かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

あの頃のヒット1曲セレクト!

情熱の薔薇 / THE BLUE HEARTS

1990_08_情熱の薔薇_THE BLUE HEARTS



今回の1曲セレクトは「情熱の薔薇」、THE BLUE HEARTSです。

まずはデータなのだ〜

・タイトル     情熱の薔薇
・アーティスト   THE BLUE HEARTS
・作詞       甲本ヒロト
・作曲       甲本ヒロト
・編曲       THE BLUE HEARTS
・リリース日    1990年7月25日
・発売元      エム・エム・ジー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   51.1万枚
・THE HICHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1990年8月6日〜10月15日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「はいすくーる落書Part2」主題歌

あ〜、あちぃあちぃ。 体がとけちまうよ〜 ・・・なんてボヤいていたのはいつの話か。
昨日までと打って変わって、今日は比較的涼しい1日でしたわな。

こう涼しくなると、あー、そろそろ夏も行ってしまうのか〜、なんて感傷的になったりして

いや、そもそも、個人的な夏は、先週のROCK IN JAPAN終了と共に、半ば行ってしまった・・・ような気分であった訳なんですが。。。

今年の夏フェス、ROCK IN JAPANと、サマソニが共に20周年という節目でしたね。 もうね、「夏フェス」っていうのも、ずっかり日本の夏の風物詩の一つになった感が今更ながらに強いな。

・・・というと、そんじゃ、夏フェスが始まる前はどうだったの? なんて言う方もいらっしゃるかと思うけど、今の夏フェスって言うスタイルではないにしろ、昔から、夏の野外ライブっていうのは、あったんだよね。

まあ、今ほど大規模ではないけど、南こうせつさん主催の「サマーピクニック」なんかは有名だし、それ以前に、中津川のフォークジャンボリーって言うイベントも70年代初頭にはあったわけだし。。。

いずれにしろ、1969年にアメリカで行われた「ウッドストック」がお手本となるイベントではありますな。

ちなみに、1969年のウッドストックの集客数は4日間で延べ40万人と言われているけど、今年のROCK IN JAPANの集客数は5日間で延べ33万人だとか。 わたしもその中の3人なんだけど(3日参戦したんで。。。)

いよいよウッドストックの集客数が見えてきた・・・と主催のロッキン・オンも鼻高々でしたね。 
いやはや、日本の夏フェスも巨大化したもんだ。。。。

だけどさあ、個人的にも約20年にわたって、夏フェスに参戦し続け、いろんなアーティストを見てきたけど、そう考えると、今の夏フェス以前の野外ライブにも参戦して、当時のアーティストを見てきたかったなぁ・・・なんて今更ながら思ったりするんだよな。

今回は、そんな「当時」、野外ライブで見たかったと今になって思う曲を一つ。


THE BLUE HEARTS「情熱の薔薇」。

この曲に限らず、やっぱブルハの野外、90年代当時見たかったよな。。。なんて今更ながら思ったりして

しかしね、この曲を聴くと、どうしても、あのめちゃくちゃ暑かった1990年の夏の日を思い出してしまう。

1990年と言ったら大学に入学した年だ。 この年、オヤジが寮長をしていた、某企業の寮が新しくなって、それまで住んでいたところから移転したんだよな。まあ、近くなんだけど。。。
それまでは、ポロんボロんの「あばら家」という表現がピッタリの建物だったのよ。当然、クーラーなんてなくてさぁ、夏場は扇風機だけでまんじりとした生活を余儀なくされてたんだけど、新装した寮は冷暖房完備。
その上、大学に入って、やることもなくてさあクーラーの下で1日を過ごす夏だったなっていう印象が強い。

たださ、同時に自分用の車も買ったんだよな。ココでも何回か書いた、中古の「カローラ供廖コイツがさあ、カーステのカセットはヘッドがいかれてて聴けない。おまけにサーモスタットもいかれてて、クーラー入れるとすぐオーバーヒートしてしまう・・・っちゅう、まあ、「きかん坊」な輩でね

それでも「学生の身分」で手に入れたマイカーだったんで、文句も言わずに乗り回してたな。

うん、この夏は車を転がしていたか、家の自分の部屋でクーラーに当たっているか・・どっちかの夏だった。

そんなカーステも聴けない「きかん坊」の車では、もっぱらAMラジオを流し、クーラーをかけるとオーバーヒートしちゃうんで、窓を全開にして汗でびしょびしょになりながら千葉県内を走りまわってたなぁ。

そんな時に流れてきたのが、このブルーハーツの「情熱の薔薇」ですわ。 

たしか、初めて聴いたのは、文化放送の「全日本歌謡選抜」だったと思う。

全開の窓から入り込んでくる熱風と、この曲から醸し出される「熱さ」。 この曲を聴くたび、あの時の独特な夏の匂いがいやがおうにも思い出せれるんだよな。

うん、ハードコアな音楽につきものの汗臭さではなく、夏特有のあの匂い。 この曲から感じたのはそんな夏そのものであり、必ずしも不快さは感じなかったな。

この頃になると、それだけ、のちにラウド系と呼ばれるようになるこの手のハードロックにも慣れて来てたんだろうね、個人的にも。
いや、それ以前に、この手の曲が普通にヒットチャートに上がって来るようになったって言う、「大衆音楽」の流れの変化も大きかったんだとろ思う。

一見、単にうっせーだけの音楽も大衆的になったと言うかねぇ。その証拠に、この曲、ベストテン内に2カ月も居座り続けてたんだよな。 これ書くまでワタシもすっかり忘れてたんだけども。。。

これより2〜3年前は、この手のハードロックは単にうっせーだけの音楽にしか感じなかったんだよ。
だから、全然触手が伸びなかったんだけどもね。

まあ、食わず嫌いっていうのもあったんだけどね。 特にブルーハーツなんかはさ、ちゃんと正面から聴いて無かったしな、このヒトたちが出て来て頃は。

完全に意識が変わったのは、やっぱり前年の「TRAIN-TRAIN」だよね。聴けば聴くほど沁みてくる、あの感じ。

それまで聴いてた、いわいるヒット系ロックとは違ったグルーヴ感から沁み込んでくる独特の感じ。そこにある種の新鮮味を感じたってのは大きかったんだろうね、当時の感覚からして。

昭和の時代とは違う、平成って言う新しい時代のグルーヴ感って言うのでしょうかねぇ。 

ま、ハードコアなんていう音楽は必ずしも当時の新しい音楽と言う訳じゃないんだけども、少なくともそれまで自分の中には無かった音楽だったしね、個人的に。


ちなみに、 この「情熱の薔薇」って曲は、曲構成が面白かったのよ。

サビがどこだか分かんない。

まあ、普通にみれば、最後の ♪ 情熱の真っ赤に薔薇を〜 ♪ って部分なんだろうけど、ここ、1回しか歌ってないんだよね。

普通、1番、2番 共に、Aメロ、サビっていうのはある訳なんだけど、この曲は、サビが1回しか歌われない。

いや、Aメロ、Bメロ・・って言う曲構成の区分けっていうのが、無いに等しいんだよね。

言ってみれば、曲全体がサビと言ってもいいような・・・。 

そんな「一筆書き」 な曲の作りが、この曲の面白さの一つかもしれないな。

いや、この曲に限らず、90年頃の曲って、それまでの形式にこだわらない曲って言うのが結構あったんだよ。
ユニコーンなんかもそうだったしね。 「働く男」とかさ。

そんな部分からも90年代って言う新たな時代が見えたような気がするなぁ。



 

これ1992年7月に開催された、「JR東日本」主催の「POP ROCKETs '92」という野外ライブだそうだ。

え?そんなイベントやってたの? ってところなんだけど。。。 うん、個人的には全然覚えてない・・・というか知らなかった。

動画を見ると、時々映る観客に、なぜにワタシがいないんだ・・・なんて思ったりして

当時、ワタシは23才。きっと同年代のヒトたちだよね。 

当時は、野外ライブ・・・どころか、ライブ自体、蚊帳の外だったからなぁ、個人的には。

うーむ、当時から、野外ライブの「面白さ」を知っていれば。。。  そそそ、個人的に野外ライブの面白さを知ったのは、30過ぎだったからなぁ。 20代の頃に野外ライブの面白さを味わっておきたかった。

それを思うと、今の20代のコたちは幸せだよなぁ。 こんなにいろんな巨大夏フェスが毎年開催されてさ。


ちなみに、この時の出演アーティストは、ブルーハーツの他には、DIE IN CRIES、BY-SEXUAL、ユニコーン、LINDBERG、LUNA SEA、LA-PPISH、長澤義塾。

めっちゃ、90年代前半だよなっちゅうメンツだけど。。。

場所は、湯沢町中央野球場だったそうな。。。 なんかジミーなところでやってたのね。。。。

それでも、個人的に、当時、すでに今の感覚だったら、当然ながら参戦してたよな、きっと。。

さすがに、現在はこの野外ライブは存在しないけど、場所から言えば、今のフジロックの前身といってもいいかもしれないな。


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気分をかえて / 香坂みゆき

1981_08_気分を変えて_香坂みゆき


今回の1曲セレクトは、「気分をかえて / 香坂みゆき」です。

まずはデータです。

・タイトル     気分をかえて
・アーティスト   香坂みゆき
・作詞       山崎ハコ
・作曲       山崎ハコ
・編曲       大村雅朗
・リリース日   1981年6月1日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 58位
・売上げ枚数  4.9万枚

うわっ、いつ以来の「1曲セレクト」だ  ってくらい久々なんで、どう書いていいか忘れちゃってるワタシがいたりして 
まあ、いつも半ばテキトーに書いてたりするんで 今回もテキトー精神で進めちゃったりしますか。。

個人的にヒット曲が好きなのね。ぢゃヒット曲ってなんぞや・・・っちゅうと、まあ、「売れてる」曲ですわね。簡単に言えばヒットチャートで上位に来てる曲。
 逆に言えば、売れない曲って好きじゃないんだよね。
なんでかっちゅうと、なんか独りよがりって感じがするしさぁ。少なくとも「商業」的にリリースするならば、売れないよりは売れた方がいいわけじゃん。 最近は売れなくてもいいから分かる人だけに聴いてもらえればいい・・・とか、普通に言うアーティストって結構いるじゃん。 なんか違うよなぁ・・・なんて思っちゃうんだよね。
少なくとも通常の商業ルートに乗せてリリースするなら、売れなくてもいい曲をリリースするのって、やっぱおかしいわけじゃん。売れなくてもいいなら自主的にシコシコリリースしてごく近しいヒトに聴いてもらえればいいわけでさ。

・・・なんて、また、クレームが来そうな言い回しになっちゃったりして。。。

まあ、ヒットしてる曲を聴くのが好きっていうのは、もう長年のクセですね。40年以上もそうやってヒット曲を追いかけて来ている「性(さが)」とでも言いますか。

だからね、ヒットしなかった曲っていうのは、未だに手元に音源が無い曲が圧倒的に多い。まあ、それまで追いかけてたらいくら金があっても追いつかないし、そもそも全曲じっくり聴いてる時間もないわけで。。。



たださあ、そうは言っても、売れなかった曲でも時々、引っかかっちゃう曲はあるんだよな。

今回もそんな売れなかったけども、当時引っかかった曲をひとつ。

香坂みゆき「気分をかえて」

この曲、最初に聴いてのってどこでなんだろ? 「8時だよ全員集合」だったか。。。
まあ、テレビで聴いたのは間違いないんだけど、いつどこでっていうのは、全く覚えてない。

でも、インパクトはあったんだよな。

香坂みゆきさんって、それまでは純粋に「アイドル」だったわけじゃん。 まあ、売れなかったけども。。

そそそ、このヒトと高見知佳さんと、石川ひとみさんと、倉田まり子さんって、なんか似たような境遇の人たちだよなぁ・・・なんて、80年当時は感じてたんだよなぁ。 このヒトたちよく「ドリフ大爆笑」に出てたじゃん。
で、ウタのコーナーになると、売れてない、いわいるB級アイドルが勢ぞろいって感じで、この人たちが出てたりしてさぁ。

まあ、石川ひとみさんは81年に「まちぶせ」で、その中から離脱した訳だけど、 香坂みゆきさんと高見知佳さんっていつまでたっても垢抜けないB級アイドルって感じだったんだよね。

・・・と思ってたら、いきなり香坂みゆきさんが、この「気分をかえて」で「硬派ロック」路線に変えてきたわけじゃん。

一体どうした事か。。。 当時12歳になったばかりのクソガキだったワタシでもそう感じたんだよなぁ。

それまで「みんなのアイドル」ってかんじだったのが、いきなり「大人」っぽい路線に行っちゃったんで、どう捉えたらいいのかって言うのもあったのかもしれないな。

まあ、一つ言える事は、81年頃は、いわいる「ツッパリブーム」で、みんな大人っぽく見られたがってたってのもあるんだよね。なんせ、あの三原順子さんだって、当時17才にゃ見えなかったしさ。どうみても5〜6才サバ読んでるでしょ・・・って感じだったじゃん。
そう言う時代の流れもあったんだろうね。

たださ、路線を変えた事で、香坂さんの「歌のうまさ」っていうのは、引き出されましたよね。
このヒト、こんなに「パンチ」の効いた歌唱力があったとは、それまではそんなに感じなかったもんなぁ。

元々は、山崎ハコさんの「1976年」リリース曲のカバー。 オリジナルは、もっと下世話なフォークロック・・そうやねぇ、後年の長渕剛氏が歌いそうなイメージの重い曲。

↓ コレ



これを大村雅朗マジックで、BLONDIEの「CALL ME」をちょいと拝借して本格ロックに昇華させたところが、如何にも1981年って言う時代性を感じさせたりしてね。

ちなみに、大村氏、この曲のBLONDIEの「CALL ME」を下敷きにしたアレンジに旨みを感じたのか、1982年の佐東由梨「どうして!?」を経て、83年の河合奈保子「エスカレーション」に昇華させちゃったりしましたよね。

そうか・・・、81年当時、今一つ分からなかったこの曲が、今になって理解出来るっていうのは、結局は河合奈保子さんの「エスカレーション」を経た事で、この曲調が自分の中に消化したからなんだろうな、きっと。

まあ、その前に、81年当時は知らなかった、元曲のBLONDIEの「CALL ME」も今では自分の中に消化したからってのもあるけどさ。



改めて、今聴くと、如何にも80年代っていうサウンドだよね。
↑ではBLONDIEの「CALL ME」を下敷きにして河合奈保子「エスカレーション」に昇華させたって書いたけど、この感じ、80年代中盤くらいまでのアイドル系のマイナーチューンって、このサウンドが多かったんだよな。
そう言う意味では、80年代アイドルの基本系の1曲とも言えるかもな。

それにしても、最後の♪Bye Bye〜 ♪はインパクトの塊だよな。
これでも、売れなかったんだもんなぁ。
オリコン左ページにも行かなかったって言うのも、 ちょっと信じられないよなぁ。

ちなみに、高見知佳さん、香坂みゆきさん、共に1984年、化粧品のキャンペーンソングで自身最大のヒットを飛ばすことになる。 1980年当時の「売れない」2人を見てると、これもどこか因縁めいたところがあるなぁ。。


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MOMOKO / 近藤真彦

1982_07_ハイティーンブギ_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「MOMOKO」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル      MOMOKO
・アーティスト    近藤真彦
・作詞        松本隆
・作曲        山下達郎
・編曲        山下達郎
・リリース日    1982年6月30日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 −位
・売り上げ枚数  −位
・THE HITCHART HOT30最高位 −位
・タイアップ:映画「ハイティーン・ブギ」挿入曲
※シングル「ハイティーン・ブギ」片面

今週はジャニーズ事務所「総帥」のジャニー喜多川氏の死去と言うニュースが、各ワイドショーのみならず一般のニュースにも広く報道された1週間でしたわな。
年齢的にもそうだし、先月くも膜下出血で倒れたという報道からも、もしかしたら・・・と言う予感が高まっていた訳ではあるんだけども、いざ来てみると、その存在の巨大さに改めて気づかされた1週間でもあったな。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。

そういうこともあり、今回の1曲セレクトもジャニーズの曲を外すけにゃ行けないだろ・・と言う思いがあり、真っさいに浮かんだ曲がこの曲だったんだな。

まっち先生の「MOMOKO」

この曲覚えてる方ってどのくらいいるだろ? 昔、まっち先生のファンだった方は当然知ってるかな?

そう、シングル「ハイティーン・ブギ」の片面だった曲ですね。 当時まっち先生が主演した、たのきん映画第4弾「ハイティーン・ブギ」の挿入曲。 まっち先生演じる主人公「翔」の相手役 「桃子」を歌った曲ですわ。

なぜ、この曲が真っ先に浮かんだのか

もちろん、タイトル曲の「ハイティーン・ブギ」が丁度今頃のヒットだった事も大きい。
けど、それ以上に大きいのは、今年のこの夏の天候不順なんだよな。 

これは昔、「表題曲」の「ハイティーン・ブギ」書いた時にも触れた事なんだけども、この曲がリリースされた1982年夏ってさあ、今年同様、天候不順な夏で、気温が低く、雨の日が多かったんだよ。
典型的な「冷夏」な夏だった訳で。

あの時と同じような天気が続く、ここ暫くの天気。 今日も同じような天気か続いている訳で。。
今頃の雨の日の日曜日というと、どうしてもあの1982年の夏とオーバーラップしてしまう。
その時決まって耳の奥から聴こえてくるのは、この「MOMOKO」だったするんだよ。

そんな天候不順だった1982年夏を彷彿させるこの曲は、文字通り「珠玉のバラード」と言ってもおかしくないような、名曲なんだよね。
山下達郎氏が紡ぎたす、名バラードが、決してウマくない、まっち先生の歌唱を包み込むって言いましょうかねぇ。

今聴いても、到底、当時のアイドルの曲の範疇を超えてるような本格的なバラードだもんね。

http://yamashitatatsuro.blog78.fc2.com/blog-entry-218.html?sp

によると、演奏メンバーは

・G. 山下達郎
・B. 伊藤広規
・Dr . 青山純
・Key. 難波弘之

とある。

もろ当時の「達郎バンド」のメンバーやん。。。 そりゃ、アイドル曲の範疇を超えてるクオリティだよな。。
いや、82年当時の水準で言えば・・・の話だけど。
これが80年代も中盤を過ぎると、これが「デフォルト」になる。 例えば86年の中森明菜の「DESIRE」なんかもこの系統人脈のレコーディングだったはずだ。

イントロの優しい、フェンダーローズの音色からして、これはちょっと違うと思わせてくれる。 当時アイドルの曲で、これだけフェンダーローズが前面に出てる曲ってあんまりなかったし。
どちらかというと、70年代と言う時代を彷彿させる様なニューミュージック系アーティストの必須アイテムだった。

つまり、匂いは完全にニューミュージックなんだよね。  そもそもテンション系コードをふんだんに使ったコード進行からして、アイドル曲というよりニューミュージックそのものなんだけどさ
テンションコードに 前年の寺尾聰氏のミリオンセラーアルバム「Refrections」で多用され、耳の奥に刻む込まれていた世界が、この曲でも展開されてるんだよな。

それにも増して耳が行ってしまうのは、間奏部の達郎氏直々の、泣きのギターソロ。
これがめっちゃブルージーなのよ。

正直、今聴くと「すげぇ」って驚嘆するようなプレイでは決してない。(もしかして本人が一番分かってたりして。。)
今剛氏や、矢島賢氏の方が、もっと確実性のあるギターソロだったかもしれない。
現に、表題曲の「ハイティーン・ブギ」のギターソロは、矢島賢氏がプレイしてたりする。
でも、味があるんだよな。少なくとも、ワタシにはあの時の沈んだ心模様にはマッチする。

そう、1982年夏っていうのは、個人的にもさらに特殊な環境の夏で。 つまりは1982年の7月の頭に福島から千葉に越してきたっていう、大きな環境変化があった夏でもあったんだよね。

今だからカミングアウト出来る事だけど、あの年は本当に辛かったんだよ。 友達も全然いないし、自分をアピールしようと思っても全然理解してもらえず友達も出来ない。所詮はよそ者扱いに過ぎなかったんだよ。
孤独だった。ずっと福島に帰りたいってばかり思ってた夏だった。

そんな個人的に辛い時期だっただけに、この曲の達郎氏の泣きのギターソロには、ひときわグッとこみ上げるものがあったし、それは今でも変わらない。


それ以前に、そもそもこの曲を知ったきっかけは、月刊明星付録の「ヤンソン」に楽譜付きで載ったからなんだよな。
「ハイティーン・ブギ」の「片面」ということは通常B面なわけで、あまり世間一般には表に出てこない。
ただ、この曲は「両A面」扱いだったんだよね。 
まあ、「ハイブギ」人気と相まって、ヤンソン側も譜面付きで載せたんだろうけど、そうじゃなきゃ今頃完全に死角に入っちゃってただろうな。 今となっては感謝ですね。


 


ところで、当時、「たのきん映画」って好きでさ、第3弾の「グッドラックLOVE」まで、全部映画館で見たんだけど、この「ハイブギ」から見なくなっちゃったんだよな。
 この作品については、もう見なくてもどうでもいいとは思わなかったけど、やっぱ引っ越したばっかってことが大きかったんだよな。 千葉の事、全然分かんなかったし。

今になって、当時の配給収入を調べたりすると、この「ハイティーン・ブギ」、1982年度の邦画配給収入は18億で、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」について2位だったんだねぇ。

http://www.eiren.org/toukei/1982.html

どうやら一連の「たのきん」映画の中では一番ヒットした作品だったらしいんだよね。


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危い土曜日 / キャンディーズ

1974_06_危ない土曜日_キャンディーズ


今回の1曲セレクトは「危い土曜日」キャンディーズです。

まずはデータですよ〜

・タイトル     危い土曜日
・アーティスト   キャンディーズ
・作詞       安井かずみ
・作曲       森田公一
・編曲       竜崎孝路
・リリース日    1974年4月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位   46位
・売上げ枚数   3.8万枚

先日ネットニュースでも大々的に取り上げられていたけど、元キャンディーズの伊藤蘭さんのソロプロジェクトが始動ってことで、1stソロアルバムが先週リリースされて来ましたわな。

キャンディーズ解散から41年ぶりの「新音源」ということで、さてどの位売れるのか・・・っていうのが興味があるところなんだけど、29日のリリース以来のオリコンデイリーランキングでは、アルバムランキングで10位前後を推移している。 このままいけば、今週のウイークリーランキングではベストテン内に入ってきてもおかしくなさそう。

なるほどぉ、キャンディーズ解散から41年たっても、やっぱり蘭さんって人気があるんだなって言うのを再確認したわけで。。。

いや、ちょろちょろネットニュースを見て、「これは・・・」と思ったのが、今回の蘭さんの音楽への「カムバック」の背景に、「全キャン連」がどうも一枚噛んでいるようで。。。

「全キャン連」⇒「全国キャンディーズ連盟」

そそそ、当時、「キャンディーズ」についていた全国組織の親衛隊ですわ。

まあ、当時のアイドルには親衛隊は必ず付いていたもんだけども、この「全キャン連」って言う組織()はそんな数あるアイドルの親衛隊の中でも結束力の強さはダントツだったわけですね。

なんせ、あの「ザ・ベストテン」で、人気最高時のピンク・レディーを1位から引きずりおろした「組織」ですから

キャンディーズ解散後の1978年当時「ベストテン」を見てた方には有名だけど、1978年4月、キャンディーズ解散後もベストテンの「1位」を続けていた「微笑がえし」が4月20日放送で、ピンク・レディー「サウスポー」に1位の座を奪われてしまう。

これを見た「全キャン連」の一部の方が奮起。 即座に「ザ・ベストテンで「微笑がえし」をもう一度1位にしよう」と言うキャンペーンを全国的に展開。ベストテンへのハガキリクエストを呼び掛け。次の4月27日放送分から3週にわたって、見事1位に返り咲かさせたエピソードが残ってたりする。

まあ、このキャンペーンが成功したのは、当時のベストテンの要素別配点は「ハガキリクエスト」が最も配点が高かったため功を制したとも言えるんだけども、そのくらい音楽界を動かす事が出来る結束力の強さがあったとも言えるんだよね。

だからねぇ、個人的には「全キャン連」にゃ、末恐ろしい力を感じちゃったりするんだよなぁ。

そんな「全キャン連」が、今回の蘭さんの復活に一枚絡んでる・・・となりゃ、やっぱりチャートの動きは気になってきちゃったりするんだけどさ。 ↑で書いたように次のウイークリーチャートでベストテン入り出来そうなところまで来てるってことは、やっぱ、未だにその影響力はデカイ・・・と認めざるを得ないかなぁ。

・・・なんて思ってる次第だったりしてね。


おーっと、前置きが超長くなっちまったわい。

そんな訳で、伊藤蘭さんが「復帰」した今週は、やっぱりキャンディーズのどの曲かを持って来たい。

・・・とは思ったものの、キャンディーズの「今頃」のヒットって、既に書いちゃったんだよな。 

さてどうしようかと思ってたら、いやいや1曲残ってたぞ。。。

「危い土曜日」

この曲、デビュー3枚目のシングルなんだけども、さっすがにねこの曲はしらねーぞって方も多い・・・だろうな、きっと。

そもそもこれを書いてるワタシでさえリリース当時の事はよく知らないんで。。。。

まあ、それもそのはず・・というかねぇ、キャンディーズリリースした18枚のシングルの中で、一番「売れなかった」曲。 それがこの「危い土曜日」だったりするのよね。

ランキング的にも、オリコン最高位46位。 俗にいう「左ページ」ギリギリですよ。
「左ページ」に入ってるだけどもヒットだよって言う見方もあるけど、ことアイドルにとっては、オリコン30位以下なんてのは、固定の熱狂的なファンは別として一般のヒトたちの認知度から言ってもヒットしてないのも同然って感じだからなぁ。

だからさ、知らなくても当然と言えば当然なんだけど。。。。

BUT、後年キャンディーズの「ベスト盤」を聴いてて、この曲に引っかかっちゃったんだよな、個人的に。

まあ、タイトルからして引っかかると言えば引っかかるんだけども、デビュー3枚目のシングルだから、当然デビュー曲の「あなたに夢中」のようなミドルテンポの軽いポップチューンが続くんだろう・・と思いきや・・・。

なんだなんだ? R&B的な黒っぽさが漂う、緊張感いっぱいのアッパーチューンな曲調は。

当時のアイドルの曲調・・特にシングルでは見られなかったR&Bっぽい黒っぽさ。これが特に引っかかっちゃったところかなぁ。

アイドルの中でも、お嬢様的、非力感が強いキャンティーズが、こんな曲調を歌う。 これだけでも、ある意味充分魅力的であるとは思いますけどね。 というか、まず普通は、思いつかないもの、こういうをやるって言うのを。

いや、最近ではこの手の、見た目からは全く想像がつかないようなアイドルっていうのは、いろいろいるけどさ。
70年代当時のアイドルって、ビジュアルから曲調って大体想像がついたりするんだよね。見た目からの曲想が裏切らないっていうかさ。

この曲は、完璧に裏切ってるなぁ。 でも、今となってはそこがいいんだろうな。

ただ、当時の水準から言えば、そこがウラ目だったんだろうね。 この曲がキャンディーズの中で一番売れれなかったっていうのは。

それにしても、作曲の森田公一氏が、こういう緊張感あるアッパーチューンな曲を書くとはねぇ。 いや、この曲の場合最も意外だったのは、竜崎孝路氏のアレンジと言った方がいいかな。
竜崎氏といったら、もっと演歌よりの歌謡曲って言うイメージが強かったんでね。どちらかと言えばもう一つ垢抜けない曲調って言うイメージだったんだよな。こういうR&B的な黒っぽいサウンドを作るとね。




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君がいない / ZARD

1993_06_君がいない_ZARD


今回の1曲セレクトは、「君がいない」ZARDです。

まずはデータから

・タイトル     君がいない
・アーティスト   ZARD
・作詞       坂井泉水
・作曲       栗林誠一郎
・編曲       明石昌夫
・リリース日    1993年4月21日
・発売元      B-Gram
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   80.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1993年5月7日〜6月7日付
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「彼女の嫌いな彼女」主題歌

個人的にもすっかり失念してたんだけども、ZARDの坂井泉水さんが亡くなってから、12年も経つんだよね。
先日YAHOO トップページの「あなたへのおすすめ」コラムに掲載されてて、ハッとした次第で。
・・ということは、今年が13回忌になる。 早いもんだね。

亡くなった2007年は、個人的にはどん底の精神状態の頃。 じつはこの時期、ちょっと「鬱」を発症してて暫く休職し病院通いしてたんですよ。

精神的に病んでた時に追い打ちをかけるように衝撃的な出来事だったな坂井さんが亡くなった事は。

本当は命日の5月27日に、1曲引っ張って来たい・・とは思ってたんだけど、やっぱ平日は忙しくてなかなか書けない・・・・っちゅうことで、遅ればせながら週末の今日になってしまいましたね。

今回引っ張ってきた曲 「君がいない」

実質的なZARDのブレイク曲となった「負けないで」の次のシングルだ。

ただ、今となってはどうも影が薄い1曲ではあるんだよな。 
確かに「負けないで」の大ヒットの余韻を引きずって売り上げこそ80万強なんていう、数字だけ見るとこの曲も大ヒットの部類に入れてもおかしくはないんだけども、如何せん印象が薄い。

今となって数字だけ見ると「そんなに売れたのか」って感じでもあるんだよな。

個人的にこの曲の音源を未だに持っていないんで、曲を聴きこんでいないっていうのも印象に薄い利用の一つかもしれないけど。

逆に言えばヒット当時、それほど印象に残らなかったんでずっと音源を持っていなかったんだよな。


正直、リリースしたZARD側も、それほどヒットにこだわった所も感じない。 

通常、大ヒットの次と言えば「2匹目のドジョウ」を狙い、オリコン連続1位を狙うのが通例。 でもこの曲はオリコン初登場2位。 
しかもその時の1位は、同じビーイング系の「盟友」 WANDSの「愛を語るより口づけをかわそう」だったする。

こんなチャートの動きから見ても、少なくとも初登場1位の連続大ヒット狙いではなかったんじゃないか・・・っていうのも見て取れたりしてね。

まあ、そう見えるのもランキングの動きの結果、後から感じる事なのかもしれないけど。

・・・というのも、WANDSの「愛を語るより口づけをかわそう」は、この「君がいない」よりもリリースが1週早かったんだよね。

こんなリリースタイミングからビーイングとしては、WANDSの次はZARDが1位・・・って言う腹積もりだったのもかもしれない。

ただ、WANDSの「愛を語るより口づけをかわそう」が4週連続なんて予想外()な長期間1位に君臨しちゃったために「君がいない」が1位を取れなかったとも思える。

ちなみに、この「君がいない」は初登場から4週連続2位なんて、この頃にしてはかなり面白いチャートアクションを見せてたりする。もちろん、そのうち3週はWANDSに苦杯を喫していた訳だけど・・・。

いや、それ以上にこの曲がヒットにこだわっていなかったんじゃないかと思える点は、この曲をリリースして、1か月後、間髪をいれずに、あの大ヒット曲「揺れる想い」をリリースしてたりするんだよね。

「君がいない」のリリースから間隔1か月でのリリースなんて、当時としても「え?」と思えるようなリリースタイミングだったんだけども「揺れる想い」は。
でも、既に「ポカリスウェット」のCMで大量OAしてた「揺れる想い」は、インパクト大だったからなぁ。こんなリリースタイミングとなってんだろうけど。

このようにWANDSの「愛を語るより口づけをかわそう」と、自身の次のシングル「揺れる想い」に挟まれた「谷間曲」のような存在に、チャート的な点からも見れるんだよね。

いずれにしても、この曲がヒットしてた頃のチャートを振り返ってみれば、ビーイング系の「黄金期」だったんだよな。
ちなみに、1位 愛を語るより口づけをかわそう  2位 君がいない の時の3位は、1週がDEEN「このまま君だけを奪い去りたい」 2週が大黒摩季「別れましょう私から消えましょうあなたから」。

チャート上位はビーイング系1色だった頃。 まさにビーイング系ブームが頂点を極めてた頃ですね。

正直、このままずっと永遠にビーイング系時代が続くんじゃねえか・・・なんて思い始めてたからなぁ。
それとともに、個人的にはビーイング系の楽曲に急速に「食傷」感を感じてきた頃ですね。

「もういいよ」って感じで。。。



MVの作りをみると、どうしても、デビューしたてのころの倉木麻衣さんとダブってしまう。
いや、逆に言えば倉木麻衣さんってZARDのプロトタイプとも思えるんだよね。 
うん、当初は宇多田を意識して・・とは思ったけど、2作目の「Stay by my side」、3作目の「Secret of my heart」あたりからZARDの匂いが強くなってくる。

もし今でも坂井泉水さんが生きていたらどんな曲を歌ってたんだろう? と思ったりもするけど、倉木さんの曲を見ていれば、もしかするとそれに近い曲をやってたんじゃないか・・・なんても思えたりするんだよな。


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駅 / 竹内まりや

  1991_05_駅_竹内まりや


今回の1曲セレクトは、「駅」竹内まりやです。

まずはデータです。

・タイトル     駅
・アーティスト  竹内まりや
・作詞       竹内まりや
・作曲       竹内まりや
・編曲       山下達郎 服部克久
・リリース日   1991年3月25日
・発売元     エムエムジー
・オリコン最高位 18位
・売上げ枚数 10.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 16位
・タイアップ:映画「グッパイママ」主題歌

先日の「関ジャム」(テレビ朝日系」での竹内まりやスペシャル、けっこう反響がでかかったようですね。
ネットニュースなどでもそうだけど、あの後Twitterでの「竹内まりや」さんに関してのツイートも急上昇してましたしね。
実際、コノ、ブログでも、放送後竹内まりやさん関係へのアクセスが一時的に上昇したりしてたなぁ。

実際的な活動は少ない、まりやさんではあるけど、こんな風に各メディアでの動きを見ると、未だに幅広く根強い人気がある事は分かりますね。

仮に、もしライブツアーをやるなんて発表されたら、チケット入手はかなり難しくなるだろうな。 まあ、今のところそんな発表はされてないけど・・・・。

関ジャムでは、竹内まりやさんの人気曲をベストテン形式で発表されてましたけど、その中での人気1位が、今回引っ張ってきた「駅」。

客観的に見ても順当と言えば順当なのかなぁ。個人的には、ちょっと違和感なんだけども。。。。 

いや、どうしてもこの曲ってアルバム「リクエスト」での中森明菜さんに提供したセルフカバーっていう印象が強いじゃないですか。言ってみれば「アルバム曲」であって元々シングル曲ではない。 

あくまでシングル派なワタシにとっては、その辺がちょっと引っかかったりしてね。 実際のところは88年と91年2回シングルとしてアルバムからカットされているんだけども、個人的には今まで書いて無かったんだよな、この曲。

でも、先日の「関ジャム」の反響を見てて、ちょっと、この反響に乗っかってみようか・・・という「スケベ」心と、何人かに書いてって言うリクエストをもらったもんで。。
本来は、あくまで自分で書きたい曲を書くスタンスなんでリクエスト貰っても書かないんだけど、↑のような「スケベ」心もあって、今回引っ張って来てみました。



この曲、いままで書いて来なかったのは、↑のようにシングルではなく「アルバム」の1曲っていう印象が強いのと、あとはやっぱり曲調ですねぇ。 

使い古しないい方だけど、50〜60年代のオールディーズが似あう、あの濡れたちょっと甘く舌足らずなアルトボイス。 やっぱり、竹内まりやってヒトの真骨頂は「リンダ」や「恋の嵐」のようなオールディーズなポップスだと思ってたんだよね。
少なくとも90年代の初めごろまでは。

そんな折、セルフカバーした「駅」は、歌謡曲寄りの曲だったわけでさ、なんか違うな・・・って言う思いは、当時、常にあった。

そう言う思いから、例えば89年の「シングル・アゲイン」にしても同様な違和感があったし、だから長い事「シングル・アゲイン」は手元に音源も置いて無かったしな。


ただ、この考えはあくまで個人的な生理的な欲求であって、曲自体は駄作ではないんだよな。

3分間の短編映画。 それが「流行り歌」である。  その最たる曲がこの曲なんじゃないかなって思えるほど、ドラマ性溢れる「視覚」的な曲なんだよね、この「駅」って曲は。

♪ 身覚えるある〜 ♪ と曲が始まった途端、脳内ドラマが視覚的に始まる。 

2年前に別れた男性との電車内での思わぬ再開。きっと渋谷あたりなんだろう。電車は(渋谷は地上にホームがあった頃の)東急東横線。。。   別れた男性と1両後ろの車両のワタシ。

MVがまだ一般的ではなかった80年代後半。いや逆にイメージが限定される MVなんて無い方がいい・・そう思わせるような、3分間の自由発想なドラマが、この曲を聴くたびに脳内で展開される。

ただ、当時10代後半〜20代になりたてだったワタシにとっては、まだ経験をした事の無いちょっと大人の世界だったな。 いや、まだ経験をした事が無かった大人の世界だったからこそちょっと刺激的だったのかもしれない。

逆にまだ、経験をした事が無かった、ちょっと大人の世界だったからこそ、100%この楽曲の世界にのめり込め切れなかったという部分もあったかもしれない。 
もしかすると、それが上で書いた、この曲に対する「違和感」だったのかもしれないな。



ところで、ヒットチャート的に言えば、この曲はCDの売り上げでヒットしたと言うよりも別のメディアからのヒットと言うところが強い。

・・・なんて遠回しに書いちゃったけど、もともとは「有線」から火がついたんだよね。

当初、87年8月にリリースされたアルバム「リクエスト」に収録されたこの曲ではあったけど、この年の11月には有線チャートで30位にランクされている。
 当時のオリコンウイクリーをひっくり返してみると、そこからジワリと有線リクエストを集めつつ、翌88年3月には有線チャートでベストテン入り。 そのまま7月まで、計36週にわたりベスト30内をキープしている。

個人的には、曲内容云々と言う前に、有線チャートの上位をロングランしたチャートアクションが、真っ先に印象に残るんだよな。この「駅」って言う曲は。

それまで有線ランキングって言えば「演歌・歌謡曲」の天下だった訳でさ。 仮にも竹内まりやさんのような、ポップスミュージック系アーティストがランキングに長躯君臨する世界ではなかったんだよね。

いや確かに松田聖子さんや中森明菜さんなど、ポップス系でも有線チャートの上位にランクする事が珍しくなかったヒトたちも、それ以前にもいた。

ただ、1位をロングランするなどの派手なチャートアクションを展開すると言う訳ではなく、ベストテン内前後にジワリと「長期間安定」するようなチャートアクションを展開したポップス系の曲って、この曲以前って多くなかったんですよ。

ま、87年の「ロンリーチャップリン」(ラッツ&スター 鈴木聖美)など皆無ではなかったけど。。。特に注目したいのは、アルバムの中の1曲だったって言う事で、これは異例だったんだよな。

この「駅」って曲がそんな流れの分岐点だったんじゃないのかなぁ。この曲あたりを境に、有線でもポップス系でもジワリとランキングを上げつつ、上位をロングランする、ロック・ポップス系の曲が増えて行ったんだよね。
90年代初めには「有線発」のヒットっていうのも珍しい存在では無くなって行ったしさ。

で、それらの曲で共通しているのが、兎に角ロングヒットだったってことですね。 有線って言うメディアに特化していると言えるんだろうけど、有線って基本「口コミ」により少しずつ広がりを魅せるメディアだからさ、そう言う動きになるって事でもあるし、そんな口コミに耐えうるような曲の良さ、大衆性がある、何年たっても色あせない曲でもあるって事なんだよね。

だからこそ、この「駅」のように、あれから30年以上たったいまでも広く支持されているエバーグリーンな曲が多いわけなんだよね。



サザン、達郎氏と並んで、オリジナル動画の数が少ない竹内まりやさんですが、この曲はありましたね。


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桜坂 / 福山雅治

2000_05_桜坂_福山雅治


今回の1曲セレクトは、「桜坂」福山雅治です。

まずはデータです。

・タイトル    桜坂
・アーティスト 福山雅治
・作詞      福山雅治
・作曲      福山雅治
・編曲      冨田素弘
・リリース日  2000年4月26日
・発売元    ユニバーサルミュージック
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 229.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:2000年5月11日〜7月20日付
・タイアップ:TBS系「ウンナンのホントコ」内「未来日記后廛董璽泪愁鵐

あ〜、超大型G.Wが行ってしまう。。。。 長いようで短い、充実してた様で、もうちょっとゆっくりしたい・・・そんないろいろと感じさせる大型連休でしたわな。
いずれにしろ、明日からまた日常生活〜と思うと、半分、「脱け殻」な今の気持ちですわ。

あ〜かったりぃ〜。。。。。


そんな事を書いている開けっ放しの窓からは、優しい風が入ってくる。

この優しい風こそが五月の風だね。

今回は、そんな「五月の風」を感じさせるような1曲を一つ。

福山雅治「桜坂」。

もうね、知らん人は居ないわな、この曲ぐらいになると。

ワタシが特段書かんでもええゃろ・・・って感じもしたりして。

だかこそ230万枚、ダブルミリオンなんちゅう、超特大ヒットなこの曲を今まで「1曲セレクト」で書いて来なかった所はある。

いやいや、違うな。 

2000年の今頃と言えば、ワタシメのサイト「THE HITCHART NOW AND THEN」は既に開設していて、当時、コミュニティの場としていた、「CHART BBS」っていう掲示板に、1度書いたんだよな、この曲。

なんて書いたのかはすっかり忘れたけど、今のこのブログの「キニナル曲」カテゴリーに当たる様な初聴の「新曲」レビューとして書いたような気がする。

そういうわけで、1度書いた曲をまた書くのもなんだよな・・・ってことで、その後改めては書いて来なかったんだ、確か。

でも、あれから19年も経ったからなぁ。 随分2000年の今頃当時とは、この曲の感じ方も変わってきたと思うんで、今回改めて引っ張ってきたりして。



この曲、今となっては数ある「桜ソング」の1曲として、春になると毎年のように取り上げられるけど、個人的には、「桜ソング」って言うイメージは全くない。

その一番の要因は、やっぱリリース日だよね。 リリースが2000年4月26日。

東京を含め、関東地方では、桜の季節はすっかり過ぎた頃のリリースですよ。

90年代後半以降、毎年のように雨後のタケノコのようにリリースされてきている「桜ソング」だけど、そのほとんどは、2月〜3月頃じゃん。遅くとも4月頭だよね。

東京を中心に全国的に桜が開花している頃のリリースっていうのが定番。 だからこそ、「桜」のあの淡いピンク色のイメージが曲に纏わりついているわけで。。

でもこの曲はそう言う時期を過ぎた頃のリリースだったんだよな。2000年のG.Wですよ。
ヒットのピークは、5月終わりから6月ですよ。

実際のところ全国的に、桜の花は散って、既に青葉の季節になっているわけじゃん。

そう言うイメージなのよ、この桜坂って曲は。  

そそそ、5月の優しい風に揺れている、青葉の桜並木。  そう言う絵面が浮かんでくる。

だからさ、この曲が「桜ソング」っていうことでセレクトされると、ワタシなんかはちょっと「ちげーんじゃね?」なんて思っちゃう訳なんだよね。

少なくとも、この曲を聴いて「満開」の桜並木の絵面っていうのは浮かんでこないんだよな。

2000年って言ったら、aikoの「桜の時」の方が桜満開っていうイメージだったし。
あの頃は、98年リリースの川本真琴の「桜」っていう曲が、ワタシの中では「桜ソング」として圧倒的に占めていた事もある。

ただ、そう言う事を抜きにしても、やっぱし実際のヒット時期を考えるとねぇ、桜ソングではないんだよな。

例えタイトルがそうであっても、実際のヒット時期っていうのが、そのまま曲のイメージに反映するって事が多いじゃん。
例えば、H2Oの「想い出がいっぱい」なんてさリリースは3月。歌詞の内容もあって「卒業ソング」として扱われる事が多い。 実際、今でもそうなんだろうけどさ。

でもね、ワタシの中ではヒットのピークだった夏の終わりって言うイメージが強い。 夏の終わり、プールから帰りがけでちょっと爽やかな疲労感が漂う夏の午後・・・。 そんなイメージなんだよな、ワタシの中では。

まあ、そんな事を言うと、絶対に「卒業ソング」って反論する人もいるんだけどさ。

同じようなイメージをこの「桜坂」にも感じるのよ。 ワタシの中では、少なくとも「桜満開ソング」ぢゃない。5月の風に揺れる青葉の桜並木のイメージ。

たしかに、 ♪ 揺れる木漏れ日薫桜坂 悲しみに似た薄紅色〜 ♪ っていう歌詞から、桜の花咲き誇っている印象はある。

そんな所から、絶対この曲は「桜ソング」って反論する人もいるんだろうけどさぁ。 感じるところ、曲のイメージっていうのは、個人個人で違ってくる訳だからさ。

いや、そんな事を書いてるワタシも、昔、某着メロサイトのセレクターをやってるとき、ご多分にもれず行った「桜ソング」って言う特集を組んだ時に、躊躇せず、この曲をセレクトしたような・・・気がする。。

いい加減ですね、ワタシも。。

いや、確かあん時は、語呂合わせ、ダジャレを含めて「桜」を連想する曲を片っ端から持ってきたんだよな。マジメな「桜ソング」だけじゃ無かったんだっけ。。



あれ? 1分30秒しかない。。。。
もー、サザンもそうだけど、アミューズのアーティストはイケずなんだからぁ。あれから19年も経ってるし、そろそろMVもフルで公開してもいいんじゃんか〜。

・・・ということで、他のフルの動画



こっちはすぐに消されるかも。。。。

蛇足だけど、2000年は新卒で入社した会社を退職して、1年間、ネットエンジニアの勉強と称してプー太郎をしていた時期だ。
まあ、実際的には自分のサイトの運営を軌道に乗せるべくオフ会を開いたり、オリコンの読者集会に参加したり、ネットワークエンジニア養成の専門学校に通ったり、いろいろと動いてた1年だったんだけど、決定的に「リーマン」に戻った今と違うのは自由だった事だなぁ。
会社と言う組織に束縛されない自由。
そんな自由を一番満期してたのが、この「桜坂」がヒットしていた時期だったかもしれない。

だからさ、この曲から感じるのは、↑で書いたように「5月の優しい風に揺れている、青葉の桜並木」と言う絵面もそうなんだけど、圧倒的に感じるのは「自由」なんだよな。
この曲を聴くと肩から力が抜けて行く感じが分かるんだよね。

もっとも、自由と引き換えに、お金は入ってこなくなった訳で、この自由も1年強で終わらざるを得なかったんだけども。。。。。


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Return to Myself〜しない、しない、ナツ〜 / 浜田麻里

1989_04_Return to myself_浜田麻里


今回の1曲セレクトは、「Return to Myself〜しない、しない、ナツ〜」浜田麻里です。

まずはデータです。

・タイトル    Return to Myself〜しない、しない、ナツ〜
・アーティスト  浜田麻里
・作詞      浜田麻里
・作曲      大槻啓之
・編曲      大槻啓之 Randy Kerber Greg Edwards
・リリース日  1989年4月19日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  40.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1989年5月8日〜7月10日付
・タイアップ:カネボウ「89年夏のキャンペーンソング」

月並みなのですが・・・いよいよ「平成」も終わりですね。
外は雨。
テレビのニュースでもさんざん伝えてるけど、昭和の終焉、平成の幕開けとなった1989年1月7日も雨。
よく覚えてる。
当時、大学受験(1年目の)「浪人生」で、目の前に控えた受験本番直前。予備校の自習室でうんざりしながら「数学」の問題集を始めようとしたら、予備校から昭和天皇崩御のため授業は中止。すぐ帰れって放送が入ったんだよな。
それで薄暗い寒雨の中、帰宅したんだよ。 あの光景、30年経った今でも覚えてる。

そう考えると、あっという間の「平成」30年間だったな・・・と感じがするけど、細かく振り返れば、いろんな事があった30年でもあったな。 短いようで中身の濃い30年だったんだよな。

みなさんの「平成」はいかがだったでしょう。 そして来る「令和」は一体どういう時代になるんでしょうね。


・・・ということで、恐らくこれが「平成最後」の「1曲セレクト」になると思いますんで、今回は「平成元年」の曲を持って来たい・・・

・・・っちゅうことで、この曲。

浜田麻里「Return to Myself〜しない、しない、ナツ〜」

ちょっと変化球だったかな  

ココのところ、「平成」を振り返る・・みたいな番組で平成元年のヒット曲とかやってたりするど、この曲が流れる事って殆どなかったもんな。

平成元年っていったら、どうしても工藤静香とか、プリプリとか、長渕とか・・・になっちゃうんだろうな印象的に。

But、But、この曲も「平成元年」にオリコンで1位取ったんだけどねぇ、40万枚も売れたんだけどねぇ・・・、でも世間一般では、ほとんど「死角」にはいった存在になっちゃってるんだよな、今や。

個人的には、この曲、平成元年を象徴する曲の一つ・・って思ってるんだけどね。

平成元年って、年初めの1〜3月にかけては、マイナー系で重い曲が多かったんだよ。 工藤静香の「恋一夜」にしてもチェッカーズの「Room」にしてもまさにそんな感じだったじゃん。

昭和の終焉って言う機運が世間的にまで重くのしかかっていたのかなぁ。

そんな重い空気が一変したのが4月。 プリプリの「Diamonds」のあのホップなモータウンサウンドが一気にヒット曲の空気を変えたんだよな。

いつかも書いたけど、当時、2浪が決まって、もやもやした気分を引きずったまま、ラジオを聴きながら勉強してたワタシのペンが止まったもの、この曲で。
それまでの「もやもや感」が一気に吹き飛んだ・・というかね。昭和終焉のクビキが一気に取れ、本格的な「平成」の時代に突入っていう空気に変わった瞬間だっだよな。

それに引き続きいて出てきたのが、今回引っ張ってきた浜田麻里さんの「Return to Myself」。

この曲も「Diamonds」に負けず劣らずのポップビートな1曲。

この2曲で、当時のヒットチャートの空気を完全に変えたって言うイメージが強いんだよなぁ。 

それまでの重く垂れこめた冬空から、太陽がさんさんと輝く ・・・っていう情景に一気に変わったんだよ。

もちろん、この他にも、中村あゆみさんの「ともだち」、チューブの「SUMMER CITY」などなど、メジャー系かつポップなナンバーが次々とリリース。 気分は一気に夏っていう空気になったもんな。


モータウンを基調とした、メジャー、ハネ系のポップチューン。

これが平成元年の特に今頃流行った曲調だったんだよね。

まあ、バブル全盛の時代。 世間は浮かれまくっていた訳だし、そんな時代をモロ象徴していたようなサウンド・・とも言えるんじゃないかなぁ。

ただ言える事は、この曲あたりから、いわいる「ラウド」って言われるロック系な音楽もお茶の間に浸透してきた頃ですね。
この曲にしても然り、ブルーハーツの「TRAIN TRAIN」にしても然り。 

ちょっと前までは、単に「うっせえ音楽だな」・・・って思えた系統のヒトたちなんだけどさ。 

たしかに以前に比べてポップで聴きやすくはなってた、この頃は。 そこが一番大きかったんだろうけど。
それとともに確実な時代の変化って言うのもあったんだろうね。

そんな変化と平成の幕開けっていうのが、シンクロしてたのも、新たな時代の始まりの象徴だったのかなぁ。
今、改めて曲を聴くと、昭和っていう時代との空気感の違いが如実に感じるもんね。




これ、当時のライブの映像か・・と思ったら、つい7年前のライブでの「Return to Myself」のようですね。
すんげえ、パワフルなボーカル、ハイトーンボイス、30年前当時と全然変わってない。
30年も経ては、声は出なくなるわ、キーは低くなるわ、全然変わっちゃうんもんだでや、普通。
そもそも体型が全然変わってない。 
動画見てちょっと驚いちゃいましたね。 鍛えてんなぁ。


↓ こっちが30年前




ほらね、ほとんど変わってない・・・。

確かに、「ワンレン、ボディコン」っちゅういでたちはバブル全盛の30年前を彷彿させるけど・・・。



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スニーカーぶる〜す(別テイク) / 近藤真彦

1982_04_ふられてBANZAI_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「スニーカーぶる〜す」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル     スニーカーぶる〜す
・アーティスト   近藤真彦
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       戸塚修
・リリース日   1982年3月31日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 -  位
・売上げ枚数     - 万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 - 位

・・・と書いて、ちょっと待て〜〜  って普通思いますよね。 少なくとも80年代を知ってる方なら。

そもそも、まっち先生の「スニーカーぶる〜す」のリリースは「1980年12月12日」であり、↑のリリース日も違ってるじゃん。
それ以前に、なに? オリコン最高位も売り上げ枚数も 「−」になっているのは

もっと、細かい所を指摘するなら、アレンジャーが「馬飼野康二」氏ぢゃないじゃん。。。

・・・なんて、あたりがクレームが来そうな所かなぁ。。

But But 、間違ってないですから。

うん、当時の事をちょっと知ってる方なら、このタネあかしは、知ってますよね。

これは、まっち先生のデビューシングルとして、公式にリリースされたテイクとは別テイクの「スニーカーぶる〜す」のことを指している訳です。
そそそ、シングル「ふられてBANZAI」のB面に収録されているバージョンの「スニーカーぶる〜す」。

いや、正式に言えば、元々・・・というか、最初に出来あがったテイクの「スニーカーぶる〜す」は、こちらの戸塚修氏がアレンジしたテイクであり、世に出ている「スニーカーぶる〜す」は、このテイクからさらに手を加えた「後発」テイクということになる。

ちなみに、このバージョンを「スニーカーぶる〜す Part2」って言ってるヒトもいるけど、これは間違い。
「スニーカーぶる〜す」の大ヒットからの続編作って訳じゃないんだよね。

たしかにこのテイクは、歌詞も違えば、もちろんアレンジも違う。メロディはほぼ同じではあるけどメロディ進行も違うし、尺も違う。
まあ、続編⇒Part2と勘違いするしてもおかしくは無いけど・・・。

こちらのテイクの方が、尺が長い。歌詞も ♪ Buzのレコード聴いてた寒い夜明けが懐かしい〜 ♪ とか、大人っぽいし、これ生かすようなドライブがかかったアレンジは、ほとんどニューミュージックなんだよね。
少なくともアイドルのデビュー曲とは到底思えないような・・・。

ただし、音楽的にはほとんど完成された仕上がりにはなっている。 うん、まっち先生のボーカルも、「通常」の「スニーカーぶる〜す」よりも数段上手いしさ。


こんな音楽的に見てほぼ完成されたテイクを、当時のまっち先生のプロデューサーだった、小杉理宇造氏は切ったわけだ。

で、今、普通に聴かれるテイクの「スニーカーぶる〜す」に作り替えた。

今普通に聴かれる「スニーカーぶる〜す」は、当初のテイクから比べると、正直言ってダサい。 まっち先生のボーカルもシロウトっぽい。

ただ、初めのテイクに比べ、余計なフレーズが削られメロディ進行もシンプル。

当初のテイクと詞、メロディとも全く同じなのはCメロの ♪ 街角は雨 ぶるーすのようさ・・・♪ の部分のみだ。


ぢゃ、なぜ当初の音楽的に完成されたテイクを切って、「ダサい」テイクに作り替えたのか?

この辺は、ネット上で他の方も大分書かれてるけど、1981年11月号の月刊「明星」の歌本「Yong Song」の「'81 MUSIC PEOPLEインタビュー」と言う連載企画での小杉氏へのインタビューによると、

「アイドルにとって、最初からクオリティが高すぎるのは危険だから」と言ってる。

つまりさ、デビュー曲であまりにクオリティが高い所まで持って行ってしまうと、2作目以降の行き場が無くなるってことなんだよね。
駄作でいいと言う訳ではないんだけど、デビュー曲は音楽的にはある程度のところでよく、2作目以降徐々にクオリティを上げて行けばいい。

そういう考えのもと、敢えてダサいテイクに変えたって言う訳だ。



ただ、「スニーカーぶる〜す」の場合は、他にもしがらみがあった。ジャニーズ側からのとんでもなく高いハードル要請だ。

「オリコン初登場1位。 売り上げ枚数ミリオンセラー」

これが、小杉氏に求められた絶対条件だったと言う。

オリコン初登場1位。 たしかにハードルが高い条件であったものの、当時のまっち先生の人気の超沸騰度から考えれば、楽曲のクオリティどがえしでも、これはある程度は予測できたかもしれない。
その保険のために、オリコン集計期間とレコード店頭販売時期を考慮して、店着日とオリコン集計期間を最大限生かしきるために12月12日なんていう、当時の通常のリリース日ローテーションから外し、敢えて「臨発」扱いにした訳で。

しかしながら、 売り上げ枚数ミリオンセラー、 この条件は当時の「アイドル」のレコード売り上げ傾向から見ると、めっちゃ高いハードルだったわけだ。

いつかも書いたけど、1980年当時、レコードは今に比べると高価なものだったんだよね。 シングル1枚、700円。 今のCDシングルよりも安いじゃんと思われがちだけど、相対的な物価が約40年前とは違う訳で・・・。

1980年の大卒初任給の平均は11万5千円。 ここから現在の価値に変換すると、シングルレコード1枚、1250円程度となる。

しかも、当時のアイドル・・・特にまっち先生のファン層の中心は、当時の小〜中学生(つまりは我々の世代ですわな)。 小学生、中学生が、例え1250円でもシングルレコードを買うっていうのは、それ相応の「覚悟」が必要だったんだよね。

そのため、当時のレコードの購買中心層は大学生から上の世代。 

それいえに、当時、オリコンでのミリオンセラーは演歌、ニューミュージックで占められてあり、アイドルでそれまでミリオンセラーを記録していたのは、ピンク・レディーだけだ。

当時すでに伝説的なアイドルであった、山口百恵、西城秀樹、沢田研二、岩崎宏美、太田裕美・・・だれもミリオンセラーを達成していない。

つまり、アイドルでミリオンセラーを記録するのは、超至難の業。しかも、それをデビュー曲で達成させるなど、一見すると無謀なハードルだったんだよ。まさに「鬼」のジャニーズと思える条件。

ただ、ジャニーズとしては、絶対にクリアできないハードルとは思っていなかったらしい。 
・・というのも、トシちゃんのデビュー曲「哀愁でいと」の売り上げが70万枚を記録。
で、当時、まっち先生のファンレターは、トシちゃんの1.5倍はあったとのこと。 
それから考えれば、まっち先生のデビュー曲でミリオンセラーは可能であるんじゃないか。そう言う考えだったようだ。実際、70万の1.5倍って言ったら105万になるから・・・。

うむ、確かに机上の数字ではそうだ・・・。
でも、実際はそんな単純なもんじゃない。

そこで引き下がらなかったのが、小杉氏が根っからのプロデューサーだったところなんだよな。

デビューを12月にしたのも一つの作戦であったと思う。
お年玉狙いって訳ですわ。 いつものお小遣いではなく、正月、お年玉使えば700円のシングルも買いやすくなるって言う狙い。

もう一つは、楽曲を分かりやすく、より多くのヒトに刺さりやすくするっていう狙い。 これが↑で書いた最初のテイクを切ったという所につながる。

この当時、より売れる楽曲にするためには、より大衆的な音楽にするのが一番の命題だったんだよね。
「音楽的にクオリティが高い」っていうのは、2の次だったんですよ。

以前NHKで放送された、「名盤ドキュメント、井上陽水「氷の世界」」で、70年代陽水氏のプロデューサーであった多賀英典氏も、「心もよう」と「帰れない二人」、どちらをシングルのタイトル曲に切るか・・・という問題で、音楽的完成度が高い「帰りない二人」ではなく、寄り大衆的な「心もよう」をタイトルシングルに切ったと言う話をされている。

つまりは、「大衆性」というのが一番だったわけだ。

結果、それらの狙いが全て嵌まり、「スニーカーぶる〜す」は、ミリオンセラーを達成する。

奇しくも、売り上げ104.8万枚っていうのは、ジャニーズが当初考えていた、トシちやんのデビュー曲「哀愁でいと」の約1.5倍だったっていうのは、事後の結果から見ると偶然であったのか目論見通りだったのか・・・・

いずれにしろ、ジャニーズのそういうところがコワイところなんだろうし、だれも文句が言えないところなんだろうな。

逆に言えば、最初のテイクでリリースされていたら・・・・、複雑な曲進行、アイドルとしては長い曲調と言うところがネックとなり、果たしてどれだけ大衆的に刺さったのか・・というのはギモンなところだ。当然、ミリオンセラーまでは行かなかっただろう。



プロデューサー感覚。 一時流行ったコトバではあるが、今プロデューサーと呼ばれる方で、本来の意味でのプロデューサーと言える方はどのくらいいいるのだろう?
確かにセルフプロデュース的なヒトは、今や業界人に限らず一般のヒトにもたくさんいる。 プロデューサーは、1から100を生み出すヒトではある。
ただ、ビジネスにおいての真のプロデューサーはヒット作を生み出し、それによって「会社」や依頼主への利益を生み出すヒトでもあるんだよね。ココが一番難しいところなんだよ。
自分へのプロデュースは出来ても、第三者をプロデュースするってことは並大抵では出来ない。

第三者へのヒット作品を生み出すにはどうするべきなのか? 
・・と言われた時、ココまで書いたように大衆的感覚が大事な訳なんだけど、ヒット作を生み出せないプロデューサーはこの感覚が欠けてるんだと思うな。独りよがりというか・・
たしかに拘りというのは大事だけど、それがどの程度大衆的なのかというところを客観視するのも大事なんだよね。


時に、ワタシも一時、某着メロサイトでプロデューサーの真似事をしてた時期があったけど、やっぱり一番心がけてたのは、「大衆的感覚」だったな。
・・・というか、実は、今回の「スニーカーぶる〜す」の小杉氏の精神っていうのが根底にあったんだよね。

当初、業界経験者がゼロ、しかも、業界でも後発のサイトでもあったため、会員数100万人突破なんて、到底夢物語といわれた某着メロサイトが、最終的に数百万人の会員数を集められた事・・・まあ、ワタシだけの力ではなく、多くのヒトの力の結集によってなんだけど・・・・なぜ達成できたのか・・・といえば、ココを最も大事にした事に尽きる・・・と今でも思ってるなぁ。
当時、第三者からは「奇跡」とか言われてたけど、当時者としては奇跡ではなかったと思っています。





ちなみに、通常版の「スニーカーぶる〜す」は↓ コチラ
http://kajiyan-net2.blog.jp/archives/52049707.html



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白い蝶のサンバ / 森山加代子

1970_04_白い蝶のサンバ_森山加代子


今回の1曲セレクトは、「白い蝶のサンバ」森山加代子です。

まずはデータです。

・タイトル     白い蝶のサンバ
・アーティスト   森山加代子
・作詞       阿久悠
・作曲       井上かつお
・編曲       川口真
・リリース日    1970年1月25日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   47.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1970年2月16日〜4月27日付

奇抜な曲。一聴して「なんじゃこれ」って思える曲だよね。これは、昔も今も変わらずにあるよなぁ。

ただ、昔の奇抜な曲って、どこか可愛らしかったんだよな。いわいる「ギャグ」ってやつでさ。たしかに放送コードにひっかかるような「放送禁止」曲ってうのもあったけど、どこか笑ってごまかせちゃったりしたやん。
今の奇抜な曲っていうのは、ホントに奇抜だからさあ。どう解釈したらいいか理解不明・・というか。
これも時代の流れなんだろうけどね。

さてさて、今回引っ張ってきた曲も、奇抜っちゃ奇抜な曲だよね。

森山加代子さんの「白い蝶のサンバ」。

そもそも

♪ あなたに抱かれて私は蝶になる〜 ♪っちゅう メロディ出だしのAメロがさあ奇抜なんだよなぁ。

もろ中国音階ってやつでさ。

昔、某国営放送 でデーモン閣下が

ジョワーン(ドラの音)    「あなたに抱かれて、ワタシ蝶あるよ」 

なんて茶化してたけど、まさにそんな感じ。

そもそも、上の歌詞だけを見ても、よもや、この部分が「中国音階」のメロディがついてるなんて思えないしさぁ。

後年同じようなシチュエーションの歌詞で、秀樹の「君よ抱かれて熱くなれ」って曲があったけど、これはモロ、ヨーロッパ系な曲だったじゃん。

一体どこから「中華」なイメージが来るのか・・。奇抜だよなぁ。

ぢゃ、その後も全般にわたって、「中華」なイメージで攻めるのか・・というと、これまた、さにあらず。

サビで、 マイナー調からメジャー系、カンツォーネ風に一転。 マカロニウエスタンだよね。

なんじゃ、この変わり身の激しさは・・・。  

1曲中、場面場面で、まったく違う展開がある。 もしかすると、「1970年」って言う時代の歌謡曲の王道だったのかもしれない。 

例えば、同じ1970年にオリコン1位を獲得したヒデとロザンナの「愛は傷つきやすく」もそうだったじゃん。マイナー調のAメロから、サビでいきなりメジャーなカンツォーネに急展開するっちゅう。

まあ「愛は傷つきやすく」は、この「白い蝶のサンバ」ほどの「奇抜さ」は無いけど・・・。

で、「白い蝶のサンバ」の場合は、それだけに留まらない。 

メロディを追いかける。バックのトランペットのリフは、もろパート・バカラック、もしくは、ハーブ・アルパート、つまりはアメリカンな世界な訳ね。

ココまで来ると、いったい、この曲はどこの国の曲なんだ? なのよ。

確かに、時代的にマカロニウェスタンというイタリアンな文化が流行ってたし、バカラックもハーブ・アルバートもこの時代の象徴的な音楽だし、だから時代背景としはよく分かるけど・・・。


無国籍音楽。 

これなんだよね。 これが歌謡曲の王道なんだよね。 

歌謡曲のメロディは、向こうの音楽の官能的な部分を抽出し、日本人の感性にマッチさせたような独自なメロディっていわれるけど、メロディだけじゃ無く、サウンド的にもそう。

どこどこ風ではなく、世界中の「ヒット曲」のキャッチーな部分のごった煮なサウンド。
言ってみれば節操のない音楽。それが歌謡曲って訳ですわ。

でも、これが日本人の得意技であるし、明治維新以降の、日本文化の根幹なんだよね。

つまりさ、文化、産業、政治、学問なんでもそうなんだけど、一から物を作るんじゃ無く向こうのモノのいいところを、日本的にアレンジする。まあ、言ってみれば向こうの2次的産物であるわけだけど・・・。

だけど、時として、向こうのヒトには生み出せないような日本ならではのクオリティのモノが出来たりする。

歌謡曲っていうのも、その一つなんじゃないかな。

そもそも、外国にココまで「節操のない曲」なんてそうそうないと思うし。 アイデンティティが無いなんて笑われるのがオチだよね。

もっとも、「歌謡曲」っていうのは、向こうのヒトから見ると「サイケデリック」な音楽に感じるらしいけど。
要するに実態のない奇抜な音楽ってことなんでしょうね。

まさに、この「白い蝶のサンバ」ですね。

そもそも、どう聴いても「サンバ」ぢゃねーし、この曲。 今だったら「詐欺」って感じでネットで炎上してもおかしくないよなぁ。
あ、この曲だけぢゃなく、チェリッシュの「てんとうむしのサンバ」もそうだよね。 一体どこがサンバやねんってタイトル。

そういう節操のないところが1970年代っていう時代だったんよ。 そんなところで目くじら立てなかったのよ。

でも、そんな節操のない曲を平気でリリースして、しかもオリコン1位・・・つまり日本で最もヒットしてる曲・・・になるっていうのが、逆に言えば日本のスゴい所だったんじゃないのかなぁ。
日本独自の価値観ってやつですよ。
1970代っていうのは、日本国中、そんな独自の価値観、とりわけ音楽などの文化においても、花開いた時代なんじゃないのかな。

まあ、ヒトもみんな節操無かったんだよね、こういう音楽をなんの疑問も衒いも無く作れた訳だから。

だから、こんな節操のない無国籍な「歌謡曲」が黄金時代になり得たんだと思うし、だからこそ、「Japan As No.1」と言われるような国になり得たんだと思う。

今はさ、グローバル社会だぁ、なんだぁ・・と、兎角、世界的な協調性ばかり重んじられる社会になっちゃったでしょ。個性よりもコミュニケーションって言う名の下での協調性。個人的にはそこにツマン無さを感じてたりもするのね。
もっと無節操で、おおらかでいいんじゃねーのかなぁ、世の中。 



森山加代子さん、この時30才。
いやいや、でもカメラを引くと、30才とは思えないですね。お若い。
確かに、最近は30才なんて、見た目20代と変わらないのが普通だけど、1970年当時、30才なんて言ったら「オバチャン」だったよなぁ。 いや、そういう印象が強いけどなぁ。
さすがは、元々は「アイドル」としてデビューしただけありますね。

逆にカメラが寄ると「ツケマツゲ」の長さがスンゴイけど。。。 まあ、これも1970年代前半って言う時代だよなぁ。 ウチの母親もつけてたわ、長ーいツケマツゲ。逆さまつげかって感じのやつ。

だけどテカテカ光るリップがこの時代の流行りだったのかな? これはちょっと発見だった。
これを含め、全体的にキツメのメイクは、この後2000年代にもありましたよね。
時代は繰り繰り返すんだよね。



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