かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1980年代ヒット曲

ガラスのPALM TREE / 杉山清貴&オメガトライブ

1985_12_ガラスのPALM TREE_杉山清貴&オメガトライブ


今回の1曲セレクトは、「ガラスのPALM TREE」杉山清貴&オメガトライブです。

まずはデータです。

・タイトル    ガラスのPALM TREE
・アーティスト  杉山清貴&オメガトライブ
・作詞      康珍化
・作曲      林哲司
・編曲      林哲司
・リリース日   1985年11月7日
・発売元     バップ
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  20.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1985年11月25日〜12月30日付
・タイアップ:ダイドードリンコ「ジョニアンコーヒー」CM曲

ちょっと前に、FM東京系で毎週土曜日16時〜17時で放送されている「キリンビール"Good Luck Live"」で杉山清貴氏がゲストに出た。
その時のMCで「来年はオメガトライブで全国ツアーをやる」・・って言うのを聴き逃さなかったワタシ
・・とは言うものの半信半疑ではあったんだよね

BUT、先日チケットぴあのサイトを見てたら、本当に「杉山清貴&オメガトライブ」復活ライブのチケット予約が出てるじゃんか・・・。

マジで   ・・・と思いーの、思わず、2月9日(土)の中野サンプラザでのライブの先行予約しているワタシが居たりして。。。

もちろん、当選しました。   で、昨日無事チケットが届きました。

2階席だったけど・・・・とりあえずは、まあいいか。

ちなみに・・・「杉山清貴&オメガトライブ」としてのライブは、初めての参戦なんだよな。
杉山清貴氏のソロとしては、数年前にここんところ毎年行われている「ポプコン」の同窓会コンサートで見た。

この間の「キリンビール"Good Luck Live"」でのライブもそうだったけど、まだまだ現役バリバリに声が出てるし、オメガトライブを復活させればいいのに・・・と思っていたんで、個人的には手放しで喜んでたりするんだけどね。



・・・いうことで、今回の1曲セレクトは、やっぱ「杉山清貴&オメガトライブ」で行きたいっ

・・・んだけど、オメガトライブなんて、もう大体書いちゃったよな・・・と思いーの過去のライブラリーを検索したら、むむ・・まだ書いて無い曲があるぢゃないの・・・。 しかもちょうど「今頃」ヒットしてた曲が。。。

と引っ張ってきましたわ。

「ガラスのPALM TREE」

あわわ、これは完全に「死角」だったなぁ。 うーむ、昔、一度書いたような気がしてたんだが・・・。



この曲は、「杉山清貴&オメガトライブ」としては7枚目のシングルにして、ラストシングルでしたわな。

そそそ、解散することが決まった上でリリースされたシングルですわ。

正直、個人的には寝耳に水でしたね、この解散は。

言ってみればオメガトライブとして「絶頂期」での解散宣言だったから。

いや、この年1985年のオメガトライブは、絶好調だったじゃないですか。 春先にリリースされた「ふたりの夏物語」が大ヒット。「ザ・ベストテン」では1位もとったし。アルバムは夏にリリースされた「ANOTHER SUMMER」がオリコン1位を獲得。

・・・とまさにバンドとして頂点にあった時期の解散宣言だったんだよね。

だから、当時は、なぜに解散するのか・・・と言う意味が全く分からなかった。

真相が分かり始めたのは、最近ですね。 

今回引っ張ってきた「ガラスのPALM TREE」を始め、それまでのすべてのシングルを作曲した林哲司氏の著書「歌謡曲」に詳しく出てるけど、杉山氏は、かなり以前からバンドを脱退したがっていたらしい。

オメガトライブって、バンドではあるけど、すべてのシングルの作曲が林哲司氏であるように、歌詞、曲、全てが「作られた」物だったんだよね。

それ以前に「シティポップ」「夏」っていうコンセプトでガチガチに固められた上で売り出されたバンドだったんですよ。

つまりは、杉山氏が本当にやりたいと思っている事が、オメガトライブでは出来ない・・・。そこにジレンマを感じていたらしい。  
そんな折、バンドとして絶頂を極めた事で、逆にそのジレンマが爆発してしまった。

そういうことだったようだ。

そんな思いの捌け口として、予定外だった「FIRST FINALE」というアルバムを制作。 急遽、この年1985年の12月にリリース。 このアルバムでは林哲司氏以外に、オメガトライブのメンバー作曲も収録され、杉山清貴氏自身も3曲書いている。

そしてオリコン1位獲得。

杉山氏の中では、このアルバムでオメガトライブとしては全てやりきった・・・と言う思いがあったようです。

だから・・・と言う訳ではないと思うんだけど、今回引っ張ってきた「ガラスのPALM TREE」と言う曲は、テレビでもあんまり歌われていない。
それどころか、この年のファイルナルコンサートでも歌われていない。

既に杉山清貴氏の中では「ガラスのPALM TREE」は、オメガトライブとして昇華仕切った後にリリースされたシングル。 そういう位置づけだったようですね。


ただ、個人的には、この「ガラスのPALM TREE」と言う曲は好きだった。
バンドデビュー曲の「サマーサスピション」を踏襲するようなイメージだったし。

そそそ、つまりはヤマハDX7がふんだんに使われたサウンド。 オメガトライブの真骨頂はココだと思うんだよね。

たしかにオメガトライブ=シティポップス、クリスタルって言うコンセプトは大きかったと思う。 ただれそれ以上にヤマハDX7のサウンド、これが彼らを大きくしたんじゃないかと思うんだよね。

いや、80年代中盤の象徴なんだよなヤマハDX7のサウンドって。 それをふんだん使用し、操っているオメカトライブって言うバンドも時代の象徴だったんだと思う。

逆に言えば、杉山清貴&オメガトライブの解散は、一つの時代の変わり目になったんだと思う。

そう、86年以降、ヤマハDX7のサウンドって少なくなっていくだよね。 

それからしても杉山清貴&オメガトライブの影響力がいかに大きかったのか・・・って言うのは見てとれるんじゃないのかな。

いずれにしても、カラッとした空気感は、これまでの杉山清貴&オメガトライブであり、ラストシングルっぽくないのはいい。 普通、解散前のシングルって湿っぽくなりがちじゃないですか。
これが最後・・・と思わせるところも無いし、本当に、これで解散なのか 

・・・・そんな感じがしてたな、当時は。





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ハロー・レディ / 島田奈美

1987_11_ハローレディ_島田奈美

今回の1曲セレクトは、「ハロー・レディ」島田奈美です。

まずはデータです。

・タイトル     ハロー・レディ
・アーティスト   島田奈美
・作詞       松本隆
・作曲       財津和夫
・編曲       西平彰
・リリース日    1987年11月11日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  3.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 21位
・タイアップ:TBS系アニメ「レディレディ!!」挿入曲

12月です。速いもんですねぇ。今年も後1カ月弱ですわ。今年は一体何やってきたんだろ? 
・・・なーんもやんないまま、1年が過ぎたような気がするなぁ、あーあ。
なんて、ブルーな気分が仕切り。。。

さてさて、気を取り戻し・・・。

ここのところ、直球気味のセレクトが多かったような気もするんで、今回はちょっと変化球気味の1曲セレクトにしましょうかねぇ。

島田奈美さんの「ハロー・レディ」。

どうなんだろう? この曲、覚えてらっしゃる方ってどの位居るんだろ? ちょっと自信ない。
曲云々の前に、島田奈美さんを覚えてらっしゃる方がどのくらいいるんだろ? っていうのも不安だったりして。。

前年86年デビュー組の、80年代アイドルの一人だった訳だけどさ、86年デビュー組のアイドルって、アイドルとしては粒が小さいんだよな、全体として。

まあ、少年隊が86年組デビュー組ではあるけど、少年隊だけがずば抜けてて、あとはその他大勢・・・って感じだったしな。。。  
いや、それ以前に、少年隊が86年組っていうイメージも少なかったんだけどさぁ。レコードデヒューする5年も前からテレビのレギュラー持ってたし。

それに86年って言うと、どうしても、おニャン子抜きにゃ成り立ってなかったしねぇ、アイドル界も。

よく80年代アイドルについては、おニャン子以前、おニャン子以後・・・って言う言い方をするけど、それは、おニャン子以後のアイドルは、個々として粒が小さく、それぞれが霞んで見える・・・って言うイメージが強いからなんだよね。それがあたかも地盤沈下を起こしたように、ワタシ的には思えたりしてさ。 

そんな中の一人が島田奈美さん・・って訳で。 ワタシも正直、ずーっと眼中の外だったんだよね。

確かにベストテンギリギリって言うラインで「ザ・ベストテン」にも何曲かランクインした。 その点は、86年の中でも上位人気だった・・・って事なんだろうけど、それで如何せん、ベストテン入りも1週が良いところであっという間にランクから消えちゃうようなチャートアクションを繰り返してた訳で、だから、曲を覚える暇もなかったんだよな。

ま、そう言う事で良いも悪いも、全然分かんなかったっていうのが、本音のところなんだよね。

今回引っ張ってきた、「ハロー・レディ」って曲は、デビュー2年目の 87年11月にリリースとれた曲ですわ。

この曲も1週だけだけど、「ザ・ベストテン」にランクされた。それで辛うじてタイトルは覚えてたんだけどさ、全体的な曲もよく覚えてなかったんだよな、30年近くずーっと。

恐らく、何もなかったら、このままずーっと記憶の外のままだったんだろうなぁ・・と思うんだけどさ。

今年の頭、この1曲セレクトを書くのに、たまたまYOU TUBE見てたら、島田奈美さんの「Free Ballon」が出て来て、冷やかし半分見てたら、これが結構、引っかかっちゃたんだよな。。。

30年前は、ほとんど引っかからなかったのなぁ。 人間の心境の変化は何が起こるか分かんない。

まあ、確かに30年前、「Free Ballon」がリリースされた17才の頃は、全然曲の聴き方も浅かったしな・・ってのもある。

とりあえず、ルックスは可愛いけど、ウタはヘタだよな・・・ってくらいの聴き方だったしさ、だから、肝心の曲まで耳に行ってなかったのはある。

でも、ちゃんと聴くと、結構、引っかかりがあるんだよな、メロディラインが。 それで、今年に入って、超遅ればせながら、改めて掘り返りしてたり、ワタシなんですわ。

今回の「ハロー・レディ」っていう曲、作家陣として、作曲者は「Free Ballon」が林哲司氏だったのに対して、この曲は財津和夫氏・・・っていていう違いはあるものの、全体的な曲調のイメージは、大きく変わっていない。

なんていうのかなぁ、当時のアイドルでも希薄になりつつあった「清楚」っていうイメージかなぁ。

おニャン子以後のアイドルって、より「隣の席の○○さん」って言うイメージに加速がついた、つまりは、より親近感があるような存在だったじゃん。 まあ、それがスター性を失わせ粒が小さく見える最大の要因だったんだけども。 で、となりの○○さんって言うイメージは、同時に神秘性も失わせていったわけで、「清楚なお嬢様」って言うところも無くなってきてたんだよね。

この島田奈美さんも、たしかに隣の「○○さん」って言うところはあるんだけども、たた、ちょっと違ったのは、当時に清楚なお嬢さんって言うイメージも、この頃の曲にはあった。

おそらくは、最近改めて聴いて、その辺を感じちゃったんじゃないかなぁ、ワタシ。

つまりは、80年代アイドルでも、曲のイメージは、おニャン子以前・・・って感じの曲なんだよね。具体的に言えば82〜83年っていうイメージなのかなぁ。

でも、そこがプロデュースしていた松本隆氏の狙いだったのかもしれないし、だから、作曲者も、この曲のように財津和夫氏であり、林哲司氏だったのかもしれない。

具体的に言えば、松田聖子さんフォロワーっていうのを狙っていなのかもなぁ、松本隆氏は。 そんな感じも今となっては受けるな。

でも、松田聖子さんフォロワーはなれなかった・・・っていうのは歴史がモノがったっている訳で・・・。
それ以前に、この「ハローレディ」以後は徐々に尻つぼみになって行く。

以前はね、↑で書いたように、単純に、ウタが下手だったから伸びなかった・・・って言う印象があったんだけども、でも、同じ86年組で、同じくウタが下手だった、西村知美さんは、未だにゲ―ノー界に残ってたりするからねぇ。
その辺も時代のアヤというか、摩訶不思議なとこではあるんだけども。。。。

一見、島田さんの方が芯が強い・・というか我が強そうな印象はあるんだけども、実際はトローンとしてイメージの西村知美さんの方が我が強かった・・・って事なんだろうなぁ。





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深呼吸して / 渡辺満里奈

1986_10_深呼吸して_渡辺満里奈


今回の1曲セレクトは、「深呼吸して」渡辺満里奈です。

まずはデータです。

・タイトル     深呼吸して
・アーティスト   渡辺満里奈
・作詞       秋元康
・作曲       山本はるきち
・編曲       新川博
・リリース日    1986年10月8日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   17.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1986年10月20日〜11月3日付

毎度毎度のことで、ずっとここ読んでくださってる方には「耳タコ」かもしれないけど、今回はどの曲を書くか・・っていうのが、いつも悩みの種なんだよね。
以前ならは、まだまだ書いて無い曲があったからさあ、その時その時の気分でセレクトすれば良かったんだけどさ、最近は、書いて無い曲の方が少なくなってきたからなぁ、なかなかその場の気分でセレクトするのも難しくなってるのよね。 その分、毎回、悩んじゃう訳です。半ば「絞り出す」って感じで・・・。

いや、書いて無い曲は、まだあるんですよ、たしかに。 でも、流石にヒット当時、興味無くて聴いて無かった曲は書けないからなぁ・・・。

そそそ、この「ヒット当時、興味が無くて」・・ってところがネックなんだよね。

さっきもいつものごとく「さて、何書くべーかな」なんて、昔のオリコンチャートをひっくり返してて愕然。

1997年、1998年共に 今頃、10月にベストテンに入ってた曲、全然知らないワ。。。。

いや、当時「ながら」では聴いてのかもしれない・・けど、全然記憶にない。 もちろん音源も手元にないし。。。

まあ、それ以前も、以後も、オリコンにランクインしてたからとはいえ、全ての曲をパーフェクトに知っている訳ではないし、音源も持っている訳じゃないんだけども、↑の2年間は特に酷いなぁ。

確かに、この時期は、一時期、ヒット曲から離れ気味の期間ではあった。
当時のリアル仕事が忙しかったし、仕事の事で精神的な余裕が無かった時期でもあったんで。

でも、なんか10月下旬っていうのは、他の年でも、毎年のように「空白」期間・・とでも言うのかなぁ、知らない曲が多いような気がする。 

ヒット曲のレベル的にも空白期間なんでしょうかねぇ。 本来なら「秋」ということで、秋っぽい曲が多かったような気もするんだけど・・・。 そういえば、昔から10月の特に中旬〜下旬に大ヒット的な曲のリリースも少なかったような気がする。 昔的に言えば10月15、20、21日リリースの大ヒット曲。 まあ、全くない訳ではないんだけど・・

確かに業界的に強力曲リリースが相次ぐ四半期末月から外れているってのもある。 けど、その他、考えられるとしたら、この時期ってイベントも少ないからかもな。 今でこそハロウィンだってことで、盛り上がるけど、昔は、夏休みが終わったら、クリスマスまでは国民的な大きなイベントって無かった気がするしな。

特に業界全体にシステマチックな動きになった、90年代以降はそんな傾向が強くなったような気がするな。

でも、振り返ってみると、90年代以前、80年代にもそんな年があったよな。
まあ、あくまでも個人的にだけど、1986年10月。 こん時にヒットしてた曲もリアルタイムで聴いて無かった曲が多いんだよねぇ。

そもそも当時全盛だった、おニャン子関係の曲、ほとんど聴いて無かったし。 
理由としては、TBSとフジテレビの仲が悪かったってことで、「ベストテン」におニャン子関連の人たちが、全く出なくなったってのが一番大きいですわな。

おニャン子以外でも、ベストテンに出演しなくなったアーティストってかなり多かったじゃん。1986年の今頃って。
なんで、当時の耳にする機会がめっきり減ったってのもある。

この頃はおニヤン子関連の曲も、個人的には刺らなくなって来てたし、アーティスト系はアーティスト系で、ニューウェーブ系の音の曲が広がってたでしょ、そちらでも刺らなかったんだよな。

結局のところ、ヒット曲全体的に刺さらなかった曲が多かったのよ、1986年のこの時期って。

だからなんだろうけど、もう新しい曲をガツガツ追いかける必要もないじゃん・・・。そんな風にも思い始めてたんだよね。 

逆に時代を逆行して、過去のヒット曲を掘り返し始めたのが、この頃だったな。

以前も何回か書いたけど、ちょうどこの頃、東京の三多摩地区を中心にして、「ネオG.S」っていう流行りが勃発。そそそ、グループサウンズが見直しされ始めてたんですよ、60年代の、アノ、ガレージなグループサウンズ。

個人的に、この流れに乗っかった・・って感じで、G.Sを中心に掘り返し始めてたんだよなぁ、この頃。
おニャン子よりも、ニューウェーブ系の音よりも、G.Sのガレージ的な音の方が刺さったんだよな。
そんな訳でG.Sを中心に、60年〜70年代の歌謡曲、ポップスを掘り返し始めてた訳ですわ。

1986年10月、TBSが開局30年ってことで「テレビ探偵団」が始まったって影響も大きい。 この番組がきっかけで過去を掘り返すってのが、テレビ業界でも、音楽業界でも一気に広がったじゃん。 そんな流れに乗っかった・・・と言うと語弊があるけど、個人的にも自分が知らなかった過去を知りたい・・と思う時期が重なったんだよね。



おーーーっと、またまた前置きが長くなっちまった。。。

今回の1曲セレクトは、渡辺満里奈の「深呼吸して」ね。

・・・だからさ、↑に書いたことからして、この曲、リリース当時は、全くと言っていいほど聴いて無かった。

オリコン1位を獲得した曲で、ヒット当時、聴いて無い、知らない・・って曲の、もしかすると最初の曲だったかもなぁ。

いや、違う。 確か、なんかのタイミングで聴いたんだよな、この曲。

で、一度聴いて、「もういいわ」・・・って思っちゃったんだ。 

やっぱさあ、満里奈さんの「歌唱力」がねぇ・・・・  死んだオヤジが聴いたら、バカ怒りしそうな感じで・・・・ こんなウタで金取んじゃねぇ・・・とばかり。

それ以前に、なぜに「アーティスト系」を標榜としていたエピックソニーさんから、得てして歌唱力の「無い」満里奈さんがリリースするのか・・ってところも、幻滅だったしなぁ。

ニューウェーブ系の音はキライ・・・といいつつ、エピックさんは、東芝EMIさんに次いで、個人的には音楽的に信頼してたレーベルだったからさぁ。 なんか、その一角が崩壊したような感じがしたな。


こんな感じで、個人的には大分、長い間「封印」してたんだよ、この曲。

封印を解いたのは、大分時間が経ってからだなぁ。ここ10数年ですよ。
↑の影響もあって86年の「秋」の音源って殆ど持っていなかった事に気がついたんだよね。 当時感じてたもろもろの嫌悪感も時間の経過で無くなってきたしね。

で、改めて聴いてみて・・・。

うーん、やっぱ、歌唱力がねぇ・・・どうしても気になるわな・・ってところは、置いといて。。。

曲的には新鮮だったな。 

どこが新鮮だったのか・・・。 やっぱさ、他のおニャン子の曲調とは違ったところだろうね。

ハネ系、 そそそシャッフルビートのジャジーな肌触りは、それまでのおニャン子にはなかった曲調だしな。

当時のアイドル、まあ、おニャン子もそうなんだけど、決まったフォーマットような曲調だったじゃん。枠に嵌まったと言うか・・・。「後藤」印のいかにもおニャン子的・・・とでも言うか。

そう言ったフォーマット、枠に嵌まった曲調ではないな・・と感じたのが第一印象。

作曲者が、当時LOOKの山本はるきちっていう、それまでのおニャン子のブレーンには、絡んでなかった一人だし 、アレンジも新川氏博っていう作家陣の効果はありますね。

さすが、その辺りはアーティスト系のエピックソニーさん、キャニオンさんとは曲志向が違いますわな。 

うーん、でも、どうなんだろう? 逆に通常通りの8ビートで歌わせても、どーせ、歌唱力ないんだから、ここは適当にハネさせておけ・・・っていう戦略なんでしょうか。。 まあ、穿った考え方ですが…。




バックの生稲晃子さん、工藤静香さんも、どこまで本気でやってんの? って思うような学芸会的な無気力感を感じたりして・・・。

特に工藤さんは、本気でやったら満里奈さんを潰しちゃうんで・・・ってくらい、全然本気だしてねーよなぁ。

確かに、みんなに妹って言われてただけあって可愛いんだよ、渡辺満里奈さんって。
鼻から抜ける声がキュートだし、このルックスのレベルだったら、今の乃木坂46にいてもおかしくないくらいだし。
「アイドル」としては申し分ないと思う。
けど、やっぱウタはやんない方が良かったんじゃないかなぁ・・・と思ったり。。。
それか、もうちょっとボイトレをやってから歌を出すとか・・・。

まあ、86年って言う時代だったから、これでも許されたのかもしれない。もうちょっと時代が遅かったら、ウタで出てくるのは難しかっただろうし。。。
いずれにしろ、あれから32年、西村知美さんの時もいつも書いてるけど、このウタから聴く限りでは、今でも第一線で活躍されているっていのうは、もちろん本人の努力でもあるんだけども、時代のあやだよなぁ・・・と思ったりするワタシです。


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きめてやる今夜 / 沢田研二

1983_10_きめてやる今夜_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「きめてやる今夜」沢田研二です。

まずはデータでする。

・タイトル     きめてやる今夜
・アーティスト   沢田研二
・作詞        沢田研二
・作曲       井上大輔
・編曲       吉田健
・リリース日    1983年9月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数   13.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

ネット上で揶揄されますなぁ〜、ジュリー。 例のライブ「ドタキャン」騒動で。
さいたまスーパーアリーナ、当初9千人の入りと言われたところ、実際は7千人しか入らなかったので開演直前になって中止になったとか・・・。
その理由が、「客の入りが少なかったから」・・・だとか

まあ・・・・叩かれますわな。 客が少ないと言っても7千人は集まっていた訳だから・・・。

その前に、果たして、今のジュリーに「さいたまスーパーアリーナ」を満杯にするだけのアーティストパワーはあるのか? っていう意見も出ている。

さいたまスーパーアリーナは、ステージの形式によって、「アリーナ」部分の客席数は変動するんで、一概に「何人」とは言えないけど、最大で約3万7千人収容と言われている。 もっとも実際はステージ設置等で、客席数はそれよりは少なくなるけど、それでも2万弱の収容人数になると思う。

そんな会場で、9千人ですか・・少なっ! なんていわれてもしょうがないわなぁ。 

そもそも、日本のみならず、世界でも超一線級のアーティストがライブ会場として使用するスーパーアリーナを、40年近くベストテンヒットから遠ざかっている、ジュリーが使用する・・・っていうのも、たしかに驚き・・というか、半分「あきれ気分」になるけど、確かに。

ちなみに、今回客が集まらなかったのは、今回のライブツアー、 ツアータイトルが「70YEARS LIVE OLD GUYS ROCK」という、いかにもジュリー70才記念で、往年のヒット曲オンパレードの内容に思えるタイトルであるのに、実際は、「今歌いたい曲しか歌わない」と、ヒット曲はほとんどやらず、誰も知らないような曲ばかりなため評判が悪く、客が遠のいているため・・・と言う事のようだ。

「今、歌いたい曲しか歌わない」っていうジュリーの姿勢・・いいなぁ、突っ張ってるなぁ、なんて、個人的には思っちゃったりもする。だけど、こういう姿勢は、こういう「大会場」の、ましてやツアー最中に見せちゃアカンわな。
うん、小規模のコンサートホールや、ライブハウスならいざ知らず、大規模会場では、必ずしも超固定ファンばかりじゃない訳なんだから。 


ところでさ、現在のジュリー程度のアーティストパワーのヒトが、なぜスーパーアリーナのような、大規模会場でやるのか・・っていうと、通常の各地の市民会館位のキャパの会場では、いわいる「親衛隊」と呼ばれる人たち・・・そそそ、いまや良い年をした「おば様たち」なんだけど・・・に占領されてしまい、他の一般の人たちがなかなか席が取れない・・っていう苦情もあるからなんだよね。

そう言うこともあって、こういう大規模会場でもやらざるを得ないところもあったのかも。。。 
まあ、スーパーアリーナが、そう言う状況を払拭するだけの適当な会場であったのか・・と言うのは別だけど。。

でも、熱狂的な固定ファンじゃなく、そういう一般の人たちがどういう曲を聴きたいか・・・っていうと、やっぱり、往年のヒット曲な訳だからさ、 やっぱり、そう言うヒトたち向けに、例えばスーパーアリーナのような超大規模会場だけでも、ヒット曲のオンパレードにセットリストを変えるとかはやって欲しいわな。

もしよ、例えば、ジュリーが「今歌いたい曲しか歌わない」・・・とかツッパッたことを言わないで、往年のヒット曲中心のライブツアーであれば、スーパーアリーナでも充分行けたんじゃないかな。



おーっと、前置きがめちゃんこ長くなっちまった。

・・ということで、今回の1曲セレクトも当然ジュリーの曲を持って来たい・・というわけで、

「きめてやる今夜」

・・・へへん、ネット上で他の人が取り上げてるような曲は持って来ないよーだ

・・というか、他の人が取り上げてるような曲は、もう既に書いちゃったんで・・・

この曲は83年の今頃のヒットですね。

83年は、ジュリーにとっては「分岐点」となった1年ですわ。 ソロデビュー以来でも10数年、ずーっとベストテンをキープし、オリコンで初の売り上げ1000万枚突破を記録した、文字通りのスーパースターだったジュリーが、一度もベストテン入り出来なかった年。

それが1983年ですわな。 つまりは、人気の下降線があらわになった年・・とでも言いましょうかねぇ。

それは突然やってきた・・・って感じだったな。 前年82年9月にリリースした「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」なんて、「ザ・ベストテン」では最高3位まで行ってた訳だから、 まさか、次の「背中まで45分」がベストテン入りしない・・なんてことは思ってもいなかった訳だし・・・。

まあ、結局は、難解、かつ新たな試みとして「ニューウェーブ系」な曲にシフトしたことが大きかったんだろうな。

今回引っ張ってきた「きめてやる今夜」の前曲の「晴れのちBLUE BOY」なんて、当時のヒット曲レベルから考えれば、まず、ベストテン入りは難しいだろうな・・と思える曲調、リズムだったし。 

 ジャングルビートと呼ばれた、あんな殆どリズム体だけの曲がベストテン入りしてたら、日本のヒット曲レベルは飛躍的に進化してただろうな・・・とも思えるけど、実際83年当時のレベルでは、それもちょっと難しかった。

たしかに、実験的だったんだよね。82年までの何が何でもベストテン入り、一時期のジュリーの代名詞にもなっていた何が何でも「1等賞」を目指すんであれば、もっと保守的な曲でも良かったのかもしれない。

そこから一歩進みたいって言うジュリーの姿勢は、保守化が進んでいた当時のヒット曲界からみるとアッパレだったのかもしれなかったけど、ヒット曲と言うところから見ると、実際的には、それに足元をすくわれた・・というかね。

それらの83年のシングルから見ると、今回引っ張ってきた「きめてやる今夜」は、シンプルだったなぁ。
ポップだしね。 簡単に言えば「分かりやすい」1曲。ポップという傾向としては、前年の「おまえにチェックイン」の方向に近い。

そんな1曲だったからさ、この曲では「ベストテン入り復帰」も可能なんじゃないかなぁ・・・

・・とは当時感じてましたね。

でも、実際的には、売り上げ的には、「背中まで45分」、「晴れのちBLUEBOY」と2曲連続で10万枚切れを起こしたのが、この曲では10万枚オーバーと上向き傾向も見られたんだけど、ベストテン入り復帰はしなかった訳で・・・。

売り上げが回復したのは前2曲よりも「分かりやすい」ってところが大きかったんだろうね。 やっぱり、ヒット曲の世界では「分かりやすい」って言うのは、大きな要素なんだな・・っていうのは、この傾向から分かったりしてね。

それでも、一度下降傾向が進むと、それを回復させるのは並大抵のパワーでは難しいんだな。

・・・そんな事を痛感した1曲ではありましたねぇ。 ワタシ個人でもそうだったけど、もしかしたら、それを一番痛感していたのはジュリー本人だったりしてね。。

いずれにしても、この後、ベストテン入りに返り咲くこと無く、いわいるヒット曲の世界からは下降線が進んでいくことになるわけですわ。



分かりやすいとは言っても、この曲も基本はニューウェーブ系ではあるんだよね。 
だから、本来ではあれば・・いや、前回の吉川晃司の「ラ・ヴィアンローズ」で書いた内容であれば、個人的には、この曲も苦手であるはずなんだけど、でも、実際はこの曲は好きだったなぁ。

83年の10月っていうと、自分の頭の中では、かなりの割合でこの曲がヘビーローテーションだった覚えがあるしさ。だから、83年の10月っていうと、この曲から感じたカラーが浮かんでくるし・・・。

サウンド的にはニューウェーブ系だったけど、ポップで聴きやすいっていうのが、大きかったんだろうな。
その辺は、作曲が井上大輔氏っていうのも大きかったんだろうな。完全な洋楽志向ではなく、あくまで「和」のテイストを織り込んだ分かりやすいメロディと言うところがさ。



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ラ・ヴィアンローズ / 吉川晃司

1984_10_ラ・ヴィアンローズ_吉川晃司


今回の1曲セレクトは、「ラ・ヴィアンローズ」吉川晃司です。

まずはデータです。

・タイトル     ラ・ヴィアンローズ
・アーティスト   吉川晃司
・作詞       売野雅勇
・作曲       大沢誉志幸
・編曲       大村雅朗
・リリース日    1984年9月10日
・発売元      SMS
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   19.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1984年9月24日〜10月29日付

苦手なタイプ曲がある。 
まあ、ここでもこれまでもチョポチョボと書いてきてるんだけど、少なくとも80年代で最近書いてる曲は「苦手」だった部類の曲って言うのかなぁ。 うん、当時好んで聴いてた80年代の曲はあら方、既に書いちゃったからさあ。
だから、当時苦手、あるいはレビュるのが難しい曲が残っちゃってるんだよな。

・・・と初めに言い訳がましく、書いといて・・・

今回セレクトしてきた曲は

吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ」。

吉川、デビュー第3弾シングルですわな。 デビュー時の吉川は、キライじゃ無かったんだよ。ま、確かにフテブテシイ奴だな・・・なんてちょこっと鼻にはついてたけど。 でも、それと曲とは別の話でさ。

この曲の前の「サヨナラは八月のララバイ」なんてのは、好きだった。イントロの出だしのガラスの割れる音が派手だったし、何より無機的なイメージがある84年夏を象徴するような曲に感じてたし。

でも・・・、この曲は、正直言って、良く分かんなかったんだよね。 掴みどころが無いって言うのかなぁ。

ツルンとした抑揚の無いメロディラインっていうのか。 確かにそんな所は無機的な84年らしいメロディラインだったのかもしれない。

それにつけても、この曲は、掴めなかったんだよな。 作曲の大沢誉志幸氏も、非常に日本語が乗りづらいメロディと言っているのが象徴的なんだけど、まあ、それが、聴いてるこちらとしても掴みどころが無いように感じちゃったんだろうな。

まあ、肯定的に言えば洋楽的なメロディって言う事なんだろう。

いや、それが私個人としても、今一つ生理的に引っかかりきれなかったところなのかもしれない。

昨日の「人形の家」でも、洋楽のキャッチーな部分や、官能的な部分が凝縮されたのが歌謡ポップス、でも、それだけじゃ日本人には刺さりきれないわけで、日本人の「感性」をプラスしたメロディが歌謡ポップス・・・

つまりあんまりバタ臭いのではなく、バターに醤油をかけたような・・・そんな音楽が歌謡ポップス・・・って書いたんだけど。

たしかに、80年代初頭までは、その通りだったんだよね。如何に表向き「ロック」だぜ! っていうニューミュージック勢だって、結局のところメロディラインは、日本人好みの「和」の感性が入ったものだったわけで。

いや、それこそがワタシ個人としても「J-POP」の原点だったんだよね。

でもさ、80年代も中盤、事にこの84年くらいになって来ると、「醤油」をたらさずにダイレクトに「洋楽」的なメロディ、サウンドが増えてきたんだよ。

いわいるニューウェーブ系サウンドってやつですね。 硬質、かつ鋭角的無機質なサウンド。余計なリフや音は、極力排除されている。 それいえ、すっきりとした都会的なサウンド。 いわば当時の先鋭的な楽曲ですね。

BUT、いつもここでは書いてるように個人的には、ダサい、もっと土臭いサウンドと、ごちゃっと音で埋め尽くされているような曲が好みだったもんでさ。 そそそ。メロディとメロディに音の隙間があると許せない・・って感じで。

だから、同じ84年でも、大瀧詠一氏の「Each Time」のような、ウォール・オブ・サウンドの方が何倍も安心するし、メロディとメロディの合間を面白い音で埋めると提唱した筒美サウンドの方が、この当時でもしっくり来てたんだよな。

あ、この志向は、今でも基本は変わらない。まあ、当時よりはやっと慣れてきたって言うかねぇ、当時よりも音数が少ない曲が多いからさ今は、強制的にでも慣らされたって感じですわな。

いずれにしろ、だから、この84年当時は、この手のスッキリとした掴みどころのないサウンドには、引っかかりきれなかった訳なんだよね。

まあ、前曲の「サヨナラは八月のララバイ」も、サウンド的にはこの曲と大きな違いがあった訳じゃないんだけど、イントロの出足のガラスの割れる音と、サビの前のコード進行には引っかかったからなぁ。
そんな部分があったのか無かったのかだけの違いっちゃ、そうなんだけど。。。






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気絶するほど悩ましい / 沖田浩之

  1982_10_気絶するほど悩ましい_沖田浩之


今回の1曲セレクトは、「気絶するほど悩ましい」沖田浩之です。

まずはデータでする。

・タイトル     気絶するほど悩ましい
・アーティスト   沖田浩之
・作詞       阿久悠
・作曲       梅垣達志
・編曲       鷺巣詩郎
・リリース日    1982年9月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 37位
・売上げ枚数  2.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 29位

カバー曲。 昔も今も変わらずある「形態」の曲だわね。
日本よりも海外の方が、その数も頻度も多いのかなぁ・・・。まあ、海外の場合は、オリジナルリリースの自国ばかりでなく他の国でのカバーも頻繁に行われているしね。もしかしたら、流通している楽曲をまとめると、オリジナル曲よりもカバー曲の方が圧倒的に多いかもしれない。

それに比べると、日本ではカバーっていうのは、そこまで頻度は高くないのかなぁ・・とは思える。まあ、昔に比べると最近はカバーっていうのも多くなってきたけどね。

でも、海外と日本のカバーの最大の違いと言ったら、カバー曲のクオリティだよなぁ。オリジナルを超えるようなカバーって少ないんだよね うん、これは今に至るまで。

向こうのカバーって、オリジナルを超えるようなクオリティのやつなんか、いっぱいあるじゃん。

どうしてなんだろうなぁ、やっぱり文化と歴史の違いなんですかねぇ。 

先人をたてる・・ってところがあるじゃないですか。先人をリスペクトするようなところ。日本人はさ。 そんな文化が、オリジナルを超えるのを躊躇させているのかなぁ。

まあ、カバーする側のアーティストが、テクニック的にオリジナルを越えられるような技量を持っていないって言うこともあるけどさ。

いや、その場合が、意外と多いんぢゃないかなぁ。

以前も書いたように80年代初頭、81〜82年にかけてカバーブームってあったんだよね。 大半が当時、デビューしたてのアイドルが、70年代のアイドルポップスをカバーする・・・ってパターンが多かったんだけどさ。

 でもまあ、その大半が、お世辞にもオリジナルを超えるようなクオリティとは言えなかったんだよね。 そもそも歌唱力から言って、70年代アイドルと80年代アイドルでは差があったしさ。 

ま、今思えば・・の話だけど。

そう言えば、今回の「気絶するほど悩ましい」もそうだけど、82年ごろのカバーブームは、CBSソニーが多かったよな。しかも酒井政利氏チームが。こん時のカバーブームは酒井氏主導だったんでしょうかねぇ・・・。

蛇足だけど、この間の石川秀美の「ゆれて湘南」でもちらっと触れたけど、このカバーブームが、「80年代」ならではのカラーを遅らせたと思うんだよね。 70年代の曲をカバーするってことは、まだ70年代を引きずっていたって事でもあった訳だからさ。

それでも、「お、これは!」なんて、引っかかったカバー曲もあったんだよね。 今回はそんな曲をセレクト。

沖田浩之「気絶するほど悩ましい」。

「気絶するほど悩ましい」っていったら、どうしてもオリジナルのCharのイメージが強いわな。
・・というか、この曲、沖田浩之がカバーしてたの? って思われる方の方が圧倒的に多いと思う。

それだけ印象に薄いとは思う。 まあ、オリコンでも最高位30位にも行かなかったしな。今となっては知らないヒトが多いのもしょうがないとは思う。

But But、個人的に「気絶するほど悩ましい」と言ったら、こっちの沖田浩之バージョンなんだよねぇ。

簡単に言えば、こちらの方を最初に聴いたんで、こちらの方が耳馴染みだったって言うこともある。 
うん、オリジナルのCharバージョンの方が後付なんですよ、ワタシは。

ただ、仮にCharバージョンの方を最初に聴いてて、こちらを後付けだったらどうだったか・・・というと、もしかすると、沖田氏のバージョンも良かったと思ったかもしれない。

うん、正直言うと、同じ曲なんだけども、全く別物って言う感じなんだよね。

オリジナルのCharバージョンは、若干R&Bがかったソウルっぽいサウンドだったじゃん。 それにCharのギターがフィーチャーされてる。 個人的にはやや薄味な味付けにも感じる。 

対して、沖田バージョンはブラス&キーボードが全面的に出ており、濃い味づけ。 それよりも個人的に感じたのは、そのドラマティックな展開なんだよな。よりエンテターテイメント性が強いって言うかさ。
特にブラスの使い方が独特なんだよね。

この曲、根のキーはマイナーだけど、サビで一度、メジャー系に転調するじゃん。 その流れがドラマティックなんだよな。 それまで薄暗い雨の中を進んでいたような展開なのに、転調するところで、いきなり太陽の光がさして来る。 ・・と思ったらサビ終わりでマイナーにも戻るところで、また薄暗い雨交じりの天気になる。。。

そんな昨今の天候変化にも似たような目まぐるしい展開が一層、この曲をドラマティックなものにしている。

オリジナルのCharバージョンは、そこまでドラマティックな展開じゃなく、サラッと流したような展開、その差が、それぞれのバージョンで、別物の曲のように感じさせられちゃうんだよな。

ちなみに、沖田バージョンのアレンジは鷺巣詩郎氏。 当時の鷺巣氏のアレンジとして松本伊代さんの「TVの国からキラキラ」でも感じてたけど、この当時の鷺巣氏のブラスの使い方は独特なんだよね。それまでの歌謡ポップスのブラスには無かったようなフレーズが出てくる。特に「TVの国からキラキラ」のサビ前のフレーズにはビックリしたよな。 ここまでスピード感がある音の重なりなんてそれまでは無かったからさ。

この「気絶するほど悩ましい 」では、「TVの国からキラキラ」のようなスピード感はないんだけど、やっぱりサビの裏から入るブラスのフレーズが斬新、かつ引っかかりがあるんだよなぁ。

この当時、特にブラスの耳に行くようになったのは、丁度この頃、ブラスを始めたってのもあるだろうけどさ。とにかく、この2曲のブラスは印象に深いんだよね。



「夜ヒット」だけど・・・・うーん、今一つレコードで聴くより弱い。
レコード音源はもっと、ドラマティックなんだけどなぁ。。。。

ちなみに、この曲のオリジナルのCharバージョンは、かなり昔に既に書いてます。

http://kajiyan-net2.blog.jp/archives/52046491.html

うーむ、この時も半分は、今回の沖田浩之バージョンについて言及して、今回と同じような事書いてたな。。。。
よっぽと、この沖田バージョンが印象に深いんだろうね。。。


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栞のテーマ / サザンオールスターズ

1981_09_栞のテーマ_サザンオールスターズ


今回の1曲セレクトは、「栞のテーマ」サザンオールスターズです。

まずはデータです。

・タイトル     栞のテーマ
・アーティスト   サザンオールスターズ
・作詞       桑田佳佑
・作曲       桑田佳佑
・編曲       サザンオールスターズ
・リリース日    1981年9月21日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 35位
・売上げ枚数  5.5万枚
・タイアップ:映画「モーニングムーンは粗雑に」挿入曲

ついこの間まで「あちぃーよ〜」なんて騒いでたと思ったら、ここ数日でめっきり涼しくなりましたね。涼しい・・というか、「寒い」位までになっちゃったり。
 まあ、ここ数年毎年のような感じだけど、夏が終わったと思ったら、いきなり「初冬」って感じでですわね。「秋」って言う季節がどんどん短くなってきているような・・・。

ヒット曲にとっては、「秋」っていう季節は重要なんだけどなぁ。最近は「惚れた腫れた」っていう「恋・愛」的な内容の曲が少なくなっているような感じがするけど、昔から秋っていうのは、「惚れた腫れた」って季節でしたからねぇ。 そう言う曲も多かった訳だし。

「恋・愛」って内容のヒット曲が少なくなってきたっていうのは、確かに「教育上良くない」とか云々で「教育」的()なクレーマーママゴンの突き上げもあるんだろうけど、季節感的なところも大きいんだろうね。

今回は、そんな「秋」の恋愛の匂いが漂う、サザンの名バラードを一つ。

「栞のテーマ」

なんが、大上段的な前振りを書いてしまった、この曲ですが、、今となったらサザンファン以外の方でも、少なくとも80年代を知ってる方なら知らない方も少ないだろう・・・そんな曲となったこの曲ですが、リリース当時は、知る人ぞ知る・・・って感じの曲でしたよね。

・・というのも、少し前に前年1980年のシングル「わすれじのレイドバック」の時にも言及したんだけど、1980年〜1981年にかけての2年間はサザンにとっては、「暗黒」の2年間でしたからね。

確かにこの2年でリリースされた「タイニイバブルス」、「ステレオ太陽族」は共にオリコン1位、30万以上のセールスを記録していた訳なんだけども、兎に角、シングルが売れない。

サザンの名バラードと書いたこの曲でさえ、オリコンでの最高位は35位ですから。 
・・・うんにゃ、35位っていうのは、後年CDシングルがリリースされた時のモノ。 当初81年にリリースされたアナログシングルの時は最高位44位だったと思う。
いずれにしても今のサザンしか知らない方にはちょっと想像がつかないだろうな。

まあ、この曲に関しては、アルバム「ステレオ太陽族」からのシングルカットだから、たしかに初めから大ヒットは期待できなかったところがあったかもしれない。 そもそもジャケ写からして、アルバム「ステレオ太陽族」の流用だし。 そそそセーラー服おじさんのジャケ写。

・・・・としても、この曲のクオリティから言っても、もう少し売れても全く不思議ではなかったと思うんだけどね。

結局は、この頃だけに限った事じゃないけど、シングルが売れてナンボな世界なんだよね。80年代の初めの頃は、まだそう言う傾向が強かったけど、アルバムは「固定」ファンのモノ、シングルが売れて、テレビのウタ番組で露出して初めて一般認知度が高まる。そう言う時代だっただよね。

そう言うこともあり、この頃のサザンのコンサートは、会場によっては空席も目立ってたとのこと。 
いや、信じられない、今じゃ。ファンクラブに入ってても、ライブの2回に1回は先行抽選に落ちるでチケットが手に入らない・・って言う状況な訳だから。

かく言う、ワタシも、リリースされた81年頃は、まだ、この曲は知らなかった。 たしかに明星の歌本で、存在自体は知ってたけど、実際に曲を聴いて無かった。 もっとも、この頃は、まだベストテンしか見てなかった訳だから、その範疇でしか曲を聴いて無かったが・・・。

ただ、この状況に、さすがに危機感を感じた桑田氏が、シングルヒットを出すべき、開き直って作った曲が次の「チャコの海岸物語」。
ここから第2エイジの幕開けが始まるサザンだけど、もし、ここで開き直って無かったら、いまのサザンは無かったと思うわ。


個人的に、実際にこの曲を聴いたのは、83年放送の、例のドラマ「ふぞろいの林檎たち」ですねぇ。主題歌、挿入歌、すべて「サザン」の曲をBGMにしていたこのドラマで、当然「栞のテーマ」はかなり流れてたからなぁ。 そそそ、高橋ひとみさんが演じていた伊吹夏恵のテーマ曲のように使われてましたもんね。

ちなみに、この「栞のテーマ」は、もともとは、挿入歌とした使われた映画「モーニングムーンは粗雑に」に登場する「栞」のテーマソングというのは有名な話だ。

ただ、この映画で「栞」は范文雀さんが演じたとの事なんだけど、どうもね范文雀さんのイメージがわかないんだよな。。

♪ 彼女が髪を分けただけ、それがしびれるしぐさ〜 ♪ ってイメージないよなぁ。この映画に出演された高樹零さんならイメージなら湧くんだけど・・・・。


おーっとっと話が脱線した。。。

でね、「ふぞろい〜」を受けて、改めて、きちんと聴いて、めちゃくちゃいいやん・・って思ったな。 なんで、リリースの頃知らなかったんだろ? ・・と地団駄を踏んだ・・とまでは思わなかったけど。。

3連のロッカ・バラード。 この手のバラード、大好きなんだよな、個人的に。 
いや、日本人で嫌いなヒトってあんまり居ないんじゃないか。 ってくらい。 この甘く、独特なリズム感のバラードって日本人の生理に合うんだろうなぁ。
50年代のオールディーズの時代から日本では、この手のヒットは多い訳だし。

正直、この「栞のテーマ」ってメロディ自体は難しんだよ。 サザンのバラードとして名曲中の名曲である「いとしのエリー」に比べても、格段に難しい。

♪ 彼女が髪を指で分けただけ それがシビレるしぐさ〜 ♪ 

っていう視覚的で、甘くキャッチーなAメロ

それとめちゃくちゃ字数を詰込んだ歌詞がメロディラインを不安にしてる

♪ Lady My Lady My Lady〜 ♪ っていうサビヘのブリッジ。。

いや、逆にこの不安定なメロディに惹きつけられる。

この2つのメロディラインがこの難解な曲を名バラードに仕立ててるんじゃないかな。


時に、70年代終盤、サザンと並び称され、ロックBIG3と言われた、「ゴダイゴ」「ツイスト」と「サザン」がもっとも違う点が、バラードだろうな。
バラードで名曲がある事。 バラードできちんと聴き手を魅了できる事。この事が、サザンを現在まで40年間もの間、第1戦のバンドとして君臨し続けられた一番の要因だと思うんだよね。

バラードって一見すると、スピードが速いアッパーチューンより簡単だろ・・なんて思われがちだけど、実際は全く逆。 バラードの方がアッパーチューンよりも何倍も難しい。ゆったりとした流れの中で聴き手を魅了するには、ごまかしが利かない分、本物の音楽力が必要なんだよね。

そんなバラードの名曲を何曲も持っている、サザンって、やっぱりホンモノなんだと思う。

ちなみに、サザンの並び、長きにわたって第1戦君臨し続けている、ミスチルにしても、B'zにしても、やっぱりバラードで名曲を持っている。 
これを見ても、バラードで聴衆を魅せられる事こそがホンモノかどうかの分岐点ってことが分かるんじゃないかな。






動画・・・昨日まで、画像は酷いけど、サザン本人のライブ映像がようつベにあったんだよな。
なんで、これはグッドタイミング・・・と、曲を引っ張ってきたところもあるんだけど・・・。

どうも、今日、消されちゃったみたいだ。。。

仕様が無いんで、またまたサザンのカバーバンドの映像で・・。 
まあ、見たかったらどうぞってことで。。。


そういえば、まだ、サザンのライブで「栞のテーマ」聴いたこと無いんだよな。
先日のROCK IN JAPANでもやんなかったし・・・。 来年春のツアーでは是非是非やって欲しいわ〜。。

・・・・なんて思ってたら、2015年の「おいしい葡萄の旅」ツアーで演ってたことが判明。

ウソウソ、ワタシ参戦したんじゃん。 新潟まで行って。 全然覚えてないわ〜。

2015年ツアーはアルバム「葡萄」中心のセットリストた゜ったのは当然だったけど、「過去曲」は、かなりマニアックな選曲だったのは覚えてるんだよな。 
でも、「栞のテーマ」をやってのは・・・・。 あー、全然記憶にない。。。。



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ゆ・れ・て湘南 / 石川秀美

1982_09_ゆれて湘南_石川秀美


今回の1曲セレクトは、「ゆ・れ・て湘南」石川秀美です。

まずはデータです。

・タイトル    ゆ・れ・て湘南
・アーティスト  石川秀美
・作詞      松本隆
・作曲      小田裕一郎
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1982年7月21日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 29位
・売上げ枚数  8.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 27位

一昨日、小田裕一郎氏が逝去されましたね。 享年68歳。
全くの突然の逝去のニュースであったので、ちょっとビックリしてしまったワタシなのですが。。
確かに、昨年刊行された「大村雅朗の軌跡」に掲載された小田氏の写真の風貌が、昔とは全く違っていた事には違和感を感じていましたが、まさかね・・・。こんなに若くしてお亡くなりになるとは。。。

それよりも、先週、石川秀美さんの「バイ・バイサマー」を書いたばっかりなのに・・って言う思いもあったし、ちょっと小田氏を卑下した書き方になっちゃったんで、申し訳なかったような思いが交錯した昨日今日だったり。

・・・ということは、やっぱり、今回の1曲セレクトは、小田裕一郎氏の曲で行きたい。。。

とは思ったものの、今頃のヒットで小田氏の曲って、ほとんど、既に書いちゃってたりするんだよな。

・・と、一度は諦めかけたものの、何気に1曲セレクトでの石川秀美さんのアーカイブを調べてみたら、なんと、この曲をまだ書いて無いではないか。。。。    

「ゆ・れ・て湘南」

ガーン

ワタシの中では82年の晩夏といったら、この曲・・・って言うぐらい、ワタシの中ではスタンダードなこの曲をまだ書いて無かったとは。。。。

これは完全に不覚だったな。

それに本来は連続して、同じアーティストの曲は書かないようにしてたんだけど、今回は小田氏の追悼ということもあり特別・・・と自分に言い聞かせて、引っ張って来ました。


先週の「バイ・バイサマー」でも書いたんだけども、この曲は、もろ82年の今頃"晩夏〜初秋" を象徴しているような曲なんだよね。

パッと聴き、この曲に、夏の太陽、青い空、青い海・・っちゅうもろ「夏の湘南」のイメージを持っている方はいないですよね。 
ポップではあるものの、マイナー調のこの曲は、どうしても、どん曇り、あるいは小雨交じりの〜 っていう、うす暗い夏の午後を連想してしまう。

個人的には、小雨交じりの、鎌倉の七里ガ浜っていうイメージかなぁ。

というか、実際、この曲がヒットしていた82年の8月の終わりか、9月の初めごろに七里ガ浜に行ったんだよね。

当時、まだ福島から千葉に越して来たばかりで、友達も無くて、よく一人電車で放浪してたんですよ。 首都圏内ほとんどの鉄道路線はあのころほとんど制覇したんじゃないかってくらい放浪してたな。 
当時は「乗り鉄」だった事もあるんだけど、電車に乗って放浪してると、友達がいない寂しさを紛らされるっていうかさ。
で、ちょうど、この曲の頃、「江ノ電」で鎌倉から藤沢まで行ったんだよな。 その途中、七里ガ浜に寄ったんだったと思う。

どん曇りの小雨模様だったのを覚えてるわ。

そんな時、脳裏で鳴っていた曲が「ゆ・れ・て湘南」だったんだよね。 

それからというもののこの曲と言ったら、あの時の、海は鈍色、空は薄暗く、かつ肌寒かった、あのときの情景が浮かぶんだよなぁ。

ともかく、この曲から感じた情景と、あの時のリアルの情景がピッタリ一致したんだよな。

でもさ、この時がたまたま、小雨模様だった・・・って言う事でもないんだよね。 

ここでは、もう何回も書いてるけど、82年の夏って冷夏で天候不順な夏でさあ、雨の日が多かったんだよ。

まさにこの曲自体のイメージにぴったり嵌まった・・・と言うような。

そんなこともあって、ワタシの中では、82年の晩夏といったら、この曲って言うイメージが定着しちゃったんだと思う。

まあ、この曲だけじゃ無いけどね、中森明菜の「少女A」とか、サザンの「夏をあきらめて」とか、マイナー調の曲がしっくりきた夏だったんだよ。 だから、82年の夏といったら、全体的に「曇天の雲の下の〜」っていうイメージがいまでもこびりついちゃってたりするんだよね。



うんにゃ、この動画の画像のような「真夏の青い空の下〜」っていう、もろ湘南の夏のイメージぢゃないんだけどなぁ、この曲は。

ただ、いわいる「湘南ソング」って昔から、いっぱいあるけど、大体いつも、夏の太陽、青い海〜・・・っていうイメージだよね。 往年の若大将、加山雄三氏にしても、もちろんサザンにしてもチューブにしても、みんなそうじゃん。

曇天、小雨交じりの湘南・・・なんて曲は、この曲と、↑で書いたサザンの「夏をあきらめて」ぐらいじゃないのかなぁ。 調べればもっと出てくるかもしれないけど、パッとなかなか思い出せない。
湘南ソングからすると、かなり稀有な曲かもしれないな。
まあ両方とも82年の曲ということで、それだけあの年の天候不順さが分かるんじゃないかなぁ。


どうでもいいことだけど、この曲のタイトル「ゆ・れ・て湘南」・・って「ゆれて」の間に「・」が入るんだね〜。 あれから36年。いま頃気が付きましたわ〜



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バイ・バイ・サマー / 石川秀美

1983_09_バイバイサマー_石川秀美


今回の1曲セレクトは、「バイ・バイ・サマー」石川秀美です。

まずはデータです。

・タイトル     バイ・バイ・サマー
・アーティスト  石川秀美
・作詞        竜真知子
・作曲        小田裕一郎
・編曲        入江ジュン
・リリース日       1983年9月1日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  11.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位

昨日に引き続きいての1曲セレクトですが、どうもねぇ、昨日の安室さんの1曲のイメージが残っちゃってましてねぇ。今日は各ワイドショーも、ラジオ放送も昨日に増して「安室引退」の報道が多かったからなぁ。
うーむ、上手く気持ちが変わらないなぁ。 こういう時に安室さん以外の曲を持ってくる来るのも、本音を言えばキツイんだけどね。
でも、そうも言ってらんないんで、今回は安室さんじゃないヒトの曲を引っ張って来ますよ。

今日は、事前の天気予報では、気温が上がるって事だったんだけど、昨日同様、秋めいた1日でしたわ。おまけに秋雨もシトシトと・・・。

これは、本格的に「夏」ともオサラバ・・・ってことでいいでしょうかねぇ。
・・となると、ようやっと「夏の終わりの・・・」って曲を持ってきたくなるもんですわ。

・・ということで、今回はダイレクトに「夏の終わり」を歌ったこの曲を・・・


石川秀美「バイ・バイ・サマー」

うわっ、またマイナーな曲を・・って感じなんだけどさぁ、もうね、80年代の曲ってこの辺しか残ってないのよ。。

この曲は、今から35年前、1983年の今頃のヒット曲ですわ。 

ちょっと前にも稲垣潤一の「夏のクラクション」でも書いたけど、この年1983年はワタシャ14才、中学2年の時ですわ。

 うむ、「最も」ヒット曲を聴き漁っていた頃ですね。 まあ、兎に角、何でもかんでも聴いてたですわ。よく1日中ラジオの前に居られたもんだよなぁ・・・ってくらい、日曜は朝から夕方までラジオの前にかじりついて、明星の歌本「Young Song」を片手に、ベストテン番組の梯子。 日曜だけで3つのベストテン番組聴いてたもんなぁ、この頃は。

今思うと、よく、それだけの体力があったもんだよなぁ・・・なんて感心する。 今は、1つのラジオ番組も最後まで聴いてらんないもん。

ともかく、だからね、この頃吸収した曲が、今のワタシの血肉になっている事は間違いない訳で、それだけ刺さった曲も多かったんだよな。

ただ、そう言う曲って、もうすでに大半は1曲セレクトで書いちゃったわけで、それでも、まだ残っていたってことは・・・。

そうなんですねぇ、この曲、当時、あんまり刺らなかったんだよね。

まずもって、1983年当時からして、ちょっと古臭よなぁ・・っていう印象が強かったんだよな。 

いつかも書いたかもしれないけど、この当時って、ヒット曲も、まだまだ発展途上のところがあって、新しい試みの新曲も次々とリリースされていた。

だからね、新曲がリリースされるたび、新鮮な気分になれたし、なにより、年ごとにカラーがあったんだよね、ヒット曲の。 ヒット曲の色合いって言うのかなぁ。 だから、今も曲を聴けばどのあたりにヒットしたのかっていうのも大体分かるしね。

個人的には、例えば、1982年の夏は「どんよりとした曇り空」、 1983年の夏は、「夏のクラクション」の時も書いたけど、「夏の午後の透明な光」のイメージがある。

大体こんなイメージに沿った曲が多かったって事ですね。

それじゃ、この「バイ・バイ・サマー」はどうだったのか・・・っちゅうと、まあ、タイトルからも想像できるように「夏の午後の透明な光」の・・って言うイメージは到底ない。

どちらかと言うと、前年82年の「曇天の下の・・・」って言うイメージなんだよね。

そんなところから、どうしても「古臭い」イメージが、まず初めてに出て来てしまう。  そそそ前年の秀美さんのシングル、「ゆれて湘南」。 あの延長線のイメージなんだよ。

だからさ、仮にこの曲が、前年の82年にリリースされていたら、もっと刺さったのかもしれない。 

明星歌本の「新曲激評」で近田春夫氏も、「2年前の・・・って言うイメージ」って書いてたりするしさ。


結局さ、作詞の竜真知子女史も、作曲の小田裕一郎氏も、ヒットメーカーとしての旬は過ぎていたのかもなぁ・・・。

80年代でも、82年と83年の間にはヒット曲の傾向に大きく変化が見られたんだよね。 これもちょっと前に書いた事だけど、82年って、まだ70年代の「残像」のような曲が多かったんだよ。

ま、82年の「70年代」のヒット曲のカバー、リメイクブームを見れば顕著なんだけど。 でもね83年には、そういう70年代のくびきは一掃され、本当の意味での80年代的なヒットが始まったって言えるんだよね。

これも時代の流れな訳なんだけども、そんな80年代的な新たな流れにうまく乗れなかった作家の方々も多かった訳ですわ。それが、竜真知子さんであり、小田裕一郎さんだったって事なんだろうね。

まあ、小田裕一郎さんは、この「バイ・バイ・サマー」と同時期に、杏里の「キャッツ・アイ」を大ヒットさせていたわけがら、必ずしもそうも言いきれなかったのかもしれないけど、でも、ヒットメーカーとしては、このころが最後の頃でしたしね。




うーん、聴きようによっては、85年の・・・っていうイメージも感じられたりしてね。
でもね、↑で書いたようなヒット曲のカラーは、85年の夏と、82年の夏って似たようなイメージがあるんだよなねワタシの中では。
どちらの年も「曇天の下の〜」っていう、少し薄暗い、秋の始まりのような肌寒いイメージ。

うん、82年も、85年もどちらの年も夏は冷夏で長雨が続いた年ですわ。実際の天候がヒット曲のカラーも決める。
でもね、酷暑の年は蒸し暑い曲がヒットするし、寒い年は寒々しい曲がヒットする。そう言った実際の天候とヒット曲の傾向ってリンクしてるんだよね。 



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い・か・が / 速水陽子

1981_08_い・か・が_速水陽子


今回の1曲セレクトは、「い・か・が」速水陽子です。

まずはデータです。

・タイトル      い・か・が
・アーティスト   速水陽子
・作詞        神田広美
・作曲        亀井登志夫
・編曲        後藤次利
・リリース日    1981年8月1日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位  92位
・売上げ枚数   1.0万枚

スカパーに「スターデジオ」っちゅう、カラオケの「第一興商」が運営するラジオチャンネルがあるんだよね。
USEN同様、多チャネル(100chだっだっけな?)で、チャンネルごとにいろんなジャンルの曲が24時間、365日ずーっと流れっぱなしのチャンネル。
うん、音楽好きにゃ溜まんないプログラムですわな。

かくいうワタシも、「スターデジオ」大好き人間だったんだよなぁ。 ・・・「だった」っちゅうことは、今は契約してないんだけどさ。 今の「サブスクリプション」っちゅう定額制のネット配信が無い時代、確か月1000円ちょっとっていう、格安定額で音楽聴き放題、楽曲ソースを「エアチェック」し放題っちゅうことで、ちょっとのめりこんでた時代がある。

今の会社に入る前・・・10年ちょうと前、そそそ2008〜2009年、フリーの頃、金が無かったからねぇ、「スターデジオ」の「最新ヒットch」から、毎週、ひっかかった新曲をばっかみたいに録音してたもんなぁ。
うん、今あるかどうか分かんないけど、当時、「スターデジオ」を録音できるPCアプリがあったんだよ。16ビット、24KHZ、48KHZのWAVファイルに録音できるフリーアプリが。

まあ、スターデジオ自体mp2(mp3ではなく)に圧縮した音源で配信していたんで、WAVファイルに録音出来たといっても、録音された音質は当然CDより落ちる訳で、ハイレゾになれちゃった今からしてみればたかが知れてたんだけどさ。

そんな、「スターデジオ」に懐かし系chとして、70年代、80年代、90年代chがある。 これがねぇ、ヒット曲をバンバン流すんではなく、超マニアックな曲が流れるんだよね。「え? そんな曲あったの?」って曲が。いわいるヒットチャート系では無く、当時オリコン100位にも入らなったような曲ですわ。

まあ、ほとんどが知らない曲だしBGMとして流しておくにはいいんだけどね。 やっぱ売れた曲はBGMとしてはアテンションが強いからさあ、なんか作業しながら流す音楽には適さない場合があるじゃん。

でもさ、そんな「売れなかった」曲群の中にも、たまーに、引っかかる曲があるんだよ。 


今回の1曲セレクトは、そんな「スターデジオ」で引っかかった曲を一つ。 (うーむ、マクラ長すぎ。。。。)

速水陽子「い・か・が」。

タイトルとアーティスト名を見て、「あの曲ね」って言える方、超80年代マニアですねぇ〜。 なんせオリコン最高92位ですよ。
1981年8月1日リリース。ヒットチャート的には、松田聖子の「白いパラソル」と、イモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」が1位争いをしてた頃だ。

その頃、チャートのしたーーーーの方にちょこんと鎮座していた曲って事になりますね。 
92位なんてさぁ、相当なチャートマニアでも毎週チャート表に穴が空く位、くまなく見てなきゃ見落としちゃうような順位ですよ。

かくいうワタシも、これまでこの曲は知らなかった・・・・・うんにゃ〜、確かに曲自体は聴いたこと無かったんだけど、存在自体は知ってたんだすねぇ。

月刊明星の付録歌本「Young Song」、1981年9月号の「新人ファイル」にこの曲、載ってるんだよね。 それで存在を知ってたんですよ。 
まあ、新人ファイルと言っても、毎号10組位載ってるし、この号では、次のページに竹本孝之「てれてZinZin」(バウバウ松村が大好物)が載ってたりするんで、本来はそっちに目が行っちゃうのが普通かともおうんだけど、不思議と、この曲の存在に目が行ってたんだよなぁ、当時から。

このヒトのちょっと日本人離れしたようなコケティッシュなルックスもそうだけど、「い・か・が」っていうタイトルが気になっちゃってたんだろうね。 一体どんな曲なんだろう・・・なんて思ったこともあった。

そんな存在を気にしていた曲が、「スターデジオ」で流れちゃったわけだ。

正直言うと、最初はこの曲である事は分からなかった。タイトルから想像していた曲調と大分違ったからなぁ。 もっとソフトなミディアム調のポップスっていう想像をしていたのよ。

でも、実際はイントロのスネア連打からしてインパクトありまくり。小悪魔系のグラムロック・・・・うんにゃ、大槻ケンジ氏曰く「グラム歌謡曲」っちゅうのかなぁ。ともかくミディアム系のソフトなポップスとは正反対のイメージ。

楽曲的なイメージはグラムロックっぽいけど、リズム体はイタリアンツイストですね。 いや、この手の音、曲調ってこの当時の流行りだったんだよ。 そう三原順子の「セクシーナイト」。 この曲を思い浮かべていただければ手っ取り早いと思う。

お水系っていうのかなぁ、速水さんは当時19才っていうんだけども、かなり大人っぽく見せてたよなぁ。 お水系の陰ある「ナオン」っていう感じで。 

当時、「ツッパリ」が時代の趨勢だったわけだけども、女の子もやたらと大人っぽく見せてた子って結構いたんだよね。 三原順子さんだって、この当時17才だったわけでさ。 17であの「色気」はマズいでしょ、今だったら。

歌詞もシュールだし、そういうところがグラムロックっぽいっていう所以なんだけども、全体的に次の年の大ヒット、アン・ルイスの「ラ・セゾン」にも似てるんだよなぁ。
特にギターの音色がね。 エフェクターは絶対一緒だよね・・・ってくらい似てる。 もしかして、ギターは両曲とも北島健二氏? 「セクシーナイト」のギターが北島健二氏なのは有名ですけどね。
初めて聴いた時は、 あれ? 「ラ・セゾン」のパクリ? とか思ったんたけども、こっちの方がリリースは先なんだよね。

まあ、リズム体は「ラ・セゾン」とは違うけどね。 ただアレンジの後藤次利氏、このイタリアンツイスト風のリズム体、やはり次の年の、ニックじゃがあずの「よろしく原宿」でも引用してますよねぇ。 さすがに後藤氏ただでは倒れない。


ちなみに、この曲の作詞の神田広美さんは、その昔、「スター誕生」からデビューした元アイドル。 アイドルが上手く行かなくて作詞家に転向した方ですね。

穿った考え方をすれば、↑の「ラ・セゾン」の作詞も、スタ誕出身の「山口百恵」女史。 曲調と言い、作詞者の出身母体といい、なにかと「共通点」が多い、この2曲だったりして。。。

その裏に「ナベプロ」の影がチラチラ()。  そそそ、速水陽子さんって、もともと「平尾昌晃・ミュージックスクール」出身でナベプロだったんだよね。(アン・ルイスもナベプロだったしね)

ちょっと陰ある風貌にしたのも、「女・ジュリー」を目指してからだったとか・・・。 うんにゃ、そういえば、それ以前に「女・ジュリー」を目指していたのはアン・ルイスだったっけ。。。やっぱ共通してる。。。




平尾昌晃・ミュージックスクール出身ということで、これがデビュー曲としてはウタは上手いですね。
色気があるし。
ただ、ところどころ方言か()、で、語尾が流れる部分がね。 まあ、その辺が、まだ初々しいかな。



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