かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1970年代ヒット曲

コスモス街道 / 狩人

1977_09_コスモス街道_狩人


今回の1曲セレクトは、「コスモス街道」狩人です。

まずはデータです。

・タイトル     コスモス街道
・アーティスト   狩人
・作詞       竜真知子
・作曲       都倉俊一
・編曲       都倉俊一
・リリース日    1977年8月25日
・発売元       ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   42.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1977年9月12日〜11月28日付

結局、この3連休はどこへも出かけず、家でグダグダ過ごしちゃいましたね〜。
夏の疲れが出てきたのかなぁ、腰に痛みが出て来てね〜、ちょっと出かける気が起きなかったんだよな。 まあ、天気もピーカンって言う感じでもなかったしな。

 でも、今年は3連休って言うのが多く、さ来週、また3連休なんだよな。 うーむ、今度はどっか出かけたいですねぇ。

最近は家にいる時は、ロードマップとにらめっこなんだよな。 8月山形行った時もそうやってロードマップとにらめっこしててドライブに出かけちゃったし、今度は、国道254号を使って信州に行きたいな〜。

あーら、今回の1曲セレクトで引っ張ってきた曲の前振りですか〜 

そーです、前振りです〜 

狩人「コスモス街道」

最近は、水森かおりさんが、各地名をタイトルにもってくる「ご当地ソング」を毎年リリースしてますが、そんな水森さんに繋がるような、「元祖」ご当地ソング、アーティスト。 それが、狩人ですわなぁ。

デビュー曲の「あずさ2号」が甲州・松本。 それに続く、デビュー第2弾シングルが、今回の「コスモス街道」。

え? 「コスモス街道」って本当にあんの とか聞かれそうだけど、実際にあるんだよね。 長野県佐久市。

この曲の歌詞にもあるじゃん

♪ 右は越後に行く北の道 左は木曽まで続く中山道〜 ♪ ってさ。 これは、歌詞の中のフィクションではなく、実在してるんだよね。 長野県佐久市の国道254号線。ここ、実際に「コスモス街道」って名称がついてるんだよね。
実際に路の両脇にはコスモスが並んでいて、今頃(9月頃)が見ごろだそう。

「あずさ2号」同様、実在する場所、名称がタイトルについてるだけに、曲にリアリティを感じるんだよな、このヒトたちの、特にこの最初の2曲はさ。

ただ、個人的には、コスモス街道って、国道18号の事だと思ってたんだよ、長い事。

曲出だしに ♪ 日よけを下した白いレストラン 〜 秋の避暑地 ♪ ってあるじゃん。 どう考えてもこれって軽井沢の事だよな。 国道254号は軽井沢通ってねぇぞ・・・とか思っちゃったりしてさ 

それ以前に、この曲、今から41年前の1977年(昭和52年)の曲なんだけどさ、果たして41年前の国道254号って、まだ道悪かっちゃんじゃねぇかな・・とかさ。

今でこそ、片側1車線の「舗装道」で路面もいいけど、41年前の「幹線国道」ではない、特に地方の「一般国道」なんて、そりゃ酷いもんだったんよ。離合困難なほど狭かったり、舗装されてなかったり・・・。

41年前の国道254号はどうだったんだろう? さすがに当時の実際の道路状況を知る由もないけど、ネットを検索してみると、コスモス街道と言われている地区の手前、群馬長野県境の旧国道254号、内山峠は、狭くヘアピンカーブ連続の「酷道」だったようだ。

・・とすれば、そんな所をわざわざ、曲のタイトルに持ってくるかなぁ・・・なんてさ。  

でも国道18号は幹線国道だけに、当時もそれなりに整備されていたはず。 それならこの曲のイメージに合ってたんじゃないかなぁ
もっとも、現在の軽井沢バイパスはまだなく、旧碓氷峠越えの片側1車線道だったはずだけど・・・。

・・・・なんてさ、どーも、穿った見方をしちゃうところは、ワタシの悪癖ですわな〜。


ちなみに、狩人って、長野県が好きで、デビュー曲の「あずさ2号」、この「コスモス街道」もそうだけど、80年には「白馬山麓」なんてシングルも出してたりする。
でも、本人たちは長野出身・・と言う訳ではなく愛知県出身だったりするんだよね。 




この曲、都倉俊一氏の作・編曲なんだよね。
それにしては、かなり「和」が入った作風だよなぁ。 はじめは、おおよそ都倉氏の作品とは思えなかったんだよね。 平尾昌晃氏? っても思える様な作風だったし。

 都倉氏の作品って、もっとバタ臭い、洋楽的な作品が多かったからさ。 この曲が77年の8月25日リリースで。その10日後に、ピンク・レディの「ウォンテッド」がリリースされている。

うん、この「ウォンテッドこそが都倉氏らしい作品だと思えるしさ。 プラス、どこかに似たようなフレーズが隠れいたんだよ、都倉氏の作品って。 これで、「あ、これ、都倉氏」って分かるんだけど、この曲は、都倉氏らしいフレーズが出てこないんだよなぁ。 あ、「あずさ2号」もそう。

それは、メリハリって言う部分でもそう。 都倉氏の曲ってリズム体がはっきりしてる分、メロディラインは意外と平坦な曲が多い。 だからなんだろうけど、曲にメリハリが少ないんだよ。

でも、この曲は別。 mpっていう、優しい感じの出だしから始まって、サビに向かって追い込むようにグワッと盛り上がって行く。
カンツォーネ的な手法って言うかさ。 これは、デビュー曲の「あずさ2号」でもそうでしたね。 ただ、この曲は、「あずさ2号」よりも、スピード感があっただけにサビに向かっての追い込みは迫力がありましたね。

そう言う意味でも、狩人の曲って、通常の都倉氏の曲に比べると、かなり特殊な作り方だったんじゃないかなぁ。

で、こういうカンツォーネ型の盛り上がりは、1977年当時のヒット曲の一つの流行りだったんだろうね。 それがもっとも顕著だったのが、この曲と全く同時期に大ヒットしてた、松崎しげる氏の「愛のメモリー」だったしさ。 



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

ねぇ!気がついてよ / 桜田淳子

1976_09_ねぇ!気がついてよ_桜田淳子


今回の1曲セレクトは、「ねぇ!気がついてよ 」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル     ねぇ!気がついてよ
・アーティスト   桜田淳子
・作詞       阿久悠
・作曲       大野克夫
・編曲       大野克夫
・リリース日    1976年8月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   28.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1976年9月6日〜10月25日付


久々に3日連荘の1曲セレクトです。
こんな書き方すると、なんか偶然に3日連続で書いてるような感じもするけど、結構、計画的だったりしてね。
そそそ、ちょっと前から、今回の3連休は3日連続で書こうか・・・なんて思ってたんだよね。
ま、最近、書く曲数も少なくなってきてるからなぁ。 休みの日くらいは書きたいしね。

ただ、昨日の石川秀美さん、その前の安室奈美恵さんは、この日にこの曲を書こうとは考えてなかったんだけどね。その日その日の雰囲気ですね。 まあ何でも「計画的」に・・・っていうのはニガテなんでね、子供の頃から。

よく、夏休みの宿題は、夏休み最終日にやる・・・っていうヒトいるじゃん。 あれ典型的だったからさ、ワタシ。
毎日日記をつける事・・っていう宿題なんて、8月20日にまとめて1ヶ月分書いてたもん。 
そそそ、小学校まで福島のいわきだったんだけども、夏休みは8月20日までだったんだよな当時は。関東よりも10日ほど短かったんだよ。

小学校4年の時なんて、もう絶対に終わんない・・・って、最後は開き直って宿題やんなかったりしてさ。
今日1日苦しむより、明日、学校で怒られて廊下に立たされた方が良いや・・・とか。 
変な性格なのよ。

兎に角、行き当たりばったりな性格なんだわ。 計画的にやんなくても人生なんとかなるさ〜な精神っちゅうの 
「アリとキリギリス」だったら、完璧な「キリギリス」な性格ってやつでさ。

これは未だに変わらない。 仕事でも計画的に進めるのが超苦手。 サラリーマンにゃ向いて無い性格ですね。


あー、話が脱線した〜。

でね、今回の桜田淳子さんの「ねぇ!気がついてよ」だけは、前々から書こうと思ってたんだよね。

この曲は、今から42年前、1976年のちょうど、今頃のヒット曲ですわ。

42年前  ワタシゃ7才、小学1年生。 

当然、リアルタイムでは聴いて無い。 っちゅうか、ヒット曲の世界に足を踏み入れてない頃だな。

でも意外な事に洋楽は聴いてたんだよなぁ、この頃。 ここでは何回も書いてるように、ポールモーリアに傾倒してたマセガキだったからさぁ。
オヤジの車のカーステがまだ「8トラック」の頃ですね。ポールモーリアの「グレイテストヒッツ」と、この当時の洋楽ヒットのテープがいつも積んであってさ。 当時、オヤジが仕事終わりに車で行きつけの喫茶店へ毎日のように通ってんだけど、いつも「やべ(行こう)」って連れてかれては、8トラテープを聴いてたからさあ。

この当時、ワタシが邦楽ヒットを聴いて無かったのも、オヤジの影響なんだろうな。兎に角、歌謡曲がキライなヒトだったからさ。テレビもウタ番組になると、チャンネル変えちゃうような。

ぢゃ、そんな頃のこの曲をなんで知ってるの?

まあ、自分がヒット曲にのめりこんだ後付っちゃ、後付なんだけどもね。 結構意外なところから知ったんだよな。

マイナーチューニング・バンドの「ソウルこれっきりですか」

これ知ってるヒトいる? ってか、40万枚以上の大ヒットになったから、当時のヒット曲を聴いてた方なら大抵覚えてますよね。

↓ これ

  
これ1976年のヒット曲をメドレーでつないだだけの曲なんだよね。 もちろん歌ってるのはそれぞれのオリジナルじゃないんだけどさ。
この中に、桜田淳子さんの「ねぇ!気がついてよ」も含まれているんだよね。
じつは、これで知ったんだよな。大学生の頃だったと思うけど。

「ねぇ!気がついてよ」って言うタイトルは、それ以前からオリコンの「チャートブック」で知ってたし、その前に自分で当時のランキングも作ってたから、桜田淳子さんの曲って事も知ってた。

でも、実際にメロディラインを聴いてみると、「ソウルこれっきりですか」で使われてるサビのメロディが、めっちゃキャッチーだったんでさ、全部聴いてみたい・・・っちゅうことで、音源を手に入れたんだよ。

たださ、実際にオリジナルの桜田淳子さんを聴いてみると、ちょっと印象が違ったんだよなぁ。

確かに、サビの部分は、初聴でも思わず刺さっちゃうようなキャッチーなんだけどさ。 続く、Aメロ、Bメロは、今一つ退屈なんだよなぁ。

そそそ、この曲は、メロディの始まりがいきなりサビっていう、いわいる「前サビ」なメロディ構成なんだよ。

だから、イントロににつづいて、ついつい食いついちゃったりするんだけど、その後が続かない・・っていうかさ、キャッチーのサビと、そのあとのAメロ、Bメロが上手く結び付かないんだよな。 

とりあえず、AメロとBメロをつけました・・・っていう感じもしたりしてさ。

あれ? これって、いつかも全く同じ事を書いた事があるな・・・。

そうそう、斉藤哲夫氏の「いまのキミはピカピカに光って」だわ。 あの曲も、例のCMで使われているサビがまずあって、その後にBメロが続くんだけど、CM部分のサビは超キャッチーだけど、Bメロになると途端にツマンなくなるんだよね。

結局は、CMありきの曲で、その後はむりくりつけ足したメロディって、あの時は書いたんだけども、それと同じような印象をこの曲でも感じたなぁ。

いや、この当時の曲って、意外とこういう感じの曲が多いような気がする。 サビはめっちゃキャッチーなんだけども、Aメロ、Bメロになるとツマン無くなっちゃうような曲。

この当時のヒット曲のフォーマットといっちゃえば、それまでなんだろうけど、その点が、80年代ポップスと大きな違いなんだよね、70年代ポップスの曲って。 なんて言うのかなぁ、1曲のうちの印象の落差があるっちゅうのかなぁ。

ちなみに、この曲、作詞 阿久悠氏 作曲 大野克夫氏 ・・・っちゅう、当時の沢田研二氏な面々なんだよね。




やっぱ、桜田淳子さんは、「メジャー」系の明るい曲に限りますわな。
陽の淳子と陰の百恵。 この曲の頃もそんな構図が浮き彫りになったんじゃないかなぁ。 
桜田淳子さんがこの曲を歌っているウラで、百恵さんは「横須賀ストーリー」でしたからねぇ。

ただ、メジャー系の曲は、裏返せば「コドモ」っぽくも聴こえる訳で、百恵さんが「菩薩」としてこの後、大スターの道を突き進むことになるわけだけど、淳子さんは頭打ち状態になっちゃいましたからね。
この曲ではオリコン2位まで行ったけど、これが最後のオリコン2位だったんだよね。 ここからは人気も下降線気味になって行く訳なんですわ。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

モンテカルロで乾杯 / 庄野真代

1978_09_モンテカルロで乾杯_庄野真代


今回の1曲セレクトは、「モンテカルロで乾杯」庄野真代です。

まずはデータです。

・タイトル     モンテカルロで乾杯
・アーティスト   庄野真代
・作詞       ちあき哲也
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1978年7月10日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   31.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1978年8月28日〜9月25日付

昨日も「暑ーね」ってことで、森口さんの「恋はタヒチでアレアレア」なんて引っ張ってきたんだけども、あれは、自分の中では「前座」のつもりだったのね。
で、本来ひっぱって来たかった曲が、別にあって本当は昨日2曲書くつもりだったんだけども・・・。萎えた。

うーむ、最近はダメっすねぇ、1日2曲書くのかなりキツイですわ〜。 以前は湯水のごとく文章が浮かんできてたんだけども、最近は結構、考えながらじゃ無いと文章浮かんでこないんだよな。うん、昔は「右脳」でかいてたけど、今は「左脳」で書いてるようで。。。だからねぇ、疲れるのよね。 ワタシ、考える力が無いんで・・・。

ま、愚痴はこの辺にしといて、本来引っ張ってきたかった曲。

庄野真代「モンテカルロで乾杯」

そそそ、庄野さんのブレイク曲「飛んでイスタンブール」の次なんだけども、連続で大ヒットした曲ですわ。

タイミングが良かったんだよね。 ・・・というか「飛んでイスタンブール」がロングヒットだったんだけどもね。
「〜イスタンブール」は、リリースがこの年の4月1日だったわけだけども、 得てしてブレイクには時間がかかるってことで、ベストテン入りするまで3カ月かかってましたからねぇ。

ベストテン入りまで3カ月かかったってことは、この「モンテカルロで乾杯」がリリースされた頃に、「〜イスタンブール」がベストテン入りした訳なんですわ。

まあ、そんなヒットタイミングだったことで、「〜イスタンブール」のヒットが落ち着いてきた頃に、入れ替えでこの曲がベストテン入りしてきた・・・。

っつうことで、見た目には、まさに「連続ヒット」っていう形になった訳なんだよね。

ま、いずれにしても、庄野さんにとっては、78年の夏っていうのは「大当たり」だったわけだよね。


個人的にも、もちろん「〜イスタンブール」も、ヒット当時から知ってはいた。 けど、なぜか、この「モンテカルロで乾杯」の方が記憶が深いんだよな。

・・というか、長い事音源持って無かったんで、正直言うとずっと忘れてたんだよね、この曲。
でも、いつだったか、おそらくラジオで流れてるのを聴いて、めっちゃ、懐かしい気分になったのを覚えてるなぁ。

まあ、この曲がヒットしてた頃が、ワタシがヒット曲に足を踏み入れた頃の原点って言うこともあるかもしれない。

でも、それ以上に、記憶の奥深くに留まっていたものがあるような気がするんだよなぁ。

恐らくね、当時、この曲を聴いて、その曲調に刺さったんだろうなぁ。 

なんていうんだろうねぇ、なかなかコトバで表すのが難しいんだけど、筒美京平氏独特のバタ臭さっちのうかなぁ、筒美氏ならではのグルーヴ感、独特の温度感なんだよな。 夏場に聴くとかなり湿度が高いよな・・・っていうウェット感。 そうそうそう、常磐ハワイアンセンターの内部の、あの独特のジメッとした湿度感。 それなんだよ。

1曲前の「飛んでイスタンブール」との違いは、そこなんだろうなぁ。 うん、「〜イスタンブール」のアレンジは、船山基紀氏でしたからね。
 ここまでウェットじゃないんだよね。 カラッとしてる。 まあ、そこが地中海性気候の「イスタンブール」っていう地名にフィットしてるんだけどさ。

でも、この独特の湿度感が、意外と日本の夏場のフィットするんだよな。 サウンド的にはバタ臭いんだけども、日本の夏場特有のウェットな感覚もあるっちゅうかさ。

そそそ、同時期に同じような感覚になった曲が、もう1曲。 大橋純子さんの「たそがれマイラブ」。この曲も、筒美京平氏だったじゃん。
しかも、アレンジも筒美氏っていうのがミソなんだよね。

この独特のウェット感は、どこから来るんだろう・・・って思うけど、きっと楽器の使い方が独特なんだよね、筒美氏自身のアレンジって。特に弦楽器の使い方がおおよそ「歌謡曲」って言う感じじゃ無いんだよね。オーケストラに近いっちゅうかさ。

まあ、77〜78年頃の筒美氏は、一方ではフィラデルフィアサウンドに傾倒して居たりね かと思えば一方では、ポールモーリアに傾倒して居たり・・って感じでしたからね。
 ただ、いずれにしてもストリングスの使い方に特徴があった訳でさ、そんな影響も、この辺の曲には出て来てるんだろうな・・・と思うわけでさ。

でも、だからこそ、個人的には刺さったともいえるんだよね。 っちゅうのも、ここでも何度も書いてるけど、当時のワタシャ、ポールモーリアに超ハマリの、マセガキだったからさあ。この曲のようなサウンドには、親和性があったんだよね。

まあ、そういうところが記憶の奥底に未だに深く刺さっているんだろうなぁ。


ところでさ、インタンブールの時もそうだったけど、モンテカルロってのも、一体どこにあるねん・・・なんて、調べたりしませんでした

ワタシは調べたなぁ。 当時はインターネットなんてもちろん無かったし、頼りは、ウチにあったでっかい地球儀。
うん、小学校に入学する時、勉強机は近所の兄ちゃんのお下がりをもらってきたくせに、なぜか地球儀はめっちゃデカイのを買ったのよ。 それで、調べたの覚えてるわぁ。

ちなみに、モンテカルロも、インタンブールと同じく地中海に面してるんだよね。 
・・・ということは、地中海性気候であり、この曲のようなウェットな感じじゃないんだけどなぁ・・・・。

・・・なんて今になって思ったりして。。。






よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

さよならをするために / ビリー・バンバン

1972_08_さよならをするために_ビリーバンバン

今回の1曲セレクトは、「さよならをするために」ビリー・バンバンです。

まずはデータです。

・タイトル      さよならをするために
・アーティスト    ビリー・バンバン
・作詞         石坂浩二
・作曲        坂田晃一
・編曲        坂田晃一
・リリース日     1972年2月10日
・発売元       コロムビア
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    69.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1972年6月26日〜9月18日付
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「3丁目4番地」主題歌

ロングヒット。久々にこんなお題で1曲セレクトを書いてみたい。
まあ、今年は久々にロングヒットな曲が出た年って言うのもあるんでね。そそそ、件の米津玄師の「Lemon」。
あの曲、今年の2月リリースだったって言うのに、リリースから半年、未だにチャート、特にネット配信チャートの上位に君臨してたりする。 オリコンの配信チャートで初のミリオンを記録したり、13週連続で1位を取ったり、ここ暫くのヒットチャートに於いては規格外なチャートアクションを見てたりするんだよね。

たださあ、こんなロングヒットチャートアクションを見せた曲は、この曲が初めてではない。 

ということで、今回はそんな、異例なロングヒットを見せていた曲を一つ。

ビリー・バンバン「さよならをするために」。

この曲は、今から46年前、1972年の冬の日、2月にリリースされた曲ですわ。

後年、「昭和」の事件を回顧するような番組で、「あさま山荘」事件のVTRで、決まってBGMで流れるのは、この曲だったりする。
そんなこともあって、「あさま山荘」事件とセットで、この曲を覚えてる方もいらっしゃるんじゃないかなぁ。

 この曲のリリース時期を考えると、それは全く間違っている訳じゃない。 この曲のリリースが72年2月10日で、「あさま山荘」事件が勃発したのが、同じ72年の2月19日だ。

完全にリンクしているんだよね。  今の感覚から言えば、事件とヒットは全くリンクしている・・・と思えても不思議じゃない。

大体において、この曲の曲調、特にモノ哀しく、重いクラシック風のイントロを聴くと、極寒の冬の日に勃発したあの事件を連想させる訳で。


でもね・・・なんですね〜。。。

実際にヒットのピークを迎えたのは、「真夏」なんですねぇ。 

この曲は、オリコンではビリー・バンバン唯一の「1位」を獲得した曲なんだけど、1位を獲得したのは、この年の7月24〜31日付。 2週連続で1を獲得している。

実にリリースから5ヶ月半が経過してからの1位獲得な訳なんですわ。

その間、下位からジワーリ、ジワーリとランキングを上げてきた訳なんだけどさ。 うん、ワタシが大好きなチャートアクションパターン。 その典型だったのがこの曲だったりするんだよね。

たださ、上で書いたように曲調が、いかにも「冬の日」を連想するような曲な訳じゃないですか。だからね、どうも「真夏」にヒットのピークだったていうのが、今一つ・・・いや、今二つも 三つもピンと来ないんだよな。

この曲がヒットした72年は、ワタシャ、ちょうど3歳になった頃。 当然、当時のヒット状況がどうだったか・・なんてのはリアルタイム体験していない訳で、実際のところ、やっぱり季節外れ感があったのかどうかなんてのは知らないんだけどさ。

もっとも、46年前は、夏と言えども、今年のような異常な酷暑なではなかった訳で、少なくとも「今」感じるほどの違和感はなかった・・・んだろうなぁ。



ぷぷぷ、リンクを蹴られちゃいました。。。。 
動画を見たい方は「この動画はYou Tubeでご覧下さい」をクリックしてくだされ。。


ちなみに、この曲の作詞は、あの俳優・石坂浩二氏っていうのは有名な話ですわな。 
↑のデータにもあるように、元々は石坂氏本人も出演していた、日本テレビ系のドラマ「3丁目4番地」の主題歌だったってことで、石坂氏が作った訳なんですよね。

曲は、坂田晃一氏。 坂田氏と日テレ・・・ということは、そうなんですよね、「3丁目4番地」は、日テレ「土曜ドラマ」だったわけですわ。
この曲の大ヒットもそうだけど、その後、数々の大ヒット曲を輩出して行くことになるドラマ枠ですわ。 水谷豊「カリフォルニアコネクション」(79年「熱中時代・刑事編」)、 中島みゆき「空と君とあいだに」(94年「家なき子」)

そして坂田氏といえば、西田敏之「もしもピアノが弾けたなら」(81年「池中玄太80キロ供)。

みんな日テレ土曜21時〜の「グランド劇場」枠から出てきた大ヒットですわ。

兎角、ドラマと大ヒット曲というと、フジの「月9」とか、TBSの「金ドラ」が連想しがちなんだけど、歴史を振り返って行くと、日テレの「土ドラ」の方がその歴史は古いんだよね。

さすがは、音楽に「強かった」日テレってところか。 最近はその片鱗はほとんど見えなくなっちゃったけど・・・。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

ブルドッグ / フォーリーブス

1977_07_ブルドッグ_フォーリーブス


今回の1曲セレクトは、「ブルドッグ」フォーリーブスです。

まずはデータです。

・タイトル     ブルドッグ
・アーティスト   フォーリーブス
・作詞        伊藤アキラ
・作曲        都倉俊一
・編曲       都倉俊一
・リリース日    1977年6月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 40位
・売上げ枚数   6.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 33位


さて、本日2本目の1曲セレクト。 本来だったら1日1本書くのが基本で、2本は書かないんだけどさ。この先の事を考えてとりあえずは書いとこうか・・・と思い立ちーの、またまたPCに向かっておりまする。

いや、この先の自分の「予定」を考えると、今日書いとかなきゃ、またずっと先だな〜・・・と言う思いもあったりしてさ。

そう思って引っ張ってきた曲が、 フォーリーブス「ブルドッグ」

いやー、予定調和的な書き方だなぁ・・・って予定調和です  いや、前々から書こうと思ってたの、この曲。

というか、本当は去年書こうと思ってたんだよね。 たださヒット時期間違ってたんだよな、この曲の。

この曲のリリース、1977年9月だと勘違いしてたんだよね。なので、秋に書こうとしてたの。 で、いざ、書こうと資料調べたら、リリースは1977年6月なんじゃんか・・・。 うーむ77年「夏」のヒットだったのね。。。。

・・・っつうことで、1年待ってたのよね。

何分、77年は、まだヒット曲の世界に足を踏みいれてなかったもので・・・。 勘違いが多いのよね。

ただ、曲自体は、大分昔からしってたな、この曲。 まあこの曲の「存在」を知ってたってだけで、実際の曲を聴いたのはだいぶ後だったけどさ。 

「存在」っていうのは、この曲、ジャニーズでは脈々と歌い継がれてきている曲だからなぁ。今でも、まだオリジナルが少ない時期は、この曲歌う、ジャニーズの面々って多いんでしょ? 
個人的にはトシちゃんがステージで良く歌っているって言うのを「明星」でしったのが、最初だったかもしれない。

実際、フォーリーブスのオリジナルを聴いたのはかなり後になってからだったと思う。大学生の頃だったかなぁ・・・確実に90年代に入ってからだったと思うけど・・・。

なるほど、大分ヘヴィーな曲だなっていうのが、率直な感想。 イントロからしてヘヴィ。かつ、16分音符の細かいフレーズが続くイントロっていうのも、当時としては珍しかったんじゃないかなぁ。

ただ、とこを切っても「都倉節」だよね・・・っていうのは感じちゃっりね。 そそそ、当時の都倉氏の流れから言って、どうしてもピンク・レディーなフレーズからは切っても切り離せないんだよなぁ。

例えば、 サビ前のBメロのメロディラインとかリズム隊は、次年、78年の「透明人間」を予感されるようだしさ。

まあ、今となっては後出しジャンケンではあるけど、イントロからして、「あ。これって都倉氏」だよね・・・っていうのが一聴してわかっちゃう。 そんな曲なんだよなぁ。

ただ、↑でも書いたように、ここまでへヴィーで、かつ暑苦しい温度感の曲って言うのも珍しいけどね、都倉氏の曲では。
うん、曲想からしても、「真夏」・・それも熱帯夜、あのジトーッっとして湿気感を感じるところからして、「夏曲」たわな。っていうのは分かりそうなもん。 なんで、個人的に9月リリースだと勘違いしてたんだろ?


曲調的には、いいのか悪いのかと良く分からないんだよなぁ、この曲。77年って言う時代感は充分に感じるけど、それ以上のモノは特段感じないし・・・。 あ、これは曲調的なところね。 
おそれらくは、だからこそ、長年ジャニーズで歌い継がれているとは言っても、オリコンでは最高40位に留まったのかもしれない。

そそそ、オリコン最高40位ですよ。 いまのジャニーズじゃ、絶対に考えられないような結果だよなぁ。

フォーリーブスのオリコン最高位は71年7月リリースの「夏の誘惑」の10位。ベストテンギリギリなのよ。

レコード売り上げだけを見ると、そんなもんだったのよね、フォーリーブスって。

・・・・なんて書くと、長年のジャニーズファンから袋叩きにあいそうだけど・・・。


ただ、言える事は、そんなオリコンのチャートアクションから見て、当時はジャニーズもまだまともだったと言えるでしょうね。  いや、逆に言うと、そこまでの力は無かったんだろうね。 だからこそ、郷ひろみ氏がジャニーズを抜けるのを止められなかったんだろうし、その後たのきんが出てくるまでの期間は、低迷期が続く訳でさジャニーズも。

当時はジャニーズより「怖い」ゲ―ノー事務所は他にいっぱいあったと言う訳よ。

たからね、70年代、ジャニーズに圧力をかけられてメジャーになれなかったアイドルとかさwikipediaに書かれてる事があるけど、それは間違いだと思うんだよね。 まあ80年代以降はそうであってもさ。


あ、話が少し脱線した。。。
フォーリーブスがレコードが売れなかった訳。
まあ、今とレコードに対する価値観が違うからなぁ・・・・・。 つまりさ、フォーリーブスって、当時の10代に熱狂的に支持されていたアイドルだった訳だけど、当時、アイドルを標榜としていたファンのコ達が果たしてどの程度レコードを求めていたかっていうと、それほどでもなかったんじゃないかって思えるんだよね。

今と同じで、レコードを買って聴くと言うよりは、テレビだった、雑誌だったり、コンサートに行ったりもっとビジュアル的に応援していた人たちが圧倒的だったんじゃないかなぁ・・って思える訳さ。

だから、レコード売り上げはこの程度でも紅白に7回も出てたりするしさ。



うーむ、でも、改めて聴くと↑で、「良く分かんない」って書いたのは、ちょっと間違いだったかなぁ。
間違いなくインパクトはあるわな。 逆に言えば、なぜにもっと売れなかったのか・・っていうのが不思議なくらい。

前回書いた、シブがきの「月光淑女」は、シンク゜ルとしては今一つまとまりが感じられないって書いたけど、この曲は、どう聴いてもシングル的な曲だよなぁ。曲としての尖り具合、まとまり、インパクトどれをとってもアルバムの中の1曲とは思えない。

やっぱ、それだけでは売れない・・・って言うところなんだろうね。

それにしても、曲のインパクトな比べると、歌詞の方はやっぱし意味不明なんだよな。 「歌謡曲完全攻略ガイド」にもあるように、 なんで、「にっちもさっちもどうにも ブルドッグ」なのか。 っていうのが、良く分かんないし。。。  その部分のゴムベルトを使っての踊りも良く分かんないし・・・。

まあ、深く考えない方が良いのかもしれないけど・・・・。


ところでフォーリーブスって、今のジャニーズの源流となっているグルーブには間違いないんだけど、そのグループ構成って、今は変わんないんだよねぇ。

つまりさ、リーダータイプが居て、顔がキレイな二枚目が居て、普通な奴がいて、風来坊(ヤンチャ)タイプが居て・・・ってさ。
フォーリーブスでは、二枚目タイプのおりも政夫氏が居て、やんちゃな北公次が居て、優等生タイプの青山孝氏氏が居て、普通タイプ(と書いたら失礼か)の江木俊夫氏がいる・・・って感じてさ。

グループ内の性格構成は、このころから、最近のSMAP、嵐・・・にいたるまで変わってないんだよな。 まあ、最近のジャニーズグループには、三枚目というか「ボケ」役的なメンバーがいるっていうところは、当時はちょっと変わっているところではあるけどさ。

まあ、こんなところもジャニーズに脈々と受け継がれている歴史と言うところでしょうかね。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

泣き上手 / 野口五郎

1978_06_泣き上手_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「泣き上手」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル     泣き上手
・アーティスト   野口五郎
・作詞       岡田冨美子
・作曲       佐藤寛
・編曲       クニ河内
・リリース日    1978年5月10日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  17.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1978年5月29日〜6月12日付

えー、今回はマクラなしで、のっけから行きますね。

野口五郎 「泣き上手」

先週、秀樹の曲を書いたんで、次も「新・御三家」の曲だよね・・・って、自分の中では決めてたんだよね。なんで、郷ひろみか、野口五郎か・・・ってなる訳だけど、ちょっと前から時期が来たら引っ張って来るか・・・って考えてた曲があったんで・・・・

それが、今回引っ張ってきた「泣き上手」ですわ。

考えてみれば、最近、野口五郎氏の曲、頻繁に書いてるような気がするんだけどさ・・・ このきょくの1曲前の「愛よ甦れ」もちょっと前に書いたしなぁ〜。

いや、逆に言えば、これまで殆ど書いて来なかったんだよな、野口五郎氏の曲は。
新・御三家の中でも、ワタシがまだヒット曲世界にのめりこむ前に、一番早く少し落ち目になっちゃったのが、野口五郎氏で、だから、正直言うと、タイムリーで聴いてた曲ってのが少ない・・・っちゅうこど、これまであんまり書いて来なかった一番の理由なんだけどさ。

ときに、今回引っ張って来た「泣き上手」も、まだ「ヒット曲」の世界に足を踏み入れる前のヒットなんですわ。

うん、ほんのちょっと前なんだけどね。この曲の次の「グッド・ラック」からだからさ、ワタシがタイムリーで聴いた野口五郎氏の曲って。

でもさ、「泣き上手」の頃は、既に「ザ・ベストテン」は始まっていたし。だから、ベストテンの「懐かしの名場面」とかでも、ダイジェストでは見たことはあったし、どんな曲なのか・・・ってのも興味はあった。

ただ、実際に曲を耳にするまでは、大分かかっちゃったんだよなぁ。 ホント最近なんだよね、この曲ちゃんと聴きだしたのは。

個人的に所有している、昔のヒット曲の音源。とりあえず70年代以降のクロニクル的な流れはとりあえず出来ているんだけど、まだまだちょぼちょぼ抜けてる曲があるんですわ。

その一人が野口五郎氏、もう一人が桜田淳子さんだったりするんだよね。 だ、もんで、最近、このお二人の音源を重点的に集めてたりしたわけなんですわ。

で、最近集めた音源の一つが、前回書いた「愛よ甦れ」だったり、今回ひっぱってきた「泣き上手」だったりするんだですわ。

そんな流れでここんところ、頻繁に引っ張ってきてるところが大きいかな。 

でも、とりあえず、「ベストテン」が始まって以来の、音源はこれで一応は集まったんでね、以前ダイジェストでしか聴いてなかった曲もちゃんと聴けるようになったんだけどさ。


そんな中でのこの曲の第一印象・・・・ うーん、「もろ歌謡曲ですねぇ」っちゅう印象。

「愛よ甦れ」の時も書いたような気がするんだけど、これがさ70年代中盤・・・そうだなぁ、75年くらいまでであれば、これはこれで「アリ」だと思うんだけどさ。この曲がリリースされたのは78年だったわけでさぁ。

うん、これも以前書いたんだけども、ヒット曲の曲調って、78年くらいから劇的に変わってくるんだよね。
ヒット曲でも、洋楽的なメロディやサウンド色が俄然強くなってきた訳なのよ。 その中で「歌謡曲」的なサウンドっちゅうのは、ひと時代前の・・・っていうイメージが出てきた頃なんだよね。

保守的、いわいる「アナクロ」的な色合いだよね。  この曲を聴くと、まずはそこに耳が行ってしまう。

つまりは78年っていう時代の色合いに合っているのか・・・っちゅうと、やっぱりズレてるんだよなぁ。
78年のヒット曲の先端は、もっとバタ臭いからさあ。こういう「醤油」系の匂いじゃないんだよね。

だから、うーん、どう考えても「大ヒット」な曲って言う感じではないよね・・・ってなっちゃうんだよね。

まあ、実際、前曲「愛よ甦れ」で落ち込んだ売り上げ枚数が、V字回復にはなっていないし、オリコンでの最高位も前曲同様に「9位」とベストテン入りギリギリのラインで落ち着いてしまってたりする。

だから、全般的にダメな曲なのか・・っちゅうと、正直最初はねそう思ったの。  メロディに字足らずの歌詞があったりして、なんとなしにアンバランスに感じちゃったりもしてさ。

でもさ、何回か聴いてると、どうも引っかかってくるフレーズがあるんだよな。

うん、サビの ♪ そこがいい そこがいい〜 ♪ って部分。

なんちゅうのかなぁ、「そこがいい」っていうコトバが纏わりついて来るんだよねぇ。 

なるほど、この曲の「キモ」はここか・・・・。 なんて、いうのを最近気が付いてきたりしてね。


それとさ、レコード音源で聴くのと、「ようつべ」なんかで動画で見るのと、印象が大分違うんだよな。
動画で見ると、レコード音源で聴くよりも良いんだよ。 音がしっかり1978年のサウンドになってるし。。。

っちゅうか、そりゃ1978年の歌番組の動画なんだから、当時のサウンドであって当たり前なんだけど。。。

なんちゅうのかな、「ウタ番組」ありきで作られた曲っちゅうのかなぁ。 そそそ、テレビの「ウタ番組」で歌われるのを「前提」で作られた曲っちゅうのかなぁ。 そういう印象が強い。

いや、でも、当時のヒット曲ってそう言う曲って多いんだよな。 レコードで聴くとなんかイメージが違う曲って。

うん、テレビの方が断然かっちょいいの。 音が太くて華やかで独特のグルーヴ感があって。。。

そそそ、この「独特のグルーヴ感」、ここにやられちゃったんだよな、当時のワタシは。 それが「ヒット曲の道」に嵌まった最大の要因なんだよなぁ。

いつか、ツイストの「燃えろいい女」を書いた時も同じような事書いたんだけどさ。あの曲もテレビとレコードじゃ、大分イメージが違うんだよな。ワタシは、テレビ、特に「ベストテン」で歌ってた時の「燃えろいい女」が一番好きなんだよな。

もしかすると、この曲もヒット当時例えば「ベストテン」で聴いてたら同じような印象があったんぢゃないか・・・そんな風に思える1曲ですねぇ。




「夜ヒット」、毎度毎度の事ですが、演奏がねぇ・・・やっぱ下手なんだよねぇ。 とりあえずはミストーンをなんとかして欲しい・・・っては、いつも書いてるような気がするんだけど。。。。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

情熱の嵐 / 西城秀樹

1973_06_情熱の嵐_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「情熱の嵐」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    情熱の嵐
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      たかたかし
・作曲      鈴木邦彦
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1973年5月25日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 24.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年6月25日〜7月23日付

秀樹逝去報道から1カ月近く過ぎて、ようやく落ち着いてきたという感じがしますね。一時は、この「1曲セレクト」もアクセスは秀樹一色って感じでしたから。
まあ、そう言う状況だったんでこういう時にこそ、秀樹の曲を持ってくるべきなんじゃないか・・・なんて、一瞬考えたんだけど。。。

ただ、あの時のタイミングで、同じ時期にヒットしていて、かつ、まだ書いてなかった曲が無かった・・ということで、あえて、書かなかったんだけどね。 

でも、あれから若干時間が過ぎ、ようやく、この時期にヒットしていた、まだ書いてない曲が出てきたんで、今回は、改めて引っ張って来たわけですね。

「情熱の嵐」。

1973年の今頃、デビュー5作目のシングルとして、リリースされ、初めてオリコンでベストテン入りした曲ですわ。
今回の秀樹の逝去によってこの曲もテレビから、大分流れて来てましたよね。

ただね、今回この曲を書くにあたって、改めてオリコンの資料を調べ直したんだけど、ちょっと誤って覚えてたなぁ・・・っていう印象が強かったりして・・・。

そもそも、この曲オリコン最高6位っちゅうところから、誤って覚えてたし・・・。

ま、確かにね、初めてベストテン入りした曲って言うのは間違ってなかったんだけども、順位は、もうちょっと上まで行ってたよな・・・っていうイメージだったしなぁ・・・。

それより何より売り上げ枚数ですよ、 24.6万枚  少なっ 。

いや〜、この曲の売り上げは、長年35万枚って覚えていた・・・っちゅうか、そのくらいのイメージだったんだよな、ワタシ。。。

いわいる「大ヒット」って言うイメージですよ。 うん、昔は大ヒットラインって、30万枚ラインって言われてたしね、それは、上回っていた・・・って覚えてたの。

それよりも、10万枚も少なかったか・・・・。 しかも、ベストテン入りしてたのは1カ月あまりだったんだよね。

そんなチャートアクションから見ても、お世辞にも大ヒット・・・とは、なかなか言いにくい・・・まあ、そんな感じなんだよね。

売り上げだけ見ると、秀樹的には「並」・・・って言う感じなんだよね。


それでも、 「大ヒット」してたって言うイメージが、この曲にあるのは、やっぱ、初めて「ベストテン入り」した曲って言うところが大きいのかなぁ。 やっぱり、「上り調子」って言う時の曲は、ことさらヒットしたって言うイメージが強いからな。

それとなんと言っても、この曲の曲調だろうな。 インパクトが強いブラス・ロック。 ワイルドな秀樹って言うイメージが定着したのも、この曲からといっても過言じゃないからなぁ。

兎に角、ブラス・ロックなこの曲はかっこいいんだよね、あれから45年も経った今聴いても、アクの強さは感じるもの。 ・・というか、下敷きはチェイスの「黒い炎」だよね、っていうのはミエミエなんだけどさ。 でも、これがいいのよ。 当時、日本のポップスで、ここまでブラス・ロックがキマってた曲って、少なくとも当時のヒット曲には、無かったしねぇ。

いや、確かにブラスを使ってた曲は、それ以前にもあった。 でも、ダサい使われの曲が多かったんだよね。
いわいる4,7抜きの演歌、歌謡曲の流れを汲んだようなチープなフレーズが多かったりして。

でも、この曲は、当時、流行ってたブラス・ロックをより意識したフレーズが、より洋楽的だったしな。 

今でこそ、より洋楽的って言う曲は、逆に当たり前過ぎてツマンなく思うワタシだったりするけど、当時は、全くの逆で、より洋楽的な曲の方が断然かっこいいんだよね。 70年代くらいまでの曲で4,7抜きのチープな歌謡曲的フレーズの曲って言うのは、やっぱ、耳に障るんだよなぁ。 まあ、昔ほどの生理的拒絶感っ中のは無いんだけど、やっぱ気にはなんだよね、未だに。

ただ、欲を言えば、もっとエゲツさかあっても良かったかな・・・とも思う。 本家のチェイスの「黒い炎」って、もっともっとエゲツだし、スピード感もあったじゃん。 それがより強いインパクトとなって帰ってきてたし。

それを考えると、もっともっと踏み込んでも良かったんじゃないかなぁ・・・とは個人的には思う。

まあ、70年代の歌謡ポップスのレベル・・・これは、作り手というよりは、リスナーレベルを考えると、この曲のように、実際は、まだ、ちょっと余力があるくらいの抑えめ感があって良かったのもかもしれないけど。。。

それは、秀樹の、この先の伸びしろを考えた上でも、最初からマックスであるよりも良かったのかもしれないけど・・・。



ぷぷぷぷ、この動画も直リンが無効にされてる。。。最近多いなぁ。
お手数なのですが、動画が見たい方は「この動画はYou Tubeでご覧下さい」リンクをクリックしてね。。。


うーむ、曲を聴くと、やっぱり秀樹は、アッパーなロックチューンがカッコイイよなぁ。
馬飼野康二氏の功績がでかいよね。 うん、初期の曲は馬飼野氏があってこその秀樹だもんね。

昔、明星のインタビューで馬飼野氏が、自らのメロディは絶叫型が得意って語っていたけど、これには秀樹が最も嵌まってたもんね。
 まあ、後年の松崎しげる氏の大ヒットナンバー「愛のメモリー」も馬飼野氏。うん、絶叫型ですねぇ。まあ、あれはあれで、初期の秀樹の一連のヒット曲とは別の意味でスゴミがあるんだけどさ。

それと、再三書いたようにブラス・ロックですねぇ。これ、また流行んないかなぁ・・・なんて、個人的には思ってたりするんだけどなぁ。 まあ、ワタシがブラスやってたからって言うのが大きいんだけど、カッチョ良いんだもん。
兎角、ロックっいうとエレキ中心のバンドサウンドなわけだけど、ブラスが入って来ると、エレキサウンドとは、また違って華やかだしさ。
まあ、これだけシンセが広がっちゃうと、今後はほぼ不可能な形態なんだろうけどさ。ブラス・ロックは兎角、人数が居るし、人数が居るって事はそれだけ人件費がかかる訳だし。。。


↓よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

帰らない / 清水健太郎

1977_05_帰らない_清水健太郎


今回の1曲セレクトは、「帰らない」清水健太郎です。

まずはデータです。

・タイトル    帰らない
・アーティスト 清水健太郎
・作詞      つのだひろ
・作曲      つのだひろ
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1977年4月1日
・発売元    CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 54.9万枚
・THE HITCAHRT HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年4月18日〜6月13日付

またまた1週間ぶり1曲セレクトですわ。
先週、つのだ☆ひろ氏の「メリージェーン」を書いたんだけども、つのだ☆ひろ氏が提供した楽曲でヒットした曲って、なぜか、「今頃」のヒットが多いんだよね。 うーん、季節感・・・という訳でもないんだけど。。。

でもさ、やっぱ気になるんで、今回はそんな「つのだ☆ひろ」氏が提供し、大ヒットしたこの曲を持って来ましたわ。

清水健太郎「帰らない」。

デビュー曲でいきなりオリコン1位なんていう、超大ヒットとなった、前曲「失恋レストラン」に続くデビュー第2弾のこの曲ですわな。
 「失恋レストラン」が、ああいう形でオリコン5週連続1位、63万枚の大ヒットとなった・・ってことで、前曲に引き続いて、つのだ☆ひろ氏が作詞作曲というわけでさ。

まあ、前作の「続編」ってやつですな。完全に。

兎も角、正直言って「失恋レストラン」に「クリソツ」(そっくり)なんですわ。 イントロ、メロディライン、曲の雰囲気、サウンド。 ややもすれば、どっちがどっち? って感じなんだよね。 うん、BGMとして、流して聴いてたら分かんなくなっちゃっりして。。。

今ならば、リリース時に、これじゃ売れねーよなー・・・なんて思っちゃったりもするんだけど、そこは41年前ですからねぇ。今とは状況が違う。

そんなにそっくりな曲でも、売れちゃったんですねぇ。「失恋レストラン」に続いて、オリコン1位、54万枚も売れたって言うんだから・・・。 うーん、時代が違うといっても、個人的にはちょっと理解しがたい・・・って言う気分になっちゃったりして。。。

いや、かといって、当時の傾向から言えば、この曲に限った事ではないんだよね。 1曲売れると、同じような曲を続けてリリースする・・・ってことはよくあったんだよ、当時は。

よくあった・・というよりかは、当時の業界内の常識だったんだよね、それが。

桑田佳祐氏の「ロックの子」によるとサザンのデビュー曲「勝手にシンドバッド」がああいう形で大ヒットして、「第3弾」シングルまでは、「シンドバッド路線」で行くってことが決まってたらしい。それが当時の常識だったってカミングアウトしてるもんね。
まあ第2弾の「気分次第で責めないで」は、「シンドバッド」路線で出したけど、第3弾は当時の業界常識をやぶり「いとしのエリー」を出した訳なんだけども。

一つ売れれば、次も同じ路線で行っても売れる・・・っていうのが業界内の常識だったって言う訳ですわ。

まあ、それはこの曲を見ても、あながち間違ってない・・って言うのを証明しているようなもんなんだけどさ。
同じような曲が2曲続いても、オリコン1位、50万枚以上の連続大ヒットに繋がった訳なんで。。。

当時、オリコンで2曲連続1位、しかもデビュー曲から2曲連続で50万枚なんて、少なくともアイドル路線じゃ居なかったしね。 これはスゴい事だったんだよね。 

ただし、似たような曲が続くってことは、長い目で見れば、飽きられるのは早いっていうのは、当時から変わらない訳でさ。

実際、この曲までって感じだったもんなぁ、シミケンも。 ま、確かにこの次の「遠慮するなよ」ってシングルもオリコンで最高3位でベスト3入りしたものの、売り上げは20万枚と急降下。以後はベストテン入り出来なかった程で。。。。

トップアイドルって言う座も、デビューから1年足らずの短い間だったわけなんだよねぇ。

今から思えば「人気」の動きの傾向ってそう言うもんだ・・・って当時から分かっていたはずなのに、なんで1発あてると、それを続けるかねぇ・・・なんても思うんだけどさ・・・。

やっぱ、楽に柳の下の2匹目の「どじょう」を狙った方が良い・・・なんていう人間心理なんだろうねぇ。

この曲を聴くと、いつもそんな事を思っちゃったりするワタシだったりしてね。



・・・とはいうものの、個人的には、デビュー曲の「失恋レストラン」よりかは、こっちの「帰らない」の方が、まだしっくり来るんだよな。
それは、今となってはこの「帰らない」の方が、手垢が少ないからなんだろうな。

例えば、未だに昭和の「懐メロ」番組って続いてるけど、シミケンの場合「失恋レストラン」ばっかだもんな流れるの。 この「帰らない」が流れる事なんで、まず、100%ない訳で。。
まあ、恐らくはこの曲のVTRが今ではほとんど残ってないんだろうけど。うん、「失恋レストラン」はレコ大、歌謡大賞などの音楽祭でも歌ってたんで、VTRはかなり残ってるけどさ。

そんなわけで、同じオリコン1位獲得曲というのに、今となっては完全に「死角」に入っちゃってる曲だもんなぁ、この曲は。 まあ、逆に言えばそれだけ「手垢」が少ないって訳で、その分未だに「新鮮味」が残ってたりするんだろうな。


でさ、個人的に「歌謡曲」っていうと、この手の曲って言うイメージなんだよねぇ。 そそ、いまからすると安っぽくてザラついた手触りの野太いサウンドって奴かなぁ。とても洗練されたって言う感じの音楽ではない訳なんだけどさ。

当時、小学2年だったワタシは、まだヒット曲の世界に足を踏み入れてなかった訳んだけど、この辺りの曲となると、うっすらと当時も耳に詩してた記憶が残ってるんだよね。 まだ能動的には聴いてなかったけど、受動的に耳に入っていた記憶ってやつかなぁ。
まあ、だからリアルタイムで耳にしてた記憶がある記憶は、この辺からって感じなんだよなぁ。その分「歌謡曲の起源」になっちゃってるんだろうな。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

メリー・ジェーン / つのだ☆ひろ

1972_05_メリー・ジェーン_つのだひろ


今回の1曲セレクトは、「メリー・ジェーン」つのだ☆ひろです。

まずはデータです。

・タイトル      メリー・ジェーン
・アーティスト名  つのだ☆ひろ
・作詞        Christpher Lyn
・作曲        つのだひろ
・編曲        成毛シゲル、葵まさひこ
・リリース日     1972年2月25日
・発売元       フィリップス
・オリコン最高位  93位
・売上げ枚数    0.7万枚

えー、今回の1曲セレクトは、マクラ無しでのっけから本題に行きましょうか。
・・・というのも、今回の曲、書いてるワタシも「謎」な部分が多い曲でして・・・。

その曲は、つのだ☆ひろ「メリー・ジェーン」。

うむ、70年代ディスコをご存じの方には、定番中の定番ですね。 そそそ、ディスコの「チークタイム」の曲としての超定番曲ですな。

っつうか、チークタイムっていうのも説明がいるのかしらん  

ディスコ、まあ、今で言うクラブですな・・・は、言うまでも無くアップチューンがメインな訳だけど、1時間に1〜2回、間を挟んでスウィートなバラードになるんですな。 まあ、その時は男女が、文字通り「頬と頬」を寄せ合って踊る・・ってわけで、「チークタイム」。

この、「メリー・ジェーン」は、そんなチークタイムで流れる曲としては超定番だったわけですわ。 まあ、当時、「サタデーナイトフィーバー」ってた、イカしたBOYS&GIRLSで知らないヒトはモグリじゃね? ってくらいの曲ですわ。(っつか死語のオンパレードですな

BUT、なんで、そんな超有名曲() が謎だらけなのか。

っちゅうと。

まずね、この曲のリリースについてなんですねぇ。

wikipediaを見ると、最初のリリースは1971年6月。 当時つのだ氏が所属していたバンド、ストロベリーパスのアルバム「大鳥が地球にやってきた日」に収録されていた「Mary Jane On My Mind」であり、その直後、タイトルを「メリー・ジェーン」に変更後、つのだ☆ひろ名義でシングルリリースとなっている。

まあ、その時は全くヒットもしなかったんでしょうな。オリコンを見ると、その時は100位にもランクインしていない。

でも、その後、数小節、曲を編集し直して1972年に再リリース・・とある。

オリコンチャートブックを見ると、レコード品番から、この再リリース盤が、チャートイン対象となっているものと思われるけど、オリコンでのリリース日と、wikipediaでのリリース日にずれがあるんだよな。

オリコンでは、上のデータに書いたように、1972年2月25日となっているけど、wikipediaでは、1972年7月とある。

ハテ? どっちが正しいんだろ?

当時、ワタシャ3歳だった訳で、どっちが正しいのかなんて分からんし、46年も前の事なんでさあ、どっちが正しいかなんて、今さら・・・な事なんだけど、どうも、気になっちゃったりしてね。


それよか、↑のデータでの、売り上げ枚数だよなぁ。
ディスコのチークタイムの定番、当時のディスコを知ってるヒトなら知らない人なんていないんじゃない? なんて書いた手前、売り上げ「0.7万枚」なんて嘘だろ って感じなんだけど・・・。

BUT BUT、オリコンチャートで、100位内にランクインした時の売り上げは0.7万枚だった・・・ってことですね。
大体においで、こんな、誰でも知ってるような曲の最高位が93位なんてねぇ・・・・、ウソだろ? って感じなんですけど。。。

まあ、だからシングルリリースされたころのこの曲は、それだけ超マイナーな曲だったってわけですわ。

ちなみにネットで調べると、この曲がディスコのチークタイムに使われるようになったのは1974年頃から・・ということで、シングルリリースから2年は経っていたことになる。

もちろん、以後、散発的に知名度が広がって行ったものの、集中的なヒットにはならず、オリコンで100位内に入る事は無かったんで、未だに、売り上げは0.7万枚で止まっている。

ただ、それ以後も現在までもジワリジワリとは売れているってことで、wikipediaでは公称で200万枚ということになっているが・・・。 まあ、かなり眉唾物・・・って感じはするけど・・・。 でも、リリース元のフィリップス、その後、何回も再リリースされてきたし、レコード会社再編で、その後ユニバーサルに吸収されたりして、今までにどの位売れたかは、正確には分からないとのこと。。。

でもまあ、いわいるオリコン発表と、実売数にこれだけギャップがある曲も珍しいんじゃないですかねぇ。 それだけ長期間ジワリジワリと売れ続けて来ている曲であるって事なんだけどさ。

まあ、これだけ長く売れていると、ヒット時期って決めるのも難しいわけで、ここ見たいにヒット時期に合わせて書くってことも、いつ書いていいか分からなくなるってもんよ。
一応、オリコンで表示されている、リリースが1972年2月って方に則って、恐らく今頃がヒットのピークであったろう・・と仮定して、今回引っ張って来たんだけどさ。




しかしさ、You Tubeって凄いよね。 スペースバンド時代のつのだ☆ひろ氏の「メリー・ジェーン」
一体。だれがこんなVTRもってたんだって感じなんですけど・・・。
恐らく1974年くらい・・・だから44年前くらいのVTRなんですけど・・・。
VTRに写ってるテレビカメラが「TVK」ってなってるから、伝説の音楽番組の「ヤング・インパルス」ですかね。
ギター:芳野藤丸、ベース:四方義朗に、キーボードは今井裕って布陣。

通常レコード音源で聴ける初代の「メリー・ジェーン」は、ギター:成毛滋、ベース:江藤勲にコーラス、伊集加代子。それに比べると、この面々だけによりプログレっぽい匂いがする「メリー・ジェーン」ですな。 初代の音源はもっとジャズってるもんね。

あ、つのだ☆ひろ氏って出身、福島の塙町だったんだ 今知った。 ワタシと同じ福島県人だったのかぁ。
それなら、1974年に郡山の開成山球場で行われた「ワンステップ・フェスティバル」に呼ばれて当然か・・・
・・・っつか時代的に必然だったんだろうけど。。。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

愛よ甦れ / 野口五郎

1978_03_愛よ甦れ_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「愛よ甦れ」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル     愛よ甦れ
・アーティスト   野口五郎
・作詞       藤公之介
・作曲       平尾昌晃
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年2月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位   9位
・売上げ枚数   15.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月13日、3月27日

えー、昨日に引き続きいての1曲セレクトです。 えー、今度いつ書くか・・っていうのもちょっと不安なんで、書ける時に書いておこうか・・と思い、連ちゃんで筆を取りましたわ。

今回セレクトしてきた曲は、野口五郎「愛を甦れ」。

この曲ねぇ、ちょっと前に目に留まって、「あ、書こう」・・・と思ってたんだけど、ちょっと間空いちゃったんだよね。その間に「ヒット期間」が進んじゃいまして、今書かないと、ヒット期間が過ぎちゃう・・・って事もありまして、昨日に引き続いて筆を取った・・・っていのうが、一番の理由かなぁ。

うん、今書いとかないと、また来年まで書けないんでねぇ・・・。

なんで、この曲が目にとまったか・・・って言うと、新御三家の一人として、長らくトップアイドルの座についていた野口五郎氏だけど、この頃からちょっとパワーダウンし始めるんだよね。

そのターニングポイントとなった曲が、実は、まさにこの曲だったりするんだよなぁ。

この曲の1曲前が、77年10月にリリースされた「風の駅」って曲。 そそそ、「ザ・ベストテン」フリークだった方には、お馴染みの曲ですな、「ザ・ベストテン」第1回の10位だった曲。 つまりは初めてあのミラーゲートをくぐって歌った曲が「風の駅」だったわけですわ。

あ、ちょっと話が本題と外れてきたね。。。  でね、この「風の駅」まで4年近く、野口五郎氏ってリリースする曲でオリコンベスト5を外してなかったんだよね。
 以前も、何かの折で書いたかもしれないけど、新御三家で一番売り上げが安定していたのは、実は野口五郎氏だったんですよ。

 この辺は、ヒット曲をリアルタイムで経験したのが78年以降なワタシにとっては、ちょっと信じがたい感覚なんだけど、昔の資料からすると事実は事実なんだよね。 個人的な感覚ではヒデキが一番売れてたような感覚があるんだけどさ。

「風の駅」にしても、オリコン最高5位、売り上げが25万枚。

で、そこから次の、この「愛よ甦れ」では、売り上げが15万枚と、いきなり10万枚近くも減。オリコン最高位も9位とベストテンギリギリまで落ちてしまう。
 ちなみに、五郎氏で売り上げ15万枚そこそこだったのは、デビュー3作目の「雨に消えた恋」以来6年ぶりだったわけなんだよね。


なぜに、いきなり売り上げが下がったのか・・・。

 この曲、野口五郎氏にしては珍しく、平尾昌晃氏なんだよな。調べてみると、シングルのA面としては、この曲が初めてなんだよね。 野口五郎氏と平尾昌晃氏の組み合わせは。 野口五郎氏というと、どうしても筒美京平氏と、そのブレーンって言うイメージが強いからさ。

で、本来ならば、新鮮味を感じるところなんだけど、どうも、この曲に関して言えば新鮮味が感じない。

やっぱり曲調なんだろうなぁ。 平尾昌晃氏って、丁度この曲がヒットしている時に、並行して自身が歌った、「カナダからの手紙」が大ヒットしてたんだけども、どうも曲調が78年って言う時代にしてみると古いんだよね。

この時点で、5年前の・・・・っていうイメージだったんだよな。 うん、どうしても70年代前半の匂いが取れないって言うかさ。ポップスではあるんだけども、より「和」の匂いがするっていうかね。 そそそ、より「歌謡曲」の匂いが強いんですよ。 
78年、時代のメインストリームはロック・ミュージックでしたからね。

歌謡曲の匂いっていうのは、ボーカル中心の曲って感じなんだよね。 ちょっと前に太田裕美さんの「雨だれ」の時も書いたんだけども、70年代前半までのヒット曲は「ボーカル中心」。でも、時代を下るごとにボーカル以外のサウンドも重要になりトータルで聴ける音楽が中心変わっていく・・・って書いんだけど℃、そう言う意味では、この曲なんかは、その流れに逆抗して行くような曲だったんだよね。そんな時代の流れどのギャップっていうのが、この曲ではモロ出ちゃったんじゃないか・・・。 そんな印象が強いんだよな。 

ちょうどこの78年の前半って、ヒット曲においては、サウンドの変化の流れがより加速して来ていた時代でしたからねぇ。

 丁度、78年の春ごろの曲って、ここの曲を聴き比べてみると、一時代前のサウンドの曲と、先端サウンド曲の差っていうのが、かなりでかいんだよね。 で、この流れに乗り切れなかったヒトたちは、ヒットのメインストリームからも置いてけぼりを食らってしまう・・・そんな流れが出てきた、ヒット曲って言う側面から見ると結構厳しい時期だったんだよね。

野口五郎氏の他にも、桜田淳子さんも、そんな時代の流れの時流に乗りきれず、人気が後退してきたヒトの一人ですね。



個人的には、この「愛よ甦れ」がヒットしていた時期は、まだ、ヒット曲の世界に足を踏み入れていない。 ほんの少し前ですね。
 だから、実は最近までこの曲、よく知らなかったんだよね。 ま、オリコンなんかで存在は知ってたけどさ、実際に聴いことは無かった。

 で、これを書くにあたって、ちょこっと掘り返して曲を聴いてみたら・・・、 うーむ、本音を言うと、 ↑で書いたように78年って言うイメージじゃないんだよなぁ。 75年って言うか・・・その位のイメージ。

 そそそ、ジュリーがフレンチポッフプスというかヨーロッパ系ノの曲をやっていた頃の・・・って言うイメージなんだよな。 うん、いわいるカンツォーネなんだよね。ひしひしと真面目に歌い上げる形式の。
そこからしてギャップなんだよね。78年っていう色合いとのギャップっていうかなぁ。

 たしかに、この曲のちょっと前に、松崎しげる氏の「愛のメモリー」っていう超絶的なカンツォーネ系の歌い上げる曲が大ヒットしてたりする。
 でも、両者のリリース間隔はたかだか半年くらいだけど、この半年の間でも時代とヒットの色合いっていうのは、大分変わってきてたしな。
 なにより、同じカンツォーネ系といっても、「愛のメモリー」の絶唱とも言える盛り上がりはインパクトの塊だったからなぁ。 この「愛よ甦れ」はそこまでのインパクトはない。 その差が大きいんだよね。
 

とはいうものの・・・これ書くのに何回もこの曲を聴いてたら、どうも引っかかっちゃうんだよな。 耳に残ってしまう。 まあ、個人的にこの手のカンツォーネ系の、いわいる「歌い上げる」タイプの曲って嫌いじゃないからさ。



よろしかったら、ポチッと押してね。
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村
記事検索
livedoor プロフィール

かじやん

QRコード
QRコード