1976_11_中央フリーウェイ






今回の1曲セレクトは、「中央自動車道」・・・・もとい! 「中央フリーウェイ」荒井由実です。

まずはデータです。

・タイトル    中央フリーウェイ
・アーティスト  荒井由実
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1976年11月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   30.7万枚

※オリコン最高位と売り上げ枚数は、この曲が最初に収録されたアルバム「14番目の月」のもの。
 シングルはリリースされていないので念のため。。


 はいー、今回の1曲セレクトは、「中央高速」ですよ〜。東京近郊に住んでて車持ってるヒトは、通った事ない・・・なんてヒトは、もしや居ないでしょう。それほどメジャーな高速道路です。
 
あー、そう言えば、今日は3連休の最終日。今頃、中央高速の渋滞に嵌っている方もいらっしゃるんだろうなぁ。


 え? 違うって? 「中央フリーウェイ」

 オシャレぢゃありませんか。。。フリーウェイですよ。

 うーん、そういえば、たしかに高速道路って、出来て何十年後には、文字通り「フリーウェイ」になるはずだったですよね。。。。

 それって、そろそろなはずぢゃなかったでしたっけ。。。。

 いつまで、制限速度100Kmで、高い高速料金払わなきゃいけないの?

・・・・なんてヒニクを書いたりして。。。 でもまあ、ETCなんてもんが出来た限りは、当分は「フリーウェイ」にはならんのでしょうね。


 文字通り、ユーミンの初期の代表曲の1曲であります。
 うん、実は、先日の薬師丸ひろ子の「Woman〜Wの悲劇〜」の作曲がユーミンだった・・・っていう繋がりがあったりするふらふら

 でも、この曲、シングル化はされていないんだよね。これ、意外かな?
 4枚目のオリジナルオルバム「14番目の月」のA面の最後に収録されたのが、初めとなります。

 うーん、今で言えば、アルバムのリード曲って存在かな。だけど、なぜか、この曲だけ独り歩きして、今でも代表曲として君臨しているわけですね。

 アルバムのリリースは、上記のように1976年11月20日。39年前の丁度今ごろになるわけですね。

 でも、曲を聴く限りは、イメージが秋頃じゃないよなぁ。ワタシてっきり初夏頃の曲かと思ってたの、ずっと。

 だって、曲のイメージ、爽快感、温度感、全部ひっくるめても、どう考えても「秋」というよりは、「初夏」だよなぁ。

 だいたい、「秋」に

 ♪ 町の灯がやがてまたたきだす 二人して流星になったみたい〜 ♪

とは、秋の曲ではかかないですよぉ。キモは「やがて」ですね。秋の日はつるべ落とし・・・ってぐらいだから「やがてまたたきだす」とはならないよね。

 ・・・なんて、もっともらしく分析してみたりして。。。ふらふら(違ってたらゴメン)

 証拠に、この曲、アルバム「14番目の月」のリリースの半年前、1976年3月14日のTBS「セブンスターショー」で歌われている。。。ってwikipediaには書かれてある。

 まあ、ワタシも実際見てたわけではないから、どのくらい信憑性があるのかは、よく分らないけど、その通りだとすれば、既にアルバムリリースから半年前には、曲が出来てたってことだよね。

 それにしても、やっぱり、ワタシが考えてた時期とはちょっとずれるな。
 76年に結婚することになる、松任谷正隆氏とは、1975年12月に正式に婚約しているから、これは、きっと「彼」とは松任谷氏のことで、ユーミンの実家は八王子だから、東京から八王子に車でおくっていってもらう時に出来たんだろうね・・・と類推してみるふらふら


 だけど、この曲で、有名なのは、

♪調布基地を追い越し 山に向かっていけば〜 右には競馬場、左はビール工場 〜♪

って部分だよね、やっぱ。うん、「競馬場」は東京(府中)競馬場、「ビール工場」はサントリーの府中工場の事なんだけどさ。
 うん、フィクションじゃないんだよね、ホントのこと。

 だから、中央高速にのると、ころあいを見て、この曲をかけようと思うんだけど、なかなかタイミングが合わないんだよなぁふらふら

 実際に、高井戸ICから八王子方面に向かうと、程なくして、「右に競馬場、左はビール工場」が見えるんだけどさ。

 たださ、微妙なのは「調布基地」っていうところなのよね。
今は、「調布基地」はなくなって、単に住宅地になってるから、いつも、どこだ? ・・・って思うんだけど、調べてみたら、1974年に米軍から返還されてる・・・・ってことだから。。。(だから今はもう基地は無い)

 もしかして、この曲って、それ以前にすでにあったってこと?  うんにゃ、これは、今の調布飛行場の事ですね。

 うーんたしかに、ユーミンって既に、中学生のときに六本木人脈(のちのアルファレコード人脈)に出入りし、14歳でレコーディングに参加、15歳のときに加橋かつみ(元タイガース)に曲を提供なんて、早熟少女だったからねぇ。

 たしかに、1974年以前にすでに、この曲の詞のモチーフは出来ていてもおかしくはないですね。



 でも曲は、難しいんだよね。初期のユーミンの曲では、いちばん難しいっていわれてる曲がこの曲。

 出だしがFコードから始まってるからKey=Fだろうとおもったら、実際は、Key=A♭だったりさ、なにより、16ビートの曲って、それまで日本のロック&ポップスで使われたってことは、この当時としてはほとんどない。

 使われてない・・・・というより、16ビートを叩けるドラマーがまず居なかったってことと、もちろん16ビートを刻めるギタリストがまず殆ど居なかった・・・ってのが大きいんじゃないですかねぇ。

 村上ポンタ秀一氏の著書、「自暴自伝」によると、日本で初めて16ビートが叩けるようになったドラマーは、何を隠そう、村上ポンタ氏だったらしいですけどあせあせ(眉唾??)、ポンタ氏は、ユーミンとは、比較的遠い位置にいたミュージシャンなので、レコーディングには参加してない。(ただ、旦那の松任谷正隆氏のキャラメルママとは親交が深かったようですが・・・)
 
 だから、この曲では、ドラムは外国人が叩いてる。アレンジャー兼キーボードはもちろん、松任谷正隆氏ですが、ハーフトーン系の音色のエレピでテンションコードをいっぱいに使った曲アレンジは、このヒトの真骨頂といったところでしょう。

 兎に角、コード進行が複雑なんだよね。

  Fmaj7        F#dim D7 Gm7    Edim C7 Fm7
♪ 中央フリーウェイ 調布基地を追い越し 山に向かっていけば〜 ♪

なんて、出だしからいきなりFmaj7なんてテンションコードからはじまり、F#dimに行くコード進行の曲なんて、このころ、無かったよ。 めちゃくちゃ斬新だったんだよな、この頃のユーミンは。

 のちのテンションコードの嵐だった、寺尾聰のアルバム「Refrections」もビックリな曲だよなぁ。

 だから、サウンドのノリは、すっかりカリフォルニア気分なんだよねぇ。アメリカには20年遅れてるなんて言われてた時代だけど、なんのなんの、この曲の存在は、すでに日本でもアメリカさんに負けないだけのクオリティのAORサウンドを作れるんだぜ・・・と言わしめた曲・・といっても過言ではないですぞexclamation ×2

 いやいや、これこそプロの作品ですよ。2000円払っても全然惜しくないもんねぇ。バックコーラスアレンジには山下達郎氏、パーカッションは斉藤ノブ氏まで参加してたりして、バックのスタジオミュージシャンは至極豪華。
 本当にウマイミュージシャンがセッションすれば、日本でもこのくらいの高クオリティの曲もできるっていう、いい見本ですよ、この曲は。



 なお、↑のデータでは、アーティスト表記を荒井由実にしちゃったけど、これ、どちらとも取れるんだよね。

 このアルバムがリリースされたのは、上記でも書いたように1976年11月20日。結婚式を挙げ松任谷由実になったのは、9日後の1976年11月29日。

 だからか、オリコンでは、このアルバムから松任谷由実表示になってたりする。
 でも、JASRACの作品データベース上では、この曲は「荒井由実」名義で登録されているみたいなので、便宜上、荒井由実にしました。
 




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