1976_07_横須賀ストーリー_山口百恵


今回の1曲セレクトは、「横須賀ストーリー」山口百恵です。

まずはデータです。

・タイトル     横須賀ストーリー
・アーティスト   山口百恵
・作詞       阿木耀子
・作曲       宇崎竜童
・編曲       萩田光雄
・リリース日    1976年6月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 60.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1976年7月5日〜10月4日付

7月ですね。夏本番間近・・ってこともあるけど、のっけから蒸し暑い1日ですわ。週末って事もあるけど、「体力の限界」って感じですわ。
 ここ数年、クーラー何ぞつけたことないんだけど(電気代ケチケチ生活って言うのもある)、今日はちょっと無理。
クーラーをガンガンかけた部屋で書いておりまする。

さて、7月1発目の1曲セレクトは、百恵様で行きましょうかねぇ。

横須賀ストーリー。

うーむ、この曲もまだ書いたなかったんだな。 売り上げ的に言えば、山口百恵さん最大のヒットとなったこの曲ですね。
 そそそ、あの「いい日旅立ち」(売上げ53.6万枚)よりも、この曲の方が売上げは上なんだよね。

・・・・と言っても、60万枚強。

この売り上げ枚数を多いと見るか、「そんなもんなの}」と見るか・・・と言うところなんだけども、前から書いているように70年代アイドルの場合、売上げ50万枚というのが、一つの壁となっていて、50万枚以上売れた曲って言うのは、そんなに多くない。ましてや、60万枚強となると、さらに少ないんだよね。
 
 レコードの購買層の中心は、ティーンエイジャーというよりは、もう少し上の年齢と言う事もありーの、やっぱり時代は、まだ歌謡曲中心だったからね。

それから見ると、この曲は、百恵最大のヒットとしては相応しい売り上げだったんじゃないかな。

ま、売り上げ云々は別として、実際ベストテン内に3ヵ月間居座ったし、手前味噌で申し訳ないけど、ワタシのランクでは、8週連続1位でしたからねぇ。
そんな動きをみると、大ヒットだったって事は如実ですよねぇ。

でも、そんな大ヒットを出した、山口百恵さんですが、この曲にたどり着くまで、2年余りはそれほど突出した大ヒットは無かったんだよね。
まあ、・・とはいえ、平均30万枚近くの売上げは記録していた訳で、通常の「歌手」から見るとスーパースターだけどさ。

これと言った代表曲はなく、実際の所、百恵自身も悶々と過ごしていたらしいですね。

そんな中でのこの1曲。 百恵自身の意識も変えるほどのターニングポイントとなった曲だけど、そのウラでは、やっぱり、なんだかんだ言っても、阿木耀子、宇崎竜童夫妻の力が大きかったと言わざるを得ないだろうなぁ。
 
 そそそ、山口百恵と言えば、阿木耀子、宇崎竜童コンビの曲っていうのが、定番のように思えるけど、実際は、この曲からなんだよね。

宇崎氏曰く、この曲はシカケもなにも考えずに素直に作った・・と言う事なんだけども、そのシンプルさが返って良かったのかもしれない。 余計な全肉をそぎ落とした1曲・・というか、阿木さんのコトバ一つ一つが、ストレートに伝わって来ますよね。
それが、曲全体のインパクトに繋がってくる・・・というかね。兎に角曲全体がインパクトなんだよな。

もちろん、そこには、アレンジの萩田氏の力も忘れる訳には行かないんだけどさ。 うん、こちらに迫ってくるようなイントロはインパクトそのものだしなぁ。
それに続いて、 ♪ これっきり これっきり〜 ♪ っていう、一種変わった譜割りのメロディが続く訳で。

やっぱり、この曲の肝だよね、イントロからこのAメロの部分は。

いずれにしても、この曲から、阿木、宇崎コンビが、ラストの「さよならの向う側」まで続く訳で、百恵の本当の意味でのスーパースター伝説は、ここからスタートしたと言っても過言じゃないわけですよね。



えー、この時、百恵17才なんですが・・・・。まあ、なんて大人っぽいんでしょう。
今のアイドルなんてさあ、20才越えたいい年しても、一向にガキっぽい曲をガキっぽく歌ってんじゃん。このヒトの爪の垢でも煎じて飲ましてやりたいよね。大人になれやってさ。
 それと存在感だよなぁ。スーパースターの条件だよなぁ。その点からすると、最近はスーパースターと呼べる人がほとんどいないっていうのが分かりますね。存在感がある人が少ないんだよね。
だから、グループに逃げるんですよ。存在感があればソロで充分な訳で、グループにする必要もないんだよね。



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