かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1980年代ヒット曲

もしかしてI love you / シャネルズ+1

1982_09_もしかしてI love you_シャネルズ


今回の1曲セレクトは「もしかしてI love you」シャネルズ+1です。

まずはデータでする。

・タイトル    もしかしてI love you
・アーティスト  シャネルズ+1
・作詞      田代マサシ
・作曲      村松邦男
・編曲      シャネルズ 村松邦男
・リリース日   1982年8月25日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 28位
・売上げ枚数  6.1万枚
・THE HITCHARTHOT30最高位 22位(1982年9月27日付)

 えー本日は氣志團万博に参戦予定。それなのに1曲セレクトなんて書いてて良いのでしょうか・・・って感じなんですが、いいんです。氣志團万博は午後からの参戦予定なんで。。。 この辺が「地元」開催フェスのいいところかなぁ。時間的に「余裕」こけるってところが。。
 問題は、この台風だよなぁ。これ書いてるのが午前9時半過ぎ。既に雨模様の千葉なんですが・・・。これ以上悪化しないでほしいねぇ。なんせ「雨・風」に弱い内房線なんで。。。

氣志團万博と言えば、千葉・袖ヶ浦。 ワタシが福島のいわきから千葉に越してきてから今年で35年ですわ。
その間、袖ヶ浦周辺も大分変わったよなぁ。 大体ねぇ35年前はマジで「田舎」だったもの。なーんにもなくて。。。
東京の近くに引っ越すということで、少しは都会な場所に越すもの・・と思いきや、「自分の田舎より田舎」って感じでさあ、戸惑ったもんよ、最初は。
 なーんにもない田舎なのに、一歩海岸線に踏み入れると一連の石油化学コンビナートでさあ。 田圃とコンビナートの異様なコントラストにも戸惑ったけどな。

ただ、一番良かったのはラジオが聴けるようになった事。 いわきに居た頃はラジオの入りが悪かったからなぁ。
夜・電波状態が多少良くなる時間に、ノイズ混じりで入ってくるTBS、文化放送、ニッポン放送っていう東京のAM放送だけが頼りだったんだよね。

だからね、千葉に来て最初に夢中になったのはラジオだったな。 まあ、友達もいなかったしね初めは。
中学1年だったけど、ちょうど夏休みだった事もあり、他にやることも無かったからなぁ。 兎に角1日中ラジオ聴いてたな。 土曜の14時からだけはニッポン放送の「オリコンヒット速報」、それ以外は大抵文化放送聴いてましたねぇ。

今回の1曲セレクトは、そんな当時、ラジオでよく聴いてた1曲をひとつ。

シャネルズ+1 「もしかしてI love you」

いやいや、この曲はマジで、当時ラジオでよく聴いてた。 
シャネルズとは、あのシャネルズですよ、「ランナウェイ」とか「街角トワイライト」とかの。 気になるのは「+1」ってところだけど、これはボーカルの鈴木マーチン氏の姉貴、鈴木聖美さんのことですね。

たしか当時は、まだプロとして本格デビュー前の事で、「アマチュア」としての参加だったんですよね。なのであからさまに名前を出す訳にも行かず、「+1」って扱いになってんだよね。

ただ、この曲がリリースされた頃の月刊明星には、既に顔だしもしてたし。そう、鈴木聖美さんがプロにならずアマチュアのままだったのは、この曲をリリースした当時、子育て真っ最中でプロとして活動が難しいと言う事からだった気がする。
 ちなみに、この曲から丁度5年後に未だにカラオケで有名な「ロンリーチャップリン」がリリースされ、本格的にプロ活動をして行くことになる鈴木聖美さんだけども、そん時の理由も「子育てが一段落したんで・・・」ってことだったんだよね。

 兎も角は、アマチュアなのにアマチュアらしからぬボーカル力には、舌を巻いたけどさ、この「もしかしてI love you」の時も。

曲も聴きやすかったんだよね、この曲。 湯川れい子−井上大輔コンビによる、一連の「大ヒット」当時の曲に比べると、自分たちで曲を作るようになって大分、肩の力が抜けた曲調になってきてたしさ。
 シャネルズといえば、50年代を彷彿させるドゥアップ・・・って言うイメージが強かったわけじゃん。大ヒット曲を連発してた頃は。

でも、この「もしかしてI love you」なんてのは 、そんなドゥアップに固執したような泥臭さは抜け、ポップだったしさ。

ま、確かに最初は戸惑ったんだけどさ。やっぱりどうしても「シャネルズ=ドゥアップ」っていう耳になっちゃってたわけじゃん当時は。そこに来てポップなデュエット曲だったわけだからさ。
でも、それでも当時はラジオで大分聴いたからなぁ。 だんだん、これはこれでアリかな・・・なんて思えるようになったりしてさ。

これがさ、やっぱり自分たちで曲を作るようになった、この曲より前の「憧れのスレンダーガール」とか「サマ・ホリデー」は、ちょっと違う印象なんですよ。 
・・・というのも、まだ、これらの曲の頃は千葉に越して来る前で、ラジオであんまり聴いてなかったから・・・。
耳馴染んでないんだよな。

そう考えると、この頃のラジオの存在って、ワタシにとっては大きかったんだよなぁ。あとあと「ヒット曲」の道にどっぷり足を踏み入れて行くことを考えるとさ。

うん、この頃ラジオ聴いてなかったら、絶対に知らなかったよな・・・って言う曲が、この頃の曲にはたくさんあるんですよ。

GANGYの「スローダンサー」にしても、クリキンの「セシル」にしても、山下久美子の「マラソン恋女」にしても、沖田浩之の「気絶するほど悩ましい」にしても・・・。 みんなラジオを聴いてからこそ知った曲々なんだよねぇ。
「ベストテン」って枠にとらわれず、もっと幅広くヒット曲を知るようになれた一番のツールだったんだよね、ラジオは。


動画・・・・この曲テレビではほとんど歌っていない筈なんでないだろうな・・・って思ったら、「音」だけ落ちてた
・・・んで、リンク。

https://www.youtube.com/watch?v=E2qh6A_ytDo&list=PLODx9ykwmhxTyHW3W2xy10N7nw0a_wngF

そーそー、この曲さあ、ボーカルのマーチン氏と、鈴木聖美女史で、Aメロのそれぞれのカラミの部分で所々歌詞が違うんだよね。

例えば
 ♪ 聖美 「あの娘は?」
   マーチン 「別れた」
   聖美 「ホント?」
   マーチン+聖美 「本当さ」(マーチン) 
「うそでしょDarlin'」(聖美)  

の最後の「マーチン+聖美」のところ、同じフレーズで同時ユニゾンとしてに違う歌詞で入ってくるんで、実際聴いてると、歌詞がズレてるように聴こえたりしてね。

最初、あれ? これ、どっちかが歌詞間違ってるよ・・・っなんて思ったんだけど、これが正しいんだよね。

まあ、男と女での感じ方の違いを歌詞にするとこうなる・・・って事を表現するとこういうすれ違いになるって事を言いたいんだと思うし、それがこの曲の面白さであり、キモなんだろうな。

たださ、歌詞の仕掛けとしては面白かったし鈴木聖美氏の参加で話題になったこの曲だけど、大ヒットまでには至りませんでしたねぇ。オリコン28位とベスト20にも入らなかったからなぁ。

まあ、もともとアルバム曲からのカットっていうシングルとしては臨発だった事もあるかもしれない。

でもいずれにしても、この曲の後、シャネルズとして半年間の活動休止と、「ラッツ&スター」へのアーティスト名変更となって行く訳なんですけど。。。



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琥珀色の日々 / 菅原進

1981_09_琥珀色の日々_菅原進


今回の1曲セレクトは、「琥珀色の日々」菅原進です。

まずはデータです。

・タイトル     琥珀色の日々
・アーティスト   菅原進
・作詞       菅原進
・作曲       菅原進
・編曲       菅原進
・リリース日    1981年6月5日
・発売元      アルファ
・オリコン最高位 23位
・売上げ枚数  12.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 23位
・タイアップ:サントリー「トリス」CM曲

やおら、本当はね昨日書くはずだったの、今回持ってきた曲。
・・・・というのもね、頭で「サンデー・シンドローム」って書こうと思ってたんで。。。

さすがに明けて月曜日に「サンデー・シンドローム」ってのもなあ・・・と思いつつ、来週は月曜日休みなんで、「サンデー・シンドローム」にゃならねーよな・・・ってことで、持ってきちゃいました。

しかしねぇ、昨日はホントにサンデー・シンドロームだったんだよなぁ、夕方。
いわいる「日曜日の憂鬱」ってやつですね。 

あー、明日からまた仕事かぁ ・・・って思うと、憂鬱になるってやつ。

よくさ、日曜日の夕方、「サザエさん」のエンディングとかさ、昔だったら、日曜日20時前の日テレの日立のCM・・・そそそ、♪この木なんの木キニなる木〜♪ って「日立の樹」が流れるとサンデー・シンドロームにかかるってヒト、良くいたけどさ。

ワタシも件通り、昔は、上の2つがかかるとサンデー・シンドロームにかかったもんよ。

今は、「あー、明日からまた仕事かぁ〜」 、昔は、「あー、明日からまた学校かぁ〜」っていうユウウツね。

でもね、ワタシの場合、これを聴くとサンデー・シンドロームになる・・・って曲がもう一つあったんだよなぁ。

今回はその曲をセレクト。

菅原進「琥珀色の日々」

この曲、覚えてる方いるかなぁ。 1981年の今頃ですよ、サントリー「トリス」のCMで流れてたの。
子犬が1匹、京都の街の中を歩き回るCM、覚えてないかなぁ。

↓ コレ


このCMのバックで流れてる曲が、「琥珀色の日々」ですね。

切なくなるのよ、この曲聴くと。

CM全体が夕方っぽい背景。その中に子犬が一匹。 そしてこの曲。 おもわず「シンミリ」しちゃうんだよね。

でもさ、なんで、この曲を聴くと、サンデー・シンドロームになるか・・・っちゅうと、ま、上で書いたようにこのCMがもつ「シンミリ」切なくなるところが、明日からの学校生活のユウウツさを連想させる・・って言うのもあるんだけど、このCM、よく日テレの「笑点」の枠のCMで流れてたんだよなぁ。

まさに「サンデーシンドローム」よ。

あの頃の記憶は未だに抜けないんだよねぇ。

ちなみに、CMでは、インストと、♪ダティダドゥダードゥダー♪っていうスキャットの部分しか流れてませんが、実際のレコード盤では、ちゃんと歌詞も付いてるんですよね。



フォーク調ニューミュージック。もう今や絶滅な曲調ですよね。
個人的には、この手の曲調で育ってきた部分もあるんで、やっぱり落ち着くんだよね、この手の曲調を聴くと。

ところで、菅原進氏は、ご存じ兄弟デュオユニット、ビリー・バンバンの「弟」の方ですね。 ベース担当の「兄」、菅原孝氏に対して、ギター担当が菅原進氏。 ・・・っていうのは、ここ読んでくださってる方ら取っては常識です・・・よね

ビリーバンバンとしては、最近では「いいちこ」のCMで健在だけどさ、心に染みるメロディラインは、昔も今も変わらないですよね。
でね、ビリーバンバンとしても当然ヒット曲、ありますが、あの「白いブランコ」にしても、その後の「さよならをするために」にしても、ヒット時期が大体「夏」なんだよねぇ。

フォーキーな曲調からして、秋っぽいイメージが強いわけでさ。特に「さよならをするために」なんて「真冬」ってイメージじゃん。ま、実際リリースは「真冬」だったりするんだけど・・・。

でも、ヒットのピークっていつも「夏」なんですよ。個人的にはこれが不思議でねぇ。

今回セレクトしてきた、「琥珀色の日々」も件にもれず、1981年「夏」のヒットになりましたねぇ。
まあ、この曲の場合はリリースが「初夏」でしたからね。

ただ、それにしても曲調は、どう聴いても「秋」だよなぁ。。。 重いしさあ、どことなく濡れた曲調だし。。

うん、この1981年って年は夏以降、秋に向かって「秋」って言う色合いの曲が多かったんだよね。

大体において松田聖子の「風立ちぬ」からして、もろ「秋色」だった訳だし。 その他、フォークでは、伊藤敏博の「サヨナラ模様」とかチャゲアスの「男と女」とかさあ。

そんな秋の色合いが多かった頃、 そんな曲の1曲だったかもしれないなぁ、この曲は。

だからね、本来はこの時期、チャート的には下降線に向かってた頃なんだけど、逆に、今の時期の方が、よりしっくり来るんだよね、この曲。



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リトル・プリンセス / 岡田有希子

1984_07_リトル・プリンセス_岡田有希子


今回の1曲セレクトは、「リトル・プリンセス」岡田有希子です。

まずはデータなのだ〜。

・タイトル    リトル・プリンセス
・アーティスト  岡田有希子
・作詞       竹内まりや
・作曲      竹内まりや
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1984年7月18日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  9.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 19位

 ここんところ、ほとんど書いてなかった1曲セレクトなんで、↑のデータ項目の並びを忘れてしまってたワタシがいた ・・・なんてことはどーでもいい事でして。。。。
この間久しぶりに書いた、しまざき由理さんの「面影」はちょこっと「引き」が弱かったな。 まあ、ヒット当時50万枚の大ヒットと言っても今となっては知ってる人しか知らない・・・って感じの曲だから、しょうがないと言えばしょうがないか・・・

・・・・と言う事で、今回は「引き」が強いであろう・・・と思われる曲を引っ張って来ましたぞ。

岡田有希子さんの「リトル・プリンセス」。

過去の「今の時期」のヒット曲をセレクトする・・・って言うコンセプトで書いてる1曲セレクトだけど、そのコンセプトからすると、この曲はちょこっと時期がずれてるんじゃね?

・・・・なんて指摘してくる人もいるかなぁ・・。 当時、オリコンでランキングをチェックしてたチャート小僧で、「細かい」所をついてくるような方はさ。

まあ、正確に言えば、84年7月リリースだったこの曲から、84年9月当時はオリコン的には既にランクも下降線に入ってた時期ではあるんだよね。だから厳密に言えば「ヒット」の時期から過ぎて来てた頃と言ってもいいかもしれない。

ただね、細かく・・・といっても「自分のチャート」だけど・・・を基準してみると、最高位を記録したのは、実は今頃だったんだよな。

つまりね、オリコンでは既にヒットの下降線に入っていたこの時期、他のチャート要素で総合的にはランクを上げていたんだよね。それが84年の今頃。

ただねぇ、どの要素でランクを上げていたのか・・・当時の各要素順位を記録した「紙」を廃棄してしまった今となってははっきりしないんだけどねぇ・・・・。まあ、当時アイドル系は概して有線が弱かったことは明白なんで、ラジオチャートが跳ね上がったのがこの時期だったんだと思うけど・・・。

レコード売り上げのチャートから遅れて、他のランク(この場合ラジオチャートね)が上がってくる・・・っていうチャート要素によってチャートの動きに「時間差」があった事・・・・実は、これが実際的な岡田有希子さんの人気バロメーターが当時、上がって来ていた事の表れだったんじゃないかなぁ。

 今も傾向は変わらないけど、レコード売り上げっていうのは、特にアイドルの場合、初動の動きが早いんですよ。っというのも、レコードの場合、初動は「固定ファン」が買うモノって相場が決まってるから。 ちょっと「浮動票」側に居るヒトは、初めレコード買うのは見送りますよね。
 他のメディア・・・例えば当時で言えば、ラジオだとかテレビで曲を聴いて、気に入ればレコードを買うっていう流れがあったんだよね。 つまりさ人気が上昇中のヒトの中には、ラジオチャートはレコード売り上げよりも動きが遅いこともあった。
岡田有希子さんの場合は、そのパターンだったんだよね。 その証拠に累積売り上げで10万枚に届かなかったこの曲だけど、次の「恋はじめまして」では、それまでの3枚のシングルで最高の売り上げを記録している。
つまりは、人気が右肩上がりだった訳ですわ、この時期。

 この時期、8月の「日本テレビ音楽祭」を皮切りに「賞レース」が始まっていたからさ、新人賞争いってことでテレビで歌う機会も増えてたっていうのも、「浮動票」をとりこんで人気バロメーターを上げるには大きかったかもしれないな。
ま、とは言ってもレコード売り上げが10万枚そこそこで止まっていたのは、ちょこっと解せなかったけどさ。


当時、岡田有希子さんの「対抗軸」として、菊池桃子さんがいた訳じゃない 
桃子さんが、この曲とほぼ同時期にリリースした、デビュー第2弾の「SUMMER EYES」がオリコンでベストテン入りしたのに対して、この曲は最高14位だったわけでさ。

この差はなんだろ? なんて思ってたなぁ。 

ビジュアル的からして「アイドルらしさ」って言うところで言えば、菊池桃子さんよりも岡田有希子さんだったからさあ。 正直言って解せなかった部分もあったなぁ。

でもよくよく考えてみれば、「下世話性」だったんじゃないかなぁ・・・。 あ、ちょっと分かりにくい表現か。。。
「シロート性」って言った方がいいのかなぁ。

時代は動いてきていたんだよね。 それまでの既存のアイドルらしさから、もっとシロート性の強い下世話なアイドルへ・・・っていう時代の動き。

それが、まだ捉え切れてなかったんだよな、当時のワタシは。 

80年代アイドルの、まさに時代の転換期だったんだよな、この時期が。

その時代転換期って言う動きが、急加速して表面化するのが次の85年なんだけどね。

そう言う点から言えば、岡田有希子って言うヒトは、今からして思えばちょっと遅れて出てきたアイドルだったんだよね。 うん、「正当派」な80年代アイドルとしてね。
この84年の前年の83年は「ニュー」アイドルの不作の年だった。 例えばさ83年にこのヒトが出て来ていたら、アイドル勢力は少し変わってたかも・・・なんて今となっては思ったりするな。
 
実際、このヒトのレコード売り上げの低さからみて、そう思えるんだよなぁ。 うん、このヒトの「正当派」としての80年代アイドルの「アイドル性」からみてさ、もっとレコード売れてしかるべきだと思ったもの。



これPVなんだけどさ、いつも思うんだけど当時のアイドル系のPVってどこで流してたんだろう? なんて思ったりさ。
当時、テレビ神奈川のミュートマ(ミュージック・トマト)など、PVを流すテレビ番組も出て来ては居たけど、アイドル系は流さなかったと思うし・・・。レコード店の店頭用だったのかなぁ。 
かすかな記憶だけど、新星堂の店頭のモニターではこの手のアイドル系もビデオも流れてたような気がするしな・・・。


ところで、↑でいろいろ書いちゃったけど、PV見ながら、改めてこの曲を聴くとさ、「プリンセス」っていうコンセプトは、岡田さんに良く合ってたと思う。

・・・けど、84年当時からしてみてもちょっとアナクロだったかなぁ・・・と。 

以前、何回も書いたけど、70年代アイドルは「ウンコしない」、「霞を食って生きてる」・・・などなどまさに「偶像」扱いだったけど、80年代はそこまで極端じゃなかったわけじゃん。 でも、この曲を聴いてるとコンセプト的に70年代アイドルに戻っちゃったんじゃないかなぁ・・・なんて感じたな。

 それは、曲的にもそうで、竹内まりやさん的には、コニー・フランシスとかドリス・デイとか、60年代オールディーズのアメリカンポップスアイドルを意識してたんだろうな・・・とは思うモノの、実際的には70年代アイドル的な曲になっているのがインパクトに出て来ているかなぁ。

この辺のギャップは、次の「恋はじめまして」で、よりオールディーズっぽくなったことで解消されましたけどね。。

まあ、この辺は、この曲のアレンジャーだった大村氏と、「恋はじめまして」のアレンジャーだった萩田光雄氏の解釈の違いだったんだろうな。


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俺たちのロカビリーナイト / チェッカーズ

1985_08_俺たちのロカビリーナイト_チェッカーズ



今回の1曲セレクトは、「俺たちのロカビリーナイト」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル     俺たちのロカビリーナイト
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       売野雅勇
・作曲       芹澤廣明
・編曲       芹澤廣明
・リリース日   1985年7月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  44.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1985年7月15日〜9月16日付

果たしていつ以来の1曲セレクトだろうか・・・なんて、この前書いたのが忘れてしまった位、間が空いてしまいましたわ。。暫くは「土日」に書いてたけど、その間隔も崩れちゃっいましたねぇ。。。
うーむ。書く曲が無くなってしまった訳ではないんだけど、7月は「生業」が繁忙期ということもありーの、それが終わった・・・と思ったら、持病の「痛風発作」が再発。。。。
 今度は「膝」に来ちゃいましてねぇ。。。 これが辛いんですわ。膝関節に激痛が走り、パンパンに腫れちゃったんで膝は曲がらないし。。。。 まあ、こりゃアカン・・・っつうことで、いざという時にしか飲まないように隠しておいた、最後の切り札「ボルタレン」が効いたのか、今日になって、腫れはまだあるものの、ようやっと痛みが引いてきた。

・・・・つうことで久々に筆を進ませてたりしまする。。。

ところで、今日は8月12日。 ニュースでも頻繁に流れているけど8月12日というと、「日航機墜落事故」の日なんだよな。
まあ、これについては、以前にも85年8月12日、あの日はこうだった、ああだったって書いてるんだけども、個人的にはどうしても1985年のあの日を思い出してしまう。

なので、今回の1曲セレクトも1985年8月12日にヒットしていた曲を持って来たい・・・・と真っ先に思い浮かんだ訳なんだけども。

でもねぇ、流石に85年の今頃のヒットって大分書いちゃったんだよな・・・。 

さてどうするベか・・・とおもってたら、まだ書いて無い曲があった。

チェッカーズ「俺たちのロカビリーナイト」

コレは不覚だったなあ。 こんな大ヒット曲をまだ書いたなかったんだ。。。。。

いい機会だから、今回はこの曲に決定!


だけど、今までチェッカーズの曲は随分書いてきたのに、なんでこの曲はずっと書いてこかなかったんだろう

うーん、タイミングのずれだったのかなぁ。 ヒット当時も決してこの曲がキライだった訳じゃない。


ただ、チェッカーズのリーダーの武内氏もコメントしているように「印象に薄い」曲だったっていえば、確かにそうだったかもなぁ。

84年に「涙のリクエスト」で大ブレイクしてから1年半。 この曲の半年前の「ジュリアで傷心」でブームの頂点を迎えたチェッカーズだけども、その後は・・と言えば、徐々にではあるけど一時のブームも「沈静化」に向かっていたんだよね。ちょうど、そんな頃のヒットだったわけだ、この曲は。

その証拠に、「涙のリクエスト」以来、「大ヒット」の目安である50万枚を切った事が無かったチェッカーズだけど、この曲ではオリコンで1位は取ったものの、50万枚割れ。

そんなチャートアクションに、個人的にも「あー、落ちてきたなぁ」って言う印象が強かったな。 丁度さ、安全地帯の人気が最高潮の頃だったからさ。余計時代の流れを感じちゃったりしてね。

まあ、元々バンド系の人気は「水もの」であり、「絶頂期」は1年、長くて2年っていうのが、それまでの「ルーティーン」だったからねぇ、さしものチェッカーズもそんな時代の流れには逆らえないよな・・・っていう思いもあったな。

ただね、個人的に言うと、この頃のチェッカーズ曲って意外と好きなんだよな。やっぱさあ「涙のリクエスト」とか前年の「チェッカーズブーム」の頃の曲に比べると、なんとなしに手垢が少ないからかなぁ。。

曲調はモロ50年代だよね。それまでもオールディーズっぽいところを前面に出していたチェッカーズだけど、この曲あたりから「50's」って言う部分をより強調してきたように思えるんだよな。

まあ、音自体ダークなんだけども。 うん暗いよね。 まあ、フミヤも以前からカミングアウトしているように、この頃はチェッカーズ自体精神的に追い込まれていた頃で、ゲ―ノー界に対して「反感」を抱いていた頃なんだよな。

それがストレートに「音」にも出ていたような気がする。 この曲にしても、次の「神様ヘルプ!」にしても。

音がさあ、粗いんだよな、この頃のチェッカーズって。 まあ、その辺が当時の個人的の気分とシンクロしてたのかもしれない。

うん、今思うと、当時、どこかいつもモヤモヤしてたんだよな精神的に。 個人的には16才になるかならないかの頃で、まあ大人への階段を上り出していた頃なんだろう。なんて勝ってに書いたりして・・・。 でも、そうだったんだよな。いつもモヤモヤ、気分がすっきりしない日が続いていた・・・ような気がする、この曲の当時は。

少なくとも、前年・・、まだ中学3年生だった頃・・・の夏休みの「純」な気分ではなかったんだよな、この年の夏休みは。

そんな当時の気分と、この粗くダークな「音」とシンクロしたんだろうな、きっと。

たださ、当時のチェッカーズのメンバーの心情を、いま考えれば同情も出来たりね。 
もともと「アイドル」として出てきた訳じゃないわけじゃん。ヤマハのライトミュージックコンテストから出てきたヒトたちだったけだからさ。

それがアイドルバンドとして「頂点」を極めてしまったばっかりに、本来自分たちがやりたかった音楽が出来ない。 それが2年近く続いた訳なんだから精神的ストレスも溜まるよな。

・・・なんてことは、あれから32年経ちーの、個人的にも色々と人生経験を積んできたからこそ理解出来る事なんだけどさ。






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さよならの果実たち / 荻野目洋子

    1987_07_さよならの果実たち_荻野目洋子


今回の1曲セレクトは、「さよならの果実たち」荻野目洋子です。

まずはデータです。

・タイトル     さよならの果実たち
・アーティスト   荻野目洋子
・作詞       売野雅勇
・作曲       筒美京平
・編曲       武部聡志
・リリース日        1987年6月21日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   16.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1987年6月29日〜7月27日付

3月にリリースされた「ニッポンの編曲家」の続編とも言える「作編曲家 大村雅朗の軌跡」を読んでるのね。
まあ、いわいる「業界本」ともいえるアレンジャーにスポットを当てた1冊ですね。 楽曲作成の上でウラ方の要でもあり、かつ、これまでほとんどスポットが当たって来なかった、アレンジャーに初めてスポットを当てたって言うだけでも画期的な1冊であり、だからこそ、ここに来ても売れてる1冊なんだけどさ。
(いまや業界的には「必携」の1冊どぇす 業界の方で読んでなかったらモグリよ

その続編とも言える、今回の「作編曲家 大村雅朗の軌跡」。ま、読んで字のごとく97年に若くして夭折された、ヒット曲アレンジャーとして超一流だった大村雅朗氏にスポットを当てた1冊。

まあね、内容詳細は事は別トピックスを立てるとして、率直な感想としては、そうだな、亡くなられて今年で20年ということで、こういう企画だったんだろうけど、どうしてもあの時を振り返る・・・のような感じなんだよな全体的に。
とくに、アレンジャーとしてだけでなく、コンポーザー(作曲者)として、未だに業界内外にも一目をおかけている松田聖子さんの「SWEET MOMERIES」についての記述割合が多くなってしまう。 
それはそれで仕方が無い事なのかもしれないけど、どうしても「後ろ向き」な内容であるのは、どこか引っかかってしまったワタシなんですよね。

じゃーよ、昔の曲ばっか書いてる、この「1曲セレクト」はどーなんだよ、後ろ向きの内容ばっかじゃんかよ・・っていわれれば、元も子もないんだけど。。。

ただ、現在も御健在であり、現在進行形なアレンジャーやプレイヤーの紹介の部分が多い、「ニッポンの編曲家」と比べると、どうしても後ろ向きに感じてしまった。って言うところは否めなかったですね。


あー、前置きが長くなった・・・。

今回の曲セレクトは、そんな「大村雅朗」氏がアレンジをしてたもの・・・と勘違いしてた1曲をひとつ。

荻野目洋子「さよならの果実たち」。

先週まで、ヒットしてた当時は、あんまり好きじゃなかった曲ということで80年代アイドル曲を書いてきたけど、今回の「さよなららの果実たち」も、そういう中の1曲になるのかなぁ・・・。

ま、少なくとも今まで残っていた・・・ってことは、進んで聴いてた曲ではなかったんだよな。

この曲は荻野目ちゃん自身、初のオリコン1位獲得。 あれから丁度30年。今となっては完全に忘れ去られてるような事実だけど、そうなんだよね。
大ブレイクとなり自身の代表曲でもある「ダンシング・ヒーロー」も、ロングヒットとなった「六本木純情派」もオリコン1位とはなっていない。
この曲が初の1位獲得なんですよ。 まあ、チャート上のあやと言ったらそれでおしまいなんだけど、今となってはそれほど有名ではない、この曲が初の1位獲得曲っていうのも不思議な感じはするけどさ。

ちなみに、荻野目ちやんは、この曲を含め、88年の「ストレンジャーTonight」「スターダスト・ドリーム」と3作のオリコン1位曲をもっているけど、それも今となっては忘れ去られた事実かもなぁ。

当時も今と同じように、ヒットチャートの「1位」の重みはほとんど無くなっていたからさ。そう言う時期のヒットチャートなんて、時間とともに忘れ去られるのが一般的ですからね。


↑で、当時、この曲を進んで聴いてなかった・・というのは曲の好みもある。 当時、大学受験を控え精神的に不安定でヒット曲どころではなかったこともある。
たださ、ヒットチャートの重みの無さから、楽曲自体に魅力を感じ無くなっていたってのもあるな。

不思議なもので、ヒットチャート時代に重みがあるときっていうのは、ヒット曲自体に面白さを感じるんだよね。
まあ逆に言えば、ヒット曲時代が面白いからヒットチャートに重みが出るんだろうけどさ。

それとは全く、真逆的な現象 、それは、今もそうなんだけど、当時も曲自体に魅力を感じ無くなっていたんだよね。

いつかもかいたけど、それはワタシだけではなく、古くからのチャートマニアの間でそう感じる方も少なくなく、それの時期にチャートマニアから離れて行った方も少なくない。
それは、楽曲自体に魅力を感じ無くなったからたと思うんだよな。

それは、この曲からも感じてたんだよなぁ。
正直言って、色合いが良く分かんなかったんだよね、この曲。 当時、荻野目ちゃんのシングル曲って、ちょっとドギツクなってきてたんだよな、全体的に。 それはこの曲からも感じた。

昨日書いた、黛ジュンさんの「天使の誘惑」の「昼間に向かったポップス」という表現を借りれば、この曲は、真逆に「夜の」匂いがプンプンしてたりね。
 それを考えると、おおよそ「ポップス」って言う匂いを感じなかったんだよね。 ポップスというよりはより歌謡曲の匂いを感じていた・・・というかさ。

そんな「夜の匂い」に、夏の暑さが余計堪えた・・・、そんなイメージがあるんだよなぁ、この曲には。

この曲、筒美京平さんなんだよね、作曲は。

うーむ、全体的に見て、87年・・・特にこの年の夏から秋にかけての京平さんの曲って、未だによく分かんない曲が多いんだよなぁ。
 この曲に然り、C-C-Bの「2 Much I love U」に然り、守谷香の「予告編」にしかり、マッチ先生の「泣いてみりゃいいじゃん」に然り・・・・。

今ひとつスコンと「抜けた」生理的に気持ちいい曲が少ない。 どこかにモノが挟まっているような不快感のようなものを感じたりね。
 あ、少年隊の「君だけに」は別・・・。この曲だけはこの時期としても良かった。 パワーが落ち気味でもちゃんと結果を残すところが筒美京平氏の凄さなんだよな。


メロディラインはよく分かんなくても、サウンドだけは、やけにはっきりしていたりするんだよね、この曲。
その辺が、この曲のアレンジが、大村雅朗氏と勘違いしてたところなんだけどさ。
作詞 売野氏、作曲 筒美氏ね アレンジ、大村氏っていうと、どうしても音の輪郭がはっきりした「濃い」味付けの曲を連想しちゃうからさ。
例として、河合奈保子さんの「エスカレーション」「UNバランス」とかさ。

この曲も、それらと同じような匂いを感じたんだよね、初めは。

だから、この曲のアレンジが、武部聡志氏って知ったときは、かなり意外に感じたけどなぁ。

武部氏のアレンジというと、どうしても斉藤由貴さんの、あの「ふんわり」としてやさしく上品なアレンジを想像するからさぁ。 そそそ、松任谷正隆氏の流れを汲む、いわいるハーフトーン系ってやつね。 山の手のお嬢さん的な上品さ。

それがこの曲では一切感じられないからさ。 この曲は下町の猥雑さなんだよね、感じるのは。

きっとね、その辺りもこの曲に、今一つ魅力を感じなかったひとつなのだと思う。

おニャン子以降の一連のアイドル曲に感じてたのは、猥雑さなんだよな。 下町的な猥雑さだったからこそ、ある種のパワーがあったのかもしれない。 けど、個人的に当時、欲していたのは、もっと音楽的な上品さだったのかもしれない。 その辺がのギャップがヒット曲から一歩引いてた部分があるっていのは否めないんだよね、当時振り返ると。


動画・・・昨日に引き続き、どうもリンクが弾かれちゃうなぁ・・・・っつうことで、ようつべへ直リンク

https://www.youtube.com/watch?v=VugGgZsF8xw



そーいえば、昨日書いた黛ジュンさんって、初めは本名の「渡辺順子」でデビューしたけど売れずに、のちに黛ジュンとして「再デビュー」・・って書いたんだけど、荻野目ちゃんも「再デビュー」だったんだよね。

ってか、その辺は有名か・・・。 そそそ、初めは「ミルク」っていう小中学生3人ユニットでデビュー。
荻野目ちゃんが小学5〜6年の頃って言うから1979〜1980年ですね。

↓ コレ


小学生なのに、妙に歌がしっかりしてたりして・・・。
どうりでアイドル時代も歌はしっかりしてた訳でね。


あなたを愛したい / 南野陽子

1988_07_あなたを愛したい_南野陽子


 今回の1曲セレクトは、「あなたを愛したい」南野陽子です。

まずはデータです。

・タイトル    あなたを愛したい
・アーティスト  南野陽子
・作詞      田口俊
・作曲      萩田光雄
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1988年6月18日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  25.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1988年6月27日〜7月18日付
・タイアップ:映画「菩提樹 リンデンバウム」主題歌

 現在4時30分・・・。なぜにこんな時間にワタシャ、1曲セレクトを書いてるんでしょうねぇ・・・。
歌の文句じゃないけど、「眠れぬまま 夜が白々明ける〜」っていうところでしょうか。 クーラー一晩中つけると体が冷え切るんで寝てから2〜3時間で切れるようにしてるんだけど、切れたら切れたで暑いでしょ。
目が覚めちゃうんですよねぇ〜・・・・。 今頃は4時前には明るくなってくるし・・・。 そうすると眠れない。。。
・・・ってわけで、こんな時間に書いてたりする訳なのよ。。。。

今回セレクトしてきた曲は、そんな白々夜が明ける時の曲・・・だったりして

南野陽子 「あなたを愛したい」

え? この曲が白々夜が明け時の曲なのかって

だって、曲の出だしがさ、 ♪ あなたの夢でふと目覚めた夜明け 葡萄色の空に またたく星が揺れてた〜♪ってあるじゃん。

あー、まさに今の時間帯だわぁ。  ま、先週から書こうと思ってた曲なんで偶然なんですけどね

ところで、先週の河合奈保子さん、中森明菜さんは、ヒット当時、個人的な好みじゃなかったんでずっとほったらかしにしてた曲ってことで、両者殆どの曲は既に書いちゃったのに、今頃書いてる曲・・・って事だったんだけども、 今回の南野さんも、既にほとんどの曲は書いちゃったんだよな。

なのに今頃書いてるって事は・・・、そうなんですねぇ、この曲もヒット当時は、個人的な好みじゃなかったんですねぇ。 

・・・というか、今となっては知ってる人しか知らない曲って感じがしません? この曲。

うーむ、ワタシだけかなぁ、そう思えるのは。

今から29年前の1988年の今頃、オリコンじゃ1位とったし、売り上げだって、前曲の「吐息でネット」の30万枚までは行かなかったものの、25万枚セールスっていうのは、当時の南野さんにしちゃそこそこの売り上げだったのにねぇ。

でも、どうも印象に薄いんだよな、この曲。  

当時の南野さんのシングル曲の音源はほとんど持っているのに、この曲だけは未だに持ってないから・・・なんて、個人的な理由からなのかなぁ。

いや、当時から印象が薄かったから、当時音源買わなかったような気がするな。

この曲の前の「吐息でネット」が良かったからさあ、新鮮だったし。 それに比べると・・・って感じだったんだよね。

確かにナンノさんらしい曲ではあった。けど、逆に当たり前過ぎたような気もするんだよね。そう言う意味で新鮮みを感じなかったんだよな。当時の感覚から言って「2〜3年前の・・・」って感じで。
そうだなぁ、86年頃の・・・って言う感覚なんだよね、この感じは。 でも実際は88年だったわけじゃん。 そのギャップをねぇ、どうしても感じちゃうんだよね。

 プラス、インパクトもさほどなかったしなぁ。 このテの曲は、比較的静かなAメロから始まってサビに向かって盛り上がって行く感じなんだけど、サビも今一つ盛り上がりに欠けるんだよね。 なので、どうも淡々と流れて行っちゃうような感じがしてさぁ。 簡単に言えば引っかかりが少ないって言うのかなぁ。

まあ、当時、「ロウニン」生活の真っただ中にあったワタシとしては、ヒット曲どころじゃなかったっていうのも正直なところだったんだけど・・・。 

あー、そう言えば、この曲がちょうどヒットしてた頃、酷いジンマシンにかかった事があったな。
なにか悪いもんを食ったのかどうなのか、原因が良く分かんないんだけど、全身に蕁麻疹が出来てさあ、夜中に市の救急センターに行ったっけ。
久々に、この曲を聴いてたら思い出したわ。

 今は・・というと、これまでも書いてきたように先月以来の痛風発作が、大分良くはなって来たんだけど未だに鈍い痛みを発してたりね。
 何年かに一度、健康面でマイナスな時期でもあるんだよな、個人的に。 まあもともとクーラーがあんまり得意じゃないし、かといって、このジメジメとして蒸し暑さも得意じゃない。 天気もはっきりしない日か続く
・・なんていう気候的な疲れに加え、メンタル的な疲れが溜まってくる時期なんだよな。




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コントロール / 河合奈保子

  1984_07_コントロール_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「コントロール」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    コントロール
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      売野雅勇
・作曲      八神純子
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1984年6月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  15.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1984年6月18日〜6月25日付

まあ、蒸し暑い1日でしたわ。クーラーはあんまり点けないたちなんで(と言うか電気代ケチってるだけですが・・)、本日もほとんどクーラーをつけず、汗をだらだらかいて過ごしましたわ。
まあ、寝る時も暑いとしんどいんで、今になって寝るまでの間クーラーをつけてるけど。。。
ただね、暑かったおかけで血液のめぐりがよくなったのか、昨日ほどの痛風の痛みは無くなってきたような気がしますね。うーむ、やっぱり「自然」治癒っていうのが一番の治療なんでしょうかねぇ。
さてと、後は水をガバガバ飲んでプリン体を外に出さなくては・・・。

昨日は、個人的にキライだった曲ということで、中森明菜さんの「Blonde」を書いた訳だけど、今回セレクトしてきた曲もねぇ、ヒット当時はあんまり好みじゃなかった曲なんだよね。

河合奈保子「コントロール」

いやね、河合奈保子さんは当時好きだったし、この曲を作曲した八神純子さんもデビュー時からのファンだった訳で、本来ならこの曲だって好みになって当然・・・の筈なんだけどねぇ。

でも、実際は触手が伸びなかったんだよなぁ、この曲。

きっとね、個人的にはもっと「ポップ」な曲を期待してたんだと思う。 そそそ、八神純子さん作曲ということで、「パープルタウン」「Mr.ブルー」・・はたまた「みずいろの雨」とかね。
ソフィケイトされたメロディと、高音域でのロングトーン・・・そんな良質なポップあたりをね。

でもさ、実際のところ、確かにアップテンポなポップスではあったものの、サウンドがさ硬いんだよね。 メロディラインも以前の八神さんらしさを感じなかったし、いや、むしろ、もろ「84年」的でしたよね。

そう言う曲調になんかさガッカリしちゃったんだよな。期待してた曲とあまりに違うんで。

当時、河合奈保子さんのシングルもちょっとパワーを失っていたような気がしてたんだよね。 前曲の「微風のメロディ」なんてのは、決して嫌いではなかったけど、今一つ勢いを感じなかったし。

だからね、この曲には期待してた部分があったんだよね。八神さんのソフィケイトされた、かつ伸びのあるメロディラインは、河合奈保子さんにも嵌まりそうな気がしたからさあ。

でも、実際はそんな期待してた曲調と全く違ったからなぁ・・・。ガッカリだったんだよな。

そう言う事もあってか、この曲未だに音源持ってないんですよ、ワタシ。 河合奈保子さんのこの頃のシングル音源は殆ど揃ってるんだけどさ、この曲は当時も買わなかったんだよね。
ま、そんなこともあって、この1曲セレクトでも今まで書いて来なかったんだけど。。。

硬質で角ばったサウンドは、八神さんらしさというより、むしろ作詞の売野氏が得意にしてたようなサウンド・・・そそそ、だから一聴して84年、85年的なんだよな。

80年代の曲って「年」によって特徴がはっきりしてるからさ。 このテの硬質かつ角ばったサウンドなのが、84年、85年の特徴。
 だから、知らない曲でも曲聴いただけである程度年代が分かっちゃったりね。 この曲なんてぇのはその最たるところじゃないかなぁ。

正直今となっては、河合奈保子さんの一連のヒット曲の中では死角に入っちゃってるような曲だと思う。でも曲を聴けば、「あー、84年頃の曲だよね」っていうのがすく分かっちゃうんだよな。

まあ、それはそれで凄い事なんだろうけど、だから何? って感じもするしな。




まあ、たしかに奈保子さんのパンチの効いた歌い方は、ある意味アイドルの一線を越えたような感じはするんだけどね。 でも、個人的に当時求めていたのは、こういうパンチの利いた曲調ではなかったんだよね。
もっと伸びのある曲が聴きたかったんだよな。


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Blonde / 中森明菜

1987_07_BLONDE_中森明菜


今回の1曲セレクトは、「Blonde」中森明菜です。

まずはデータです。

・タイトル    Blonde
・アーティスト  中森明菜
・作詞      BIDDU, WINSTON SELA
・作曲      BIDDU, WINSTON SELA
・編曲      中村哲
・日本語詞   麻生圭子
・リリース日   1987年6月3日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 30.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1987年6月15日〜8月3日付

 久しぶりの1曲セレクトです。・・・・なんてここんところいつも書いてるような気がするなぁ。
ま、実際2週間ぶりなんだけど。。。
いやいや、ここんところ毎回かいてるように、持病の「痛風」発作の塩梅がよくなくてねぇ・・・。発症から1カ月も経つっていうのに、まだ痛みが引き切れない日々が続いておりまする。
今も、痛い箇所にロキソニンテープを貼りつつ書いてたりしてね・・・なんてね、体調が悪い日が続いておりまして、ここんところ書く機会が減りつつあるって感じですね。

でも、とりあえず、書いてみますわ・・・。

・・ということで、今回セレクトしてきた曲は・・・っつうと・・・うーむ、個人的にはキライな曲だったりしするんだよね。
なんで、ずっとほったらかしにしてた曲なんですが。。。

中森明菜「Blonde」

明菜の80年代の曲は、すでに大体書いたんだけど、ま、そんなわけでこの曲はずっと「放置プレイ」のまま、今に至って来た訳なんだよね。

なぜキライだったか?

ま、深い理由なんてないんですよ。 単に当時引っかかったっか、引っかからなかったのか・・・の差だけなんだわね。
で、この曲は引っかからなかった・・・と。

なぜ、引っかからなかったのか・・・っちゅうと、やっぱり「洋楽」だったからなんだろうね、この曲は。

そそそ、↑のこの曲の作詞、作曲者でも分かるように、もともとは作詞、作曲者とも「向こう」のヒトなんだよね。

だから、曲自体まるで「洋楽」なんですわ。 当時、個人的には洋楽はまるでダメでねぇ。 うん、知識的にというよりは80年代後半ごろの洋楽の曲自体、生理的にダメだったんだよね。

なんか軽いし、音が角ばってるし、色もそっけもないし・・・。 うーん、色もそっけもないって言うのが一番のダメだった所かなぁ。

当時、 イケメンを表すコトバとして、ショウユ顔、ソース顔ってあったじゃん。 あっさり系のショウユ顔に、コッテコテのソース顔って感じでさ。

その点から言えば、この当時の洋楽って、音からしてもモロ、ショウユ顔的なんですわ。 あっさりしてて味もそっけもない。

まあ、それが80年代後半、バブル前夜の無機質なアーバンな雰囲気にぴったり嵌まっていたのかもしれないけどさ。

でも、ここでは再三書いてるように個人的には、こってこてな味か濃い音が好きだったからさあ。
というか、日本人としての性というかねぇ。 どうしても向こうの抑揚のない無機質なサウンドにはなじめなんですわ。まあ、向こうの曲でもフランスとか北欧的な、「濃い」サウンドの音楽は好きなんだけどね。

明菜の曲って、80年代後半・・・そうだねぇ、85年の「SOLITUDE」あたりから、洋楽にコミットしていくんだよね。メロディ的にというよりはサウンド的に。 つまりさ、↑で言うならあっさり系であり、無機質なサウンドの曲が増えていくですよ。

そんなところから、個人的には明菜の曲から距離を置いて行くことになるんだけどさ。 その最たる曲がこの曲だったってことなんだよね。

この曲は、サウンドだけではなくメロディも全くの洋楽。抑揚もなく無機質感丸出しの曲だったから・・・。 そこがダメだったんだろうね。

今ですか? まあ、あれから30年経ったからねぇ。 ワタシも随分丸くなったし、一応はこの曲も聴くようにはなってるけどね。
ただ、未だに聴く特には抵抗は感じるんだよな。まあ、頭で感じる抵抗・・というよりも生理的な抵抗なんだけけどさ。


ちなみに、この曲、作詞作曲者が外人・・・ということもあり「原曲」があるんだよね。 まあ、他のヒトが歌っているカバーという訳じゃないんだけど。
 うん、元々のタイトルは「LOOK THAT KILLS」っちゅう100%英語詞の曲。  そそそ、明菜自身、この「Blonde」をリリースした少しあとにリリースしたアルバム「Cross My Palm」で、オリジナルの「LOOK THAT KILLS」として歌ってたりする

↓ コレ


・・・・つか、初めて聴いたんですけど。。。  87年クリスマスのMステで歌ったものらしいんですが。。。

へぇ〜・・・・。「Blonde」より全然いいじゃん。 ファルセットの明菜、めちゃくちゃ新鮮じゃん。
うん、これ聴いて分かったわ、「Blonde」が好きになれなかったのが。 
「Blonde」はキーを下げてるんだよね。Aメロとか低音で歌ったるじゃん。 それがどーも、もしゃもしゃしててさ、すっきりしてないんですよ。そんな所もダメだったんだろうな。





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渚のファンタシィ / 酒井法子

    1987_06_渚のファンタシィ_酒井法子


今回の1曲セレクトは、「渚のファンタシィ」酒井法子です。

まずはデータでする。

・タイトル    渚のファンタシィ
・アーティスト  酒井法子
・作詞      竹花いち子
・作曲      タケカワユキヒデ
・編曲      新川博
・リリース日   1987年5月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数 6.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1987年6月8日付

いやー、いつ以来でしょうねぇ「1曲セレクト」。。。3週間ぶりの「更新」となりまする。
いや、サボッてた訳ぢゃないんですけど。。。 その間、前回更新した時にも書いた、「痛風」の発作が悪化してしまいまして。。。 歩行困難ですよ。歩けない・・の前に足をつくだけで激痛が。。。
久々に、トイレまで「這って」行くハメになってしまっておりました。
それもようやく落ち着きーの・・・と思ったら、先週は、ワタクシ主催の「合宿」形式で「ヒット曲」をオールナイトで観賞するオフ会を開催いたしまして・・・。

そんなこんなで、暫くずっと更新できない日々が続いていたんですよね。 久々の完全(でもないが。。)オフ日ということで、ようやく1曲セレクトを書いておりまする。

その間に書きたい・・と思ってた曲も少し溜まってきたんでね、ちょっと間髪いれず書いて行けたらな・・・なんて思ってるところです。。。

・・・っつうことで、今回はそんな書こうと思った1曲。

酒井法子「渚のファンタシィ」

1曲セレクトも結構曲数を書いてきたけど、これまでノリピーの曲って、それほど書いて来なかったんだよな。
まあ、例の「クスリ」事件で心証悪くしてた時期も長かったし、なによりヒット当時からそれほど真剣に聴いてなかったってのもあるかなぁ。

この曲はデビュー2作目のシングルですわな。 数多くの「アイドル」がデビューした87年デビュー組の中では、頭一つ抜けてるかな・・・なんて印象が個人的には、このヒトにはあったんだよね。

でもって、アイドルの場合、件の通りデビュー第2弾がブレイクすると、その後「化ける」っていうジンクスがあったからさあ、ある意味この曲は「勝負曲」だったんじゃないかなぁ。

・・・とは、当時から思ってましたね。曲的にモロ「夏」をイメージした曲だったじゃん。 路線的に言ったら、松田聖子女史が、デビュー曲の「裸足の季節」⇒第2弾「青い珊瑚礁」と辿った路線に似ていた訳ですわ。

なるほどぉ、松田聖子に去られた、サンミュージックとしては、ポスト聖子として期待されている訳ですわな・・・っていうのが見え見えだったりしてさ。

だからね、この曲はそこそこ行く(売れる)んじゃないかなぁ・・・なんて個人的には思ってたんだけどねぇ。

BUT、今一つ上手く行きませんでしたねぇ。

オリコンでは最高4位まで行ったし、「ザ・ベストテン」でも3位・・・なんて上位まで行ったものの・・・。
後が続かなかったんだよねぇ。チャート的に言えば、超短期ヒットって言うのかなぁ。まあ、今の曲で普通に見られるチャートアクションだよね。

うーん、なにが行けなかったんでしょうかねぇ・・・。

やっぱりね、以前も何回か書いたけど、季節的なもんだよね、5月にモロ「夏」のイメージの曲と言われても、今一つピンと来なかったのは確かだしなぁ。
そそそ、最近でこそ5月で真夏日とか普通にあったりするけど、30年前はまだそんなことは「稀」だったしさあ。
「梅雨寒」っていうコトバもあったくらい、5月、6月っていうと、まだ肌寒い日が多かったのよ。

実際、この曲のイメージってさあ、なんか寒さで震えてる海・・・って言うイメージだったりしてさ。

いや、季節的なところ以外にも、実際、曲調的にも、「夏」の太陽を感じさせる温度感が今一つなんだよな。
たしかにアレンジ的には「夏」を感じさせるような「施し」はしてあるけどさあ、 全体的に言えば今一つ「抜けて」来ないって言うかさあ。

ノリぴー自身の歌唱力ってのもあったな。まだまだ安定感がなかったよな、この曲の頃は。まずもって、腹からじゃなくて、ノドから声が出てる感じだったんだよね。だから、まだまだ歌唱力に安定感が無くてさあ。
その辺だったのかなぁ。

このヒトが本当の意味で、抜けてきたな・・・って感じたのは、この曲の1年後の「1億のスマイル」位からかなぁ。

まあ、アイドルとしての営業スマイルはピカ一だったけど。 っつうか当時はアイドルも供給過多だったんでさあ、営業スマイルだけじゃ、人気は取れない時代になってたんだよね。

この曲の作曲は、ゴダイゴのタケカワユキヒデ氏。 この当時はよくアイドルに曲を書いてたよなぁ。
この曲の直近では、浅香唯さんの「STAR」とかさ。
ただ大体がヒットと言う意味では、もう一つだったんですよね。 この曲もそうだけど、ポイントがもう一つ絞れていない・・・っていうかねぇ。どこか弱いんだよねインパクトが・・・。
ゴダイゴで大ヒットを出してた頃のようにはなかなか行かなかったんだよなぁ。




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高気圧ガール / 山下達郎

1983_05_高気圧ガール_山下達郎


今回の1曲セレクトは、「高気圧ガール」山下達郎です。

まずはデータです。

・タイトル     高気圧ガール
・アーティスト   山下達郎
・作詞       山下達郎
・作曲       山下達郎
・編曲       山下達郎
・リリース日    1983年4月23日
・発売元      アルファムーン
・オリコン最高位 17位
・売上げ枚数 12.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 24位
・タイアップ:全日空「リゾートピア沖縄」キャンペーンソング

いい天気ですわ。気候も暑くも無く寒くも無く丁度いい塩梅だし、もうね、どこかに逃亡したくなるよなぁ。
まあ、現実問題逃亡することなんても出来ないし、せいぜいリゾートミュージックでも聴きながら、現実逃避な日曜日を過ごしますか。。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんな「リゾート」感たっぷりな1曲を

山下達郎「高気圧ガール」。

この曲は、1983年の全日空(今の「ANA」ね)の「沖縄」キャンペーンソングとして、春先からTVCMでガンガン流れてた1曲ですわ。

タイトルの「高気圧ガール」ってどういう意味やねん  って感じだけど、インパクトは感じたよなぁ。タイトルを見ると、CMで流れてたサビの

♪ 高気圧ガ〜ル〜 ♪ って部分のメロディが、まだ山下達郎氏の音楽なぞ聴いてなかった、当時中学2年のワタシでも、脳裏に浮かんだもん。

↓ コレ



そそそ、当時は、まだ山下達郎氏の「音楽」は聴いてなかったんだよな、ワタシ。
この曲なんかは、CM効果もあってスマッシュヒットになった訳で、だからラジオでもちょくちょく流れてたと思うんだけども聴き流しだったんだよね。 ほとんど聴いたそばから右から左に抜けてたような感じだったもん。

やっぱさあ、当時はアイドル中心だったから聴いてたのは。 まだお子ちゃまだったんだよね実際の部分は。
業界人にして、「これは本物だぁ」て言わ占めるような音楽は、まだまだ敷居が高かったわけですわ。

・・・かといって、通ぶって、達郎氏の「師匠」にあたる大瀧詠一氏なんぞ聴いて、「いいねぇ」なんて言ってたり。   まさに中2病。

山下達郎氏の音楽を理解出来るようになったのは、ホントに最近だもの。 いや、本音を言うと、山下氏のライブに行くようになった今でも、ちょっと敷居の高さを感じたりしてるんだけどさ。

なんかさ、BGMとして聴き流しちゃいかん、ちゃんと正座して曲と対峙しなくては・・・なんていう気分にさせされるんだよな。 うん、本気で聴かなきゃバチがあたる・・・なんて感じで。そんな気分にさせられる音楽なんですよ、山下氏の音楽は。

兎に角、音に対するこだわりが強いでしょ。 この曲にしたって、♪ トゥルルル〜 ♪ってアカペラコーラス始まるイントロの部分からして、一人山下達郎って言われる例の「多重録音」。 どこを切っても山下氏・・・って表現はよくないか コーラスの全てが山下氏1人でやってるこだわり様だしさ。 やっぱ、これはちゃんと聴かなきゃ・・・って思っちゃうんだよね。

曲を聴くのに結構なエネルギーを使うし、だから、ついつい「ながら」で聴ける音楽に流れちゃうんだよな。

まあ、リゾート感が強いこの曲は、そんな山下氏のなかでも軽い気持ちで聴ける1曲ではあるんだけどさ。

この曲は、ANAのCM曲と言う事もありシングルとしてリリースされた訳だけども、もともとはこの年にリリースされたアルバム「Melodys」の中の1曲。 「Melodys」アルバムの先行シングルですね。
このアルバムでは、夏のリゾート感が強いこの「高気圧ガール」と、まさに対極にあるのが、アルバムのラストナンバーとして収録されている「クリスマスイブ」なんだけども。この曲も、例のカノン部のアカペラコーラスは、「一人山下達郎」な多重録音なのは有名すぎるくらい有名だしね。
つまりはと言えば、多重録音で始まって、多重録音で終わるアルバムなんだよね。

これだけ多重録音を多用したのも、このアルバムからだし、いろんな意味で、その後の山下氏を決定づけたようなアルバムなんだけとさ。

まあ、個人的に、それに気が付いてきたのは、85年の「風の回廊」からかなぁ。 この曲の複雑なコーラスワークによる多重録音の発展ぶりは、この「高気圧ガール」の比ぢゃ無かったですからねぇ。

そういう「技術」的な所を含めたこだわりぶりは、この曲がリリースされた時点では見抜けなかったんだよなぁ。
というか、音楽に対してそう言う聴き方も出来なかったしな。



むむむ、リンクが無効になってやがる。。。 申し訳ないんですが、上に張られてるようつべのリンクから聴いてね。

しかしねぇ、今聴くと、ホント、この曲がリリースされた辺りから当時のヒット曲の曲想が変わってきたのは、当時も感じてたなぁ。
まず、この曲はもろそうだけど、 ↑でちょろっと書いた大瀧詠一氏。「いいねぇ」って思ったのは、この頃、三ツ矢サイダーのCMで使用されていた「Cider'83」って曲なんだけど

↓コレ


たかが30秒CM用のこの曲からもリゾート感を感じたんだよなぁ。

それまでの80年代、特に前年の82年のヒット曲ってもっと泥臭い曲が多かったんだよね。 まあ、銀蝿一家全盛だったし、なんていうのかな、ブルーカラーっぽい汗と油にまみれた・・・のような。
そう言う意味では、まだまだ70年代の流れを引きずっていた所はあったと思う。

そんな状況が今回の「高気圧ガール」とか、大瀧氏の「Cider'83」が出てきた頃には一掃されたって感じでさ。
ニューミュージック界だけでなくアイドルのヒット曲も、それまでのジトッとした空気感から、カラッとした曲が多くなったしな。
 世の中が全体的に「都会的」になって来たというかね。例のカフェバーが流行り出したのもこの頃からだし。世間的な雰囲気が、前年までとはだいぶ変わったな・・・っていう思えたのが、この頃からなんだよね。
80年代も新たな一面を見せてきた頃ですわ。


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