かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

あの頃のヒット1曲セレクト!

卒業 / 尾崎豊

1985_03_卒業_尾崎豊






今回の1曲セレクトは、「卒業」尾崎豊です。

まずは、データです。

・タイトル      卒業
・アーティスト    尾崎豊
・作詞        尾崎豊
・作曲        尾崎豊
・編曲        西本明
・リリース日     1985年1月21日
・発売元       CBSソニー
・オリコン最高位   20位
・売上げ枚数     7.4万枚

 さすがに、「卒業」シリーズも3回目にもなると、鬱陶しくなってきたんで、そろそろオーラスに参りたいと思います。

 最後はやっぱし、卒業 / 尾崎豊

で締めたいですね。


 そもそも、尾崎を意識した・・・というか、ちゃんと聴きだしたのは、あの「事件」以来なんだよね。
 
 あの事件⇒1992年4月 尾崎豊逝去

 それ以前は、ほとんどきちんと聴いてもなかったんだなぁ。

個人的に尾崎の存在を知ったのは、1984年夏、日比谷野音で開催された「アトミックカフェ」という2日間行われた「反核コンサート」ですね。

2日間連続で出演予定だった尾崎が、初日の出演の時に、高さ7mのPAセットから飛び降りて両足骨折。 2日目の出演が出来なくなって、お詫びのしるしに白いハトを一斉に飛ばした・・って、あの伝説のコンサートですわ。

PAから飛び降りたことに関して、「なんかやな予感はしたんだけど、勢いでやっちゃった」・・と月刊・明星の記事に飄々とかたる尾崎のインタビューを覚えてるな。

でもね、個人的には、あの時は、そんな「やんちゃなアーティストがいるんだ」ってことぐらいしか気にならなかった。

個人的に本当に尾崎が視界に入ってきたのは、今回引っ張ってきた「卒業」がヒット。続くリリースされたアルバム「回帰線」がオリコン1位を獲得した直後。 オリコンで組まれた「特集」を読んでからですね。

尾崎のコンサートにきていたオーディエンスのインタビュー。いわいる後年の尾崎信者と言われたような方たちだったけど。。一様に社会からロックアウトされたような方たちで。。。

それを読んで、これは、自分とは違う世界のアーティストなんだ・・・って感じたんだよね。

 ・・そういうこともあって、以来、尾崎はずっと素通りしてたんですよ。

 そこに来ての、突然の尾崎の死。 これは、なんとなく、素通りしてたワタシにも、なぜかグサッとこころのどこかに来たものがあったなぁ。
 プラス、件のオリコンチャート研究会のリーダーが、あの事件以来どっぷりはまっちゃったんだなぁ。尾崎に。

 でもね、あれ以来、この曲をちゃんと聴くようになったのは確か。
 そして、85年当時、あれだけうっとうしかったこの曲が、すっと自分の中に入ってきたのも確か。
 7年の年月の間に、挫折を経験したり、物事を深く考えるようになってきて、やっと、この曲の意味が理解できるようになってきたんだと思うな。
 
 でも、理解すれば理解するほど、この曲の「純」なところも分かってきたな。
 尾崎の曲は、どんなに力いっぱい全力疾走してても、煽ってても、根の部分は「純」なんだよね。
 まず、もって、尾崎の曲は、ビジネスライクというところが、ほとんどと言っていいほどない。 今は、これだけ「純な心のハケ」を歌えるアーティストは、まず、いないでしょ。 いや、あの時代もなかなかいなかったと思うな。

 本当の「アーティスト」・・・・なんだよね。

 自分の心のハケを表現するのがアーティスト。プロジェクトのためぢゃない。お金のためぢゃない。
 果たして、そういうアーティストって、いまはどれだけいるんだろう?
 ほとんどは、曲作る前から皮算用してるんでしょ、きっと。。。オリコン何位とって、何万枚売ればなんぼ儲かるとか・・。ソロバンはじいてるでしょ。
 その時点で、既に「アーティスト」ではないんですよ、本当は。

 それに、歌い手が「純」ならば、聴き手も「純」なんだと思うな。だから、そういうところが「癒しに」繋がって、一見「信者」のように見えるんだよね、きっと。

 でも、普通は、「大人」⇒権力側に付くにしたがって、この辺って忘れていくもんなんだろうな。
 
 だけど、ワタシ、今、この曲が今までで一番ワカルっていうか、いまのワタシの心境、いいたいこと、そのままなんだよね。 

♪ 信じられぬ大人との争いの中で 許しあい一体何、分かりあえただろう? うんざりしながら それでも過ごした 一つだけ分かってたこと、この支配からの卒業 闘いからの卒業 ♪

 究極のところは

♪ あと何度 自分自身 卒業すれば 本当の自分にたどりつけるだろう? ♪

 なんだろうな。


 ・・・・ということは、ワタシャ、全然「大人」になっていないってことなんだろうな。。。
 まあ、未だになりたいとも思わないけどさ。
 
 少なくとも、エンタメに関わっている限りは、「大人」になったら終わり・・・っていうのが自論だからさ。
 エンタメなんて、気持ち子供だからできるんですよ。 ソロバンはじいて皮算用するようになったら、エンタメなんて終わりですわさぁ。
 でも、実際は、「サラリーマン」って言う立場だと、そういう「大人」との闘いなわけさ。いくらエンタメに関わっているっていっても。

 そういう、理想と現実のギャップの中で、一層分かり合える曲なんだろうな。この曲って。
 単に、この曲が指してる、「管理教育」っていう「学校」の中の世界だけぢゃない。実社会にも充分当てはまるんですよ。

 もしかすると、それに気付き始めてる年代なのかも。。。私らの年代って。。


 しかしながら、もし、尾崎があのまま、生きてたら今ごろはどんな歌、歌ってたんだろう? 享年26歳だった尾崎も、生きていれば今年50になったはずなんだよね。
 未だに、純な歌、歌ってんだろうな。 それとも、昨今の業界の腐った利潤争いに嫌気さして、メジャーの場からは消えてたかな?

 それでも、あの当時はデカイハコばっかで行ってたライヴも、今では場末のライヴハウスなんかでやってたりして。。
 そしたら、見に行けたんだけどなぁ・・。と、つくづく思ったりして。。。

 


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卒業〜GRADUATION〜 / 菊池桃子

1985_03_卒業_菊池桃子





今回の1曲セレクトは、「卒業」菊池桃子です。

まずは、データでっす〜

・タイトル     卒業〜GRADUATION〜
・アーティスト   菊池桃子
・作詞       秋元康
・作曲       林哲司
・編曲       林哲司
・リリース日    1985年2月27日
・発売元      バップ
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    39.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1985年3月11日〜4月29日付
・タイアップ:日本テレビ系単発ドラマ「卒業」主題歌


 はいっ!、斉藤由貴の「卒業」ときたら、この曲しかありませんっ・・・・という具合に、ほとんどの方のご想像通り、菊池桃子の「卒業」を持ってまいりました。

え? なんで、斉藤由貴さん「卒業」と来たら、菊池桃子さん「卒業」かって?

はい、タイトルが同じ「卒業」だから・・・。っていうのもあるけども、ヒット時期がもろ被るんだよね。この2曲。

同じ1985年3月のヒット。

恰も、ワタシがちょうど中学校卒業の頃ですわ。

だからね、中学校卒業というと、この2曲がダブルのよ。ワタシん中では。。。


ちなみに、当時、「ザ・ベストテン」のランキングを「記録」するのが、ワタシの「週課」となっておりまして。。。

同じようにベストテンのランクを記録してた「同朋」の方って、全国にゃたくさんいるんだろうなぁ。 いや、あの当時はネットなんかなかったし、周りにやってた方は誰もいなかったんで、こんなことやってるの、ワタシぐらいなんだろうなぁ・・・なんて思ってたんだけども。。。

あの頃の「ベストテン・記録ノート」をひっさびさに紐解いてみた。

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11位の「卒業〜GRADUATION〜」が菊池桃子さんで、20位の「卒業」が斉藤由貴さんですね。

こんな感じで「同名タイトル」でランクインしてたんで、菊池さんの方は「〜GRADUATION〜」って副題も書いて見分けてたんだうろねぇ。。。

いや、記憶では「卒業(斉藤)」「卒業(菊池)」って書いてたような記憶もあったんだけどね。。。


 斉藤由貴の「卒業」がミディアムアップテンポなら、こちらは「スロー」。
 斉藤由貴の「卒業」がジャパニーズアシッドなら、こちらは思っきり「ポップス」

 ・・・と、同じ「卒業」でも、かなり好対照な曲でしたね。キーが「メジャー」というところは同じだが。。
 まあ、「卒業」だもんね。お祝いの席だもんね。これ、「マイナー」キーだったら、逆に「怖い」わね。

 それと、情景的に、比較的、活発的な雰囲気のある、斉藤由貴の「卒業」にたいして、こちらは、かなり大人しめな主人公をイメージするなぁ。
 
 ただね、同じなのは、どちらも、「都会」が舞台ではないことかしらねぇ。。。

♪4月が過ぎて都会へと旅立っていくあの人の 素敵な生き方頷いた私〜 ♪

 うーん、↑で「おとなしめ」な主人公って書いちゃったけど、それだけでなく、なんとなく大人っぽいよなぁ。
 これって中学生? 高校生? 

 うーん、この時、菊池桃子16歳・・・ということは、高校の卒業ではないよなぁ。
 でも、中学生で「生き方」に頷くかぁ。。。。と思わず、ちゃちゃを入れたくなったりして。。。。

 しかし、このころはまだ、秋元氏もかなり「まとも」な詞を書いてたんですよね。いやはや、ほんとの「プロ」の作詞家っぽいですよ。ワタシも好きでしたもん、このころの秋元氏の詞は。。一方で、とんねるずの「一気」とか「青年の主張」もあったんだけどさ。。。。

 なによ、この落差は。。。って感じだよね。

 話がズレた。

 ・・・で、曲は林哲司氏。 もう、このヒトといえば、ミスター84年、85年といっていいほど、この時期、大当たりしてた作曲家ですね。ほんと、今聴くと、一発で84年ってわかるよなぁってくらい、あの時期を象徴するようなメロディですよね。
 林氏の著書「歌謡曲」にもあるんだけど、本来は「アイドル然」とした曲は好きでない・・とのことなんだよね。
 だから、この曲に限らないけど、菊池桃子の初期の曲って、他の同世代のアイドルの曲とはちょっと違うんだよね。

 特にサウンドに関しては、ほとんどニューミュージック。同じ林氏プロデュースのオメガトライブと変わらないもんね。
 
 80年代も中盤に差し掛かり、あたらなフォーマットのアイドルが出てきたなっていう感じではワタシも見てたなぁ。だから、菊池桃子のレコードは、当時からもってたんだよね。

 まあ、単純に好きだったからってのもあるけど。。

で、人気もこのころが最高調でしたねぇ。この「卒業」の39万枚が菊池桃子の最高セールス。
 おニャン子登場前夜。80年代の80年代らしいアイドルの最後の輝きの時期だった・・といえるかもね。

 そして、秋元氏は、爆弾落としにまわったわけです。


 あ、それから、この曲、日本テレビで放送された、単発ドラマ「卒業」のテーマ曲だったてことは、意外と忘れられてるかなぁ。
 私はしっかりみてるんだよね。そのドラマ。ただ、内容は全く覚えてない。アイドル特有の中身はないドラマだったような気もするが。。。。
 あ、ただ、ジャケ写で菊池桃子が着てる制服は、たしか、ドラマの衣装なんだよね。なんか、それだけは覚えてるな。。




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卒業 / 斉藤由貴

1985_03_卒業_斉藤由貴




今回の1曲セレクトは、「卒業」斉藤由貴です。

 まずはデータでっす。

・タイトル     卒業
・アーティスト  斉藤由貴
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       武部聡志
・リリース日    1985年2月21日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  6位
・売上げ枚数    26.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1985年3月25日〜5月13日付
・タイアップ    明星食品「青春という名のラーメン」CM曲



 さーて、お立会い! 3月といえば、昨日も書いたけど、卒業シーズン・・・と来たら、「卒業ソング」・・ということで、いよいよ真打の登場。今日からダシオシミしないで、バンバンいきまっすよん。。。
 
 ということで、今日は、斉藤由貴「卒業」から・・・

 この曲は、不思議な感じだったよね。ジャパニーズアシッドで、真っ直ぐで・・・、一歩違ったら文部省唱歌かと思ったくらい。それだけ、斉藤由貴ってヒトは、まっすくでマジメっていうイメージが強かったんだよね。

  まずもって、イントロのシンセ駆け上がりの音色からして、ジャパニーズアシッド。琴っぽい音をベースにした音色。ちょっと、この前の年にヒットした、高見知佳の「くちびるヌード」にも使われているような・・・、あ、これは、どっちかというと、チャイニーズっぽいか。。。。 ま、いずれにしろアジアンテイストなイメージは強いですよね。
 ここからして、なんか、背筋伸ばして聴かないと・・・って気になっちゃうんだよね。なんとなく。。。
 まあ、これは、アレンジャーの武部氏の持ち味、お得意なところなわけで。。。

<追記>
ただ、あのイントロは、学校のチャイムをイメージして作られたようですね。4年前に行った斉藤由貴35周年コンサートで武部氏自ら語っていたから間違いないと思いますわ。

・・・というか、筒美氏のデモテープの段階で、あのイントロのフレーズは入っていた・・・っていうのが、あん時のコンサートで明らかになったのよ。 うん、武部氏とのMCコーナーでそのデモテープも流してくれたんで。。。

なので ↑で書いたようにアレンジャーの武部氏が考えて作ったフレーズではないようです。
武部氏は、筒美氏のデモテープからよりリアルなチャイムっぽい音にアレンジしたという感じですね。

詞に関しては、松本ブランドでワタシなんぞには、文句のつけようがないですわ。
 とにかく、このヒトの詞は、情景が浮かぶんですよねぇ。分かりやすい。しかも、言葉が簡潔でしょ。いや、だから、分かりやすいんだよね。それに3分間にドラマがあるっていうのかな。まあ、これが「歌」の基本だよね。

 メロディは筒美氏。これも、ワタシごときに文句つけられないですわ。でも、筒美氏にしては、ちょっと変わったメロディではないかなぁ・・・。

 出だしのAメロ ♪制服の胸のボタンを〜♪ などの譜割。

8分休符、8分音譜続きが得意な筒美氏にしては、ちょっと細かいというか、とっつきにくい譜割りなんですよね。平山三紀の「真夏の出来事」、尾崎紀世彦の「また遭う日まで」・・・71年ごろに結構多用していた、ちょっとR&Bっぽい譜割をジャパニーズテイストのアレンジにのせてってところですかね。
 すると、こんな、ちょっと不思議なイメージの曲の出来上がりってところなのかな。これぞ、和洋折衷のミクスチャー。70年代以降の歌謡曲の基本ですね。

 そう、この曲はアイドルポップスというよりは「歌謡曲」なんですよね。根の部分では。ただ、あんまり、「歌謡曲歌謡曲」したんでは・・・ってことで、表面上は、ポップス色に色を塗り替えたってところですかね。

 この曲、明星食品で、あのころ売り出させた「青春という名のラーメン」っていう、ちょっと一風変わったネーミングのカップラーメンのCM曲だったんだけど、初めて聴いたときから、アイドルの曲っていう感じは、ワタシの中ではあんまりしなかったもんなぁ。ほぼ歌謡曲だったですよ。イメージは。
でもまあ、それが狙いだったんろうね。

 代わりに、ジャケットは、アイドルしてますぞ〜。ぽにーてーるちゃんの斉藤由貴。
 ワタシャ、個人的には、このジャケットが一番好きですわ!




この動画もめずらしいカットだなぁ。PVのつもりで撮ったのかしら?


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バレンタイン・キッス / 国生さゆり

1986_02_バレンタインキッス_国生さゆり


今回の1曲セレクトは「バレンタイン・キッス」国生さゆりです。

 
まずは、データから〜


・タイトル     バレンタイン・キッス
・アーティスト        国生さゆり
・作詞       秋元康
・作曲       瀬井広明
・編曲       佐藤準 
・リリース日    1986年2月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    31.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1986年2月10日〜3月10日付



 明日は〜、バルタンデー、・・・・もとい、バレンタインデー。。。
・・・なんて書いてもう何年になりますかね。。。

どうも、最近はいまいち盛り上がらないバレンタインデーような気がしますが、またまたやって来ますね、明日。

まあ、ここ数年のテレワークで、バレンタインに出社することは少ないし、家では「ヤモメ」暮らしなんでね。 全くバレンタインとは縁遠い生活なんだけども。。。

しかし、この日になると、未だに流れますね〜。国生さゆりの「バレインタイン・キッス」

さっきもラジオ聴いてたら、何回この曲が流れたか。。。。

・・ということで、やっぱ、今回は、またまたブログの底〜のほうに沈んでいたこの曲を、またまた引っ張り上げてきましたわ。


ということで。。
 
それにしても、あまりにもオーソドックスというか、シロートっぽいというか・・・・
ほんまにワタシゃ「選曲屋さん」だったんでしょうか。。。? 

なんて思ったりもするけど。。。。 

 超ど真ん中ストレートなセレクトやね。 せめて、柏原よしえの「毎日がバレンタイン」とかセレクトしてきなさいよ・・とか、声が聞こえてきそうだけど、まあ、ええやん、今年もこの曲で行きます。。

 

・・・といってもね、あまりにも「つば」が付きすぎてて、どう書こうかなぁ・・・、逆に難しい。。

・・・あ、そうそう、考えてみれば、この曲リリースされてから、もう38年なんだよね。

38年ですよ、皆様。 信じられないですよね。 もうね、個人的な感覚から言えば、「昨日」のような感じもするんだけどねぇ。。。。

 でも、未だにバレンタインっていうと、この曲なんだもんね。あの当時からすると、40年も先に、この曲が流れているなんて全く考えもしてなかったですけどねぇ。

なんせ、この間、フジテレビの「私のバカせまい史」で「バレンタイン・キッス」1強史! なんてやってたしな。

ちょっと前のネットニュースには ↓ こんな記事があったりしたし。。。




いまや、一強「問題」になってたりするんですか!?


ところで おニャン子の曲って、とかく、「初動勝負」、初登場で全累積セールスの半分以上売っちゃう・・・、いまにも通じるような売れ方っていう、印象が強いけど、この曲がリリースされた頃は、まだ、そんなことなかったんだよね。

 チャートアクションも比較的粘ってたりして。この曲は、1986年2月10付けで初登場で2位だったけど、その時の週間セールスは、9.5万枚。累積セールスは、31.7万枚も行ってるから、初動セールスは、全体の3割。 まだまだ、普通のヒット曲の部類だったんですよ。

 そうね、ちゃんと「ヒット曲」って認識できたんだよね。


 このころ、例の「夕焼けニャンニャン」は、最高潮の時期で、視聴率も軒並み20%前後まで行ってたんだよね。
午後5時からの放送で、視聴率20%近くもあったんだからねぇ。
 
 つまりさ、「コア」なおニャン子ファン以外の一普通の興味がありそうなコたちも見てたってわけなんだよね。

 だから、売れ方も、「普通」のヒット曲のように、いわいる「浮動票」とよばれる、コアファン以外にも受け入れられていたんだよね。


 曲の方は、まあ、ご存知の通り、うーん、あんな感じね・・(ってどんな感じだ?)。

 ♪甘い甘い恋のチョコレート〜♪ってあるように、ほんと、甘ったるーい曲ですよね。

 ただ、個人的には、めっちゃけなすほど、悪い出来でもなかったような気はするな。
 いやいや、まだ、このころのおニャン子関係の曲は、壊れてはなかったんだよね。他のアイドルの曲と共存ができたんですよ。
 TBSとフジテレビの間もまだ、亀裂はなかったし、だから、ベストテンにも、おニャン子関係のコ達は出演してたしね。

 短かったけど、おニャン子の一番輝いてた時期って感じかな。


 んじゃ、いつから、「コア」なファンのものになって行ったか?・・・。

 やっぱし、「じゃあね」と、河合その子の「青いスタスィオン」・・・・86年3月ぢゃないかなぁ。。。


 この時期、「なかじ」がおニャン子卒業。フロントボーカルが総とっかえ・・・・。 これがひとつの転機になったんではないですかね。

 これ以後、急速に「コアふぁん」=「オタッキー」な方たちのものになっていくわけだね。
 それと共に、夕ニャンの視聴率が低下⇒一般層のおニャン子離れが進むんだよね。

 まあ、なかじの卒業とともに、一般にちょっと興味があった人たちも一斉に、おニャン子を卒業したんだろうね。
 しまいにゃ「おニャン子? オタクー」と、一般のヒトからは気持ち悪がられるようになったわけですぅ。。


 まあ、おニャン子だけではないけどね。アイドル全般的に、これを境に、「おたく化」が進むんだよね。

 80年代型アイドルも85年までのような「みんなで共有する」という形のアイドルは、ごく一部のトップアイドルだけになっていくわけですわ。




ちなみに、この曲がリリースされた時、ワタシゃ16才。 青春ど真ん中!
さぞかし、バレンタインにゃ、チョコもらってたんでしょ・・・と思う方は、、、まあ・・・いないか。

でもさあ、2/14って、ウチの高校、毎年決まって入試の日だったのよ。
当然在校生は「休み」。 
これじゃ男女共学の特権がなんもないってもんよ。。。

そんなわけで高校の時は、一回もチョコをもらってない・・・・ような気がするんだけどな。。。

まあ、もらってた人はもらってたんだろうけどな、事前に。。。 

そういう訳で、全くモテなかったワタシなのよ。。。。 

中学校までは結構もらってたんだけどね。。。。 



あ、個人的にはバレンタインといったら、「バレインタイン・キッス」の他、Tommy february6 の「Be My Valentine」も浮かんでくるな。。。 


まあ最近の曲だけど




・・と言っても11年前か。。。



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悪魔がにくい / 平田隆夫とセルスターズ

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今回の1曲セレクトは、「悪魔がにくい」平田隆夫とセルスターズです。

まずはデータです。

・タイトル    悪魔がにくい
・アーティスト  平田隆夫とセルスターズ
・作詞      平田隆夫
・作曲      平田隆夫
・編曲      土持城夫
・リリース日   1971年8月10日
・発売元     ミノルフォン音工
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   72.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1971年12月13日〜1972年3月6日付

ヒット曲を追い続けてかれこれ45年になる。 その間、リアルタイムで聴いてきた曲は、もちろんのこと、リアルタイムで接してこなかった曲についても、45年の間に後追いで追っかけて曲を認知したり、音源を集めた曲もだいぶ増えたな。
 それらについては社会背景とかアーティストについても後追いで調べたりした曲が多いわけで、ヒットの背景が見えた曲が多い。

でもねぇ、いまだにこの曲がなんでここまでの大ヒットになったのか・・っていうのが、よくわかんない曲もありますね。

特に70年代初期以前の曲かなぁ。 自分が物心つく前の曲ですね。
まあ、G.Sとか、フォーク系を含む、のちのロック、ニューミュージック系の源流はちょこちょこ独自に遡ってきたりしたんで、徐々に「あの時代」について分かったりしてきたんだけども、こと歌謡曲となると、謎な部分が多いのよ。

うちのオヤジが いわいる「歌謡曲」という音楽には興味がなかったせいか、うちにはその手のレコードもなかったし。。 
今、ネットを調べても、意外と出てこないのが、この手の音楽についてなのよ。

ネットでのこのジャンルの書き手のヒトも、少ないからなんでしょうかね? 
例えば、生業でこの時代、リリースされた楽曲について作詞、作曲者についてネットを調べても出てこない曲がちょくちょくあるんだよね。

某Jさんの作品データベースを調べても出てこなかったりして。。。
(某Jさんのデータベースは、昔のカード管理の時代から現在のデータベースに移行する際、直近で利用実績がない、将来的にも利用されないであろうと思われる古い曲は消去しまった曲もあるとのこと。 
だから70年代の曲とか出てこない曲もあるのよ。むろん、オリコンにはランクインしてこないような、今となっては誰も知らないような超マイナーな曲ではあるけども。。。)

この手の曲については精通している方たちも、もう鬼籍に入られているとか、かなりのご高齢であると思われ、まあ、だから、今となってはネットでの空白地帯になっているのかもしれないけども。。。

今回は、そんな、今となっては、あんまり情報が出てこない大ヒット曲を一つ



平田隆夫とセルスターズ 「悪魔がにくい」

今から52年前の、1972年の今頃、オリコンで首位を5週間も続いていた大ヒット曲なんだけどね。
ネットを調べても、ほとんどこの曲については出てこない。

むろんwikipediaには項目があるけども、他、音楽評論家とか個人で書かれているブログは、ほとんど出てこないな。

そんじゃ、おめーはどうなんだ? と言われそうだけども、正直、ワタシも、なんでこの曲が、ここまでの大ヒットになったのかっていうのが、よくわかんないのよ。

この曲がヒットしていた頃ってたいったら、ワタシゃ 2才6か月。 
むろん、リアルタイムでは聴いた記憶が全くないわけで。。。

はじめて曲の存在を知ったのも中学生になってオリコンを見るようになってからですね。
オリコンでの累積売り上げは72万強となっているけども、1972年当時の70万枚なんて相当なヒットですよ。それこそ、誰でも知っているような。 しかもオリコンで1位を5週もとってたわけだから。。。
現に、あの頃オリコン歴代売り上げ上位にランクしてた曲は、リアルタイムじゃなくても、ほとんど認識できたからさ。

でも、この曲はワタシにとっては謎だったんだよね。 まあ、だから余計興味は持ってたんだけども。。。

曲を初めて聴いたのは、さらに10年近く後。 
ニッポン放送で、オリコンウイークリー600号を連動して、当時のオリコンシングル売り上げTOP500を半年かけてカウントダウンして言った番組を聴いたときですわ。

よくわかんなかったな。 ほんとにこの曲が70万枚? っていう感想。

このクラスのヒットになると、かならず、フックなるようなインパクトってどこかしらあるもんなんだけども、この曲からは、そういうインパクトは感じなかった。

だから余計、謎に感じるんだよね。 あ、これは、手元に音源がある、今でも変わんないですね。

・・となると、ここまでヒットするような時代背景とかあると思うんだけどね。
悔しいかな、個人的には、そのあたりを直に体験していないからなぁ。 むろん、同じ空気は吸っていたんだけども、まだ物心ついてなかったから。。。。


wikepediaを読むと、リーダーの平田隆夫氏は、武蔵野音楽大学を出て、ダン池田氏率いる「ダン池田とアフロキューバン」というラテン系のジャズバンドのピアノを担当。 
のちに「ザ・ルビーズ」というG.Sのギタリストだった菊谷英二氏とセルスターズを結成。
セルジオ・メンデスの「マシュケナダ」のようなラテンバンドを目指すとある。

これを読んで、ははん・・と腑に落ちたなぁ。

この「悪魔がにくい」のイントロの冒頭、ピアノのリフが「マシュケナダ」だもの。

つまりはさ、この曲、ラテンなんだ。

・・なんて書くと、 いやー、めっちゃ歌謡曲じゃん って思われちゃうと思いますけど。。

あの時代、まだまだ歌謡曲は絶対だったんだよね。日本で売るためには。

ポップスだろうが、ロックだろうが・・なんだろうが。 あの時代の大ヒット曲を、今聴くとみんなそうだもの。

根っこの部分は、ロックや、ポップス、ラテン、ジャズ・・といわいる「舶来」なリズムであっても、表層的な部分では、4-7抜きっぽいメロディラインが主流の歌謡曲なわけでさ。

まあ、そんなわけが分かんないようなミクスチャーがあの時代の歌謡曲の主流なわけで。

うん、今、外人が日本の曲に興味を持って、面白がってくれているのは、外人からみるとそんな、訳が分かんない、少なくとも自分たちの文化、音楽には絶対にありえなかった、不可思議なミクスチャーなところなわけじゃん。

でも、今考えると、あれが、あの頃の日本人としての本質だったんだよね。

でも、それでは物足りない、もっと外国に近づきたい・・っていう若者が徐々に現れだしたのが、同じ70年代初頭なわけで。 そういう人たちが台頭し、新たな音楽の地平であるニューミュージックが、そのあと台頭して行ったわけですわ。


72年の今頃と言ったら、そんなミクスチャー歌謡曲がヒットチャートでは全盛だった時代。
そう考えると、この曲なんかはヒットするべくしてヒットした曲だったのかもしれないな。

で、ワタシは、もっと外国カルチャーに接近した、ニューミュージックがヒット曲の原点になっているからさ。 この手のミクスチャー歌謡曲はよくわからん・・と以前感じたのも、当然だったのかもなぁ。。。





この曲がヒットした当時のセルスターズのメンバーは

・平田隆夫 ピアノ
・菊田英二 ギター
小井修  ベース
松山徹  ドラム
村部レミ リードボーカル
みみんあい ボーカル

っていう面々。

今思うと、美人だったレミさんのリードボーカル 、かと思えば、トンボメガネにあか抜けない三枚目な様相の みみんあい っていうツインボーカルがビジュアル的には面白かったのかも知れないな。


ちなみに、You tubeで↑を見ると、コメントに「天才バカボン 商品付きの歌合戦でパパが歌った曲」って、いくつも書き込みがあるんだけども。。。

いやー、「
天才バカボン」は、日テレの夕方5時半から繰り返し再放送してた時に、何回もみたけども、覚えてないなぁ。。。。


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君に薔薇薔薇・・・という感じ / 田原俊彦

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今回の1曲セレクトは、「君に薔薇薔薇・・・という感じ」田原俊彦です。

 まずはデータです。

・タイトル    君に薔薇薔薇・・・という感じ
・アーティスト  田原俊彦
・作詞      三浦徳子
・作曲      筒美京平
・編曲      船山基紀
・リリース日   1982年1月27日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   36.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1982年2月8日〜4月12日付

 久々のトシちゃんです。
うーん、このヒトの場合、もう何曲も書いてるから振りがなかなか浮かばないなぁ・・・。唐突に書いちゃいますね

 たのきんと筒美京平・・・っていったら、やっぱりマッチが最初に浮かんでくるんだけど、この曲からトシちゃんの曲も書くようになったんですよね、筒美京平氏も。

 やっぱり、トシちゃんとマッチで同じ筒美京平だと、「色」が同じようになってしまう・・・っていう危惧もあったんでしょうかねぇ。

 でも、そこは筒美京平氏。天才作曲家ですからね、トシちゃんとマッチ、そこはきちんと「色」を分けて曲作りをしていますよね。

 ことにトシちゃんに曲を提供する場合、ダンスミュージックに気合を入れているよなぁ。

 まあ、基本的「ダンスミュージック」っていうキーワードは、当初からトシちゃんの楽曲にはあるんだけど、この間書いた「恋=DO!」のように、それまではダンスというよりもミュージカルっぽいノリの曲の方が多かったわけ。

 でも、この「君に薔薇薔薇・・・」は、気合の入ったダンスナンバーだよなぁ。ブラコンとでも言いましょうかね。今聴いてもカッコいい!

 うん、そういえば、この曲以前にアイドルの曲でブラコンっぽい曲っていうのはなかったよなぁ。その辺がさすがに筒美氏。目ざといんだよね。
 この傾向は、トシちゃんから、後輩の少年隊へ受け継がれているわけで・・・。うん、もちろん筒美氏というフィルターはそのままに。

それに答えて、トシちゃん側もそれまで暫く離れていたバックダンサーの「ジャPAニーズ」とのコンビももこの曲だけ復活させたのは気持ちよかったよね。


 それと、この曲はサウンドがあの当時としては凝ってるんだよね。イントロのクラビノーバの音色にしても、スティービーワンダーのノリですし、この辺のサウンドの組み立て方はさすがに船山基紀氏かなと思いますね。

 筒美氏−船山氏ラインのサウンドの組み立てっていうのは80年代前半においては最強でしたしね。芯がしっかりしているんですよね。だからメロディラインの焦点がぶれない。
 如何にもシングルだぞ、この曲は! っていう仕上がりにしてくれるんですよ。


 この曲、「ザ ベストテン」でもいろいろな演出されたよなぁ。一番強烈な印象なのは、「君に薔薇薔薇・・・」ということで、ほんとにトシちゃんの体が「バラバラ」になっちゃう演出。

 イモ欽トリオの「回転する部屋」とならんで、未だに仕掛けがよくわかんないけど、インパクトがあった演出だったよね。

 このころは、セット演出も一番凝ってた頃かな「ベストテン」も。


当時、小学6年。「ベストテン」のランキングを毎週記録していたワタシは、当然この曲のおかげで「薔薇」という漢字を書けるようになりました。感謝!
・・・そう言う方、結構いるよね、きっと。

もっとも、今は、キーボードで打ち込みバッカなんで「薔薇」って書けないだろうな。。。ワタシ。。。







ちなみに、個人的には、このシングルのB面の「ANO ANO お嬢さん」がお気に入り。



トシのシングルではB面がいい曲も多い。まあ、だから「B面コレクション」なんてCDもリリースされるんだろうけど。。
個人的には、この曲と、2枚前のシングル「悲しみ2ヤング」のB面「悲しみよこんにちは」、「原宿キッス」のB面「真夏にドッキリ」あたりは好きだったな。

当時12歳 小学6年。まだ、迷いも疑いもなく、純粋にヒット曲が聴けた頃なんで、耳に入ってきた曲は何でも吸収出来たころだよなぁ



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涙のリクエスト / チェッカーズ

1984_02_涙のリクエスト_チェッカーズ






今回の1曲セレクトは「涙のリクエスト」チェッカーズです。

 まずはデータです。

・タイトル     涙のリクエスト
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       売野雅勇
・作曲       芹澤廣明
・編曲       芹澤廣明
・リリース日    1984年1月21日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    67.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年2月27日〜6月4日付

 今まで書いてきた曲を振り返ってみると、意外と「超有名」っていう曲で書いてきてない曲があるなぁ。
 今回引っ張ってきた曲も、まだ書いてなかったんだよね・・・。
 
 ・・ということで、

 涙のリクエスト  /チェッカーズ

流石に、ここ読みに来ていただいている方は、この曲はみなさん御存じですよね〜


 この曲を最初に聴いた時のことは未だに覚えてる。
たしか、ニッポン放送の1984年1月当時、19時30分〜21時で放送していた番組だ。
 ただね、番組名が思い出せないwww

 でもね、少なくとも発売日の前に聴いてたのは確か。84年明けてすぐの頃だったと思うなぁ。

 84年が明けて、晴れて(?)「(高校)受験生」の身となったワタシは、平日は夕飯食った後19時30分ごろから夜中までラジオをかけながら勉強机に向かうのが日課になったんだよね。
 そんな矢先の出来事だったから、よく覚えてるんだなぁ、きっと。

この番組、結構「あたりそう」な曲をヘビーローテーションで毎日のように流してたのだけは覚えてる。
 この「涙のリクエスト」もそうだったなぁ。余談だけど、このすぐ後、中原めい子の「君たちキウイパパイヤマンゴーだね」にヘビーローテーションが変わって、これも大ヒットしたもんね。

 でもさ、確かにヘビーローテーションでかかっていたんだけども、それより何より、最初に聴いた時から引っかかったんだよね。この曲には。
 リリースされて、すぐに買ったなぁ、このシングル。

 
 まあ、曲的には簡単なメロディなんだけど、なんていうのかなぁ、懐かしさを感じたんだよなあ。この曲に。
 
 たしかに当初のチェッカーズの根本のところにはオールディーズの香りっていうところがあったんだけど、それがモロ出てたっていうかねぇ。オールディーズの刹那さ見たいなところがひしひしと感じたんだよねぇ。

 ただ、曲調が曲調だけに結構年上のバンドなのかな?・・って最初思ったところはあった。
 でも、まさか、当時メンバーも20歳そこそこだったとはねぇ・・・。

 でさ、何回か聴いてるうちに、また、聴きたくなってる自分がいたりしてね・・・。

「これ売れねーかなぁ・・・」とも思ってたし、逆に「いや、絶対売れる」っていう確信のようなもんも感じたりしてさ。

 この「確信の感覚」は、あみんの「待つわ」を最初に聴いた時以来だったかもしれないなぁ。
 まあ、一種のカンって言ったらカンなんだけどさ。


 だけど、案の定、来たんだよね、これが。 

リリースは1984年1月21日。ベストテン入りが2月の終わりだったから、リリースから1ヶ月かかったけどさ。

 ただ予想が付かなかったのは、一度「火」がついたら、加速が止まらない、天井知らずの「人気者」になっちゃったこと・・・。

 うん、ベストテンは予想してたけど、まさか、そのまま「ザ・ベストテン」で1位を取ってしまうとは・・・。
(ちなみにオリコンでは最高2位止まり)

 いやいや、そんな生易しいものではなくてね、空前の「チェッカーズ旋風」までもたらしてしまうとは!

 さすがにここまでは予想もしてなかったですよ。

 もちろん、曲が良かったこともあったけど、ビジュアル的にも良かったんだよね。チェッカーズフッションに髪型ね〜。

 当時、あの髪型は絶対真似できなかったもん。ガッコの頭髪検査で100%引っかかっちゃう(爆)


 それに加えて、時代が丁度、新しいヒーローを求めていたってのもあったと思う。

 確かに聖子 明菜っていう2大巨頭が時代を引っ張っていたけど、男性アイドルがやや翳りが見えてきていた時期だったし・・・。
 そこにタイミングよく、出現したのがチェッカーズだったわけね。


 たださ、もともとアイドルになるべくして出てきたヒトたちではなかったわけで、かなり戸惑ってはいただろうね・・・。

 ・・と思いきや・・・、元メンバーの高杢禎彦著「チェッカーズ」によると実際はそうでなかったらしい。

 逆に「天狗」になっていた部分が大きかったようですね。

 それが後年のメンバー同士の不和、そして解散につながって行ったようですわ。

 ちなみに、後年自分たちで曲を作るようになったのも、結局は自分たちの力を過信していたところがあったらしく、デビュー時からプロデュースしてきた芹澤氏の了解もないままだったらしい。

 つまり、黙殺だったようで、以来、芹澤氏との関係もよくなかったようですね。

 そういうこともあり、仮にこの先再結成ということがあったも、初期の頃の作品は永遠に演奏されることはないようです。

 もっとも現在にわたってのメンバー間の分裂、それ以前にドラムのクロベエ氏の死去で永遠にオリジナルメンバーでは再結成が不可能となってしまいましたが・・・。



 そんなことが全く夢の出来事であるかのようなピュアな気持ちで音楽に望んでいた時期の「涙のリクエスト」。
 だから、聴く方にも素直に刺さったんだろうなぁ。今考えると。

 音楽はテクニックだけではないんだよねぇ。伝えるべき事をピュアに伝えられるかどうか・・・ここにかかってくるんじゃないかなぁ。

 いまとなっては当たり前なことと思うんだけど、そんな事を改めて気付かせてくれた曲だったと思うなぁ、この曲は。



もう、永遠に不可能となってしまった、「オリジナルメンバー」での「涙のリクエスト」です。


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幸せな結末 / 大瀧詠一

1998_01_幸せな結末_大瀧詠一


今回の1曲セレクトは、「幸せな結末」大瀧詠一です。

まずはデータです。

・タイトル    幸せな結末
・アーティスト  大瀧詠一
・作詞      多幸福
・作曲      大瀧詠一
・編曲      井上鑑
・リリース日   1997年11月12日
・発売元     ソニーレコーズ
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   97.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1997年11月24日〜1998年1月26日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「ラブジェネレーション」主題歌

先日、佐野元春氏の「約束の橋」で、70年代、80年代の「大御所」アーティストのドラマ主題歌で取り上げられねがれは、この辺から下火になる ・・と感じで書いた。
まあ、確かに頻度としては、90年代頭から92年くらいまでに比べると落ちた印象が強いんだけどね。
実際は、それ以後も90年代後半まで続いたわけで。

その「とどめ」として出てきたのが、このヒトのこの曲だったんじゃないのかなぁ。

大瀧詠一「幸せな結末」

最後の「大物」として、やっとドラマの主題歌で出てきたか・・・なんて、思った方も多いんじゃないんですかねぇ。

wikipediaを見ると、当時の大物ドラマプロデューサー、亀山千広氏から、大瀧氏へなんども、依頼をしていたものの、ずっと断られ続けた ・・とあるんで、ずっと前からオファーはされていたようなんだけどね。

まあ、70代〜80年代にかけて、テレビには出なかったアーティストも含め、超大物アーティストが次々とドラマ主題歌に抜擢されていく中で、 大物中でもさらに大物である大瀧氏にオファーが行かないわけもないわけで。

でもまあ、大瀧氏も当初は断り続けていたようなんだけどね。亀山氏の粘り強い交渉と、その他諸事情が整い、ここに実現したわけでね。

当時、ドラマ主題歌に大瀧氏の「新曲」・・ということを知ったとき、正直、個人的には複雑な心境だったな。

まず、大瀧氏の「新曲」が聴けるということ。 なんせ、待って待って待ち続けてましたから。。。
この曲の前にリリースされたシングルは、1985年11月の「フィヨルドの少女」まで遡るわけで。

中学2年(1983年)のちょうど今頃、親友だった「お寺」の息子のI君に強制的に聴かされた「A LONG VACATION」のカセットを強制的に聴かさせた。

衝撃的だったのよ。  なんだ、この音楽は。その頃主に聴いていた「ヒットチャート系」とは全然違う。 あの頃自分の中で求めていた「音楽」がすべて詰め込まれていたような気がして。

強制的に聴かされたカセットを、今度は、ワタシから「強制的」に借りてダビングしたな。
丁度、AIWAの「ダブルカセット」ラジカセを購入したときで、カセットからカセットへダビングしたのが、「A LONG VACATION」。

依頼、ワタシゃ、大瀧フリークになったのよ。

当然「EACH TIME」のLPも、 85年の「フィヨルドの少女」のシングルも聴き倒したな。

当時のマスコミ的な流れだと、次のアルバムは88年、その次は91年・・か?  とか言われていたわけで。。

でも、88年も 91年も 何の音沙汰もなし。 そろそろと次のアルバムの準備期間か? などの質問にも、まだ「EACH TIME」の整理期間 などとはぐらかされるばっかりで、ニューアルバムどころか新曲の声も一向に出てこないし。。。

もう、大瀧氏の新曲は永遠に出ないかもしれない。。。 なんて諦めに変わったりして。

そのうち、90年代の新たなアーティストが台頭する中で、大瀧氏については、ほとんど忘れかけていたんだよね、ワタシも。


そんな折に、突然ふっと湧いてきた「新曲」の情報。
やっと来たか・・と思ったのは言うまでもなかったのよ。

・・と同時に、一体どういう曲になるんだろう? 90年代の「NEW」大瀧詠一氏を見せてくれるのか、という期待があった。

反面、「ロングバケーション」の焼き直しだったらやだな・・っていう不安もあった。
時に90年代も後半。 すっかり70年代、80年代の匂いも一掃されていた頃だったからさ。
ここに「ロングバケーション」が来られても、時代錯誤のような気もしたのよ。

で、曲を聴いて、その不安は的中したな。 まったく「ロングバケーション」の再現だったから。
これは、亀山氏の意向でもあった様なんだけど。。。

BUT、そんな個人的な見立てとはウラハラに、売り上げ97万枚と、大瀧氏のシングルとしては、ダントツの売り上げを記録。

そもそも、シングルでオリコンのベストテン入りしたのも、この曲が初めてだったし。。。

まあ、あの当時、飛ぶ鳥落とす勢いだったキムタク主演の「月9」の主題歌だったわけで、大ヒットは約束されていたわけなんだけども、それにしてもミリオンセラー近くの売り上げっていうのは、正直、個人的には複雑な気分だったな。

メディアミックスでCDが売れるっていうのは、決して悪いことではないと思ってたし、今でも思ってるんだけどね。
でも、これは、あくまでニューカマーアーティストがブレイクする。そのきっかけとしてのメディアミックスなら・・って思うのよ。個人的には。

果たして、大瀧氏ほどの大物が、ドラマの主題歌としてメディアミックスが必要だったのか・・・というのは、やっぱ引っかかっていたし、そういう曲が、いとも簡単にミリオン近くまで売れるっていうヒットの風潮にも引っかかった。

佐野元春氏が「約束の橋」の時に、「ドラマの主題歌になんないとみんな聴いてくれないのか?」と疑問を呈したコトバが、甦ってきたりして。。。

待望の新曲が聴けたのは、うれしかった。けども、そんな理由から、もろ手を挙げて賞賛は出来なかったんだよな。 以来、この曲を聴くと、いつもどこかに、何かが引っ掛かったような違和感を感じたりしてね。




↑で、なんだかんだ書いても、今となっては、1998年の今頃の曲って頭になっているのは自分の中でちゃんと昇華してるんだろうな。 1998年の今頃って当時の仕事でも色々ツライことが多かったのよ。そういう時期の曲って好き嫌い抜きにして、印象に残りますね。


ちなみに、この曲がヒットしていた、ちょうどこの頃、個人的にはインターネットを始めたんだよね。
1997年12月の暮れだったな。
年末年始休暇を利用して、自宅PCとネット回線を繋いだの覚えてるわ。
TCP/IPとか手動で設定しなきゃならないところかあって、接続するまで結構苦労したんだよな。
あの頃OSは、まだWindows95、回線はISDN、今みたいに常時接続は高くて個人では無理だったからダイヤルアップでしたね。 もちろんテレホーダイで。
日中は、直近のアクセスポイントまで3分10円の通信料がかかるから、接続は23時から翌日8時の通信料が一律になるテレホーダイタイム。
でも、考えることはみんな一緒で、23時になるとたちまち接続が重くなったりしてね。。。

仕事でネットを使うのを含めて、IT系の人たちに宵っ張りが多いのは、この頃のテレホーダイの慣習の名残だよなぁ。。。

いずれにしても、ネットに接続したことで、自分のサイトのランキング集計も、全部PC上で集計ができるようになったわけで。。今に続く環境が整った頃ですね。

それまでは、すべて紙媒体を利用して集計してたんで。。。。

でも、ネットにつないだことによって、あの当時の仕事を辞めようと思い始めたんだよな。


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ENDLESS RAIN / X

1990_01_ENDLESS RAIN_X


今回の1曲セレクトは、「ENDLESS RAIN」X です。

まずはデータです。

・タイトル    ENXLESS
・アーティスト  X
・作詞      YOSHIKI
・作曲      YOSHIKI
・編曲      X
・リリース日   1989年12月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   36.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1989年12月11日 1990年1月15日〜2月12日 3月5日付
・タイアップ:映画「ZIPANG」主題歌

先週は成人式でしたな。
北九州では「恒例」(!?)のド派手成人式・・と、いまや「ワイドショー」で取り上げられるなど、マスコミでも認められたような存在になりましたが。。。

ワタシが成人式を迎えたのは、えーと・・・今から何年前だ?  計算もできへんようになったわい。。。

1990年だから、34年前ですね。

・・・っうことで、今回は、ワタシが成人式だったころヒットした曲を一つ。

Xの「ENDLESS RAIN」


・・といっても、ワタシ、成人式には出席してないのよ。

以前ここで書いたのかどうか・・というのも、すでに覚えてないども、1990年の1月といったら、「3度目」の大学受験の直前だったから。。

当時1月15日が成人式。 で、センター試験が、その直前の1月13日 14日だったと記憶してるけども・・・あれ、違ったかな?

なので、日程的には「式」に出られなくもなかったけども、気持ち的に、とても、そんな余裕なんてなかったしなぁ。

現役、1浪目は、自覚が全然なくて落ちるべくして落ちた感じだったので、2浪目は、「後はなし」と不退転の覚悟でめちゃくちゃ勉強したのよ。 おそらく、この後今に至る人生のなかでも、こんとき以上に勉強したってのはないくらい。
おかげで、受けようと思った大学への手ごたえは直前には大分つかめてた。

だからなんだろうけども、ここで成人式に出て、中学校の同級生にあったりしてバカ騒ぎなんかしたら、そこまで積み上げたもんが、全部崩れるような気もしたんだよね。

いや、それよりも、この時点で「無職」っていう身分だったのにも気が引けたしな。

もちろん、「成人式」の案内は来てたけども、だから、行かなかった。

余談だけども、成人式に行かなかった人って、きっと、そんなにいないんだろうな・・とその後もずっと引っかかってたんだけども、意外と多いんだよね。少なくとも、その後、知り合った人の中では。

それまでは、なんか気が引けてたんだけども、今では、そんなもんなんか‥なんて思ったりもしたりして。。。

・・・となんか、話の方向がずれた行くような気がするけども。。

そんな、ワタシの成人式の頃にヒットしてた曲って言って、真っ先に浮かんでくるのが、Xの「ENDLESS RAIN」ですね。

いや、当時、きちんと聴いていたわけではないんですよ、この曲。

↑に書いたように、とにかく大学受験が目の前に迫っていた状況の中で、ヒット曲を聴いている余裕なんて、全くないくらい、あん時の精神状態は追い込まれていたから。

もちろん、テレビも全く見てなかった。

ただ、唯一、あの頃フジテレビ月曜 の24時30分〜1時で放送してた、「マーケティング天国」って番組は欠かさず見てたな。

↓ コレ




能動的に、新たなヒット曲を聴く余裕はなかったけども、やっぱマーケティング情報については離れられなかった・・っていうんでしょうかね。
ながらでも、この番組さえ見れば、CD、テレビ視聴率、映画興行、本ベストセラーetc、いろいろなエンタメマーケット状況は、一目でわかったんで、個人的には好きだったな。

で、この番組で、あの頃気になっていたのが、Xの「ENDLESS RAIN」でしたわ。
↑では、BUCK-TICKの「悪の華」がランクインしてたりして、めっちゃビジュアル系ブーム、バンドブームって頃。

ほんの数秒間、音が流れるだけの紹介だったけども、それでも、なんか気になった・・・というか、刺さったというか。

正直言うと、今でもそうなんだけども、ビジュアル系って、今一つ苦手なのよ、個人的に。
だから、自らすすんで聴く人ではないんだけども。。。

やっぱり、音楽的によくできているというのが、大きいのかもしれない。YOSHIKIの紡ぐメロディラインって、ツボに刺さるんですよ。 ヒット曲ってこういうメロディラインというのをちゃんと研究されている。

本人はどう感じているのかはよくわからないし、そんなことは口が裂けても言わないだろうけども、「売れる」ことをめちゃくちゃ前提していると思う。

まあ、その辺は、プロモーションのマネージメント方法をも自ら研究していたということからも分かるんだけども。

だからなんだろうけども、今、MV見ても貧乏くさくないのよ。 

もっとも、当時はバブル絶頂期。湯水のごとくお金を使えた時代というのもあるんだろうけども。。。


そうはいっても、どうしても、外見の見た目で「ちょっととっつきにくいなぁ」・・・と思える部分は大きいわけで。。。
あのころのTOSHIなんて、どう見ても近寄りがたい怖い兄ちゃんだったもの。 近づいたら刺されそうな。。。 

Xの曲を正面から聴けるようになったのは、これからだいぶ先だったと思うな。

91年暮れにリリーされた「Say Anything」くらいだったかもしれない。だからXについては、そこから遡って聴いた感じだったかなぁ。

余談だけども、後年QUEENを何の違和感なく聴けるようになったのも、このころ「X」を聴いて、大分免疫ができていたのも大きいだろうな。
なんせ、この頃は、全く洋楽ダメ子だったんで、ワタシ。。。









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舟唄 / 八代亜紀

1979_11_舟唄_八代亜紀






今回の1曲セレクトは、「舟唄」八代亜紀です。

 まずはデータデス。

・タイトル     舟唄
・アーティスト   八代亜紀
・作詞       阿久悠
・作曲       浜圭介
・編曲       竜崎孝路
・リリース日    1979年5月25日
・発売元      テイチク
・オリコン最高位  15位
・売上げ枚数    38.4万枚

 タイトルをみてどうしちゃったの? と思われる方もいらっしゃるでしょうけど、先ほどの山本譲二に続いて、演歌です。

 はい〜 八代亜紀 の「舟唄」。

 でもさ、冗談抜きで、八代亜紀の唄が「染みる」年頃になってきちゃいましたよ、ワタクシも。
 この「舟唄」なんて聴いてシミジミしちゃう、お年頃ですよ。30代も半ばを過ぎると・・・。 あ、これ冗談ぢゃなく・・。

 大体において、酒を飲むにも、みんなとワイワイというよりも、この唄のように場末の酒場で、ぬるめの熱燗と肴にスルメで一人酒・・・っていう雰囲気の方が最近はいいんだよね。

 そういう雰囲気には演歌ですよ。でもさ最近の演歌はダメよ。雰囲気がない。やっぱし、八代亜紀でなくては。

  ほら、昔、とんねるずも「迷惑でしょうが・・・」で歌ってぢゃん。あの雰囲気ですよ。

 この曲は79年の今ごろから、80年の頭にかけて大ヒットしたんだけど、考えてみたら、当時から、この曲、臆することなく聴いてたよなぁ。高々の10歳のガキでも。。

 いや、あのころは、演歌は普通に耳に入ってきてたし、子どもながらにも普通にうけとめていたよねぇ。
 ま、それが、普通の歌謡曲とうけとめていたし・・・。

 だから、個人的には必ずしも演歌も生理的にダメでは本来はないはずなんだよね。
 でも、最近の演歌はダメなんだよなぁ・・・。なんでだろ?
時代的にシックリこないって言うのもあるかもしれん。 それと、聴いてる環境もあるかもしれん。

 やっぱし、演歌はド田舎で聴くべし。少なくとも都会のど真ん中できく音楽ではないもんなぁ。

 そそ、この「舟唄」がヒットしてたころは、私ゃ、福島のド田舎におりましたしね。
 田舎の、さらに、「大衆食堂」とか「そばや」のAMラジオから流れてくる演歌っちゅうもんが、本当の演歌なんぢゃなかろうかねぇ。
 NHKBSで「ステレオ」できく音楽ぢゃないですよ。。。 やっぱ、「モノラル」ラジオから流れてくるシケた音じゃなきゃ、グッと来ないですね。 
 うーん、この辺の感覚は、「平成」生まれの若い方には分かんないかもなぁ。やっぱ、昭和の産物なんでしょうねぇ、これは。

 おっとっと、「舟唄」からずれましたね。

この曲ってすごく、視覚的な唄ですよね。
 しょっぱなの

 ♪ お酒はヌル目の燗がいい 肴はあぶったイカでいい ♪

・・・ってとこで、すでに曲の中の情景が立体的な視覚となって浮かんでくるぢゃないですか。
 しかも、浮かんでくる絵は、とっても貧乏臭い。 これですよ、演歌の世界は。人間の心の隅にあるしみったれた世界。

 時に年取ってくると、なぜか、このしみったれた世界が恋しくなってくるんだよね。

 ま、それでも気分的なところもつよいから、いつも、そういう気分になっているわけではないですけど・・・・。
 
 たまには演歌もいいよね・・というところで・・。




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