1985_05_スクール・ガール_C-C-B








今回の1曲セレクトは、「スクール・ガール」C-C-Bです。

まずはデータです。

・タイトル    スクール・ガール
・アーティスト  C-C-B
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      船山基紀
・リリース日   1985年4月25日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数  21.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1985年5月13日~6月24日付

いやいや暑い1日でしたわ。ここ数年5月だというのに「真夏日」とか頻繁に観測されたりして、正直80年代までの感覚だと、「本当に5月?」って言いたくなるような感じがしますよね。
 いや、80年代・・・そうだねぇ、ワタシらが「TEENAGER」と呼ばれてた頃は、5月なんていったら、まだうすら寒い日が続いてたよなぁ。
 そそそ、6月1日衣替えで、制服も冬服から夏服にチェンジするじゃん。最初は寒かったもんね、マジで。

今回は、そんな、まだうすら寒かった1985年5月のヒット曲。

C-C-B「スクール・ガール」。

なんで、マクラに80年代の5月ってまだうすら寒かったよね・・・なんてことを持ってきたか・・・というと、この曲の記憶で、まず浮かぶのが「寒かった事」なんだよなぁ。 なんかねぇ、サムサムチキン(トリ肌)立ててブルッと震えながら聴いてた記憶があるんだよなぁ、この曲。
 その前に、1985年の初夏~夏っていうのは、天候不順な日が多くて肌寒い日が多かったんですよね。いや、85年に限らず、85年~88年にかけては夏場、肌寒い日が多かったよなぁ。
 
 丁度、この期間高校生だったワタシだけど、当時、夏場に「熱中症」なんてコトバを聞いたことはほとんどなかったもの。


ところで、この曲は、あの大ヒット曲「Romanticが止まらない」を受けて、次のシングルだった訳だけど。。。
兎角、大ブレイクした次の曲って言うのは難しい訳だけど、この曲も難しかったですよね。
大ヒットの余熱で、ある程度のヒットは約束されているわけだけど、果たしてどういう曲を持ってくるのかっていうのが難しい訳ですよ。

まあ、大体は大ブレイク曲Part2見たいな曲を持ってくることが多いんだけど。。。一番楽だしな。

でも、C-C-Bの場合は、敢えて()、「Romanticが止まらない」とは違う曲調を持ってきたっていうのは、今から考えるとエラかったな。
 
イントロの ♪ Goog-Bye ~ ♪ ってビーチボーイズ風のファルセットで始まった時は、ちょっとビックリしましたけどね。初めて聴いた時は。

ま、「Romanticが止まらない」以前の、「ココナッツ・ボーイズ」って名乗っていた頃のサウンドに一部戻ったということも言えますけどね。
うん、C-C-Bってシンセバリバリのポップロックって言うイメージが強いけど、もともとはビーチボーイズ風のコーラスポップが得意だったんだよね。まあ、それに一時的に戻ったって感じだったかな、この曲では

ただ、やっぱり、どうしてもインパクトっていう点では、「Romantic~」には遠く及ばなかった訳で、売り上げも「Romantc~」の半分以下の20万枚で止まっちゃいましたけどね。

 当時の個人的な期待からすると、やっぱり「Romanticが止まらない」PART2のような曲が聴きたかったっ言う部分が強かったんだよね。そう思ったヒトはやっぱり多かったんじゃないかなぁ。それは、売り上げに如実に出てましたよね。

まあ、まだガキだったしな当時は。 戦略的なことまでは見えなかったからさ。

今から考えると、戦略的な部分も強かったんだろうね、「Romanticが止まらない」のようなアッパーチューンではなく、ミディアムテンポの曲を持ってきたっていうのは。

筒美氏って、1曲単位ではなく、それぞれのアーティストの先々について戦略的に考えて曲作りをするスーパーな天才だから、おそらく同じ曲調を続けて、アーティストの幅を狭くするよりも、敢えて違う曲調をもってきてC-C-Bの可能性を探ったんじゃないか・・・なんて今では思えたりするんだけどさ。

数字って見方によっては捉え方が変わってくるじゃない  この曲を持ってる事で「20万枚しか」売れなかったのか、あるいは、こんなにインパクトが少ない曲でも「20万枚も」売れたのか・・・っていう捉え方の違い。

筒美氏は、後者的な捉え方だったんだろうね。
うん、上でも書いたように、大ブレイクの次の曲っていうのは、大ブレイク曲と同じように売れる事はまずない・・・って言うのを見越したうえで、インパクトが小さいミディアムテンポの曲を持ってくるとね。。。そこで可能性を見出し、次の第3弾に繋げていく・・・っていうのが、当時の筒美氏のパターンだったような気するなぁ。

例えば、まっち先生なんかそうだったじゃないですか。 大ブレイク曲の「スニーカーぶる~す」の後、あえてインパクトの少ない「ヨコハマチーク」を持ってきて、次の「ブルージーンズメモリー」に繋げていったとかね。
 
それと同じはパターンをC-C-Bでも試していたんだろうな・・・ま、一種の実験的な曲だったんだよね、この曲は。
っていうことは、今となってみれば感じますね。

作詞の松本氏は、言わずと知れた「大作詞家」だし、だから、いい詞を書くのは最初から分かってるんで、それだけ、冒険というか、実験的なことが出来たようなんだよね、当時、松本−筒美コンビで、連続してシングルに携わっていた時は。

70年代~80年代頃の曲って、こんな風に「戦略的」なところまで感じながら聴くのも面白いですよね。
最近の曲って、あんまり戦略的な部分が見えなかったり、あるいは見えすぎでかえってつまんなかったりするんでさ。。。。

まあ、C-C-Bのプロデュースは、筒美氏の実弟の渡辺忠孝氏だったからなぁ。兄弟としてそりゃ軽視できないアーティストだったろうけどね。

なに? 実弟なのに筒美氏と名字が違うって  筒美京平っていうのは「ペンネーム」ですよ~。
本名は、渡辺栄吉氏ですからねぇ~

・・・なんて書かなくてもわかってるか。。。ここ読んでくださっている方たちは。。。



それにしても、いつも書いてるような気がするけど、この時代一世を風靡していた、C-C-Bもチェッカーズも、「メンバーの死」ってことで、「オリジナルメンバー」では、再結成が絶対に不可能になってしまいましたね。
高々30年前なのか、それとも30年も前なのか、いずれにしても隔世の感じがするよなぁ。




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