1982_10_すみれSeptember Love_一風堂






今回の1曲セレクトは、「すみれSeptember Love」一風堂です。

 まずはデータです。

・タイトル    すみれSeptember Love
・アーティスト  一風堂
・作詞      竜真知子
・作曲      土屋昌巳
・編曲      土屋昌巳
・リリース日   1982年7月21日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   45.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1982年10月4日〜12月6日付
・タイアップ:カネボウ82年秋のキャンペーンソング

 少し前に竹内まりやの「September」を書いた時、タイトルが「September」なのに、ヒットは10月って書いたんだけども、本命は、今回セレクトしてきた曲だよね。

すみれSeptember Love /一風堂

久しぶりに、今はなき、某K社(・・・って、上に書いてるじゃんふらふら)のキャンペーンソングです。


 衝撃的でしたね。この曲。最初聴いた時は何ていったらいいのかな、わかんなかったもん。

 シンセの細かなリズムから始まるイントロの部分からして、言葉にならなかった・・・っていうか言葉にして表現できないような、それまで聴いたことなかったサウンドだったことは確かですね。

 おなじシンセサウンドでも、Y.M.Oの無機的なテクノサウンドとは、全く違う、東洋的なそれでいて、ちょっと濡れた感じのUKロックテイストも織り込んでいて・・・。はたまた、間奏部分では、カントリー的なバイオリンが流れてきたりして・・・。

 この曲は、このジャンルの曲だ! ・・・・って言い切れないサムシングがあったんだよなぁ。

 一言で言うと、難解であり、かつキャッチーな曲。

 なんて、よくわかんない表現なんだけど・・・。譜面に興すと、この曲、当時としてはかなり、「真っ黒」な譜面になっちゃうの。当時の明星「ヤンソン」に譜面が掲載された時、なんじゃこりゃ・・・と思ったもん。16分音符と、16分休符、プラス、音の上下動の高さで、譜面が真っ黒なの・・・。

 当時、ブラスバンドで、これは絶対に吹けないと思ってた「熊蜂の飛行」(リムスキー=コルサコフ)の譜面を想いおこさせるような譜面だったもん。

 それだけ、細かで緻密な音の作りになっていたんだよね。

 それでいて、実際聴くと、キャッチーで、一度聴いたら、絶対に忘れられない「何か」があったよね。
 うん、なにか妖しい匂いがするような・・・・。


 まあ、それは、土屋昌巳氏のいでたちから、そう感じたのかなぁ。細身で妖艶な感じだったし・・・・。

 そそそ、あの年大ヒットした、「E.T」のような、または研ナオコの男版のような・・・ふらふら(うわー、稚拙な表現。。。)


 それでも、ギターテクニックと音楽性は、ズバ抜けた才能があったヒトだよね。
 Y.M.Oの坂本教授とは、別の意味で天才ですもんね。

 まあ、遡れば、坂本教授も土屋氏も近しい音楽人脈出身なんだけど・・・。(りりィのバックバンド、りりィセッションバンドのギターが土屋氏、キーボードが坂本教授・・・。今考えたら、なんて豪華なバックバンド!)


・・・で、一風堂を結成する前は、大橋純子のバックバンド「美乃屋セントラルステーション」のギタリストとして活躍してたんですよね。
(ちなみに、「美乃屋〜」っていうバンド名は、土屋氏が命名したそうで・・・)

 あ、これすごい・・・と思う曲、アーティストは、やっぱりバックバンドのレベルからして違うんだよね。

・・・で、美乃屋〜を脱退して、結成したのが一風堂。(たしか、東京の雑貨屋から名前を頂戴したんだよね。博多の有名ラーメン屋ではないです)

 メンバー :土屋昌巳 (ギター)
       見岳章  (シンセサイザー)
       藤井章司 (ドラム)

今風に言えば3ピースバンド。

 でも、ヒット曲といえるのは、この「すみれSeptember Love」1曲のみ。
 まあ、世間で言う「一発屋」なんだけど、もともと、このヒトたちは、「ヒットさせよう」と思ってバンド組んでたわけぢやないからね。
 あくまで、自分たちの音楽を模索するためのバンドだったわけで・・・。

 土屋氏は、一風堂やりながら、UKの大御所バンド「JAPAN」のギタリストとしても、平行して活躍してたもんね。
(その関係でベストテンは、毎回「ロンドン」からの中継出演だったよね)

 でもさ、そんなヒト達を、みっけて、CM曲として起用するっていう、眼力は、当時のカネボウのキャンペーンソングにはあったと思うなぁ。
 この人たちに目をかけて、引っ張ってきたヒトは凄いと思う。

 あ、これは、84年の「中原めい子」の時も思ったんだけどね。


 まあ、見た目神経質そうな、土屋氏が、実は意外に出たがりだったっていうこともありますけどね。

 だって、後年、「夕焼けニャンニャン」に出てたじゃんふらふら

 ・・・考えて見れば、おニャン子、とんねるず系の、秋元ファミリーの音楽ブレーンって、今考えると、結構すごいヒトたちが担当してるんだよね。

 後藤次利(ベース)、土屋昌巳(ギター)、見岳章(シンセサイザー)、佐藤準(キーボード)

あわわ、これで、あと、ドラムがいれば、見事にバンドになるわ。

 ドラムは、土屋人脈で、村上ポンタ氏にやってもらえれば、超強力バックバンドになってたね。

 いや、この豪華メンバーで、「おニャン子クラブ」っていう、超シロート集団の楽曲づくりと、バックバンドサポートって言うのも、ありだったかも。。。

 ホラ、このあいだ書いたような、ビーイングの長戸大幸氏が当時考えていた、アイドルに本物のサウンドをぶっつける・・・っていうやつ。

 さすがに、そこまでは、考え付かなかったんだろうな。

ちなみにキーボードの見岳章氏は、その後、秋元康氏と組んで、美空ひばりの「川の流れのように」を作ることになる。。。
この曲の頃は、そんな未来は、全く予測できませんでしたねぇ。


 蛇足だけど、「すみれSeptember Love」と聴いて、「SHAZNA」を思い浮かべる方、目を覚ましてくださいexclamation ×2 あれは「ニセモノ」ですexclamation ×2

 ウン、ワタシに言わせりゃ「カバー」にも値しないですヨ。オリジナルのいいところが全然ないんだもん。
 オリジナルのアレンジは難しすぎるから、適当にメロディなぞってるだけじゃん。

 オリジナルにあった、あの妖しい「妖艶さ」が全くない。

 いやー、当時も、ワタシかなり怒ってたんだよね。97年。 いまからもう10年前だ。

 正直、97年当時、あんまりヒット曲を聴かなくなってたのも、こういう、安易な「ニセモノブランド」的な音楽がまかり通っていた・・・っていうところもあるんだよね。




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