かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

あの頃のヒット1曲セレクト!

DREAM ALL DAY / Spiral Life

1994_12_DREAM ALL DAY_Spiral Life


今回の1曲セレクトは、「DREAM ALL DAY 」Spiral Lifeです。

まずはデータです。

・タイトル       DREAM ALL DAY
・アーティスト名   Spiral Life
・作詞         FERAKS OF GO GO SPECTATORS
・作曲         FERAKS OF GO GO SPECTATORS
・編曲         FERAKS OF GO GO SPECTATORS
・リリース日      1994年11月26日
・発売元        ポリスター
・オリコン最高位   29位
・売上げ枚数     2.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 40位

クリスマスイブですねぇ。 毎年のことながらクリスマスの1曲セレクトは頭が痛い。。
・・・っちゅうのも、目ぼしいクリスマスソングって、もう大体書いちゃったんだよね。
そもそも1曲セレクトを始めた年に、「クリスマスソングスペシャル」・・・とか言って、半月くらい毎日とっかえひっかえ書いたのが失敗だったわ。 もっと小出しにするんだった。。。

だからねぇ、ユウウツ。。。。

去年だったか、ネタが尽きて。ヤマタツの「クリスマスイブ」を半分ヤケクソで「3回目」のレビューしたっけ。

でもねえ、また、今年もそんな事したくねぇなぁ・・・。 

・・・と思ったら、この曲がまだあったわ。。

Spiral Life「DREAM ALL DAY 」

あからさまに「クリスマス〜」っちゅうタイトルじゃ無いから、今まで通り過ごしちゃってたけど、出だしの歌詞が

♪ Non Stop 一度だけ言えた Merry X'mas Time〜 ♪

ってあるんで、クリスマスソングだよなぁ〜 ・・・・と半ばゴーインに。。。

But、果たして、これ読んでくださってる方のなかで、どの位、この曲を覚えているか。。かなり自信ないけど。
いや、これまで書いた記事の中で、この記事に立ちどまってくれた方は、恐らくは何らかの引っかかりがあったと思うし、覚えてくれてる方も多いかな。

まあ、そもそも「Spiral Life」ってだれやねん っていうのが先かもなぁ

うん、元Bakuの車谷浩司が、石田小吉と組んだ、ユニットですね。 

1990年代前半。この手のオルタナ系のユニットが流行ってまたしたよね。 先輩格としてはフリッパーズギターがいたりして。

いや、個人的には逆に、フリッパースギターのフォロワーとして見てたな、Spiral Lifeって。

ただ、そもそも個人的に渋谷系との接点はあまりなかった。 と言うのも、あんまりシングルとしてヒットチャートの上位に来る曲が少なかったからさあ、当時の渋谷系の曲って。

90年代前半というば、世間はビーイング系からミスチル党の小林武史氏が席巻していた時代。 渋谷系って次代を作った音楽ジャンルのように語られる事があるけど、実際はあくまで「サブカル」的な存在だったんだよね。

確かに当時の渋谷界隈では、時代の先端を行く「オシャレ」な音楽として支持者も多かった・・・んだろう・・・けど、「全国規模」ないわいる一般大衆的に支持された音楽ではなかった。

だから、自ずからヒットチャートの上位に来る事は少なかったんだよね。 上記の「フリパッーズギター」だって、件の「恋のマシンガン」がドラマ「予備校ブギ」の主題歌だったから全国区になれた訳で。。。

まあ、そう言う状況だったから、今回セレクトしてきた「DREAM ALL DAY 」だって、本来なら個人的には耳にすることも無かった・・・かもしれない。

でも・・・耳にしたんですねぇ。 いや、半分偶然だったのかもしれない

当時bay fmで放送していた「POWER COUNTDOWN JAPAN HOT30」、そそそ「パワカン」ね。

いままでもココでも何回も書いてるけど、 当時、少しでも音源代を浮かせ、より音源を手にする・・・ってことで、
パワカン、毎週エアチェックしてたんだよねぇ。 

その中に、あったんですよ、この曲が。 確かギリギリ30位に1週ランクインしたんだと思う。 うん、上のデータにもあるように、オリコンでも最高位29位まで行ったんだよね。 まあ、あっという間に落ちちゃったけどさ。

その30位にランクインした時のテープが未だに手元にあるんだけども、 それで引っかかったのは間違いない。

でも、どこに引っかかんだろう?  今となってはよく思い出せない。

恐らくは、浮遊感ある優しい曲調と、クリスマスソングの融合が新鮮に感じたんだろうな。

あの頃のヒット曲って、はっきりしてたでしょ曲調が。 ビーイングを筆頭に「カラオケで歌える曲」っていうのが、一番の前提にあった時代だったからさ。
必然と、メロディラインと、バッキングの間にはっきりとした境界線があるような曲が主流の時代。

こういうオルタナ系の音とボーカルの境目があいまいな・・・もとい、とろけ合うような融合感がある曲って、少なくとも当時のヒットチャート系の主流ではなかったんだよね。

そこが新鮮だったんだろうな、個人的には。

まあ、もともと、こういうはっきりしない曲ってキライじゃ無かったんだよ、個人的に。 例えば70年代前半のソフトロックとかさ。 そそそフェンダーローズがコロコロなってるような。。。

硬派なロックファンからすると、骨抜きの軟派な曲に映る様な・、今でいえば「草食系」な曲

そう言う曲ってキライじゃ無かった。 むしろ、個人的な音楽の下地の奥深くには、こういう音楽があった・・・ような気がするんだよね。

ソフトロックと、いわいるラウンジ系ってやつ。 むかーし、ちょっとこじゃれたな喫茶店に入るとBGMでかかってたような・・・。

うん、ワタシは福島のいわきっちゅう、田舎出身なんだけども、母親が、こういうこじゃれた喫茶店とかレストランとかが好きでさ。物心つくかつかないかの頃から、連れてかれては、バックで流れてた・・・っていうのをどこか体で覚えてるんだよね。

だから、ラウンジ系な曲って言うのは、新鮮さと言うよりは妙に懐かしさを感じる。 遠く埋もれていたような記憶を呼び起こしてくれるような・・・。

そんなこともありーの、本来なら渋谷系っていう音楽は、個人的にはキライじゃ無いんだと思う。 

ただ、どうしてもサブカルチャーな音楽なんだよね。 エンターテイメントぢゃないなんだよね。
折から売れない曲は好きじゃない・・・って事を標榜にしているワタシとしては、どうしてもそこに引っかかっちゃうんだよな。

もっと、全国区な音楽になっていれば、もっと積極的に聴いてたのもかもしれない。





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時代遅れの恋人たち / 中村雅俊

1978_12_時代遅れの恋人たち_中村雅俊


今回の1曲セレクトは、「時代遅れの恋人たち」中村雅俊です。

まずはデータですよ〜

・タイトル     時代遅れの恋人たち
・アーティスト  中村雅俊
・作詞       山川啓介
・作曲       筒美京平
・編曲       大村雅朗
・リリース日   1978年11月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 18位
・売上げ枚数   17.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 26位
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」主題歌

私事なんだけど、先週知り合いが主催する「イントロクイズ」参加しましてね

↓ コレなんですけど
https://peatix.com/event/455948?fbclid=IwAR21C4P1k-sIGHo0Kre4tXxvAX2PbFFDb2YAs_fNeP4annMv2jInavc0gEA

「80年代 イントロ十番勝負」   

サザン

じつは、6月に別主催のチーム戦のイントロクイズにも出たんですけど、そんとき優勝したんですよ。
で、今回もその時の優勝メンバーで出ましょうよ・・・というお誘いがありまして。。

まあ、80年代縛りなら良いかな・・・と思いーの参加したんですが・・・

結果・・・・

なんとなんと、まさかまさかで「優勝」してしまいました  

今回は総勢100名の「歌謡曲・イントロクイズ」フリークが参加・・と言う本格的なイベント。 
今回も5人1組、20組でのチーム戦だったんですけどね。 6月で一度組んだ、気心の知れた仲間でチーム組んだのが良かったのか抜群のチームワーク功を奏したのか、予選、準決勝と圧倒的な強さを発揮
でも決勝戦は崖っぷちでした。
他の組にリーチをかけられ、絶体絶命の危機から、ワタシ以外のメンバーの猛烈な追い上げで劇的逆転優勝!... 盛り上がりましたねぇ!

僕ですか・・・僕ぁ、よかったのは準決の時だけですね。決勝戦は1問も答えられませんでしたよ〜。 優勝できたのはホント僕以外のメンバーのおかげですっ

分かる問題は何問かあったけど、悉く押し負けるんだよね。まだまだ未熟なワタシデス・・・。

と言っても、ワタシ的には特段、イントロクイズ対策はやっては居ないんだよね。
あくまで、昔の曲を頻繁に聴くくらいかなぁ。

とりあえず、60年代以降のヒット曲を、ヒット順に並べた音源をウォークマンに入れてあるからさあ。 それは、通勤時の帰りにほぼ毎日のように聴いてはいるんだけどね。 そのくらいですね。

ただ、今はあんまりやってないけど、昔、小学〜中学生の頃、明星の付録の歌本(Youn Song)とか月刊・歌謡曲の楽譜を見ながら曲聴くのが好きでさあ。 
その頃は自分で音源あんまり持ってないからラジオのベストテン番組を聴きながら譜面を見る訳ですよ。
で、出来るだけ曲の最初から譜面見たいからさ、イントロが出た瞬間、当該の曲ページを猛然と探すのよ。 そんな事をやってたら自然とイントロに強くなっちゃったんだよね。
中学生の頃は「ドレミファドン」のイントロクイズも回答者より先に大体分かっちゃってたし。。。25年くらい前にアーケードゲームで対戦型のイントロクイズがあったのよ。 それでも負けたこと無かったな。

とは言うものの、あれから30年近く経ってる訳で、流石にあの時に比べると頭の回転も反射神経も悪くなってるのは自覚としてあるんからさ。 
うん、瞬間的に曲としては分かるんだけども、曲名が出てこない・・とかさ
プラス、最近はクイズとして「イントロクイズ」専門に対策を立ててる方も多いんでね。
そんなわけで、今自分がどれだけ実力があるのか・・・って言うのは全く自身が無かったんだよね。
だから、今回の優勝はホント嬉しかったわ。 もっともワタシだけの実力ではないけどさ。



・・・ということで、今回の1曲セレクト、そんな「イントロ」のまつわる曲を持って来たい・・・っちゅうことで。。。

中村雅俊「時代遅れの恋人たち」

なんで、この曲がイントロクイズと関係あるの? ・・・って感じなんだけども。

いや、実はさあ、つい昨日なんだけども、買い物行く時に、いつものようにカーステで昔の曲を聴いてたのよ。
たまたま78年の今頃のヒットの並びだったんだけども・・・。 自分で曲順を並べたんで次はどの曲・・・って分かるはずなんだけども・・・・。
この曲のイントロが出た瞬間・・「あれ?」って考えちゃったんだよね。

そそそ、曲が分かんなかったの。 自分で入れた曲なのにねぇ。。。

ま、たしかに、曲がマンネリ化してきたんで、少し前に新たに曲を足したんだけどさ、その中にこの曲が含まれていた事を忘れてたんだよなぁ・・・。

いずれにしても、イントロが出た瞬間、曲が分かんなかった事で、「未熟」とか思っちゃったりして、引っ張ってきちゃいました。。。


あー、前振りが長っ

この曲は、日本テレビ系ドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」の主題歌でしたねぇ。 

そそそ、中村雅俊氏主演の学園ドラマっすよ。 一時、柳沢慎吾がマネしてたよなぁ。

ワタシ、このドラマ好きだったぁ。 ・・・とは言っても、本放送の時はまだ小学3〜4年だったからさ、本放送では見てない。 後年、夕方4時ごろから頻繁に再放送してたじゃん。 「太陽にほえろ!」とかと繰り返しで。
そん時だよね、見てたのは。 中学生の頃だったかなぁ・・・。

なんか羨ましかった、青春してるんで。 高校生になったらこんな青春出来るんか なんて思っちゃりして。。

まあ、実際的に、あんな生徒思いの「熱い」先生なんて、そうそうは居ない訳でさ。。。

で、この曲は、そのオープニングテーマですね。

↓ コレ


オープニングフイルムでも気がついた方も多いと思うけど、いろんな「才能」が集まっているんですよね。
ドラマ脚本の畑嶺明氏は、後にTBS系ドラマの「うちの子にがきって」「毎度おさわがせします」の脚本で大ブレイク。
劇中曲 作曲の小六禮次郎氏は、後にNHK大河ドラマのオープニングテーマや、吹奏楽のオリジナル曲作曲を手掛けるなど、今や劇番作曲の大御所ですわ。


そんな今や大御所となられた才能の若かりし頃、てがけられたドラマってわけですね。


で、肝心の主題歌の「時代遅れの恋人たち」はというと・・・

詞は山川啓介氏。 まあ、これはなんとなくわかるんですけどね。 後年、火曜サスペンス劇場の件の「聖母たちのララバイ」など、日テレ系のドラマテーマ曲の詞を何本か書いてたし。

ただ、意外だったのは、作曲が筒美京平氏なんだよね。 いや、これは全くの意外だった。
ぱっと聴き、筒美京平氏っぽくないしさ。 時代的には、大橋純子さんの「たそがれマイラブ」とか、庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」など一連のヒットの頃ですわ。
つまりは、あの頃の筒美氏の曲ってバタ臭かったんだよね。 この曲のように「汗飛び散る」っていう青春群像な曲のイメージは無かったからさ。

それ以上に意外だったのは、、アレンジが大村雅朗氏なんだよね。 そそそ、時期的には八神純子さんの「みずいろの雨」と同じ頃ですわ。
 つまりは、アレンジャーとして大ブレイクした、丁度そのこのろって言う訳なんだけども。。。 
だからなのか、後年、松田聖子さんや、一連のニューウェイブ系作品を手がけた80年代の、あの洗練されたイメージはまだない。
そもそも、大村氏の、こんなカントリーミュージック的なアレンジってのも、80年代の一連の大村作品からすると、想像つかないしなぁ。 ちょっと雑っぽいアレンジが初々しいっちゃ、初々しいんだけどね。
だから、近年までこの曲のアレンジが大村氏だったことは、全く気がついて無かったんだよね。

いずれにしても、ドラマのヒットもあって、この曲自体もそこそこのヒットとなりましたよね。オリコンでは最高18位ながらも、売り上げが約18万枚のスマッシュヒット。
累積の売り上げだけ見たら、瞬間的にベストテン入りしてもおかしくなかったですからね。


動画・・・どうもうまく貼れなかったんで、ようつベのサイトの直リンク
https://www.youtube.com/watch?v=_6qEYiRV8x4



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ガラスのPALM TREE / 杉山清貴&オメガトライブ

1985_12_ガラスのPALM TREE_杉山清貴&オメガトライブ


今回の1曲セレクトは、「ガラスのPALM TREE」杉山清貴&オメガトライブです。

まずはデータです。

・タイトル    ガラスのPALM TREE
・アーティスト  杉山清貴&オメガトライブ
・作詞      康珍化
・作曲      林哲司
・編曲      林哲司
・リリース日   1985年11月7日
・発売元     バップ
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  20.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1985年11月25日〜12月30日付
・タイアップ:ダイドードリンコ「ジョニアンコーヒー」CM曲

ちょっと前に、FM東京系で毎週土曜日16時〜17時で放送されている「キリンビール"Good Luck Live"」で杉山清貴氏がゲストに出た。
その時のMCで「来年はオメガトライブで全国ツアーをやる」・・って言うのを聴き逃さなかったワタシ
・・とは言うものの半信半疑ではあったんだよね

BUT、先日チケットぴあのサイトを見てたら、本当に「杉山清貴&オメガトライブ」復活ライブのチケット予約が出てるじゃんか・・・。

マジで   ・・・と思いーの、思わず、2月9日(土)の中野サンプラザでのライブの先行予約しているワタシが居たりして。。。

もちろん、当選しました。   で、昨日無事チケットが届きました。

2階席だったけど・・・・とりあえずは、まあいいか。

ちなみに・・・「杉山清貴&オメガトライブ」としてのライブは、初めての参戦なんだよな。
杉山清貴氏のソロとしては、数年前にここんところ毎年行われている「ポプコン」の同窓会コンサートで見た。

この間の「キリンビール"Good Luck Live"」でのライブもそうだったけど、まだまだ現役バリバリに声が出てるし、オメガトライブを復活させればいいのに・・・と思っていたんで、個人的には手放しで喜んでたりするんだけどね。



・・・いうことで、今回の1曲セレクトは、やっぱ「杉山清貴&オメガトライブ」で行きたいっ

・・・んだけど、オメガトライブなんて、もう大体書いちゃったよな・・・と思いーの過去のライブラリーを検索したら、むむ・・まだ書いて無い曲があるぢゃないの・・・。 しかもちょうど「今頃」ヒットしてた曲が。。。

と引っ張ってきましたわ。

「ガラスのPALM TREE」

あわわ、これは完全に「死角」だったなぁ。 うーむ、昔、一度書いたような気がしてたんだが・・・。



この曲は、「杉山清貴&オメガトライブ」としては7枚目のシングルにして、ラストシングルでしたわな。

そそそ、解散することが決まった上でリリースされたシングルですわ。

正直、個人的には寝耳に水でしたね、この解散は。

言ってみればオメガトライブとして「絶頂期」での解散宣言だったから。

いや、この年1985年のオメガトライブは、絶好調だったじゃないですか。 春先にリリースされた「ふたりの夏物語」が大ヒット。「ザ・ベストテン」では1位もとったし。アルバムは夏にリリースされた「ANOTHER SUMMER」がオリコン1位を獲得。

・・・とまさにバンドとして頂点にあった時期の解散宣言だったんだよね。

だから、当時は、なぜに解散するのか・・・と言う意味が全く分からなかった。

真相が分かり始めたのは、最近ですね。 

今回引っ張ってきた「ガラスのPALM TREE」を始め、それまでのすべてのシングルを作曲した林哲司氏の著書「歌謡曲」に詳しく出てるけど、杉山氏は、かなり以前からバンドを脱退したがっていたらしい。

オメガトライブって、バンドではあるけど、すべてのシングルの作曲が林哲司氏であるように、歌詞、曲、全てが「作られた」物だったんだよね。

それ以前に「シティポップ」「夏」っていうコンセプトでガチガチに固められた上で売り出されたバンドだったんですよ。

つまりは、杉山氏が本当にやりたいと思っている事が、オメガトライブでは出来ない・・・。そこにジレンマを感じていたらしい。  
そんな折、バンドとして絶頂を極めた事で、逆にそのジレンマが爆発してしまった。

そういうことだったようだ。

そんな思いの捌け口として、予定外だった「FIRST FINALE」というアルバムを制作。 急遽、この年1985年の12月にリリース。 このアルバムでは林哲司氏以外に、オメガトライブのメンバー作曲も収録され、杉山清貴氏自身も3曲書いている。

そしてオリコン1位獲得。

杉山氏の中では、このアルバムでオメガトライブとしては全てやりきった・・・と言う思いがあったようです。

だから・・・と言う訳ではないと思うんだけど、今回引っ張ってきた「ガラスのPALM TREE」と言う曲は、テレビでもあんまり歌われていない。
それどころか、この年のファイルナルコンサートでも歌われていない。

既に杉山清貴氏の中では「ガラスのPALM TREE」は、オメガトライブとして昇華仕切った後にリリースされたシングル。 そういう位置づけだったようですね。


ただ、個人的には、この「ガラスのPALM TREE」と言う曲は好きだった。
バンドデビュー曲の「サマーサスピション」を踏襲するようなイメージだったし。

そそそ、つまりはヤマハDX7がふんだんに使われたサウンド。 オメガトライブの真骨頂はココだと思うんだよね。

たしかにオメガトライブ=シティポップス、クリスタルって言うコンセプトは大きかったと思う。 ただれそれ以上にヤマハDX7のサウンド、これが彼らを大きくしたんじゃないかと思うんだよね。

いや、80年代中盤の象徴なんだよなヤマハDX7のサウンドって。 それをふんだん使用し、操っているオメカトライブって言うバンドも時代の象徴だったんだと思う。

逆に言えば、杉山清貴&オメガトライブの解散は、一つの時代の変わり目になったんだと思う。

そう、86年以降、ヤマハDX7のサウンドって少なくなっていくだよね。 

それからしても杉山清貴&オメガトライブの影響力がいかに大きかったのか・・・って言うのは見てとれるんじゃないのかな。

いずれにしても、カラッとした空気感は、これまでの杉山清貴&オメガトライブであり、ラストシングルっぽくないのはいい。 普通、解散前のシングルって湿っぽくなりがちじゃないですか。
これが最後・・・と思わせるところも無いし、本当に、これで解散なのか 

・・・・そんな感じがしてたな、当時は。





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ハロー・レディ / 島田奈美

1987_11_ハローレディ_島田奈美

今回の1曲セレクトは、「ハロー・レディ」島田奈美です。

まずはデータです。

・タイトル     ハロー・レディ
・アーティスト   島田奈美
・作詞       松本隆
・作曲       財津和夫
・編曲       西平彰
・リリース日    1987年11月11日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  3.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 21位
・タイアップ:TBS系アニメ「レディレディ!!」挿入曲

12月です。速いもんですねぇ。今年も後1カ月弱ですわ。今年は一体何やってきたんだろ? 
・・・なーんもやんないまま、1年が過ぎたような気がするなぁ、あーあ。
なんて、ブルーな気分が仕切り。。。

さてさて、気を取り戻し・・・。

ここのところ、直球気味のセレクトが多かったような気もするんで、今回はちょっと変化球気味の1曲セレクトにしましょうかねぇ。

島田奈美さんの「ハロー・レディ」。

どうなんだろう? この曲、覚えてらっしゃる方ってどの位居るんだろ? ちょっと自信ない。
曲云々の前に、島田奈美さんを覚えてらっしゃる方がどのくらいいるんだろ? っていうのも不安だったりして。。

前年86年デビュー組の、80年代アイドルの一人だった訳だけどさ、86年デビュー組のアイドルって、アイドルとしては粒が小さいんだよな、全体として。

まあ、少年隊が86年組デビュー組ではあるけど、少年隊だけがずば抜けてて、あとはその他大勢・・・って感じだったしな。。。  
いや、それ以前に、少年隊が86年組っていうイメージも少なかったんだけどさぁ。レコードデヒューする5年も前からテレビのレギュラー持ってたし。

それに86年って言うと、どうしても、おニャン子抜きにゃ成り立ってなかったしねぇ、アイドル界も。

よく80年代アイドルについては、おニャン子以前、おニャン子以後・・・って言う言い方をするけど、それは、おニャン子以後のアイドルは、個々として粒が小さく、それぞれが霞んで見える・・・って言うイメージが強いからなんだよね。それがあたかも地盤沈下を起こしたように、ワタシ的には思えたりしてさ。 

そんな中の一人が島田奈美さん・・って訳で。 ワタシも正直、ずーっと眼中の外だったんだよね。

確かにベストテンギリギリって言うラインで「ザ・ベストテン」にも何曲かランクインした。 その点は、86年の中でも上位人気だった・・・って事なんだろうけど、それで如何せん、ベストテン入りも1週が良いところであっという間にランクから消えちゃうようなチャートアクションを繰り返してた訳で、だから、曲を覚える暇もなかったんだよな。

ま、そう言う事で良いも悪いも、全然分かんなかったっていうのが、本音のところなんだよね。

今回引っ張ってきた、「ハロー・レディ」って曲は、デビュー2年目の 87年11月にリリースとれた曲ですわ。

この曲も1週だけだけど、「ザ・ベストテン」にランクされた。それで辛うじてタイトルは覚えてたんだけどさ、全体的な曲もよく覚えてなかったんだよな、30年近くずーっと。

恐らく、何もなかったら、このままずーっと記憶の外のままだったんだろうなぁ・・と思うんだけどさ。

今年の頭、この1曲セレクトを書くのに、たまたまYOU TUBE見てたら、島田奈美さんの「Free Ballon」が出て来て、冷やかし半分見てたら、これが結構、引っかかっちゃたんだよな。。。

30年前は、ほとんど引っかからなかったのなぁ。 人間の心境の変化は何が起こるか分かんない。

まあ、確かに30年前、「Free Ballon」がリリースされた17才の頃は、全然曲の聴き方も浅かったしな・・ってのもある。

とりあえず、ルックスは可愛いけど、ウタはヘタだよな・・・ってくらいの聴き方だったしさ、だから、肝心の曲まで耳に行ってなかったのはある。

でも、ちゃんと聴くと、結構、引っかかりがあるんだよな、メロディラインが。 それで、今年に入って、超遅ればせながら、改めて掘り返りしてたり、ワタシなんですわ。

今回の「ハロー・レディ」っていう曲、作家陣として、作曲者は「Free Ballon」が林哲司氏だったのに対して、この曲は財津和夫氏・・・っていていう違いはあるものの、全体的な曲調のイメージは、大きく変わっていない。

なんていうのかなぁ、当時のアイドルでも希薄になりつつあった「清楚」っていうイメージかなぁ。

おニャン子以後のアイドルって、より「隣の席の○○さん」って言うイメージに加速がついた、つまりは、より親近感があるような存在だったじゃん。 まあ、それがスター性を失わせ粒が小さく見える最大の要因だったんだけども。 で、となりの○○さんって言うイメージは、同時に神秘性も失わせていったわけで、「清楚なお嬢様」って言うところも無くなってきてたんだよね。

この島田奈美さんも、たしかに隣の「○○さん」って言うところはあるんだけども、たた、ちょっと違ったのは、当時に清楚なお嬢さんって言うイメージも、この頃の曲にはあった。

おそらくは、最近改めて聴いて、その辺を感じちゃったんじゃないかなぁ、ワタシ。

つまりは、80年代アイドルでも、曲のイメージは、おニャン子以前・・・って感じの曲なんだよね。具体的に言えば82〜83年っていうイメージなのかなぁ。

でも、そこがプロデュースしていた松本隆氏の狙いだったのかもしれないし、だから、作曲者も、この曲のように財津和夫氏であり、林哲司氏だったのかもしれない。

具体的に言えば、松田聖子さんフォロワーっていうのを狙っていなのかもなぁ、松本隆氏は。 そんな感じも今となっては受けるな。

でも、松田聖子さんフォロワーはなれなかった・・・っていうのは歴史がモノがったっている訳で・・・。
それ以前に、この「ハローレディ」以後は徐々に尻つぼみになって行く。

以前はね、↑で書いたように、単純に、ウタが下手だったから伸びなかった・・・って言う印象があったんだけども、でも、同じ86年組で、同じくウタが下手だった、西村知美さんは、未だにゲ―ノー界に残ってたりするからねぇ。
その辺も時代のアヤというか、摩訶不思議なとこではあるんだけども。。。。

一見、島田さんの方が芯が強い・・というか我が強そうな印象はあるんだけども、実際はトローンとしてイメージの西村知美さんの方が我が強かった・・・って事なんだろうなぁ。





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最後の一葉 / 太田裕美

1976_11_最後の一葉_太田裕美


今回の1曲セレクトは、「最後の一葉」太田裕美です。

まずはデータです。

・タイトル     最後の一葉
・アーティスト   太田裕美
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       萩田光雄
・リリース日   1976年9月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  30.6万枚
・THE HITCHARTHOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1976年10月11日〜11月15日付

つい1ヶ月くらい前まで、「暑い〜」なんて騒いでいたように思うけど、いつの間にか季節は「冬」支度ですわな。
ウチも朝晩は「ストーブ」が欠かせくなっちゃいましたわ。 ・・・ってか、今もストーブ、ガンガン効かせた部屋でこれ、書いてるんだけど。。。

ふむ、個人的にはエアコンの暖房風がダメなんで、未だに「石油ストーブ」ですわ。 石油ストーブのちょっと灯油臭い独特の温もりがいいんだよね。 ストーブの上にやかんのせれば乾燥はバッチリ防げるし。腹減ったらモチ焼けるし、やっぱストーブは冬の万能の暖房アイテムなのです。
まあ、最近は灯油代が高いのが痛いけど・・・・。

で、こんなストーブの季節になると、やっぱ「晩秋」なイメージの曲が聴きたくなるよなぁ。 今回は、そんな晩秋な1曲を一つ。

太田裕美「最後の一葉」。

秋は「別れ」の季節。 誰が言ったか分からないけど、そういうシミジミとした季節な訳です。特に冬まぎわの、「晩秋」ともなると、一段とシミジミとした気分になるものです。

最近・・というか、特に2000年代以降は、曲に「季節感」なんぞ、とんと無くなっちゃったけど、昔は、この時期、特に10月、11月ともなると、そんなシミジミとした別れの曲・・・、まあ、端的に言えば「失恋ソング」ですわな・・・、そんな曲、多かったよなぁ。

そんな失恋ソングを聴いて、よよよよ・・・と泣き崩れる方も多かったんでしょうか。

今回のこの曲も、タイトルからして、そんな分かれを予感させるということは、すぐにお分かりになると思いますが・・。
・・・というか、この曲はO・ヘンリーの「最後の一葉」をモチーフにされた・・っていうのは、よく知られた事実ですわね。

失恋というよりも、この詞の主人公の女性は病気なんでしょうね。
もうすぐ、死にゆく運命の自分、そんな自分であるとは別れた方が彼氏にとっては幸せなんじゃないか と思い悩む自分。

そして、冬、そんな自分に生きる勇気をくれた、林檎の木の枝葉も、最後の一枚になりました・・。

そんな悲しい内容を訥々と歌い上げる太田裕美さん、渾身の1曲・・・と言えるんじゃないのかなぁ・・この曲は。

なんて、如何にもヒット当時、この曲に入れ込んだように書いてるワタシなんですが・・・。

実は、ヒット当時は、まったくこの曲の存在すら知らなかったんだよね。

・・・と言うように、今となっては殆ど、埋もれてしまっている太田裕美さんの1曲じゃないのかなぁ。

いや、その前の2曲の存在感が、あまりにも大きいんだよね、1976年の太田裕美さんは。

なんせ、2曲前が太田裕美さんの「代名詞」と言うべき存在の「木綿のハンカチーフ」であり、次が「赤いハイヒール」ですからねぇ。  それを受けてのこの曲。

曲調としても、ポップな1曲ではない、ミディアムバラード。 どうしても存在感的としては、前2曲には勝てなかったわけです。

それは、チャートアクションにも如実に出て、前2曲がオリコンで連続最高2位だったのに、この曲では5位止まり。 売り上げも前曲「赤いハイヒール」の48.7万枚から、この曲では30.6万枚に落ちてしまっている。

30万枚売れれば大ヒットと言われた時代、それでも30万枚オーバーとしているということは、当時の太田裕美さんの人気を証明している訳なんだけども、チャートアクション的にはベストテン内には1カ月ほどしか留まれなかったし、だから、売り上げも急激に落ちたしね。

その辺りの最大の理由としては、この曲の存在感って言うのが大きかったんだろうね。


ちなみに、この曲は1976年9月リリース。 当時の感覚から言えばリリース時期として、ある意味「賞取り」用の曲とも言えたんですよね。 例えば、秀樹のこの年1976年の賞レース用の曲は、やっぱり9月リリースの「若き獅子たち」であったように。

そういう風潮もあって、太田裕美さんも、この年の賞取りレースは、この「最後の一葉」で行くものと思っていたらしい。 まあ、「木綿のハンカチーフ」は確かにヒットは76年だけど、リリースは前年の75年暮れって事もあり、「木綿〜」は前年の曲・・・って言う意識もあったようで・・・。

なので、どうも、今一つ76年の賞取りレースのノミネート曲も、紅白も「木綿のハンカチーフ」であることに納得がいかなかったらしく、だから、せめてもの反抗として、衣装は、この「最後の一葉」の衣装で出演したようですね。


たださ、あくまで、楽曲としての存在感の話であって、だから「駄作」であるのかと言うと、そうじゃない。

楽曲的には、デビュー曲の「雨だれ」の続編のようなイメージですね。 ショパンのエチュードを彷彿させるような美しくソフトなメロディラインとピアノ。

レコードでは、羽田健太郎氏が弾いていたようだけど、テレビでは、太田裕美さん自身が弾いてましたよね。
でも、「雨だれ」はそうでもなかったようでずか、この「最後の一葉」のピアノは相当難しかったらしく、かなり練習したとか。

・・・というか、本来がギターが本職で、ピアノを弾いた事が無かった萩田氏が、このピアノアレンジをしたっていうのが、スゴイんだけど。。。

でさ、アイドル曲の変遷を年代を下って聴いてると、この辺り(1975後半〜1976年)を境にサウンドが変わって行く事に気がつくんだよね。

なんていうのかなぁ、歌詞で言えば七五調の脱却、メロディラインでいえば四七調の脱却ってやつですよね。
いわい。それまでの「歌謡曲」臭からの脱却っていうのかなぁ。

より洋楽的・・とくに70年代中盤あたりは、ヨーロッパ系の匂いですよね、それにより近くなってきたような印象が強い。 特にサウンド面・・・実際の音質だよね、それはこの頃が劇的に変わったような印象が強いなぁ。

まあ、実際の録音面で、それまでの8チャンネルから16チャンネル、さらに24チャンネルへ・・・と日々進化して行ったのも大きいだろうけど。

特に、この「最後の一葉」あたりを聴くと、そんな印象があるなぁ。

もっともCBSソニーは、それ以前から音質面は、他のいわいる「老舗」メーカーに比べると良かったけど。。


それにしても、このピアノっていうアイテムは太田裕美さんの存在をワンランクグレードアップさせていたよなぁ。当時、ピアノを弾きながら歌う・・っちゅう、いわいるシンガーソングライタータイプの「アイドル」って居なかったから。

いや、正直、アイドルって言う範疇に入れてもいいんだろうか・・・なんて悩むんだよね。 かといってシンガーソングライターって言う訳じゃ無いしさ。

いずれにしても、ピアノが弾ける、清楚でかわいらしいお姉さんタイプの太田裕美さんって好きだったんだよなぁ、ワタシ。

キャンディーズも好きだったし・・。  

うーむ当時はナベプロ派だった・・・って言えるかもしれないな。


蛇足だけど、萩田氏は太田裕美さんをモチーフに、後年、南野陽子さんのアレンジを施したんじゃ無いのかなぁ。
その辺、自身の著書「ヒット曲の料理人」には記されていないけど、ヨーロッパ系の清楚なお嬢様タイプの曲調は、太田裕美さんの、この「最後の一葉」や「雨だれ」あたりが下敷きになってるんじゃないかな・・・なんて思えますねぇ。
特に、ナンノさんの「秋のIndication」とか「秋からもそばにいて」辺りを聴いてるとさ。。




この動画の番組、TBSの「トップスターショー〜歌ある限り〜」じゃ無いのかなぁ。
あの「ザ・ベストテン」の前番組。 ベストテンと同じく、木曜21時〜21時55分で放送してた。

いつも思うんだけど、よくVTR残してた方いらっしゃいますよねぇ。 1976年当時、もちろん、既に家庭用ビデオデッキはあったけど、ビデオテープはかなり高価だったはず。 よく取ってた方がいらっしゃるなぁ。普通は、上から被せちゃって残ってないですよ。
ホント、残してた方に感謝



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ヒゲとボイン / ユニコーン

1991_11_ヒゲとボイン_ユニコーン


今回の1曲セレクトは「ヒゲとボイン」ユニコーンです。

まずはデータです。

・タイトル    ヒゲとボイン
・アーティスト   ユニコーン
・作詞      奥田民生
・作曲      奥田民生
・編曲      ユニコーン
・リリース日   1991年10月25日
・発売元     ソニーレコーズ
・オリコン最高位 23位
・売上げ枚数  5.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 30位

またまた、「2週間ぶり」 の1曲セレクトです
あー、やっとここまで来れた・・・。そんな気分ですねぇ。 ずっと書こう書こう・・と気ばっかり焦って、いざPCの前に座ると、「ま、明日でいいか・・・」ってなんて萎え萎えになること2週間。
ようやく、ここまで筆を進めてきましたわ。

どうもねぇ、「書かなきゃ」っちゅうのも強迫観念のようにもなってきてるんだよなぁ。 なら、ちょっと時間を置けばいいのに・・・とも思うんだけど、ブログのアクセス数の変化を見ると「書かなきゃ」って言う気分にもなる。
だから、ネットっちゅうのは「麻薬」なんだよなぁ。こうやって中毒になる訳ですわ。
まあ、自分のサイトを開設して以来19年。 ずっとそんな感じなんだけども。。。

さてさて、いつもながら今回なに書くべーな、と悩んで絞り出してきたのが、この曲。

ユニコーン「ヒゲとボイン」。

変なタイトル・・・っちゅうのは、まあ、リリース当時から感じていた訳だど、Wikipediaらよると小島功氏のマンガ「ヒゲとボイン」からとったわけね。 その関係で、この曲のシングルのジャケ写も、小島功氏の「ヒゲとボイン」のイラストになっていね訳ですわね。

タイトルも変だけど、歌詞の内容も変なの・・・とか思ったなぁ

ユニコーンのシングルって、「会社」物・・・っちゅうかサラリーマン物が多いじゃん。 ブレイク曲の「大迷惑」にしかり、「働く男」にしかり。

なんちゅうのかな、そそそ最近で言えば「サラリーマン川柳」ですよね。 サラリーマンの悲哀な曲。

その中でも、一番分かりやすかったのが、この「ヒゲとボイン」でしたね。

曲調とメロディラインが、一番分かりやすい・・・というか、キャッチーなんだよ、だから、歌詞の内容がスッと入ってくる。

ただ、そうであるが故、「なんじゃこれ」感が、それまでの2曲に比べると、いっそう深くなる。

そんな感じだったかなぁ。

ま、兎も角、個人的には、リリース当時、どうにも気になる1曲だったんだよなぁ、この曲。

それまでユニコーンってなんとなくキライだったの。 ・・・というか、あんとき、平成初期のバンドブームでブレイクしてきたヒトたちって、どうも好きになれなかった。

お茶らけてて、歌詞も表層の部分だけで深みも感じられないものが多かったし。なにより煩いのがね。ただノレれば良い・・・って感じだったじゃん、あの時のバンドブームって。 まあ、それは今でもたいして変化は無いのだけれど。。。

だからね、この曲の前までは、積極的には聴いて無かった。 ラジオで流れてきて「変な曲・・・」で素通りしちゃったんだよな。 つまりは引っかかりもしなかったんだよな、当時のワタシの中では。

それでも、この曲は引っかかった。

タイトルも、歌詞の内容もそうなんだけど、サウンドとメロディだよね。 

特にイントロのインパクトもそうだけど、♪ ああ  男には〜 ♪ って言うサビのメロディラインだよね。 

なんだ、この壮大さと、キャッチーさは

以前も何回書いたけど、ワタシ、この当時、千葉中央局で郵便物振り分けの夜間バイトをやってたんだけど、一晩中、ポータブルのラジオから FMが流れてるような環境だった。

よくかかったんだ、この曲。 ヘビロテになってたのかいな・・・と思うくらい。

その度に、この曲のイントロとサビに引っかかっては、壮大な風景を夢想してたりしたな。 

なんかさ、宇宙的規模な壮大な儚さを感じちゃったりするんだよ、この曲。

それと、ヒゲとボインってどういう関係があるの? っていう表層の部分で一見、なんの関係も無さそうなところがこの曲の面白さなんだろうねぇ。

ただ、♪ ああ 男にはつらくて長い二つの道が ああ永遠に深いテーマさ〜 ♪ っていうサビの歌詞、深層的なところでは、宇宙規模的な儚さを表しているんだろうな・・

まあ、勝手に解釈すると・・・だけど。。。


それより、なにより、当時、この曲を聴くたびに、 タイトル、歌詞以上に、なーんか引っかかったんだよなぁ。
「うーむ、この曲」のこの感じどっかで聴いた事があるよな・・・。 

・・ってところから、この曲の「下敷き」がある事に気がついたんだけども、その元曲が思い出せなかった。

・・・って言う事をずーっと引きずったまま10数年。 ドラマ「電車男」でこの謎が解けたんだよな。

そそそ、「電車男」の主題歌だった Electric Light Orchestraの「Twilight」、これなんじゃん。。。

↓ コレ


この宇宙的壮大さ儚さ。・・・というか、イントロから、サビから「お借りしました〜」ってくらい、まんまなんたけどさ。。。

Electric Light Orchestraの「Twilight」は81年リリースだから、当然91年リリースの「ヒゲとボイン」の頃はすでにあった。

いや、「Twilight」も、それ以前に聴いた事はあった。それなりに引っかかってた。

Vagelisの「Chariots of Fire(炎のランナーテーマ曲)のように、宇宙的な規模感を感じるような、当時の壮大な「エレクトロミュージック」って好きだったんだよ、個人的に。 

でも、当時、洋楽にはとんと疎かったワタシにゃ、結びつかなかったんだよなぁ。

それにしても奥田民生ってヒトは「E.L.O」好きなんだよね。 この曲を皮切りに 自らプロデュースしたPuffyの「アジアの純真」もE.L.Oだもんね。 ユニコーンの活動休止前のラストシングルとなった「すばらしい日々」も、メロディラインは言うまでもなくエフェクトのかけ方とか系統的にはそんな感じだったしな。



うーむ、今改めて聴くと、たしかに表層的には「E.L.O」だけど、間奏部のエフェクトをかけたボーカルは、Y.M.Oの「Behind Mask」だし、最後のInst部分もY.M.Oっぽいなぁ。
さしずめ80年代の日英、エレクトロミュージックの共演ってところか。
超大げさに書くと。。

ところで、この動画は2009年の武道館ライブのものだけど、音はカラオケ
ドラムの川西氏、スネア叩いて無いのにスネアの音すっぞ〜


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ブルー / 渡辺真知子

1978_11_ブルー_渡辺真知子


今回の1曲セレクトは、「ブルー」渡辺真知子です。

まずはデータです。

・タイトル     ブルー
・アーティスト   渡辺真知子
・作詞       渡辺真知子
・作曲       渡辺真知子
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年8月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数   33.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1978年9月18日、10月2日〜10月30日、12月4日付


ここんところ、リアル仕事が忙しくてねぇ。 FBには書いたんだけども、上役に挟まれ、下にも挟まれ・・っちゅうサラリーマン中間管理職の悲哀(?)っちゅうかねぇ、金曜日はガタガタニ疲れた頭で中森明菜の「難破船」を聴いてたらシミジミとなったことをグチグチと書いたりしてさ。。。

まあ、そんな事ですっかりと忘れていたんだけども、週末の11月2日で、ワタシが、ヒット曲の世界に足を踏み入れて、丸40年となったんですねぇ。

なんで、そんな事が分かるのか? って思われる方もいらっしゃるかもしれないですが、その辺の経緯は、ワタシのサイトのプロフィールに書いてたりするんだけどね。

忘れもしない、1978年11月2日ですよ。 この日は木曜日だったんですねぇ。 次の日が文化の日で祝日じゃ無いですか。 なんで、ワタシ、同級生の友達の家に泊まりに行ったんだよね。 ほら、ガキのころ、やったヒトも多いと思うけど、いわいる「お泊まり会」ってやつね。 当時ワタシは9才。小学校3年だったな。

その当時、ワタシ、ヒット曲なんて聴いて無くてさ、もちろん歌番組も見たこと無かった。 

いつか、ここでも書いた事があったと思うけど、オヤジが歌謡番組がキライでさあ。 「8時だよ!全員集合」なんかもコントのところは見るんだけども、歌が始まると、チャンネルまわしちゃったりね。 

うん、当時はテレビは当然、家に1台、チャンネル権はオヤジが持ってたからなぁ。

だから、むしろヒット曲には同級生に比べると疎かった。

でもさ、泊まりに行った友達には2つ上のアニキがいて、当時から歌番組見てたんだよ。 で、木曜って事は「ザ・ベストテン」も当然見てて、付き合いがてらについつい見ちゃったんだよなぁ。

これが今に続く「顛末」の始まりだったんだ。

衝撃でしたねぇ。 世の中にこんなに面白い番組があるんか・・・ってぐらいの衝撃。  まあ、当時ランクインしてた曲も良かったんだよね。 サザンもそうだったけど、ツイストとかさ。 歌謡曲とは明らかに一線を画した、それまで聴いた事が無いような曲だったから。

ワタシねぇ、それまではヒット曲は聴いたなかったけど、ポールモーリアはずっと聴いてたんだよね。ガキのくせして。 オヤジも歌謡曲は嫌いだったけど、ポールモーリアは好きだった。 っつか、誰かからポールモーリアの「8トラ」のテープ譲ってもらって来たのも、オヤジだったし。 その他、当時の洋楽ヒットも聴いてたな。 その頃流行りだった、フィラデルフィアサウンドな洋楽ヒットね。 その辺はオヤジも好きだったんだよ。

いわいる、ストリングスありーの、ブラスサウンドありーの、分厚いサウンドな音楽ですわな。

まあ、そんな影響で、そう言うサウンドがワタシ的も好きだった・・というか、ワタシの原点なサウンドですね。特にストリングスが好きだったんですわ。 フィラデルフィアサウンドでは、高音系のさんざめくような、それていて澄んだストリングスの動きが特徴だったじゃん。 これははポールモーリアでも共通してたしね。

こういう音は、日本のヒット曲には無いと思ってたんだよな。日本の曲の音はもっとチープだと思ってたの。

でもねぇ、件のベストテンを見て、目からうろこでしたねぇ。 自分が思ってたようなサウンドとは全く違ってたし。
特にツイストの、分厚い音と、独特のグルーヴ感だよね。 これに参っちゃたんだよな。

以来・・というか、次の週から自分の家でも見まくりましたよ〜、ベストテン。 

それまで家では、ウラ番組のドラマ見てたのかなぁ、ワタシは夜9時には寝てたし。 
でも、ワタシが「ベストテン」見たいっていったらシブシブ見せてくれたな。 恐らく、オヤジもその1回だけだと思ったんじゃないかなぁ。 でも、毎週毎週見るようになって、それまで自分が見てたドラマが見れなくて、ブーブー言い始めたんだけども、オヤジも久米さんと黒柳さんのやり取りが気に入ったんだろうね、シブシブだけど、ベストテンを見せてくれるようになったんだよね。

以来、木曜夜9時と言ったら、何があってもずーっと「ベストテン」だったし、 終了後もずーっとヒット曲を追い続け、あれから40年も経っちまったって訳だね。

あー、またまた、前置きが長くなっちまった。

で、今回の1曲セレクトは、そんな、ワタシがヒット曲の世界に足を踏み入れた頃、丁度ヒットしてた曲を一つ。

渡辺真知子「ブルー」。

ウム? この曲、まだ書いて無かったんだ。。。   ワタシがヒット曲に足を踏み入れた頃のベストテンヒットな曲って、すでに書いた・・とばかり思ってたし、個人的に、それ以前から渡辺真知子さんの曲って好きだったから。

いや、個人的に好きだった・・・っていうか、オフクロが好きだったんだよね。 真知子さんのデビュー曲の「迷い道」。 これ、まあ、良く、よく口ずさんでたもの。 で、知らず知らずのうちに覚えちゃったんだよな、ワタシ。

次の「かもめが翔んだ日」もそう。オフクロ好きだったんだよな。 だから、知らず知らずのうちに覚えちゃってたし・・・。

でもさ、今回引っ張ってきた「ブルー」って曲は、口づさんでなかったんだよね。

だからなのかなぁ・・・今まで、1曲セレクトで書いて無かったの。

オフクロがこの曲、口づさんでなかったのは、きっと、この曲が難しかったからなんだと思う。

特に ♪ あたなは 優しい目〜 ♪ っていう出だしのところ

♪あたなは〜♪ がウラから、変拍子気味に入るメロディじゃん。 入るタイミングが難しいんだよね。  

それにも増して、 ♪ とりとめのない心〜 ♪から先に続く、ファルセットの部分。

きっと、なかなか口づさみづらかったんだろうね、オフクロも。

そんなこともあって、家で、あんまり流れていなかったことありーの、個人的にも長い事記憶の外のところがあったような気がする。

決して、この曲がキライだったんじゃないんだよ。  いや、むしろ個人的には、この曲の方が好きだった。

前2曲よりも手垢が少なかった・・・ってのもある。 けど、難しい曲だからこそ引っかかるってのもあったな。

オフクロが口づさめなかった、ウラから入るAメロ出だしも変わってて面白かったし、 それよりもサウンドだよね。

北風が吹きこむような冷たいサウンドっていうのかなぁ。秋から冬へって言う温度感にマッチしてたし。 まあ、リリースしたのが8月だった訳で、だから、リリース当時は暑苦しかったのかもしれないけど、 ヒットのピークだった、今頃にはピッタリの温度感と重量感だったように思う。

そうそう、この冷たい温度の手触りと重量感が、ポールモーリアの「雪が降る」と類似してるような感じがしたんだ、この曲。 

いや、イントロの駆け上がりから出てくるチェンバロ。

Bメロの ♪ 呼びたしたのに〜 ♪ から絡んでくるストリングスなどを含め、 どこかホールモーリアサウンドを彷彿としたんだよね。

でね、だから、こういう曲だったら、日本の曲でも聴いてもいいな〜。 なんて、当時9歳のガキだったワタシは、クソ生意気にも思ったんだよな。


いずれにしろ、インパクトはあるものの、前2曲に比べると華やかさと言う点では劣るのは否めないところですね。 まあ、楽曲のテーマがテーマなんで、「華やか」部分を前面に出すのは難しんだけど。。。

でも、「華やか」ではないからこそ、長い間、より多くの方に支持される・・・っていう場合もある。
これは、今年の米津玄師の「LEMON」が超典型的な例だと思うけど、 この曲もそうだったんだよね。

オリコンでは最高10位に留まったものの、「ザ・ベストテン」では2回、僭越ながらワタシメのランキングでも2回、ベストテンに返り咲き、と言う感じで、約3ヵ月間もベストテンギリギリでのチャートアクションを維持している。

いつまり、楽曲内容同様、華やかなチャートアクションではなかったものの、ジミに、その分、息の長いヒットとなった訳なんだよね。


 


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深呼吸して / 渡辺満里奈

1986_10_深呼吸して_渡辺満里奈


今回の1曲セレクトは、「深呼吸して」渡辺満里奈です。

まずはデータです。

・タイトル     深呼吸して
・アーティスト   渡辺満里奈
・作詞       秋元康
・作曲       山本はるきち
・編曲       新川博
・リリース日    1986年10月8日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   17.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1986年10月20日〜11月3日付

毎度毎度のことで、ずっとここ読んでくださってる方には「耳タコ」かもしれないけど、今回はどの曲を書くか・・っていうのが、いつも悩みの種なんだよね。
以前ならは、まだまだ書いて無い曲があったからさあ、その時その時の気分でセレクトすれば良かったんだけどさ、最近は、書いて無い曲の方が少なくなってきたからなぁ、なかなかその場の気分でセレクトするのも難しくなってるのよね。 その分、毎回、悩んじゃう訳です。半ば「絞り出す」って感じで・・・。

いや、書いて無い曲は、まだあるんですよ、たしかに。 でも、流石にヒット当時、興味無くて聴いて無かった曲は書けないからなぁ・・・。

そそそ、この「ヒット当時、興味が無くて」・・ってところがネックなんだよね。

さっきもいつものごとく「さて、何書くべーかな」なんて、昔のオリコンチャートをひっくり返してて愕然。

1997年、1998年共に 今頃、10月にベストテンに入ってた曲、全然知らないワ。。。。

いや、当時「ながら」では聴いてのかもしれない・・けど、全然記憶にない。 もちろん音源も手元にないし。。。

まあ、それ以前も、以後も、オリコンにランクインしてたからとはいえ、全ての曲をパーフェクトに知っている訳ではないし、音源も持っている訳じゃないんだけども、↑の2年間は特に酷いなぁ。

確かに、この時期は、一時期、ヒット曲から離れ気味の期間ではあった。
当時のリアル仕事が忙しかったし、仕事の事で精神的な余裕が無かった時期でもあったんで。

でも、なんか10月下旬っていうのは、他の年でも、毎年のように「空白」期間・・とでも言うのかなぁ、知らない曲が多いような気がする。 

ヒット曲のレベル的にも空白期間なんでしょうかねぇ。 本来なら「秋」ということで、秋っぽい曲が多かったような気もするんだけど・・・。 そういえば、昔から10月の特に中旬〜下旬に大ヒット的な曲のリリースも少なかったような気がする。 昔的に言えば10月15、20、21日リリースの大ヒット曲。 まあ、全くない訳ではないんだけど・・

確かに業界的に強力曲リリースが相次ぐ四半期末月から外れているってのもある。 けど、その他、考えられるとしたら、この時期ってイベントも少ないからかもな。 今でこそハロウィンだってことで、盛り上がるけど、昔は、夏休みが終わったら、クリスマスまでは国民的な大きなイベントって無かった気がするしな。

特に業界全体にシステマチックな動きになった、90年代以降はそんな傾向が強くなったような気がするな。

でも、振り返ってみると、90年代以前、80年代にもそんな年があったよな。
まあ、あくまでも個人的にだけど、1986年10月。 こん時にヒットしてた曲もリアルタイムで聴いて無かった曲が多いんだよねぇ。

そもそも当時全盛だった、おニャン子関係の曲、ほとんど聴いて無かったし。 
理由としては、TBSとフジテレビの仲が悪かったってことで、「ベストテン」におニャン子関連の人たちが、全く出なくなったってのが一番大きいですわな。

おニャン子以外でも、ベストテンに出演しなくなったアーティストってかなり多かったじゃん。1986年の今頃って。
なんで、当時の耳にする機会がめっきり減ったってのもある。

この頃はおニヤン子関連の曲も、個人的には刺らなくなって来てたし、アーティスト系はアーティスト系で、ニューウェーブ系の音の曲が広がってたでしょ、そちらでも刺らなかったんだよな。

結局のところ、ヒット曲全体的に刺さらなかった曲が多かったのよ、1986年のこの時期って。

だからなんだろうけど、もう新しい曲をガツガツ追いかける必要もないじゃん・・・。そんな風にも思い始めてたんだよね。 

逆に時代を逆行して、過去のヒット曲を掘り返し始めたのが、この頃だったな。

以前も何回か書いたけど、ちょうどこの頃、東京の三多摩地区を中心にして、「ネオG.S」っていう流行りが勃発。そそそ、グループサウンズが見直しされ始めてたんですよ、60年代の、アノ、ガレージなグループサウンズ。

個人的に、この流れに乗っかった・・って感じで、G.Sを中心に掘り返し始めてたんだよなぁ、この頃。
おニャン子よりも、ニューウェーブ系の音よりも、G.Sのガレージ的な音の方が刺さったんだよな。
そんな訳でG.Sを中心に、60年〜70年代の歌謡曲、ポップスを掘り返し始めてた訳ですわ。

1986年10月、TBSが開局30年ってことで「テレビ探偵団」が始まったって影響も大きい。 この番組がきっかけで過去を掘り返すってのが、テレビ業界でも、音楽業界でも一気に広がったじゃん。 そんな流れに乗っかった・・・と言うと語弊があるけど、個人的にも自分が知らなかった過去を知りたい・・と思う時期が重なったんだよね。



おーーーっと、またまた前置きが長くなっちまった。。。

今回の1曲セレクトは、渡辺満里奈の「深呼吸して」ね。

・・・だからさ、↑に書いたことからして、この曲、リリース当時は、全くと言っていいほど聴いて無かった。

オリコン1位を獲得した曲で、ヒット当時、聴いて無い、知らない・・って曲の、もしかすると最初の曲だったかもなぁ。

いや、違う。 確か、なんかのタイミングで聴いたんだよな、この曲。

で、一度聴いて、「もういいわ」・・・って思っちゃったんだ。 

やっぱさあ、満里奈さんの「歌唱力」がねぇ・・・・  死んだオヤジが聴いたら、バカ怒りしそうな感じで・・・・ こんなウタで金取んじゃねぇ・・・とばかり。

それ以前に、なぜに「アーティスト系」を標榜としていたエピックソニーさんから、得てして歌唱力の「無い」満里奈さんがリリースするのか・・ってところも、幻滅だったしなぁ。

ニューウェーブ系の音はキライ・・・といいつつ、エピックさんは、東芝EMIさんに次いで、個人的には音楽的に信頼してたレーベルだったからさぁ。 なんか、その一角が崩壊したような感じがしたな。


こんな感じで、個人的には大分、長い間「封印」してたんだよ、この曲。

封印を解いたのは、大分時間が経ってからだなぁ。ここ10数年ですよ。
↑の影響もあって86年の「秋」の音源って殆ど持っていなかった事に気がついたんだよね。 当時感じてたもろもろの嫌悪感も時間の経過で無くなってきたしね。

で、改めて聴いてみて・・・。

うーん、やっぱ、歌唱力がねぇ・・・どうしても気になるわな・・ってところは、置いといて。。。

曲的には新鮮だったな。 

どこが新鮮だったのか・・・。 やっぱさ、他のおニャン子の曲調とは違ったところだろうね。

ハネ系、 そそそシャッフルビートのジャジーな肌触りは、それまでのおニャン子にはなかった曲調だしな。

当時のアイドル、まあ、おニャン子もそうなんだけど、決まったフォーマットような曲調だったじゃん。枠に嵌まったと言うか・・・。「後藤」印のいかにもおニャン子的・・・とでも言うか。

そう言ったフォーマット、枠に嵌まった曲調ではないな・・と感じたのが第一印象。

作曲者が、当時LOOKの山本はるきちっていう、それまでのおニャン子のブレーンには、絡んでなかった一人だし 、アレンジも新川氏博っていう作家陣の効果はありますね。

さすが、その辺りはアーティスト系のエピックソニーさん、キャニオンさんとは曲志向が違いますわな。 

うーん、でも、どうなんだろう? 逆に通常通りの8ビートで歌わせても、どーせ、歌唱力ないんだから、ここは適当にハネさせておけ・・・っていう戦略なんでしょうか。。 まあ、穿った考え方ですが…。




バックの生稲晃子さん、工藤静香さんも、どこまで本気でやってんの? って思うような学芸会的な無気力感を感じたりして・・・。

特に工藤さんは、本気でやったら満里奈さんを潰しちゃうんで・・・ってくらい、全然本気だしてねーよなぁ。

確かに、みんなに妹って言われてただけあって可愛いんだよ、渡辺満里奈さんって。
鼻から抜ける声がキュートだし、このルックスのレベルだったら、今の乃木坂46にいてもおかしくないくらいだし。
「アイドル」としては申し分ないと思う。
けど、やっぱウタはやんない方が良かったんじゃないかなぁ・・・と思ったり。。。
それか、もうちょっとボイトレをやってから歌を出すとか・・・。

まあ、86年って言う時代だったから、これでも許されたのかもしれない。もうちょっと時代が遅かったら、ウタで出てくるのは難しかっただろうし。。。
いずれにしろ、あれから32年、西村知美さんの時もいつも書いてるけど、このウタから聴く限りでは、今でも第一線で活躍されているっていのうは、もちろん本人の努力でもあるんだけども、時代のあやだよなぁ・・・と思ったりするワタシです。


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きめてやる今夜 / 沢田研二

1983_10_きめてやる今夜_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「きめてやる今夜」沢田研二です。

まずはデータでする。

・タイトル     きめてやる今夜
・アーティスト   沢田研二
・作詞        沢田研二
・作曲       井上大輔
・編曲       吉田健
・リリース日    1983年9月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数   13.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

ネット上で揶揄されますなぁ〜、ジュリー。 例のライブ「ドタキャン」騒動で。
さいたまスーパーアリーナ、当初9千人の入りと言われたところ、実際は7千人しか入らなかったので開演直前になって中止になったとか・・・。
その理由が、「客の入りが少なかったから」・・・だとか

まあ・・・・叩かれますわな。 客が少ないと言っても7千人は集まっていた訳だから・・・。

その前に、果たして、今のジュリーに「さいたまスーパーアリーナ」を満杯にするだけのアーティストパワーはあるのか? っていう意見も出ている。

さいたまスーパーアリーナは、ステージの形式によって、「アリーナ」部分の客席数は変動するんで、一概に「何人」とは言えないけど、最大で約3万7千人収容と言われている。 もっとも実際はステージ設置等で、客席数はそれよりは少なくなるけど、それでも2万弱の収容人数になると思う。

そんな会場で、9千人ですか・・少なっ! なんていわれてもしょうがないわなぁ。 

そもそも、日本のみならず、世界でも超一線級のアーティストがライブ会場として使用するスーパーアリーナを、40年近くベストテンヒットから遠ざかっている、ジュリーが使用する・・・っていうのも、たしかに驚き・・というか、半分「あきれ気分」になるけど、確かに。

ちなみに、今回客が集まらなかったのは、今回のライブツアー、 ツアータイトルが「70YEARS LIVE OLD GUYS ROCK」という、いかにもジュリー70才記念で、往年のヒット曲オンパレードの内容に思えるタイトルであるのに、実際は、「今歌いたい曲しか歌わない」と、ヒット曲はほとんどやらず、誰も知らないような曲ばかりなため評判が悪く、客が遠のいているため・・・と言う事のようだ。

「今、歌いたい曲しか歌わない」っていうジュリーの姿勢・・いいなぁ、突っ張ってるなぁ、なんて、個人的には思っちゃったりもする。だけど、こういう姿勢は、こういう「大会場」の、ましてやツアー最中に見せちゃアカンわな。
うん、小規模のコンサートホールや、ライブハウスならいざ知らず、大規模会場では、必ずしも超固定ファンばかりじゃない訳なんだから。 


ところでさ、現在のジュリー程度のアーティストパワーのヒトが、なぜスーパーアリーナのような、大規模会場でやるのか・・っていうと、通常の各地の市民会館位のキャパの会場では、いわいる「親衛隊」と呼ばれる人たち・・・そそそ、いまや良い年をした「おば様たち」なんだけど・・・に占領されてしまい、他の一般の人たちがなかなか席が取れない・・っていう苦情もあるからなんだよね。

そう言うこともあって、こういう大規模会場でもやらざるを得ないところもあったのかも。。。 
まあ、スーパーアリーナが、そう言う状況を払拭するだけの適当な会場であったのか・・と言うのは別だけど。。

でも、熱狂的な固定ファンじゃなく、そういう一般の人たちがどういう曲を聴きたいか・・・っていうと、やっぱり、往年のヒット曲な訳だからさ、 やっぱり、そう言うヒトたち向けに、例えばスーパーアリーナのような超大規模会場だけでも、ヒット曲のオンパレードにセットリストを変えるとかはやって欲しいわな。

もしよ、例えば、ジュリーが「今歌いたい曲しか歌わない」・・・とかツッパッたことを言わないで、往年のヒット曲中心のライブツアーであれば、スーパーアリーナでも充分行けたんじゃないかな。



おーっと、前置きがめちゃんこ長くなっちまった。

・・ということで、今回の1曲セレクトも当然ジュリーの曲を持って来たい・・というわけで、

「きめてやる今夜」

・・・へへん、ネット上で他の人が取り上げてるような曲は持って来ないよーだ

・・というか、他の人が取り上げてるような曲は、もう既に書いちゃったんで・・・

この曲は83年の今頃のヒットですね。

83年は、ジュリーにとっては「分岐点」となった1年ですわ。 ソロデビュー以来でも10数年、ずーっとベストテンをキープし、オリコンで初の売り上げ1000万枚突破を記録した、文字通りのスーパースターだったジュリーが、一度もベストテン入り出来なかった年。

それが1983年ですわな。 つまりは、人気の下降線があらわになった年・・とでも言いましょうかねぇ。

それは突然やってきた・・・って感じだったな。 前年82年9月にリリースした「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」なんて、「ザ・ベストテン」では最高3位まで行ってた訳だから、 まさか、次の「背中まで45分」がベストテン入りしない・・なんてことは思ってもいなかった訳だし・・・。

まあ、結局は、難解、かつ新たな試みとして「ニューウェーブ系」な曲にシフトしたことが大きかったんだろうな。

今回引っ張ってきた「きめてやる今夜」の前曲の「晴れのちBLUE BOY」なんて、当時のヒット曲レベルから考えれば、まず、ベストテン入りは難しいだろうな・・と思える曲調、リズムだったし。 

 ジャングルビートと呼ばれた、あんな殆どリズム体だけの曲がベストテン入りしてたら、日本のヒット曲レベルは飛躍的に進化してただろうな・・・とも思えるけど、実際83年当時のレベルでは、それもちょっと難しかった。

たしかに、実験的だったんだよね。82年までの何が何でもベストテン入り、一時期のジュリーの代名詞にもなっていた何が何でも「1等賞」を目指すんであれば、もっと保守的な曲でも良かったのかもしれない。

そこから一歩進みたいって言うジュリーの姿勢は、保守化が進んでいた当時のヒット曲界からみるとアッパレだったのかもしれなかったけど、ヒット曲と言うところから見ると、実際的には、それに足元をすくわれた・・というかね。

それらの83年のシングルから見ると、今回引っ張ってきた「きめてやる今夜」は、シンプルだったなぁ。
ポップだしね。 簡単に言えば「分かりやすい」1曲。ポップという傾向としては、前年の「おまえにチェックイン」の方向に近い。

そんな1曲だったからさ、この曲では「ベストテン入り復帰」も可能なんじゃないかなぁ・・・

・・とは当時感じてましたね。

でも、実際的には、売り上げ的には、「背中まで45分」、「晴れのちBLUEBOY」と2曲連続で10万枚切れを起こしたのが、この曲では10万枚オーバーと上向き傾向も見られたんだけど、ベストテン入り復帰はしなかった訳で・・・。

売り上げが回復したのは前2曲よりも「分かりやすい」ってところが大きかったんだろうね。 やっぱり、ヒット曲の世界では「分かりやすい」って言うのは、大きな要素なんだな・・っていうのは、この傾向から分かったりしてね。

それでも、一度下降傾向が進むと、それを回復させるのは並大抵のパワーでは難しいんだな。

・・・そんな事を痛感した1曲ではありましたねぇ。 ワタシ個人でもそうだったけど、もしかしたら、それを一番痛感していたのはジュリー本人だったりしてね。。

いずれにしても、この後、ベストテン入りに返り咲くこと無く、いわいるヒット曲の世界からは下降線が進んでいくことになるわけですわ。



分かりやすいとは言っても、この曲も基本はニューウェーブ系ではあるんだよね。 
だから、本来ではあれば・・いや、前回の吉川晃司の「ラ・ヴィアンローズ」で書いた内容であれば、個人的には、この曲も苦手であるはずなんだけど、でも、実際はこの曲は好きだったなぁ。

83年の10月っていうと、自分の頭の中では、かなりの割合でこの曲がヘビーローテーションだった覚えがあるしさ。だから、83年の10月っていうと、この曲から感じたカラーが浮かんでくるし・・・。

サウンド的にはニューウェーブ系だったけど、ポップで聴きやすいっていうのが、大きかったんだろうな。
その辺は、作曲が井上大輔氏っていうのも大きかったんだろうな。完全な洋楽志向ではなく、あくまで「和」のテイストを織り込んだ分かりやすいメロディと言うところがさ。



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ラ・ヴィアンローズ / 吉川晃司

1984_10_ラ・ヴィアンローズ_吉川晃司


今回の1曲セレクトは、「ラ・ヴィアンローズ」吉川晃司です。

まずはデータです。

・タイトル     ラ・ヴィアンローズ
・アーティスト   吉川晃司
・作詞       売野雅勇
・作曲       大沢誉志幸
・編曲       大村雅朗
・リリース日    1984年9月10日
・発売元      SMS
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   19.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1984年9月24日〜10月29日付

苦手なタイプ曲がある。 
まあ、ここでもこれまでもチョポチョボと書いてきてるんだけど、少なくとも80年代で最近書いてる曲は「苦手」だった部類の曲って言うのかなぁ。 うん、当時好んで聴いてた80年代の曲はあら方、既に書いちゃったからさあ。
だから、当時苦手、あるいはレビュるのが難しい曲が残っちゃってるんだよな。

・・・と初めに言い訳がましく、書いといて・・・

今回セレクトしてきた曲は

吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ」。

吉川、デビュー第3弾シングルですわな。 デビュー時の吉川は、キライじゃ無かったんだよ。ま、確かにフテブテシイ奴だな・・・なんてちょこっと鼻にはついてたけど。 でも、それと曲とは別の話でさ。

この曲の前の「サヨナラは八月のララバイ」なんてのは、好きだった。イントロの出だしのガラスの割れる音が派手だったし、何より無機的なイメージがある84年夏を象徴するような曲に感じてたし。

でも・・・、この曲は、正直言って、良く分かんなかったんだよね。 掴みどころが無いって言うのかなぁ。

ツルンとした抑揚の無いメロディラインっていうのか。 確かにそんな所は無機的な84年らしいメロディラインだったのかもしれない。

それにつけても、この曲は、掴めなかったんだよな。 作曲の大沢誉志幸氏も、非常に日本語が乗りづらいメロディと言っているのが象徴的なんだけど、まあ、それが、聴いてるこちらとしても掴みどころが無いように感じちゃったんだろうな。

まあ、肯定的に言えば洋楽的なメロディって言う事なんだろう。

いや、それが私個人としても、今一つ生理的に引っかかりきれなかったところなのかもしれない。

昨日の「人形の家」でも、洋楽のキャッチーな部分や、官能的な部分が凝縮されたのが歌謡ポップス、でも、それだけじゃ日本人には刺さりきれないわけで、日本人の「感性」をプラスしたメロディが歌謡ポップス・・・

つまりあんまりバタ臭いのではなく、バターに醤油をかけたような・・・そんな音楽が歌謡ポップス・・・って書いたんだけど。

たしかに、80年代初頭までは、その通りだったんだよね。如何に表向き「ロック」だぜ! っていうニューミュージック勢だって、結局のところメロディラインは、日本人好みの「和」の感性が入ったものだったわけで。

いや、それこそがワタシ個人としても「J-POP」の原点だったんだよね。

でもさ、80年代も中盤、事にこの84年くらいになって来ると、「醤油」をたらさずにダイレクトに「洋楽」的なメロディ、サウンドが増えてきたんだよ。

いわいるニューウェーブ系サウンドってやつですね。 硬質、かつ鋭角的無機質なサウンド。余計なリフや音は、極力排除されている。 それいえ、すっきりとした都会的なサウンド。 いわば当時の先鋭的な楽曲ですね。

BUT、いつもここでは書いてるように個人的には、ダサい、もっと土臭いサウンドと、ごちゃっと音で埋め尽くされているような曲が好みだったもんでさ。 そそそ。メロディとメロディに音の隙間があると許せない・・って感じで。

だから、同じ84年でも、大瀧詠一氏の「Each Time」のような、ウォール・オブ・サウンドの方が何倍も安心するし、メロディとメロディの合間を面白い音で埋めると提唱した筒美サウンドの方が、この当時でもしっくり来てたんだよな。

あ、この志向は、今でも基本は変わらない。まあ、当時よりはやっと慣れてきたって言うかねぇ、当時よりも音数が少ない曲が多いからさ今は、強制的にでも慣らされたって感じですわな。

いずれにしろ、だから、この84年当時は、この手のスッキリとした掴みどころのないサウンドには、引っかかりきれなかった訳なんだよね。

まあ、前曲の「サヨナラは八月のララバイ」も、サウンド的にはこの曲と大きな違いがあった訳じゃないんだけど、イントロの出足のガラスの割れる音と、サビの前のコード進行には引っかかったからなぁ。
そんな部分があったのか無かったのかだけの違いっちゃ、そうなんだけど。。。






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