かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

あの頃のヒット1曲セレクト!

赤い衝撃 / 山口百恵

1976_12_赤い衝撃_山口百恵


今回の1曲セレクトは、「赤い衝撃」山口百恵です。

まずはデータでする。

・タイトル      赤い衝撃
・アーティスト    山口百恵
・作詞        千家和也
・作曲        佐瀬寿一
・編曲        馬飼野康二
・リリース日     1976年11月21日
・発売元       CBSソニー
・オリコン最高位  3位
・売上げ枚数   50.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1976年12月13日〜1977年1月31日付


あー、やっとここまで書けた。。 毎度毎度、ここまで書くまでが長いのよ。
頭の中ではあれこれ考えてるんだけど、なかなか筆が上げらけない。 
今回も書こうと思えば、昨日のうちに書き始めてもいいところ、結局ここまで来るのに1日かかっちまったわい。
あー、非効率。

それもこれも、今回引っ張ってきた曲のおかげなんだよなぁ。
今回引っ張ってきた曲、今となっては音源も手元にあるんで、頻繁に聴いてはいるんだけど、リアルタイムでは聴いてなかったからなかなか書き出しが浮かんでこなかったんだよね。

その曲とは、 山口百恵「赤い衝撃」

売り上げ50万枚を上回り、百恵さん中期の代表曲の1曲といっても過言ではないこの曲。 しかもあの「赤いシリーズ」の同名タイトルドラマ(1976年11月〜1977年5月放送)の主題歌でもあったわけで。 おそらく私よりちょっと上の方は、ほとんどの方はリアルタイムで聴いてたんだろうなぁ・・・と思う。
だけど、私はまだヒット曲の世界に足を踏み入れてなかったからなぁ。 

1976年といえば私は7才。小学1年生。だから、世代的に微妙なんだよね。

年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんがいる方は、「赤いシリーズ」も一緒になってみてただろうし、だからこの曲もリアルタイムで聴いてた方もいるでしょうね。 
私の一つ上の森口博子さん、二つ上の原田知世さんはともに、リアルタイムでドラマを見てたしこの曲も大好きだったって言ってるしさ。

でも、一人っ子のワタシは、当時は全く知らない世界だったからねぇ。赤いシリーズもリアルタイムでは見てなかった。
「赤いシリーズ」を制作していた大映ドラマっていえば、ワタシ的にゃ、「スチュワーデス物語」や「少女に何が起こったか」なんかのTBS火20時ドラマや「スクールウォーズ」だったからさ。 一世代後なんだよね。

だからさ、正直言えば、この「赤い衝撃」もリリース年が、最近まで今一つあいまいで覚えてたんだよね。

うん、1976年じゃなくて、1975年リリースだとばっかり思ってたの。

そう覚えてたのは、この曲の曲調もあったんじゃないかなぁ。。と思うんだよな。 

1976年11月リリースにしては、今一つ垢抜けないんだよねぇ。 アイドルとして同時期にヒットしてたのが、ピンク・レディーの「ペッパー警部」ですわ。

あの曲の斬新さから比べると、それよりも1年前の・・・っていうイメージが拭えないんだよなぁ。

そもそも大映ドラマってVTRが主流になり始めてた当時のドラマの中にあっても、フィルムドラマだったしね。 テレビドラマというよりかはテレビ映画というところが強かったかもしれない。それは、80年代に入ってからもそうで、そんなところからも少し古さは拭えなかったわけで、それは、主題歌のこの曲でもそうだったんだろうな。

まあ、作詞者の千家和也氏も作曲者の佐瀬寿一氏も、どっちかといえば70年代前半というイメージの方たちだったし、曲調に少し古さも感じるんだろうね。

古さっていうのは、メロディラインというよりは、実際のサウンドなんだろうな。特に音質。 いや、音場っていうのかなぁ。 実際のレコード音源の音の奥行だよね。

70年代って中盤頃までって、音に奥行きがない曲が多いんだよね。なんか、リバーブもかかってない狭いスタジオの中で録音したような、立体感がない平面的な音というかさ。個人的にはそういう音にどこか古さを感じるんだよなぁ。

そんな奥行きがない音から、立体的な奥行きがある音の曲が増えていったのが、ちょうど76年の後半から77年頃じゃないのかなぁ。 この当時のヒット曲をいろいろと聴いてるとそんな気がする。 78年頃はヒット曲のほとんどが奥行きがある音になってるもの。

では、この赤い衝撃はどちらなのかといえば「前者」なんだよね。 まあ、最近のリマスターされた音源は、当時よりも大分音質が改善されて奥行きのある音になってるけど、当時のシングルレコードの音は平面的でボコボコな音質だもんね。


でも、そんな古さを隠せえない曲調のこの曲だけど、結果的には50万枚オーバーだったわけで売り上げを見る限りは成功だったんだよね。

ここでも何回も書いたけど、70年〜80年代ごろまで大ヒットの目安として売り上げ50万枚があったんだよね。

70年代アイドルにとって、この50万枚っていうが一つの「壁」になっていたのよ。 

この50万枚の壁に、同じ中三トリオだった桜田淳子さん、森昌子さん、新御三家の郷ひろみ氏、野口五郎氏は大分苦しめられてたからなぁ。

そこから見ると、50万枚オーバーを5作もってる百恵さんはやっぱり別格だったんだよな・・・っていう印象が強い。

ただ、そんな百恵さんでもいつでも50万枚を突破できたわけではなし、デビュー以来から見ると、この「赤い衝撃」は、74年の「冬の色」、76年の「横須賀ストーリー」に次ぐ、3作目の50万枚突破となる。

「赤い衝撃」は、百恵さん主演としては赤いシリーズ第4作目のドラマだったんだけども、主題歌のタイトル曲としてリリースされたのは、この曲が最初なんだよね。

もちろん、それ以前の「赤いシリーズ」の主題歌もレコードとしてはリリースされているけど、いずれもシングルのB面としてのリリースだったわけで。

この曲の前の「パールカラーにゆれて」のリリースが9月。 当時の3か月ローテーションリリースから見ると、次のリリースは12月だったわけなんだけども、1か月前倒して11月21日のリリース。 つまりは臨発的なリリースだったわけだけど、リリース月を前倒ししてまでローテーションをかえたってことは、それだけ当時の「赤いシリーズ」の人気がうかがえるんぢゃないのかなぁ。

ちなみに、この「赤い衝撃」の次のシングルが「初恋草紙」って曲なんだけど、この曲のリリースが77年1月。
まだ、この「赤い衝撃」のヒット中のリリースだったもあり、すっかり影が薄くなり、売り上げが全く伸びなかったという伏線もあったわけで。。
もっとも、当時のドラマは2クールが通常だったわけで、「初恋草紙」リリース後もドラマが続行されていたこともあって影が薄くなったということもあったのだけど。。。
この「初恋草紙」についてはまだいずれ。




ところで、TBSで放送されていた「赤いシリーズ」。この次の年の赤いシリーズ「赤い絆」の主題歌だった「赤い絆〜レッドセンセーション」は、だからTBSの歌番組でしか歌われていなかったはず。
さらに言えば「ザ・ベストテン」でぐらいしか歌われなかったと思う。
 そこからすれば、この「赤い衝撃」もTBS以外の歌番組では歌われてなかったんじゃないのかな。
もっとも、まだ「ベストテン」は始まっておらず、TBSの歌番組といえば「ベストテン」の前番組だった「トップスターショー」や「サウンド インS」などしかなかったと思うけど、「トップスターショー」には百恵さんは一度も出演してなかったようなんで、この曲も歌われてなかったはず。・・ということは、テレビではこの曲歌われてなかったんじゃないのかな。
Youtubeにこの曲の「ヒットスタジオ」なんかの歌番組動画が上がっていないのはそのせいのはずよ。

つまりは、この曲、ドラマとせいぜいラジオの歌番組だけで、ここまでヒットしたんだよね。 当時のアイドル曲としては異例なヒットの仕方だったんぢゃないかな。



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ミステリーウーマン / 石川秀美

1984_11_ミステリーウーマン_石川秀美


今回の1曲セレクトは、「ミステリーウーマン」石川秀美です。

まずはデータです。

・タイトル     ミステリーウーマン
・アーティスト   石川秀美
・作詞       松宮恭子
・作曲       松宮恭子
・編曲       椎名和夫
・リリース日   1984年10月24日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 5位
・売り上げ枚数 13.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1984年11月19日付

パクリ。 なんて甘美な響きなんだろう? 

・・・なんて書いたら怒られちゃいますかねぇ
今では「サンプリング」っていう言い方で、半ば認められているこの手法も、ちょっと前までは、やれ盗作だぁ、なんだぁ、で叩かれて・・・うんにゃ揶揄されていましたよね。

80年代まで、こういった形で、どっかで聴いたことがある曲っていっぱいあったんだよね。
なんせ「ドロボー歌謡曲」なんっつう本まであったぐらいだし、今聴くと、筒美京平先生の曲は、必ず下敷きにした元曲があるっていうくらいだからさ。

あ、認められて・・・っていうのは、ちょっと誤解の部分があるかもしれないけど、正確にはサンプリングしたということで、著作権管理団体には、それらの楽曲の著作権者と併せてサンプリング元の楽曲の著作権者も申請した場合に限るんだけどさ。
だからね、今、例えばJASRACのデータベースを見てもらえばわかるけど、作品タイトルを(SAMPLE)って検索文字で中間一致検索してもらえば、かなりの件数がヒットするのよね。

まあ、こういった形で、サンプリング元の権利者も守ろうっていう方法なんだけどさ。

もちろん、こういう形で正式にサンプリング申請なしに、無断で「盗用」するのは今でも著作権法違反。
ただ、著作権ってあくまでも「申告罪」なんで、権利者から権利侵害の訴えがない限り、正式には罪にはならない。

だから、今でも「サンプリングしました〜」ってきちんとカミングアウトした曲って、多くないんだけどね、特に日本の曲は昔の曲を含めて。
本当にサンプリングしたかどうかなんて、作った本人しかわかんないからさ。 作ったら、たまたま似ちゃいました〜、ってことも往々にしてあるわだからさ。
特に、音楽が氾濫している今の世の中では、似ちゃう曲っていうのもどうしても出てくるわけなんだよね。なんせ音階なんて限られているわけだからさ。


・・・などと、お堅い話から始まった今回の1曲セレクトですが・・・。 

なぜに今回、そんな話から始めたか・・・っちゅうと、 はい、そうです、今回の曲が思いっきり「パクリ」疑惑がかかっている曲だからなんですねぇ。。。 (水爆) 

石川秀美さんの「ミステリーウーマン」

うん、このまま、このキーワードでググッってもらえると、一目瞭然なんだけど、この曲、もろBON JOVIの「夜明けのランナウェイ」、 まんまなんだよね。 

↓ コレ



世の中、おせっかいの人もいるようで、 この「ミステリーウーマン」と「夜明けのランナウェイ」、イントロを含め、メロディラインを比較すると、8割強が一致する・・・なんて分析を書いてるブログもあったりして。。。

そそそ、イントロの出だしなんて、完全に同じだったりするものなぁ。

今はYOU TUBEなんていう、便利なものがあるんで誰でもいつでも聴き比べできるけど、、この曲がリリースされた84年当時は、そんなことできなかったし、だから、知ってる人しか知らないような状況だったんだよね。 いわれて見れば似てるよな・・・ってくらいで。

だから、いわいるパクリってことも往々にしてあったわけなんだよね。

例えば、「ミステリーウーマン」の前年にリリースされた、シブがき隊の「ZOKKON命」は、まんまNIGHT RANGERの「Don't Tell Me You Love Me(炎の彼方)」だったわけじゃん。

ってか、この曲も昔から、そう言われつつパクリ疑惑がかかってたんだけど、最近になって芳野藤丸氏の「芳野藤丸自伝」っていう本に、「ZOKKON命」を作、編曲した水谷公生氏がパクったことをカミングアウトしちゃってますしね。書いてたら似ちゃったんだけど、ディレクターから「同じにしてよ」って言われたってことを。。(爆)

まあ、↑で書いたように、著作権法って申告罪だから、オリジナルの権利者から訴えられない限りは罪にならないって分かってるからこそやっちゃったんだろうけどさ。

今はネットが発達してどこにいても世界中の音楽が聴けるからバレちゃう可能性も高いけど、30数年前は、FAR EAST、「地球の果て」の日本の曲なんて、向こうの人はほとんどだれも聴かなかっただろうからさ、そういうこともやろうと思えばできたってことなんだろうね。どうせ向こうの人は誰も知らねーし・・っつう感じで。

件の「芳野藤丸自伝」で水谷氏本人も言ってらっしゃるけど、だから今にして思えば、結構乱暴な時代だったのよ、80年代って。
近年、中国を「やれ、パクリ大国だ〜」なぞと言ってる人たちが言えるかって感じだったわけなんだよね、昔の日本も。

もっとも、日本人の場合って、そういったサンプリングっていうフィルター工程を通して、オリジナルよりもクオリティが高いものを作っちゃうっていう「技」があったりするのが、ちょっとほかの国とは違うところなんだけど。。。

ちょっと話がずれたね。

 今回引っ張ってきた「ミステリーウーマン」って曲は、似てる似てるって言われている「夜明けのランナウェイ」からパクった・・・・・うんにゃ、サンプリングしたっていうことを、正式にカミングアウトされてはいないようだから、本当にサンプリングしたのか、作っちゃったら、たまたま似ちゃったのか・・・正確には謎のままなんだけど、「ZOKKON命」のことを考えると、限りなく「・・・」ってところなんだろうなぁ。

それが悪いのどうのこうのって今更言及するわけではないんだけどね。なんせあれから35年も経っていることだしさ。 

ただ、個人的に違和感だったのは、この「ミステリーウーマン」って曲、もろ「洋楽」だったってことかなぁ。
昔の本の方のブログに「歌謡曲と洋楽の融合」っていうのがあったんだけど、まあ、それですわね。

っというか、歌謡曲と洋楽の融合なんて、この時に始まったことではなく、60年代の昔からあったわけでさ。 それこそ、筒美京平先生の曲なんて言うのは、もろそういう曲なんだけど。
それでも、それまでの洋楽の融合っていうのは、あくまで洋楽っていうフィルターを通した、新たな歌謡曲っていう感じだったんですよね。 洋楽の可能的な部分を圧縮して日本人の感性に合った感じに置き換えた曲っていうのかなぁ。それが70年代来の歌謡曲の本流だったんだよね。

でもさ、この曲の場合は、もろ洋楽だったんだよなぁ。 そこが違和感でねぇ。

というか、この時期、そういった曲が増えてきてたんだよね。 石川秀美さんのこの曲にしろ、そのちょっと後の早見優さんの曲にしろ、歌謡ポップスというよりも洋楽じゃんって感じで。

まあ早見優さんは向こう育ちだし、だから、洋楽の香りが強いほうがそれらしいっていうのわかってたんでねまだ違和感は少なかったけど、秀美さんはねぇ。。。

個人的には、もっとオーソドックスなアイドルポップスのほうが好きだったんだよな。 この84年で言えば年初めの「めざめ」、その前の曲の「スターダストトレイン」はよかったんだよなぁ。

ああいうオーソドックスな、メジャー系なミディアムアッパーなポップス。 良く言えば素朴な曲、ちょっと茶化せば「ダサい」曲ですわな。 でも、それが一番この人には合ってたような気がするんだよね。
 少しエスカレートしても、この曲の前の「熱風」かな。 「熱風」の作曲者の林哲司氏も洋楽志向寄りのエッセンスが強い作家のひとりだったけど、日本人嗜好は残した曲が多かった。 だから、それほどあからさまに洋楽っていう感じではなかったんだけど、この「ミステリーウーマン」くらいまで行っちゃうとあからさまだったからなぁ。

それでもこの曲、秀美さんの曲の中では、結構売れたんですよね。 売り上げ枚数13.8万枚っていうのは、いちばん売れた83年の「Hey!ミスターポリスマン」の15.1万枚に次ぐ売り上げだったし、オリコン最高5位っていうのも、この時点では自身の最高位だったしね。

個人的には、そんな状況にも疑問だったんだけどさぁ。



でも、今、冷静に考えると、時代はアイドルの楽曲も急速に洋楽志向に流れて行ってたんだよね。
例えば、次の年の河合奈保子さん「ジェラス・トレイン」なんかも、完全に洋楽だったしな。この曲は作曲が筒美京平氏だったけど、筒美氏にしても、それまでの洋楽の官能的な部分の圧縮というよりは、完全洋楽な曲も見据えてたってわけなんだよね。

そして、洋楽そのものをカバーした荻野目洋子さんの「ダンシング・ヒーロー」が大ヒットするのは、この曲から1年ちょっと後になる。



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アンサーソングは哀愁 / 早見優

1982_11_アンサーソングは哀愁_早見優


今回の1曲セレクトは、「アンサーソングは哀愁」早見優です。

まずはデータでする。

・タイトル      アンサーソングは哀愁
・アーティスト    早見優
・作詞        阿久悠
・作曲        馬飼野康二
・編曲        萩田光雄
・リリース日     1982年10月19日
・発売元       トーラス
・オリコン最高位  29位
・売上げ枚数   4.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 34位


あー、今回セレクトしてきた曲は、どう捉えたらいいんだろう? って言う曲なんですよね。
どうも、出だしのマクラがなかなか思いつかない。
そのくらいヒット当時、関わり合いが薄い曲だったんだよね。 ・・・うーん、関わり合いっていうのも変な表現だな。。。
単純に、あんまり聴いて無かったと言った方がいいのかな。

早見優さんの「アンサーソングは哀愁」。

花の82年組の1人っていうのは、ここ読んでくださってる殆どの方は周知の通りだと思うけど、そんな82年組の早見さんのデビュー第3弾がこの曲ですね。

「花の82年組」ということで、たくさんのアイドルが華々しくデビューを飾った訳だけど、第3弾シングルともなると、順調に伸びトップアイドル街道をまっしぐらのグループと、すでにネタ切れ・・・というか息切れ気味のグループと大きく分かれて来てたような印象があるな。

その中で、早見さんはというと、・・・・ 正直、82年組のトップグループの中でも、とりわけ存在感が薄いな・・・82年の秋も深まる今頃は、そう言う感じに今頃はなって来ていたような印象が強い。

それもこれも、第3弾シングルであるこの曲がジミ過ぎたっていうのが大きかったよなぁ。

確かに、同期の同い年くらいの他のアイドルよりも、見た目年上、やや大人っぽくは見えた。 
だから、少し子供っぽさが残るデビュー曲、「急いで初恋」はちょっとイメージと違うな・・って言う印象はあった。でも、第2弾の「Love Light」は、その辺りを修正してきたように思えたし、だから、個人的には「Love Light」って曲は好きだったんだよね。

そして第3弾のこの曲ですよ。たしかにミディアムの落ち着いた佇まいの曲調は、さらに大人っぽさを前面に出したような曲調ではあるけど、これはちょっと背伸びが過ぎるんじゃないか。

当時13歳のワタシでも、そう感じたな。

まあ、実際は、そんなオヤジっぽいストレートな批評感はさすがになかったけど、、なんか違うなって言う違和感は大きく感じてたんだよね。

曲だけ見るとこれがデビュー第3弾の曲とは思えない、デビュー5年目くらい、すでに20歳を過ぎた女性歌手が歌うような落ち着きがあるんだよな。

・・・なんか回りくどい書き方になっちゃったけど、簡単に言えば、ポップじゃないのよ、この曲。

同期の82年組の、少なくともトップグループの人たちは、みんなポップだっじゃん、曲調が。 
それなのに、この落ち着きだからさ。 まるで、早くもアイドル路線を諦めて歌謡曲路線の路線変更したかのような・・・。

あ〜、アイドル路線から脱落したか、残念だけど・・・

率直なところ、そう感じた部分が大きかったんだよ、個人的には。


それ以上に、この曲自体の問題ですよね。

今、手元に月刊明星付録の歌本「Young Song」の1982年12月号がある。

この「アンサーソングは哀愁」が新曲として掲載された号ですね。 

当然、お決まりの近田春夫氏の「新曲激評」の対象曲となっていたんだけど、こんときの近田氏のコメント


「あ、モロ「カサブランカ」と同じメロ。堂々としてるなァ。そもそも「アンサーソングは哀愁」ってタイトル、悪ふざけじゃん。これは日本歌謡界への皮肉だよね。こういう作家としてのメッセージがハッキリ出た曲を歌うのって、早見さんしんどいだろうねぇ」 (原文ママ)


そうなんだよね、 この曲、ジミとかポップではなく歌謡曲っぽい・・・と言う前に、Bertie Higginsの「Cassablanca」、まんまなのよ、曲調が。

あ、「Cassablanca」で分かんなかったら、郷ひろみ氏の「哀愁のカサブランカ」

近田氏が「アンサーソングは哀愁」ってタイトル、悪ふざけじゃんって言っているのは、曲調が似てる上に郷ひろみ氏の「哀愁のカサブランカ」をもじったようなタイトルだったからなんだけどさ。

いや、はっきり言ってワタシもこの近田氏のコメント通りと思ってたのよ。 これは、ちょっと悪ふざけじゃんっていう・・・。

ただ、当時・・・いや、最近まで意味が分かんなかったのは、「これは日本歌謡界への皮肉だよね。こういう作家としてのメッセージがハッキリ出た曲」っいう後半の部分。

これってどういう意味だったんだろう?   っていうのがずーっと引っかかってたのよ。
まあ、深い意味はないのかもしれないけど・・・。


でさ、この機会に、再度、自分なりにちょっと考えてみた。

で、浮かんできたのが・・・。

もしかしてさ、Bertie Higginsの「Cassablanca」って、郷ひろみ氏のカバーが決まる前に、早見さんサイドがカバーするつもりでいたんじゃないか・・・ってこと。

そう考えれば、1曲前の「Love Light」が外人の作曲だった意味も分かる。つまりさアイドルの王道路線ではなく、より洋楽ポップに向かうって言うベクトルだよね。

そう言う路線を画策していた時に、郷ひろみ氏のカバーが決まってしまった。
(ちなみに、郷氏のカバーは、当時ニッポン放送のアナウンサーだった、はたえ金次郎氏が郷氏サイドに売り込んで決まったとなっている)

相手はアイドルの大先輩でありアイドル界のスーパースター。こちらは一介の新人。
当然だけどダイレクトに抗議も出来ない。

そんな事があったがための抗議と言う意味をこめての「アンサーソングは哀愁」って曲でありーの、近田氏のコメント。

もちろん、これは、ワタシの妄想でアリ、事実であるかどうかは全く分からないんだけどさ。

でも、こう考えれば、 

・タイトルからして悪ふざけな事 
・メロディがモロ、「カサブランカ」な事
・近田氏が「日本歌謡界への皮肉だよね」と言ってる意味 
・そういう皮肉を込めた曲を派手にする訳にも行かず、ジミな曲にするしかなかった事

・・・など全ての流れの辻褄が合うような気がするんだよなぁ。


ただ、タイトルとしては、近田氏が言うように「悪ふざけじゃん」ってダイレクトに分かるんだけど、歌詞内容は正直良く分かんない。

大御所・阿久悠氏の作詞だけど、正直、最近まで阿久悠氏が作ったとは思わなかったもの。

♪ 奪われる 奪えない 奪うもの 奪え〜 ♪とかさ、国語文法の五段活用か  なんて思える、なんじゃこりゃ・・って言う歌詞だったりするし。。。

この曲を「リリース」する事が前提で、歌詞の内容はさほど重要じゃない・・・って言っているようにも思えたりしてさ。

尤も、阿久氏は、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」の♪ リンリンリリン〜♪ などのように「擬音」を歌詞に多用したりするところもあったりするんで、五段活用的な歌詞も、ある意味阿久氏らしさと言えるのかもしれないけど。。。



この曲のような地味な展開もあり、一時はアイドルとして死んだ・・・と思えた早見さんだっただけに、次の年の「夏色のナンシー」は、アイドルとして起死回生、一発逆転ホームラン的なインパクトがありましたね。

洋楽路線とはならなかったものの、そんな早見サイドの方向性を感じ取り、第2の南沙織にしようとした、筒美京平ってヒトは、やっぱり天才なんだな・・・と思わずには居られなかったよな。


ちなみに、当時は、ジミーで触手が伸びなかった、この「アンサーソングは哀愁」も、今はいいんだよね。
ワタシもそれだけオヤジになり、ポップな曲よりもシブい曲の方が安心できるようになったって事なのか。。

いや、その前に、今となっては完全に忘れ去られている、この曲は手垢が少ないってことで、それだけ、未だに新鮮に聴けるって事が大きいんだろうな。
早見さんって言ったら、みーんな判を押したように「夏色のナンシー」とか「誘惑光線クラッ!」などばっかなんだもん。 今となっては、この曲なんかセレクトするヒトってほとんど居ないから。。。。


あ、それから、どーでもいい事なんだけど、↑で引き合いに出した、「Young Song」1982年12月号の新曲激評には、同じく当時新人だった原田知世さんの「ときめきのアクシデント」の近田氏の評があるんだけど、この時の評が「ひでぇ下手な歌だな。これじゃ作家のヒト怒るぜ。」とバッサリ。
今だったらネットで炎上ざたのようなコメントだけど、当時は、これはこれで見方の一つとして「アリ」だったんだよね。


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渚 / スピッツ

1996_10_渚_スピッツ


今回の1曲セレクトは、「渚」スピッツです。

まずはデータです。

・タイトル      渚
・アーティスト  スピッツ
・作詞      草野正宗
・作曲      草野正宗
・編曲      笹路正徳 スピッツ
・リリース日   1996年9月9日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  83.9万枚
・オリコン最高位 1位
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1996年9月23日〜11月4日付
・タイアップ:江崎グリコ「ポッキー」キャンペーンソング

思いもよらぬ、金曜日の千葉・豪雨被害。 この間の台風19号から何日も経っていないっていうのにまたですわ。まさか・・・ですわな。
今回も、ウチの市内のいくつかの河川で氾濫、土砂崩れで亡くなられた方が出た訳で。。。
被害に遭われた方には、ホントお見舞い申し上げます。

今回もワタシのところは特段の被害が無かったのは幸い。 でも、今回の被害を見ると、竹やぶの斜面でも崩れる事があるって事が分かったんだよね。ウチの脇も、竹林の斜面になってるんだけど、竹は根が深いんで、そうそうは斜面が崩れることは無いと思ってたんだけど、今回の事例を見ると安心できませんね。



今回の豪雨で大規模氾濫した河川の一つに佐倉の鹿島川がある。 ウチからは全然遠いんだけど、この河川敷の道は、昔、良く通ってたんだよな。

まだ音楽の業界に入る前、環境衛生管理の会社にいた頃、佐倉周辺に担当現場をいくつか持ってて、会社の営業車でよくとばしてたんだよ、この辺り。

そんな見覚えのある風景も、今回の氾濫で一面冠水。 ついこの間、寝過ごして佐倉まで行ってしまった、駅のホームまで水が来てたもんなぁ。ちょっと絶句な光景だったな。


・・・かなり湿気っぽい内容になってしまった「マクラ」だけど、 今回の引っ張ってきた1曲。

スピッツの「渚」

なぜに、この曲なのか。

この曲を聴くと、↑で書いた環境衛生管理会社の営業車で佐倉周辺を飛ばしてた時の光景がいつもフラッシュバックするんだよな。

あれはいつだったんだろ? たしか、まだこの曲がリリースされるちょっと前、1996年8月の終わりごろだったと思う。

良く晴れた夏の終わりの午前中。 佐倉の国道296号、鹿島川にかかる橋を渡る前後の風景だ。
あの当時は、今のような立派な橋じゃなくて、小振りの赤い橋だった・・ような気がする。それで印象に残ってるんだよな。

そう、あの瞬間、ラジオからこの曲が流れてたんだ。 それが、確か初めてこの曲を聴いた時だったんだと思う。

いや、この時初めて聴いたって言うのは、厳密に言えば違うな。  あの時点で、既に「ポッキー」のキャンペーンCMでこの曲が頻繁に流れてたんだ。 だから、サビだけは聴き覚えがあったんだけど、曲全体を聴いたのは、この曲初めてだったんだと思う。

良く晴れた夏の午前中の白い陽光と窓を全開にしてた車内に吹き込む風の匂いに、この曲の爽やかな曲調が、めっちゃマッチしてたんだよ。

あ〜、今回の曲もいい曲だ・・・って思ったのを覚えてるなぁ。


BUT、あれから23年経った今でも、ついぞ、この曲の音源が手元にある事は無かったワタシだったするんだよな。。。

たしか、この曲がリリースされてちょっと経った頃に、当時、会員だった地元のレンタルCD屋(TSUTAYAではない)にこのCDを借りに行ったら全部貸し出し中。 それで少し待とう・・・と思ったらそれっきりになっちゃったような気がする。

・・・いや、これは直接的な理由。

でも、本当のところは、ちょっと時間が経って、うーむ、音源を借りて手元に置いておかなくてもいいかな・・とも思えてきたのが本当の理由だったかもしれない。

なんて書くと、↑の「今回もいい曲だ」って事とムジュンするんだけどね。


たしかに最初はいい曲だと思ったんですよ。 でも、どこか引っかからない部分があったんだよなぁ。

96年の秋ごろって、「濃い味付け」の曲が結構、多かったんだよね。 ポケットビスケッツの「YELLOW YELLOW HAPPY」に、相川七瀬「恋心」、Puffy「これが私の生きる道」・・etc。

音質どがえしだけど、めちやくちゃ音圧が高くて、それでいてキャッチーな曲。 一度聴けば、その世界にどっぷりと引き込まれるような・・・。

個人的に、そういう曲に傾倒して行った部分が強い。 今でも1996年秋っていうそう言う印象が強いし。

それに比べると、この「渚」って曲は、インパクトが薄いんだよね。 

インパクトが「弱い」いんではなくて「薄い」んですよ。 味付けで言えば、ポケットビスケッツの「YELLOW YELLOW HAPPY」が、天下一品の「超こってりラーメン」だとすれば、この曲は、関西京風の「あっさりうどん」なんですよ。

インパクトが薄いっていうのは、結局のところ音数が少ないって言うところが大きかったんだろう。 スカスカと言う訳でないけど、当時としては、良く言えばかなり「すっきりとした」曲だった印象が強い。

加えて、スピッツと言えば、いつもどこか懐かしい・・・、昔どこか聴いたようなって言う部分、そうノスタルジックなインパクトが最大の特徴だった訳なんだけど、この曲は、そういうノスタルジックさと言う部分が今一つ弱いんだよね。

浮かんでくる絵は、子供頃の・・というよりも、96年っていう「今」な絵面だったりしたしさ。

そう言う部分にも触手を伸ばすのにちょっと躊躇した部分だったかもしれない。

でも、結局のところは個人的に当時の好みから言えば、「超こってりラーメン」の方が良かったってことなんだよね。

いや、個人的にというよりも、ウレセン的にも、そういう超こってり系な曲に傾いてきてたと思う。

ちなみに、上に書いた3曲は、いずれも96年秋の「ミリオンセラー」曲。

それに対して、この「渚」は、90万弱とミリオンに届かなかった。 この曲の前作の「チェリー」が160万の超ミリオンセラーだった事に比べると、一気に半分に売り上げが落ちちゃったことになる。

そんな比較からも、この頃のウレセンの変化が分かるんじゃないかな。


でもまあ、それはあの当時の世間の空気感って言うのも大きかったんだろうな。 
あれから23年が経って、今、この曲を聴くと、あの当時はまた別の感覚で聴けたりするしね。

年をとって、「超こってり系」に胸やけがするようになったのもかもしれない。逆に「京風のあっさり味」を好むようになったからかもしれない。
プラス、「京風のあっさり味」も、よくよく味わってみれば、味わいと言う面で奥が深いって言うのも分かったんだよね。

兎も角、今になって、手元に音源が無い事を悔いてたりするワタシでもあるんだよね。

さてと、スピッツのベスト盤をTSUTAYAから借りるとするか。。。






ちなみに、スピッツの最新アルバム「見っけ」。
これジャケットがいいよね。 おねーさんの表情が。。
   ↓
見っけ

いや、ジッケットだけじやなく、収録曲もなかなか良い。
さっきラジオでも流れてた、「ありがとさん」。
この曲、MVそのままに70年代中盤の邦楽ロックの様相が強かったりするな。ちょこっと70年代フォークの匂いがしたりして、個人的には懐かしい香りがする。
なんかムジュンするんだけど今回書いた「渚」よりも、こっちの曲の方が曲想は古いんだよね。
でも、だからこそ、個人的にはしっくりきたりして。。。。




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埠頭を渡る風 / 松任谷由実

1978_10_埠頭を渡る風_松任谷由実


今回の1曲セレクトは、「埠頭を渡る風」松任谷由実です。

まずはデータです。

・タイトル     埠頭を渡る風
・アーティスト  松任谷由実
・作詞       松任谷由実
・作曲       松任谷由実
・編曲       松任谷正隆
・リリース日    1978年10月5日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 71位
・売上げ枚数  1.9万枚

急に寒くなりましたね。 ワタシ、布団は、まだタオルケット1枚なのよ。 いやいや、さすがに昨夜は寒かった。
いい加減、掛け布団出さなきゃ・・・ってところなんだけど、掛け布団、出して1度天日で干さないと、若干湿気っぽいんだよな。
本来なら、祝日だった今日とか布団干ししたかったんだけどねぇ。。雨ではねぇ・・・。
・・かといって、湿気っぽい布団で寝る気にもならず、今日もタオルケット1枚で寝ることになるんだろうな。。。。

・・・ということで、こう、寒くなって来ると、ちょっと温度感が低い曲を聴きたくなって来る。

なんじゃ、温度感が低い曲っちゅうのは・・・  ってところなんだけども。。。

単純に秋っぽい曲・・・ではなく、ちょっと寒風を感じる曲って感じかなぁ。 特に今日のように、雨からどん曇りの暗い1日だった今日のように日には。。

・・ということで、引っ張ってきた曲

ユーミンの「埠頭を渡る風」

いやいや、前回の1曲セレクトは、三善英史さんの「雨」だったのに、今回はユーミンですかい

なんですか、この落差は・・・・

なんて言われそうだけど、このゴッタ煮状態が、1曲セレクトのいいとこなんですよん    

・・・・なんて自画自賛したりして。。。

個人的にこの曲のイメージってモノクロなんですねぇ。 初めて映像込みで聴いた時の映像がモノクロだったのかなぁ。 その辺は覚えていないけど、兎も角、この曲を聴くとモノクロの映像が浮かんでくる。

場所は横浜。赤レンガ倉庫から大桟橋あたりの風景。

どうもね、ヒット曲→港・・って言う風景だと、いつもあの辺の光景が浮かんできてしまう。 

河合奈保子さんの「愛してます」とかね。 まあ、この曲の場合、歌詞にダイレクトに「横浜」ってあるんですが・・・。

でも、この曲から浮かんでくる景色も同じなんだよなぁ。 ただ、河合奈保子さんの「愛してます」がカラーの風景に対して、この曲は絶対的に「モノクロ」なんだよね。

それだけ古さを感じる・・・と言う訳ではなく、それだけ大人の情景を感じるんだよね。「シック」なんですよ。

・・・なんて、この曲の舞台は、あくまで横浜って言うワタシなんだけど、実際は東京の「晴海ふ頭」をモチーフにした曲のようですねぇ〜。

うーむ、晴海ふ頭ねぇ・・・。     個人的には、晴海ふ頭って言うイメージは、あんまり浮かんでこないんだけどなぁ。。。

どうもね、個人的にヒット曲から浮かんでくる風景と、作詞者が実際にモチーフにした風景がずれてる曲があったりするんだよなぁ。

例えば、東京JAPの「摩天楼ブルース」ってあるじゃん。そそそ、きょんきょんが主役だった「少女に何が起こったか」の主題歌だった曲。
あの曲、モチーフは、絶対に新宿の高層ビル街だと思ってたの。 でも、作詞の売野雅勇氏曰く、モチーフは横浜だったんだってねぇ。 いや、全く横浜なイメージは無かったんだけどなぁ。

なんか、今回のユーミンの「埠頭渡る風」も含めて、全く逆なイメージを持ってたような感じの私なんですけど。。。

でも、この曲が個人的に横浜っぽく感じたのは、多分に曲調にある様な気がするんだよな。

この曲ってもろ、フィラデルフィアサウンドじゃん。 

この曲からモノクロのイメージを感じたのは、ココ・・・フィラデルフィアサウンドってところなんだろうな。

まあ、あくまで個人的なイメージなんだけども、フィラデルフィアサウンドって、どこかモノクロに感じるんだよね。
色が無い・・というわけではなく、あくまでアメリカ東海岸のイメージからそう感じるんだろう。
ウエストコーストの温暖で明るいイメージとは逆に、東海岸てうっすら寒くて暗いイメージがあるんだよね、個人的に。 そんなイメージからモノクロさを感じるのかもしれない。

下敷きは、The Stylisticsの「Can't Give You Anything (But My Love)」(愛がすべて) あたりなんじゃないのかなぁ。  

めっちゃメジャーな曲だし、ユーミンのダンナたる方が、こんな誰でも知ってる曲を下敷きに持ってくる訳無いような気もするけど、ブラスの使い方、特にトロンボーンのフレーズが似てるんだよなぁ、「愛がすべて」に。
なので、どうしても、そう言う目で見てしまうワタシがいたりして。

でもさ、逆にだからこそ、この曲についつい、耳が行ってしまうワタシがいたりもするんだよな。

・・・というのも、The Stylisticsとかさ、この辺のフィラデルフィアサウンドが、実はワタシの音楽の原点の一つでもあったりするのよ。
 
ここでも何回か書いたことあるんだけども、邦楽ヒットに足を踏み入れる前は、ポールモーリア・フリークだったワタシなんだけども、かたや、70年代中期のアメリカンヒットも聴いてたんだよね。

件にもれず、当時、オヤジの車のカーステで頻繁に流れてた8トラックカセットに、76年頃のアメリカンヒットがあってさ、その中に入ってたのよ、The Stylisticsなんかのフィラデルフィアサウンドの曲が。

だから、その辺の曲がワタシの音楽の血肉の原点でさ、中学校の時、吹奏楽部に入ったのもその辺の曲をやりたいって言う思いが強かったのかもしれない。

そういう経緯もあってか、ユーミンの曲の中でも、個人的には、この曲好きなんだよなぁ。

まあ、セールス的には全く売れなかったけどさ。 78年当時のヒット界の状況を考えると、先端の音楽をやってたよなとは言える。

って書くと意外かもしれないけどさ。  

だってさ、ブラスにストリングスなんて、当時の歌番組のバンド編成をみたら、当たり前の編成だし、そんな歌謡曲いっぱいあったじゃない!? ・・・ってところだけども、それを「ユーミン」っていう一個人でやっちゃうのがすごいんだよね

簡単に言っちゃえば、金のかけ方が違うんだよね。  

これだけの大編成ともなれば、ミュージシャンのギャラだけでも大変な額になるはずでさ。
しかも、この曲のレコーディングミュージシャンがすごいのよ

Dr.    林立夫
B.     高水健司
E.G    鈴木茂
Key.   松任谷正隆
Per.   斉藤ノブ
Tp     羽鳥幸次 数原晋
Tb     新井英治
Sax   ジェイク・H・コンセプション
Fl      衛藤幸雄 西沢幸彦 
Strings    TOMATOグループ
etc

件の「ニッポンの編曲家」で紹介されている一流ミュージシャン、全員集合って感じじゃん。

 ビジネス的にそろばん勘定すれば、ココまでの一流ミュージシャンが集合した大編成曲は、よっぽど大ヒットが見込めない限りはやらない・・・いや、やれないハズなんだよ、一介のアーティストでは。

少なくとも当時のロック・ニューミュージック系のアーティストでは、やりたくてもやれないような楽曲。 そう言う意味で先端の曲と言えると思うんだよね。

もっとも、バックにタイアップのスポンサーがついてたり、メジャーなプロダクションがついてて豊富に製作費がつく曲ならともかく。。

この曲の場合、リリース当時は、あくまでアルバム「流線型'80」の先行シングルということだけで、大きなタイアップがついていた訳ではないから。

しかも、当時のユーミンって、アルバムを含めてセールス的に苦しんでた時期なんだよね。 
デビュー以来現在までの47年間の中でも一番苦しんでいた時期と言ってもいいかもしれない。
この曲の↑のデータでも分かるように、この曲なんて2万枚も売れなかったんだから・・・。あのユーミンが。。
まあ、アルバム収録と言う事で、実際のところそれほど深刻ではないけど、シングルだけの売り上げの数字だけ見たら大赤字ですよ。
70年代中盤、「あの日に帰りたい」の荒井由実時代も過去のモノになりつつあったこの時代。 
製作費も縮小っていうのも、やむを得ないハズなのに、この曲のような大編成なわけだからさ。

この辺り、80年代の栄光を見据えた、つまりは先行投資というべきか。
それが、「流線型'80」なんていう、あたかも栄光の80年代を予感させる様なタイトルのアルバムに収録されているって言うのが、如何にもユーミンらしいんだよな。

でもさ、ユーミンが常々口にしてる、貧乏くさい音楽はキライだしやらない・・・っていうのは、結局はこういう事なんだろうね。




しかしねぇ、レコード制作での金のかけ方と言う事で、ユーミンの右に出るものは居ないような事を↑で書いちゃいましたけど、ユーミンを上回る人が一人いましたね。

大滝詠一氏。

「A LONG VACATION」での製作費は一体いくらかかったんでしょ・・・ってくらい湯水のごとく製作費をつぎ込んだ1枚ですから。。。
なんせ「君は天然色」のアコギだけで4人も使ったって言うんだから・・・・。
今じゃ、逆立ちしてもあり得ないですね。

それだけ当時の業界は景気が良かったし、みんないい曲作りたいっていう気概があったんだろうな。




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雨 / 三善英史

1972_11_雨_三善英史


今回の1曲セレクトは「雨」三善英史です。

まずはデータでする。

・タイトル      雨
・アーティスト    三善英史
・作詞        千家和也
・作曲        浜圭介
・編曲        近藤進
・リリース日     1972年5月25日
・発売元       ビクター
・オリコン最高位 2位
・売り上げ枚数  58.8万枚
・ベストテンランクイン期間:1972年10月2日〜1973年1月8日付

先月の台風15号に加え、先週の台風19号と、雨風に悩ませ続けている今日この頃。被災した皆様にはお見舞い申し上げます。
かくいう私も、家は「千葉」なんで、この間から雨風の影響を受けて来ているんですが、ウチは台風15号の「暴風」でカーボネイト製のベランダ屋根が飛ばされたのと、それが飛ばされた時に当たった見とられる雨どい1つが壊れただけで済みました。
ベランダの屋根と言っても、日よけ屋根なんで、飛ばされたからと言って雨漏している訳ではなく、生活に支障をきたしていないのが幸いと言うところなんですが。。。

で、また今週も昨日、土曜日が雨。

秋の長雨のシーズンといえば、そうなんだけども、もう雨はいいわ っていう気分にどうしてもなりますね。

そんな気分が大半を占めている今日このごろ。 頭の中でグルグルとヘビロテで流れている曲も自然と雨の曲が多くなっていたりして。。。

・・ということで、今回は、そんな昨今頭の中でヘビロテで流れている中の1曲を一つ。

三善英史さんの「雨」。

個人的に、この曲いつ覚えたんだろ? リリースが1972年なんで、当時、ワタシは3才。 

いつ、どこで、初めて聴いたのか・・・全く記憶にありません。 まあ、当然なんですけどね。

3才にして、初めて聴いたのはいつ、なんの番組でした・・・なんて言える方が怖いわけで。。。

でも、後年1980年代終盤、TBSの「テレビ探偵団」を初めとして、「懐かし番組」を振りかえる特番や、レコ大30周年記念、 日本歌謡大賞特別企画で、この曲が紹介された時には、既に、この曲知ってたんだよね。

まあ、1コーラスまるまる覚えてた訳ではなく、断片的に知ってたんで、恐らくはヒット当時、どっかで聴いてたんだろうな。

特に、出だしの ♪ 雨に濡れながら〜 ♪ っていう高音から下る、キャッチーなメロディライン
それに併せ Em → C とマイナーからメジャーに転換するサウンド 

この独特のサウンドがキモ中のキモだと思うんだけど、あのメロディラインは一度聴いたら忘れられないんだろうしな。

必然的に雨の情景が浮かんでしまう。 

このフレーズだけを切り取ってみるとフレンチポップスと言っても過言じゃ無いよね。

いやこのフレーズだけではなく、イントロの2小節のガットギターのアルペジオも如何にもフレンチポップスっぽい。

 雨・・と言っても、この間の台風のような「豪雨」と言う訳ではなく、シトシトと降る優しい雨って言うイメージですね。如何にも日本的な情緒漂う雰囲気の。

そう言う意味では、同じくフレンチポップスである、ジリオラ・チンクェッティの「雨」とは好対照的なイメージですね。
(ちなみにジリオラ・チンクェッティの「雨」は、後年、まっち先生の「スニーカーぶる〜す」の下敷きになった曲だが。。)


そう言うイメージが強いからか、この曲、リリースは1972年5月なんだけども、実際的にはランキングの上昇スピードは遅く、ベストテン入りしたのが、秋の長雨のシーズンの10月とリリースから5カ月も要している。
いわいるジワリ型のヒット。

まあ、当時はこういう曲が当たり前のようにあった訳で、この曲特有のと言う訳ではない。ただ、ベストテン入りしたのが秋の長雨シーズン。
この時期にヒットが加速したのは、やはりシトシトと降る秋の長雨っていう曲のイメージが、多くのヒトの心をつかんだんでしょうかねぇ。

 実際、リアルタイムでこの曲のヒットを追いかけていた訳ではないんで、その辺の詳しい経緯は想像するしかないんですけどね。
チャートアクションとして順位が上がってきたのが、今頃だったからって言う後付の部分が大きいからねぇ。

正直、個人的に、この曲って「梅雨」って言うイメージがずっとあったんだよね。 ヒットのピークも梅雨の長雨シーズンかなって思っていたぐらいだったし。。

全体的に優しくソフトなイメージがある曲だけど、温度感としては梅雨の頃のそれなんだよね。 決して秋の長雨の肌寒さは感じると言う訳ではない。


ただ、言える事はチャートが上昇傾向を見せた時期と、各音楽祭と重なったって言うのは、ヒットをさらに大きくしたって言う部分がるあるんじゃないのかなぁ。

この曲、三善英史氏のデビュー曲なんですよね。 
デビュー曲にしてチャート上位進出ということで、この年の各音楽祭の新人賞を総なめにしてたんでね。

・・と言う事は、自ずからテレビ露出が増える。 それがさらにヒットへ拍車をかけたともいえるんですよね。

少なくとも当時のオリコンのランキング推移を見ると、そんな事が想像できるんだよね。

ちなみに、オリコンでは1972年11月6〜13日付で2位まで上がったこの曲だけど、ついぞ1位にはなれなかった。

丁度、この頃、1位を驀進していたのが、宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」。 そそそ、売り上げ枚数320万枚。「〜たいやきくん」が出てくるまでの3年間、オリコンシングル売り上げ1位を記録。 しかも16週連続1位っていうのは、あれから47年経った今でも破られていない金字塔。

そんなモンスター曲の、2週目、3週目の1位というもっとも「アブラ」がのった時期のパッティっんぐということで首位獲りとはならなかった訳なんですよね。



最近、70年代、 特に70年前半の曲のときに「4-7抜き」のメロディラインって言う事を良く書くんだけども、この曲も件にもれず、「4-7抜き」だよなぁ。
いや、逆に、だからこそ如何にも70年代を彷彿させる・・というか、あの頃特有のメロディラインなんだよな。

邦楽特有の情景感というか、洋楽っぽいところは、↑の出だしのメロディラインを除いては、全般的にあまり感じられない。
曲全般を俯瞰してみれば、日本的な「和」を感じさせる部分の方が強い。

・・かといってコブシが強烈に唸る、ド演歌と言う訳でもない、これがまぎれもない「歌謡曲」の王道なんだよね。
和でもない洋でもない楽曲。それが歌謡曲。

それでも「和」を感じさせる部分が強いだけに今だったら、100%「演歌」って言うジャンルに入れられるだろうけど、 当時は、これでも一応はポップスの部類だったんだけどさ。

当時、ゴリゴリの正統派ロックに対して、 ちょっと優しい雰囲気のロックにソフト・ロックというジャンルがあった。後年のAORとではも言いますかね。

そういう概念に当てはめれば、ド演歌に対して、ソフト・ポップスとも言えなくもない。 かなりゴーインな見方ではあるけども。

でも、この手のメロディ、サウンドは70年代前半、少なくともニューミュージック的なサウンドがヒットチャートを席巻するまでは、日本のヒットチャートのメインストリーム、そそそ「ウレ線」だったで、これでも立派なポップスだった訳なんだよね。

・・とは言うものの、実際的には、↑で書いたように「ぴんからトリオ」のような「ド演歌」の方がレコード売り上げ的には上だったんだけどもさ。。。。



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BELOVED / GLAY

1996_10_BE LOVED_GLAY


今回の1曲セレクトは「BELOVED」GLAYです。

まずはデータです。

・タイトル    BELOVED
・アーティスト  GLAY
・作詞      TAKURO
・作曲      TAKURO
・編曲      GLAY、 佐久間正英
・リリース日   1996年8月7日
・発売元     プラチナム
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  84.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1996年8月19日〜10月21日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「ひと夏のプロポーズ」主題歌

個人的に「1曲セレクト」と言う形で、過去のヒット曲、それぞれ1曲、1曲のレビューを書き始めてから、かれこれ14年位になるんですかね。

何回かココでも書いた事があるんだけども、今でこそ「Livedoor Blog」でレビューを一般公開してるんだけども、Livedoor Blogに書くようになってから、まだ4年なんだよね。 それ以前はmixiに書いてたんだよ。それが2005年から。ちょっと調べてみたら2005年8月から書いてるんだよな。

当初は、mixiで繋がっている、いわいる「マイミク」中心にあくまでmixi会員向けだけに、「閉鎖的」に書いてたんだけどさ。だから、かなり好き勝手に書いてたし、「内容はないよー」な感じだったんだけどさ。

まあ、「内容はないよー」な部分は今も変わってないけど。。。。

でも、いろいろコメントいただいたり、意外と好評だったんで、ちょっと色気づいたんだよな。
「会員縛り」の壁を突破らって、広く一般公開したくて2015年1月にLivedoor Blogに移設した訳なんだよね。

でも、ココとは別途に自主運営しているサイト「THE HITCHART NOW AND THEN」は、サイト開設時から縛り無しに一般公開した訳だし、楽曲レビューもそうしたいって言う思いは当初からあったんだけどさ。

一から始めて、そこから広めて行くツラさっていうのは「THE HITCHART NOW AND THEN」の時で分かってたし、そもそも曲レビューって、1曲書くだけでも結構エネルギーが要る。 内容的にはテキトーでも一から書く訳だからさ。
だから、いつまで書けるか分かんなかったしね。最初は、身の回りの「トモダチ」だけに公開してたったのはある。 

ま、一種の「逃げ」でもあるんだけどさ。 ある程度勝手知ってる近しい方たちに向けて発信すれば、お義理でも反応いただけるところもあるし、だから、こちらも気分良く、何より気楽に書けるって言うところはある。 それもあって、当初は毎日ほぼ1日も休まずに書き続けたってのもあるんだよね。
 
ただ難儀なことに、それじゃ気が済まないって性分なんだよなぁ。
分かっていても、敢えて苦しい道に行ってしまう。

まあ、良く言えばブログでもなんでも、こちらから、垣根無しに公開したいっていう欲求って言うんでしょうかねぇ。
根が「目立とう精神」なんだろうね。

・・というか、ネットって垣根無しに全世界に向けて情報を発信するもんだよね・・・って言う認識でネットを始めたんださ。 誰誰に向けた・・・っていう縛りがある発信は、どうもダメですね。

だから本来はメールも好きじゃないし、LINEも好きじゃない。 誰誰に向けたって言う発信先の縛りがあるんで。



・・・なんてどうでもいい事をツラツラかいてたら、前置きがめっちゃ長くなっちまった。。。。

えー、結局言いたい事は、1曲セレクトは14年位書いてるんだけども、まだ1曲も書いて無い「ビッグ」アーティストがいるのよ・・・って事なんだけども。。

GLAY

90年代後半 ベストアルバム「REVIEW」が約500万枚っちゅう、超絶的な売り上げを記録し、まさに時代の寵児であった、稀代のビックバンドにも関わらず、まだ1曲も書いていない。

理由はいくつかあるんだけどね。

Wikipediaにも記述があるけど、このヒトたちの曲スタイルが、80年代終盤のBOOWYを中心としたニューウェイブ系のフォロワー的なサウンドであったこと、それとビジュアル的に、「ホストクラブ」のやんちゃなお兄さんって言う匂いを感じたところが相容れなかったんだよな。

まあ、単純に言えば、生理的に合わない部分があったんだよ、ブレイクしてから暫く後も。

そんな所から、ブレイク後暫くは、殆ど聴いて無かったし、生理的に受け入れらけるようになってからも、それほど深く掘り下げて聴いていないところもあるんだよね。だから、今まで意識的に引っ張ってこなかった訳なのよ。

でもね、15年も書いて来ると、過去曲の資源も「枯渇」してくるし、それじゃイカン・・・っちゅうことで、今後はGLAYの曲も書いて行こう・・と、そう思った次第な訳ですわ。

ただ、どの曲から書いて行くか・・これが問題で、それでもしばらくは書けないていたんだけども、やっぱ、個人的にGLAYと言うヒトたちを意識しだした、この曲から行くか・・ということで、今回はこの曲

「BELOVED」



GLAYの実質的なブレイク曲は、この1曲前の「グロリアス」。この曲で初めてオリコンベストテン入り。売り上げも、いきなり50万枚オーバー。

通常ならば、この「グロリアス」でGLAYと言う存在に気にする筈なんだけども、個人的に、この曲は全くの素通りだった。 いや、当時bay fmで放送していた「パワーカウントダウンHOT30」を聴いていたんで、何回か聴いてはいるはずだ。

でも、今になってはほとんど記憶外だし、手元に音源もないことから素通りだった訳だ。

理由は、まあ、↑に書いた通りで、80年代ニューウェイヴ系のフォロワー的なサウンド要素が強かったところが、当時としては生理的に合わなかったんだろうね。

その上での、この「BELOVED」。

当初は、「グロリアス」と同じような感覚があったのは覚えている。 

ただ、この曲、TBSの「金21」ドラマ・・・いわいるTBS「金ドラ」の一つ前のドラマ枠ですね・・・の主題歌と言う事もあり、ロングヒットだったんだよな。

「グロリアス」を素通りしたワタシは、後年、この曲がGLAYのブレイク曲だったとずっと思ってたからさ。
実際、この曲で初のオリコンベスト3入りを果たし、売り上げも90万枚近くまで伸びたしね。

CD売り上げが今から思えば考えられないほど高水準だった1996年当時でも、90万枚の売り上げは大ヒットに値する数字だった。 
80年代の50万枚程度のヒットがこの頃の80〜90万枚・・・そう言う感覚だったんだよね。

逆に言えば、1曲前の「グロリアス」は売り上げが60万枚だったけど、そこまでの大ヒットと言う感覚は薄いんだよ。

この曲がそこまで売り上げが伸びたのは、予想外にロングヒットだったってことに他ならないと思うのよ。
やはり、当時はドラマタイアップ・・とくにTBSの金曜ドラマの影響って大きかったんだよな。

ややアダルト層ターゲットの22時〜の「金ドラ」に対して、20代前半などの、やや若年層向きの「金21」ドラマは、最もアクティブなCD購入層ともリンクしてたんで、影響力はより大きかった訳ですわ。

だからこそ、この曲を耳にする機会って、当時多かったんだよな。 bay fmの「パワカン」以外にも、ラジオを流してると、当時、よくかかったんだよこの曲。

当然、ああ、いやだいやだ・・・と思いながらも、耳に入ってしまう。 

何度も繰り返し耳に入ってしまう事で、否応なしついつい耳に残ってしまう。
 
そうこうしているうちに、なんと無しに曲を消化した。

個人的には、そんな印象が強いんだよなぁ。 能動的に積極的にこの曲を覚えたって言う訳じゃ無いんだよね。

いや、GLAYの曲って、この後の一連の大ヒット曲にしても、そう言う曲が殆どなんだよ。 個人的に、「いいな、コレ」って自分から進んで聴いたのは、98年の「SOUL LOVE」ぐらいじゃ無かったかなぁ。




このヒトたちのサウンドが80年代のニューウェイヴ系のフォロワー的だったっていうのは、プロデューサー佐久間正英氏の影響っていうのが、多大にあるんだろうな。

80年代後半のBOOWYは勿論、前衛的なアーティストのプロデュース歴が長かった佐久間氏ゆえ、こういうサウンドになったのも必然だったんだろう。

ただ、それ以前に個人的にGLAYってヒトたちの音楽に今一つのめり込めなかったのは、勿論、↑で書いたようにビジュアル的なところもあるんだけど、このヒトたちの音楽に対する真面目さなんだろうな。

このヒトたちって真面目なんだよ。その真面目さがストレートに音に出てくるじゃん。 聴いてるこっちもキチンと正座して聴かなきゃ・・・って言う気分になって来る。軽く聴けないんだよね。だから、聴いてると疲れるってところがあるんだよ。

個人的に音楽に対して不真面目なアーティストは嫌いだけど、真面目すぎるって言うのもキツイ。

もっと、気楽に・・というか、雑に音楽やってもいいのに・・と思えてしまう。

でも、音楽に対してそういう態度は許せないんだろう・・・って言うのがひしひしと伝わって来るんだよ。

だから、ポップなアッパーチューンでも、真っ直ぐな曲になるじゃん。

これはフロントマンのTERU や TAKUROの普段の性格からしてそういうところがあるんだろうね。

あ、これは、GLAYだけではなく、この時期BIG3バンドとして躍進した、LUNA SEAにしても、ラルクにしても似たような感覚を覚えるんだよね。

この時期、このヒトたちの曲に深入り出来なかったのは、そこが大きかった気がするな、今思えば。

当時20代後半。既に「社会人」として働き、仕事に対するストレス、悩みも大きくなってきてたワタシとしては、もっと気楽な曲が聴きたかったんだよね。
だから、今、手持ちの96〜98年頃の音源にはお気楽な曲が多いんだよな。




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ドール / 太田裕美

1978_09_ドール_太田裕美


今回の1曲セレクトは、「ドール / 太田裕美」です。

まずはデータです。

・タイトル     ドール
・アーティスト   太田裕美
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1978年7月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 22位
・売上げ枚数   9.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

大々的にと言う訳ではないですが、太田裕美さんが「乳がん」告白と言うニュースが、先日からネットに流れてますね。
7月に手術、8月から抗がん剤治療を開始しているとのこと。
年齢的にと言う事もあるのかもしれないけど、太田裕美さんあなたもか・・って言う思いもあるなぁ。
来年春までのスケジュールが決まっているので、休養はせず歌いながら治療していくとのことで、現在のところ重度な症状ではないと思われますが、無理せずに治療して行って欲しいですね。

・・・ということで、今回の1曲セレクトも、太田裕美さんの曲で行きたい

・・と思ったものの、毎度毎度のことながら、今頃の太田さんのヒットでまだ、書いて無い曲が、あんまりないんだよな。。。。

9月なんで「九月の雨」・・・と行きたいところでもあるんだけども、何分、太田さんの代表曲の一つ。まだ書いて無いわけが無く・・・・。

うーん、 と考えた・・すえに、この曲でいいかな・・と引っ張ってきたのが、「ドール」


この曲、厳密に言えば、9月の今頃はは既にヒットのピークは過ぎてたんだよね。

リリースは1978年7月1日。 78年「夏」のヒット曲と言う事になる。 9月の今頃はヒットチャート上でも既にヒットのピークは過ぎ、オリコンでも「右ページ」(51位以下)まで下がって来ていたのが、丁度今頃の時期だ。

個人的には、既にピークは過ぎていたものの、まだオリコン30位くらいには残ってた頃かな・・・と思ってたんだけど、意外とタンパクなヒットチャートの動きだったんですよね。

まあ、最もオリコンでは最高22位 10万枚も売れなかったんでねぇ。


唐突だけど、太田さんと「ザ・ベストテン」というと、どうしても「不運」と言うコトバが付きまとってしまう。

ベストテンが後3カ月早く始まっていたら、当然、太田裕美も「ザ・ベストテン」ランクイン歌手の仲間入りだったのに。
いや、当初はそれが濃厚だったんだよね。 ・・というのも、もともと「ベストテン」は1977年10月スタートの予定だったんですよ。
でも、Wikipediaによると、ベストテンのランキング方式の意見の対立によりスタート時期がずれ込んだとある。
また、キャンディーズ解散にも密接に関係しているともある。
まあ、キャンディーズの解散コンサートの放送権はTBSが持っていた事もあり、いろいろ「大人の事情」が絡んでいたものとは思うが。。。

いずれにしろ、その事が、太田裕美には不運の一つだったんだよな。

1977年9月リリースの、件の「九月の雨」が36万枚の大ヒットとなったものの、次の「恋人たちの100の偽り」から、いきなり10万枚以下という大幅売り上げダウン。 もちろんオリコンでもベストテン入りはせず、以後、ベストテン入りには縁が無くなってしまう。

その中でも、今回引っ張ってきた「ドール」って曲は、その曲調からして、恐らくは売り上げ巻き返しの1曲だったのかもしれない。

作詞 松本隆  作曲 筒美京平

っちゅう、超ゴールデンコンビは変わりないものの、 それまでの太田さんのシングルでは見らなかったようなちょっと、とっぽい感じのアップチューンからも、起死回生を狙ったよな・・って言う意気込みは感じ取れるんだけどね。

でも・・・・、思ったほど売れなかったんだよなぁ。

賞味期限・・・と言っちゃ失礼だけど、以前も書いたように、一度売り上げが右肩下がり傾向に入ったアーティストを巻き返すっていうのは、並大抵のパワーじゃダメなんだよね。 その辺にアーティストマネイジメントの難しさがあるわけで。。

今、改めて曲を聴いても曲自体は悪くはない・・・。 というか、松本隆-筒美京平っちゅう、ヒット曲請負人の超ゴールデンコンビ、駄作な筈もない。

ただ、ひとつ、この曲の中国音階的、かつ、日本的情緒・・という、いわいる4-7抜き的なアジアンテイストな曲の味付けはどうだったんだろう? っていう疑問は残るんだよ。

個人的に、太田裕美さんと言えば、田舎の(←失礼)の素朴で、アジアンテイストというよりもヨーロッパ系が似あう、ちょっと綺麗なお姉さんって言うイメージ強い。

まあ、デビュー曲の゜雨だれ」、「最後の一葉」、「九月の雨」のようなヨーロッパ系、「木綿のハンカチーフ」「赤いハンカチーフ」のような素朴系 ・・・このイメージなんですよ。
「しあわせ未満」はカントリーががってちょっと毛色が違うけど、それでも素朴ではあった。

それら、それ以前のヒット曲からみても、この曲はちょっとテイストが違うんだよね。

そもそも、ヨコハマっていう土地柄や、中国音階っぽい味付けが太田裕美さんのキャラクターにあっていたんだろうか・・・っていうと、個人的にはちょっとしっくりこないところがあるんだよね。

この曲のすぐ後に、ゴダイゴの「ガンターラ」を初めとした、「西遊記」による一連のヒットから、アジアンテイストを持ってきた方向性が間違ってたとは思わないんだけど、あくまで太田さんにその方向性の曲があっていたかと言うところだよね。

まあ、これも後の結果から感じ事かもしれない訳で、それなりにベストテン入りほどのヒットらなっていたら、そうは感じなかったのかもしれないけどさ。

ちょっと肩に力が入り過ぎたのかな・・・っていうキライはあるな。 オーバープロデュースっていうかさ。 今は、そんな風に感じられるんだよね、この曲からは。




ちなみに、個人的に、この後、太田裕美さんの曲でしっくりきた・・というか、引っかかったのは80年の「南風」でしたね。
↑で書いたようにヨーロッパ系テイストの他、ウエストコースト風な「からっ」とした空気もあってるんだ・・っていうの発見だったな。



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海は恋してる / ザ・リガニーズ

1968_09_海は恋してる_ザ・リガニーズ


今回の1曲セレクトは、「海は恋してる」ザ・リガニーズです。

まずはデータです。

・タイトル     海は恋してる
・アーティスト   ザ・リガニーズ
・作詞       垣見源一郎
・作曲       新田和長
・編曲       ありたあきら
・リリース日    1968年7月1日
・発売元      東芝音工
・オリコン最高位 37位
・売上げ枚数   5.7万枚

昨日、車を飛ばしつついつものように、FM東京「山下達郎・サンデーソングブック」を聴いてたら、The Amarriesの「From A Distance 」がかかった。

「From A Distance 」、邦題では、「孤独の世界」。 P.Fスローンが歌って、日本でもヒットした曲ですね。

でも、何? 「The Amarries」って。。。 またまた、ヤマタツお得意の、超マニアックバンドですか?

なんて思われがちだけど・・・。実は日本人なんだよね。 

「ジ・アマリーズ」。 68年当時、早稲田の学生だった3ピースフォークグループ。彼らがP.Fスローンの「孤独の世界を」日本語でカバーしてた曲だ。

・・・ってサンソンで邦楽がかかるのもあまりないんで、思わず聴き入ってしまったんだけども、正直「ジ・アマリーズ」なんてグループ知らなかったぞ。

調べたら、早稲田から出てきた「ザ・リガニーズ」の弟分のグループだったんですね。

ああ、「ザ・リガニーズ」なら知ってるぞ・・


・・・っちゅうことで、今回はザ・リガニーズのこの曲を持って来ましたわ。

「海は恋してる」

いや、ザ・リガニーズっつったらこの曲でしょ。。っちゅう、代表曲ですね。

まあ、今から51年も前の曲なんでねぇ、タイトルだけ見たら、「え? 知らなーい」って思う方もいらっしゃるかと思うけど、

♪ 君はきれいな 海の恋人 やさしく抱かれて 夢をごらんよ〜 ♪ 

って言うお馴染みのサビのフレーズ。
曲を聴いたら、「あー、この曲ね」って思うんじゃないかな。 

リリースは1968年 昭和43年7月。 

当然、ワタシゃ、まだ、この世に居ない。「-1才」 だったからねぇ。。

そんなワタシなんだけど、この曲は、結構早くから知ってたんだよな。 恐らく小学生の頃から知ってたと思う。

たしか、何かのコマーシャルのCMで使われてたのかなぁ。 何のコマーシャルだったのかは忘れたけど。。
当時、まだ福島のいわきに住んでたんで、もしかしたら福島のローカルCMだったかもしれない。

あ゛、でも、完全に覚えてるのは、小学6年の夏ですね。

1981年夏、かつてのG.Sでの人気グループ、ワイルド・ワンズとザ・ジャガーズが相次いで再活動を始めてたんですよね。
ジャガーズの「君に会いたい」は、たしか「サントリー・生ビール」のCMに使われたんじゃなかったっけな。

それぞれのグループとも、60年代〜70年代初頭のG.Sブームの終息から丁度10年ってことで、再活動の動きが活発になったんだけどさ。

ま、この時の再活動開始は、それほど大きな「波」にはならなかったんだけども、でも、これが呼び水となって、この年の年末の「ザ・タイガース」の再結成に繋がったのは、間違いないところだよね。

で、そんなG.Sグループ再結成の動きに併せて、この「海は恋してる」も再発されたんだよね。

いや正確に言えば、再発ではなく、当時人気俳優だった、広岡瞬が、この曲のカバーをリリースしたんだよね。
個人的には、その印象が色濃いんだよなぁ。

オリジナルの「ザ・リガニーズ」の音源を手に入れたのは、確か高校生の頃だった。
まあ、それでも年齢的に早かったかな・・とは思うけど、高校の頃、時代を遡ってヒット曲を追いかけてたんでね、このころ60年代、70年代の音源も大分取得してたんだよね。

それで、音源を整理する上で、ヒット順に曲に整理番号(ID)を振って並びかえるって言う現在に続く音源整理を始めたんだけど、ヒット順に曲を聴いて来ると、この「海は恋してる」って言う曲は、G.Sとはちょっと違うな・・って思えるようになったんだよね。

逆に言えば、それまでは当時のグループの曲って、全部G.Sなんだろうって言う認識でいたんだけども。

ちょっと毛色が違う。 そもそも、サイケ、ガレージ感が無いし、健全なイメージ。 少なくとも夜に向かった音楽ではない。

そそそ。当時は、慶応、早稲田、青学、成城・・・と大学のサークルから出てきたグループが多かったんだけども、それら大学から出てきたグループのうち、東芝からリリースしたグループは「カレッジフォーク」と呼ばれるようになった訳なのよ。

 これは、当時の東芝音工の名物ディレクターだった、高嶋弘之氏(高嶋ちさ子のお父さん、故・高島忠夫の実弟)が名付けた・・というかシリーズの呼称なんですよね。

まあ、当時の大学生は知的エリートだし、そもそも音楽なんぞやってるのは、そのなかでもいいとこのおぼっちゃまだった訳で、いわいるG.Sのサウンドとは違ったんだよねぇ

やっぱり、育ちが音が出る・・・っていうかねぇ、 上で書いたようなガレージ感、というか不良性が無い訳よ。

だから、サウンド的にG.Sとは異なるんだよね。 その辺を高嶋氏は見抜き、G.Sとは一線画した「カレッジフォーク」というシリーズを立ち上げんだろう。

でも、それは正解だったんじゃないかなぁ。 

後年、ニューミュージックと呼ばれるようになった音楽は、70年代初頭に突然出てきたかのように、ものの本には書かれる事があるけど、実際は、このカレッジフォーク路線が基盤になって発展した音楽なんだよね。

はっぴいえんどだって、ティンパンアレイだって、それ以前に、ユーミンを発掘した村井邦彦氏だって、早稲田・慶応閥な訳じゃないですか。 結局はカレッジフォークからの流れなんですよね。

それを考えると、今のJ-POP、特に今をときめく、米津玄師や、あいみよん、髭ダンなどのシンガーソングライター系アーティストの流れを辿って行くと、源流の一つはココにたどり着くと思う。そういう意味ではJ-POPの「祖」と言うべき音楽だったんじゃないかなぁ。

もちろん、G.Sからの流れも、亜流となってではあるけど、今のJ-POPに繋がっているんだけどね。




この曲のキモは、サビのメロディラインもさることながら、Interludeでのセリフだよね。

「海も失恋するのかな? 涙をいっぱいためるかな? でも、溢れだしたら困っちゃうな 
だって俺 泳げないんだもん 」

なんて、間抜けなセリフなんでしょ 。今だったら、バカヤロッ って思わず張倒したくなっちゃうような

でも、結局こういうところがG.Sとは異なるんだよな。いいとこのおぼっちゃまって言う感じじゃん。


ちなみに、件の「ザ・リガニーズ」、メンバーは

・新田和長(VO. G)
・武藤敏史(G)
・内山修(B)
・吉田光夫(G)
・常富喜雄(G)

・・・すげぇメンバーだって思う方は、「業界」通ですね。

そそそ、新田和長氏は、グループ解散後、東芝EMIに入社し、チューリップ、甲斐バンド、長渕剛、稲垣潤一らを育てた名ディレクターとして活躍後、ファンハウス社長
武藤敏史氏も東芝EMIに入社後、オフコースを育て上げ、寺尾聰の件の「Refrections」をプロデュースした名ディレクター。 

いや、「ザ・リガニーズ」に限らず、この当時のカレッジフォーク、G.Sには、後にレコード会社の名ディレクターになられた方が実に多い。
カレッジフォークからは、その他に、「ザ・ランチャーズ」の渡辺有三氏(元キャニオン名ディレクター)が有名ですよね。

結局さ、そういう流れから見ても、この頃のカレッジフォークから、今のJ-POPに繋がってる部分って言うのも大きいんだよね。

ちなみに、ベースの内山氏とギターの常富氏、最初に書いた「ジ・アマリーズ」の田口氏は、後に「猫」と言うグループを結成し、「雪」「地下鉄にのって」「各駅停車」などのヒットをとばしましたよね。

ついでに、後にワイドショーのリポーターになった所太郎氏もグループに在籍。でも、本人はあまり語らなかった見たいですが。。。



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山口さんちのツトム君 / 斉藤こず恵

1976_09_山口さんちのツトム君_斉藤こず恵


今回の1曲セレクトは、「山口さんちのツトム君」斉藤こず恵です。

まずはデータです。

・タイトル    山口さんちのツトム君
・アーティスト  斉藤こず恵
・作詞      みなみらんぼう
・作曲      みなみらんぼう
・編曲      千代正行
・リリース日   1976年6月15日
・発売元     フィリップス
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  49.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1976年8月2日〜8月16日、9月6日付
・タイアップ:NHK「みんなのうた」より

たまにちょっと変化球な曲を書きたくなる時がある。いわいるコミックソングとかさあ。
あららら、今回の曲のフリですね。。。

まあ、コミックソングではないし、どこまで変化球なのか分かんないですが、この曲。

斉藤こず恵「山口さんちのツトム君」

はいはい、今50才前後の方には懐かしい曲なんじゃないですねぇ。 人によっては記憶の中の「最古」の曲って言う方もいらっしゃるかもしれない。

現に、ワタシとしても、自分の記憶の中では、「タイムリー」で聴いた曲の最古の記憶に近いですね。

ワタシャ、この時、7才。小学校1年生。

大人しくて、泣き虫で、どんくさくて、影が薄くて・・・。学校ではイジメられっ子の典型のような子供でしたね。
大勢と野球したり、カンケリしたりするより、「一人遊び」してる方が好きな子供でしたね。

このころはオフクロもパートで働いてたんで、学校から帰ってきても誰も居ない事が多かった。
だから、一人で「午後ドラ」見たり
そそそ、なぜか電話帳とか道路地図を一人で見てるのが好きだった。

電話帳の数字の羅列と、住所みてると、その土地の情景を夢想したり、 これは、道路地図見てるときもそうだったんだけど。。

一言で言えば、子供らしくない、ヘンな子供だったんだよ。

数字の羅列を見てるのが好きだった・・・っていうとろこは、後年、チャートマニアとしてオリコン収集にいそしむことになる事に繋がってるんだけどさ。。


そう言えば、かなり前に、伊武雅刀「子供達を責めないで」を書いた時、作詞した、秋元康氏曰く、これは子供の頃を自分を書いた曲・・・・ということを書いんだけども、ワタシも似たところはあったんだよね。

天真爛漫、無垢な子供というよりは、リアリズムなところがあって、ちょっと下から目線で、子供のクセしてお子様ランチが嫌いで。。。

あ、これは、今でも根っこの部分は変わってない。 

そんなヘンな子供だったけど、当時から音楽は好きだった。 なんとなくやってみたくなって、自分から親にねだってヤマハのエレクトーン教室に通い出したのも、たしか、この「山口さんちのツトム君」が巷に流れ始めた頃だった。

それが縁だったのかどうかは忘れたけど、個人的にこの曲、よく歌ってたなぁ。

だけど、どこで覚えたんだろう? 7才で当然と言えば当然だけど、76年当時はいわいる流行り歌の世界に足を踏み入れていない頃だ

この曲は、NHKの「みんなのうた」で流れていた曲だけど、個人的には「みんなのうた」も見てなかったしな。
だからね、この「山口さんちのツトム君 」って、どこで知ったんだろう? っちゅうのは、今となっては謎なんだよね。

誰かが歌っているのを覚えたんだと思うんだけど・・・。 幼馴染だった、となり家のユキちゃんだったかもしれない。やっぱり、音楽が好きで、よく歌うたってたからなぁ。

子供向け番組としては、フジテレビの「ひらけ!ポンキッキ」は見てたんたけどね。

以前、書いた子門真人「およげ!たいやきくん」も、のこいのこ「パタパタママ」も「ポンキッキ」からの曲っていうのは、既書したとおりでさ、こっちの曲は「ポンキッキ」で、よく見てたし、好きだったよなぁ。

しかしねぇ上記のポンキッキの2曲を含め、いずれもオリコンでベストテン入りしてたって言うのは今となっては信じられない事だよな。

ハイライトは、「パタパタママ」と「山口さんちのツトム君」が同時にオリコンでベストテン入りした、1976年8月23日〜9月20日付の1カ月間だったと思う。

童謡とはまた別ではあるけど、いわいる「子供向け」の曲ですよ。 当時の一般の歌謡曲に交じってオリコンのベストテン内でチャート争いをしているっていうのは、今、当時のオリコンチャートをみても、一種異様な光景であったりもするんだよね。

この斉藤こず恵さんの「山口さんちのツトム君」にしたって、オリコン最高3位、売り上げ50万枚ですからねぇ。
今考えると、ちょっと信じらんない。
もっとも「およげ!たいやきくん」は、これでの日本のレコード史上、最大売り上げのシングルとして、未だに燦然と輝いている訳だけど。。。

まあ、それだけ「子供」の数が多かったって事ですよね、当時は。 

1970年代初頭の第2次ベビーブームで生まれた子供達が、ようやく物心がつき始めたっていうのが、丁度この頃でしたから。 チルドレンパワーが今とは比較ならないくらい大きかったんですよね。

そんなチルドレンパワーがこの直後、ピンク・レディーで爆発する訳だけど。 そんな現象を予感させる「前哨戦」だったのかもしれない、この「山口さんちのツトム君」とポンキッキ発の一連のヒットは。

最も、この渦中にあった当時は、そんな事は知る由もなかった訳だけど。。。。




あれ? 動画でバックに流れてる「みんなのうた」とはちょっと違うな・・・と気がついた方は「みんなのうた」通ですね。
 
そそそ、↑のデータには、タイアップとして「NHK みんなのうた」って書いちゃったけれど、実際の「みんなのうた」は斉藤こず恵さんバージョンぢゃなく、川橋啓史さんバージョンだったんだよね。

↓ コレ



つまりは、斉藤こず恵さんバージョンの方が後付でのリリースなんだよね。
結果、川橋啓史さんバージョンより売れちゃった・・・と。

それでも、「川橋」さんバージョンも約30万枚も売れたんだけど。。。
ただ、こちらのバージョンのリリースはちょっと変わってて、コロムビア、ポリドール、CBSソニー、RVC4社競合でのリリース。(結局はコロムビアからリリースされたものが圧倒的に売れたましたが。。。)

いやいや、実はその他にも歌ってるヒトは別に、計11社から当時リリースされたんだよね。
まあ、それだけ当時この曲が注目されてたって訳ですね。

競作ヒット。 80年代、「氷雨」「釜山港へ帰れ」「浪花節だよ人生は」「秋冬」・・・などなど一時、競作ヒットがチャートをにぎわした時期があったけど、この曲は、そのさきがけ的な曲だったんだよね。


それにしても、子供向けの曲って、当時だから売れたけど、少子化が進む今じゃ、もう売れないよな・・・なんて、長年思ってたんだけど。。。
まさか2011年に、斉藤こず恵さんと同じく「天才子役」で、薫と友樹、たまにムックとしてでてきた「マルマルモリモリ」が、あそこまでヒットするとは予想も出来なかったな。

いや、まさに今もFoorinの「パプリカ」がロングヒットしてたりして、チルドレンパワーは現在も健在ってところなんだよね。


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