かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1970年代ヒット曲

悪魔がにくい / 平田隆夫とセルスターズ

1972_02_悪魔がにくい_平田隆夫とセルスターズ



今回の1曲セレクトは、「悪魔がにくい」平田隆夫とセルスターズです。

まずはデータです。

・タイトル    悪魔がにくい
・アーティスト  平田隆夫とセルスターズ
・作詞      平田隆夫
・作曲      平田隆夫
・編曲      土持城夫
・リリース日   1971年8月10日
・発売元     ミノルフォン音工
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   72.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1971年12月13日〜1972年3月6日付

ヒット曲を追い続けてかれこれ45年になる。 その間、リアルタイムで聴いてきた曲は、もちろんのこと、リアルタイムで接してこなかった曲についても、45年の間に後追いで追っかけて曲を認知したり、音源を集めた曲もだいぶ増えたな。
 それらについては社会背景とかアーティストについても後追いで調べたりした曲が多いわけで、ヒットの背景が見えた曲が多い。

でもねぇ、いまだにこの曲がなんでここまでの大ヒットになったのか・・っていうのが、よくわかんない曲もありますね。

特に70年代初期以前の曲かなぁ。 自分が物心つく前の曲ですね。
まあ、G.Sとか、フォーク系を含む、のちのロック、ニューミュージック系の源流はちょこちょこ独自に遡ってきたりしたんで、徐々に「あの時代」について分かったりしてきたんだけども、こと歌謡曲となると、謎な部分が多いのよ。

うちのオヤジが いわいる「歌謡曲」という音楽には興味がなかったせいか、うちにはその手のレコードもなかったし。。 
今、ネットを調べても、意外と出てこないのが、この手の音楽についてなのよ。

ネットでのこのジャンルの書き手のヒトも、少ないからなんでしょうかね? 
例えば、生業でこの時代、リリースされた楽曲について作詞、作曲者についてネットを調べても出てこない曲がちょくちょくあるんだよね。

某Jさんの作品データベースを調べても出てこなかったりして。。。
(某Jさんのデータベースは、昔のカード管理の時代から現在のデータベースに移行する際、直近で利用実績がない、将来的にも利用されないであろうと思われる古い曲は消去しまった曲もあるとのこと。 
だから70年代の曲とか出てこない曲もあるのよ。むろん、オリコンにはランクインしてこないような、今となっては誰も知らないような超マイナーな曲ではあるけども。。。)

この手の曲については精通している方たちも、もう鬼籍に入られているとか、かなりのご高齢であると思われ、まあ、だから、今となってはネットでの空白地帯になっているのかもしれないけども。。。

今回は、そんな、今となっては、あんまり情報が出てこない大ヒット曲を一つ



平田隆夫とセルスターズ 「悪魔がにくい」

今から52年前の、1972年の今頃、オリコンで首位を5週間も続いていた大ヒット曲なんだけどね。
ネットを調べても、ほとんどこの曲については出てこない。

むろんwikipediaには項目があるけども、他、音楽評論家とか個人で書かれているブログは、ほとんど出てこないな。

そんじゃ、おめーはどうなんだ? と言われそうだけども、正直、ワタシも、なんでこの曲が、ここまでの大ヒットになったのかっていうのが、よくわかんないのよ。

この曲がヒットしていた頃ってたいったら、ワタシゃ 2才6か月。 
むろん、リアルタイムでは聴いた記憶が全くないわけで。。。

はじめて曲の存在を知ったのも中学生になってオリコンを見るようになってからですね。
オリコンでの累積売り上げは72万強となっているけども、1972年当時の70万枚なんて相当なヒットですよ。それこそ、誰でも知っているような。 しかもオリコンで1位を5週もとってたわけだから。。。
現に、あの頃オリコン歴代売り上げ上位にランクしてた曲は、リアルタイムじゃなくても、ほとんど認識できたからさ。

でも、この曲はワタシにとっては謎だったんだよね。 まあ、だから余計興味は持ってたんだけども。。。

曲を初めて聴いたのは、さらに10年近く後。 
ニッポン放送で、オリコンウイークリー600号を連動して、当時のオリコンシングル売り上げTOP500を半年かけてカウントダウンして言った番組を聴いたときですわ。

よくわかんなかったな。 ほんとにこの曲が70万枚? っていう感想。

このクラスのヒットになると、かならず、フックなるようなインパクトってどこかしらあるもんなんだけども、この曲からは、そういうインパクトは感じなかった。

だから余計、謎に感じるんだよね。 あ、これは、手元に音源がある、今でも変わんないですね。

・・となると、ここまでヒットするような時代背景とかあると思うんだけどね。
悔しいかな、個人的には、そのあたりを直に体験していないからなぁ。 むろん、同じ空気は吸っていたんだけども、まだ物心ついてなかったから。。。。


wikepediaを読むと、リーダーの平田隆夫氏は、武蔵野音楽大学を出て、ダン池田氏率いる「ダン池田とアフロキューバン」というラテン系のジャズバンドのピアノを担当。 
のちに「ザ・ルビーズ」というG.Sのギタリストだった菊谷英二氏とセルスターズを結成。
セルジオ・メンデスの「マシュケナダ」のようなラテンバンドを目指すとある。

これを読んで、ははん・・と腑に落ちたなぁ。

この「悪魔がにくい」のイントロの冒頭、ピアノのリフが「マシュケナダ」だもの。

つまりはさ、この曲、ラテンなんだ。

・・なんて書くと、 いやー、めっちゃ歌謡曲じゃん って思われちゃうと思いますけど。。

あの時代、まだまだ歌謡曲は絶対だったんだよね。日本で売るためには。

ポップスだろうが、ロックだろうが・・なんだろうが。 あの時代の大ヒット曲を、今聴くとみんなそうだもの。

根っこの部分は、ロックや、ポップス、ラテン、ジャズ・・といわいる「舶来」なリズムであっても、表層的な部分では、4-7抜きっぽいメロディラインが主流の歌謡曲なわけでさ。

まあ、そんなわけが分かんないようなミクスチャーがあの時代の歌謡曲の主流なわけで。

うん、今、外人が日本の曲に興味を持って、面白がってくれているのは、外人からみるとそんな、訳が分かんない、少なくとも自分たちの文化、音楽には絶対にありえなかった、不可思議なミクスチャーなところなわけじゃん。

でも、今考えると、あれが、あの頃の日本人としての本質だったんだよね。

でも、それでは物足りない、もっと外国に近づきたい・・っていう若者が徐々に現れだしたのが、同じ70年代初頭なわけで。 そういう人たちが台頭し、新たな音楽の地平であるニューミュージックが、そのあと台頭して行ったわけですわ。


72年の今頃と言ったら、そんなミクスチャー歌謡曲がヒットチャートでは全盛だった時代。
そう考えると、この曲なんかはヒットするべくしてヒットした曲だったのかもしれないな。

で、ワタシは、もっと外国カルチャーに接近した、ニューミュージックがヒット曲の原点になっているからさ。 この手のミクスチャー歌謡曲はよくわからん・・と以前感じたのも、当然だったのかもなぁ。。。





この曲がヒットした当時のセルスターズのメンバーは

・平田隆夫 ピアノ
・菊田英二 ギター
小井修  ベース
松山徹  ドラム
村部レミ リードボーカル
みみんあい ボーカル

っていう面々。

今思うと、美人だったレミさんのリードボーカル 、かと思えば、トンボメガネにあか抜けない三枚目な様相の みみんあい っていうツインボーカルがビジュアル的には面白かったのかも知れないな。


ちなみに、You tubeで↑を見ると、コメントに「天才バカボン 商品付きの歌合戦でパパが歌った曲」って、いくつも書き込みがあるんだけども。。。

いやー、「
天才バカボン」は、日テレの夕方5時半から繰り返し再放送してた時に、何回もみたけども、覚えてないなぁ。。。。


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舟唄 / 八代亜紀

1979_11_舟唄_八代亜紀






今回の1曲セレクトは、「舟唄」八代亜紀です。

 まずはデータデス。

・タイトル     舟唄
・アーティスト   八代亜紀
・作詞       阿久悠
・作曲       浜圭介
・編曲       竜崎孝路
・リリース日    1979年5月25日
・発売元      テイチク
・オリコン最高位  15位
・売上げ枚数    38.4万枚

 タイトルをみてどうしちゃったの? と思われる方もいらっしゃるでしょうけど、先ほどの山本譲二に続いて、演歌です。

 はい〜 八代亜紀 の「舟唄」。

 でもさ、冗談抜きで、八代亜紀の唄が「染みる」年頃になってきちゃいましたよ、ワタクシも。
 この「舟唄」なんて聴いてシミジミしちゃう、お年頃ですよ。30代も半ばを過ぎると・・・。 あ、これ冗談ぢゃなく・・。

 大体において、酒を飲むにも、みんなとワイワイというよりも、この唄のように場末の酒場で、ぬるめの熱燗と肴にスルメで一人酒・・・っていう雰囲気の方が最近はいいんだよね。

 そういう雰囲気には演歌ですよ。でもさ最近の演歌はダメよ。雰囲気がない。やっぱし、八代亜紀でなくては。

  ほら、昔、とんねるずも「迷惑でしょうが・・・」で歌ってぢゃん。あの雰囲気ですよ。

 この曲は79年の今ごろから、80年の頭にかけて大ヒットしたんだけど、考えてみたら、当時から、この曲、臆することなく聴いてたよなぁ。高々の10歳のガキでも。。

 いや、あのころは、演歌は普通に耳に入ってきてたし、子どもながらにも普通にうけとめていたよねぇ。
 ま、それが、普通の歌謡曲とうけとめていたし・・・。

 だから、個人的には必ずしも演歌も生理的にダメでは本来はないはずなんだよね。
 でも、最近の演歌はダメなんだよなぁ・・・。なんでだろ?
時代的にシックリこないって言うのもあるかもしれん。 それと、聴いてる環境もあるかもしれん。

 やっぱし、演歌はド田舎で聴くべし。少なくとも都会のど真ん中できく音楽ではないもんなぁ。

 そそ、この「舟唄」がヒットしてたころは、私ゃ、福島のド田舎におりましたしね。
 田舎の、さらに、「大衆食堂」とか「そばや」のAMラジオから流れてくる演歌っちゅうもんが、本当の演歌なんぢゃなかろうかねぇ。
 NHKBSで「ステレオ」できく音楽ぢゃないですよ。。。 やっぱ、「モノラル」ラジオから流れてくるシケた音じゃなきゃ、グッと来ないですね。 
 うーん、この辺の感覚は、「平成」生まれの若い方には分かんないかもなぁ。やっぱ、昭和の産物なんでしょうねぇ、これは。

 おっとっと、「舟唄」からずれましたね。

この曲ってすごく、視覚的な唄ですよね。
 しょっぱなの

 ♪ お酒はヌル目の燗がいい 肴はあぶったイカでいい ♪

・・・ってとこで、すでに曲の中の情景が立体的な視覚となって浮かんでくるぢゃないですか。
 しかも、浮かんでくる絵は、とっても貧乏臭い。 これですよ、演歌の世界は。人間の心の隅にあるしみったれた世界。

 時に年取ってくると、なぜか、このしみったれた世界が恋しくなってくるんだよね。

 ま、それでも気分的なところもつよいから、いつも、そういう気分になっているわけではないですけど・・・・。
 
 たまには演歌もいいよね・・というところで・・。




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女性 / 南沙織

1975_01_女性_南沙織


今回の1曲セレクトは、「女性」南沙織です。

まずはデータです。

・タイトル   女性
・アーティスト 南沙織
・作詞     有馬三恵子
・作曲     筒美京平
・編曲     高田弘
・リリース日  1974年12月21日
・発売元    CBSソニー
・オリコン最高位 23位
・売上げ枚数  9.3万枚

最近、70年代アイドルの再掘り起しをしてるのね。
年代的にリアルタイムで聴いてた曲もあるけども、あくまでベストテン入りした大ヒットが多いのよ。だから、特に、人気に少し陰りが見え「全盛」を過ぎたころの曲って、リアルタイムでは、今一つ耳にしたことのない曲も多い。

70年代アイドルってほとんどの人たちが「全盛」の頃って意外と短いからさ。

先日の紅白で、キャンディーズの伊藤蘭さんが出場ってことでかなりの反響があったけども、キャンディーズだって、デビューから解散まで4年半ですからね。

前も書いたかもしれないけども、ウチはオヤジがアイドル系がキライだったからさ。歌番組でアイドル系が出てくると、途端にチャンネル変えちゃうヒトだったから。。

まあ、「ザ・ベストテン」は強制的にチャンネルを占拠したんで、ベストテンに登場した曲はアイドルだろうが何だろうがリアルタイムなんだけど、例えば「8時だヨ 全員集合!」なんかは、歌の時間になると、ウラのプロ野球に変えちゃうヒトだったから。。。

70年代アイドルの曲っベストテン・ヒットの曲でも、リアルタイムで聴いた記憶ないなぁ・・って曲もあったりするのよ、個人的に。

っつうことで、まずは手始めに、天地真理さん、南沙織さん、麻丘めぐみさんあたりから、掘り返してたりするんだけど。。。

お三方の全盛期後のベストテン入り外の曲を、ざっくりと聴いてみると、 天地真理さん、麻丘めぐみさんは正統的な歌謡曲方向にシフトして行っているのが、なんとなくわかってきますね。

年齢的にアイドル期は長くは続かない。と、当時、見ていたことがよくわかるな。

ただ、性急に大人の「歌手」への転換を求められていたようなところがあり、全盛期との曲のギャップに戸惑う。

当時のオーディエンスはどうだったんだろう?  オリコンの売り上げ推移から、急激に落ちて行っているヒトも多いことから、やっぱり多くのオーディエンスたちは戸惑ったんじゃないのかなぁ。。

そんな、「大人の歌手」の方向へベクトルを向けた人たちが多い中、南沙織さんは、ちょっと方向性が違うんだよね。

いや、確かに「大人」へのステップを踏んでいるんだけども歌謡曲ではない。どちらかと言えばアーティスト、あの当時台頭してきたニューミュージックへコミットしていく匂いが強かったりするんだよね。

もっとも、返還前の沖縄出身の南沙織さんに「和」テイストの歌謡曲への転換は似合わなかっただろうし。本人も嫌だったろうし。。
ただ、そんな傾向が当時、洋楽志向が強かった大学生にも受け入れられたとは言われてたりしますね。


今回引っ張ってきた南沙織さんの「女性」。

この曲は1974年12月にリリースされた、14枚目のシングル。 すでに全盛期のピークは過ぎ、オリコン最高位23位と、ベストテンヒットからは遠ざかっていた頃の曲。

さすがに、この曲なんかはリアルタイムでは聴いてなかったけども、今聴くと、↑でかいたように、この後の方向性を暗示しているような曲ですね。

南沙織さん、この時20歳。 アイドルとしてはすでに
薹が立っているとみられてもおかしくない頃ですわ。

・・・なんて書くと、「え?」とか思われちゃうかもしれないけども。。。

まあ、確かに今では、30歳過ぎても「アイドル」やってる人たちも多いけども、70年代の頃はアイドルは18歳まで。 つまりはアイドルは「高校生」まで、大学生にもなると大人への女性への脱皮が求められていた時代なんでね。

それを考えると、南沙織さんも大人への女性への脱皮が求められていた時代。

まあ、それを踏まえてのこの曲になるんだろうけどね。

ただ、この曲を聴く限りでは、いきなり大人の女性への転換を感じさせるようなところはないんだよね。

確かに、それまで筒美京平氏自らアレンジまで施していたのに対して、この曲のアレンジは高田弘氏ということで、曲想に変化を感じるのも当然かもしれないけども。

しかしね、高田弘氏のアレンジっていうと、個人的に、どうも柏原よしえさんの「あの場所から」などの、もう少しやぼったい歌謡曲の本道を感じさせるサウンドを連想しちゃうんだけども、この曲を聴く限り、そんな野暮ったさはないんだよね。

むしろ、リバーブを利かせたストリングスが、60〜70年代の洋楽を連想させる。

そそそ、今思うと、麻丘めぐみさんの「芽ばえ」もそうだけども、フィルスペクターの音の壁ですよね。リバーブをいっぱいに利かせたストリングスは。

そういえば、野口五郎氏の「グッドラック」も高田弘氏のアレンジだった。
あれも完全にAORだしな。。。 そう考えると、筒美京平氏と組むときは、洋楽テイストが多かったかもしれない。。。
・・・なんて、「あの場所から」も筒美氏とのタッグなんですが。。。。


「歌謡曲完全攻略ガイド」では、この曲「AOR、ソフト・ロック」にカテゴライズされているけども、そんなウォール・オブ・サウンドを連想させるストリングスがソフト・ロック的だからなんだろうね。

個人的には、3連なメロディラインが、オールディーズっぽいなぁ・・ということで、「歌謡曲完全攻略ガイド」のカテゴリーでは、「ショービス系」でもよかったのかなぁ・・とも思ったりしたんだけども。。

いや、でも、ストリングスを含めた全体的なサウンドからすると、ソフト・ロックか。。

サウンドだけでなく、サビの

♪ あの日 あなたに めぐり逢えたら〜 ♪  でFからFmに行くコード進行や、

♪ そうよ 好きな人との〜 ♪ の ♪そうよ〜♪が、次のフレーズをつなぐインサート的なフレーズだったりして、あの時代の、少なくともポップスでは目新しかったし、京平氏も意識してるな・・・って思わせてくれるメロディラインだったりしてね。

いずれにしても、それまでの南沙織さんのシングルでは、あまり感じなかったソフィケートさが、目新しい印象があり、 最近掘り返した天地真理さん、南沙織さん、麻丘めぐみさんのシングルでも、個人的には一番刺さった曲だったな。


いつかも書いたけども、70年代って、年代頭の70年と、年代末の79年では、サウンドもメロでラインも全く違う、ヒット曲の概念ががらりと変わった10年だったわけで。

その分岐点って、これまでは個人的には75〜76年あたりかな? と思っていたんだけども、こうして曲を掘り返してみると、もう少し早いっていうのが実感してきましたね。
1974年っていう年も70年代ポップスの変化の寄与は大きいですわ。

まあ、確かに、アグネス・チャンの「ポケットいっぱいの秘密」で松本隆氏の歌詞とバックのティンパン・アレイが注目されたりしたのも1974年だったし、太田裕美さんが「雨だれ」で新たなポップスの地平を開いたのも、この「女性」と同時期の1974年末だったしな。。
1974年末〜1975年の今頃に、日本のヒットポップスに大きな変化が現れだしたのは間違いないところですね。





などと、つらつら書いていたら、南沙織さんの伴侶である、写真家の篠山紀信氏が鬼籍に入られたとのニュースが。。。。
当時、アイドル系の激写・写真家として第一線を走っておられた篠山紀信氏。この曲のジャケ写も篠山紀信氏ですね。
謹んでお悔やみ申し上げます。



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みずいろの手紙 / あべ静江

1973_11_みずいろの手紙



今回の1曲セレクトは、「みずいろの手紙」あべ静江です。

まずはデータでする。

・タイトル   みずいろの手紙
・アーティスト あべ静江
・作詞     阿久悠
・作曲     三木たかし
・編曲     三木たかし
・リリース日  1973年9月25日
・発売元    キャニオン
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  26.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年10月22日〜11月5日付

清純。
世の中何かと「がさがさ」している現在では、完全に「死語」になったコトバだよなぁ。
でも、確かに、ワタシが子供の頃には、まだ、こんなコトバが似合う「お姉さん」たちはいた。
今回は、こんな「清純」というコトバそのままの曲を持ってきましょうか。

あべ静江さんの「みずいろの手紙」

この曲の冒頭の

「お元気ですか? そして今でも愛していると、言って下さいますか?」

というセリフからして、清純を思わせるよなぁ。

「〜言って下さいますか」 なんてのは、今じゃ、とんと聞かなくなった言い回しなんじゃないですかねぇ。

いや、超富裕層では、まだこういう言い回しもしているのかもしれない。

でも、ワタシみたいなごく平凡な「庶民」の世界では、まず聞かなくなりましたよね。

それじゃ、この曲の世界も「超富裕層」の世界なのか・・といえば、そうじゃない。
1970年代は、まだこういう純粋なお姉さんたちは庶民の中にもいたんだよね。

少なくとも、ワタシの周りにはいたような記憶があるなぁ。

モーレツからビューティフルヘ という文化の変革期の時代。庶民の暮らしもあの当時から見ての一昔前よりは確実に豊かになった時代の流れの中で、1億総中流層時代と言われたのがこの頃ですよね。

生活が豊かになれば、言葉の様式も変わってくる。 1970年代ってそんな時代だったような気もするな。

あ、もちろん、あの頃も「がらっぱち」なお姉さんも多かったですけどね

むしろ、ワタシの周りには、そちらのお姉さんの方が・・・やっぱ多かったかなぁ。。。


そんな清純そのものなセリフに続いて、リバーブをいっぱいに利かせたAメロ。

今では、こういう効果の曲は、まず見かけなくなった。 これも1970年代前半という時代特有な効果ですよね。

どうなんだろ? こういうリバーブをいっぱいに利かせた曲想っていうのは、「清純」を連想させる曲の特徴だったんでしょうかね。

例えば、この曲の前年の麻丘めぐみさんの「めばえ」なんてのも、めちゃくちゃリバーブがかかってましたよね。今聴くと、ほとんどお風呂の中で聴いているんじゃないかという感覚になってしまうくらい。

故筒美京平氏は、こういうリバーブをいっぱいに利かせた曲は。色彩イメージとして「淡いみずいろ」とおっしゃっていたようだけども、まさにそんな水の中を漂っているような感覚なんですよね。

今回の曲タイトル 「みずいろの手紙」 なんて、そんなイメージそのものですわ。

そこからなぜ、清純を感じるのか?・・・・「みずいろ」っていう色彩のイメージからして清らか⇒清純 っていうイメージを思い起こさせるからなんでしょうね、きっと。


最近は、時代からして極彩色、いや、はっきりとしたカラーな世の中だと思うし、まず、こういう「淡色系」なカラーの曲に出会うことは少ない。

つまりさ、ヒット曲にしても多くの人々は、色味がはっきりとした曲を求めているんだろうな・・ってのがわかりますね。

例えば、まさに今だったら、Adoの「唱」だったり、YOASOBIの「アイドル」だったり、今のヒット曲って、みんな色彩イメージがはっきりしてるじゃない? Adoの「唱」にいたっては極彩色の極みのような印象が強いし。。。
手書きではなく、PC上で機械的に作った曲の特徴といえば、そうなんだけども必然的にはっきりとした色彩になってしまう。淡い単色系の曲は機械的に苦手なところではないか・・とも思えてしまう。

いや、出来るんだけども、スカスカな音の曲になってしまい、「今の時代」には合わない・・っていうのもあるんですかね?

でも、昔・・少なくとも70年代前半って、そういう、はっきりとした色味を求めてはいない時代だったんでしょうね。

・・・だったんでしょうね? って無責任な・・ってところだけども、ワタシゃ、この時4歳。
まだまだ物心がつかない頃だったわけで、あくまで私の記憶の中での印象では・・・ってことで、あいまいに書いちゃったんだけども。。。

・・・ってか、↑で「1970年代は、まだこういう純粋なお姉さんたちは庶民の中にもいましたよね。」とか、すでに物心ついていたかのように書いてんじゃん。。。

いやー、物心はついてなかったけども、意外と人間観察はしてたような気がするんだよね。
そう、そんな嫌なガキだったのよ、ワタシゃ。


たださ、今、昭和歌謡に回帰する人が、若者を含め増えてきているのは、実はこういう「淡色系」の曲を求めている人たちなんじゃないのかな? 極彩色な曲には疲れているという人たち。

これは、実際の世の中にしてもそうで、昭和時代に回帰しているのは、今の世の中疲れている・・という中で昭和という「淡色系」(⇒平和に見える)な時代に癒しを求めている人が増えているんなんじゃないのかな?  なんて思えたりしてね。

もっとも、昭和という時代も、ずっと淡色系な時代ではなかったですし、リフルタイムで感じた実際の世の中は今よりももっと激動だったんですけど。。。
ただ、表面的に70年代前半から中盤くらいって、不思議なことに、淡い色の時代⇒一番平和な時代 のように見えるんだよね。今の時代から振り返ると。


なんか、当初の「清純」ってところから、大分変な方向に行ってしまったけども、ワタシの中では、清純というコトバで、真っ先に浮かぶのは、この曲だったりするんですよね。





↑で、この曲は「清純」だと言い切るほど、個人的にはあべ静江さんにはぴったりな曲だと思ったんだけど、wikipediaiによると当のあべ静江さんは、

「男性に媚びたような、私が嫌いなタイプの女性の思いを綴った詞だと思ってしまって・・・」

と、当時、とにかくこの曲がキライだったようで、歌うのを封印した時期もあったとのこと。

今、当時のVTRを見ても、この曲のレコード音源を聴いても、そういうところは感じなかったんですけどね。

当の本人は、男に媚びる、80年代風に言えば言えば、ぶりっ子、カマトトぶるタイプではなかったようですね。

でも、この曲が生まれた、1973年ころと言ったら、まだまだ女性は男に尽くすものであり、当時のヒット曲も男性にとって都合がいいような解釈の曲がまだまだ多かった時代。

それは、演歌の世界を見れば一目瞭然なわけでさ。ポップスといえども歌謡曲路線寄りのこの曲なんかにも、まだ、そういう匂いが残されていたわけですね。

ウーマンリブが叫ばれ、女性解放運動が日本で本格的になったのはこの2年後。1975年になってからですわ。



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狙いうち / 山本リンダ

1973_03_ねらい撃ち_山本リンダ


今回の1曲セレクトは、「狙いうち」山本リンダでする。

まずはデータでする。

・タイトル    狙いうち
・アーティスト  山本リンダ
・作詞      阿久悠
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1973年2月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数   17.7万枚

WBCが感動のうちに終わりましたな。
いやいや、「日本野球」は強かった。正直、準決勝の対メキシコ戦では「負けた・・・」と思って途中で中継見るのやめちゃったワタシだったり。。。

最後まであきらめない心、がむしゃらさ、ひたむきさ。。。

ワタシねぇ、今回のWBCがこんなに注目集めたのって、ゲーム展開とかチームワークもそうだけども、ココが一番だったと思うのよ。
最近のニッポン人が忘れかけたモノを改めて気づかせてくれたような気がしたんだよね。

さてさて、WBCが終われば、プロ野球が開幕までは高校野球ですかね。春の選抜。

高校野球と言ったら、応援合戦がつきものなわけで。。。

特にブラスの応援だよね。

最近は、市立習志野の「美爆音」とか、とかくクローズアップされていますな。

かくいう、中学、高校と吹奏楽やってたワタシも、やりましたねぇ、野球応援。

あれ、結構大変なんだよね。うちらの高校は春の選抜まで出られるほどではなかったので、夏の大会中心だったけども。。。

とにかく暑い。まあ、のどは乾くは、汗びっしょりになるわ。。。

そういう意味では、文化系じゃなくて、体育会系だったよなぁ吹奏楽も。

一番つらいのは、なんせ常に大音量でやるもんだから、唇が大音量用に固まっちゃって、pとかmpが出なくなっちゃうのよ。なんちゅうのかな、ブラスオリジナル曲の微妙なニュアンスを出しにくくなる。 

特に私らが高校2年の時の夏の大会は、千葉大会でノーシードからベスト4まで勝ち上がったもんだから。。。あの夏は5回くらいやったのかなぁ、野球応援。

高校野球と、全国吹奏楽コンクールって大体、日程が重なっているし、野球応援やってすぐにコンクールっていう訳にもいかなくて、この年は出場辞退したんだよなコンクール。

高校はワタシらの代が開校3期生っていう、ワタシらが入学してやっと3学年が揃ったっていう、まだ新設校に数えられていたし。。 だから、部活も手策りしながらの活動だったのよ。
部員も少なかったしさ。 野球応援用とコンクール用、2つの編成に分けられるくらいの部員がいるならばコンクール辞退ということにならなかったんと思うんだけども、新設校で、しかも名目上は「進学校」となっていて、全体的に部活動は低調だったんでねぇ。そういうわけにもいかなかったしな。

当然、野球応援用の曲も決まってなかったし。。。 あんときは、音楽の先生がプロ野球の応援歌を耳コピで譜面に興してきてくれて、それでやってたんだよな。

でも9人分もなくて、急遽、ワタシが、ポーターサウンド片手に、テレビの前に座り込んで野球中継を見ながら足りない分の曲を耳コピーして譜面に興したりして。。。それで結構曲数はそろったんだけども。。。

ただ、今回引っ張ってきた、高校野球の野球応援では、切っても切れないこの曲は、まだ含まれてなかったなぁ。


山本リンダ 「狙いうち」

この曲って、いつから高校野球とかプロ野球の応援曲に使われてたんだろ?

wikipediaによると作詞の阿久悠の母校、明治大学の野球応援で使われ始めたってことになっているけども、ワタシらが高校の頃は、高校野球の応援では、まだ使われてなかったような気がする。

うーん、もしかすると使ってたところもあるんだろうけども、今ほど大々的には使われてなかったよな。

でも、今はいいよね、この「狙いうち」にしろ、真心ブラザーズの「どかーん」にしろ、野球応援にぴったり嵌るような曲がいっぱいあってさ。

ちなみに、やっぱり、野球応援で頻繁に使われている「アフリカンシンフォニー」。あれは、ワタシらの頃は吹奏楽オリジナルの曲だったんだよね。吹奏楽の定期演奏会では、大抵の学校でやってたよな。
ただ、野球応援に持ち込むっていう発想はまだなかったと思うんだよね。あれを野球応援に持ち込むっていう発想した人はすごいよね。


ということで、山本リンダさんの「狙いうち」。

この曲さあ、おそらく、私の中では、「リアルタイム」で聴いた記憶がある最古に近い曲だと思うんだよなぁ。

1973年2月リリースでしょ。 わたしゃ3歳6か月。 

うわっ、今年でちょうど50年になるんか、リリースから。。。。


ワタシなんかでは、この曲とか、桜田淳子さんの「わたしの青い鳥」とか、仮面ライダーV3とか、あの辺とゴッチャになって記憶しているのよ。

♪ うらら〜 うらら〜 ♪ なんて、ちゃぶ台の上で踊ってたかすかな記憶があるんだよなぁ。

そそそ、「ちびまる子ちゃん」と同じ世界ですよ。

まあ、当然、歌詞の意味なんて、全く理解せずにやってたんだけどさ。

それにしても、あの当時の阿久悠氏って、「擬音」を取り入れた歌詞って多いんだよね。

この「狙いうち」の ♪ うらら〜 うらら〜 ♪ 、↑にちょろっと出した、桜田淳子さんの「ワタシの青い鳥」の ♪ クッククック〜 ♪ 

ちょっと後になると、78年の「林檎殺人事件」の ♪ フニフニ フニフニ〜 ♪ とかさ。

極めつけは、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」の ♪ リンリンリリン リンリンリリンリン〜 ♪
だよね。

これらの曲って、曲先なのか、詞先なのかは、よくわかんないんだけども。。。 いや、あの時代だから、曲先なのかなぁ・・・。

例えば、「恋のダイヤル6700」の  ♪ リンリンリリン リンリンリリンリン〜 ♪ のメロディがあるとしたら、通常ならばコトバを入れたくなるってもんじゃないですか

それなのに、あえて ♪ リンリンリリン リンリンリリンリン〜 ♪ なんて、擬音を入れてしまうっていうのが、阿久悠の阿久悠たる仕事だと思うんだよなぁ。

場合によっては、なんだ? コノ手抜きの仕事は・・・ なんて思われちゃう可能性もあるわけじゃん。それなのに堂々と使ってくる。

でも、これらの「擬音」を使うことによって、インパクトは大きくなるよね。

「恋のダイヤル6700」の  ♪ リンリンリリン〜 ♪ だって、これがあるから、「なんだ? コレ?」って思いたくなるし。。。
今回の「狙いうち」にしてもそう。 ♪ うらら うらら〜 ♪ なんて、本編の歌詞とは全く関係ない、意味不明のフレーズがあるから、「なんだこれ?」って引っかかるわけでさ。
本編の歌詞だけだと、いまひとつインパクトが弱いわけで。

当時3歳のガキんちょだった、ワタシみたいなコドモも引っかかったわけだからさ。

こんな感じで、歌詞っていう文字通りのコトバだけでなく、擬音っていう「音のコトバ」から、それらの曲に引っかかりを持つようなヒット曲を「開発」した阿久悠氏ってやっぱ偉大だと思うんだよね。

すくなくとも、これ以前には、こんな「擬音」を多用した曲ってあんまりなかったと思うのよ。


あとは、本編の歌詞だよね。

最後の ♪ 世界中の贅沢を どれもこれも身にまとい 飾り立てた王宮で かしずく男を見てみたい〜♪

ってのは、すげえ歌詞だよなぁ。

まるで劇画の世界だよね。  いまは、こんな劇画チックで、かつ2.5次元な歌詞の曲ってあんまないからさあ。 もっとも、今は、アニメであったり、ゲームであったり・・この世界観はそっちに移行されてしまい・・・。ウタは、より「リアル」な世界に終始しているっていうような感じになっちゃっているような気がするんだけどね。

まあ、この「狙いうち」って曲の歌詞の世界観は、ばかばかしいっちゃばかばかしいんだけども、こういうばかばかしい世界観の曲っていうのも、もっとあってもいいと思うのよ。
日常のリアルの世界を表現するだけがウタじゃないと思うし。。。

もっとも、見方を変えれば、この曲の歌詞の世界観は、70年代前半の「ウーマン・リブ」、女性解放運動の時代を反映したものともいえるんだけども。

うん、それまでの女性って、男に尽くすものだったわけじゃん。 

うたの世界だったら、男に尽くし、すれてられ、 酒場の隅で「ヨヨヨ」・・と泣き崩れる ・・・なんて、まるで「演歌」の世界・・・っていうのが世の中の常識だったわけじゃん。

それが「ウーマン・リブ」によって、女性ももっと自立を・・・っていう考え方が世界的にひろがってきたのもこの頃だったしさ。

まあ、この曲の場合は、いささかドラスティックな世界ではあるんだけども、それでも、そんな時代を象徴した曲の一つではないんかなぁ・・・ なんて思ったりしてね。


そんな「狙いうち」だけども、ヒットチャート成績は思ったほどでもなかったんだよね。

↑のデータを見てもわかるように、オリコンではベストテン入りを逃している。

1965年の「こまっちゃうな」から低迷を続け、前年1972年の「どうにもとまらない」で再ブレイクしてから、3曲連続でベストテンをキープした山本リンダさんだったけども、この曲はベストテン入りから外れたわけで。。。これが意外でね。

だって、↑でかいたように、「ちびまる子ちやん」にも出てくるほど、ワタシらの世代(少なくともワタシもそうだけど)、 この「狙いうち」のイメージの方が強い山本リンダさんだからさあ。

当然、オリコンでも上の方にいた・・・ようなイメージが強かったんでねぇ。

まさか、ベストテン入りもしてなかったとはね。。。。

イメージと、現実ではちがう。 オリコンの過去のランキングを見てると、そんな曲がいろいろと出てきたりするんだけどね。

まあ、それがオリコンの面白いところではあるんだよね。



うわっ、めっちゃ速い「狙いうち」。
これ紅白だよね。1973年。第24回紅白歌合戦。
おそらく「巻いてた」と思うんだけども。。。
紅白って時々、こんな感じで「超高速」なテンポの時があるんだけども、この頃すでにあったんだな。

それにしても、この曲のジャケ写、インパクトあるよねぇ〜、
いかにも1970年代前半。

ザンバラの長髪に、めっちゃ長いつけまつげにパンタロン。

今見たら、「あばずれ」って感じだけども、あのころは、これがトレンドだったわけね。

かくいう、ワタシの母親も、こんな感じの「ファッション」だったの覚えてるわ。


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魅せられた夜-Mais Dans La Lumiere- / 沢田研二

1973_12_魅せられた夜_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「魅せられた夜」沢田研二です。

まずはデータでーす。

・タイトル   魅せられた夜-Mais Dans La Lumiere-
・アーティスト 沢田研二
・作詞     Jean Renard
・作曲      
Jean Renard
・編曲     東海林修
・訳詞     安井かずみ
・リリース日  1973年11月21日
・発売元    ポリドール
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  34.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年12月3日〜1974年1月28日付

今回は、「まくら」なしでダイレクトに行きますぞ。

今回引っ張ってきた曲は、ジュリーの「
魅せられた夜」。
1973年11月 ソロ8枚目のシングルとリリースされたこの曲ですが、どうなんだろ?
どの位の方が覚えているんだろう? っていうのは、少し不安。

リリース当時、オリコン最高3位 売り上げ約35万枚・・・と、当時のヒット指標から考えると、充分大ヒットの域に達していた曲なんだけども。。。。
ワシらの世代から見ると、ジュリーといったら、どうしても77年の「勝手にしやがれ」以降の第2期黄金期から。 一歩下がっても、75年の「時の過ゆくままに」あたりからっていう意識があるんでさ。
70年代前半、「危険なふたり」を中心とした、第1期黄金期。 いわいる「フレンチポップス」な頃のジュリーってほとんど知らないんだよね。少なくともリアルタイムではない。

あ、いや、もちろん、すでに生まれてましたよ。 1973年といったら、ワタシゃ 4歳。
幼稚園の年少組の頃だよなぁ。 

なので、物心は付き始めていた頃だけども、50年前でしょ・・・、いかんせん記憶がほとんど残ってない。

「マジンガーZ」と「仮面ライダーV3」 が心のヒーローだった頃・・・っていうのは覚えてるけど。。。 

いや、それでも、ちょうどこの「魅せられた夜」がヒットしていたのと、同じ時に大ヒットしていたフィンガー5の「恋のダイヤル6700」とか、小坂明子の「あなた」は、リアルタイムで聴いた記憶があるな。

以前、何回か書いたと思うんだけども、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」は、個人的に初めて「買ってもらった」シングル盤だったと思うしなぁ。

ぢゃ、なんで、これらの曲を知ってたかというと、やっぱりテレビなんだよね。 

当時、朝、日テレで毎日放送していた「おはよう!子供ショー」で、のど自慢のコーナーがあったじゃん「おはようのど自慢」だっけ?

あのコーナーで、よく歌われてたような記憶があるんだよね。 
小坂明子の「あなた」と、ちょっと後の伊藤咲子の「ひまわり娘」なんかは、「おはようのど自慢」から知ったと思う。そそそ本人の歌唱というよりさ。。。
それくらい、当時はよく歌われてたような記憶があるなぁ。。。

ただ、さすがに、この「魅せられた夜」なんかは、あんま歌われてなかったんだろうなぁ。

いやいや、もしかすると歌われてたのかもしれないけど、個人的に引っかかってなかっただけなのかもしれない。

やっぱ、タイトルからして「大人」向けの曲だしね。 おこちゃまが歌う「魅せられた夜」っていうのも、ちょっとコワイ。。。
ま、たしかに、いつの時代も「ませた子供」(ませがき)は居るからさあ、ゼロとは言い切れないけど。。。

個人的にこの曲を意識して聴いたのも、ずっと後ですね。

これもいつか書いたと思うんだけども、1983年のちょうど今頃だわ。ジュリーの「大全集」っていう、いかにもっちゅう、カセットのみのベスト盤を買ってもらった中に収録されてたのを聴いてからだわ。

だから、個人的には、この曲を聴くと、1973年の匂いよりも、 1983年の今頃の匂いを先に感じてしまう。 ちょっと厄介な曲ですね。
まあ、まったく1973年という時代を感じないかといえば、さにあらず。なんだけども。。。

音質、音の広がり 奥行・・・などのサウンドは、少なくとも70年代後半以降のそれではない、ましてや80年代の音でもないことはレコードの音から分かるしね。


でも、初めてこの曲を聴いたときは、違和感いっぱいだったよなぁ。 はじめはアルバムの曲かと思ったくらい。

↑で書いたように、なんせワタシらの世代といったら、ジュリー⇒勝手にしやがれ⇒キザ なイメージがこびりついてるからさあ。

こういう、フレンチポップなジュリーのイメージはなかったですからね。

そのあと、少しずつオリコンなどからの情報を得て、第1次黄金期といえるフレンチポップの時代を経て、第2次黄金期の派手、気障なジュリーに変化するということが分かったんだけどね。

自分らがリアルで聴いてたのは、第2次黄金期以降の曲に過ぎない・・っていうのが分かって、ちょっとショックだったのと同時に、ヒット曲の時代の流れの奥深さも感じたというかさ。。。

まあ「キザ」な言い方をすればよ。。。

そんな自分では知らなかったヒットの流れの情報と、実際の音源が、自分の中で結びいていくっていうのを初めて体験したのは、もしかすると、この「魅せられた夜」も収録されていた、あの「大全集」っていうカセットだったかもしれない。



ところで、この「魅せられた夜」って曲、カバー曲というのは以前から知ってたんだけども、オリジナルはどういう曲だったのかは、よくわからなかったのよ。

これを機に聴いてみた。

↓ コレ




Mike Brant 「Mais Dans La Lumiere」(1970年)

うわっ、重っ! 

フレンチポップスと言うと、どうしても、ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」とか、シルヴィ・バルタンの「あなたにとりこ」なんかの、おしゃれでポップなイメージがまず出てきちゃうんだけども。。。。

どっちかといえば、イタリアンなカンツォーネ的な、いわいる「歌い上げ」系の曲ですわな。
ポップスというよりも、シャンソンと言った方がいいか。。。

マイナーでしっとりしたメロディラインから、サビで一気に情熱的なメジャー系のメロディに変貌する、ドラマティックな展開。 いわいるショービス系というやつですね。

あの当時(1970年代前半)の日本では布施明氏が得意としていたような・・・。

ジュリーの、この「魅せられた夜」でも、しっとりしたマイナー系なAメロから、サビで一気に情熱的なメジャー系に展開するという原曲の良さを残しつつも、あそこまで重くない。
もっと、ポップで聴きやすいサウンドにアレンジされていますね。

個人的には原曲の重さと情熱的なサウンドは好きだけども、さすがに、原曲のままでは日本ではヒットしずらいと読んだろうな。

個人的には、ジュリーのメロディラインに対旋律的に絡んでくる、ブラスが好きなんだよね。

いや、このころのジュリーでは、同じようにブラスの絡みが印象的なジュリーの曲は多い。
以前書いた、「あなたへの愛」(1973年1月)、「追憶」(1974年7月)なんかもそうですね。

あの頃、いわいるブラスロックの影響なのか、ブラスを多用した歌謡ポップスが増えてきていたけども、使い方がダサい曲が多かったのも事実でさ。。。
この「魅せられた夜」では、トロンボーンは原曲に近いのに対して、トランペットはたしかに盛ってるんだけどね。でも、ダサい一歩手前で抑えているのがいい。

この曲を初めて聴いた1983年の今頃は、ワタシは中1。吹奏楽部でトロンボーンをやってた頃で、ブラスの面白さが分かりかけていた頃っていうのもあったんだろうな。 そそそ、ヒット曲においてもブラスについつい耳が行ってしまい始めていた頃ですわ。






フレンチポップスや北欧などのいわいるヨーロッパ系の曲と、日本のJ-POPは相性がいいとは、よく言われるけども、日本人の感性とどこか共通しているところがあるんでしょうね。
それは、この曲なんかでも感じることができますね。




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ひまわりの小径 / チェリッシュ

1972_08_ひまわりの小径_チェリッシュ


今回の1曲セレクトは、「ひまわりの小径」チェリッシュです。

まずはデータです。

・タイトル   ひまわりの小径
・アーティスト チェリッシュ
・作詞     林春夫
・作曲     筒美京平
・編曲     筒美京平
・リリース日  1972年5月25日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  41.2万枚
・ベストテンランクイン期間:1972年8月7日〜10月9日付

音楽のジャンル付け。 これほど曖昧なもんは無いですよね。
正直、聴くそれぞれの方で見方は変わるし、だから正解なんてないんですよ。
ロック、ポップス、ジャズ、クラシック・・・それぞれにはっきりとした境界線なんてないし。

モノの本によっては、それらしく境界線を引いてるものもあったりするけど、すべて著者の主観でしょ。

だから、ものの本にロックと書かれてても、自分はポップスと思えばポップスでいいのよ、音楽のジャンルなんて。 それで反論されたら、反論する方が間違っているわけでさ。

・・・なんて、訳の分からない書き方で始めた、今回の1曲セレクトだけども、今回引っ張ってきた曲は、そんな感じで、果たしてこの方たちの曲のジャンルは、何に属するんだろう・・・といつも迷ってしまう方たちの曲ですわ。

チェリッシュ「ひまわりの小径」

今回の「マクラ」に従うと、チェリッシュって、フォークなんだろうか、歌謡曲なんだろうか・・・って頭がいつももたげてしまうわけなんだけども。。。。

そもそも、チェリッシュって、「バイタリス・フォーク・ビレッジ 全国フォーク音楽祭全国大会」に中部地区代表として出場した、5人組のフォークグループなんだよね。

その頭があるから、この人たちは、フォークの人たちっていつももたげてしまうのよ。

ただ、この回引っ張ってきた「ひまわりの小径」にしたって、どう聴いても「歌謡曲」だしね。

加えて、先週の、東京FM「松任谷正隆の変なこと聞いてもいいですか」にゲスト出演した吉田拓郎氏の、

「アメリカで言われるフォークと、日本でいうフォークは別物。フォークってもっと明るくて楽しいもの。 日本の四畳半フォークとかさ、ああいうのは本来は、歌謡曲の一部で、ああいうのをフォークとしたのはマスコミの虚像。アコギ持たせて歌わせれば、何でもかんでもフォークっていうのは違うと思う」

っていうコメントを聴くと、チェリッシュって人たちも、やっぱ「歌謡曲」なんだろうな・・・なんて、ますます思ったりもしてさ。

今回、このタイミングで、この曲を引っ張ってきたのは、丁度50年前のオリコン(1972/9/11付)の週間ランキングで、最高位3位を記録したから・・・っつうのもあるんだけども、実は、↑の吉田拓郎氏のコメントを聴いて・・っていうのは大きいな。

正直、それまで、個人的には、「
全国フォーク音楽祭全国大会」から出てきた人たちっていう事実のイメージが大きくてさ。 曲調は「歌謡曲」でも、この人たちは「フォーク」っていう頭の方が強かったんだよね。

まあ、そんな風に思う人の方が「稀有」なのかもしれないけどさあ。 だって、この曲をはじめとしてチェリッシュの一連のヒット曲・・・「てんとうむしのサンバ」にしても、「白いギター」にしても、これらをフォークって思える方の方が少ないだろうしね。

・・・っつうことで、今回引っ張ってきた「
ひまわりの小径」。

わたしねぇ、正直、この曲って最近まで知らなかったのよ。

1972年の今頃、丁度半世紀前のヒットでしょ。 ワタシゃ当時3歳。 まだ物心つくか付かないかの頃だからなんですかねぇ。

少なくともリアルタイムで聴いた記憶はないんだよね。

てんとうむしのサンバ」とか「白いギター」はリアルタイムで聴いた記憶はあるんだけどね。
特に「白いギター」は、当時から大好きだった。

この曲と、フィンガー5と、小坂明子の「あなた」が一緒くたになってになってるんだよね。
自分の中の最古の音楽の記憶としては。

3才と4才の間の1年間っていうのは、やっぱりデカいんだよなぁ。ものごころが付くか付かないか、記憶の固定っていう所では。

ただ、チェリッシュの曲としては、これらの曲じゃなく、今回引っ張ってきた「ひまわりの小径」が一番売れた曲なんだよね。
唯一の売上げ40万枚オーバーの曲。

個人的には、これが不思議でね。 いつかは聴きたい・・・と、まだYOU TUBEがなかった頃は、ずっと思ってたのよ。

もっとも、ラジオで流れているのを聴いてたけど、気が付かなかっただけの事なのかもしれないけど。。。

でも、実際曲を聴いて見ると、「うーん、なんかよくわかんないなあ」っていうのが、正直な感想。

少なくとも一発では受け入れがたい曲調・・というか。 
タイトルから想像していた曲調とは大分違うなぁ・・・っていうのが第一印象ですね。

「ひまわり〜」っていうところから、もっと快活なサマーソングをイメージしていたんだけども。
そんな感じのしっとりした曲調とはね。。。。

まあ、最近では、秦基博の「ひまわり約束」なんかも、「ひまわり〜」ってつくけどもしっとりした曲だしな。 いや、そんなに時代を飛ばなくても、この曲の2年後の、伊藤咲子の「ひまわり娘」にしても、切ない曲だしな。

「ひまわり」とタイトルに付くからといって、快活なサマーソングをイメージするのも、ちょっと短絡過ぎたかな・・と今となっては思うけど。。。




ところで、↑で書いたように、もともとチェリッシュってメンバー5人のフォークグループって書いたけど、この曲から、今に至るような松崎好孝、松崎悦子夫妻によるデュエットとなる。

この曲のジャケ写のイラストは5人になっているけど、これは、その名残ですね。

まあ、そういう経緯もあり、前曲「だからわたしは北国へ」のフォーキーな曲調から比べると大分歌謡曲的なメロディラインへシフトされてきているんだよね。
特に悦子さんの特徴である高音域をフィーチャーするようなメロディラインにこの曲なんかは変化しているな

「だからわたしは北国へ」も同じ筒美氏の作品だけども、5人フォークグループという意識があるからか、かなりフォーク寄りの曲調。
「白いギター」あたりから知るワタシから見ると、逆に大分イメージが違いますね。
まあ、結果的には、そんな曲調のシフトが大ヒットへとつながったんだろうけどね。


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Deep / 渋谷哲平


1978_08_DEEP_渋谷哲平



今回の1曲セレクトは、「Deep」渋谷哲平です。

まずはデータです。

・タイトル    Deep
・アーティスト  渋谷哲平
・作詞      松本隆
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1978年7月10日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 52位
・売上げ枚数   4.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 40位(1978年9月18日付)

またまた、以前「1曲セレクト」で書いたことあったような気がするんだけども、ブログに上がっていない曲シリーズ。

で、今回は渋谷哲平の「Deep」なぞをひとつ。。。

いや、この曲、昔、絶対書いたような気がしたんだよね。

・・・と思って、mixiのアーカイブを探してみたら、やっぱりありましたわ。

ここのブログを始める時に、以前書いた曲は全曲移植したと思ったんだけどなぁ。。。。

抜けがあるようですね。

・・・あ、そうそう、ここのブログを始めたのが2015年の正月で、正月休みを利用して移植したんだけども、どうも季節感が出ないよなぁ・・・って思った曲は、移植を見送ったような気がする。。。

この曲、夏っぽいからなぁ。。。 それで移植を見送ったのかもしれない。。。 それかめんどくさかったか。。。

いずれにしても、この曲を書くには絶好の時期なんで、以前書いた内容を移植しつつ、加筆したいと思います。


この曲、以前mixiにかいたのが、2007年のちょうど今頃で、当時のmixiの「日記」を読み返すと、どうも、売れなかったんだけど、「いい曲」って言うのを引っ張り出す仕事の依頼があって、いろいろと曲を物色していたらしい。。。。

今となっては、えー、そんな仕事したっけなぁ。。。全然覚えてないんだけども。。。。。

そん時の日記の内容を「まんま」引用すると、

------------------------------------------------------------------------------------

 最近、ちょっとした仕事の依頼がありまして、昔の売れなかったんだけど、「いい曲」って言うのを引っ張り出して、いろいろ聴いてるんだけど、結構あるんだよね、なんで、この曲が売れなかったの? っていう曲が。
 最近の「安い うまい 早い」の吉野家方式で安直に作られた曲より、全然いい曲がねぇ、いっぱいあるんですよ。
 
-------------------------------------------------------------


ってことで、今回の渋谷哲平「Deep」を書いたらしい。。。。

 まあ、この曲も確かに「売れなかった」といえば、売れなかった曲ではありますが・・・
なんせ、オリコン最高位52位。左ページに入らなかったですから。

それでも4万枚のセールスがあったっていうんだから、78年当時は、レコードの売上げは景気良かったんですよね。4万枚売れれば、確実に「黒字」ですから。

いずれにしても、この曲が、いい曲であるかどうかは、それぞれの方々にお任せするとして・・・

この曲知ったのって、「とんねるずのみなさんのおかけです」で・・・っていうヒトが結構多いんぢゃないかなぁ?

一時期、「DEEP隊」だっけ? あれでとんねるずが真似してたじゃん。この曲の「フリ」の・・・

そそそ、あのイントロの部分の奇妙なフリっすよ〜。 




 まあ、とんねるずの場合、特に石橋がけっこうオーバーにやってたところもあるけど、実際、この曲、本人(渋谷哲平)が歌ってたときも、似たようなもんだったんだよね。


今、YOU TUBE見ても笑える

・・・というか、今だから笑える・・・って言った方がいいのかな。

ちょうど「DEEP隊」が流行ってた頃、われわれの「オリコンチャート研究会」のメンバーの間でも、流行ってたのよ。あのフリが。

メンバーの三宅さんが、なんかの飲み会の時にギャグったのかなぁ・・・。
まあ、石橋の「大げさ」なフリに対してなんだけどね。。。

一時期、集まるたびに踊ってたような気がする。


フリもそうなんだけど、この曲のAメロのバックコーラスも笑えるんだよね


♪ Deep (Deep) 青い海 (うみうみ) 〜
  Deep(Deep) ヨットから (からから)〜 ♪

とか


♪ Deep (Deep) 蒼ざめた(めためた)〜 ♪

とか、究極は

♪ Deep(Deep) サーフィンで(んでんで)〜 ♪


※( )内バックコーラス部分


 なんなんだよ「めためた」とか「んでんで」っつうのは・・などなど、突っ込みどころ満載の曲ですわ。
とにかく、最後まで聴いてる方を飽きさせない曲なんだよなぁ

 まあ、だから、とんねるず もネタに使ったんだろうけどさ。

 
 でも、今から44年前は、テレビで真剣に歌ってたんだから、のどかな時代だったんだよね。まだまだ。

 いやいや、真剣に歌ってるから、今になってみると、余計笑えるんだけどさ。


 この曲は、都倉俊一氏の作品だけど、あのころピンクレディーで手一杯だったんだろうね。。。
 だってさぁ、バックコーラスは笑えるもん。まあ、手抜きとは言わないけどさ。

 サビの

♪ ブルーになっちまうよ〜 ♪

からは、ピンクレディーの「透明人間」になっちゃったりして・・・。
 ちょっとパクッてきました・・・ってかんじ?

 いやいや、ともに都倉氏の作品だから、パクリとはいわないですね・・・引用してきました
ってところでしょうか。。。

 うーん、いや、「透明人間」の方が後だから、「透明人間」が引用してきました・・・って感じなのかな?

 同じようなメロディラインでも売上げは全然ちがったけど。。。。




うーむ、どうも画像が悪いな。。  ということで、

 


ところで、この曲、作詞は松本隆氏なんだよね。

松本氏も、自ら書いた詞が、↑にかいたように「めためた」とか「んでんで」なんてコーラス入れられて、どう思ったんだろうなぁ・・・なんて感じたりして。。。

それにしても、都倉俊一氏と、松本隆氏の組み合わせって珍しいよなぁ・・・と思ってJASRACのデータベースみたら25曲あった。

25曲が多いか少ないかだけども、膨大な曲を書いている両氏のキャリアの中で25曲っていうのは、やっぱり少ないよなぁ。

調べてみると岡田奈々さんの曲ではアルバムを含めて、多数の曲でコンビを組んでいたようだ。

あとは、高田みずえさんの「パープルシャドウ」とか、「花しぐれ」。
まあ、どちらとも、この「Deep」と同じ1978年だけども。

渋谷哲平氏の曲としては、この「Deep」とC/Wの「ファイヤー」のみだったようだ。

いずれにしても、やっぱ、都倉俊一氏といえば、1978年たったんだよな・・・。なんて今更ながら思えたりしますね。



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ポーラー・スター / 八神純子


1979_08_ポーラースター_八神純子



今回の1曲セレクトは、八神純子の「ポーラー・スター」です。 

まずは、データから 

・タイトル     ポーラー・スター 
・アーティスト   八神純子
・作詞       八神純子 三浦徳子
・作曲       八神純子
・編曲       大村雅朗 
・リリース日  1979年7月25日 
・発売元     ディスコメイト 
・オリコン最高位 8位 
・売上げ枚数   24.5万枚 
・ザ・ベストテン最高位 5位
・ザ・ベストテン ランクイン期間:1979年8月30日〜10月18日放送分


9月に福岡のキャナル・シティホールで開催される、「大村雅朗 25th Memorial Super Live」




出演アーティスト 9/23 ばんばひろふみ / 八神純子 / 渡辺美里 / 中川翔子
9/24 大澤誉志幸 / 川崎鷹也 / 槇原敬之 / 南佳孝
バックバンド 山木秀夫(Dr) / 今剛(G) / 石川鉄男(Manipulator) / 斎藤有太(Key) / 佐橋佳幸(G) / 亀田誠治(B)
トークゲスト 松本隆(9/23 24)、 木崎賢治(9/24) ゲストDJ 砂原良徳

3連休だし、キャナルシティのキャパ数と、この出演者の面々を考えると、多分チケット取れないだろうな・・・と思っていたけど、思いがけなくチケットが獲れた。
うあ、思いがけない誤算。。・・・ということで、今、急ぎホテルを予約したり準備を始めていたりします。   
コロナの影響が出なければいいですけどね。。

個人的に楽しみなのは、やっぱり八神純子さんですかね〜。 ワシ、八神純子さん大好きなんだぁ。
あ、「大好きだった」って言ったほうがいいかな。。。 


そもそも、私が「この道」(ヒット曲道)に嵌ったきっかけは、「ザ・ベストテン」を見てしまったから・・というのは間違いないんだけども、中でも八神純子さんの「みずいろの雨」は、衝撃的だったよね。

当時、ベストテンのスタッフでも八神さんファンが多かったようで、八神さんが出演した時のセットの力の入れようが違ってたでしょ。そんな効果も曲を盛り上げていたし。

個人的には、ちょっと嵌り過ぎてさ。 当時、八神さんって、サンバホイッスルがトレードマークだったぢゃないですか。 私、当時、わざわざ地元のYAMAHAまで行って、同じもん買ってもらいましたもんね。わがまま言ってさ。 

大村氏がアレンジを手掛けた「みずいろの雨」は、有名すぎるくらい有名だし、今度のコンサートでは、当然やるだろうけど、他にも大村氏が手掛けた、初期の八神さんのヒット曲、やってくれないかなぁ・・・と期待しているところなんだけどね。


今回は、そんな「大村雅朗 25th Memorial Super Live」でもやって欲しいなぁ・・と思っている曲を一つ。

「ポーラー・スター」

・・・と書いて、ここのブログを深く見てくださっている方は、お気づきかと思うんだけども、
じつは、この曲過去に一度書いてるんだよね。

2005年にmixiで「1曲セレクト」を始めて、2曲目に書いたのが、この曲だったりして。。。
まあ、2曲目に書いた曲なんでブログの「最奥」に沈んでいて、よほど気を付いて見ていただかないと気が付かなかったと思うんだけども。。。

当初は、単純に自分が好きな曲を引っ張って来てたわけで、だから、それくらいこの曲、個人的には好きなんだよなぁ。

ただ、最初に書いてから17年経って、ちょっと書き直したいところも出てきたんで、今回、改めて、少し手を加えつつ、再編集という形で、引っ張っぱり出してきました。。

なお、当初2005年に書いた記事は、紛らわしいんで、これを機に削除してしまいましたので、もし、リンクしてた方がいたら(ってか、そんな方いるんかなぁ。。。。)、こちらに変更していただければと思います。


ワタシねぇ、「みずいろの雨」は別格として、初期の八神さんの曲の中では、この曲が一番好きなんだよね。

この曲こそ、八神純子ならではの特徴を、一番引き出した曲だよね、と個人的には思ってるからなんだけど。

 八神純子さんならではの特徴・・・やっぱり高音域とファルセットの伸びですよね。 

この曲、一番高い音はハイトーン。実音の2オクターブ上ですよ。ここまで出す人、女の人ではなかなかいないですもんね。 
 それと、曲のイメージですね。ポーラースター、ま、日本語で「北極星」ですわね。イメージは星空、宇宙なわけです。 そのイメージに曲が負けていないんですよね。 

いや、ほんとに自分も星空の下にいる気になってくる・・。絵が浮かんでくるんですよね。 

アレンジの大村雅朗氏の見事な仕事の賜物だと思います。 
コノ後、松田聖子など、トップアーティストのアレンジを手がけることになる、大村氏の初期の傑作といっても過言ぢゃないよね。

そもそも「ポーラー・スター」 っていう「題材」からして、イマいかったんだよね。

コノ年1979年って、宇宙、銀河がトレンドだったんですよ。同時期、アニメ「銀河鉄道999」が大ヒット。
もちろん、劇場映画版のテーマとなった、ゴダイゴの「銀河鉄道999」も、この曲と全く同時期に大ヒットしてたもんね。

また、秋には惑星探査機「ボイジャー」が木星に大接近と、いろいろな「宇宙ショー」が繰り広げられていましたよね。 

この宇宙ブームは、次の年1980年も続きまして、この「ポーラースター」が認められたのか、80年夏(ちょうど42年前の今頃ですね)のNHK特集「パノラマ太陽系」では、八神純子の「Mrブルー〜私の地球〜」が主題歌に抜擢されました。 
こちらは、80年秋にリリース。冬にかけて大ヒットしましたね。 

そう考えると、あの頃の八神さんは、宇宙づいていたよなぁ。

やっぱり、あの伸びる、きれいなハイトーンボイスが、宇宙の壮大さ、儚さを連想させるんだろうね。

それは、当然大村氏も重々汲み取っていたんでしょうね。これら「宇宙」に関連する曲のアレンジは、他の曲よりもレンジの幅が違うように感じるんだよね。

なんちゅうのかなぁ、宇宙の無限大の広がりと、その中のちっぽけな地球の、そのまたちっぼな存在である自分との対比 ・・・っていうのかなぁ。

まあ、ワタシごときが偉そうに、書く事でもないですけどね。。。

ただ、個人的には大ゼッサンな2曲ではあるんだけども、ことヒットとなると、件の「みずいろの雨」や「パープルタウン」ほどではなかった・・・っていうのがね。。。。

やっぱ、いい曲と大衆に支持される曲っていうのは、必ずしもイコールではないってことなんだよね。
あの当時から学んでましたね。


ちなみに、当時、私的にも天体ブームでして、安い天体望遠鏡片手に、夜な夜な天体観測をやってましたねぇ。金星、木星、土星・・などの惑星観測、その他、流星群観測とか、深い藍色の模造紙に星座の天球図を書いたり、夏休みの「自由研究」でやったよなぁー。 

ガッコのセンセには、「将来は天文学者」とか言われてましたが、ワタシの性格からして、今考えると、単に当時のトレンドに乗り遅れるのがいやだっただけじゃないか。。とも思ったりして・・。 

ただ、未だに自然科学は好きなんで、時間があったら、また、天体望遠鏡なぞ購入して天体観測やりたいねぇ。。。 千葉に来てからは全くやってないからなぁ・・。





「ザ・ベストテン」 から。
↑で、ベストテンでの八神さんのセットは、スタッフの力の入れようが違った・・・って書いたけど、これでもよくわかりますよねぇ。
レーザー光線を利用し星座をイメージしたセットは、当時からしたら最高水準でしたからね。

ちなみに、個人的には、この頃、すでにラジカセに曲の録音をしてたんで、ベストテンでのこのアレンジが、一番しっくり来るかな。 レコードよりは、すこしアグレッシヴで。。。

ただ、やっぱレコードアレンジのこの動画も捨てがたい




宇宙の壮大さ、儚さという点では、レコードアレンジのこのバージョンのほうが、何枚も上でしたからね。
もっとも、曲終わりのインストが、レコードではフェイドアウトなので、テレビでやると、この動画のように、「なんか不自然」・・・になっちゃうんだけども。。。

この動画は「コッキーポップ」でしょうかね? 違ってたらすみません。。。


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気まぐれヴィーナス / 桜田淳子

1977_07_気まぐれヴィーナス_桜田淳子


今回の1曲セレクトは、「気まぐれヴィーナス」桜田淳子です。

まずはデータですよ。

・タイトル    気まぐれヴィーナス
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      阿久悠
・作曲      森田公一
・編曲      船山基紀
・リリース日   1977年5月15日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   21.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1977年6月13日〜6月20日付

個人的に、過去の「ヒット曲」を集めるのが好きで、高校生の頃からちまちまと、少しずつ音源を集めて来ているんだよね。かれこれ35年以上になりますかね。

まあ、35年やってると60年代以降現在までのヒット曲のクロニクルが出来てくるのよ。 
そんなヒット曲の変遷がわかるようなカセットの編集が昔から好きでさ。
新しい音源を買っちゃあ、ある程度溜まったら、カセットを作り直して・・・なんて、35年で何回やったかなぁ。。。

どうも、性格なのか、曲がキチンとヒットした順に並んでないと気が済まないんだよね。

だから、曲ごとにIDつけて、ノートに整理して、新たな音源買ったら、新たなIDつけて・・・整理して、カセットに録音して・・・なんて、大分やりましたね。

そもそも、お店の有線で、80年代チャンネルとか流れてることって結構あるじゃん。。80年代といってもヒット年はバラバラで流れるよね、普通。
例えば82年の曲の次に 86年の曲が来て、次が80年、次が85年の曲とかさ。
あれ、だめなのよ。ワシ。 なして、82年の次に86年の曲が来るんや・・・っていらいらしちゃたりして。。。 ちゃんとヒット順に並び替えたくなっちゃったりして。。。。

だから、時には数百曲並び替えて、音録り直して・・・なんてこともやってたな。
なんせ、アナログ作業だったからさ、2〜3日かかっちゃって、それに連休を全部潰す・・・なんてこともありましたねぇ

でも、今は、デジタル音源ファイルになったし、PCで整理できるから、だいぶ楽になりましたね。あの頃に比べると。
しかも、全楽曲の音源ファイルのアルバムタイトルタグを、例えば「ヒット曲」とかに統一してヒット順にIDをつけて管理すれば、1つのフォルダで60年代以降、現在までのヒット曲を、ヒット順で管理できる。
まあ、あくまで個人レベルだけども、ヒット曲の音源クロニクルデータベースですよ。

それでも、なんせ個人的に刺さった曲しか音源集めない悪い癖があるんでね。まだまだベストテンヒット全網羅するまでは程遠い。
やっと半分くらいですかね。。。80年代は大分集まったけども、70年代、90年代はまだかなり「抜け」がある。

音源を集めるといっても、サブスクの圧縮音源ぢゃだめで、あくまでCDクオリティ以上の非圧縮音源。加えて、極力「オリジナル」のシングルバージョン。リミックスとか別バージョンはダメなのよ。
サブスクの場合、リミックスとか、アルバムバージョンとかの別バージョンしかない曲が結構あるしな。結局、未だに頼るのはCDってなっちゃうんだよな。あるいはアナログレコード音源。
もっとも、リミックスとかアルバムバージョンの方が、シングルバージョンよりもいい曲もあるんで、最近はちょっと妥協してきたけど。。。

まあ、そんなわけで、未だに、ちまちまと少しずつ、過去のヒット曲の音源を集め続けているのよね。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんな最近、集めた音源の中から一つ。

桜田淳子「気まぐれヴィーナス」。

なんかさ、「最近集めた音源」の1曲がこの曲っていうのも、もしかすると首傾げたくなる方もいらっしゃるかもな。
70年代アイドルのスーパースターの一人である淳子さんの曲なわけでさ。

ただねぇ、個人的に70年代アイドル、そうね、元中3トリオの中でも、百恵さんに比べると、引っかからなかったというが大きいんだろうな。 当時から。
ちなみに新御三家のなかでは、郷ひろみ氏にも、当時は引っかからなかった。
まあ、あくまで個人的な好みという点でだけど。

だからね、最近まで淳子さんの当時のヒット曲の音源って、個人的にあんまり持ってなかったのよ。

でも、時代によって好みも合わってきたわけだしね。当時はひっっから無くても今、改めて掘り返すと、しっくりと来る曲もあったりするわけで、最近、少しずつ淳子さんの音源も改めて集めだしてたりするわけですわ。

今考えると、1977年って、いわいる「歌謡ポップス」ってほとんど聴いてなかったんだよな。
ここでも何回も書いてるけど、個人的にあの頃は「ポールモーリア」に傾倒していたし、洋楽ヒットの方が刺さってた、やな「ませがき」でさあ。 
いわいる歌謡ポップスは一段見下していたのよ、今思うと。
まあ、いわいるアイドルを見下していたオヤジの影響も大きかったんだけどね。

だから、いわいる歌番組っていうのを、あの頃我が家ではほとんど見てなかったのよ。
「8時だよ全員集合」なんかでも、ウタになると、オヤジが、裏のナイターにチャンネル回しちゃってたからさ。

だから、正直言うと、あの頃のいわいる歌謡ポップスって、ほとんど聴いてなかった。

ま、おふくろがジュリーが好きだったし、個人的にはキャンディーズとか秀樹は好きだったから、その辺は聴いてたけどね。

あとはピンクレディーか。 当時から運動音痴で踊れなかったワタシは刺さんなかったんだけども、友達の渉君(ってだれだよ? )の影響で「強制的」に聴かされていたんで、一応、曲は知ってたわけなんだけどもね。。。

でも、淳子さんは、正直、蚊帳の外だったのよ。少なくとも私の周辺では。

そんな影響が多いんだろうな。


ただね、今、この「気まぐれヴィーナス」を改めて聴くと、当時、リアルタイムで聴いてたとして、果たして刺さったかどうか、ちょっと自信持てない。

うん、曲自体はいいと思うんだよね。いかにも夏向きのアクティブな、70年代アイドルの王道のようなポップスですわ。

たださ、サウンドとメロディラインがね。。。。 悪くないんだけど古臭いのよ。あの頃の他のアイドルポップスと比べても。

リバーブがほとんどない、奥行きがない平面的な音っていうのかなぁ。いかにも狭いスタジオに閉じこもっているような・・・。。
確かに、70年代前半の曲には、この手の奥行きがない平面的なサウンドの曲ってあったよね。 特に、コロムビアとかビクターさんなどの「老舗」レコードメーカーからリリースされた曲には。

・・・っていう音が、そのまま踏襲されているようなサウンド。

どう割り引いても、1977年という時代の、すくなくとも最先端な音ではないんだよね。

最初にかいた、自分のヒット曲クロニクルライブラリーで、あの頃のヒットを順に聴いてくると、1976年から1977年あたりかけて、特にアイドルポップスについてはサウンドががらりと変わってくるのが分かるのよ。
それだけ、当時のいわいる70年代アイドルポップスって日進月歩で成熟していたんだよね。

そんな70年代アイドルポップスが最高点に達するのは、1977年の年末から1978年初頭にかけて・・と個人的には思っているんだけどさ。

うん、77年末から78年前半にかけての、いわいるA級のアイドルポップスは、今聴いても難しい曲が多いだよね。

つまりね、この「気まぐれヴィーナス」がリリースされた頃の、他のアイドルポップスの、少なくとも最先端は、だいぶ先に進んでいた・・ようなイメージが強いのよ。

この曲がリリースされた、前年76年には「夏にご用心」、そのまた前年には「十七の夏」で、いずれも大ヒットを飛ばしていた、淳子さんだけに、これらの曲に近い路線で77年夏も大ヒットを・・・っていう狙いだったんだと思うんだけどねぇ。
時代は、それよりもはるか先に進んでいってた・・・ってわけなんだよね。

併せて、淳子さんの年齢的なところもあったんだろうな。
この年の春に高校を卒業し、19歳になってましたね、淳子さんも。

今でこそ、20代後半でも十分アイドルを張ってるのは、むしろ普通になったけども、当時を考えると、二十歳目前の19才ってビミョウな年齢だったわけですわ。

当時の世間的な目から20才を過ぎると、アイドルから大人の「歌手」に脱皮を強いられる・・・っていうのが普通だったわけで。

それは、百恵さんかせ、ちょうど同じころ「イミテイションゴールド」っていう、脱アイドルっぽい曲をリリースしてきたことからもうかがえる。

それに対して、淳子さんのこの曲は、まだ「アイドル然」としたところが強いからなぁ。

たしかに、「去年のブドウは酸っぱかったけども、今年は熟して甘いでしょ」っていう、いわいる大人の女性への脱皮を伺える歌詞がお織り込まれているわけだけども、如何せん曲がねぇ。。。。
正統派なアイドルポップスなんだよね。

太陽のような「陽」の存在。百万ドルの笑顔 

って言われた淳子さん。 たしかにアイドル真っ只中の年齢の頃は大きな武器だったんだけども、
逆に大人の女性への脱皮という年齢に差し掛かって来て、逆にどうもそれが、ある意味ネックになってきてたような気もするんだよね。

これは80年代の河合奈保子さんにも同じような印象があるんだけどさ。

その辺が影響してか、この曲、結局、オリコン最高7位。 売上げ21万枚止まりに終わってしまう。

ベストテンヒットではあるけども、前年の「夏にご用心」の36万枚(オリコン2位)、そのまた前年の「十七の夏」の40.5万枚(オリコン2位)に比べると、中ヒットだよね。


熱狂的な固定ファンは別にして、一般のユーザーの人たちはシヴィアーなんだよね。その辺は。

今は、固定ファンの分母数が、当時に比べると途轍もなくデカくなっているし、そもそも固定ファン以外はCD買わなくなっているんで、その辺りの見分けがなかなかつきにくくなったけども、当時は、売り上げ推移で、よく分かったわけなのよ、その辺りが。




・・・とはいうものの、やはり大人の女性への脱皮は必須ということで、この年の冬、「しあわせ芝居」の中島みゆき、次の年の「リップスティック」の筒美京平という新機軸で大人の女性への脱皮を図ることになる。

まあ、その時はその時で、売上げも回復し、この戦略は成功したかのように思えたけど、結局長続きしないまま尻つぼみになってしまったけども。。。。
これらの曲は一時のカンフル剤にはなったけども、あくまでカンフル剤だったわけだよね。

それだけ、当時としては、アイドルから 一人の大人の女性アーティストへの変化っていうのは難しかったってことですよね。

もっとも、淳子さん、その後は「女優」という新たなフィールドを開拓することになるんですが。。。


ちなみに、松田聖子さんが、福岡時代のオーディションで、この曲を歌ったのは有名な話ですわな。

その後、「歌まね振りまねスターに挑戦」で、事務所の大先輩である淳子さんの前で、この曲を歌ったりしてるけど。。。

↓ コレ





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