A_チェッカーズ


今回の1曲セレクトは、「Song for U.S.A」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル    Song for U.S.A
・アーティスト  チェッカーズ
・作詞      売野雅勇
・作曲      芹澤廣明
・編曲      芹澤廣明
・リリース日   1986年6月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 32.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1986年6月16日〜8月4日、8月18日付
・タイアップ:映画「Song for U.S.A」主題歌

個人的な事だけど、G.S(グループサウンズ)の勉強がしたくてねぇ、少し前にG.S研究の第一人者であった、故黒沢進氏が書いた「日本の60年代ロックのすべて」(シンコーミュージック刊)っちゅう本を買って読んでたんだよね。
 G.Sについては、いわいる「A級」って言われた、超有名ところなバンドについては以前から聴いては居るんだけども、G.Sは「B級」「C級」が面白い・・・なんて、まるで80年代アイドルのような事を言う人もいてさ、流石にそう言うマイナーとバンドは知らないんで、この本を買ってちょっと勉強してたわけなんだよね。
 この本、G.S研究の第一人者である黒沢氏が書いただけあって、マイナーなバンドまで、かなり詳しい解説があるからさ。

で、その中の「ザ・バロン」っていうグループの解説と、リーダーであった若子内悦郎氏のインタービューを読んでて、思わず「なに?」と思ってしまったのよね。

うん、このバンドで、サイドギターをやってたのが、何を隠そう、80年代にヒットメーカーとなる芹澤廣明氏だったんですよね。

うーむ、なるほどそうだったのか。。。と思わず唸ってしまったですわ。

芹澤氏といえば、確かに中森明菜の「少女A」が有名だけど、やっぱしチェッカーズ初期の一連のヒット曲ですわな。

・・・うーみゅ、前置きが超長くなってしまったけど、そんな事で、今回の1曲セレクトは、チェッカーズの「Song for U.S.A」をば。。。

↑でも書いたように、チェッカーズの初期の作品・・・。そう、デビュー曲の「ギザギザハートの子守唄」から、全てのシングルのタイトル曲は芹澤氏が作曲、プロデュースを行ってきた訳だけども、その蜜月の最後となった曲が、この「Song for U.S.A」・・・と言う訳ですわ。
そそそ、この曲の次が「NANA」になる訳だけど、「NANA」から後はメンバーの自作曲と言う事になるわけで。。

デビューから3年余り、ずっと続いてきた芹澤氏との蜜月が、突然切れた訳なんだけども、なぜ、このタイミングで切れたのか・・・っていうのは、まあ、30年経った今でも公式に公にはなっていないだけど・・・。
以前、有名になった高杢氏の暴露本「チェッカーズ」によると、藤井兄弟と芹澤氏との確執って事が書かれてはいたけど、どこまでが事実なのかは、よく分かんないしさ。

ま、確かに、この頃のチェッカーズの曲って、少し迷走して来て感があったのも事実だったけどね。
この曲の前の「OH!! POPSTAR」では、60年代のマージービートっぽい曲だったじゃん。正直ね、なぜに、このタイミングでこの曲なんだろう? ・・・とは当時から感じてたりしてね。チェッカーズもそろそろ、曲のネタが尽きてきたのかなぁ・・・っていう印象が強くてさ。

・・・それとともに、シングルの売り上げもジリ貧になってきてたしね。
「OH!! POPSTAR」が、おニャン子に負けて、オリコン1位獲れなかった・・・っていうのも、ちょっとインパクトあったしなぁ。

この「Song for U.S.A」でも売り上げのジリ貧は続き、売上げは32.6万枚。 この時点でのチェッカーズのシングルで「一番売れなかった」シングルになっちゃったわけだけどさ。


まあ、曲的な問題もあったのかもれしないけどね。
最初に書いたように芹澤氏って、G.Sのバロンっいうグループに居た訳だけども、このグループ、R&B志向が強かったようですから。まあ、チェッカーズ自体、R&B臭が強いかと言えば、そうではないけど、少なくとも50年代〜60年代の香りは、それまでのどの曲でも感じる訳だよね。
 でも、そういうオールディーズな傾向から、脱却したかったのかもな。そういう「縛り」がなく、もっと自由に音楽を作りたいって言う気持ちの方が強かったんだろう。

芹澤氏との蜜月の解消・・・っていうのは、その部分が強かったのかもしれないな。


たださ、個人的には、この「Song for U.S.A」っていう曲は、キライじゃなかったんだよな。
まあ、個人的に「3連」の曲が好きだってこともあるけど、曲自体切ないんだよね。
こういう切ない曲をチェッカーズがやってくれるんだったら、それはそれで歓迎だな・・・と。

ま、それよりも、前年の「神様ヘルプ」から、公然的に口にしてた「ゲ―ノー界」にたいしての反抗期っていう感じが、曲を聴く限りでは感じ無かったんだよね、この曲では。

音の荒みとか感じ無かったしさ、なにより曲を聴いて切なく感じるってことは、それだけ精神的に安定していたとも言えるしね。

でも、実際は、芹澤氏との蜜月解消が進んでいたって言う訳だからねぇ。
いや、逆言えば、そういう腹積もりを決心していたからこそ、音にも出て来ていたのかもな。




ちなみ、「Song for U.S.A 」とは、関係ない話だけど、芹澤氏との関係が解消し、50年代〜60年代縛りが無くなった頃、ネオG.Sって言う形で、G.Sにまたスポットが当たったのは、チェッカーズにとってはなんか皮肉だったよな。
 それと、芹澤氏の他にも、G.S・・・特にB級、C級のG.Sの元メンバーだった方が、この頃80年代の(音楽)業界にはホント多かったんだよね。売れる音楽とは何なのか・・・ってことを自分たちで体感し、分かっていたからこそ、80年代くらいの音楽は面白かったのかもしれないな。 その辺については、追々と言及して行きたいですね。


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