かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1980年代ヒット曲

気分をかえて / 香坂みゆき

1981_08_気分を変えて_香坂みゆき


今回の1曲セレクトは、「気分をかえて / 香坂みゆき」です。

まずはデータです。

・タイトル     気分をかえて
・アーティスト   香坂みゆき
・作詞       山崎ハコ
・作曲       山崎ハコ
・編曲       大村雅朗
・リリース日   1981年6月1日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 58位
・売上げ枚数  4.9万枚

うわっ、いつ以来の「1曲セレクト」だ  ってくらい久々なんで、どう書いていいか忘れちゃってるワタシがいたりして 
まあ、いつも半ばテキトーに書いてたりするんで 今回もテキトー精神で進めちゃったりしますか。。

個人的にヒット曲が好きなのね。ぢゃヒット曲ってなんぞや・・・っちゅうと、まあ、「売れてる」曲ですわね。簡単に言えばヒットチャートで上位に来てる曲。
 逆に言えば、売れない曲って好きじゃないんだよね。
なんでかっちゅうと、なんか独りよがりって感じがするしさぁ。少なくとも「商業」的にリリースするならば、売れないよりは売れた方がいいわけじゃん。 最近は売れなくてもいいから分かる人だけに聴いてもらえればいい・・・とか、普通に言うアーティストって結構いるじゃん。 なんか違うよなぁ・・・なんて思っちゃうんだよね。
少なくとも通常の商業ルートに乗せてリリースするなら、売れなくてもいい曲をリリースするのって、やっぱおかしいわけじゃん。売れなくてもいいなら自主的にシコシコリリースしてごく近しいヒトに聴いてもらえればいいわけでさ。

・・・なんて、また、クレームが来そうな言い回しになっちゃったりして。。。

まあ、ヒットしてる曲を聴くのが好きっていうのは、もう長年のクセですね。40年以上もそうやってヒット曲を追いかけて来ている「性(さが)」とでも言いますか。

だからね、ヒットしなかった曲っていうのは、未だに手元に音源が無い曲が圧倒的に多い。まあ、それまで追いかけてたらいくら金があっても追いつかないし、そもそも全曲じっくり聴いてる時間もないわけで。。。



たださあ、そうは言っても、売れなかった曲でも時々、引っかかっちゃう曲はあるんだよな。

今回もそんな売れなかったけども、当時引っかかった曲をひとつ。

香坂みゆき「気分をかえて」

この曲、最初に聴いてのってどこでなんだろ? 「8時だよ全員集合」だったか。。。
まあ、テレビで聴いたのは間違いないんだけど、いつどこでっていうのは、全く覚えてない。

でも、インパクトはあったんだよな。

香坂みゆきさんって、それまでは純粋に「アイドル」だったわけじゃん。 まあ、売れなかったけども。。

そそそ、このヒトと高見知佳さんと、石川ひとみさんと、倉田まり子さんって、なんか似たような境遇の人たちだよなぁ・・・なんて、80年当時は感じてたんだよなぁ。 このヒトたちよく「ドリフ大爆笑」に出てたじゃん。
で、ウタのコーナーになると、売れてない、いわいるB級アイドルが勢ぞろいって感じで、この人たちが出てたりしてさぁ。

まあ、石川ひとみさんは81年に「まちぶせ」で、その中から離脱した訳だけど、 香坂みゆきさんと高見知佳さんっていつまでたっても垢抜けないB級アイドルって感じだったんだよね。

・・・と思ってたら、いきなり香坂みゆきさんが、この「気分をかえて」で「硬派ロック」路線に変えてきたわけじゃん。

一体どうした事か。。。 当時12歳になったばかりのクソガキだったワタシでもそう感じたんだよなぁ。

それまで「みんなのアイドル」ってかんじだったのが、いきなり「大人」っぽい路線に行っちゃったんで、どう捉えたらいいのかって言うのもあったのかもしれないな。

まあ、一つ言える事は、81年頃は、いわいる「ツッパリブーム」で、みんな大人っぽく見られたがってたってのもあるんだよね。なんせ、あの三原順子さんだって、当時17才にゃ見えなかったしさ。どうみても5〜6才サバ読んでるでしょ・・・って感じだったじゃん。
そう言う時代の流れもあったんだろうね。

たださ、路線を変えた事で、香坂さんの「歌のうまさ」っていうのは、引き出されましたよね。
このヒト、こんなに「パンチ」の効いた歌唱力があったとは、それまではそんなに感じなかったもんなぁ。

元々は、山崎ハコさんの「1976年」リリース曲のカバー。 オリジナルは、もっと下世話なフォークロック・・そうやねぇ、後年の長渕剛氏が歌いそうなイメージの重い曲。

↓ コレ



これを大村雅朗マジックで、BLONDIEの「CALL ME」をちょいと拝借して本格ロックに昇華させたところが、如何にも1981年って言う時代性を感じさせたりしてね。

ちなみに、大村氏、この曲のBLONDIEの「CALL ME」を下敷きにしたアレンジに旨みを感じたのか、1982年の佐東由梨「どうして!?」を経て、83年の河合奈保子「エスカレーション」に昇華させちゃったりしましたよね。

そうか・・・、81年当時、今一つ分からなかったこの曲が、今になって理解出来るっていうのは、結局は河合奈保子さんの「エスカレーション」を経た事で、この曲調が自分の中に消化したからなんだろうな、きっと。

まあ、その前に、81年当時は知らなかった、元曲のBLONDIEの「CALL ME」も今では自分の中に消化したからってのもあるけどさ。



改めて、今聴くと、如何にも80年代っていうサウンドだよね。
↑ではBLONDIEの「CALL ME」を下敷きにして河合奈保子「エスカレーション」に昇華させたって書いたけど、この感じ、80年代中盤くらいまでのアイドル系のマイナーチューンって、このサウンドが多かったんだよな。
そう言う意味では、80年代アイドルの基本系の1曲とも言えるかもな。

それにしても、最後の♪Bye Bye〜 ♪はインパクトの塊だよな。
これでも、売れなかったんだもんなぁ。
オリコン左ページにも行かなかったって言うのも、 ちょっと信じられないよなぁ。

ちなみに、高見知佳さん、香坂みゆきさん、共に1984年、化粧品のキャンペーンソングで自身最大のヒットを飛ばすことになる。 1980年当時の「売れない」2人を見てると、これもどこか因縁めいたところがあるなぁ。。


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MOMOKO / 近藤真彦

1982_07_ハイティーンブギ_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「MOMOKO」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル      MOMOKO
・アーティスト    近藤真彦
・作詞        松本隆
・作曲        山下達郎
・編曲        山下達郎
・リリース日    1982年6月30日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 −位
・売り上げ枚数  −位
・THE HITCHART HOT30最高位 −位
・タイアップ:映画「ハイティーン・ブギ」挿入曲
※シングル「ハイティーン・ブギ」片面

今週はジャニーズ事務所「総帥」のジャニー喜多川氏の死去と言うニュースが、各ワイドショーのみならず一般のニュースにも広く報道された1週間でしたわな。
年齢的にもそうだし、先月くも膜下出血で倒れたという報道からも、もしかしたら・・・と言う予感が高まっていた訳ではあるんだけども、いざ来てみると、その存在の巨大さに改めて気づかされた1週間でもあったな。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。

そういうこともあり、今回の1曲セレクトもジャニーズの曲を外すけにゃ行けないだろ・・と言う思いがあり、真っさいに浮かんだ曲がこの曲だったんだな。

まっち先生の「MOMOKO」

この曲覚えてる方ってどのくらいいるだろ? 昔、まっち先生のファンだった方は当然知ってるかな?

そう、シングル「ハイティーン・ブギ」の片面だった曲ですね。 当時まっち先生が主演した、たのきん映画第4弾「ハイティーン・ブギ」の挿入曲。 まっち先生演じる主人公「翔」の相手役 「桃子」を歌った曲ですわ。

なぜ、この曲が真っ先に浮かんだのか

もちろん、タイトル曲の「ハイティーン・ブギ」が丁度今頃のヒットだった事も大きい。
けど、それ以上に大きいのは、今年のこの夏の天候不順なんだよな。 

これは昔、「表題曲」の「ハイティーン・ブギ」書いた時にも触れた事なんだけども、この曲がリリースされた1982年夏ってさあ、今年同様、天候不順な夏で、気温が低く、雨の日が多かったんだよ。
典型的な「冷夏」な夏だった訳で。

あの時と同じような天気が続く、ここ暫くの天気。 今日も同じような天気か続いている訳で。。
今頃の雨の日の日曜日というと、どうしてもあの1982年の夏とオーバーラップしてしまう。
その時決まって耳の奥から聴こえてくるのは、この「MOMOKO」だったするんだよ。

そんな天候不順だった1982年夏を彷彿させるこの曲は、文字通り「珠玉のバラード」と言ってもおかしくないような、名曲なんだよね。
山下達郎氏が紡ぎたす、名バラードが、決してウマくない、まっち先生の歌唱を包み込むって言いましょうかねぇ。

今聴いても、到底、当時のアイドルの曲の範疇を超えてるような本格的なバラードだもんね。

http://yamashitatatsuro.blog78.fc2.com/blog-entry-218.html?sp

によると、演奏メンバーは

・G. 山下達郎
・B. 伊藤広規
・Dr . 青山純
・Key. 難波弘之

とある。

もろ当時の「達郎バンド」のメンバーやん。。。 そりゃ、アイドル曲の範疇を超えてるクオリティだよな。。
いや、82年当時の水準で言えば・・・の話だけど。
これが80年代も中盤を過ぎると、これが「デフォルト」になる。 例えば86年の中森明菜の「DESIRE」なんかもこの系統人脈のレコーディングだったはずだ。

イントロの優しい、フェンダーローズの音色からして、これはちょっと違うと思わせてくれる。 当時アイドルの曲で、これだけフェンダーローズが前面に出てる曲ってあんまりなかったし。
どちらかというと、70年代と言う時代を彷彿させる様なニューミュージック系アーティストの必須アイテムだった。

つまり、匂いは完全にニューミュージックなんだよね。  そもそもテンション系コードをふんだんに使ったコード進行からして、アイドル曲というよりニューミュージックそのものなんだけどさ
テンションコードに 前年の寺尾聰氏のミリオンセラーアルバム「Refrections」で多用され、耳の奥に刻む込まれていた世界が、この曲でも展開されてるんだよな。

それにも増して耳が行ってしまうのは、間奏部の達郎氏直々の、泣きのギターソロ。
これがめっちゃブルージーなのよ。

正直、今聴くと「すげぇ」って驚嘆するようなプレイでは決してない。(もしかして本人が一番分かってたりして。。)
今剛氏や、矢島賢氏の方が、もっと確実性のあるギターソロだったかもしれない。
現に、表題曲の「ハイティーン・ブギ」のギターソロは、矢島賢氏がプレイしてたりする。
でも、味があるんだよな。少なくとも、ワタシにはあの時の沈んだ心模様にはマッチする。

そう、1982年夏っていうのは、個人的にもさらに特殊な環境の夏で。 つまりは1982年の7月の頭に福島から千葉に越してきたっていう、大きな環境変化があった夏でもあったんだよね。

今だからカミングアウト出来る事だけど、あの年は本当に辛かったんだよ。 友達も全然いないし、自分をアピールしようと思っても全然理解してもらえず友達も出来ない。所詮はよそ者扱いに過ぎなかったんだよ。
孤独だった。ずっと福島に帰りたいってばかり思ってた夏だった。

そんな個人的に辛い時期だっただけに、この曲の達郎氏の泣きのギターソロには、ひときわグッとこみ上げるものがあったし、それは今でも変わらない。


それ以前に、そもそもこの曲を知ったきっかけは、月刊明星付録の「ヤンソン」に楽譜付きで載ったからなんだよな。
「ハイティーン・ブギ」の「片面」ということは通常B面なわけで、あまり世間一般には表に出てこない。
ただ、この曲は「両A面」扱いだったんだよね。 
まあ、「ハイブギ」人気と相まって、ヤンソン側も譜面付きで載せたんだろうけど、そうじゃなきゃ今頃完全に死角に入っちゃってただろうな。 今となっては感謝ですね。


 


ところで、当時、「たのきん映画」って好きでさ、第3弾の「グッドラックLOVE」まで、全部映画館で見たんだけど、この「ハイブギ」から見なくなっちゃったんだよな。
 この作品については、もう見なくてもどうでもいいとは思わなかったけど、やっぱ引っ越したばっかってことが大きかったんだよな。 千葉の事、全然分かんなかったし。

今になって、当時の配給収入を調べたりすると、この「ハイティーン・ブギ」、1982年度の邦画配給収入は18億で、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」について2位だったんだねぇ。

http://www.eiren.org/toukei/1982.html

どうやら一連の「たのきん」映画の中では一番ヒットした作品だったらしいんだよね。


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Return to Myself〜しない、しない、ナツ〜 / 浜田麻里

1989_04_Return to myself_浜田麻里


今回の1曲セレクトは、「Return to Myself〜しない、しない、ナツ〜」浜田麻里です。

まずはデータです。

・タイトル    Return to Myself〜しない、しない、ナツ〜
・アーティスト  浜田麻里
・作詞      浜田麻里
・作曲      大槻啓之
・編曲      大槻啓之 Randy Kerber Greg Edwards
・リリース日  1989年4月19日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  40.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1989年5月8日〜7月10日付
・タイアップ:カネボウ「89年夏のキャンペーンソング」

月並みなのですが・・・いよいよ「平成」も終わりですね。
外は雨。
テレビのニュースでもさんざん伝えてるけど、昭和の終焉、平成の幕開けとなった1989年1月7日も雨。
よく覚えてる。
当時、大学受験(1年目の)「浪人生」で、目の前に控えた受験本番直前。予備校の自習室でうんざりしながら「数学」の問題集を始めようとしたら、予備校から昭和天皇崩御のため授業は中止。すぐ帰れって放送が入ったんだよな。
それで薄暗い寒雨の中、帰宅したんだよ。 あの光景、30年経った今でも覚えてる。

そう考えると、あっという間の「平成」30年間だったな・・・と感じがするけど、細かく振り返れば、いろんな事があった30年でもあったな。 短いようで中身の濃い30年だったんだよな。

みなさんの「平成」はいかがだったでしょう。 そして来る「令和」は一体どういう時代になるんでしょうね。


・・・ということで、恐らくこれが「平成最後」の「1曲セレクト」になると思いますんで、今回は「平成元年」の曲を持って来たい・・・

・・・っちゅうことで、この曲。

浜田麻里「Return to Myself〜しない、しない、ナツ〜」

ちょっと変化球だったかな  

ココのところ、「平成」を振り返る・・みたいな番組で平成元年のヒット曲とかやってたりするど、この曲が流れる事って殆どなかったもんな。

平成元年っていったら、どうしても工藤静香とか、プリプリとか、長渕とか・・・になっちゃうんだろうな印象的に。

But、But、この曲も「平成元年」にオリコンで1位取ったんだけどねぇ、40万枚も売れたんだけどねぇ・・・、でも世間一般では、ほとんど「死角」にはいった存在になっちゃってるんだよな、今や。

個人的には、この曲、平成元年を象徴する曲の一つ・・って思ってるんだけどね。

平成元年って、年初めの1〜3月にかけては、マイナー系で重い曲が多かったんだよ。 工藤静香の「恋一夜」にしてもチェッカーズの「Room」にしてもまさにそんな感じだったじゃん。

昭和の終焉って言う機運が世間的にまで重くのしかかっていたのかなぁ。

そんな重い空気が一変したのが4月。 プリプリの「Diamonds」のあのホップなモータウンサウンドが一気にヒット曲の空気を変えたんだよな。

いつかも書いたけど、当時、2浪が決まって、もやもやした気分を引きずったまま、ラジオを聴きながら勉強してたワタシのペンが止まったもの、この曲で。
それまでの「もやもや感」が一気に吹き飛んだ・・というかね。昭和終焉のクビキが一気に取れ、本格的な「平成」の時代に突入っていう空気に変わった瞬間だっだよな。

それに引き続きいて出てきたのが、今回引っ張ってきた浜田麻里さんの「Return to Myself」。

この曲も「Diamonds」に負けず劣らずのポップビートな1曲。

この2曲で、当時のヒットチャートの空気を完全に変えたって言うイメージが強いんだよなぁ。 

それまでの重く垂れこめた冬空から、太陽がさんさんと輝く ・・・っていう情景に一気に変わったんだよ。

もちろん、この他にも、中村あゆみさんの「ともだち」、チューブの「SUMMER CITY」などなど、メジャー系かつポップなナンバーが次々とリリース。 気分は一気に夏っていう空気になったもんな。


モータウンを基調とした、メジャー、ハネ系のポップチューン。

これが平成元年の特に今頃流行った曲調だったんだよね。

まあ、バブル全盛の時代。 世間は浮かれまくっていた訳だし、そんな時代をモロ象徴していたようなサウンド・・とも言えるんじゃないかなぁ。

ただ言える事は、この曲あたりから、いわいる「ラウド」って言われるロック系な音楽もお茶の間に浸透してきた頃ですね。
この曲にしても然り、ブルーハーツの「TRAIN TRAIN」にしても然り。 

ちょっと前までは、単に「うっせえ音楽だな」・・・って思えた系統のヒトたちなんだけどさ。 

たしかに以前に比べてポップで聴きやすくはなってた、この頃は。 そこが一番大きかったんだろうけど。
それとともに確実な時代の変化って言うのもあったんだろうね。

そんな変化と平成の幕開けっていうのが、シンクロしてたのも、新たな時代の始まりの象徴だったのかなぁ。
今、改めて曲を聴くと、昭和っていう時代との空気感の違いが如実に感じるもんね。




これ、当時のライブの映像か・・と思ったら、つい7年前のライブでの「Return to Myself」のようですね。
すんげえ、パワフルなボーカル、ハイトーンボイス、30年前当時と全然変わってない。
30年も経ては、声は出なくなるわ、キーは低くなるわ、全然変わっちゃうんもんだでや、普通。
そもそも体型が全然変わってない。 
動画見てちょっと驚いちゃいましたね。 鍛えてんなぁ。


↓ こっちが30年前




ほらね、ほとんど変わってない・・・。

確かに、「ワンレン、ボディコン」っちゅういでたちはバブル全盛の30年前を彷彿させるけど・・・。



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スニーカーぶる〜す(別テイク) / 近藤真彦

1982_04_ふられてBANZAI_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「スニーカーぶる〜す」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル     スニーカーぶる〜す
・アーティスト   近藤真彦
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       戸塚修
・リリース日   1982年3月31日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 -  位
・売上げ枚数     - 万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 - 位

・・・と書いて、ちょっと待て〜〜  って普通思いますよね。 少なくとも80年代を知ってる方なら。

そもそも、まっち先生の「スニーカーぶる〜す」のリリースは「1980年12月12日」であり、↑のリリース日も違ってるじゃん。
それ以前に、なに? オリコン最高位も売り上げ枚数も 「−」になっているのは

もっと、細かい所を指摘するなら、アレンジャーが「馬飼野康二」氏ぢゃないじゃん。。。

・・・なんて、あたりがクレームが来そうな所かなぁ。。

But But 、間違ってないですから。

うん、当時の事をちょっと知ってる方なら、このタネあかしは、知ってますよね。

これは、まっち先生のデビューシングルとして、公式にリリースされたテイクとは別テイクの「スニーカーぶる〜す」のことを指している訳です。
そそそ、シングル「ふられてBANZAI」のB面に収録されているバージョンの「スニーカーぶる〜す」。

いや、正式に言えば、元々・・・というか、最初に出来あがったテイクの「スニーカーぶる〜す」は、こちらの戸塚修氏がアレンジしたテイクであり、世に出ている「スニーカーぶる〜す」は、このテイクからさらに手を加えた「後発」テイクということになる。

ちなみに、このバージョンを「スニーカーぶる〜す Part2」って言ってるヒトもいるけど、これは間違い。
「スニーカーぶる〜す」の大ヒットからの続編作って訳じゃないんだよね。

たしかにこのテイクは、歌詞も違えば、もちろんアレンジも違う。メロディはほぼ同じではあるけどメロディ進行も違うし、尺も違う。
まあ、続編⇒Part2と勘違いするしてもおかしくは無いけど・・・。

こちらのテイクの方が、尺が長い。歌詞も ♪ Buzのレコード聴いてた寒い夜明けが懐かしい〜 ♪ とか、大人っぽいし、これ生かすようなドライブがかかったアレンジは、ほとんどニューミュージックなんだよね。
少なくともアイドルのデビュー曲とは到底思えないような・・・。

ただし、音楽的にはほとんど完成された仕上がりにはなっている。 うん、まっち先生のボーカルも、「通常」の「スニーカーぶる〜す」よりも数段上手いしさ。


こんな音楽的に見てほぼ完成されたテイクを、当時のまっち先生のプロデューサーだった、小杉理宇造氏は切ったわけだ。

で、今、普通に聴かれるテイクの「スニーカーぶる〜す」に作り替えた。

今普通に聴かれる「スニーカーぶる〜す」は、当初のテイクから比べると、正直言ってダサい。 まっち先生のボーカルもシロウトっぽい。

ただ、初めのテイクに比べ、余計なフレーズが削られメロディ進行もシンプル。

当初のテイクと詞、メロディとも全く同じなのはCメロの ♪ 街角は雨 ぶるーすのようさ・・・♪ の部分のみだ。


ぢゃ、なぜ当初の音楽的に完成されたテイクを切って、「ダサい」テイクに作り替えたのか?

この辺は、ネット上で他の方も大分書かれてるけど、1981年11月号の月刊「明星」の歌本「Yong Song」の「'81 MUSIC PEOPLEインタビュー」と言う連載企画での小杉氏へのインタビューによると、

「アイドルにとって、最初からクオリティが高すぎるのは危険だから」と言ってる。

つまりさ、デビュー曲であまりにクオリティが高い所まで持って行ってしまうと、2作目以降の行き場が無くなるってことなんだよね。
駄作でいいと言う訳ではないんだけど、デビュー曲は音楽的にはある程度のところでよく、2作目以降徐々にクオリティを上げて行けばいい。

そういう考えのもと、敢えてダサいテイクに変えたって言う訳だ。



ただ、「スニーカーぶる〜す」の場合は、他にもしがらみがあった。ジャニーズ側からのとんでもなく高いハードル要請だ。

「オリコン初登場1位。 売り上げ枚数ミリオンセラー」

これが、小杉氏に求められた絶対条件だったと言う。

オリコン初登場1位。 たしかにハードルが高い条件であったものの、当時のまっち先生の人気の超沸騰度から考えれば、楽曲のクオリティどがえしでも、これはある程度は予測できたかもしれない。
その保険のために、オリコン集計期間とレコード店頭販売時期を考慮して、店着日とオリコン集計期間を最大限生かしきるために12月12日なんていう、当時の通常のリリース日ローテーションから外し、敢えて「臨発」扱いにした訳で。

しかしながら、 売り上げ枚数ミリオンセラー、 この条件は当時の「アイドル」のレコード売り上げ傾向から見ると、めっちゃ高いハードルだったわけだ。

いつかも書いたけど、1980年当時、レコードは今に比べると高価なものだったんだよね。 シングル1枚、700円。 今のCDシングルよりも安いじゃんと思われがちだけど、相対的な物価が約40年前とは違う訳で・・・。

1980年の大卒初任給の平均は11万5千円。 ここから現在の価値に変換すると、シングルレコード1枚、1250円程度となる。

しかも、当時のアイドル・・・特にまっち先生のファン層の中心は、当時の小〜中学生(つまりは我々の世代ですわな)。 小学生、中学生が、例え1250円でもシングルレコードを買うっていうのは、それ相応の「覚悟」が必要だったんだよね。

そのため、当時のレコードの購買中心層は大学生から上の世代。 

それいえに、当時、オリコンでのミリオンセラーは演歌、ニューミュージックで占められてあり、アイドルでそれまでミリオンセラーを記録していたのは、ピンク・レディーだけだ。

当時すでに伝説的なアイドルであった、山口百恵、西城秀樹、沢田研二、岩崎宏美、太田裕美・・・だれもミリオンセラーを達成していない。

つまり、アイドルでミリオンセラーを記録するのは、超至難の業。しかも、それをデビュー曲で達成させるなど、一見すると無謀なハードルだったんだよ。まさに「鬼」のジャニーズと思える条件。

ただ、ジャニーズとしては、絶対にクリアできないハードルとは思っていなかったらしい。 
・・というのも、トシちゃんのデビュー曲「哀愁でいと」の売り上げが70万枚を記録。
で、当時、まっち先生のファンレターは、トシちゃんの1.5倍はあったとのこと。 
それから考えれば、まっち先生のデビュー曲でミリオンセラーは可能であるんじゃないか。そう言う考えだったようだ。実際、70万の1.5倍って言ったら105万になるから・・・。

うむ、確かに机上の数字ではそうだ・・・。
でも、実際はそんな単純なもんじゃない。

そこで引き下がらなかったのが、小杉氏が根っからのプロデューサーだったところなんだよな。

デビューを12月にしたのも一つの作戦であったと思う。
お年玉狙いって訳ですわ。 いつものお小遣いではなく、正月、お年玉使えば700円のシングルも買いやすくなるって言う狙い。

もう一つは、楽曲を分かりやすく、より多くのヒトに刺さりやすくするっていう狙い。 これが↑で書いた最初のテイクを切ったという所につながる。

この当時、より売れる楽曲にするためには、より大衆的な音楽にするのが一番の命題だったんだよね。
「音楽的にクオリティが高い」っていうのは、2の次だったんですよ。

以前NHKで放送された、「名盤ドキュメント、井上陽水「氷の世界」」で、70年代陽水氏のプロデューサーであった多賀英典氏も、「心もよう」と「帰れない二人」、どちらをシングルのタイトル曲に切るか・・・という問題で、音楽的完成度が高い「帰りない二人」ではなく、寄り大衆的な「心もよう」をタイトルシングルに切ったと言う話をされている。

つまりは、「大衆性」というのが一番だったわけだ。

結果、それらの狙いが全て嵌まり、「スニーカーぶる〜す」は、ミリオンセラーを達成する。

奇しくも、売り上げ104.8万枚っていうのは、ジャニーズが当初考えていた、トシちやんのデビュー曲「哀愁でいと」の約1.5倍だったっていうのは、事後の結果から見ると偶然であったのか目論見通りだったのか・・・・

いずれにしろ、ジャニーズのそういうところがコワイところなんだろうし、だれも文句が言えないところなんだろうな。

逆に言えば、最初のテイクでリリースされていたら・・・・、複雑な曲進行、アイドルとしては長い曲調と言うところがネックとなり、果たしてどれだけ大衆的に刺さったのか・・というのはギモンなところだ。当然、ミリオンセラーまでは行かなかっただろう。



プロデューサー感覚。 一時流行ったコトバではあるが、今プロデューサーと呼ばれる方で、本来の意味でのプロデューサーと言える方はどのくらいいいるのだろう?
確かにセルフプロデュース的なヒトは、今や業界人に限らず一般のヒトにもたくさんいる。 プロデューサーは、1から100を生み出すヒトではある。
ただ、ビジネスにおいての真のプロデューサーはヒット作を生み出し、それによって「会社」や依頼主への利益を生み出すヒトでもあるんだよね。ココが一番難しいところなんだよ。
自分へのプロデュースは出来ても、第三者をプロデュースするってことは並大抵では出来ない。

第三者へのヒット作品を生み出すにはどうするべきなのか? 
・・と言われた時、ココまで書いたように大衆的感覚が大事な訳なんだけど、ヒット作を生み出せないプロデューサーはこの感覚が欠けてるんだと思うな。独りよがりというか・・
たしかに拘りというのは大事だけど、それがどの程度大衆的なのかというところを客観視するのも大事なんだよね。


時に、ワタシも一時、某着メロサイトでプロデューサーの真似事をしてた時期があったけど、やっぱり一番心がけてたのは、「大衆的感覚」だったな。
・・・というか、実は、今回の「スニーカーぶる〜す」の小杉氏の精神っていうのが根底にあったんだよね。

当初、業界経験者がゼロ、しかも、業界でも後発のサイトでもあったため、会員数100万人突破なんて、到底夢物語といわれた某着メロサイトが、最終的に数百万人の会員数を集められた事・・・まあ、ワタシだけの力ではなく、多くのヒトの力の結集によってなんだけど・・・・なぜ達成できたのか・・・といえば、ココを最も大事にした事に尽きる・・・と今でも思ってるなぁ。
当時、第三者からは「奇跡」とか言われてたけど、当時者としては奇跡ではなかったと思っています。





ちなみに、通常版の「スニーカーぶる〜す」は↓ コチラ
http://kajiyan-net2.blog.jp/archives/52049707.html



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ガラスのPALM TREE / 杉山清貴&オメガトライブ

1985_12_ガラスのPALM TREE_杉山清貴&オメガトライブ


今回の1曲セレクトは、「ガラスのPALM TREE」杉山清貴&オメガトライブです。

まずはデータです。

・タイトル    ガラスのPALM TREE
・アーティスト  杉山清貴&オメガトライブ
・作詞      康珍化
・作曲      林哲司
・編曲      林哲司
・リリース日   1985年11月7日
・発売元     バップ
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  20.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1985年11月25日〜12月30日付
・タイアップ:ダイドードリンコ「ジョニアンコーヒー」CM曲

ちょっと前に、FM東京系で毎週土曜日16時〜17時で放送されている「キリンビール"Good Luck Live"」で杉山清貴氏がゲストに出た。
その時のMCで「来年はオメガトライブで全国ツアーをやる」・・って言うのを聴き逃さなかったワタシ
・・とは言うものの半信半疑ではあったんだよね

BUT、先日チケットぴあのサイトを見てたら、本当に「杉山清貴&オメガトライブ」復活ライブのチケット予約が出てるじゃんか・・・。

マジで   ・・・と思いーの、思わず、2月9日(土)の中野サンプラザでのライブの先行予約しているワタシが居たりして。。。

もちろん、当選しました。   で、昨日無事チケットが届きました。

2階席だったけど・・・・とりあえずは、まあいいか。

ちなみに・・・「杉山清貴&オメガトライブ」としてのライブは、初めての参戦なんだよな。
杉山清貴氏のソロとしては、数年前にここんところ毎年行われている「ポプコン」の同窓会コンサートで見た。

この間の「キリンビール"Good Luck Live"」でのライブもそうだったけど、まだまだ現役バリバリに声が出てるし、オメガトライブを復活させればいいのに・・・と思っていたんで、個人的には手放しで喜んでたりするんだけどね。



・・・いうことで、今回の1曲セレクトは、やっぱ「杉山清貴&オメガトライブ」で行きたいっ

・・・んだけど、オメガトライブなんて、もう大体書いちゃったよな・・・と思いーの過去のライブラリーを検索したら、むむ・・まだ書いて無い曲があるぢゃないの・・・。 しかもちょうど「今頃」ヒットしてた曲が。。。

と引っ張ってきましたわ。

「ガラスのPALM TREE」

あわわ、これは完全に「死角」だったなぁ。 うーむ、昔、一度書いたような気がしてたんだが・・・。



この曲は、「杉山清貴&オメガトライブ」としては7枚目のシングルにして、ラストシングルでしたわな。

そそそ、解散することが決まった上でリリースされたシングルですわ。

正直、個人的には寝耳に水でしたね、この解散は。

言ってみればオメガトライブとして「絶頂期」での解散宣言だったから。

いや、この年1985年のオメガトライブは、絶好調だったじゃないですか。 春先にリリースされた「ふたりの夏物語」が大ヒット。「ザ・ベストテン」では1位もとったし。アルバムは夏にリリースされた「ANOTHER SUMMER」がオリコン1位を獲得。

・・・とまさにバンドとして頂点にあった時期の解散宣言だったんだよね。

だから、当時は、なぜに解散するのか・・・と言う意味が全く分からなかった。

真相が分かり始めたのは、最近ですね。 

今回引っ張ってきた「ガラスのPALM TREE」を始め、それまでのすべてのシングルを作曲した林哲司氏の著書「歌謡曲」に詳しく出てるけど、杉山氏は、かなり以前からバンドを脱退したがっていたらしい。

オメガトライブって、バンドではあるけど、すべてのシングルの作曲が林哲司氏であるように、歌詞、曲、全てが「作られた」物だったんだよね。

それ以前に「シティポップ」「夏」っていうコンセプトでガチガチに固められた上で売り出されたバンドだったんですよ。

つまりは、杉山氏が本当にやりたいと思っている事が、オメガトライブでは出来ない・・・。そこにジレンマを感じていたらしい。  
そんな折、バンドとして絶頂を極めた事で、逆にそのジレンマが爆発してしまった。

そういうことだったようだ。

そんな思いの捌け口として、予定外だった「FIRST FINALE」というアルバムを制作。 急遽、この年1985年の12月にリリース。 このアルバムでは林哲司氏以外に、オメガトライブのメンバー作曲も収録され、杉山清貴氏自身も3曲書いている。

そしてオリコン1位獲得。

杉山氏の中では、このアルバムでオメガトライブとしては全てやりきった・・・と言う思いがあったようです。

だから・・・と言う訳ではないと思うんだけど、今回引っ張ってきた「ガラスのPALM TREE」と言う曲は、テレビでもあんまり歌われていない。
それどころか、この年のファイルナルコンサートでも歌われていない。

既に杉山清貴氏の中では「ガラスのPALM TREE」は、オメガトライブとして昇華仕切った後にリリースされたシングル。 そういう位置づけだったようですね。


ただ、個人的には、この「ガラスのPALM TREE」と言う曲は好きだった。
バンドデビュー曲の「サマーサスピション」を踏襲するようなイメージだったし。

そそそ、つまりはヤマハDX7がふんだんに使われたサウンド。 オメガトライブの真骨頂はココだと思うんだよね。

たしかにオメガトライブ=シティポップス、クリスタルって言うコンセプトは大きかったと思う。 ただれそれ以上にヤマハDX7のサウンド、これが彼らを大きくしたんじゃないかと思うんだよね。

いや、80年代中盤の象徴なんだよなヤマハDX7のサウンドって。 それをふんだん使用し、操っているオメカトライブって言うバンドも時代の象徴だったんだと思う。

逆に言えば、杉山清貴&オメガトライブの解散は、一つの時代の変わり目になったんだと思う。

そう、86年以降、ヤマハDX7のサウンドって少なくなっていくだよね。 

それからしても杉山清貴&オメガトライブの影響力がいかに大きかったのか・・・って言うのは見てとれるんじゃないのかな。

いずれにしても、カラッとした空気感は、これまでの杉山清貴&オメガトライブであり、ラストシングルっぽくないのはいい。 普通、解散前のシングルって湿っぽくなりがちじゃないですか。
これが最後・・・と思わせるところも無いし、本当に、これで解散なのか 

・・・・そんな感じがしてたな、当時は。





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ハロー・レディ / 島田奈美

1987_11_ハローレディ_島田奈美

今回の1曲セレクトは、「ハロー・レディ」島田奈美です。

まずはデータです。

・タイトル     ハロー・レディ
・アーティスト   島田奈美
・作詞       松本隆
・作曲       財津和夫
・編曲       西平彰
・リリース日    1987年11月11日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  3.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 21位
・タイアップ:TBS系アニメ「レディレディ!!」挿入曲

12月です。速いもんですねぇ。今年も後1カ月弱ですわ。今年は一体何やってきたんだろ? 
・・・なーんもやんないまま、1年が過ぎたような気がするなぁ、あーあ。
なんて、ブルーな気分が仕切り。。。

さてさて、気を取り戻し・・・。

ここのところ、直球気味のセレクトが多かったような気もするんで、今回はちょっと変化球気味の1曲セレクトにしましょうかねぇ。

島田奈美さんの「ハロー・レディ」。

どうなんだろう? この曲、覚えてらっしゃる方ってどの位居るんだろ? ちょっと自信ない。
曲云々の前に、島田奈美さんを覚えてらっしゃる方がどのくらいいるんだろ? っていうのも不安だったりして。。

前年86年デビュー組の、80年代アイドルの一人だった訳だけどさ、86年デビュー組のアイドルって、アイドルとしては粒が小さいんだよな、全体として。

まあ、少年隊が86年組デビュー組ではあるけど、少年隊だけがずば抜けてて、あとはその他大勢・・・って感じだったしな。。。  
いや、それ以前に、少年隊が86年組っていうイメージも少なかったんだけどさぁ。レコードデヒューする5年も前からテレビのレギュラー持ってたし。

それに86年って言うと、どうしても、おニャン子抜きにゃ成り立ってなかったしねぇ、アイドル界も。

よく80年代アイドルについては、おニャン子以前、おニャン子以後・・・って言う言い方をするけど、それは、おニャン子以後のアイドルは、個々として粒が小さく、それぞれが霞んで見える・・・って言うイメージが強いからなんだよね。それがあたかも地盤沈下を起こしたように、ワタシ的には思えたりしてさ。 

そんな中の一人が島田奈美さん・・って訳で。 ワタシも正直、ずーっと眼中の外だったんだよね。

確かにベストテンギリギリって言うラインで「ザ・ベストテン」にも何曲かランクインした。 その点は、86年の中でも上位人気だった・・・って事なんだろうけど、それで如何せん、ベストテン入りも1週が良いところであっという間にランクから消えちゃうようなチャートアクションを繰り返してた訳で、だから、曲を覚える暇もなかったんだよな。

ま、そう言う事で良いも悪いも、全然分かんなかったっていうのが、本音のところなんだよね。

今回引っ張ってきた、「ハロー・レディ」って曲は、デビュー2年目の 87年11月にリリースとれた曲ですわ。

この曲も1週だけだけど、「ザ・ベストテン」にランクされた。それで辛うじてタイトルは覚えてたんだけどさ、全体的な曲もよく覚えてなかったんだよな、30年近くずーっと。

恐らく、何もなかったら、このままずーっと記憶の外のままだったんだろうなぁ・・と思うんだけどさ。

今年の頭、この1曲セレクトを書くのに、たまたまYOU TUBE見てたら、島田奈美さんの「Free Ballon」が出て来て、冷やかし半分見てたら、これが結構、引っかかっちゃたんだよな。。。

30年前は、ほとんど引っかからなかったのなぁ。 人間の心境の変化は何が起こるか分かんない。

まあ、確かに30年前、「Free Ballon」がリリースされた17才の頃は、全然曲の聴き方も浅かったしな・・ってのもある。

とりあえず、ルックスは可愛いけど、ウタはヘタだよな・・・ってくらいの聴き方だったしさ、だから、肝心の曲まで耳に行ってなかったのはある。

でも、ちゃんと聴くと、結構、引っかかりがあるんだよな、メロディラインが。 それで、今年に入って、超遅ればせながら、改めて掘り返りしてたり、ワタシなんですわ。

今回の「ハロー・レディ」っていう曲、作家陣として、作曲者は「Free Ballon」が林哲司氏だったのに対して、この曲は財津和夫氏・・・っていていう違いはあるものの、全体的な曲調のイメージは、大きく変わっていない。

なんていうのかなぁ、当時のアイドルでも希薄になりつつあった「清楚」っていうイメージかなぁ。

おニャン子以後のアイドルって、より「隣の席の○○さん」って言うイメージに加速がついた、つまりは、より親近感があるような存在だったじゃん。 まあ、それがスター性を失わせ粒が小さく見える最大の要因だったんだけども。 で、となりの○○さんって言うイメージは、同時に神秘性も失わせていったわけで、「清楚なお嬢様」って言うところも無くなってきてたんだよね。

この島田奈美さんも、たしかに隣の「○○さん」って言うところはあるんだけども、たた、ちょっと違ったのは、当時に清楚なお嬢さんって言うイメージも、この頃の曲にはあった。

おそらくは、最近改めて聴いて、その辺を感じちゃったんじゃないかなぁ、ワタシ。

つまりは、80年代アイドルでも、曲のイメージは、おニャン子以前・・・って感じの曲なんだよね。具体的に言えば82〜83年っていうイメージなのかなぁ。

でも、そこがプロデュースしていた松本隆氏の狙いだったのかもしれないし、だから、作曲者も、この曲のように財津和夫氏であり、林哲司氏だったのかもしれない。

具体的に言えば、松田聖子さんフォロワーっていうのを狙っていなのかもなぁ、松本隆氏は。 そんな感じも今となっては受けるな。

でも、松田聖子さんフォロワーはなれなかった・・・っていうのは歴史がモノがったっている訳で・・・。
それ以前に、この「ハローレディ」以後は徐々に尻つぼみになって行く。

以前はね、↑で書いたように、単純に、ウタが下手だったから伸びなかった・・・って言う印象があったんだけども、でも、同じ86年組で、同じくウタが下手だった、西村知美さんは、未だにゲ―ノー界に残ってたりするからねぇ。
その辺も時代のアヤというか、摩訶不思議なとこではあるんだけども。。。。

一見、島田さんの方が芯が強い・・というか我が強そうな印象はあるんだけども、実際はトローンとしてイメージの西村知美さんの方が我が強かった・・・って事なんだろうなぁ。





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深呼吸して / 渡辺満里奈

1986_10_深呼吸して_渡辺満里奈


今回の1曲セレクトは、「深呼吸して」渡辺満里奈です。

まずはデータです。

・タイトル     深呼吸して
・アーティスト   渡辺満里奈
・作詞       秋元康
・作曲       山本はるきち
・編曲       新川博
・リリース日    1986年10月8日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   17.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1986年10月20日〜11月3日付

毎度毎度のことで、ずっとここ読んでくださってる方には「耳タコ」かもしれないけど、今回はどの曲を書くか・・っていうのが、いつも悩みの種なんだよね。
以前ならは、まだまだ書いて無い曲があったからさあ、その時その時の気分でセレクトすれば良かったんだけどさ、最近は、書いて無い曲の方が少なくなってきたからなぁ、なかなかその場の気分でセレクトするのも難しくなってるのよね。 その分、毎回、悩んじゃう訳です。半ば「絞り出す」って感じで・・・。

いや、書いて無い曲は、まだあるんですよ、たしかに。 でも、流石にヒット当時、興味無くて聴いて無かった曲は書けないからなぁ・・・。

そそそ、この「ヒット当時、興味が無くて」・・ってところがネックなんだよね。

さっきもいつものごとく「さて、何書くべーかな」なんて、昔のオリコンチャートをひっくり返してて愕然。

1997年、1998年共に 今頃、10月にベストテンに入ってた曲、全然知らないワ。。。。

いや、当時「ながら」では聴いてのかもしれない・・けど、全然記憶にない。 もちろん音源も手元にないし。。。

まあ、それ以前も、以後も、オリコンにランクインしてたからとはいえ、全ての曲をパーフェクトに知っている訳ではないし、音源も持っている訳じゃないんだけども、↑の2年間は特に酷いなぁ。

確かに、この時期は、一時期、ヒット曲から離れ気味の期間ではあった。
当時のリアル仕事が忙しかったし、仕事の事で精神的な余裕が無かった時期でもあったんで。

でも、なんか10月下旬っていうのは、他の年でも、毎年のように「空白」期間・・とでも言うのかなぁ、知らない曲が多いような気がする。 

ヒット曲のレベル的にも空白期間なんでしょうかねぇ。 本来なら「秋」ということで、秋っぽい曲が多かったような気もするんだけど・・・。 そういえば、昔から10月の特に中旬〜下旬に大ヒット的な曲のリリースも少なかったような気がする。 昔的に言えば10月15、20、21日リリースの大ヒット曲。 まあ、全くない訳ではないんだけど・・

確かに業界的に強力曲リリースが相次ぐ四半期末月から外れているってのもある。 けど、その他、考えられるとしたら、この時期ってイベントも少ないからかもな。 今でこそハロウィンだってことで、盛り上がるけど、昔は、夏休みが終わったら、クリスマスまでは国民的な大きなイベントって無かった気がするしな。

特に業界全体にシステマチックな動きになった、90年代以降はそんな傾向が強くなったような気がするな。

でも、振り返ってみると、90年代以前、80年代にもそんな年があったよな。
まあ、あくまでも個人的にだけど、1986年10月。 こん時にヒットしてた曲もリアルタイムで聴いて無かった曲が多いんだよねぇ。

そもそも当時全盛だった、おニャン子関係の曲、ほとんど聴いて無かったし。 
理由としては、TBSとフジテレビの仲が悪かったってことで、「ベストテン」におニャン子関連の人たちが、全く出なくなったってのが一番大きいですわな。

おニャン子以外でも、ベストテンに出演しなくなったアーティストってかなり多かったじゃん。1986年の今頃って。
なんで、当時の耳にする機会がめっきり減ったってのもある。

この頃はおニヤン子関連の曲も、個人的には刺らなくなって来てたし、アーティスト系はアーティスト系で、ニューウェーブ系の音の曲が広がってたでしょ、そちらでも刺らなかったんだよな。

結局のところ、ヒット曲全体的に刺さらなかった曲が多かったのよ、1986年のこの時期って。

だからなんだろうけど、もう新しい曲をガツガツ追いかける必要もないじゃん・・・。そんな風にも思い始めてたんだよね。 

逆に時代を逆行して、過去のヒット曲を掘り返し始めたのが、この頃だったな。

以前も何回か書いたけど、ちょうどこの頃、東京の三多摩地区を中心にして、「ネオG.S」っていう流行りが勃発。そそそ、グループサウンズが見直しされ始めてたんですよ、60年代の、アノ、ガレージなグループサウンズ。

個人的に、この流れに乗っかった・・って感じで、G.Sを中心に掘り返し始めてたんだよなぁ、この頃。
おニャン子よりも、ニューウェーブ系の音よりも、G.Sのガレージ的な音の方が刺さったんだよな。
そんな訳でG.Sを中心に、60年〜70年代の歌謡曲、ポップスを掘り返し始めてた訳ですわ。

1986年10月、TBSが開局30年ってことで「テレビ探偵団」が始まったって影響も大きい。 この番組がきっかけで過去を掘り返すってのが、テレビ業界でも、音楽業界でも一気に広がったじゃん。 そんな流れに乗っかった・・・と言うと語弊があるけど、個人的にも自分が知らなかった過去を知りたい・・と思う時期が重なったんだよね。



おーーーっと、またまた前置きが長くなっちまった。。。

今回の1曲セレクトは、渡辺満里奈の「深呼吸して」ね。

・・・だからさ、↑に書いたことからして、この曲、リリース当時は、全くと言っていいほど聴いて無かった。

オリコン1位を獲得した曲で、ヒット当時、聴いて無い、知らない・・って曲の、もしかすると最初の曲だったかもなぁ。

いや、違う。 確か、なんかのタイミングで聴いたんだよな、この曲。

で、一度聴いて、「もういいわ」・・・って思っちゃったんだ。 

やっぱさあ、満里奈さんの「歌唱力」がねぇ・・・・  死んだオヤジが聴いたら、バカ怒りしそうな感じで・・・・ こんなウタで金取んじゃねぇ・・・とばかり。

それ以前に、なぜに「アーティスト系」を標榜としていたエピックソニーさんから、得てして歌唱力の「無い」満里奈さんがリリースするのか・・ってところも、幻滅だったしなぁ。

ニューウェーブ系の音はキライ・・・といいつつ、エピックさんは、東芝EMIさんに次いで、個人的には音楽的に信頼してたレーベルだったからさぁ。 なんか、その一角が崩壊したような感じがしたな。


こんな感じで、個人的には大分、長い間「封印」してたんだよ、この曲。

封印を解いたのは、大分時間が経ってからだなぁ。ここ10数年ですよ。
↑の影響もあって86年の「秋」の音源って殆ど持っていなかった事に気がついたんだよね。 当時感じてたもろもろの嫌悪感も時間の経過で無くなってきたしね。

で、改めて聴いてみて・・・。

うーん、やっぱ、歌唱力がねぇ・・・どうしても気になるわな・・ってところは、置いといて。。。

曲的には新鮮だったな。 

どこが新鮮だったのか・・・。 やっぱさ、他のおニャン子の曲調とは違ったところだろうね。

ハネ系、 そそそシャッフルビートのジャジーな肌触りは、それまでのおニャン子にはなかった曲調だしな。

当時のアイドル、まあ、おニャン子もそうなんだけど、決まったフォーマットような曲調だったじゃん。枠に嵌まったと言うか・・・。「後藤」印のいかにもおニャン子的・・・とでも言うか。

そう言ったフォーマット、枠に嵌まった曲調ではないな・・と感じたのが第一印象。

作曲者が、当時LOOKの山本はるきちっていう、それまでのおニャン子のブレーンには、絡んでなかった一人だし 、アレンジも新川氏博っていう作家陣の効果はありますね。

さすが、その辺りはアーティスト系のエピックソニーさん、キャニオンさんとは曲志向が違いますわな。 

うーん、でも、どうなんだろう? 逆に通常通りの8ビートで歌わせても、どーせ、歌唱力ないんだから、ここは適当にハネさせておけ・・・っていう戦略なんでしょうか。。 まあ、穿った考え方ですが…。




バックの生稲晃子さん、工藤静香さんも、どこまで本気でやってんの? って思うような学芸会的な無気力感を感じたりして・・・。

特に工藤さんは、本気でやったら満里奈さんを潰しちゃうんで・・・ってくらい、全然本気だしてねーよなぁ。

確かに、みんなに妹って言われてただけあって可愛いんだよ、渡辺満里奈さんって。
鼻から抜ける声がキュートだし、このルックスのレベルだったら、今の乃木坂46にいてもおかしくないくらいだし。
「アイドル」としては申し分ないと思う。
けど、やっぱウタはやんない方が良かったんじゃないかなぁ・・・と思ったり。。。
それか、もうちょっとボイトレをやってから歌を出すとか・・・。

まあ、86年って言う時代だったから、これでも許されたのかもしれない。もうちょっと時代が遅かったら、ウタで出てくるのは難しかっただろうし。。。
いずれにしろ、あれから32年、西村知美さんの時もいつも書いてるけど、このウタから聴く限りでは、今でも第一線で活躍されているっていのうは、もちろん本人の努力でもあるんだけども、時代のあやだよなぁ・・・と思ったりするワタシです。


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きめてやる今夜 / 沢田研二

1983_10_きめてやる今夜_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「きめてやる今夜」沢田研二です。

まずはデータでする。

・タイトル     きめてやる今夜
・アーティスト   沢田研二
・作詞        沢田研二
・作曲       井上大輔
・編曲       吉田健
・リリース日    1983年9月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数   13.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

ネット上で揶揄されますなぁ〜、ジュリー。 例のライブ「ドタキャン」騒動で。
さいたまスーパーアリーナ、当初9千人の入りと言われたところ、実際は7千人しか入らなかったので開演直前になって中止になったとか・・・。
その理由が、「客の入りが少なかったから」・・・だとか

まあ・・・・叩かれますわな。 客が少ないと言っても7千人は集まっていた訳だから・・・。

その前に、果たして、今のジュリーに「さいたまスーパーアリーナ」を満杯にするだけのアーティストパワーはあるのか? っていう意見も出ている。

さいたまスーパーアリーナは、ステージの形式によって、「アリーナ」部分の客席数は変動するんで、一概に「何人」とは言えないけど、最大で約3万7千人収容と言われている。 もっとも実際はステージ設置等で、客席数はそれよりは少なくなるけど、それでも2万弱の収容人数になると思う。

そんな会場で、9千人ですか・・少なっ! なんていわれてもしょうがないわなぁ。 

そもそも、日本のみならず、世界でも超一線級のアーティストがライブ会場として使用するスーパーアリーナを、40年近くベストテンヒットから遠ざかっている、ジュリーが使用する・・・っていうのも、たしかに驚き・・というか、半分「あきれ気分」になるけど、確かに。

ちなみに、今回客が集まらなかったのは、今回のライブツアー、 ツアータイトルが「70YEARS LIVE OLD GUYS ROCK」という、いかにもジュリー70才記念で、往年のヒット曲オンパレードの内容に思えるタイトルであるのに、実際は、「今歌いたい曲しか歌わない」と、ヒット曲はほとんどやらず、誰も知らないような曲ばかりなため評判が悪く、客が遠のいているため・・・と言う事のようだ。

「今、歌いたい曲しか歌わない」っていうジュリーの姿勢・・いいなぁ、突っ張ってるなぁ、なんて、個人的には思っちゃったりもする。だけど、こういう姿勢は、こういう「大会場」の、ましてやツアー最中に見せちゃアカンわな。
うん、小規模のコンサートホールや、ライブハウスならいざ知らず、大規模会場では、必ずしも超固定ファンばかりじゃない訳なんだから。 


ところでさ、現在のジュリー程度のアーティストパワーのヒトが、なぜスーパーアリーナのような、大規模会場でやるのか・・っていうと、通常の各地の市民会館位のキャパの会場では、いわいる「親衛隊」と呼ばれる人たち・・・そそそ、いまや良い年をした「おば様たち」なんだけど・・・に占領されてしまい、他の一般の人たちがなかなか席が取れない・・っていう苦情もあるからなんだよね。

そう言うこともあって、こういう大規模会場でもやらざるを得ないところもあったのかも。。。 
まあ、スーパーアリーナが、そう言う状況を払拭するだけの適当な会場であったのか・・と言うのは別だけど。。

でも、熱狂的な固定ファンじゃなく、そういう一般の人たちがどういう曲を聴きたいか・・・っていうと、やっぱり、往年のヒット曲な訳だからさ、 やっぱり、そう言うヒトたち向けに、例えばスーパーアリーナのような超大規模会場だけでも、ヒット曲のオンパレードにセットリストを変えるとかはやって欲しいわな。

もしよ、例えば、ジュリーが「今歌いたい曲しか歌わない」・・・とかツッパッたことを言わないで、往年のヒット曲中心のライブツアーであれば、スーパーアリーナでも充分行けたんじゃないかな。



おーっと、前置きがめちゃんこ長くなっちまった。

・・ということで、今回の1曲セレクトも当然ジュリーの曲を持って来たい・・というわけで、

「きめてやる今夜」

・・・へへん、ネット上で他の人が取り上げてるような曲は持って来ないよーだ

・・というか、他の人が取り上げてるような曲は、もう既に書いちゃったんで・・・

この曲は83年の今頃のヒットですね。

83年は、ジュリーにとっては「分岐点」となった1年ですわ。 ソロデビュー以来でも10数年、ずーっとベストテンをキープし、オリコンで初の売り上げ1000万枚突破を記録した、文字通りのスーパースターだったジュリーが、一度もベストテン入り出来なかった年。

それが1983年ですわな。 つまりは、人気の下降線があらわになった年・・とでも言いましょうかねぇ。

それは突然やってきた・・・って感じだったな。 前年82年9月にリリースした「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」なんて、「ザ・ベストテン」では最高3位まで行ってた訳だから、 まさか、次の「背中まで45分」がベストテン入りしない・・なんてことは思ってもいなかった訳だし・・・。

まあ、結局は、難解、かつ新たな試みとして「ニューウェーブ系」な曲にシフトしたことが大きかったんだろうな。

今回引っ張ってきた「きめてやる今夜」の前曲の「晴れのちBLUE BOY」なんて、当時のヒット曲レベルから考えれば、まず、ベストテン入りは難しいだろうな・・と思える曲調、リズムだったし。 

 ジャングルビートと呼ばれた、あんな殆どリズム体だけの曲がベストテン入りしてたら、日本のヒット曲レベルは飛躍的に進化してただろうな・・・とも思えるけど、実際83年当時のレベルでは、それもちょっと難しかった。

たしかに、実験的だったんだよね。82年までの何が何でもベストテン入り、一時期のジュリーの代名詞にもなっていた何が何でも「1等賞」を目指すんであれば、もっと保守的な曲でも良かったのかもしれない。

そこから一歩進みたいって言うジュリーの姿勢は、保守化が進んでいた当時のヒット曲界からみるとアッパレだったのかもしれなかったけど、ヒット曲と言うところから見ると、実際的には、それに足元をすくわれた・・というかね。

それらの83年のシングルから見ると、今回引っ張ってきた「きめてやる今夜」は、シンプルだったなぁ。
ポップだしね。 簡単に言えば「分かりやすい」1曲。ポップという傾向としては、前年の「おまえにチェックイン」の方向に近い。

そんな1曲だったからさ、この曲では「ベストテン入り復帰」も可能なんじゃないかなぁ・・・

・・とは当時感じてましたね。

でも、実際的には、売り上げ的には、「背中まで45分」、「晴れのちBLUEBOY」と2曲連続で10万枚切れを起こしたのが、この曲では10万枚オーバーと上向き傾向も見られたんだけど、ベストテン入り復帰はしなかった訳で・・・。

売り上げが回復したのは前2曲よりも「分かりやすい」ってところが大きかったんだろうね。 やっぱり、ヒット曲の世界では「分かりやすい」って言うのは、大きな要素なんだな・・っていうのは、この傾向から分かったりしてね。

それでも、一度下降傾向が進むと、それを回復させるのは並大抵のパワーでは難しいんだな。

・・・そんな事を痛感した1曲ではありましたねぇ。 ワタシ個人でもそうだったけど、もしかしたら、それを一番痛感していたのはジュリー本人だったりしてね。。

いずれにしても、この後、ベストテン入りに返り咲くこと無く、いわいるヒット曲の世界からは下降線が進んでいくことになるわけですわ。



分かりやすいとは言っても、この曲も基本はニューウェーブ系ではあるんだよね。 
だから、本来ではあれば・・いや、前回の吉川晃司の「ラ・ヴィアンローズ」で書いた内容であれば、個人的には、この曲も苦手であるはずなんだけど、でも、実際はこの曲は好きだったなぁ。

83年の10月っていうと、自分の頭の中では、かなりの割合でこの曲がヘビーローテーションだった覚えがあるしさ。だから、83年の10月っていうと、この曲から感じたカラーが浮かんでくるし・・・。

サウンド的にはニューウェーブ系だったけど、ポップで聴きやすいっていうのが、大きかったんだろうな。
その辺は、作曲が井上大輔氏っていうのも大きかったんだろうな。完全な洋楽志向ではなく、あくまで「和」のテイストを織り込んだ分かりやすいメロディと言うところがさ。



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ラ・ヴィアンローズ / 吉川晃司

1984_10_ラ・ヴィアンローズ_吉川晃司


今回の1曲セレクトは、「ラ・ヴィアンローズ」吉川晃司です。

まずはデータです。

・タイトル     ラ・ヴィアンローズ
・アーティスト   吉川晃司
・作詞       売野雅勇
・作曲       大沢誉志幸
・編曲       大村雅朗
・リリース日    1984年9月10日
・発売元      SMS
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   19.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1984年9月24日〜10月29日付

苦手なタイプ曲がある。 
まあ、ここでもこれまでもチョポチョボと書いてきてるんだけど、少なくとも80年代で最近書いてる曲は「苦手」だった部類の曲って言うのかなぁ。 うん、当時好んで聴いてた80年代の曲はあら方、既に書いちゃったからさあ。
だから、当時苦手、あるいはレビュるのが難しい曲が残っちゃってるんだよな。

・・・と初めに言い訳がましく、書いといて・・・

今回セレクトしてきた曲は

吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ」。

吉川、デビュー第3弾シングルですわな。 デビュー時の吉川は、キライじゃ無かったんだよ。ま、確かにフテブテシイ奴だな・・・なんてちょこっと鼻にはついてたけど。 でも、それと曲とは別の話でさ。

この曲の前の「サヨナラは八月のララバイ」なんてのは、好きだった。イントロの出だしのガラスの割れる音が派手だったし、何より無機的なイメージがある84年夏を象徴するような曲に感じてたし。

でも・・・、この曲は、正直言って、良く分かんなかったんだよね。 掴みどころが無いって言うのかなぁ。

ツルンとした抑揚の無いメロディラインっていうのか。 確かにそんな所は無機的な84年らしいメロディラインだったのかもしれない。

それにつけても、この曲は、掴めなかったんだよな。 作曲の大沢誉志幸氏も、非常に日本語が乗りづらいメロディと言っているのが象徴的なんだけど、まあ、それが、聴いてるこちらとしても掴みどころが無いように感じちゃったんだろうな。

まあ、肯定的に言えば洋楽的なメロディって言う事なんだろう。

いや、それが私個人としても、今一つ生理的に引っかかりきれなかったところなのかもしれない。

昨日の「人形の家」でも、洋楽のキャッチーな部分や、官能的な部分が凝縮されたのが歌謡ポップス、でも、それだけじゃ日本人には刺さりきれないわけで、日本人の「感性」をプラスしたメロディが歌謡ポップス・・・

つまりあんまりバタ臭いのではなく、バターに醤油をかけたような・・・そんな音楽が歌謡ポップス・・・って書いたんだけど。

たしかに、80年代初頭までは、その通りだったんだよね。如何に表向き「ロック」だぜ! っていうニューミュージック勢だって、結局のところメロディラインは、日本人好みの「和」の感性が入ったものだったわけで。

いや、それこそがワタシ個人としても「J-POP」の原点だったんだよね。

でもさ、80年代も中盤、事にこの84年くらいになって来ると、「醤油」をたらさずにダイレクトに「洋楽」的なメロディ、サウンドが増えてきたんだよ。

いわいるニューウェーブ系サウンドってやつですね。 硬質、かつ鋭角的無機質なサウンド。余計なリフや音は、極力排除されている。 それいえ、すっきりとした都会的なサウンド。 いわば当時の先鋭的な楽曲ですね。

BUT、いつもここでは書いてるように個人的には、ダサい、もっと土臭いサウンドと、ごちゃっと音で埋め尽くされているような曲が好みだったもんでさ。 そそそ。メロディとメロディに音の隙間があると許せない・・って感じで。

だから、同じ84年でも、大瀧詠一氏の「Each Time」のような、ウォール・オブ・サウンドの方が何倍も安心するし、メロディとメロディの合間を面白い音で埋めると提唱した筒美サウンドの方が、この当時でもしっくり来てたんだよな。

あ、この志向は、今でも基本は変わらない。まあ、当時よりはやっと慣れてきたって言うかねぇ、当時よりも音数が少ない曲が多いからさ今は、強制的にでも慣らされたって感じですわな。

いずれにしろ、だから、この84年当時は、この手のスッキリとした掴みどころのないサウンドには、引っかかりきれなかった訳なんだよね。

まあ、前曲の「サヨナラは八月のララバイ」も、サウンド的にはこの曲と大きな違いがあった訳じゃないんだけど、イントロの出足のガラスの割れる音と、サビの前のコード進行には引っかかったからなぁ。
そんな部分があったのか無かったのかだけの違いっちゃ、そうなんだけど。。。






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気絶するほど悩ましい / 沖田浩之

  1982_10_気絶するほど悩ましい_沖田浩之


今回の1曲セレクトは、「気絶するほど悩ましい」沖田浩之です。

まずはデータでする。

・タイトル     気絶するほど悩ましい
・アーティスト   沖田浩之
・作詞       阿久悠
・作曲       梅垣達志
・編曲       鷺巣詩郎
・リリース日    1982年9月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 37位
・売上げ枚数  2.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 29位

カバー曲。 昔も今も変わらずある「形態」の曲だわね。
日本よりも海外の方が、その数も頻度も多いのかなぁ・・・。まあ、海外の場合は、オリジナルリリースの自国ばかりでなく他の国でのカバーも頻繁に行われているしね。もしかしたら、流通している楽曲をまとめると、オリジナル曲よりもカバー曲の方が圧倒的に多いかもしれない。

それに比べると、日本ではカバーっていうのは、そこまで頻度は高くないのかなぁ・・とは思える。まあ、昔に比べると最近はカバーっていうのも多くなってきたけどね。

でも、海外と日本のカバーの最大の違いと言ったら、カバー曲のクオリティだよなぁ。オリジナルを超えるようなカバーって少ないんだよね うん、これは今に至るまで。

向こうのカバーって、オリジナルを超えるようなクオリティのやつなんか、いっぱいあるじゃん。

どうしてなんだろうなぁ、やっぱり文化と歴史の違いなんですかねぇ。 

先人をたてる・・ってところがあるじゃないですか。先人をリスペクトするようなところ。日本人はさ。 そんな文化が、オリジナルを超えるのを躊躇させているのかなぁ。

まあ、カバーする側のアーティストが、テクニック的にオリジナルを越えられるような技量を持っていないって言うこともあるけどさ。

いや、その場合が、意外と多いんぢゃないかなぁ。

以前も書いたように80年代初頭、81〜82年にかけてカバーブームってあったんだよね。 大半が当時、デビューしたてのアイドルが、70年代のアイドルポップスをカバーする・・・ってパターンが多かったんだけどさ。

 でもまあ、その大半が、お世辞にもオリジナルを超えるようなクオリティとは言えなかったんだよね。 そもそも歌唱力から言って、70年代アイドルと80年代アイドルでは差があったしさ。 

ま、今思えば・・の話だけど。

そう言えば、今回の「気絶するほど悩ましい」もそうだけど、82年ごろのカバーブームは、CBSソニーが多かったよな。しかも酒井政利氏チームが。こん時のカバーブームは酒井氏主導だったんでしょうかねぇ・・・。

蛇足だけど、この間の石川秀美の「ゆれて湘南」でもちらっと触れたけど、このカバーブームが、「80年代」ならではのカラーを遅らせたと思うんだよね。 70年代の曲をカバーするってことは、まだ70年代を引きずっていたって事でもあった訳だからさ。

それでも、「お、これは!」なんて、引っかかったカバー曲もあったんだよね。 今回はそんな曲をセレクト。

沖田浩之「気絶するほど悩ましい」。

「気絶するほど悩ましい」っていったら、どうしてもオリジナルのCharのイメージが強いわな。
・・というか、この曲、沖田浩之がカバーしてたの? って思われる方の方が圧倒的に多いと思う。

それだけ印象に薄いとは思う。 まあ、オリコンでも最高位30位にも行かなかったしな。今となっては知らないヒトが多いのもしょうがないとは思う。

But But、個人的に「気絶するほど悩ましい」と言ったら、こっちの沖田浩之バージョンなんだよねぇ。

簡単に言えば、こちらの方を最初に聴いたんで、こちらの方が耳馴染みだったって言うこともある。 
うん、オリジナルのCharバージョンの方が後付なんですよ、ワタシは。

ただ、仮にCharバージョンの方を最初に聴いてて、こちらを後付けだったらどうだったか・・・というと、もしかすると、沖田氏のバージョンも良かったと思ったかもしれない。

うん、正直言うと、同じ曲なんだけども、全く別物って言う感じなんだよね。

オリジナルのCharバージョンは、若干R&Bがかったソウルっぽいサウンドだったじゃん。 それにCharのギターがフィーチャーされてる。 個人的にはやや薄味な味付けにも感じる。 

対して、沖田バージョンはブラス&キーボードが全面的に出ており、濃い味づけ。 それよりも個人的に感じたのは、そのドラマティックな展開なんだよな。よりエンテターテイメント性が強いって言うかさ。
特にブラスの使い方が独特なんだよね。

この曲、根のキーはマイナーだけど、サビで一度、メジャー系に転調するじゃん。 その流れがドラマティックなんだよな。 それまで薄暗い雨の中を進んでいたような展開なのに、転調するところで、いきなり太陽の光がさして来る。 ・・と思ったらサビ終わりでマイナーにも戻るところで、また薄暗い雨交じりの天気になる。。。

そんな昨今の天候変化にも似たような目まぐるしい展開が一層、この曲をドラマティックなものにしている。

オリジナルのCharバージョンは、そこまでドラマティックな展開じゃなく、サラッと流したような展開、その差が、それぞれのバージョンで、別物の曲のように感じさせられちゃうんだよな。

ちなみに、沖田バージョンのアレンジは鷺巣詩郎氏。 当時の鷺巣氏のアレンジとして松本伊代さんの「TVの国からキラキラ」でも感じてたけど、この当時の鷺巣氏のブラスの使い方は独特なんだよね。それまでの歌謡ポップスのブラスには無かったようなフレーズが出てくる。特に「TVの国からキラキラ」のサビ前のフレーズにはビックリしたよな。 ここまでスピード感がある音の重なりなんてそれまでは無かったからさ。

この「気絶するほど悩ましい 」では、「TVの国からキラキラ」のようなスピード感はないんだけど、やっぱりサビの裏から入るブラスのフレーズが斬新、かつ引っかかりがあるんだよなぁ。

この当時、特にブラスの耳に行くようになったのは、丁度この頃、ブラスを始めたってのもあるだろうけどさ。とにかく、この2曲のブラスは印象に深いんだよね。



「夜ヒット」だけど・・・・うーん、今一つレコードで聴くより弱い。
レコード音源はもっと、ドラマティックなんだけどなぁ。。。。

ちなみに、この曲のオリジナルのCharバージョンは、かなり昔に既に書いてます。

http://kajiyan-net2.blog.jp/archives/52046491.html

うーむ、この時も半分は、今回の沖田浩之バージョンについて言及して、今回と同じような事書いてたな。。。。
よっぽと、この沖田バージョンが印象に深いんだろうね。。。


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