今回の1曲セレクトは、「悪魔がにくい」平田隆夫とセルスターズです。
まずはデータです。
・タイトル 悪魔がにくい
・アーティスト 平田隆夫とセルスターズ
・作詞 平田隆夫
・作曲 平田隆夫
・編曲 土持城夫
・リリース日 1971年8月10日
・発売元 ミノルフォン音工
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 72.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1971年12月13日〜1972年3月6日付
ヒット曲を追い続けてかれこれ45年になる。 その間、リアルタイムで聴いてきた曲は、もちろんのこと、リアルタイムで接してこなかった曲についても、45年の間に後追いで追っかけて曲を認知したり、音源を集めた曲もだいぶ増えたな。
それらについては社会背景とかアーティストについても後追いで調べたりした曲が多いわけで、ヒットの背景が見えた曲が多い。
でもねぇ、いまだにこの曲がなんでここまでの大ヒットになったのか・・っていうのが、よくわかんない曲もありますね。
特に70年代初期以前の曲かなぁ。 自分が物心つく前の曲ですね。
まあ、G.Sとか、フォーク系を含む、のちのロック、ニューミュージック系の源流はちょこちょこ独自に遡ってきたりしたんで、徐々に「あの時代」について分かったりしてきたんだけども、こと歌謡曲となると、謎な部分が多いのよ。
うちのオヤジが いわいる「歌謡曲」という音楽には興味がなかったせいか、うちにはその手のレコードもなかったし。。
今、ネットを調べても、意外と出てこないのが、この手の音楽についてなのよ。
ネットでのこのジャンルの書き手のヒトも、少ないからなんでしょうかね?
例えば、生業でこの時代、リリースされた楽曲について作詞、作曲者についてネットを調べても出てこない曲がちょくちょくあるんだよね。
某Jさんの作品データベースを調べても出てこなかったりして。。。
(某Jさんのデータベースは、昔のカード管理の時代から現在のデータベースに移行する際、直近で利用実績がない、将来的にも利用されないであろうと思われる古い曲は消去しまった曲もあるとのこと。
だから70年代の曲とか出てこない曲もあるのよ。むろん、オリコンにはランクインしてこないような、今となっては誰も知らないような超マイナーな曲ではあるけども。。。)
この手の曲については精通している方たちも、もう鬼籍に入られているとか、かなりのご高齢であると思われ、まあ、だから、今となってはネットでの空白地帯になっているのかもしれないけども。。。
今回は、そんな、今となっては、あんまり情報が出てこない大ヒット曲を一つ
平田隆夫とセルスターズ 「悪魔がにくい」
今から52年前の、1972年の今頃、オリコンで首位を5週間も続いていた大ヒット曲なんだけどね。
ネットを調べても、ほとんどこの曲については出てこない。
むろんwikipediaには項目があるけども、他、音楽評論家とか個人で書かれているブログは、ほとんど出てこないな。
そんじゃ、おめーはどうなんだ? と言われそうだけども、正直、ワタシも、なんでこの曲が、ここまでの大ヒットになったのかっていうのが、よくわかんないのよ。
この曲がヒットしていた頃ってたいったら、ワタシゃ 2才6か月。
むろん、リアルタイムでは聴いた記憶が全くないわけで。。。
はじめて曲の存在を知ったのも中学生になってオリコンを見るようになってからですね。
オリコンでの累積売り上げは72万強となっているけども、1972年当時の70万枚なんて相当なヒットですよ。それこそ、誰でも知っているような。 しかもオリコンで1位を5週もとってたわけだから。。。
現に、あの頃オリコン歴代売り上げ上位にランクしてた曲は、リアルタイムじゃなくても、ほとんど認識できたからさ。
でも、この曲はワタシにとっては謎だったんだよね。 まあ、だから余計興味は持ってたんだけども。。。
曲を初めて聴いたのは、さらに10年近く後。
ニッポン放送で、オリコンウイークリー600号を連動して、当時のオリコンシングル売り上げTOP500を半年かけてカウントダウンして言った番組を聴いたときですわ。
よくわかんなかったな。 ほんとにこの曲が70万枚? っていう感想。
このクラスのヒットになると、かならず、フックなるようなインパクトってどこかしらあるもんなんだけども、この曲からは、そういうインパクトは感じなかった。
だから余計、謎に感じるんだよね。 あ、これは、手元に音源がある、今でも変わんないですね。
・・となると、ここまでヒットするような時代背景とかあると思うんだけどね。
悔しいかな、個人的には、そのあたりを直に体験していないからなぁ。 むろん、同じ空気は吸っていたんだけども、まだ物心ついてなかったから。。。。
wikepediaを読むと、リーダーの平田隆夫氏は、武蔵野音楽大学を出て、ダン池田氏率いる「ダン池田とアフロキューバン」というラテン系のジャズバンドのピアノを担当。
のちに「ザ・ルビーズ」というG.Sのギタリストだった菊谷英二氏とセルスターズを結成。
セルジオ・メンデスの「マシュケナダ」のようなラテンバンドを目指すとある。
これを読んで、ははん・・と腑に落ちたなぁ。
この「悪魔がにくい」のイントロの冒頭、ピアノのリフが「マシュケナダ」だもの。
つまりはさ、この曲、ラテンなんだ。
・・なんて書くと、 いやー、めっちゃ歌謡曲じゃん って思われちゃうと思いますけど。。
あの時代、まだまだ歌謡曲は絶対だったんだよね。日本で売るためには。
ポップスだろうが、ロックだろうが・・なんだろうが。 あの時代の大ヒット曲を、今聴くとみんなそうだもの。
根っこの部分は、ロックや、ポップス、ラテン、ジャズ・・といわいる「舶来」なリズムであっても、表層的な部分では、4-7抜きっぽいメロディラインが主流の歌謡曲なわけでさ。
まあ、そんなわけが分かんないようなミクスチャーがあの時代の歌謡曲の主流なわけで。
うん、今、外人が日本の曲に興味を持って、面白がってくれているのは、外人からみるとそんな、訳が分かんない、少なくとも自分たちの文化、音楽には絶対にありえなかった、不可思議なミクスチャーなところなわけじゃん。
でも、今考えると、あれが、あの頃の日本人としての本質だったんだよね。
でも、それでは物足りない、もっと外国に近づきたい・・っていう若者が徐々に現れだしたのが、同じ70年代初頭なわけで。 そういう人たちが台頭し、新たな音楽の地平であるニューミュージックが、そのあと台頭して行ったわけですわ。
72年の今頃と言ったら、そんなミクスチャー歌謡曲がヒットチャートでは全盛だった時代。
そう考えると、この曲なんかはヒットするべくしてヒットした曲だったのかもしれないな。
で、ワタシは、もっと外国カルチャーに接近した、ニューミュージックがヒット曲の原点になっているからさ。 この手のミクスチャー歌謡曲はよくわからん・・と以前感じたのも、当然だったのかもなぁ。。。
この曲がヒットした当時のセルスターズのメンバーは
・平田隆夫 ピアノ
・菊田英二 ギター
・小井修 ベース
・松山徹 ドラム
・村部レミ リードボーカル
・みみんあい ボーカル
っていう面々。
今思うと、美人だったレミさんのリードボーカル 、かと思えば、トンボメガネにあか抜けない三枚目な様相の みみんあい っていうツインボーカルがビジュアル的には面白かったのかも知れないな。
ちなみに、You tubeで↑を見ると、コメントに「天才バカボン 商品付きの歌合戦でパパが歌った曲」って、いくつも書き込みがあるんだけども。。。
いやー、「天才バカボン」は、日テレの夕方5時半から繰り返し再放送してた時に、何回もみたけども、覚えてないなぁ。。。。
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