1984_05_ギザギザハートの子守唄_チェッカーズ








今回の1曲セレクトは、「ギザギザハートの子守唄」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル    ギザギザハートの子守唄
・アーティスト  チェッカーズ
・作詞      康珍化
・作曲      芹澤廣明
・編曲      芹澤廣明
・リリース日   1983年9月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数  39.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1984年5月7日〜5月28日、6月11日付

のっけから・・・・・眠いっス!  昨夜は自分のサイトのトップページに「アクセスカウンター」を設置するのに、久々にCGIと格闘しつつ、気がついてみたら「あさ〜っ」ってのをやってしまいまして。。。。
いや、昔、レンタルサーバーを借りてた時も付けてたんだけど、一時、お金が無くてやむなく無料のレンタルサーバーに引っ越しした時に外しちゃったんだよね。
 でも、昨年、再度、「有料」のレンタルサーバーを借りて独自ドメインを復活させたんで、ちょっと遅くなっちゃったけど、アクセスカウンターを復活させようと思ったんたけど。。。。

 うーむ、久々にCGIのプログラムや、ファイルのパーミッション設定なんかと格闘したんだけどねぇ。 最終的には表示できるようになったんだけど、どうも、数字がランダムになっちゃってウマく表示できなかったんだよね。

・・・なんで、結局、徹夜までしたのに破棄。 ネットに落ちてた無料カウンターをつけたら、ものの5分でついた。。

むー、最初からそうすりゃよかった。。。。 眠いっス。頭が回らなっス。。。。

なんで、早く書いちゃいますね。


さて今回セレクトしてきた曲は、チェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」。

うむ、栄えあるチェッカーズのデビュー曲ですわな。
・・・・ってことは、ここ読んでる方はみなさんご存知ですよね  まさか「涙のリクエスト」がデビュー曲って思ってる方は、よもやいらっしゃいませんよね 

うーむ、まあ、今となっては「栄えある〜」なんて書けちゃいますけど、リリースから暫くの間は、まったくヒットしなくて、泣かず飛ばずの状態が続いた・・・っていうのは、当時、リアルタイムでこの曲聴いてた方なら、良くご存知ですよね。

ちなみに、この曲のオリコン初登場って何位だったかご存知でしょうか。 

168位だったんですねぇ。(1983年10月3日付)。。。

168位ですわ〜。っつか、詳細はワタシも今、知ったんですけどね。。。
当時のオリコン(ウイークリー)ってシングルは200位まで掲載してあったんで、当時のオリコンをひっくり返してみましたわ〜
 そそそ、当時のオリコンを所有しておられる方ならご存知だと思うけど、今でこそYOU大樹では200位まで売り上げ枚数は記録されているものの、当時は、101位以下は集計「誤差」が大きいという理由から、あくまで「参考」ランクであり、売り上げ枚数も出してなかったんだよね。

当時からすると、オリコン100位以下の曲は、そのアーティストの余程のファンで無い限り、一般的にはほとんど誰も知らない曲であり、ほとんど注目もされなかったんで売り上げ枚数があろうが無かろうが、影響はなかったんだけどさ。

だから、つまりは、当初は、この曲は、ほとんど見向きもされなかった曲だった訳無なんですよね。
 そんな状況下の中、当時、デビューキャンペーンで各地を回った際は、観客もほとんどおらず、「リンゴ箱」の上で歌ったこともあったとか。。。 

まあ、当の本人も、もともと「こんな演歌歌えるか」って言う気持ちだったようなので、仕掛けた側には「それみたことか」っと言う気持ちだったようなんですが。。。


 そそそ、もともとチェッカーズって、件のアイドルバンドなんかじゃなくて、ヤマハのライトミュージックコンテストのジュニア部門、後の「YAMAHA TEENS' MUSIC FESTIVAL」に相当するコンテストで優秀賞を受賞した実績のあるバンドだったんだよね。
 なので、当然、バリバリのバンド系、とくに当初はシャネルズのようなドゥアップなど黒人系音楽をやっていたので、そちらの方向でデビューすると思っていたところ、いきなり「アイドルバンド」にさせられ、しかも「演歌・歌謡曲」みたいな曲でデビュー・・・ということで、少し「ふてて」たところもあったようだ。

だから、当初、売れなかったときは「それ見た事か」・・・と思ったようなんだよね。


BUT、年が明け第2弾の「涙のリクエスト」がラジオでヘヴィーローテション的にかかるようになって、状況が変わる。
 オリコン初登場168位なこの曲もジワジワジワとランクを上げ、100位内に初登場したのが、1983年12月19日付(81位初登場)。その後も、ノラリクラリと、業界用語でいうところの「右ページ」(51位〜100位)を少しずつランクアップしていたところ、「涙のリクエスト」リリースと同時に、「左ページ」に躍進。
以後も、ジワリジワリとランクアップし続け、1984年5月14日付でついにベストテン内に到達。。。とまさにシンデレラストーリーを字で行くようなチャートアクションを展開しましたよね。

うん、その間に、第2弾の「涙のリクエスト」、第3弾の「哀しくてジェラシー」の大ヒットもあり、一躍「時の人」な存在になってしまった訳なんだけども、チャートマニアからすれば、この曲のようなジワリ型ヒットっていうのが、一番見応えがあったわけなんだよね。
ま、確かに3曲中では、一番ジミーな存在であることは確かなんだけどさ。

ちなみに、この曲がベストテン内に到達した、1984年5月14日付チャートは、チェッカーズが、それまで前人未到の3曲同時にベストテン入りさせた・・・なんていう歴史的なチャートなんだけどさ。

1位 哀しくてシェラシー
5位 涙のリクエスト
9位 ギザギザハートの子守唄

いや、まさにチェッカーズ旋風が吹きまくっていたころですね。

でも、これよりホンの半年前のことを考えると、上で書いたようにほとんど客もいない前でデビューキャンペーンを行っていたなんて、まったく信じられない状況だったよな。
 っか、逆に、1983年の大晦日の時点で、次の年にチェッカーズ旋風が来るなんて、全然予想もしてなかったことだったもんな。

たださ、そんな予感がしてたのかどうかは分かんないんだけども、当時、月刊明星付録の「YOUNG SONG」の1984年2月号(年末特大号)。楳図かずおと近田春夫の「年末対談」って言う企画の中で、「来年はハデハデグループが出てきて欲しいな」なんていう件があるんだよね。
 あとからすると、いや、まさにその対談内容が「図星」で当たっちゃったわけなんだけども、すでに業界内では、チェッカーズが爆発する・・・っていう噂はあったんでしょうかねぇ。 まあ、今となっては全く分からないことなんですが。。。。



うわうわ、チェッカーズヘアのフミヤや。
当時、この髪型にしようとすると、ガッコの頭髪検査で、絶対引っかかった・・・という。
ちなみに、オートバイを生産していたYAMAHAにおいて、YAMAHA所属のチェッカーズが、♪ 仲間がバイクで死んだのさ〜♪ とは何事だ〜・・・って言う事もあったようですね。
 それでもリリースしちゃったんだから、いい時代だったよね。 いまだったらコンプライアンスがなんじゃらかんじゃらで、もっと問題になったろうけどね。
 だいたい、こういうエンターテイメントに「まともな意見」が絡んでくるとツマンナクなるのよ。

サザンのアルバム「NUDE MAN」の1曲目の「D.Jコービーの伝説」にあるように 「オリコウなやつぁGET OUT、アーパーならC'MON」って行く方がいいのよね、エンタテイメントは。



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