1988_12_I MISSED THE SHOCK_中森明菜






今回の1曲セレクトは、「I MISSED THE "SHOCK"」中森明菜です。

 まずはデータです。

・タイトル    I MISSED THE "SHOCK"
・アーティスト  中森明菜
・作詞      QUMICO FUCCI
・作曲      QUMICO FUCCI
・編曲      EUROX
・リリース日   1988年11月1日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   31.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1988年11月14日〜1989年1月23日付

 えー、先日書いた浅香唯の「Melody」の時も、ちょっと出しましたが、中森明菜の「I MISSED THE "SHOCK"」です。

 この曲は、あらゆる予想に反して、オリコン最高位は3位だったんだよね。

 84年の「北ウイング」が最高2位だった、以降、次の「サザンウインド」から絶対に外したことなかった(15曲連続)、オリコン1位を思いもかけない展開で、この曲では取れなかった。。

 これは、ほんとに意外だったんだよね。まさかの展開って言うのかな。


先日の「Melody」の時も出したんだけど、この曲が初登場した、1988年11月14日付ランク。

1位 とんぼ       /長渕剛   86,170枚
2位 Melody     /浅香唯   80,630枚
3位 I MISSED THE "SHOCK"/中森明菜  77,450枚

 長渕は、この前の週初登場で、この週は売上げを幾分落とすと予想された。
 浅香唯の、この前の「セシル」の初動は7万9千枚。中森明菜の、この前の「TATOO」の初動は7万7千枚。

 この2曲でのいい勝負になるだろうとは、予想してたけど、よもやの3位。

 これは、ちょっと予想できなかったな。最終的には1位は取れるもの・・・とも思ってたし。

 でも、今、数字だけを見ると、決して、明菜の数字が落ちていたわけではないんだよね。

 むしろ、この週は浅香唯と長渕の強さのほうが強かった・・・ってことで。。。


 そんじゃ、なんで、浅香唯は、この勢いを、このまま継続できないで、次の曲で失速した印象(・・・というか実際、失速しちゃったんだけど・・)があったのか・・・・。

・・・って、ちょっと考えて見たんだけど、一つの手がかりが見えた。

1988年を境に、失速したアイドルがもう一人いたわ。。。そそそ、南野陽子。

そんじゃ

浅香唯と南野陽子 vs 中森明菜

何が違っていたのか・・・。

という、ところになってくるんだけど・・・。


あった・・・。曲調だ。

 この「I MISSED THE "SHOCK"」の曲調が、ひとつの手がかりになるんじゃないかなぁ。

 ずーっと気になってたんだけど、この曲、「歌謡曲」路線というよりも、なんか洋楽っぽくありません?

 ワタシは、ずっとそんな感じがしてたんだよね。匂い的に・・っていうのかなぁ。
 
 それまでの歌謡曲って、ヘンチクリンなコード進行で、引っ掛かりが強いメロディラインがあって・・・っていう、フォーマットがあった。
 うーん、要は「分りやすさ」っていうのがあったんだけど、どうも、この「I MISSED THE "SHOCK"」って、どこか平面的なんだよなぁ。

 メロディラインに大きな引っ掛かりがあるわけではない、たんたんと流れていく・・・というか。

 たしかに、ここまでの中森明菜の曲で、こういう「平面的」な曲はあったけど、どうも、この曲の場合、作為的にそうした・・・っていう感じもするんだよなぁ。
 ちなみに、作詞、作曲者の「QUMICO FUCCI」さんは日本人なんで (後の「SHERBETS」のメンバーとなる福士久美子さん)

 実は、そう思ったのは、中森明菜の他にも居たんだよね。中山美穂。
この年88年夏の「人魚姫」もそうだったし、この時期にリリースした「Witches」も、どことなく歌謡曲・・・というよりは洋楽っぽかったじゃん。

 当時は、これが88年の流行り、色合いなのかなぁ・・・とも思ってたんだけど、実は、その裏に「生き残り戦略」があったんだよねぇ。

 これが意外なところかもしれないけど、独立系FM局の開局ラッシュ。
88年〜89年にかけて、折からのバブル期・・・と言う事もあったんだろうけど、独立系のFM局がこの時期に相次いで開局してたりする。

・1988年10月1日  J-WAVE開局
・1988年10月31日  NACK5開局
・1989年6月1日   FM802開局
・1989年10月1日  bay FM開局
                 
 つまりさ、それまで、FM局っていったら東京FM系列のFM局しかなかったけど、独立的なFM局が、この時期、大量に開局したってこと。

 これら、独立FM局の最大の特徴は、それまでのトーク中心から音楽中心のプログラム構成。それも、当時の先端を行く飛び切りオシャレな音楽中心。

 これが、折からのバブルの影響もあり、オシャレな若年層・・・そそそ、丁度、ウチラから、少し上の年齢層だね・・・に受けた。


・・・そうなると、影響が大きくなるのは、「歌謡曲」っていうジャンルの音楽よ。

FMと歌謡曲・・・ってそれまでも親密性は薄かったのに、それにも増して、さらに親密性が薄くなる。
  歌謡曲、歌謡ポップス・・・っていったら、どっちかというと、「AM局」っていうイメージが強かったもんね。

 それは、番組を作っているディレクターさんたちも、同じ感覚だったようで、FMといっても「日本」の局だから、本当は日本の「曲」を流したいのは山々なんだけど、「じゃ、誰の曲を流せばいいの?」っていう状態だったらしい。
 なにせ、それまで日本のヒット曲の主流は「アイドル」だったわけだから・・。

 うん、以前「FM802」のディレクターさんだった方の著書を読んだことがあるから、これは間違いないこと。

 アイドルのいわいる「歌謡曲系」に比べたら、日本のバンド、ロック、ニューウェーブ系は、それまでもFM局とは親密性があったよね。

 だから、89年になると、時代は一気にバンドブームになだれ込むんですよ。
BUCK-TICK、ユニコーン、バービーボーイズ、爆風スランプ、THE BLUE HEARTS、プリンセスプリンセス、X、ZIGGY・・・みんな89年ブレイク組みだぁ。

 これと独立系FM局の大量開局とは相関性が高いんだよね。うん、各独立系FM局のディレクターさんたちが、足と噂で稼いでパワープッシュしたアーティストたちだ。


 それを見てとった「歌謡曲組」が、中森明菜、中山美穂だった・・・ってわけですわ。

 結果的に、その読みは当たったことになる。その後、89年〜90年代前半の流れを見ても・・・。

 つまりさ、独立系FM局をにらんだ曲作りをはじめたアイドルたちは、残った。
 「80年代アイドルの幻影」を引きずったままの「AM局型」のアイドルは、低迷し、やがて、オタク化していった・・・。

 そういう図式なんだよね。

 いや、この図式は実は、いまでも続いていたりする。
 うん、これら独立系FM局で強い、昔でいうところのアイドルポップス的傾向なアーティストは強い。
 例えば、西野カナ、いきものがかり、miwaなどのソニー勢と、それに対抗したエイベックス勢。

 これらのアーティストは、みんな今でもFM局では強いんですよ。

 反面、AM局でしか強くないアーティストもいる。まあ、詳しくはかかないけど、何を言わんとしているかは、分っていただけるんではないですかねぇ・・・。


 つまりさ、この「I MISSED THE "SHOCK"」って曲は、そんな時代の流れを見透かしたような、先鞭をつけた曲なんじゃないかなぁ・・・。

・・・なんて、今になったら思うんだよね。

 ちなみに、この曲は、この前の「TATOO」よりも、売上げが上がってたりする。1位は取れなかったけど、意外と上位ロングランしてたんだよね。
 これと独立系FM局開局との因果関係は、よくわからないけど、少しは影響があったんじゃないかなぁ。



あ゛、また蛇足だけど、そういう意味では、「ザ・ベストテン」っていう番組は、この時、すでに、時代から遅れた存在だったのかもしれない・・・。
 ・・・というのも、ベストテンの場合、要素のラジオチャートは、TBS系列の「AM局」のランクの総合だったわけじゃん。

 時代は、AMからFMに変わってたのにね。そういう意味では、いい時期に番組が終了したと言えるかもしれない。
 うーん、プロデューサーもそういう時代の変化に気がついてた・・・だから、番組を終了させた・・・とも言えなくはないだろうけどね。視聴率の問題だけではなくさ。


ちなみに、少し前に松山千春の「人生の空から」でも同じような事を書いんだけども、この曲のイントロもイントロクイズ泣かせだよなぁ。
 まあ、知ってればなんてことはないんだけど、曲のメロディは全く関係のないようなフレーズが続くんでねぇ。
しかもイントロやたらと長いのよ、この曲。 その辺も特徴的な曲だな。





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