かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1970年代ヒット曲

泣き上手 / 野口五郎

1978_06_泣き上手_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「泣き上手」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル     泣き上手
・アーティスト   野口五郎
・作詞       岡田冨美子
・作曲       佐藤寛
・編曲       クニ河内
・リリース日    1978年5月10日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  17.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1978年5月29日〜6月12日付

えー、今回はマクラなしで、のっけから行きますね。

野口五郎 「泣き上手」

先週、秀樹の曲を書いたんで、次も「新・御三家」の曲だよね・・・って、自分の中では決めてたんだよね。なんで、郷ひろみか、野口五郎か・・・ってなる訳だけど、ちょっと前から時期が来たら引っ張って来るか・・・って考えてた曲があったんで・・・・

それが、今回引っ張ってきた「泣き上手」ですわ。

考えてみれば、最近、野口五郎氏の曲、頻繁に書いてるような気がするんだけどさ・・・ このきょくの1曲前の「愛よ甦れ」もちょっと前に書いたしなぁ〜。

いや、逆に言えば、これまで殆ど書いて来なかったんだよな、野口五郎氏の曲は。
新・御三家の中でも、ワタシがまだヒット曲世界にのめりこむ前に、一番早く少し落ち目になっちゃったのが、野口五郎氏で、だから、正直言うと、タイムリーで聴いてた曲ってのが少ない・・・っちゅうこど、これまであんまり書いて来なかった一番の理由なんだけどさ。

ときに、今回引っ張って来た「泣き上手」も、まだ「ヒット曲」の世界に足を踏み入れる前のヒットなんですわ。

うん、ほんのちょっと前なんだけどね。この曲の次の「グッド・ラック」からだからさ、ワタシがタイムリーで聴いた野口五郎氏の曲って。

でもさ、「泣き上手」の頃は、既に「ザ・ベストテン」は始まっていたし。だから、ベストテンの「懐かしの名場面」とかでも、ダイジェストでは見たことはあったし、どんな曲なのか・・・ってのも興味はあった。

ただ、実際に曲を耳にするまでは、大分かかっちゃったんだよなぁ。 ホント最近なんだよね、この曲ちゃんと聴きだしたのは。

個人的に所有している、昔のヒット曲の音源。とりあえず70年代以降のクロニクル的な流れはとりあえず出来ているんだけど、まだまだちょぼちょぼ抜けてる曲があるんですわ。

その一人が野口五郎氏、もう一人が桜田淳子さんだったりするんだよね。 だ、もんで、最近、このお二人の音源を重点的に集めてたりしたわけなんですわ。

で、最近集めた音源の一つが、前回書いた「愛よ甦れ」だったり、今回ひっぱってきた「泣き上手」だったりするんだですわ。

そんな流れでここんところ、頻繁に引っ張ってきてるところが大きいかな。 

でも、とりあえず、「ベストテン」が始まって以来の、音源はこれで一応は集まったんでね、以前ダイジェストでしか聴いてなかった曲もちゃんと聴けるようになったんだけどさ。


そんな中でのこの曲の第一印象・・・・ うーん、「もろ歌謡曲ですねぇ」っちゅう印象。

「愛よ甦れ」の時も書いたような気がするんだけど、これがさ70年代中盤・・・そうだなぁ、75年くらいまでであれば、これはこれで「アリ」だと思うんだけどさ。この曲がリリースされたのは78年だったわけでさぁ。

うん、これも以前書いたんだけども、ヒット曲の曲調って、78年くらいから劇的に変わってくるんだよね。
ヒット曲でも、洋楽的なメロディやサウンド色が俄然強くなってきた訳なのよ。 その中で「歌謡曲」的なサウンドっちゅうのは、ひと時代前の・・・っていうイメージが出てきた頃なんだよね。

保守的、いわいる「アナクロ」的な色合いだよね。  この曲を聴くと、まずはそこに耳が行ってしまう。

つまりは78年っていう時代の色合いに合っているのか・・・っちゅうと、やっぱりズレてるんだよなぁ。
78年のヒット曲の先端は、もっとバタ臭いからさあ。こういう「醤油」系の匂いじゃないんだよね。

だから、うーん、どう考えても「大ヒット」な曲って言う感じではないよね・・・ってなっちゃうんだよね。

まあ、実際、前曲「愛よ甦れ」で落ち込んだ売り上げ枚数が、V字回復にはなっていないし、オリコンでの最高位も前曲同様に「9位」とベストテン入りギリギリのラインで落ち着いてしまってたりする。

だから、全般的にダメな曲なのか・・っちゅうと、正直最初はねそう思ったの。  メロディに字足らずの歌詞があったりして、なんとなしにアンバランスに感じちゃったりもしてさ。

でもさ、何回か聴いてると、どうも引っかかってくるフレーズがあるんだよな。

うん、サビの ♪ そこがいい そこがいい〜 ♪ って部分。

なんちゅうのかなぁ、「そこがいい」っていうコトバが纏わりついて来るんだよねぇ。 

なるほど、この曲の「キモ」はここか・・・・。 なんて、いうのを最近気が付いてきたりしてね。


それとさ、レコード音源で聴くのと、「ようつべ」なんかで動画で見るのと、印象が大分違うんだよな。
動画で見ると、レコード音源で聴くよりも良いんだよ。 音がしっかり1978年のサウンドになってるし。。。

っちゅうか、そりゃ1978年の歌番組の動画なんだから、当時のサウンドであって当たり前なんだけど。。。

なんちゅうのかな、「ウタ番組」ありきで作られた曲っちゅうのかなぁ。 そそそ、テレビの「ウタ番組」で歌われるのを「前提」で作られた曲っちゅうのかなぁ。 そういう印象が強い。

いや、でも、当時のヒット曲ってそう言う曲って多いんだよな。 レコードで聴くとなんかイメージが違う曲って。

うん、テレビの方が断然かっちょいいの。 音が太くて華やかで独特のグルーヴ感があって。。。

そそそ、この「独特のグルーヴ感」、ここにやられちゃったんだよな、当時のワタシは。 それが「ヒット曲の道」に嵌まった最大の要因なんだよなぁ。

いつか、ツイストの「燃えろいい女」を書いた時も同じような事書いたんだけどさ。あの曲もテレビとレコードじゃ、大分イメージが違うんだよな。ワタシは、テレビ、特に「ベストテン」で歌ってた時の「燃えろいい女」が一番好きなんだよな。

もしかすると、この曲もヒット当時例えば「ベストテン」で聴いてたら同じような印象があったんぢゃないか・・・そんな風に思える1曲ですねぇ。




「夜ヒット」、毎度毎度の事ですが、演奏がねぇ・・・やっぱ下手なんだよねぇ。 とりあえずはミストーンをなんとかして欲しい・・・っては、いつも書いてるような気がするんだけど。。。。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

情熱の嵐 / 西城秀樹

1973_06_情熱の嵐_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「情熱の嵐」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    情熱の嵐
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      たかたかし
・作曲      鈴木邦彦
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1973年5月25日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 24.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年6月25日〜7月23日付

秀樹逝去報道から1カ月近く過ぎて、ようやく落ち着いてきたという感じがしますね。一時は、この「1曲セレクト」もアクセスは秀樹一色って感じでしたから。
まあ、そう言う状況だったんでこういう時にこそ、秀樹の曲を持ってくるべきなんじゃないか・・・なんて、一瞬考えたんだけど。。。

ただ、あの時のタイミングで、同じ時期にヒットしていて、かつ、まだ書いてなかった曲が無かった・・ということで、あえて、書かなかったんだけどね。 

でも、あれから若干時間が過ぎ、ようやく、この時期にヒットしていた、まだ書いてない曲が出てきたんで、今回は、改めて引っ張って来たわけですね。

「情熱の嵐」。

1973年の今頃、デビュー5作目のシングルとして、リリースされ、初めてオリコンでベストテン入りした曲ですわ。
今回の秀樹の逝去によってこの曲もテレビから、大分流れて来てましたよね。

ただね、今回この曲を書くにあたって、改めてオリコンの資料を調べ直したんだけど、ちょっと誤って覚えてたなぁ・・・っていう印象が強かったりして・・・。

そもそも、この曲オリコン最高6位っちゅうところから、誤って覚えてたし・・・。

ま、確かにね、初めてベストテン入りした曲って言うのは間違ってなかったんだけども、順位は、もうちょっと上まで行ってたよな・・・っていうイメージだったしなぁ・・・。

それより何より売り上げ枚数ですよ、 24.6万枚  少なっ 。

いや〜、この曲の売り上げは、長年35万枚って覚えていた・・・っちゅうか、そのくらいのイメージだったんだよな、ワタシ。。。

いわいる「大ヒット」って言うイメージですよ。 うん、昔は大ヒットラインって、30万枚ラインって言われてたしね、それは、上回っていた・・・って覚えてたの。

それよりも、10万枚も少なかったか・・・・。 しかも、ベストテン入りしてたのは1カ月あまりだったんだよね。

そんなチャートアクションから見ても、お世辞にも大ヒット・・・とは、なかなか言いにくい・・・まあ、そんな感じなんだよね。

売り上げだけ見ると、秀樹的には「並」・・・って言う感じなんだよね。


それでも、 「大ヒット」してたって言うイメージが、この曲にあるのは、やっぱ、初めて「ベストテン入り」した曲って言うところが大きいのかなぁ。 やっぱり、「上り調子」って言う時の曲は、ことさらヒットしたって言うイメージが強いからな。

それとなんと言っても、この曲の曲調だろうな。 インパクトが強いブラス・ロック。 ワイルドな秀樹って言うイメージが定着したのも、この曲からといっても過言じゃないからなぁ。

兎に角、ブラス・ロックなこの曲はかっこいいんだよね、あれから45年も経った今聴いても、アクの強さは感じるもの。 ・・というか、下敷きはチェイスの「黒い炎」だよね、っていうのはミエミエなんだけどさ。 でも、これがいいのよ。 当時、日本のポップスで、ここまでブラス・ロックがキマってた曲って、少なくとも当時のヒット曲には、無かったしねぇ。

いや、確かにブラスを使ってた曲は、それ以前にもあった。 でも、ダサい使われの曲が多かったんだよね。
いわいる4,7抜きの演歌、歌謡曲の流れを汲んだようなチープなフレーズが多かったりして。

でも、この曲は、当時、流行ってたブラス・ロックをより意識したフレーズが、より洋楽的だったしな。 

今でこそ、より洋楽的って言う曲は、逆に当たり前過ぎてツマンなく思うワタシだったりするけど、当時は、全くの逆で、より洋楽的な曲の方が断然かっこいいんだよね。 70年代くらいまでの曲で4,7抜きのチープな歌謡曲的フレーズの曲って言うのは、やっぱ、耳に障るんだよなぁ。 まあ、昔ほどの生理的拒絶感っ中のは無いんだけど、やっぱ気にはなんだよね、未だに。

ただ、欲を言えば、もっとエゲツさかあっても良かったかな・・・とも思う。 本家のチェイスの「黒い炎」って、もっともっとエゲツだし、スピード感もあったじゃん。 それがより強いインパクトとなって帰ってきてたし。

それを考えると、もっともっと踏み込んでも良かったんじゃないかなぁ・・・とは個人的には思う。

まあ、70年代の歌謡ポップスのレベル・・・これは、作り手というよりは、リスナーレベルを考えると、この曲のように、実際は、まだ、ちょっと余力があるくらいの抑えめ感があって良かったのもかもしれないけど。。。

それは、秀樹の、この先の伸びしろを考えた上でも、最初からマックスであるよりも良かったのかもしれないけど・・・。



ぷぷぷぷ、この動画も直リンが無効にされてる。。。最近多いなぁ。
お手数なのですが、動画が見たい方は「この動画はYou Tubeでご覧下さい」リンクをクリックしてね。。。


うーむ、曲を聴くと、やっぱり秀樹は、アッパーなロックチューンがカッコイイよなぁ。
馬飼野康二氏の功績がでかいよね。 うん、初期の曲は馬飼野氏があってこその秀樹だもんね。

昔、明星のインタビューで馬飼野氏が、自らのメロディは絶叫型が得意って語っていたけど、これには秀樹が最も嵌まってたもんね。
 まあ、後年の松崎しげる氏の大ヒットナンバー「愛のメモリー」も馬飼野氏。うん、絶叫型ですねぇ。まあ、あれはあれで、初期の秀樹の一連のヒット曲とは別の意味でスゴミがあるんだけどさ。

それと、再三書いたようにブラス・ロックですねぇ。これ、また流行んないかなぁ・・・なんて、個人的には思ってたりするんだけどなぁ。 まあ、ワタシがブラスやってたからって言うのが大きいんだけど、カッチョ良いんだもん。
兎角、ロックっいうとエレキ中心のバンドサウンドなわけだけど、ブラスが入って来ると、エレキサウンドとは、また違って華やかだしさ。
まあ、これだけシンセが広がっちゃうと、今後はほぼ不可能な形態なんだろうけどさ。ブラス・ロックは兎角、人数が居るし、人数が居るって事はそれだけ人件費がかかる訳だし。。。


↓よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

帰らない / 清水健太郎

1977_05_帰らない_清水健太郎


今回の1曲セレクトは、「帰らない」清水健太郎です。

まずはデータです。

・タイトル    帰らない
・アーティスト 清水健太郎
・作詞      つのだひろ
・作曲      つのだひろ
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1977年4月1日
・発売元    CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 54.9万枚
・THE HITCAHRT HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年4月18日〜6月13日付

またまた1週間ぶり1曲セレクトですわ。
先週、つのだ☆ひろ氏の「メリージェーン」を書いたんだけども、つのだ☆ひろ氏が提供した楽曲でヒットした曲って、なぜか、「今頃」のヒットが多いんだよね。 うーん、季節感・・・という訳でもないんだけど。。。

でもさ、やっぱ気になるんで、今回はそんな「つのだ☆ひろ」氏が提供し、大ヒットしたこの曲を持って来ましたわ。

清水健太郎「帰らない」。

デビュー曲でいきなりオリコン1位なんていう、超大ヒットとなった、前曲「失恋レストラン」に続くデビュー第2弾のこの曲ですわな。
 「失恋レストラン」が、ああいう形でオリコン5週連続1位、63万枚の大ヒットとなった・・ってことで、前曲に引き続いて、つのだ☆ひろ氏が作詞作曲というわけでさ。

まあ、前作の「続編」ってやつですな。完全に。

兎も角、正直言って「失恋レストラン」に「クリソツ」(そっくり)なんですわ。 イントロ、メロディライン、曲の雰囲気、サウンド。 ややもすれば、どっちがどっち? って感じなんだよね。 うん、BGMとして、流して聴いてたら分かんなくなっちゃっりして。。。

今ならば、リリース時に、これじゃ売れねーよなー・・・なんて思っちゃったりもするんだけど、そこは41年前ですからねぇ。今とは状況が違う。

そんなにそっくりな曲でも、売れちゃったんですねぇ。「失恋レストラン」に続いて、オリコン1位、54万枚も売れたって言うんだから・・・。 うーん、時代が違うといっても、個人的にはちょっと理解しがたい・・・って言う気分になっちゃったりして。。。

いや、かといって、当時の傾向から言えば、この曲に限った事ではないんだよね。 1曲売れると、同じような曲を続けてリリースする・・・ってことはよくあったんだよ、当時は。

よくあった・・というよりかは、当時の業界内の常識だったんだよね、それが。

桑田佳祐氏の「ロックの子」によるとサザンのデビュー曲「勝手にシンドバッド」がああいう形で大ヒットして、「第3弾」シングルまでは、「シンドバッド路線」で行くってことが決まってたらしい。それが当時の常識だったってカミングアウトしてるもんね。
まあ第2弾の「気分次第で責めないで」は、「シンドバッド」路線で出したけど、第3弾は当時の業界常識をやぶり「いとしのエリー」を出した訳なんだけども。

一つ売れれば、次も同じ路線で行っても売れる・・・っていうのが業界内の常識だったって言う訳ですわ。

まあ、それはこの曲を見ても、あながち間違ってない・・って言うのを証明しているようなもんなんだけどさ。
同じような曲が2曲続いても、オリコン1位、50万枚以上の連続大ヒットに繋がった訳なんで。。。

当時、オリコンで2曲連続1位、しかもデビュー曲から2曲連続で50万枚なんて、少なくともアイドル路線じゃ居なかったしね。 これはスゴい事だったんだよね。 

ただし、似たような曲が続くってことは、長い目で見れば、飽きられるのは早いっていうのは、当時から変わらない訳でさ。

実際、この曲までって感じだったもんなぁ、シミケンも。 ま、確かにこの次の「遠慮するなよ」ってシングルもオリコンで最高3位でベスト3入りしたものの、売り上げは20万枚と急降下。以後はベストテン入り出来なかった程で。。。。

トップアイドルって言う座も、デビューから1年足らずの短い間だったわけなんだよねぇ。

今から思えば「人気」の動きの傾向ってそう言うもんだ・・・って当時から分かっていたはずなのに、なんで1発あてると、それを続けるかねぇ・・・なんても思うんだけどさ・・・。

やっぱ、楽に柳の下の2匹目の「どじょう」を狙った方が良い・・・なんていう人間心理なんだろうねぇ。

この曲を聴くと、いつもそんな事を思っちゃったりするワタシだったりしてね。



・・・とはいうものの、個人的には、デビュー曲の「失恋レストラン」よりかは、こっちの「帰らない」の方が、まだしっくり来るんだよな。
それは、今となってはこの「帰らない」の方が、手垢が少ないからなんだろうな。

例えば、未だに昭和の「懐メロ」番組って続いてるけど、シミケンの場合「失恋レストラン」ばっかだもんな流れるの。 この「帰らない」が流れる事なんで、まず、100%ない訳で。。
まあ、恐らくはこの曲のVTRが今ではほとんど残ってないんだろうけど。うん、「失恋レストラン」はレコ大、歌謡大賞などの音楽祭でも歌ってたんで、VTRはかなり残ってるけどさ。

そんなわけで、同じオリコン1位獲得曲というのに、今となっては完全に「死角」に入っちゃってる曲だもんなぁ、この曲は。 まあ、逆に言えばそれだけ「手垢」が少ないって訳で、その分未だに「新鮮味」が残ってたりするんだろうな。


でさ、個人的に「歌謡曲」っていうと、この手の曲って言うイメージなんだよねぇ。 そそ、いまからすると安っぽくてザラついた手触りの野太いサウンドって奴かなぁ。とても洗練されたって言う感じの音楽ではない訳なんだけどさ。

当時、小学2年だったワタシは、まだヒット曲の世界に足を踏み入れてなかった訳んだけど、この辺りの曲となると、うっすらと当時も耳に詩してた記憶が残ってるんだよね。 まだ能動的には聴いてなかったけど、受動的に耳に入っていた記憶ってやつかなぁ。
まあ、だからリアルタイムで耳にしてた記憶がある記憶は、この辺からって感じなんだよなぁ。その分「歌謡曲の起源」になっちゃってるんだろうな。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

メリー・ジェーン / つのだ☆ひろ

1972_05_メリー・ジェーン_つのだひろ


今回の1曲セレクトは、「メリー・ジェーン」つのだ☆ひろです。

まずはデータです。

・タイトル      メリー・ジェーン
・アーティスト名  つのだ☆ひろ
・作詞        Christpher Lyn
・作曲        つのだひろ
・編曲        成毛シゲル、葵まさひこ
・リリース日     1972年2月25日
・発売元       フィリップス
・オリコン最高位  93位
・売上げ枚数    0.7万枚

えー、今回の1曲セレクトは、マクラ無しでのっけから本題に行きましょうか。
・・・というのも、今回の曲、書いてるワタシも「謎」な部分が多い曲でして・・・。

その曲は、つのだ☆ひろ「メリー・ジェーン」。

うむ、70年代ディスコをご存じの方には、定番中の定番ですね。 そそそ、ディスコの「チークタイム」の曲としての超定番曲ですな。

っつうか、チークタイムっていうのも説明がいるのかしらん  

ディスコ、まあ、今で言うクラブですな・・・は、言うまでも無くアップチューンがメインな訳だけど、1時間に1〜2回、間を挟んでスウィートなバラードになるんですな。 まあ、その時は男女が、文字通り「頬と頬」を寄せ合って踊る・・ってわけで、「チークタイム」。

この、「メリー・ジェーン」は、そんなチークタイムで流れる曲としては超定番だったわけですわ。 まあ、当時、「サタデーナイトフィーバー」ってた、イカしたBOYS&GIRLSで知らないヒトはモグリじゃね? ってくらいの曲ですわ。(っつか死語のオンパレードですな

BUT、なんで、そんな超有名曲() が謎だらけなのか。

っちゅうと。

まずね、この曲のリリースについてなんですねぇ。

wikipediaを見ると、最初のリリースは1971年6月。 当時つのだ氏が所属していたバンド、ストロベリーパスのアルバム「大鳥が地球にやってきた日」に収録されていた「Mary Jane On My Mind」であり、その直後、タイトルを「メリー・ジェーン」に変更後、つのだ☆ひろ名義でシングルリリースとなっている。

まあ、その時は全くヒットもしなかったんでしょうな。オリコンを見ると、その時は100位にもランクインしていない。

でも、その後、数小節、曲を編集し直して1972年に再リリース・・とある。

オリコンチャートブックを見ると、レコード品番から、この再リリース盤が、チャートイン対象となっているものと思われるけど、オリコンでのリリース日と、wikipediaでのリリース日にずれがあるんだよな。

オリコンでは、上のデータに書いたように、1972年2月25日となっているけど、wikipediaでは、1972年7月とある。

ハテ? どっちが正しいんだろ?

当時、ワタシャ3歳だった訳で、どっちが正しいのかなんて分からんし、46年も前の事なんでさあ、どっちが正しいかなんて、今さら・・・な事なんだけど、どうも、気になっちゃったりしてね。


それよか、↑のデータでの、売り上げ枚数だよなぁ。
ディスコのチークタイムの定番、当時のディスコを知ってるヒトなら知らない人なんていないんじゃない? なんて書いた手前、売り上げ「0.7万枚」なんて嘘だろ って感じなんだけど・・・。

BUT BUT、オリコンチャートで、100位内にランクインした時の売り上げは0.7万枚だった・・・ってことですね。
大体においで、こんな、誰でも知ってるような曲の最高位が93位なんてねぇ・・・・、ウソだろ? って感じなんですけど。。。

まあ、だからシングルリリースされたころのこの曲は、それだけ超マイナーな曲だったってわけですわ。

ちなみにネットで調べると、この曲がディスコのチークタイムに使われるようになったのは1974年頃から・・ということで、シングルリリースから2年は経っていたことになる。

もちろん、以後、散発的に知名度が広がって行ったものの、集中的なヒットにはならず、オリコンで100位内に入る事は無かったんで、未だに、売り上げは0.7万枚で止まっている。

ただ、それ以後も現在までもジワリジワリとは売れているってことで、wikipediaでは公称で200万枚ということになっているが・・・。 まあ、かなり眉唾物・・・って感じはするけど・・・。 でも、リリース元のフィリップス、その後、何回も再リリースされてきたし、レコード会社再編で、その後ユニバーサルに吸収されたりして、今までにどの位売れたかは、正確には分からないとのこと。。。

でもまあ、いわいるオリコン発表と、実売数にこれだけギャップがある曲も珍しいんじゃないですかねぇ。 それだけ長期間ジワリジワリと売れ続けて来ている曲であるって事なんだけどさ。

まあ、これだけ長く売れていると、ヒット時期って決めるのも難しいわけで、ここ見たいにヒット時期に合わせて書くってことも、いつ書いていいか分からなくなるってもんよ。
一応、オリコンで表示されている、リリースが1972年2月って方に則って、恐らく今頃がヒットのピークであったろう・・と仮定して、今回引っ張って来たんだけどさ。




しかしさ、You Tubeって凄いよね。 スペースバンド時代のつのだ☆ひろ氏の「メリー・ジェーン」
一体。だれがこんなVTRもってたんだって感じなんですけど・・・。
恐らく1974年くらい・・・だから44年前くらいのVTRなんですけど・・・。
VTRに写ってるテレビカメラが「TVK」ってなってるから、伝説の音楽番組の「ヤング・インパルス」ですかね。
ギター:芳野藤丸、ベース:四方義朗に、キーボードは今井裕って布陣。

通常レコード音源で聴ける初代の「メリー・ジェーン」は、ギター:成毛滋、ベース:江藤勲にコーラス、伊集加代子。それに比べると、この面々だけによりプログレっぽい匂いがする「メリー・ジェーン」ですな。 初代の音源はもっとジャズってるもんね。

あ、つのだ☆ひろ氏って出身、福島の塙町だったんだ 今知った。 ワタシと同じ福島県人だったのかぁ。
それなら、1974年に郡山の開成山球場で行われた「ワンステップ・フェスティバル」に呼ばれて当然か・・・
・・・っつか時代的に必然だったんだろうけど。。。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

愛よ甦れ / 野口五郎

1978_03_愛よ甦れ_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「愛よ甦れ」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル     愛よ甦れ
・アーティスト   野口五郎
・作詞       藤公之介
・作曲       平尾昌晃
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年2月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位   9位
・売上げ枚数   15.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月13日、3月27日

えー、昨日に引き続きいての1曲セレクトです。 えー、今度いつ書くか・・っていうのもちょっと不安なんで、書ける時に書いておこうか・・と思い、連ちゃんで筆を取りましたわ。

今回セレクトしてきた曲は、野口五郎「愛を甦れ」。

この曲ねぇ、ちょっと前に目に留まって、「あ、書こう」・・・と思ってたんだけど、ちょっと間空いちゃったんだよね。その間に「ヒット期間」が進んじゃいまして、今書かないと、ヒット期間が過ぎちゃう・・・って事もありまして、昨日に引き続いて筆を取った・・・っていのうが、一番の理由かなぁ。

うん、今書いとかないと、また来年まで書けないんでねぇ・・・。

なんで、この曲が目にとまったか・・・って言うと、新御三家の一人として、長らくトップアイドルの座についていた野口五郎氏だけど、この頃からちょっとパワーダウンし始めるんだよね。

そのターニングポイントとなった曲が、実は、まさにこの曲だったりするんだよなぁ。

この曲の1曲前が、77年10月にリリースされた「風の駅」って曲。 そそそ、「ザ・ベストテン」フリークだった方には、お馴染みの曲ですな、「ザ・ベストテン」第1回の10位だった曲。 つまりは初めてあのミラーゲートをくぐって歌った曲が「風の駅」だったわけですわ。

あ、ちょっと話が本題と外れてきたね。。。  でね、この「風の駅」まで4年近く、野口五郎氏ってリリースする曲でオリコンベスト5を外してなかったんだよね。
 以前も、何かの折で書いたかもしれないけど、新御三家で一番売り上げが安定していたのは、実は野口五郎氏だったんですよ。

 この辺は、ヒット曲をリアルタイムで経験したのが78年以降なワタシにとっては、ちょっと信じがたい感覚なんだけど、昔の資料からすると事実は事実なんだよね。 個人的な感覚ではヒデキが一番売れてたような感覚があるんだけどさ。

「風の駅」にしても、オリコン最高5位、売り上げが25万枚。

で、そこから次の、この「愛よ甦れ」では、売り上げが15万枚と、いきなり10万枚近くも減。オリコン最高位も9位とベストテンギリギリまで落ちてしまう。
 ちなみに、五郎氏で売り上げ15万枚そこそこだったのは、デビュー3作目の「雨に消えた恋」以来6年ぶりだったわけなんだよね。


なぜに、いきなり売り上げが下がったのか・・・。

 この曲、野口五郎氏にしては珍しく、平尾昌晃氏なんだよな。調べてみると、シングルのA面としては、この曲が初めてなんだよね。 野口五郎氏と平尾昌晃氏の組み合わせは。 野口五郎氏というと、どうしても筒美京平氏と、そのブレーンって言うイメージが強いからさ。

で、本来ならば、新鮮味を感じるところなんだけど、どうも、この曲に関して言えば新鮮味が感じない。

やっぱり曲調なんだろうなぁ。 平尾昌晃氏って、丁度この曲がヒットしている時に、並行して自身が歌った、「カナダからの手紙」が大ヒットしてたんだけども、どうも曲調が78年って言う時代にしてみると古いんだよね。

この時点で、5年前の・・・・っていうイメージだったんだよな。 うん、どうしても70年代前半の匂いが取れないって言うかさ。ポップスではあるんだけども、より「和」の匂いがするっていうかね。 そそそ、より「歌謡曲」の匂いが強いんですよ。 
78年、時代のメインストリームはロック・ミュージックでしたからね。

歌謡曲の匂いっていうのは、ボーカル中心の曲って感じなんだよね。 ちょっと前に太田裕美さんの「雨だれ」の時も書いたんだけども、70年代前半までのヒット曲は「ボーカル中心」。でも、時代を下るごとにボーカル以外のサウンドも重要になりトータルで聴ける音楽が中心変わっていく・・・って書いんだけど℃、そう言う意味では、この曲なんかは、その流れに逆抗して行くような曲だったんだよね。そんな時代の流れどのギャップっていうのが、この曲ではモロ出ちゃったんじゃないか・・・。 そんな印象が強いんだよな。 

ちょうどこの78年の前半って、ヒット曲においては、サウンドの変化の流れがより加速して来ていた時代でしたからねぇ。

 丁度、78年の春ごろの曲って、ここの曲を聴き比べてみると、一時代前のサウンドの曲と、先端サウンド曲の差っていうのが、かなりでかいんだよね。 で、この流れに乗り切れなかったヒトたちは、ヒットのメインストリームからも置いてけぼりを食らってしまう・・・そんな流れが出てきた、ヒット曲って言う側面から見ると結構厳しい時期だったんだよね。

野口五郎氏の他にも、桜田淳子さんも、そんな時代の流れの時流に乗りきれず、人気が後退してきたヒトの一人ですね。



個人的には、この「愛よ甦れ」がヒットしていた時期は、まだ、ヒット曲の世界に足を踏み入れていない。 ほんの少し前ですね。
 だから、実は最近までこの曲、よく知らなかったんだよね。 ま、オリコンなんかで存在は知ってたけどさ、実際に聴いことは無かった。

 で、これを書くにあたって、ちょこっと掘り返して曲を聴いてみたら・・・、 うーむ、本音を言うと、 ↑で書いたように78年って言うイメージじゃないんだよなぁ。 75年って言うか・・・その位のイメージ。

 そそそ、ジュリーがフレンチポッフプスというかヨーロッパ系ノの曲をやっていた頃の・・・って言うイメージなんだよな。 うん、いわいるカンツォーネなんだよね。ひしひしと真面目に歌い上げる形式の。
そこからしてギャップなんだよね。78年っていう色合いとのギャップっていうかなぁ。

 たしかに、この曲のちょっと前に、松崎しげる氏の「愛のメモリー」っていう超絶的なカンツォーネ系の歌い上げる曲が大ヒットしてたりする。
 でも、両者のリリース間隔はたかだか半年くらいだけど、この半年の間でも時代とヒットの色合いっていうのは、大分変わってきてたしな。
 なにより、同じカンツォーネ系といっても、「愛のメモリー」の絶唱とも言える盛り上がりはインパクトの塊だったからなぁ。 この「愛よ甦れ」はそこまでのインパクトはない。 その差が大きいんだよね。
 

とはいうものの・・・これ書くのに何回もこの曲を聴いてたら、どうも引っかかっちゃうんだよな。 耳に残ってしまう。 まあ、個人的にこの手のカンツォーネ系の、いわいる「歌い上げる」タイプの曲って嫌いじゃないからさ。



よろしかったら、ポチッと押してね。
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

雨だれ / 太田裕美

1975_03_雨だれ_太田裕美


今回の1曲セレクトは、「雨だれ」太田裕美です。

まずはデータです。

・タイトル    雨だれ
・アーティスト  太田裕美
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1974年11月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  18.1万枚


またまたお久しぶりーな、1曲セレクトどぇす。
もうね、こんな書きだしのマクラが定番になっちゃいましたね、最近は。
相変わらず、書こう書こうと思ってなかなか筆が上がらない自分だったりしてなぁ・・・。

ここ暫くは「時代の転換点」な曲って言う感じで曲をセレクトしてきたりしてるけど、今回の曲も、そんなヒット曲の転換点な時代の1曲って言えるのかなぁ。

太田裕美「雨だれ」

そそそ、太田裕美さんの「デビュー曲」ですね。 リリースは1974年(昭和49年)11月っていうから、ワタシャ5才。
当然、リアルタイムではないよなぁ、この曲は。

でも、11月リリースなのに、なんで今頃書いてるの? とも思う方もいらっしゃるかなぁ。うん、この「1曲セレクト」は原則、「ヒットしていた時期」に書いてるからさ。
But But、ご安心あれ、この曲のヒットのピークは、1975年の丁度今頃なんですねぇ。(オリコン最高位14位を記録したのは、1975年3月3日付)。なので、リリースからヒットのピークまでは4カ月要した、いわばロングヒットでもあるんだよね。

ただ、ワタシらの世代と、太田裕美さんっていうと、どうしても次の年の「木綿のハンカチーフ」だったりするんだけどさ。。
いや、恐らくこれ読んでいただいている多くの方が、そうじゃないのかなぁ。

個人的にも、後年、時代を遡ってこの曲を聴いた訳なんだよね。

で、ちょっと迷ったのが、果たしてこの曲は、単純に「アイドルポップス」っていうカテゴリーに入れていいのだろうか・・って事なんだよなぁ。

たしかにこの曲では太田裕美さん本人がピアノの弾き語りで歌っていたこともあった。 そのスタイルからしてアイドルポップスって言う範疇では無かったように感じたところも大きい。

けどさ、それ以上に、甘美なピアノのイントロから始まるこの曲は、やっぱりアイドルポップス・・・って言うイメージじゃないんだよねぇ。どちらかと言えば、当時、広がりを見せつつあったニューミュージックの世界観に近い。
あ、これは、その時点までの一連のアイドルポップスと比べると・・・と言う事だけど。

「雨だれ」っていうとショパンのプレリュードを思い浮かべる方もいらっしゃるかと思うけど、そんな世界観を想像してしまうようなイントロのピアノの旋律は、流石は萩田光雄氏のアレンジだよなとは思わずにいられなかったりしてさ。

それまでの70年代アイドルポップス・・・いや、アイドルポップスに限らず、いわいるヒット歌謡って言う部類の曲、全般的にですね、どちらかと言えばメロディライン優先で、バックのサウンドは添え物って言うところがあった。 まあ、大まかに見るとよ。

でも、この曲あたりから、メロディラインだけではなく、バックのサウンドのクオリティも上がってきているんだよね。トータル的に音楽を感じるられる曲って言うのかなぁ

それは日本独自の流れというよりは、ヨーロッパを初め世界的にそんな流れになってきては居たんだけどね、当時は。
リズム重視というよりもサウンド重視っていうのかなぁ。そんな流れに日本のポップスも追いつきつつあった。

この曲はそんな流れの象徴の一つなんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりするんですよね。

そんな世界的な流れのトレンドにいち早く移行したのが、後のニューミュージック勢の方たちであり、歌謡ポップスでは筒美京平氏なんじゃないのかなぁ。

筒美氏一人で・・というよりもそれを支えたブレーン達の才能って言うのもあるんだろうけどね。そのトップバッターだったのが、この曲のアレンジをした萩田光雄氏ですよね。

まあ、丁度ヨーロッパ・・特にクラシックの流れを汲んだような曲調のフレンチポップスが流行っていたって言うのも追い風だったのかもしれない。
以前も何回か書いたような気がするけど、フレンチポップスと日本の土着的なメロディって相性が良いからさあ。

なんで相性がいいのか・・・正確では無いかもしれないけどさ、日本の方言、特に東北地方の方言ってフランス語的って言われてるじゃん。
寒くてあんまりはっきりとしゃベれないんで、ボソボソっとした発音と省略語が多いところがフランス語の発音に似てるってさ。

そんなフランス語に似てる発音で歌われる民謡・・・これってやっぱりフレンチ的になるんじゃないのかなぁ・・・なんて思う訳なんだよね、個人的には。

ゆえに、フレンチソングと日本の土着的な音楽って相性がいいのも、ある意味必然的なんじゃないのかな・・・なんて勝手に思ってたりするんだけどさ。

ま、蛇足と言う事で・・・

あ〜、話が脱線した。。。。元に戻す。

それらの「いいところどり」・・っていうかさ、上手い具合に融合し発展し始めたのがこの頃の曲だと思うし、その1曲が、この「雨だれ」なんじゃないのかなぁ・・・なんて思ったりするんだよね。

筒美氏もこの曲に関しては、納得する出来だったのかもしれない。 何年か前にNHK BSの「筒美京平」ご本人が出演された特集の最後に、筒美氏本人がピアノ弾き語りで演奏した曲がこの曲だったわけだから。

ヒット曲は、納品した瞬間から自分の手を離れるって自ら語っていた本人なわけだから、その本人が自ら弾き語りで選んだ曲っていうことは、それほど納得が行って愛着を持っている曲なんじゃないのかなぁ。

そう言う意味でも印象的な曲なんだよね、この曲は。

まあ、売り上げ的には大ヒットと呼べるほどではないんだけどさ。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

白い冬 / ふきのとう

1975_01_白い冬_ふきのとう


今回の1曲セレクトは、「白い冬」ふきのとう です。

まずはデータです。

・タイトル    白い冬
・アーティスト  ふきのとう
・作詞      工藤忠行
・作曲      山木康世
・編曲      瀬尾一三
・リリース日   1974年9月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数   18.5万枚

うー、寒みーよ〜・・・・。なんて、去年の今頃も書いたような気がするけど・・・。  いやでもマジで寒いのですよ、ワタシのウチ。なんせ築40年近くたった「木造」の家っすからねぇ。多少なりとも「すきま風」が入ってくる訳で・・・ しかも、ワタシ、エアコンの「暖房」が好きじゃないんで・・・・。電気代を食うっていうと、エアコン特有の埃っぽい空気がねぇ・・・ダメなのよ。 なんで、このご時世になっても「石油ストーブ」焚いてたりするんだよね。
石油ストーブも一度暖まれば快適だけど、そこまで行くのに時間がかかるんだよな・・・。 なんで、焚き始めは部屋んなかめちゃくちゃ寒い・・・。

特に今年の冬は、しばれるよなぁ・・・。朝なんて室温4℃よ・・・。冷蔵庫と同じだもの。。。
こんな寒い冬、近年なかったもんね。 まあ、幸いなことに水道管が凍るところまではまだ行ってないけどさ。

でも天気予報だと、30何年ぶり・・・という言うじゃん。逆に考えれば30何年前の冬は、この位寒かったわけで・・・。30何年前って言えば、ワタシは既に10代だったわけで・・・。 この程度の寒さも昔体験していたハズ・・・なんたけどね。 人間は忘れる動物なんですよね。。


あー、またまた前置きが長くなった・・・・。

こういう寒い時は、冬っぽい曲を持って来たい・・・ってことで、考えまして・・・浮かんできた曲がこの曲。

ふきのとう「白い冬」。

知ってる方、どの位いらっしゃいますかね〜。 なんせ今から43年前、1975年の今頃のヒット曲ですかねぇ・・・。
しかも大ヒットした曲でもなく、ベストテン入りした曲でもないからなぁ。

ただ、当時青春時代を過ごさせていた方には懐かしい1曲じゃないかなぁ。

「白い冬」っていう、タイトルだけ聞くと、いかにも真っ白な世界を思い浮かべたりするけど、↑のデータにもあるように実際のリリースは9月。まだ初秋。 今だったらややもすると、まだ「真夏日」だったりする時期。
そんな時期のリリースだったわけでさ。 ヒットのピークまではかなり時間を要したわけなんだよね。

当時のオリコンチャートをひも解くと、74年の年末〜75年年初めがヒットのピークとなっている。

まあ、そもそもこの曲が「ふきのとう」のデビュー曲でもあり、広く浸透するまで時間を要したこともあったんでしょう。
でもさ、やっぱ9月、10月にヒットのピークとなるよりも、曲想からして、ヒットのピークはどんぴしゃな時期でしたよね。


ふきのとう。 この曲の作曲の山木康世氏と、細坪基佳氏のフォークデュオ。 出身は北海道で、札幌の北海学園大学出身というから、作曲家の蔦谷好位置氏や、大泉洋のTEAM NACSの大先輩ってわけですよな。

ヤマハのライトミュージックコンテスト出場がデビューのきっかけ。まあ、当時のフォーク・ミュージック系アーティストの「黄金」的な道筋ですわな。 そのデビュー曲がこの曲だったわけでさ、デビュー曲からして、オリコン最高14位、15万枚売上げっていうことは、当時のフォーク・ニューミュージックとしては好成績。 その辺からみても当時の人気が高さが覗えるんだよね。

残念ながら、当時ワタシゃ5才だったからさあ、まだ、この曲はリアルタイムでは無いんだよな。だから、当時のこのヒトたちの人気がどうであったか・・・っていうのは、想像でしかできないんだけど、でも、客観的な数字から見ても、やっぱ人気あったんだよね。

Wikipediaによると、有線リクエストは1位とか出てるしさ・・・。 まあ、どの程度本当なのかはよく分かんないけど・・・。

でさ、上ではわざとらしく「フォークディオ」って書いたけど、実際「フォーク」って言いきってもいいのかなぁ・・・っては、個人的には思ったりしてるんだけどね。

この頃、74年〜75年あたりの、いわいるフォークって言われているヒトたちの曲ではさ、アコギだけではなくエレキも普通に使われているしさ、サウンド的にはよりロックに近づいてきてたりする。いわいるフォークロックってやつね。

で、後年、このテの、シンガーソングライター系のフォークロックの人たちって、ニューミュージックっていうジャンルに一括りになってたわけじゃん。例えばチャゲアスとか、ごく初期の長渕剛とかさ。

そこからみれば、この曲を含め、このヒトたちの曲もフォークというよりもニューミュージックなんじゃねぇのかなぁ・・・。 うん、ニューミュージックって言う音楽の「起源」の頃の曲・・・。そんな感じに受け取ってたりするんですよね、個人的には。

だからね、この曲が「フォーク」っていうカテゴリーに入っていると、なんか違和感を感じたりするんだよねぁ。まあ、抵抗感がある訳ではないんだけど、なんか、やっぱ違うんじゃね? とかさ。

個人的にはフォークって言う曲はアコギだけの編成っていう認識なんでさぁ。

まあ、音楽のジャンルなんて考え方は人によって様々で正解なんて無いんだけどさ。



最近では、ボーイソプラノとまでは行かなくても、ちょっと「なよっ」としたボーイッシュなキーが高いボーカルっていうのも全然珍しくないんだけど、これは、今に始まった訳ではなく、昔からあるんだよね。
例えば、70年代前半だったら、ブレッド&バターとかBUZZなんかも、今で言えば草食系男子的な声質だったしね。それで言えば、ふきのとうの細坪氏のボーカルもその部類ですよね、ボーイッシュで。

うん、それで言えば、チューリップの財津氏も、オフコースの小田和正氏も、この手の部類の声質に入るか。

それを考えると、昔からこの手の声質のボーカルってみんな好きだったんだよね。で、もって、なぜか女子人気が高かったりして。。。
やっぱり、包容力があって優しそうに感じるんでしょうか。。。。

ジャケ写のお二人は、如何にも70年代中盤って言う「いでたち」ですよね。
今から見れば、思わず「だっせ―」とか思っちゃったりするけど長髪、流行ってたからなぁ。
いつかも書いたかもしれないけど、この頃、ワタシの髪の毛も長かったのよ。いっつも女の子と間違えられてたもの。

よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

魅せられた夜 / 沢田研二

1973_12_魅せられた夜_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「魅せられた夜」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル    魅せられた夜
・アーティスト  沢田研二
・作詞      JEAN RENARD  
・作曲      JEAN RENARD 
・編曲      東海林修
・日本語詞   安井かずみ
・リリース日   1973年11月21日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  34.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年12月9日〜1974年1月28日付

前回は少年隊の「バラードのように眠れ」ということで、ユーロビートを取り上げたんだけど、これは80年代の「ブーム」だったわけなんだよね。
じゃ、日本に於いて、それ以前にヨーロッパ系は流行らなかったのか? というとさにあらず。 60年代、70年代を通してもヨーロッパ系の曲って、日本のヒットチャートを賑わしていましたからねぇ。

逆に言えば、アメリカンな曲よりも、ヨーロッパ系の曲の方が、日本で於いてのヒット曲と言う意味では歴史は古いかもしれない。イタリア、フランスの曲なんかはそうだよね。

特に、フランスのフレンチポップスね。これは、その後の日本のヒット曲の「基礎」ともなっている部分が強いのよ。 フレンチポップスってメロディが濡れてるし、抒情的な曲って多いからさ、日本人の感情とフィットする部分が強いんだよね。

よく生命体の起源として「母なる海」って感じで、海の匂いを嗅ぐとどこか懐かしさを感じるって事があるけど、音楽で例えれば、フレンチポップスがまさにそんな感じなんだよな、知らない曲でもどこか懐かしさを感じる。

そこが日本人にフィットする所以なのかもしれない。まあ最近フランスで、日本のアニソンが流行っているって言うのは、その裏返しって言う部分もあるんじゃないかなぁ。 つまりは、日本のヒット曲の根っこの部分にはフレンチポップスがある訳でさ、フランス人に受け入れられるっていうのも、ある意味必然的な事なのかもしれないんだよね。言ってみればフレンチポップスの「逆輸入」って言う感じで。 もちろん、日本独自の感性って言うフィルターをかけてるんで、元のフレンチポップスと見た目上は変わってるけど・・・。


あー、またまた、「マクラ」が長くなっちまった。。。。

今回は、70年代前半にヒットしたフレンチポップスな1曲を持って来ましたわ。

沢田研二「魅せられた夜」。

うーむ、ジュリーは何曲か前に書いたばっかなんだけど、まあ、お許しあれね。

ま、兎も角も、古くからのジュリーファンにはお馴染みの曲とおもうけど、ワタシと同年代の方には、ちょっと馴染みが薄いかもしれない。

どうしてもさ、ワタシらの年代のジュリー像っていうと「勝手にしやがれ」であり、「TOKIO」ってあり・・・ビジュアル的なジュリーって言うイメージが強いからなぁ。

70年代前半のジュリーって必ずしもビジュアル重視って言う訳ではなかったでさ。件の阿久悠、大野克夫コンビになる前はヨーロッパ系な傾向は強かったんだよね。
例えば72年の2ndシングルである「許されない愛」なんかは、ロック系ではあるけど、音的にはアメリカンロックのように乾いた音ではなく濡れてたしね。で、その後フレンチポップスに傾倒するようになる訳ですわ。

その走りともなった曲が、今回引っ張って来た「魅せられた夜」じゃないかなぁ。

ま、この曲は、フレンチポップスのような・・・というか、本物のフレンチポップスなんですけどね。

つまりさ、フレンチポップスのカバーなんだよね

↓ コレ



・・・っつか、コレ書いてるワタシも今知ったんだけどさ  

なるほどぉ〜、そうだったのかなぁ。。。どおりでめちゃくちゃ「おフランス」的な曲だと思ったわぁ・・・

・・・なんて感心してるばやいか。。。

個人的に、この曲を初めて聴いたのは、忘れもしない1983年。ワタシが中一の終わりの春休みだったなぁ。

いつかも書いたような気がするんだけど、福島から千葉に越して初めて、船橋の「ららぽーと」に行ってさあ。そこのレコード屋さんで、ジュリーの「全曲集」のカセットを買ったんだよな。それに、この曲が収録されていたですよ。

めちゃくちゃ新鮮だった。 ↑で書いたように、ワタシらの世代というと、キザ路線からのジュリーからしか知らなかったからさあ。 こういう曲を歌っていたって言うのは全然知らなかったからなぁ。

新鮮だったとともに、どこか懐かしかったんだよね。それまで全く聴いた事が無かったのに不思議なんだけどね。

たしかに「ヒット」としての70年代のフレンチポップスって、能動的には聴いてなかった訳だけど、知らず知らずのうちに耳にしてたからさ。 言ってみれば、個人的な音楽の原点に近いんだよね。このテのフレンチポップスって。

 しかも、ワタシ、ヒット曲に足を踏み入れる前は、ポールモーリア・フリークだったからさあ。 まさにフレンチ・イージーリスニング界の大御所だったわけじゃん、ポール・モーリアって。だからね、知らず知らずのうちにフランス系の音って、刷り込まれていたんだよね。

A-B-A って言うメロディーの流れは、決して複雑な曲形式ぢゃないんだけど、メロディが染みるんだよね。
ちょっと前にもかいたげと、70年代前半の歌謡ポップスって、それまでの4-7抜きのメロディラインが抜けきっていない頃で、どこか垢抜けないものが多かったんだよね。なんて言うのかなぁ、ちょっとのっぺらぼうのような感じがして。

その点この曲は、もともと向こうの、本場もんのフレンチポップスだしさ、メロディラインの起伏もある。けっしてのっぺらぼうなメロディラインぢゃない。 まあサビで、転調してグワッと盛り上がるのは、ちょっと大げさかなとも思うけど、当時としてはこんな風に大げさに盛り上げる曲調がイマイかったんだよね。 そそそいわいるショービス系な曲としてさ。

この「魅せられた夜」の場合は、それに加えて、プラスのオブリガードも新鮮だったんだよなぁ。
それまでヒット曲のブラスのフレーズってダサいもんだと思ってたんだよね。なんか邪魔なところも感じたしさ。
でも、この曲のブラスがカッコ良かったんだよなぁ。

まあ、それは、当時実際ブラスをやってたって事もあるかもしれない。 丁度ブラスを始めて1年が経って、周りが見れるようになって来た頃だったからさ、ヒット曲でも意識的にブラスのフレーズが耳に入るようになってきてたんだよね。だからさ、あの時ブラスをやって無かったら、それ以前同様にダサく感じたかもしれない。 

でも、この曲と、次の年の「追憶」の哀愁漂うプラスのフレーズがさぁ、何とも良かったんだよね。

その後、高校終わりまでブラスを続ける訳だけど、本気でプラスを続けようとおもっさたのは、もしかするとこの曲のプラスのオブリガードに触発されて・・・って言うところは多分にあるかもしれないな。
うん、間違いなくきっかけにはなったと思うんだよね。

いずれにしても、この曲が35万枚近くの大ヒットになった事で、フレンチポップスへの手ごたえも感じでしょうね。次の1974年は本格的にフレンチポップスへ傾倒していくことになるんだよね、ジュリーも。





よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

とん平のヘイ・ユウ・ブルース / 左とん平

1973_12_とん平のヘイユウブルース_左とん平


今回の1曲セレクトは、「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」左とん平です。

まずはデータです。

・タイトル    とん平のヘイ・ユウ・ブルース
・アーティスト  左とん平
・作詞      郷伍郎
・作曲      望月良造
・編曲      深町純
・リリース日   1973年11月21日
・発売元     トリオ
・オリコン最高位 73位
・売上げ枚数  2.1万枚

1曲セレクトを書いてると、時々ヘンな曲を書きたくなる時があるんだよな。・・・なんてゃおら書いてみる
それが、今回だったりしてね。 うん、最近、結構「マジメ」にヒット曲を書いてきたからなぁ。。って言うのもあってね。

なんて、今回の曲のマクラをどう書こうか・・なんて全然思い浮かばなかったんで、なんか訳分かんない書きだしになってしまいましたが・・・。

なにを引っ張って来たかって   この曲デス。。

左とん平「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」。

果たして・・・、こう書いても、この曲でどの位の方が反応していただけるか・・・めちゃくちゃ不安だったりして。

左とん平さんって言ったら、ワタシらの世代からすると、コメディタッチの役をやっていた俳優・・、そうね、今で言えばバイプレイヤー的立ち位置の俳優さんって言うイメージの方ですよね。

いやバイプレイヤーなんてかっこいいもんじゃなくて、やっぱコメディータッチの俳優って言う方が強いかなぁ。

そんな方の曲・・しかも、タイトル「とん平の・・・」なんてついたあかさきにゃ、俳優が余力で出した「お笑い系の曲」か なんて素通りしちゃう方も多いかもなぁ。

いや、おそらく、この曲がリリースされた当時もそんな感じだったんじゃないかなぁ・・・なんて思えたりしてね。

なんせ、オリコン最高位73位。 売り上げ枚数2.1万枚ですからねぇ。 業界用語で言えば「左ページ」にも入らなかった訳で、ヒットと呼べるかどうかも微妙な売り上げだった訳ですわ。

つまりは、本当に知ってる人しか知らないって言う曲だった訳ですわね。


BUT BUT BUTですよ。 そんなじゃ、なんでそんな曲をワタシが知ってるの って事ですわな。 
当時、ワタシゃ、4才。 「大人」の曲なんぞ、まーったく知らなかった・・というよりも、まだ物心もついたか付いてないか・・・って頃ですわ。、そんなワタシが、当時は、当然この曲を聴いたって言う記憶も無い。

でも、知ってるんだよね。

まあ、タネあかしは簡単で、90年代中ごろ、いわいるクラブで、この曲が注目された事があるんだよね。

wikipediaによると、スチャダラパーがサンプリングしたことで再注目、一躍脚光を浴びた事になっている。

個人的にも、その時ですね、この曲を初めて聴いたのは。

タイトルからして、個人的にも、当然、「お笑い系」の軽いノリの曲が出てくるんだろう・・・と思ってたら・・・

ビックリしましたねぇ、イントロからして、めちゃくちゃ本格的なR&Bで。 

まあ、♪ 祇園精舎〜 ♪ っていう出だしの詞にもずっこけましたが・・。というか、その辺はとん平氏らしいなっていうところなんだけど。。

兎も角、ビックリしたのが、その黒っぽいサウンドなんだよね。 これは、完全に「歌謡曲」っていう範疇を超えてるよなぁ、本格的なR&Bですよ。

当時で言えば、ゴッドねぇちゃんの和田アキ子様が好んで歌っていたような。

そんな本格的R&Bのサウンドに、とん平氏のここの内面を叫んだ歌詞が、妙にマッチしてたりする。 こんな本格的な曲が70年代にあった・・・っていうのが凄いな・・・っていうのが、まずもっての感想でしたねぇ。

個人的に言うと、70年代前半のヒット曲って、やっぱりどうしても歌謡曲が中心であり、しかもまだまだ曲のクオリティ自体も発展途中でありって言うイメージがあったんだよね。

この辺は、70年代前半のヒットポップスを聴くと、今でも感じるんだけど、メロディにしてもコード進行にしても、どっかヘンなんだよね。 自然体じゃないっていうか、不自然と言うか・・・、前時代の歌謡曲の王道だった4-7抜きのメロディからの脱却がウマくいって無い・・というかさ。メロディのフレーズ自体まだまだ少ないし。。。
結局は、発展途上の時代だったんですよ、70年代前半のヒット曲って。

でも、この曲はといえば、そんな、発展途上のヒットポップスからみても、遥か先を行っている・・・そんな感じを受けたんだよなぁ。

ま、歌ってるヒトがヒトだし、「トリオ」っていう歌謡曲専門レーベルからのリリースってこともあるんで、一般的に言っちゃうと、歌謡曲なんだろうけどさ。

でも、個人的に言うと、この曲を単純に「歌謡曲」って一括りされちゃうと、やっぱ違和感を感じますね。

いずれにしても、当時としては楽曲的にハイパー過ぎて売れなかったってところはあるかもな。
日本でもこんな本格的な曲があったんだ。しかも70年代前半に。それがまずびっくりなところなんだろよね。
90年代でも通用した訳だから、20年後位にリリースしていれば、もっと売れただろうに。

プロデュースは、ミッキーカーチス氏。 
その昔は、ロカビリー3人男として、ウエスタンカーニバルのスター。最近では、テレ朝のドラマ「やすらぎの郷」に出演されたり、完全な俳優となった氏は、音楽プロデューサーとしての手腕も凄かった訳なんだよね。
この「ヘイ・ユウ・ブルース」の前年には永ちゃんの「キャロル」をプロデュースしデビューさせたり。

こんなハイパーな曲が当時リリースされたのは、確かにアレンジャーの深町氏のアレンジ力っていうのもあるけど、やっぱりミッキーカーチス氏の力量のおかげなんだろうなぁ。







よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

巡恋歌 / 長渕剛

1978_11_巡恋歌_長渕剛


今回の1曲セレクトは、「巡恋歌」長渕剛です。

まずはデータでする。

・タイトル    巡恋歌
・アーティスト  長渕剛
・作詞      長渕剛
・作曲      長渕剛
・編曲      鈴木茂
・リリース日   1978年10月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 100位以内ランクインせず
・売り上枚数   −枚

えー、今回はマクラなしで直接行きますか。
久々に、「変則」曲と行きますか。変則曲っていうのもちょっとおかしいけど、後年大ヒットした曲の中で、オリジナルは全くかすりもしなかった・・って曲ですね。

長渕剛 「巡恋歌」 

どうもね、「筋肉マッチョマン」になったしまった後の長渕の印象が強いだけに、ヒトによって好ききらいが激しいアーティストでしょ、長渕って。

だから・・・って言うこともありーの、ここでもあんまり書いて来なかったアーティストの一人かもしれない。

でもね、個人的には、キライじゃないんだよなぁ、長渕って。
昔、某着メロサイトで配信曲のセレクターやってるとき、ゴーインに当時のニューアルバムの全曲特集なんてやっちゃったくらいなんで。。。
まあ、プロデューサーっていう権限で半ばゴーインにやっちゃった・・・ってのもあるけど。。。
(でもそこそこのダウンロード数を稼げて、一応面目躍如だったんだよな。。。)

・・・・ってくらいだからさ。

とは言っても、個人的にも、まだ「筋肉マッチョマン」や「ヤクザ」になる前、「やさ男」だったころの長渕が好きだったんだけどね。

今回、持ってきた「巡恋歌」はデビュー曲。 まだ、もろ「やさ男」だったころの曲ですわ。

うん、そもそも↑の「ジャケ写」の写真からして、今の長渕しか知らない方には「別人」にしか思えないかもしれないもんな。
 もしかしたら、誰かの「カバーか?」なんて思われるかもしれないけど、正真正銘、今から39年前の長渕本人なのよ。

線が細くてナイーヴで、それでいて、当時から少しひねくれていて・・というか、ヒトを信用していないようなところがありましたよね。

それでも、当時の長渕が好きだったんだよな。 なぜって言われると困るけど、古いようでなんか新しい匂いがしたっていうかね。

この「巡恋歌」。 初めて聴いたのも恐らくは、リリースされてそんなに月日が経っていない頃だと思う。
うん、いつ、どこで聴いたかっていうのは、全く覚えていないんだけど、少なくとも80年代の最初の頃だったと思う。
「順子」で大ブレイクしたのと同じくらいの頃かなぁ。 「乾杯」(と言っても80年にリリースされた「オリジナル」の方ね)と同時に聴いたのかなぁ。

どっちもね、いい曲や〜・・・って思ったのだけは覚えてるんだよな。

なんちゅうのかねぇ、簡単に言えばキャッチーの一言なんだけど、でも体に染みてくるんだよな。

ほら、ウイスキーをチビチビ飲ってるとき、体に染みてくる感じっていうかなぁ・・・。いい意味でトリハダが立つっていうか震えが来るんだよね。 

まあ、吉田拓郎氏に憧れ、拓郎フォロワーだっただけに楽曲の形式も拓郎氏そのものだし、曲自体はそれまでいくらでもあったフォークにちょいと音を厚くしたような、いわいるフォークロックやつで。
音的には全く目新しいところは無いんだけども、でも耳に入って来ると新鮮。

これが印象的だったんだよな、デビューの頃の長渕って。

まあ、デビュー曲といっても、「2回目」のデビューなんだけどね。

・・・って書くと、「なんじゃらほい?」って感じなんだけど。。。 

うん、知ってるヒトは知ってる事だけど、実際、長渕って、この曲の前に、一度、ビクターからデビューしているんだよね。 そそそ「雨の嵐山」って曲で、アーティスト名も「長渕剛(ごう)」っちゅう、本来の読みとはも少し変えられて・・・。

本人としては、アーティストとして地道にライブハウス周りをしたかったようだけど、実際は本人の思惑とは全く違い、事務所としては「芸能人」として売り出したかったらしく、デパート屋上でのキャンペーン周りの日々。

しかも、これが全く売れなかった訳で。。。。 挫折。

そんな日々に嫌気がさして、博多に戻ってしまう。 

でも1年後、「再起」をかけ、再度、1978年第15回ヤマハ「ポプコン」に応募し、本選入賞したのが、この「巡恋歌」。

そのときの画像が ↓ コレ




今聴くと、めちゃくちゃシンプル。だけど、ギターの弾き方は、後年と変わんないんだよな。当時から長渕スタイル。

それにしても甘いんだよね、声が。当時から言えば、引っかかったのはここなのかもしれないし、拓郎フォロワーを自認してたけど、一番違ったのもそこかもしれない。

そして、今と一番変わってのも、体型だけじゃなく、そこかもしれないな。

今聴くと、ホントいい曲だと思うけど・・・・でも、それでも売れなかった。 

オリコンでは100位にも入らなかった。 今でこそオリコンは101位以下も売り上げ枚数をだしているけど、昔は101位以下は売り上げを公表していなかったわけで。。。
だから、この曲の売り上げは、オリコン的に言えば「0枚」と言う訳なんだよな。

やっぱり時代と折り合いがつかなかったんだろうな。 たしかに時代はニューミュージック全盛の時代にはなっていた。
でも、時代が求めていたのは、新しい形の音楽。 

一時代の前のスタイルの長渕は、見た目上、アナクロな存在だったんだろうな。


ところで、2度目のデビューなんて今では、ほとんど聞かないけど、昔は結構いたんだよね。 再起をかけた再デビュー、再再デビューなんてさ。

五木ひろし氏なんて有名だし、フォーク・ニューミュージック系では「アルフィー」も再デビュー組として有名だよね。

その後「大御所」となって、未だに現役を続けて来ているアーティストには、こんな風に「苦節何年」なんて浪花節ぢやないけど、苦労してきているヒトたちは多い。

そして、長渕も、そんな挫折を経験したなかで、アーティストとして大きくなってきたんだよね。

でも、そんな苦節を味わってきた中での経験からなのか、「愚痴」っぽい歌詞の曲も、この頃は多かったんだよな。

まあ、この「巡恋歌」からして、愚痴っぽい曲ではあるんだけどさ。

2番の歌詞にある 

♪タバコを吸うなとか 酒を飲みなとか ワタシの勝手じゃないの〜 ♪ とかさ。

これ捉え方によっては、再デビュー前に味わった、自分の思惑とは違い、事務所に言われるがままの「営業」の日々に対する愚痴にも聴こえたりするんだよね。

いや、この曲だけに限らず、他にもあるんだよな。

例えば、80年のアルバム「乾杯」に収録されている 「暗闇の中の言葉」なんかはまさに、そんな苦い時代を吐露しているような曲だしね。

でも、そんな苦い時代を糧に長渕はビッグになって行く。 

この「巡恋歌」は、その出発点になった曲なんだよね。



つづく



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

記事検索
livedoor プロフィール

かじやん

QRコード
QRコード