってたんだけど、最近は、ハーフのコなんかは若くして大人っぽい子も多くなってきたんで、最近はそんなに違和感は感じ無くなりましたね。

それよりも、「整形」疑惑はどうなんでしょ? というか、当時から今に至るまでゲ―ノー界と整形ってつきものだからなぁ。それを言ったら、「あゆ」なんてどうなのよ・・・って事になっちゃうし。
でも、この特に目の周りパッチリは「あゆ」もビックリですけどね。 ローティーンのころの「やぶにらみ」のミコちやんはどこに行った・・・って感じだし。。。。

あ、でも、このつけまつげは、ウチの母親もやってたなぁ70年代初めの頃まで。


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小さなスナック / パープルシャドウズ

  1968_08_小さなスナック_パープルシャドウズ

今回の1曲セレクトは「小さなスナック」パープルシャドウズです。

まずはデータです。

・タイトル     小さなスナック
・アーティスト   パープルシャドウズ
・作詞       牧ミエコ
・作曲       今井久
・編曲       林一
・リリース日   1968年3月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  47.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年6月24日〜9月9日付

いやー、今日は最高に暑い。 昼間の家のダイニングの室温計は35℃を指しておりましたわ。。。。
チケケチ生活のワタシは、クーラーは自分の部屋しか入れてないんで、自分の部屋以外、他の部屋は熱帯なのよ。そんな訳で、今日は1日部屋でダラダラ。。。。 外になんか全く行く気無しですわ。。。
まあ、考える事はみんな同じなのか、日中、外を歩いてるヒトもほとんど居なかったし。。。静かな日曜でしたわ。

それはそうといつまで続くんですかね〜、この暑さ。 来週末はもう9月なんですけど。。。。
「夏の終わり」の兆しが見えないですねぇ。

本当はね、そろそろ夏の終わりを想定して1曲セレクトを書きたかったんだけど、そんな雰囲気じゃねーよなー。


・・・っつうことで、曲を変更。

で、引っ張ってきた曲がこの曲。


パープルシャドウズ「小さなスナック」。

しかし、なんで、この曲が「夏の終わりの兆しが見えない」曲なんやねん ってところなんたけど・・・。

先週、ビリーバンバンの「さよならをするために」の時に、ヒットまで時間がかかった曲って言うお題で書いたんだけど、この曲もそうなんだよね。

リリースは1968年3月25日。 ・・・っちゅうことはちょうど50年前ですわ。 半世紀前になるんですねぇ。
ワタシもまだ生まれてない。。。。

だけど、ヒットのピークは、50年前の丁度今頃、8月だったんですねぇ。 リリースから約5カ月かけてのヒットと言う訳ですわ。

まあ、今のヒットチャートからすれば、ちょっと考えられないようなロングヒットなチャートアクションではあるけど、当時は、こういったヒットまで時間を要した曲なんてザラにあった訳で、この曲が特段珍しいヒットの仕方と言う訳ではないんだけどさ。

結局さ、50年前は、日本の隅々まで曲が認知されるまで、それだけ時間を要したって事でもあるんだよね。
まだ、インターネットがある訳じゃないし。。。日本全国即時に情報が広まる・・・って言う時代じゃ無かったんだよね。

ちなみに当時のテレビの普及率は、白黒テレビが96%に対し、カラーテレビは5.4%っていう数字が残ってたりする。 

そんな時代なんですよね50年前は。 


ところで、この「小さなスナック」は、いわいるG.Sに分類されている訳だけどさ。。うむ、パープルシャドウズ自体、ギター2本、ベース、ドラムっていう、今でいえば4ピースバンドだったわけで、立派にグループサウンズだった訳なんだけども。

ただ、立ち位置としては、他のG.Sと比較してもかなり特殊だったんだよね。

・・・というのも、G.Sではあっても、やってる音楽は、もろ「歌謡曲」だったから・・・なんだけど。

G.Sは、現在に続くロックの源流・・っていうのが、一般的な見方だろう。 そりゃそうだ、G.S⇒グループサウンズ、いわば「バンド」であり、エレキを掻きならすような音楽であった訳だから。

でも・・・ですよ。実際は、その裾野はめっちゃ広いんだよね。 その名の通り、もろ・ロック系統のグループもいれば、アイドルバンドなグループもいる。 その中でも歌謡曲系の最右翼だったのが、このパープルシャドウズだったんじゃないか。

だったんじゃないか・・・って、ワタシ、まだ生まれる前の話なんでさあ、、実際に体験した訳じゃないんで、はっきりとは言えないんだけどモノの本からすれば、そんなイメージですよね。

ちなみに、G.Sを体系的にまとめた、黒沢進著「日本の60年代ロックのすべて」によると、ロック的な観点から見ると、G.S史上、最も「駄作」だった曲がこの「小さなスナック」・・・と言われていたようだ。

70年代初頭のころが一番顕著だった事なんだけど、ロック側の人間からすると、「歌謡曲」は最もダサい音楽だった訳ですよ。 いわいる「体制側」(⇒あっち側)の音楽ってことで。 ロックの精神は自由だ・・・これこそがナウイ音楽だ・・見たいなところがあったんだよね。

たださ、歌謡曲っぽかったからこそ、売れたともいえるんだよな。
↑のデータによると、この曲の売り上げ枚数は47万枚となっている。 この売り上げ枚数って、1968年当時のG.S全体の売り上げ枚数でも、トップクラスなんだよね。 この曲を上回っているのはタイガースくらいなんですよ。

さしもの、テンプターズの「エメラルドの伝説」でさえ、これより下回っていた訳で。

1968年っていうのは、G.Sブームが最高潮の年だった訳なんだけども、とは言っても、やっぱり歌謡曲の時代なんだよね一般的な傾向は。

そもそも個人的に言っても、G.Sと言われる曲で一番最初に覚えたのは、この曲だったと思う。 
いや、まだG.Sとかなんとか、そう言うしがらみが全然分かんなかった頃。 恐らくまだ物心がつくかつかないかの頃から知ってましたねぇ。

どこで覚えたのか、最初はどこで聴いたのかは全然覚えてないけど、いつの間にか知ってたもんなぁ。

「スナック」っていうタイトルが如何にも昭和40年代を彷彿させるんだよね。 

いつかも書いたんだけど、当時(昭和40年代)、ワタシの幼馴染で家族ぐるみで付き合ってたオヤジさんが、(常磐線)湯本駅前で「スナック」をやってて、夜な夜な、ウチのオヤジ、オフクロがここに入り浸ってたんだよね。
とうぜん、ワタシもよく連れてかれてた。 で有線から流れていたのが、当時の歌謡曲でさあ。 恐らくこの曲もそこで初めて聴いたんだと思う。

兎も角、この曲のタイトルもそうだけど、曲自体を聴くと、あの「スナック」の匂いが鼻腔に漂ってくるんだよな。
お酒とコーヒーが入り混じったような独特の匂い。ジントニックを始め、いろいろな種類のお酒の瓶。 緑色のソーダー水と浮かんでる真っ赤なチェリー。

ワタシの物心つくかつかないかの頃の「昭和の原風景」がこれなんだよな。

いまリアル仕事で働いているのが神田神保町。 今はだいぶ少なくなっちゃったけど、ごく僅かに、こんな昭和40年代の原風景そのままの一角があるんだよね。
それこそ、この曲のタイトルちゃないけど、小さなスナックが数件並んでいる一角。 昭和40年代にタイムスリップしたようでね、個人的にこの一角が大好きなんだよな。
そこを通るたびにどこからとなく浮かんでくるのが、この「小さなスナック」だったりもするんですよね。 



リードギターで、この曲の作曲者の今井氏は、もともとハワイアン・バンド出身なんで、
この曲のイントロのギターソロは、如何にもハワイアンっぽいですよね。
G.Sっていうと、イコール、ガレージロックって言う印象が強い。
この曲も、まあ、サウンド的にはガレージ的なんだけど、そんなガレージなサウンドとハワイアン的なギターソロのマッチングが結構新鮮だったりするんだよね。
この曲に引っかかるのは、その辺なのかもしれないな。

・・・というか、後年、G.S的な・・・っていうとこのイメージだったりするんだよね。

80年代中盤、ネオG.Sブームってことで一時ワタシもこの手の音に嵌まった事があったし、その頃、堀ちえみのシングルで「夏咲き娘」って、もろガレージな曲があったんだけども、結局はこんな感じだったもんね


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天使の誘惑 / 黛ジュン

1968_07_天使の誘惑_黛ジュン


今回の1曲セレクトは、「天使の誘惑」黛ジュンです。

まずはデータです。

・タイトル    天使の誘惑
・アーティスト  黛ジュン
・作詞      なかにし礼
・作曲      鈴木邦彦
・編曲      鈴木邦彦
・リリース日      1968年5月1日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 46.8万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年5月27日〜8月12日付

えー、只今部屋の室温計は32.0℃を指しておりまする。。。うヴぇ〜暑ちぃよー。 これでまだ梅雨明け前だって言うんだから。。。。梅雨が明けたらどうなってしまうんでしょ・・・。って連休を過ごして居たりして。。。。

今年は「老体」にムチうって 2年ぶりに「ROCK IN JAPAN」と、超地元の「氣志團万博」 2つの夏フェスに参戦する予定なんで、今から「暑さ」に慣れておきたい・・・と、出来るだけクーラーを使わないで2日過ごしてたんだけどね。。。

ちなみに、件の痛風の痛みは今日になって、大分引けまして・・・おかげ様で通常の生活に戻れましたわ。
あとは、ぶり返さないように留意しないと・・・。高い金を払った夏フェス参戦が・・・・。。。

で、流石にこの暑さの中では「1曲セレクト」書けないよ〜・・・とクーラーを入れて書いてまする。

さて、今回の1曲セレクトは、どうするベか・・・。 ここんところヒット当時、「好きぢゃなかった」80年代アイドルの曲が続いたからなぁ。。。

今回は時代を一気に飛び越えて「60年代アイドル」の「夏」の曲と行きますか。。。

黛ジュン「天使の誘惑」なぞどうだ!


なんか勢い誤って「60年代アイドル」なぞと表現してしまいましたが・・・。 うむ、60年代には、まだ「アイドル」などと言う表現のコトバは、少なくとも「音楽界」では使われていなかった訳で・・・。

いや、idol⇒偶像という単語は昔からある訳で、厳密に言えば使わけていたかもしれないけど、現在の音楽ジャンルとしての「アイドル」と言うカテゴリーは、まだ無かったって事なんですけどね、60年代には。

でも60年代にも10代の「歌手」は居た訳でね、弘田三枝子さんにしろ、伊東ゆかりさんにしろ、そうそう忘れてはいけない、吉永小百合さんにしろ・・・みんな最初は、今でいえばアイドルだったわけじゃん。

まあ、今のように「アイドル」と言うカテゴリーが当時あったならの話なんだけど・・・。


で、黛ジュンさんは今回セレクトしてきた「天使の誘惑」の前年1967年にデビュー・・・。

・・・・なんて書くとクレームが来るよな、きっと。。。 そそそ、実は16才だった64年に一度本名の「渡辺順子」でデビューしてるんだよな。でも、その時は全く売れず・・・、19年になった前年67年に再デビュー・・・という経歴を持ったアーティストなんだよね。 
ちなみに、亡くなった作曲家の三木たかし氏は実兄・・・ってことは有名? うむ、でもそうなんだよね。


どーでもいいことだけど、この曲、作詞がなかにし礼氏で、作曲が鈴木邦彦氏だけど、ワタシが通ってた千葉の某私立S高校の校歌も、作詞、なかにし礼氏、作曲 鈴木邦彦氏・・・ そそそこの曲の組み合わせと全く同じなんだよなぁ。。だれがいつ依頼したのか分かんないけどさあ。
 だからという訳じゃないけど、この曲を聴くと、どうも高校の校歌を思いだしちゃったりして・・・因果なもんだわぁ・・・。
あ、曲想は全く違うけど。。。。


で、この「天使の誘惑」は、この年1968年のレコード大賞、大賞受賞曲。 

・・・ということはデビュー2年目、若干20歳の時に、既にレコード大賞を受賞してるんですねぇ。

そう、60年代も終盤に差し掛かった当時は押しも押されぬ「トップアイドル」だったわけですわ。

当時、ライバルとされていた「アイドル」には、伊東ゆかりさん、弘田三枝子さん、いしだあゆみさん、奥村チヨさん・・・等々のトップアイドルがひしめいていた中でも、特にレコード売り上げに於いてはトップクラスだったんだよね。・・というか安定していたと言うかね。

やっぱ曲調なのかなぁ。特に今回セレクトしてきた「天使の誘惑」って曲。今聴いても「ポップ」でしたからねぇ。

当時の曲といえば、どこかジャズの影を引きずっていたり、歌謡曲のを引きずっていたり・・・って兎角「夜に向かった」と言う匂い・・・つまりはティーンエイジャーが歌っても「大人」向けの曲が圧倒的に多い中、この曲は、あくまで「昼間の」・・・って言うイメージなんでね。そこに安心感があるって言うのかなぁ。

アイドルと言うジャンルが確立された70年代以降、アイドルソングといえば、夜の匂いから、遅くとも「門限」は夕方までと言われるように「昼」に向かった曲が基本、つまりさ「健全さ」がアイドルソングの基本・・・ということであれば、この曲なんてのは、その「元」と言ってもいいんじゃないかな。

まあ、その辺が、その後、70年代、80年代、90年代、それ以後も、この曲が多くの「アイドル」たちによってカバーされているところなんだろうね。

ちなみに個人的には、やっぱ、牧瀬理穂がCMで歌ってた、あのバージョンかなぁ

↓ コレ (後半の30秒のバージョンのやつ)


そそそ、タケダの「HI-C」のCMね。 最後に自らスカート、 ばひょーんとめくるやつ。

とは言うものの、これより前にオリジナルの黛ジュンさんバージョンの方を知ってたんだけどね。





これ、1968年当時の画像ですよね?
それにしては、画質も音もめちゃくちゃ良いんですけど。。。 とても49年前・・・約半世紀前の画像とは思えないわぁ。 
もちろん当時はステレオ放送もしてるはずが無く・・・。でも、ちゃんとハイファイになってるじゃないですか。。。
どうもBS-TBSで放送されたやつのようだけど・・・。

・・・・とおもったら、リンク弾かれちゃってる。 申し訳ないですが、みたい方はYou Tubeのサイトに飛んでくだされ。。。。

ちょっと調べてみたら、当時TBSは、他の局のように2インチのビデオテープを使って無かったんで、かさばらずに済み、その後も当時のビデオテープを上書きせずに保管出来たようですね。
でもって、最近TBSは、当時の画像のデジタルリマスターを行っていますから。。。
ベストテンもデジタルリマスターを行っているらしいですね。
なんで、こんなに画像も音もきれいに残っているようなんですよね。

しかしさあ、20歳にしては大人っぽいよね。10才位サバよんでんじゃね? なんて言われてもおかしくないような・・・。
でも、当時はみんな大人っぽかったんだよな、今から比べると・・・。いや、逆に言えば今がコドモっぽくなっちったんじゃないのかねぇ。

まあ、実際曲を限り、ジャケットにもクレジットがあるように、「ハワイアン・ロック」ですねぇ、この曲。
バックのバンドにスチールギターの人もいたりして。
ってか、ハワイアン・ロックってなんじゃらほい? ・・・って感じなんだけどワタシら世代からすると・・・。
根がハワイアンだけど、リズム体はロックってことでしょうか。 ま、ロックというよりも完全なポップスなんですけどね。今からすると。
当時としては、「エレキ」を使われるとロックってというイメージだったんだろうなぁ。 

でもさ、パーカッションを多用しているところから、ハワイアンというよりはラテンだよね・・・なんても思ったりしてね、個人的には。


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長崎は今日も雨だった / 内山田洋とクールファイブ

1969_05_長崎は今日も雨だった_内山田洋とクールファイブ


今回の1曲セレクトは、「長崎は今日も雨だった」内山田洋とクールファイブです。

まずはデータです。

・タイトル     長崎は今日も雨だった
・アーティスト   内山田洋とクールファイブ
・作詞       永田貴子
・作曲       彩木雅夫
・編曲       森岡賢一郎
・リリース日    1969年2月1日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  72.8万枚
・ベストテンランクイン期間:1969年5月19日〜5月26日 6月9日〜9月8日付

なんか久々の1曲セレクトだなぁ・・・と思うのもその通りで、ゴールデンウィーク「初日」に書いて以来なんだよな。
本当は、先週の土日も書こうと思ってたんだけども、どうも疲れちゃってねぇ。。。このゴールデンウイークは年がいもなく、連日、長距離ドライブなんてしちゃったもんで。。。

おかげで今週1週間は仕事にも全く身が入らず。。。。  正直言って未だに疲れが残ってるんだけど、さっすがにねぇ、そろそろ1曲書かなきゃな。。。

・・・・と思いーの、これ書こう・・・って昨日から決めてた曲のヒット時期をさっき調べ直したら、今の時期はまだヒット前・・・というかリリース前だった。。。

うーむ、こういう時困るんだよな。。。  


・・・と思いーの、、、数分。

外は雨ですよ。 うん、関東地方・・・っちゅうかワタシの自宅周辺では、結構なザンザンぶり。 さっきテレビで広島vs巨人戦みてたら、広島はいい天気のようでしたけどねぇ。。

これは、雨の曲でも書きますか。。。

・・・と思ったらいい曲がありましたわ。


内山田洋とクールファイブ「長崎は今日も雨だった」

ざざん 思いっきりのムード歌謡ですっ

いやいやっ、アイドルポップス、ロック・ニューミュージックだけじゃないですよん、「1曲セレクト」は。
こういう、モロ歌謡曲も書きますよん。

っつうか、以前、mixiに書いてた頃は書かなかったんだけどね
ワタシ周辺で、この手の曲に興味がある人が少なかったんで。

でも、今は「ワタシ周辺」と言う垣根をはずして書いてるんでね、この手の曲も個人的に書ける曲は書きたいのね。
まあ、どれだけ読んでいただけるかは分かんないけど。。。


この曲は、今も(一応)「現役」のクールファイブのレコードデビュー曲ですわ。

レコードデビューってことは、結成、活動開始はもっと古く、wikipediaによると67年に長崎のキャバレー「銀馬車」の専属バンドとして結成とありますね。

なんかさあ、キャバレーっていうと、めちゃくちゃ時代を感じる響きだけど、まあ、今でいえば「クラブ」だよね。
クラブで演奏するために結成するバンドなんて今でもいるし、それの先駆けと思ってもらっていいんじゃないかな。

リリースは2月だけども、それから3ヵ月過ぎた、丁度今頃ベストテン入り・・・ってわけだから、ヒットまでに結構時間がかかったよな・・・なんていう印象が強いんだけどさ、今の感覚で言えば。。。

ただ、リリースから、いわいるベストテン入りまで数カ月かかるのは、当時は「ザラ」だったわけでさ。 ましてや、それまでヒット実績もない新人の「デビュー」曲だからさ、この程度は当たり前だった訳ですわ。
それ以前に、デビュー曲にしてベストテン入りするっていうのが快挙な訳でさ。

まあ、それだけ当時は、「ムード歌謡」っていうのが、ヒット曲界では全盛期であり需要があったんだろうね。

「〜だろうね」っちゅうのは、完全に個人的には分からない世界なんでさ。 なんせ、この曲がベストテン入りしている最中の「69年8月」に生まれたもんでさ、ワタシゃ

観月ありさの「伝説の少女」の歌詞じゃないけど、♪ママの時代の〜♪ って曲なわけなんだよね、ワタシにとっちゃ。

でも、最初に書いたように「キャバレー」とか「ムード歌謡」っていう、如何にも昭和な「響き」は、ワタシにとっても音楽の原点の一つって感じなのは確かなんだよな。

この曲のイントロにも挟まっている、むせび泣くテナーサックスの響きとかさあ、あれが聴こえてくると「昔昔」の記憶が甦って来るのよ。

いつかも書いたかもしれないけど、オヤジ、オフクロの共通の友人が、当時スナックをやっててさ、まだワタシが物心着くかつかないかの頃、そこのスナックにしょっちゅう出入りしてたからさ。
この手の、むせび泣くテナーサックスを聴くと、当時、そのスナックの「有線」から流れてたムード歌謡と、コーヒーでいぶされたようなスナックの匂い、そして、隅っこで飲んでたソーダ水の「緑色」が鮮やかによみがえってたりしてね。

個人的に、そんな空間がキライじゃなかった・・・と思う。 だってさ、この手のムード曲を聴いて、いやな感情はしないし、第一、後年この世界・・・ヒット曲の世界・・・にのめりこんで行けたのは、そん時の記憶・・というか下地があったからだと思うしね。


たださ、この曲・・・というか、クールファイブはちょっと違うな・・・なんて子供の頃は思ってたなぁ。
正当なムード歌謡というよりは、ちょっと演歌よりに感じたんだよね。 
まあ、後年の「東京砂漠」なんかは、完全に歌謡曲だけど。 うーん、なんだろうね、この曲の「ソリッド」さなのかなぁ。それとも、演歌特有の「4、7抜き」のメロディラインのせいなのか・・ちょっと違うな・・・なんて子供心に思ったのもかもしれない。 ま、メロディラインに古さがあったってもあるけどね。 件の「ママの時代の〜」ぢゃないけど、これは、完全にワタシが生まれる以前のメロディだよなぁ・・・っちゅうのが生理的に分かってたような気がするんだよね。

個人的にクールファイブの曲をきちんと注目したのは、以前書いた「そして神戸」だったんだよね。
たってさ、あれはファンキーな曲だもん。ソウルでありファンクですよ、日本の。
その上さ、サザンの桑田氏の音楽のルーツのひとつが「クールファイブ」だった・・・なんてカミングアウトを読んじゃうとさ、なんか急に親近感がわいてきたりしてさ。。。  現金なもんですよ。

しかも、曲にしてもムード歌謡にとどまらず、ジャパニーズ・ブルース、これぞ日本の「ブラックミュージック」みたいなさ、そんな感じを受けちゃったりね

でもさ、逆に言えば、後年、本場の向こうのブルースとかR&B、ゴスペルなんかのブラックミュージックを聴いて、なんか懐かしい気分になれて、すんなり受けいけられたのは、物心つくかつかないかの頃、この手の曲を聴いた記憶が、自分の奥底にあったからなんだろうな。

そう言う思いが、もしかしたらワタシよりちょっと年上のミュージシャン連中の多くにもあるのか、クールファイブの曲をカバーしてるヒトって意外と多いんだよね。それは、YOU TUBE見ても分かるんだけどさ。

その中でも一番ドギモ抜かれるのは、自らファンだったって公言してるサザンの桑田氏が歌ってるバージョンだろうねぇ

↓ コレ


これ86年のクリスマスに放送された「Merry X'mas Show」に放送された奴だけどさ。
ファンクというかビーチボーイズ風にアレンジされた「長崎は今日も雨だった」。 桑田氏がマジに前川清風に歌っているのが笑える
でも、それを抜いても、今に繋がるサザンの一部に受け継がれているよな、このメロディライン。






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恋の季節 / ピンキーとキラーズ

1968_10_恋の季節_ピンキーとキラーズ


今回の1曲セレクトは、「恋の季節」ピンキーとキラーズです。

まずはデータなのだ。

・タイトル    恋の季節
・アーティスト  ピンキーとキラーズ
・作詞      岩谷時子
・作曲      いずみたく
・編曲      いずみたく
・リリース日   1968年7月20日
・発売元     キング
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 207.7万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年9月16日〜1969年2月24日付

昨日の中村雅俊の「ふれあい」で、オリコン史上、初のデビュー曲ミリオンセラー・・・とか書いたんだけど、よくよく考えてみると、それ以前にも居たんだよな。デビュー曲ミリオンセラーを達成したヒトって。
 その辺の事情を知ってる方だったら、もしかしたら、クレームが来るかと思ったんだけども、とりあえず来ませんでしたねぇ・・・と胸をなでおろしているところだったりします

ネットの住人は、厳しいからねぇ・・・。ちょこっと間違えたりでもしたら、鬼の首を取ったようにクレーム入れてくる「輩」も多い訳で。。。
 普段から「誤植」が多い、ワタシとしては、そんなクレーム攻撃に耐えて、はや20年近く・・・。。。なんて感じだったりするんだけどさ。
 それでも、未だに誤植が治らないのは、これは性格ですね〜 ケケケケケ と、自分の間違いを、全く反省しないワタシだったりします。。。

ウム、オリコン最初のデビュー曲ミリオンセラー達成は、ザ・フォーククルセダースの「帰ってきたヨッパライ」ですわな。 ちなみに、これがオリコン最初のミリオンセラー達成曲でもある訳で。。。

次にデビュー曲で、ミリオンセラーを達成したのが、今回引っ張ってきた、ピンキーとキラーズの「恋の季節」と言う訳なんだけど。。

・・・と書いておいて、ここで、「ははんまた誤植してやがる」・・とピンと来た方は、かなりの歌謡曲通ですな。

ふむ、ピンキーこと今陽子さんは、ピンキーとキラーズ、結成前に「ピン」(ソロ)で既にレコードデビューしてたんですよね。だから、厳密に言えばデビュー曲ではないんだけど、「ピンキーとキラーズ」としては、この曲がデビュー曲というわけで、一応「デビュー曲ミリオンセラー」っていう記録には含むんだろうな、恐らく。

ただね、この曲の場合は、そう言う記録の他にも「オリコン記録」を持ってるからなぁ。
まずは、オリコン史上初の「ダブルミリオン」達成曲。そそそ200万枚を突破したのはこの曲がオリコンでは初めてなのですわ。

ま、とは言っても、オリコンがチャート発表を開始してから、1年も経っていない頃の出来事なんでね。それ以前にもダブルミリオンはあったはずですけどね。

それとなんと言っても、シングル1位獲得週記録ですわな。1位獲得週が17週。 これは48年経った今でも破られていない空前絶後な記録になっていますね。
 ま、もっとも17週連続ではなく、1968年9月23日付から、12週連続1位を獲得したのち、1週、12月16日付で2位に後退。 ただ、その次の12月23日付に返り咲き、再度5週連続で1位を獲得というチャートアクション。計17週1位獲得した訳ですわ。

ちなみに、「連続」1位は、72年〜73年にかけての宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」の16週連続・・っちゅう記録が、こりも未だに破られずに君臨してますな。

さらに、ちなみに、アルバムを含めた、全作品でのオリコン1位獲得週記録は、井上陽水のアルバム「氷の世界」の35週。なんせ1位返り咲きが5回なんて「アホ」としか思えないチャートアクションを展開した訳で。。。


チャートまにあとしては、どうしても、そういう「記録」の面でこの曲を見てしまいがちなんですが。。。

ま、個人的には、この曲がヒットしていた頃は、まだ生まれていないんで、もちろん「後付」で聴いた曲になってしまうんだけど、でも、この曲を聴くと、どうしても60年代後半の混沌としたような世相を感じるなぁ。

なんて言うのかな、サイケデリックな気分になるんだよな。
・・・てか、サイケデリックってどういう気分? って言われてもコトバではウマく説明できなんだけど、うーむ、兎に角、あの60年代終盤の空気感ですよ。
なんて言うのかなぁ、あの時代って、良い意味でも悪い意味でも、どこかグツグツと煮えたぎったような空気感がありましたよね。猥雑というか、ベトナム反戦、安保反対っていう世相の中で、すくなくともクリアな空気感ではなかったと思う。

そんな雑然とした猥雑とした匂いを感じるんだよな。この曲からは。

特にサビの ♪ 恋は ワタシの恋は〜 ♪ からは特にサイケデリックを感じるなぁ。

まあ、悪い意味で書いている訳ではなく、ある意味憧れなんだよね、この時代の空気を吸えなかったモノにとってはさ。

作曲は、いずみたく氏。 奇しくも昨日書いた中村雅俊の「ふれあい」も同じ、いずみたく氏の作品だったけど、このヒトは、この時代・・・60年代後半から70年代にかけて、ヒット曲の顔でしたよね。象徴って言うのかなぁ。

で、この曲もそうだけど、次年の由紀さおりの「夜明けのスキャット」も、やっぱりサイケデリック感満載でしたよね。

なんかね、この方の作品を聴くと、不思議な・・奇妙な気分になる曲が結構あるんだよなぁ。

そうだ、サイケデリック感って、ウマくコトバでは表せない・・・ってかいたけど、敢えてコトバで書くと、「奇妙で不思議な感覚」なんだ。空調に浮遊しているような・・・。
 なんでいうのかなぁ、ちょっとワルいクスリを飲んでハイになった気分・・って言うかね。

そそ、個人的に60年代終盤というと、こんな感覚なんだよな。 そう言う意味でも、いずみたく氏っていうのは60年代終盤の象徴的な存在だったような感じが強いなぁ。




ピンキーとキラーズって、コーラスグループっていう印象が強いかもしれないけど、れっきとした「バンド」なんだよね。ま、それは、この動画でも分かると思うけど。
そそそ、三枚目キャラだった「パンチョ(加賀美)」さんがドラム叩いてたのよ。
 ソロ時代の今陽子さんは、全く売れなかった訳だけども、「ヒンキーとキラーズ」になった途端、大ブレイク・・・って言う流れは、後年のLINDBERGの渡瀬マキさんと同じ・・と見てもらえれば分かりやすいかな。

 ちなみに、今陽子さん、当時17才。 うーむ、高校生には見えないよなぁ。
どう見ても20歳は超えてるような・・・・ってくらい大人っぽい・・というか色気があるよな。

 
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エメラルドの伝説 / ザ・テンプターズ

1968_07_エメラルドの伝説_ザ・テンプターズ


今回の1曲セレクトは、「エメラルドの伝説」ザ・テンプターズです。

まずはデータでする。

・タイトル    エメラルドの伝説
・アーティスト  ザ・テンプターズ
・作詞      なかにし礼
・作曲      村井邦彦
・編曲      川口真
・リリース日   1968年6月15日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 46.2万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年6月24日〜9月9日付

今回の1曲セレクトは、またまた時代を遡り、昭和43年、1968年の今頃の大ヒットを持って来ましょうか。

ザ・テンプターズ「エメラルドの伝説」。

少し前にゴールデンカップスの「長い髪の少女」を書いたんだけども、今一つアクセスが伸びなかったんですよね。
G.Sの中でもカップスは「A級」と呼ばれるG.Sグループではあるし、「長い髪の少女」も有名な曲ではあるけども、こと実際のレコード売り上げとなるとそれほどの大ヒットと呼べる訳じゃなかった訳で、アクセスが伸びないのもしょうがなかったかなぁ・・・とは思うとこがあったんたけどもね。
 今回セレクトしてきた、テンプターズの「エメラルドの伝説」は、レコード売り上げ的にも大ヒットの域に達している曲出し、なにより、オリコンで1位を獲得してますからねぇ。
さすがにもこの曲くらいになるとコアなG.Sファンじゃなくても、みなさんご存知ですよねぇ。

ちなみに、当時「G.Sブーム」と呼ばれていたなかで、オリコン1位を獲得しているグループってさ、このテンプターズの他では、ザ・タイガースしかいないんだよね、実は。
 当時、業界を席巻していた一大ブームだった「G.S」だけども、その割にはオリコン1位を獲得するくらいの超大ヒット曲と言える曲は意外と少ないんだよね。
それだけ当時のオリコン1位は、獲得自体が難しかった訳で、特別な順位だった訳なんですよね。

だからこそ、ザ・タイガースとテンプターズは、G.Sの中でも「東西の雄」と呼ばれるくらい超A級なグループだった訳なんだけどもさ。
 京都出身、西の雄「タイガース」に対して、大宮出身、東の雄「テンプターズ」っていう構図でしたよね。
さらに言えば、タイガースのジュリーこと沢田研二氏に対して、テンプターズの萩原健一氏って言う人気争いって言うの構図でもあったかなぁ。

ただし、オリコンって、この1968年に始まっているんで、例えば、150万枚売れたって言われるブルーコメッツの「ブルーシャトウ」なんかは、ヒットのピーク時は対照外になっているから、あくまでも暫定的な見方なんだけどもさ。

ちなみに個人的な好みから言えば、正直、タイガースよりはテンプターズのかなぁ。 うん、音楽的な好みという点ではね。
 例えば、この曲の前の「神様お願い」なんてさあ、アウトロー的な雰囲気があったじゃん。

よく、タイガースvsテンプターズの構図を、ビートルズvsローリングストーンズになぞる事があるんだけども、その点からしてみれば、個人的にはローリングストーンズなんだよね。

 どちらも「黒っぽい」点が似てるって言うかさあ、やっぱり、なんか「品がある」ダイガースに比べれば、アウトローな方が好きなんだよなぁ。

ただね、この「エメラルドの伝説」については、そんなアウトローな雰囲気からは離れ、どちらかと言えばメルヘンチックな「歌謡曲」寄りになってしまいましたよね。

まあ、当時のウレ線と言うかね、G.S的な「大衆路線」が、この路線だったんだよね。
だからこそオリコン1位を獲得出来んだろうし、テンプターズにとって最大のヒットになったんだろうけどさ。

前曲で見せたようなアウトローな雰囲気は陰を潜め、一転してヨーロッパ系なイメージでしたよね。

そそそ、当時はこのヨーロッパ系っていうのが、一番のトレンドだったんだよね。北欧系とかフレンチポップス的な雰囲気の曲ですね。

 いつかも書いたような気がするんだけども、北欧系とかフレンチポップスって、日本の歌謡曲と相性がいいんだよね。一番相性がいいのは、どちらともメロディ的にも、サウンド的にも喜怒哀楽がはっきりしてるじゃん。
そのメリハリの良さが日本人って好きだからなぁ。
 それと、北欧的なイメージの一種の憧れって日本人にはあるからなぁ。少なくともエスニックなアジアにはないメルヘンの世界を感じるじゃん。
 今でこそネットでもテレビでもヨーロッパ的な風景はすぐ見られる訳で、当時に比べれば全然身近になったと思うけど、60年代当時は、遠い世界でしたからね、今とは比べ物にならないくらいの憧れはあったんだよね。

そんなメルヘンの世界が、この曲でも展開されている訳ですわ。

でも、曲的にも、この曲いいよなぁ・・って感じたりするんだよね。

タイガースには、すぎやまこういちっていう天才コンポーザーがサウンドプロデューサーとして付いていた訳で、だから、音楽的には良かったんたげども、同様にテンプターズには、村井邦彦氏っていう、こちらも天才プロテューサーが付いてましたからねぇ。

 村井氏は、この辺りを起点に、70年代に向かってニューミュージックを展開していくことになる訳で。
もともと、ヒット曲の世界にはニューミュージックをきっかけに入ってきたワタシなんで、だからね、個人的に音楽的には村井氏の音楽の方が、すぎやま氏よりは、馴染みが深いし、好きなんだよなぁ。

タイガースより、テンプターズの方がしっくりくる・・・っていうのは、その辺りも大きいかもしれないな。

それと、この曲のアレンジャーは川口真氏。 川口氏が作曲・編曲の時には、ベースラインを聴け・・って言うけど、この曲のベースラインも然りですねぇ。

Bメロの ♪ 遠い日の 君の幻を〜 ♪ の部分のシェイク気味に細かく動くベースライン、サビの ♪ あいたい 君に会いたい〜 ♪ の高音でのシンコペーションなベースラインは、流石に川口氏だよな・・・なんて感じ入っちゃたりね。

そんな音楽的にも面白い1曲だな・・・と感じてしまう、テンプターズの最大ヒット曲だったりするんだよね。






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長い髪の少女 / ザ・ゴールデンカップス

1968_06_長い髪の少女_ザ・ゴールデンカップス


今回の1曲セレクトは、「長い髪の少女」ザ・ゴールデンカップスです。

まずはデータです。

・タイトル     長い髪の少女
・アーティスト   ザ・ゴールデンカップス
・作詞       橋本淳
・作曲       鈴木邦彦
・編曲       鈴木邦彦
・リリース日        1968年4月1日
・発売元      東芝音工
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  19.2万枚

本来やりたいと音楽と、売れるための音楽のせめぎ合い。
プロのバンドマンにとっては、ここが一番頭が痛いところだろうね。本当はもっとマニアックな音楽をやりたいのに、「食うため」には、「大衆音楽」もやらなくちゃいけない・・・と。
 ま、最初から売れなくていいから自分たちのやりたい音楽を・・・と腹くくって、ずっとインディーズでやれる人たちはいいけど、こと、メジャーレーベルの「売れっ子」になればなるほど、その辺りがネックになってくるんじゃないかなぁ。
それは、今だけの話じゃなく、昔からある事なんだよね。 

今回は、そんな本当はやりたくなかったんだけど・・・・っていう、G.Sの曲をひとつ

ザ・ゴールデンカップス「長い髪の少女」。

G.Sでもっとも「硬派」なポジションに君臨し、こと、音楽についても「ホンモノ」を追求してきたカップスの、3枚目のシングルであり、一番売れたこの曲。。。

・・・だけど、本人たちは当初、かなり渋ったらしいですね。この曲をリリースするの。

なぜか・・・というと、最初に書いたように、本来自分たちがやりたかった音楽とのギャップが大きいから。

メンバーのほとんどがハーフであり、向こうの特にR&Bを得意とし、演奏テクニックも他のG.Sに比べ抜きんでてた「本物志向」の彼らにとっては、「歌謡曲」イズムなこの曲は、どうしても陳腐に映ったんだろうねぇ。

 当時、東芝音工の意向もあったのか、オリジナルのシングル曲は、基本、歌詞は日本語だったけど、どうも、それも陳腐に映る一つだったのかもね。

当時は、まだ、ロックに日本語は乗らない・・・って言うのが通説で、本物志向を目指すミュージシャンにとっては日本語ってたけで「ニセモノ」っぽん感じられたんだよね。
 だから、当のゴールデンカップスも、ステージではほとんどオリジナルのヒット曲はウタをなかったっていうんだからさ。

そそそ、シングルはあくまでTVなどのプロモーション用。本当の自分たちの音楽は別にあるって感じだったんだよね。


まあ、確かに聴いてみるとギャップを感じるんだよな。本来、このヒトたちのテクニックって、当時のレベルからすれば、超絶的だったんたけど、そんなテクニックも必要ない平坦な曲だし、なんと言っても歌謡曲テイストっていうのがね。。。バックにストリングが絡んでくる・・・っていうのは、R&Bをやってる彼らを聴いてると、ちょっと違うよなぁ・・・って思わずには居られないんだよね。
 
 どうも、当時のキャバレーとか、大衆酒場的な下世話な感じがしちゃってさあ。

でも、これが当時のウレセンだったからさあ、ウレセンを狙うとしたら、この路線に行くしかなかったんだろうなぁ。
だから当たった・・・って言うのもあるんだよね。

それでも、本来はメインボーカルだったはずのデイブ平尾氏は、どうしようもなく抵抗があったのか、この曲、メインボーカルじゃないんだよな。
 サビの部分で、 ♪ どうぞ〜 ♪ とか ♪ つらい〜 ♪とか掛け声的なコーラスを歌ってるだけ。
メインボーカルは、ドラムスのマモル・マヌー氏でしたね。

まあ、当たったと言っても、オリコンでベストテン内に入った訳じゃない訳で、超がつく程の大ヒットではなかったのは数字が表しているかな。
 
後の80年代アイドルと同じで、A級、B級、C級といった相対的な格付けがあるG.Sだけど、もちろんゴールデンカップスは、A級なG.Sな訳だよね。
 それでも、実際の売り上げ的には、こんなもんだったんだよね。 この曲がリリースされた1968年はG.Sブームの頂点の年だった訳だけども、相対的なレコード売り上げとしては、「歌謡曲」路線が絶対的だったけでさ、G.Sは、ほとんどが売り上げ枚数的には意外に少ないんだよね。

もっともアイドル的な人気だった、タイガースやテンプターズは別として。

ただ、カップスの場合、あくまで音楽的な本格志向として、こののち本格的にニューロック路線に移行。その後の日本のロック路線の礎となっている訳だよね。 


本当はヒット当時の映像があれば、リンクしたかったんだけど、なんせ50年近く前の曲だからなぁ、ある方が奇跡か。。。後年の再結成後の「オヤジ」になったころのは結構あるんだけどな。
でも、なんか違う・・・んで、レコード音源にリンク

http://www.dailymotion.com/video/x82qss_%E3%82%B6-%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3-%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9-%E9%95%B7%E3%81%84%E9%AB%AA%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%A5%B3_music

やっぱりバックにストリングが絡んでくるアレンジは、彼らの曲としてはちょっと違うよなぁ・・・っていう感じがしますね。
まあ、だからこそ聴きやすいって言うのもあるし、60年代っていう時代背景的な匂いがするんだけど。。。


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花の首飾り / ザ・タイガース

1968_05_花の首飾り_ザ・タイガース








今回の1曲セレクトは「花の首飾り」ザ・タイガースです。

まずはデータです。

・タイトル    花の首飾り
・アーティスト  ザ・タイガース
・作詞      菅原房子
・補作詞     なかにし礼
・作曲      すぎやまこういち
・編曲      すぎやまこういち
・リリース日   1968年3月15日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 67.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年4月8日~7月8日付

G.Sの曲についても書きたい・・・なんて前々から書いてたりするんだけど、これまでなかなか足を踏み入れられなかったんだよな。
個人的にヒット期間とかリリース日が曖昧な曲があったりしてちょっと躊躇してた部分と、悔しいけど、自分がリアルタイムで経験してこなかった時代なんでどうしても腰が遠のいてしまっていた部分とがあったりするからかなぁ。
 そそそ、G.Sの曲って、自分の中では「後付」な曲が多いからねぇ。やっぱりリアルタイムで聴いてきた曲の方が筆が進みやすい訳でね。

今回セレクトしてきた曲、ザ・タイガースの「花の首飾り」。

言わずと知れた、タイガースの中で最もヒットし、売り上げ枚数も多かった曲な訳で、ほとんどの方は曲をご存じだと思いますが、この曲も、個人的には「後付け」に聴いた曲なんだよなぁ。
 1968年のヒットだからねぇ、ワタクシは「-1」才。 そそそ、まだ生まれてなかった訳ですよ~。生まれる1年前の話ですね。だからし、リアルタイムで経験したくても経験できないわけですよ~。

でも、この時代を経験できなかった・・・っていうのは、個人的には、ちょっと悔しいんだよなぁ。
昭和元禄っていうコトバが広まり、70年安保に向けて良しにつけ、悪しにつけ、世の中がグラグラと沸き立っていた時代。「後付け」世代にとっては、なんかワクワクしちゃうんですよね。
音楽業界では、66年頃から火がついてきた「G.S」がブームの頂点になった年ですね。

そんな「G.S」ブームも頂点を迎える中、この「花の首飾り」がリリースされた訳なんですよね。
売り上げ枚数67.6万枚は、タイガースの中でも最高売り上げを記録した訳でさ。

え? そんなもんなの? なんて思われるかもしれないけど、そんなもんだった訳です。
何分、時代が時代だった訳でさ、まだレコードプレイヤー持っていた人は限られていた訳でさ、しかも、タイガースといったら、今のジャニーズ以上のアイドルだったわけじゃん。
 アイドルなだけにファンの中心は低年齢層な訳でさ、余計レコードプレイヤーを持っていたヒトなんて限られていたに違いないですよね。
 そんな中での67万枚と、当時からいえばかなり売れた曲と言えるんだよね。
現に、オリコンのチャートアクションで言えば、当然のごとく最高1位を獲得。しかも4/15~5/27付まで、7週連続でロングラン1位獲得。ベストテン内には3ヵ月間ランクインと、G.Sの中でも段違いなヒット傾向を見せていたりする。だからこそ、G.Sの雄とも言えたタイガースな訳だけどさ。

ま、とは言っても、オリコン自体は、この年1968年からスタートした訳なんで、前年までの曲については「未調査」なんだけどさ。
 だから、G.Sの中で一番売れたと言われる、ブルーコメッツ「ブルー・シャトウ」の正式な売り上げ枚数も分からないんですけどね。

それでも、オリコン開始以降では、この曲が、G.Sの中では段違いな売り上げを見せていた事は間違いない訳なんですよね。

それじゃ曲の方は・・・昔はさあ、個人的には好きだったんだよね。
でも、今聴くと、なんか違うんだよなぁ。決してキライになった訳ではないんだけど、どこか違和感を感じるんですよ。

それは、やっぱり、曲自体が歌謡曲に近いからなんだろうね、きっと。 グループサウンズと言っても守備範囲はめちゃくちゃ広い訳で、それぞれのグループの個性によって、歌謡曲系、ロック系、ポップス系、演歌系・・・とかなりはっきりとマトリックス区分けが出来るんだけどさ。
 個人的には、最近では、この後70年代のはっぴいえんどに続く、ニューロック系的なG.Sに興味がシフトしちゃったからさあ。
 歌謡ポップス系のG.Sはちょっと違うな・・・なんて最近は思えるようになっちゃったんだよね。だから、、このタイガースとか、同68年ではオックスとかさあ、歌謡ポップス系なG.Sのサウンドはちょっと違うんだよなぁ・・・なんて思っちゃったりするんだよね。
 同じ、歌謡ポップス系でも、タイガースと人気を二分した、テンプターズは良いんですよ。品行方正なタイガースより、ちょっとヒネテルようなところや、なにより音が黒っぽいところが、よりロックを感じるしね。

それから見ると、特にこの曲なんかは、より「アイドル」を感じちゃったりするんだよなぁ。 まあ、楽器をやりながら歌っている訳で、G.Sなんだけどさ、本質的にはアイドル。
 その後、70年代のレイジー、80年代のチェッカーズ、C-C-Bと続く系譜だよね。
昔は、この手のサウンドが一番安心できたんだけどねぇ、最近は。。。。

でも、この手の、よりアイドルに近い音楽の方が、売り上げ的には一番売れてる訳でさ。そう言う意味では、今も昔も日本人ってアイドル好きなんだよね・・・なんて言うのが分かりますねぇ。






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青年は荒野をめざす /ザ・フォーク・クルセダース

1969_01_青年は荒野をめざす_ザ・フォーク・クルセダース






今回の1曲セレクトは、「青年は荒野をめざす」ザ・フォーク・クルセダースです。

 まずはデータです。

・タイトル    青年は荒野をめざす
・アーティスト  ザ・フォーク・クルセダース
・作詞      五木寛之
・作曲      加藤和彦
・編曲      川口真
・リリース日   1968年12月5日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 17位
・売上げ枚数   12.6万枚

 昨日のSIAM SHADEをから時代は、一気に29年さかのぼりまする。 今回はひっさびさの「60年代」の曲です。 

ザ・フォーク・クルセダース  「青年は荒野をめざす」

この曲とは直接関係は無いけど、EAGLESのオリジナルメンバー、グレンフライ氏が亡くなりましたね。
先日のデビットボウイといい、年明けそうそうから大物アーティストが次々と亡くなる年となってしまいましたねぇ。

 イーグルスといえば、どうしても「ホテル・カリフォルニア」。 その「ホテル・カリフォルニア」の歌詞に

「あいにくながら 1969年のスピリットが切れまして・・・・」

と言う部分がある。

そう、「ホテル・カリフォルニア」って言う曲は、内容的にいろいろ言われてたりするけど、大雑把にいえば、1969年⇒カウンターカルチャーの時代が終わった後の、喪失感、いわいる「シラケ時代」を歌った歌なんだよね。

そんな1969年って言う時代。 世界的に見ればベトナム反戦熱が最高潮に達し、その熱がカルチャーにも及んだ年。方や日本では、ベトナム反戦にプラスして、70年安保阻止にむけて学生運動が最高潮に達した年。

 そう言えば、一昨日1月18日は、「東大安田講堂」が陥落した日だ。1969年1月18日。今から47年前ですね。

そんな世間全般が、いろんなところでグラグラと煮えたぎっていた年なんだよね。

今回、セレクトしてきた、「青年は荒野をめざす」は、まさにそんな時代を象徴した様なウタですね。


 この曲は、フォークルにとっては、デビュー第4弾であり、ラストシングルでもある。
 いや、正確に言えば、すでに、解散した後にリリースされたラストシングルと言ったほうがいいかなぁ。

 フォークルの解散は、1968年10月。 で、この曲がリリースされたのは同年12月だから、そういうことになるね。

 曲調は、タイトルからも、ある程度は想像できるかもしれないけど、もろ、マカロニウェスタン風。そこにストリングスを中心としてオーケストラを絡ませて、さらに雄大なイメージに仕上げている。

 それでいて、ラストのギターのアルペジオが哀愁をさそう。

 まあ、ゆうなればラストシングルとしてはぴったりの曲かもしれない。

 ただ、終わりは、また次の始まり・・・っていう言葉もあるように、フォークルとしては終わった・・・けど、次のステップの始まりともとれそうな曲調なんだよね。
 つまり、そこで、プッツリ切れていないようなイメージもあるんですよ。まあ、それは、その後の展開を既に知っているからそう感じるのかもしれないけど。。 もし、1968年12月の時点でこの曲を聴いていれば、また、別の感じもあったかもしれない。

 ・・・けど、あいにく、1969年1月では、ワタシは、まだ生まれていなかったもので。。。

 とにかく、あの時代の空気感は感じる事が出来る曲ですね。
 ま、たしかに、売上げ的にはそれほど伸びなかったけどさ。。。



 ウタと、画像は直接的に関係は無いけど、あの時代を知っている方は、懐かしい風景がたくさんあるんじゃないかなぁ。
 こういう画像とウタがリンクしていると、やっぱりウタっていうのは、世相を反映しているもんなんだなぁと思いますね。まさに歌は世につれ世は歌につれなんだすよね。
 個人的には、都電がねえ。。。道の真ん中を都電を走っている風景って知らない世代なんでねぇ。



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真冬の帰り道 /ザ・ランチャーズ

1967_11_真冬の帰り道_ザ・ランチャーズ






今回の1曲セレクトは、「真冬の帰り道」ザ・ランチャーズです。

・タイトル    真冬の帰り道
・アーティスト  ザ・ランチャーズ
・作詞      水島哲
・作曲      喜多嶋修
・編曲      喜多嶋修
・リリース日   1967年8月5日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 (23位)
・売上げ枚数   (5.9万枚)

 今回は、ぐーーーーーーっと時代を遡ってみますぞ。 久々に60年代にタイムスリップ


 しかし、今日は寒かったですね。一日曇天だったせいもあってほんとに「真冬」の日和でしたわ。

 そんな日はやっぱり、この曲に限るなぁ。
 「ウインターソングコレクション」と言ったら、私の場合は、この曲は絶対に入れたくなる1曲ですね。

 ザ・ランチャーズ 「真冬の帰り道」

多分、これ読んでいる方は、「え? だれ?」っていうかたも多いかもしれないけど、昔・・・といっても、すでに50年近く前だけど、グループサウンズ全盛期に活躍されていたグループ、まあ、今で言えばユニットですね。

 メンバーは

喜多嶋修  ギター  ボーカル
大矢 茂   ギター
渡辺有三     ベース
喜多嶋瑛  ドラムス

喜多嶋修氏は、あの喜多嶋舞さんの親父さんですね。 そそそ後に内藤洋子さんと結婚した・・・。


 それはそうと、この曲リリースが8月5日ですか・・・・。真夏に「真冬の帰り道」とは、これ如何に。。。
 そのくらい当時はヒットまでに時間を要したってことなんですかねぇ。
 ただ、これは、オリコン発表のモノで、wikipediaでは11月25日になってたりする。。。 

むむむむ、これはどっちが正しいんだ


 ちなみに、今回のデータは、この曲のリリースがオリコン創刊以前のリリースなんで暫定のものでする。。。
( )付なのは、とりあえずオリコン創刊後の68年1月以降でのデータね。
 なので、実際は、これよりは高ランク、売上げも全然上になっているはずです。



 このヒトたち、その昔、加山雄三のバックバンドだったんだよね。まあ、そういうこともあって全員、慶応ボーイの「お坊ちゃま」っというわけですわ。

・・・といっても、あのころは、バンドやってるなんていう身分の方々は慶応、青学、成城、立教・・あたりのお坊ちゃまが大半だったからして・・・・。

 まあ、そのあたりは曲のイメージにも出てるかなぁ。この曲の行儀のよさというか、清潔感というか、この品行方正のよさはやっぱり、慶応ボーイならではのもんではないですかねぇ。
(⇒スイマセン、半分やっかみです。。。)


・・とはいうものの、この曲はいいですよ。「真冬の〜」とタイトルには、ついてるものの、「冬」の寒々しいイメージは全くない。やっぱり加山雄三のバックをやっていただけあってか、イメージ的には「若大将」的な青春が輝いている・・・っそういうイメージなんだよね。

プラス当時としては演奏力もかなりある。ギターはリーダーの喜多嶋氏自ら弾いてるのかな? 加山雄三直伝なのか、かなりの腕前だよね。

まあ、時代が時代だから、多分グループサウンズに分類されるのが適当なんだろうけど、個人的にはカレッジポップスに分類したくなりますね。
 ・・・というのも、GS独特のガレージ的な重く湿ったところがないんだよね、このヒトたち。あくまでカラッとしてるんだよなぁサウンドが。そういう所はロックというよりもポップス って感じなんだよね。


あ、このヒトたちも東芝音工(後の東芝EMI)なんだよなぁ。まあ、師匠格の加山雄三も東芝だったし、だから、同じく加山雄三のバックだったワイルドワンズも東芝だったしね。

 やっぱし、昔の東芝は、名曲の宝庫ですわ。
ちなみに、この曲は、当時の曲の中でもかなりCD化されているので、今でも簡単に聴く事が出来ます。
(たしか青春歌年鑑67年版にも収録されているんぢやないかな)

もしよかったら、聴いてみてくだされ。
兎角、淋しい「真冬の帰り道」も楽しくなりますよ、きっと。


 ちなみに、ベース担当の渡辺有三氏は、後のキャニオンの名ディレクターですね。中島みゆき、ツイスト・・・など数々のスターアーティストを手がけ、田原俊彦なんかも担当してましたよね。

グループサウンズって、特にB級になるほど、のちのち(音楽)業界の裏方として成功している方が多いんだよね。




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