かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

あの頃のヒット1曲セレクト!

もしかしてI love you / シャネルズ+1

1982_09_もしかしてI love you_シャネルズ


今回の1曲セレクトは「もしかしてI love you」シャネルズ+1です。

まずはデータでする。

・タイトル    もしかしてI love you
・アーティスト  シャネルズ+1
・作詞      田代マサシ
・作曲      村松邦男
・編曲      シャネルズ 村松邦男
・リリース日   1982年8月25日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 28位
・売上げ枚数  6.1万枚
・THE HITCHARTHOT30最高位 22位(1982年9月27日付)

 えー本日は氣志團万博に参戦予定。それなのに1曲セレクトなんて書いてて良いのでしょうか・・・って感じなんですが、いいんです。氣志團万博は午後からの参戦予定なんで。。。 この辺が「地元」開催フェスのいいところかなぁ。時間的に「余裕」こけるってところが。。
 問題は、この台風だよなぁ。これ書いてるのが午前9時半過ぎ。既に雨模様の千葉なんですが・・・。これ以上悪化しないでほしいねぇ。なんせ「雨・風」に弱い内房線なんで。。。

氣志團万博と言えば、千葉・袖ヶ浦。 ワタシが福島のいわきから千葉に越してきてから今年で35年ですわ。
その間、袖ヶ浦周辺も大分変わったよなぁ。 大体ねぇ35年前はマジで「田舎」だったもの。なーんにもなくて。。。
東京の近くに引っ越すということで、少しは都会な場所に越すもの・・と思いきや、「自分の田舎より田舎」って感じでさあ、戸惑ったもんよ、最初は。
 なーんにもない田舎なのに、一歩海岸線に踏み入れると一連の石油化学コンビナートでさあ。 田圃とコンビナートの異様なコントラストにも戸惑ったけどな。

ただ、一番良かったのはラジオが聴けるようになった事。 いわきに居た頃はラジオの入りが悪かったからなぁ。
夜・電波状態が多少良くなる時間に、ノイズ混じりで入ってくるTBS、文化放送、ニッポン放送っていう東京のAM放送だけが頼りだったんだよね。

だからね、千葉に来て最初に夢中になったのはラジオだったな。 まあ、友達もいなかったしね初めは。
中学1年だったけど、ちょうど夏休みだった事もあり、他にやることも無かったからなぁ。 兎に角1日中ラジオ聴いてたな。 土曜の14時からだけはニッポン放送の「オリコンヒット速報」、それ以外は大抵文化放送聴いてましたねぇ。

今回の1曲セレクトは、そんな当時、ラジオでよく聴いてた1曲をひとつ。

シャネルズ+1 「もしかしてI love you」

いやいや、この曲はマジで、当時ラジオでよく聴いてた。 
シャネルズとは、あのシャネルズですよ、「ランナウェイ」とか「街角トワイライト」とかの。 気になるのは「+1」ってところだけど、これはボーカルの鈴木マーチン氏の姉貴、鈴木聖美さんのことですね。

たしか当時は、まだプロとして本格デビュー前の事で、「アマチュア」としての参加だったんですよね。なのであからさまに名前を出す訳にも行かず、「+1」って扱いになってんだよね。

ただ、この曲がリリースされた頃の月刊明星には、既に顔だしもしてたし。そう、鈴木聖美さんがプロにならずアマチュアのままだったのは、この曲をリリースした当時、子育て真っ最中でプロとして活動が難しいと言う事からだった気がする。
 ちなみに、この曲から丁度5年後に未だにカラオケで有名な「ロンリーチャップリン」がリリースされ、本格的にプロ活動をして行くことになる鈴木聖美さんだけども、そん時の理由も「子育てが一段落したんで・・・」ってことだったんだよね。

 兎も角は、アマチュアなのにアマチュアらしからぬボーカル力には、舌を巻いたけどさ、この「もしかしてI love you」の時も。

曲も聴きやすかったんだよね、この曲。 湯川れい子−井上大輔コンビによる、一連の「大ヒット」当時の曲に比べると、自分たちで曲を作るようになって大分、肩の力が抜けた曲調になってきてたしさ。
 シャネルズといえば、50年代を彷彿させるドゥアップ・・・って言うイメージが強かったわけじゃん。大ヒット曲を連発してた頃は。

でも、この「もしかしてI love you」なんてのは 、そんなドゥアップに固執したような泥臭さは抜け、ポップだったしさ。

ま、確かに最初は戸惑ったんだけどさ。やっぱりどうしても「シャネルズ=ドゥアップ」っていう耳になっちゃってたわけじゃん当時は。そこに来てポップなデュエット曲だったわけだからさ。
でも、それでも当時はラジオで大分聴いたからなぁ。 だんだん、これはこれでアリかな・・・なんて思えるようになったりしてさ。

これがさ、やっぱり自分たちで曲を作るようになった、この曲より前の「憧れのスレンダーガール」とか「サマ・ホリデー」は、ちょっと違う印象なんですよ。 
・・・というのも、まだ、これらの曲の頃は千葉に越して来る前で、ラジオであんまり聴いてなかったから・・・。
耳馴染んでないんだよな。

そう考えると、この頃のラジオの存在って、ワタシにとっては大きかったんだよなぁ。あとあと「ヒット曲」の道にどっぷり足を踏み入れて行くことを考えるとさ。

うん、この頃ラジオ聴いてなかったら、絶対に知らなかったよな・・・って言う曲が、この頃の曲にはたくさんあるんですよ。

GANGYの「スローダンサー」にしても、クリキンの「セシル」にしても、山下久美子の「マラソン恋女」にしても、沖田浩之の「気絶するほど悩ましい」にしても・・・。 みんなラジオを聴いてからこそ知った曲々なんだよねぇ。
「ベストテン」って枠にとらわれず、もっと幅広くヒット曲を知るようになれた一番のツールだったんだよね、ラジオは。


動画・・・・この曲テレビではほとんど歌っていない筈なんでないだろうな・・・って思ったら、「音」だけ落ちてた
・・・んで、リンク。

https://www.youtube.com/watch?v=E2qh6A_ytDo&list=PLODx9ykwmhxTyHW3W2xy10N7nw0a_wngF

そーそー、この曲さあ、ボーカルのマーチン氏と、鈴木聖美女史で、Aメロのそれぞれのカラミの部分で所々歌詞が違うんだよね。

例えば
 ♪ 聖美 「あの娘は?」
   マーチン 「別れた」
   聖美 「ホント?」
   マーチン+聖美 「本当さ」(マーチン) 
「うそでしょDarlin'」(聖美)  

の最後の「マーチン+聖美」のところ、同じフレーズで同時ユニゾンとしてに違う歌詞で入ってくるんで、実際聴いてると、歌詞がズレてるように聴こえたりしてね。

最初、あれ? これ、どっちかが歌詞間違ってるよ・・・っなんて思ったんだけど、これが正しいんだよね。

まあ、男と女での感じ方の違いを歌詞にするとこうなる・・・って事を表現するとこういうすれ違いになるって事を言いたいんだと思うし、それがこの曲の面白さであり、キモなんだろうな。

たださ、歌詞の仕掛けとしては面白かったし鈴木聖美氏の参加で話題になったこの曲だけど、大ヒットまでには至りませんでしたねぇ。オリコン28位とベスト20にも入らなかったからなぁ。

まあ、もともとアルバム曲からのカットっていうシングルとしては臨発だった事もあるかもしれない。

でもいずれにしても、この曲の後、シャネルズとして半年間の活動休止と、「ラッツ&スター」へのアーティスト名変更となって行く訳なんですけど。。。



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コーヒーショップで / あべ静江

  1973_09_コーヒーショップで_あべ静江


今回の1曲セレクトは、「コーヒーショップで」あべ静江さんです。

まずはデータです。

・タイトル     コーヒーショップで
・アーティスト  あべ静江
・作詞       阿久悠
・作曲      三木たかし
・編曲      馬飼野俊一
・リリース日   1973年5月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数 28.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年9月10日付


 今でこそCDデビューの「形態」って千差万別ですよねぇ。 ま、ほとんどの方は最初から「歌い手」を目指してその末にCDデビューって形だけど、最近だったら「声優」からCDデビューっていうヒトも多いし、お笑い芸人からCDデビューって言う人も多い。
そんな感じで、CDをリリースしているヒトでも、必ずしも「歌い手」を目指していた訳じゃなかった・・ってヒトも珍しくなくなったって訳ですな。

今回の1曲セレクトは、そんなもともとは「別の職業」からレコードデヒューした方のあの曲を一つ。

あべ静江「コーヒーショップで」。

うーん、あべ静江さんといっても、少なくともワタシの年代より下の方は、あんまりピンと来ない方が多いのかなぁ。
昔、エバラの「浅漬けの素」のCMをやってたヒト・・・とかさ そのくらいの認知しかないかもしれない。

でも、今の50代、60代の方にとってはアイドルでしたよね・・・とか言いきってみる

なんて「あいまい」に書いちゃったのは、ワタシにとっても「浅漬けの素」のCMのヒトって側の世代だからなんですけど・・・。 そそそ、70年代前半の「アイドル」時代はリアルタイムじゃなかったからさあ、実際にどの位人気があったのか・・・ってのは肌で感じてなかったからなぁ。

で、初めの主旨である「別の職業」からレコードデビューって事なんだけど、元々、あべ静江さんってラジオの女子アナだったんですよね。

ま、当時の事をご存じの方には有名だと思うけど、元々はFM愛知でDJをやられてた訳ですわ。
DJっっても、クラブでお皿回す訳ぢゃないですよ。ラジオの「ディスクジョッキー」ね。ま、最近で言えばラジオのパーソナリティですね。

当時これらの番組を聴いてた方にとっては、「当たり前」の事なんでしょうけど、個人的には初めはなんか信じられなかったなぁ。やっぱり、「浅漬けの素」のCMのイメージが強いもので。。。

でもね・・・。今手元に1973年1月号の月刊・明星の歌本「Young Song」がある。この号の巻末特集として、「全国DJガイド」っていう、この当時の全国ラジオ局のプライムタイム〜深夜放送の番組タイトルとパーソナリティの表が載ってたりする。

このFM愛知に載ってますねぇ、「あべしずえ」さん月曜〜土曜0:00 〜0:15 YOU AND ME TOSHIBA パーソナリティって紹介が・・・。

東海地区「かわいこちゃんNO.1 DJ」(うわっ、時代だわぁ。この表現) なんて紹介されてたり。。。

・・・となるとやっぱり、正真正銘だったんですねぇ・・・。

蛇足だけど・・・このリストを見てて今も放送しているFM東京の「ジェットストリーム」って73年のこの時代から深夜枠であったんだよなぁ・・・。長い番組だよなぁ・・・。 なんて先日放送開始から50周年っちゅうことで、当時からあったことは当然なんだけど、やっぱ活字で見ちゃうと歴史を感じるよな・・・。

・・・蛇足でした。。。

でね、さすがに当時としてはラジオの女子アナからレコードデビューっていうのは異色の経歴だったんじゃないかなぁ。 いや、今も異色かもしれない。 まあ、フジテレビとか日テレの女子アナがCDだしたりしたこともあったけどさ。

ま、あべ静江さんの場合は、当時、まだ「短大生」ということもあり、「局アナ」ではなかった訳ですけど。。。

80年代初頭に文化放送で、ミスDJって事で、女子大生がパーソナリティをしていた番組があったけどさ、そう言う意味ではその魁だった訳なんですよね。



あーーー、長い前振りになっちまった。。。曲について書いてなかったなぁ。

とりあえず、いろんなメディアで言われてるし、当時「かわいこちゃんDJ」ってことでデビューしたわけなんで、当時の扱いとしても「アイドル」だったと思えるんで、ここでもアイドルとして紹介したいんですが。。

でも、実際曲を聴いてみると、アイドル曲っていうイメージではないですよね。なんて言うのかなぁ、アイドルの曲って言うと、もっと「ポップ」なもんじゃん。 でも、この曲は落ち着いてるしさ。より歌謡曲なんだよね。

ま、そもそもが作曲の三木たかし氏が、より歌謡曲路線のヒトだったりしたし、なによりあべ静江さん、当時22歳だったからなぁ。当時のまわりの70年代アイドルのヒトたちと比べると、絶対的に年上でしたからねぇ。  

今は22才でアイドルやってるヒトも、全く珍しくなかった訳だけど、当時は20歳を過ぎると「大人のオンナ」でしたからねぇ。アイドルというよりは一人の「ナオン」って言うイメージなんだよね。

詞のイメージも「大人」をイメージしてるな。 そもそも「コーヒーショップ」っていう喫茶店を題材にしてるところって、前年に大ヒットしたガロの「学生街の喫茶店」ですよねぇ。

 まあ、この曲の場合は、「学生街」っていうより具体的な部分は無く、単に「コーヒーショップ」っていう大衆性にとどめているところが、より歌謡曲的と言う部分が強いんだけども。 でも、他の方のブログを見たりすると、作詞の阿久悠氏は、明治大学出身であり、「学生街の喫茶店」もお茶の水っていう明治大学周辺をモチーフにしていることは間違いないことから、この曲に触発され明大周辺の喫茶店イメージしていることは間違いないようなんだよね。

いずれにしても、この時代で喫茶店っていうのは、やっぱある種文化の発信基地だったんだろうなぁ・・・っていうのが分かるなぁ。ま、リアルタイムじゃないんで、なんとなくなんだけど。。

いや、でも、なんとなくは分かるんだよね。リアルタイムじゃなかったけど、コーヒーの香りが染み付いているような喫茶店って言うイメージから、浮かぶ風景って、個人的にもこの時代だからさあ。



ところで、あべ静江さんって言えば、この動画のような変わったマイクの持ち方がトレードマークになっていたみたいだけど、本人いわく、マイクにすがって歌っていたってことで、マイクにすがったいたら、こういう一見変わったマイクの持ち方になったようですね。

ちなみに、当時の愛称は「しーちゃん」でしたね。そーいえば、小学校の時の同級生にも「静江」って名前の子がいて、そのコも「しーちゃん」って呼ばれてたな。

最初「しーちゃん」ってのがあべ静江さんの愛称って分かんなくて、小学校のときの同級生の事だと思ってたもの。。。


では、改めて曲を



イントロ頭のドラムのフィルイン。如何にもアレンジが馬飼野俊一氏って感じだよなぁ。
ややチューニングが外れたような音のタムのフィルがさ。
これ聴くと如何にも70年代だなぁ・・・なんて思ったりしてね。チェリッシュの「てんとう虫のサンバ」でも同じように思ったりして。。



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琥珀色の日々 / 菅原進

1981_09_琥珀色の日々_菅原進


今回の1曲セレクトは、「琥珀色の日々」菅原進です。

まずはデータです。

・タイトル     琥珀色の日々
・アーティスト   菅原進
・作詞       菅原進
・作曲       菅原進
・編曲       菅原進
・リリース日    1981年6月5日
・発売元      アルファ
・オリコン最高位 23位
・売上げ枚数  12.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 23位
・タイアップ:サントリー「トリス」CM曲

やおら、本当はね昨日書くはずだったの、今回持ってきた曲。
・・・・というのもね、頭で「サンデー・シンドローム」って書こうと思ってたんで。。。

さすがに明けて月曜日に「サンデー・シンドローム」ってのもなあ・・・と思いつつ、来週は月曜日休みなんで、「サンデー・シンドローム」にゃならねーよな・・・ってことで、持ってきちゃいました。

しかしねぇ、昨日はホントにサンデー・シンドロームだったんだよなぁ、夕方。
いわいる「日曜日の憂鬱」ってやつですね。 

あー、明日からまた仕事かぁ ・・・って思うと、憂鬱になるってやつ。

よくさ、日曜日の夕方、「サザエさん」のエンディングとかさ、昔だったら、日曜日20時前の日テレの日立のCM・・・そそそ、♪この木なんの木キニなる木〜♪ って「日立の樹」が流れるとサンデー・シンドロームにかかるってヒト、良くいたけどさ。

ワタシも件通り、昔は、上の2つがかかるとサンデー・シンドロームにかかったもんよ。

今は、「あー、明日からまた仕事かぁ〜」 、昔は、「あー、明日からまた学校かぁ〜」っていうユウウツね。

でもね、ワタシの場合、これを聴くとサンデー・シンドロームになる・・・って曲がもう一つあったんだよなぁ。

今回はその曲をセレクト。

菅原進「琥珀色の日々」

この曲、覚えてる方いるかなぁ。 1981年の今頃ですよ、サントリー「トリス」のCMで流れてたの。
子犬が1匹、京都の街の中を歩き回るCM、覚えてないかなぁ。

↓ コレ


このCMのバックで流れてる曲が、「琥珀色の日々」ですね。

切なくなるのよ、この曲聴くと。

CM全体が夕方っぽい背景。その中に子犬が一匹。 そしてこの曲。 おもわず「シンミリ」しちゃうんだよね。

でもさ、なんで、この曲を聴くと、サンデー・シンドロームになるか・・・っちゅうと、ま、上で書いたようにこのCMがもつ「シンミリ」切なくなるところが、明日からの学校生活のユウウツさを連想させる・・って言うのもあるんだけど、このCM、よく日テレの「笑点」の枠のCMで流れてたんだよなぁ。

まさに「サンデーシンドローム」よ。

あの頃の記憶は未だに抜けないんだよねぇ。

ちなみに、CMでは、インストと、♪ダティダドゥダードゥダー♪っていうスキャットの部分しか流れてませんが、実際のレコード盤では、ちゃんと歌詞も付いてるんですよね。



フォーク調ニューミュージック。もう今や絶滅な曲調ですよね。
個人的には、この手の曲調で育ってきた部分もあるんで、やっぱり落ち着くんだよね、この手の曲調を聴くと。

ところで、菅原進氏は、ご存じ兄弟デュオユニット、ビリー・バンバンの「弟」の方ですね。 ベース担当の「兄」、菅原孝氏に対して、ギター担当が菅原進氏。 ・・・っていうのは、ここ読んでくださってる方ら取っては常識です・・・よね

ビリーバンバンとしては、最近では「いいちこ」のCMで健在だけどさ、心に染みるメロディラインは、昔も今も変わらないですよね。
でね、ビリーバンバンとしても当然ヒット曲、ありますが、あの「白いブランコ」にしても、その後の「さよならをするために」にしても、ヒット時期が大体「夏」なんだよねぇ。

フォーキーな曲調からして、秋っぽいイメージが強いわけでさ。特に「さよならをするために」なんて「真冬」ってイメージじゃん。ま、実際リリースは「真冬」だったりするんだけど・・・。

でも、ヒットのピークっていつも「夏」なんですよ。個人的にはこれが不思議でねぇ。

今回セレクトしてきた、「琥珀色の日々」も件にもれず、1981年「夏」のヒットになりましたねぇ。
まあ、この曲の場合はリリースが「初夏」でしたからね。

ただ、それにしても曲調は、どう聴いても「秋」だよなぁ。。。 重いしさあ、どことなく濡れた曲調だし。。

うん、この1981年って年は夏以降、秋に向かって「秋」って言う色合いの曲が多かったんだよね。

大体において松田聖子の「風立ちぬ」からして、もろ「秋色」だった訳だし。 その他、フォークでは、伊藤敏博の「サヨナラ模様」とかチャゲアスの「男と女」とかさあ。

そんな秋の色合いが多かった頃、 そんな曲の1曲だったかもしれないなぁ、この曲は。

だからね、本来はこの時期、チャート的には下降線に向かってた頃なんだけど、逆に、今の時期の方が、よりしっくり来るんだよね、この曲。



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LOVE涙色 / 松浦亜弥

  2001_09_LOVE涙色_松浦亜弥


今回の1曲セレクトは、「LOVE涙色」松浦亜弥です。

まずはデータです。

・タイトル     LOVE涙色
・アーティスト  松浦亜弥
・作詞       つんく
・作曲       つんく
・編曲       渡部チェル
・リリース日   2001年9月5日
・発売元     ゼティマ
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 17.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:2001年9月20日〜10月4日付

暫く全然書いてなかったのに、昨日今日と、なんか怒涛のように1曲セレクトを書いてるワタシだったりして・・・。もしかするとこれアップする頃は日にちが変わってると思うけど、書いてるのはまだ土曜日・・・本日2曲目の1曲セレクトでございまする。。。

えー、前回は岡田有希子さんの「リトル・プリンセス」だったわけだけど、今頃80年代のアイドルの曲を書いた時には一緒に書こう・・・と思ってた曲があるんだよね。

今回はその曲を

松浦亜弥「LOVE涙色」

ジャジーン、なんだ2000年代の曲じゃんか・・・なんて言わないでね。

この曲最初に聴いた時は、これはつんく氏にしてやられた・・・って思った1曲だったなぁ。
いや、だって、もろ80年代アイドルポップスだったからさあ、この曲。

あややにとっては、デビュー第3弾になる訳だけど、その前の2曲は、正直良く分かんなかったんだよね個人的には。
つんくプロデュース、アップフロント・・・ってことで、なんだモー娘。の妹分なんじゃん・・・なんてしか思えなかったし・・・。

現に、この曲のちょっと前には、いわいる「シャッフルユニット」として、モー娘。の辻と加護との3人で三人祭なるユニットで、「チュッ!夏パ〜ティ」なる曲を歌ってじゃん。 中学生だったはず・・なのに、もろ小学生の「お子ちゃま」向けのような曲。

この「LOVE涙色」の前の2曲も、そんなお子ちゃま向けの曲の延長線のような気がしてたんだよね。 
当時32歳で、すでに「オヤジ」の域に達していたワタシとしては、これは完全に世代じゃないなぁ・・・・ということで、積極的に聴いてなかったなぁ。

でもさあ、この「LOVE涙色」を聴いた時は、「いやいやいや、これは我々世代の曲」ってモロ思ったものなぁ。

つんく氏もいきなり、時代を遡るような、もろアナクロな雰囲気の曲を持ってきたりして、どういう心境の変化なのかしらん とも思ったりもしたけどさ、この曲でオリコンのベスト3入りを果たし、売り上げも急激に伸ばした訳でさ、本格ブレイクと言っても過言じゃないくらい「松浦亜弥」ってヒトが浸透した訳だからさ、この曲調の変化は成功だったよね。

まあ、曲調的には、さすがにつんく氏、ワレワレと同世代・・・って、まずもって言いたくなる訳でさ。

うん、これは80年代中盤だよなぁ。 そそそ、前回書いた岡田有希子さんの頃の時代の曲。

・・・って書くと、反論もされそうな気もしないではないし、「具体的にどこが」って追及されると、ちょっと堪え煮詰まりそうなところもあるんだけどさ。 実際のサウンドとしては2001年当時の「音」だったりもするしさ。
でも曲の「匂い」なんだよな。80年代を感じるのは。

前回の岡田有希子さんでは、84年はアイドルとして時代の変革期だったということで、シロート感の強いアイドルとして菊池桃子さんを引き合いに、時代の流れを比較したんだけども、 この曲はと言えば下世話的なシロートアイドルが流行る前・・・、つまりは84年以前の正当派な80年代アイドル曲の匂いがするんだよな。

まあ、その辺も、つんく氏とワレワレは同世代だよなぁ・・・ってつくづく思えるところだったりするんだけどさ。

やっぱアイドルポップスを一番聴いてたのは、中学生の頃だろうしさ。 ワタシより学年が1つ上の「つんく」は、83年が中学3年だったわけで、 年齢的におニャン子が出てくる前なんだよねる中学時代は。

・・・ということは、やっぱり「正当派」な80年代アイドルポップスがより色合いが強いだろうしさ。

個人的にもそちらの曲の方が、より聴いてたからさあ、ウレシイ訳なんですよ。

 いずれにしろ、この曲によって、個人的にも「松浦亜弥」ってヒトを、本格的に知ったし、それ以後数年、曲を追いかけたきっかけの曲でもあったな。 うん、当時としても、いわいるソロの「正当派」アイドルの曲を続けて追いかけたのは何年ぶりだ・・・って感じだったんだけどさ。

 ↑で書いたように当時、既に30過ぎのオッサンだったわけだからさあ。90年代以降、アイドルの曲とはすっかり疎遠だった訳だからさ。
まあ、丁度、当時「着メロ」配信曲のセレクターを始めた頃だったからさ、名目上は「仕事の一環」っちゅうことで聴いてた訳なんだけど。。。





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リトル・プリンセス / 岡田有希子

1984_07_リトル・プリンセス_岡田有希子


今回の1曲セレクトは、「リトル・プリンセス」岡田有希子です。

まずはデータなのだ〜。

・タイトル    リトル・プリンセス
・アーティスト  岡田有希子
・作詞       竹内まりや
・作曲      竹内まりや
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1984年7月18日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  9.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 19位

 ここんところ、ほとんど書いてなかった1曲セレクトなんで、↑のデータ項目の並びを忘れてしまってたワタシがいた ・・・なんてことはどーでもいい事でして。。。。
この間久しぶりに書いた、しまざき由理さんの「面影」はちょこっと「引き」が弱かったな。 まあ、ヒット当時50万枚の大ヒットと言っても今となっては知ってる人しか知らない・・・って感じの曲だから、しょうがないと言えばしょうがないか・・・

・・・・と言う事で、今回は「引き」が強いであろう・・・と思われる曲を引っ張って来ましたぞ。

岡田有希子さんの「リトル・プリンセス」。

過去の「今の時期」のヒット曲をセレクトする・・・って言うコンセプトで書いてる1曲セレクトだけど、そのコンセプトからすると、この曲はちょこっと時期がずれてるんじゃね?

・・・・なんて指摘してくる人もいるかなぁ・・。 当時、オリコンでランキングをチェックしてたチャート小僧で、「細かい」所をついてくるような方はさ。

まあ、正確に言えば、84年7月リリースだったこの曲から、84年9月当時はオリコン的には既にランクも下降線に入ってた時期ではあるんだよね。だから厳密に言えば「ヒット」の時期から過ぎて来てた頃と言ってもいいかもしれない。

ただね、細かく・・・といっても「自分のチャート」だけど・・・を基準してみると、最高位を記録したのは、実は今頃だったんだよな。

つまりね、オリコンでは既にヒットの下降線に入っていたこの時期、他のチャート要素で総合的にはランクを上げていたんだよね。それが84年の今頃。

ただねぇ、どの要素でランクを上げていたのか・・・当時の各要素順位を記録した「紙」を廃棄してしまった今となってははっきりしないんだけどねぇ・・・・。まあ、当時アイドル系は概して有線が弱かったことは明白なんで、ラジオチャートが跳ね上がったのがこの時期だったんだと思うけど・・・。

レコード売り上げのチャートから遅れて、他のランク(この場合ラジオチャートね)が上がってくる・・・っていうチャート要素によってチャートの動きに「時間差」があった事・・・・実は、これが実際的な岡田有希子さんの人気バロメーターが当時、上がって来ていた事の表れだったんじゃないかなぁ。

 今も傾向は変わらないけど、レコード売り上げっていうのは、特にアイドルの場合、初動の動きが早いんですよ。っというのも、レコードの場合、初動は「固定ファン」が買うモノって相場が決まってるから。 ちょっと「浮動票」側に居るヒトは、初めレコード買うのは見送りますよね。
 他のメディア・・・例えば当時で言えば、ラジオだとかテレビで曲を聴いて、気に入ればレコードを買うっていう流れがあったんだよね。 つまりさ人気が上昇中のヒトの中には、ラジオチャートはレコード売り上げよりも動きが遅いこともあった。
岡田有希子さんの場合は、そのパターンだったんだよね。 その証拠に累積売り上げで10万枚に届かなかったこの曲だけど、次の「恋はじめまして」では、それまでの3枚のシングルで最高の売り上げを記録している。
つまりは、人気が右肩上がりだった訳ですわ、この時期。

 この時期、8月の「日本テレビ音楽祭」を皮切りに「賞レース」が始まっていたからさ、新人賞争いってことでテレビで歌う機会も増えてたっていうのも、「浮動票」をとりこんで人気バロメーターを上げるには大きかったかもしれないな。
ま、とは言ってもレコード売り上げが10万枚そこそこで止まっていたのは、ちょこっと解せなかったけどさ。


当時、岡田有希子さんの「対抗軸」として、菊池桃子さんがいた訳じゃない 
桃子さんが、この曲とほぼ同時期にリリースした、デビュー第2弾の「SUMMER EYES」がオリコンでベストテン入りしたのに対して、この曲は最高14位だったわけでさ。

この差はなんだろ? なんて思ってたなぁ。 

ビジュアル的からして「アイドルらしさ」って言うところで言えば、菊池桃子さんよりも岡田有希子さんだったからさあ。 正直言って解せなかった部分もあったなぁ。

でもよくよく考えてみれば、「下世話性」だったんじゃないかなぁ・・・。 あ、ちょっと分かりにくい表現か。。。
「シロート性」って言った方がいいのかなぁ。

時代は動いてきていたんだよね。 それまでの既存のアイドルらしさから、もっとシロート性の強い下世話なアイドルへ・・・っていう時代の動き。

それが、まだ捉え切れてなかったんだよな、当時のワタシは。 

80年代アイドルの、まさに時代の転換期だったんだよな、この時期が。

その時代転換期って言う動きが、急加速して表面化するのが次の85年なんだけどね。

そう言う点から言えば、岡田有希子って言うヒトは、今からして思えばちょっと遅れて出てきたアイドルだったんだよね。 うん、「正当派」な80年代アイドルとしてね。
この84年の前年の83年は「ニュー」アイドルの不作の年だった。 例えばさ83年にこのヒトが出て来ていたら、アイドル勢力は少し変わってたかも・・・なんて今となっては思ったりするな。
 
実際、このヒトのレコード売り上げの低さからみて、そう思えるんだよなぁ。 うん、このヒトの「正当派」としての80年代アイドルの「アイドル性」からみてさ、もっとレコード売れてしかるべきだと思ったもの。



これPVなんだけどさ、いつも思うんだけど当時のアイドル系のPVってどこで流してたんだろう? なんて思ったりさ。
当時、テレビ神奈川のミュートマ(ミュージック・トマト)など、PVを流すテレビ番組も出て来ては居たけど、アイドル系は流さなかったと思うし・・・。レコード店の店頭用だったのかなぁ。 
かすかな記憶だけど、新星堂の店頭のモニターではこの手のアイドル系もビデオも流れてたような気がするしな・・・。


ところで、↑でいろいろ書いちゃったけど、PV見ながら、改めてこの曲を聴くとさ、「プリンセス」っていうコンセプトは、岡田さんに良く合ってたと思う。

・・・けど、84年当時からしてみてもちょっとアナクロだったかなぁ・・・と。 

以前、何回も書いたけど、70年代アイドルは「ウンコしない」、「霞を食って生きてる」・・・などなどまさに「偶像」扱いだったけど、80年代はそこまで極端じゃなかったわけじゃん。 でも、この曲を聴いてるとコンセプト的に70年代アイドルに戻っちゃったんじゃないかなぁ・・・なんて感じたな。

 それは、曲的にもそうで、竹内まりやさん的には、コニー・フランシスとかドリス・デイとか、60年代オールディーズのアメリカンポップスアイドルを意識してたんだろうな・・・とは思うモノの、実際的には70年代アイドル的な曲になっているのがインパクトに出て来ているかなぁ。

この辺のギャップは、次の「恋はじめまして」で、よりオールディーズっぽくなったことで解消されましたけどね。。

まあ、この辺は、この曲のアレンジャーだった大村氏と、「恋はじめまして」のアレンジャーだった萩田光雄氏の解釈の違いだったんだろうな。


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面影 / しまざき由理

1975_09_面影_しまざき由理


今回の1曲セレクトは、「面影」しまざき由理です。

まずはデータですよん。

・タイトル    面影
・アーティスト  しまざき由理
・作詞      佐藤純弥
・作曲      菊池俊輔
・編曲      菊池俊輔
・リリース日   1975年7月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 53.2万枚
・ベストテンランクイン期間:1975年8月25日〜10月20日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「Gメン'75」エンディングテーマ

えー、いつ以来なんだ・・・なんて自分でも思い出せないくらい久しぶりの「1曲セレクト」でございます。
ご無沙汰しておりました。

まあ、忘れていた訳ではなく、その間、持病の痛風発作が再発したりして体調不良が続いていたのと、それが治った・・と思ったら、北海道に放浪の旅に出てたりして、気が付いたら1カ月近くが経ってた・・・って次第なんですよね。うん、決して忘れていた訳ではないんだけど・・・。

ところで、先々週まで、レンタカーで北海道中を放浪してたんだけどね、その間、自分の音楽プレイヤー(ウォークマン)をカーステにつないで音楽を聴いてた訳なんだけども、それ以上に地元のラジオをもっぱら聴きながらのドライブだったんだよね。

でねー、いいんだよねぇ、地方のラジオって。昨年夏の東北放浪旅の時も思ったけど、牧歌的でいいのよ。
時代が40年前くらいで止まっているようでさぁ。かかる音楽も昭和のヒット曲が多いしさあ
一体、今は西暦何年なんだろ・・・なんて思ったりして。
でも、そんな昭和歌謡の調べに、風景がマッチするんだよね、地方の景色って。 今の曲だとダメなのよ。
これが不思議でね。
いや、だからこそ、ワタシなんか癒されるんだろうなぁ・・・。だから毎年、「地方」に放浪の旅に出かけたくなるんですよ。

上で書いたように今回の北海道の放浪旅でも、昭和のヒット曲がたくさんかかってたけどねぇ、いちばん印象的だったのが、今回の引っ張って来た、この曲だったんだよなぁ。

しまざき由理 「面影」。

果たして、このタイトルを持ってきて、一体どれだけのヒトが御存じなのか・・・・。 正直心配ではあるんだけど・・・。
いや、今50代以上の方には懐かしい曲なのかなぁ・・・。

そそそ、70年代中盤、TBSで放送されていたドラマ「Gメン'75」のエンディング曲・・・って言えば、思い出してもらえるかなぁ。

まあ、「Gメン'75」っつったら、オープニングが有名だけどね

↓コレ



ハードボイルドなオープニングに対して、意外っちゃ失礼かもしれないけど、エンディングのこの曲は、もろ「歌謡曲」だったりするんだよね。

初め、この曲を聴いた時は、「Gメン'75」のエンディングだったなんて、全く思えなかったもの。

そそそ、ワタシ的には「Gメン'75」は、特に初期の頃はリアルタイムじゃなかったんだよね。
土曜21時〜22時だったじゃん。 当時6歳だったワタシは、その前の「8時だよ!全員集合」までだったからなぁ、起きてられたのは・・・。だから長い間知らなかったんだよね。

この曲の存在を知ったのは、オリコンを買うようになってたからだから、中学生の頃だったと思う。
たしか、84年年末号に特集されていた、「昭和50年代」特集だったかなぁ。

この曲、ヒットが昭和50年だから一番最初に載ってたんだよな。売り上げが50万枚以上もあった訳なんだけども、曲自体知らなかったからさあ、逆にキニなる存在になったんだと思う。

で、ヒット曲を時代を遡って聴くようになった高校の頃、初めてこの曲を聴いたんじゃなかったかなぁ。

正直言って、最初に聴いた時は、あんまりピンと来なかった。逆に言えば「これで50万枚?」って感じだったかなぁ。 うん、それほどインパクトがある曲でもなかったしね。
まあ、もろ70年代中期の「歌謡曲」って言う感じで・・・。あの当時ラジオをひねれば、必ず流れて来てたような・・・。 そんな70年代歌謡曲としてはありふれたような曲調・・・って言うイメージだったんだよね。

インパクトという点では、同時期に大ヒットしてた、小坂恭子さんの「想いでまくら」の方が、同じ歌謡曲テイストな曲としては印象深かったしさあ。

でも、それでも50万枚以上売れたって事は、やっぱそれだけ当時の「Gメン'75」の人気あって事だったんだろうな。

ちなみに当時のTBSの土曜日ゴールデンタイムのラインナップは、

19時00分〜19時30分 まんがにほん昔ばなし
19時30分〜20時00分 クイズダービー
20時00分〜20時54分 8時だよ!全員集合
21時00分〜21時54分 Gメン'75

なんちゅう、すべて視聴率20%以上・・・っていう鉄壁の布陣。 他の局が束になっても全く叶わなかった・・・っちゅう。。。  TBSの黄金時代でしたね。  まあ、みんな見てたからなぁ・・・。


ところで、この曲を歌ってる、しまざき由理さんといえば、アニソンなんだよなぁ、個人的には。
「みつばちハッチ」の主題歌歌ってましたよね。

↓コレ



え? ワタシがアニソン? 似合わないって?
むー、これでも小学校に上がるまではアニメ見てたんですっ

だからねえ、そんな、「アニソン」だった方が、ハードボイルドなドラマの曲を歌ってたってことが、最初は信じられなかったんだよね。
この曲、確かに歌謡曲だけど、歌い方は結構セクスウィーな部分もあったりするしさ。イントロと最後のアウトロのスキャットの部分とかさ。

ちなみに、この時、しまざき由理さんは19才。 え?、19才でこのセクスウィーさはヤバいでしょ。


昔の方って、得てして早熟だったんだよねぇ・・・。
やっぱりさ、この「エロ」さが良かったんだよな、当時の歌謡曲って。
最近のヒット曲って「エロ」さが無くなったからなぁ。ある意味健全な世界・・それじゃツマンナイよなぁ。


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俺たちのロカビリーナイト / チェッカーズ

1985_08_俺たちのロカビリーナイト_チェッカーズ



今回の1曲セレクトは、「俺たちのロカビリーナイト」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル     俺たちのロカビリーナイト
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       売野雅勇
・作曲       芹澤廣明
・編曲       芹澤廣明
・リリース日   1985年7月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  44.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1985年7月15日〜9月16日付

果たしていつ以来の1曲セレクトだろうか・・・なんて、この前書いたのが忘れてしまった位、間が空いてしまいましたわ。。暫くは「土日」に書いてたけど、その間隔も崩れちゃっいましたねぇ。。。
うーむ。書く曲が無くなってしまった訳ではないんだけど、7月は「生業」が繁忙期ということもありーの、それが終わった・・・と思ったら、持病の「痛風発作」が再発。。。。
 今度は「膝」に来ちゃいましてねぇ。。。 これが辛いんですわ。膝関節に激痛が走り、パンパンに腫れちゃったんで膝は曲がらないし。。。。 まあ、こりゃアカン・・・っつうことで、いざという時にしか飲まないように隠しておいた、最後の切り札「ボルタレン」が効いたのか、今日になって、腫れはまだあるものの、ようやっと痛みが引いてきた。

・・・・つうことで久々に筆を進ませてたりしまする。。。

ところで、今日は8月12日。 ニュースでも頻繁に流れているけど8月12日というと、「日航機墜落事故」の日なんだよな。
まあ、これについては、以前にも85年8月12日、あの日はこうだった、ああだったって書いてるんだけども、個人的にはどうしても1985年のあの日を思い出してしまう。

なので、今回の1曲セレクトも1985年8月12日にヒットしていた曲を持って来たい・・・・と真っ先に思い浮かんだ訳なんだけども。

でもねぇ、流石に85年の今頃のヒットって大分書いちゃったんだよな・・・。 

さてどうするベか・・・とおもってたら、まだ書いて無い曲があった。

チェッカーズ「俺たちのロカビリーナイト」

コレは不覚だったなあ。 こんな大ヒット曲をまだ書いたなかったんだ。。。。。

いい機会だから、今回はこの曲に決定!


だけど、今までチェッカーズの曲は随分書いてきたのに、なんでこの曲はずっと書いてこかなかったんだろう

うーん、タイミングのずれだったのかなぁ。 ヒット当時も決してこの曲がキライだった訳じゃない。


ただ、チェッカーズのリーダーの武内氏もコメントしているように「印象に薄い」曲だったっていえば、確かにそうだったかもなぁ。

84年に「涙のリクエスト」で大ブレイクしてから1年半。 この曲の半年前の「ジュリアで傷心」でブームの頂点を迎えたチェッカーズだけども、その後は・・と言えば、徐々にではあるけど一時のブームも「沈静化」に向かっていたんだよね。ちょうど、そんな頃のヒットだったわけだ、この曲は。

その証拠に、「涙のリクエスト」以来、「大ヒット」の目安である50万枚を切った事が無かったチェッカーズだけど、この曲ではオリコンで1位は取ったものの、50万枚割れ。

そんなチャートアクションに、個人的にも「あー、落ちてきたなぁ」って言う印象が強かったな。 丁度さ、安全地帯の人気が最高潮の頃だったからさ。余計時代の流れを感じちゃったりしてね。

まあ、元々バンド系の人気は「水もの」であり、「絶頂期」は1年、長くて2年っていうのが、それまでの「ルーティーン」だったからねぇ、さしものチェッカーズもそんな時代の流れには逆らえないよな・・・っていう思いもあったな。

ただね、個人的に言うと、この頃のチェッカーズ曲って意外と好きなんだよな。やっぱさあ「涙のリクエスト」とか前年の「チェッカーズブーム」の頃の曲に比べると、なんとなしに手垢が少ないからかなぁ。。

曲調はモロ50年代だよね。それまでもオールディーズっぽいところを前面に出していたチェッカーズだけど、この曲あたりから「50's」って言う部分をより強調してきたように思えるんだよな。

まあ、音自体ダークなんだけども。 うん暗いよね。 まあ、フミヤも以前からカミングアウトしているように、この頃はチェッカーズ自体精神的に追い込まれていた頃で、ゲ―ノー界に対して「反感」を抱いていた頃なんだよな。

それがストレートに「音」にも出ていたような気がする。 この曲にしても、次の「神様ヘルプ!」にしても。

音がさあ、粗いんだよな、この頃のチェッカーズって。 まあ、その辺が当時の個人的の気分とシンクロしてたのかもしれない。

うん、今思うと、当時、どこかいつもモヤモヤしてたんだよな精神的に。 個人的には16才になるかならないかの頃で、まあ大人への階段を上り出していた頃なんだろう。なんて勝ってに書いたりして・・・。 でも、そうだったんだよな。いつもモヤモヤ、気分がすっきりしない日が続いていた・・・ような気がする、この曲の当時は。

少なくとも、前年・・、まだ中学3年生だった頃・・・の夏休みの「純」な気分ではなかったんだよな、この年の夏休みは。

そんな当時の気分と、この粗くダークな「音」とシンクロしたんだろうな、きっと。

たださ、当時のチェッカーズのメンバーの心情を、いま考えれば同情も出来たりね。 
もともと「アイドル」として出てきた訳じゃないわけじゃん。ヤマハのライトミュージックコンテストから出てきたヒトたちだったけだからさ。

それがアイドルバンドとして「頂点」を極めてしまったばっかりに、本来自分たちがやりたかった音楽が出来ない。 それが2年近く続いた訳なんだから精神的ストレスも溜まるよな。

・・・なんてことは、あれから32年経ちーの、個人的にも色々と人生経験を積んできたからこそ理解出来る事なんだけどさ。






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わたしの城下町 / 小柳ルミ子

1971_07_わたしの城下町_小柳ルミ子


今回の1曲セレクトは「わたしの城下町」小柳ルミ子です。

まずはデータです。

・タイトル    わたしの城下町
・アーティスト  小柳ルミ子
・作詞      安井かずみ
・作曲      平尾昌晃
・編曲      森岡賢一郎
・リリース日   1971年4月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  134.3万枚
ベストテンランクイン期間:1971年6月28日〜11月15日付

 ネットニュースでも話題になっていますが、作曲家の平尾昌晃氏が死去されたとのこと。
70年代を中心に数々のヒット曲を飛ばしたし、ゆえに、昭和を代表する大作曲家一人と言う事は間違いない訳で。作曲家別の売り上げを見ると、最も売り上げが高かったのは1974年で、この年の作家別売り上げランキングは、巨人・筒美京平氏の4連覇を阻止すべく、売り上げ1位を記録してたりする。

今回の1曲セレクトは、そんな平尾昌晃氏追悼と言う意味も込めて、セレクトすべきだよな・・・って言う思いが真っ先に頭を駆け巡りーの、本当は90年代の曲を持ってこようと思ってたんだけど、急遽変更・・・。

たださ、正直言うと平尾昌晃氏っていうと、個人的には「一世代前」の作曲家って言うイメージもあるんだよね。
まあ、リアルタイムとして自身と畑中葉子さんのデュエット「カナダからの手紙」があるけど、これは「冬」のヒットだしさ。

それに、筒美京平氏のような完全ポップス系というよりも、少々「和」のテイストがかった「歌謡曲」が多かったからさあ、完全な好みとはちょっとズレでるな・・・って言う思いもある。。
なので、意外と平尾氏の曲って個人的な持ち音源が少ないんだよね。

だからさあ、どの曲にすべーかな・・・と迷ったんだけど。。。

こういうときは、やっぱ直球勝負だよね・・・・。 とセレクトしてきた曲がこの曲。


小柳ルミ子「わたしの城下町」

うわっち、めちゃくちゃ「有名な曲」。 でもさグッドタイミングというか、46年前のちょうど「今頃」、オリコンで1位を獲得、これは書き頃だわ・・・と言うことで、持って来ました。。。。

 まあねぇ、ここまで大ヒットな曲となるとセレクトとは言わないだろうし、だから普通の「セレクター」な方は持ってこないだろうけどさぁ。うむ、セレクターとして恥ずかしいもんな。

But、ワタクシは持って来ますよー。

って言うくらい、誰でも知ってる曲だし、現に売り上げ130万枚強っていうミリオンセラーだもんね。
オリコンでは1971年7月26日〜10月11日付まで12週連続1位なんていう超ロングセラーだったりしてさ。
しかも、これが小柳ルミ子さんの「デビュー曲」だって言うんだからビックリだぁ。

ちなみに、デビュー曲としていきなりのミリオンセラー、ヤマハポプコン系などいわいる「一発屋」と世間で言われる、単発ヒットの方々には他にも居たりするんだけども、その他多数ヒットを持ちしかも長年第一線で活躍してるアーティストとすると、この後、81年のまっち先生の「スニーカーぶる〜す」まで無かったんじゃないかなぁ。

それだけ「スゴイ」ことなんだよね、デビュー曲ミリオンセラーっていうことは。

後に、天地真理さん、南沙織さんとともに「3人娘」として、70年代アイドルのトップバッターを切った小柳ルミ子さんだけど、こと売り上げ枚数だけを見ると、他の2人の比じゃなかったんだよね。

先日天地真理さんの「ひとりじゃないの」の時、70年代アイドルの売り上げは「50万枚」が壁って書いたんだけども、小柳ルミ子さんには、そんな壁なんて心配は全く無用だったわけよ。

その最大の要因は、やっぱ「曲調」なんだろうなぁ。うん「和」テイストの歌謡曲だったって事が良かったのよ。

・・・なんて書くと、80年代以降の「ポップス・ロック」優勢なヒット曲を聴いてきたワタシらの世代には信じられないけどさあ、結局、70年代、特に70年代前半っていうのは「歌謡曲」が絶対的な人気を持っていたって事。

結局さ、ポップス系を支持していたのは当時のティーンエイジャー。 それに対して、それ以上の世代は「歌謡曲」だったってことなんだよね。
 言うまでも無く、当時の歌謡曲の支持は、人口比として圧倒的だった訳さ。

だから歌謡曲路線でひとたび火が付けば、ミリオンセラーもいとわない「超大ヒット」になり得たって事なんですわな。
ま、これは、例えば、72年のぴんからトリオの「女のみち」が300万枚セールスとか、殿さまキングスの「おんなの操」が200万枚近いセールスだったとかを見ても分かる事なんだけどさ。

そんなこともありーの、この「わたしの城下町」がミリオンセラーとなったっていうのも、当時のヒット曲界の「趨勢」をみれば、ある意味では必至だったのかもしれないんだよな。
逆を言うと、この曲のミリオンヒット曲をきっかけに、「歌謡曲」のメガヒットの拡大が加速したとも言えるかもしれないけどさ。

まあ、それだけじゃなく、当時の「ワタナベプロ」の力が巨大だったとも言えるんだけどさ。
元ワタナベプロの「番頭」格だった松下治夫氏の「芸能王国渡辺プロの真実」によると、兎に角、小柳ルミ子さんは、ナベプロ総帥の渡辺晋氏の「お気に入り」だったとのこと。

そんな小柳さんのデビュー曲ということは、力の入れようもハンパじゃなかったと思うしさ。
アイドルというカテゴリーに入れながら、ポップスではなく「和テイスト」の歌謡曲路線だったのは、そんな渡辺晋氏の思い入れの部分が相当強かったからなんだよね。

そんなデビュー曲な訳だから、まあ売れないわけがない・・っていうのも確かにある。
なんせ、当時の渡辺プロの力があまりにも巨大だったため、この曲の翌年に日テレの「スター誕生」が生まれたっていうくらいだからさ。

ただし、等の小柳ルミさん本人は、この曲のような「歌謡曲路線」には抵抗があったよう。
なにせ当時19才のティーンエイジャーだったわけで、歌謡曲よりもポップスだよな・・・とも思うし、なにより宝塚音楽学校出身という経歴からして、もっと華やかなミュージカル風の曲が歌いたかったとのこと。

ま、そこは、巨人・渡辺晋氏のまえでは口が裂けても言えなかった訳でさ・・・。
後年、派手派手な路線に行ってしまったのは、この当時からのうっぷん晴らしもあったようですね。


ちなみに、当時、小柳ルミさんはワーナーパイオニア所属。
外資のワーナーが、なぜにこんなあからさまな歌謡曲路線? っていうのもちょっと不思議だったんだけどさ、ま、それは日本法人設立の際、渡辺プロが出資したからなんだわな。
ま、それは、ナベプロ「自身」のレーベル「SMS」が設立するまで続く訳だけど、当時のワーナーパイオニアが「歌謡曲」色が強かったのは、当初のそんな所からの「文化」が引き継がれていったんだろうね。



ウーム、ながながとした文章をかいたけど、この曲の「説明」は、この動画を見てもらうだけで十分かも。。。。


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Happy Tomorrow / NiNa

1999_07_Happy Tomorrow_NiNa


今回の1曲セレクトは、「Happy Tomorrow」NiNaです。

まずはデータでする。

・タイトル    Happy Tomorrow
・アーティスト  NiNa
・作詞      Yuki  Kate
・作曲      Ma-chang  Yuki
・編曲      佐久間正英
・リリース日   1999年7月14日
・発売元     ソニーレコーズ
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  29.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1999年8月2日〜8月23日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「彼女たちの時代」オープニングテーマ

ここのところは週末に書いている1曲セレクトな訳だけど、今回も同様に週末の更新ですわな。
そんな1曲セレクトだけど、ここ暫くは「古る目」の曲が多かったんで、今回はちょこっと時代を戻しますかねぇ。

NiNa 「Happy Tomorrow」

うーん、この曲覚えていますかねぇ。時代を戻すと言っても99年、今から18年前の今頃のヒットな訳なんだけどね。
NiNaは、当時JUDY AND MARYのYUKIと、B-52'SのKate Piersonがツインボーカルをとったユニットですね。
プロデューサーは、ジュディマリのプロデューサーでもあった佐久間正英氏。

プロデューサーの時代と言われた90年代後半、TKに続く、つんくもモー娘。を始めアイドルグループのプロデューサーの当確を現わしていた時代ですよ。
 その中で、バンドサウンドのプロデューサーとして他のプロデューサーとは一線を画していた佐久間氏から発信されたこのユニット。

当然、ロック色の強いバンドサウンドなんだろうな・・・っていう想像が先に立ってしまったりするこの曲なんだけども、実際はめちゃくちゃポップ色が強い1曲だったするんだよね。

個人的に言えば、当時、プロデューサーの時代と言われ、同じようなサウンドが氾濫しているヒットチャートには随分辟易していた部分があるんだよね。

当時のワタシの「書き込み」知っている方なら既にご存じでしょうが、けっこうクレーマーだったからなぁ。今だったら「炎上」しそうなことも大分書いてたから。 しかも当時は自分の「掲示板(BBS)」を持ってなかったからヒトの掲示板で

でも、ミリオンセラーバンバン出てた当時から、こんな「音楽」が続けば近い将来CD売れなくなる・・・ってシツコイ位に警告してたのは当たったでしょ ちっとは先見の明があったと思うんだよなぁ

・・・なんて自画自賛なことは置いといて・・・。


でもさ、この曲を聴いてそれまで痞えていたモノが吐き出された思いだったなぁ、いや、大分スッキリしたんだよな。
そのくらい、当時のヒットには無かったようなポップさだったんだよね、この曲。

まあ、正直言うと曲調的には、当時から見ても新しさは無い。 むしろアナクロだったんですよ。90年代と言うよりも80年代・・・いや、もしかするともっと前の時代の曲調かも。

例えば70年代のブロンディとかさ、あの位の時代を彷彿させるポップさっていうのかなぁ。

うん、ボーカルに「外人」のKate Piersonがいたから、ポップはポップでも間違い無く「向こう」の曲のポップさなんだよね。まあ、全編「英語詞」っていうのもあるけど、湿度感をほとんど感じない、カラッとした軽い空気感。

ここだと思う。

当時は重い曲が多かったんだよ。全体的に。やたらと音数が多かったり音圧が高かったり。当時のヒットに辟易していたのはその辺りが一番大きな要因だったかもしれないな。

そこに持ってきて、このカラッとしたポップな曲が来たもんだからさ、心が洗われたんだよな、大分。

 本来ダサイ、「日本のポップ」が好きなワタシだから、本来だったら、向こうの曲っぽいのはダメな部分もあったのかもしれないけど、まあ、そんなことで、この手の曲でも「OK」って気分だったんだよな。

いや、70年代っぽい、このテの洋楽ポップスは決して嫌いじゃないんだよ。むしろ懐かしい音なんだよね、ワタシの中では。当時、親に連れて行かれた行きつけの喫茶店で、このテの洋楽ポップスがいつも流れてたからさあ。それこそブロンディとか。

少し前、テレ朝の「サンデーステーション」のお天気コーナー のBGMで、ブロンディーの「Sunday Girl」が使われてたでしょ。 あれ、音聴いてただけでもめちゃくちゃ懐かしかったもの。

↓ コレ



今回セレクトしてきた「Happy Tomorrow」もこの「Sunday Girl」と同じような匂いを感じたりするんだよな。
うん、結論からすると懐かしい音なんですよワタシにとっては。だから引っかかったんだろうなぁ。

ただね、思ったよりは売れなかったんだよね、この曲。ジュディマリのYUKIだから、もっと売れてもおかしくなかったんだけどねぇ。

まあ、たしかに当時、派手に宣伝していた訳でもないし、NiNaって聞いただけで、ジュディマリのYUKIって気づかなかった人も多いだろうしな。
しかもロックなジュディマリを期待していたヒトには、このテのポップな曲は大人し過ぎて肩透かしだったろうしな。

佐久間氏から見ても、他にプロデュースとした他のアーティストでも、この手の70年代のポップサウンドをフィーチャーした曲って、少なくともヒットチャート上ではなかったですからねぇ。やっぱ聴き手からすると肩透かし立ったところはあるかもしれない。
個人的に言えば、バンドバンドしていない部分も垣間見れて、それだけレンジの広さを感じられた・・・って部分では嬉しくもあるんですけどね。




そうか、この曲は、佐久間氏はベースではなく、リードギターやってたんだ。若干ピッチがずれているのがちょこっと気になるけど。。。
後年、亡くなる直前にNHKで特集されていた時の優しい表情ではなく、まだまだ尖がったシャープな表情の頃の佐久間氏ですな。

ちなみに、個人的にこの曲を初めて聴いたのははっきり覚えてる。日曜日の雨上がりの午前中。車で千葉から木更津方面に向かっていた国道16号だったな。
この曲を聴いてた時にバーッと日が差してきてさ、陽の光が雨上がりのアルファルトに反射して金色に輝いて、ドラマティックな光景だったんだよ。

そんな光景を見てて、なんかさー、その時の仕事とか、これからの生き方とかどうでもよくなっちゃったんだよ。
現に、当時働いていた新卒で入った会社を退職するのは、この半年後だったりするんだけど。。。




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わかって下さい / 因幡晃

  1976_07_わかって下さい_因幡晃


今回の1曲セレクトは、「わかって下さい」因幡晃です。

まずはデータです。

・タイトル      わかって下さい
・アーティスト    因幡晃
・作詞         因幡晃
・作曲         因幡晃
・編曲         クニ河内
・リリース日    1976年2月5日
・発売元       ディスコメイト
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   65.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1976年4月5日〜8月2日付

ちょっと前まではロングヒットが出ない出ない・・・もう、そう言うヒットは永遠に出ないんじゃないか・・・なんて感じていたヒットチャートだけど、昨年あたりから、また昔ながらのロングヒットっていうのが、ぽつぽつと見られるようになってきましたわな。
まあ今年・・・というか、昨年後半からだけど、件の星野源「恋」が、異例のロングヒットを記録したりしたしな。

チャートマニアとしても面白くなってきましたわ。チャートアクションを見るにしても。

昔は・・というと、それこそロングヒットの宝庫だったわけで・・・。というか、チャートの上位に来る曲っていうのは、そう言う曲が多かったんだよね。 今と比べ物にならないくらい、1ランクの重みって言うのは違ったからさあ。

まあ、そう言うロングヒットっていうのは、今でも記憶に残ってている曲って言うのが多いんだけど、中には、「そうだったっけなぁ〜」と思える意外な曲がロングヒットだったこともあるんだよね。

今回はそんな曲をセレクトしてきましたぞ。

因幡晃 「わかって下さい」。

いやいや、個人的に言えばやっと持ってこれましたわ。この曲。 前々から書こう書こうと思ってなかなかこっぱってこれなかった曲。 まあ、なんとなしに通り過ぎてきたって事もあるし、書こうと思ってなかなか腰が上がらなかったこともあるし・・・。 

サウンドを語る前に兎に角、この曲で印象的だったのは、チャートアクションなんだよね。 トータルなレコード売り上げ、大ヒットにはなっているものの、それほど派手な売り上げがあった訳じゃない。
 でも、76年の自分のランキングを作っている時、その地味ながらも、めちゃくちゃ粘りのあるチャートアクションは驚きだったんだよな。落ちそうで落ちない。
まるで、昨年から今年にかけての星野源「恋」と似たようなチャートアクションだったのよ。 結局ベストテン内には丸4ヶ月チャートインしてたしな。

だからね、リリース日こそ冬なんだけども、夏になっていた今頃でも、まだベストテン内に留まっていたからねぇ。

冬の曲が、夏にまだヒットしているって言うのも結構異例だったし、 実際、夏に聴く冬の曲っていうのも、かなり違和感を感じたりするんだけどさ。


個人的にはね、この曲好きなんですよ。 

1976年の冬の日にリリースされたこの曲は、リリース時期からも分かるように、もろ冬枯れした重い曲。 それでもメロディアスな曲調は如何にも、ポプコン出身だよな・・一聴してわかる。 そして一度聴いたら耳から離れない。

そこからして個人的に好きな世界なんだけどさ。

なかなか書けなかったっていうのは、楽曲自体は好きなんだけども、肝心の音源を持っていなかったって言うところが大きかったかもしれない。

もちろん、この曲がヒットした76年って言う頃は、個人的にはまだヒット曲の世界に足を踏みいれてなかったわけで、だからリアルタイムで聴いては無かった・・・と思うんだけどねぇ。。。

この曲を意識的に聴いたのは、ヒットしてから随分経ってからだと思う。 たしか「ノエビア」化粧品のCMかなんかで使われましたよね。
その時聴いた印象が、かなり衝撃的だったんだよなぁ。一体誰の曲なんだろう? なんてすぐに思いーの、探し始めたのがきっかけだったと思う。

ただね、その時聴いた時も、すぐに時代は感じましたけどね。 これは、70年代の曲だってことが・・・・。

不思議なもんで、それぞれの曲には匂いがある訳なんだよね。各時代時代の匂いって奴が・・・・。

この曲からもやっぱり76年当時の匂いが感じるのよ。 初めて聴くのにあの頃の絵が浮かんでくる。 まあ、いつも書いてる表現だけど、だから音楽って不思議なんだよね。 永遠のノスタルジーなんだよね。だから音楽からは離れられないんだろうなぁ。

兎に角、個人的に言うと、この時代の「音」っていうのが強烈に懐かしいんだよな。 まだヒット曲をちゃんと聴いてなかったのにさ。 とはいえ、テレビから、そして、オヤジの車のカーステからたえず音楽は流れてたからさあ、無意識のうちに体に取り込まれていただろうな。 音と一緒に当時の空気感とかさあ。 

だからね、この当時の「音」を聴くと、無性に懐かしさを感じたりするんだろうなぁ。


ところでさ、この曲は、↑でも書いてるように、兎も角、冬枯れ色の重たい1曲だけど、イントロがめちゃくちゃ印象的なんだよな。
 荘厳なパイプオルガンで始まるイントロはまるでレクイエムを思わせるんですよ。個人的にはこういうドラマティックなサウンドって大好きだしさ。
 
まずもって絵が浮かんでくるんだよね。重苦しい灰色の世界観に、一筋の光がさしているような絵が浮かんでくる。そう、単なる音楽って言う枠じゃないんだよね。とても映像的であり 視覚的。 さこがこの曲の良さだと思うんだよな。

ちなみに、この年はパイプオルガンをフィーチャーしたドラマティックなイントロの曲がもう1曲ある。 そそそ、ユーミンの「翳りゆく部屋」ですわな。 あの曲も同じように映像的な曲だしね。

そう言う曲たちが同じ時期にヒットしてたっていうのところが、もしかしたら76年のヒット曲の特徴だったかもしれない。

いずれにしても、日本の音楽の進歩を感じたりする1年ではあったんだよな。




件のニューミュージック・スペシャルの時の映像だと思うんだけど、個人的に、この曲と言うと、この時の映像が浮かんでくるんだよな。
まあ、今聴くとギターのチューニングが気になったりするけどさ。。

ちなみに、こっちの動画は音がめちゃくちゃいいです。

https://www.youtube.com/watch?v=XPBtH1szqoo


最近でも、ステージでこの曲を歌い続けている因幡氏だけど、昨今ではすっかり歌い方を崩しちゃってて、ヒット当時の面影が薄くなっちゃいましたね。
 やっぱ、この当時のオリジナルの歌い方が一番、心に刺さりますな、この曲は。



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