今回の1曲セレクトは、「マラソン恋女」山下久美子です。
まずはデータです。
・タイトル マラソン恋女
・アーティスト 山下久美子
・作詞 康珍化
・作曲 大村憲二
・編曲 大村憲二
・リリース日 1982年10月1日
・発売元 コロムビア
・オリコン最高位 26位
・売上げ枚数 5.9万枚
ここのところ、困った時の「1982年」頼みって感じで、1982年の曲を立て続けに書いてきている気がするんだけど・・・
今回の1曲セレクトは、スンマセン、完全に個人の好みです。
山下久美子「マラソン恋女」
「マラソンこいおんな」ぢゃないですぞ。これで「マラソンウーマン」って読ませるの。当時としてはオシャレ。
この曲は、あの大ヒット曲「赤道小町ドキッ!」の次の曲になるんだけど、なぜか、初めて聴いた時から気に入っちゃったんだよね。
むしろ、「赤道小町ドキッ!」より、最初聴いた時のインパクトは、こっちの方が強かったな。
どちらも、はじめて聴いた時は、ラジオで聴いたんだけど・・・。
今も覚えてるけど、「赤道小町ドキッ!」は、TBSラジオの「ザ・ヒットパレード毎日がベストテン」の「ザ・ベストテン」でいえば「スポットライト」みたいなコーナー。上昇注目曲なコーナーだったかな。
正直言って、最初、「へんな曲」って思ったの「赤道小町」は。山下久美子っていうヒトもそれまで知らなかったし・・・。あのころだと、「アラジン」みたいな類のヒトか? ・・・って感じで・・・。
でも、聴いてるウチに、なるほどね・・・って理解できた曲って感じ。
それに対して、この「マラソン恋女」は、お馴染みの「全日本歌謡選抜」ですね。最初に聴いたのは。。うーん、奇しくもどっちもパーソナリティは、小川哲哉氏だ。
いや、正直言って、この曲も率直な感想は、「へんな曲」だったの。
でも、「赤道小町」に比べたら、最初の嫌悪感はなかったんだよね。むしろ、「あ、また、聴きたいな」っていう感じだったかなぁ。
なんつうんだろ? 爽快感? スピード感? 「マラソン」っていう具合だから、スピード感があるんだよね。
時代を先取りしてたっていうか・・・。1982年当時。まだ、女子マラソンは、今ほどメジャーなスポーツぢゃなかったんだよね。
オリンピックで初めて、女子マラソンがスタートしたのは、1984年のロスアンゼルスオリンピックからだ。
そんな、当時、まだマイナーな競技だった、女子マラソン的な題材の曲だったっていうのも、新鮮だったし、それとやっぱし、曲だよね。メロディラインが不思議なんだよね。 こまぎれで・・・。これって、マラソンの息遣いを意識して?
よく、マラソンの時の息遣いは「スースー ハーハー」にするとか言われませんでした? 学生時代のマラソン大会のとき。
うん、いまは、この呼吸法は、「否定」されてるんだけどさ、あのとうじは、それがフツウとみなされてたんだよね。
うん、メロディラインとリズム感が、「スースー ハーハー」っぽいんだよね。この曲
出だしの部分
♪と・ま・らないーよ は・しり・だしーた・恋は〜 ♪ の感じがさ。
それと、サビでいきなり
♪いちにっ! マラソンウーマン ピカピーカさ! さんしっ! はじけるホディ 天まで はしれ! ♪
なんて、応援歌っぽくなったりもしてさ。
その辺の全体的な流れが面白かったな。
まあ、ただ、一口でいって、「ウレセン」か? ・・・っていえば、必ずしも「ウレセン」な曲ではなかったことは確かだよね。
でも、実験的な曲としては、充分、実験的だったと思うし。オリコン最高29位でも充分な結果だったんぢゃないかな。
ちなみに、この曲の間奏のギターのリフ、とっても布袋っぽいんだけど、布袋氏が弾いてたのかなぁ。このころは既に布袋氏と付き合っていたよね? (85年結婚。のち95年離婚)
いや、その辺のギターのリフも当時としては、斬新だったの。今から考えると、後の「BOOWY」を思い起こさせるような輪郭のサウンドだったもん。
それよか、この曲のジャケ写、こんな感じだったの・・っていうの今日、初めてしった
ウチにも、もちろん音源あるんだけど、この曲は、むかーし、通販で買ったニューミュージックのオムニバスアルバムに収録されてたもんで、シングルのジャケ写までは知らなかったんだよね。
バニーガールちゃんな山下久美子 当時23歳。もし、当時、同じくらいの年だったら、このジャケットだけで買ってたわ、このレコード
当時の学園祭の女王、「総立ち久美子」って言われてた山下久美子も、やっぱ、だてぢゃなかったんだね〜。
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