かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1990年代ヒット曲

幸せな結末 / 大瀧詠一

1998_01_幸せな結末_大瀧詠一


今回の1曲セレクトは、「幸せな結末」大瀧詠一です。

まずはデータです。

・タイトル    幸せな結末
・アーティスト  大瀧詠一
・作詞      多幸福
・作曲      大瀧詠一
・編曲      井上鑑
・リリース日   1997年11月12日
・発売元     ソニーレコーズ
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   97.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1997年11月24日〜1998年1月26日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「ラブジェネレーション」主題歌

先日、佐野元春氏の「約束の橋」で、70年代、80年代の「大御所」アーティストのドラマ主題歌で取り上げられねがれは、この辺から下火になる ・・と感じで書いた。
まあ、確かに頻度としては、90年代頭から92年くらいまでに比べると落ちた印象が強いんだけどね。
実際は、それ以後も90年代後半まで続いたわけで。

その「とどめ」として出てきたのが、このヒトのこの曲だったんじゃないのかなぁ。

大瀧詠一「幸せな結末」

最後の「大物」として、やっとドラマの主題歌で出てきたか・・・なんて、思った方も多いんじゃないんですかねぇ。

wikipediaを見ると、当時の大物ドラマプロデューサー、亀山千広氏から、大瀧氏へなんども、依頼をしていたものの、ずっと断られ続けた ・・とあるんで、ずっと前からオファーはされていたようなんだけどね。

まあ、70代〜80年代にかけて、テレビには出なかったアーティストも含め、超大物アーティストが次々とドラマ主題歌に抜擢されていく中で、 大物中でもさらに大物である大瀧氏にオファーが行かないわけもないわけで。

でもまあ、大瀧氏も当初は断り続けていたようなんだけどね。亀山氏の粘り強い交渉と、その他諸事情が整い、ここに実現したわけでね。

当時、ドラマ主題歌に大瀧氏の「新曲」・・ということを知ったとき、正直、個人的には複雑な心境だったな。

まず、大瀧氏の「新曲」が聴けるということ。 なんせ、待って待って待ち続けてましたから。。。
この曲の前にリリースされたシングルは、1985年11月の「フィヨルドの少女」まで遡るわけで。

中学2年(1983年)のちょうど今頃、親友だった「お寺」の息子のI君に強制的に聴かされた「A LONG VACATION」のカセットを強制的に聴かさせた。

衝撃的だったのよ。  なんだ、この音楽は。その頃主に聴いていた「ヒットチャート系」とは全然違う。 あの頃自分の中で求めていた「音楽」がすべて詰め込まれていたような気がして。

強制的に聴かされたカセットを、今度は、ワタシから「強制的」に借りてダビングしたな。
丁度、AIWAの「ダブルカセット」ラジカセを購入したときで、カセットからカセットへダビングしたのが、「A LONG VACATION」。

依頼、ワタシゃ、大瀧フリークになったのよ。

当然「EACH TIME」のLPも、 85年の「フィヨルドの少女」のシングルも聴き倒したな。

当時のマスコミ的な流れだと、次のアルバムは88年、その次は91年・・か?  とか言われていたわけで。。

でも、88年も 91年も 何の音沙汰もなし。 そろそろと次のアルバムの準備期間か? などの質問にも、まだ「EACH TIME」の整理期間 などとはぐらかされるばっかりで、ニューアルバムどころか新曲の声も一向に出てこないし。。。

もう、大瀧氏の新曲は永遠に出ないかもしれない。。。 なんて諦めに変わったりして。

そのうち、90年代の新たなアーティストが台頭する中で、大瀧氏については、ほとんど忘れかけていたんだよね、ワタシも。


そんな折に、突然ふっと湧いてきた「新曲」の情報。
やっと来たか・・と思ったのは言うまでもなかったのよ。

・・と同時に、一体どういう曲になるんだろう? 90年代の「NEW」大瀧詠一氏を見せてくれるのか、という期待があった。

反面、「ロングバケーション」の焼き直しだったらやだな・・っていう不安もあった。
時に90年代も後半。 すっかり70年代、80年代の匂いも一掃されていた頃だったからさ。
ここに「ロングバケーション」が来られても、時代錯誤のような気もしたのよ。

で、曲を聴いて、その不安は的中したな。 まったく「ロングバケーション」の再現だったから。
これは、亀山氏の意向でもあった様なんだけど。。。

BUT、そんな個人的な見立てとはウラハラに、売り上げ97万枚と、大瀧氏のシングルとしては、ダントツの売り上げを記録。

そもそも、シングルでオリコンのベストテン入りしたのも、この曲が初めてだったし。。。

まあ、あの当時、飛ぶ鳥落とす勢いだったキムタク主演の「月9」の主題歌だったわけで、大ヒットは約束されていたわけなんだけども、それにしてもミリオンセラー近くの売り上げっていうのは、正直、個人的には複雑な気分だったな。

メディアミックスでCDが売れるっていうのは、決して悪いことではないと思ってたし、今でも思ってるんだけどね。
でも、これは、あくまでニューカマーアーティストがブレイクする。そのきっかけとしてのメディアミックスなら・・って思うのよ。個人的には。

果たして、大瀧氏ほどの大物が、ドラマの主題歌としてメディアミックスが必要だったのか・・・というのは、やっぱ引っかかっていたし、そういう曲が、いとも簡単にミリオン近くまで売れるっていうヒットの風潮にも引っかかった。

佐野元春氏が「約束の橋」の時に、「ドラマの主題歌になんないとみんな聴いてくれないのか?」と疑問を呈したコトバが、甦ってきたりして。。。

待望の新曲が聴けたのは、うれしかった。けども、そんな理由から、もろ手を挙げて賞賛は出来なかったんだよな。 以来、この曲を聴くと、いつもどこかに、何かが引っ掛かったような違和感を感じたりしてね。




↑で、なんだかんだ書いても、今となっては、1998年の今頃の曲って頭になっているのは自分の中でちゃんと昇華してるんだろうな。 1998年の今頃って当時の仕事でも色々ツライことが多かったのよ。そういう時期の曲って好き嫌い抜きにして、印象に残りますね。


ちなみに、この曲がヒットしていた、ちょうどこの頃、個人的にはインターネットを始めたんだよね。
1997年12月の暮れだったな。
年末年始休暇を利用して、自宅PCとネット回線を繋いだの覚えてるわ。
TCP/IPとか手動で設定しなきゃならないところかあって、接続するまで結構苦労したんだよな。
あの頃OSは、まだWindows95、回線はISDN、今みたいに常時接続は高くて個人では無理だったからダイヤルアップでしたね。 もちろんテレホーダイで。
日中は、直近のアクセスポイントまで3分10円の通信料がかかるから、接続は23時から翌日8時の通信料が一律になるテレホーダイタイム。
でも、考えることはみんな一緒で、23時になるとたちまち接続が重くなったりしてね。。。

仕事でネットを使うのを含めて、IT系の人たちに宵っ張りが多いのは、この頃のテレホーダイの慣習の名残だよなぁ。。。

いずれにしても、ネットに接続したことで、自分のサイトのランキング集計も、全部PC上で集計ができるようになったわけで。。今に続く環境が整った頃ですね。

それまでは、すべて紙媒体を利用して集計してたんで。。。。

でも、ネットにつないだことによって、あの当時の仕事を辞めようと思い始めたんだよな。


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ENDLESS RAIN / X

1990_01_ENDLESS RAIN_X


今回の1曲セレクトは、「ENDLESS RAIN」X です。

まずはデータです。

・タイトル    ENXLESS
・アーティスト  X
・作詞      YOSHIKI
・作曲      YOSHIKI
・編曲      X
・リリース日   1989年12月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   36.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1989年12月11日 1990年1月15日〜2月12日 3月5日付
・タイアップ:映画「ZIPANG」主題歌

先週は成人式でしたな。
北九州では「恒例」(!?)のド派手成人式・・と、いまや「ワイドショー」で取り上げられるなど、マスコミでも認められたような存在になりましたが。。。

ワタシが成人式を迎えたのは、えーと・・・今から何年前だ?  計算もできへんようになったわい。。。

1990年だから、34年前ですね。

・・・っうことで、今回は、ワタシが成人式だったころヒットした曲を一つ。

Xの「ENDLESS RAIN」


・・といっても、ワタシ、成人式には出席してないのよ。

以前ここで書いたのかどうか・・というのも、すでに覚えてないども、1990年の1月といったら、「3度目」の大学受験の直前だったから。。

当時1月15日が成人式。 で、センター試験が、その直前の1月13日 14日だったと記憶してるけども・・・あれ、違ったかな?

なので、日程的には「式」に出られなくもなかったけども、気持ち的に、とても、そんな余裕なんてなかったしなぁ。

現役、1浪目は、自覚が全然なくて落ちるべくして落ちた感じだったので、2浪目は、「後はなし」と不退転の覚悟でめちゃくちゃ勉強したのよ。 おそらく、この後今に至る人生のなかでも、こんとき以上に勉強したってのはないくらい。
おかげで、受けようと思った大学への手ごたえは直前には大分つかめてた。

だからなんだろうけども、ここで成人式に出て、中学校の同級生にあったりしてバカ騒ぎなんかしたら、そこまで積み上げたもんが、全部崩れるような気もしたんだよね。

いや、それよりも、この時点で「無職」っていう身分だったのにも気が引けたしな。

もちろん、「成人式」の案内は来てたけども、だから、行かなかった。

余談だけども、成人式に行かなかった人って、きっと、そんなにいないんだろうな・・とその後もずっと引っかかってたんだけども、意外と多いんだよね。少なくとも、その後、知り合った人の中では。

それまでは、なんか気が引けてたんだけども、今では、そんなもんなんか‥なんて思ったりもしたりして。。。

・・・となんか、話の方向がずれた行くような気がするけども。。

そんな、ワタシの成人式の頃にヒットしてた曲って言って、真っ先に浮かんでくるのが、Xの「ENDLESS RAIN」ですね。

いや、当時、きちんと聴いていたわけではないんですよ、この曲。

↑に書いたように、とにかく大学受験が目の前に迫っていた状況の中で、ヒット曲を聴いている余裕なんて、全くないくらい、あん時の精神状態は追い込まれていたから。

もちろん、テレビも全く見てなかった。

ただ、唯一、あの頃フジテレビ月曜 の24時30分〜1時で放送してた、「マーケティング天国」って番組は欠かさず見てたな。

↓ コレ




能動的に、新たなヒット曲を聴く余裕はなかったけども、やっぱマーケティング情報については離れられなかった・・っていうんでしょうかね。
ながらでも、この番組さえ見れば、CD、テレビ視聴率、映画興行、本ベストセラーetc、いろいろなエンタメマーケット状況は、一目でわかったんで、個人的には好きだったな。

で、この番組で、あの頃気になっていたのが、Xの「ENDLESS RAIN」でしたわ。
↑では、BUCK-TICKの「悪の華」がランクインしてたりして、めっちゃビジュアル系ブーム、バンドブームって頃。

ほんの数秒間、音が流れるだけの紹介だったけども、それでも、なんか気になった・・・というか、刺さったというか。

正直言うと、今でもそうなんだけども、ビジュアル系って、今一つ苦手なのよ、個人的に。
だから、自らすすんで聴く人ではないんだけども。。。

やっぱり、音楽的によくできているというのが、大きいのかもしれない。YOSHIKIの紡ぐメロディラインって、ツボに刺さるんですよ。 ヒット曲ってこういうメロディラインというのをちゃんと研究されている。

本人はどう感じているのかはよくわからないし、そんなことは口が裂けても言わないだろうけども、「売れる」ことをめちゃくちゃ前提していると思う。

まあ、その辺は、プロモーションのマネージメント方法をも自ら研究していたということからも分かるんだけども。

だからなんだろうけども、今、MV見ても貧乏くさくないのよ。 

もっとも、当時はバブル絶頂期。湯水のごとくお金を使えた時代というのもあるんだろうけども。。。


そうはいっても、どうしても、外見の見た目で「ちょっととっつきにくいなぁ」・・・と思える部分は大きいわけで。。。
あのころのTOSHIなんて、どう見ても近寄りがたい怖い兄ちゃんだったもの。 近づいたら刺されそうな。。。 

Xの曲を正面から聴けるようになったのは、これからだいぶ先だったと思うな。

91年暮れにリリーされた「Say Anything」くらいだったかもしれない。だからXについては、そこから遡って聴いた感じだったかなぁ。

余談だけども、後年QUEENを何の違和感なく聴けるようになったのも、このころ「X」を聴いて、大分免疫ができていたのも大きいだろうな。
なんせ、この頃は、全く洋楽ダメ子だったんで、ワタシ。。。









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雪が降る町 / ユニコーン

1992_雪が降る町_ユニコーン






今回の1曲セレクトは、「雪が降る町」ユニコーンです。

 まずはデータです。

・タイトル    雪が降る町
・アーティスト  ユニコーン
・作詞      奥田民生
・作曲      奥田民生
・編曲      ユニコーン
・リリース日   1992年12月2日
・発売元     ソニー
・オリコン最高位 4位
・売り上げ枚数  23.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1992年12月28日付

 いや〜、今年も、いよいよ押し迫ってきましたなぁ。1曲セレクトも、年内はこれが最後とあいなりまする。
今年は早かった、1年が。 なんか、毎年、そんなこと書いているような気もするけど、いや、マジで早かったわ。あっちゅう間に過ぎた感じやね。
うーん、こんな感じで、年取っていくのかねぇ。。あ〜やだねぇ。。

 
 うん、さてと、気を取り直して。。。

 年末といえば、年末らしい曲を持って来たいものですわ。。

 っつうことで、今回の1曲セレクトは、ユニコーンの「雪が降る町」で決定!

 いや、だけど、この曲、今まで、もって来てなかったんだな。。うーん、「年末」といえば、この曲がすぐ浮かんでくるんだけどねぇ・・。

なんせ、歌詞に

♪ 今年も終わるけど〜 ♪ ってあるしね。
 
ま、だけど、丁度、都合がいいのでね。

 しかし、この曲聴くと、ホント、年の瀬・・って感じがするよなぁ。もうね、条件反射。「雪が降る町」って言うんだから、本来なら、それこそ「雪が降っているさま」を歌ってんだろうけど、でも、

 ♪ 今年は久しぶり田舎に帰るから〜 ♪

とかあると、どうしても、帰省→年末 っていう雰囲気になっちゃいますな。

それと匂いだよね。年末ってなんか独特の匂いがあるんですよ。その匂いが、この曲からは感じるんだよなぁ。

 個人的には、この曲、COUNTDOWN JAPAN FEF04/05の印象が深いんだなぁ。 うん、初めて、「COUNTDOWN JAPAN」に参戦したときだ。たしか2004年12月29日だったな。 大雪だったのよ、外は。

  で、奥田民生、本来はこの曲の予定はなかったんだけど、セットリストを変更して、急遽、この曲、やってくれたんだよなぁ。 いや、この曲の歌のまんまの情景。

 いや、良かったね〜。

 そういえば、あれ以来、この曲、「COUNTDOWN JAPAN」でやってない やった
やっぱ、「雪」が降ってないと、この曲の意味が半減するからなぁ。





それでは、皆様、よいお年を〜 

ってか、今年、まだ続きます。。。おそらく。。。



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クリスマスキャロルの頃には / 稲垣潤一

1992_12_クリスマスキャロルの頃には_稲垣潤一



今回の1曲セレクトは、「クリスマスキャロルの頃には」稲垣潤一 なのだ。

まずはデータです。

・タイトル   クリスマスキャロルの頃には
・アーティスト 稲垣潤一
・作詞     秋元康
・作曲     三井誠
・編曲     清水信之
・リリース日  1992年10月28日
・発売元    ファンハウス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  140.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1992年11月16日〜1993年1月18日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「ホームワーク」主題歌

先日から、以前すでに書いたクリスマスソングのうち、ずっとアクセスが多めの曲、ブログの底に沈んでいたのを表に引っ張り上げることを何曲かやってきた。

いつだかも書いたけども、1曲セレクトを始めた2005年、まだmixiに書いてた頃だけど、2週間くらいずっとクリスマスソングだけ書いてたことがあった。 

当時は、文字通り「1日1曲書く」ってことを目標にやってたんで、それこそ一気に10数曲書いたのかなぁ。 あの時点での過去の、めぼしいクリスマスヒットは、あん時、あらかた書いたんだよね。

ただ、後先考えずに書いたんで、その後、クリスマス時期に書きたい曲が無くなって、毎年難儀してるんだけども。。。。

でも、あの時も、それ以後もまだ書いてなかった クリスマスソングももちろんあるんだよね。


今回は、そんな、まだ書いてなかった「大ヒット」のクリスマスソングを一つ。


稲垣潤一「クリスマスキャロルの頃には」

じゃじゃーん。 1992年のクリスマスソングとしてリリースされ、当時、ミリオンセラーも記録した大ヒットをまだ書いてなかったとは。。。。

いやいや、書いてなかった・・というよりは、あえて書いてなかったといった方がいいのかなぁ。

リリースされた1992年当時、個人的には、どうも今一つ、この曲が好きになれなくて。。。 そういう記憶がずっと残っていたりするのよ。

生理的に好きになれなかった・・というよりは、あの時点で、この時期、毎年のようにリリースされるクリスマスソングに飽きてたって言った方がいいだろうな。

なんか、またか? ・・・って気持ちも強くてね。

それと、少し前に書いた、佐野元春氏の「約束の橋」と同じで、ドラマの主題歌にならないとみんな聴かないのか?  っていう現象に飽きてきてたんだよね、この時点で。

90年代に入り、70年代、80年から活躍してきた「大物」アーティストも、時代の流れの中で、苦戦をしれられてきていたアーティストも、ドラマの主題歌となると、約束されたようにミリオンセラーになる。

この曲は、ドラマ「ホームワーク」の主題歌。当時、上記にかいたような現象を起こしていたフジテレビ系ではなく、TBS系の金曜9時ドラマだけども。 結果的には同じような現象が起きた。

これを見てて、なんだかなあ・・・と思ってたのよ。

周りの盛り上がりとはウラハラに、なんか冷ややかな目で・・というと聞こえが悪いけども、冷静な目で見てたワタシがいたりしてね。。。
まあ、周りの風潮に流されすぎるのも嫌だった・・・っていうのもあったかもしれない。あの頃の心境として。

時代は90年代も丸々2年が過ぎようとしていた頃だったじゃん。 
件の「約束の橋」の時にも同じことを書いたけども、90年代をけん引していくような新たなアーティストもそろい始めてきていたし。個人的には、そちらの方に新鮮味を感じていたんだよね。
やっぱり、新鮮味を感じる方向を支持したくなってたし。。。

あ、これは、今でもそうだけども。。 

これって普遍的な物なんだよね、特にポップス、ロックなど、いわいる「流行歌」を聴く上ではさ。
これらの曲には、ある意味、新鮮さを求めているわけじゃん。 だからこそ新しい曲を聴きたくなるし、長いこと聴き続けていられると思うのよ。


確かにこの曲を聴く限りでは、90年代の匂いがするし、80年代の頃とは違うカラーの稲垣氏を感じさせてくれる。

だけど、ワタシの中では、稲垣氏と言えばどうしても80年代のカラーなんだよね、一番しっくりくるのは。
やっぱり、「ドラマティック・レイン」であり「夏のクラクション」なのよ。ワタシの中の稲垣氏は。
90年代・・というか、特にこの曲の稲垣氏は曲が大ヒットしたこともあって、特にアナクロに映ってしまう。

恐らく、そんなところから、当時は生理的には今一つ触手が伸びなかったのかもな。

だからね、ミリオンセラーではあるけども、長いこと、手元には、この曲のCD音源はなかったのよ。
むろん、bay fmの「パワーカウントダウンJAPAN HOT30」からエアチェックしたカセット音源はあったけども。 

それだけで十分だったんだよね。




当時は生理的に合わなかったものの、あれから30年が過ぎ、今では、手元にこの曲のCD音源はあるんだけども。
まあ、過去の大ヒットのアーカイブとして、最近中古で購入したモノなんだけどね。

あのころの個人的な好き嫌い別として、時代を飾った1曲であることは間違いないですからねぇ。


あ、そうそう、↑で、当時80年代のアーティストがドラマ主題歌を歌って大ヒットことに飽きていた・・と書いたけども、もちろん全てではないですね。

たとえば、同じ1992年10月期のTBS金ドラだった「十年愛」の主題歌を担当した大江千里氏の「ありがとう」なんかは、個人的には当時から好きだった。

まあ、大江氏の場合、80年代には稲垣潤一氏ほどの「代名詞」になるような大ヒットが少なかったこともあり、80年代のカラーっていう印象が少なかったからかもしれない。
だから、当時曲を聴いて新鮮味を感じたし、時代の風も感じたんだろうな。



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CHRISTMAS TIME FOREVER / サザンオールスターズ

1992_12_CHRISTMAS TIME FOREVER_サザンオールスターズ






今回の1曲セレクトは、「CHRISTMAS TIME FOREVER」サザンオールスターズです。

 まずは、いつものようにデータです。

・タイトル      CHRISTMAS TIME FOREVER
・アーティスト    サザンオールスターズ
・作詞        桑田佳祐
・作曲        桑田佳祐
・編曲        サザンオールスターズ 小林武史
・リリース日     1992年9月26日
・発売元       ビクター
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     179.1万枚
・タイアップ 丸井クリスマスキャンペーンソング
※アルバム「世に万葉の花が咲くなり」より。


 一つ前に、サザンの「クリスマス・ラブ」を持ってきたんだけど、やっぱり、どうも納得しないんだよな。
いや、「クリスマス・ラブ」の本文でも書いたんだけど、個人的、「クリスマス・ラブ」は認めてないんですよ。なんか取ってつけたような曲なんで。。。

 ・・・ということで、今回は、サザンオールスターズのクリスマスソングといえば、これよ・・・っつう曲をセレクト

 CHRISTMAS TIME FOREVER

 ・・・って書いても、「えー、そんな曲知らねーよ」っていう方、いっぱい居るだろうなぁ。

 まあ、それも、見越して、是非、ご紹介したいと思って引っ張ってきたところもあるんだけど、この曲は、1992年秋にリリースした、サザン、11枚目のオリジナルアルバム「世に万葉の花が咲くなり」に収録されている曲ですね。

 まあ、と、言うことは、どうしても、サザンファンでなければ、なかなか引っかかりはないかなぁとも思うんだけどね。
 
 ところがどっこい、これがまた、なかなかの佳曲なのですヨ!

 曲調は、如何にもクリスマスをイメージ、髣髴とさせるようなミディアムバラード。
 そうだなぁ、桑田佳祐のソロで、「白い恋人達」って曲があるよね。イメージ的には、あの曲にかなり近い。

 いや、逆に、あの曲が、この「CHRISTMAS TIME FOREVER」に近いって言ったほうが正解なのかな。
 とにかく、あんな感じの、優しく、正当、真っ正面なクリスマスソングなんですねぇ。

 特にサビの部分

♪Merry Christmas to the world now stars shine forever〜♪から続く部分は、涙もんのメロディと曲構成ですわ。

 全体的に心癒されるっていうか、安らかな気持ちになれる1曲だなぁ。

まあ「クリスマス・ラブ」同様、丸井のクリスマスキャンペーンソングにも使われてたんで、曲を聴けば、「聴いたことある」ってかたもいらっしゃるかもなぁ

 ワタシとしては、この曲をシングルに切って欲しかった。是非に!


でもね、これを契機というか、サザンって意外とクリスマスソング歌ってんだよね。
 そのほか、以前紹介した、「シャララ」でしょ。桑田ソロでは、「白い恋人達」・・・・と。

 うーん、これは、ヤマタツ氏を意識した、桑田氏の「心意気」なのかなぁ。
 それとも、単にクリスマスソングが好きなのか!? その辺はよくわからないですけど、それにしても、多いよなあ。
 ユーミンの「スキー/雪」関係の曲にひってきするんでない?


 だけどさ、この曲が収録された「世に万葉の花が咲くなり」ってアルバム、サザンファンを公言するワタシのファイバリッドアルバムなんだなぁ。

 ほぼ、全編にわたって、「サイケデリック」な内容なんですよ。
 あの時期、90年代の初頭って、アンダーグラウンドなところで、一時、サイケがリバイバルしたことがあるんだよね。ファッションとか。
 それを、目ざとく引っ張ってきたっていうかね。 

 たしかに、前兆はあったんだよね。91年のシングル「ネオブラボー」なんて、メロディはビートルズで、サウンドは、サイケが一部、顔出してましたもんね。
 でも、まだ、それほど、「サイケ度」は強くなかったけど。

 でも、このアルバムは、かなりサイケ度がきついんですよ。
最初聴いた時は、かなり違和感を感じたけどね。もう、すでに、そこには、シンプルな「アメリカンロック」っていうテイストは、存在してないもんなぁ。

 特に、ハラ坊のソロ曲の「ポカンポカンに雨が降る」とか、「HAIR」なんては、サイケ度が高い。
 いや、だけど、「HAIR」って言う曲の完成度は高いよ。この曲、個人的には大好きですわ。脳みそグルグルかき回されている気分になる。 あー、それって、ドラッグな状態?

 でも、この曲知ってるヒトがすくなくて、ちょっとつらいんだけど。。。
「涙のキッス」のC/Wの「ホリデイ〜魔の休日より〜」にいたっては、完全に曲が壊れてるし。。。

 えー、さっきからサイケ、サイケって書いてるけど、これがなかなか説明しづらいな。
 
 えーと。。。。そうだなぁ・・・、由紀さおりの「夜明けのスキャット」を思い出してもらえると分かりやすいかな。
 いや、別に「スキャット」ってわけではないですよ。サウンドだよね。
 イメージ的にどぎつい原色カラーっぽい、それでいて、一部、セピアがかっているっていうか・・。
 うーん、現実離れした「夢の中の世界」って感じかなぁ。
 多分、ドラッグとかやると、こんな妄想の世界にはいるんでないの? って感じかな。
 まあ、ワタシゃ、ドラッグどころか「アンパン」もやったことないんで、その辺はよくわかんないですけど。。。

 ああ、そうそう、「トランス」の「イメージ」に近いかな。音色ではなく、イメージね。あれも、「トランス」って言うくらいだから、ドラックによる「トランス」状態っぽいサウンドだから、ああいう「名称」なんでないの・・・・?
 
 あれ? ちがう? テキトーに書いたんだけど・・

 兎に角、この「世に万葉の花が咲くなり」って、そんな感じで、ドラッグやってないのに、ドラッグやったようなある種、興奮状態(?)な気分になっちゃうんですよ。現実離れしてるっていうか・・・。

アルバムのなかでは、唯一「CRISTMAS TIME FOREVER」と、1曲前の「IF I EVER HEAR YOU KNOCKING DOOR」って曲が、そういう、サイケな色合いが無い、ノーマルな曲なんだよね。

 この2曲は、クールダウン用の曲なんだよね。この2曲があるからこそ、現実の世界に戻ってこれるって言うかね。

 そういう意味でも、貴重な曲なんですわ。

 ちなみに、「IF I EVER HEAR YOU KNOCKING DOOR」って、全編英語詞、かつ、アカペラの曲なんですよ。一切、楽器は無し。
 サザンのアカペラ曲、ほかに、映画「稲村ジェーン」で使われた、「忘れられたBIG WAVE」は有名だけど、この曲は、さらに、コーラスが複雑になっている。
 英語詞なんで、この曲の作詞は、元ゴダイゴの「トミーシュナイダー」なんだよね。


 あれれ、最後は、「CHRISTMAS TIME FOEVER」とは、全然違う話になっちゃったな。。

ともあれ、機会があったら、是非、聴いてみてくだされ。

 
 あー、ちなみに、プロフィール写真、「世に万葉の花が咲くなり」のジャケ写なんだけど・・・。
 どっかから引っ張ってきた、「絵」ではないからねぇ。
 ジャケットまで、「サイケデリック」だったんだよね。


えー、当然ながら動画は無し! でも↓のリンクから「音」だけは聴けます。
良かったらどうぞ・・・と以前は書いてたけど、 最近はようつべにも動画が落ちてるのね。。。
いつまで聴けるかわからないけど、一応リンク。。


 


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遠い街のどこかで・・・ / 中山美穂

1991_12_遠い街のどこかで_中山美穂






今日の1曲セレクトは、「遠い街のどこかで・・・」中山美穂です。

 まずはデータでーす。

・タイトル    遠い街のどこかで・・・
・アーティスト  中山美穂
・作詞      渡辺美佳
・作曲      中崎英也
・編曲      中崎英也
・リリース日   1991年11月1日
・発売元     キング
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   67.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1991年11月11日〜1992年1月13日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「逢いたい時にあなたはいない・・・」主題歌

 これはじめてから、4ヶ月くらいになるのかなぁ・・。いままで、全然意識してなかったんだけど、ミポリン、中山美穂の曲を書くのは、今回が初めてだったんだ・・・。
 いや、書かなかったわけではなくて、9月、10月、11月って中山美穂ってなぜかリリース曲が少ないんだよね。
 リリース間隔のちょうどエアポケットに入っていたって言うか・・。いや、実際は、85年の「生意気」とか、もうちょっと解釈すれば、86年の「ツィてるねノッてるね」も8月リリースだから、書けないこともないんだけどね。なんとなく、素通りしちゃったわけです。

 理由は一つ。どう書いたらいいかわかんなくてねー。

でも、11月終わりから12月にかけは、毎年のようにリリースしてたから、この先、いろいろ書いていきますよん。多分。

 まずは、クリスマスソングということで、91年11月リリースの「遠い街のどこかで・・・」から。

 90年頃からの中山美穂って、なんか、ちょっとイメージと違ったんじゃないの? って気がするんだよね。
 ワタシのイメージからすると、もっとお嬢さんぽいと思ってたのね。
 まあ、最初が「毎度おさわがせ〜」で「小悪魔」役(のどか役)だったでしょ。
 だから、なんか、ずっと、本来のイメージとはちょっと違った曲が続いていたじゃん。
 特に90年〜91年にかけては、随分、冒険してるなって感じで見てたな。ノド酷使したのか、声もよく出てなかったのに、わざわざ、「歌いにくい」曲をうたってたナっていう印象が強いのね。

 ただ、個人的には、このころの曲って好きなんだけどさ。まあ、そのあたりは、ファン真理としてはうまくいかないところなんだけどさ。1つ前の「Rosa」なんてのは、ゼッサンものでしたもんね。
 これは、ミポリンの曲の中でも最高傑作の1曲に入るんではないですかねぇ。

 それを受けての、この「遠い街のどこかで・・・」。正直ね、初めてこの曲聴いたとき、ホッとしたのよね。
 やっと、「本来」の中山美穂に戻ったなっていうね、安心感が最初だったなぁ。

 メジャー系のミディアムバラード。これが、いちばん、このヒトには合ってる気がするんだな。
 
 正直言って、歌ってる本人がいちばんホッとしてたりして・・。だからかなんか知らないけど、上で書いたように、このころ声があんまりでなかったのにも関わらず、いちばん、声に艶があるように感じるのは、気のせいですかねぇ。。。
 
 曲は、タイトルを見る限りでは、全然、そんな感じしないんだけど、ストレートなクリスマスソングだよね。

サピの部分もストレートに

♪Happy Merry X'mas あつい思い届けて いちばん好きなヒトにそっとつぶやく〜 ♪

ですもんね。
 
 うーん、個人的には、ハッピーなクリスマスなんぞ、過ごしたこと、ほとんどないんで、どっちかというと、「ひとりぼっちのクリスマス〜」のような曲のほうがシンパシイを感じる、天邪鬼な奴なんだけど、この曲は別だね。
 珍しく、「ハッピー」なクリスマスでも共感を感じるな。
曲の雰囲気が暖かいんだよね。

 クリスマスソングならではの暖かさっていうのが、やっぱし、このテの曲では基本だと思うしさ。


 うん、だけど、この曲タイアップ付いてたんだ?・・・いま調べて初めて知ったワ。
 どうも、91年10月期の月9の主題歌だったみたいね・・。
って、そのまえは、あの「101回目のプロポーズ」じゃん。
 これは、見てたな。毎回「アホらし」と思いながらも。ついつい。。。。ワタシ基本的には、アンチ月9派だから。。。


 個人的には、このころ何やってたんだろ?? 
22歳。まだ、大学2年の頃だ。理系ではあったけど、まだ本格的な実験もあまりなく、この頃になると、週休5日くらいで、ほとんどガッコへは行ってなかったけど・・。
ボーリングと、カラオケと、競馬とヒットチャート作成の毎日だったような気がするな。
ヒットチャートについては、bay fmでやってた「COUNTDOWN JAPAN HOT30」を毎週聴くようになったのがちょうどこの頃でしたね。

就活のことも全然頭になく、ワタシにとっては、充実した日々やったわ。。。
この曲聴くと、あののほほんとした気分の頃を思い出すんだよなぁ。

そんな1991年のクリスマス・・・・、たしか2日前の有馬記念、ダイユウサクの大番狂わせのショックで一人寂しいクリスマスを過ごした‥様な気がする。。。

最近は、ボーリングと競馬は足洗ったけど、ヒットチャートに関しては、このころと今と、やってることほとんど変わんないな。既に、いまの「THE HITCHART HOT30」、通称「かじやんチャート」は毎週作ってたし・・・。
 ただ、インターネットなんてなかったんで、「オリコンチャート研究会」の集まりんときに、メンバーだけに閲覧させるっていった、ごくごく、内輪だけのものだったんだよね。


 ・・・って最後の部分はどうでもいいことですけど・・。





ちなみに、こちらは2005年12月にmixiに書いたものをそのまま再掲載ということで移植したものです。
なので、冒頭「これはじめてから、4ヶ月くらいになるのかなぁ・・」などと書いてますが、2005年当時はそうだった・・ということで、ご了承ください。。。
文章の書き方とか内容が今よりも若い。。。
そりゃ18年も経てばね。。。

ふたりが終わる時 / プリンセスプリンセス

1993_12_ふたりが終わる時_プリンセスプリンセス


今回の1曲セレクトは、「ふたりが終わる時」プリンセスプリンセスです。

まずはデータです。

・タイトル   ふたりが終わる時
・アーティスト プリンセスプリンセス
・作詞     中山加奈子
・作曲     奥居香
・編曲     プリンセスプリンセス 笹路正徳
・リリース日  1993年11月10日
・発売元    ソニーミュージック
・オリコン最高位 18位
・売上げ枚数  7.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 27位

1曲セレクトを初めて、もう何年たつんだろう?  
mixiに初めて書いたのが2005年9月だから、18年になるんですかね。。。書いた曲は1700曲。
世間でヒット曲と言われる曲は大分書いたようなような気がするけども、それでもまだまだ抜けが多いですね。

取り上げる曲は、やっぱり、自分がリアルタイムで聴いてきたり、そうじゃなくても、後年気になったり、引っかかったりした曲ぢゃないと、どうしても書けないですからね。 

ただ、そんなヒット当時でも、自分で引っかかり、当然、すでに書いただろ? ・・と思う曲でも、まだ抜けがあるんだよな。

今回は、そんな当然すでに書いてたはず・・・と思っていたものの、まだ書いてなかった曲を一つ。

プリプリの「ふたりが終わる時」。

いやー、この曲覚えてる方は、どのくらいいらっしゃるでしょうねぇ。。。

1993年11月リリース、プリプリ17枚目のシングル。

オリコン的に言えば、この曲からベストテン入りが出来なくなった。アーティストパワー的に下火が見えてきたころのヒット。

しかも、オリコンのTOP100には4週しかランクインされなかったしな。 

もっとも、次の月にリリースされたアルバム「Majestic」からの先行シングルということで、こういう結果になったんだろう。

この曲がリリースされたころ、個人的にヒット曲を知る術・・・ オリコンはもちろんだったけども、実際の音源としては、bayfmの「パワーカウントダウンHOT30」がすべてだった。

カウントダウン番組だから当然、ランクが下がるとO.Aされなくなる。 

当時大学4年だったワタシは、まだお金なかったからさ、CDを購入なんてとんでもない、レンタルもそんなに借りられる余裕もなかったからさ。

ヒット曲の音源は、もっぱら「パワカン」をエアチェックしたカセットからニューエントリーした曲だけを抜き出して編集したカセットがすべてだった。 うん、あの頃ダブルカセット使ってたんでね、編集は楽だったのよ。

でも、問題は番組を毎週、すべて聴けたわけじゃないからさ。もちろん聴き漏れっていうのもあったわけで、そんな聴き漏れの週しかランクインしなかった曲は、手元の音源から漏れたわけでね。

だから、当時パワカンにランクインした曲すべての音源がすべてあったわけじゃなかった。

前年までは番組O.Aの土曜日は、大体ラジオの前にしたけども、この年大学4年でしょ。就活もしなきゃいけないし、卒論(卒研)も進めなきゃならなかった。

そんなわけで、前年までに比べると番組が聴けない回数も増え、だから、手元に音源がない曲もこの年は多いんだよな。

↑で書いたように、今回引っ張ってきた「ふたりが終わる時」って、オリコンのベスト100に4週しかランクインしなかったこともあり、ベスト30をカウントダウンしていたパワカンも、だから1週しかランクインしなかったはずですわ。
そんなランクイン週に聴けてたんで、幸運にも、この曲の音源は当時からあった。 


3分そこそこしかない短い曲だったけども、この曲、当時から好きだった。

タイトルからして一目瞭然だけども、二人の「別れ」の曲だよね。
そんな別れのシーンを描いた曲。 メロディはそれほど複雑ではないからなのか、いちいち場面の映像が浮かぶのよ。
しかも、この曲、転調の連続で展開が目まぐるしく変わからさ。 
まるで、ドラマのワンシーンを見ているような感覚を覚えたりして。 

基本的にAメロと、Aメロを少し発展させたA' 的なメロディだけで、サビらしいサビもないめちゃくちゃシンプルな構成。
それ言えにインパクトも今一つ薄い。シングルとしては決して強いとは言えないわけで、大ヒットは最初から、あまり考えなかったのかもしれない。

そんな曲なんだけども、転調の連続が、上手くシーン展開になっていて↑で書いたように映像的な曲だった。

しかも、Aメロは典型的なマイナー展開だけども、 ♪ もうすぐ朝が来るね〜 ♪からのA' メロからは、メジャーセブン展開、つまりうっすらとしたメジャー展開っていう変化もあったりする。

恐らく、Aメロの部分は、まだ夜明け前くらい時間なんだろう。 でも、A' メロで、メジャーセブン展開することによって 夜が白み、うっすらと明るくなって来たような感覚になる。

そんな感じで、転調だけでなく、コード展開でも、映像が浮かんできたりして。。。

併せて、メジャー展開にすることにより、ドロドロな別れ・・というよりも、さわやかにお別れ・・・っていうイメージも感じたりする。

お互い、発展的な別れ・・というか、希望的な別れ・・というか。

そのあたりは、平成的なイメージだよね。 昭和だったら、別れと言ったら、捨てられて酒場の隅で飲み明かして、涙が枯れるほど泣き明かして・・・ なんていう演歌のイメージだったじゃん。

そういう、しみったれた「陰」な部分を感じない。 もっとも、昭和っていう時代はそれがよかったんだけどね。

もちろん、この曲の主人公の場合も、当事者にとっては分かれは辛いんだろうけどさ、そういう辛いといった部分を見せない・・ところに平成的な感覚を感じたりするんだよね。 ドライというのも違う。
あくまでも希望的な発展的解消という割り切り。

ヒット曲は3分間のドラマだ。 阿久悠氏の信念だったようだけど、だからね、この曲はまさにそんな曲だったと思うんだよね。


>


↑で「希望的な発展」と書いたんだけども、 当のワタシはこの曲がリリースされたころ、すでに新卒の会社も内定をいただき、新卒者の顔見せも済んだ頃。次の年の4月には社会人・・というころ。

自由な4年間から別れを告げ、また管理される立場へ・・・。 そう思うと憂鬱だったんだよな。

でも、この曲から感じた、別れは分かれでも発展的な別れ。 これって、今の自分の立場と同じなんじゃないのか・・・とも感じたりしてね

だからね、この曲を聴いてから、どこか吹っ切れたような感覚を覚えたのも事実だったな。

もちろん、新たな環境へ身を置くっていうのは、めちゃくちゃ不安だったけども、それまでの憂鬱さなくなり、それなりに前向きに物事見えるようにもなったんだよね。

だからね、ワタシにとってはありがたい曲でもあったんだよね。



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約束の橋 / 佐野元春

1992_11_約束の橋_佐野元春


今回の1曲セレクトは、「約束の橋」佐野元春です。

まずはデータです。

・タイトル    約束の橋
・アーティスト  佐野元春
・作詞      佐野元春
・作曲      佐野元春
・編曲      佐野元春
・リリース日   1992年10月28日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   70.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1992年11月16日〜1993年1月25日付
・タイアップ:フジテレビ系 月9ドラマ「二十歳の約束」主題歌

トレンディドラマ・・・。我々世代にとっては、80年代終盤から90年代前半にかけての「バブル」絶頂期を思い起させるキーワードの一つでしょうかねぇ。
この期間、ドンピシャで「大学生」という「青春と快楽」な時間を過ごしてきた、我々世代にとっては特にそんな思いを起こさせるんじゃないのかなぁ。。。

ワタシは・・というと、トレンディドラマが出てきた当初の2年間は、「バブル」の世の中を尻目に、「浪人」という暗黒時代を過ごし、それを抜け出した、後半も、青春を謳歌するっていう大学生生活でもなかったんで、正直、「バブル」の恩恵を受けたっていう記憶はほとんどないんだよなぁ。

まあ、今となったら、つまんない青春時代を送ったような感じもするけど。。。

ドラマも、トレンディドラマの「祖」、フジの「月9」はほとんど見てなかった。 うん、91年の「101回目のプロポーズ」くらいじゃないのかな? 見てたの。

いや、これも、最初は、面白そうなんで見ようと思ったわけじゃなくて、 夕飯後、ベッドで寝落ちしちゃって。。。目が覚めたら、つけっぱなしだったテレビでたまたまやってて、半分ぼーっとしながら見てたら、なんとなく嵌っちゃった・・・って感じだったしなぁ。

あのころは、TBSの金ドラの方が、「月9」よりは、もっと心理面を深堀してて個人的には面白かったんで見てたな。


・・・なんてトレンディドラマの話をしたいわけぢゃなくて。。。。

今回引っ張ってきた、佐野元春氏の「約束の橋」ですわな。

この曲、もともと89年リリースアルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」の先行シングルとしてリリースされた曲。 で、後年、92年10月期の「月9」ドラマ「二十歳の約束」の主題歌として、再リリースされたわけですな。
今回は、時期的に、その「再発」のシングルについて、ちょいと書いていこうかと。。。


アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」については、ちょっと失敗したな・・・って思うのよ。

佐野元春氏を意識したのは、中学生の頃だったか。。。 同じブラスバンドでトランペットを吹いてた、同級生で親友だったやつが、元春好きだったんだよ。

音楽的に優れてた奴とは思わなかったけども、3つ上の兄貴の影響か、ブルース・スプリングスティーンとか、明らかに私なんかよりも大人びた曲を聴いてんだよな。
で、日本のアーティストでは、元春氏だった。

あの頃から、なかなかチケット取れないといいながら千葉でのコンサートにも行ってたしな。

でも、当時、ヒット曲中心、当然アイドル中心のワタシには、元春氏の良さは分からなかったんだよな。

そもそも、いつもここで書いているように、80年代初期から中盤にかけては、いわいる「ニューウェイブ」系の音は、生理的にダメだったんだよね。

80年代の元春氏は尖がってたしね。 84年の「VISITORS」では、時代に先がけてヒップホップを取り入れたり、サウンドそのものが尖がってた。 「ニューウェイブ」系の寵児的な存在だったじゃん。

ダメだったんだよね。時代にコミットしていないとは言わないけども、時代の先端を行く「音」って。
それよりも、一歩引いて、フォーマットが確立して聴いてて安心・・っていう音楽が個人的には好きだった。うん、おこちゃまだったのよ。

はじめて、元春氏にコミットしたのは、86年のアルバム「カフェ・ボヘミア」だった思う。

それまで、あんなに時代の先端の音がダメだったのに、「カフェ・ボヘミア」で元春氏にコミットしたくなったのは、よくわかんないんだけども。。。

まあ、「VISITORS」よりは、とっつきやすいアルバムだったことはありますね。

それと、以前、ここで何回も書いたけども、86年って、個人的に時代を遡って音楽を掘りだしたころ。
そそそ、1978年以前、リアルタイムで接していなかった時代の曲を掘りだしたころですわ。
その反動だったのかもしれないな。

もちろん、最初は抵抗があったんだけども、何度もアルバムを聴いていくうちに、徐々に理解できるようになった。 理解してくると、その良さも分かった来たりしてね。
徐々に次のアルバムも聴いてみたいと思うようになった。

で、3年の時を超えて、ようやくリリースされたのが「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」。

ここで、迷ってしまったのよ。 ちょうど同じころ、長渕剛氏のニューアルバム「昭和」のリリースもあってさ。

あの頃アルバム1枚3000円っていうのは、19歳だった若造のワタシにはデカかったですから。

浪人の身だったし、バイトもしてなかったから、まだ小遣いをもらう立場ったし。。なんで、まずはどちらか1枚買おうと思ったわけで。。 結局買ったのが長渕剛氏の「昭和」。
「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」は、またいずれ・・と思っていたんだけども、あの頃、他にも欲しいと思える音源が次から次と出てきて、いつの間にか立ち消えになってしまった。。

そんな時にシングルととして再リリースされたのが、今回の「約束の橋」だった。

うん、もちろん、アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」に収録されていた曲っていうのは、あの頃から知っていた。

なんか、忘れ物を思い出したような気分だったな。

ただ、この曲が「月9」の主題歌に採用されたのには反発もあったのよ。

↑でも書いたように、ワタシにとっての元春氏は時代の先鋭だった。 テレビという「大衆娯楽」にはコミットしない存在だったのよ。

それがいきなり、「月9」っていう当時の大衆娯楽の極みのコンテンツの主題歌なんだもの。

いやいや、元春氏だけじゃなかったんだけどね、これの前に、浜田省吾の「悲しみは雪のように」が、ドラマ「愛という名のもとに」の主題歌に起用された時も同じような感覚だったな。

80年代の「大物」アーティストが、90年代のドラマ主題歌で再ブレイクする。

初めの頃、例えば、小田和正氏が、「東京ラブストーリー」の主題歌として「ラブストーリーは突然に」が起用される・・ってころは、まだよかった。 まだ新鮮味があったから。

でも、同じような手法で、チャゲアスが、米米が、中島みゆきが、浜田省吾が、・・なんて続くとさ。。。
しかも、いずれも、80年代の自身の曲とは比較にならないほどのメガヒット。

これって良いことなの?  なんて、だんだんと、このやり方に懐疑的になってきたりしてね。

ついには、佐野元春氏もか・・・という気分だったな。

特に、浜田省吾氏の「悲しみは雪のように」とか、元春氏のこの「約束の橋」は「新曲」ではなく、80年代の再リリースだったわけだから。。

wikipediaに、

『なんで最初にこの曲に気付いてくれなかったの?』って感じですよね。『ドラマの主題歌にならないと聴いてくれないんですか?』

・・・(当時は) 怒ってました

と、元春氏のコトバが掲載されているけども、ワタシも同じような感覚だった。

もちろん、今は、「これがあったから今でも歌ってこれたのかもしれない」・・と考えているようですが。。。


結局、今考えてみると、1992年頃の音楽って、まだ「90年代」を象徴するような確固たるフォーマットが確立されていなかったのかもしれない。
・・と同時に、90年代をけん引していけるようなアーティストも、ようやく揃い始めてた頃だったしね。

WANDSの「もっと強くきみを抱きしめたなら」が大ブレイクし、 ZARDが「眠れない夜を抱いて」「IN MY ARMS TONIGHT」の連続ヒットで一躍注目を浴びだしたのがちょうど、1992年のちょうど今頃。

先行していた「B'z」とともに、「ビーイング系」のコマが揃い、時代を席巻するのは翌年のことですわ。

それとともに、70年代、80年代の「大物」アーティストがドラマの主題歌に・・・という機会も徐々に減っていった訳なんだよね。
70年代、80年代の「大物」アーティストや、楽曲の焼き直しによるドラマ主題歌の顕著な大ヒットは、翌年1993年4月期の月9ドラマ「ひとつ屋根の下」の主題歌、財津和夫氏の「サボテンの花」あたりが最後だったような気がする。
・・・・あ゛、まだ大瀧詠一氏がいたか。。。。
もちろん、サザン、ユーミン、中島みゆき嬢は、その後も孤軍奮闘していったわけだけども。





余談だけども、↑で書いたように、中学校の時の元春好きの親友の話から、元春氏のコンサートは、チケットが取れない・・・ってずっと思い込んでいたのよ。

それは、大人になってからもそうで・・・、もしかしたら、頻繁にライブに行くようになった今でもそうかもしれない。

でも、そんな元春氏も、最近ではロキノン系、特に「COUNTDOWN JAPAN」には頻繁に出演するんだよね。

ずっとチケットが取れない・・と思っていた元春氏のライブを「COUNTDOWN JAPAN」で見る、80年代では、考えられなかったことかもしれないな。

実際、「COUNTDOWN JAPAN」ではこれまで何度も元春氏のライブを見た。
もちろん、30分程度のライブだけども。。。それでも昨年の「COUNTDOWN JAPAN」のラストで「アンジェリーナ」が聴けたのは、やっぱりトリ肌でしたね。


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BLOWIN' / B'z

1992_06_BLOWIN_B'z



今回の1曲セレクトは「BLOWIN'」B'zです。

まずはデータでする。

・タイトル   BLOWIN'
・アーティスト B'z
・作詞     稲葉浩志
・作曲     松本孝弘
・編曲     松本孝弘 明石昌夫
・リリース日  1992年5月27日
・オリコン最高位 1位
・発売元    BMGビクター, バーミリオン
・売上げ枚数  176.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1992年6月8日〜8月31日付
・タイアップ:カルビー「ポテトチップス」CM曲

2023年の今年はデビューから数えて「周年」アーティストが結構多いんだよね。
1998年デビュー、25周年のaiko、椎名林檎、Misha、宇多田ヒカル、藤井フミヤはチェッカーズ時代を含めると、1983年デビューなんで40周年。 1978年デビューのサザンが45周年。。。

先週、東京FMの「THE TRAD」




でも、これらデビュー周年アーティスト特集として特集が組まれてましたけど。

今回引っ張ってきた「B'z」、この人たちも1988年のデビュー以来、今年で35周年っていう、そんな周年アーティストの一組なわけなんだよね。

手元に、月刊「歌謡曲」 1988年11月号がある

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これ、個人的に当時リアルタイムで初めて買った「ゲッカヨ」なんだけども、この号に「今月デビューの新人」として「B'z」のデビュー曲「だからその手を離して」が掲載されていたりする。

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90年代に超ブレイクし、いまや国民的なアーティストに昇華した「B'z」もデビュー曲のこの曲を含めて、暫くはヒットチャートの前線に現れることはなかったんで、ずっと忘れていたんだけどさ。

後年、改めて「ゲッカヨ」を開いてみて、気が付いたりしてさ。。。



・・っつうわけで、今回引っ張ってきた曲は

B'z  「BLOWIN'」

まだ「1曲セレクト」で書いてなかった大ヒット曲・・・。探してみると、まだあるもんですね。
今回引っ張ってきた曲も、176万枚の超ミリオンセラーを記録しておきながら、まだ書いてなかったか・・・っつう曲ですわ。
うーむ、こうしてみると、やっぱ90年代の曲はまだ「抜け」が多いな。。。って感じですわな。

まあ、これにはいくつか理由がありまして。。。
「1曲セレクト」を始めた当初・・・2005年あたりは、90年代からは、まだあんまり時間が経っていなかったんで、あえて、90年代の曲は外していた。
それとYoutubeに参考動画があんまり上がってなかったから・・。

そんなわけで、90年代の曲は、まだ意外と書いてない曲が残ってたりするのよ。

でも、90年代も過ぎてから、少なくとも4半世紀は過ぎたわけでさ。今後は「1曲セレクト」での割合は多くなっていくんだろうな・・という予感。


今回引っ張ってきた「BLOWIN'」のリリースは、1992年5月。
ワタシゃ当時22才。

ここでも、これまで何度も書いたけども、あの頃は 当時結成していた自主サークル「オリコンチャート研究会」のメンバーと遊び惚けてた頃かなぁ。

週末は、ほぼ毎週のように、歌舞伎町界隈で、今でいう「オフ会」を開いて、あの当時のヒット曲をはじめ、70年代、80年代のヒット曲、ヒットチャート談義を繰り広げてたよな。

今でこそ「昭和歌謡」としてもてはやされている70年代、80年代の曲だけども、ワシらこの頃からすでにやってたからさ、「昭和歌謡」の見直しを。

最近、「昭和歌謡」から脱却を考え始めているのも、あの頃からずっとやってきたんで、「今更」っていう気持ちと、そろそろ飽きちゃった・・っていうところもあるかもしれない。。。


でもって、夜は夜で、新宿三丁目にあった「てあとろん'88」っていうカラオケバーでグダグダになるまで酔っぱらっていたような気がする。。。
「オール」でカラオケもだいぶやってたよな、この頃。


若かったし、個人的に大学3年の初夏・・っていう、就職活動にはまだ少し早い時期。
学校の方は、必修科目はあらかた単位を取ってしまい、(理系だったんで)実験実習がないときは「週休5日」・・とか 、 めちくちゃいいキャンパスライフだったころですわ。

・・あ、ちなみに、22才で大学3年・・とは計算が合わない・・と思われるかもしれないですが、勉強が好きだったんで(???)、ワタシャ、ヒトよりも2年遅れているのね。。。。

ただ、あの頃の「ツケ」が今になって「痛風」ということで出てきているわけで。。。
本当は「酒」が弱い体質なのよ。でも、あの頃はそんなことも知らずに、かなりハメ外してたからなぁ。。。 後になってわかる、若さゆえの「過ち」ですわ。。。。


・・・といつものごとく、話が脱線していく。。。

えー、B'zの「BLOWIN'」ですね。

「1曲セレクト」を始める以前、まだ、自分のサイト に「CHART BBS」っていう「ネット掲示板」を載せていた頃から、読んでくださっている方ならば、わかると思うけども、自分のサイトを始めた、2000年前後って、個人的にアンチ「B'z」派だったのよ。。 

あ、これまで1曲セレクトでB'zをあんまり書いてこなかったのは、その影響もあるかもしれない。

まあ、「アンチ」になった理由はいろいろあったんだけどさ。。。


ただ、この「BLOWIN'」がリリースされた90年代の初めから中盤ごろまでは、普通にB'z聴いてたのよ。 

ま、ブレイクしてきた90年ごろは、「TM NETWORK」の二番煎じの匂いが強く、どこかうさん臭さも感じてたのであんまり好みぢやなかったんだけどさ。

前曲「ALONE」あたりから、サザンロック的なB'z独自の匂いが強くなり、俄然、良さを感じられてきたんだよね。

それを受けての「BLOWIN'」

初めて聴いたときから、「あ、これ、いい」と思ったな。

この曲からは、前曲の「ALONE」のような大陸的な「サザンロック」の匂いは感じられない。

・・・けども、ポップで、なにより分かりやすかったから。 あの時点でのシングルでは一番わかりやすかった曲だと思うな。

ポップといっても、90年の「太陽のKomachi Angel」とか「LADY NAVIGATION」のようなTM NETWORKの匂いもあまり感じない。

うん、「これ、いい」という前に、「これは売れるよね」・・・っていう予感だよね。

あの頃は「カラオケで歌える」っていう要素は、ヒット曲としては最重要ポイントだったわけでさ。

ただ、あの時点で、それまでのB'zって、カラオケで歌える曲って限られてたからなぁ。。。
まあ、B'zファンならともかく、ワシみたいな一般のヒット曲ファンとしてはさ。

その点、この「BLOWIN'」は、シャウトする部分があるわけでもなく、 サビの ♪ BLOWIN'   BLOWIN' IN THE WIND〜 ♪ からもみんなで歌えたしさ、ノレるしさ。


↑で書いた、「てあとろん'88」は、カラオケボックスではなく、客席の前方にライブハウスさながらのステージがある飲み屋でさ。他の客が歌っているところを見ながら酒を飲むっていう空間だった。
あの当時としては、普通のカラオケボックスにない曲のカラオケもおいてあるってことで、カラオケボックスで歌えない曲を歌うためによく行ってたんだよね。

余談だけども、今でこそカラオケも「通信カラオケ」になったんで曲数も飛躍的に増えたけども、92年当時はまだ通信カラオケは発達しておらず、ディスクカラオケが主流だったからさ。曲数も今に比べると大分限られていたのよ。
歌いたいのにカラオケボックスにはない・・・っていう曲もかなり多かったんだよね。
だから、「てあとろん'88」のようなカラオケバーは重宝してたんですよ

それでも、この当時、「てあとろん」でも「BLOWIN'」歌ってた人が多かった・・・記憶があるなぁ。

これらを考えると、176万枚っていう、この時点でのB'zの最高売り上げを記録したこと。
2か月間ベストテン内を維持と「浮動票」を巻き込んだような、当時としては比較的ロングヒットになったことは、納得だったんだよね。


ところで、この曲カルビー「ポテトチップス」のCM曲だったんだよね。。

なんか記憶ねぇなあ。。。とおもったら、動画が落ちてた




宮沢りえさんねぇ。。。。 うーん、やっぱり、記憶がない。。。。






なんか、すぐに消されそうなんで、一応「公式動画」もリンクしておく。1分半しかないけど。。。





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KNOCKIN' ON YOUR DOOR / L⇔R

1995_05_KONCKIN'ON YOUR DOOR_L⇔R


今回の1曲セレクトは、「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」L⇔R です。

まずはデータです。

・タイトル    KNOCKIN' ON YOUR DOOR
・アーティスト  L⇔R
・作詞      黒澤健一
・作曲      黒澤健一
・編曲      TOMATO CUBE  山内薫
・リリース日   1995年5月3日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   134.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1995年5月15日〜6月26日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「僕らに愛を!」主題歌

一聴して「うわっ、だっせえ!」と思わず笑ってしまう曲ってありますよね?

え? ないですか?

ウーム、私だけかなぁ。。。。

最近は、ヒット系の曲ってホント、よく考えられたつくりになっている曲が多いので、「だっせえ」と思える曲って少なくなった気がするけども、昔はあったんだよなぁ。。。

でも、ここでは、前から言ってきているけども、個人的には、そういう「だっせえ曲」になんか刺さるんだよね。

なんでなんだろうねぇ。。。逆に、誰が聴いても「かっちょいい」って思える曲って、あんまり刺さらないんだよな。。。。  

まあ、その辺が「天邪鬼」と思っている所以なんだけども。。。。

その「ダサさ」こそが、いわいる「売れせん」って言われるモノなのかもしれないけどさ。




・・・ということで、今回は、そんな初めて聴いて「うわっ! だっせえ!」と思った曲を一つ。

L⇔R 「KNOCK'N ON YOUR DOOR」


いやいや、ちょっとマクラで変な風に書きすぎたかなぁ。。。

前年、ポリスターからポニーキャニオンに移籍したL⇔Rだけども、個人的に、ポリスター時代の曲は正直、きちんと聴いたことがない。
だから、はっきりとは言えないんだけども、少なくとも、この曲の前、ポッキーのCFで使用された「Hello It's Me」あたりからは、そんなダサさの片りんは見えてた。

ちなみに、この場合の「ダサ」さっていうのは、メロディラインではなくサウンドですね。

例えば、「Hello It's Me」の場合は、フロアタムを多用したリズム体が、どことなくメロディラインやコード進行とシンクロしてなかったし、逆に不協和音のようにもなっていた。
その辺、昔、「Hello It's Me」の時にも書いたけんだけどさ。 
キャッチーなメロディラインなのに、そこになんかダサを感じたりしてね。

少なくともあの頃時代を席巻しようとしていた、小室系に比べるとスタイリッシュさは感じられなかったわけで。。。




そいで、この「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」は、サビのドラムの「おかず」(フィルイン)がめちやくちゃダサいじゃん。

 ♪ I KNOCKIN' ON YOUR DOOR いつもすぐせめぎ合う LONELY〜 ♪

ジャン(シンバル)   ドコドコ(16分タム)   ジャン(シンバル) ドコドコ(16分タム)〜 っていう繰り返しのフィル。

ドラムの経験がある方ならば、一度はやったことあるよね・・・っちゅう、超王道の「おかず」じゃん。


昔、1960年代のG,Sのころは、よく多用された「おかず」だけども、さすがに1990年代ともなると「ださっ」という感じで、ほとんどだれも叩かなくなったフィルインフレーズじゃん。

そんなドラムの、フィルインで、頭サビから一気に「うわっ ださっ!」って思ってしまったもの、ワタシ。。。

ただ、逆に言えば、頭サビからこのダサいフィルインのおかげで、一気に曲に引き込まれてしまったのも事実でさ。

ドラムにしろ、ギターにしろ、聴きなれたフレーズが、入ってくると、どこか安心してしまんだろうなぁ、ついつい刺さっちゃうんだよね。

結局、前曲「Hello It's Me」に引き続いて、ドラムのフレーズで曲に引き込まれた「L⇔R」って感じよ。

ただ、この2曲と、前年1994年にフロントマンの黒澤健一氏が森高千里に提供した「気分爽快」を聴く限りでは、そっち方向  ⇒1960年代G.S 志向のグループなのかな?

・・・という印象は持った。




もっとも、それ以前、ポリスター時代の曲は、よくわからないので、断言できないけども、
1993年にリリースされた、ポリスター時代の「恋のタンブリングマン」を聴く限りでは、やっぱ、そうだったんじゃないか・・とは一層思えてきますね。



いや、同じ1960年代でも、G.Sというよりは、ビートルズを核としたU.Kロックっぽいですね。

キャニオンに移籍して そんな、1960年代という時代感は残しつつも洋楽から、日本のG.Sに様変わりした(させられた!?)っていうのが、この「KNOCK'N ON YOUR DOOR」であり、前曲の「Hello It's Me」だったんじゃないのかなぁ。。。

書いてるうちに、そんな風に思えてきたな。

ただ、1960年代的曲っていうのは、あの時代、1994〜1995年あたりの、一つのトレンドだったと思うんだよね。

そもそも、ミスチルがモロそうだったし。。。 

今考えてみれば、L⇔Rっていう人たちも、その流れを汲んでたグループの一つっていう志向だよね。今思うと。

メンバーのフロントマン、黒澤健一氏は1968年。弟の黒澤秀樹氏は1970年生まれ。
ミスチルとは同世代ですわ。

もっとも、ミスチルのメンバーと「同級生」(1969年生まれ)のワタシも、もろ同年代なんだけども。。。

でも、それを考えると、ちょっと納得なのかな。

考えてみれば、我々世代がマジメに音楽に興味を持ち始めたと思われる1980〜1981年ころって、G.Sの揺り起こし(リバイバルブーム)で60年代的な曲がトレンドだったわけでさ。
G.Sぢゃなくても、あの寺尾聰氏にしろ大瀧詠一氏の「ロングバケイション」だってそうだったわけじゃん。

あの頃、(ゲーノーではなく)「音楽」に興味を持ち始めてた同年代のキッズって、無意識のうちに60年代(音楽)の洗礼って受けてたと思うんだよね。

ちょうど1994〜1995年あたりって、そんな音楽トレンドが一周して、再度60年代っぽい曲がトレンドになっていたわけでさ。。。

だから、1994〜1995年ごろの音楽のトレンドを考えると、売れるべきして売れた人たちと言えると思うのよ


ただ、この「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」は急激に売れすぎたと思う。

まあ、フジの月9の主題歌ってわけで、当然のようなミリオンセラーなんだけども。。。

急激に売れすぎると、ほとんどの場合は後が続かない。。。  音楽業界の不文律だけども、結局は、この人たちもこんな不文律に当てはまってしまった感じだわな。

もっとも、前曲「Hello It's Me」が、オリコン最高10位 41万枚のヒットだったおかげで「ワンヒットワンダー」(一発屋)ではないんだけども。。。

まあ、本人たちも、このままずっと大ヒット狙い・・・というつもりもなかったんだろうしね。




なんか、さんざん「ださい」とか書いちゃったけども、L⇔Rもこの曲のあとは、サウンドが変わりつつあったんだよね。
個人的には、CDTVの1996年1月のオープニングテーマとなった、3曲後の「GAME」なんかは好きだった。 スタイリッシュでスピード感があって。この曲については「ださい」とは思わなかったもの。

一応、オリコンでも10位までは上がったけども、売り上げは16万枚のスマッシュヒット止まり。

やっぱり、売れるっていうのは、曲の良さだけでは決まらないんだよね・・・ある種のダサさと強力タイアップありきだよね・・・っていうのがよく分かったな。



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