1980_02_赤と黒_岩崎良美


今回の1曲セレクトは、「赤と黒」岩崎良美です。

まずはデータです。

・タイトル     赤と黒
・アーティスト   岩崎良美
・作詞       なかにし礼
・作曲       芳野藤丸
・編曲       大谷和夫
・リリース日    1980年2月21日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位 19位
・売上げ枚数   11.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 23位

昨日のネットニュースでトシちゃんが11年ぶりに「メジャーレーベル」に復帰というのが出てましたな。
奇しくもデビュー日にあたる6月21日に「ユニバーサル」から新曲リリースとの事。

デビューから37年。未だに第一線で活躍されている様には恐れ入りますわ。 
ここまで長続きしてきた要因、いろいろあると思うけど、トシちゃんの場合は、バラエティに富んだ楽曲性だろうね。1曲ごとに曲調が全く変わる。ここが飽きられない秘訣だと思うんだよね。

まあ、デビュー当時は、「ウタヘタ」ってことで大分揶揄された訳だけども、今から考えれば、それが返って良かったのかもな。 
ウタヘタだったから、曲調にこだわらなくても良かったっていうのもあるだろうし、最初から歌唱力は期待されなかった事でさ、色々な曲にチャレンジ出来た訳なんだよね。

ちなみに、トシちゃんは「花」の1980年デビュー組のエース。

・・ということで、今回は同じ1980年デビュー組のこのヒトの曲を持って来ましょうか。

岩崎良美「赤と黒」

そそそ、岩崎良美さんの「デビュー」曲ですね。 リリースは1980年2月21日。

80年代アイドルゴールデンエイジの幕開けを切った、1980年デビュー組の中でも早いんだよね。 実質トップバッターと言う形だったんだよね。

まあ、それがこのヒトにとっては良かったのか悪かったのか・・・と言う事になる訳だけど、結果的には、あんまり良かったとは言えなかったのかもなぁ。

理由は簡単、このデビュー曲からして「80年代アイドル」らしさを感じられない・・・からなんだよねぇ。

いや、曲自体は決して悪い訳じゃない。歌唱力も、さすがに岩崎宏美の実妹だけあって完璧だし。。。

でも、そこが返ってマイナスだったんだよな。 そんな完璧なアーティスト性から返ってフレッシュをあまり感じられなかったし。。。。

なにより「時代は動いている」・・・と言うところを捉えきれなかった曲調だった所は大きいよね。

作曲は 芳野藤丸氏、アレンジは大谷和夫氏という「SHOGUN」コンビの作品。 ま、初期の3曲まではこのコンビの作品が続くんだけども、そう言うところもあって、完全に「ニューミュージック」にコミットしたような曲調なのよ。 当時、まだ18才にしては大人っぽい曲だったし。
でもさ、ニューミュージックがヒットの中心で、本来の「アイドル」という形は低迷だった、前年79年の状況が続いていれば、それでも良かった。。
・・・・というか、それが正解だったんだよね。 歌える、大人っぽいと言うところに於いてさ。

例えば、79年の新人王であった桑江知子さんにしても、同じような路線だったし。なにせ、あの竹内まりやさんでさえ、79年は「アイドル」でしたからねぇ。

まあ、そう言うところもあって前年からの流れを受け継いだようなこの曲をデビューとして持ってきたんだろうけど。。

ただ、今この曲を聴くと、ちょっと古臭いんだよね。80年代というよりも、完全に70年代の流れをくんだ曲と言う感じで。
 まあ、80年代突入して、2カ月で70年代から80年代へ、突然変異のように転換しろ・・・というのも酷な話ではあるけど。。。

どうなんだろう? もしかすると、この曲がリリースされる時点では、「アイドル」と言うモノ自体、商売にならないと感じていたんでしょうかね?  

売り上げは11万枚と、それでも70年代終盤以降のアイドルのデビュー曲としては上々の滑り出しではあった。いや、ミュージック全盛の当時、アイドルは売れて、ぜいぜいこの位・・・ってことで満足しちゃってたんではないか・・・そんな感じを受けるんだよな。


でもね、その一方で、時代は確実に動いていたんだね。 

1980年4月1日。 この日は、松田聖子さんのデビュー日だけど、正直言って、この日を境に、ヒットチャートの「色合い」がガラッと変わったような印象が強いんだよね。
 長年ヒットチャートを見てくると、「時代の転換点」と感じる時期があるんだけども、その一つは、1980年4月1日を境にした前後の違い。 これは大きく立ちはだかっていると思うなぁ。

結局何が言いたいか・・・というと、岩崎良美さんは、この「時代の転換点」に対応できなかった・・・いや、対応されなかった一人なんじゃないか・・・なんて思うんだよね。

例えば、デビュー日が2月21日という、早めのデビューではなく、4月1日以降、もっと遅いデビューだったらどうだったんだろうとかさ、やっぱり考える事はあるんだよな。
もうちょっとポップ気味な軽い曲を初めから歌ってたんじゃないか・・・とかね。 

まあ、それでも持ち前の歌唱力もあって、最初からポップ系というよりは歌唱力系な曲だったかもしれないけど。。。
やっぱり、このヒトが一番不運だったのは、お姉さんのように歌唱力を持ちながら、ディスコという歌唱系とは相反する組み合わせで、イメージを根本から変えた筒美京平氏のようなかたが居なかったからかもしれないなぁ。

そう、このヒトのイメージを根本から変えるようなブレーンが居なかった事。 そこに尽きるのかもしれない。






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