1972_11_雨_三善英史


今回の1曲セレクトは「雨」三善英史です。

まずはデータでする。

・タイトル      雨
・アーティスト    三善英史
・作詞        千家和也
・作曲        浜圭介
・編曲        近藤進
・リリース日     1972年5月25日
・発売元       ビクター
・オリコン最高位 2位
・売り上げ枚数  58.8万枚
・ベストテンランクイン期間:1972年10月2日〜1973年1月8日付

先月の台風15号に加え、先週の台風19号と、雨風に悩ませ続けている今日この頃。被災した皆様にはお見舞い申し上げます。
かくいう私も、家は「千葉」なんで、この間から雨風の影響を受けて来ているんですが、ウチは台風15号の「暴風」でカーボネイト製のベランダ屋根が飛ばされたのと、それが飛ばされた時に当たった見とられる雨どい1つが壊れただけで済みました。
ベランダの屋根と言っても、日よけ屋根なんで、飛ばされたからと言って雨漏している訳ではなく、生活に支障をきたしていないのが幸いと言うところなんですが。。。

で、また今週も昨日、土曜日が雨。

秋の長雨のシーズンといえば、そうなんだけども、もう雨はいいわ っていう気分にどうしてもなりますね。

そんな気分が大半を占めている今日このごろ。 頭の中でグルグルとヘビロテで流れている曲も自然と雨の曲が多くなっていたりして。。。

・・ということで、今回は、そんな昨今頭の中でヘビロテで流れている中の1曲を一つ。

三善英史さんの「雨」。

個人的に、この曲いつ覚えたんだろ? リリースが1972年なんで、当時、ワタシは3才。 

いつ、どこで、初めて聴いたのか・・・全く記憶にありません。 まあ、当然なんですけどね。

3才にして、初めて聴いたのはいつ、なんの番組でした・・・なんて言える方が怖いわけで。。。

でも、後年1980年代終盤、TBSの「テレビ探偵団」を初めとして、「懐かし番組」を振りかえる特番や、レコ大30周年記念、 日本歌謡大賞特別企画で、この曲が紹介された時には、既に、この曲知ってたんだよね。

まあ、1コーラスまるまる覚えてた訳ではなく、断片的に知ってたんで、恐らくはヒット当時、どっかで聴いてたんだろうな。

特に、出だしの ♪ 雨に濡れながら〜 ♪ っていう高音から下る、キャッチーなメロディライン
それに併せ Em → C とマイナーからメジャーに転換するサウンド 

この独特のサウンドがキモ中のキモだと思うんだけど、あのメロディラインは一度聴いたら忘れられないんだろうしな。

必然的に雨の情景が浮かんでしまう。 

このフレーズだけを切り取ってみるとフレンチポップスと言っても過言じゃ無いよね。

いやこのフレーズだけではなく、イントロの2小節のガットギターのアルペジオも如何にもフレンチポップスっぽい。

 雨・・と言っても、この間の台風のような「豪雨」と言う訳ではなく、シトシトと降る優しい雨って言うイメージですね。如何にも日本的な情緒漂う雰囲気の。

そう言う意味では、同じくフレンチポップスである、ジリオラ・チンクェッティの「雨」とは好対照的なイメージですね。
(ちなみにジリオラ・チンクェッティの「雨」は、後年、まっち先生の「スニーカーぶる〜す」の下敷きになった曲だが。。)


そう言うイメージが強いからか、この曲、リリースは1972年5月なんだけども、実際的にはランキングの上昇スピードは遅く、ベストテン入りしたのが、秋の長雨のシーズンの10月とリリースから5カ月も要している。
いわいるジワリ型のヒット。

まあ、当時はこういう曲が当たり前のようにあった訳で、この曲特有のと言う訳ではない。ただ、ベストテン入りしたのが秋の長雨シーズン。
この時期にヒットが加速したのは、やはりシトシトと降る秋の長雨っていう曲のイメージが、多くのヒトの心をつかんだんでしょうかねぇ。

 実際、リアルタイムでこの曲のヒットを追いかけていた訳ではないんで、その辺の詳しい経緯は想像するしかないんですけどね。
チャートアクションとして順位が上がってきたのが、今頃だったからって言う後付の部分が大きいからねぇ。

正直、個人的に、この曲って「梅雨」って言うイメージがずっとあったんだよね。 ヒットのピークも梅雨の長雨シーズンかなって思っていたぐらいだったし。。

全体的に優しくソフトなイメージがある曲だけど、温度感としては梅雨の頃のそれなんだよね。 決して秋の長雨の肌寒さは感じると言う訳ではない。


ただ、言える事はチャートが上昇傾向を見せた時期と、各音楽祭と重なったって言うのは、ヒットをさらに大きくしたって言う部分がるあるんじゃないのかなぁ。

この曲、三善英史氏のデビュー曲なんですよね。 
デビュー曲にしてチャート上位進出ということで、この年の各音楽祭の新人賞を総なめにしてたんでね。

・・と言う事は、自ずからテレビ露出が増える。 それがさらにヒットへ拍車をかけたともいえるんですよね。

少なくとも当時のオリコンのランキング推移を見ると、そんな事が想像できるんだよね。

ちなみに、オリコンでは1972年11月6〜13日付で2位まで上がったこの曲だけど、ついぞ1位にはなれなかった。

丁度、この頃、1位を驀進していたのが、宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」。 そそそ、売り上げ枚数320万枚。「〜たいやきくん」が出てくるまでの3年間、オリコンシングル売り上げ1位を記録。 しかも16週連続1位っていうのは、あれから47年経った今でも破られていない金字塔。

そんなモンスター曲の、2週目、3週目の1位というもっとも「アブラ」がのった時期のパッティっんぐということで首位獲りとはならなかった訳なんですよね。



最近、70年代、 特に70年前半の曲のときに「4-7抜き」のメロディラインって言う事を良く書くんだけども、この曲も件にもれず、「4-7抜き」だよなぁ。
いや、逆に、だからこそ如何にも70年代を彷彿させる・・というか、あの頃特有のメロディラインなんだよな。

邦楽特有の情景感というか、洋楽っぽいところは、↑の出だしのメロディラインを除いては、全般的にあまり感じられない。
曲全般を俯瞰してみれば、日本的な「和」を感じさせる部分の方が強い。

・・かといってコブシが強烈に唸る、ド演歌と言う訳でもない、これがまぎれもない「歌謡曲」の王道なんだよね。
和でもない洋でもない楽曲。それが歌謡曲。

それでも「和」を感じさせる部分が強いだけに今だったら、100%「演歌」って言うジャンルに入れられるだろうけど、 当時は、これでも一応はポップスの部類だったんだけどさ。

当時、ゴリゴリの正統派ロックに対して、 ちょっと優しい雰囲気のロックにソフト・ロックというジャンルがあった。後年のAORとではも言いますかね。

そういう概念に当てはめれば、ド演歌に対して、ソフト・ポップスとも言えなくもない。 かなりゴーインな見方ではあるけども。

でも、この手のメロディ、サウンドは70年代前半、少なくともニューミュージック的なサウンドがヒットチャートを席巻するまでは、日本のヒットチャートのメインストリーム、そそそ「ウレ線」だったで、これでも立派なポップスだった訳なんだよね。

・・とは言うものの、実際的には、↑で書いたように「ぴんからトリオ」のような「ド演歌」の方がレコード売り上げ的には上だったんだけどもさ。。。。



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