かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1980年代ヒット曲

GET BACK IN LOVE / 山下達郎

1988_05_Get Back In Love_山下達郎


今回の1曲セレクトは、「GET BACK IN LOVE」山下達郎です。

まずはデータです。

・タイトル    GET BACK IN LOVE
・アーティスト  山下達郎
・作詞      山下達郎
・作曲      山下達郎
・編曲      山下達郎
・リリース日   1988年4月25日
・発売元     ムーン
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   18.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1988年5月30日~7月18日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「海岸物語 昔みたいに・・・」主題歌

既に書いててもおかしくないのにまだ書いてなかった曲。 
いや、実質15年も書いてる1曲セレクトなんで、最近書いてる1曲1曲、すべてにおいて「既に書いててもおかしくない曲」と言ってもいいわな。
もちろん、今回引っ張て来た曲も、そういう曲の1曲だわなぁ。

山下達郎 「GET BACK IN LOVE」

オリコン的に言えば、実質的な達郎氏のブレイク曲、あの「RIDE ON TIME」以来のシングルベストテン入り曲。

・・・って書くと、きっと噛みついてくる方がいるかもなぁ。。

Wikipediaの「山下達郎作品一覧」の「シングル」を見ると、この「GET BACK IN LOVE」よりも前にあの「クリスマス・イブ」があり、オリコン最高位1位とある。
これは、オリコンから発行されている「チャートブック」でもそうですね。

ところがどっこい、「クリスマス・イブ」は発売こそ、「GET BACK IN LOVE」よりも前(83年12月)ではあるものの、「GET BACK IN LOVE」がリリースされた88年4月時点では、まだベストテン入りしていない。88年4月時点では、86年12月に記録した21位が最高位だった。

だから、年代順に追いかけてくると、この「GET BACK IN LOVE」が、シングルとしては「RIDE ON TIME」の次のオリコンベストテン入り曲となる。

ついでに言えば、「ザ・ベストテン」での初のベストテン入り曲でもあったわけですね。

・・・と書くと、またまた「RIDE ON TIME」は? と噛みつかれそうだけどねぇ。。。
「RIDE ON TIME」はザ・ベストテンでは最高11位止まり。 ベストテン入りしてなかったのですよね。
オリコン最高3位まで行ったこの曲が、「ザ・ベストテン」ではなんでベストテンか入りできなかったのか。たしかに謎っちゃ、謎なんだけど(一説によると、はがきリクエストが弱かったからのようだが。。)、ここでは詳しい話は割愛しますわ。

それにしても、80年代がリアルタイムで経験されていなかった方には、この曲が2曲目のシングルベストテン入りっていうのは、もしかすると意外に映るかもしれない。

確かに、アルバムではリリースのたびに大ヒットを記録していたわけだし、そういう意味ではすでに超一流のアーティストでしたからね。

その辺が、80年代という時代の、いわいるヒットチャート的な特殊性が分かったりするかもなぁ。

いわいるゲーノー的なあっち側陣営と、アーティスト的なこっち側陣営の差。

80年代は、ヒットチャートはまだ「あっち側」的なものという性格が強かったんだよね。

そんな状況だがゆえ、達郎氏本人もしても、シングルはあまり重視してなかったんじゃないか。 自身はアーティストであり、ゲーノー人ではないという意識とでもいうのかなぁ。

それは、当時のワタシでも感じましたね。 だから、この曲がベストテン入りしてきたときは逆に、驚いたくらいで。

なぜもこのタイミングでオリコンベストテンなんだろう? と。

まあ、そんなことを書くまでもなく、やっぱりドラマ主題歌だったのが大きかったよな。
TBSの「海岸物語 昔みたいに・・・」っていう、いわいるトレンディドラマの走りような、おしゃれなドラマの。

ドレンディ・ドラマとおしゃれなシティ・ポップスという組み合わせ。 ヒット条件としては鉄板だったからなぁ。
シングルを重視してなかった達郎氏といえども、ベストテン入りは必至だったわけなんだよね。

ちなみに、達郎氏のドラマ主題歌としては、この曲の6年前に同じTBSドラマ主題歌だった「あまく危険な香り」があるけど、こちらはベストテン入りを逃している。
それだけ6年間の間でドラマ主題歌の注目度が上がってたわけですね。

もちろん、ヒット必至のドラマ主題歌だからといって、曲のクオリティが下がっているわけではない。
ただ、この手のシティポップスって、当時の私は、あまり得意じゃなかったんだよね。

得意じゃなかったというよりも、解釈できなかったといった方がいいのかなぁ。 88年時点から見てこの曲のサウンドってもろ洋楽的だったじゃん。いや、個人的には、そう感じたんだよね。
洋楽的AORっていうのかなぁ。

もしかすると、あの頃が一番洋楽的サウンドを解釈できなかった・・というか、体が拒否ってたような記憶があるな。

今思えば、まだまだ子供だったんだよね、私自身。 19才前っていう、大人でも子供でもない微妙な頃だったしなぁ。 まだまだ子供でいたいなんて思ってたのかもしれない。
だから、聴く音楽といったら、分かりやすい曲に走りがちだったし。

この曲を聴いて、体が拒否ってたっていうのも、大人になりたくない・・・っていうワタシ自身の思いからだったのかもな。

もちろん、今はそんなことなんて全くない。むしろ、この手の「大人」の香りのするポップスをもっと聴きたい気分でいっぱいですよ 
と、同時にあの当時、もっときちんと聴いてこなかったのか、あの当時の私に「喝」を入れたいと思えたり。。。




これ、アメリカのDJがアップしてきてる動画なんだよね。
ここのところ達郎氏や竹内まりやさんがシティポップとして、向こうで人気が出てるっていうのは、こういうところでも分かるな。
音楽的クオリティが高い曲であれば、日本の曲であろうと向こうでも支持される。それがこの動画のアップ主からもわかりますね。
ただ、ジャンルがFunk、Soul Popとなっているのがちょっち笑えるが。。。 
向こうの人には、Funk、あるいはSoulっぽく聴こえるんだねぇ、この曲。

いずれにしても、この間【キニナル曲】で書いた、Official髭男dismの「パラボラ」同様、今後のJ-POPのグローバリズムに向けての足掛かりとなっている1曲なんじゃないかな。この曲も。


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素直になりたい / ハイ・ファイ・セット

1984_03_素直になりたい_ハイファイセット


今回の1曲セレクトは、「素直になりたい」ハイ・ファイ・セットです。

まずはデータでするんるんるん。

・タイトル    素直になりたい
・アーティスト  ハイ・ファイ・セット
・作詞      杉真理
・作曲      杉真理
・編曲      井上鑑
・リリース日   1984年1月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 19位
・売上げ枚数   11.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 26位
・タイアップ:シチズン「19才リピエール」CM曲

いやー、いつ以来の1曲セレクトだろう? ってくらい久しぶりに新たな「文章」を書こうとしています 
ここのところずっとリアル仕事が立て込んでいまして、毎週のように締め切りがあったりして、土日も持ち帰りでの仕事が続き、なかなか「文章」を書くまでの余裕がありませんでしたわ。
でも3連休の本日、ちょっとだけ時間に余裕ができてきたんでPCに向かってたりします。

世間はコロナウイルス一色の自粛ムード一ということもあり、仕事がしたくても休みという方もいらっしゃるという中、リアル仕事で余裕がないというのは、ありがたいことなんだろうか・・・、いや、やっぱりありがたいことなんだろうな。

ところで80年代半ばのヒット曲で、未だに頭がこんがりそうになる曲がある。

ポリスの「見つめていたい(Every Breath You Take)」(1983年)に対して、フィルコリンズの「見つめて欲しい(Against All Odds(Take A Look At Me Now)」(1984年)

リアル仕事で音楽配信楽曲の著作権調査をしている関係上、未だにこれらの曲の著作権コードや権利者について調べることが時々あるんだけどさ。 「原題」で来るときはまだいいんだけど、上記のような「邦題」でくると、「あれ? どっちだっけ」なんて一瞬迷っちゃったりすることがある。

ちょっと前まではそんなこともあんまりなかったんだけども、ワタシも50を過ぎて、頭の回転がすっかり鈍くなっちゃってたんでねぇ、こういう事って最近増えてきたような気がするなぁ。

上記の2曲もそうだけど、今回引っ張ってきた、この曲もそうだったりするんだよなぁ。

ハイ・ファイ・セット「素直になりたい」

え? この曲、どの曲と混同しそうになるの? 

シカゴの「素直になれなくて(Hard to Say I'm Sorry)」(1982年)

だったりして。。。

まあ、シカゴは「洋楽」だし、ハイ・ファイ・セットは「邦楽」なんで、どうまちがえるの? っても思えるんだけど、実際、仕事で著作権調査するときは、一度に数千件、多いときは数万件、調査楽曲が来たりするわけで、それを1週間、2週間のうちに調査しなきゃいけない。1曲当たり長くても数分しかかけられない、ある種の流れ作業なんでさ。
通常時ならば「なんで間違えるの?」っていう曲もついつい、見間違えちゃったりしたりするんだよね。

ちなみに、これら混同しやすい曲

・ポリス「見つめていたい」⇔ フィルコリンズ「見つめて欲しい」
・シカゴ「素直になれなくて」⇔ハイ・ファイ・セット「素直になりたい」

いずれも「対比」的なタイトルになってたりするのが面白かったりして 

どの曲も82年〜84年の曲であったりするけど、特に対比タイトルとなるフィルコリンズ「見つめて欲しい」、ハイ・ファイ・セット「素直になりたい」いずれも84年の曲。
どうなんだろ? はっきりとはわからないけど、84年頃のタイトルって意外と遊び心があったんでしょうかねぇ。 うーん、ややこしくなっただけととも思えたりますが。。。。。


ところで、今回引っ張ってきたハイ・ファイ・セット「素直になりたい」、個人的には正直言って、ヒット当時は、あんまり引っかからなかったんだよなぁ。
まあ、だから、今まで1曲セレクトで書かないでずっと残ってたとも言えるんだけどさ。。

この曲、シチズンのCM曲だったんで、レコード音源を聴くよりもCMで耳にした方が先だったと思う。

裏から入るメロディラインがちょっと変拍子っぽくて、ちょっと変わった手触りの曲だなっていうのが印象に残り、面白い曲だな・・・。

CMで耳にしたときはそう思ったものの、少し後にレコード音源を聴いたときは、今一つピンとこなかったんだよねぇ。

たしかにCMで使われてたAメロは、印象に残るし面白かった。 でもサビがちょっとねぇ。

インバクトに富んだAメロに対して、サビが弱いっていうわけではない。 Aメロとサビの繋がりが今一つ弱い・・・そんな印象が残るんだよね。
裏から入るちょっと変わったAメロに対して、サビのメロディラインって意外と素直じゃん。その代わり様っていうのかなぁ・・・うーん、やっぱ繋がりだよね・・・がちょっと不自然かなぁ。。。

まあ、CM曲にはよくありがちなパターンではあるんだけども。 つまりさCMで使用されるフレーズは先にできてて、そのほかは後付けでメロディをつけたり。だから、CMで使用される部分とそのほかの部分では繋がりが悪い曲。
昔、1曲セレクトで書いた斉藤哲夫氏の「いまのキミはピカピカに光って」は典型的なこのパターンだよね。

この「素直になりたい」が本当にそのパターンなのか・・というのはよくわからないけど、でもそんな風にも思えたりはするんだよな。


・・・っていうのは、後付けの印象。 当時14才のワタシとしてはそこまで深く曲を聴いてなかったわけでさ

それよりも、ホーンセクションが表に出て、ビートが効いたこの曲、ハイ・ファイ・セットらしくない・・・っていうのが当時の印象だったと思う。

ハイ・ファイ・セットといえば、ユーミンの「卒業写真」「冷たい雨」であり、モーリス・アルバートの「フィーリング」であり・・・っていう印象がまずあるわけじゃん。
それ以前、赤い鳥時代には「翼をください」とかさ。

兎に角、ボーカルの山本潤子さんを中心とした、コーラスグループというイメージが真っ先に立つわけで、この曲のようなビートが効いたアップチューンっていうのは、当時のイメージからするとどうしても「想定外」だったんだよね。

聴き手っていうのは、保守的なところが強いからさあ。 一度、ある「色」に染まってしまうと、別の「色」の曲が来たときに戸惑ってしまう。

当時としては、まさにそんな印象であったわけで、なかなか受け入れられなかったんだよね、自分としても。

だださ、↑に書いたシカゴの「素直になれなくて」。
シカゴってそれまでは、ホーンセクションをフィーチャーしたブラスロックが特徴だったわけじゃん。
それが、この「素直になれなくて」では、コーラスワークをフィーチャーしたスタイルに変化した。

これらをハイ・ファイ・セットと比べてみると、真逆のスタイルに変化した・・とも見えるんだよね。

つまりさ、作品タイトルが対比になっているとともに、楽曲のスタイルも逆に意味で対比しているとも言えるわけでさ。
その辺が面白いなぁなんて思えたりしてね。

まさか、そこまで計算してホーンセクションを前面に押し出したアレンジになったのかなぁ。
そこまで計算していたならば、アレンジャーの井上鑑氏恐るべし・・・なんだけども。。。


あ、でも、個人的にそんなことに気が付いたのは最近なんだよね。。
当時、あまり触手が伸びなかった分、今になって改めて聴くと新鮮味を感じたりしてさ。
だから、タイトルと作品内容がシカゴの「素直になれなくて」と対比しているっていうのに気が付いたのも、実は最近だったりしてね。




それにしても作曲の杉真理さんっていう方は、CMタイアップとなると、面白いメロディ書くんだよね。
この曲もそうだし、この曲の前はグリコ「セシルチョコレート」のCMタイアップとして自ら歌った「バカンスはいつも雨」。最近は、石川さゆりさんの例のサントリーCMの「ウイスキーがお好きでしょ」とかさ。
非凡なメロディーメーカーですよね。 ま、だからこそ大滝詠一氏に見染められてナイヤガラトライアングルvol.2に抜擢されたんだけどさ。



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テンダー・レイン / 高井麻巳子

1988_01_テンダーレイン_高井麻巳子


今回の1曲セレクトは、「テンダー・レイン」高井麻巳子でーす。

まずはデータでする。

・タイトル     テンダー・レイン
・アーティスト   高井麻巳子
・作詞       森本抄夜子
・作曲       山口美央子
・編曲       チト河内
・リリース日    1987年12月16日
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   5.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

トートツなんだけど、今の今までre:minder、2月用の原稿書いてたりしたんだよね。
掲載希望までまだ1か月近くあるんだけど、リアル仕事が今月は超繁忙期で、来週書ける確約もできないし、だから3連休のうちに・・と思って机に向かってたんだけどさ。
re:minder用にセレクトした曲、この1曲セレクトで昔書いたものを下敷きにしてアレンジして原稿書いたんだけど、以前1曲セレクトで書いた文章がめっちゃ、はっちゃけてて、アレンジするのが難しいかったのよ。
結局今日1日使っちゃいました。。。

この1曲セレクトは、自分のサイトなんでテメーの責任だし、だから全く気を使わないんだけど、re:minderは僕のサイトじゃないからさ、気使うんだよねぇ。

今日は成人式。 最近は、成人式に7割近くの方が参加するんだってね。 ワタシの頃はどうだったんだろ?
さっきラジオで今の50代が成人式の頃は、式に参加するのは「ダサい」っていう風潮があって、参加率は低かったようですね。
・・・なんてかくいうワタシも成人式には参加しなかったんだけど。。。。
もっとも、ワタシの場合は、大学受験浪人中で、試験が目の前に迫った今頃、成人式どころぢゃなかったんだけどさ。。。

・・ということで、今回の1曲セレクトは、ワタシが成人式だったころの曲を一つ。

高井麻巳子「テンダー・レイン」

あー、正直言うと、ワタシが成人式だった1年前の曲なんだけどね、この曲。 
そそそ、まだ高校3年生。卒業式間際だったころだ。

・・・と言っても、大学受験が目前に迫っていたのは、次の年と変わりなく・・・。 

・・いや正確に言えば、次の年よりは大分、落ち着いてたような気がする。。  ・・というのも、いつかも書いたと思うけど、大学受験「現役」の時は、、すでにあきらめムードだったからなぁ。 それでも悪あがきで、今時分は勉強机に向かってた気がする。

・・ということもあり、正直言うと88年の今頃のヒット曲って意外と疎いんだよね、ワタシ。

今回引っ張ってきた高井麻巳子さんの「テンダー・レイン」って曲。 正直言うとヒットした頃、そんなに聴いた記憶がないんだよね。

ただ、唯一、「ザ・ベストテン」の「月間ベストテン」で聴いた・・・とずっと思ってたんだけども、いま改めて調べたら「ザ・ベストテン」には88年1月7日放送分に1回だけランクインしてたんですね。

そうか、ワタシが唯一聴いたのはその回だったんだよね。

でも長年音源を持ってなかったし、ベストテンからも録音してなかったんで、ずーっと記憶の彼方だったんだのよ、この曲。

ただ、なーんか引っかかるものはずっとあったりしてさ。

当時、すでにおニャン子クラブは解散してたし、だからソロとして活動してた高井さんだけど、遡っておニャン子の関連の曲って、いっとき封印してたんだよね、ワタシの中で。

若さの至り  ・・・ということもあるんだけど当時、おニャン子関係の曲聴くの、どこかこっばずしくてねぇ。

あの頃、「オタク」っていう目で見られたくなかったっていうのが大きかったんだろうな。 そそそ「アイドルオタク」っていう目で見られたくないっていう。
もっともチャートマニアなんちゅう趣味は、充分に「オタク」の部類だったんだけどさあ。

だから、この曲をきちんと聴くようになったのは、ここ10年くらいぢゃないのかな。

40にもなってアイドルの曲を聴くほうが、あの当時聴いてるより、よっぽどこっばずかしいんだけどもね
今は10代、20代の頃に比べて全然割り切れてるからさあ。 それに「仕事の一環」としても聴いてるし。


で、真っ先に思ったのが、なんで、あの頃もっとこの曲をちやんと聴いてなかったんだろう・・っていう後悔ですねぇ。

この曲、いい曲なんじゃん。

イントロのギターのアルペジオと、バックのシンセのからみは完全に向こうの曲の手触りですね。全然アイドルの曲っぽくない。
まっさに浮かんできたのが、KIM CARNESの「Bette Davis Eyes」かなぁ。E.GUITERのアルペジオとシンセのカラミのあの曲のような手触りなんだよね。

イントロだけでなく、曲全体的にある意味無機的であり、ある意味宇宙的なはかなさを感じたり。
それは、エレキのアルペジオばかりだけではなく、イントロや、サビに向かうブリッジのコード進行にも感じたりしてね。

音質的にも88年当時っぽいのかなぁ。硬質的で、やや高音に偏ったミクシングで。 でも、それらを含めて洋楽的な手触りなんだよね。

いや88年っていうのは、そういう手触りの曲が多かった時代だったと思う。 今思うと、1年を通りして洋楽っぽい無機的な曲が多かったんだよね。この曲はその先鋒的な曲だったかもなぁ。

そんな無機的なサウンドに、高井さんの優しい声質がマッチしてるんだよね。 この人の声って、ウタはうまくないんだけど有機的なんだよね。 だからこそ、無機的なバックのサウンドにマッチするんだろうな。
なんか優しい気分になれるのよ。 まさにテンダーレイン⇒優しい雨 の匂いが漂う曲なんだよね。



この曲のジャケ写の高井さん、表情がいいなぁ。
めっちゃかわいい。
まさか、この数か月後、「秋元」夫人になっちまうとはな。。。。

いや、今考えれば伏線はあったんだよね。
・・というのも、高井さんのソロ曲ってタイトル曲については秋元氏、1曲も作詞してないんだよね。
ソロであっても元おニャン子の曲は高割合で作詞してた秋元氏なのにさ。
やっぱり、さしもの秋元氏も照れがあったんだろうな。 そのあたり事前に察知するんだった。

それにつけても、やっぱり悔しいのう。
ワタシも高井さんは結構タイプだったんだよね。


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ミステリーウーマン / 石川秀美

1984_11_ミステリーウーマン_石川秀美


今回の1曲セレクトは、「ミステリーウーマン」石川秀美です。

まずはデータです。

・タイトル     ミステリーウーマン
・アーティスト   石川秀美
・作詞       松宮恭子
・作曲       松宮恭子
・編曲       椎名和夫
・リリース日   1984年10月24日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 5位
・売り上げ枚数 13.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1984年11月19日付

パクリ。 なんて甘美な響きなんだろう? 

・・・なんて書いたら怒られちゃいますかねぇ
今では「サンプリング」っていう言い方で、半ば認められているこの手法も、ちょっと前までは、やれ盗作だぁ、なんだぁ、で叩かれて・・・うんにゃ揶揄されていましたよね。

80年代まで、こういった形で、どっかで聴いたことがある曲っていっぱいあったんだよね。
なんせ「ドロボー歌謡曲」なんっつう本まであったぐらいだし、今聴くと、筒美京平先生の曲は、必ず下敷きにした元曲があるっていうくらいだからさ。

あ、認められて・・・っていうのは、ちょっと誤解の部分があるかもしれないけど、正確にはサンプリングしたということで、著作権管理団体には、それらの楽曲の著作権者と併せてサンプリング元の楽曲の著作権者も申請した場合に限るんだけどさ。
だからね、今、例えばJASRACのデータベースを見てもらえばわかるけど、作品タイトルを(SAMPLE)って検索文字で中間一致検索してもらえば、かなりの件数がヒットするのよね。

まあ、こういった形で、サンプリング元の権利者も守ろうっていう方法なんだけどさ。

もちろん、こういう形で正式にサンプリング申請なしに、無断で「盗用」するのは今でも著作権法違反。
ただ、著作権ってあくまでも「申告罪」なんで、権利者から権利侵害の訴えがない限り、正式には罪にはならない。

だから、今でも「サンプリングしました〜」ってきちんとカミングアウトした曲って、多くないんだけどね、特に日本の曲は昔の曲を含めて。
本当にサンプリングしたかどうかなんて、作った本人しかわかんないからさ。 作ったら、たまたま似ちゃいました〜、ってことも往々にしてあるわだからさ。
特に、音楽が氾濫している今の世の中では、似ちゃう曲っていうのもどうしても出てくるわけなんだよね。なんせ音階なんて限られているわけだからさ。


・・・などと、お堅い話から始まった今回の1曲セレクトですが・・・。 

なぜに今回、そんな話から始めたか・・・っちゅうと、 はい、そうです、今回の曲が思いっきり「パクリ」疑惑がかかっている曲だからなんですねぇ。。。 (水爆) 

石川秀美さんの「ミステリーウーマン」

うん、このまま、このキーワードでググッってもらえると、一目瞭然なんだけど、この曲、もろBON JOVIの「夜明けのランナウェイ」、 まんまなんだよね。 

↓ コレ



世の中、おせっかいの人もいるようで、 この「ミステリーウーマン」と「夜明けのランナウェイ」、イントロを含め、メロディラインを比較すると、8割強が一致する・・・なんて分析を書いてるブログもあったりして。。。

そそそ、イントロの出だしなんて、完全に同じだったりするものなぁ。

今はYOU TUBEなんていう、便利なものがあるんで誰でもいつでも聴き比べできるけど、、この曲がリリースされた84年当時は、そんなことできなかったし、だから、知ってる人しか知らないような状況だったんだよね。 いわれて見れば似てるよな・・・ってくらいで。

だから、いわいるパクリってことも往々にしてあったわけなんだよね。

例えば、「ミステリーウーマン」の前年にリリースされた、シブがき隊の「ZOKKON命」は、まんまNIGHT RANGERの「Don't Tell Me You Love Me(炎の彼方)」だったわけじゃん。

ってか、この曲も昔から、そう言われつつパクリ疑惑がかかってたんだけど、最近になって芳野藤丸氏の「芳野藤丸自伝」っていう本に、「ZOKKON命」を作、編曲した水谷公生氏がパクったことをカミングアウトしちゃってますしね。書いてたら似ちゃったんだけど、ディレクターから「同じにしてよ」って言われたってことを。。(爆)

まあ、↑で書いたように、著作権法って申告罪だから、オリジナルの権利者から訴えられない限りは罪にならないって分かってるからこそやっちゃったんだろうけどさ。

今はネットが発達してどこにいても世界中の音楽が聴けるからバレちゃう可能性も高いけど、30数年前は、FAR EAST、「地球の果て」の日本の曲なんて、向こうの人はほとんどだれも聴かなかっただろうからさ、そういうこともやろうと思えばできたってことなんだろうね。どうせ向こうの人は誰も知らねーし・・っつう感じで。

件の「芳野藤丸自伝」で水谷氏本人も言ってらっしゃるけど、だから今にして思えば、結構乱暴な時代だったのよ、80年代って。
近年、中国を「やれ、パクリ大国だ〜」なぞと言ってる人たちが言えるかって感じだったわけなんだよね、昔の日本も。

もっとも、日本人の場合って、そういったサンプリングっていうフィルター工程を通して、オリジナルよりもクオリティが高いものを作っちゃうっていう「技」があったりするのが、ちょっとほかの国とは違うところなんだけど。。。

ちょっと話がずれたね。

 今回引っ張ってきた「ミステリーウーマン」って曲は、似てる似てるって言われている「夜明けのランナウェイ」からパクった・・・・・うんにゃ、サンプリングしたっていうことを、正式にカミングアウトされてはいないようだから、本当にサンプリングしたのか、作っちゃったら、たまたま似ちゃったのか・・・正確には謎のままなんだけど、「ZOKKON命」のことを考えると、限りなく「・・・」ってところなんだろうなぁ。

それが悪いのどうのこうのって今更言及するわけではないんだけどね。なんせあれから35年も経っていることだしさ。 

ただ、個人的に違和感だったのは、この「ミステリーウーマン」って曲、もろ「洋楽」だったってことかなぁ。
昔の本の方のブログに「歌謡曲と洋楽の融合」っていうのがあったんだけど、まあ、それですわね。

っというか、歌謡曲と洋楽の融合なんて、この時に始まったことではなく、60年代の昔からあったわけでさ。 それこそ、筒美京平先生の曲なんて言うのは、もろそういう曲なんだけど。
それでも、それまでの洋楽の融合っていうのは、あくまで洋楽っていうフィルターを通した、新たな歌謡曲っていう感じだったんですよね。 洋楽の可能的な部分を圧縮して日本人の感性に合った感じに置き換えた曲っていうのかなぁ。それが70年代来の歌謡曲の本流だったんだよね。

でもさ、この曲の場合は、もろ洋楽だったんだよなぁ。 そこが違和感でねぇ。

というか、この時期、そういった曲が増えてきてたんだよね。 石川秀美さんのこの曲にしろ、そのちょっと後の早見優さんの曲にしろ、歌謡ポップスというよりも洋楽じゃんって感じで。

まあ早見優さんは向こう育ちだし、だから、洋楽の香りが強いほうがそれらしいっていうのわかってたんでねまだ違和感は少なかったけど、秀美さんはねぇ。。。

個人的には、もっとオーソドックスなアイドルポップスのほうが好きだったんだよな。 この84年で言えば年初めの「めざめ」、その前の曲の「スターダストトレイン」はよかったんだよなぁ。

ああいうオーソドックスな、メジャー系なミディアムアッパーなポップス。 良く言えば素朴な曲、ちょっと茶化せば「ダサい」曲ですわな。 でも、それが一番この人には合ってたような気がするんだよね。
 少しエスカレートしても、この曲の前の「熱風」かな。 「熱風」の作曲者の林哲司氏も洋楽志向寄りのエッセンスが強い作家のひとりだったけど、日本人嗜好は残した曲が多かった。 だから、それほどあからさまに洋楽っていう感じではなかったんだけど、この「ミステリーウーマン」くらいまで行っちゃうとあからさまだったからなぁ。

それでもこの曲、秀美さんの曲の中では、結構売れたんですよね。 売り上げ枚数13.8万枚っていうのは、いちばん売れた83年の「Hey!ミスターポリスマン」の15.1万枚に次ぐ売り上げだったし、オリコン最高5位っていうのも、この時点では自身の最高位だったしね。

個人的には、そんな状況にも疑問だったんだけどさぁ。



でも、今、冷静に考えると、時代はアイドルの楽曲も急速に洋楽志向に流れて行ってたんだよね。
例えば、次の年の河合奈保子さん「ジェラス・トレイン」なんかも、完全に洋楽だったしな。この曲は作曲が筒美京平氏だったけど、筒美氏にしても、それまでの洋楽の官能的な部分の圧縮というよりは、完全洋楽な曲も見据えてたってわけなんだよね。

そして、洋楽そのものをカバーした荻野目洋子さんの「ダンシング・ヒーロー」が大ヒットするのは、この曲から1年ちょっと後になる。



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アンサーソングは哀愁 / 早見優

1982_11_アンサーソングは哀愁_早見優


今回の1曲セレクトは、「アンサーソングは哀愁」早見優です。

まずはデータでする。

・タイトル      アンサーソングは哀愁
・アーティスト    早見優
・作詞        阿久悠
・作曲        馬飼野康二
・編曲        萩田光雄
・リリース日     1982年10月19日
・発売元       トーラス
・オリコン最高位  29位
・売上げ枚数   4.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 34位


あー、今回セレクトしてきた曲は、どう捉えたらいいんだろう? って言う曲なんですよね。
どうも、出だしのマクラがなかなか思いつかない。
そのくらいヒット当時、関わり合いが薄い曲だったんだよね。 ・・・うーん、関わり合いっていうのも変な表現だな。。。
単純に、あんまり聴いて無かったと言った方がいいのかな。

早見優さんの「アンサーソングは哀愁」。

花の82年組の1人っていうのは、ここ読んでくださってる殆どの方は周知の通りだと思うけど、そんな82年組の早見さんのデビュー第3弾がこの曲ですね。

「花の82年組」ということで、たくさんのアイドルが華々しくデビューを飾った訳だけど、第3弾シングルともなると、順調に伸びトップアイドル街道をまっしぐらのグループと、すでにネタ切れ・・・というか息切れ気味のグループと大きく分かれて来てたような印象があるな。

その中で、早見さんはというと、・・・・ 正直、82年組のトップグループの中でも、とりわけ存在感が薄いな・・・82年の秋も深まる今頃は、そう言う感じに今頃はなって来ていたような印象が強い。

それもこれも、第3弾シングルであるこの曲がジミ過ぎたっていうのが大きかったよなぁ。

確かに、同期の同い年くらいの他のアイドルよりも、見た目年上、やや大人っぽくは見えた。 
だから、少し子供っぽさが残るデビュー曲、「急いで初恋」はちょっとイメージと違うな・・って言う印象はあった。でも、第2弾の「Love Light」は、その辺りを修正してきたように思えたし、だから、個人的には「Love Light」って曲は好きだったんだよね。

そして第3弾のこの曲ですよ。たしかにミディアムの落ち着いた佇まいの曲調は、さらに大人っぽさを前面に出したような曲調ではあるけど、これはちょっと背伸びが過ぎるんじゃないか。

当時13歳のワタシでも、そう感じたな。

まあ、実際は、そんなオヤジっぽいストレートな批評感はさすがになかったけど、、なんか違うなって言う違和感は大きく感じてたんだよね。

曲だけ見るとこれがデビュー第3弾の曲とは思えない、デビュー5年目くらい、すでに20歳を過ぎた女性歌手が歌うような落ち着きがあるんだよな。

・・・なんか回りくどい書き方になっちゃったけど、簡単に言えば、ポップじゃないのよ、この曲。

同期の82年組の、少なくともトップグループの人たちは、みんなポップだっじゃん、曲調が。 
それなのに、この落ち着きだからさ。 まるで、早くもアイドル路線を諦めて歌謡曲路線の路線変更したかのような・・・。

あ〜、アイドル路線から脱落したか、残念だけど・・・

率直なところ、そう感じた部分が大きかったんだよ、個人的には。


それ以上に、この曲自体の問題ですよね。

今、手元に月刊明星付録の歌本「Young Song」の1982年12月号がある。

この「アンサーソングは哀愁」が新曲として掲載された号ですね。 

当然、お決まりの近田春夫氏の「新曲激評」の対象曲となっていたんだけど、こんときの近田氏のコメント


「あ、モロ「カサブランカ」と同じメロ。堂々としてるなァ。そもそも「アンサーソングは哀愁」ってタイトル、悪ふざけじゃん。これは日本歌謡界への皮肉だよね。こういう作家としてのメッセージがハッキリ出た曲を歌うのって、早見さんしんどいだろうねぇ」 (原文ママ)


そうなんだよね、 この曲、ジミとかポップではなく歌謡曲っぽい・・・と言う前に、Bertie Higginsの「Cassablanca」、まんまなのよ、曲調が。

あ、「Cassablanca」で分かんなかったら、郷ひろみ氏の「哀愁のカサブランカ」

近田氏が「アンサーソングは哀愁」ってタイトル、悪ふざけじゃんって言っているのは、曲調が似てる上に郷ひろみ氏の「哀愁のカサブランカ」をもじったようなタイトルだったからなんだけどさ。

いや、はっきり言ってワタシもこの近田氏のコメント通りと思ってたのよ。 これは、ちょっと悪ふざけじゃんっていう・・・。

ただ、当時・・・いや、最近まで意味が分かんなかったのは、「これは日本歌謡界への皮肉だよね。こういう作家としてのメッセージがハッキリ出た曲」っいう後半の部分。

これってどういう意味だったんだろう?   っていうのがずーっと引っかかってたのよ。
まあ、深い意味はないのかもしれないけど・・・。


でさ、この機会に、再度、自分なりにちょっと考えてみた。

で、浮かんできたのが・・・。

もしかしてさ、Bertie Higginsの「Cassablanca」って、郷ひろみ氏のカバーが決まる前に、早見さんサイドがカバーするつもりでいたんじゃないか・・・ってこと。

そう考えれば、1曲前の「Love Light」が外人の作曲だった意味も分かる。つまりさアイドルの王道路線ではなく、より洋楽ポップに向かうって言うベクトルだよね。

そう言う路線を画策していた時に、郷ひろみ氏のカバーが決まってしまった。
(ちなみに、郷氏のカバーは、当時ニッポン放送のアナウンサーだった、はたえ金次郎氏が郷氏サイドに売り込んで決まったとなっている)

相手はアイドルの大先輩でありアイドル界のスーパースター。こちらは一介の新人。
当然だけどダイレクトに抗議も出来ない。

そんな事があったがための抗議と言う意味をこめての「アンサーソングは哀愁」って曲でありーの、近田氏のコメント。

もちろん、これは、ワタシの妄想でアリ、事実であるかどうかは全く分からないんだけどさ。

でも、こう考えれば、 

・タイトルからして悪ふざけな事 
・メロディがモロ、「カサブランカ」な事
・近田氏が「日本歌謡界への皮肉だよね」と言ってる意味 
・そういう皮肉を込めた曲を派手にする訳にも行かず、ジミな曲にするしかなかった事

・・・など全ての流れの辻褄が合うような気がするんだよなぁ。


ただ、タイトルとしては、近田氏が言うように「悪ふざけじゃん」ってダイレクトに分かるんだけど、歌詞内容は正直良く分かんない。

大御所・阿久悠氏の作詞だけど、正直、最近まで阿久悠氏が作ったとは思わなかったもの。

♪ 奪われる 奪えない 奪うもの 奪え〜 ♪とかさ、国語文法の五段活用か  なんて思える、なんじゃこりゃ・・って言う歌詞だったりするし。。。

この曲を「リリース」する事が前提で、歌詞の内容はさほど重要じゃない・・・って言っているようにも思えたりしてさ。

尤も、阿久氏は、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」の♪ リンリンリリン〜♪ などのように「擬音」を歌詞に多用したりするところもあったりするんで、五段活用的な歌詞も、ある意味阿久氏らしさと言えるのかもしれないけど。。。



この曲のような地味な展開もあり、一時はアイドルとして死んだ・・・と思えた早見さんだっただけに、次の年の「夏色のナンシー」は、アイドルとして起死回生、一発逆転ホームラン的なインパクトがありましたね。

洋楽路線とはならなかったものの、そんな早見サイドの方向性を感じ取り、第2の南沙織にしようとした、筒美京平ってヒトは、やっぱり天才なんだな・・・と思わずには居られなかったよな。


ちなみに、当時は、ジミーで触手が伸びなかった、この「アンサーソングは哀愁」も、今はいいんだよね。
ワタシもそれだけオヤジになり、ポップな曲よりもシブい曲の方が安心できるようになったって事なのか。。

いや、その前に、今となっては完全に忘れ去られている、この曲は手垢が少ないってことで、それだけ、未だに新鮮に聴けるって事が大きいんだろうな。
早見さんって言ったら、みーんな判を押したように「夏色のナンシー」とか「誘惑光線クラッ!」などばっかなんだもん。 今となっては、この曲なんかセレクトするヒトってほとんど居ないから。。。。


あ、それから、どーでもいい事なんだけど、↑で引き合いに出した、「Young Song」1982年12月号の新曲激評には、同じく当時新人だった原田知世さんの「ときめきのアクシデント」の近田氏の評があるんだけど、この時の評が「ひでぇ下手な歌だな。これじゃ作家のヒト怒るぜ。」とバッサリ。
今だったらネットで炎上ざたのようなコメントだけど、当時は、これはこれで見方の一つとして「アリ」だったんだよね。


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WANDERER / チェッカーズ

1987_08_WONDERER_チェッカーズ


今回の1曲セレクトは「WANDERER」チェッカーズです。

まずはデータでする。

・タイトル     WANDERER
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞        藤井郁弥
・作曲       鶴久政治
・編曲       THE CHECKERS FAM.
・リリース日   1987年7月8日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  20.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1987年7月20日〜9月7日付

毎度毎度〜な事ですが、やっとここまで辿りついた・・・って感じだなぁ。
何の事かって? いや、こうやって1曲セレクトを書くためにPCに向かうまでが長かったって事なんですが・・・。
たしかに、最近は同じようなマクラをいつも書いてるような気がするけど、今回はいつも以上にここまで来るまでが長かったような気がするなぁ。

いや、実は前回ブルーハーツの「情熱の薔薇」を書いた直後から、次はこの曲もってこよーっと・・・って言うのは決めてたんだけどね。

そこから実際に、こうやって「書こう」と思ってPCに向かうまでが長かった。

なぜにそんなに時間がかかったのか

答えは簡単で、この曲、どう書いたらいいのか、良く分かんなかったんだよね

バーローそんな曲持ってくんな・・・なんて言われそうだけども、正直、個人的にこの曲にめちゃくちゃ思い入れがあるか・・というと、それほどでもないんだよな。

・・かといって、ヒット当時全く聴いて無かった・・・と言う事でもない。 現に、手元にこの曲のシングル音源はある。

ただ、どうも今一つ、流しちゃうんだよね、気分的に。

どうしてなんだろうねぇ。 いや、1985年の「俺たちのロカビリーナイト」もそうだった。 当時、チェッカーズはキライじゃ無かったし、曲ごとにそれなりにどっぷりと曲に浸かってしな。

どうなんだろう? 個人的に、チェッカーズの夏の曲には、生理的な「鬼門」なところがあったのかもしれないな。

現にこの後、1990年夏の「夜明けのプレス」も、チェッカーズ久々の大ヒットになったにもかかわらず、流してしまったんだよな。おかげで、つい最近まで音源を持ってなかったし。

特に「夏らしい」夏の年のチェッカーズの曲とは、あわなかったような気がする。 

だからという訳でもないだろうけど、「冷夏」だった1988年夏の「Jim&Janeの伝説」は大好きだったりする。。

まあ、単純に曲調と個人的な好き嫌いの巡り合わせなんだろうけど。。。。


ただ、この「WANDERER」。本当に引っかかりが無かった。 
上で書いたように曲調的な引っかかりを感じなかったっていうのもあるだろう。 

でも、それ以上に、この曲がヒットしていた1987年夏当時、個人的にヒット曲全体に対して興味が薄れ来つつあったって言うのも大きかったかもしれない。

その一番の原因としては、やっぱりヒットチャートが壊れてたよね、この頃って。 

いわいるアナログレコードからCDへの移行期っていうことで、アルバムはそこそこに売り上げが回復しつつあり、ヒットも出つつあった。

ただ、シングルは、この時点ではまだシングルCDは発売されておらず、依然としてアナログドーナツ盤頼みな状況。そんな中、全体的なシングルの売り上げは急激に減少してましたよね、この当時。

当然、ヒットらしいヒットは少なくなっている状況。 1987年夏は、そんなシングルの売り上げ状況が一番「底」だった時期なんだよね。

ヒットチャートを一番のモノサシに「ヒット曲」を追いかけるっていう、ちょっと変わった音楽の聴き方をしてるヒトなんで、ヒットチャートに元気が無くなると、途端にワタシも曲を追いかける気力が薄れてくる。

ちょっと因果な音楽の聴き方してるよね。

だからさ、当時、この曲を流し聴きにしてたのは、当時のヒットチャートの流れからすると、ある意味当然だったのかもしれない。


ただ、ヒットチャートとして特にシングル盤の売り上げは、この1987年7月を「底」にV字回復をする。

この次の年、シングルCDが発売を開始したと言う事もあるけど、その一番の要因は・・・、そう、光GENJIの登場ですね。 彼らの登場が劇的なカンフル剤になったんだよね。

逆に時を同じくして、おニャン子クラブが解散。 ある意味ヒットチャートをぶっ壊した当時者であった、おニャン子クラブの解散と同時にシングル売り上げが回復するっていう流れは、ヒット曲界全体を見ても「ヒニク」だったよな。

で、当のワタシはというと、光GENJIの登場と共にヒットチャートの回復、シングル売り上げの回復という状況を見て、ヒット曲への追いかけ熱が再燃したのは言うまでもない。


ちなみに、今回引っ張ってきた「WANDERER」、ヒットチャート的に見ると、チェッカーズ唯一のオリコン1位獲得曲なんだよね。

・・・なんて書くと、恐らく「何言ってんですか、このヒトは」って言うクレームがたちまち来るんだろうね

いやいや、チェッカーズが「自分たち」でシングルを書くようになってから唯一のオリコン1位獲得曲ってことですね。 
もちろん、自分たちでシングルを書く以前、売野−芹澤コンビの頃は、それこそオリコン1位は多数(8作)獲得してるけど。
でも、自分たちでシングルを書くようになってから、この曲が唯一のオリコン1位獲得曲っていうのも、今思うと、結構意外な流れだったのかなぁ。

この曲の1曲前の「I Love You SAYONARA」の方が、当時はスタンダードだったし、実際、「WANDERER」よりも枚数的に売れたしね。

でも、この曲は結局オリコンでは最高2位止まり。 リリースが少年隊の「Stripe blue」とパッティングしたんだよね。 チェッカーズの初動も強かったけど、さしもの少年隊には、超僅差ながら初動で敵わず。
逆に、この「WANDERER」の時は、ミポリンの「50/50」とリリースがバッティングしたけど、この当時のミポリンは、トップアイドルへ驀進していたとはいえ、まだオリコン1位をとった事が無かった。まだ上り調子の真っただ中だったんだよね。

そんな、バッティング相手の違いがランキングにも大きく影響してくる。 これは、今でも基本変わらない事だけど、最近は、強豪アーティスト同士のバッティッング・リリースは避け、チャート1位を分け合うって言う流れが強いからね。 この時のような競合ランキングは起きにくい。 
まあ、そんな「仲良しこよし」的なリリースがランキングをツマラナくしている要因なんだけどね。

いずれにしても、オリコン1位獲得となったものの、初動で首位を獲得出来るような瞬発的なアーティストパワーは、既に限界に来てたって事なんですよね。

 ただ、普通のアーティストであれば、一度アーティストパワーが落ちてくれば、その後立て直すのが難しんだけど、チェッカーズはその後もベストテン入りを維持してきたってところが凄いんだよね。
結局は、92年の解散まで全てのシングルでオリコンベストテン入りを果たした。これは並のアーティストではない事の証明なんじゃないかな。



うーん、当時、引っかからなかったって言うのは、デビュー以来一貫しての、50〜60sロックンロールを下敷きにした、オールディーズ寄りの曲調に飽きが来てたっていうのは、否めないだろうね。

だからさ、この曲の直後にCBCB(キュートビートクラブバンド)名義で、ブリテッシュ寄りの曲を演ったことは、すごく新鮮だった。
それをきっかけに、徐々にUK的な匂いが増していったチェッカーズだけど、それはそれで正解だったんじゃないかな。 あのままオールディーズに固執してたら、果たして92年まで持ったかどうか、疑問なところだ。


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気分をかえて / 香坂みゆき

1981_08_気分を変えて_香坂みゆき


今回の1曲セレクトは、「気分をかえて / 香坂みゆき」です。

まずはデータです。

・タイトル     気分をかえて
・アーティスト   香坂みゆき
・作詞       山崎ハコ
・作曲       山崎ハコ
・編曲       大村雅朗
・リリース日   1981年6月1日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 58位
・売上げ枚数  4.9万枚

うわっ、いつ以来の「1曲セレクト」だ  ってくらい久々なんで、どう書いていいか忘れちゃってるワタシがいたりして 
まあ、いつも半ばテキトーに書いてたりするんで 今回もテキトー精神で進めちゃったりしますか。。

個人的にヒット曲が好きなのね。ぢゃヒット曲ってなんぞや・・・っちゅうと、まあ、「売れてる」曲ですわね。簡単に言えばヒットチャートで上位に来てる曲。
 逆に言えば、売れない曲って好きじゃないんだよね。
なんでかっちゅうと、なんか独りよがりって感じがするしさぁ。少なくとも「商業」的にリリースするならば、売れないよりは売れた方がいいわけじゃん。 最近は売れなくてもいいから分かる人だけに聴いてもらえればいい・・・とか、普通に言うアーティストって結構いるじゃん。 なんか違うよなぁ・・・なんて思っちゃうんだよね。
少なくとも通常の商業ルートに乗せてリリースするなら、売れなくてもいい曲をリリースするのって、やっぱおかしいわけじゃん。売れなくてもいいなら自主的にシコシコリリースしてごく近しいヒトに聴いてもらえればいいわけでさ。

・・・なんて、また、クレームが来そうな言い回しになっちゃったりして。。。

まあ、ヒットしてる曲を聴くのが好きっていうのは、もう長年のクセですね。40年以上もそうやってヒット曲を追いかけて来ている「性(さが)」とでも言いますか。

だからね、ヒットしなかった曲っていうのは、未だに手元に音源が無い曲が圧倒的に多い。まあ、それまで追いかけてたらいくら金があっても追いつかないし、そもそも全曲じっくり聴いてる時間もないわけで。。。



たださあ、そうは言っても、売れなかった曲でも時々、引っかかっちゃう曲はあるんだよな。

今回もそんな売れなかったけども、当時引っかかった曲をひとつ。

香坂みゆき「気分をかえて」

この曲、最初に聴いてのってどこでなんだろ? 「8時だよ全員集合」だったか。。。
まあ、テレビで聴いたのは間違いないんだけど、いつどこでっていうのは、全く覚えてない。

でも、インパクトはあったんだよな。

香坂みゆきさんって、それまでは純粋に「アイドル」だったわけじゃん。 まあ、売れなかったけども。。

そそそ、このヒトと高見知佳さんと、石川ひとみさんと、倉田まり子さんって、なんか似たような境遇の人たちだよなぁ・・・なんて、80年当時は感じてたんだよなぁ。 このヒトたちよく「ドリフ大爆笑」に出てたじゃん。
で、ウタのコーナーになると、売れてない、いわいるB級アイドルが勢ぞろいって感じで、この人たちが出てたりしてさぁ。

まあ、石川ひとみさんは81年に「まちぶせ」で、その中から離脱した訳だけど、 香坂みゆきさんと高見知佳さんっていつまでたっても垢抜けないB級アイドルって感じだったんだよね。

・・・と思ってたら、いきなり香坂みゆきさんが、この「気分をかえて」で「硬派ロック」路線に変えてきたわけじゃん。

一体どうした事か。。。 当時12歳になったばかりのクソガキだったワタシでもそう感じたんだよなぁ。

それまで「みんなのアイドル」ってかんじだったのが、いきなり「大人」っぽい路線に行っちゃったんで、どう捉えたらいいのかって言うのもあったのかもしれないな。

まあ、一つ言える事は、81年頃は、いわいる「ツッパリブーム」で、みんな大人っぽく見られたがってたってのもあるんだよね。なんせ、あの三原順子さんだって、当時17才にゃ見えなかったしさ。どうみても5〜6才サバ読んでるでしょ・・・って感じだったじゃん。
そう言う時代の流れもあったんだろうね。

たださ、路線を変えた事で、香坂さんの「歌のうまさ」っていうのは、引き出されましたよね。
このヒト、こんなに「パンチ」の効いた歌唱力があったとは、それまではそんなに感じなかったもんなぁ。

元々は、山崎ハコさんの「1976年」リリース曲のカバー。 オリジナルは、もっと下世話なフォークロック・・そうやねぇ、後年の長渕剛氏が歌いそうなイメージの重い曲。

↓ コレ



これを大村雅朗マジックで、BLONDIEの「CALL ME」をちょいと拝借して本格ロックに昇華させたところが、如何にも1981年って言う時代性を感じさせたりしてね。

ちなみに、大村氏、この曲のBLONDIEの「CALL ME」を下敷きにしたアレンジに旨みを感じたのか、1982年の佐東由梨「どうして!?」を経て、83年の河合奈保子「エスカレーション」に昇華させちゃったりしましたよね。

そうか・・・、81年当時、今一つ分からなかったこの曲が、今になって理解出来るっていうのは、結局は河合奈保子さんの「エスカレーション」を経た事で、この曲調が自分の中に消化したからなんだろうな、きっと。

まあ、その前に、81年当時は知らなかった、元曲のBLONDIEの「CALL ME」も今では自分の中に消化したからってのもあるけどさ。



改めて、今聴くと、如何にも80年代っていうサウンドだよね。
↑ではBLONDIEの「CALL ME」を下敷きにして河合奈保子「エスカレーション」に昇華させたって書いたけど、この感じ、80年代中盤くらいまでのアイドル系のマイナーチューンって、このサウンドが多かったんだよな。
そう言う意味では、80年代アイドルの基本系の1曲とも言えるかもな。

それにしても、最後の♪Bye Bye〜 ♪はインパクトの塊だよな。
これでも、売れなかったんだもんなぁ。
オリコン左ページにも行かなかったって言うのも、 ちょっと信じられないよなぁ。

ちなみに、高見知佳さん、香坂みゆきさん、共に1984年、化粧品のキャンペーンソングで自身最大のヒットを飛ばすことになる。 1980年当時の「売れない」2人を見てると、これもどこか因縁めいたところがあるなぁ。。


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MOMOKO / 近藤真彦

1982_07_ハイティーンブギ_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「MOMOKO」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル      MOMOKO
・アーティスト    近藤真彦
・作詞        松本隆
・作曲        山下達郎
・編曲        山下達郎
・リリース日    1982年6月30日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 −位
・売り上げ枚数  −位
・THE HITCHART HOT30最高位 −位
・タイアップ:映画「ハイティーン・ブギ」挿入曲
※シングル「ハイティーン・ブギ」片面

今週はジャニーズ事務所「総帥」のジャニー喜多川氏の死去と言うニュースが、各ワイドショーのみならず一般のニュースにも広く報道された1週間でしたわな。
年齢的にもそうだし、先月くも膜下出血で倒れたという報道からも、もしかしたら・・・と言う予感が高まっていた訳ではあるんだけども、いざ来てみると、その存在の巨大さに改めて気づかされた1週間でもあったな。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。

そういうこともあり、今回の1曲セレクトもジャニーズの曲を外すけにゃ行けないだろ・・と言う思いがあり、真っさいに浮かんだ曲がこの曲だったんだな。

まっち先生の「MOMOKO」

この曲覚えてる方ってどのくらいいるだろ? 昔、まっち先生のファンだった方は当然知ってるかな?

そう、シングル「ハイティーン・ブギ」の片面だった曲ですね。 当時まっち先生が主演した、たのきん映画第4弾「ハイティーン・ブギ」の挿入曲。 まっち先生演じる主人公「翔」の相手役 「桃子」を歌った曲ですわ。

なぜ、この曲が真っ先に浮かんだのか

もちろん、タイトル曲の「ハイティーン・ブギ」が丁度今頃のヒットだった事も大きい。
けど、それ以上に大きいのは、今年のこの夏の天候不順なんだよな。 

これは昔、「表題曲」の「ハイティーン・ブギ」書いた時にも触れた事なんだけども、この曲がリリースされた1982年夏ってさあ、今年同様、天候不順な夏で、気温が低く、雨の日が多かったんだよ。
典型的な「冷夏」な夏だった訳で。

あの時と同じような天気が続く、ここ暫くの天気。 今日も同じような天気か続いている訳で。。
今頃の雨の日の日曜日というと、どうしてもあの1982年の夏とオーバーラップしてしまう。
その時決まって耳の奥から聴こえてくるのは、この「MOMOKO」だったするんだよ。

そんな天候不順だった1982年夏を彷彿させるこの曲は、文字通り「珠玉のバラード」と言ってもおかしくないような、名曲なんだよね。
山下達郎氏が紡ぎたす、名バラードが、決してウマくない、まっち先生の歌唱を包み込むって言いましょうかねぇ。

今聴いても、到底、当時のアイドルの曲の範疇を超えてるような本格的なバラードだもんね。

http://yamashitatatsuro.blog78.fc2.com/blog-entry-218.html?sp

によると、演奏メンバーは

・G. 山下達郎
・B. 伊藤広規
・Dr . 青山純
・Key. 難波弘之

とある。

もろ当時の「達郎バンド」のメンバーやん。。。 そりゃ、アイドル曲の範疇を超えてるクオリティだよな。。
いや、82年当時の水準で言えば・・・の話だけど。
これが80年代も中盤を過ぎると、これが「デフォルト」になる。 例えば86年の中森明菜の「DESIRE」なんかもこの系統人脈のレコーディングだったはずだ。

イントロの優しい、フェンダーローズの音色からして、これはちょっと違うと思わせてくれる。 当時アイドルの曲で、これだけフェンダーローズが前面に出てる曲ってあんまりなかったし。
どちらかというと、70年代と言う時代を彷彿させる様なニューミュージック系アーティストの必須アイテムだった。

つまり、匂いは完全にニューミュージックなんだよね。  そもそもテンション系コードをふんだんに使ったコード進行からして、アイドル曲というよりニューミュージックそのものなんだけどさ
テンションコードに 前年の寺尾聰氏のミリオンセラーアルバム「Refrections」で多用され、耳の奥に刻む込まれていた世界が、この曲でも展開されてるんだよな。

それにも増して耳が行ってしまうのは、間奏部の達郎氏直々の、泣きのギターソロ。
これがめっちゃブルージーなのよ。

正直、今聴くと「すげぇ」って驚嘆するようなプレイでは決してない。(もしかして本人が一番分かってたりして。。)
今剛氏や、矢島賢氏の方が、もっと確実性のあるギターソロだったかもしれない。
現に、表題曲の「ハイティーン・ブギ」のギターソロは、矢島賢氏がプレイしてたりする。
でも、味があるんだよな。少なくとも、ワタシにはあの時の沈んだ心模様にはマッチする。

そう、1982年夏っていうのは、個人的にもさらに特殊な環境の夏で。 つまりは1982年の7月の頭に福島から千葉に越してきたっていう、大きな環境変化があった夏でもあったんだよね。

今だからカミングアウト出来る事だけど、あの年は本当に辛かったんだよ。 友達も全然いないし、自分をアピールしようと思っても全然理解してもらえず友達も出来ない。所詮はよそ者扱いに過ぎなかったんだよ。
孤独だった。ずっと福島に帰りたいってばかり思ってた夏だった。

そんな個人的に辛い時期だっただけに、この曲の達郎氏の泣きのギターソロには、ひときわグッとこみ上げるものがあったし、それは今でも変わらない。


それ以前に、そもそもこの曲を知ったきっかけは、月刊明星付録の「ヤンソン」に楽譜付きで載ったからなんだよな。
「ハイティーン・ブギ」の「片面」ということは通常B面なわけで、あまり世間一般には表に出てこない。
ただ、この曲は「両A面」扱いだったんだよね。 
まあ、「ハイブギ」人気と相まって、ヤンソン側も譜面付きで載せたんだろうけど、そうじゃなきゃ今頃完全に死角に入っちゃってただろうな。 今となっては感謝ですね。


 


ところで、当時、「たのきん映画」って好きでさ、第3弾の「グッドラックLOVE」まで、全部映画館で見たんだけど、この「ハイブギ」から見なくなっちゃったんだよな。
 この作品については、もう見なくてもどうでもいいとは思わなかったけど、やっぱ引っ越したばっかってことが大きかったんだよな。 千葉の事、全然分かんなかったし。

今になって、当時の配給収入を調べたりすると、この「ハイティーン・ブギ」、1982年度の邦画配給収入は18億で、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」について2位だったんだねぇ。

http://www.eiren.org/toukei/1982.html

どうやら一連の「たのきん」映画の中では一番ヒットした作品だったらしいんだよね。


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Return to Myself〜しない、しない、ナツ〜 / 浜田麻里

1989_04_Return to myself_浜田麻里


今回の1曲セレクトは、「Return to Myself〜しない、しない、ナツ〜」浜田麻里です。

まずはデータです。

・タイトル    Return to Myself〜しない、しない、ナツ〜
・アーティスト  浜田麻里
・作詞      浜田麻里
・作曲      大槻啓之
・編曲      大槻啓之 Randy Kerber Greg Edwards
・リリース日  1989年4月19日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  40.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1989年5月8日〜7月10日付
・タイアップ:カネボウ「89年夏のキャンペーンソング」

月並みなのですが・・・いよいよ「平成」も終わりですね。
外は雨。
テレビのニュースでもさんざん伝えてるけど、昭和の終焉、平成の幕開けとなった1989年1月7日も雨。
よく覚えてる。
当時、大学受験(1年目の)「浪人生」で、目の前に控えた受験本番直前。予備校の自習室でうんざりしながら「数学」の問題集を始めようとしたら、予備校から昭和天皇崩御のため授業は中止。すぐ帰れって放送が入ったんだよな。
それで薄暗い寒雨の中、帰宅したんだよ。 あの光景、30年経った今でも覚えてる。

そう考えると、あっという間の「平成」30年間だったな・・・と感じがするけど、細かく振り返れば、いろんな事があった30年でもあったな。 短いようで中身の濃い30年だったんだよな。

みなさんの「平成」はいかがだったでしょう。 そして来る「令和」は一体どういう時代になるんでしょうね。


・・・ということで、恐らくこれが「平成最後」の「1曲セレクト」になると思いますんで、今回は「平成元年」の曲を持って来たい・・・

・・・っちゅうことで、この曲。

浜田麻里「Return to Myself〜しない、しない、ナツ〜」

ちょっと変化球だったかな  

ココのところ、「平成」を振り返る・・みたいな番組で平成元年のヒット曲とかやってたりするど、この曲が流れる事って殆どなかったもんな。

平成元年っていったら、どうしても工藤静香とか、プリプリとか、長渕とか・・・になっちゃうんだろうな印象的に。

But、But、この曲も「平成元年」にオリコンで1位取ったんだけどねぇ、40万枚も売れたんだけどねぇ・・・、でも世間一般では、ほとんど「死角」にはいった存在になっちゃってるんだよな、今や。

個人的には、この曲、平成元年を象徴する曲の一つ・・って思ってるんだけどね。

平成元年って、年初めの1〜3月にかけては、マイナー系で重い曲が多かったんだよ。 工藤静香の「恋一夜」にしてもチェッカーズの「Room」にしてもまさにそんな感じだったじゃん。

昭和の終焉って言う機運が世間的にまで重くのしかかっていたのかなぁ。

そんな重い空気が一変したのが4月。 プリプリの「Diamonds」のあのホップなモータウンサウンドが一気にヒット曲の空気を変えたんだよな。

いつかも書いたけど、当時、2浪が決まって、もやもやした気分を引きずったまま、ラジオを聴きながら勉強してたワタシのペンが止まったもの、この曲で。
それまでの「もやもや感」が一気に吹き飛んだ・・というかね。昭和終焉のクビキが一気に取れ、本格的な「平成」の時代に突入っていう空気に変わった瞬間だっだよな。

それに引き続きいて出てきたのが、今回引っ張ってきた浜田麻里さんの「Return to Myself」。

この曲も「Diamonds」に負けず劣らずのポップビートな1曲。

この2曲で、当時のヒットチャートの空気を完全に変えたって言うイメージが強いんだよなぁ。 

それまでの重く垂れこめた冬空から、太陽がさんさんと輝く ・・・っていう情景に一気に変わったんだよ。

もちろん、この他にも、中村あゆみさんの「ともだち」、チューブの「SUMMER CITY」などなど、メジャー系かつポップなナンバーが次々とリリース。 気分は一気に夏っていう空気になったもんな。


モータウンを基調とした、メジャー、ハネ系のポップチューン。

これが平成元年の特に今頃流行った曲調だったんだよね。

まあ、バブル全盛の時代。 世間は浮かれまくっていた訳だし、そんな時代をモロ象徴していたようなサウンド・・とも言えるんじゃないかなぁ。

ただ言える事は、この曲あたりから、いわいる「ラウド」って言われるロック系な音楽もお茶の間に浸透してきた頃ですね。
この曲にしても然り、ブルーハーツの「TRAIN TRAIN」にしても然り。 

ちょっと前までは、単に「うっせえ音楽だな」・・・って思えた系統のヒトたちなんだけどさ。 

たしかに以前に比べてポップで聴きやすくはなってた、この頃は。 そこが一番大きかったんだろうけど。
それとともに確実な時代の変化って言うのもあったんだろうね。

そんな変化と平成の幕開けっていうのが、シンクロしてたのも、新たな時代の始まりの象徴だったのかなぁ。
今、改めて曲を聴くと、昭和っていう時代との空気感の違いが如実に感じるもんね。




これ、当時のライブの映像か・・と思ったら、つい7年前のライブでの「Return to Myself」のようですね。
すんげえ、パワフルなボーカル、ハイトーンボイス、30年前当時と全然変わってない。
30年も経ては、声は出なくなるわ、キーは低くなるわ、全然変わっちゃうんもんだでや、普通。
そもそも体型が全然変わってない。 
動画見てちょっと驚いちゃいましたね。 鍛えてんなぁ。


↓ こっちが30年前




ほらね、ほとんど変わってない・・・。

確かに、「ワンレン、ボディコン」っちゅういでたちはバブル全盛の30年前を彷彿させるけど・・・。



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スニーカーぶる〜す(別テイク) / 近藤真彦

1982_04_ふられてBANZAI_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「スニーカーぶる〜す」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル     スニーカーぶる〜す
・アーティスト   近藤真彦
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       戸塚修
・リリース日   1982年3月31日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 -  位
・売上げ枚数     - 万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 - 位

・・・と書いて、ちょっと待て〜〜  って普通思いますよね。 少なくとも80年代を知ってる方なら。

そもそも、まっち先生の「スニーカーぶる〜す」のリリースは「1980年12月12日」であり、↑のリリース日も違ってるじゃん。
それ以前に、なに? オリコン最高位も売り上げ枚数も 「−」になっているのは

もっと、細かい所を指摘するなら、アレンジャーが「馬飼野康二」氏ぢゃないじゃん。。。

・・・なんて、あたりがクレームが来そうな所かなぁ。。

But But 、間違ってないですから。

うん、当時の事をちょっと知ってる方なら、このタネあかしは、知ってますよね。

これは、まっち先生のデビューシングルとして、公式にリリースされたテイクとは別テイクの「スニーカーぶる〜す」のことを指している訳です。
そそそ、シングル「ふられてBANZAI」のB面に収録されているバージョンの「スニーカーぶる〜す」。

いや、正式に言えば、元々・・・というか、最初に出来あがったテイクの「スニーカーぶる〜す」は、こちらの戸塚修氏がアレンジしたテイクであり、世に出ている「スニーカーぶる〜す」は、このテイクからさらに手を加えた「後発」テイクということになる。

ちなみに、このバージョンを「スニーカーぶる〜す Part2」って言ってるヒトもいるけど、これは間違い。
「スニーカーぶる〜す」の大ヒットからの続編作って訳じゃないんだよね。

たしかにこのテイクは、歌詞も違えば、もちろんアレンジも違う。メロディはほぼ同じではあるけどメロディ進行も違うし、尺も違う。
まあ、続編⇒Part2と勘違いするしてもおかしくは無いけど・・・。

こちらのテイクの方が、尺が長い。歌詞も ♪ Buzのレコード聴いてた寒い夜明けが懐かしい〜 ♪ とか、大人っぽいし、これ生かすようなドライブがかかったアレンジは、ほとんどニューミュージックなんだよね。
少なくともアイドルのデビュー曲とは到底思えないような・・・。

ただし、音楽的にはほとんど完成された仕上がりにはなっている。 うん、まっち先生のボーカルも、「通常」の「スニーカーぶる〜す」よりも数段上手いしさ。


こんな音楽的に見てほぼ完成されたテイクを、当時のまっち先生のプロデューサーだった、小杉理宇造氏は切ったわけだ。

で、今、普通に聴かれるテイクの「スニーカーぶる〜す」に作り替えた。

今普通に聴かれる「スニーカーぶる〜す」は、当初のテイクから比べると、正直言ってダサい。 まっち先生のボーカルもシロウトっぽい。

ただ、初めのテイクに比べ、余計なフレーズが削られメロディ進行もシンプル。

当初のテイクと詞、メロディとも全く同じなのはCメロの ♪ 街角は雨 ぶるーすのようさ・・・♪ の部分のみだ。


ぢゃ、なぜ当初の音楽的に完成されたテイクを切って、「ダサい」テイクに作り替えたのか?

この辺は、ネット上で他の方も大分書かれてるけど、1981年11月号の月刊「明星」の歌本「Yong Song」の「'81 MUSIC PEOPLEインタビュー」と言う連載企画での小杉氏へのインタビューによると、

「アイドルにとって、最初からクオリティが高すぎるのは危険だから」と言ってる。

つまりさ、デビュー曲であまりにクオリティが高い所まで持って行ってしまうと、2作目以降の行き場が無くなるってことなんだよね。
駄作でいいと言う訳ではないんだけど、デビュー曲は音楽的にはある程度のところでよく、2作目以降徐々にクオリティを上げて行けばいい。

そういう考えのもと、敢えてダサいテイクに変えたって言う訳だ。



ただ、「スニーカーぶる〜す」の場合は、他にもしがらみがあった。ジャニーズ側からのとんでもなく高いハードル要請だ。

「オリコン初登場1位。 売り上げ枚数ミリオンセラー」

これが、小杉氏に求められた絶対条件だったと言う。

オリコン初登場1位。 たしかにハードルが高い条件であったものの、当時のまっち先生の人気の超沸騰度から考えれば、楽曲のクオリティどがえしでも、これはある程度は予測できたかもしれない。
その保険のために、オリコン集計期間とレコード店頭販売時期を考慮して、店着日とオリコン集計期間を最大限生かしきるために12月12日なんていう、当時の通常のリリース日ローテーションから外し、敢えて「臨発」扱いにした訳で。

しかしながら、 売り上げ枚数ミリオンセラー、 この条件は当時の「アイドル」のレコード売り上げ傾向から見ると、めっちゃ高いハードルだったわけだ。

いつかも書いたけど、1980年当時、レコードは今に比べると高価なものだったんだよね。 シングル1枚、700円。 今のCDシングルよりも安いじゃんと思われがちだけど、相対的な物価が約40年前とは違う訳で・・・。

1980年の大卒初任給の平均は11万5千円。 ここから現在の価値に変換すると、シングルレコード1枚、1250円程度となる。

しかも、当時のアイドル・・・特にまっち先生のファン層の中心は、当時の小〜中学生(つまりは我々の世代ですわな)。 小学生、中学生が、例え1250円でもシングルレコードを買うっていうのは、それ相応の「覚悟」が必要だったんだよね。

そのため、当時のレコードの購買中心層は大学生から上の世代。 

それいえに、当時、オリコンでのミリオンセラーは演歌、ニューミュージックで占められてあり、アイドルでそれまでミリオンセラーを記録していたのは、ピンク・レディーだけだ。

当時すでに伝説的なアイドルであった、山口百恵、西城秀樹、沢田研二、岩崎宏美、太田裕美・・・だれもミリオンセラーを達成していない。

つまり、アイドルでミリオンセラーを記録するのは、超至難の業。しかも、それをデビュー曲で達成させるなど、一見すると無謀なハードルだったんだよ。まさに「鬼」のジャニーズと思える条件。

ただ、ジャニーズとしては、絶対にクリアできないハードルとは思っていなかったらしい。 
・・というのも、トシちゃんのデビュー曲「哀愁でいと」の売り上げが70万枚を記録。
で、当時、まっち先生のファンレターは、トシちゃんの1.5倍はあったとのこと。 
それから考えれば、まっち先生のデビュー曲でミリオンセラーは可能であるんじゃないか。そう言う考えだったようだ。実際、70万の1.5倍って言ったら105万になるから・・・。

うむ、確かに机上の数字ではそうだ・・・。
でも、実際はそんな単純なもんじゃない。

そこで引き下がらなかったのが、小杉氏が根っからのプロデューサーだったところなんだよな。

デビューを12月にしたのも一つの作戦であったと思う。
お年玉狙いって訳ですわ。 いつものお小遣いではなく、正月、お年玉使えば700円のシングルも買いやすくなるって言う狙い。

もう一つは、楽曲を分かりやすく、より多くのヒトに刺さりやすくするっていう狙い。 これが↑で書いた最初のテイクを切ったという所につながる。

この当時、より売れる楽曲にするためには、より大衆的な音楽にするのが一番の命題だったんだよね。
「音楽的にクオリティが高い」っていうのは、2の次だったんですよ。

以前NHKで放送された、「名盤ドキュメント、井上陽水「氷の世界」」で、70年代陽水氏のプロデューサーであった多賀英典氏も、「心もよう」と「帰れない二人」、どちらをシングルのタイトル曲に切るか・・・という問題で、音楽的完成度が高い「帰りない二人」ではなく、寄り大衆的な「心もよう」をタイトルシングルに切ったと言う話をされている。

つまりは、「大衆性」というのが一番だったわけだ。

結果、それらの狙いが全て嵌まり、「スニーカーぶる〜す」は、ミリオンセラーを達成する。

奇しくも、売り上げ104.8万枚っていうのは、ジャニーズが当初考えていた、トシちやんのデビュー曲「哀愁でいと」の約1.5倍だったっていうのは、事後の結果から見ると偶然であったのか目論見通りだったのか・・・・

いずれにしろ、ジャニーズのそういうところがコワイところなんだろうし、だれも文句が言えないところなんだろうな。

逆に言えば、最初のテイクでリリースされていたら・・・・、複雑な曲進行、アイドルとしては長い曲調と言うところがネックとなり、果たしてどれだけ大衆的に刺さったのか・・というのはギモンなところだ。当然、ミリオンセラーまでは行かなかっただろう。



プロデューサー感覚。 一時流行ったコトバではあるが、今プロデューサーと呼ばれる方で、本来の意味でのプロデューサーと言える方はどのくらいいいるのだろう?
確かにセルフプロデュース的なヒトは、今や業界人に限らず一般のヒトにもたくさんいる。 プロデューサーは、1から100を生み出すヒトではある。
ただ、ビジネスにおいての真のプロデューサーはヒット作を生み出し、それによって「会社」や依頼主への利益を生み出すヒトでもあるんだよね。ココが一番難しいところなんだよ。
自分へのプロデュースは出来ても、第三者をプロデュースするってことは並大抵では出来ない。

第三者へのヒット作品を生み出すにはどうするべきなのか? 
・・と言われた時、ココまで書いたように大衆的感覚が大事な訳なんだけど、ヒット作を生み出せないプロデューサーはこの感覚が欠けてるんだと思うな。独りよがりというか・・
たしかに拘りというのは大事だけど、それがどの程度大衆的なのかというところを客観視するのも大事なんだよね。


時に、ワタシも一時、某着メロサイトでプロデューサーの真似事をしてた時期があったけど、やっぱり一番心がけてたのは、「大衆的感覚」だったな。
・・・というか、実は、今回の「スニーカーぶる〜す」の小杉氏の精神っていうのが根底にあったんだよね。

当初、業界経験者がゼロ、しかも、業界でも後発のサイトでもあったため、会員数100万人突破なんて、到底夢物語といわれた某着メロサイトが、最終的に数百万人の会員数を集められた事・・・まあ、ワタシだけの力ではなく、多くのヒトの力の結集によってなんだけど・・・・なぜ達成できたのか・・・といえば、ココを最も大事にした事に尽きる・・・と今でも思ってるなぁ。
当時、第三者からは「奇跡」とか言われてたけど、当時者としては奇跡ではなかったと思っています。





ちなみに、通常版の「スニーカーぶる〜す」は↓ コチラ
http://kajiyan-net2.blog.jp/archives/52049707.html



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