今回の1曲セレクトは、「カナダからの手紙」平尾昌晃 畑中葉子です。
まずはデータでする。
・タイトル カナダからの手紙
・アーティスト 平尾昌晃 畑中葉子
・作詞 橋本淳
・作曲 平尾昌晃
・編曲 森岡賢一郎
・リリース日 1978年1月10日
・発売元 ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 70.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1978年2月13日〜5月1日付
カラオケも今や、完全に日本の「文化」に溶け込んでしまいましたね。
「しまいましたね」っていうのは、大げさかもしれないけど、今や、余程、自分で歌う事に自信が無い方以外は、ボックスや、スナックなんかの飲み会で、1回はマイク握ってるるんじゃないですかねぇ。
まあ、「ここ」みたいな音楽系のブログを覗きに来られるくらいの方でしたら余計ですよね。
今は、カラオケボックスとか、ゲーム機、はたまた着うたサイトにまでカラオケが入ってくるらいだから、めちゃくちゃ手軽に楽しめるようになったけど、昔、まだまだカラオケの黎明期は、飲み屋に行かなきゃ、専用機がなかったんだよね。
最初は、酒のお供だったんだよね。 それから「8トラ」(8トラック)の家庭用カラオケ専用機が出てきて・・・って感じだったよなぁ。
かくいうワタシもね、初めて「カラオケ」と言うモノをやったのは、この8トラの家庭用カラオケ機でしたねぇ。うん、友達の家にあったんだよね、これが。
たしか、1977年か、1978年の頭だったと思う、うん。まだ小学2年生だったことは覚えてるから。
でもね、当時は、まだカラオケというと、「宴会」とか飲み会の余興って感じだったから、オジさん、オバさん用の曲がほとんどでさ、若者向けのポップスのカセットはほとんどなかったんだよなぁ。
今回の1曲セレクトは、そんな「ワタクシ」がはじめてカラオケをやった頃のヒット曲をセレクト。
平尾昌晃 畑中葉子「カナダからの手紙」
いやあ、この曲もカラオケでは、長年すっかり「お馴染み」の曲だよなぁ。「デュエット」曲としては超定番だよね。
そんな感じの曲だから、今となっては、「演歌・歌謡曲」っていうイメージが強くなってしまった、この曲だけど、リリース当時は、全然そんな感じじゃなかったよなぁ。
サウンド的にも78年当時の他のポップスと変わりなかったし、歌謡曲特有の古臭さを感じなかったんだよな。
だから、完全にポップスっていうイメージでしたよね。
まあ、確かにあれから38年経っている訳で、今聴くと、流石に古いよなぁ・・・って感じだけどさ。
サウンド以外に古臭さを感じなかったっていうのは、この曲のシチュエーションだよね。
「カナダからの手紙」ということだから、今でいう長距離恋愛ですわな。そのシチュエーションが当時としては、一歩進んているように思えたんだよね。まあ、当時も長距離恋愛」してた方いっぱい居ただろうけど、まだエンターテメント的にクローズアップされていなかった時代だし。
ちなみに、遠距離恋愛っていうシチュエーションもあってか、平尾氏と畑中さんがバラバラな場所で歌うってこともあったよなぁ。
その一番のハイライトは、「ザ・ベストテン」で、平尾氏がGスタ、畑中さんが「甲子園球場」っていう初の2元中継での歌唱っていうのが話題になりましたよね。
今でこそ、特段な技術ではないけど、当時は、別々な場所で歌って音を合わせるっていうのは大変な事でしたから。
あ、話がずれた。。。
それと、「カナダ」って地名だよね。この曲がリリースされる2年前に、カナダのモントリオールでオリンピックがあったんだけど、まだ当時は、大多数の方にはカナダってよく知られてなかったような気がするなぁ。
ただ、時折テレビで放映される、カナディアンロッキーの大自然って言うイメージが強かったのは確かだけど。。。だからね、カナダって言うと「きれいな大自然」っていうイメージだったよな。
そんな大自然のカナダと、せせこましい大都会東京どの恋愛って言うシチュエーションからこれまた途方もなく遠距離に感じちゃったりして、この曲をより一層ドラマチックに感じされちゃったんじゃないですかねぇ。
・・・ってか、そんな風に受け止めた方が、多かったんじゃないかなぁ。
・・じゃなきゃ、オリコンで1位取るほどの大ヒット曲にはならなかったんじゃないかな。
うん、当時のオリコン1位の重みは、現在の比じゃなかったですからね。それじゃなくても「ピンクレディー」っていうモンスターが人気絶頂の時代ですから。。
その時代に、オリコン1位をもぎ取るっていうのは、それこそ大変な時代だった訳ですからねぇ。
ちなみに、この曲の大ヒットお陰で、このすぐ後、カナダブームが来た・・・って覚えてるんですが・・・。
まあ、個人的な記憶の中なので、定かじゃないけど。。。。
ところで、畑中葉子さんは、この曲がデビュー曲となる訳だけど、もともとは平尾昌晃ミュージックスクールの生徒だったヒト。
そそそ、デュエット相手の平尾昌晃氏のお「弟子」さんですわね。
wikipediaで調べてみると、1959年生まれとあるから、ワタシと丁度10才違いですわね。・・・ということは、ヒット当時は18才〜19才・・・と高校卒業の頃だわなぁ。
それにしては、オトナっぽいよなぁ。ウタもしっかりしてるし。やっぱり、当時の歌い手さんは早熟な方が多かったんだよね。
まあ、だからして、その後20才そこそこで脱いじゃったりしても全く違和感が無かったのかも・・・な
どーでもいいけど、やっぱ「夜ヒット」の演奏は、「お粗末」なんだよなぁwwww。
エレキギター、どうにかならなかったんでしょうか。。。
ダン池田氏も「芸能界本日モ反省ノ色ナシ」なんて暴露本書いてる場合じゃなかったんじゃなかったんじゃないですかねぇ。そんなことしてる間にバンドの練習して欲しかったよね。。。。。。
よろしかったら、ポチッと押してね
記事検索
最新記事
人気記事
カテゴリ別アーカイブ
月別アーカイブ
QRコード
読者登録
livedoor プロフィール
かじやん