今回の1曲セレクトは、「もう逢えないかもしれない」菊池桃子です。
まずはデータです。
・タイトル もう逢えないかもしれない
・アーティスト 菊池桃子
・作詞 康珍化
・作曲 林哲司
・編曲 林哲司
・リリース日 1985年9月26日
・発売元 バップ
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 25.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1985年10月7日〜11月11日付
・タイアップ:グリコ「ポッキー」CM曲
かなり前に買った本の中に「音楽誌が書かないJポップ批評50」っていうムック本があるんだけど、その中にZARDは、90年代の菊池桃子 っていう内容のコラムが載ってて、思わず頷いてしまった。
ウムウム・・・なるほど、言われて見ればその通りかもしれないな。
・・・なんて、気安く書くと、「どこが似てんだよ」なんて、ツッコミが入りそうだけどね。
菊池桃子は、アイドルじゃん。 ぢゃ〜、ZARDもアイドル?
っていう感じのツッコミがさ。
いや、実は、むしろ菊池桃子がアイドル「らしく」ないんですよ。
どこが? どう見てもアイドルじゃん。。。
うん、あくまでマネージメントコンセプトの面でですね。
菊池桃子がレコードを出すにあたってのコンセプトって言うのが、「だれも彼女だとは気付かない」っていう前提があったのを、意外とだれも知らないだろうな。
(この辺は、林哲司著「歌謡曲」っていう本に詳しく出てるので、キニナル方が居りましたら、読んでみてください)
もともと、菊池桃子は、トライアングルっていう事務所所属な訳で、つまりは、杉山清貴&オメガトライブなどの、音楽屋集団で、あくまでアイドルを扱う、いわいるゲーノー系プロダクションとは一線を隠すプロダクション所属だったわけだ。
まあ、そういう関係で、デビュー曲から林哲司氏が曲を書いていたわけだけど、そのコンセプトもあくまで音楽的にシッカリしていること、「いかにもアイドル系」という、きゃぴきゃぴした曲は書かない(というよりも、林氏自身が、そういう曲は拒否してた)。
っていうシッカリとしたコンセプトがあったんだよね。
で、「だれも彼女とは気付かない」・・・っていうのは・・・。
菊池桃子の1stアルバムのジャケットを覚えてるかな?
↓ アルバム「オーシャンサイド」
このジャケ写みて、だれも菊池桃子だとは気付かないよね。
実は、菊池桃子の本音のコンセプトは、このアルバムのジャケットに集約されているんだよね。
ターゲットを中高生だけに縛らない。大学生が小脇に抱えてても恥ずかしくないアルバム。
普通にカーステレオで聴けるサウンド作り。。。
っていうのが、実際のコンセプトにはあったんだよね。
ちなみに、このアルバム、最高位1位 売上げ枚数21.4万枚(LPのみ)なんていう、アイドルのファーストアルバムとしては、異例のハイレベルの売上げを見せる。(ついでに書くと、このリリース時点のシングルよりも売れた)
つまりぃ、これは、メインターゲットの中高生以外のユーザーも購入した・・・ってことで、作り手の狙いと、ドンピシャリだったわけね。
実は、これと同じ時期、ZARDをプロデュースすることになる、ビーイング総裁、長戸大幸氏も全く同じコンセプトを考えていたんだよね。
いわいるアイドルソングぢゃなくて、本格的なサウンドを一流のミュージシャンを揃えて歌うアイドル
・・・つまりは、旧来の「アイドル」っていうフォーマットをぶっこわす。。。っていうアイデア。
ただ、時期が悪かった。これは、80年初頭に三原順子で実験をしたけど、あまり成功したとはいえなかった。
まだ、アイドルっていうフォーマットが成熟してなかったからだろうね。
そういう時期に、似たコンセプトを持った菊池桃子が出てきた。
長戸氏は手が出せなかった訳ですよ。同じコンセプトのアイドルを出しても、それはコピーとしか見られない訳で。
だから、待ったわけだよね。時期を・・・。
・・・で、満を持したのがZARDだったって訳ですわ。 ただ、ちがうのは、あくまでZARDは、アイドルではないこと。それと、詞を自分で書くことだよね。いわいるソングライターだってこと。
どちらかというと、菊池桃子が後々、行ったプロジェクト、「ラ・ムー」の延長がZARDって言った方が近いかもしれない。
でも、いずれにしても、菊池桃子のコンセプトを下敷きにしたことは間違いない。
でぇ〜、やっと、今回引っ張ってきた「もう逢えないかもしれない」だけど・・・・
正直、当時、この曲、あんまり好きじゃなかったんだ。 なんか、地味な感じしません? たしかに「ポッキー」のCMで、当時、随分流れてたけどさ。
84年当時は新鮮な感じがした、ヤマハDX7サウンドも、85年後半になると、ちょっと時代と違くね? っていう感じがしてきたんですよね。
それを象徴するかのように、この曲のすぐ後、杉山清貴&オメガトライブは、シングル「ガラスのPARM TREE」をリリースして、解散してしまったわけで。。。。
つまりは、サウンドプロデューサーだった林哲司氏のサウンドが時代と折り合わなくなってきたような感じがしてきたんだよね。
時代は、本格サウンド志向ではなく、ヒニクにも、ますます「アイドルアイドル」した曲、プロよりもシロートっぽさを求められてきちゃったわけでさ。
しかも、その仕掛け人が、菊池桃子のプロデューサーの一人でもあった、秋元康氏によって・・・っていのうは、ほんとにヒニクだよなぁ。
たださ、当時、地味っぽい曲だったよなぁ・・・って感じてたのを、菊池桃子とZARDの関係を知った上で、改めて聴くと、なるほどなぁ・・・なんて、新鮮に聴こえたりして。。。。
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