かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1970年代ヒット曲

リップスティック / 桜田淳子

1978_07_リップスティック_桜田淳子


今回の1曲セレクトは「リップスティック」桜田淳子です。

まずはデータでする。

・タイトル    リップスティック
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1978年6月5日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  19.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1978年6月19日〜7月24日付

後付けで知った曲。 こういう曲も数限りなくあるわけなんですよね。
私の場合、リアルタイムでヒット曲を聴き始めたのが、1978年9月頃だったかなぁ。 実際的には1978年11月2日に初めて「ザ・ベストテン」を見始めて以降っていうのが、より正しいんだけど。
うん、この場合、「意識して」ヒット曲を聴き始めたのっていった方が正しいかもしれん。 
もちろん、それ以前にも、なんとなく聴いてた曲もあるわけなんでね。
特にこれらの端境期にあたる1978年っていう年は、意識してヒット曲を聴き始めては無くても、なんとなく聴いてた曲も多いんだよね。
 反面後年まで全く知らなかった曲も多かったりして。。。  今回はそんな曲を一つ。

桜田淳子 「リップスティック」

いや、そう書くと結構意外がられますかね。

桜田淳子さんの1978年リリース曲の中では、代表曲と言ってもいいですし、ヒット曲評論家の間でも「受け」がいいこの曲なんでね。
でも、私は耳にしてなかったんだよなぁ。理由はよくわかんない。
まだ、積極的にヒット曲を聴いてなかった時期ではあるものの、この前曲の「追いかけてヨコハマ」は、リアルタイムで知ってたんだけどね。

もちろん、歴代の「ザ・ベストテン」のランクイン曲の一つとして知ってはいたけどさ。あくまで「知識」と知っていたまでで、曲は後年まで聴いたことなかった。。 というか、ずっと忘れてたと言った方がいいかもしれん。

再び、この曲を意識しだしたのは、1995年に刊行された「歌謡曲完全攻略ガイド」で取り上げられたのを読んでからですね。

それでも、それから実際に曲を耳にするまで、さらに何年もかかったんだけどさ

曲を実際耳にしたの、実は、いまから数年前なんですわ。。。

実際曲を聴いてみて、「歌謡曲完全攻略ガイド」で読んだ印象とは大分違ったんたんだよね。それでがっかりしたような何とも言えない気分になったりして。

「歌謡曲完全攻略ガイド」を読む限りではもっとポップでスピード感があるようなイメージを持ってたんだよな。
Aメロ前の 例の ♪フッフッ♪ っていうコーラスも「歌謡曲完全攻略ガイド」を読む限りでは、もっとスビート感があるのかと思ってたんで、実際に曲を聴いてちょっと拍子抜けだったんだよな。

ただ、一番感じたのは、それまで感じていた1978年の「初夏」っていうイメージとちょっと違うなってところかなぁ。

これまで自分で所有していた音源から感じる1978年初夏って、もっとロックなイメージが強いんだよね。といっても、汗臭いロックというよりは、ポップスよりのさわやかなロックっていうのかなぁ。
いかにも初夏を思い浮かばせる緑が、このころのイメージカラーなんだよね、個人的な中では。

でもねこの曲は、ちょっとこのイメージカラーからは離れてるかなぁ・・・っていうのが真っ先に感じたところでさ。

そうだ、この曲はポップスというよりも「ソウル」なんだよね。といっても、「ソウルドラキュラ」のような重くてジメっとしたソウルではなく、ディスコっぽいダンスナンバー寄りのソウル。
スリーディグリーズの「ソウルトレイン」とか、あの類に近いよね。
そういえば、スリーディグリーズといえば「にがい涙」とか、浅野ゆう子さんの「セクシー・バス・ストップ」って筒美氏が手掛けたわけで、この手のディスコ寄りのソウルナンバーって得意なんだよね。

で、いずれの曲も、なんていうのかなぁ、ヒューミディティ的っていうのかなぁ、どことなく、湿度を感じるサウンドだったりしてね。
っていっても、なかなか伝わらないかなぁ・・・。 そうね、昨日今日の関東地方の天気のような「蒸し暑さ」っていうのかなぁ。 そんな温度感を感じたりして。

この「リップスティック」にしてもそうだなぁ。

この湿度感は、筒美氏のアレンジ特有なサウンドなんだよなぁ。 良く筒美氏のアレンジはバタ臭いっていわれたりするけど、個人的にこの言い方はなんかちょっと違うなって思えたりしてたんだけどさ。そそそ、ヒューミディティ的なんだよね。

恐らく、筒美氏が自らのアレンジする際、 特にソウルナンバーの時のややしつこいくらいの「ストリングス」の使い方から湿度感を感じるのかなとも思ったりするんだけどさ。

ただ、同じ筒美氏でも、太田裕美さんの「九月の雨」や、ジュディ・オングさんの「魅せられて」で聴かせてくれるような、いわいるポールモーリアサウンドの場合は、ソフィケートされた清涼感のあるストリングスを聴かせてくれたり。
曲調によって、全く違うストリングの使い方を魅せるっていうのも筒美氏の特徴だし、そういう使い分けができるっていうのも筒美氏サウンド幅の広さなんだよね。

もっとも、筒美氏自らアレンジをほとんどしなくなった80年代以降は、なかなかこのサウンドを聴く機会も少なくなるんだけども。

ただ、この「リップスティック」の場合、そうは言っても、件のコーラスにしても清涼感があるし、なんと言ってもサビとは全く異なるスローなイントロは蒸し暑さどころか、秋風を感じさせたりして、夏の汗臭さを払拭させていますね。
さすがに、当時トップアイドルであった淳子さんに、そこまで汗臭さを感じる曲はマズいっていう配慮なんでしょうかね。



それにしても「ベストテン」落ちは突然にやってくるなんて言いたくなるくらい、まさか、この曲が淳子さんにとって最後のオリコンベストテン入りなんて、よもや思わなかったんじゃないのかなぁ。

たしかに、20才を迎え、当時アイドルから大人のシンガーに脱皮する途中だったんだろうっていうのは、今になってみればよく分かんだよね。
 少なくとも、この曲のちょうど1年前にリリースした「気まぐれヴィーナス」と比べても、ぐっと大人っぽい曲調だしさこの曲は。

ただ、そんなアイドルから大人への脱皮っていう変化は、このヒトの場合は受け入れられにくかったんだろうね。
それだけ、このヒトの場合は根っからの太陽のようなアイドル気質だったんだろうし、永遠のアイドルをみんな望んでたんだろうな。
そこが陰と陽といわれ「菩薩」だった山口百恵さんとは違ったというわけで。。。



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水色の恋 / 天地真理

1972_01_水色の恋_天地真理


今回の1曲セレクトは、「水色の恋」天地真理です。

まずはデータです。

・タイトル       水色の恋
・アーティスト     天地真理
・作詞         田上えり PESCE CARLOS
・作曲      田上みどり LATASA FELICIANO
・編曲      森岡賢一郎
・リリース日   1971年10月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   43.2万枚
・ベストテンランクイン期間:1971年11月22日〜1972年2月7日付

トートツですが、ワタシは今日一体何文字書いてるんだろう?  
なんて思いたくなるほど、文章を書いてる1日だったりして。。。
午前中、この1曲セレクトで「案山子/さだまさし」書いた後、さっきまでRe:minderの原稿を書いてたのよ。で、今、改めて1曲セレクトを書いてたりする。

9日も休みあったんだからさあ、Re:minderの原稿とか、もっと余裕があるときに書けばよかったのに・・とも思うんだけど、どうもケツに火がつかないと動かないのが、ガキの頃からの欠点でして。。。

いや、でも実際のところは現実逃避っていうほうが大きいかも。
そそそ、9日間の年末年始休みも、もう終わり。明日からの仕事行きたくねー病ですよ。 まさにサンデーシンドロームの状態。 そこからの現実逃避ってところでしょうか。

テレビ見ながら「あー、仕事行きたくねー」とジリジリしているよりは、現実逃避でモノ書いてるほうがまだ気が紛れるわけなのよ。

プラス、書こう書こうと思って、少しの間ペンディングしてた曲もあったんでね。書く気になっているうちに書いとこうかってことで、PCに向かってたり。。

そのしばらくペンディングしてた曲というのは、

天地真理「水色の恋」。

うーむ、果たしてどの程度反応いただけるかはちょっと不安ですが。。。70年代前半のトップアイドル、天地真理さんのデビュー曲ですね。

かなり前に、デビュー2曲目の「ちいさな恋」は書いたんだけども、肝心のデビュー曲はまだ書いてなかったんだよな。ちょうどいい機会なんでね。

正直言って「ちいさな恋」を書いたときは、曲自体それほど知らないで書いたんだよな。 まあ、今でこそ手元に音源があるんだけど、1曲セレクトを書いたときは、音源も何もないで書いたのよ。
唯一、90年代初めにニッポン放送で放送された、「オリコン歴代TOP500」で流れた音源の記憶を頼りに何とか書いたんだよな。

そそそ、あの曲はリアルタイムでは聴いた記憶なかったのよ。 ・・・というても、当時ワタシャ2歳5か月。記憶になくても当たり前ではあるんだけども。。。

でも、この「水色の恋」って曲は、どことなくヒット当時聴いた記憶があるんだよね。
後々大人になって改めて、この曲を聴いたとき、イントロからして、「あ、これ・・・」っていう記憶の糸がつながったことを覚えてるわ。

まあ、いつ、どこで聴いたか・・・なんていうのは全く覚えてないけど。。 多分、当時住んでた、福島県いわき市の市営住宅で聴いたんだろう。 

なぜか、この曲を聴くと、夕焼けの風景がフラッシュバックするんだけども、その風景っていうのが、その頃住んでた市営住宅の裏手の広場から見た夕焼けの風景だったりするんだよな。
そそそ、夕焼けがきれいに見える立地だったんだよ、あの市営住宅。
特に秋口になると、オレンジ色の光がいっぱいに差し込んでくるような。証拠に、今手元に残る当時のアルバムをみると、夕焼け色に染まったカラー写真が何枚か出てきたりするもの。

この曲からフラッシュバックする光景は、まさにそんなカラーなんですよ。 タイトルは「水色の恋」ではあるんだけど、ワタシにとっては水色ではなく「オレンジ」色なんだよね、この曲のイメージは。

そういうこともあって、あの市営住宅の頃、この曲を聴いたんだろうなっていうのが想像できたりしてね。


ところでこの曲って、天地真理さん用に書かれたオリジナルの曲ではないんだよね。
原題は「小さな私」というタイトルで、のちのYAMAHAポプコンの前身、当時はYAMAHA「作曲コンクール」と言われたコンクール用に書かれ、1970年のコンクールで入賞した曲なんだよね。

当時のYAMAHA作曲コンクール資料サイト

https://www.yamaha-mf.or.jp/history/e-history/popcon/pop2.html

を見ると、コンクールの時は天地真理さんではなく、藤田とし子さんという方が歌ったとある。 藤田とし子さん。のちに「一休さん」などの声優をやられた声優の第一人者ですよね。
ちなみに、この時、天地真理さんは、本名の斎藤マリで、同じく作曲コンクール入賞の「OTHERWISE」という外国曲を歌っている。

天地真理さんといえば、70年代前半のトップ「アイドル」というイメージが強いけど、もともとは国立音大付属高校声楽科卒のバリバリの音楽家であり、高校の頃フォークソングにも傾倒していたっていうどちらかといえば、フォーク系のアーティストだったんだよね。その影響もあり、YAMAHAの作曲コンクールでも歌っていたようですね。

その後のアイドルになってからの「ファルセット唱法」も、国立音大付属校声楽科だった頃の名残っていうのが大きかったんでしょう。

ぢゃ、なぜにYAMAHA作曲コンクールでは別の曲を歌った天地真理さんが、この曲でデビューしたのかといえば、当時若者に人気があった、TBS「ヤング720」で元タイトルの「小さな私」をうたったのがきっかけだったらしい。そのあと、当時の超人気ドラマ「時間ですよ」の隣の真理ちゃん役に抜擢され、白いギターをつま弾きながら「水色の恋」と改題したこの曲を歌ったのが、デビューのきっかけだったようですね。


ところで・・・、今の今まで、この曲はYAMAHAの作曲コンクール用に作詞 田上えり、作曲 田上みどりという姉妹によって書かれた曲と思ってたんだけども。。。件のJASRACのデータベース上では「外国曲」扱いになってたりする。
なぜに? と思ってWikipediaをみたら、作詞 PESCE CARLOS、 作曲 LATASA FELICIANOっていう外国人が記載されてたりして。 


これは如何に?  

・・・と思ってちょっと調べてみたら、確かに原曲「らしき」外国曲があったんだよね。

「Gran Hotel Vivtoria」

↓ コレ


この動画の52秒あたりから、「水色の恋」のAメロのフレーズが出てきたりする。

これは言われなきゃわかんないよ・・・と思うものの、原曲側からなんらかのクレームが入ったんでしょうね。
JASRACコードを見ても、つい最近のコード番号になってるんで、最近、何らかのクレームが入ったんだと思いますが。。。

YAMAHAさんは、昔、八神純子さんの「パープルタウン」で、同じように盗作疑惑のクレーム(訴訟)が入った時に、以後「パープルタウン」には訴訟を起こした側の原題である「You Oughta Know By Now」の明記と、作家の明記、ついでに「パープルタウン」を使用する場合の著作権料は原曲と併せて「2曲使用」とすることをあっさりと認めちゃった前歴があるからなぁ。この曲も同じだったのかもしれない。

・・・ということは、いずれにしても、天地真理さんの「水色の恋」はカバーのそのまたカバー曲っていうことになるわけですね。。。 なんかややこしいな。。。






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案山子 / さだまさし

1977_12_案山子_さだまさし


今回の1曲セレクトは、「案山子」さだまさしです。

まずはデータです。

・タイトル     案山子
・アーティスト   さだまさし
・作詞       さだまさし
・作曲       さだまさし
・編曲       渡辺俊幸
・リリース日   1977年11月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数   13.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

先日、会社でのランチの時、同僚と昔の鉄道の話になった。 きっかけは、今の鉄道は新幹線中心であっというまに目的地についちゃうんで「旅情」がないよね。ってことからなんだけど。
昔はさ、超長距離「各駅停車」なんていっぱいあったんでさ。今じゃそんな存在あったなんて信じられないけど、上野発青森行き各駅停車とかさ。1960年代まで走ってたし。「大垣夜行」で今でも親しまれてる、東京発大垣行きは、昔は東京発大阪行き普通列車だったとかさ。
もちろん、各駅停車なんで時間はかかりますわな。上野発青森行きは24時間もかかってたりする。 スピード化が進む今では、全く悠長な話だよね。 今や上野−青森なんて新幹線で4時間かかんないんだから。

でも、そこに旅情があるのよ。

旅は疲れることにあり。

誰かの名言だけど、まさにその通りだと思うんですよ。

スピード化によって旅情がなくなったのと同時に、日本国土も狭くなったよね。 昔、ワタシらがコドモの頃は、北は青森、西は博多なんて、遥かな地のように思えたもの。 鉄道、航空機などの移動手段の発達と進化によって、日本列島もどんどん狭く感じるようになってきている。
まあ、それはそれでビジネス上はいいことなんだろうね。反面、これによって、「情緒」っていうものがなくなってきているようにも思えるんだよな。


今回は、まだ新幹線も今ほど発達せず、故郷から大都会(東京)は、まだまだ遠く離れた異国の地のあった頃の1曲を一つ。


さだまさし 「案山子」

故郷の兄から、街に出た弟か妹にあてた手紙のような1曲。

♪元気でいるか 
街には慣れたか 
友達出来たか 
淋しかないか 
お金はあるか 
今度いつ帰る・・・♪

実家から遠く離れた経験がなく、家族とこういう手紙のやり取りをしたことがない私が書くのも僭越だけど、まだインターネットもなく、手紙や電報でしか故郷への連絡手段がない時代、こういった内容の手紙のやり取りは頻繁に行われてたことだろう。

そこから、実家から離れたことがない私にも情緒を感じる。

いや、実際のところは、昔、私もこういうやり取り・・・文通をやってたことがあるんだよね。

かくいう私も、生まれは福島・いわきで、中1の時に今の千葉に引っ越してきたんだけど、引っ越して来てから高2くらいまでの5年間。 いわきの友達と文通を通りしてやり取りをしていたことがあった。

その時のやり取り内容っていうのが、まさに、この「案山子」の↑のAメロの歌詞内容のようなことですよ。

もちろん、中・高生なんで「お金はあるか」なんてことはなかったけどさ

いわきから千葉まで約200Km。 今は車を飛ばせは3時間。最初に書いたようにぐっと近くなった故郷だけど、当時は、えらく遠くに来たような錯覚があったもんなぁ。

だから、実家を離れたことがない私でも、この曲の詩の内容にはグッとくるところがあるんだよね。

こういう経験をされた方っていうのも絶対に多いだろうしね。 特に東京っていう街は、今や地方出身者の集合体のようなところがあるから。
もっとも、最近は初めに書いたように日本列島も距離感は大分小さくなったし、だから今の20代、30代の若い方々はこういう感情はあまり持たないかもしれないけど。。

これも「昭和」といういい時代の一つの象徴的な風景なんだろうな。


でさ、この曲、Bメロの歌詞にこの「物語」の田舎の風景が描かれているじゃん。

1番歌詞
♪ 城跡から見下ろせば蒼く細い川 橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突♪

2番歌詞
♪ 山のふもと 煙はいて列車が走る 凩が雑木林を転げ落ちてくる 
銀色の毛布付けた田んぼにポツリ 置き去られて雪をかぶった案山子が一人 ♪

めっちゃ風景的な描写の歌詞、この一節でこの風景の映像が一瞬にしてフラッシュバックする。
当時は、こんな歌詞から映像が脳裏にフラッシュバックするような風景描写的な曲って多かったんだよね。

でも、だからこそ、今ネットでこの「案山子」についてググると、ドラマ、絵本・・などなど映像的なサイトがいっぱい引っかかってくるんだろうな。

そんな歌詞に、カントリー調のサウンド。 頭の中は一瞬して地方の風景ですよ。東京や大阪などの大都会の猥雑さがなくなる。

個人的には、この曲の原風景っていうのは、絶対に東北だと思ってたの。秋田の角館とかさ。
「煙はいて列車が走る」って、蒸気機関車ですよね。 一面の銀世界の中、煙を吐いて走る蒸気機関車・・ってどうしても、ワタシの中では東北地方のイメージがあったりするんだけどさ。

But、実際のところ、さだ氏にあった、この曲の原風景って、山口の津和野だったらしいですね。
ま、たしかに、新山口から津和野間で今でも観光用の蒸気機関車が走ってるけど。。。。
そもそも、この曲の原案が浮かんだのは、大分から福岡に向かった列車の中から見た風景からだったようで・・・。

全然、東北地方ぢゃないじゃん。。。。

うーむ、やっぱり作者のイメージと、受け取り側のイメージにはギャップがあるよね。 いや、これは、受け取る側として私、個人のイメージっていうところかな

もしかしたら以前も書いたかもしれないけど、売野雅勇氏が作詞した、東京JAP「摩天楼ブルース」。
摩天楼っていうからには、西新宿が原風景だとワタシは思ってたの。
でも実際、売野氏がモチーフにしたのは横浜だった・・ということで、やっぱり全然違ったのね。

同じ地方発大都会行きの遠距離物語な曲として超有名な太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」にしても、

♪ 恋人よ 僕は旅立つ 東へと向かう列車で〜 ♪

 ・・・ってあることから、田舎の舞台は西の方っていうことは想像つくんだけど、実際のところ、当時、太田裕美さんのディレクターだったCBSソニーの白川氏が北九州の筑豊出身だったんで、それをモチーフにしたようで、これもちょっと個人的には意外だったんだけども。。。

♪ いいえ、草に寝転ぶあなたが好きだったの〜 ♪

ってあるんで、もっと牧草地なところかと思ってたんだけども。。。。

こんな風にさ、実際に作った人が見えてる原風景と、受け取る側が感じる風景って全く違ったりするんだよね・・ってうのが、この「案山子」っていう曲からもよくわかったりしてね。

まあ、それは受け取る側、一人一人の生活環境、人生・・によってそれぞれ違った風景が見えてしかるべきだと思うんだよね。
今は、多くの曲にMVがついてビジュアル的に音楽を聴く時代。これはこれでいいのかもしれないけど、映像によりなんか曲のイメージが限定されてしまうような気もするんだよな。

↑で書いたようにこの「案山子」のころのような、聴く方々それぞれで見える風景が違ってくるところが本来の音楽のいいところだと思うんだけどな。




ヤバい、動画見てたら泣けてきた。
最近、すぐ涙腺緩むのよ。。。 年取ってきたせいかな。。。

ときに・・・・タイトルの「案山子」って読めない方、よもやいませんよね〜。


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赤い衝撃 / 山口百恵

1976_12_赤い衝撃_山口百恵


今回の1曲セレクトは、「赤い衝撃」山口百恵です。

まずはデータでする。

・タイトル      赤い衝撃
・アーティスト    山口百恵
・作詞        千家和也
・作曲        佐瀬寿一
・編曲        馬飼野康二
・リリース日     1976年11月21日
・発売元       CBSソニー
・オリコン最高位  3位
・売上げ枚数   50.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1976年12月13日〜1977年1月31日付


あー、やっとここまで書けた。。 毎度毎度、ここまで書くまでが長いのよ。
頭の中ではあれこれ考えてるんだけど、なかなか筆が上げらけない。 
今回も書こうと思えば、昨日のうちに書き始めてもいいところ、結局ここまで来るのに1日かかっちまったわい。
あー、非効率。

それもこれも、今回引っ張ってきた曲のおかげなんだよなぁ。
今回引っ張ってきた曲、今となっては音源も手元にあるんで、頻繁に聴いてはいるんだけど、リアルタイムでは聴いてなかったからなかなか書き出しが浮かんでこなかったんだよね。

その曲とは、 山口百恵「赤い衝撃」

売り上げ50万枚を上回り、百恵さん中期の代表曲の1曲といっても過言ではないこの曲。 しかもあの「赤いシリーズ」の同名タイトルドラマ(1976年11月〜1977年5月放送)の主題歌でもあったわけで。 おそらく私よりちょっと上の方は、ほとんどの方はリアルタイムで聴いてたんだろうなぁ・・・と思う。
だけど、私はまだヒット曲の世界に足を踏み入れてなかったからなぁ。 

1976年といえば私は7才。小学1年生。だから、世代的に微妙なんだよね。

年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんがいる方は、「赤いシリーズ」も一緒になってみてただろうし、だからこの曲もリアルタイムで聴いてた方もいるでしょうね。 
私の一つ上の森口博子さん、二つ上の原田知世さんはともに、リアルタイムでドラマを見てたしこの曲も大好きだったって言ってるしさ。

でも、一人っ子のワタシは、当時は全く知らない世界だったからねぇ。赤いシリーズもリアルタイムでは見てなかった。
「赤いシリーズ」を制作していた大映ドラマっていえば、ワタシ的にゃ、「スチュワーデス物語」や「少女に何が起こったか」なんかのTBS火20時ドラマや「スクールウォーズ」だったからさ。 一世代後なんだよね。

だからさ、正直言えば、この「赤い衝撃」もリリース年が、最近まで今一つあいまいで覚えてたんだよね。

うん、1976年じゃなくて、1975年リリースだとばっかり思ってたの。

そう覚えてたのは、この曲の曲調もあったんじゃないかなぁ。。と思うんだよな。 

1976年11月リリースにしては、今一つ垢抜けないんだよねぇ。 アイドルとして同時期にヒットしてたのが、ピンク・レディーの「ペッパー警部」ですわ。

あの曲の斬新さから比べると、それよりも1年前の・・・っていうイメージが拭えないんだよなぁ。

そもそも大映ドラマってVTRが主流になり始めてた当時のドラマの中にあっても、フィルムドラマだったしね。 テレビドラマというよりかはテレビ映画というところが強かったかもしれない。それは、80年代に入ってからもそうで、そんなところからも少し古さは拭えなかったわけで、それは、主題歌のこの曲でもそうだったんだろうな。

まあ、作詞者の千家和也氏も作曲者の佐瀬寿一氏も、どっちかといえば70年代前半というイメージの方たちだったし、曲調に少し古さも感じるんだろうね。

古さっていうのは、メロディラインというよりは、実際のサウンドなんだろうな。特に音質。 いや、音場っていうのかなぁ。 実際のレコード音源の音の奥行だよね。

70年代って中盤頃までって、音に奥行きがない曲が多いんだよね。なんか、リバーブもかかってない狭いスタジオの中で録音したような、立体感がない平面的な音というかさ。個人的にはそういう音にどこか古さを感じるんだよなぁ。

そんな奥行きがない音から、立体的な奥行きがある音の曲が増えていったのが、ちょうど76年の後半から77年頃じゃないのかなぁ。 この当時のヒット曲をいろいろと聴いてるとそんな気がする。 78年頃はヒット曲のほとんどが奥行きがある音になってるもの。

では、この赤い衝撃はどちらなのかといえば「前者」なんだよね。 まあ、最近のリマスターされた音源は、当時よりも大分音質が改善されて奥行きのある音になってるけど、当時のシングルレコードの音は平面的でボコボコな音質だもんね。


でも、そんな古さを隠せえない曲調のこの曲だけど、結果的には50万枚オーバーだったわけで売り上げを見る限りは成功だったんだよね。

ここでも何回も書いたけど、70年〜80年代ごろまで大ヒットの目安として売り上げ50万枚があったんだよね。

70年代アイドルにとって、この50万枚っていうが一つの「壁」になっていたのよ。 

この50万枚の壁に、同じ中三トリオだった桜田淳子さん、森昌子さん、新御三家の郷ひろみ氏、野口五郎氏は大分苦しめられてたからなぁ。

そこから見ると、50万枚オーバーを5作もってる百恵さんはやっぱり別格だったんだよな・・・っていう印象が強い。

ただ、そんな百恵さんでもいつでも50万枚を突破できたわけではなし、デビュー以来から見ると、この「赤い衝撃」は、74年の「冬の色」、76年の「横須賀ストーリー」に次ぐ、3作目の50万枚突破となる。

「赤い衝撃」は、百恵さん主演としては赤いシリーズ第4作目のドラマだったんだけども、主題歌のタイトル曲としてリリースされたのは、この曲が最初なんだよね。

もちろん、それ以前の「赤いシリーズ」の主題歌もレコードとしてはリリースされているけど、いずれもシングルのB面としてのリリースだったわけで。

この曲の前の「パールカラーにゆれて」のリリースが9月。 当時の3か月ローテーションリリースから見ると、次のリリースは12月だったわけなんだけども、1か月前倒して11月21日のリリース。 つまりは臨発的なリリースだったわけだけど、リリース月を前倒ししてまでローテーションをかえたってことは、それだけ当時の「赤いシリーズ」の人気がうかがえるんぢゃないのかなぁ。

ちなみに、この「赤い衝撃」の次のシングルが「初恋草紙」って曲なんだけど、この曲のリリースが77年1月。
まだ、この「赤い衝撃」のヒット中のリリースだったもあり、すっかり影が薄くなり、売り上げが全く伸びなかったという伏線もあったわけで。。
もっとも、当時のドラマは2クールが通常だったわけで、「初恋草紙」リリース後もドラマが続行されていたこともあって影が薄くなったということもあったのだけど。。。
この「初恋草紙」についてはまだいずれ。




ところで、TBSで放送されていた「赤いシリーズ」。この次の年の赤いシリーズ「赤い絆」の主題歌だった「赤い絆〜レッドセンセーション」は、だからTBSの歌番組でしか歌われていなかったはず。
さらに言えば「ザ・ベストテン」でぐらいしか歌われなかったと思う。
 そこからすれば、この「赤い衝撃」もTBS以外の歌番組では歌われてなかったんじゃないのかな。
もっとも、まだ「ベストテン」は始まっておらず、TBSの歌番組といえば「ベストテン」の前番組だった「トップスターショー」や「サウンド インS」などしかなかったと思うけど、「トップスターショー」には百恵さんは一度も出演してなかったようなんで、この曲も歌われてなかったはず。・・ということは、テレビではこの曲歌われてなかったんじゃないのかな。
Youtubeにこの曲の「ヒットスタジオ」なんかの歌番組動画が上がっていないのはそのせいのはずよ。

つまりは、この曲、ドラマとせいぜいラジオの歌番組だけで、ここまでヒットしたんだよね。 当時のアイドル曲としては異例なヒットの仕方だったんぢゃないかな。



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埠頭を渡る風 / 松任谷由実

1978_10_埠頭を渡る風_松任谷由実


今回の1曲セレクトは、「埠頭を渡る風」松任谷由実です。

まずはデータです。

・タイトル     埠頭を渡る風
・アーティスト  松任谷由実
・作詞       松任谷由実
・作曲       松任谷由実
・編曲       松任谷正隆
・リリース日    1978年10月5日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 71位
・売上げ枚数  1.9万枚

急に寒くなりましたね。 ワタシ、布団は、まだタオルケット1枚なのよ。 いやいや、さすがに昨夜は寒かった。
いい加減、掛け布団出さなきゃ・・・ってところなんだけど、掛け布団、出して1度天日で干さないと、若干湿気っぽいんだよな。
本来なら、祝日だった今日とか布団干ししたかったんだけどねぇ。。雨ではねぇ・・・。
・・かといって、湿気っぽい布団で寝る気にもならず、今日もタオルケット1枚で寝ることになるんだろうな。。。。

・・・ということで、こう、寒くなって来ると、ちょっと温度感が低い曲を聴きたくなって来る。

なんじゃ、温度感が低い曲っちゅうのは・・・  ってところなんだけども。。。

単純に秋っぽい曲・・・ではなく、ちょっと寒風を感じる曲って感じかなぁ。 特に今日のように、雨からどん曇りの暗い1日だった今日のように日には。。

・・ということで、引っ張ってきた曲

ユーミンの「埠頭を渡る風」

いやいや、前回の1曲セレクトは、三善英史さんの「雨」だったのに、今回はユーミンですかい

なんですか、この落差は・・・・

なんて言われそうだけど、このゴッタ煮状態が、1曲セレクトのいいとこなんですよん    

・・・・なんて自画自賛したりして。。。

個人的にこの曲のイメージってモノクロなんですねぇ。 初めて映像込みで聴いた時の映像がモノクロだったのかなぁ。 その辺は覚えていないけど、兎も角、この曲を聴くとモノクロの映像が浮かんでくる。

場所は横浜。赤レンガ倉庫から大桟橋あたりの風景。

どうもね、ヒット曲→港・・って言う風景だと、いつもあの辺の光景が浮かんできてしまう。 

河合奈保子さんの「愛してます」とかね。 まあ、この曲の場合、歌詞にダイレクトに「横浜」ってあるんですが・・・。

でも、この曲から浮かんでくる景色も同じなんだよなぁ。 ただ、河合奈保子さんの「愛してます」がカラーの風景に対して、この曲は絶対的に「モノクロ」なんだよね。

それだけ古さを感じる・・・と言う訳ではなく、それだけ大人の情景を感じるんだよね。「シック」なんですよ。

・・・なんて、この曲の舞台は、あくまで横浜って言うワタシなんだけど、実際は東京の「晴海ふ頭」をモチーフにした曲のようですねぇ〜。

うーむ、晴海ふ頭ねぇ・・・。     個人的には、晴海ふ頭って言うイメージは、あんまり浮かんでこないんだけどなぁ。。。

どうもね、個人的にヒット曲から浮かんでくる風景と、作詞者が実際にモチーフにした風景がずれてる曲があったりするんだよなぁ。

例えば、東京JAPの「摩天楼ブルース」ってあるじゃん。そそそ、きょんきょんが主役だった「少女に何が起こったか」の主題歌だった曲。
あの曲、モチーフは、絶対に新宿の高層ビル街だと思ってたの。 でも、作詞の売野雅勇氏曰く、モチーフは横浜だったんだってねぇ。 いや、全く横浜なイメージは無かったんだけどなぁ。

なんか、今回のユーミンの「埠頭渡る風」も含めて、全く逆なイメージを持ってたような感じの私なんですけど。。。

でも、この曲が個人的に横浜っぽく感じたのは、多分に曲調にある様な気がするんだよな。

この曲ってもろ、フィラデルフィアサウンドじゃん。 

この曲からモノクロのイメージを感じたのは、ココ・・・フィラデルフィアサウンドってところなんだろうな。

まあ、あくまで個人的なイメージなんだけども、フィラデルフィアサウンドって、どこかモノクロに感じるんだよね。
色が無い・・というわけではなく、あくまでアメリカ東海岸のイメージからそう感じるんだろう。
ウエストコーストの温暖で明るいイメージとは逆に、東海岸てうっすら寒くて暗いイメージがあるんだよね、個人的に。 そんなイメージからモノクロさを感じるのかもしれない。

下敷きは、The Stylisticsの「Can't Give You Anything (But My Love)」(愛がすべて) あたりなんじゃないのかなぁ。  

めっちゃメジャーな曲だし、ユーミンのダンナたる方が、こんな誰でも知ってる曲を下敷きに持ってくる訳無いような気もするけど、ブラスの使い方、特にトロンボーンのフレーズが似てるんだよなぁ、「愛がすべて」に。
なので、どうしても、そう言う目で見てしまうワタシがいたりして。

でもさ、逆にだからこそ、この曲についつい、耳が行ってしまうワタシがいたりもするんだよな。

・・・というのも、The Stylisticsとかさ、この辺のフィラデルフィアサウンドが、実はワタシの音楽の原点の一つでもあったりするのよ。
 
ここでも何回か書いたことあるんだけども、邦楽ヒットに足を踏み入れる前は、ポールモーリア・フリークだったワタシなんだけども、かたや、70年代中期のアメリカンヒットも聴いてたんだよね。

件にもれず、当時、オヤジの車のカーステで頻繁に流れてた8トラックカセットに、76年頃のアメリカンヒットがあってさ、その中に入ってたのよ、The Stylisticsなんかのフィラデルフィアサウンドの曲が。

だから、その辺の曲がワタシの音楽の血肉の原点でさ、中学校の時、吹奏楽部に入ったのもその辺の曲をやりたいって言う思いが強かったのかもしれない。

そういう経緯もあってか、ユーミンの曲の中でも、個人的には、この曲好きなんだよなぁ。

まあ、セールス的には全く売れなかったけどさ。 78年当時のヒット界の状況を考えると、先端の音楽をやってたよなとは言える。

って書くと意外かもしれないけどさ。  

だってさ、ブラスにストリングスなんて、当時の歌番組のバンド編成をみたら、当たり前の編成だし、そんな歌謡曲いっぱいあったじゃない!? ・・・ってところだけども、それを「ユーミン」っていう一個人でやっちゃうのがすごいんだよね

簡単に言っちゃえば、金のかけ方が違うんだよね。  

これだけの大編成ともなれば、ミュージシャンのギャラだけでも大変な額になるはずでさ。
しかも、この曲のレコーディングミュージシャンがすごいのよ

Dr.    林立夫
B.     高水健司
E.G    鈴木茂
Key.   松任谷正隆
Per.   斉藤ノブ
Tp     羽鳥幸次 数原晋
Tb     新井英治
Sax   ジェイク・H・コンセプション
Fl      衛藤幸雄 西沢幸彦 
Strings    TOMATOグループ
etc

件の「ニッポンの編曲家」で紹介されている一流ミュージシャン、全員集合って感じじゃん。

 ビジネス的にそろばん勘定すれば、ココまでの一流ミュージシャンが集合した大編成曲は、よっぽど大ヒットが見込めない限りはやらない・・・いや、やれないハズなんだよ、一介のアーティストでは。

少なくとも当時のロック・ニューミュージック系のアーティストでは、やりたくてもやれないような楽曲。 そう言う意味で先端の曲と言えると思うんだよね。

もっとも、バックにタイアップのスポンサーがついてたり、メジャーなプロダクションがついてて豊富に製作費がつく曲ならともかく。。

この曲の場合、リリース当時は、あくまでアルバム「流線型'80」の先行シングルということだけで、大きなタイアップがついていた訳ではないから。

しかも、当時のユーミンって、アルバムを含めてセールス的に苦しんでた時期なんだよね。 
デビュー以来現在までの47年間の中でも一番苦しんでいた時期と言ってもいいかもしれない。
この曲の↑のデータでも分かるように、この曲なんて2万枚も売れなかったんだから・・・。あのユーミンが。。
まあ、アルバム収録と言う事で、実際のところそれほど深刻ではないけど、シングルだけの売り上げの数字だけ見たら大赤字ですよ。
70年代中盤、「あの日に帰りたい」の荒井由実時代も過去のモノになりつつあったこの時代。 
製作費も縮小っていうのも、やむを得ないハズなのに、この曲のような大編成なわけだからさ。

この辺り、80年代の栄光を見据えた、つまりは先行投資というべきか。
それが、「流線型'80」なんていう、あたかも栄光の80年代を予感させる様なタイトルのアルバムに収録されているって言うのが、如何にもユーミンらしいんだよな。

でもさ、ユーミンが常々口にしてる、貧乏くさい音楽はキライだしやらない・・・っていうのは、結局はこういう事なんだろうね。




しかしねぇ、レコード制作での金のかけ方と言う事で、ユーミンの右に出るものは居ないような事を↑で書いちゃいましたけど、ユーミンを上回る人が一人いましたね。

大滝詠一氏。

「A LONG VACATION」での製作費は一体いくらかかったんでしょ・・・ってくらい湯水のごとく製作費をつぎ込んだ1枚ですから。。。
なんせ「君は天然色」のアコギだけで4人も使ったって言うんだから・・・・。
今じゃ、逆立ちしてもあり得ないですね。

それだけ当時の業界は景気が良かったし、みんないい曲作りたいっていう気概があったんだろうな。




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雨 / 三善英史

1972_11_雨_三善英史


今回の1曲セレクトは「雨」三善英史です。

まずはデータでする。

・タイトル      雨
・アーティスト    三善英史
・作詞        千家和也
・作曲        浜圭介
・編曲        近藤進
・リリース日     1972年5月25日
・発売元       ビクター
・オリコン最高位 2位
・売り上げ枚数  58.8万枚
・ベストテンランクイン期間:1972年10月2日〜1973年1月8日付

先月の台風15号に加え、先週の台風19号と、雨風に悩ませ続けている今日この頃。被災した皆様にはお見舞い申し上げます。
かくいう私も、家は「千葉」なんで、この間から雨風の影響を受けて来ているんですが、ウチは台風15号の「暴風」でカーボネイト製のベランダ屋根が飛ばされたのと、それが飛ばされた時に当たった見とられる雨どい1つが壊れただけで済みました。
ベランダの屋根と言っても、日よけ屋根なんで、飛ばされたからと言って雨漏している訳ではなく、生活に支障をきたしていないのが幸いと言うところなんですが。。。

で、また今週も昨日、土曜日が雨。

秋の長雨のシーズンといえば、そうなんだけども、もう雨はいいわ っていう気分にどうしてもなりますね。

そんな気分が大半を占めている今日このごろ。 頭の中でグルグルとヘビロテで流れている曲も自然と雨の曲が多くなっていたりして。。。

・・ということで、今回は、そんな昨今頭の中でヘビロテで流れている中の1曲を一つ。

三善英史さんの「雨」。

個人的に、この曲いつ覚えたんだろ? リリースが1972年なんで、当時、ワタシは3才。 

いつ、どこで、初めて聴いたのか・・・全く記憶にありません。 まあ、当然なんですけどね。

3才にして、初めて聴いたのはいつ、なんの番組でした・・・なんて言える方が怖いわけで。。。

でも、後年1980年代終盤、TBSの「テレビ探偵団」を初めとして、「懐かし番組」を振りかえる特番や、レコ大30周年記念、 日本歌謡大賞特別企画で、この曲が紹介された時には、既に、この曲知ってたんだよね。

まあ、1コーラスまるまる覚えてた訳ではなく、断片的に知ってたんで、恐らくはヒット当時、どっかで聴いてたんだろうな。

特に、出だしの ♪ 雨に濡れながら〜 ♪ っていう高音から下る、キャッチーなメロディライン
それに併せ Em → C とマイナーからメジャーに転換するサウンド 

この独特のサウンドがキモ中のキモだと思うんだけど、あのメロディラインは一度聴いたら忘れられないんだろうしな。

必然的に雨の情景が浮かんでしまう。 

このフレーズだけを切り取ってみるとフレンチポップスと言っても過言じゃ無いよね。

いやこのフレーズだけではなく、イントロの2小節のガットギターのアルペジオも如何にもフレンチポップスっぽい。

 雨・・と言っても、この間の台風のような「豪雨」と言う訳ではなく、シトシトと降る優しい雨って言うイメージですね。如何にも日本的な情緒漂う雰囲気の。

そう言う意味では、同じくフレンチポップスである、ジリオラ・チンクェッティの「雨」とは好対照的なイメージですね。
(ちなみにジリオラ・チンクェッティの「雨」は、後年、まっち先生の「スニーカーぶる〜す」の下敷きになった曲だが。。)


そう言うイメージが強いからか、この曲、リリースは1972年5月なんだけども、実際的にはランキングの上昇スピードは遅く、ベストテン入りしたのが、秋の長雨のシーズンの10月とリリースから5カ月も要している。
いわいるジワリ型のヒット。

まあ、当時はこういう曲が当たり前のようにあった訳で、この曲特有のと言う訳ではない。ただ、ベストテン入りしたのが秋の長雨シーズン。
この時期にヒットが加速したのは、やはりシトシトと降る秋の長雨っていう曲のイメージが、多くのヒトの心をつかんだんでしょうかねぇ。

 実際、リアルタイムでこの曲のヒットを追いかけていた訳ではないんで、その辺の詳しい経緯は想像するしかないんですけどね。
チャートアクションとして順位が上がってきたのが、今頃だったからって言う後付の部分が大きいからねぇ。

正直、個人的に、この曲って「梅雨」って言うイメージがずっとあったんだよね。 ヒットのピークも梅雨の長雨シーズンかなって思っていたぐらいだったし。。

全体的に優しくソフトなイメージがある曲だけど、温度感としては梅雨の頃のそれなんだよね。 決して秋の長雨の肌寒さは感じると言う訳ではない。


ただ、言える事はチャートが上昇傾向を見せた時期と、各音楽祭と重なったって言うのは、ヒットをさらに大きくしたって言う部分がるあるんじゃないのかなぁ。

この曲、三善英史氏のデビュー曲なんですよね。 
デビュー曲にしてチャート上位進出ということで、この年の各音楽祭の新人賞を総なめにしてたんでね。

・・と言う事は、自ずからテレビ露出が増える。 それがさらにヒットへ拍車をかけたともいえるんですよね。

少なくとも当時のオリコンのランキング推移を見ると、そんな事が想像できるんだよね。

ちなみに、オリコンでは1972年11月6〜13日付で2位まで上がったこの曲だけど、ついぞ1位にはなれなかった。

丁度、この頃、1位を驀進していたのが、宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」。 そそそ、売り上げ枚数320万枚。「〜たいやきくん」が出てくるまでの3年間、オリコンシングル売り上げ1位を記録。 しかも16週連続1位っていうのは、あれから47年経った今でも破られていない金字塔。

そんなモンスター曲の、2週目、3週目の1位というもっとも「アブラ」がのった時期のパッティっんぐということで首位獲りとはならなかった訳なんですよね。



最近、70年代、 特に70年前半の曲のときに「4-7抜き」のメロディラインって言う事を良く書くんだけども、この曲も件にもれず、「4-7抜き」だよなぁ。
いや、逆に、だからこそ如何にも70年代を彷彿させる・・というか、あの頃特有のメロディラインなんだよな。

邦楽特有の情景感というか、洋楽っぽいところは、↑の出だしのメロディラインを除いては、全般的にあまり感じられない。
曲全般を俯瞰してみれば、日本的な「和」を感じさせる部分の方が強い。

・・かといってコブシが強烈に唸る、ド演歌と言う訳でもない、これがまぎれもない「歌謡曲」の王道なんだよね。
和でもない洋でもない楽曲。それが歌謡曲。

それでも「和」を感じさせる部分が強いだけに今だったら、100%「演歌」って言うジャンルに入れられるだろうけど、 当時は、これでも一応はポップスの部類だったんだけどさ。

当時、ゴリゴリの正統派ロックに対して、 ちょっと優しい雰囲気のロックにソフト・ロックというジャンルがあった。後年のAORとではも言いますかね。

そういう概念に当てはめれば、ド演歌に対して、ソフト・ポップスとも言えなくもない。 かなりゴーインな見方ではあるけども。

でも、この手のメロディ、サウンドは70年代前半、少なくともニューミュージック的なサウンドがヒットチャートを席巻するまでは、日本のヒットチャートのメインストリーム、そそそ「ウレ線」だったで、これでも立派なポップスだった訳なんだよね。

・・とは言うものの、実際的には、↑で書いたように「ぴんからトリオ」のような「ド演歌」の方がレコード売り上げ的には上だったんだけどもさ。。。。



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ドール / 太田裕美

1978_09_ドール_太田裕美


今回の1曲セレクトは、「ドール / 太田裕美」です。

まずはデータです。

・タイトル     ドール
・アーティスト   太田裕美
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1978年7月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 22位
・売上げ枚数   9.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

大々的にと言う訳ではないですが、太田裕美さんが「乳がん」告白と言うニュースが、先日からネットに流れてますね。
7月に手術、8月から抗がん剤治療を開始しているとのこと。
年齢的にと言う事もあるのかもしれないけど、太田裕美さんあなたもか・・って言う思いもあるなぁ。
来年春までのスケジュールが決まっているので、休養はせず歌いながら治療していくとのことで、現在のところ重度な症状ではないと思われますが、無理せずに治療して行って欲しいですね。

・・・ということで、今回の1曲セレクトも、太田裕美さんの曲で行きたい

・・と思ったものの、毎度毎度のことながら、今頃の太田さんのヒットでまだ、書いて無い曲が、あんまりないんだよな。。。。

9月なんで「九月の雨」・・・と行きたいところでもあるんだけども、何分、太田さんの代表曲の一つ。まだ書いて無いわけが無く・・・・。

うーん、 と考えた・・すえに、この曲でいいかな・・と引っ張ってきたのが、「ドール」


この曲、厳密に言えば、9月の今頃はは既にヒットのピークは過ぎてたんだよね。

リリースは1978年7月1日。 78年「夏」のヒット曲と言う事になる。 9月の今頃はヒットチャート上でも既にヒットのピークは過ぎ、オリコンでも「右ページ」(51位以下)まで下がって来ていたのが、丁度今頃の時期だ。

個人的には、既にピークは過ぎていたものの、まだオリコン30位くらいには残ってた頃かな・・・と思ってたんだけど、意外とタンパクなヒットチャートの動きだったんですよね。

まあ、最もオリコンでは最高22位 10万枚も売れなかったんでねぇ。


唐突だけど、太田さんと「ザ・ベストテン」というと、どうしても「不運」と言うコトバが付きまとってしまう。

ベストテンが後3カ月早く始まっていたら、当然、太田裕美も「ザ・ベストテン」ランクイン歌手の仲間入りだったのに。
いや、当初はそれが濃厚だったんだよね。 ・・というのも、もともと「ベストテン」は1977年10月スタートの予定だったんですよ。
でも、Wikipediaによると、ベストテンのランキング方式の意見の対立によりスタート時期がずれ込んだとある。
また、キャンディーズ解散にも密接に関係しているともある。
まあ、キャンディーズの解散コンサートの放送権はTBSが持っていた事もあり、いろいろ「大人の事情」が絡んでいたものとは思うが。。。

いずれにしろ、その事が、太田裕美には不運の一つだったんだよな。

1977年9月リリースの、件の「九月の雨」が36万枚の大ヒットとなったものの、次の「恋人たちの100の偽り」から、いきなり10万枚以下という大幅売り上げダウン。 もちろんオリコンでもベストテン入りはせず、以後、ベストテン入りには縁が無くなってしまう。

その中でも、今回引っ張ってきた「ドール」って曲は、その曲調からして、恐らくは売り上げ巻き返しの1曲だったのかもしれない。

作詞 松本隆  作曲 筒美京平

っちゅう、超ゴールデンコンビは変わりないものの、 それまでの太田さんのシングルでは見らなかったようなちょっと、とっぽい感じのアップチューンからも、起死回生を狙ったよな・・って言う意気込みは感じ取れるんだけどね。

でも・・・・、思ったほど売れなかったんだよなぁ。

賞味期限・・・と言っちゃ失礼だけど、以前も書いたように、一度売り上げが右肩下がり傾向に入ったアーティストを巻き返すっていうのは、並大抵のパワーじゃダメなんだよね。 その辺にアーティストマネイジメントの難しさがあるわけで。。

今、改めて曲を聴いても曲自体は悪くはない・・・。 というか、松本隆-筒美京平っちゅう、ヒット曲請負人の超ゴールデンコンビ、駄作な筈もない。

ただ、ひとつ、この曲の中国音階的、かつ、日本的情緒・・という、いわいる4-7抜き的なアジアンテイストな曲の味付けはどうだったんだろう? っていう疑問は残るんだよ。

個人的に、太田裕美さんと言えば、田舎の(←失礼)の素朴で、アジアンテイストというよりもヨーロッパ系が似あう、ちょっと綺麗なお姉さんって言うイメージ強い。

まあ、デビュー曲の゜雨だれ」、「最後の一葉」、「九月の雨」のようなヨーロッパ系、「木綿のハンカチーフ」「赤いハンカチーフ」のような素朴系 ・・・このイメージなんですよ。
「しあわせ未満」はカントリーががってちょっと毛色が違うけど、それでも素朴ではあった。

それら、それ以前のヒット曲からみても、この曲はちょっとテイストが違うんだよね。

そもそも、ヨコハマっていう土地柄や、中国音階っぽい味付けが太田裕美さんのキャラクターにあっていたんだろうか・・・っていうと、個人的にはちょっとしっくりこないところがあるんだよね。

この曲のすぐ後に、ゴダイゴの「ガンターラ」を初めとした、「西遊記」による一連のヒットから、アジアンテイストを持ってきた方向性が間違ってたとは思わないんだけど、あくまで太田さんにその方向性の曲があっていたかと言うところだよね。

まあ、これも後の結果から感じ事かもしれない訳で、それなりにベストテン入りほどのヒットらなっていたら、そうは感じなかったのかもしれないけどさ。

ちょっと肩に力が入り過ぎたのかな・・・っていうキライはあるな。 オーバープロデュースっていうかさ。 今は、そんな風に感じられるんだよね、この曲からは。




ちなみに、個人的に、この後、太田裕美さんの曲でしっくりきた・・というか、引っかかったのは80年の「南風」でしたね。
↑で書いたようにヨーロッパ系テイストの他、ウエストコースト風な「からっ」とした空気もあってるんだ・・っていうの発見だったな。



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山口さんちのツトム君 / 斉藤こず恵

1976_09_山口さんちのツトム君_斉藤こず恵


今回の1曲セレクトは、「山口さんちのツトム君」斉藤こず恵です。

まずはデータです。

・タイトル    山口さんちのツトム君
・アーティスト  斉藤こず恵
・作詞      みなみらんぼう
・作曲      みなみらんぼう
・編曲      千代正行
・リリース日   1976年6月15日
・発売元     フィリップス
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  49.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1976年8月2日〜8月16日、9月6日付
・タイアップ:NHK「みんなのうた」より

たまにちょっと変化球な曲を書きたくなる時がある。いわいるコミックソングとかさあ。
あららら、今回の曲のフリですね。。。

まあ、コミックソングではないし、どこまで変化球なのか分かんないですが、この曲。

斉藤こず恵「山口さんちのツトム君」

はいはい、今50才前後の方には懐かしい曲なんじゃないですねぇ。 人によっては記憶の中の「最古」の曲って言う方もいらっしゃるかもしれない。

現に、ワタシとしても、自分の記憶の中では、「タイムリー」で聴いた曲の最古の記憶に近いですね。

ワタシャ、この時、7才。小学校1年生。

大人しくて、泣き虫で、どんくさくて、影が薄くて・・・。学校ではイジメられっ子の典型のような子供でしたね。
大勢と野球したり、カンケリしたりするより、「一人遊び」してる方が好きな子供でしたね。

このころはオフクロもパートで働いてたんで、学校から帰ってきても誰も居ない事が多かった。
だから、一人で「午後ドラ」見たり
そそそ、なぜか電話帳とか道路地図を一人で見てるのが好きだった。

電話帳の数字の羅列と、住所みてると、その土地の情景を夢想したり、 これは、道路地図見てるときもそうだったんだけど。。

一言で言えば、子供らしくない、ヘンな子供だったんだよ。

数字の羅列を見てるのが好きだった・・・っていうとろこは、後年、チャートマニアとしてオリコン収集にいそしむことになる事に繋がってるんだけどさ。。


そう言えば、かなり前に、伊武雅刀「子供達を責めないで」を書いた時、作詞した、秋元康氏曰く、これは子供の頃を自分を書いた曲・・・・ということを書いんだけども、ワタシも似たところはあったんだよね。

天真爛漫、無垢な子供というよりは、リアリズムなところがあって、ちょっと下から目線で、子供のクセしてお子様ランチが嫌いで。。。

あ、これは、今でも根っこの部分は変わってない。 

そんなヘンな子供だったけど、当時から音楽は好きだった。 なんとなくやってみたくなって、自分から親にねだってヤマハのエレクトーン教室に通い出したのも、たしか、この「山口さんちのツトム君」が巷に流れ始めた頃だった。

それが縁だったのかどうかは忘れたけど、個人的にこの曲、よく歌ってたなぁ。

だけど、どこで覚えたんだろう? 7才で当然と言えば当然だけど、76年当時はいわいる流行り歌の世界に足を踏み入れていない頃だ

この曲は、NHKの「みんなのうた」で流れていた曲だけど、個人的には「みんなのうた」も見てなかったしな。
だからね、この「山口さんちのツトム君 」って、どこで知ったんだろう? っちゅうのは、今となっては謎なんだよね。

誰かが歌っているのを覚えたんだと思うんだけど・・・。 幼馴染だった、となり家のユキちゃんだったかもしれない。やっぱり、音楽が好きで、よく歌うたってたからなぁ。

子供向け番組としては、フジテレビの「ひらけ!ポンキッキ」は見てたんたけどね。

以前、書いた子門真人「およげ!たいやきくん」も、のこいのこ「パタパタママ」も「ポンキッキ」からの曲っていうのは、既書したとおりでさ、こっちの曲は「ポンキッキ」で、よく見てたし、好きだったよなぁ。

しかしねぇ上記のポンキッキの2曲を含め、いずれもオリコンでベストテン入りしてたって言うのは今となっては信じられない事だよな。

ハイライトは、「パタパタママ」と「山口さんちのツトム君」が同時にオリコンでベストテン入りした、1976年8月23日〜9月20日付の1カ月間だったと思う。

童謡とはまた別ではあるけど、いわいる「子供向け」の曲ですよ。 当時の一般の歌謡曲に交じってオリコンのベストテン内でチャート争いをしているっていうのは、今、当時のオリコンチャートをみても、一種異様な光景であったりもするんだよね。

この斉藤こず恵さんの「山口さんちのツトム君」にしたって、オリコン最高3位、売り上げ50万枚ですからねぇ。
今考えると、ちょっと信じらんない。
もっとも「およげ!たいやきくん」は、これでの日本のレコード史上、最大売り上げのシングルとして、未だに燦然と輝いている訳だけど。。。

まあ、それだけ「子供」の数が多かったって事ですよね、当時は。 

1970年代初頭の第2次ベビーブームで生まれた子供達が、ようやく物心がつき始めたっていうのが、丁度この頃でしたから。 チルドレンパワーが今とは比較ならないくらい大きかったんですよね。

そんなチルドレンパワーがこの直後、ピンク・レディーで爆発する訳だけど。 そんな現象を予感させる「前哨戦」だったのかもしれない、この「山口さんちのツトム君」とポンキッキ発の一連のヒットは。

最も、この渦中にあった当時は、そんな事は知る由もなかった訳だけど。。。。




あれ? 動画でバックに流れてる「みんなのうた」とはちょっと違うな・・・と気がついた方は「みんなのうた」通ですね。
 
そそそ、↑のデータには、タイアップとして「NHK みんなのうた」って書いちゃったけれど、実際の「みんなのうた」は斉藤こず恵さんバージョンぢゃなく、川橋啓史さんバージョンだったんだよね。

↓ コレ



つまりは、斉藤こず恵さんバージョンの方が後付でのリリースなんだよね。
結果、川橋啓史さんバージョンより売れちゃった・・・と。

それでも、「川橋」さんバージョンも約30万枚も売れたんだけど。。。
ただ、こちらのバージョンのリリースはちょっと変わってて、コロムビア、ポリドール、CBSソニー、RVC4社競合でのリリース。(結局はコロムビアからリリースされたものが圧倒的に売れたましたが。。。)

いやいや、実はその他にも歌ってるヒトは別に、計11社から当時リリースされたんだよね。
まあ、それだけ当時この曲が注目されてたって訳ですね。

競作ヒット。 80年代、「氷雨」「釜山港へ帰れ」「浪花節だよ人生は」「秋冬」・・・などなど一時、競作ヒットがチャートをにぎわした時期があったけど、この曲は、そのさきがけ的な曲だったんだよね。


それにしても、子供向けの曲って、当時だから売れたけど、少子化が進む今じゃ、もう売れないよな・・・なんて、長年思ってたんだけど。。。
まさか2011年に、斉藤こず恵さんと同じく「天才子役」で、薫と友樹、たまにムックとしてでてきた「マルマルモリモリ」が、あそこまでヒットするとは予想も出来なかったな。

いや、まさに今もFoorinの「パプリカ」がロングヒットしてたりして、チルドレンパワーは現在も健在ってところなんだよね。


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危い土曜日 / キャンディーズ

1974_06_危ない土曜日_キャンディーズ


今回の1曲セレクトは「危い土曜日」キャンディーズです。

まずはデータですよ〜

・タイトル     危い土曜日
・アーティスト   キャンディーズ
・作詞       安井かずみ
・作曲       森田公一
・編曲       竜崎孝路
・リリース日    1974年4月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位   46位
・売上げ枚数   3.8万枚

先日ネットニュースでも大々的に取り上げられていたけど、元キャンディーズの伊藤蘭さんのソロプロジェクトが始動ってことで、1stソロアルバムが先週リリースされて来ましたわな。

キャンディーズ解散から41年ぶりの「新音源」ということで、さてどの位売れるのか・・・っていうのが興味があるところなんだけど、29日のリリース以来のオリコンデイリーランキングでは、アルバムランキングで10位前後を推移している。 このままいけば、今週のウイークリーランキングではベストテン内に入ってきてもおかしくなさそう。

なるほどぉ、キャンディーズ解散から41年たっても、やっぱり蘭さんって人気があるんだなって言うのを再確認したわけで。。。

いや、ちょろちょろネットニュースを見て、「これは・・・」と思ったのが、今回の蘭さんの音楽への「カムバック」の背景に、「全キャン連」がどうも一枚噛んでいるようで。。。

「全キャン連」⇒「全国キャンディーズ連盟」

そそそ、当時、「キャンディーズ」についていた全国組織の親衛隊ですわ。

まあ、当時のアイドルには親衛隊は必ず付いていたもんだけども、この「全キャン連」って言う組織()はそんな数あるアイドルの親衛隊の中でも結束力の強さはダントツだったわけですね。

なんせ、あの「ザ・ベストテン」で、人気最高時のピンク・レディーを1位から引きずりおろした「組織」ですから

キャンディーズ解散後の1978年当時「ベストテン」を見てた方には有名だけど、1978年4月、キャンディーズ解散後もベストテンの「1位」を続けていた「微笑がえし」が4月20日放送で、ピンク・レディー「サウスポー」に1位の座を奪われてしまう。

これを見た「全キャン連」の一部の方が奮起。 即座に「ザ・ベストテンで「微笑がえし」をもう一度1位にしよう」と言うキャンペーンを全国的に展開。ベストテンへのハガキリクエストを呼び掛け。次の4月27日放送分から3週にわたって、見事1位に返り咲かさせたエピソードが残ってたりする。

まあ、このキャンペーンが成功したのは、当時のベストテンの要素別配点は「ハガキリクエスト」が最も配点が高かったため功を制したとも言えるんだけども、そのくらい音楽界を動かす事が出来る結束力の強さがあったとも言えるんだよね。

だからねぇ、個人的には「全キャン連」にゃ、末恐ろしい力を感じちゃったりするんだよなぁ。

そんな「全キャン連」が、今回の蘭さんの復活に一枚絡んでる・・・となりゃ、やっぱりチャートの動きは気になってきちゃったりするんだけどさ。 ↑で書いたように次のウイークリーチャートでベストテン入り出来そうなところまで来てるってことは、やっぱ、未だにその影響力はデカイ・・・と認めざるを得ないかなぁ。

・・・なんて思ってる次第だったりしてね。


おーっと、前置きが超長くなっちまったわい。

そんな訳で、伊藤蘭さんが「復帰」した今週は、やっぱりキャンディーズのどの曲かを持って来たい。

・・・とは思ったものの、キャンディーズの「今頃」のヒットって、既に書いちゃったんだよな。 

さてどうしようかと思ってたら、いやいや1曲残ってたぞ。。。

「危い土曜日」

この曲、デビュー3枚目のシングルなんだけども、さっすがにねこの曲はしらねーぞって方も多い・・・だろうな、きっと。

そもそもこれを書いてるワタシでさえリリース当時の事はよく知らないんで。。。。

まあ、それもそのはず・・というかねぇ、キャンディーズリリースした18枚のシングルの中で、一番「売れなかった」曲。 それがこの「危い土曜日」だったりするのよね。

ランキング的にも、オリコン最高位46位。 俗にいう「左ページ」ギリギリですよ。
「左ページ」に入ってるだけどもヒットだよって言う見方もあるけど、ことアイドルにとっては、オリコン30位以下なんてのは、固定の熱狂的なファンは別として一般のヒトたちの認知度から言ってもヒットしてないのも同然って感じだからなぁ。

だからさ、知らなくても当然と言えば当然なんだけど。。。。

BUT、後年キャンディーズの「ベスト盤」を聴いてて、この曲に引っかかっちゃったんだよな、個人的に。

まあ、タイトルからして引っかかると言えば引っかかるんだけども、デビュー3枚目のシングルだから、当然デビュー曲の「あなたに夢中」のようなミドルテンポの軽いポップチューンが続くんだろう・・と思いきや・・・。

なんだなんだ? R&B的な黒っぽさが漂う、緊張感いっぱいのアッパーチューンな曲調は。

当時のアイドルの曲調・・特にシングルでは見られなかったR&Bっぽい黒っぽさ。これが特に引っかかっちゃったところかなぁ。

アイドルの中でも、お嬢様的、非力感が強いキャンティーズが、こんな曲調を歌う。 これだけでも、ある意味充分魅力的であるとは思いますけどね。 というか、まず普通は、思いつかないもの、こういうをやるって言うのを。

いや、最近ではこの手の、見た目からは全く想像がつかないようなアイドルっていうのは、いろいろいるけどさ。
70年代当時のアイドルって、ビジュアルから曲調って大体想像がついたりするんだよね。見た目からの曲想が裏切らないっていうかさ。

この曲は、完璧に裏切ってるなぁ。 でも、今となってはそこがいいんだろうな。

ただ、当時の水準から言えば、そこがウラ目だったんだろうね。 この曲がキャンディーズの中で一番売れれなかったっていうのは。

それにしても、作曲の森田公一氏が、こういう緊張感あるアッパーチューンな曲を書くとはねぇ。 いや、この曲の場合最も意外だったのは、竜崎孝路氏のアレンジと言った方がいいかな。
竜崎氏といったら、もっと演歌よりの歌謡曲って言うイメージが強かったんでね。どちらかと言えばもう一つ垢抜けない曲調って言うイメージだったんだよな。こういうR&B的な黒っぽいサウンドを作るとね。




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白い蝶のサンバ / 森山加代子

1970_04_白い蝶のサンバ_森山加代子


今回の1曲セレクトは、「白い蝶のサンバ」森山加代子です。

まずはデータです。

・タイトル     白い蝶のサンバ
・アーティスト   森山加代子
・作詞       阿久悠
・作曲       井上かつお
・編曲       川口真
・リリース日    1970年1月25日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   47.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1970年2月16日〜4月27日付

奇抜な曲。一聴して「なんじゃこれ」って思える曲だよね。これは、昔も今も変わらずにあるよなぁ。

ただ、昔の奇抜な曲って、どこか可愛らしかったんだよな。いわいる「ギャグ」ってやつでさ。たしかに放送コードにひっかかるような「放送禁止」曲ってうのもあったけど、どこか笑ってごまかせちゃったりしたやん。
今の奇抜な曲っていうのは、ホントに奇抜だからさあ。どう解釈したらいいか理解不明・・というか。
これも時代の流れなんだろうけどね。

さてさて、今回引っ張ってきた曲も、奇抜っちゃ奇抜な曲だよね。

森山加代子さんの「白い蝶のサンバ」。

そもそも

♪ あなたに抱かれて私は蝶になる〜 ♪っちゅう メロディ出だしのAメロがさあ奇抜なんだよなぁ。

もろ中国音階ってやつでさ。

昔、某国営放送 でデーモン閣下が

ジョワーン(ドラの音)    「あなたに抱かれて、ワタシ蝶あるよ」 

なんて茶化してたけど、まさにそんな感じ。

そもそも、上の歌詞だけを見ても、よもや、この部分が「中国音階」のメロディがついてるなんて思えないしさぁ。

後年同じようなシチュエーションの歌詞で、秀樹の「君よ抱かれて熱くなれ」って曲があったけど、これはモロ、ヨーロッパ系な曲だったじゃん。

一体どこから「中華」なイメージが来るのか・・。奇抜だよなぁ。

ぢゃ、その後も全般にわたって、「中華」なイメージで攻めるのか・・というと、これまた、さにあらず。

サビで、 マイナー調からメジャー系、カンツォーネ風に一転。 マカロニウエスタンだよね。

なんじゃ、この変わり身の激しさは・・・。  

1曲中、場面場面で、まったく違う展開がある。 もしかすると、「1970年」って言う時代の歌謡曲の王道だったのかもしれない。 

例えば、同じ1970年にオリコン1位を獲得したヒデとロザンナの「愛は傷つきやすく」もそうだったじゃん。マイナー調のAメロから、サビでいきなりメジャーなカンツォーネに急展開するっちゅう。

まあ「愛は傷つきやすく」は、この「白い蝶のサンバ」ほどの「奇抜さ」は無いけど・・・。

で、「白い蝶のサンバ」の場合は、それだけに留まらない。 

メロディを追いかける。バックのトランペットのリフは、もろパート・バカラック、もしくは、ハーブ・アルパート、つまりはアメリカンな世界な訳ね。

ココまで来ると、いったい、この曲はどこの国の曲なんだ? なのよ。

確かに、時代的にマカロニウェスタンというイタリアンな文化が流行ってたし、バカラックもハーブ・アルバートもこの時代の象徴的な音楽だし、だから時代背景としはよく分かるけど・・・。


無国籍音楽。 

これなんだよね。 これが歌謡曲の王道なんだよね。 

歌謡曲のメロディは、向こうの音楽の官能的な部分を抽出し、日本人の感性にマッチさせたような独自なメロディっていわれるけど、メロディだけじゃ無く、サウンド的にもそう。

どこどこ風ではなく、世界中の「ヒット曲」のキャッチーな部分のごった煮なサウンド。
言ってみれば節操のない音楽。それが歌謡曲って訳ですわ。

でも、これが日本人の得意技であるし、明治維新以降の、日本文化の根幹なんだよね。

つまりさ、文化、産業、政治、学問なんでもそうなんだけど、一から物を作るんじゃ無く向こうのモノのいいところを、日本的にアレンジする。まあ、言ってみれば向こうの2次的産物であるわけだけど・・・。

だけど、時として、向こうのヒトには生み出せないような日本ならではのクオリティのモノが出来たりする。

歌謡曲っていうのも、その一つなんじゃないかな。

そもそも、外国にココまで「節操のない曲」なんてそうそうないと思うし。 アイデンティティが無いなんて笑われるのがオチだよね。

もっとも、「歌謡曲」っていうのは、向こうのヒトから見ると「サイケデリック」な音楽に感じるらしいけど。
要するに実態のない奇抜な音楽ってことなんでしょうね。

まさに、この「白い蝶のサンバ」ですね。

そもそも、どう聴いても「サンバ」ぢゃねーし、この曲。 今だったら「詐欺」って感じでネットで炎上してもおかしくないよなぁ。
あ、この曲だけぢゃなく、チェリッシュの「てんとうむしのサンバ」もそうだよね。 一体どこがサンバやねんってタイトル。

そういう節操のないところが1970年代っていう時代だったんよ。 そんなところで目くじら立てなかったのよ。

でも、そんな節操のない曲を平気でリリースして、しかもオリコン1位・・・つまり日本で最もヒットしてる曲・・・になるっていうのが、逆に言えば日本のスゴい所だったんじゃないのかなぁ。
日本独自の価値観ってやつですよ。
1970代っていうのは、日本国中、そんな独自の価値観、とりわけ音楽などの文化においても、花開いた時代なんじゃないのかな。

まあ、ヒトもみんな節操無かったんだよね、こういう音楽をなんの疑問も衒いも無く作れた訳だから。

だから、こんな節操のない無国籍な「歌謡曲」が黄金時代になり得たんだと思うし、だからこそ、「Japan As No.1」と言われるような国になり得たんだと思う。

今はさ、グローバル社会だぁ、なんだぁ・・と、兎角、世界的な協調性ばかり重んじられる社会になっちゃったでしょ。個性よりもコミュニケーションって言う名の下での協調性。個人的にはそこにツマン無さを感じてたりもするのね。
もっと無節操で、おおらかでいいんじゃねーのかなぁ、世の中。 



森山加代子さん、この時30才。
いやいや、でもカメラを引くと、30才とは思えないですね。お若い。
確かに、最近は30才なんて、見た目20代と変わらないのが普通だけど、1970年当時、30才なんて言ったら「オバチャン」だったよなぁ。 いや、そういう印象が強いけどなぁ。
さすがは、元々は「アイドル」としてデビューしただけありますね。

逆にカメラが寄ると「ツケマツゲ」の長さがスンゴイけど。。。 まあ、これも1970年代前半って言う時代だよなぁ。 ウチの母親もつけてたわ、長ーいツケマツゲ。逆さまつげかって感じのやつ。

だけどテカテカ光るリップがこの時代の流行りだったのかな? これはちょっと発見だった。
これを含め、全体的にキツメのメイクは、この後2000年代にもありましたよね。
時代は繰り繰り返すんだよね。



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