1980_10_さよならの向こう側_山口百恵







今回の1曲セレクトは、「さよならの向こう側」山口百恵です。

 まずはデータです。

・タイトル    さよならの向こう側
・アーティスト  山口百恵
・作詞      阿木耀子
・作曲      宇崎竜童
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1980年8月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   37.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1980年9月22日 10月6日 10月20日〜11月17日付

 長年ヒット曲を追いかけてきた身としては、この時期、この曲を書かないわけにゃいけないよなぁ。

山口百恵 「さよならの向こう側」

何をかくそう、結婚引退を前にした「ラストシングル」です。 
まあ、本当は、もうちょっと早く書いても良かったんだけどね。 先日「しなやかに歌って」を持ってきちゃったんで、少し遅くなってしまいましたね。

1980年10月5日 武道館でのファイナルコンサートにて、ラストでこの「さよならの向こう側」を熱唱し、白いマイクを舞台に置き、一切のゲーノー活動に終止符を打った・・・。

ってことになってるけど、実際は、翌日10月6日にフジテレビ「夜のヒットスタジオ」にラスト出演。さらに翌週13日に日本テレビ「山口百恵スペシャル ザ・ラスト・ソング」っていう番組に出演し、一切のゲーノー活動を封印することになる。
 武道館でのファイナルコンサートが最期のゲーノー活動か・・・というような、神話が今では、当たり前のようになってるけど、実際は、そうではなかったってことね。

 ちなみに、武道館での「ファイナルコンサート」の放映権はTBSがもち、そのためか、その週の「ザ・ベストテン」には出演しなかったように記憶してるなぁ。ただ、ファイナルコンサートのVTRをながしませんでしたっけ? 

 うん、もう、このころになると、ほとんどテレビ出演してなかったんですよね。山口百恵って。いや、結婚宣言した、前年の末くらいから、テレビ出演の回数が、ガタッと減ったような気がする。
 その間に「謝肉祭」「ロックンロールウイドゥ」っていう2曲のシングルをリリースしたものの、あんまり「ザ・ベストテン」で歌った記憶が少ない。ちなみに、どちらの曲もベストテンでは1位を獲得している。
 1位のときでさえ、出演しなかったよな。そんな印象が強いんだよね。

 たしか、この「さよならの向こう側」も9月25日に1回だけ出演したような気がするんだけど・・・。

 この時、「さよならの向こう側」が10位で、松田聖子の「青い珊瑚礁」が1位。
 たった1回だけの、「ザ・ベストテン同時出演」と、記してあるなワタシのサイトには。

 つまり、この時、すでに、「政権交代」の儀式を事実上、果たしたわけで、それ以後、最期のテレビ出演までは、お別れ出演の意味合いが強かった訳ですよね。

 正直、当時、私の興味も、すっかり、松田聖子、田原俊彦、河合奈保子などの80年デビュー組に移っており、この曲は、やけに「色褪せた」山口百恵の印象しか残ってない。

 たしかに、ラストソングを飾るにふさわしい曲ではあったけど、ちょっと「いかにも」過ぎた気はしないかなぁ。
 実験的な山口百恵だったわけだから、ラストソングも実験的に行って欲しかった・・・ていうのは、ファンのわがままというもんですかねぇ。


 ちなみにぃ・・・・山口百恵の「現役」としてのラストシングルとしては、この「さよならの向こう側」だけど、実際は、11月19日に結婚式を挙行され、実質の引退後、11月21日に「一恵」っていう曲がリリースされてたりして、オリコンで2位まで行ってたりする。。
 この曲は実際にテレビで歌ったのは、「夜のヒットスタジオ」に引退前に出演した際の1回だけぢゃないかな。


 だけど、結婚を期にきっぱりとゲーノー生活から離れ、一介の主婦として人生を全うしている姿勢は、本当にいさぎいいですよね。男でもある種の憧れを抱きますよ。
 やれそうでいて、なかなか出来るもんではないですからねぇ。特に、一度、ゲーノー界の甘い汁を吸ってしまったヒトには。



やっぱり、このヒトはウタはうますぎる。一介のアイドルっていうワクを超えてますね。
それと存在感の大きさがね。この当時21歳。
今のアイドルで21才にして、これだけの存在感がある人なんていないよな。

ちなみに、山口百恵の曲を書くのは、これが最後・・・・ぢゃなくて、まだ他にも書きますからね〜。


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